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{{ホール概要
|名称=今池国際劇場
|外国語名称=Imaike Kokusai Gekijo
|画像=no
|通称=▼
|画像説明=
|正式名称=今池国際劇場▼
|地図=
|完成年=
|完成月=
|完成日=
|開館年=
|開館月=
|開館日=17
|開館公演=
|閉館年=2006
|閉館月=8
|閉館日=
|最終公演 = 「[[劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ]]」(国際劇場)<br />「[[日本沈没]]」(国際シネマ)
|収容人数=
|客席= 212席(国際劇場)<br/>106席(国際シネマ)<ref name="Chunichi">{{Cite news|和書|title=今池の2映画館 予告なし 突然終幕|newspaper=[[中日新聞]]|publisher=[[中日新聞社]]|date=2006-08-20}}</ref>
|延床面積=
|設備=[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビーサラウンド]]
|用途=映画上映
|旧用途=
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|位置=
|郵便番号=
|
|最寄バス停=
|最寄IC=[[名古屋高速]][[名古屋高速都心環状線|都心環状線]] [[東新町出口]]
|外部リンク=
|特記事項=
}}
'''今池国際劇場'''(いまいけこくさいげきじょう)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[今池 (名古屋市)|今池]]にあった[[映画館]]。[[東宝]]の封切館だった。▼
▲'''今池国際劇場・国際シネマ'''(いまいけこくさいげきじょう こくさいシネマ)は、[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[今池 (名古屋市)|今池]]にあった[[映画館]]。[[東宝]]の封切館だった。
== 沿革 ==▼
== データ ==
* 所在地:[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[今池 (名古屋市)|今池]]5-11-18
*
* アクセス : [[名古屋市営地下鉄]][[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]・[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]] [[今池駅 (愛知県)|今池駅]]
* 座席数:466席(1953)→690席(1955)→650席(1960)→700席(1964)→288席(1970)→285席(1975 - 1983)→247席(1985 - 2003)→212席(2004 - 2006)<ref name="映画館名簿">『映画館名簿』時事映画通信社、各年版</ref>。
* 支配人 : 栗本藤七(1953 - 1964)、本間俊一(1970)、成田政義(1975 - 1979)、浅野秀逸(1981)、安江信正(1985)、半田力(1990)、村岡邦彦(1993 - 1995)、古川幹教(1999 - 2000)、原智章(2003 - 2004)、赤尾豊(2005 - 2006)<ref name="映画館名簿"/>。
== 歴史 ==
=== 年表 ===
1946年8月、[[ヘラルドグループ]]創業者の[[古川為三郎]]によって、国際劇場として開館した。1953年の『全国映画館総覧』による座席数は466席、洋画・邦画の新作を上映していたが、1955年の『全国映画館総覧』では690席・[[東映]]系の映画館であり、1960年の『全国映画館録1960』では650席・[[東宝]]系の映画館である。1960年代後半には座席数が300席弱まで減らされ、1980年頃には一時的に洋画ロードショウ館となった。愛知県名古屋市に生まれ育った作家・[[野沢尚]](1960年 - 2004年)は、[[1971年]][[7月17日]]に封切られた[[岡本喜八]]監督の戦争映画『[[激動の昭和史 沖縄決戦]]』を父と一緒に見たという<ref>{{Cite web|url=http://nozawahisashi.blog.so-net.ne.jp/2007-01-22|title=おやじ、ありがとう|work=野沢コメント記事|publisher=野沢尚公式ブログ|date=2007-01-22|accessdate=2014-12-22}}</ref>。▼
* 1946年(昭和21年)8月1日 - 開館。
* 1984年(昭和59年)3月17日 - ビル化。
* 2006年(平成18年)8月19日 - 閉館。
▲=== 沿革 ===
[[1984年]]頃には木造一階建の建物を鉄筋コンクリート造二階建に建て替え、その1階に今池国際劇場が、2階には新規開館した[[ミニシアター]]の今池国際シネマが入った。1990年代前半には経営会社が今池土地建物株式会社から株式会社エフワン(代表:古川雅康<ref name="Tokyo">{{Cite web|url=http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1197956_1588.html|title=株式会社エフワン|work=倒産速報|date=2006-03-01|publisher=[[東京商工リサーチ]]|accessdate=2014-12-22}}</ref>)に移り、再び東宝系の映画館となった。同年代に上映した主なヒット作に『[[耳をすませば]]』『[[Shall We ダンス?]]』『[[もののけ姫]]』『[[ラヂオの時間]]』などがある<ref>{{Cite web|url=http://www.normanet.ne.jp/~meina/magonote/jimakueiga.html|title=いままで取り組んできた字幕付き映画|publisher=障害者情報ネットワークノーマネット|accessdate=2014-12-22}}</ref>。▼
[[太平洋戦争]]終戦翌年の1946年(昭和21年)8月1日<ref name="名古屋図書館">{{PDFlink|[https://www.library.city.nagoya.jp/img/oshirase/2021/chikusa_202105_2_1.pdf 千種図書館 座談会「映画館からみた千種区 過去・現在・未来」]}} [[名古屋市図書館]]、2021年3月27日){{Accessdate|2022-04-15}}</ref>、[[ヘラルドグループ]]創業者の[[古川為三郎]]によって、国際劇場として開館した。1953年の『全国映画館総覧』によると座席数は466席、洋画・邦画の新作を上映していたが、1955年(昭和30年)の『全国映画館総覧』では690席・[[東映]]系の映画館となっていた。しかし同年11月1日に今池東映劇場がオープン{{refnest|group="注"|その後1957年(昭和32年)11月1日に今池富士劇場が「今池東映劇場」の名称を引き継いだ<ref name="名古屋図書館"/>。}}したことから、国際劇場は[[東宝]]系の映画館へ移行。同日に封切られた[[美空ひばり]]主演の『[[ジャンケン娘]]』は大ヒットとなった<ref name="名古屋図書館"/>。
▲
[[2006年]][[2月27日]]には、運営会社のエフワンが[[民事再生法]]の適用を受けた<ref name="Tokyo"/>。同年8月20日付の新聞にて、今池国際劇場と今池国際シネマが営業停止となったことが報じられた。エフワンは今池で大規模娯楽施設を複数経営しており、同時にパチンコホール2店舗なども営業停止となった。劇場跡地には、[[2008年]][[12月26日]]にパチンコホール『[[キング観光]]サウザンド今池店』がグランドオープン<ref name="Janbari"/>し、現在に至る。▼
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▲
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{reflist}}
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{{Pref-stub|pref=愛知県}}
{{
[[Category:かつて存在した愛知県の映画館]]
[[Category:過去の東宝系列映画館]]
[[Category:千種区の建築物|廃いまいけこくさいけきしよう]]
[[Category:千種区の歴史]]
[[Category:1946年開業の施設
[[Category:2006年廃止の施設]]
[[Category:今池 (名古屋市)|廃いまいけこくさいけきしよう]]
[[Category:戦後の名古屋]]
[[Category:現存しない名古屋市の建築物]]
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