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{{複数の問題
|存命人物の出典明記=2015年1月14日 (水) 09:08 (UTC)
|大言壮語=2025年6月16日 (月) 14:00 (UTC)
}}
{{特殊文字|説明="Hoovelson"の2、3文字目の"o"は[[ウムラウト]]つき}}
{{Infobox 力士
|名前=把瑠都 凱斗
|画像=[[ファイル:Baruto Kaito 2008 May.jpg|180px]]
|説明=二字口に戻る把瑠都
|四股名=把瑠都 凱斗
|本名=カイド・ホーヴェルソン<br/>{{lang|et|Kaido Höövelson}}
|愛称=カイド、エストニアの怪人 
|生年月日= {{生年月日と年齢|1984|11|5|}}
|没年月日=
|出身=旧・ {{SSR}}[[エストニア・ソビエト社会主義共和国]](現在の <br>{{ESTEESSR}}<br>[[レーネ=ヴィル|レーネ=ヴィル県]][[:en:Laekvere vald|ラクヴェレ(ラエクヴェレ)郡]][[:en:Rohu|ロフ村]](現在のラクヴェレ市、出生地はヴァイケ・マーリヤ郡)
|身長=198cm
|体重=189kg193kg
|BMI=4849.2123
|所属部屋=[[三保ヶ関部屋]]→[[尾上部屋]]
|得意技=右四つ・左四つ・り・右上手投げ・吊り突き放し
|現在の番付=引退
|最高位=東[[大関]]
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|幕内戦歴=330勝197敗88休(41場所)
|優勝=幕内最高優勝1回<br/>十両優勝3回<br/>幕下優勝1回<br/>序二段優勝1回<br/>序ノ口優勝1回
|賞=[[殊勲賞]]1回<br/>[[三賞#敢闘賞|敢闘賞]]5回<br/>[[技能賞]]1回
|初土俵=[[2004年]]5月場所
|入幕=[[2006年]]5月場所
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|引退後=
|他の活動=
|趣味= コイン集め<br/>釣り<br/>映画音楽鑑賞<br/>[[パソコン]]
|備考=
|作成日時=[[2013年]][[9月11日]]
}}
'''把瑠都 凱斗'''(ばると かいと、[[1984年]][[11月5日]] - 、本名:カイド・ホーヴェルソン ''Kaido Höövelson'' )は、旧・[[エストニア・ソビエト社会主義共和国]] (現在の[[エストニア|エストニア共和国]]) [[レーネ=ヴィル|レーネ=ヴィル県]][[:en:Laekvere vald| ラクヴェレ(ラエクヴェレ)郡]] [[:en:Rohu, Estonia|ロフ村]] (現在のラクヴェレ市)出身(出生地はヴァイケ・マーリヤ郡)、[[尾上部屋]](入門時は[[三保ヶ関部屋]])所属の元[[大相撲力士]]で、[[スウェーデン]]系エストニア人。得意技は右四つ・左四つ・寄り・投げ・吊り。
 
'''把瑠都 凱斗'''(ばると かいと、[[1984年]][[11月5日]] - )は、[[エストニア]]出身の元[[大相撲]][[力士]]、[[格闘家]]、[[実業家]]、[[政治家]]、[[タレント]]。本名は'''カイド・ホーヴェルソン'''({{lang-et|'''Kaido Höövelson'''}})。単に'''把瑠都'''またはカタカナで'''バルト'''とも表記される。[[スウェーデン系]][[エストニア人]]。
最高位は東[[大関]]。[[四股名]]は母国エストニアが面する[[バルト海]]から。凱斗の名は本名Kaido(カイド)の音に、日本で素晴らしいものをつかみ母国に凱旋してほしいという願いを込めた漢字をあてて、[[増位山太志郎|三保ヶ関親方]]が名づけた。史上初のエストニア出身力士[[関取]]。
 
「把瑠都 凱斗」は力士時代の[[四股名]]であり、「把瑠都」は母国エストニアが面する[[バルト海]]から<ref name="100retsu">北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)216ページから217ページ</ref>、「凱斗」は本名の{{en|Kaido}}(カイド)の音に、日本で素晴らしいものをつかみ母国に凱旋してほしいという願いを込めた漢字を当てて、当時の三保ヶ関親方(元・[[増位山太志郎|増位山]])が名付けた。
 
大相撲力士としては[[三保ヶ関部屋]]に入門し、その後[[尾上部屋]]に移籍した。史上初のエストニア出身力士で、最高位は東[[大関]]、得意技は右四つ・寄り・投げ・吊りであった。2012年1月場所に初めての[[大相撲優勝力士一覧|幕内最高優勝]]を成し遂げ、一時は綱獲りに挑んだこともあったが、故障などが響いてその年の11月場所限りで大関から陥落。番付を下げた末に2013年9月場所前に[[十両]]の地位で現役引退となった。
 
引退後は[[オフィス北野]]に所属し、タレント兼格闘家として活動していたが、政治家を志して2018年に祖国エストニアに帰国、2019年3月にエストニア議会([[リーギコグ]])の総選挙に出馬し、一旦落選するも3月19日に繰り上げ当選した。
[[2012年]]1月場所に唯一の[[幕内]]優勝を成し遂げ、綱獲りに挑んだこともあった。しかしその後度重なる故障などに泣き同年11月場所限りで大関から[[陥落]]し、十両まで番付を下げた末に故障の悪化により[[2013年]]9月場所前に[[十両]]の地位で現役引退となった。
 
== 来歴 ==
[[File:Baruto 08 Sep.jpg|thumb|left|120px|2008年9月]]
 
=== 入門前 ===
1984年11月5日に[[ソビエト連邦]]の[[エストニア・ソビエト社会主義共和国]](現在のエストニア)[[レーネ=ヴィル県]] ヴァイケ・マーリヤ郡 エバヴェレ村 、21女の男としてまれ、する。生後間もく現在も実家のある 同県 [[:en:Laekvere vald|ラクヴェレ(ラエクヴェレ)郡]] [[:en:Rohu|ロフ村]] (現在の[[ラクヴェレ]]市)に移って幼少期から成人までを過ごした。<ref>現在では、[[日本相撲協会]]の公式[[プロフィール]]や[[本場所]]の場内アナウンスなどにおいては、出生地のヴァイケ・マーリヤ郡ではなく、育ったラクヴェレ(ラエクヴェレ)郡(現在のラクヴェレ市)を出身地として公称している<ref>[http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/2731/ 力士プロフィール - 把瑠都 凱斗 - 日本相撲協会公式サイト](2018年3月31日閲覧)</ref>
 
[[柔道]]経験者であり、18歳の時本人曰く「出場選手4人」とのことであるが、柔道エストニアジュニア王者の栄冠に輝いた。一方で早くに[[]]を亡くし生活苦に喘いでいたこともあり、[[バー (酒場)|バー]]の警備員を務めていたこともあった<ref name="ref1">[[TBSテレビ|TBS]]『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』・「[[みのもんたの朝ズバッ!#ズバッ!8時またぎコーナー|ズバッ!8時またぎ]]」2010年[[3月29日]]放送より。</ref>。また、その優しい性格と太り気味の体格から[[いじめ]]を受けていたとされている<ref name="ref1"/><ref>よみうり寸評 [[読売新聞社]] 2010年4月30日</ref>
 
そのようなホーヴェルソン少年の相撲との出会いは12歳小学6年生の時であった。相撲の国際的な普及を図る[[国際相撲連盟]]の理事[[夫婦|夫妻]]がラクヴェレを訪れ相撲の指導を行った際、多くの子どもが初体験の相撲に戸惑う中、ホーヴェルソン少年だけは目を輝かせて相撲を取っていたという<ref name="100retsu"/>。後に把瑠都もこの日のことを、「何で裸になるんだろうと思ったけど、力と力の勝負が本当に楽しかった。今思えば、これも運命でしょう」と述懐している<ref>原点は人懐っこい笑顔…把瑠都 角界に高い適応力(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース 2010年3月29日</ref>。以来自宅から車で10分ほどの場所にある相撲道場「SAKURA」で稽古を積み重ねて相撲の基礎を築いた<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20140209-1255246.html 把瑠都“エストニアの怪人2世”育成] nikkansports.com 2014年2月9日9時27分 紙面から</ref>。把瑠都はこの夫妻を今もなお日本の両親と慕い、大相撲への入門もこの夫妻と国際相撲連盟の会長の尽力があって実現したことであった<ref>把瑠都の“日本の両親”倉園さん夫婦「今日は祝杯」…春場所14日目:相撲:スポーツ:スポーツ報知 2010年3月29日</ref>
 
==== スピード出世 ====
[[2004年]]5月場所にて初土俵を踏む。[[序ノ口]]・[[序二段]]と2場所連続で優勝するなどスピード出世で、[[2005年]]7月場所では西[[幕下]]6枚目で5勝2敗という成績で同部屋の白石(元[[白乃波寿洋|白乃波]])と同時に[[十両]]昇進を果たした<ref>ただし、[[千秋楽]]の「入れ替え戦」とも言える取組では[[よう司大|燁司]]に敗れ、さらに同年5月場所において白石は同地位、同成績、比較対象となった[[須磨ノ富士茂雄|須磨ノ富士]](東12枚目で5勝10敗)は把瑠都の比較対象となった[[和歌乃山洋|和歌乃山]](西6枚目で3勝12敗)を単純計算で下回る地位・成績であったにもかかわらず十両昇進を見送られており、この昇進に関して疑問の声も多数上がった(同地位同成績での十両昇進は1991年11月場所の寺木([[蒼樹山秀樹|蒼樹山]])以来14年ぶり、幕下が七番制になってからの45年間で9例目)。新十両の翌9月場所は優勝次点である12勝3敗の成績だったことから、結果的に正しい昇進だったと言えるものの、番付編成の基準の一貫性のなさが改めて問題となった。</ref>。初土俵から所要8場所での新十両昇進は[[小錦八十吉 (6代1963年生)|小錦]]と並ぶ史上3位タイ(当時)のスピード出世であった<ref name="100retsu"/>。本人は後に「日本に来た時点で、心の中では大関だった」と語るなど強い自信と熱意を持っていた。
 
なお、その9月場所では、優勝した[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]に唯一の黒星を付けている。翌11月場所は十両西4枚目に躍進し、史上最速の前相撲からの所要10場所での新入幕を十分狙える位置にあったが、場所初日に急性[[虫垂炎]]を発症し全休、翌[[2006年]]1月場所では幕下に陥落した。幕下では6番相撲を終えた時点で全勝が1人となる幸運も重なり、虫垂炎の手術時に施された全身[[麻酔]]の後遺症から思うように身体が動かない中{{要出典|date=2016年4月27日 (水) 13:13 (UTC)}}、7人による優勝決定戦を制して幕下優勝、1場所で十両に復帰した。翌3月場所では[[北の富士勝昭|北の富士]](第52代[[横綱]])以来43年ぶり4人目(本場所が15日制になってから)となる十両での15戦全勝優勝を果たし、史上2位タイとなる所要12場所での新入幕を決めた<ref name="100retsu"/>。この場所[[千秋楽]]の全勝優勝[[インタビュー]]にて[[スポーツ解説者|解説]]・北の富士から「[[北の富士賞]]」が贈られ、(将来の目標について)「横綱、横綱」の声が出るなど、当時から早くも横綱昇進を期待する声が上がっていた{{要出典|date=2016年4月27日 (水) 13:15 (UTC)}}<ref>過去に十両で15戦全勝を達成した力士は3人。北の富士が横綱、[[栃光正之|栃光]]と[[豊山勝男|豊山]]が[[大関]]まで昇進している。</ref>。
 
==== 怪我に苦しむ ====
新入幕の2006年5月場所は序盤で2敗を喫するも、そこから素質の高さを見せて勝ち進み13日目終了まで2敗をキープする。最終盤の2日間は、この場所優勝を争った[[関脇]][[雅山哲士|雅山]]と[[大関]][[白鵬翔|白鵬]]に連敗を喫したが、11勝4敗で優勝次点の成績をおさめ、自身初の[[三賞]]となる[[三賞#敢闘賞|敢闘賞]]を受賞した。前相撲から13場所目での三賞受賞は[[栃東大裕|栃東]]、琴欧州(現・[[琴欧洲勝紀|琴欧]]と並び史上最速である。またこの場所の千秋楽で三役揃踏を行ったが、新入幕でこれをつとめた力士は[[1973年]]9月場所の[[大錦一徹|大錦]]以来33年ぶり、史上2人目のことであった。また、前相撲から13場所目での[[これより三役]]出場も琴欧州を抜いて史上最短の記録。このとき、あまりの出世の早さ(および独特の髪質)が影響して大銀杏が結えなかったため、ちょん髷姿で揃い踏みを行った<ref name="100retsu"/>
 
2006年7月場所は兼ねてから熱望していた、自身より背の高い琴欧州との対戦が実現し投げで振り回した後に寄り切り勝利。
2006年9月場所は東前頭筆頭まで進み[[三役]]昇進を期待されたが、上位陣に対して苦戦し、10日目の雅山との取組で左ひざを痛め、翌日から休場した。これ以降しばらく怪我に苦しむことになる。2度目の十両優勝を果たし、わずか1場所で幕内復帰を果たしたが、7月場所初日の[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]戦でまたも左膝を痛め2日目より休場。しかし、再度の十両陥落となった9月場所で他を寄せ付けず、3度目の十両優勝を果たす。11月場所は2度目の帰り入幕ながら前半戦から好成績をあげて優勝争いに加わり、敢闘賞を受賞した。それ以後は引退数場所前まで大きな怪我もなく、幕内に定着していった。
 
2006年9月場所は東前頭筆頭まで進み[[三役]]昇進を期待されたが、上位陣に対して苦戦し、10日目の雅山との取組で寄り倒された時に左ひざを痛め、翌日から休場した。これ以降しばらく怪我に苦しむことになる。2度目の十両優勝を果たし、わずか1場所で幕内復帰を果たしたが、7月場所初日の[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]戦でまたも左膝を痛め2日目より休場。しかし、再度の十両陥落となった9月場所で他を寄せ付けず、3度目の十両優勝を果たす。11月場所は2度目の帰り入幕ながら前半戦から好成績をあげて優勝争いに加わり、敢闘賞を受賞した。それ以後は引退数場所前まで大きな怪我もなく、幕内に定着していった。
=== 上位定着・大関獲り ===
翌[[2008年]]1月場所では、7勝8敗と15日間皆勤での[[負け越し]]を初めて経験した。しかし、同年の7月場所では、西前頭5枚目の番付で10勝5敗と二桁勝利をあげた。この場所では上位陣に負け越した力士が多かったために、翌9月場所では初の三役となる[[小結]]昇進を果たした。この場所は9日目を終えて2勝7敗と非常に危なかったが終盤奮起したか強さを発揮、残り6日間を全部勝って8勝7敗と見事勝ち越し、11月場所では関脇昇進を果たした。その場所も勝ち越して翌2009年1月場所は東関脇に昇進した。5月場所は大関以上に全敗し、自身最低の4勝11敗という成績で4場所連続で在位した関脇から陥落してしまった。そればかりでなく、千秋楽の[[千代大海龍二|千代大海]]戦での明らかな[[ダイビング]]が[[無気力]]相撲であったとして、師匠を通じて注意処分を受けた<ref>「大相撲夏場所:千秋楽、千大海と把瑠都「無気力」 監察委が「注意」」毎日新聞2009年5月30日 東京朝刊</ref>。西3枚目に下がった7月場所では序盤から好調で11勝4敗、三賞受賞はならなかったが翌場所の三役復帰を果たした。
 
==== 上位定着〜大関獲り ====
大関獲りの話題が大きくなった時期は2009年9月場所だった。この場所把瑠都は5大関全員に勝つという偉業を成し遂げるが、これは[[1986年]]の保志(後の[[横綱]]・[[北勝海信芳|北勝海]])以来のことであった。優勝争いの方も、13日目まで2敗と両横綱を追走する立場だったが、14日目に[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に敗れて3敗目となり優勝の可能性は消えた。それでも12勝3敗の成績で敢闘賞を受賞し一躍注目を浴びた。しかし、11月場所は9勝6敗と一桁の勝ち星に終わり、来場所は「かなりの大勝ではないと大関にはなれない」との声があった。<ref>平成以降昇進2場所前の白星が1桁で大関に昇進した力士は、[[1992年]]5月場所後の[[曙太郎|曙]]ただ1人のみ。当時横綱は[[北勝海信芳|北勝海]]が引退し空位に、大関も[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]と[[霧島一博|霧島]]の二人だけという事情や、さらに昇進直前の5月場所の曙は幕内初優勝を果たしていた。「[[大関#大関昇進前3場所成績(平成以降)|大関]]」の記事も参照。</ref>
翌[[2008年]]1月場所では、7勝8敗と15日間皆勤での[[負け越し]]を初めて経験した。しかし、同年の3月場所では12勝、7月場所でも西前頭5枚目の番付で10勝5敗と二桁勝利をあげた。この場所では上位陣に負け越した力士が多かったために、翌9月場所では初の三役となる[[小結]]昇進を果たした。この場所は9日目を終えて2勝7敗と非常に危なかったが、終盤で奮起したか強さを発揮し、残り6日間を全部勝って8勝7敗で勝ち越し、11月場所では関脇昇進を果たした。その場所も勝ち越して翌2009年1月場所は東関脇に昇進した。5月場所は大関以上に全敗し、自身最低の4勝11敗という成績で4場所連続で在位した関脇から陥落してしまった。そればかりでなく、千秋楽の[[千代大海龍二|千代大海]]戦での明らかなダイビングが無気力相撲であったとして、師匠を通じて注意処分を受けた<ref>「大相撲夏場所:千秋楽、千大海と把瑠都「無気力」 監察委が「注意」」毎日新聞2009年5月30日 東京朝刊</ref>。西前頭3枚目に下がった7月場所では序盤から好調で11勝4敗、三賞受賞はならなかったが翌場所の三役復帰を果たした。
 
大関獲りの話題が大きくなった時期は2009年9月場所だった。この場所把瑠都は5大関全員に勝つという偉業を成し遂げるが、これは[[1986年]]の保志(後の横綱・[[北勝海信芳|北勝海]])以来のことであった。優勝争いの方も、13日目まで2敗と両横綱を追走する立場だったが、14日目に[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に敗れて3敗目となり優勝の可能性は消えた。それでも12勝3敗の成績で敢闘賞を受賞し一躍注目を浴びた。しかし、11月場所は9勝6敗と一桁の勝ち星に終わり、来場所は「かなりの大勝ではないと大関になれない」との声があった<ref>平成時代以降、昇進2場所前の白星が1桁で大関に昇進した力士は、[[1992年]]5月場所後の[[曙太郎|曙]]と、[[2014年]]7月場所後の[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]の2人のみ。「[[大関#大関昇進直前3場所成績(平成時代以降)|大関]]」の記事も参照。</ref>。
大関昇進の望みもあった2010年1月場所では、7日目に白鵬に初めて勝つ殊勲の星を挙げ、また白鵬の連勝を30で止めた。初優勝と大関昇進も期待されたが10日目に豊ノ島、11日目に朝青龍に敗れて3敗となってしまった。その後は千秋楽まで連勝を続け12勝3敗、初の[[三賞#殊勲賞|殊勲賞]]を受賞した<ref>これ以前は丸1年殊勲賞の受賞自体が途絶えていた。</ref>。また、直近3場所の勝ち星の合計が大関昇進の目安となる三役の地位で合計33勝に達したものの、場所後は昇進の話題すら殆ど出ないままだった。次の3月場所を迎えるにあたり、[[勝負審判|審判部]]の[[魁輝薫秀|友綱審判部長]]は、把瑠都の大関昇進に必要な星の目安が「13勝以上」であるとの認識を示したが、これは「三役3場所33勝以上」の基準を1勝上回る条件であった。<ref>友綱審判部長認識“把瑠都の昇進には13勝以上”(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース - 2010年3月27日閲覧</ref>
 
大関昇進の望みもあった2010年1月場所では、7日目に白鵬に初めて勝つ殊勲の星を挙げ、また白鵬の連勝を30で止めた。初優勝と大関昇進も期待されたが10日目に豊ノ島、11日目に朝青龍に敗れて3敗となってしまった。その後は千秋楽まで連勝を続け12勝3敗、初の[[三賞#殊勲賞|殊勲賞]]を受賞した<ref name="100retsu"/><ref>これ以前は丸1年殊勲賞の受賞自体が途絶えていた。</ref>。また、直近3場所の勝ち星の合計が大関昇進の目安となる三役の地位で合計33勝に達したものの、場所後は昇進の話題すら殆ど出ないままだった。次の3月場所を迎えるにあたり、[[勝負審判|審判部]]の[[魁輝薫秀|友綱審判部長]]は、把瑠都の大関昇進に必要な星の目安が「13勝以上」であるとの認識を示したが、これは「三役3場所33勝以上」の基準を1勝上回る条件であった<ref>友綱審判部長認識“把瑠都の昇進には13勝以上”(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース - 2010年3月27日閲覧</ref>。
その3月場所、把瑠都は場所前に左手親指のじん帯を損傷し、場所後の大関昇進は不安視されていた。しかし初日から、圧倒的に強い所と懐に入られる危ない所の両方を見せながらも、突き押しに著しい進境を見せて勝ち進んだ。11日目の白鵬との一番には何もできずに敗れたが、白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げた。優勝こそ逃したが大関以下の力士を全員破る14勝1敗の成績で終えて昇進基準を上回る成績を残し、場所後の大関昇進が確定的になった<ref>大関昇進確実!把瑠都“自画自賛”の12勝目(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ 大相撲 2010年春場所 - 2010年3月27日閲覧</ref>。さらにこの場所は5度目の敢闘賞に加え、突き押しが評価されて初めての技能賞を受賞した。千秋楽の[[琴光喜啓司|琴光喜]]との相撲は、[[立合い]]の突っ張りで相手を突き起こしておいて、右上手と左[[廻し|前褌]]を取って引き付け、一気に[[寄り切り|寄り切る]]という内容で、解説者の北の富士勝昭や元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]で相撲評論家の[[杉山邦博]]<ref name="ref1"/>が技能賞に相応しいと太鼓判を押す内容であった。[[3月31日]]、大関昇進が決定。なお[[昇進伝達式]]での口上は「謹んでお受けいたします。稽古に精進して、 栄誉ある地位を汚さぬよう努力いたします」であった。近年は伝達式の口上に[[四字熟語]]を用いる力士が多いが、把瑠都は「自分が理解していない言葉を使っても意味がない」という理由で四字熟語は用いなかった。
 
その3月場所、把瑠都は場所前に左手親指のじん帯を損傷し、場所後の大関昇進は不安視されていた。しかし初日から、圧倒的に強い所と懐に入られる危ない所の両方を見せながらも、突き押しに著しい進境を見せて勝ち進んだ。11日目の白鵬との一番は何もできずに敗れたが、白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げた。優勝こそ逃したが大関以下の力士を全員破る14勝1敗の成績で終えて昇進基準を上回る成績を残し、場所後の大関昇進が確定的になった<ref name="100retsu"/><ref>大関昇進確実!把瑠都“自画自賛”の12勝目(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ 大相撲 2010年春場所 - 2010年3月27日閲覧</ref>。次点として14勝1敗を記録するのは、優勝力士が全勝の場所に限れば1994年7月場所の[[花田虎上|若ノ花]]以来16年ぶりのことである。さらにこの場所は5度目の敢闘賞に加え、突き押しが評価されて初めての技能賞を受賞した。千秋楽の[[琴光喜啓司|琴光喜]]との相撲は、[[立合い]]の突っ張りで相手を突き起こしておいて、右上手と左[[廻し|前褌]]を取って引き付け、一気に[[寄り切り|寄り切る]]という内容で、解説者の北の富士勝昭や元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]で相撲評論家の[[杉山邦博]]<ref name="ref1"/> が技能賞に相応しいと太鼓判を押す内容であった。3月31日、大関昇進が決定。白人大関としては史上2例目。[[昇進伝達式]]での口上は「謹んでお受けいたします。稽古に精進して、栄誉ある地位を汚さぬよう努力いたします」であった。近年は伝達式の口上に[[四字熟語]]を用いる力士が多いが、把瑠都は「自分が理解していない言葉を使っても意味がない」という理由で四字熟語は用いなかった。
=== 大関昇進後・幕内初優勝 ===
[[ファイル:Valgetähe 3. klassi teenetemärgi üleandmine Barutole.jpg|サムネイル|2012]]
新大関として出場の2010年5月場所、前半戦は初日から7連勝したものの、中日8日目の[[鶴竜力三郎|鶴竜]]に敗れて初黒星。9日目に勝ち越したものの、10日目から3連敗を喫するなど後半戦は失速、結局10勝5敗に留まった。続く7月場所は2日目から連敗するなど序盤波に乗れず、その後持ち直して11日目に勝ち越しを決めたが12日目から4連敗を喫し8勝7敗に終わった。9月場所は8日目まで7勝1敗と好調だったが、9日目魁皇に敗れてからは失速し、9勝6敗に終わった。11月場所は11日日まで10勝1敗で優勝争いに加わったが、12日目で平幕の[[豊ノ島大樹|豊ノ島]](同場所14勝1敗で優勝同点)に不覚を取り2敗と後退、その後は14日目白鵬に、千秋楽魁皇に連敗し11勝4敗だった。
 
==== 大関昇進〜幕内初優勝 ====
翌2011年1月場所は、初日敗れた後9日目まで8連勝とし優勝争いに加わるも10日目から3連敗するなど失速。千秋楽も琴欧洲に敗れ9勝6敗に終わる。同年3月場所は[[大相撲八百長問題]]により開催中止となった。
[[ファイル:Valgetähe 3. klassi teenetemärgi üleandmine Barutole.jpg|thumb|[[トーマス・イルヴェス]]大統領から白星勲章3等(Valgetähe 3. klassi)を受章される(2012年)。]]
新大関として出場の2010年5月場所、前半戦は初日から7連勝したものの、中日8日目の鶴竜に敗れて初黒星。9日目に勝ち越したものの、10日目から3連敗を喫するなど後半戦は失速、結局10勝5敗に留まった。続く7月場所は2日目から連敗するなど序盤波に乗れず、その後持ち直して11日目に勝ち越しを決めたが12日目から4連敗を喫し8勝7敗に終わった。9月場所は8日目まで7勝1敗と好調だったが、9日目魁皇に敗れてからは失速し、9勝6敗に終わった。11月場所は11日目まで10勝1敗で優勝争いに加わったが、12日目で平幕の豊ノ島(同場所14勝1敗で優勝同点)に不覚を取り2敗と後退、その後は14日目白鵬に、千秋楽魁皇に連敗し11勝4敗だった。
翌2011年1月場所は、初日敗れた後9日目まで8連勝とし優勝争いに加わるも10日目から3連敗するなど失速。千秋楽も琴欧洲に敗れ9勝6敗に終わる。同年3月場所は[[大相撲八百長問題]]により開催中止となった。同月、東日本大震災の直後から許可なく地方へ行くことを禁止されていた中で大阪市内の繁華街をジャージ姿で出歩いていたことが問題視され、協会から厳重注意を受けた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/09/12/kiji/K20130912006599280.html 把瑠都 引退 今後は?「エストニアの観光大使になりたい」] Sponichi Annex 2013年9月12日 06:00</ref>。
 
2011年5月[[技量審査場所]]では、3日目の豪栄道戦で上手投げで敗れた直後、記者陣に対して'''「遊びの場所みたい」'''と問題発言、翌日理事長室に呼ばれ放駒理事長(元大関・魁傑)らに厳重注意の処分を受けた<ref>把瑠都、理事長室に即呼び出し厳重注意…技量審査場所4日目 スポーツ報知 - 2011年5月12日閲覧</ref>。同場所は12日目まで10勝2敗だったが、翌13日目から3連敗を喫して又しても優勝争いから完全に脱落となった。2011年7月場所は白鵬に勝利し11勝
 
2011年11月場所は4日目まで1勝3敗と絶不調、一時は途中休場も危ぶまれた程だったが、その後は12日目で[[日馬富士公平|日馬富士]]に敗れた以外は白星を重ねて11勝4敗、千秋楽結びの一番では白鵬をはたき込みで下して2場所ぶりの勝利、さらに白鵬の9回目の全勝優勝を阻止した。
 
2012年1月場所は、初日から好調で相手を圧倒する相撲で13日目まで連勝街道を走り、13日目に白鵬が琴欧洲に敗れたため、初の幕内最高優勝を獲得した<ref>把瑠都、13連勝で初優勝 スポーツ報知 2012年1月20日閲覧</ref>。14日も勝ち星をあげ、千秋楽は全勝優勝をかけて白鵬と対戦したが敗れて全勝優勝はならなかった。14ず、14勝1敗で初場所を終えた。優勝インタビューでは、日本に呼んだ母親と妻の喜ぶ姿を見て、人目を憚らずに男泣きしながらも「お母さんが生まれていなかったらはここにはいない。産んでくれてありがとう」と、心からの感謝を告げた<ref>把瑠都、涙「産んでくれてありがとう」…初場所千秋楽 スポーツ報知 2012年1月27日閲覧</ref>
 
場所後、12日目の稀勢の里戦で[[注文相撲]]を見せたことが[[横綱審議委員会]]に問題視され、当初は2場所連続優勝でも推挙しないという例外的な厳しい措置も示唆されたが、最終的に[[鶴田卓彦]]委員長が「役力士は正々堂々勝負すべき」と相撲内容を重視する方針を掲げた上で「12勝以上すれば議論になるのでは。準優勝でも内容が良ければ」とかなり甘めの基準を示すに至った。一方でこの場所後に審判部長に新任した鏡山は「次も優勝なら文句はない。そうでなければ(昇進は)ないのでは」と考えを示した<ref>『相撲』2012年3月号37頁</ref>。
2012年3月場所は、初の綱獲りに挑んだが12日目で3敗してしまい、昇進の最低条件として挙げられていた「13勝以上での優勝」を達成できなくなった。その後も日馬富士にしか勝利できず、最終的に10勝5敗であったため、結局横綱挑戦は失敗に終わった。翌2012年5月場所は11日目まで3敗を守ったが、その後連敗し優勝争いから脱落。千秋楽では、勝てば優勝決定戦進出となっていた[[稀勢の里寛|稀勢の里]]を上手投げで下して優勝を阻止、楽日に存在感を見せた。2012年7月場所では初日から7連勝と好スタートを切ったが、後半戦で星を落とし9勝6敗に終わった。
 
2012年3月場所は、初の綱獲りに挑んだが12日目で3敗してしまい、昇進の最低条件として挙げられていた「13勝以上での優勝」を達成できなくなった。その後も日馬富士にしか勝利できず、最終的に10勝5敗であったため、結局横綱挑戦は失敗に終わった。翌2012年5月場所は11日目まで3敗を守ったが、その後連敗し優勝争いから脱落。千秋楽では、勝てば優勝決定戦進出となっていた[[稀勢の里寛|稀勢の里]]を上手投げで下して優勝を阻止、楽日に存在感を見せた。2012年7月場所では初日から7連勝と好スタートを切ったが、後半戦で星を落とし9勝6敗、これが自身大関で最後に勝ち越した場所となった。
2012年9月場所初日、[[魁聖一郎|魁聖]]との取組で土俵際把瑠都の上手投げに魁聖が手をつき、把瑠都の足が俵内に残っていたにもかかわらず、行事軍配は魁聖の寄りを有利に挙げ、しかも審判団5人全員からも[[物言い]]がつかず、不運にも黒星とされてしまう<ref>取組直後のビデオ再生で、NHK解説者の[[北の富士勝昭|北の富士]]が「これは明らかな誤審ですよ」と指摘する程だった。</ref>。把瑠都本人も「相手の手が先についてたのに。体勢は確かに悪かったけど…」と納得のいかないコメントを出している。土俵下で見ていた鏡山審判部長(元関脇・[[多賀竜昇司|多賀竜]])は「把瑠都の体は半分出ていたし、流れは完全に魁聖。ビデオを見ながらならば(物言いの)手を挙げられるが…」と言い訳するも、この直後視聴者から相撲協会へ抗議の意見が殺到した。2日目の[[碧山亘右|碧山]]戦は勝利するも、翌3日目の[[臥牙丸勝|臥牙丸]]戦では土俵際把瑠都の上手投げに軍配が挙がったが、物言いの末[[取り直し]]に。その相撲では臥牙丸に寄り切られ1勝2敗に。この取組で場所前から痛めていた右足の怪我が悪化、右足親指剥離骨折により全治1か月の診断が下され、4日目から途中休場(把瑠都の途中休場は当時平幕の2007年9月場所以来7月場所以来)。これで2009年7月場所から続いた幕内連続勝ち越しは18場所でストップ(同4日目に琴奨菊、6日目からは[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]も休場を表明し6大関の内3人が途中休場)。
 
2012年9月場所初日、[[魁聖一郎|魁聖]]との取組で土俵際把瑠都の上手投げに魁聖が手をつき、把瑠都の足が俵内に残っていたにもかかわらず、[[行司]]軍配は魁聖の寄りを有利に挙げ、しかも審判団5人全員からも[[物言い]]がつかず、不運にも黒星とされてしまう<ref>取組直後のビデオ再生で、NHK解説者の北の富士勝昭が「これは明らかな誤審ですよ」と指摘する程だった。</ref>。把瑠都本人も「相手の手が先についてたのに。体勢は確かに悪かったけど…」と納得のいかないコメントを出している。土俵下で見ていた鏡山審判部長(元関脇・[[多賀竜昇司|多賀竜]])は「把瑠都の体は半分出ていたし、流れは完全に魁聖。ビデオを見ながらならば(物言いの)手を挙げられるが…」と言い訳するも、この直後視聴者から相撲協会へ抗議の意見が殺到した。2日目の[[碧山亘右|碧山]]戦は勝利するも、翌3日目の[[臥牙丸勝|臥牙丸]]戦では土俵際把瑠都の上手投げに軍配が挙がったが、物言いの末[[取り直し]]に。その相撲では臥牙丸に寄り切られ1勝2敗に。この取組で場所前から痛めていた右足の怪我が悪化、右足親指剥離骨折により全治1か月の診断が下され、4日目から途中休場(把瑠都の途中休場は当時平幕の2007年9月場所以来7月場所以来)。これで2009年7月場所から続いた幕内連続勝ち越しは18場所でストップ(同4日目に[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]、6日目からは[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]も休場を表明し6大関の内3人が途中休場)。
2012年11月場所は初の大関[[角番]]となった。初日の魁聖戦は[[送り出し]]で下したが、2日目の[[松鳳山裕也|松鳳山]]戦で[[掬い投げ]]で敗れた際、左太腿を痛めてしまう。翌3日目、左太腿裏肉離れで全治3週間の診断により途中休場([[豪栄道豪太郎|豪栄道]]戦は[[放棄試合|不戦敗]])。その後再出場を果たせぬまま9日目に2場所連続負け越しとなり、大関在位15場所目で次場所関脇への[[陥落]]が決定してしまった<ref>大関陥落した力士は、2009年11月場所の千代大海以来3年ぶりとなる。</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/11/13/kiji/K20121113004545500.html カド番大関把瑠都が休場 関脇降格へ 左太腿裏の肉離れ]スポニチアネックス 2012年11月13日閲覧</ref>。
 
2012年11月場所は初の大関[[角番]]となった。初日の魁聖戦は[[送り出し]]で下したが、2日目の[[松鳳山裕也|松鳳山]]戦で[[掬い投げ]]で敗れた際、左太腿を痛めてしまう。翌3日目、左太腿裏肉離れで全治3週間の診断により途中休場([[豪栄道豪太郎|豪栄道]]戦は[[没収試合|不戦敗]])。その後再出場を果たせぬまま9日目に2場所連続負け越しとなり、大関在位15場所目で次場所関脇への[[陥落]]が決定してしまった<ref>大関陥落した力士は、2009年11月場所の千代大海以来3年ぶりとなる。</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/11/13/kiji/K20121113004545500.html カド番大関把瑠都が休場 関脇降格へ 左太腿裏の肉離れ] スポニチアネックス 2012年11月13日閲覧</ref>。
=== 関脇陥落~引退 ===
[[2013年]]1月場所は関脇の地位で10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰だった<ref>但し現行の特例復帰制度で、過去大関再昇進に成功した力士は僅か4人(その内[[三重ノ海剛司|三重ノ海]]はのちに横綱昇進、[[栃東大裕|栃東]]は2度返り咲き)のみである。</ref><ref>[http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nihiljapk/article/158 把瑠都降格に見る、大関復帰の高い難易度。]sportnavi PLUS 幕下相撲の知られざる世界 2012年11月16日閲覧</ref>。だが2日目の琴奨菊戦で早くも土、3日目の豪栄道戦も連敗するなど序盤から波に乗れず、10日目の日馬富士戦で5敗となり絶体絶命に。そして13日目の[[高安晃|高安]]戦でついに6敗目を喫したため、これで大関再昇進の夢は断たれてしまった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/25/kiji/K20130125005057470.html 把瑠都 痛恨の6敗目…1場所での大関返り咲きならず]スポニチアネックス 2013年1月26日閲覧</ref>。千秋楽の[[勢翔太|勢]]戦は取り直しの末白星で終え、8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。ちなみに関脇陥落場所で大関復活ならずも勝ち越した力士は、[[1974年]]7月場所の[[大受久晃|大受]](9勝6敗)以来39年ぶり2人目のことだった。
 
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翌3月場所も勝ち越したものの9勝6敗と1桁勝星だった。次の5月場所は3勝3敗で迎えた7日目、結果的に現役最後の取組となった稀勢の里戦で寄り倒しで敗れた際、古傷の左膝をまた痛めてしまい翌8日目から途中休場。結局再出場ならず<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20130519/sum13051909080003-n1.html 【大相撲】把瑠都が休場 左膝靭帯など損傷/夏場所]msn産経ニュース 2013年5月19日閲覧</ref>、翌7月場所は2009年7月場所以来平幕の地位(東前頭6枚目)へ転落となった<ref>元大関の平幕陥落者は、[[2002年]]3月場所の雅山以来昭和以降18人目となる。</ref>。しかしその7月場所も膝の怪我の回復が思わしくなく「左膝靭帯損傷で2週間の安静加療を要する」との診断書を提出、初日から休場<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/08/kiji/K20130708006171160.html 把瑠都、診断書を提出…全休なら十両陥落は決定的]スポニチアネックス 2013年7月8日閲覧</ref>。同場所は千秋楽まで全休したため、翌9月場所は十両(東3枚目)へ陥落。なお元大関で十両転落者は大受・雅山に続いて史上3人目となる<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20130706-1153035.html 把瑠都休場「膝が怖い」全休なら十両]日刊スポーツ 2013年7月6日閲覧</ref>。
Baruto-1.jpg|靖国神社奉納大相撲(2009年4月10日撮影)
Baruto 2011a.jpg|明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会 相手は琴欧洲関(2011年10月3日撮影)
横綱審議委員会ー2.JPG|横綱審議委員会での把瑠都関(2011年12月23日撮影)
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==== 関脇陥落〜現役引退 ====
2013年7月場所後も再起を目指していたが、膝の故障は一向に良くならず殆ど稽古が出来ないことから9月場所の出場が危ぶまれていた。そして同年9月場所前の[[9月11日]]、本場所の土俵に上がる事無く、十両の地位で日本相撲協会に現役引退を申し出て土俵を去ることとなった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130911-OYT1T00476.htm?from=ylist 把瑠都、引退届を提出…膝の完治難しく?] 読売新聞 2013年9月11日閲覧</ref>。日本国籍を取得していなかったため、大関経験者として現役名のまま協会に残ることが出来る権利も利用できずに相撲協会を離れることになった。尚大関経験者が引退後に即退職(廃業)したのは、[[1965年]]3月場所前引退の[[若羽黒朋明|若羽黒]]以来48年ぶりだった(但し[[大相撲野球賭博問題|野球賭博問題]]で2010年7月場所前解雇となった[[琴光喜啓司|琴光喜]]は除外。又横綱も含めると2010年1月場所後、度重なる不祥事で責任を取り引退した[[朝青龍明徳|朝青龍]]以来3年ぶり)。在位15場所(133勝69敗23休)の短命大関に終わったが、戦後に昇進した大関の中で最高位が大関の力士としては琴風(在位22場所、212勝110敗8休)と共に大関勝率1位タイの.658を誇る。故障が無ければ十分に横綱を掴む可能性があったと評される由縁である。
[[2013年]]1月場所は関脇の地位で10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰だった<ref>但し現行の特例復帰制度で、過去大関再昇進に成功した力士は僅か4人(その内[[三重ノ海剛司|三重ノ海]]はのちに横綱昇進、[[栃東大裕|栃東]]は2度返り咲き)のみである。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20121118055102/http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nihiljapk/article/158 把瑠都降格に見る、大関復帰の高い難易度。] スポーツナビ+ 幕下相撲の知られざる世界 2012年11月16日閲覧</ref>。だが、2日目の琴奨菊戦で早くも土、3日目の豪栄道戦も連敗するなど序盤から波に乗れず、10日目の日馬富士戦で5敗となり絶体絶命に。そして13日目の[[髙安晃|髙安]]戦でついに6敗目を喫したため、これで大関特例復帰はならなかった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/25/kiji/K20130125005057470.html 把瑠都 痛恨の6敗目…1場所での大関返り咲きならず] スポニチアネックス 2013年1月26日閲覧</ref>。千秋楽の[[勢翔太|勢]]戦は取り直しの末白星で終え、8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。関脇陥落場所で大関復活ならずも勝ち越した力士は、戦後では[[1974年]]7月場所の[[大受久晃|大受]](9勝6敗)以来39年ぶり2人目のことだった<ref>ほか、関脇陥落後に勝越しながら特例復帰を逃した元大関では、[[2014年]]1月場所・琴欧洲(8勝7敗)と、[[2017年]]3月場所・琴奨菊(9勝6敗)の2人が居る。</ref>。
 
翌3月場所も勝ち越したものの9勝6敗と1桁勝星だった。次の5月場所も三役であり、戦後、大関陥落後に3場所連続で三役を維持したのは史上4人目<ref>『大相撲中継』2017年8月12日号 p86(参考)</ref>。その5月場所は3勝3敗で迎えた7日目、結果的に現役最後の取組となった稀勢の里戦で寄り倒しで敗れた際、古傷の左膝をまた痛めてしまい翌8日目から途中休場。結局再出場せず<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20130519/sum13051909080003-n1.html 【大相撲】把瑠都が休場 左膝靭帯など損傷/夏場所] msn産経ニュース 2013年5月19日閲覧</ref>、翌7月場所は2009年7月場所以来平幕の地位(東前頭6枚目)へ転落となった<ref>元大関の平幕陥落者は、[[2002年]]3月場所の雅山以来昭和以降18人目となる。</ref>。しかしその7月場所も膝の怪我の回復が思わしくなく「左膝靭帯損傷で2週間の安静加療を要する」との診断書を提出、初日から休場<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/08/kiji/K20130708006171160.html 把瑠都、診断書を提出…全休なら十両陥落は決定的] スポニチアネックス 2013年7月8日閲覧</ref>。同場所は千秋楽まで全休したため、翌9月場所は十両(東3枚目)へ陥落。元大関で十両転落者は大受・雅山に続いて史上3人目となる<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20130706-1153035.html 把瑠都休場「膝が怖い」全休なら十両] 日刊スポーツ 2013年7月6日閲覧</ref>。
9月場所3日目、NHKテレビの[[大相撲中継]]・幕内取組時に特別ゲストとして生出演、現役時代の想い出話などを自らコメントしていた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130917/mrt13091720580005-n1.htm 元大関把瑠都が思い出披露 幕内中継にゲスト出演]msn産経ニュース 2013年9月17日閲覧</ref>。2014年2月8日には角界で例のない一般公開型の断髪式を行う予定。<ref>[http://daily.co.jp/sumo/2013/12/10/0006560672.shtml 角界史上初!!把瑠都が公開断髪式] Dairy Sports Online 2013年12月10日</ref><ref>引退相撲と異なり断髪式に出席できるのは角界関係者、部屋関係者、親族、友人のみであり、一般の参加は認められない。</ref>
 
2013年7月場所後も再起を目指していたが、膝の故障は一向に良くならず殆ど稽古が出来ないことから9月場所の出場が危ぶまれていた。そして同年9月場所前の[[9月11日]]、本場所の土俵に上がる事無く、十両の地位で日本相撲協会に現役引退を申し出て土俵を去ることとなった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20130911-OYT1T00476.htm?from=ylist 把瑠都、引退届を提出…膝の完治難しく?] 読売新聞 2013年9月11日閲覧</ref>。日本国籍を取得していなかったため、大関経験者として現役名のまま協会に残ることが出来る権利も利用できずに相撲協会を離れることになった。なお、大関経験者が引退後に即退職(廃業)したのは、[[1965年]]3月場所前引退の[[若羽黒朋明|若羽黒]]以来48年ぶりだった(但し[[大相撲野球賭博問題|野球賭博問題]]で2010年7月場所前に解雇となった、琴光喜は除外。又横綱も含めると2010年1月場所後、度重なる不祥事で責任を取り引退した[[朝青龍明徳|朝青龍]]以来3年ぶり)。在位15場所(133勝69敗23休)の[[大関#短命大関|短命大関]]に終わったが、大関在位中は6場所連続の二桁勝利を挙げ、在位場所の半分以上で二桁勝利を記録した上に、白鵬に「次の横綱は把瑠都」とまで言わしめた。また、戦後に昇進した大関の中で最高位が大関の力士としては琴風(在位22場所、212勝110敗8休)と共に大関勝率1位タイの.658を誇る<ref>厳密には琴風は.65839、把瑠都は.65842。皮肉にも両者はケガが原因で大関から陥落した点、それからまもなくケガで大きく番付を下げて若くしての引退を余儀なくされた点(琴風は28歳7か月、把瑠都は28歳10か月)で共通している。</ref>。これ等が故障が無ければ十分に横綱を掴む可能性があったと評される由縁である。
引退前より角界に残る意思はなかったと報じられており、今後はエストニアの観光客誘致活動や母国での牧場経営などに携わる見込みである。<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/183023/ 未練なし!把瑠都が角界と"完全決別"]東スポWeb 2013年9月12日16時00分</ref>
 
また、曙が全日本プロレスへの勧誘を行っており、プロレス転身も示唆されている。<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/183051/ 曙が全日でいきなり大仕事!把瑠都獲得も示唆] 東スポWeb 2013年9月12日16時00分</ref>
9月場所3日目、NHKテレビの[[大相撲中継]]・幕内取組時に特別ゲストとして生出演、現役時代の想い出話などを自らコメントしていた<ref>[https://web.archive.org/web/20130918052528/http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130917/mrt13091720580005-n1.htm 元大関把瑠都が思い出披露 幕内中継にゲスト出演] msn産経ニュース 2013年9月17日閲覧</ref>。2014年2月8日に角界で例のない一般公開型の断髪式を東京・両国国技館で行った<ref name="100retsu"/><ref>[https://www.daily.co.jp/sumo/2013/12/10/0006560672.shtml 角界史上初!!把瑠都が公開断髪式] Daily Sports Online 2013年12月10日</ref><ref>{{Cite news |url = https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKG0292_Y4A200C1000000/ |title =元大関把瑠都が断髪式 思い出の優勝額に涙 |newspaper = [[日本経済新聞]] |date = 2014-02-08 |accessdate = 2018-05-05 }}</ref>。
 
引退前より角界に残る意思はなかったと報じられており、エストニアの観光客誘致活動や母国での牧場経営などに携わると報じられる一方<ref>[https://web.archive.org/web/20130916145758/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/183023/ 未練なし!把瑠都が角界と"完全決別"] 東スポWeb 2013年9月12日16時00分</ref>、曙が全日本プロレスへの勧誘を行っており、プロレスへの転身も噂された<ref>[https://web.archive.org/web/20130915091603/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/183051/ 曙が全日でいきなり大仕事!把瑠都獲得も示唆] 東スポWeb 2013年9月12日16時00分</ref>。
 
=== 角界引退後 ===
引退後は実業家となり、エストニアで旅行業や自動車整備会社、宿泊ロッジなど5つの事業を展開{{要出典|date=2015年1月14日 (水) 09:08 (UTC)}}<ref>2014年11月30日放送『ザ・ノンフィクション』より{{出典無効|title=出典にテレビは不可|date=15-1-14}}</ref><ref>[http://news.merumo.ne.jp/article/genre/1869763 元大関の把瑠都、現在は故郷のエストニアでコテージや牧場経営で第二の人生準備中。] Yomerumo 2014年6月5日</ref>。[[2016年]]1月から[[オフィス北野]]に所属し、タレント、俳優としても活動した<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2016/01/01/0008688595.shtml バルト ビートたけしの事務所入りへ] Daily Sports Online 2016年1月1日</ref>。[[2018年]]4月29日には同事務所を退社し、5月5日、祖国エストニアで国会議員になるため帰国<ref>{{Cite news |url =https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/04/30/kiji/20180430s00041000064000c.html |title =把瑠都 オフィス北野を退社 母国エストニアで国会議員を目指す|newspaper = [[スポニチ]] |date = 2018-04-30 |accessdate = 2018-05-05 }}</ref>。
 
=== 総合格闘技 ===
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||wins=|wins_decision=|TKO=|losses=|total=|KO=|wins_submission=|losses_submission=|losses_decision=|draws=|no contests=}}
 
2015年10月21日に[[RIZIN FIGHTING FEDERATION|RIZIN]]と契約し、総合格闘家に転身したことを発表。「[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015]]」の会見に本名の「'''ホーヴェルソン・カイド'''」名義で出席し、出場を表明<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2061108/full/|title=元大関・把瑠都、『RIZIN』電撃参戦! 格闘家に転身|publisher=ORICON STYLE|date=2015-10-23|accessdate=2015-10-23}}</ref>。その後、リングネームはRIZIN運営が相撲時代の四股名を尊重し、『'''バルト'''』となった。12月31日に開催された「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」では[[ピーター・アーツ]]と対戦し、相撲と柔道のバックボーンを生かしたテイクダウンとパウンドを駆使してアーツを制圧し、3-0の判定勝ち<ref>{{Cite web |title=IZAの舞 第九試合 ピーター・アーツ VS バルト 試合結果 - RIZIN オフィシャルサイト |url=https://jp.rizinff.com/_ct/16951667 |website=jp.rizinff.com |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref>。なお、[[ジェロム・レ・バンナ]]と対戦予定であったが、バンナが雇っていた代理人に問題があり、代役としてアーツが出場した。
 
2016年9月から12月にかけて開催された16人制の無差別級トーナメント「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント」に出場し、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦|1回戦]]で[[藤田和之]]に3-0の判定勝ち<ref>{{Cite web |title=第10試合 RIZIN トーナメントルール 5分 2R 藤田和之vsバルト Cygames presents RIZIN FIGHTING WORLD GP 2016 無差別級トーナメント 開幕戦 - RIZIN オフィシャルサイト |url=https://jp.rizinff.com/_ct/16997443 |website=jp.rizinff.com |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref>、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND|2回戦]]で[[高阪剛]]に3-0の判定勝ち、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND|準決勝]]で[[ミルコ・クロコップ]]にKO負け<ref>{{Cite web |title=第2試合 ミルコ・クロコップ vs. バルト(試合結果詳細)Cygames presents RIZIN FIGHTING WORLD GP 2016 無差別級トーナメント Final ROUND - RIZIN オフィシャルサイト |url=https://jp.rizinff.com/_ct/17026880 |website=jp.rizinff.com |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref>。
 
高阪戦では、体格に任せて「塩漬け」の状態にする動きの少ない試合内容であったことから、試合終了後に観客からブーイングが起こった<ref>{{Cite web |title=バルト準決勝へ 動き少なくブーイング RIZIN - 格闘技 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1758541.html |website=nikkansports.com |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=曙らが「格闘ブーム」に一役買うも… 相撲出身MMAファイターは“消滅”? {{!}} AERA dot. (アエラドット) |url=https://dot.asahi.com/articles/-/91779 |website=AERA dot. (アエラドット) |date=2020-04-22 |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref>。勝利者マイクでは、ブーイングに対し「じゃあ、私の代わりにやってみてくださいよ」と話した<ref>{{Cite web |title=第12試合 バルト vs. 髙阪剛(試合結果詳細) Cygames presents RIZIN FIGHTING WORLD GP 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND - RIZIN オフィシャルサイト |url=https://jp.rizinff.com/_ct/17026321 |website=jp.rizinff.com |access-date=2024-04-09 |language=ja}}</ref>。なお、2回戦では[[イリー・プロハースカ]]と対戦予定であったが、プロハースカが負傷欠場したため、代役として高阪が出場した。
 
=== 帰国・政治活動 ===
{{政治家
| 人名 = カイド・ホーヴェルソン
| 各国語表記 = Kaido Höövelson
| 国略称 = {{EST}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1984|11|5}}
| 出生地 = {{SSR}}<br>{{EESSR}}<br>[[レーネ=ヴィル県]]ラクヴェレ(ラエクヴェレ)郡ロフ村<br>(現{{EST}})
| 前職 = [[大相撲力士]]<br>[[タレント]]
| 所属政党 = エストニア中央党
| 職名 = エストニア<br>[[リーギコグ]]議員
| 当選回数 = 1回
| 選挙区 = 第4選挙区
| 就任日 = [[2019年]]
| 退任日 = [[2023年]]
| 国旗 = エストニア
}}
2018年のエストニア帰国後は牧場や宿泊施設を経営<ref name="sankei20190303">{{cite news |title=元大関・把瑠都が有力候補 エストニア総選挙|publisher=産経ニュース |date=2019-03-03|url=https://www.sankei.com/world/news/190303/wor1903030011-n1.html|accessdate=2019-03-04}}</ref>。2019年3月、エストニア議会([[リーギコグ]])の総選挙に中道左派のエストニア中央党から出馬し次点で落選<ref name="sankei20190303" /><ref name="sanspo20190304">{{cite news |title=元大関把瑠都、当選かなわず エストニア総選挙|publisher=sanspo.com|date=2019-03-04|url=https://web.archive.org/web/20190306111529/https://www.sanspo.com/geino/news/20190304/sot19030411160004-n1.html|accessdate=2019-03-05}}</ref> したが、一位当選者が首長職に就く事を選び議員職を辞退し、2019年3月に把瑠都が繰り上げ当選となった<ref>{{cite news |title=Maardu mayor passes Riigikogu seat on to Baruto |publisher=err |date=2019-03-05|url=https://news.err.ee/916775/maardu-mayor-passes-riigikogu-seat-on-to-baruto|accessdate=2019-03-05}}</ref>。
 
[[2021年]][[6月]]、[[オンラインカジノ]]の日本向けの広告塔となっていることが報道された。[[2020年]][[10月]]にビットカジノ社のアンバサダーに就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://bitcasino.io/ja/blog/tipshackstricks/interview-with-mr-baruto|title=ビットカジノブログ 把瑠都さん、ビットカジノのアンバサダーに就任 - オフィス訪問とロングインタビュー|accessdate=2021-06-30|publisher=Bitcasino.io}}</ref>して以降、同社のホームページやYouTube、Twitterに登場、宣伝ブログの更新が続いている。日本向けに、摘発される可能性のあるギャンブル(日本では賭博罪・[[賭博及び富くじに関する罪#賭博場開張図利罪・博徒結合図利罪|賭博開張図利罪]]に問われる可能性あり)を勧めている状況である<ref>{{Cite web|和書|title=元大関「把瑠都」が「オンラインカジノ」の広告塔に 日本人を”違法ギャンブル”に勧誘|url=https://www.dailyshincho.jp/article/2021/06161305/|website=デイリー新潮(2021年6日16日)|accessdate=2021-06-30|language=ja}}</ref>。
 
2023年3月、総選挙にエストニア中央党から出馬。知名度を活かすために前回とは別の選挙区から出馬したが、中央党が第3党に転落したこともあって、落選した<ref>{{Cite web|和書|title=エストニア、対露強硬の首相与党が圧勝 元把瑠都落選 |url=https://www.sankei.com/article/20230306-RNMLLL4X6VNK5ERY3WNPJQJLUQ/ |website=産経ニュース |date=2023-03-06 |access-date=2023-04-18 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。
 
== 取り口 ==
巨躯強力を活かした豪快な相撲が魅力で、左四つの体勢からの寄り、投げ、吊りを得意とした。相撲界においても「怪力」と評される強い握力の持ち主であり、廻しを取った際の安定感は特筆すべきものがある。臥牙丸によると、筋骨隆々という訳ではなく天性のパワーとのこと<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=0jRnHQbDBP8 大相撲「怪力ランキング」/200kgの力士を軽々持ち上げる/ゴリラのような体/"さがり"をちぎるパワー‥] ガガちゃんねる【GAGA CHANNEL】2022/03/30 (2023年1月4日閲覧) </ref>で、豊ノ島は技術によらない純粋なパワーと証言している<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=oLhQGL0XKtg 豊ノ島が語る!朝青龍の怖オモシロイ話/拝啓 ドルジ様 どうか怒らないでください。] ガガちゃんねる【GAGA CHANNEL】 2023/02/08 (2023年5月12日閲覧)</ref>。通常の力士からすれば規格外の懐の深さと腕の長さにより、肩越しの上手など多少無理な体勢でも攻めることができ、九重親方(元横綱・[[千代の富士貢|千代の富士]])に「相撲の概念が変わる」とまで言わしめ<ref name="100retsu"/>特に2012年の1月場所の13日目で初優勝を決めた取組でも、琴奨菊を相手に肩越しから取った上手で相手を吊り上げての白星であった。また、その懐の深さで引き技もよく決まった。膝を負傷する前は優れたスピードとバランス感覚も持ち合わせ土俵際の際どい場面での逆転もみせていたが、荒削りゆえの強引な相撲を指摘されることもあった。膝を負傷して以降はこの機敏さが影を潜めるようになり、生命線でもあった肩越しからの上手が取れなくなったり、今まで堪えられていた場面でも堪えることができなくなり、苦し紛れに引き技を打つが、決まらずに墓穴を掘ってそのまま土俵を割ったり、自分からバランスを崩してしまうケースが多くなり、番付を落としてしまった。
 
膝の負傷後は、下半身の強化や相撲経験の深化によって、身体能力に任せるばかりではない正統派の四つ身の相撲を身につけつつあった。また、徐々に突き押しにも磨きがかかり、[[2009年]]後半ごろより豪快な[[もろ手突き]]や[[突っ張り]]が見られるようになった。このもろ手突きは、[[曙太郎|曙]]と[[貴乃花光司|貴乃花]]のビデオを見て研究し身につけたものである<ref>5連勝発進!把瑠都ゴキゲン「あ、ほんまに〜」(相撲) ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ 大相撲 2010年春場所 2010年3月27日閲覧</ref>。また、突っ張りに関しては、[[琴錦功宗|秀ノ山親方]]がかつての曙のようだと評している<ref>[[日本放送協会|NHK]][[大相撲中継]]の[[スポーツ解説者|解説]]に座った2010年3月場所13日目の発言。</ref>。大関昇進を決めた2010年3月場所ではこの突き押しが評価されて、[[三賞#技能賞|技能賞]]を受賞したと言える。しかし、大関時代のインタビューでは、「つい最近まで出し投げの打ち方を知らず、里山関に教わった」と答えるなど、最後まで技術面には課題を残したまま引退した
 
その巨躯からすれば当然だが、四つ身の攻防において頭をつけることは極めて稀で、2010年1月場所の[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]戦を頭をつけて勝利した際のインタビューで「今まで頭をつける相撲をとったことがなかった」と把瑠都本人が認めていた。
 
しかしその反面左膝を初め、特に下半身の負傷が相次いだ原因は、一説に肩越しの上手にあるとされていた。高い位置から上手を取ると必然と膝が伸び、これが怪我を何度も誘引している可能性が否めなかった。また、上手の位置の都合上相手の差し手を絞ることがしづらく、肩越しの上手が防御として役に立っていない部分もあり、押し切れずに外四つ棒立ちで後退するしつつ逆転を狙う相撲は下半身を故障する危険性が高く、これが引退を早めた要因と指摘する声が多かった。実際北の湖理事長は2012年11月場所、大関で2場所連続途中休場・負越により関脇陥落した把瑠都に対し、'''「しっかりと腰を割っていない。あれでは鍛えていることにならない」'''、'''「突っ立ったまま相撲を取っている。下半身を強化するべきだ」'''と指摘していたが<ref>[httphttps://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20121113-1046487.html 大関転落決定的な把瑠都へ理事長再起促す] - 日刊スポーツ 2012年11月13日20時17分付</ref>、これが上記の不安を端的に説明した形となってしまった<ref name="100retsu"/>。この怪我の多さは稽古不足によるところが大きく角界関係者やスポーツライターは口をそろえて「自業自得」、「ちゃんと下半身を鍛えていれば横綱になっていた」という突き放した意見を口にしていた<ref>[https://web.archive.org/web/20130123070348/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/81267/ 把瑠都 自業自得の転落人生”] 東スポWeb 2012年1月20日11時03分</ref><ref>[httphttps://npn.co.jp/article/detail/05349001/ 身から出たさび! 大関復帰ならなかった把瑠都は一から出直し] THE REAL LIVE WEB 2013年01月26日 17時59分</ref>引退会見では自ら稽古不足を悔いる一幕があり、最高位まで上り詰められなかった理由を「チャンスはたくさんあった。全て私のせい」と話して自責を主張した<ref>[https://web.archive.org/web/20130912125918/http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130912/mrt13091209060001-n1.htm  把瑠都引退、「欧州初の横綱」夢届かず 「もっと厳しくやればよかった」] msn産経ニュース 2013.9.12 09:04</ref>
 
== エピソード ==
=== 人物 ===
* 血液型はA型。外見から一部マスコミでは角界の[[レオナルド・ディカプリオ|ディカプリオ]]と呼ばれた。
* 髪が細く、伸びも遅いブロンドヘアの[[コーカソイド]]であり、どのように[[大銀杏]]を結うのか注目されていた。初土俵から3年後の[[2007年]]5月場所で初めて大銀杏を結ったが、これはかつての兄弟子である三保ヶ関部屋の三浦の毛髪を使った[[付け毛]]であった。現在は髷を結うときの鬢付け油に黒い着色をしているため、ブロンドというより茶・黒に近い髪色[[キャラメル]]である。
* 外見から一部マスコミでは角界の[[レオナルド・ディカプリオ|ディカプリオ]]と呼ばれた。
* 趣味はコイン集めと釣り<ref>「NHK大相撲中継」平成20年名古屋場所展望号収録のインタビューより</ref>。
* 語学に堪能で、入門の時点で[[エストニア語]]のみならず、[[ドイツ語]]、[[ロシア語]]、[[英語]]、[[フランス語|仏語]]を話すことができた。
* 塩撒きパフォーマンスを行う[[北桜英敏|北桜]]との対戦では、そのお株を奪うような大量の塩撒きを披露して館内を湧かせたり、出身地を「[[奄美大島]]」と答え(同じ[[尾上部屋]]の[[里山浩作|里山]]が[[奄美市]]の出身で、角界ではマイナーな出身地であることからか)たり、「アップル大好き♡」とリンゴを頬張ったりと、極めて陽気で茶目っ気のある性格であり、部屋での人間関係も良好である。
* 2009年2月に[[ロシア]]出身の2歳年上の女性と結婚した(現在のエレナ夫人)。エレナ夫人は初めて会ったときに把瑠都の大きな体にも驚かず、その後の把瑠都の引退劇にも動じない人物であると雑誌に紹介された。<ref>『相撲』2013年12月号90頁</ref>
* 握力が右85kg、左93kgという怪力の持ち主。把瑠都本人の弁では「リンゴくらいなら簡単に握り潰せる」とのこと。[[BISTRO SMAP]]では両手で裂くようにリンゴを割っていた。
* BISTRO SMAPに出演した時に「実は恐がり」と言った。注射も恐くて苦手らしい。
* 前述の通り脚の負傷が多いが、呼出の支えを借りて土俵を降りるような重傷を負っても、退場前に必ず一旦呼出に手を離させ自力で振り向き土俵に一礼してから退場する。
* 親孝行者としても知られている。遠く離れた日本で力士としての生活を選んだのは、今まで女手一つで兄弟3人を苦労して育ててきてくれた母親を助けたい一心だった。エストニアの関係者も、「日本に来る前に“家族を幸せにしたいから”と話していた」と明かしたという。
* 趣味はコイン集めと釣り<ref>「NHK大相撲中継」平成20年名古屋場所展望号収録のインタビューより</ref>。
* 2013年3月場所9日目の横綱日馬富士との取り組みでは平蜘蛛型の仕切りを真似て見せた。しかし肝心の相撲は、すり足が無い不安定な足取りに終始し、突き押しで日馬富士を土俵際まで追い詰めるものの逆転の[[突き落とし]]を喰らい、勢いよく土俵下へ落ちる敗戦を喫した。
* 語学に堪能で、入門の時点で母国語の[[エストニア語]]のみならず、[[ドイツ語]]、[[ロシア語]]、[[英語]]、[[フランス語]]を話すことができた。
* 2009年2月に[[ロシア]]出身の2歳年上の女性と結婚した(現在のエレナ夫人)。エレナ夫人は初めて会ったときに把瑠都の大きな体にも驚かず、その後の把瑠都の引退劇にも動じない人物であると雑誌に紹介された<ref>『相撲』2013年12月号90頁</ref>。
* BISTRO SMAPに出演した時に「実は恐がり」と発言。注射も恐くて苦手らしい。
* 読書も好んでおり、現役時代はエストニア語の本をインターネットで取り寄せて読むことが多かった。『相撲』2012年1月号31頁掲載の記事では記者が「自伝を書きませんか?」と話し、把瑠都が「まだ27歳だよ(笑)。人生これから!」と苦笑しながら返す場面が見られた。しかしその雑誌が発行されてからわずか2年足らずの2013年9月場所前に把瑠都は引退し、角界を去る事となった。
* 角界きっての怪力の持ち主であり、16歳の時に150kgの猪を担いで山を下りたり、稽古場の近くにあった軽トラを持ち上げるなどのエピソードを残している<ref>「週プレNEWS」平成27年11月23日掲載のコラムより</ref>。
* 2017年2月7日放送分の日本テレビ系「メレンゲの気持ち」で「私が引退したから今、稀勢の里は横綱に上がったんです」とコメントしている<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170527-OHT1T50062.html 元大関・把瑠都「私が引退したから稀勢の里は横綱に」] 2017年5月27日15時3分 スポーツ報知</ref>。
* 陽気な人柄で、引退後に[[バラエティ番組]]で多く共演している[[タカアンドトシ]]からは「すごくボケたがる」と評されている<ref>『[[採用!フリップNEWS]]』2018年2月16日放送分。</ref>。
* ドラマ「[[弟の夫]]」出演時、神社に参拝するシーンで「[[拍手 (神道)|拍手]]を打つのが上手すぎる」という理由で撮り直しになったことを、共演した[[佐藤隆太]]が明かしている<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0098921 把瑠都、弟の夫役に「みんな同じ人間」やさしさに隠れたつらい過去] 2018年3月4日8時12分 シネマトゥデイ</ref>。
*2019年に[[世界ラリー選手権]]のチャンピオンとなった[[オィット・タナック]]の[[コ・ドライバー]]のマルティン・ヤルヴェオヤとは親交がある<ref>[https://twitter.com/TOYOTA_GR/status/1030726078334033921?s=19 TOYOTA_GRさんのツイート] 2018年8月18日</ref>。
 
=== 合い口相撲関連 ===
* 髪が細く、伸びも遅い[[ヒトの髪の色#基本的な髪の色|ブロンドヘア]]の[[コーカソイド]]であり、どのように[[大銀杏]]を結うのか注目されていた。初土俵から3年が経過した後の[[2007年]]5月場所で初めて大銀杏を結ったが、これはかつての兄弟子である三保ヶ関部屋の増三浦の毛髪を使った[[付け毛]]であった<ref name="100retsu"/>。現役後期は髷を結うときの鬢付け油にあらかじめ黒い着色をしており、ブロンドというより茶・黒に近い髪色[[キャラメル]]であった。
* [[日本放送協会|NHK]]の新十両紹介のインタビューでもっとも対戦したい力士に琴欧洲を挙げた。理由は自分より背が高い力士であるため。2006年7月場所9日目に初顔の取組が組まれ、がっぷり四つからの投げの打ち合いを制して初勝利を挙げた。2009年1月場所では敗れてこの場所初黒星を喫した。琴欧洲とはあまり相性が良くなく、対戦成績は10勝17敗(不戦敗1)になっていた。
* 2013年3月場所9日目の横綱日馬富士との取り組みでは平蜘蛛型の仕切りを真似て見せた。しかし肝心の相撲は、すり足が無い不安定な足取りに終始し、突き押しで日馬富士を土俵際まで追い詰めるものの逆転の[[突き落とし]]を喰らい、勢いよく土俵下へ落ちる敗戦を喫した。
* 白鵬との取組は力の入る長い相撲になることが多かったが、3勝25敗と合口は悪かった。初顔から11連敗していたものの、2010年1月場所に[[掬い投げ]]で初勝利。その後再び7連敗を喫したが、2011年7月場所で久しぶりに勝利し、さらに2011年11月場所千秋楽結びの一番においては白鵬の9回目の15戦全勝優勝を阻止した。だが自身幕内初優勝の2012年1月場所は14日目まで14戦全勝も、翌日千秋楽にその白鵬に阻まれて15戦全勝は果たせなかった。
* 握力が右85kg、左93kgという怪力の持ち主。把瑠都本人の弁では「リンゴくらいなら簡単に握り潰せる」とのこと。[[BISTRO SMAP]]では両手で裂くようにリンゴを割っていた。
* 朝青龍との取組もまた熱戦になるものの、9戦全敗で一度も勝てずに終わった。
* 外国人力士ではあるが、基本的に礼儀作法には忠実な力士であり取り組み前と後の礼がしっかりしていることでも評判であった。前述の通り脚の負傷が多いが、呼出の支えを借りて土俵を降りるような重傷を負っても、退場前に必ず一旦呼出に手を離させ自力で振り向き土俵に一礼してから退場していた程である。
* その一方で、塩撒きパフォーマンスを行う[[北桜英敏|北桜]]との対戦では、そのお株を奪うような大量の塩撒きを披露して館内を湧かせたり、出身地を「奄美大島」と答え(同じ尾上部屋の里山が奄美市の出身であることからか)たり、「アップル大好き♡」とリンゴを頬張ったりと、極めて茶目っ気のある性格であり、パフォーマンスでも観客を沸かせていた。部屋での人間関係も良好である。
* 地元のインタビューでは力士と後援会はあまり親密にならない方が良いという意見を寄せていた。同じインタビューの中で部屋の食事は栄養学的ではなく伝統のちゃんこからしか選べないといった不満も口にしていた。
* 2017年5月6日放送のフジテレビ系『[[ぶらぶらサタデー|ぶらぶらサタデー・タカトシ&温水の路線バスの旅]]』では、当時自身が課されていた角界の掟として「関取になるまで白以外のパンツを着用してはいけない」というものを明かしていた。同じ番組では、現役時代は6Lのパンツを穿いていたことを話した<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170506-OHT1T50142.html 元大関の把瑠都がテレビで明かしたお相撲さんのパンツの決まり事] 2017年5月6日12時55分 スポーツ報知</ref>。
 
== 合い口 ==
* 第68代横綱・[[朝青龍明徳|朝青龍]]には9戦全敗。
*第69代横綱・[[白鵬翔|白鵬]]とは3勝25敗。白鵬の大関在位中は3敗、横綱昇進後は3勝22敗。最後の勝利は2011年11月場所で、決まり手は叩き込み。
*第70代横綱・[[日馬富士公平|日馬富士]]には12勝16敗。大関同士の対戦は5勝7敗、日馬富士の横綱昇進後は2敗。最後の勝利は2012年3月場所で、決まり手は突き出し。
*第71代横綱・[[鶴竜力三郎|鶴竜]]には13勝12敗。大関同士の対戦は1勝1敗。最後の勝利は2012年7月場所で、決まり手は吊り出し。
*第72代横綱・[[稀勢の里寛|稀勢の里]]には21勝6敗。大関同士の対戦は2勝2敗。稀勢の里の横綱昇進後は対戦なし。最後の勝利は2013年3月場所で、決まり手は叩き込み。
*元大関・[[千代大海龍二|千代大海]]には7勝5敗(不戦勝1を含む)。千代大海の大関在位中は6勝5敗。
*元大関・[[出島武春|出島]]には大関陥落後に対戦して5戦全勝。
*元大関・[[雅山哲士|雅山]]には大関陥落後に対戦して10勝5敗。
*元大関・[[栃東大裕|栃東]]には1勝1敗(不戦敗1を含む)。
*元大関・[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]には10勝17敗(不戦敗1)。大関同士の対戦は3勝8敗。最後の勝利は2013年3月場所で、決まり手は寄り切り。
* 元大関・[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]には15勝13敗。大関同士の対戦は3勝2敗。最後の勝利は2013年3月場所で、決まり手は上手投げ。
*元大関・[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]には10勝8敗(不戦敗1あり)。豪栄道の大関昇進後は対戦なし。
* 元大関・[[髙安晃|高安]]には2勝2敗。高安の大関昇進後は対戦なし。
*元大関・[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]には12勝1敗。栃ノ心の大関昇進後は対戦なし。
 
== 略歴 ==
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** エストニアジュニア柔道選手権優勝。
* [[2004年]]
** 2月 - 日大相撲部の倉園一真(後の[[幕下]]・[[薩摩力一真|薩摩力]]、[[尾上部屋]]、2009年9月現役引退)の父親の仲介でエストニアから北欧司([[入間川部屋]]、2004年9月現役引退)と共に来日し、日大相撲部合宿所で日本や相撲に親しむ。
** 5月場所 - 三保関部屋に入門、初土俵。
** 7月場所 - [[序ノ口]]優勝。
** 9月場所 - 同部屋の[[里山浩作|里山]]との優勝決定戦を制し、[[序二段]]優勝。
* [[2005年]]
** 9月場所 - 新十両、所要8場所(前相撲から)は[[小錦八十吉 (6代1963年生)|小錦]]と並び歴代3位タイ。初日から13連勝の豊ノ島に土を付け全勝を阻み、12勝3敗で優勝次点と活躍。
** 11月場所 - 最速記録の所要10場所での入幕も見える西十両4枚目に昇進したが、場所の初日に急性[[虫垂炎]]を発症し初日から休場(1不戦敗14休)。
** 12月 - 入門以来初めて故郷エストニアに一時帰国。
* [[2006年]]
** 1月場所 - 11月場所の休場で十両陥落(西幕下3枚目)、7人による優勝決定戦を制し幕下優勝(6勝1敗)。
** 3月場所 - 再十両(東十両11枚目)、初日から連勝し13日目にして十両初優勝を決め、更には[[1963年]]11月場所の[[北の富士勝昭|北の富士]]以来42年4カ月ぶり史上4人目、外国人としては初となる15戦全勝優勝を達成。
** 5月場所 - 新入幕、所要12場所(前相撲から)は所要11場所の琴欧州に次ぎ、[[板井圭介|板井]]、[[小錦八十吉 (6代1963年生)|小錦]]、[[栃東大裕|栃東]]、[[朝青龍明徳|朝青龍]]、[[時天空慶晃|時天空]]、[[嘉風雅継|嘉風]]と並び歴代2位タイ。11勝4敗で優勝次点、自身初の三賞・敢闘賞を受賞。
** 8月 - [[濱ノ嶋啓志|尾上部屋]]の分家独立に伴い、白石、[[里山浩作|里山]]らとともに三保関部屋から尾上部屋に移籍。
* [[2007年]]
** 1月場所 - 3日目の琴奨菊戦で浴びせ倒された際に左膝負傷、翌日から途中休場(2勝2敗11休)。
159 ⟶ 244行目:
* [[2009年]]
** 2月 - 2歳年上のロシア出身の女性(現エレナ夫人)と結婚。
** 5月場所 - 千秋楽に大関・[[千代大海龍二|千代大海]]が把瑠都をあっけなく押し倒した取組に対し、監察委員会([[魁輝薫秀|友綱委員長]])が師匠を通して「無気力相撲に相当する」の理由で両力士に注意。
** 9月場所 - 東小結で12勝3敗、[[北勝海信芳|保志]]以来23年ぶりに関脇以下の力士による5大関撃破を果たし敢闘賞受賞(4回目)。
** 10月 - Tシャツ、短パン姿で[[六本木]]を闊歩する姿が写真週刊誌にキャッチされ、[[日本相撲協会]]から厳重注意処分。
169 ⟶ 254行目:
* [[2011年]]
** 3月場所 - [[大相撲八百長問題]]により本場所開催中止。
** 5月技量審査場所 - 本場所の代替となる[[技量審査場所]]として開催。3日目の取組後不謹慎発言を行い、翌日相撲協会から厳重注意。
** 11月場所 - [[千秋楽結びの一番]]、14戦全勝だった白鵬をはたき込みで下し、白鵬の9回目の全勝優勝を阻止。
* [[2012年]]
** 1月場所 - 初日から自身初の14連勝(前年11月場所13日目から17連勝)、13日目白鵬が琴欧戦で敗れ3敗となった時点で自身初の幕内最高優勝が決定。千秋楽結びの一番、白鵬戦で全勝優勝を狙うも寄り切りで初黒星、14勝1敗。
** 3月場所 - 自身初の綱取り場所だったが、10勝5敗に終わり結局失敗。
** 9月場所 - 右足親指剥離骨折のため4日目から途中休場。
** 11月場所 - 初の大関[[角番]]、左太腿裏肉離れのため3日目から途中休場、2場所連続負け越しで大関陥落。
* [[2013年]]
** 1月場所 - 16場所ぶりの関脇。大関特例復帰を目指したが13日目で6敗目を喫し、1場所での大関返り咲きは果たせ復帰ならず。
** 5月場所 - 左膝前十字靱帯・半月板損傷のため8日目から途中休場。
** 7月場所 - 2009年7月場所以来の平幕(東前頭6枚目)へ陥落。左膝靭帯損傷の怪我が回復せず、初日から
** 9月場所 - 十両(東3枚目)へ陥落。元大関力士の十両転落は史上3人目となったが、初日を前に現役引退を発表。
 
192 ⟶ 277行目:
* 大関在位:15場所
* 三役在位:12場所(関脇10場所、小結2場所)
* 通算(幕内)連続勝ち越し記録:18場所(2009年7月場所 - 2012年7月場所)
* 幕内連続2桁勝利記録:6場所(2011年5月場所 - 2012年3月場所)
 
=== 各段優勝 ===
212 ⟶ 299行目:
{{basho|}}
{{basho|}}
{{basho|MAEZUMOU}}
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{{basho|YUSHO|rank=JO|r-no=30|tozai=e|win=7|loss=0}}
223 ⟶ 310行目:
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267 ⟶ 354行目:
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<td style="background-color:#CCCCCE">'''八百長問題<br/>により中止'''</td>
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296 ⟶ 383行目:
! 力士名 !! 勝数 !! 負数 !! 力士名 !! 勝数 !! 負数 !! 力士名 !! 勝数 !! 負数 !! 力士名 !! 勝数 !! 負数
|-
|[[碧山亘右|碧山]]||2||0
|'''[[豊真将紀行|豊真将]]'''|| 12 || 3 ||[[栃乃花仁|栃乃花]]|| 1 || 1 ||[[北勝力英樹|北勝力]]|| 7 || 3 ||[[北桜英敏|北桜]]|| 1 || 1
|[[朝青龍明徳|朝青龍]]||0||9
|[[朝赤龍太郎|朝赤龍]]||6||4
|[[安美錦竜児|安美錦]]||16||7
|-
|[[岩木山竜太|岩木山]]||3||0
|[[片山伸次|片山]]|| 1 || 0 ||[[白露山佑太|白露山]]|| 2 || 1 ||[[十文字友和|十文字]]|| 1 || 0 ||'''[[嘉風雅継|嘉風]]'''|| 6 || 1
|[[隠岐の海歩|隠岐の海]]||5||1
|[[魁皇博之|魁皇]]||7||8
|[[魁聖一郎|魁聖]]||1||1
|-
|[[海鵬涼至|海鵬]]||1||1(1)
|[[春日王克昌|春日王]]|| 1 || 0 ||[[普天王水|普天王]]|| 4 || 1 ||[[玉乃島新|玉乃島]]|| 3 || 2 ||[[岩木山竜太|岩木山]]|| 3 || 0
|[[臥牙丸勝|臥牙丸]]||3||2
|[[垣添徹|垣添]]||2||2
|[[鶴竜力三郎|鶴竜]]||13||12
|-
|[[春日王克昌|春日王]]||1||0
|'''[[朝赤龍太郎|朝赤龍]]'''|| 6 || 4 ||[[雅山哲士|雅山]]|| 10 || 5 ||'''[[白鵬翔|白鵬]]'''|| 3 || 25 ||'''[[日馬富士公平|日馬富士]]'''|| 12 || 16
|[[春日錦孝嘉|春日錦]]||1||0
|[[片山伸次|片山]]||1||0
|[[稀勢の里寛|稀勢の里]]||21||6
|-
|[[北桜英敏|北桜]]||1||1
|'''[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]'''|| 15 || 13 ||'''[[旭天鵬勝|旭天鵬]]'''|| 13 || 4 ||'''[[安美錦竜児|安美錦]]'''|| 16 || 7 ||[[琴光喜啓司|琴光喜]]|| 5 || 7
|[[北太樹明義|北太樹]]||5||0
|[[旭天鵬勝|旭天鵬]]||13||4
|[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]||10||8(1)
|-
|[[黒海太|黒海]]||2||2
|'''[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]'''|| 10 || 17(1) ||[[千代大海龍二|千代大海]]|| 7(1) || 5 ||'''[[稀勢の里寛|稀勢の里]]'''|| 21 || 6 ||[[玉春日良二|玉春日]]|| 3 || 0
|[[琴欧洲勝紀|琴欧洲]]||10||17(1)
|[[琴奨菊和弘|琴奨菊]]||15||13
|[[琴光喜啓司|琴光喜]]||5||7
|-
|[[十文字昭憲|十文字]]||1||0
|[[栃乃洋泰一|栃乃洋]]|| 3 || 1 ||[[露鵬幸生|露鵬]]|| 1 || 5 ||[[栃東大裕|栃東]]|| 1 || 1(1) ||[[朝青龍明徳|朝青龍]]|| 0 || 9
|[[翔天狼大士|翔天狼]]||2||0
|[[松鳳山裕也|松鳳山]]||1||1
|[[高見盛精彦|高見盛]]||5||0
|-
|'''[[髙安晃|髙安]]'''||2||2
|'''[[豪風旭|豪風]]'''|| 6 || 3 ||[[出島武春|出島]]|| 5 || 0 ||[[高見盛精彦|高見盛]]|| 5 || 0 ||'''[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]'''|| 18 || 4
|[[豪風旭|豪風]]||6||3
|[[玉春日良二|玉春日]]||3||0
|[[玉乃島新|玉乃島]]||3||2
|-
|'''[[玉鷲一朗|玉鷲]]'''||1||0
|[[垣添徹|垣添]]|| 2 || 2 ||[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]|| 1 || 1 ||[[海鵬涼至|海鵬]]|| 1 || 1(1) ||[[春日錦孝嘉|春日錦]]|| 1 || 0
|[[千代大海龍二|千代大海]]||7(1)||5
|[[出島武春|出島]]||5||0
|[[時天空慶晃|時天空]]||6||0
|-
|[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]||1||1
|[[鈴川真一|若麒麟]]|| 1 || 0 ||'''[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]'''|| 16 || 2 ||[[若ノ鵬寿則|若ノ鵬]]|| 1 || 1 ||[[黒海太|黒海]]|| 2 || 2
|[[土佐豊祐哉|土佐豊]]||1(1)||0
|[[栃東大裕|栃東]]||1||1(1)
|[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]||16||2
|-
|[[栃乃洋泰一|栃乃洋]]||3||1
|'''[[若の里忍|若の里]]'''|| 7 || 1 ||'''[[豊響隆太|豊響]]'''|| 5 || 0 ||'''[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]'''|| 10 || 8(1) ||[[魁皇博之|魁皇]]|| 7 || 8
|[[栃乃花仁|栃乃花]]||1||1
|[[栃乃若導大|栃乃若]]||2||0
|[[豊ノ島大樹|豊ノ島]]||18||4
|-
|[[豊響隆太|豊響]]||5||0
|'''[[鶴竜力三郎|鶴竜]]'''|| 13 || 12 ||'''[[時天空慶晃|時天空]]'''|| 6 || 0 ||'''[[栃ノ心剛|栃ノ心]]'''|| 12 || 1 ||[[武州山隆士|武州山]]|| 1 || 0
|[[白馬毅|白馬]]||1||0
|[[白鵬翔|白鵬]]||3||25
|[[白露山佑太|白露山]]||2||1
|-
|[[日馬富士公平|日馬富士]]||12||16
|'''[[翔天狼大士|翔天狼]]'''|| 2 || 0 ||'''[[阿覧欧虎|阿覧]]'''|| 8 || 2 ||'''[[北太樹明義|北太樹]]'''||5||0||[[白馬毅|白馬]]|| 1 || 0
|[[普天王水|普天王]]||4||1
|[[豊真将紀行|豊真将]]||12||3
|[[北勝力英樹|北勝力]]||7||3
|-
|[[雅山哲士|雅山]]||10||5
|'''[[隠岐の海歩|隠岐の海]]'''|| 5 || 1 ||'''[[玉鷲一朗|玉鷲]]'''|| 1 || 0 ||'''[[臥牙丸勝|臥牙丸]]'''|| 3 || 2 ||'''[[栃乃若導大|栃乃若]]'''|| 2 || 0
|[[妙義龍泰成|妙義龍]]||3||4(2)
|[[嘉風雅継|嘉風]]||6||1
|[[露鵬幸生|露鵬]]||1||5
|-
|[[若麒麟真一|若麒麟]]||1||0
|'''[[妙義龍泰成|妙義龍]]'''|| 3 || 4(2) ||'''[[高安晃|高安]]'''|| 2 || 2 ||'''[[若荒雄匡也|若荒雄]]'''|| 3 || 0 ||'''[[碧山亘右|碧山]]'''|| 2 || 0
|[[若荒雄匡也|若荒雄]]||3||0
|-
|[[若の里忍|若の里]]||7||1
|'''[[魁聖一郎|魁聖]]'''|| 1 || 1 ||'''[[松鳳山裕也|松鳳山]]'''|| 1 || 1 ||'''[[勢翔太|勢]]'''|| 1 || 0 || || ||
|[[若ノ鵬寿則|若ノ鵬]]||1||1
|}
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、'''太文字'''は2013年7月場所終了現在、現役[[力士]]
 
== 戦績 ==
=== 総合格闘技 ===
{{MMA recordbox
|total=4
|wins=3
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|losses=1
|KOloss=1
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|draws=0
|no contests=0
|}}
 
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|×| [[ミルコ・クロコップ]]| 1R 0:49 KO(ボディへの左膝蹴り)| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND]]<br />【無差別級トーナメント準決勝】| 2016年12月31日}}
{{Fight-cont|○| [[高阪剛]]| 5分2R終了 判定3-0| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND]]<br />【無差別級トーナメント2回戦】| 2016年12月29日}}
{{Fight-cont|○| [[藤田和之]]| 5分2R終了 判定3-0| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦]]<br />【無差別級トーナメント1回戦】| 2016年9月25日}}
{{Fight-cont|○| [[ピーター・アーツ]]| 3分3R終了 判定3-0| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS]]| 2015年12月31日}}
{{Fight-end}}
 
=== アマチュアキックボクシング ===
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|×|赤沢幸典|1分1R終了 判定0-5|Breaking Down16|2025年7月13日}}
{{Fight-end}}
 
== TV出演 ==
=== テレビ ===
;現役時代
* [[2006年]][[7月1日]] - [[メレンゲの気持ち]](2006年7月1日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* 2006年[[8月4日 ]] -「元祖!でぶや」(]](2006年8月4日、[[テレビ東京]]) - [[春日王克昌|春日王]]、[[旭天鵬勝|旭天鵬]]とともに出演。出演者の[[石塚英彦]]、[[パパイヤ鈴木]]、[[青木さやか]]、[[ふかわりょう]]とともに温泉、バーベキューなどを楽しんだ。
* [[2007年]][[1月4日]] - [[どっちの料理ショー#どっちの料理ショーRETURNS2007 白いご飯と食べたい!究極のおかずが大激突スペシャル!!概要|どっちの料理ショーRETURNS2007 白いご飯と食べたい!究極のおかずが大激突スペシャル!!]](2007年1月4日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
* [[2009年]][[2月8日]] - [[ジャンクSPORTS]](2009年2月8日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - スタジオゲストとして出演
* [[2010年]][[4月8日]] - [[ビッグフィッシング]](2010年4月8日、[[サンテレビジョン|サンテレビ]])
* [[SMAP×SMAP]]『ビストロSMAP』(関西テレビ・フジテレビ) - 『BISTRO SMAP』コーナーにゲスト出演
* [[ネプリーグ]](フジテレビ) - 『ネプ大リーグ』の中で、「衝撃!!超人キッズ」のコーナーで、力士を目指す子供たちを指導したり、ハンディ相撲(土俵内に作られた、小さな円から出たら負けになる特別ルール)の相手をした(フジテレビ)
;引退後
* [[2013年]][[11月24日]] - [[地球テレビ エル・ムンド|エルムンド]]「IT先進国エストニア 驚きのライフスタイル」(2013年11月24日、[[NHK BS1]])
*[[把瑠都の北欧エストニア紀行]](2013年12月26日、[[BSフジ]]) - 旅人
* 2013年[[12月30日]] - [[ジャイアントキリング]](フジテレビ)
*[[ジャイアントキリング]](2013年12月30日、フジテレビ)
*[[ザ・ノンフィクション]](2014年11月30日、フジテレビ)
*[[タモリ倶楽部]](2016年2月6日、[[テレビ朝日]])
*[[週末めとろポリシャン♪]](2016年2月20日、[[TOKYO MX]])
*[[朝だ!生です旅サラダ]](2016年4月23日・2018年1月20日、[[朝日放送テレビ|朝日放送]])
*[[日本の旬を行く!路線バスの旅|日本の旬を行く!路線バスの旅]] 「把瑠都が巡る!初夏の山形 2時間スペシャル」(2016年6月14日、[[BS-TBS]])
*[[たけしのニッポンのミカタ!]](2016年7月8日、テレビ東京)
*[[出発!ローカル線 聞きこみ発見旅]](2017年4月17日)
*[[税務調査官・窓際太郎の事件簿]]32(2017年5月8日、TBS) - 魚屋の店員 役<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2088945/full/ 元大関・把瑠都、俳優デビュー セリフ覚えは「台本をローマ字にしてもらって」 | ORICON NEWS]</ref>
*日本の旬を行く!路線バスの旅 「把瑠都が巡る夏の伊豆半島 海の幸食べ尽くし!」(2017年7月4日、BS-TBS)
*日本の旬を行く!路線バスの旅 「把瑠都が巡る!夏の北海道 釧路湿原から知床半島へ」(2017年9月12日、BS-TBS)
*[[アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!]](2017年10月1日-11月12日、テレビ東京) - サノー/ウノー 役
*[[発見!タカトシランド]](2018年1月26日・2月2日、[[北海道文化放送]])
*[[弟の夫#テレビドラマ|弟の夫]] (2018年3月4日 - 18日(全3回)、[[NHK BSプレミアム]]) - マイク・フラナガン 役
*[[マジムリ学園]](2018年7月26日 - 日本テレビ)<ref>https://www.ntv.co.jp/majimuri/</ref>
 
=== ウェブテレビ ===
*[[ぶらり路上プロレス]](2017年5月26日 、#20、[[Amazon Prime Video|Amazonプライム・ビデオ]]) - 伊橋の対戦相手 役
*ボブ・サップ緊急来日!第1回Abema杯5種競技HAOOO5!(2017年10月14日・22日、AbemaTV)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tvlife.jp/entame/142342|title=ボブ・サップも参戦!武井壮プロデュースのアスリート頂上決戦『5種競技HAOOO5!』AbemaTVで10・22放送|accessdate=2017-11-26|date=2017-10-03|publisher=TVLIFE web}}</ref>
*大相撲LIVE(2018年3月場所 、AbemaTV) - 解説(2,3日目、中日、10日目~千秋楽)
*AbemaTV大相撲ダイジェスト(2018年3月場所 、AbemaTV) - 解説・準レギュラー<ref>{{Cite web|和書|title=AbemaTV大相撲ダイジェスト {{!}} 無料のインターネットテレビは【AbemaTV(アベマTV)】|url=https://abema.tv/channels/world-sports/slots/AmDaRp4FmzToG3|website=AbemaTV|accessdate=2019-12-31|language=ja}}</ref>
 
=== 舞台 ===
 
* [[グリーンマイル#%E8%88%9E%E5%8F%B0|グリーンマイル]](2017年9月30日 - 10月22日、東京グローブ座 / 11月4日 - 11月8日、京都劇場) - ジョン・コーフィ 役<ref>{{Cite web|和書|title=「グリーンマイル」世界初の舞台化 看守に加藤シゲアキ・死刑囚コーフィは把瑠都:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S13151305.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-09-18|language=ja}}</ref>
 
== CM出演 ==
* 2006年[[3月25日]]より、[[全日本空輸|全日空]]国際線割引運賃サービス「エコ割」のCMに、』(2006年[[3月25日]] - ) ※[[高見盛精彦|高見盛]]・[[白露山佑太|白露山]]と出演
* [[アサヒビール|アサヒ]]本生」のCMで』 ※[[江口洋介]]、琴欧洲とともに共演した。
 
== 脚注 ==
354 ⟶ 542行目:
* [[大相撲力士一覧]]
* [[大関一覧]]
* [[関取在位後に4階級以上陥落した力士一覧]]
 
== 外部リンク ==
359 ⟶ 548行目:
* {{sumodb|6432|把瑠都 凱斗}}
* {{JudoInside|29636|カイド・ホーヴェルソン}}
* [http://jp.rizinff.com/_tags/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88 RIZIN 選手データ]
 
* [https://www.sherdog.com/fighter/Kaido-Hoovelson-209985 SHERDOG 選手データ]
* {{Twitter|Baruto_official}}
* {{NHK人物録|D0009071791_00000|把瑠都}}
{{大相撲幕内優勝力士}}
{{歴代大関|第241代|2010年5月-2012年11月場所}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ
 
|header=この記事は以下のカテゴリでも参照できます
|redirect1=カイド・ホーヴェルソン
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}}
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[[Category:大相撲力士エストニアの柔道家]]
[[Category:エストニア出身の大相撲力士]]
[[Category:三保ヶ関部屋]]
[[Category:尾上部屋]]
[[Category:エストニアの柔道家相撲解説者]]
[[Category:元大相撲力士のタレント]]
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[[Category:在日エストニア人]]
[[Category:スウェーデン系エストニア人]]
[[Category:レーネ=ヴィル県出身の人物]]
[[Category:1984年生]]
[[Category:存命人物]]