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{{Redirect|黙示録}}
{{出典の明記|date=2013年2月}}
{{複数の問題
{{独自研究|date=2013年2月}}
| 出典の明記 = 2013年2月
{{Redirect|黙示録|アース・ウィンド・アンド・ファイアーのアルバム|黙示録 (アルバム)}}
| 独自研究 = 2013年2月
| 言葉を濁さない = 2020年12月
}}
{{新約聖書}}
{{キリスト教終末論}}
{{wikisourcelang|el|Αποκάλυψις Ιωάννου|{{Lang|grc|Αποκάλυψις Ιωάννου}}}}
『'''ヨハネの黙示録'''』(ヨハネのもくしろく {{lang-grc|Ἀποκάλυψις Ἰωάννου}}、{{lang-la|Apocalypsis Iōannis}}、{{lang-en|Revelation}})は、『[[新約聖書]]』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一[[預言書]]的性格を持つ書である。
{{wikisource|ヨハネの默示録(文語訳)}}
{{wikisource|ヨハネの黙示録(口語訳)}}
'''ヨハネの黙示録'''(ヨハネのもくしろく、{{lang-grc|Ἀποκάλυψις Ἰωάννου}}、{{lang-la|Apocalypsis Iōannis}})は、『[[新約聖書]]』の最後に配置された書であり、『新約聖書』の中で唯一[[預言書]]的性格を持つ書である。
 
『ヨハネの黙示録』は、単に『'''黙示録'''』あるいは『'''ヨハネによる黙示録'''』、『'''神学者聖イオアンの黙示録'''』([[日本ハリストス正教会]])、『'''使徒聖ヨハネ黙示録'''』([[我主イエズスキリストの新約聖書|天主公教会]])、『'''ヨハネへの啓示'''』([[新世界訳聖書]])ともいわれる。
 
タイトルの「[[黙示]]」とは[[ギリシ語]]の「アポカリュプシス({{lang-grc|Ἀποκάλυψις}})」の訳であり、{{lang|grc|καλύπτω}}(覆う)に接頭辞の{{lang|grc|ἀπό}}(離れて)が組み合わさった{{lang|grc|ἀποκαλύπτω}}(明かす、明らかにする)という動詞に、{{lang|grc|-σις}}という抽象名詞を作る[[接尾辞]]が付いた複合語である。[[英語]]では「{{lang|en|Revelation}}」と言い、上記と同義の[[ラテン語]]である{{lang|la|revēlātiō}}(暴露、すっぱ抜き)に由来する。『黙示録』は[[キリスト教徒]]の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。今日、歴史的キリスヨハネの黙示録は[[2世紀]]に書かれたと言われている[[ムラリ正典目録]]に含まれており、[[西暦]][[397年]]に開催されたカルタゴでは、ヨハネの黙示録を含む27文書が正典として認められている
 
== 成立 ==
旧約・新約をとおしても『黙示録』は[[聖書]]の中で最もその扱いが議論されている。
 
聖書自身の自己証言による伝統的な理解では『[[ヨハネによる福音書]]』、『[[ヨハネの手紙一|ヨハネの手紙一]]・[[ヨハネの手紙二|二]]・[[ヨハネの手紙三|三]]』、『ヨハネの黙示録』の著者をすべて[[ヨハネ (使徒)|使徒ヨハネ]]であると考えてきた。西暦2世紀の[[:en:Papias of Hierapolis|パピアス]]は、この書を使徒の作とみなしていた。2世紀の殉教者ユスティヌスは自著、『ユダヤ人トリュフォンとの対話』の中で「キリストの使徒の一人で、名をヨハネという、ある人がわたしたちと共にいた。彼は自分の受けた啓示によって預言をした」と述べている。[[エイレナイオス]]は、2世紀末および[[3世紀]]初頭の[[アレクサンドリアのクレメンス]]や[[テルトゥリアヌス]]と同様、使徒ヨハネがその筆者であることを述べている。3世紀の聖書学者である[[オリゲネス]]はこう述べている。「わたしはイエスの胸に寄り掛かったヨハネについて語っているが……彼は一つの福音書を残した……彼はまた、黙示録をも記した」。さらに、『黙示録』の著者は、自らを「しもべヨハネ」と称し、「神のことばとイエスのあかしとのゆえに、[[パトモス島|パトモス]]という島にいた」と記しているが、これは伝承による使徒ヨハネの晩年の境遇と一致する。また、新約聖書において「小羊」という言葉をキリストの象徴として用いているのは、『ヨハネの黙示録』と『ヨハネによる福音書』だけである。
 
一方で、著者「[[ヨハネ]]」に関してもほとんど知られていないとし、23世紀には、文体上の違いに着目し、『ヨハネの黙示録』は、使徒以外の「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論があったことを、教会史家[[エウセビオス]]は伝えている。また『黙示録』(特に21章と22章)における終末理解と『ヨハネによる福音書』の著者の終末理解には大きな隔たりがあることを指摘する学者もおり{{誰|date=2020年12月30日 (水) 04:46 (UTC)}}、現代の聖書学者でこの説を支持しない者もいる{{誰|date=2020年12月30日 (水) 04:46 (UTC)}}。だが、『福音書』の記事はイエス在世中の出来事であり、『黙示録』はイエス[[復活 (キリスト教)#キリストの復活|復活]]<!--このような断定は個人の信仰のあり方によっては真実ではないので、百科事典としては最も良い表現とは言えないかもしれない-->数十年を経ての終末に関する新たな啓示を記した記録であるので、そこに何らかの差異があっても不自然ではない。
 
[[4世紀]]には、[[東方教会|東方]]で、[[金口イオアン|ヨハネス・クリュソストモス]]と他の主教たちの間で『黙示録』の聖書[[正典]]収録に関しての議論が巻き起こった。理由は『黙示録』が難解であるため、その表現を都合よく解釈して悪用されることを恐れたためである。シリアのキリスト教徒の間においても、『黙示録』は、[[モンタノス派]]が自らの正当化に利用したため排斥された。[[9世紀]]には[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノープル総主教]][[ニキフォロス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ニケフォロス1世]]がその著書の中で、『ヨハネの黙示録』を『[[ペトロの黙示録]]』と共に「真性に疑問のある書物」であるとしている。最終的には中世末期、[[正教会]]でも正典に加えられはしたものの、聖書の中で唯一[[奉神礼]]で朗読されることのない書となっている。
 
伝統的に、『黙示録』の成立は[[ドミティアヌス]]帝時代の紀元[[96年]]周辺であると考えられてきたが、聖書学者の中には[[ネロ]]帝時代の[[69年]]ごろと考えるのもいる。前者の説の有力な傍証とされるのは[[202年]]に死去した[[エイレナイオス]]の著書『異端反駁』5巻30における証言である。エイレナイオスは著者ヨハネと会ったという人物から『黙示録』の執筆は「というのは、それが登場したのはあまり前のことではなく、ほとんど我々の時代、ドミティアヌスの治世の終わりごろのことである」という証言を直接聞いたと記す。さらに96年成立説を有力なものとするのは、『黙示録』に[[アナトリア半島|小アジア]]における迫害というテーマが含まれていることである。ネロ帝のキリスト教徒迫害はローマ周辺にとどまっていため、小アジアでも迫害がおこなわれたドミティアヌス帝時代の成立のほうつじつま、遙かに辻褄うということになる。
 
== 構成 ==
『ヨハネの黙示録』は、古代キリスト教の[[アナトリア半島|小アジア]]における七つの主要な教会にあてられる書簡という形をとっている。[[7つの教会|七つの教会]]とは、
# [[エフェソス]]
# [[スミルナ]]
# [[ペルガモン]]
# [[ティアティラ]]
# [[サルディス]]
# [[アラシェヒル|フィラデルフィア]]
# [[ラオディキア]]
である。
 
文中では著者自ら「[[ヨハネ]]」と名乗り、終末にいて起こるであろう出来事の幻を見たと語る。『黙示録』は以下のような構成となっている。
#緒言(1章)
##初めの言葉(1:1-3)
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##エペソ教会: 偽りを退けたが、愛から離れた(2:1-7)
##スミルナ教会: 貧しいが富んでいる。死に至るまで忠実であれ。(2:8-11)
##ペルガモ教会: [[サタン]]の王座がある場所で忠実に証ししているが、ニコライ派の教えを悔い改めよ。(2:12-17)
##[[テアテラ]]教会: 愛、奉仕、信仰、忍耐を知っているが、[[ル]]という女の好き勝手にさせている。(2:18-29)
##サルデス教会: 死んでいる。目を覚まして悔い改めよ。 (3:1-6)
##フィラデルフィヤ教会: 門を開く。みことばに従い、名を否まず、力があった。(3:7-13)
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###大患難を通り、子羊の血で洗った白い衣を着た大群衆(7:9-17)
##第七の封印:しばらく沈黙があり、祈りがささげられる(8:1-5)
#[[黙示録のラッパ吹き|七人の天使]]が[[ラッパ]]([[トランペット]]士気を上げる音)を吹く(8章6節-11章19節)
##第一のラッパ:地上の三分の一、木々の三分の一、すべての青草が焼ける (8:6-7)
##第二のラッパ:海の三分の一が血になり、海の生物の三分の一が死ぬ (8:8-9)
##第三のラッパ:[[ニガヨモギ (聖書)|にがよもぎ]]という星が落ちて、川の三分の一が苦くなり、人が死ぬ (8:10-11)
##第四のラッパ:太陽、月、星の三分の一が暗くなる(8:12-13)
##第五のラッパ:いなごが額に神の刻印がない人を5ヶ月苦しめる(9:1-12)
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###天使に渡された小さな巻物を食べた。腹には苦いが、口には甘い(10:1-11)
###二人の証人が殺されるが生き返る(11:1-14)
##第七のラッパ:この世の国はわれらの主、[[メシア]]のものとなった。天の神殿が開かれ、契約の箱が見える。(11:15-19)
#天の戦い、地における獣の増大、地の刈り入れ(12章-14章)
##女を見た。太陽を着て、月を踏み、12の星をかぶる(12:1-6)
##天で戦いが起こった。サタンが地に投げ落とされる(12:7-12)
##[[黙示録の獣|赤い竜]]が神の民を迫害する(12:13-17)
##獣が神の民と戦うために海の中から上ってくる。いのちの書に名が記されていないものはこれを拝む(13:1-10)
##獣が地から上ってくる。[[獣の数字|獣の刻印]]を付ける (13:11-18)
##[[エルサレム]][[シオンの山]]の子羊(14:1-5)
##三人の天使が裁きを宣言する(14:6-13)
##鎌が地に投げ入れられる(14:14-20)
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###第六の鉢:しるしを行う3匹の悪霊、[[ハルマゲドン]]に王を集める(16:12-16)
###第七の鉢:大地震 島も山も消える(16:17-21)
#大淫婦の裁きとバビロンの裁きと滅亡(17章-18章)
##[[大淫婦バビロン|大淫婦]]が裁かれる(17:1-18)
##バビロンの滅亡 (18:1-8)
##人々がバビロンの滅亡をなげく(18:9-19)
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##子羊の婚宴(19:7-10)
#キリストの千年の統治の開始、サタンと人々の裁き(19章11節-20章)
##この世の支配者たち信徒の上に君臨される方
###白い馬に乗った方の名は「誠実」「真実」、血に染まった服を着る「神のことば」、「王の王」「主の主」(19:11-16)
###獣と偽預言者が火の池に投げ込まれる (19:17-21)
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###サタンが一時的に解放されて神の民と戦うが、滅ぼされる(20:7-9)
###サタンが獣や偽預言者もいる火と硫黄の池に投げ込まれて、永遠に苦しむ(20:10)
###最後の裁き:いのちの書に名が無い者がすべて火の池に投げ込まれて、永遠に苦しむ る。(20:11-15)
#[[新天新地]]
##新しい天と新しい地 最初の天と地は去った。(21:1-8)
111 ⟶ 120行目:
##警告:この書物に(記述を)付け加える者には災害が加えられ、(記述を)取り除く者からはいのちの木と聖なる都から受ける分が取り上げられる。 (22:18-21)
 
<ref>以上、訳語と小見出しは[[文語訳聖書]]、[[新改訳聖書]]、[[新共同訳聖書]]、[[現代訳聖書]]参照</ref>
 
== 解釈 ==
[[Image:Saint John on Patmos.jpg|thumb|250px|『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]](''{{Lang|fr|Très Riches Heures du Duc de Berry}}'')』に描かれた、[[パトモス島]]の福音書記者ヨハネの図。王座の周りを四人の[[熾天使]](セラフィム)が囲み、純粋をあらわす白いローブに身を包む24人の長老が両側に座る。彼らは金の冠を頭にかぶっている。黙示録は24人の長老とは誰であるかの正体を明示していないが、伝統的にヤコブの12人の息子とイエスの12人の使徒とされていた。]]
 
『黙示録』は歴史の中でさまざまに論じられてきた。特に『聖書』の中でもここにしか現れない「[[千年王国]]」論の特殊性への賛否やキリストの再臨の解釈をめぐって多くの議論を巻き起こした。しかし、歴史の中で現れた多くの解釈をまとめると預言書、文学、普遍的イメージの三つの見方に集約することができるとする立場もある。
ヨハネの黙示録には【ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした(1-2)】【イエスの証しは預言の霊なのだ(19-10)】と記されている。
 
この言葉は福音書の【人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない(マタイ12-32)】【父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊(ヨハネ14-26)】と呼応しており、ヨハネの黙示録自体が福音書に記されている聖霊であることを示している。
 
また、解釈をしようとすると【これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災いをその者に付け加える(22-18)】と記されており、簡単に解釈するわけにもいかない。しかし、この言葉は、逆に、この書に書かれている災いを自ら受ける覚悟を持てば、解釈も許されると言う意味ともなる。では、この災いとは何か……個人として受ける災いは、火と硫黄の燃える池(21-8)であり、ここに入るのを覚悟しさえすれば、解釈することも可能である。
 
つまり、解釈するためには、実際にこの火と硫黄の燃える池に飛び込むしかない。
 
『黙示録』は歴史の中で様々に論じられてきた。特に『聖書』の中でもここにしか現れない「[[千年王国]]」論の特殊性への賛否やキリストの再臨の解釈をめぐって多くの議論を巻き起こした。しかし、歴史の中で現れた多くの解釈をまとめると預言書、文学、普遍的イメージの三つの見方に集約することが出来るとする立場もある。
 
=== 預言書としての解釈 ===
この見方は『黙示録』を『[[ダニエル書]]』などの流れにある終末預言の一つであるとして、未来の事柄についても語られた終末預言書とみる見方である。
 
[[マルティン・ルター]]ら歴史的な[[プロテスタント]]の黙示録理解は、歴史主義解釈というもので、起こっていない未来の出来事を預言として与えられたという見方である。この立場では、未来にキリスト教の教理であるイエス・キリストの[[再臨]]、人間の体の復活、[[最後の審判]]、[[天国]]あるいは[[地獄 (キリスト教)|地獄]]への裁き、新天新地の到来があると信じられている<ref>[[ウェストミンスター信仰告白]]他</ref><ref>[[{{Cite book|和書|author=ウィリアム・ヘンドリクセン |authorlink=ウィリアム・ヘンドリクセン |others=[[鈴木英昭]] 訳 |year=1983 |title=死後と終末 |publisher=つのぶえ社 |pages={{要ページ番号|date=2023年1月}} |nopp=yes}}</ref><ref>[[{{Cite book|和書|author=尾山令仁]]『 |authorlink=尾山令仁 |year=1986 |title=聖書の教理 |publisher=羊群社 |isbn=978-4-8970-2022-8 |pages={{要ページ番号|date=2023年1月}} |nopp=yes}}</ref>
 
=== 文学類型(ジャンル)としての解釈 ===
この見方では、『黙示録』は、紀元前2世紀以降のユダヤ教で起こった終末思想とそれにしたがって書かれた『ダニエル書』などの一連の[[黙示文学]]の影響を受けたキリスト教的黙示文学であると解釈する。この見方が18世紀以降、[[自由主義神学]]の[[高等批評]]を受け入れる研究者の中では主流となっている。この解釈に沿ってみていくと、『黙示録』が『ダニエル書』などの一連の黙示文学と同じ「幻のうちに受ける啓示」、「歴史区分の提示」、「神の完全な支配の実現」などのパターンに沿って書かれているということがよくわかるとされる(「[[黙示]]」の項も参照のこと)。この立場の学者は、レンスキ、ナイルズである。[[ルドルフ・ブルトマン]]の[[非神話化]]では、イエス・キリストの来臨はすでに起こったこととされている<ref name="McGrath">[[{{Cite book|和書|author=アリスター・マクグラス]]『 |authorlink=アリスター・マクグラス |others=神代真砂実 訳 |year=2002 |title=キリスト教神学入門 |publisher=[[教文館]] |isbn=978-4-7642-7203-3 |pages={{要ページ番号|date=2023年1月}} |nopp=yes}}</ref>。
 
=== 普遍的テーマのイメージ化としての解釈 ===
135 ⟶ 153行目:
過去主義者の解釈では『黙示録』が1世紀の終わりに起きた大迫害を預言していたという見方があるが、ヨハネがこの書を書いたのが1世紀の後半だと考える立場からは当然に支持されない。
 
過去主義者の体系的記述は[[イエズス会]][[修道士]]アルカザールのもので、宗教改革者がローマ・カトリックを大淫婦バビロンとみなしたため、それを否定するためにあみだされたものであるが、その後に預言を否定するリベラルな[[ウィリアム・ラムゼー]]、[[シェイラー・マシューズ]]によって主張されている<ref>[[{{Cite book|和書|author=メリル・テニイ |authorlink=メリル・テニイ |others=[[有賀寿]] 訳 |year=1972 |month=10 |title=ヨハネの黙示録』p.177、 |publisher=[[聖書図書刊行会]] |isbn=978-4-7912-0020-7 |page=177}}</ref>
 
=== キリスト教の教理 ===
ただし、[[プロテスタント]]の[[信仰告白]]では、[[ウェストミンスター信仰告白]]にも、未来に起こることがらである[[再臨]]と[[最後の審判]]の根拠の聖句としてあげられている。今日でも歴史的なキリスト教終末論の理解からは、使徒ヨハネが神の啓示を受けたと信じられている<ref>[[{{Cite book|和書|author=岡山英雄]]『 |authorlink=岡山英雄 |year=2002 |title=子羊の王国 |publisher=[[いのちのことば社]] |isbn=978-4-2640-1991-6 |pages={{要ページ番号|date=2023年1月}} |nopp=yes}}</ref>
<!--
「今日,黙示録的終末<アポカリプス>は単なる聖書的な描写ではなく,非常に現実的な可能性になっている」―元国連事務総長ハビエル・ペレス・デクエヤル。
 
黙示録<アポカリプス>の希望が退けられた理由
 
初期クリスチャンの大半ではないまでも,その多くが,楽園となる地を治めるキリストの千年統治を待ち望んでいたことは反ばくの余地のない史実であるのに,そうした「千年至福説」が「結局退けられた」のはどうしてでしょうか。一部の人たちから,もっともな批判の声が上がったのです。というのは,学者のロバート・マウンスが指摘したとおり,「残念なことに,多くの千年至福説信奉者は想像をたくましくするあまり,千年期には物質面でも感覚面でも,あらゆる類の極端に走れると思い込んだ」からです。しかし千年期に関する真の希望を退けなくても,そうした過激派の見方を是正することはできたはずです。
 
千年期説を押さえつけようとして反対者たちの講じた手段は実に驚くべきものでした。カトリック神学辞典(フランス語)は,ローマの僧職者カイウス(2世紀末から3世紀初め)について,「千年期説を打破するために,黙示録<アポカリプス>[啓示]と聖ヨハネの福音書の信ぴょう性をあからさまに否定した」と述べています。同辞典はさらに,3世紀のアレクサンドリアの司教ディオニシウスが千年期説に反対する論文を書き,「聖ヨハネの黙示録を根拠にこの説をあくまでも主張する者たちの意見を封じるために,その典拠性を否定することもいとわなかった」と述べたことを示しています。地上における千年期の祝福に関する希望がそうした敵意に満ちた反対に遭遇したことは,当時の神学者たちの間で微妙な影響力が働いていたことをはっきり示しています。
 
ノーマン・コーン教授は自著「千年期の研究」(英語)の中でこう書いています。「千年期説の信用を落とそうとする試みが始まったのは3世紀のことであった。古代教会の神学者すべての中で恐らく最も影響力の強い人物であったオリゲネスが,王国を特定の場所,あるいは特定の時に生じるものではなく,信者の魂の中でのみ生じるものとして描写するようになったのである」。聖書よりむしろギリシャ哲学に頼ったオリゲネスは,メシアによる王国のもとで地的な祝福がもたらされるというすばらしい希望を弱め,「信者の魂の中で……生じる[理解し難い]もの」へと変質させたのです。カトリックの著述家レオン・グレーはこう書いています。「ギリシャ哲学の圧倒的な影響力は……やがて千年至福思想の衰退をもたらした」。
-->
 
=== 表象(イメージ)の解釈 ===
黙示録の中にはさまざまなイメージが現れ、歴史の中で多くの芸術家にモチーフを提供してきた(『黙示録』をテーマとする芸術としては[[アルブレヒト・デューラー]]の一連の木版画などが有名である
 
「文学類型」的解釈の立場に立つ学者たちは、『黙示録』のイメージを歴史的事実や、歴史上の人物などにあてはめることで解釈しようとしてきた。たとえば13章にあらわれる竜に権威を与えられた「海からの獣」は、強大な力を持ってキリスト教に対抗するものということで、[[ローマ帝国]]もしくは[[ローマ皇帝]]であると考えられる。その獣が持つ七つの頭は、アウグストゥス以来の七人のローマ皇帝にあてはめて解釈される。
159 ⟶ 166行目:
 
また、16章16節にあらわれる「[[ハルマゲドン]]」という言葉に関しては、本来の意味が知られずにおどろおどろしいイメージだけが独り歩きしている感があるが、「メギドの丘」という解釈が主流である。黙示録の中では神との戦いに備えて汚れた霊が王たちを集める場所をさす名称である。[[メギド]]は北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった。このことから「メギドの丘」という言葉がこの箇所で用いられたと考えられている。
 
== 脚注 ==
<references />
 
==ヨハネの黙示録を題材とした作品==
=== フィクション ===
{{Dl2
*[[アルブレヒト・デューラー]]「ヨハネの黙示録」
| 文学作品 |
*[[マティアス・ゲールング]]「黙示録註解」
* [[オディロジョン・ルドスタイベック]]「ヨハネ『[[怒り黙示録」葡萄]]』
* [[ティム・ラヘイ]]、[[ジェリー・ジェンキンズ]]『[[レフトビハインド]]』 - 後に映画化。
*[[オーメン]](映画)
| 絵画 |
*[[レフトビハインド]](小説・映画)
* {{仮リンク|マティアス・ゲールング|en|Matthias Gerung|de|Matthias Gerung}}『黙示録註解』
*[[特捜エクシードラフト]](特撮ドラマ)
* [[アルブレヒト・デューラー]]『ヨハネの黙示録』
*[[地獄の黙示録]](原題:Apocalypse Now)(映画) - 物語自体は[[ジョセフ・コンラッド]]の小説『[[闇の奥]]』を下敷きとしている。
* [[オディロン・ルドン]]『ヨハネの黙示録』
*[[相棒]]Season6-19「黙示録」(連続テレビドラマ)
| 映画 |
*[[ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日]](映画)
* 『[[アポカリプス 〜黙示録〜]]』
* 『[[第七の封印 (映画)|第七の封印]]』
* 『[[地獄の黙示録]]』(原題:''Apocalypse Now'') - 物語自体は[[ジョセフ・コンラッド]]の小説『[[闇の奥]]』を下敷きとしている。
* 『[[ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日]]』
* 『[[炎628]]』 - 原題:''{{lang|ru|Иди и смотри}}''(来たれ、そして見よ)は、第6章6:7 - 6:8の一節から採られている。
* 『[[ミスト (映画)|ミスト]]』
* 『{{仮リンク|リメイニング|en|The Remaining}}』
| テレビドラマ |
* 『[[相棒]]』Season6 第19話「黙示録」
* 『[[特捜エクシードラフト]]』
* 『[[ウルトラマンネクサス]]』
* 『[[スーパーナチュラル]]』
* 『[[グッド・オーメンズ (テレビドラマ)|グッドオーメンズ]]』
| 漫画 |
* [[青池保子]]『[[エロイカより愛をこめて]]』のうち「第七の封印」
* [[鏡貴也]]、[[山本ヤマト]]『[[終わりのセラフ]]』
* [[鈴木央]]『黙示録の四騎士』
}}
 
=== 評論 ===
* 『黙示録』 - [[D.H.ロレンス]]。[[福田恆存]]『黙示録論 現代人は愛しうるか』として翻および新で『黙示録論』井伊順彦訳、論創社
* {{Cite book|和書|author1=マルクス |authorlink1=カール・マルクス |author2=エンゲルス |authorlink2=フリードリヒ・エンゲルス |editor=ドイツ社会主義統一党中央委員会付属マルクス=レーニン主義研究所 |others=[[大内兵衛]]、[[細川嘉六]] 監訳 |title=[[マルクス・エンゲルス全集]] 第21巻 「黙示録」 |date=1971-08-30 |publisher=[[大月書店]] |edition=第4刷 |isbn=978-4-2720-0210-8 |id={{NDLSearch|R100000039-I2992200}} |pages=9-15 |chapter=黙示録}}
 
===音楽===
: [[フランツ・シュミット]]「[[7つの封印の書]]」
: [[デイヴィット・ギリングハム]]「ヨハネ黙示録の天使達(打楽器アンサンブル曲)」
: [[マドンナ (歌手)|マドンナ]]「[[ジャスティファイ・マイ・ラヴ|ジャスティファイ・マイ・ラヴ (ビースト・ウィズイン・リミックス)]] 」
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
 
== 関連項目 ==
{{wikisourcelang|el|Αποκάλυψις Ιωάννου|{{Lang|grc|Αποκάλυψις Ιωάννου}}}}
*[http://mokushiroku.corecurrency.com/ 黙示録]
{{wikisource|ヨハネの默示録(文語訳)}}
*[[最後の審判]]
{{wikisource|ヨハネの黙示録 (口語訳)}}
*[[終末論]]
{{commons&cat}}
*[[メシア]]
 
*[[黙示]]
{{Columns-list|20em|
*[[ヨハネの黙示録の四騎士]]
* [[黙示録最後ラッパ吹き審判]]
* [[赤い竜神の王国]]
* [[ダニエル書]]
*[[審判 (タロット)]]
* [[ニガヨモギ (聖書)]]
*[[キリスト教終末論の相違点]]
* [[バチカン]]
*[[7つの封印の書]]
* [[ローマ教皇庁]]
* [[ヨハネの黙示録の四騎士]]
* [[黙示録のラッパ吹き]]
* [[黙示録の獣]]
* [[黙示録の仔羊]]
* [[神の怒り]]
* [[キリスト教終末論の相違点]]
* [[神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟を含むパトモス島の歴史地区 (ホーラ)]]
}}
 
== 外部リンク ==
{{Template:黙示録の7つの教会}}
*[https://www.patmosislandgreece.com/patmosapocalypse/apocalypsecave/ The Cave of the Apocalypse]{{en icon}}
*[https://www.visitgreece.gr/experiences/religious-tourism/monasteries/spiritual-sites-on-patmos/ Spiritual sites on Patmos] the Greek National Tourism Organisation{{en icon}}{{el icon}}
*{{kotobank}}
*{{kotobank|ヨハネ黙示録}}
*{{kotobank|黙示録}}
 
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