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|drug_name=リゼルグ酸ジエチルアミド (LSD)
| IUPAC_name = (6a''R'',9''R'')- ''N'',''N''- diethyl- 7-methyl- 4,6,6a,7,8,9- hexahydroindolo- [4,3-''fg''] quinoline- 9-carboxamide
| image = LSD-2D-skeletal-formula-and-3D-models Structure V2.pngsvg
| width = 350160
 
<!--Clinical data-->
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|title=Measurement of lysergic acid diethylamide (LSD) in human plasma by gas chromatography/negative ion chemical ionization mass spectrometry
|year=1990
|monthdate=1990 May/June
|journal=Journal of Analytical Toxicology
|volume=14
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|accessdate=2009-09-17
|pmid=2374410}}</ref>
| excretion = [[Renal腎臓]]
 
<!--Identifiers-->
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| UNII = 8NA5SWF92O
| ChEMBL = 263881
| KEGG = C07542
| 日化辞番号 = J9.239H
| JGlobalID = 200907039470304590
 
<!--Chemical data-->
| C=20 | H=25 | N=3 | O=1
| molecular_weight = 323.43 g/mol
| smiles = CCN(CC)C(=O)[C@H]1CN([C@@H]2Cc3c[nH]c4c3c(ccc4)C2=C1)C
| StdInChI = 1S/C20H25N3O/c1-4-23(5-2)20(24)14-9-16-15-7-6-8-17-19(15)13(11-21-17)10-18(16)22(3)12-14/h6-9,11,14,18,21H,4-5,10,12H2,1-3H3/t14-,18-/m1/s1
| StdInChIKey = VAYOSLLFUXYJDT-RDTXWAMCSA-N
| synonyms = LSD, LSD-25,<br /> lysergide, <br /><small>D</small>-lysergic acid diethyl amide, <br /> ''N'',''N''-diethyl-<small>D</small>-lysergamide
| melting_point = 80
| melting_high = 85
|image2=|image3=|imageL=LSD-from-xtal-and-Spartan-PM3-3D-sf-web.png|imageR=LSD-from-xtal-and-Spartan-PM3-3D-balls-web.png|widthL=80|widthR=80}}
}}
'''リゼルグ酸ジエチルアミド'''(リゼルグ酸ジエチルアミド、または'''リゼルギン酸ジエルアミド'''({{lang-en-short|lysergic acid diethylamide}})は、非常に強烈な作用を有する[[半合成]]の[[幻覚剤]]である。ドイツ語「'''L'''yserg'''s'''äure '''Dd'''iäthylamidiethylamid」の略称である'''LSD'''(エルエスディー)<ref>{{Cite web |title=Definition of LSD |url=https://www.merriam-webster.com/dictionary/LSD |website=www.merriam-webster.com |date=2024-11-07 |access-date=2024-11-11 |language=en}}</ref>として広く知られている。
 
開発時のリゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質であったことから'''LSD-25'''とも略される。また、アシッド、エル、ドッツ、パープルヘイズ、ブルーヘブンなど様々な俗称がある。
 
LSDは化学合成されて作られるが、[[麦角菌]]や[[ソライロアサガオ]]、[[オオバアサガオ|ハワイアン・ベービー・ウッドローズ]]や[[ハワイアン・ウッドローズ]]等に含まれる[[麦角アルカロイド]]からも誘導される。
 
純粋な形態では透明な結晶<ref group="注釈">このまま市場に出回ることはない</ref> であるが、液体の形で製造することも可能であり、これを様々なものに垂らして使うことができるため、形状は水溶液を染みこませた紙片、錠剤、カプセル、ゼラチン等様々である(日本では吸い取り紙のような紙にLSDをスポットしたペーパー・アシッドが有名)
日本では[[1970年]]頃から密輸を容易にするため紙にLSDをスポットしたペーパー・アシッドが出回り始め<ref>LSD密輸に新手 紙にしみこませる『朝日新聞』1970年(昭和45年)10月21日朝刊 12版 22面</ref>、LSDの代名詞となった。
 
LSDは無臭(人間の場合)、無色、無味で極めて微量で効果を持ち、その効用は摂取量だけでなく、摂取経験や、精神状態、周囲の環境により大きく変化する([[セットとセッティング|セッティング]]と呼ばれる)。一般にLSDは感覚や感情、記憶、時間が拡張、変化する体験を引き起こし、効能は摂取量や耐性によって、6時間から14時間ほど続く。
 
日本では1970年に[[麻薬]]に指定された。
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[[ファイル:LSD isomers.png|thumb|220px|LSDの立体異性体]]
 
LSDは[[インドール|インドール核]]を有し、[[セロトニン]]、[[ノルアドレナリン]]、[[ドーパミン]]によく似た構造を持つ(LSD<ref group="注釈">LSDの4つの環のうち2つはセロトニン分子の環系であり、セロトニンにつく[[側鎖]]はLSDの構造の一部に類似している</ref>。そのためLSDは[[セロトニン受容体]]に結合し、[[5-HT2]]の[[受容体拮抗薬|アンタゴニスト]]として、[[5-HT1A]]と[[5-HT1C]]の[[アゴニスト]]として働き、セロトニンの作用を阻害するために幻覚が起こると考えられている逆にLSDの服用後にセロトニンを服用することで幻覚の発現を抑えることができる。ただし、2-ブロモ-LSDはLSDよりもセロトニンに拮抗するものの、かなり大量に投与しても[[サイケデリック]]効果は生じないため、確定的な説とは言えない<ref name="drugsbrain191">{{Cite book |和書 |author=ソロモン・H.スナイダー『脳と薬物』 |others=[[佐久間昭]]() |title=脳と薬物 |year=1990 |publisher=東京化学同人、1990年。 |ISBN =4807912186 |pp=191-205}}(原著''Drugs and the Brain'', 1986)</ref>。
 
LSDには[[立体異性体]]が存在し、それぞれd-LSD (d-lysergic acid diethylamide)、l-LSD (l-lysergic acid diethylamide)、d-イソ-LSD (d-iso-lysergic acid dithylamide)、l-イソ-LSD (l-iso-lysergic acid dithylamide) がある<ref name="lesd-mein38">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|p=38頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}。普通にLSDというときは[[光学異性体|右旋性]]のd-LSDを指し、他のものは薬理学的に不活性である<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|p="lesd-mein38" />38}}。また、LSDに似た働きをする[[リゼルグ酸アミド]]もいくつかあり、l-アセチル-LSD ([[ALD-52]]) はLSDの91%の効力を持ち、LSDの代用品としてしばしば売られる<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=29頁。</ref>}}。l-メチル-LSD ([[MLD-41]]) もLSDの36%の効力を持っている<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=30頁。</ref>}}
 
LSD分子は非常に脆弱なことで知られている。ごく微量の塩素によっても破壊されてしまい、空気中の[[酸素]]等の影響を受けると、iso-LSDへと変化し、光に晒されたことで分解されてできる物質lumi-LSDは、LSDと区別が非常に難しい上に不活性である<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|pp=129-130頁。</ref>}}
 
[[ブラックライト]]に当てると強く青白く発光するため、本物かどうかの検定に使用されると言われるが実際は染み込んだペーパーのインクに反応するだけで液体や結晶はブラックライトに反応しない。ブラックライトに反応するというのは俗説である<ref>{{Cite book |author=Lester Grinspoon. , |author2=James.B.Bakalar. |title=Psychedelic Drugs Reconsidered (|year=1979 |publisher=Harpercollins College Div 1979) |ISBN =0-46-506450-7}}</ref>。
 
== 変遷 ==
=== LSD誕生以前のリゼルグ酸化合物 ===
==== 宗教的儀式における使用 ====
[[ファイル:Ergot01.jpg|thumb|140px|left|麦角]]薬物が化学合成される以前、[[向精神物質]]<ref group="注釈">化学合成のない当時、向精神物質は[[植物]]もしくは植物から製造されたものである</ref> は世界のいたるところで宗教的儀式において使用され、崇拝の対象になり、その酩酊作用から[[神話]]の題材や[[民話]]の題材になった。
 
北[[シベリア]]や[[オビ川]]、[[イェニセイ川]]流域に住む諸部族は[[イボテン酸]]を含む[[ベニテングタケ]]を神聖な物として崇め、[[シャーマニズム|シャーマン]]儀式に用いていた{{Refnest|group="注釈"|[[ベニテングタケ]]には[[幻覚]]の他にも[[酔い]]を引き起こす作用もあり、[[ロシア人]]の征服により[[アルコール]]が伝えられる以前までは[[アルコール]]の地位を占めるものであった<ref>{{Cite book |和書 |author=小林義雄. |title=幻覚菌物語り (|year=1990) |publisher=小林義雄}}</ref>}}
 
[[メキシコ]]北部では[[メスカリン]]を含む[[ペヨーテ]]が、メキシコ南部ではリゼルグ酸アルカロイドが含まれる[[バドーネグロ]]や[[オロリウキ]](バドーネグロ)等、[[アサガオ]]とその近縁種は神聖の植物とされ、シャーマンに用いられていた<ref>{{Cite book |和書 |author=武井秀夫. , |author2=中牧広允. |title=サイケデリックスと文化 -臨床とフィールドから( |year=2002 |publisher=春秋社 2002) |ISBN =4-39-329150-6}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Bender|first=Eric|date=2022-09-28|title=Finding medical value in mescaline|url=https://www.nature.com/articles/d41586-022-02873-8|journal=Nature|volume=609|issue=7929|pages=S90–S91|language=en|doi=10.1038/d41586-022-02873-8}}</ref>。
 
特にLSDに関係あるものとして、[[古代ギリシア]]の[[アテネ]]郊外で西暦5世紀までの2000年間続けられた[[エレウシス]]の秘儀]]で使用されていた、情緒的作用を引き起こす飲み物[[キュケオン]]は、[[コムギ|小麦]]、[[水]]、[[ミント]]から製造され、この[[コムギ|小麦]]に[[麦角菌]]に由来する[[リゼルグ酸アルカロイド]]が含まれていたと考えられている{{Refnest|group="注釈"|この儀式の秘密を漏洩した者は[[死刑]]に処されたため、儀式の詳細は分かっていない<ref name="サイケデリック・ドラッグ74" />)<ref name="サイケデリック・ドラッグ74">{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|pp=74-75頁。</ref>}}}}。[[紀元前]]415年に[[アテナイ]]の[[アルキビアデス]]が友人を楽しませるためにキュケオンを振舞ったとして[[罰金刑]]を受けた事実が確認されている<ref>{{Cite book |author=Terrence McKenna. |title=Food of the Gods (Bantam |year=1993) ISBN|publisher=Bantam |ISBN=0-55-337130-4}}</ref>。
 
また、15世紀から18世紀にかけて[[ヨーロッパ]]各地で行われた[[魔女裁判]]について、裁判が行われた地域の多くが[[麦角]]の発生しやすい[[ライムギ|ライ麦]]に依存していた地域であり、特に裁判数が増加した年の春と夏は[[湿度]]が高く、[[気温]]が低く麦角の生育に適した環境であったこと、[[魔術]]や[[覚醒]]によって引き起こされたとされる症状や体験が[[麦角中毒]]の症例に似ていること等から、魔女裁判が麦角中毒を原因として引き起こされたとする説がある<ref>{{Cite book |和書 |author=メアリー・キルバーン・マトシアン『食物中毒と集団幻想』 |others=荒木正純(訳)、氏家理恵) |title=食物中毒と集団幻想 |year=2004年。 |ISBN =978-4938165291(4938165291}}(原著 ''Poisons of the Past:Molds, Epidemics, and History'', 1989)</ref>。
 
==== 民間療法における使用 ====
[[ファイル:Mathis Gothart Grünewald 018.jpg|thumb|180px|right|麦角中毒]]
 
[[イネ科]]、その他穀物に発生する[[麦角]]は[[麦角アルカロイド]]という物質を含み、[[麦角中毒]]を引き起こす。麦角中毒は[[ヨーロッパ]]では[[ペスト]]、[[コレラ]]とともに最も恐れられた病気の1つであった麦角は主食である麦を侵し、流行するたびに数千人の死者が出た
 
麦角中毒は筋肉の[[けいれん]]やけいれん性の[[ひきつり]]が起こり、皮膚に[[水疱]]が生じ、麦角アルカロイド中のリゼルグ酸アルカロイドにより[[目眩]]や[[幻覚]]、[[てんかん]]のような発作を起こす。また、強烈な[[血管]]収縮作用により、四肢に焼けるような感覚([[聖アントニウスの火]]と呼ばれた)が続いた後、手足が黒ずんで[[壊死]]する<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=76頁。</ref>}}
 
麦角の存在は紀元前より知られ、たびたび文献に記述が見られる(紀元前7世紀ごろの[[アッシリア]]の古文書にある「穀類に付着した有毒な小結節」という記述が見られ、これが記録に残された麦角の最初の例であるといわれる<ref>{{Cite book |和書 |author=山崎幹夫. |title=毒薬の誕生 |year=1995 |publisher=角川書店 1995) |ISBN =4-04-703267-0}}</ref>。当初、その毒性から恐れられていたが、やがてその血管収縮作用に着目し、各地で[[陣痛]]促進剤や[[分娩]]後の[[止血]]剤として用いられていた<ref>[[{{Cite book |和書 |author=石川元助]] |authorlink=石川元助 |title=ガマの油からLSDまで |year=1990 |publisher=第三書館 1990) |ISBN =4-80-749013-3}}</ref>。
 
==== 化学の進歩と抽出 ====
19世紀後半になると、[[麦角]]から有効成分を抽出する研究が盛んとなり、1907年には[[G・バルガー]]と[[F・H・カール]]が[[エルゴトキシン]]を抽出するのに成功し、A・シュトルとE・ブルックハルトらが[[エルゴバシン]]を抽出した。その後、[[W・A・ジェイコブズ]]と[[L・C・クレイグ]]らはエルゴバシンの科学的分析を行い、麦角アルカロイドの基本的構造分子を分離しリゼルグ酸と名づけた<ref name="lsd-mein9-10">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=9-10頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
1918年、A・シュトルが抽出した[[エルゴタミン]]は偏頭痛薬や産科での止血剤になっていた。1930年代頃にはイギリス、アメリカの化学界は麦角アルカロイドの研究が主要となっていた<ref name="lsd-mein4">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|p=4頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
 
=== LSDの誕生 ===
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LSDは[[1938年]]11月に[[スイス]]の[[バーゼル]]にあるA・Gサンド社(現・[[ノバルティス]])の研究室でスイス人化学者[[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]](Albert Hofmann, 1906年1月11日 - 2008年4月29日)によって合成された。その幻覚剤としての発見は[[1943年]]4月16日になされ、これがLSD発見の日とされている。
 
当時、サンド社は薬用植物の有効成分を分離、もしくは植物から僅かしか得られない有効成分を化学合成する研究計画を始めていた。ホフマンは[[麦角アルカロイド]]について研究班をつくらず単独で研究し始めた<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=4,12,18頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}。ホフマンはまず[[リゼルグ酸]]と[[プロパノールアミン]]を結合させることによって[[エルゴバシン]]の合成に成功した<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=13頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}。また、麦角アルカロイド精製物は[[血管]]の[[平滑筋]]系に影響を与えることがわかった。とくに、脳の血管に与える影響は大きく、脳血管性頭痛・[[片頭痛]]に対する治療薬として「[[エルゴタミン]]」が開発された。また、[[子宮]]の平滑筋収縮、子宮止血剤として麦角アルカロイド精製物「[[メチルエルゴメトリン]]」(製品名メテルギン)も開発された<ref name="lsd-mein15-17">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=15-17頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}。ホフマンはさらにリゼルグ酸化合物の研究を進め、1938年11月、リゼルグ酸誘導体の系列における25番目の物質、LSD-25を合成した。ホフマンはこの化合物を循環器及び呼吸促進の作用が得られると予測したが、エルゴバシンの70%の子宮収縮作用を示しただけで、動物実験では動物達が「落ち着かなくなる」程度の効果しか認められずその研究は中止された<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein1515-17" />}}(ただし、[[虫]]よりも[[イヌ]]や[[ネコ]]、イヌやネコよりも[[サル]]というように高等な動物であるほど効果は大きかった<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=30-31頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}})。
 
しかし、ホフマンは「奇妙な予感めいたもの」により、1943年に再びこの物質を取り扱うことにした。そして4月16日、LSDを結晶化している際に非結晶性のごく微量のLSD溶液が指先につき、LSDが指先の皮膚を通して吸収されることによって、ホフマン自身によりLSDの効果が確認された。ホフマンは眩暈を感じ、実験を中断せざるを得ない状態に陥ってしまった。そして実験を中断して帰宅した後も軽い眩暈に襲われていた。帰宅するなり横になっていたが、極めて刺激的な幻想に彩られていた。日光が異常に眩しく感じ、意識がぼんやりとし、異常な造形と強烈な色彩が万華鏡のようにたわむれるといった幻想的な世界が目の前に展開していた。その状態は2時間ほど続いた。これがLSDの幻覚作用発見の瞬間であった<ref name="lsd-mein19-20">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=19-20頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
 
そしてホフマン博士は4月19日、再び(1度目は意図したものではなかったが)LSDを0.25mg25&nbsp;mg服用して自己実験を行った<ref name="lsd-mein23-28">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=23-28頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
 
ホフマンは以前と同質かあるいはさらに変化に富んだ奥深いものを体験することができた。しかし、感覚の変化が深まるにつれて供述することが困難となり、自己実験の供述を記録していた女性助手に家に送ってくれるよう頼まざるを得なかった。自転車で送ってもらっている途中も、視野にある全ての像は揺れ動き、歪曲化され、[[自転車]]が一向に進んでいるように感じられなかった<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein2323-28" />}}(後にこの日は「LSD自転車旅行の日 (Bicycle Day)」と呼ばれ、ホフマンは創始者としても有名になった<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|p=238頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}})。
 
家に着いても症状は一向に治まらなかったため、助手に医者を呼んでもらっていたが、その間に隣に住んでいる婦人が牛乳を差し入れてくれた。空間が全て回転し、部屋の中のものや家具が[[グロテスク]]に変化し、まるで命を持っているかのように絶えず揺れ動き、隣の婦人も色の黒い醜い顔をした意地の悪そうな魔女に見えた。医者はホフマンがとてもしゃべれる状態ではなかったため、研究助手から実験のあらましを聞いていたが、瞳孔以外には異常は認められず、ホフマンをベッドまで運ぶとそばで観察しているだけだった<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein2323-28" />}}
 
やがてその感覚が消えると、ホフマンは感謝と幸福な気分が満ちてくるのを感じた。そして万華鏡のように幻想的な現象が起こり始めるのを見た。視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。ホフマンはそのまま疲れ果てて眠ってしまった<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein2323-28" />}}
 
翌朝、目が覚めたときはまだ疲労が残っていたが、快適な気分と新鮮な生命力がホフマンを満たしていた。朝食はとりわけ美味しく、朝食後の散歩ではあらゆるものがきらきらと光り輝き、世界は再び創造されたかのようであった。LSDはバラエティに富みしかも刺激的な酩酊を生み出しながら、後に残ることなく、実験の後でホフマンが感じたのは肉体的、精神的爽快であった<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein2323-28" />}}
 
この後、ホフマンの報告書の提出を受け、薬理学部門の責任者と彼の2人の共同研究者によっても実験が行われ、効果が確かめられた<ref name{{Sfn|A.ホッフマン|1984|pp="lsd-mein2323-28" />}}
 
=== LSDの研究 ===
[[ファイル:LiquidLSD.jpg|120px|thumb|right|LSD溶液]]
1947年、[[チューリッヒ大学]]で[[統合失調症]]と[[ボランティア]]の健康な被験者を対象にLSD投与実験の結果が「リゼルグ酸ジエチルアミド―麦角類から抽出された幻覚剤」という論文で報告された。投与量は0.02mg02&nbsp;mgから0.13mg13&nbsp;mgであったが、改めてLSDの効果が極めて大きいことが確認され、LSDが[[精神病]]の発病素因になる可能性や、そのことによってLSDを精神病の研究手段として利用できる可能性が指摘された<ref name="lsd-mein40-41">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD|1984|pp=40-幻想世界への旅』 238頁。ISBN 978-4788501829。</ref>41}}
 
その後、サンド社は[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]](1949年に紹介)のいくつかの研究施設にサンプルを送るとともに、「[[デリシッド]] (Delysid)」という商標で研究機関や医療機関に試験用薬剤として販売された。日本では[[京都大学]]、[[金沢大学]]、[[大阪大学]]等の[[大学病院]]においてLSDの研究が始められた<ref>{{Cite book |和書 |author=蟻二郎. |authorlink=蟻二郎 |title=幻覚芸術 -LSD サイケデリック ラヴ・イン(晶文社. |year=1970) ISBN |publisher=[[晶文社]]}}</ref>。
 
==== 医療分野における研究 ====
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1950年代に入ると世界各地でLSDを使用したことによる強烈な体験を[[精神医療]]に利用しようとする研究が盛んになった。主なLSD療法として、[[サイコリティック]] (Psycholytic) 療法と[[サイケデリック]] (Psychedelic) 療法が挙げられる。
 
サイコリティック療法はヨーロッパで発達し、1960年代半ばにはヨーロッパ各地に18の治療センターが存在した<ref name="サイケデリック・ドラッグ324">{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=324頁。</ref>}}。サイコリティック療法はLSDを比較的少量(多くても0.15mg15&nbsp;mg未満)を服用してセッションを行う。トリップによって[[神経症]]的な[[障害]]の[[無意識]]的な起源が明らかになるため、[[精神分析]]志向の[[精神療法]]の中で使用された<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=324" />}}。この療法は精神分析の理論で5時間のセッションを行い、患者はLSDの助けによって[[覚醒]]したまま[[自我]]の防衛を選択的に緩め、体験の追想や再体験、象徴的な[[サイコ]]ドラマ]]を如実に思い出すことが可能で、そのヴィジョンを解釈していくことで[[無意識]]を探求する<ref>{{Cite book |和書 |author=C.A.ニューランド |author2=ハロールド・グリーンウォルド |author3=R・A・サディソン |others=[[川口正吉]](訳) |title=私の自己と私-LSD-25の精神分析 川口正吉訳、|year=1977年。 |publisher=河野心理教育研究所出版部 |pp=序文,49頁。(}}(原著''My Self and I'', 1962)1962)</ref>。この療法は主に[[不安神経症]]、[[強迫性障害|強迫神経症]]、[[自閉症]]、性的問題や神経症的な[[抑鬱]]症、[[心身症]]的な症候群の患者に対して使用された。
 
1953年から1965年までにサイコリティック療法について書かれた42本の論文によれば、68%のケースが重症の慢性であった患者達にサイコリティック療法として平均4.5ヶ月、12.5回のセッションを行った。成功率は不安神経症の患者が70%、抑鬱反応の患者では62%、強迫神経症の患者が42%であり、平均2年後に行われた追跡調査によればこの内62%が治療直後よりもさらに良くなっていた<ref>{{Cite journal |last=Mascher. |first=E. |year=1966 |title=Katamnestische Untersuchung von Ergebnissen der psycholytischen Therapie (1966) }}</ref>。
 
サイケデリック療法は1953年に[[カナダ]]の[[A・M・ハバード]]が開発したもので、主にアメリカで使用された。サイケデリック療法は1度のセッションでLSDを大量(0.2mg2&nbsp;mg以上)に服用し、世界が反転する圧倒的な体験により、治療効果を狙うものである。この療法は主に生き方の改善や、[[アルコール依存]]、犯罪者の更生に使用された。
 
1960年の報告でサイケデリック療法を受けた(セッションは延べ25000回)5000人の患者と被験者の内、[[:en::en:Hallucinogen persisting perception disorder|HPPD]]は患者1000人あたり1.8人であったが実験被験者では0.8人であった。自殺率は患者が0.4人、実験被験者では0人であった<ref>{{Cite journal |author=Sidney Cohen. |year=1960 |title=Lysergic Acid Diethylamide: Side Effects and Complications (1960)|journal=The Journal of Nervous and Mental Disease}}</ref>。
 
1960年代と1970年代の6件の研究の遡及的分析によれば、LSD補助心理療法はアルコール依存症の治療としての可能性がある<ref>{{Cite journal|last=Frood|first=Arran|title=LSD helps to treat alcoholism|url=https://www.nature.com/articles/nature.2012.10200|journal=Nature News|language=en|doi=10.1038/nature.2012.10200}}</ref>。
 
===== 末期患者への使用 =====
末期患者にサイケデリック体験を提供する実験は1965年からアメリカの[[メリーランド州]]立スプリング・フィールド病院において行われ始めた<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=368頁。</ref>}}
 
LSD投与実験自体は末期患者の痛みを和らげようとする試みの中で行われた。[[エリック・カスト]]と[[ヴィンセント・J・コリンズ]]は激痛を伴う[[癌]]と[[壊疽]]の患者に対して、LSDと[[ハイドロモルフィネ]]と[[メフェリダイン]]の効果を比較した([[モルヒネ]]の平均的な消費は減らさなかった)。他の2つの数時間に対し、LSDは数日間苦痛を和らげることに成功した(ただし、LSDの効果はあまりに予測不可能なために[[鎮痛剤]]としては不適格である)。さらには[[緊張]]の軽減や[[抑鬱]]、[[死]]への[[恐怖]]という基準から見て、患者の3分の2を改善させ、投与を行った被験者達は互いに薬効と連帯感を共有した<ref name="サイケデリック・ドラッグ367">{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=367頁。</ref>}}。LSD体験が残す[[宗教]]的、[[哲学]]的妄想が死をより耐えやすいものにすると考えられている{{Sfn|レスター・グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー|2000|p=367}}<ref>{{Cite book |和書 name|author="サイケデリアレックドラッグ367"バーザ /><ref>「|others=鈴木南日子(訳) |title=歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル アレックス・バーザ(著)|year=2009 |publisher=エクスナレッジ 2009年出版|ISBN=978-4-7678-0719-5}}</ref>。
 
===== 精神病との関係 =====
LSDが発表された当初より、LSDによるサイケデリック体験と[[内因]]性[[精神病]](特に急性の[[統合失調症]])の類似性が指摘されていた。そのため、[[精神病]]のモデルとしての利用、もしくは精神病の原因を異常な脳と神経組織が発生させる物質によるものとする考えから、LSDは内因性精神病研究の可能性を秘めた物質として研究されていた<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|pp=398-407頁。</ref>}}
 
しかし、1955年に行われた統合失調症の患者にLSDを与えた実験では、患者達はLSDによるサイケデリック体験と自分達の[[妄想]]と[[幻覚]]を見分けることができた上、慢性の患者には何の反応も見られなかった<ref>{{Cite book |author=Louis Cholden. |title=Lysergic Acid Diethylamide and Mescaline in Experimental Psychiatry (|year=1956) |publisher=Grune & Stratton}}</ref>。
 
また、精神病の原因となる物質の研究も行き詰った状態であり、現在でも解明には至っていない。
169 ⟶ 175行目:
==== 軍事分野における研究 ====
===== 諜報活動における利用の研究 =====
1940年代から[[Office of Strategic Services|OSS]]([[アメリカ中央情報局|CIA]]の前身)では敵の[[スパイ]]や[[捕虜]]から機密事項を吐き出させることのできる[[自白剤]]の研究をしていた。[[アルコール]]や[[バルビツール]]、[[カフェイン]]、[[コカイン]]、[[マリファナ]]、[[メスカリン]]、[[ヘロイン]]等、様々な薬品を研究したが有用なものを見つけ出すことはできなかった<ref name="aciddreams3+18">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=3,18頁。</ref>}}
 
1950年代に入り、ついにCIAはまだ当時あまり知られていなかったLSDを入手した。そして行われた最初の模擬尋問の実験は非常な好結果(被験者は機密の詳細を吐いてしまった上、トリップ終了後には機密を洩らしてしまったことを覚えていなかった)であったため、以降LSDは研究の中心となった<ref name="aciddreams20-23">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=20-23頁。</ref>}}
 
しかし、研究はすぐに暗礁に乗り上げてしまった。LSD投与が引き起こす結果を予測するのは非常に難しく、ある時は無際限に情報を吐き出すが、LSDが引き起こす様々な体験をした被験者の内、猜疑心をつのらせたり、壮大な幻想を経験して尋問者に無限の力で対抗できると思い込んでしまった被験者からは何も聞き出すことができなかった。そして何よりも致命的だったのは、著しい不安や現実感の喪失により必ずしも正確な情報を引き出せないことであった。そのため尋問の際に自己投与することで正確な情報を引き出せないようにする「反[[自白剤]]」としての研究も始まることになった<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams2020-23" />}}
 
そして1953年4月13日から、当時のCIA長官[[アレン・ウェルシュ・ダレス]]の命により、当時の[[冷戦]]体制において、攻撃面での可能性を研究することにより、敵側の理論的潜在力を把握するとともに先制攻撃的防御体制を作り上るため、[[精神]]操作計画、[[MKウルトラ作戦]]が始動された<ref name="aciddreams32-34">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=32-34頁。</ref>}}
 
MKウルトラ作戦はCIAの中の[[:en:Technical Services Staff|TSS]]によって運営された<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams3232-34" />}}。この計画の様々な研究の中の、[[薬物]]による精神操作の研究として、当初はスタッフ内でLSD投与実験を行っていたが、LSDを投与されたことを前もって知ってしまっては本当に必要としている実験結果が得られないと考え、やがて他の部局の職員を対象とした抜き打ち投与実験を開始した。この実験が行われていく中で、投与実験の数週間後に迫害を受けていると妄想し[[自殺]]するフランク・オルスン博士のような犠牲者がでた<ref name="aciddreams36-39">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=36-39頁。</ref>}}
 
そして研究の最終段階として[[ジョージ・ハンター・ホワイト]]により、[[サンフランシスコ]]と[[ニューヨーク]]において、娼婦が何も知らない一般人を対象にLSDを投与するという実験が開始された。しかし1963年、CIA監察官ジョン・イアマンはMKウルトラ作戦の責任者[[リチャード・ヘルムス]]が当時のCIA長官[[ジョン・アレクサンダー・マコーン]]に計画の全容を知らせていなかったとして責任を追及、ホワイトが1966年に麻薬局を辞め、実験は中止されたと考えられる<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams3636-39" />}}
 
===== 陸上戦闘における利用の研究 =====
[[ファイル:BraggLiberty gate.066.jpg|200px|thumb|right|様々なLSD実験が行われた フォートブラッグ]]
[[冷戦]]期、対立する両大国が[[核兵器]]を持ってしまったことで[[核戦争]]の危機が生まれてしまった。その状況下でLSDは、軍用機で敵領土に侵入して一帯に散布するか、[[都市]]の[[水道]]に注入すれば敵の抵抗力を奪い、[[死傷者]]をほとんど出さないうえに都市の経済活動にもほとんど影響を与えない、と[[アメリカ陸軍]]に限定的局地戦闘の新たな方法として着目された<ref name="aciddreams41-44">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=41-44頁。</ref>}}。1959年5月、[[ウィリアム・クリーシー]]少尉は記者会見で「[[化学]][[薬品]]により一時的に発狂させられるのと[[焼夷弾]]により生きたまま焼き殺されるのとどちらを選ぶのか」と精神操作[[化学兵器]]の開発に理解を求めている<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams4141-44" />}}
 
1950年代後半、[[ノースカロライナ州]][[フォートブラッグ]]で行われた実験では兵士はLSDを投与された状態で様々な実戦活動を行ったが、兵士は完全な活動不能から戦闘能力の著しい低下に至り、LSDの威力を見せ付ける結果となった<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams4141-44" />}}
 
しかし、LSDは噴霧状のものを吸い込むよりも体内に注入するほうがずっと効果的であり、大規模な戦闘でLSDを使用することができなかった。そのため、CIAのように[[尋問]]の道具としての研究が始まったが、1960年代前半にはLSD実験は行われなくなった<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|pp="aciddreams4141-44" />}}
 
==== その他の分野における研究 ====
LSDは、動物への影響を調べるために動物に大量に投与する実験や創造性に与える影響を調べるために画家に服用させて絵を描かせる実験、魔界との交信実験<ref>{{Cite book |name=Erwin Jaeckle. |title=Schicksalsrune in Orakel, Traum und Trance (|year=1969 |publisher=Arbun Press 1969)}}</ref>等、医療分野や軍事分野以外でも様々な分野において研究された。
 
その中でも[[ジョン・カニングハム・リリー]]による、LSDを用いた[[イルカ]]や[[クジラ]]との異種間コミュニケーション実験や[[アイソレーションタンク]]による[[身体]]と[[精神]]の分離実験<ref>{{Cite book |和書 |author=ジョン・C.リリー |authorlink=ジョン・C・リリー |others=[[菅靖彦]](訳) |title=サイエンティスト-脳科学者の冒険』菅靖彦訳、 |year=1986 |publisher=平河出版社、1986年。( |ISBN=4-8920-3118-6}}(原著 ''The Scientist A Metaphisical Autobiography'')</ref>、それらのLSD実験によって得られた「[[生命体]]は複雑な[[コンピュータ]]であり、LSDは再プログラミング物質として役に立つ」との説が特に有名である<ref>{{Cite book |和書 |author=ジョン・C.リリィ |others=菅靖彦(訳) |title=バイオコンピュータとLSD 』[[菅靖彦]]訳、|year=1993 |publisher=リブロポート、1993年。( |ISBN=4-8457-0770-5}}(原著 ''Programming and Metaprogramming in the Human Biocomputer'', 1967 1968)1968)</ref>。
 
日本では[[オウム真理教]]が「キリストのイニシエーション」と称して、信者に対しLSDの投与を行っていた。
その中でも[[ジョン・カニングハム・リリー]]による、LSDを用いた[[イルカ]]や[[クジラ]]との異種間コミュニケーション実験や[[アイソレーションタンク]]による[[身体]]と[[精神]]の分離実験<ref>ジョン・C.リリー 『サイエンティスト-脳科学者の冒険』菅靖彦訳、平河出版社、1986年。(原著 ''The Scientist A Metaphisical Autobiography'')</ref>、それらのLSD実験によって得られた「[[生命体]]は複雑な[[コンピュータ]]であり、LSDは再プログラミング物質として役に立つ」との説が特に有名である<ref>ジョン・C.リリィ『バイオコンピュータとLSD 』[[菅靖彦]]訳、リブロポート、1993年。(原著 ''Programming and Metaprogramming in the Human Biocomputer'', 1967 1968)</ref>。
 
=== 酩酊薬としてのLSD ===
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===== LSDカルチャーの出現 =====
[[ファイル:Cubensis2.jpg|thumb|180px|テオナナカトルの一種 PsilocybeCubensis]]
[[ティモシー・フランシス・リアリー]](Timothy Francis Leary, 1920年10月22日 - 1996年5月31日)は、[[心理学者]]は被験者や生徒を一律で評価の定まった基準で調べるのではなく、実生活の中の人々を対象に微細に行動を観察しなければならない、と[[交流分析]]的な[[心理学]]の方法を提唱し、[[臨床心理学]]のホープとして[[ハーバード大学]]に迎えられた<ref>{{Sfn|ティモシー・リアリー 『フラッシュバックス』山形浩生ほか訳、ISBN 978-4845709038。|1995|pp=26-28頁。</ref>}}
 
リアリーが1960年に[[メキシコ]]、[[クエルナバカ]]にて休暇を過ごしていたところ、[[メキシコ大学]]の[[人類学者]]、[[ゲルハート・ブラウン]]がサンペドロで手に入れた[[テオナナカトル]]を持ってきて、そこで初めてトリップを経験した<ref name="flash47-53">{{Sfn|ティモシー・リアリー 『フラッシュバックス』山形浩生ほか訳、ISBN 978|1995|pp=47-4845709038。26-28頁。</ref>53}}。トリップに衝撃を受けたリアリーは帰国後、[[薬物|ドラッグ]]による精神拡大(あくまでリアリーは幻覚剤を、精神拡大するのを助けるための道具、補助的手段として見ていた)の研究に取りかかった<ref name{{Sfn|ティモシー・リアリー|1995|pp="flash4747-53" />}}
 
当初、リアリーはテオナナカトルの[[幻覚]]成分である[[シロシビン]](この幻覚成分はアルバート・ホフマンにより特定された<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=140-141頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}})の錠剤を数百人の被験者(ハーヴァード大学の学生が多かった)に投与し、その後に[[マサチューセッツ州]]立[[コンコード刑務所]]において、まずはハーヴァード大学の心理学者と[[受刑者]]によるセッションを行い、次は受刑者がセッションに参加する受刑者を選んでセッションを行い、[[大学院]]の新入生には経験豊かな受刑者が指導をする、というプログラムを行い、この[[刑務所]]における[[再犯率]]を70%から10%まで低下させた<ref>{{Sfn|ティモシー・リアリー 『フラッシュバックス』山形浩生ほか訳、ISBN 978-4845709038。|1995|pp=117-118,124-129頁。</ref>}}
そして1962年、[[マイケル・ホリングスヘッド]]はリアリーのもとにLSDを持って訪れ、リアリーはLSDトリップを体験することになった<ref name="flash173-176">{{Sfn|ティモシー・リアリー 『フラッシュバックス』山形浩生ほか訳、ISBN 978-4845709038。|1995|pp=173-176頁。</ref>}}
 
この後、リアリーはLSDを使った精神拡大の研究に取りかかり始め、学内や学外でLSDセッションを行った。しかし、LSDを無秩序に学生に使っているとの批判が学内から起き、1963年にリアリーとともに研究に取り組んでいた[[リチャード・アルパート]]([[:en:Richard_AlpertRichard Alpert|Richard Alpert]], 1931年4月6日 -)が学生にLSDを与えたとして大学を追われ、すぐにリアリーも大学を追われることとなってしまった。
 
ニューヨークの社交界の有名人、[[ペギー・ヒッチコック]]は[[ミルブルック]]に土地を買ったところであったが、リアリーのLSD研究に魅せられていたヒッチコックはそこの[[バンガロー]]を[[研究所]]としてリアリーに提供した。リアリーは[[ヘルマン・ヘッセ]]の[[ガラス玉演戯]]から[[カスタリア]]協会と名乗った<ref name="海野弘2000">{{Cite book| 和書 |author=海野弘. |title=めまいの街 サンフランシスコ60年代( |year=2000 |publisher=グリーンアロー出版社 2000) |ISBN =4-76-633310-1}}</ref>。
 
[[オーガスタス・オーズリー・スタンリー3世]]([[:en:Owsley_StanleyOwsley Stanley|Augustus Owsley StanlyStanley lllIII]], 1935年1月19日 - 2011年3月12日)は[[カリフォルニア大学バークレー校]]在校中、[[麻薬]]を嗜むうちにLSDを体験した<ref name="kool201-203">{{Sfn|トム・ウルフ 『クール・クールLSD交感テスト』 飯田隆昭訳、|1971年。|pp=201-203頁</ref>}}。そして1965年、大学を中退すると[[バークレー (カリフォルニア州)|バークレー]][[バージニアストリート]]1647にLSD工場を設立した<ref name{{Sfn|トム・ウルフ|1971|pp="kool201201-203" />}}。そこが[[警察]]に踏み込まれると、次に[[ロサンゼルス]][[ラフラーロード]]2205に移り、再びLSD工場を設立して[[ベア・リサーチ・グループ]]と名乗り、新ドラッグとしてLSDを大量に製造した(オーズリー製のLSDは品質保証された高級品として世界的に有名であった。[[ビートルズ]]が口にしたLSDもオーズリー製だったと言われている<ref name{{Sfn|トム・ウルフ|1971|pp="kool201201-203" />}})。また、オーズリーは[[グレイトフル・デッド]]もバックアップをしており、西海岸のサイケデリック文化や[[ヒッピー]]文化の隆起は彼によるところが大きい<ref name{{Sfn|トム・ウルフ|1971|pp="kool201201-203" />}}
 
このような経緯により、[[アメリカ東海岸|東海岸]]では研究的、[[瞑想]]的な[[コミューン]]、西海岸では陽気で快楽的な[[コミューン]]が形成されることになった<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000) ISBN" 4-76-633310-1</ref>。
 
===== フラワーパワージェネレーションの出現 =====
[[ファイル:March on Washington edit.jpg|thumb|200px|left|1963年8月28日に行われたワシントン大行進]]
 
[[ファイル:My Lai massacre.jpg||thumb|right|220px|ソンミ村虐殺事件]]
[[ファイル:VietnamdemA female demonstrator offers a flower to military police on guard at the Pentagon during an anti-Vietnam demonstration. Arlington, Virginia, USA.jpg|thumb|right|220px|反戦運動を行うアメリカ市民]]
 
1960年代の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では[[市民運動]]が過熱した。
225 ⟶ 233行目:
1950年代から[[黒人]]差別廃止を訴えた[[公民権運動]]、[[女性差別]]廃止を訴えた[[フェミニズム|女性解放運動]]が高まっていた。
 
これに加え1960年代に入ると、1965年より始まった[[ベトナム戦争]]に対しての[[反戦運動]]([[テト攻勢]]中に起こった、[[南ベトナム]]警察庁長官[[グエン・ゴク・ロアン]]が報復のために路上で[[南ベトナム民族解放戦線]]の[[兵士]]を射殺した事件や[[ソンミ村虐殺事件]]が報じられるとさらに強まることになった)やベトナム戦争が長期化したことによって起こった[[インフレーション]]によってさらに生活の苦しくなった[[貧困層]]からの生活改善や就職先を求める運動、そして[[レイチェル・ルイーズ・カーソン]]が1962年に「[[沈黙の春]]」を刊行して先陣を切った[[環境]]保護運動(敵味方や兵士民間人関係なく甚大な被害をもたらした[[枯葉剤]]を製造した[[モンサント (企業)|モンサント]]や[[ザ・ダウ・ケミカル・カンパニー]]に対する抗議や[[訴訟]]等、これもベトナム戦争とは全くの無関係ではなかった)等、様々な[[市民運動]]が展開された。
 
これらを背景として、[[フラワーパワージェネレーション]]、[[ラヴジェネレーション]]、[[フラワーチルドレン]]等と呼ばれる人々が出現した。彼らは[[歌]]と[[愛]]と[[花]]を一つのものとし、[[武器]]を捨て、争いをやめ、[[花]]を持って生きようと呼びかけ、「Love and Peace(愛と平和《ただし、これを『性の解放』と『反戦』とする見方もある<ref>{{Cite book |和書 |author=石川好. |title=60年代って何?( |year=2006 |publisher=岩波書店 2006) |ISBN =4-00-028086-4}}</ref>》)」を標語として掲げた。
 
===== ヘイト・アシュベリーとヒッピー =====
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しかし、1930年代に[[世界恐慌]]のために人が離れ始め、[[地価]]や[[家賃]]が下がり、[[労働者階級]]の人々が流れ込み始めた。
 
1950年代になるとサンフランシスコの再開発により追い出されたり、住んでいるところが[[観光地]]化して住みにくくなってしまった[[ボヘミアニズム|ボヘミアン]]や[[ビート・ジェネレーション|ビート]]達が主に[[ノースビーチ]]から移り住み始めた。彼らは借りた古いヴィクトリア朝の建物を鮮やかに彩色して住み、[[ペインテッドレディース]](彩色された家)ムーブメントが起こった。
 
そして1960年代に入ると、フラワーパワージェネレーションのムーブメントに動かされた若者達も市内や全米各地からこの地区に移り住み始めた。この頃には近くの[[サンフランシスコ州立大学]]の学生も多く住んでいた。周りの地区の住民は、この地区に住む若者達を、長髪で、髭をはやし、だらしない格好をしたおかしい奴、はずれた奴と見なし、「ヒップ([[尻]])のように汚い奴ら」という意味を込め、「[[ヒッピー]]」と呼び始めた<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000)" ISBN 4-76-633310-1</ref>。後に既成の制度、慣習、価値観念に縛られることに反抗したヒッピーは大きなムーブメントとなり、世界中に広まることになる(日本では[[ヒッピー|フーテン]]や[[みゆき族]]等の現象を生んだ<ref>{{Cite book |和書 |author=難波功士. |title=族の系譜学 -ユース・サブカルチャーズの戦後史( |year=2007 |publisher=青弓社 2007) |ISBN =4-78-723273-8}}</ref>)。
 
[[ファイル:SF Japanese Garden.JPG|thumb|right|250px|ゴールデンゲートパーク内にある日本庭園]]
247 ⟶ 255行目:
そしてLSDが出回り始めるとヒッピー達はLSDによるトリップが[[宗教]]的体験、意識拡大をさせるものとしてLSDを「インスタント禅」と呼んで使用した。[[ステート大学]]ではLSDについての講演が行われるようになった。
 
[[ジェイ・シリン]]はサンフランシスコ州立大学の学生であったが、1964年に[[リチャード・アルパート]]の講演に刺激されLSDを体験する。そして、兄の[[ロン・シリン]]とともにLSD体験を広めるために、1966年にサイケデリック体験のための本や資料を売る店をヘイト・アシュベリーに開いた<ref>{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|p=158頁。</ref>}}。その後この通り沿いには[[イギリス|英国]]や[[東洋]]、[[メキシコ]]の品物を売るエキゾチックな店や24時間営業の[[レストラン]]等が立ち並び始め、ますますこの地区の若者の数は増えていった<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000)" ISBN 4-76-633310-1</ref>。
 
ヒッピー達は各地に[[コミューン]]を形成し、共同生活を送った(中には自然への回帰を訴えて自給自足の生活を送ろうとしたコミューンもあったが成功例は非常に少なかった)。
 
===== アシッドテスト =====
[[ケン・エルトン・キージー]]([[:en:Ken_KeseyKen Kesey|Kenneth Elton Kesey]], 1935年9月17日 - 2001年10月10日)は自らのLSD体験をもとにして書いた『[[カッコーの巣の上で]]』がヒットし、その[[印税]]で[[ラ・ホンダ]]に土地を買うと、そこには若者達が集まり始めコミューンが形成された。コミューンは「[[メリー・プランクスターズ]](陽気ないたずら者、[[:en:Merry_PrankstersMerry Pranksters|Merry Pranksters]])」と呼ばれ、[[薬物|ドラッグ]]もフリーでどんな人物([[ヘルズ・エンジェルズ]]も出入りしていた)でも出入りしていたため、地元住民と対立していた(後に何度も[[警察]]に踏み込まれることになる)<ref name="kool46-173">{{Sfn|トム・ウルフ 『クール・クールLSD交感テスト』 飯田隆昭訳、|1971年。|pp=46-59,143-144,164-173頁</ref>}}
 
キージーはサンフランシスコ周辺で「あなたはアシッドテストにパスできるか?」とのビラを撒き、[[アシッドテスト (行事)|アシッド・テスト]]を各地で何度も行った。[[グレイトフル・デッド]]の[[ジェリー・ガルシア]]は1回目のアシッドテストの際にキージーと出会い、キージー達はグレイトフル・デッドを様々な面でバックアップをするようになった<ref name{{Sfn|トム・ウルフ|1971|pp="kool202202-203,222-230,254-255" />}}。しかし後に、キージーは[[逮捕]]を逃れるためにメキシコに去ってしまう<ref name="kool202-255">{{Sfn|トム・ウルフ 『クール・クールLSD交感テスト』 飯田隆昭訳、|1971年。|pp=202-203,222-230,254-255頁</ref>}}
 
[[ティモシー・フランシス・リアリー]]は「[[:en:Turn_onTurn on,_tune_in tune in,_drop_out drop out|Turn on, Tune in, Drop out]](LSDに陶酔して意識を拡張せよ、高次元の意識に同調せよ、体制から脱落せよ)」との[[スローガン]]を掲げ、LSDによる[[意識]][[革命]]を進めようとした。このことによりリアリーは[[マスメディア|マスコミ]]の強い批判を浴びたが、これを逆にうまく利用して自分の計画の宣伝をしたため、リアリーの名は全米に知れ渡ることになった。
 
しかし、ヒッピー達の[[教祖]]的存在となり存在感を増していくリアリーは危険[[危険思想]]であると[[政府]]から目を付けられ、1968年[[ラグナ・ビチ (カリフォルニア州)|ラグビーチ]]において[[自動車]]を運転していたところ、[[マリファナ]]を使用していたという口実で[[逮捕]]されてしまう<ref name="flash390-422">{{Sfn|ティモシー・リアリー 『フラッシュバックス』山形浩生ほか訳、ISBN 978-4845709038。|1995|pp=390,409,410,413-422頁。</ref>}}。リアリーは[[捏造|でっち上げ]]であると訴えたが、その時の同乗者が実際にマリファナや[[ハシシ]]、LSDを所持していたこと、[[裁判]]時にLSDを使用していた(と<ref group="注釈">[[犯人]]は犯行現場の壁に[[血]]で書いたが、真偽の程は定かではない</ref> 人物による[[殺人事件]]が起きてしまい、LSDで有名であるリアリーに対して[[陪審員]]のイメージが悪化してしまったことにより[[有罪]][[判決]]([[連邦法]]と合わせて[[懲役]]20年)を受け、[[上訴]]なしに[[拘留]]されることになってしまった。しかし、リアリーは[[拘留]]先である[[サン・ルイス・オビスポ]]にある[[カリフォルニア男子西収容所]]からの[[脱獄]]を成功させ、さらに名を馳せることになった<ref name{{Sfn|ティモシー・リアリー|1995|pp="flash390390,409,410,413-422" />}}
 
===== サマーオブラヴ =====
[[ファイル:Woodstock01.jpg|thumb|250px|right|豪雨に見舞われた ウッドストックフェスティバル会場]]
1967年1月14日、[[ヒューマンビーイン]]の集会が行われた。この集会にはティモシー・フランシス・リアリー等のLSDによる意識革命を訴える者やヒッピーの代表、学生運動家、グレイトフル・デッド等の[[ロックバンド]]、[[宗教家]]、[[ヘルズ・エンジェルズ]]等、様々な分野からの参加があり、[[反体制]]の大集会となった。
 
マスコミはこの集会やヘイト・アシュベリーを大々的に報道し、ヒッピーが[[社会現象]]となった。ドロップアウトをする若者は激増し、若者はヘイト・アシュベリーを目指した。また、ヘイト・アシュベリーやヒッピーを目的とした観光ツアーも行われた。
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ヘイト・アシュベリーの若者の数は増え続け([[高校生]]も目立つようになっていた)、1967年の春には10万人以上となっていた。寝るところや食物が不足し、[[ゴールデンゲートパーク]]は野宿をする者や[[ゴミ]]で溢れた。
 
[[サマーオブ]][[委員会]]は様々なイベントを企画した。ベトナム戦争への抗議集会や[[松明]]を持っての行進や[[ロック・フェスティバル]]等、各地で様々なイベントが行われ、町全体が舞台と化した。今までのヒューマンビーインとは違い、[[カリスマ]]が観衆を引っ張り、[[演説]]をするというよりはそれぞれが集まって、集団として行動するイベントが多くなった。
 
また、[[資本主義社会]]から解放されるために[[原始共産社会]]のコミューンを作ることを目指した[[ディガーズ]]により、無料の食料配給が行われ、ホテルの数十室が開放された。
 
7月にはイベントやヒッピー達を見に来た[[観光客]]も大勢押しかけ、歩くことができないほどの大混雑となった。また、この大勢を相手にした[[薬物|ドラッグ]]マーケットも大きくなり、それをめぐっての抗争も激しくなった。
 
ゴールデンゲートパークには舞台が作られ、グレイトフル・デッドや[[ジャニス・ジョプリン]]、[[ジョージ・ハリスン]]等のロックバンドや[[ジャズ]]バンド等による演奏や[[詩]]の朗読、LSD革命の進行やベトナム戦争への反対を主張する演説等、様々なパフォーマンスが行われた。
 
9月に入ると若者や観光客の数は大きく減った。そして9月21日にはサマーオブラヴ終結の公式の集会が行われ、サマーオブラヴ終結が宣言された<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000) ISBN" 4-76-633310-1</ref>。
 
==== LSDとサイケデリック文化 ====
285 ⟶ 293行目:
1960年代LSDが大衆の間に広まると、LSD摂取時におこる[[幻覚]]に影響を受けたアート、[[サイケデリック・アート]]が起こった。
 
LSDを体験した画家180人の調査では、ほとんどの画家がLSD影響下で書いた自分の絵を「技術は損なわれているが、線が大胆になり、色が鮮やかになり、情緒的により拡張されたものである」と評価し、114人が「LSDを体験してからは自分の作品が色をより大胆に使用し、情緒的な深みを獲得し、より熱狂的に創作できるようになった」とLSDが自分の作品に影響を及ぼしたと評価した<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|pp=426-427頁。</ref>}}
 
サイケデリック・アートの中でも特に[[ポスター]]が人気を集めた。このポスターは鮮やかで強烈な[[色彩]]、隣の色とぶつかる[[配色]]、余白を埋め尽くす装飾的な線やパターン([[曼荼羅]]模様や[[ペイズリー]]模様等をモチーフとした)、波うち、引き伸ばされて変形された[[文字]]等を特色とする。
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もともとヘイト・アシュベリーに住んでいたヒッピー達が[[政治]]的、[[宗教]]的、[[精神]]的なメッセージを発信するために手作りでポスターを作ったのが始まりである。そのLSDによる幻覚に影響を受け、既成のポスターの手法に反逆したデザインは非常に斬新なものだった。
 
ポスターは[[タイム (雑誌)|タイム]]誌に「[[サンフランシスコ]]版[[アール・ヌーヴォー]]」と評され、爆発的な人気を集めた。そしてやがてそれらはポスターから[[ファッション]](当時の[[百貨店]]には[[ペイズリー]]柄や[[サイケデリック]]風の色彩を施された商品で溢れていた)等へと広がっていき、当時、西海岸で盛んであった[[前衛映画]]にも大きな影響を与えた<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000) ISBN" 4-76-633310-1</ref>。
 
ヒッピーは、権力に抵抗する若者の典型的な例として捉え、ファッションとしては長髪に[[ビーズ]]の首飾りをして、極彩色の衣装を身に付け、LSDや[[マリファナ]]をやっていたが、当初の意味を失い、商業主義的なものに取り入れられていった。「[[サイケデリック]]ブーム」をマスコミの報道で知った若者達は、サイケデリックを台頭した若者文化のファッションとして受け止め、そしてスリルを求めてヘイト・アシュベリーへと向かった。こうしたサイケデリック・アートやヘイト・アシュベリーへの好奇の目がヘイト・アシュベリーの治安をさらに悪化させ、体制側やマスコミからの攻撃は激しさを増すことになった<ref name="aciddreams151-155">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=151-155,192-194頁。</ref>}}
 
日本でも1967年頃から「[[サイケ]]」として[[流行語]]となり、日本の若者達もアメリカの若者達に倣い長髪に[[ビーズ]]の首飾りをし、極彩色の衣装を身につけ、[[エレクトロニックフラッシュ|ストロボ]]や轟音、多色光線を駆使した[[ディスコ]]等に屯し、日本各地で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に倣った[[ロック・フェスティバル]]を開催した。
 
しかし、これらはアメリカにおいて「サイケデリック」が知られるようになってから起こったブームのように形だけの適応に過ぎず、日本にはアメリカにおけるようなLSD体験やそれに伴う社会的な断絶は存在していなかった。そのため「[[サイケ]]」は単なる流行として非常に短命に終わり、1970年代中頃にはすっかり忘れ去られたものとなってしまった<ref>{{Cite book |和書 |author=金坂健二. |title=幻覚の共和国( |year=1971 |publisher=晶文社 1971)}}</ref>。
 
===== 音楽 =====
''詳細は[[{{Main|サイケデリック・ロック]]、[[|アシッド・ハウス]]を参照''}}
 
[[ファイル:Jerry-Mickey at Red Rocks taken 08-11-87.jpg|thumb|250px|left|サイケデリック・ロックの中心的バンド、 グレイトフル・デッド(1987)]]
 
一般大衆の間に広がったLSDは創造力を増すとしてミュージシャン達にも多用され、LSDを使用したミュージシャンからLSDへの反応として「[[サイケデリック・ロック]]」(アシッド・ロックとも呼ばれた)が生み出された。歪み、[[リバーブ (音響機器)|リバーブ]]が深くかかったギターによる浮遊感溢れ、空間的な音作りや幻想的な歌詞(当初は[[ベトナム戦争]]への反対や[[サイケデリック]]革命等、社会問題を歌詞にしていたが、やがてLSDによる幻覚自体を歌詞とすることが多くなった<ref>[{{Cite web|和書|url=http://rock.princess.cc/RockerRoom/Rock_history3.html |title=ロックの歴史-第3章・サイケデリック] (|accessdate=2007-11-10 |website=ROCK PRINCESS)}}</ref>)等を特徴とする。
 
サイケデリック・ロックの隆起には[[音響機器]]や照明機器の進歩(光が音楽に同調する装置もこの頃に開発された)も大きく関わっていた。これらは[[アメリカ軍]]の払い下げ品や横流し品が多く出回っている[[アメリカ西海岸|西海岸]]が中心であった<ref> name="海野弘. めまいの街 サンフランシスコ60年代(グリーンアロー出版社 2000) ISBN" 4-76-633310-1</ref>。
 
代表的なアーティストと曲として、[[アムボーイ・デュークス]]「Journey To the Center of My Mind」や[[エリックバードン]]と[[アニマルズ]]「A Girl Named Sandoz」、[[エレクトリック・プルーンズ]]「I Had Too Much To Dream Last Night」、[[キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズマジックバンド]]「Ah Feel Like Ahcid」、[[グレイトフル・デッド]]「Dark Star」、[[ジェファーソン・エアプレイン]]「White Rabbit」、[[ジミ・ヘンドリックス]]「Purple Haze」「The Stars That Play With Laughing Sam's Dice」、 [[ドアーズ]]「The Crystal Ship」、[[バーズ (アメリカのバンド)|バーズ]]「Eight Miles High」、[[ビーチ・ボーイズ]]「Good Vibration」、[[ビートルズ]]「Lucy in the Sky with Diamonds」「Tomorrow Never Knows」「A Day in the Life」、[[ファンカデリック]]「Maggot Brain」等(ただし、この中にはLSDについての曲かどうか諸説ある曲も含まれている)が挙げられる。
 
サイケデリック・ロックは音楽シーンに多大な影響を与え、70年代ロックへと繋がっていくことになった。
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[[ファイル:TB303-midi-frontview.png|thumb|300px|right|TB-303]]
 
1982年、[[ローランド]]から発売された[[ローランド・TB-303|TB-303]]は[[ベース (弦楽器)|ベース]]音色に特化した[[シンセサイザー]]として発売された(兄弟機である[[{{仮リンク|ローランド・TR-606]]|label=TR-606|en|Roland TR-606}}と同時に使用することで[[リズム]]の演奏が可能とされていた)、当初ベース音色の再現が不十分であるとして不人気機種であった。しかし、[[TB-303]]に搭載されたフィルターや[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]による独特の粘り気のある音色とグルーヴが「アシッド(LSDを指す[[スラング]])の幻覚を思い起こさせる」として一部のミュージシャンが使い始めると、この未知の音は熱狂的に受け入れられ、多くのミュージシャンが挙って使用した。このTB-303を使用したダンス音楽は「[[アシッド・ハウス]]」と名づけられ、1980年代後半から世界中で大流行した([[TB(TB-303]]は一転して大人気機種となり、現在では[[プレミアム]]価格がついている)。
 
世界各地で[[レイブ (音楽)|レイヴ]]が開催され、新たなドラッグ文化を形成すると、[[ヒッピー]]によるムーブメントになぞらえて、「[[セカンド・サマー・オブ・ラブ|セカンドサマーオブラヴ]]」と呼ばれた。
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ファイル:Thomas de Quincey - Project Gutenberg eText 16026.jpg|「阿片服用者の告白」を著したトマス・ド・クインシー
ファイル:Allen Ginsberg 1978.jpg|「LSD-25」を創作したアレン・ギンズバーグ
ファイル:Aldous Huxley.JPG|「知覚の扉」を著したオルダス・ハクスリー<BRbr /><SUBsub>臨終の際にもLSDを使用している</SUBsub>
</gallery>
 
歴史上、[[ヴィクトル・ユゴー]]や[[オノレ・ド・バルザック]]の[[コーヒー]]、[[アルフレッド・ド・ミュッセ]]や[[ポール・ヴェルレーヌ]]の[[アルコール]]、[[ギ・ド・モーパッサン]]の[[ジエチルエーテル|エーテル]]、[[ジャン・ロラン]]の[[コカイン]]、[[テオフィル・ゴーティエ]]や[[シャルル・ボードレール]]の[[ハシシ]]、[[トマス・ド・クインシー]]の[[阿片]]等、創作上の霊感を得るために[[薬物]]や[[嗜好品]]を用いた[[作家]]、[[詩人]]、[[評論家]]は少なくない<ref>{{Cite book |和書 |author=松井好夫. |title=幻覚と文学( |year=1963 |publisher=金剛出版 1963)}}</ref>。
 
LSDの登場はこのような薬物や嗜好品を用いていた文学者に少なからずの影響を与えた。研究用途に限定されて一部の人間しか持てなかったLSDが一般に広まると文学者による体験記がいくつか発表された。
 
[[アンリ・ミショー]]([[:fr:Henri_MichauxHenri Michaux|Henri Michaux]], 1899年5月24日 - 1984年10月19日)は『みじめな奇蹟 (''[[:fr:Misérable_miracleMisérable miracle|Misérable miracle]]'')』などの著作で幻覚剤について言及しているが、『荒れ騒ぐ無限 (''[[:fr:L'Infini_turbulentInfini turbulent|L'Infini turbulent]]'')』ではLSDや[[メスカリン]]、[[ハシシ]]による幻覚を比較し、絵画と文章で表現している<ref>{{Cite book |和書 |author=アンリ・ミショー |others=小海永二(訳) |title=荒れ騒ぐ無限』小海永二訳、 |year=1980 |publisher=青土社、1980年。}}(原著 ''L'infini turbulent'', 1st edition 1957 , new edition 1964)1章追加された1964年新版</ref>。
 
[[アレン・ギンズバーグ|アーウィン・アレン・ギンズバーグ]]([[:en:Allen_GinsbergAllen Ginsberg|Irwin Allen Ginsberg]], 1926年6月3日 - 1997年4月5日)は自身のLSD体験を表現した「LSD-25」という詩を発表した。
 
[[オルダス・ハクスリー|オルダス・レナード・ハクスリー]]([[:en:Aldous_HuxleyAldous Huxley|Aldous Leonard Huxley]], 1894年7月26日 - 1963年11月22日)は著書『[[知覚の扉 (''[[:en:The_Doors_of_Perception|The Doors of Perception]]'')』や『[[天国と地獄 (''[[:en:Heaven_and_Hell_(essay随筆)|Heaven and Hell天国と地獄]]'')』において自身の[[メスカリン]]などの幻覚剤による体験やLSDについて紹介し、「人間は[[宇宙]]のどこかで起こったこと等も知覚しているが、その膨大な情報量によって日常生活に支障をきたさないよう、[[脳]]や[[神経]]は日常生活において特に有益な情報のみを選り抜く『バルブ』の役割を担っている。薬物は脳細胞へ[[グルコース]]を供給をする[[酵素]]の生産を抑制させ、脳や神経とその『バルブ』の働きを低下させるために、今まで知覚できなかった様々な情報、いわゆる幻覚が見えるようになる」という説を展開した<ref>{{Cite book |和書 |author=オルダス・ハクスリー 『知覚の扉』 |others=河村錠一郎) |title=知覚の扉 |year=1995 |month=9 |publisher=平凡社 |series=平凡社ライブラリー》、1995年9月、 |ISBN =978-4582761153。(}}(原著 ''The Doors of Perception'' 1954 & ''Heaven and Hell'', 1956)1956)</ref>。[[癌]]を患ったハクスリーは死の直前、妻に「LSD0.1mg1&nbsp;mgを」と紙に書いて渡し(この時は既にしゃべれなかった)、妻はそれに応えてハクスリーにLSDを注射するとハクスリーは翌日死亡した。これがハクスリーの事実上の[[遺書]]となった。
 
また、LSD体験記だけでなくハクスリーによる「不満や不安な気分になっても飲むと快楽を得られる薬」が登場する[[ディストピア]]小説として有名な『[[すばらしい新世界]] (''Brave New World'')」や[[ケン・エルトン・キージー]]の復員兵病院の精神科病棟でのアルバイト経験や自身のLSD体験を基にして書いた『[[カッコーの巣の上で]] (''[[:en:One_Flew_Over_the_Cuckoo's_Nest_(novel)|One Flew Over the Cuckoo's Nest]]'')』、[[トム・ウルフ]]による当時のヒッピー達やキージー率いる「陽気ないたずら者 ([[:en:Merry_Pranksters<!-- [[:ja:メリー・プランクスターズ]] とリンク -->|Merry Pranksters]])」の、サイケデリックに着色したバスに乗ってLSDをばら撒きながらのアメリカ横断旅行を取材した[[ニュージャーナリズム]]的な[[ノンフィクション]]、『クール・クール LSD交感テスト (''[[:en:The_Electric_KoolThe Electric Kool-Aid_Acid_TestAid Acid Test|The Electic Koon-Aid Acid Test]]'')』等、LSD体験を基にした作品からヒッピー文化に題材に求めた作品まで非常に多岐にわたる。
 
=== LSDの終焉 ===
アメリカでは、LSDは1960年代初頭には[[薬局]]に置かれるようになっていた。しかし、LSDは具体的な処方法と具体的な効果がはっきりしていない「新種の薬」であった([[西洋|西欧]]の薬に対する一般的なコンセプトからはずれるものであった)。そのため、1962年にこのような薬を規制するために「安全性と有効性が条件に合致しない限りはマーケットに出せない」とする旨の法案が提出され、[[下院]]を通過した。また、LSDを「実験ドラッグ」と規定することで[[アメリカ食品医薬品局|FDA]]は使用を研究目的に限定し、一般治療には使用できないようにした<ref name="aciddreams97-99">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=97-99頁。</ref>}}
 
LSDは強烈な効果を有するために、ひとたび一般大衆の間に広がってしまったことにより服用中の事故が多発したことは当然の結果と言えた<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=60-61頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}(錯乱によって引き起こされた死亡事故がほぼ全てであり、LSD自体の[[毒性]]で死亡した例はほとんど報告されていない。ただし、LSDの[[毒性]]で死亡したとされる例もその多くは粗悪な密造LSDに入っていた[[不純物]]による[[中毒]]であると考えられている<ref name="lsd-mein74-80">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=79-80頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}})。
 
[[若者]]、ヒッピーや[[反戦]]・反政府主義者等のLSD使用が報道されると、LSDの有害性を誇張する報道が盛んになされるようになり、LSDを排除しようとする世論が高まってきた<ref>{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|pp=160-162頁。</ref>}}
 
そして世論を受ける形で1965年には[[ドラッグ乱用規制修正条項]]が下院を通過し、LSDの非合法な製造販売は[[軽犯罪]]となった<ref name="aciddreams100-101">{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン 『アシッド・ドリームズ』ISBN 978-4807492039。|1992|p=100頁。</ref>}}
 
そのため、サンド研究所は1966年4月に「1943年に開発、発売したLSD-25は現代の[[精神医学]]や[[精神薬理学]]の研究において特別な意味を有し、世界中の病院、研究所に調査依頼をすることで可能な限りの厳格な注意規定を課すことが出来たが、近年の若者達の濫用の増加やLSDを興味を持つ層に対しての無責任な生産、密売はこの限りでない。さらには1963年以降、LSDに関してのサンド社の[[特許権]]は失効した。薬剤に対する正しい研究への認識が深められ、誤った濫用を阻止するためにサンド社が当然行わなければならない事柄として、LSD-25のすべての販売を中止する」というコメントを出し、LSDの販売中止と回収を開始した<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=69-70頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
 
1968年にはドラッグ乱用規制修正条項が修正され、LSDの所持も軽犯罪となり、販売は[[重罪]]とされた<ref name{{Sfn|マーティン・A.リー|ブルース・シュレイン|1992|p="aciddreams100-101" />100}}。その後、世界中でLSDは規制されることとなった(日本では1970年に[[麻薬]]に指定された)。
 
ヘイト・アシュベリーでは「ヒッピーの死」と題する「LSDの[[葬儀]]」が行われた。数百人のヒッピーがパレードをした後、[[シリン]]兄弟のサイケデリックショップの看板が外され、[[埋葬]]された<ref>{{Cite book |和書 |author=植草甚一. |authorlink=植草甚一 |title=カトマンズでLSDを一服( |year=1976 |publisher=晶文社 1976)|series=[[植草甚一スクラップブック]] |ISBN=4-7949-2571-9}}</ref>。
 
=== 現在のLSDの状況 ===
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世界中で規制され、ヒッピーのムーブメントが去った後、LSDの使用は激減した。
 
日本では、LSDが麻薬に指定された次の年である1971年においてはLSD事犯が[[麻薬取締法]]違反で検挙された人員のうち45.5%を占めるものであったが<ref>[http{{Cite web|和書|url=https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/12/nfm/n_12_2_1_2_2_4.html |title=昭和46年版 犯罪白書 4 麻薬・覚せい剤関係] |accessdate=2008-08-19 |publisher=法務省}}</ref>、1986年においては1.2%にまで減少している<ref>[http{{Cite web|和書|url=https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/27/nfm/n_27_2_1_2_1_3.html |title=昭和61年版 犯罪白書 3 麻薬等の事犯] |accessdate=2008-08-19 |publisher=法務省}}</ref>。
 
しかし、1980年代後半に[[スペイン]]の[[イビサ島]]の[[ディスコ|クラブ]]でプレイされていた楽曲を[[イギリス]]の[[ディスクジョッキー|DJ]]達が本国に持ち帰ったことから起こった[[セカンド・サマー・オブ・ラブ|セカンドサマーオブラヴ]]のムーブメントや1990年代前半に起こった[[アシッド・ハウス]]リヴァイバル等において再びLSDは([[多幸]]系のドラッグとともに)多用されるようになった。現在LSDは[[ディスコ|クラブ]]で使用されるドラッグとして、[[覚醒剤]]や[[大麻]]、[[メチレンジオキシメタンフェタミン|MDMA]]と並ぶ地位を確立している<ref name="黒野忍2005">{{Cite book |和書 |author=黒野忍. |title=続・危ない薬( |year=2005 |publisher=データハウス 2005) |ISBN =4-88-718822-6}}</ref>。
 
LSDの多くは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[ドイツ]]、[[スペイン]]で作られており、アメリカで作られたものはイギリスに、ドイツで作られたものは[[イスラエル]]に、そしてスペインで作られたものが世界中に流通していると言われている<ref> name="黒野忍. 続・危ない薬(データハウス 2005) ISBN" 4-88-718822-6</ref>。
 
また、医療分野においては再びLSDを治療薬として活用するための実験が、[[NPO]]組織「幻覚研究協会 ([[:en:Multidisciplinary_Association_for_Psychedelic_StudiesMultidisciplinary Association for Psychedelic Studies|MAPS]])」の支援の下、[[スイス]]で2008年より始まっている<ref>[{{Cite news |title=LSD 治療薬としてカムバック目前 |newspaper=swissinfo.ch |date=2008-01-07 |url=http://www.swissinfo.ch/jpn/frontsci-tech/detail.html?siteSect=105&sid=8590193&cKey=1199430329000&ty=st LSDをガン末期症状の患者に投与する試み。]6344072}}</ref>。
 
== 薬理効果 ==
=== 用量 ===
LSDはこれまでに知られている[[向精神薬]]の中でも最も強力なものの1つであり([[メスカリン]]の1万倍の作用)、わずか0.001mg001&nbsp;mgの微量で(砂粒の10分の1ほど)穏やかな多幸感、抑制の解除、高い感応性が生じ、0.05mg05&nbsp;mgでサイケデリック体験を起こす。作用の強度と深さは0.5mg5&nbsp;mgまで増加する<ref name="サイケデリック・ドラッグ33">{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=33頁。</ref>}}。これ以上は持続時間が伸びるのみで体験内容に変化が起きることはない<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=33" />}}
 
体内に吸収されたLSDの濃度は10分で最高潮に達し([[小腸]]のみ2時間)、その後急速に降下する。LSDは[[肝臓]]と[[胆嚢]]を経て[[腸]]に至り、80%が[[排泄]]され、残りはほぼ全て[[有機物]]に分解されてしまう<ref name="lsd-mein34">{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|p=34頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}。連続服用しても薬耐性の形成に至るまでの量に比べて効果を得るための常用量が極めて少なく、そのためLSDは中毒性の強い薬物とは区別される<ref>{{Sfn|A.ホッフマン『LSD-幻想世界への旅』 |1984|pp=74-75,89-90頁。ISBN 978-4788501829。</ref>}}
 
=== 毒性 ===
死亡事例が少ないため、人間の致死量は分かっていない。動物実験の結果、[[LD50]]は[[ラット]]で16.5mg5&nbsp;mg/kg、[[ウサギ]]は0.3mg3&nbsp;mg/kg、[[ゾウ]]では0.06mg/kgであり、人間の場合は0.003mg06&nbsp;mg/kgであると考えられている(ホフマン博士自身。過量実験でこれよりもはるかに多く服用した)。これを越えると呼吸麻痺をおこす。また、脳血管に蓄積性に影響を与えることがわかっており、過量投与では脳血管障害により死に至る。過度使用によると推定されている死亡例によれば、LSDの血中濃度から、320mg320&nbsp;mgのLSDを静脈注射したためだと推定された<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=33" />}}
 
また、LSDは[[染色体|、染色体]]に影響を与える[[遺伝物質]]である、[[胎児]]の形成異常を生じさせる、脳に永続的な損傷を与える、と言われていたることあり、LSDが禁止されるまでに数多く行われた実験(この時期に書かれたLSDに関する論文は1000本以上、開かれた国際会議は6つ、何十冊もの著作が出版され、投与された患者は4万人にものぼった<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。320頁。</ref>|2000|p=20}}に一部肯定されているとする意見もあるが<ref>{{Cite book |author=Martin A. Lee. , |author2=Bruce Shlain. |title=ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond (Grove Pr;|year=1986 |date=Revised 1986) ISBN|publisher=Grove Pr |ISBN=0-80-213062-3}}</ref>、現在までのところこれらの遺伝的効果を裏付けるような科学的証拠は得られていない<ref>{{Cite journal|last=Passie|first=Torsten|last2=Halpern|first2=John H.|last3=Stichtenoth|first3=Dirk O.|last4=Emrich|first4=Hinderk M.|last5=Hintzen|first5=Annelie|date=2008|title=The pharmacology of lysergic acid diethylamide: a review|url=https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19040555|journal=CNS neuroscience & therapeutics|volume=14|issue=4|pages=295–314|doi=10.1111/j.1755-5949.2008.00059.x|issn=1755-5949|pmid=19040555|pmc=6494066}}</ref>。
 
=== 身体的作用 ===
[[ファイル:Mydriase prononcée 2006.jpg|thumb|left|散瞳]]
 
LSDを服用すると、精神症状発現前に[[散瞳]]、[[深部感覚#深部反射|深部反射]]の亢進、心拍数や血圧や体温の上昇、軽い目眩あるいは吐き気、悪寒、疼き、[[振戦]]、緩徐な深い呼吸、食思不振、不眠等、[[交感神経系]]の症状が起こる<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=33" />}}。これらの症状はこれから起こる危機に対して身体を準備する交感神経の活動だと考えられており、使用量の多少に相関しない<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=33" />}}。ここで起こった身体的作用は発現する精神症状に影響を及ぼすことが多い<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|p=33" />}}
また、[[子宮]]収縮作用があるので[[妊婦]]は服用に際し注意を払わなければならない。
 
なお、[[身体依存]]は全く無いか、あってもごく僅かとされている<ref>[{{Cite web|和書|url=http://www.dapc.or.jp/data/other/5.htm |title=幻覚剤について] |accessdate=2007-05-25 |website=薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ}}</ref>。
 
なぜLSDが幻覚を引き起こすのかについては未だに分かっていない。多くの支持を集め、[[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]も支持をしていた[[セロトニン]]阻害説であるが、セロトニンを阻害するものの[[サイケデリック]]体験を引き起こさない物質(2-ブロモ-LSD)が存在するために確定的とは言えず、[[縫線核]]のセロトニン[[神経細胞|ニューロン]]の電気活動抑制説も同様に、ニューロン発火を抑制しないもののサイケデリック体験を引き起こす物質([[メスカリン]])やサイケデリック体験を引き起こさないもののLSD程度にニューロン発火を抑制する物質([[リスリド]])が存在するために確定的とは言えない<ref name="drugsbrain191" />。現在では[[青斑核]]の[[ノルアドレナリン]][[神経細胞|ニューロン]]の[[知覚]]刺激反応を間接的に増強させるため、との説が有力視されており、また最近ではLSDが[[セロトニン受容体]]のサブタイプS2に強く働くことが発見され、幻覚発現と何らかの形で関係している可能性がある<ref name="drugsbrain191" />。
 
=== 精神的作用 ===
LSDを服用した時の非常に多彩な作用は様々な文献を生み出してきた。もし今回が恍惚とした喜びを感じても、次回あるいは次の瞬間には[[恐怖]]や[[悲嘆]]を感じる可能性もあり、人によっては[[幻覚]]や[[妄想]]、[[恍惚]]が起こる量を使用しても、身体的な不快感を持つだけのこともある。
 
==== 知覚の変化 ====
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[[知覚]]が先鋭化し、遠近の[[感覚]]がゆがみ、残像が長引き、視界が揺れて波のようにうねる。[[色彩]]はより強烈になり、輪郭はより鋭利になり、[[音楽]]はより情感を帯び、そして周囲のものが重大な意味を持つもののように思えてくる。
 
音楽が視覚化されるとも言われており、ミュージシャンを中心に乱用された事があるのもこのためである。
また、[[幾何学]]模様や象徴的な物体が見える。これはLSDの作用により、[[赤血球]]等が[[網膜]]の[[毛細血管]]を流れるときに落とした影が見えることや[[ニューロン]]が[[網膜]]と[[視覚皮質]]で放電した結果([[眼内閃光]]と呼ばれる)引き起こされる<ref>Ronald K. Siegel. Fire in the Brain (Penguin Books 1992) ISBN 0-52-593408-1</ref>。
 
また、[[幾何学]]模様や象徴的な物体が見える。これはLSDの作用により、[[赤血球]]等が[[網膜]]の[[毛細血管]]を流れるときに落とした影が見えることや[[ニューロン]]が[[網膜]]と[[視覚皮質]]で放電した結果([[眼内閃光]]と呼ばれる)引き起こされる<ref>{{Cite book |author=Ronald K. Siegel. |title=Fire in the Brain (|year=1992 |publisher=Penguin Books 1992) |ISBN =0-52-593408-1}}</ref>。
 
さらには、[[共感覚]]([[色彩]]を聞き、[[音色]]を見る等)が出現する。
 
==== 感情の変化 ====
LSDを服用すると、[[被暗示性]]が高まり、人の表情や態度、周囲の環境の変化に鋭敏な反応を起こす。感情は日常は経験することがないほどの強さと純粋さを持ち、至福の喜びを感じることがあれば、[[想像]]を絶する恐怖に[[パニック]]を引き起こすこともあり、効用を特に感じない場合もある。
 
==== 意識の変化 ====
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=== リスク ===
==== パニック反応 ====
LSD服用者はトリップにより、固定された強い感情反応や思考の歪曲([[被害妄想]]や自分が[[発狂]]したまま戻れないという不安等)、万能感の空想や非人間的な宇宙への溶け込みの[[妄想]](自分が[[救世主]]であり、あらゆる能力を持っているという妄想や自分が宇宙あるいは[[生命]]の[[起源]]と融合しているという妄想等)が引き起こされ、無謀な行動や[[自傷行為]]に走ってしまうケースがあり、LSD服用による死亡例の大多数はこのようなケースにおいて事故死や[[自殺]]に至ってしまったものである<ref name="サイケデリック・ドラッグ271">{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|pp=271,290-291頁。</ref>}}。また、トリップ後の[[抑鬱]]や[[幻覚]]、[[狂気]]への恐怖が自殺を引き起こすこともある<ref name="サイケデ{{Sfn|レスター・グックンスプーン|ジェームズB. バカッグー|2000|pp=271" />,290-291}}
 
==== フラッシュバック ====
LSDの使用をやめたにも拘らず、通常の生活において突然、LSD影響下で体験された感情や知覚が数秒から数分あるいは数時間蘇ることがある。質的にはLSDによるトリップと何ら変わることはなく、視覚や時間間隔の変容、身体症状、[[自我境界]]の喪失、強い[[感情体験]]が引き起こされる。これは[[フラッシュバック (薬物) |フラッシュバック]]と呼ばれる現象である。
 
LSD使用者の2割がフラッシュバックを経験し、その内4割がフラッシュバックに恐怖を感じ、3割は[[多幸感]]を味わう<ref>{{Cite journal |author=M.Duncan Stanton. , |author2=Alexander Bardoni. |year=1972 |title=Drug Flashbacks: Reported Frequency in a Military Population (1972)|journal=American Journal of Psychiatry |volume=129 |pages=751-755}}</ref>。
 
フラッシュバックは情緒的な[[ストレス (生体)|ストレス]]状況や[[自我]]の働きが変容している時、[[疲労]]や[[マリファナ]]等による[[酩酊]]状態、トリップ時と似た状況に対峙したときに起きやすい<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=274頁。</ref>}}
 
フラッシュバックの有無や頻度、作用時間は様々であるが、一般的には時間とともに量も強さも減少し、数ヶ月も経てば滅多に起きなくなる<ref>{{Sfn|レスター グリンスプーン|ジェームズ・B. バカラー 『サイケデリック・ドラッグ』 ISBN 978-4875023210。|2000|p=273頁。</ref>}}
 
{{日本語版にない記事リンク|[[幻覚剤持続性知覚障害|en|Hallucinogen persisting perception disorder}}]](HPPD)とは、[[精神障害の診断と統計マニュアル|DSM]]におけるこの名称の後ろに「(フラッシュバック)」とあるように、フラッシュバックである<ref name="DSM-IV-TR-JP">{{Cite book|和書|author=アメリカ精神医学会|authorlink=アメリカ精神医学会|coauthor=高橋三郎・[[大野裕]]・染矢俊幸訳|title=DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル(新訂版)|publisher=[[医学書院]]|date=2004|isbn=978-0890420256|pages=249-250}}</ref>。HPPDでは現実検討は障害されないためそれが幻覚であることの自覚があり、診断基準Aにより色や動きに関する視覚的なものであり、診断基準Bにより、著しい苦痛や社会的な機能の障害を伴う場合である<ref name="DSM-IV-TR-JP"/>。
 
== 法規制の状況 ==
=== 日本 ===
LSDは1970年より[[麻薬及び向精神薬取締法]]による取締りの対象となり、[[非営利]]目的であった場合、輸出・輸入、施用は1年以上10年以下の[[懲役拘禁刑]]、譲受・譲渡、所持、使用は7年以下の懲役拘禁刑となる。[[営利]]目的であった場合、輸出・輸入、施用は1年以上の有期懲役拘禁刑、[[情状]]により500万円以下の罰金を併科、譲受・譲渡、所持、使用は10年以下の懲役拘禁刑、情状により300万円以下の[[罰金]]を併科される<ref>[http{{Cite web|和書|url=https://lawlaws.e-gov.go.jp/cgi-binlaw/idxselect.cgi?IDX_OPT328AC0000000014 |title=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%dc&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S28HO014&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1 麻薬及び向精神薬取締法] |accessdate=2007-08-15 |work=e-Gov法令データ提供システム)検索 |publisher=総務省行政管理局}}</ref>。
 
また1991年より、[[薬物]][[犯罪]]に対する国際的な協力への対応を主な目的とし、薬物犯罪収益の剥奪等を定めた[[国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律]]の適対象ともなった<ref>[http{{Cite web|和書|url=https://lawlaws.e-gov.go.jp/cgi-binlaw/idxselect.cgi?IDX_OPT403AC0000000094 |title=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%b1&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H03HO094&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1 国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律] |accessdate=2007-08-15 |work=e-Gov法令データ提供システム)検索 |publisher=総務省行政管理局}}</ref>。
 
=== 中国 ===
LSDは[[中華人民共和国刑法|刑法]]各則第6章第7節により規制されており、販売や密造や輸出入等、行為内容自体よりも取扱量により罰則が違う点に特色がある(使用に関しては[[行政行為|行政処分]]はあるものの刑法上の処罰はない)。取扱量が極少量であった場合は3年以下の懲役、罰金を併科、情状により3年以上7年以下の懲役、罰金を併科となる。取扱量が少量であった場合は7年以上の懲役となり、罰金を併科される。取扱量が大量であった場合、または[[逮捕]]される際に武装して抵抗した場合、[[麻薬]][[犯罪組織]]の首謀者または国際的麻薬犯罪組織に関わっていた場合は15年の懲役または[[無期懲役]]もしくは[[死刑]]となり、[[財産]]を没収される<ref>[{{Cite web |url=http://cssc.51.net/jdxc/flfg.htm |title=毒品犯罪] {{|accessdate=2008-01-03 |language=zh icon|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080217040236/http://cssc.51.net/jdxc/flfg.htm |archivedate=2008-02-17 |url-status=dead|url-status-date=2018-11-19}}</ref>。
 
=== アメリカ ===
アメリカでは[[連邦法]]や[[州法]]等、様々な法が存在するために運用は複雑であるが(例えば1967年当時、[[アリゾナ州]]の州法ではLSDの所持は1年以下の懲役もしくは1000ドル以下の罰金または併科、使用は[[初犯]]の場合は1年以下の懲役または1000ドルの罰金、[[累犯]]の場合は1年以上10年以下の懲役もしくは5000ドルの罰金または併科、売買は1年以上15年以下の懲役もしくは10000ドル以下の罰金または併科となっていた。これに対し[[ミシシッピ州]]の州法では所持と製造は1回目の場合は2年以上5年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、2回目の場合が5年以上10年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、3回目以上の場合は10年以上20年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、売買は初犯の場合は5年以上10年以下の懲役と2000ドル以下の罰金、累犯の場合は[[終身刑]]、ただし売買相手が[[未成年者]]であった場合は最高で終身刑と20000ドル以下の罰金となっていた<ref>{{Cite book |author=Richaard C. DeBold. , |author2=Russell C. Leaf. |title=LSD, Man & Society( |year=1969 |publisher=Faber & Faber 1969)}}</ref>)、LSDは1970年に[[規制物質法]]のスケジュール1、「[[濫用]]の可能性があり、かつ[[医学]]的用途のない薬物」に分類された<ref>[http{{Cite web |url=https://www.usdojdea.gov/dea/pubs/scheduling.html |title=Drug Scheduling] {{en|accessdate=2007-09-30 icon}}|publisher=United States Drug Enforcement Administration (DEA) |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071015052057/https://www.dea.gov/pubs/scheduling.html |archivedate=2007-10-15 |url-status=dead|url-status-date=2018-11-19}}</ref>。
 
=== イギリス ===
LSDは[[1971年薬物乱用法]]においてクラスAに定められている。所持は7年以下の懲役もしくは無制限の罰金、または併科となり、売買や生産は最高で終身刑もしくは無制限の罰金、または併科となる<ref>[{{Cite web |url=http://www.homeoffice.gov.uk/drugs/drugs-law/Class-a-b-c/ |title=Class A, B and C drugs] {{en|accessdate=2008-01-01 icon}} (|publisher=Home Office) |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100501153004/http://www.homeoffice.gov.uk/drugs/drugs-law/Class-a-b-c/ |archivedate=2010-05-01 |url-status=dead|url-status-date=2018-11-19}}</ref>。
 
=== オーストラリア ===
オーストラリアには連邦法や州法等、様々な法が存在するために運用は複雑であるが、LSDは[[薬物及び毒物の画一的分類基準]]においてスケジュール9、「研究用途に限定され、使用、所持、販売や譲渡、製造は一切禁止される薬物」に分類されている<ref>[{{Cite web |url=http://www.tga.health.gov.au/ndpsc/susdp.htm |title=Standard for the uniform scheduling of drugs and poisons] {{en|accessdate=2008-01-02 icon}} (|publisher=Australian Government Department of Health and Ageing) |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110423013427/http://www.tga.health.gov.au/ndpsc/susdp.htm |archivedate=2011-04-23 |url-status=dead|url-status-date=2018-11-19}}</ref>。
 
=== カナダ ===
LSDは[[規制薬物及び物質法]]おいてスケジュール3に分類されている。所持、使用は3年以下の懲役、[[略式起訴]]による場合は、初犯は1000ドル以下の罰金もしくは6ヵ月以下の懲役または併科、累犯の場合は2000ドルの罰金もしくは1年以下の懲役または併科となる。施用、売買、輸出入または営利目的の所持は10年以下の懲役、略式起訴による場合は18ヵ月以下の懲役となる<ref>[{{Cite web |url=http://laws.justice.gc.ca/en/C-38.8/ |title=Controlled Drugs and Substances Act] {{en icon}}|accessdate=2008-01-03 (|publisher=Department of Justice Canada) |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110105201222/http://laws.justice.gc.ca/en/C-38.8/ |archivedate=2011-01-05 |url-status=dead|url-status-date=2018-11-19}}</ref>。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist}}
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*[[ {{Cite book |和書 |author=A.ホッフマン |authorlink=アルバート・ホフマン (化学者)|A.ホッフマン]]『LSD-幻想世界への旅』 |others=[[堀正]]([[榎本博明]]([[福屋武人]] |title=LSD-幻想世界への旅 |year=1984 |publisher=新曜社、1984年、ISBN |ISBN=978-4788501829 |ref=harv}}(原著 ''LSD-MEIN SORGENKIND'', 1979)
*[[ {{Cite book |和書 |author=ティモシー・リアリー]] 『フラッシュバックス-|authorlink=ティモシー・リアリー自伝』 |others=[[山形浩生]]([[久霧亜子]]([[明石綾子]]([[森本正史]]([[松原永子]]() |title=フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝 |year=1995年。ISBN |ISBN=978-4845709038 |ref=harv}}(原著 FLASHBACKS, 2nd edition, 1ed:1983, 2ed:1990)
*[[ {{Cite book |和書 |author=トム・ウルフ |authorlink=トム・ウルフ]] |title=クール・クールLSD交感テスト |others=[[飯田隆昭]]() |year=1971 |publisher=太陽社、1971年。 |ref=harv}}(原著''Electric Kool-Aid Acid Test'', 1969)
* {{Cite book|和書 |author=マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン |others=[[越智道雄]](訳) |title=アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、 |year=1992 |publisher=第三書館、1992年、ISBN |ISBN=978-4807492039 |ref={{SfnRef|マーティン・A.リーブルース・シュレイン1992}}}}(原著 ''[httphttps://books.google.co.jp/books?id=e39s92O14EsC ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond]'', 1985)
*[[ {{Cite book |和書 |author=レスター・グリンスプーン]]、 |authorlink=レスター・グリンスプーン |author2=ジェームズ・B. バカラー |others=[[杵渕幸子]](訳)、[[妙木浩之]](訳) |title=サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化 杵渕幸子訳、妙木浩之訳、|year=2000 |publisher=工作舎、2000年。 |ISBN =978-4875023210。( |ref=harv}}(原著 ''Psychedelic Drugs Reconsidered'', 1979)1979)
 
== 関連項目 ==
* [[サイケデリック]]
* [[グレイトフル・デッド]]
* [[ジミ・ヘンドリックス]]
* [[ケン・キージー]]
* [[ヒッピー]]
* [[ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ]]
* [[トランスパーソナル心理学]] - [[スタニスラフ・グロフ]]
* [[大麻]]
* [[コカイシロシビン]]
* [[ヘロイン]]
* [[オルダス・ハクスレー|オルダス・レナード・ハクスリー]]
* [[ティモシー・フランシス・リアリー]]
* [[リゼルグ酸アミド]] (LSA)
* [[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]
* [[セロトニン]]
* [[フラッシュバック (薬物)]]
* [[幻覚剤]]
* [[向精神薬]]
* [[麦角]]
* [[トランスパーソナル心理学]]-[[スタニスラフ・グロフ]]
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://www.sandoz.com/site/en/index.shtml SANDOZ homepage] - サンド研究所のホームページ
* [{{Wayback |url=http://www.lsd.info/symposium/home-en |title=LSD Symposium] |date=20080908064829}} - アルバート・ホフマンの誕生100年を記念したシンポジウム
* [httphttps://www.erowid.org/chemicals/lsd/lsd.shtml Erowid] - LSDやその他薬物に関する情報サイト
* [https://acidmollylsd.blog.jp/archives/9853711.html ハウツーLSD(ハームリダクション)]-LSDの扱い方に関する1つの情報源
 
{{DEFAULTSORT:LSDNormdaten}}
 
[[Category:麻薬]]
{{DEFAULTSORT:えるえすてい}}
* [[Category:幻覚剤]]
[[Category:アルカロイド]]
[[Category:ヒッピー・ムーブメント]]
[[Category:イーライリリー・アンド・カンパニー]]
[[Category:ノバルティス]]
[[Category:マインドコントローリゼグ酸アミド類]]
[[Category:セロトニドール受容体作動薬]]
[[Category:アミン]]
 
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