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{{Redirectlist|番台|鉄道車両を性能・設備などに応じて分けるための番号の区分|番台区分}}
[[ファイル:Kodakara-yu.jpg|thumb|300px|[[江戸東京たてもの園]](野外博物館)に移築された子宝湯の入口部分]]
[[Fileファイル:Gyunyusekken Noren SpringKodakara-yu.jpg|thumb|300px|[[江戸東京たてもれん]](野外博物館)に移築された子宝湯一例入口部分。]]
[[ファイル:Gyunyusekken Noren Spring.jpg|thumb|300px|[[暖簾|のれん]]の一例]]
'''銭湯'''(せんとう)は、客が入浴できるようにした[[日本]]の[[公衆浴場]]の一種。'''風呂屋'''(ふろや)とも、'''湯屋'''(ゆや)とも呼ばれる(詳細は[[#分類|後述]])。
'''銭湯'''(せんとう)は、[[日本|日本国]]の[[公衆浴場]]の一種。'''風呂屋'''(ふろや)とも、'''湯屋'''(ゆや)とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%8A%AD%E6%B9%AF/|title=銭湯(せんとう)の意味|publisher= [[goo]]国語辞書 |accessdate=2019-12-10}}</ref>(詳細は[[#分類|後述]])。大規模な銭湯では[[スーパー銭湯]]を名乗る場合もある。
 
== 概要 ==
[[ファイル:Sento2.jpg|thumb|180px|のれんの例 2]]
[[ボイラー]]で大量の湯を沸かすため、高い排気用の[[煙突]]がシンボルの一つとなっている。また、銭湯によっては[[温泉]]を利用している場合もある。大規模な銭湯温泉資源が豊富どでは[[スーパー北海道]][[帯広市]]では、市内に10カ所ある銭湯と[[日帰り入浴施設]]を名乗としても営業してい[[ホテル]]の大浴合もが全て温泉([[モール泉]])である<ref>【輝け★わが街 [[地域おこし協力隊]]】(2)「温泉銭湯」愛着持って『[[毎日新聞]]』朝刊2021年5月1日(北海道面)</ref>
 
=== 定義 ===
{{law|section=1}}
現在の日本の法律では'''[[公衆浴場]]'''について、次の定義がなされている。
日本の法律では'''[[公衆浴場]]'''について、次の定義がなされている。
* 「[[公衆浴場法]]」第1条の規定
** この法律で「公衆浴場」とは、温湯、潮湯又は温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設をいう。
* 「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」第2条の規定
** この法律で「公衆浴場」とは、公衆浴場法([[1948年|昭和二十三年]]法律第百三十九号)第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、[[物価統制令]]([[昭和]]二十一年[[勅令]]第百十八号)第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。
* 公衆浴場法の適用を受ける公衆浴場は各[[都道府県]]の[[条例]]で、「普通公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に分類される。
** 「普通公衆浴場」とは、おおよそ「日常生活における保健衛生上必要な入浴のために設けられた公衆浴場」と定義され、一般に、この「普通公衆浴場」を「'''銭湯'''」('''風呂屋'''、'''湯屋''')と呼ぶ。各都道府県の条例では、施設の衛生基準や浴槽水の水質基準などが定められている。入浴料金については後述の[[#料金]]も参照。
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=== 分類 ===
もともと元々、[[江戸時代]]の公衆浴場の業者には分類として'''風呂屋'''と'''湯屋'''があり、った。[[水蒸気]]に満ちた部屋に入って蒸気を浴びて汗を流す、[[蒸し風呂]]タイプの入浴法で営業している業者浴場を風呂屋と呼び、沸かした湯を[[浴槽]]に入れ、湯を身体に掛けたり、浸かったりするタイプの入浴法で営業している業者浴場を湯屋と呼んで区別していた<ref>河合敦 {{sfn||『目からウロコの日本史―ここまでわかった!通説のウソと新事実』、|p.=42</ref>}}。しかし、江戸時代中頃に入浴法の発達や、兼業して営業する業者が現れるようになって、た。喜田川守貞が書いた『[[守貞謾稿]]』(巻之二十五)の「[[都|京]][[大阪|大坂]]にては風呂屋と俗に云ひ、[[江戸]]では湯屋と云ひ訛る」<ref>藤浪剛一 {{sfn|『東西沐浴史話』|p.=142</ref>}}との記述があるように、地域によって呼び方は異なることはあるが'''風呂屋'''と'''湯屋'''は混同されて使用されるようになった<ref>奥野高広 『戦国時代の宮廷生活』、p.143</ref>。
 
== 歴史 ==
=== 古代 ===
[[ファイル:Eikando Bathroom.jpg|thumb|[[禅林寺 (京都市)|禅林寺]]にある浴室]]
日本に[[仏教伝来]]した時、[[僧侶]]達が身を清めるため、[[寺院]]に「浴堂」が設置された。病を退けて福を招来するものとして[[入浴]]が奨励され、貧しい人々や病人・[[囚人]]らを対象としての[[施浴]]も積極的に行うようになった。
 
=== 中世 ===
[[鎌倉時代]]になると一般人にも無料で開放する[[寺社]]が現れて、やがて[[荘園 (日本)|荘園]]制度が崩壊すると入浴料を取るようになったこれが銭湯の始まりと言われている<ref>河合敦 {{sfn||『目からウロコの日本史―ここまでわかった!通説のウソと新事実』、|p.=40</ref>}}[[日蓮]]が書き記した『日蓮御書録』によれば、[[1266年]]([[文永]]3年)、四条金吾([[四条頼基]])にあてた書に「御弟どもには常に不便のよし有べし。常に湯銭、[[草履]]の値なんど心あるべし」と"湯銭" という文字があることから、詳しいことは不明である、このころにはすでに入浴料を支払う形の銭湯が存在していたと考えられている<ref>町田忍 『銭湯遺産』、p.178</ref>。なお、建造物として現存する最古の湯屋は[[東大寺]]に[[1239年]]([[延応]]元年)<!--[[1197年]]([[建久]]8年)とするネット上のソースもあり-->再建、[[1408年]]([[応永]]15年)に修復されたもので、「東大寺大湯屋」として国の[[重要文化財]]にも指定されている<ref>[httphttps://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/62471298f13200316873bba6a8ee6f78 東大寺・大湯屋](奈良県の名所・古跡)</ref><ref>{{国指定文化財等データベース|102|2453|東大寺大湯屋}}</ref><ref>[httphttps://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=heritages/detail/195110 東大寺大湯屋](同庁運営「文化遺産オンライン」内のデータベース/文化庁)ページ]</ref>。
 
[[室町時代]]における[[京都]]の街中では入浴を営業とする銭湯が増えていった。このころ、庶民が使用する銭湯は、[[蒸し風呂]]タイプの入浴法が主流だった<ref>{{Cite web|和書|author=かんでん e-Patio|url=http://www.kepco.co.jp/e-patio/category/living/1289286907/|title=昔、お風呂は蒸し風呂だった! |accessdate=2011年5月-05-15}}</ref>。また、当時の上流階層であった[[公家]]や[[武家]]の邸宅には入浴施設が取り入れられるようになっていたが、公家の中には庶民が使う銭湯(風呂屋)を、庶民の利用を排除した上で時間限定で借り切る「留風呂」と呼ばれる形で利用した者もいた<ref>藤浪剛一 {{sfn|『東西沐浴史話』|p.=134</ref>}}。なお、[[室町時代]]末期に成立した[[洛中洛外図屏風]](上杉本)には当時の銭湯(風呂屋)が描かれている。
 
=== 近世 ===
[[ファイル:Kiyonaga bathhouse women-2.jpg|thumb|200px|right|『女湯』 大判[[錦絵]]2枚続 [[鳥居清長]]画 [[天明]]後期 [[ボストン美術館]]蔵。銭湯を詳細に描いた[[浮世絵]]としては、最も早い時期の作品。画面右、衣服棚がある畳敷のところが脱衣所。画面中央の板敷の間が洗い場、その間に竹を並べて水はけを良くしている。中央上、下半身のみの女性が見えるところが石榴口で、湯が冷めないよう出入口が低くなっていた。左上の小窓から見える男は[[三助]]。]]
[[ファイル:Sento-gutenburgimage.jpg|right|thumb|石榴口つき銭湯(鳥居)]]
[[ファイル:ZakuroguchiSento-gutenburgimage.JPGjpg|right|thumb|石榴口つき銭湯(破風[[鳥居]])]]
[[ファイル:Zakuroguchi.JPG|thumb|石榴口つき銭湯([[破風]])]]
[[江戸]]における最初の銭湯は、[[1591年]]([[天正]]19年)、[[江戸城]]内の銭瓶橋(現在の[[大手町 (千代田区)|大手町]]付近に存在した橋)の近くに伊勢与一が開業した蒸気浴によるものであった。
[[江戸]]における最初の銭湯は、[[徳川家康]]が[[江戸城]]に入って間もない[[1591年]]([[天正]]19年)、江戸城内の銭瓶橋(現在の[[大手町 (千代田区)|大手町]]付近に存在した橋)の近くに伊勢与一が永楽一銭で開業した<ref>{{Cite book|和書|author=齋藤月岑|year=1986|title=増訂 武江年表1|publisher=平凡社|pages=P.3}}</ref>。当時の銭湯は蒸気浴([[蒸し風呂]])の形式であった。
 
その後江戸ではその後、浴室のなかにある小さめの湯船に膝より下を浸し、上半身は[[蒸気]]を浴びるために戸で閉め切るという、湯浴と蒸気浴の中間のような入浴法で入る戸棚風呂が登場した([[江戸時代]]初期)<ref>藤浪剛一{{sfn|『東西沐浴史話』|p.=157</ref>}}。さらにその後、湯船の手前に[[石榴]]口(ざくろぐち)という入り口が設けられた風呂が登場した。細工を施した石榴口によって中は湯気がもうもうと立ちこめ、暗く、湯の清濁さえ分からないようにして入浴するというものであった。後に、客が一度使った湯を再び浴槽に入れるという構造になり、『湯屋漫歳暦』には「[[文政]](年間)の末に流し板の間より汲溢(くみこぼ)れを取ることはじまる」との記述がある。こうしてだんだん段々[[薬草]]を炊いて蒸気を浴びる蒸し風呂から、次第に湯に浸かる湯浴みスタイルへと変化していった。
[[蒸気]]を逃がさないために入り口は狭く、窓も設けられなかったために場内は暗く、そのために[[盗難]]や風紀を乱すような状況も発生した。[[1791年]]([[寛政]]3年)に「男女入込禁止令」や後の[[天保の改革]]によって混浴が禁止されたが、必ずしも守られなかった。江戸においては隔日もしくは時間を区切って男女を分ける試みは行われた。
 
当時の銭湯は、おおむね朝五ツ(現在でいうと午前8時頃)から夜五ツ(同じく午後8時頃)まで営業していた。当時の銭湯は娯楽・社交の場として機能しており、[[落語]]が行われたこともある。特に男湯の二階には座敷が設けられ、休息所として使われた。[[式亭三馬]]の『[[浮世風呂]]』などが当時の様子をよく伝えている。当時の銭湯の入り口には、[[矢]]をつがえた[[弓 (武器)|弓]]またはそれを模した看板が掲げられることがあった。これは「弓射る」と「湯入る」をかけた[[洒落]]の一種である。
男女別に浴槽を設定することは経営的に困難であり、老若男女が[[混浴]]であった。[[浴衣]]のような湯浴み着を着て入浴していたとも言われている。[[蒸気]]を逃がさないために入り口は狭く、窓も設けられなかったために場内は暗く、そのために[[盗難]]や風紀を乱すような状況も発生した。[[1791年]]([[寛政]]3年)に「男女入込禁止令」や後の[[天保の改革]]によって混浴が禁止されたが、必ずしも守られなかった。江戸においては隔日もしくは時間を区切って男女を分ける試みは行われた。
 
当時、火事の多かった江戸の防災の点から江戸の庶民の家では内風呂を持つことは基本的に禁止されていた。江戸時代末期には大店の商家でも内風呂を持つようになったが、それでも江戸の住民の大部分は内風呂を持つことが経済的に困難だった事情もあって銭湯を利用し続けた。19世紀初期の[[文化 (元号)|文化]]年間(1804〜1818年)には、人口約100万〜120万人の江戸全体で600軒以上の銭湯があったという。
営業時間としては朝から宵のうち(現在でいう夜の8時くらい)まで開店していた。浴場、銭湯が庶民の娯楽、社交の場として機能しており、[[落語]]が行われたこともある。特に男湯の二階には座敷が設けられ、休息所として使われた。[[式亭三馬]]の『[[浮世風呂]]』などが当時の様子をよく伝えている。当時の銭湯の入り口には矢をつがえた弓、もしくはそれを模した看板が掲げられることがあった。これは「弓射る」と「湯入る」をかけた洒落の一種である。
 
なお、江戸、大坂、伏見などには水辺に居住する人々や水上生活者などが料金を払って利用する船内に浴槽を設けた湯舟(湯船)があった<ref>池田勝, 池田正男「[https://doi.org/10.14856/ran.52.0_30 古今(こきん)用語撰]」『らん:纜』52巻 2001年 p.30-34, 日本船舶海洋工学会, {{doi|10.14856/ran.52.0_30}}, 2020年6月19日閲覧。</ref>。
なお、当時は内風呂を持てるのは[[大身]]の武家屋敷に限られ、火事の多かった江戸の防災の点から内風呂は基本的に禁止されていた。江戸時代末期には大店の商家でも内風呂を持つようになった。
 
=== 近代 ===
[[1877年]]([[明治]]10年)頃、東京[[神田区]][[連雀町 (東京都千代田区)|連雀町]]の鶴沢紋左衛門が考案した「改良風呂」と呼ばれる、石榴(ざくろ)口を取り払って、天井が高く、湯気抜きの窓を設けた、広く開放的な風呂が評判になって、現代的な銭湯の構造が確立した<ref name="『銭湯遺産』">[[町田忍]] 『銭湯遺産』、p.181</ref>。
 
政府は[[1879年]](明治12年)に石榴風呂式浴場を禁止して旧来型の銭湯は姿を消していき、った。外国への配慮から混浴は禁止となったが、銭湯そのものは都市化の進展や近代の衛生観念の向上とともに隆盛を極めた<ref name="『東亰時代 - 江戸と東京の間で』" group="注">[[1879年]]([[明治]]12年)[[10月3日]]の[[東京府]]令湯屋取締規則により、混浴禁止とともに石榴口は[[1885年]](明治18年)11月末日までに改装すべきとされた([[小木新造]] 『東亰時代 - 江戸と東京の間で』、p.96)。</ref>。
 
[[大正]]時代になると、銭湯はさらに近代化していき、板張りの洗い場や木造の浴槽は姿を消し、陶器の[[タイル]]敷きの浴室が好まれていった。[[昭和]]時代になると、[[水道]]式の[[蛇口]]が取り付けられるようになった。
 
1920年(大正9年)、東京で浴場及び浴場営業取締規則が制定。浴場間の距離が市部で100間(約180m)以上、郡部で120間以上とされた<ref>{{Cite book |和書 |author=下川耿史 家庭総合研究会 編 |title=明治・大正家庭史年表:1868-1925 |publisher=河出書房新社 |year=2000 |page=444 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>。
 
1939年(昭和14年)6月、東京では[[警視庁]]保安部が燃料節約(当時は[[石炭]]が中心であった)の観点から、各銭湯に対し朝風呂を廃止するよう要請を行う。この頃、東京市内の銭湯では[[浅草]]や[[日本橋 (東京)|日本橋]]、[[神田 (千代田区)|神田]]、[[深川 (江東区)|深川]]を中心に早朝から営業が行われており、午前9時に開始する銭湯は約120軒、午前10時に開業する銭湯は約430軒が存在していた。この直後、[[日中戦争]]直前の状況下で燃料の石炭価格が高騰し、東京市内約2800軒の銭湯のうち約200軒が廃業、約500軒が隔日営業となった。当時、木くずや[[おがくず]]は代用燃料扱いされていたが、それも次第に入手困難となった<ref>朝湯まかりならぬ、警視庁お達し(『中外商業』昭和14年5月26日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p331 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref><ref>東京で二百軒が既に廃業(『東京日日新聞』昭和14年8月30日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p331</ref>。
 
=== 現代 ===
[[Fileファイル:Bathpail01.JPG|right|thumb|全国の銭湯で見かける[[ケロリン桶]]]]
[[太平洋争]]後、本格的に都市人口が増大すると、至るところで銭湯が建築された。[[1965年]](昭和40年)頃には全国で約2万2000軒<ref name="『銭湯遺産』"/>を数えるようになった。
 
厚生労働省がまとめた「衛生行政報告例」(2017年度)などによると、青森県は人口10万人あたりの公衆浴場数は23.7カ所で全国最多。全国平均は2.9カ所で、20カ所を超えるのは青森県だけ<ref>[https://mainichi.jp/articles/20200818/k00/00m/040/021000c 青森は人口比の公衆浴場数が日本一 多い理由と他県もうらやむ実情を探る | 毎日新聞]</ref>。
以前、東京都では銭湯の利用世帯を調査していたことがある。それによると[[1964年]](昭和39年)の調査で銭湯を利用している世帯は全世帯の39.6%だったが、[[1967年]](昭和42年)には30.3%<!--303.6%-->にまで減少している。[[大阪府]]では[[1969年]](昭和44年)に2,531軒あったものが、[[2008年]]([[平成]]20年)3月末には1,103軒まで激減している。高度経済成長期以降、風呂付住宅が一般的になったことや、平成期に入って「[[スーパー銭湯]]」と呼ばれる入浴施設が増えており、利用客と軒数が減っており、[[2005年]](平成17年)3月末日における全国浴場組合(全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会)加盟の銭湯の数は5,267軒となっている。
 
==== 普通公衆浴場数の都道府県別推移 ====
[[厚生労働省]]「衛生行政報告例」より。「1996年対2016年残存割合」の背景色については、都道府県ごとにおける偏差値60以上を赤色、偏差値40以下を青色で示してある。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!!!北海道!!青森!!岩手!!宮城!!秋田!!山形!!福島!!茨城!!栃木!!群馬!!埼玉!!千葉!!東京!!神奈川
|-
![[1996年]]([[平成]]8年)<ref>厚生労働省 平成8年衛生行政報告例 統計表(公営と私営の普通浴場の合計) https://www.e-stat.go.jp/</ref>
|746||384||85||34||36||11||49||24||35||57||198||160||1,503||444
|-
![[2006年]](平成18年)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/06-2/toukei9.html 厚生労働省 保健・衛生行政業務報告(衛生行政報告例)]</ref>
|502||349||46||18||21||5||26||10||16||39||115||101||965||269
|-
![[2016年]](平成28年)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/16/ 厚生労働省 平成28年度衛生行政報告例の概況]</ref>
|286||311||21||9||10||1||11||4||10||25||54||57||593||163
|-
![[2018年]](平成30年)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/18/ 厚生労働省 平成30年度衛生行政報告例の概況]</ref>
|270||297||20||7||13||1||10||3||8||22||46||51||542||141
|-
!1996年対<br>2016年残存割合
|38%||style="background-color: #ffcccc;"|80%||24%||26%||27%||style="background-color: #ccffff;"|9%||22%||style="background-color: #ccffff;"|16%||28%||43%||27%||35%||39%||36%
|}
 
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!!!新潟!!富山!!石川!!福井!!山梨!!長野!!岐阜!!静岡!!愛知!!三重!!滋賀!!京都!!大阪!!兵庫!!奈良!!和歌山!!鳥取!!島根
|-
!1996年(平成8年)
|73||215||175||81||35||107||99||43||386||156||63||369||1,502||399||150||122||31||11
|-
!2006年(平成18年)
|39||145||122||45||21||66||57||21||210||84||39||269||1,103||282||89||59||18||5
|-
!2016年(平成28年)
|25||93||78||21||21||39||26||11||106||38||20||176||624||183||29||33||16||1
|-
!2018年(平成30年)
|26||85||74||18||21||39||22||11||91||33||17||170||517||167||23||29||15||2
|-
!1996年対<br>2016年残存割合
|34%||43%||44%||25%||style="background-color: #ffcccc;"|60%||36%||26%||25%||27%||24%||31%||47%||41%||45%||19%||27%||style="background-color: #ffcccc;"|51%||style="background-color: #ccffff;"|9%
|}
 
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!!!岡山!!広島!!山口!!徳島!!香川!!愛媛!!高知!!福岡!!佐賀!!長崎!!熊本!!大分!!宮崎!!鹿児島!!沖縄!!全国
|-
!1996年(平成8年)
|64||163||73||61||64||178||46||192||7||58||116||248||47|||332||29||9,461
|-
!2006年(平成18年)
|43||106||46||38||41||77||21||93||4||34||87||209||23||337||11||6,326
|-
!2016年(平成28年)
|21||55||26||27||23||41||9||42||1||18||70||157||19||294||2||3,900
|-
!2018年(平成30年)
|16||52||25||25||21||37||9||40||1||16||56||147||18||277||4||3,535
|-
!1996年対<br>2016年残存割合
|32%||33%||35%||44%||35%||23%||19%||21%||style="background-color: #ccffff;"|14%||31%||style="background-color: #ffcccc;"|60%||style="background-color: #ffcccc;"|63%||40%||style="background-color: #ffcccc;"|88%||style="background-color: #ccffff;"|6%||41.2%
|}
 
== 構造 ==
{{独自研究|section=1|date=2017年3月16日 (木) 18:25 (UTC)}}
[[画像:SentoLayout-Label.png|銭湯の見取り図|thumb]]
[[ファイル:SentoLayout-Label.png|銭湯の見取り図|thumb]]
現代のごく一般的な銭湯の構造の例は次のようになっている(なお、この見取り図は[[関東地方]]の銭湯に多いパターンである)。
 
基本的に履物は松竹[[錠前|錠]](風呂屋錠)で施錠される[[下駄箱]]に収める。そこから、番台の有無によっても異なるが[[脱衣所]]または[[フロント]]<small>(受付・休憩等の部屋)</small>に入る。
 
基本的に履物は松竹錠(風呂屋錠)で施錠される[[下駄箱]]に収める。そこから、[[番台]]があるかないかによっても異なるが[[脱衣所]]またはフロント<small>(受付・休憩等の部屋)</small>に入る。
=== 男湯と女湯 ===
脱衣所の手前で男湯と女湯に分かれている。図では左(M)が男湯、右(F)が女湯だが、左右の配置に特に決まりはなく、逆の場合もある。外からのぞき見し視線を防ぐため建物の構造的くい側に男配置を考慮する場合もある。
 
なお、通常の銭湯では男湯と女湯の位置はほぼ固定されているが、スーパー銭湯などの大規模施設の場合は和風と洋風のような意匠の違いを持たせたうえで週替わりや半月ごとなどのタイミングで入れ替える施設も存在する。
 
=== 全体の構造 ===
[[ファイル:KodakaraYuBandai.jpg|thumb|番台。[[江戸東京たてもの園]]]]
[[ファイル:The view from BANDAI in Japanese SENTO 番台からの眺め 01.jpg|thumb|番台からの眺め。右は女湯、左は男湯。]]
[[ファイル:Minatoyama-onsen 湊山温泉下駄箱 C263002.jpg|thumb|下駄箱(兵庫県神戸市)]]
* A:燃料室:従業員以外は立ち入り禁止。釜場は屋外と連絡している。
** (1) [[燃料]]
** (2) [[ボイラー]]
* B:浴室:浴槽と洗い場に大きく分かれる。洗い場には風呂椅子、風呂桶が備えられている。他に[[シャワー]]別室の[[サウナ風呂]]が設けられる場合もある。
** (3) 浴槽:水風呂、[[電気風呂]]、打たせ湯、座風呂、ジェット風呂、薬湯、[[露天風呂]]など各種の浴槽を備えている施設もある。特に日本式の風呂になじみの無い者のために、浴槽に入る前にかけ湯やシャワーを使う」「湯舟の中で体を洗わないなど入浴のルールや作法を脱衣場などに掲示しているところもある。また、かかり湯、上がり湯専用のカランを備えているところもある。東日本では浴室奥に設計されることが多く、西日本では浴室中央の入り口付近に設計されることが多い。これは西日本で一般的な「かけ湯→入浴→体を洗う」の順番に沿ったのか、そうではなく「体を洗う→入浴」に沿ったのかによる設計思想の差である
** (4) 蛇口:温水と冷水が出る。押しボタンを押す間のみ湯水が出る「湯屋カラン」が多く使われる。また、多くは混合水栓のシャワーを備える。壁際ではなく、壁から離れた所に島状に設置されている洗い場のカラン列は「島カラン」とも呼称される。
* C:脱衣場と入り口:脱衣所の手前に休憩所が設けられるところもある。板張り床ではなく床が高級なトウ(であることもある。
** (5) ベビー寝台:主に女湯の脱衣所に備え付けられている。
** (6) 脱衣箱:脱いだ衣服を入れる棚箱、今でいう[[ロッカー]]。月極めの貸しロッカーもまれにある。かつてはトウ(籐)製の脱衣かごも用いられていた。
** (7) 番台:番台は銭湯によって有無が異なる。その歴史について、少なくとも江戸時代の銭湯には番台が存在した。番台は図のように男湯と女湯を共に見渡す位置にある。一方、比較的新しい銭湯では番台がない代わりに、脱衣所とは別でフロントのように設計されることが多い(よって、銭湯の形態としては番台形式とフロント形式に分類できる)
** (8) 暖簾:正面の入り口には大判の[[暖簾|のれん]]がかけられている。
** (9) 下駄箱:個別に松竹錠(風呂屋錠)などの簡易な錠前がつくことが多い。傘立ても同様。
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== 意匠の特徴 ==
[[ファイル:Japanese communal bathhouse SENTO Sentō 銭湯の浴室.jpg|thumb|富士山が描かれた男湯。[[江戸東京たてもの園]]]]
=== ペンキ絵 ===
[[大正]]元年([[1912年]])に東京[[猿楽町 (千代田区)|神田猿楽町]]にあった「キカイ湯」の主人が、画家の[[川越広四郎]]に[[壁画]]を依頼したのが始まりである。これが評判となり、これに倣う銭湯が続出し、銭湯といえばペンキ絵という観念を生じるに至った。なお、正確には[[東日本]]、特に関東地方の銭湯に特有のものであり、[[西日本]]の銭湯では浴槽が浴室の中央に設計されることが多いこともあり、壁面にペンキ絵はほとんど無い。図柄は浴場の主人による注文が基本であるが、[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]を主体とした図柄は男湯の浴室正面の壁面に描かれることが多く、女湯の浴室のペンキ絵は、富士山でなく幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多い。ペンキ絵師は、[[丸山清人]]と[[中島盛夫]]、[[田中みずき (ペンキ絵師)|田中みずき]]([[早川利光]]は[[2009年]](平成21年)[[4月13日]]逝去)ら3人(2018年7月時点)。
<!--[[ファイル:Sento.EdoTokyoOutdoorMuseum.jpg|right|thumb|富士山のペンキ絵 - 江戸東京たてもの園]](画像が表示されてないためコメントアウト 2013年8月)-->
銭湯と聞くと[[富士山]]の壁絵を思い浮かべる人は少なくはないと思われる。[[大正]]元年([[1912年]])に東京[[猿楽町 (千代田区)|神田猿楽町]]にあった「キカイ湯」の主人が、画家の[[川越広四郎]]に壁画を依頼したのが始まりで、これが評判となり、これに倣う銭湯が続出し、銭湯といえばペンキ絵という観念を生じるに至った。なお、正確には[[東日本]]、特に[[関東地方]]の銭湯に特有のものであり、[[西日本]]の銭湯では浴槽が浴室の中央に設計されることが多いこともあり、壁面にペンキ絵はほとんど無い。図柄は浴場の主人による注文が基本であるが、[[富士山]]を主体とした図柄は男湯の浴室正面の壁面に描かれることが多く、女湯の浴室のペンキ絵は、富士山でなく幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多い。2012年(平成24年)10月の時点でペンキ絵の絵師は関東で[[丸山清人]]と[[中島盛夫]]の2名を残すのみ([[早川利光]]は[[2009年]](平成21年)[[4月13日]]逝去)となり、後継者の存続が危ぶまれている。
 
ちなみに[[2006年]](平成18年)5月に閉館した[[交通博物館]]のパノラマ模型運転コーナーの背景壁絵のリニューアルの際(平成14年([[2002年]]))にも、銭湯のペンキ絵の絵師によって、富士山などを主体とした山々が連なるペンキ絵が描かれた<ref>[http://www.nissan.co.jp/CARWINGS/kuruma_aruki/sansei/sansei22/sansei_22.htm 町田忍さん:後編 まずは、いちばんお近くの銭湯へどうぞ。](くるまあるき賛成派!第22回) - 日産カーウィングス([[日産自動車]]、2010年9月28日閲覧)</ref>。
 
=== タイル絵 ===
大型タイルに美しく豪華な上絵を描き、焼成したものをタイル絵という。全国的にみられるタイル絵は、伝統の[[九谷焼]]で戦前より[[石川県]][[金沢市|金沢]]の窯元「[[鈴栄堂]]」という窯元が全国に広めたもの。壁面などの広い面積を装飾するため複数枚の大型タイルに柄続きの総柄に仕上げる。白地の平滑な地に描かれる図柄は主に[[宝船]][[]]の瀧昇り[[七福神]]などめでたく華美なものがほとんどを占め、美術工芸品並みの技巧を凝らし創られたタイルもある。高級品でもあったため、設備資金にゆとりがあり集客の多い市街地の銭湯に多くみられた。
 
== 建築様式 ==
[[ファイル:高砂梅が枝湯P5130434.JPG|thumb|今や貴重なレトロ建築の[[梅ヶ枝湯]]([[兵庫県]][[高砂市]])]]
[[File:Tatsuno-yu Sento Tokyo 1.jpg|thumb|宮型造のたつの湯([[東京都]][[練馬区]])]]
[[宮大工]]によって造られる[[寺社]][[建築]]のような外観の[[共同浴場]]を全国的に見ることができる(主として温泉が湧出する観光温泉地<!--道後温泉本館・別府竹瓦温泉等-->)が、これが[[関東大震災]]後に東京で成立する宮型造り銭湯の様式としても採用された。主に関東近郊にこの建築様式が集中しており、地方の銭湯では見られずきわめて数が少ない。この宮型造り銭湯の都心での発祥は東京墨田区東向島の「カブキ湯」に始まる。一般的に建物入口に「[[唐破風]]」もしくは「[[破風]]」が正面につく建築様式を「宮型」という。
[[宮大工]]によって造られる[[寺社]][[建築]]のような外観の[[共同浴場]]を全国的に見ることができる(主として温泉が湧出する観光[[温泉地]])が、これが[[関東大震災]]後に東京で成立する宮型造り銭湯の様式としても採用された。主に関東近郊にこの建築様式が集中しており、地方の銭湯では見られず、極めて数が少ない。この宮型造り銭湯の都心での発祥は東京[[向島 (墨田区)|墨田区向島]]の「歌舞伎湯」に始まる。一般的に建物入口に[[唐破風]]もしくは[[破風]]が正面につく建築様式を「宮型」という。
 
こうした宮型造りの銭湯は昭和40年代頃まで関東近郊で盛んに建てられたが、各家庭において内風呂(自宅内の風呂)が普及し、またビルに建て替えられる銭湯も多くなったため、現在では減少傾向にある。一方、近年の懐古趣味である[[レトロブーム]]に乗って、中には新築で宮型造りの銭湯が建てられる物件もある。
神社仏閣や[[城|城郭]]の[[天守]]を想起させる切り妻の屋根飾りに合掌組を反曲させた曲線(写真建物の上端部)は、宗教性や権威を誇るディテールであり、また、[[極楽浄土]]へいざなう入り口を示すシンボリックな側面を合わせ持っている。そこには一般在来建築とは様式が違うというだけでなく、非日常性という側面も垣間見える。当時の主な銭湯の利用客である市井の人々には「[[お伊勢参り]]」や「[[金毘羅山]]参り」、「[[日光東照宮]]参り」 など日本各地の神社仏閣への「お参り」旅行は参詣本来の目的に加えてイベントであり娯楽であったことも鑑み、人々の平凡な日常にとって宮型造りの銭湯に足を運ぶことはいつかの「お参り」にいざなう魅力的な装置としても機能した。
 
こうした宮型造りの銭湯は昭和40年代頃まで関東近郊で盛んに建てられたが、各家庭において内風呂(自宅内の風呂)が普及し、またビルに建て替えられる銭湯も多くなったため、現在では減少傾向にある。一方、近年の懐古趣味であるちょっとした[[レトロブーム]]に乗って、中には新築で宮型造りの銭湯が建てられる物件も出てきている。<!--しかし、詳細は識者の返答を待つことにして、--><!--同じく寺社様式である霊柩車との親近性が考えられるが、-->
 
各地の銭湯の建築様式は様々であるが、コミュニケーションの場として日常生活に彩りを与える工夫がなされている所に共通点がみられる。
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== 営業・サービス面 ==
=== 営業時間・営業日 ===
現代の日本では、午後あるいは夕方から深夜12時前後までの営業が一般的。「[[朝湯|朝風呂]]」と称して早朝より営業している店もある。また、昨今の利用客の減少から、最近では近隣の銭湯で定休日が重ならないように調整し合うこともある。
 
=== 料金 ===
{{law|section=1}}
入浴料金は[[物価統制令]](現憲法発布前に出された[[勅令]]。[[法律]]としての効力を持つ)の規定により、各[[都道府県知事]]の決定で上限が定められている(前述の[[#定義]]も参照)。そのため都道府県ごとで料金は異なる。いずれの都道府県においても「大人(中学生以上)」「中人(小学生)」「小人(未就学乳幼児)」の料金分けを採用。また、洗髪する場合は追加の洗髪料金を徴収する地域もある。共通回数券を発行している地域や、特定施設でのみ利用可能な回数券を発行している施設もある。
入浴料金は[[物価統制令]](現・[[日本国憲法]]発布前に出された[[勅令]]。[[法律]]としての効力を持つ)の規定により、各[[都道府県知事]]の決定で、金額の上限が定められている(「[[#定義|定義]]」節も参照)。いずれの都道府県においても「大人(中学生以上)」「中人(小学生)」「小人(未就学乳幼児)」の料金分けを採用。また、洗髪する場合は追加の洗髪料金を徴収する地域もある。共通回数券を発行している地域や、特定施設でのみ利用可能な回数券を発行している施設もある。また、[[生活保護]]世帯や[[一人親家庭|ひとり親家庭]]に回数券式の福祉入浴券が交付される自治体もある。
 
女性の洗髪料金を徴収できることは、過去に厚生省令で認められていた。東京都では、1970年に洗髪料金(当時5円)を徴収しない旨の告示をすると、都の公衆浴場商業組合が厚生省令に反するものとして抗議。自主料金を設定するなどの軋轢が生じた。結果として洗髪料金は無料となったが、その後、入浴料金そのものが値上げされることで浴場側の減収分は補填されることとなった<ref>「都のフロ代騒動解決 業者、自主料金を撤回」『[[朝日新聞]]』昭和45年(1970年)5月5日朝刊12版15面</ref>。
 
=== こどもの混浴年齢 ===
[[厚生労働省]]が公衆浴場の衛生管理について示した要領はこれまで、混浴を禁じる年齢を「おおむね10歳以上」としていたが、浴場組合など業界団体から「引き下げるべきでは」との意見が寄せられた。聖心女子大の植田誠治教授(学校保健学)らが厚労省の補助事業で実施した研究結果も踏まえ2020年12月、「おおむね7歳以上」に下げて各自治体に通知した<ref>厚生労働省「公衆浴場における衛生管理理要領等の改正について〔公衆浴場法〕」(生食発1210第1号)(令和2年12月10日改正) https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc5492&dataType=1&pageNo=1</ref>。
 
=== サービス ===
それぞれの施設で異なるが、一般的に番台やフロントなどで入浴に必要な道具や[[石鹸]]、入浴後に飲まれることの多い飲料である[[牛乳]]や[[サイダー]]、ジュース、缶[[ビール]](一部の施設)などを販売している。脱衣所ではテレビや体重計、扇風機、ドライヤーがあり、マッサージチェアも一部有料で利用できる。喫煙についてはできる場所もあるが、時代の変化に伴い分煙もしくは全面禁煙化した銭湯も多い。頻繁に利用する入浴客には、割安な回数券も販売されている。
[[ファイル:Yakuza sign near Sento.jpg|thumb|150px|[[入れ墨]]お断りの告知]]
[[柚子湯]]、[[菖蒲湯]](しょうぶゆ)などの伝統行事を[[暦]]に合わせて行ったり、子供や年配客向けの割引・無料サービスを行ったりする銭湯もある。最近では[[保育園]]・[[幼稚園]]・[[小学校]]に通う子供達を「裸のつきあいの意義を知る」としてクラス単位などで全員一緒に入浴させる「体験入浴」を学校行事とともに地域のふれあい行事として、一部の施設で行っている例もある。
それぞれの施設で異なるが一般的に、番台やフロントなどで入浴に必要な道具や[[石鹸]]、入浴後に飲まれることの多い飲料である[[牛乳]]や[[サイダー]]、ジュース、缶ビール(一部の施設)などを販売。脱衣所ではテレビや体重計があり、扇風機・ドライヤーやマッサージチェアも一部有料で利用できる。喫煙についてはできる場所もあるが、時代の変化にともない一部、もしくは全面禁煙化した施設も多い。頻繁に利用する入浴客には、割安な回数券も販売されている。
 
施設によっては、浴場以外に[[サウナ風呂]]を有する場合もあり、東日本の一部の銭湯では200 - 300円程度の追加料金でサウナへ入浴が可能なことが多いが、西日本では追加料金のない施設も多い。料金を支払った客を区分しやすくするために、サウナ専用のカラー[[タオル]]を貸しだすこともある。[[雑誌]]・[[新聞]]などの持ち込みなどはほとんどの場合、入浴客の安全を考慮して制限される。
{{要出典範囲|[[コインランドリー]]を併設している銭湯も多い。これは、自宅に風呂を持たない利用者が、洗濯機も持たない場合が多いためである。銭湯の利用者以外も利用でき、実際、コインランドリーのみの利用者も多い|title=「併設施設が多い」事実関係および設置理由・利用客層について論じた出典を提示ください。|date=2013年7月}}。
 
[[プール]]/温泉施設/[[スポーツクラブ|ジム]]などと同様に、[[入れ墨|刺青]]を入れた人の入場を認めるかどうかが問題になることがあるが、公衆浴場法上の「普通公衆浴場」である銭湯については「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設」という性質上、単に刺青が入っているというだけで入場を拒否することは困難であるというのが通説であり、日本政府も[[2017年]]に同様の閣議決定を行っている。一方でスーパー銭湯は、公衆浴場法上「その他公衆浴場」に分類され、ある程度の顧客の選別が許されていることから、刺青客の入場を拒否することも合法であると解されている<ref>[https://president.jp/articles/-/31603 入れ墨は「温泉NG」なのに「銭湯OK」の意外なワケ] - PRESIDENT online・2019年12月26日</ref>。
日本古来のならわしから[[柚子湯]]、[[菖蒲湯]](しょうぶゆ)などの伝統行事を[[暦]]に合わせて行ったり、子供や年配客向けの割引・無料サービスを行うところもある。最近では[[保育園]]・[[幼稚園]]・[[小学校]]に通う子供達を「裸のつきあいの意義を知る」としてクラス単位などで全員一緒に入浴させる「体験入浴」を学校行事とともに地域のふれあい行事として、一部の施設で行っている例もある。
 
== 公害 ==
施設によっては、浴場以外に[[サウナ風呂]]を有する場合もあり、東日本の一部の銭湯では200〜300円程度の追加料金でサウナへ入浴が可能なことが多いが、西日本では追加料金のない施設も多い。料金を支払った客を区分しやすくするために、サウナ専用のカラー[[タオル]]を貸しだすこともある。[[雑誌]]・[[新聞]]などの持ち込みなどはほとんどの場合、入浴客の安全を考慮して制限される。[[プール]]や温泉施設、[[スポーツクラブ|ジム]]などと同様に[[入れ墨|刺青]]を入れた人は、入場を断られる場合がある。
銭湯は巨大な[[ボイラー]]で燃料を燃やして大量の湯を沸かす大規模施設という性質上、周囲の大気環境に対して少なからず[[公害]](排煙による煤や臭気といった[[煙害]]、[[大気汚染]])をもたらす<ref>{{Cite journal|和書|author=大阪市環境衛生監視員会公害部会 |year=1963 |url=https://doi.org/10.11468/seikatsueisei1957.7.78 |title=大阪市における公衆浴場ばい煙関係実態調査報告 |journal=生活衛生 |ISSN=0582-4176 |publisher=大阪生活衛生協会 |volume=7 |issue=2 |pages=78-81 |doi=10.11468/seikatsueisei1957.7.78 |CRID=1390001204205995776}}</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000372468.pdf 公害苦情に対する立場の難しさ]}} 東京都荒川区環境清掃部環境課環境 保全係</ref>。
 
大阪市の公害部門による調査では、公害苦情と最も大きく相関している要素は燃料の不良であった。しかし日本においてはボイラーに使用する燃料および排煙に関する規制は存在しないため、周辺環境への影響度合いは銭湯の経営者次第となっている。用いられる燃料としては都市ガスが一般的になってきているが、コスト削減のために[[廃油]]、[[廃材]]、[[薪]]といった質の低い燃料を使用している銭湯もあり、過去には近隣住民が[[公害等調整委員会]]に対して調停を求めた事例がある。このケースでは銭湯の経営者は[[建築廃材]]を燃やしていた<ref>[https://www.soumu.go.jp/kouchoi/activity/kodaira.html 総務省|公害等調整委員会|小平市における公衆浴場煙突からの大気汚染による財産被害等責任裁定申請事件(平成22年(セ)第8号事件) ]</ref><ref>https://www.tokyo-co2down.jp/assets/company/seminar/type/text/publicbath-house.pdf</ref><ref>[https://www.city.suginami.tokyo.jp/faq/kenko/kougai/1003166.html よくある質問 家の庭やベランダに黒いすすのようなものが落ちていたり、風向きによって強い臭気がすることがあります。近くにある風呂屋の煙突が見えるのですが。|杉並区公式ホームページ ]</ref>。
 
また自治体が[[町おこし]]のために間伐材を燃料とする薪ボイラーで湯を沸かす銭湯を運営するという企画を立案し、実行されたところ地元住民から苦情が多数寄せられ、薪ボイラーの使用が停止された<ref>[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ea7cb8de62502968a48f4544c54248c6228f522c 薪で銭湯復活!が引き起こした不都合なまちづくり(田中淳夫) - 個人 - Yahoo!ニュース ]</ref>。
 
== その他 ==
{{節stub}}
=== 登録有形文化財 ===
[[大阪府]][[大阪市]][[生野区]]にある[[源ヶ橋温泉]]は外観・内装とも[[昭和モダン|昭和モダニズム]]の面影を残す貴重な建物のため、[[1998年]](平成10年)に風呂屋(銭湯)の建造物では初めて国の[[登録有形文化財]]に登録された([[2020年]]に廃業したがその後も建物は現存)<ref name=":0">{{Cite web |title=和洋折衷極めたオンリーワンな銭湯 休業後も人気の理由 |url=https://www.asahi.com/articles/ASP1L72T5NDRPTIL00Q.html |website=朝日新聞 |date=2021-01-19 |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref>。
[[大阪市]][[生野区]]にある[[源ヶ橋温泉]]は外観・内装とも昭和モダニズムの面影を残す貴重な建物のため、風呂屋(銭湯)の建造物では数少ない国の[[登録有形文化財]]に登録されている。一方、同じく登録有形文化財となっていた同市[[阿倍野区]]の[[美章園温泉]]は、燃料費の高騰や[[耐震工事|耐震補強工事]]が困難であることなどを理由に廃業、2008年2月より開始された[[解体]]にともない<ref>ミヤコ蝶々さんも通った…「大阪最古の銭湯」解体へ(MSN産経ニュース 2008年2月16日)</ref><ref>[http://trystero.exblog.jp/7404682 大阪市阿倍野、美章園温泉が廃業・解体](月刊旧建築 2008年2月16日)</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/punyor/e/32db38123c1149ebef785b885d703b7c さよなら美章園温泉](まちかど逍遥 2008年2月25日)</ref>、同年12月に文化財としての登録を抹消された<ref>[http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/masshou/kaitai.html 解体等による登録抹消](文化庁サイト)</ref>。この他にも、[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]にある[[船岡温泉]]、[[東京都]][[台東区]][[上野]]にある[[燕湯]]、[[三重県]][[伊賀市]]にある[[一乃湯 (三重県)|一乃湯]]が登録有形文化財に登録されている。
 
その後、2000年代以降もいくつかの銭湯が登録されている。以下、「銭湯」「公衆浴場」として登録有形文化財になったものを一覧で示す<ref>{{Cite web |title=銭湯 建造物の検索結果 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/search?freetext=%E9%8A%AD%E6%B9%AF&genre_1=1 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref><ref>{{Cite web |title=浴場 建造物の検索結果 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/search?freetext=%E6%B5%B4%E5%A0%B4&genre_1=1 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。下記のほか、いわゆる「銭湯(普通公衆浴場)」ではないが国に登録・指定されている共同浴場として、[[道後温泉本館]](重要文化財。入浴可)、[[片倉館]](重要文化財。入浴可)、[[武雄温泉新館]](重要文化財。資料館に転用)、[[浜田温泉資料館]](登録有形文化財。資料館に転用)がある。
現在は銭湯として使われていないが、かつては銭湯だった登録有形文化財の建造物として、京都市北区の旧藤ノ森湯<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=183353 旧藤ノ森湯](文化遺産オンライン:データベース/文化庁)</ref>(現在は飲食店等に転用)、[[愛知県]][[半田市]]にあった半田東湯<ref>[http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=194869 明治村半田東湯](文化遺産オンライン:データベース/文化庁)</ref>(解体後に愛知県犬山市の[[博物館明治村|明治村]]に復元、[[足湯]]あり)<ref>[http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/4-50.html 半田東湯](博物館明治村のサイト)</ref>がある。
<!-- 並び順は全国地方公共団体コード順、同一市町村の場合は登録順。 -->
 
==== 銭湯として営業中 ====
* [[燕湯]] - [[東京都]][[台東区]][[上野]]、2008年登録。
* [[小杉湯]] - 東京都[[杉並区]][[高円寺]]、2020年登録<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/83711 高円寺・小杉湯 国の登録有形文化財に 東京型銭湯 関東大震災の復興の産物](東京新聞 2021年2月3日)</ref>。
* [[稲荷湯 (東京都北区)|稲荷湯]] - 東京都[[北区 (東京都)|北区]][[滝野川 (東京都北区)|滝野川]]、2019年登録<ref>[https://www.1010.or.jp/mag-topic-200313/ 北区の稲荷湯が国の登録有形文化財に登録 都内の銭湯では2軒目](東京銭湯 2020年3月13日)</ref>。
* [[一乃湯 (三重県)|一乃湯]] - [[三重県]][[伊賀市]]、2013年登録。
* [[船岡温泉]] - [[京都府]][[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]、2003年登録。
* 若の湯 - 京都府[[舞鶴市]]、2018年登録<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/co-kyoto/special/220601.html 登録有形文化財に登録された舞鶴市のレトロ銭湯「若の湯」へ](CO-KYOTO 2018年11月1日)</ref>。
* 日の出湯 - 京都府舞鶴市、2021年登録<ref>[https://mainichi.jp/articles/20210511/ddl/k26/040/292000c 日の出湯に“金メダル” 戦前の面影、建築100年超 舞鶴の銭湯に国登録文化財プレート届く /京都](毎日新聞 2021年5月11日)</ref>。
 
==== 転用・休廃業済みで現存 ====
* 柏湯 - 東京都台東区[[谷中 (台東区)|谷中]]、2024年登録<ref>{{Cite web |title=旧柏湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/555291 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-23 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。1991年廃業、ギャラリーに転用<ref>{{Cite web |title=銭湯に集う |url=https://www.culture.city.taito.lg.jp/bunkatanbou/customs/sento/japanese/page_03.html |website=台東区文化探訪アーカイブス |access-date=2025-04-24 |language=ja |date=2012年10月30日 |publisher=台東区 |page=3}}</ref>。
* 桂湯 - [[富山県]][[南砺市]]、2019年登録<ref>{{Cite web |title=桂湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/540661 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-23 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。2004年廃業、雑貨店に転用<ref>{{Cite web |title=桂湯 |url=https://culture-archives.city.nanto.toyama.jp/culture/bunkazai/%E6%A1%82%E6%B9%AF/ |access-date=2025-04-24 |language=ja |date=2019/09/20 |publisher=南砺市 |website=南砺市文化芸術アーカイブズ}}</ref>。
* 半田東湯 - [[愛知県]][[犬山市]]([[博物館明治村|明治村]])、2004年登録。かつて同県[[半田市]]に所在した銭湯を明治村に移築復元し展示<ref>{{Cite web |title=明治村半田東湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/194869 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref><ref>[http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/4-50.html 半田東湯](博物館明治村のサイト)</ref>。
* 藤ノ森湯 - 京都府京都市北区、2003年登録<ref>{{Cite web |title=旧藤ノ森湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183353 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。1999年廃業、当初は複数テナントが入り、その後は飲食店兼レンタルスペース<ref>{{Cite web |title=旧藤ノ森湯(きゅうふじのもりゆ)&lbrack;Kyu Fujinomoriyu&rbrack; |url=https://kyoto-irodoru.city.kyoto.lg.jp/kitaku/kyufujinomoriyu-n.html |website=京都を彩る建物や庭園 |access-date=2025-04-24 |publisher=京都市文化市民局}}</ref><ref>{{Cite web |title=さらさ西陣 |url=https://nishijin-r-club.com/kitaku/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%95%E8%A5%BF%E9%99%A3/ |website=西陣R倶楽部 |date=2023-07-07 |access-date=2025-04-25 |language=ja}}</ref>。
* [[源ヶ橋温泉]] - 大阪府大阪市[[生野区]][[林寺]]。2020年廃業、建物は現存<ref name=":0" />。
* 大将軍湯 - 大阪府[[泉佐野市]]、2018年登録<ref>{{Cite web |title=大将軍湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/594389 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。2017年廃業<ref>{{Cite web |title=文化財・銭湯をカフェに変身 大阪・泉佐野市が大作戦 |url=https://www.sankei.com/article/20210723-WF4HXFSLPFL3VJMZDF4DK62GQU/ |website=産経新聞:産経ニュース |date=2021-07-23 |access-date=2025-04-24 |language=ja |first= |last= |author=牛島要平 |page=1}}</ref>、2025年現在は見学者のみ受け入れ、改修計画中<ref>{{Cite web |title=泉佐野巡り ごゆるりと |url=https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20250208-OYTNT50152/ |website=読売新聞オンライン |date=2025-02-09 |access-date=2025-04-23 |language=ja}}</ref>。
* 朝日湯 - 大阪府泉佐野市、2024年登録<ref>{{Cite web |title=旧朝日湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/613060 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。1995年廃業<ref>{{Cite web |title=View+:レトロ銭湯が“庁舎”に 日常に感じる非日常 泉佐野市、文化財保護と活用に一石 /大阪 |url=https://mainichi.jp/articles/20221127/ddl/k27/040/152000c |website=毎日新聞 |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref>、男湯部分は市役所分室、女湯部分はレンタルスペースに転用<ref>{{Cite web |url=https://www.city.izumisano.lg.jp/material/files/group/19/202405-3.pdf |title=泉佐野市の「旧朝日湯」 「加支多神社」が国の登録有形文化財に決定!! |access-date=2025-04-23 |date=2024-05-01 |publisher=泉佐野市 |work=広報いずみさの |format=PDF |page=3}}</ref>。
* [[大社湯]]<small>(第三鶴の湯{{refnest|group="注"|name="taisyayu"|元々の[[屋号]]は「第三鶴の湯」であったが、隣に[[出雲大社]]倉吉分院があることから「大社湯」の名前で呼ばれるようになった<ref>{{YouTube|pX5ZWU1sThw|大社湯}}([http://kandou-kurayoshi.jimdo.com/ 感動!動画で体験倉吉])</ref>。}}) -</small> [[鳥取県]][[倉吉市]]、2010年登録。[[2022年]]11月廃業、<!--[[2023年]]12月時点で-->建物は現存。
* [[今治ラヂウム温泉]] - [[愛媛県]][[今治市]]、2016年登録<ref>{{Cite web |title=今治ラヂウム温泉本館 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/273582 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。[[2014年]]3月に休業したが現存<ref>「[http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20160716/news20160716624.html 水口酒造文化財に 今治ラヂウム温泉も 文化審答申]」『[[愛媛新聞]]』2016年7月16日</ref>。
* 大學湯 - [[福岡県]][[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]][[箱崎 (福岡市)|箱崎]]、2025年登録<ref>{{Cite web |title=九大生に愛された「大学湯」、国文化財に 生まれ変わって今も現役 |url=https://www.asahi.com/articles/ASSCQ3DW0SCQTIPE009M.html |website=朝日新聞 |date=2024-11-24 |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref>。2012年廃業、レンタルスペースに転用<ref>{{Cite web |title=旧大學湯 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/616260 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-23 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref><ref>{{Cite web |title=銭湯跡地「大學湯」 |url=https://kashispace.com/room/detail?id=1856 |website=レンタルスペースサイト「カシカシ」 |access-date=2025-04-23 |language=ja |first= |last= |publisher=友安製作所}}</ref>。
* 芳野旅館従業員棟 - [[熊本県]][[人吉市]]([[人吉温泉]])、2013年登録。大正時代に銭湯として建てられ、[[料亭]]を経て従業員室や[[倉庫]]に転用<ref>{{Cite web |title=芳野旅館従業員棟 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/230641 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>、2020年現在は同旅館の旧館<ref>{{Cite web |title=豪雨-人吉市-|登録有形文化財の宿"芳野旅館"ご支援のお願い |url=https://readyfor.jp/projects/yoshinoryokan |website=クラウドファンディング READYFOR |access-date=2025-04-23 |language=ja}}</ref>。
* 公衆温泉新温泉 - 熊本県人吉市(人吉温泉)、2023年登録<ref>{{Cite web |title=公衆温泉新温泉 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/589196 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。2020年廃業<ref>{{Cite web |title=街蔵の石倉と麹室、公衆温泉新温泉が国登録文化財に 人吉 |url=https://www.asahi.com/articles/ASQCL7R2LQCKTLVB00Q.html |website=朝日新聞 |date=2022-11-19 |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref>、建物は現存するが活用方法は模索中<ref>{{Cite web |title=復興に向けて |url=https://shinonsen.jp/fukko/ |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=公衆温泉 新温泉}}</ref>。
* 塩屋旧大蔵 - [[大分県]][[竹田市]]、2011年登録<ref>{{Cite web |title=塩屋旧大蔵 |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246200 |website=文化遺産オンライン |access-date=2025-04-24 |language=ja |publisher=文化庁}}</ref>。江戸時代に蔵として建てられ、1955年に銭湯に転用され1981年廃業、ギャラリー兼飲食店に転用<ref>{{Cite web |url=https://www.oita-press.co.jp/movie/ajisanpo/2014/03/201403131122B |title=竹田市 銭湯跡でうどん |access-date=2025-04-24 |date=2014年3月13日 |website=大分合同新聞}}</ref><ref>{{Cite web |title=アートスペースカフェ大蔵清水湯 |url=https://www.visit-oita.jp/spots/detail/9260 |website=日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト |access-date=2025-04-24 |publisher=ツーリズムおおいた}}</ref>。
 
==== 登録抹消 ====
* [[美章園温泉]] - 大阪府大阪市[[阿倍野区]][[美章園]]、2000年登録<ref name=":1">{{Cite web |title=解体等による登録抹消 |url=https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/massho/kaitai.html |access-date=2025-04-24 |date=2019-12-05 |publisher=文化庁}}</ref>。燃料費の高騰や[[耐震工事|耐震補強工事]]が困難であることなどを理由に廃業。[[2008年]](平成20年)2月より[[解体]]<ref>ミヤコ蝶々さんも通った…「大阪最古の銭湯」解体へ(MSN産経ニュース 2008年2月16日)</ref><ref>[https://trystero.exblog.jp/7404682 大阪市阿倍野、美章園温泉が廃業・解体](月刊旧建築 2008年2月16日)</ref><ref>[https://blog.goo.ne.jp/punyor/e/32db38123c1149ebef785b885d703b7c さよなら美章園温泉](まちかど逍遥 2008年2月25日)</ref>、同年12月に文化財登録が抹消された<ref name=":1" />。
 
<gallery widths="180px" heights="130px">
Gengabashi Onsen Ikuno Osaka IMG 6704 20130811.JPG|源ヶ橋温泉
Tsubameyu 01.jpg|燕湯
Taisyayu02.jpg|大社湯
Imabari Radium Onsen (Outside view) 01a.jpg|今治ラヂウム温泉
</gallery>
 
=== 歴史のある銭湯・古銭湯 ===
{{節スタブ}}
<!--日本全国で最も古い銭湯、明治から昭和初期にかけて建築された銭湯などについて不完全なため、詳しい方は加筆をお願いします。-->
江戸時代より現在まで続く歴史のある銭湯が全国に複数存在している。[[1773年]]([[安永 (元号)|安永]]2年)に創業した[[東京都]][[江戸川区]]の[[あけぼの湯]]は都内でも最も創業が古い銭湯(''廃業した銭湯を除く'')である<ref>[httphttps://www5a.biglobe.ne.jp/~akebonoy/ 「あけぼの湯」の経営者のサイト]</ref><ref>[httphttps://newswww.walkerplus.com/article/2963/ あけぼの湯〜歴史は深く、施設は最新!都内屈指の人気銭湯](Walkerplus:湯シュラン 2009.02.12)</ref>。この他、江戸時代より続く銭湯として都内には江戸川区の鶴の湯や[[台東区]]の蛇骨湯、[[中央区 (東京都)|中央区]]の金春湯があり、全国では[[長野県]]のアルプス温泉(創業当時:忠兵衛のお湯)<ref>[http://www.monzen-nagano.net/blog/2013/01/0692.php 営業中の銭湯(2)アルプス温泉](長野・門前暮らしのすすめ 2013.01.03)</ref>、[[新潟県]]の千代乃湯<ref>[http://renmi.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d647.html 新潟市内18軒の銭湯を巡ってみました(非温泉)](SOCCER温泉blog 2010.04.14)</ref>、[[熊本県]]のくすり湯<ref>[http://furoyanoentotsu.com/kusuriyukumamoto20070129.html 電信町・くすり湯(熊本市新町)](風呂屋の煙突 2007.02.03)</ref>などがある。また、[[秋田県]][[鹿角市]]の[[花の湯 (秋田県)|花の湯]]は[[1836年]]([[天保]]7年)に[[南部藩]]より下された「風呂免許」を現在も所持する銭湯である<ref>[http://tanken18.da-te.jp/e532288.html 銭湯 花の湯](十和田八幡平 『のんびり探検隊』 2013.01.06)</ref>
 
一方、建物自体の建築年代が古い銭湯としては、都内では[[19271907年]](昭和2年)頃に[[宮大工]]により建築された月の湯<ref>[http://www.1010.or.jp/cgi/dsearch.cgi?sel=2&tno=5030 月の湯](東京都浴場組合)</ref>が最も古いが、全国では明治1040代([[1882年]](明治15年)以前)に建築された[[北海道]][[小樽登録有形文化財でもある鳥取県倉吉]]小野湯<ref>[http://www.kita-no-sento.com/sento/204/ 小町湯温泉](北海道浴場組合)</ref><ref>[http://97nokori.seesaa.net/article/154960780.html 銭湯:憩いの場、103年で幕 明治に開業・函館の「」 /北海道](毎日新聞 2010年6月30日付/北海道倒産速報)</ref>、[[1915年]](大正4年)に建築された[[愛媛県]][[八幡浜市]]の大正湯<ref>[http://makuriou.blog.fc2.com/blog-entry-19.html 今も現役です、大正湯](レトロ旅えひめ巡り 2013.04.23)</ref>、明治末期から大正初期頃に建築された[[千葉県]][[勝浦市]]の松の湯<ref>[http://sentotanbonin.iiyudana.net/present%20list-chiba.html 現存銭湯一覧(千葉県)](銭湯探訪人が行く<!--2010年10月10日現在-->)</ref>、[[1923年]](大正12年)に脱衣場の建物が建築され登録有形文化財でもある京都市の船岡温泉など、明治から大正にかけて建築された銭湯が現存している。
 
歴史のある銭湯にも老朽化や利用客の減少などから廃業を決めた銭湯もある。
== 参考文献 ==
* [[秋田県]][[鹿角市]]の[[花の湯 (秋田県)|花の湯]]は[[1836年]]([[天保]]7年)<!--に[[南部藩]]より下された?-->の「風呂免許」(銭湯認可証)を所持する銭湯であったが<ref>[http://tanken18.da-te.jp/e532288.html 銭湯 花の湯](十和田八幡平 『のんびり探検隊』 2013.01.06)</ref>、2014年(平成26年)12月に廃業している<ref>[http://1010meguri.blog.fc2.com/blog-entry-166.html 花の湯(廃業・秋田県鹿角市) 文化浴場(廃業)](銭湯・奥の細道(東北の銭湯巡り) 2013.09.10)</ref>。
* [[奥野高広]] 『戦国時代の宮廷生活』 続群書類従完成会、 2004年2月、ISBN 4797107413
* 建物自体が古い銭湯としては、東京都内では[[1927年]](昭和2年)頃に[[宮大工]]により建築された[[文京区]]の月の湯([[2015年]]5月廃業)<ref>[http://www.1010.or.jp/cgi/dsearch.cgi?sel=2&tno=5030 月の湯](東京都浴場組合)</ref><ref>[http://tokyosento.com/review/787/ 【文京区】東京最古級の木造銭湯『月の湯』見学会に参加しました(前編)]/[http://tokyosento.com/review/833/ (後編)](東京銭湯 - TOKYO SENTO - 2015.05.07/05.09)</ref>が最古とされる銭湯であった。
* [[河合敦]] 『目からウロコの日本史―ここまでわかった!通説のウソと新事実』 [[PHP研究所]] (PHP文庫)、 2003年6月、ISBN 9784569579641
* [[北海道]][[小樽市]]の[[小町湯]]は1900年(明治33年)の創業とされる道内最古の銭湯であったが、2021年(令和3年)10月24日で廃業した<ref name="hokkaido-np20211022">{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/603228/|title=道内最古の公衆浴場 120年超える歴史に幕へ 小樽「小町湯」|accessdate=2021-10-23|publisher=北海道新聞(2021年10月22日)}}</ref>。
* [[藤浪剛一]] 『東西沐浴史話』 [[人文書院]]、1931年
* [[町田忍]] 『銭湯遺産』 [[戎光祥出版]] 、2007年12月、ISBN 4900901830
* [[小木新造]] 『東亰時代 - 江戸と東京の間で』〈NHKブックス371〉[[日本放送出版協会]]、1980年8月
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
<references group="注"/>
 
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* [[奥野高広]]『戦国時代の宮廷生活』[[続群書類従]]完成会、2004年2月、ISBN 4797107413
* {{Cite book|和書|author=[[河合敦]] |title=目からウロコの日本史 : ここまでわかった!通説のウソと新事実 |publisher=PHP研究所 |year=2003 |series=PHP文庫 |id={{全国書誌番号|20410283}} |ISBN=9784569579641 |url=https://id.ndl.go.jp/bib/000004147418 |ref={{harvid|『目からウロコの日本史』}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[藤浪剛一]] |title=東西沐浴史話 |publisher=人文書院 |year=1931 |id={{全国書誌番号|47011266}} |doi=10.11501/1176055 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176055 |ref={{harvid|『東西沐浴史話』}}}}
* [[町田忍]]『銭湯遺産』[[戎光祥出版]]、2007年12月、ISBN 4900901830
* [[小木新造]]『東亰時代 - 江戸と東京の間で〈NHKブックス371〉[[日本放送出版協会]]、1980年8月
 
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Sento|銭湯}}
* [[風呂]]
* [[湯女]]
* [[三助]]
* [[温泉]]
* [[入浴]]
* [[公衆浴場]]
* [[共同浴場]]
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== 外部リンク ==
* [http://www.1010.or.jp/zenyoku/ 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会]
{{Commons|Category:Sento|{{PAGENAME}}}}
* [https://sento.or.jp/ 一般社団法人日本銭湯文化協会]
* [http://www.1010.or.jp/zenkoku/index.html 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会]
<!--* [http://www.uhchronicle.com/a000000101/a000000101jt.html 銭湯・ペンキ絵〜東京から消えてゆく、もう一つの富士山] Urban Heritage Chronicle
* [http://www.sairosha.com/meisento/sento.htm 関西の名銭湯]--><!--外部リンクに列挙たりうるか疑わしいためコメントアウト(各サイトを参考に執筆の上、出典として表記すべき内容?)。-->
 
{{日本の建築}}
{{DEFAULTSORT:せんとう}}
{{日本関連の項目}}
{{公害}}
 
{{デフォルトソート:せんとう}}
[[Category:銭湯|*]]
[[Category:日本の文化]]
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[[Category:大正時代の文化]]
[[Category:入浴]]
 
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