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| 芸名 = 風見 しんご
| ふりがな = かざみ しんご
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| = 大下 義博風見慎吾
| 出生地 = [[広島県]][[広島市]][[西区 (広島市)|西区]][[己斐]]
| 別名義 = 風見 慎吾
| 死没地 =
| 出生地 = [[広島県]][[広島市]][[西区 (広島市)|西区]]
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->
| 死没地 =
| 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です -->
| 国籍 = {{JPN}}
| 民族身長 = 169[[日本人センチメートル|cm]]
| 身長 =169[[センチメートル|cm]]
| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]
| 生年 = 1962
| 生月 = 10
| 生日 = 10
| 没年 =
| 没月 =
| 没日 =
| 職業 = [[俳優]]、[[タレント]]、[[歌手]]、[[俳優]]
| ジャンル = [[バラエティ番組]]、[[テレビドラマ]]
| 活動期間 = [[1982年]] -
| 活動内容 =
| 配偶者 = 既婚[[荒井晶子]]
| 著名な家族 = 次女[[大下えみる]]
| 事務所 = [[マスタープラン]]
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 公式サイト =
| アカデミー賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| セザール賞 =
| エミー賞 =
| ジェグラ賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
| グラジェ賞 =
| ブルセザリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| その他の賞 = 第16回[[日本有線大賞]]最優秀新人賞
| 備考 =
}}
'''風見 しんご'''(かざみ しんご、[[1962年]][[10月10日]]{{R|365日}} - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[タレント]]、[[歌手]]、[[ダンサー]]。当初の芸名は'''風見 慎吾'''(読み同じ)。本名は'''大下義博'''。<ref>テレビタレント人名辞典</ref>1982年から1988年まで[[バーニングプロダクション]]、1989年よりマスタープラン(バーニング系)に所属。日本における「'''[[ブレイクダンス]]の先駆者'''」とされる<ref name="breakin">{{Cite news |author= |title= 風見しんご感慨、ブレイクダンスがパリ五輪追加種目決定 日本普及には欽ちゃん助言も|work=[[デイリースポーツ]] |publisher = [[神戸新聞社]] |date=2020-12-14 |url= https://www.daily.co.jp/general/2020/12/15/0013938710.shtml|accessdate=2020-12-29 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20201229111934/https://www.daily.co.jp/general/2020/12/15/0013938710.shtml|archivedate=2020-12-29 }}{{Cite news |author= 吉永岳央 |title=「僕のブレークダンス古い?でも幸せ」 風見しんごさん |work=[[朝日新聞デジタル]] |publisher=[[朝日新聞社]] |date=2017-5-26 |url=https://www.asahi.com/articles/ASK5V00VQK5TUTQP027.html |accessdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170526102231/https://www.asahi.com/articles/ASK5V00VQK5TUTQP027.html |archivedate=2017-5-26 }}{{Cite news |author= 吉永岳央、吉村真吾 |title=「ブレークダンスを五輪競技に」日本の10代、世界屈指 |work=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社 |date=2017-5-26 |url=https://www.asahi.com/articles/ASK5D440YK5DUTQP00S.html |accessdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170612222504/https://www.asahi.com/articles/ASK5D440YK5DUTQP00S.html |archivedate=2017-6-12 }}{{Cite news |author=井上敬雄・畔川吉永 |date=2023-09-14 |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20230913-OYT1T50292/ |title=「先駆者」風見しんごから始まったブレイキンの歴史、五輪切符をかけて日本勢が世界選手権へ |newspaper=[[読売新聞オンライン]] |publisher=[[読売新聞社]] |accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240126033825/https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20230913-OYT1T50292/ |archivedate=2024年1月26日 }}{{Cite news |author=古和康行 |date=2023-09-09 |url=https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20230904-OYT1T50099/ |title=都市伝説になった「先駆者説」、風見しんごがブレイキンをテレビに出すまで…大物「何がやりたいんだ」 |newspaper=読売新聞オンライン |publisher=読売新聞社 |accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230910013735/https://www.yomiuri.co.jp/sports/actionsports/20230904-OYT1T50099/ |archivedate=2023年9月10日 }}{{Cite web |author= |date=2020-12–15 |url=https://radichubu.jp/newsman/contents/id=34584|title=2024年五輪の新競技、日本で広めた芸能人とは誰? |website=[[石塚元章 ニュースマン!!]] |publisher=[[CBCラジオ]] |accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240126065824/https://radichubu.jp/newsman/contents/id=34584 |archivedate=2024年1月26日 }}{{Cite news |author=|title=ザ。インタビュー トップ・ランナーの肖像#382 風見しんご(タレント)|work=[[ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜]]|publisher=[[BS朝日]]|date=2018-04–28|url=https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/prg_382/|accessdate=2020-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180428023503/https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/prg_382/|archivedate=2018–04-28}}{{Cite web|和書|url=http://www.redbull.com/jp/ja/music/stories/1331831665512/shingo_kazami|title= ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご|publisher=Red Bull BC One World Final 2016|date=2016-11-28 |accessdate=2016-11-30 |archiveurl=https://archive.fo/QViHA |archivedate=2017-6-17 }}{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/pressrelease/163770/|title=ブレイクダンス先駆者 風見しんご×世界的ダンサー ISOPP 初共演『サラリーマン交渉バトル』|work=ORICON NEWS|publisher=[[オリコン]]|date=2017-06-17 |accessdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180110192508/https://www.oricon.co.jp/pressrelease/163770/|archivedate=2018-01-11 }}{{Cite news|author=|title=連載【詩人・黒川隆介のアンサーポエム】特別編 RYO-Z(RIP SLYME)と語る、リリックの源|work=Mikiki|publisher=[[タワーレコード]]|date=2020-05-28|url=https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25265|accessdate=2020-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200926180757/https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/25265|archivedate=2020–09-26}}{{Cite web|和書|title=タレント 風見しんごさん: 関弁連がゆく |date=2012-03-15|url=https://www.kanto-ba.org/series/117/|website=www.kanto-ba.org|publisher=[[関東弁護士会連合会]]|accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201229103341/https://www.kanto-ba.org/series/117/|archivedate=2020年12月29日 }}{{Cite web |和書 |date=2020-03-09 |url=https://nhkbook-hiraku.com/n/nfee119badd4a |title=1973年8月11日、ラップはニューヨークで生まれた〔後編〕 ――「The Message」が歴史を変えた。そして、そのとき日本は?――『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』より |website=[[NHK出版]]/[[note (配信サイト)|note]] |publisher=[[note (企業)|note]] |accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200708212712/https://nhkbook-hiraku.com/n/nfee119badd4a |archivedate=2020年7月8日 }}{{Cite web|和書|author=Yuri Aoyagi|title=ストリートダンスの偉人達 CRAZY-A |date=2018-10-03|url=http://xn--gckasc1de2c6c1l8cuge.com/?p=5308|website=トウキョウダンスマガジン|publisher=|accessdate=2024年1月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200806223831/http://xn--gckasc1de2c6c1l8cuge.com/?p=5308|archivedate=2020年8月6日 }}[https://www.zakzak.co.jp/spo/news/201209/spn2012090002-n1.html 24年パリ五輪「ブレイクダンス」が“スピード昇格” 野球、ソフト、空手は落選]、[https://www.tvlife.jp/entame/225631 今田耕司&指原莉乃も驚き!ファンが語った風見しんごの芸能界No.1“神対応”]、[https://thetv.jp/news/detail/229968/ 男も憧れたトシちゃんにマッチ、チェッカーズ、吉川晃司ほか80年代男性アイドルソングの魅力]、[http://www.news-postseven.com/archives/20130506_186006.html 「ダンスブームの先駆け・風見しんご 今もキレあるダンス披露」][[NEWSポストセブン]](2013年5月6日)、 [https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/21/kiji/K20160521012627960.html 「TAKAHIRO “世界が尊敬するダンサー”が抱く夢と挑戦」][[スポーツニッポン]](2016年5月21日)</ref><ref name="news1242">
'''風見しんご'''(かざみ しんご、[[1962年]][[10月10日]] - )は、[[日本]]の[[タレント]]、[[歌手]]、[[ダンサー]]、[[俳優]]。本名、'''大下 義博'''。
{{Cite news|author=チャッピー加藤/NEWS ONLINE 編集部|title=祝!優勝!!広島出身アーティストの曲【歌謡曲ここがポイント!】|work=ニッポン放送 NEWSONLINE|publisher=[[ニッポン放送]]|date=2016-09-11|url=https://news.1242.com/article/103545|accessdate=2020-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200204081706/https://news.1242.com/article/103545|archivedate=2020–02-04}}</ref><ref name="40男1406">{{Cite journal|author=伊藤禎|date=2014年6月|periodical=昭和40年男|title=『欽ちゃんの週刊欽曜日』を振り返る 風見しんごインタビュー|publisher=クレタパブリッシング|pages=48–51}}</ref>。
 
[[還暦]](60歳)を迎えた2022年10月10日、恩師・萩本欽一の[[YouTube]]生配信番組『[[夢欽月曜日]]』に突然現れ、60歳を機に芸能活動を年内で一区切りして2023年1月より[[ロサンゼルス]]へ[[語学]][[留学]]すると報告。すでに6年前より次女と妻は渡米していた。
[[広島県]][[広島市]][[西区 (広島市)|西区]]己斐(こい)出身。[[成蹊大学]][[工学部]]中退。当初の芸名は「'''風見慎吾'''」。
 
既婚者であり、2007年1月中旬以降、妻と次女と生活している(長女は交通事故で死亡、詳細は後述)。
 
== 来歴・人物 ==
地元の町工場を経営する父の影響で[[エンジニア]]を目指していた。[[広島市立己斐小学校]]を経て、[[広島学院中学校・高等学校]]に進学。高校生時代は[[数学 (教科)|数学]]と[[理科|物理]]が得意で<ref name="kahoku830912">『[[河北新報]]』1983年9月12日20面「登場」コーナー</ref>、周囲からは[[広島大学]]を勧められていたが、[[東京]]の[[成蹊大学]]([[工学部]]、[[機械工学]]専攻)に進学する<ref name="kahoku830912"/>。大学在学中の1981年、[[東京ビクトリークラブ]]のメンバーだった[[哀川翔]]を[[原宿]]で見て、チームに入れてくださいと懇願してメンバー入り<ref name="オトナ" />。デビュー前は髪型を[[リーゼント]]でキメていた。愛称は"ボビー"。哀川とお揃いの[[ダブル#服飾|ダブル]]の[[革ジャン]]を着て[[ラバーソウル]]を履いて二人で歩いていると、当時よく雑誌に声をかけられ『[[ポップティーン]]』や『[[プチセブン]]』に初めて掲載。哀川が先に加入していたグループに「お前も参加しろ」と声をかけられ参加する。その後、そのグループに加入したのが[[野々村真]]、[[羽賀研二]]<ref name="電池" />。『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』の[[オーディション]]に野々村の付き人として風見と[[武野功雄]](のちに『[[欽ドン]]』出演)の2人が同行<ref name="40男1406"/>、何故か[[付き人]]として行っていた風見が合格<ref name="40男1406"/><ref name="オトナ" />。その後、野々村と羽賀は[[いいとも青年隊]]となる。野々村と羽賀は[[劇男一世風靡]]の前身である[[劇男零心会]]のメンバーで、劇男一世風靡に参加していないが、風見は立ち上げには関わり、事実、哀川達と「ユニーク集団 劇男一世風靡を立ち上げました」と語り、劇男一世風靡の舞台にも上がっている。『[[哀川翔のオトナ倶楽部]]』「第15回ボビーと革ジャンとリーゼントと」([[BSフジ]])で哀川は、風見と野々村を「初期一世風靡のメンバー」と紹介した<ref name="オトナ" />。
地元の町工場を経営する父の影響で[[エンジニア]]を目指し、[[広島学院中学校・高等学校]]に進学。この時の同級生に現:[[衆議院|衆議院議員]]の[[河井克行]](広島3区選出・[[自由民主党|自民党]]所属)がいる。周囲からは地元の[[広島大学]]を勧められたが、[[東京]]の[[成蹊大学]]に進学する。
 
[[1982年]]、[[TBSテレビ|TBS]]『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』オーディションに合格して。芸能界デビュー(当時の芸名風見慎吾」という芸名だった<ref name="40男1406"/>。合格した理由も、この時のオーディションで[[萩本欽一]]に会った時に大きな声であいさつし挨拶。「有名人を前に萎縮することもなく、バカでかい声であいさつ挨拶して合格!」と言われたという単純なことだった<ref name=anonet>{{Cite web|和書|url=http://www.acc-aichi.org/anonet/anonet14/interview/|title=あのねっとインタビュー 風見しんごさん|publisher=あのねっと|date=2003-02-18|accessdate=2014-06-30}}</ref>。この番組風見は元々母親から大きな声[[欽挨拶するよう言われて育ゃんファミリー]]の若、声が大メンバーくなったこして存在感を放つで友達も出来易く「いいことがたくさんあった」こういったことから、自分傍ら娘たちにも大きな声[[劇男一世風靡]]が分裂挨拶する前の[[劇男零心会]]のメンバーして活躍しを教えている。娘(劇男零心会に参加していたが劇男一世風靡には参加し自分と妻を「チチ」「ハハ」と呼ばせていない)<ref name="電池">[[吉田豪]]、[[掟ポルシェ]]『電池以下』[[アスペクト]]、2012年、 pp.18-24<anonet/ref><ref name="オトナ">[http://www.aikawashow.com/otona/ 哀川翔のオトナ倶楽部<哀川翔―「自由」とは「暗黙のルール」がある ]哀川翔 初プロデュース番組! 「哀川翔のオトナ倶楽部]</ref>。
 
[[欽ちゃんファミリー]]の中で抜群の[[アイドル]]性を放った<ref name="40男1406"/><ref name="オトナ">[http://www.aikawashow.com/otona/ 哀川翔のオトナ倶楽部<哀川翔―「自由」とは「暗黙のルール」がある] 哀川翔 初プロデュース番組!「哀川翔のオトナ倶楽部]</ref><ref name="電池">[[吉田豪]]、[[掟ポルシェ]]『電池以下』([[アスペクト (出版社)|アスペクト]]、2012年)pp.18-24</ref>。デビュー日(1982年10月8日)以来、現在まで一度もレギュラー番組が途切れることなく40年目(2022年4月期現在でレギュラー番組99本)を迎えている。
[[1983年]]には「[[僕笑っちゃいます]]」でレコードデビューを果たし、第16回[[日本有線大賞]]最優秀新人賞、第16回日本レコードセールス大賞新人賞(男性部門)をそれぞれ受賞した。4曲目の「[[涙のtake a chance]]」(1984年12月リリース)は、自ら[[ニューヨーク]]に出向き猛特訓で[[ブレイクダンス]]を修得。振り付けに取り入れ話題を呼ぶ<ref name="sonymusicshop">[http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=3542&cd=FLCF000004377 風見慎吾 ゴールデンベスト ~FRIDAY TROUBLE+ ... - Sony Music Shop]、[http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=4139&cd=FLCF000007184 Sony Music Shop | 風見 しんご・ゆるら]</ref><ref name="forlife">[http://www.forlife.co.jp/artist/profile.html?aid=FL00030 風見しんご FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC.]</ref>。これをテレビで見てブレイクダンスを始めたものも少なくない<ref>[http://listen.jp/store/musictopics_2723.htm クレンチ&ブリスタ、待望の2ndアルバム!! ]、[http://zeromagazine.jp/interview_2/2009/07/10/ ZERO MAGAZINE|ゼロマガジン / インタビュー]、[http://ishida.laff.jp/blog/2005/01/post-713b.html 石田靖 公式ブログ『やすログ』: 最近のブレイクダンス・]、[http://www.crescendoll.com/staff/2009/02/post_289.html 懐かしいの... 原点 そして進化へ (Weblog)]、[http://www.tokyo-dance-magazine.com/people/feelin/index.html TDM Special イベントプロジェクトチーム「feelin'」特集]、[http://mag.vibirth.com/2011/05/interview026.php viBirth Artist Interview♯026『竹本健一』 | viBirth Magazine]</ref>(1985年放送の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のドラマ『[[スタア誕生 (テレビドラマ)|スタア誕生]]』、『[[ヤヌスの鏡]]』に出演の際にも一部踊っているシーンがある)。日本におけるブレイクダンスの先駆者であり、テレビを通して日本中にブレイクダンスを広めた人物の1人である<ref name="sonymusicshop"/><ref name="forlife"/><ref name="postseven">[http://www.news-postseven.com/archives/20130506_186006.html NEWSポストセブン|ダンスブームの先駆け・風見しんご ]</ref><ref name="meguru">[http://meguru-records.com/shopdetail/001000000154/ 風見慎吾/Beat on Panic(7インチ) - MEGURU RECORDS]</ref><ref name="お願い!ランキング">『[[お願い!ランキング]]GOLD 2時間スペシャル』([[テレビ朝日]]、2011年10月15日放送)</ref><ref name="ラジオ">[http://www.tbsradio.jp/kakiiin/2012/02/227_4.html 『[[Kakiiin]]』[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、2012年2月27日放送]、[http://feel.fmfuji.co.jp/?p=5345 FEEL SO MUSE、エフエム富士、2012年2月28日放送]</ref><ref name="二人の食卓">[http://datazoo.jp/tv/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%A3%9F%E5%8D%93%E3%80%9C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94%E3%80%9C/511400 二人の食卓〜ありがとうのレシピ〜|テレビ朝日|2011/09/10]、[http://www.nhk.or.jp/fm-blog/200/25001.html NHK-FM 2009年8月15日『今日は一日"なつかしのアイドル"三昧』]、[http://www.nitteleplus.com/program/stage/top10.html ザ・トップテン : ステージ・音楽・映画 : 日テレプラス]、[http://ameblo.jp/shinwakataoka/entry2-10531434793.html 風見しんごさん!|片岡信和オフィシャルブログ 「curiosity killed the cat]、[http://www.amazon.co.jp/gp/feature.html?ie=UTF8&docId=1000236386 DEEP DIVE ― MCU]、[http://tosakenchannel.com/blog/category/hiphop/page/3/ hiphop : Tosaken Blog]、[http://level415.qp.land.to/nikki/060519.html よゐこの芸能日記 2006年5月19日]、[http://www.yamano-music.co.jp/docs/musicheroes/0meg-a07.jsp 山野楽器:MEG-CD(メグCD)のご案内]</ref>。
 
[[岡村隆史]]([[ナインティナイン]])や[[ガレッジセール]]もリスペクトする存在と語ったことがある<ref name="postseven"/><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=llLlaCnENDI&feature=related ]</ref>。[[CRAZY-A]]やCAKE-Kらは風見のバックダンサーを務めた<ref>[http://www.cyzo.com/2010/01/post_3659.html "伝説のB-BOY"CRAZY Aは欽ちゃんファミリーだった!? - 日刊サイゾー]、[http://www.kingrecords.co.jp/cake_k/ Kingrecords Webcommunication>CAKE-K]、[http://www.arp.jpn.com/reald/ ダンススタジオREAL-D - ARP]</ref>。[[2009年]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]の欧州ツアーのバックダンサーを務めたTAKAHIROは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[速報!歌の大辞テン]]』で見た風見の「[[涙のtake a chance]]」に衝撃を受け、ダンスにのめり込んでいったと話している<ref>[[九州スポーツ]]、2010年4月22日9面、[http://www.cocoanewyork.com/mag/takahiroueno.html Dancer Takahiro Ueno interview by Mie Iwatsuki]、[http://ameblo.jp/takahiroueno/entry-10364337512.html TAKAHIROオフィシャルブログ「NYをダンスで生きる」]、[http://taichimaster.jp/2012/02/07/mcu-namida-no-take-a-chance/ MCU “Namida no take a chance” | TAICHIMASTER.JP]</ref>。
 
1983年5月、同郷の大先輩である[[吉田拓郎]]作曲の「'''[[僕笑っちゃいます]]'''」で[[レコード]]・デビュー<ref name="news1242"/><ref name="40男1406"/>。デビュー曲ながら33万枚売上<ref name="40男1406"/>、風見最大のヒット曲にして代表曲<ref name="40男1406"/>となった。2曲目「泣いちっちマイ・ハート」と合わせ、第16回[[日本有線大賞]]最優秀新人賞、第16回[[日本レコードセールス大賞]]新人賞(男性部門)などそれぞれ受賞<ref name="40男1406"/>。4曲目「'''[[涙のtake a chance]]'''」(1984年12月)では自ら[[アメリカ合衆国|米国]][[ニューヨーク]]に出向き猛特訓で[[ブレイクダンス]]を修得<ref name="breakin" /><ref name="news1242" /><ref name="40男1406" />。振付に大胆に取り入れ、当時の[[音楽番組]]で大きな話題を呼んだ<ref name="40男1406" />。女性だけでなく男性アイドルにさほど興味のない10代の男たちを虜にした功績は大きく<ref name="40男1406" />日本におけるブレイクダンスの先駆者で、テレビを通し日本中にブレイクダンスを広めた人物と評価<ref name="breakin" /><ref name="news1242" /><ref name="40男1406" />されている。風見がレギュラー出演した『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』は、風見のブレイクと同時に『[[ザ・ベストテン]]』などの[[歌番組]]に出演することにより<ref name="40男1406" />、逆輸入する形で<ref name="40男1406" />、風見を見たい若い男性ファンと10代の少女ファンを取り込み人気も本格的なものになった<ref name="40男1406" />。風見は新しい[[視聴者]]層を開拓した功労者<ref name="40男1406" />。「涙のtake a chance」の次は[[タップダンス]]を、と師匠の[[萩本欽一]]に促されるも、固辞。5曲目は更に激しいダンス([[ヌンチャク]]を使用した、本人曰く「バトルダンス」)の「BEAT ON PANIC」(1985年4月)、B面の「Hollywoodスペシャル」がタップダンス調となった。「BEAT ON PANIC」は[[打ち込み]]を導入した[[エレクトロ]]風の[[ファンク|ファンキー]]な[[ダンスミュージック|楽曲]]で、曲の一部に[[ラップ]]が取り入れられており、これも日本の[[ポピュラー音楽]]への導入としては初期のものとなる。また週刊欽曜日で歌う時に[[インカム]]式ヘッドマイク(ブレイクマイク)導入もいち早く初期である。
またこれ以前の歌のダンスは、あくまで歌の振り付けであったが、この曲はダンスに歌が付いている、といえる程大胆にダンスを取り入れており、ここまでの楽曲はこれ以前になく、このため今日隆盛を極めるダンスミュージックの先駆者、としての評価もある<ref name="sonymusicshop"/>。なお、ダンスの激しさと当時の演奏事情から、生歌のみで披露するとマイクを通して息継ぎの音が大きく聞こえたり、口からマイクを一定の距離で固定出来ないことによりマイクを通して聞こえるボーカルの音が大きくなったり小さくなったりしたため、[[音楽番組]]へ出演した時はレコーディングされたボーカルを流し、そこに生歌を被せて披露していた。また生歌でも不可能な場合は[[口パク]]で対応したりもした。この事態から、[[平野啓一郎]]は、激しいダンスと歌の両立はムリ、という風見の提示が、後に歌とダンスの役割を分担する[[TRF]]や[[EXILE]]のようなグループを生み、他方「[[口パク]]」OKで、歌手自らが踊りながら歌うという流れを生んだと解説している<ref>[http://202.214.174.123/article/column/20081001/1019284/ nikkei TRENDYnet(日経トレンディネット) 作家・平野啓一郎による現代の仕事人伝]</ref>。なお、風見自身は2011年10月15日放送の『お願い!ランキング』において、「口パクは1度もしていない」と答えており、歌唱は全て生歌だったと話している。
 
[[インターネットテレビ|WEB配信番組]]にもいち早く取り組み、2002年12月からテレビスタジオ([[パナソニックセンター有明スタジオ]])よりテレビカメラ4台を使って2時間の生配信レギュラー番組『TOKYO ひかり TOWN』を放送。
「[[涙のtake a chance]]」の次は[[タップダンス]]を、と師匠格の[[萩本欽一]]に促されるも、本人が固辞し5曲目はさらに激しいダンス([[ヌンチャク]]を使用した、本人曰く「バトルダンス」)の「Beat On Panic」(1985年4月リリース)となり、タップダンスは封印される。同曲は[[打ち込み]]を導入した[[エレクトロ]]風の[[ファンク|ファンキー]]な[[ダンスミュージック|楽曲]]で<ref name="meguru"/>、曲の一部に[[ラップ]]が取り入れられており、これも日本の[[ポピュラー音楽]]への導入としては初期のものとなる。
 
[[1987年]]、主演映画に2は3主演1987年公開[[泣き虫チャチャ]]』は自身の6曲目「[[泣き虫"チャチャ"の物語]]」がテーマ曲主題歌続いて同年公開『[[あいつに恋して]]』デビュ相手役オしたてのディションで[[森高千里]]をヒロインに迎えているが選ばれ芸能界入り<ref>[httphttps://www.asagei.com/excerpt/6015 森高千里「私がオバサンになっても」(前編)(1)九州育ちが「どさん娘」デビュー] [[アサヒ芸能|Asagei Plus]](2012年6月19日)2022年6月26日閲覧</ref>。1992年公開の『[[200X年 翔]]』では息子役に[[堂本光一]]、同級生役に[[堂本剛]]が出演、その後、彼等は「[[KinKi Kids]]」としてデビューした
 
映画の役柄で[[ピアス]]を開けたが、当時はピアスをしている男は少なく、同郷の"[[吉川晃司]]とデキてる"などか、[[週刊誌]]にいろいろ書か揶揄された。この頃1983年、[[横浜銀蝿|銀蠅一家]]の[[矢吹薫嶋大輔]]と[[嶋大輔矢吹薫]]の3人で「[[ハリケーントリオ]]」を結成して全国を回った<ref name="電池" />。風見は[[デヴィッド・ボウイ]]の大ファンで、デヴィッド・ボウイと同じ[[背広|スーツ]]を作ってもらって誂え、[[化粧]]も施して[[ビリー・ジョエル]]や、[[カルチャー・クラブ]]の楽曲、[[欽ちゃんファミリー]][[メドレー]]など3人で歌った<ref name="電池" />。選曲は放送作家集団「パジャマ党」[[大岩賞介]]<ref name="電池" />。当時は3人の所属レコード会社が既に異なった為、ハリケーントリオとしてレコード・デビュー出来なかったが所属事務所、レコード会社が違うアーティストでグループを組んでの活動も[[イモ欽トリオ]]、[[わらべ]]のように欽ちゃんファミリーが初期となる
 
[[バンドブーム]]全盛期の[[1988年]]から[[1990年]]まで、[[東京放送ホールディングスTBSテレビ|東京放送TBS]]で放送された[[音楽番組]]・『[[キラリ・熱熱CLUB]]』の司会を16回まで務めた<ref name="キラリ">[http://tod.tbs.co.jp/item/2261/ TBSオンデマンド|音楽|キラリ・熱熱CLUB]</ref>。また[[ニッポン放送]]で嶋大輔や[[羽賀研二]]、[[松村雄基]]らと『[[ヤングパラダイス#箱番組|どんまいフレンド]]』という[[ラジオ番組]]を持った<ref name="電池" />。
 
一人称を「自分は〜」と呼ぶ口調が特徴的(普段の公式ブログやコメントなどでは主に「僕」である。[[1990年代]]頃より[[バラエティ番組]]やドラマに出演している
 
[[1990年代]]頃より[[バラエティ番組]]やドラマに出演。高視聴率を上げるレギュラー番組の出演も多く、各局の社長賞及び会長賞も数多く受賞。ゲスト出演としても高視聴率や最高視聴率を獲得、師匠の萩本に負けず劣らず視聴率を稼げるタレントとなる。『[[マジカル頭脳パワー!!]]』が最高視聴率31.6%を記録したのは1996年5月2日の放送、瞬間最高視聴率の40.9%を記録したのは1996年4月11日の「第16回大マジカル!!」の放送で風見がマジカルアート伝言バトルでアートを描いていた時。他にも視聴率が今ひとつだった番組に風見をゲストに迎えたところ、それまでの最高視聴率を出し、その後人気番組になったものも多い。その番組として『[[開運!なんでも鑑定団]]』、『[[チューボーですよ!]]』『[[天才!志村どうぶつ園]]』等がある。また『[[週刊スタミナ天国]]』『[[所さんのただものではない!]]』『[[投稿!特ホウ王国]]』『[[嗚呼!バラ色の珍生!!]]』『[[マジカル頭脳パワー!!]]』『[[伊東家の食卓]]』等の番組にゲスト出演し高視聴率をたたき出しそのままレギュラーとなる。この状況を見て現在レギュラーの『[[噂の!東京マガジン]]』の元プロデューサーの吉岡は約2年間交渉して1997年4月に風見を迎え入れることができた。当初は事務所の希望で準レギュラーでの出演に留まり、風見単独コーナーを持たせ高視聴率を得、2014年からはレギュラーに昇格し、2022年まで出演を続けた。この他にも長寿番組にレギュラー出演している。
{{Wikinewshas|風見しんご|
* [[n:タレント・風見しんごさんの長女、交通事故で死亡|タレント・風見しんごさんの長女、交通事故で死亡]]
* [[n:風見しんごさんの長女死亡交通事故、被告に実刑判決|風見しんごさんの長女死亡交通事故、被告に実刑判決]]
* [[n:風見しんごさんの長女死亡交通事故、高裁も実刑判決を下す|風見しんごさんの長女死亡交通事故、高裁も実刑判決を下す]]
* [[n:警察博物館で交通安全展が開催、風見しんごさんが交通事故の悲惨さを訴える|警察博物館で交通安全展が開催、風見しんごさんが交通事故の悲惨さを訴える]]
}}
[[2007年]][[1月17日]]、当時10歳で小学5年生の長女が[[東京都]][[世田谷区]]で通学時、青信号のタイミングで交差点通行中、2トン[[トラック]]にはねられ、病院に搬送されたが死亡した。病院での治療時、風見および親族が見守る中、長女は止まっていた心臓を一時動かしたが、その直後再び心肺停止となり、風見は「何でこんなことで命落とさなきゃいけないんだ!?」と叫んだという([[情報番組]]での報道)。霊安室にて長女の遺体を目の当たりにしながら、「こんな思いは誰にも味わってほしくない」と思ったという。長女の死化粧担当者に「娘は花嫁になるのが夢だったので、死化粧ではなく、花嫁化粧でお願いします」とお願いした(後述の著書より)。その後、通夜の場で会見を行い、涙を流しながら「娘と飲酒をしたかった」などと述べた。ただこの会見の中で「喧嘩嫌いだった長女のため」として加害者への思いは一切述べなかった<ref>http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/41405/ [[オリコン|ORICON STYLE]]</ref>。その後、長女の死から四十九日を経過した際に加害者への思いを表したコメントを発表している。事故の詳細と裁判についてはウィキニュースのリンクを参照のこと。
 
== 交通安全啓発運動 ==
長女亡き後は、[[交通事故]]死亡者をなくすために、各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演と、警察等が主催する[[交通安全]]関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛んに行っている。長女の一周忌にあたる[[2008年]]1月には、長女や交通事故に対しての思いを綴った著書(この本の[[ISBN]]コードはISBN 978-4903853178<!--題名の記入は一般人の名前が入っているため自粛--->)を出版した。
{{Wikinews|タレント・風見しんごさんの長女、交通事故で死亡|風見しんごさんの長女死亡交通事故、被告に実刑判決|風見しんごさんの長女死亡交通事故、高裁も実刑判決を下す|警察博物館で交通安全展が開催、風見しんごさんが交通事故の悲惨さを訴える}}
2007年1月17日、当時10歳で小学5年生の長女が[[東京都]][[世田谷区]]で通学時、青信号のタイミングで交差点通行中、配送用の2トン[[貨物自動車|トラック]]にはねられ、病院に搬送されたが死亡した。なお、現場となる交差点に当該トラックが進入した道路は、当時スクールゾーン指定でありトラックはもちろん車輌一切が進入禁止であった。
 
自宅を出て数分後、近所の人が「事故!」と言いながら飛び込んできて、足の骨でも折ったかと現場へ向かい、「見ないほうがいい」という制止を振り切って、轢かれた娘を目の当たりにした<ref name="毎日20220612">[https://mainichi.jp/articles/20220612/ddm/003/040/106000c 【迫る】娘失った風見しんごさん:悲しみ 15年埋まらず/「チチ、頑張ったね」信じて]『[[毎日新聞]]』朝刊2022年6月12日3面(2022年8月15日閲覧)</ref>。病院での治療時、風見および親族が見守る中、長女は止まっていた心臓を一時動かしたが、その直後再び心肺停止となり、午前9時33分<ref name="毎日20220612"/>に永眠。風見は「何でこんなことで命落とさなきゃいけないんだ!?」と叫んだという([[情報番組]]での報道)。霊安室にて長女の遺体を目の当たりにしながら、「こんな思いは誰にも味わってほしくない」と思ったという。長女の[[エンジェルメイク|死化粧]]担当者に「娘は花嫁になるのが夢だったので、死化粧ではなく、花嫁化粧でお願いします」とお願いした(後述の著書より)。その後、通夜の場で会見を行い、涙を流しながら「娘と飲酒をしたかった」などと述べた。ただこの会見の中で「喧嘩嫌いだった長女のため」として加害者への思いは一切述べなかった<ref>{{cite web|title=風見しんご「娘のために憎まない…」|url=http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/41405/|archive-url=https://web.archive.org/web/20080602134400/http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/41405/|archive-date=2008-06-02|url-status=dead|url-status-date=2022年6月|website=[[オリコン|ORICON STYLE]]|access-date=2013年5月15日}}</ref>。その後、長女の死から四十九日を経過した際に加害者への思いを表したコメントを発表している。事故の詳細と裁判についてはウィキニュースのリンクを参照のこと。
2008年、[[NHK福岡放送局]]の要請を受け、『[[NHK福岡放送局#追放!飲酒運転|追放!飲酒運転]]』キャンペーンの1分CMに出演。合計6本作られたそのCMでは、自らナレーションを務め、長女の写真も提供。自ら長女の実名を挙げることで、交通事故の悲惨さを訴えている。[[日本放送協会|NHK]][[日本のアナウンサー|アナウンサー]]の[[松尾剛]]のインタビュー取材では、時折涙を流しCM出演を受諾するに至った思いを語った。2011年11月から12月にかけて、広島県の「広島被害者支援センター」のCMに出演、その中で当時を「自分だけが真っ暗な中に1人ぽつんといる気持ちになった」と振り返っている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/111127/hrs11112702050003-n1.htm 被害者支援センターCM 1人で悩まず相談を 風見さん、呼びかけ 広島] 産経新聞 2011年11月27日配信</ref>。
 
自宅の冷蔵庫には、娘が事故の前日に「ハハ(母)へのプレゼント」とスーパーマーケットで買った[[天かす]]を思い出の品として保管されている<ref name="毎日20220612"/>。かつては[[ブログ]]で娘についてや事故後の心境を綴っていたが、面白がるようなコメントもあり、自分の仕事への批判は受け止められるが故人や家族についてのこうした書き込みは耐えがたいと考え、[[ソーシャルネットワークサービス|SNS]]での発信は止めた<ref name="毎日20220612"/>。
「(長女の死亡直後)当初は時間が経てば気持ちは収まるかなと思ったが、時を重ねるごとに気持ちは変わらないんだな」と悟るようになったという。長女の死亡後、家庭が崩壊状態(妻が病で寝込むようになったり、長女の死亡当時、3歳だった次女が異様行動を取るようになったという)になったこともあると話している。後に「長女を守れなかった分、絶対に次女を守ろう」「今でも毎晩ベッドに入って目を閉じると、最初に事故の現場の映像が出てくる。僕が現場に駆けつけて目にした光景が・・・。家内も同じだと言います。でも今は『これではいけない。前向きに生きよう』と心に決めました。長女と天国で再会した時、『パパ、よく頑張ったね』と言ってもらえるようしっかりと生きていかなければいけない」との思いを持つようになったとしている。また、長女の死亡後は自身が車を運転する機会が以前の10分の1に減り、仕事やプライベートで外出する時は電車やバスを利用している。自分が車を運転している目の前に長女が出てきて、彼女をひいてしまうという悪夢にうなされることもあるという<ref>いずれもTBS『[[ひるおび!]]』(2012年4月10日放送分)、『[[爆報! THE フライデー]]』(2012年4月27日放送分)、『TechinsightJapan編集部 みやび』(2012年4月28日 http://news.livedoor.com/article/detail/6514901/ )、『[[女性自身]]』(http://jisin.jp/news/2547/4385/)。</ref>。
 
長女の一周忌から数カ月後、妻が男児を妊娠していることがわかり、[[ダウン症候群]]と診断されれたためダウン症の子を育てている夫婦の話を聞くなどして誕生に備えたが、妊娠8カ月目に子宮内胎児死亡となった<ref>[https://mainichi.jp/articles/20220612/ddm/001/040/125000c 【迫る】娘失った風見しんごさん:「笑顔」支える一つの希望/交通事故悲惨さ訴え]『毎日新聞』朝刊2022年6月12日1面(2022年8月15日閲覧)</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/04/09/0008974196.shtml|title=風見しんご 長女と長男の相次ぐ死|newspaper=デイリースポーツ online |publisher= 株式会社デイリースポーツ|date=2016-04-09|accessdate=2022-12-22}}</ref>。
2010年9月20日放送分のフジテレビ『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』内「伝説的アイドルの祭典! 史上最多30人大集結スペシャル!!」に出演(久々の音楽番組出演)し、「涙のtake a chance」を披露。終わった後のインタビューで「今、すっごく膝が痛いです」と言いながらも、以前テレビに出演していた時と同じ振り付けで歌い、当時と変わらぬ切れのあるダンスを披露した。
 
長女亡き後は、[[交通事故]]死亡者をなくすために各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演と、警察等が主催する[[交通安全]]関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛んに行っている。2012年7月26日に警視庁より交通安全運動に対して感謝状授与。長女の一周忌にあたる2008年1月には、長女や交通事故に対しての思いを綴った著書『えみるの赤いランドセル』(この本の[[ISBN]]コードは ISBN 978-4903853178<!--題名の記入は一般人の名前が入っているため自粛--->)を出版。2012年2月、娘への思いを自ら作詞した「[[ゆるら]]」を[[秋元康]]プロデュースで芸能生活30周年メモリアルCDとして発表。以後、[[日本歌手協会]]主催のチャリティーイベント等にも精力的に参加。
== エピソード ==
* 2010年代以降、風見は日本におけるブレイクダンスの先駆者として再評価されている<ref name="sonymusicshop"/><ref name="postseven"/><ref name="meguru"/><ref name="お願い!ランキング"/><ref name="ラジオ"/><ref name="二人の食卓"/>。[[クリス松村]]は「風見の『涙のtake a chance』で、日本人が初めてブレイクダンスを見た」と話しており、ブレイクダンスは風見がテレビで披露したことにより、広く日本で知られるようになったものである<ref name="スター☆ドラフト会議">『[[スター☆ドラフト会議]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、2011年12月13日放送)[http://datazoo.jp/w/%E9%A2%A8%E8%A6%8B%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%94/9021177 風見しんご | スタードラフト会議 | TVでた蔵]</ref>。風見が振付にブレイクダンスを取り入れた経緯については、映画『[[フラッシュダンス]]』で子供たちが踊るシーンを見て思いついたと話している<ref name="青春の'80">『J-POP 青春の'80』([[NHK BSプレミアム]]、2011年5月5日放送)、[http://nhk.jp/chronicle/?B10002200091105060030152&n=5&q=%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%94&o=1&np=50&or=t NHKアーカイブス J-POP青春の’80 浅香唯・石川ひとみ・石野真子 ほか]</ref>。ブレイクダンスは[[ストリートダンス]]の一つで、当時はあくまでストリートでやるものであって、それを歌の振り付けに入れようとかテレビでやろうとかという発想はまだない時代だったという<ref>『[[徹子の部屋]]』2012年3月14日出演時の本人発言。</ref>。当時は「ダンサー=[[日テレ学院|日テレ音楽学院]]」「[[バーズ (音楽ユニット)#ザ・バーズ(日本テレビ音楽学院)|ザ・バーズ]]」という頃<ref name="電池"/>、まわりにブレイクダンスをやっている人は当時誰もおらず、ニューヨークに渡りブレイクダンスを修得したと話している<ref name="forlife"/><ref name="スター☆ドラフト会議"/><ref name="青春の'80"/>。
* 大学在学中の[[1980年]]<!-- 「哀川翔のオトナ倶楽部」で「エレファント・マン」をみんなで観に行ったと話しているので。-->、[[東京ビクトリークラブ]]のメンバーだった[[哀川翔]]を[[原宿]]で見て、チームに入れてくださいと懇願しメンバー入り<ref name="オトナ"/>。デビュー前は[[リーゼント]]でキメて、愛称は"ボビー"。哀川とお揃いの[[ダブル]]の[[革ジャン]]を着て、ラバーソウルを履いて二人で歩いていると、当時よく雑誌に声をかけられた。「[[ポップティーン]]」か「[[プチセブン]]」に初めて載った名前は"ボビー"であった。哀川が始めた劇団に「お前も参加しろ」と声をかけられて参加して、その後、その劇団に入って来たのが[[野々村真]]、[[羽賀研二]]で、[[柳葉敏郎]]はまだいなかった<ref name="電池"/>。欽ちゃんのオーディションは風見と野々村は二人で行ったという<ref name="オトナ"/>。風見と野々村は[[劇男一世風靡]]の前身・[[劇男零心会]]のメンバーで、劇男一世風靡には参加していないが、「哀川翔のオトナ倶楽部 第15回」([[BSフジ]])で哀川は、風見と野々村を「初期一世風靡のメンバー」と紹介した<ref name="オトナ"/>。
* [[1975年]][[9月10日]]、初優勝に向かって驀進する[[広島東洋カープ|広島]]の対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])で、本塁上のタッチプレーを巡り中日の[[新宅洋志]]と広島の[[三村敏之]]が激しく言い争い、普段温厚な三村が激怒したとあって広島ベンチから選手が飛び出し、やがて観客もグラウンドに入り乱れての大乱闘へと発展した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_august/KFullNormal20070722193.html 日めくりプロ野球 【8月3日】1975年(昭50)― スポニチ Sponichi Annex 野球]、[http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/wagamichi_yamamoto/kiji/K20130214005136410.html 第15回 プロ野球 前代未聞!警備不安による中止 ― スポニチ ]、[http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2009/11/04/0002491752.shtml デイリースポーツonline/61歳早すぎる…元広島監督三村氏急死]</ref>。この日、試合を観戦に来ていた当時中学生の風見がこの騒ぎに乗じて中日の[[星野仙一]]に砂をかけたという。後年風見が『[[ザ・ベストテン]]』に出演した際、スタジオから星野(当時野球解説者)に生電話をかけて謝罪したいということで、この時の話をすると、星野は「そういえば、何か小僧に砂をかけられたことは覚えているよ。あんときのガキゃぁお前じゃったんか!!(「あの時のガキはお前だったのか!!」)」と答えた。その後、広島市民球場のフェンスは、金網の目を細くして足が掛からないようにしたり、上部を大きく内側に折れ曲げたりし、簡単には乗り越えられないようにしていた。当時中日の選手会長だった[[谷沢健一]]は「あの乱闘で自分自身も含めて中日の選手6人とコーチ4人が負傷させられ、結局、レギュラー野手4人とエースの負傷も響いて、中日は二連覇を逃した」と話している<ref>[http://www.yazawa2005.jp/archives/cat4/post_189/ ウォーリー与那嶺氏の「お別れの会」 - 谷沢健一のニューアマチュアリズム]</ref>。
* 自宅で[[ワニ]]を飼っている(飼育許可申請済み)。子供の頃にもワニを飼っていた話を昔テレビでよくしていた。親に見つかって怒られ、自宅近くの川に捨てたら、近所の老婆が見つけて警察に通報して大騒ぎに。しかしワニは見つからず。老婆が絶対にワニがいたと言い張るが、お巡りさんが「おばあちゃん、広島の川にワニはいないんだよ」と説得していたというもの。
* 芸名の由来は『[[仮面ライダーV3]]』の主人公・風見志郎(仮面ライダーV3)からである。
* 前述のように『欽ちゃんの週刊欽曜日』のオーディションで合格した理由が、大きな声でのあいさつということだったが、風見自身は元々母親から大きな声であいさつするように言われて育ち、声が大きくなったことで友達も出来易く「いいことがたくさんあった」という。こういったことから、自分の娘たちにも大きな声であいさつすることを教えているという。なお、娘たちには自分たち両親のことを「チチ」「ハハ」と呼ばせている<ref name=anonet/>。
* 子供の頃に少林寺拳法を習っていた事があるが、喧嘩で使った事は一度もないとの事である。
 
2008年、[[NHK福岡放送局]]の要請を受け、「[[NHK福岡放送局#キャンペーンスポット|追放!飲酒運転]]」キャンペーンの1分CMに出演。合計6本作られたそのCMでは、自らナレーションを務め、長女の写真も提供。自ら長女の実名を挙げることで交通事故の悲惨さを訴えている。[[日本放送協会|NHK]][[日本のアナウンサー|アナウンサー]]の[[松尾剛]]のインタビュー取材では、時折涙を流しCM出演を受諾するに至った思いを語った。2011年11月から広島県の「[[広島被害者支援センター]]」のチャリティーCMに出演、その中で当時を「自分だけが真っ暗な中に1人ぽつんといる気持ちになった」と振り返っており<ref>{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/111127/hrs11112702050003-n1.htm|archive-url=https://web.archive.org/web/20111128194858/http://sankei.jp.msn.com/region/news/111127/hrs11112702050003-n1.htm|archive-date=2011-11-28|title=被害者支援センターCM 1人で悩まず相談をと風見さん、呼びかけ 広島|url-status=dead|url-status-date=2017年9月|publisher=産経新聞|date=2011年11月27日|access-date=2011年12月1日}}</ref>、契約満了後10年以上経った今でも広島県では[[広島県警]]の要請で所属事務所の許可のもと放映が続けられ、広島被害者支援センターより感謝状授与<ref>「[[広島県警]]」より</ref>。2008年1月4日の『[[朝日新聞]]』朝刊1面コラム「[[天声人語]]」にも掲載。さらに2016年1月11日の『朝日新聞』朝刊、2017年4月9日の『[[読売新聞]]』朝刊、2017年7月7日の『[[産経新聞]]朝刊』に掲載された風見の記事は、その月のニュース・電子版、[[スマートフォン|スマホ]]版でよく読まれた記事ランキング1位だった。2018年から春と秋の[[全国交通安全運動]]に向けて[[JA共済]]が風見の「交通安全手紙篇」「自転車交通安全教室篇」さらに「親と子の交通安全ミュージカル篇」を全国紙及び雑誌等に掲載して大きな反響を呼んでいる。
== 出演作品 ==
 
=== テレビドラマ ===
「(長女の死亡直後)当初は時間が経てば気持ちは収まるかなと思ったが、時を重ねるごとに気持ちは変わらないんだな」と悟るようになったという。長女の死亡後、家庭が崩壊状態(妻が病で寝込むようになったり、長女の死亡当時、3歳だった次女が異様行動を取るようになったという)になったこともあると話している。後に「長女を守れなかった分、絶対に次女を守ろう」「今でも毎晩ベッドに入って目を閉じると、最初に事故の現場の映像が出てくる。僕が現場に駆けつけて目にした光景が…。家内も同じだと言います。でも今は『これではいけない。前向きに生きよう』と心に決めました。長女と天国で再会した時、『チチ、よく頑張ったね』と言ってもらえるようしっかりと生きていかなければいけない」との思いを持つようになったとしている。また、長女の死亡後は自身が車を運転する機会が以前の10分の1に減り、仕事やプライベートで外出する時はタクシーや電車、バスを利用している。自分が車を運転している目の前に長女が出てきて、彼女を轢いてしまうという悪夢にうなされることもあるという<ref>いずれもTBS『[[ひるおび!]]』(2012年4月10日放送分)、『[[爆報! THE フライデー]]』(2012年4月27日放送分)、『TechinsightJapan編集部 みやび』(2012年4月28日 http://news.livedoor.com/article/detail/6514901/)、『[[女性自身]]』( https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1607806/ )。</ref>。
 
2016年4月5日、成人式を迎えるはずだった長女への思いを手記『[[さくらのとんねる〜二十歳のえみる]]』と題して[[青志社]]より出版、この中で2008年「こころ」と名付け、家族で誕生を心待ちにしていた長男が、妊娠9カ月で死産したことを告白。
<!--要推敲、ここから -->
尚、事故の加害者の勤務先が[[花王]]の関連会社花王ロジスティクスだった。その為親会社の花王が、民放のスポンサーとして重要だった事から被害者側は風見しんごの娘だった為、大々的に報じられたが、加害者側は23歳(当時)の会社員としか報じられず実名報道はされなかった等加害者についてはあまり報道されていない。<!--ここまで、日本語になっていません -->
 
== エピソード ==
子供の頃に[[少林寺拳法]]を習っていたことがあるが、喧嘩で使ったことは一度もないという。少林寺拳法の資格は1983年の時点で2級だった<ref name="kahoku830912"/>。
 
物心が付いた時から大の[[広島東洋カープ]]ファン。1975年9月10日、初優勝に向かって驀進する広島対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])で、本塁上のタッチプレーを巡り中日の[[新宅洋志]]と広島の[[三村敏之]]が激しく言い争い、普段温厚な三村が激怒したとあって広島ベンチから選手が飛び出し、やがて観客もグラウンドに入り乱れての大乱闘へと発展した<ref name="news1242" /><ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/column/omoidestadium/CK2016072102100020.html 広島総合&広島市民球場:ボクの思い出STADIUM] [[中日スポーツ]]、[http://www.daily.co.jp/baseball/2016/07/12/0009276919.shtml 「思い出のスタジアム広島市民球場…2千人暴徒乱入事件」][[デイリースポーツ]]、[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_august/KFullNormal20070722193.html 日めくりプロ野球【8月3日】1975年(昭50)][[スポニチ]] Sponichi Annex 野球、[http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/wagamichi_yamamoto/kiji/K20130214005136410.html 「第15回 プロ野球 前代未聞!警備不安による中止」]スポニチ、[http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2009/11/04/0002491752.shtml 「61歳早すぎる…元広島監督三村氏急死」]デイリースポーツonline、[http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180627-11 プロ野球仰天伝説カープを思うあまり!? 市民球場にファンが乱入!/プロ野球仰天伝説186]</ref>。当日、試合を観戦に来ていた当時中学生の風見は、この騒ぎに乗じ、中日の[[星野仙一]]に砂をかけたという<ref name="news1242" /><ref>[http://www.joqr.co.jp/japan/2015/09/post-3555.html 9月21日~9月25日の「ラジオサロンdeくにまる」のゲストは風見しんごさん]</ref><ref>{{Cite journal|和書 |date=2011-08-16 |title=ヒロシマの2大シンボル |journal=[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] |publisher=[[光文社]]}}</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8810961/ 球史に残る乱闘劇でグラウンドにいたタレントが告白。星野監督に一喝された!?]</ref><ref>[https://news.1242.com/article/103545 祝!優勝!!広島出身アーティストの曲【歌謡曲ここがポイント!】]</ref><ref name="近代映画198311">{{Cite journal|和書 |author= |title=風見慎吾vs.星野仙一の激突! 思い出対決 ボクが8年前の砂かけ少年 |journal=近代映画 |volume=1983年11月号 pp.38–41 |publisher=[[近代映画社]]}}</ref>。その後、風見が『[[ザ・ベストテン]]』に出演した際、スタジオから星野(当時野球解説者)に生電話で謝罪したいということで、この時の話をすると、星野は「そういえば、何か小僧に砂をかけられたことは覚えているよ。あんときのガキゃぁお前じゃったんか!!」(あの時のガキはお前だったのか!!)と答えた。また『[[近代映画社|近代映画]]』でも対談が組まれ、風見が星野に直接謝罪した<ref name="近代映画198311" />。その後、広島市民球場のフェンスは、金網の目を細くして足が掛からないようにしたり、上部を大きく内側に折れ曲げたりして簡単には乗り越えられないようになった。当時中日の選手会長だった[[谷沢健一]]は「あの乱闘で自分自身も含め中日の選手6人とコーチ4人が負傷させられ、結局レギュラー野手4人とエースの負傷も響いて、中日は二連覇を逃した」と話している<ref>[https://archive.fo/Wz3hf ウォーリー与那嶺氏の「お別れの会」 - 谷沢健一のニューアマチュアリズム]</ref>。のちに[[中日ドラゴンズ]]応援特番に星野から声をかけられてゲスト出演して番組を盛り上げた。また1994年にはアニメ映画『[[かっ飛ばせ!ドリーマーズ“カープ誕生物語”]]』で[[声優]]に初挑戦し、2014年より広島東洋カープ公認応援隊員として、[[MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島]]のアストロビジョンに映し出される応援歌『[[それ行けカープ]]』の歌唱や応援チラシ等にも登場している。2015年4月26日にはMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で[[黒田博樹]]投手の真っ赤なグラブを借りて始球式も務めた。
 
自宅で[[ワニ]]を飼っていた時期がある(当時飼育許可申請済)。風見も子供の頃にワニを飼っていた事をテレビ等でよく話していた。しかし飼っていたのを親に見つかって怒られ、自宅近くの川に逃した所、近所の老婆が見つけて警察に通報して大騒ぎになった。しかしそのワニを探しても結局発見は出来なかった。通報した老婆が絶対にワニがいたと言い張っていたが、警察官が「おばあちゃん、広島の川にワニはいないんだよ」と説得したという。
 
[[中山秀征]]、[[松本明子]]、[[飯島直子]]がレギュラー出演していた『DAISUKI』で、[[健康診断]]を受ける回に風見が出演した。尿検査を行うべく個室トイレに入り、検尿終了後にズボンのファスナーを上げる際に思わず「痛っ!皮を挟んだ」と口に出た言葉をレギュラー陣が聞き、松本・中山は「え?しんごちゃんてまさか…?」と話し、音声さんもマイクで声を拾ってたので「しんごちゃんって…」と[[字幕|テロップ]]を出し、自ら包茎である事をばらしてしまった事が有る。
 
1993年12月、レギュラー番組『[[週刊スタミナ天国]]』([[フジテレビ]])の風見担当コーナー“わんぱくヘルパー”に男性2人組アーティスト「[[吉田山田]]」の山田義孝の母が応募、当時9才だった山田の誕生日に風見が1日パパとして遊園地などの[[ロケーション撮影|ロケ]]に出かけていたことが、2018年2月21日の風見のラジオレギュラー「[[ごごラジ!]]」にゲスト出演した「吉田山田」の山田本人から語られ、生放送中にも拘わらず風見は動揺が隠せず、かなり驚いた様子だった。番組公式[[ブログ]]には25年振りのツーショット写真も掲載されている。
 
[[1998年長野オリンピック|1998年2月7日より行われた長野オリンピック]]の[[オリンピック聖火|聖火リレー]]ランナーとして1月13日に広島市内を走った。なお、2月22日の閉会式の司会は師匠である萩本が務めている。
 
父が[[認知症]]になった2004年のある日、父と車のキーを巡り大喧嘩になる。父親を羽交い絞めにして車の鍵を取り上げた。それから3年後、風見は長女を自動車事故で亡くしており「'''もし、父が向こう(加害者)の立場になっていたらと思うとゾッとする。あの時、力ずくでも車の鍵を父から取り上げた事は正しかったと思う'''」と述べている。
 
2010年代以降、風見は日本におけるブレイクダンスの先駆者として再評価されている<ref name="breakin" /><ref name="news1242" /><ref name="40男1406" />。特に[[クリス松村]]は「風見の『涙のtake a chance』で、日本人が初めてブレイクダンスをしているのを見た」と話しており、ブレイクダンスは風見がテレビで披露したことにより、広く日本で知られるようになったものである<ref name="breakin" /><ref name="news1242" /><ref name="40男1406" /><ref>『[[スター☆ドラフト会議]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、2011年12月13日放送([http://datazoo.jp/w/%E9%A2%A8%E8%A6%8B%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%94/9021177 風見しんご | スタードラフト会議 | TVでた蔵])</ref>。風見が振付にブレイクダンスを取り入れた経緯については、映画『[[フラッシュダンス]]』で子供たちが踊るシーンを見て思いついたと話している<ref name="breakin" /><ref name="40男1406" /><ref name="redbull">{{Cite web|和書|url=http://www.redbull.com/jp/ja/music/stories/1331831665512/shingo_kazami |title=ブレイクダンスがあったから、自信が持てた――風見しんご |publisher=Red Bull BC One World Final 2016 |date=2016-11-28 |accessdate=2016-11-30 |archiveurl=https://archive.fo/QViHA |archivedate=2017-6-17}}</ref><ref name="青春の'80">『J-POP 青春の'80』([[NHK BSプレミアム]]、2011年5月5日放送)、[http://nhk.jp/chronicle/?B10002200091105060030152&n=5&q=%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%94&o=1&np=50&or=t NHKアーカイブス J-POP青春の’80 浅香唯・石川ひとみ・石野真子ほか]</ref>。風見は「当時のダンサーと言えば、[[東京音楽学院]]の[[スクールメイツ]]と[[日テレ学院|日テレ音楽学院]]の[[ザ・バーズ (日本テレビ音楽学院)|ザ・バーズ]]という頃で、まわりにブレイクダンスをやっている人は誰もおらず、ニューヨークに渡りブレイクダンスを修得した」と話している<ref name="breakin" /><ref name="40男1406" /><ref name="redbull" />。レギュラーだったTBSテレビ金曜9時[[プライムタイム|ゴールデンタイム]]の人気番組『[[欽ちゃんの週刊欽曜日]]』番組内で、萩本に「どうしてもブレイクダンスをやらせて下さい」と頼み込む<ref name="40男1406" />。当時ブレイクダンスを知る人は殆んどいなかったが、やらせてくれた<ref name="40男1406" />。風見は「'''大将の決断がなければ日本の[[ヒップホップ]]は5年普及が遅れたと思う'''」と話している<ref name="40男1406" />。2017年6月、[[キリンビール]]『[[のどごし生]]』WEBコマーシャルムービーで54歳のブレイクダンスを披露、[[Yahoo!ニュース]]でも「風見しんごの身体能力に仰天」と絶賛して報じている。
 
== 出演 ==
=== 主なテレビドラマ ===
* もういちど結婚(1983年、[[TBSテレビ|TBS]])
* 欽ちゃんファミリー時代劇・俺達の熱き風(1984年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[月曜ドラマランド]]「[[まさし君]]」(1985年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - '''主演''' 上田まさし 役
* [[スタア誕生 (テレビドラマ)|スタア誕生]](1985年、フジテレビ系・[[大映テレビ]] - 山口義人 役
* [[木曜ドラマストリート]]「名探偵はひとりぼっち」(1985年11月21日、フジテレビ) - '''主演'''
* [[ヤヌスの鏡]](1985年、フジテレビ系・大映テレビ) - 河本達郎 役
* [[火曜サスペンス劇場]]「猫に憑かれた花嫁」(1987年、日本テレビ)
* [[プロゴルファー祈子]](1987年、フジテレビ系・大映テレビ) - 野上信也 役
* [[野望の国|青春大河ドラマ野望の国 嵐の章]](1989年、日本テレビ) - 井上聞多 役
* [[ドラマチック22]](TBS)
** 哀愁の玉ねぎボーイ(1989年11月11日
** 俺はムコ養子(1990年7月21日
* [[花王名人劇場]]「裸の大将38 清と花嫁の父」(1990年1月7日、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])
* [[木曜ゴールデンドラマ]]「ああ父よ」(1990年、[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]])
* [[世にも奇妙な物語]]「鏡」(1991年、フジテレビ) - '''主演・木村祐二 役'''
* [[代表取締役刑事]] 第33話「嘆きの天使」(1991年6月23日、テレビ朝日)
* 平成就職物語(1992年、[[テレビ東京]])
* [[土曜ワイド劇場]]([[平成就職物語(1992年、テレビ朝日]]東京
** [[土曜ワイド劇場]]「[[タクシードライバーの推理日誌]]シリーズ(1992年 - 2016年、テレビ朝日 - 東山秀作 役 「テレビ朝日社長賞受賞番組」
* LOW KEE SHOW「クウォーターシネマ パステルラブ 人魚の夢」(1992年、TBS)
* [[幼稚園ゲーム|幼稚園ゲーム2]]社宅編~(2001〜(2001年、[[CBCテレビ|中部日本放送]]) - 秋野順平 役
* [[すてきにコモン!]](2006年、TBS) - 杉崎晋一 役
* [[水戸黄門 (第31-38部)#第37部|水戸黄門 第37部]] (2007年、TBS) - 幸助
* [[モンスターペアレント (テレビドラマ)|モンスターペアレント]](2008年、関西テレビ/フジテレビ) - 時任昭雄 役
* [[サラリーマン金太郎# (永井大のテレビ朝日ドラマ)|サラリーマン金太郎]](2008年、テレビ朝日) - 水木衛 役
** [[サラリーマン金太郎 (永井大のテレビドラマ)|サラリーマン金太郎2]](2010年、テレビ朝日) - 水木衛 役
* [[警視庁捜査一課9係|新・警視庁捜査一課9係]] 第11話(2009年、テレビ朝日)
* [[警視庁捜査一課9係の登場人物#新・警視庁捜査一課9係(第4シリーズ・2009年)|新・警視庁捜査一課9係 season1]] 最終話「生命の捜査線」(2009年、テレビ朝日)
* [[サラリーマン金太郎#テレビ朝日ドラマ版|サラリーマン金太郎2]](2010年、テレビ朝日)
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]/テレビ朝日)
* [[日曜ナイトドラマ]]「[[女帝 薫子]]」(2010年、テレビ朝日)
* [[犬を飼うということ〜スカイと我が家の180日〜]](2011年、テレビ朝日) - 中尾啓介 役
* [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、[[ABCテレビ]]/テレビ朝日)
* [[犬を飼うということ〜スカイと我が家の180日Answer警視庁検証捜査官]](2011(2012年、テレビ朝日)中尾啓介 - 有富功
* [[Answer〜警視庁検証水曜ミステリー9]]「[[捜査検事・近松茂道]]12」(2012年、テレビ朝日東京有富功 - 大村征二
* [[水曜ミステリー9ドラマW|連続ドラマW]]「[[捜査検事・近松茂道天の方舟#テレビドラマ|天の方舟]]12」(2012年 - 2013年、テレビ東京[[WOWOW]]大村征二 - 的場
* [[ダブルス〜二人の刑事]](2013年、テレビ朝日) - 大田浩二 役
* [[ドラマW|連続ドラマW]]「[[天の方舟#テレビドラマ|天の方舟]]」(2012年 - 2013年、[[WOWOW]])
* [[ダブルス〜二人刑事吉永誠一 涙事件簿#放送日程|刑事吉永誠一 涙の事件簿]] 第7話(2013年、[[テレビ朝日東京]] - 森浩二智治
* [[刑事吉永誠一 涙最後から二番目事件簿#連続ドラマ第2話|刑事吉永誠一 涙続・最後から二番目事件簿]] 第79(2013(2014年、フジテレビ東京森田智治 - 稲垣輝夫
* [[最後から二番目GTO (2012年恋#第2期テレビドラマ)|続・最後から二番目の恋GTO]] 第9話(2014年、フジ関西テレビ)稲垣輝夫 - 大前広利
* [[警視庁・捜査一課長#season1(2016年)|警視庁・捜査一課長 season1]] 第10話(2016年、テレビ朝日) - 横井圭吾 役
* [[GTO_(2012年のテレビドラマ)|GTO]](2014年、関西テレビ)大前広利 役
* [[伝七捕物帳#テレビドラマ(中村梅雀版)|伝七捕物帳2]](2017年、[[NHK BSプレミアム]]) - 正助 役
* [[日曜ワイド]] → [[日曜プライム]]「[[庶務行員 多加賀主水が許さない#テレビドラマ|庶務行員 多加賀主水が許さない]]」シリーズ(2017年10月15日 - 2020年9月24日、テレビ朝日)<ref group="注">Part5はドラマスペシャル(木曜)枠で放送。</ref> - 難波俊樹 役
* [[ウルトラマンタイガ]](2019年7月6日 - 12月21日、テレビ東京) - 佐倉警部 役
* [[特捜9#season5(2022年)|特捜9 Season5]] 最終話(2022年6月22日、テレビ朝日) - 東山秀作 役(タクシードライバーの推理日誌・警視庁捜査一課警部補から出世して警察庁警備局警備企画課"理事官"で出演)
* [[科捜研の女の登場人物#科捜研の女 2022 season22(2022年)|科捜研の女 2022]] 第6話(2022年11月29日、テレビ朝日) - 漆原修次 役
 
=== 映画 ===
* [[泣き虫チャチャ]](1987年) - '''主演'''
* [[あいつに恋して]](1987年) - '''主演・江藤正太郎 役'''
* [[ウルトラシリーズ]]映画作品
** [[ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説]](1990年) - 戸川一平 役
** [[ゴジウルトvsキグギドラコスモス THE FIRST CONTACT]](1991(2001年)国立超科学研究センター所 - キド隊員 役
*** [[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET]](2002年) - キド隊長 役
* 200X年・翔(1992年)
*** [[ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FIRSTFINAL CONTACTBATTLE]](2001(2003年) - キド隊
** [[ウルトラマンメビウモス2 THE BLUE PLANET&ウルトラ兄弟]](2002(2006年)キド隊長 - 海洋学芸員・広川
** [[大決戦!超ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE8兄弟]](2003(2008年) - キド隊長医師 ※特別出演
* [[獅子王たちの夏]](1991年) - 金本雄二
* [[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟]](2006年)海洋学芸員・広川 役
* [[超高層ハンティング]](1991年) - '''主演'''
* [[大決戦!超ウルトラ8兄弟]](2008年)キド医師 役
* [[ゴジラvsキングギドラ]](1991年) - 国立超科学研究センター所員 役{{R|365日}}
* [[200X年・翔]](1992年) - '''主演'''
* [[アオギリにたくして]](2011年、2016年5月30日 ニューヨーク、ボストンを中心にアメリカ上陸(英語字幕))※国連ESCAP第5回つながり映画祭企画作品/第一回JASRAC音楽文化賞受賞
* [[Revive by TOKYO24 ~ ヒトは生まれ変わることができる]](2020年4月17日公開予定がコロナ感染防止対策で見送られDVD先行発売。公開は2020年夏以降)※第17回 モナコ国際映画祭“コンペティション部門”で最優秀脚本賞受賞作
 
=== Vシネマ ===
* 怪奇千夜一夜物語”愛の巣”(1991年)初監督作品
* [[爆走トラッカー軍団]]3 紅薔薇軍団参上!(1993年)野口勝男 役
* ザ・ヒールストリート(1991年)友情出演
* 爆走トラッカー軍団4 浪花(暴)遊侠伝 (1993年)野口勝男 役
* [[DOOR II TOKYO DIARY]](1991年)
* 霧加神(1992年) - '''主演'''
* [[おいら女蛮 決戦!パンス党]](1992年)友情出演
* パステルLOVE“セレモニーの前に”(1993年)監督作品第2弾
* 新パチンコ物語“秘デジパチ攻略法”(1993年) - '''主演'''
* [[爆走トラッカー軍団]]3“紅薔薇軍団参上!”(1993年) - 野口勝男 役
* 爆走トラッカー軍団4“浪花(暴)遊侠伝”(1993年) - 野口勝男 役
* [[実相寺昭雄]]ファイル・怪の館“小夜子の恋”(1997年)監督作品第3弾
* 教育ビデオ“かぶしき・虎の巻”(2001年) - '''主演'''
* 東映教育映像“人生のネクストドア~50歳代からのライフプラン”(2021年) - '''主演''' 令和3年度 優秀映像教材選奨(教育映像祭)[ 社会教育部門 市民生活向 ]優秀作品賞 受賞! 
 
=== 舞台 ===
* 年忘れ特別企画“萩本欽一・奮闘喜劇公演”(1998年)[[新宿コマ劇場]]
* [[ウルトラセブン#舞台|独りぼっちの地球人 feat.ULTRASEVEN]](2013年)丸橋守 役
* コント55号40周年プラス1“仇討物語〜でんでん虫”(2007年)[[明治座]]
* 平成21年初春公演“あらん はらん しらん”(2009年)明治座
* コント55号THE LAST“いかん どっかん あっけらかん”(2011年)明治座
* おちゃのこ妻妻(サイサイ)“品川区商店街物語”(2013年)ひらつかホール杮落とし公演
* [[ウルトラセブン#舞台|独りぼっちの地球人 feat.ULTRASEVEN]](2013年)30周年記念初座長公演
* 欽ちゃん奮闘記THE LAST“ほめんな ほれんな とめんな”(2014年)明治座
* 舞台“[[ROOKIES]]”(2021年)[[シアター1010]] /[[サンケイホールブリーゼ]]/栗東芸術文化会館さきら - 村山義男 役<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001700.000012949.html 「ROOKIES」2021年11月、東京、大阪、滋賀で上演決定!]</ref>
 
=== 情報・バラエティ ===
 
==== 現在 ====
==== 過去(主なレギュラー番組) ====
* [[噂の!東京マガジン]](TBSテレビ)
* [[欽ちゃんの週刊欽曜日]](TBS)「TBSテレビ社長賞受賞番組」 ※デビュー番組
* [[ノンストップ!]](フジテレビ)
* [[ドキド欽ちゃんスピリッツ]](1986年 - 1987年、TBS)
==== 過去 ====
* [[ぴったし カン・カン]](後期)(TBS)
* [[スターどっきり(秘)報告]](フジテレビ)
* [[ともちゃん家の5日曜9は遊び座です]](初期)([[山梨日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[キラリ・熱熱CLUB]](1988年 - 1989年、TBS) - 司会
* [[欽ちゃんの週刊欽曜日]](TBSテレビ)
* [[アッコにおまかせ!]](1991年頃、TBS)
* [[ドキド欽ちゃんスピリッツ]](TBSテレビ、1986年1 - 1987年)
* [[日曜9時は遊び座です]](初期)(日本テレビ)
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]](日本テレビ)
* [[マジカル頭脳パワー!!]] 準レギュラー(日本テレビ)
* [[所さんのただものではない!]](フジテレビ)
* [[嗚呼!バラ色の珍生!!]](日本テレビ)
* [[投稿!特ホウ王国]](日本テレビ)
* [[まっ昼ま王!!]](テレビ朝日、月曜日)
* [[ぴったしカンカン]](後期)(TBSテレビ)
* [[週刊スタミナ天国]](フジテレビ)
* [[スターどっきり(秘)報告|スターどっきり{{JIS2004フォント|&#12953;}}報告]](フジテレビ)「フジテレビ社長賞受賞番組」
* [[伊東家の食卓]](日本テレビ)(末期には「リサイクルマン」としても活躍)<ref>「伊東家ランド」[[第2日本テレビ]]も出演した。</ref>
* [[志村けんのオレがナニしたのヨ?]](フジテレビ、1995(1995年10月 - 1996年3月、フジテレビ
* [[ミッドナイトマーメイドまっ昼ま王!!]]([[テレビ朝日]] - 月曜日
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]](日本テレビ)
* [[投稿!特ホウ王国]](日本テレビ)「日本テレビ社長賞受賞番組」
* [[マジカル頭脳パワー!!]](日本テレビ)「日本テレビ会長賞及び社長賞受賞番組」
* [[嗚呼!バラ色の珍生!!]](日本テレビ)「日本テレビ会長賞及び社長賞受賞番組」
* [[伊東家の食卓]](日本テレビ)「日本テレビ会長賞及び社長賞受賞番組」(末期には「リサイクルマン」としても活躍)<ref group="注">「伊東家ランド」[[第2日本テレビ]]も出演した。</ref>
* [[ミッドナイトマーメイド]](テレビ朝日)
* [[すくすくネットワーク]](1999年 - 2002年、[[NHK教育テレビ]])
* [[すくすく子育て]](2002年 - 2003年、NHK教育テレビ)
* [[ひょっこり評判テレビ]](1994年 - 1997年、[[広島ホームテレビ]])「広島ホームテレビ社長賞受賞番組」
* [[風見しんごの住まいるaGOGO!!]](2003年 - 2006年、[[テレビ埼玉]])「テレビ埼玉社長賞受賞番組」
* [[ともちゃん家の5時]]([[山梨放送]])「山梨放送社長賞受賞番組」さらに 2008年[[日本民間放送連盟]]賞「特別表彰部門・青少年向け番組」最優秀賞受賞
* [[ふれあい介護日記]]([[BS朝日]]) ※番組ホームページで担当したPart1~4を振返ることができる
* 「TOKYO ひかり TOWN」(2002年 - 2004年、[[TEPCOひかり]]コンテンツ インターネット番組)
* 「風見しんごのひかりバラエティ」([[casTY]] インターネット番組)
* [[ノンストップ!]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2012年4月3日 - 2022年3月23日、隔週火曜→隔週木曜→隔週水曜)
* [[噂の!東京マガジン]]([[TBSテレビ|TBS]]→[[BS-TBS]]、1997年4月 - 2022年12月18日<ref>{{cite news|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202212180000473.html|title=「噂の!東京マガジン」風見しんごが卒業 「最後まで『やめとけ』って言ったのは笑瓶さんだけ」|date=2022-12-18|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2023-5-5}}</ref>)「TBSテレビ社長賞受賞番組」
 
=== その他 ===
* [[ザ・ベストテン(TBSテレビ)]](TBS)登場の際、空中側転をして出てきたことがある。
* [[ザ・トップテン]](日本テレビ)
* [[キラリ・熱熱CLUB]](TBSテレビ、1988年 - 1989年) -司会<ref name="キラリ"/>
* [[歌の楽園]](テレビ東京、2011年)
* [[すくすく子育て]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]、2001年 - 2003年)
* [[すくすくネットワーク]]
* [[風見しんごの住まいるaGOGOGO!!]]
* [[casTY]]「風見しんごのひかりバラエティ」
* 「[[NHK福岡放送局#追放!飲酒運転|追放!飲酒運転]]」キャンペーンCM([[NHK福岡放送局]]) 風見自らのナレーションである。
* 第42回思い出のメロディー (NHK)
* [[夜のヒットスタジオ]](フジテレビ)
* [[レッツゴーヤング]](NHK)
* HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP (フジテレビ)
* [[ヤンヤン歌うスタジオ]](テレビ東京)
* [[J-POP青春の'80]] (NHK)
* [[歌の楽園]](2011年、テレビ東京)
* 第42回[[思い出のメロディー]](NHK)
* [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]](フジテレビ)
* [[ネプリーグ]] (2006年1月16日)
* [[J-POP青春の'80]](NHK)
* [[スター☆ドラフト会議]](日本テレビ)
* [[ヒルナンデス!]](日本テレビ)
* [[スマートフォンデュ]](テレビ朝日)
* [[日本歌手協会]]・歌謡祭([[BSテレ東]])
* [[カラオケ大賞 (千葉テレビ放送)|カラオケ大賞]]([[千葉テレビ放送]]、2019年 - 2020年)
* JA共済地域貢献活動「交通安全の手紙 ~ 子どもたちの未来のために」ネットCM(2021年3月 - )
* 「なるほど交通安全」([[FM TOKYO]])ラジオスポットCM(2019年4月 - ) - ナレーション
* 「セーフティドライブ」([[FM NACK5]])キャンペーンCM(2018年4月 - ) - ナレーション
* [[テレメンタリー]]2018「検証・西日本豪雨[1] 道は濁流になった 〜カメラが捉えた広島豪雨災害〜」(2018年9月2日、テレビ朝日) - ナレーション。[[ギャラクシー賞]]「テレビ部門月間賞」受賞
* 「[[#交通安全啓発運動|追放!飲酒運転]]」(NHK福岡放送局)キャンペーンCM(2008年) - ナレーション
* JA共済済地域貢献活動第2弾「交通安全の手紙~ 高齢ドライバーのみなさまへ」と「 いつまでも安全運転を続けるために」ネットCM(2022年4月 - )
* [[警察庁]]「幼児・児童の交通安全~保護者が果たすべき役割」ネット配信(2022年4月 - )
* [[香川県警]]「次は、あなたかもしれない」ネットCM(2022年4月 - )
* [[東京都]] Tokyo Metropolitan Government「HOW TO キャッシュレス」ネット配信(2023年4月 - )
 
=== 主なラジオレギュラー ===
* 風見慎吾のみんな笑っちゃいます(1983年10月 - ?、[[文化放送]]系)
* ザ・欽グルスショー「水曜日」(1984年1月 - ?、[[TBSラジオ]]系)
* みづえ・慎吾のおもしろサンドイッチ(1984年1月 - ?、文化放送系)
* [[ヤングパラダイス]]内・箱番組「慎吾と[[嶋大輔|大輔]][[どんまいフレンド]]」→「慎吾と[[松村雄基|雄基]]どんまいフレンド」(1984年4月 - 1985年10月、[[ニッポン放送]])
* 風見慎吾のサンデーナイトフィーバー(1984年4月 - ?、文化放送系)
* 風見慎吾のバラエティスクール → 慎吾とLOVE NIGHT(1984年10月 - 、文化放送系 [[TDK]]1社提供)
* [[シャープ ミンミンゼミナール]](文化放送)
* 東鳩アイドルSTORY 風見しんごのYaYa CLuB(1989年10月 - 1991年3月)、文化放送系)
* [[午後のまりやーじゅ]]「水曜日」(2015年4月 - 、[[NHKラジオ第1放送]])
* [[ごごラジ!]]「水曜日」(2016年4月 - 2018年3月7日、NHKラジオ第1放送)
 
=== 主なCM ===
* [[ロッテ]]チョコレート「アーモンドボールチョコ」「クランキー」(1984年4月)
* [[HITACHI]]ファンコンポ「風蛍〜‘Em’」(1990年6月)
* [[キリンビール]]「ビアっこ生」※[[東北地方|東北地区]]限定醸造(1995年6月)
* [[中外製薬]]「グロンサン」(1997年2月、[[高田純次]]と共演。)
* 民間介護保険「セント・プラス少額短期保険」(2015年5月)
* のどごし〈生〉(2017年6月 - 、[[麒麟麦酒]])難しい上司もこれで攻略!サラリーマン交渉バトルproduced by キリン のどごし〈生〉編<ref>{{Cite web|和書|url=http://dews365.com/topics/shingo-issop.html|title=[ 頑張る親父がNO.1 ] 風見しんご VS ISOPP 夢のダンスバトルが実現!サラリーマン交渉バトルで商談成立!|accessdate=2017年9月25日|date=2017.06.07|work=ダンスの情報サイト Dews(デュース)|publisher=Dews}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://middle-edge.jp/articles/OjfXD|title=風見しんごがブレイクダンスを踊る!仕事で使える交渉術ダンス動画を公開!|accessdate=2017年9月25日|date=2017年6月7日|work=ミドルエッジ|publisher=ディー・オー・エム}}</ref>
 
== ディスコグラフィ ==
== 音楽活動 ==
=== シングル ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
#[[僕笑っちゃいます]]/OTONA BIRTHDAY(1983.5.21)
|-
#泣いちっちマイ・ハート/悲しきStand-in Boy(1983.11.16)
! #
#:[[小堺一機]]と[[関根勤]]が'''バックダンサーズ'''の名前でバックダンサーを務めていた。
! 発売日
#そこの彼女/朝陽のプロローグ(1984.6.5)
! タイトル
#涙のtake a chance/涙のtake a chance-Instrumental Dance Version-(1984.12.21)
! B面
#:作詞:荒木とよひさ、作曲:福島邦子
! 規格
#Beat On Panic/Hollywoodスペシャル(1985.4.24)
! [[規格品番]]
#泣き虫"チャチャ"の物語/LOVING YOU(1985.9.25)
|-
#[[ゆるら]]/今さら Fall in love(2012.2.22)
!colspan="6" style="font-size:small;"|{{Unbulleted list|[[フォーライフ・レコード]]|風見慎吾 名義}}
|-
! 1st
| 1983年5月21日
| '''[[僕笑っちゃいます]]'''
| OTONA BIRTHDAY
| [[レコード#EP盤|EP]]
| 7K-92
|-
! 2nd
| 1983年11月18日
| '''泣いちっちマイ・ハート'''
| 悲しきStand-in Boy
| EP
| 7K-118
|-
! 3rd
| 1984年6月5日
| '''そこの彼女'''
| [[セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)|朝陽のプロローグ]]
| EP
| 7K-147
|-
! 4th
| 1984年12月21日
| '''[[涙のtake a chance]]'''
| 涙のtake a chance -Instrumental Dance Version-
| EP
| 7K-168
|-
! 5th
| 1985年4月24日
| '''BEAT ON PANIC'''
| Hollywoodスペシャル
| EP
| 7K-182
|-
! 6th
| 1985年9月25日
| '''泣き虫“チャチャ”の物語'''
| LOVING YOU
| EP
| 7K-196
|-
!colspan="6" style="font-size:small;"|[[フォーライフミュージックエンタテイメント]]
|-
! 7th
| 2012年2月22日
| '''[[ゆるら]]'''
| 今さら Fall in love
| [[シングル|Maxi]]
| FLCF-7184
|}
 
=== アルバム ===
==== オリジナル・アルバム ====
#[[FRIDAY TROUBLE]] (1983.11.5)
{| class="wikitable" style="font-size:small"
#Whoopee ~ギャーピーの叛乱~ (1985.7.5)
|-
#特売 (1985.12.05)
!
#[[FRIDAY TROUBLE#2011年盤|風見慎吾 ゴールデン☆ベスト 〜FRIDAY TROUBLE+シングルス〜]] (2011.5.25)
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
!colspan="6" style="font-size:small;"|{{Unbulleted list|[[フォーライフ・レコード]]|風見慎吾 名義}}
|-
! rowspan="2"|1st
| rowspan="2"|1983年11月5日
| rowspan="2"|'''[[FRIDAY TROUBLE]]'''
| [[レコード#LP盤|LP]]
| 28K-59
|-
| [[コンパクトカセット|CT]]
| 28C-42
|-
! rowspan="2"|2nd
| rowspan="2"|1985年7月5日
| rowspan="2"|'''[[Whoopee〜ギャーピーの叛乱〜]]'''
| LP
| 28K-92
|-
| [[コンパクトディスク|CD]]
| 35KD-12
|}
 
==== ベスト・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! 規格品番
|-
!colspan="6" style="font-size:small;"|{{Unbulleted list|[[フォーライフ・レコード]]|風見慎吾 名義}}
|-
! rowspan="2"|1st
| rowspan="2"|1985年12月5日
| rowspan="2"|'''[[特売 (風見慎吾のアルバム)|特売]]'''
| [[レコード#LP盤|LP]]
| 28K-99
|-
| [[コンパクトディスク|CD]]
| 35KD-26
|-
!colspan="6" style="font-size:small;"|{{Unbulleted list|[[フォーライフミュージックエンタテイメント]]|風見慎吾 名義}}
|-
! 2nd
| 2011年5月25日
| '''[[FRIDAY TROUBLE #2011年盤|風見慎吾 ゴールデン☆ベスト 〜FRIDAY TROUBLE+シングルス〜]]'''
| CD
| FLCF-4377
|}
 
=== 参加楽曲 ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! 発売日 !! 商品名 !! 歌 !! 楽曲 !! 備考
|-
| 1991年11月1日
| ULTRAMAN LOVE FOR CHILDREN
| ウルトラ合唱隊
| 「ULTRAMAN LOVE FOR CHILDREN」
| [[ウルトラマン]]誕生25周年 参加特別企画チャリティソング
|}
 
== 風見しんごに影響を受けた人物 ==
* [[上野隆博]]<ref>[https://realsound.jp/2017/10/post-109541.html 欅坂46など手掛ける振付師・ダンサーTAKAHIRO、異端のキャリアとダンス論を語る] Real Sound(2017年10月8日)</ref>(ダンサー)別名:TAKAHIRO
* [[岡村隆史]]<ref>[https://www.news-postseven.com/archives/20130506_186006.html?DETAIL ダンスブームの先駆け・風見しんご 今もキレあるダンス披露] NEWSポストセブン(2013年5月6日)</ref>
* [[LL BROTHERS]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references/></div>
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
|refs=
<ref name="365日">{{Cite book|和書|author=野村宏平|author2=冬門稔弐|title=ゴジラ365日|date=2016-11-23|publisher=[[洋泉社]]|series=[[映画秘宝]]COLLECTION|page=291|chapter=10月9日 / 10月10日|isbn=978-4-8003-1074-3}}</ref>
}}
 
== 関連項目 ==
* [[1983年の音楽#デビュー]] - 同じ年にデビューした歌手
 
== 外部リンク ==
* [https://profile.ameba.jp/ameba/gr000043 所属事務所 - (株)マスタープラン]
*[http://kazami.laff.jp/blog/blog.html 自身ブログ] - 2008年2月25日付けで終了
* [https://www.facebook.com/ippei.yasuda.50 所属事務所 - (株)マスタープラン公式Facebook]
* [http://www.forlife.co.jp/artist/fl00030/ 所属レコード会社 - (株)フォーライフミュージックエンタテイメント]
* [http://group.ameba.jp/group/a3PK3WWwwpmy/ Amebaグルっぽ - 風見しんご日和](2019年3月27日閉鎖)
* {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/gogoradi-blog/ |title=NHKラジオ - ごごラジ!ブログ |date=20160408020503}}(2018年3月7日閉鎖)
* [http://mycasty.jp/kazami/index_blog1.html casTY - しんごトーク](2008年2月29日閉鎖)
* {{TVer talent|t00f5d1}}
 
{{日本有線大賞最優秀新人賞}}
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:かさみ しんこ}}
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本の優]]
[[Category:日本アイドル出身歌手俳優]]
[[Category:日本のアイドル男性ポップ歌手]]
[[Category:欽ちゃん日本仮装大賞の出場司会者]]
[[Category:日本の男性ダンサー]]
[[Category:日本の男性アイドル]]
[[Category:欽ちゃんファミリー]]
[[Category:過去のバーニングプロダクション系列所属者]]
[[Category:広島学院高等学校出身の人物]]
[[Category:広島市出身の人物]]
[[Category:1962年生]]