「藤本義一 (洋酒研究家)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
cat
 
(4人の利用者による、間の4版が非表示)
1行目:
'''藤本 義一'''(ふじもと ぎいち、[[1927年]][[11月1日]]<ref name="bukko">『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.517</ref> - [[1999年]][[10月18日]])は、[[日本]]の洋酒研究家、[[コピーライター]]、[[編集者]]。[[兵庫県]][[神戸市]]出身。
 
==略歴==
1927年(昭和2年)、兵庫県神戸市に生まれる。幼少時から詩作に親しむ。戦時中は兵役に採られたが、復員後は古書店の経営を始め、1946年(昭和21年)に詩人の[[竹中郁]]の薦めで同人詩誌『航海表』を発刊する。1948年(昭和23年)、こどもの詩誌「きりん」の編集部に就職。当時の編集部には師竹中郁のほか[[井上靖]]らがいた。数年後「きりん」が一時的な休刊となり、藤本は同じく雑誌社の太陽社に転職。「太陽」の廃刊に伴い、神戸市の社会教育課に移った後に広告業界に入る。[[スモカ歯磨]]とさくらクレパスの編集者を経て、1959年(昭和34年)に株式会社[[サントリー|壽屋]]宣伝部に入社。1965年(昭和40年)に東京に転勤。社内報『まど』に洋酒に関する記事を発表する一方、[[開高健]]らとともに[[ベトナムに平和を!市民連合|ベ平連]]に参加し、反戦運動にも力を注ぐ。1973年(昭和48年)、サントリー在職中のままワイン相談室長を兼任し、日本ワイン協会専務理事を務めたほか、日蘭学会、蘭学資料研究会、日本風俗史学会の会員なども歴任した。1960年代後半からワインに関する著書を数多く発表し、洋酒の普及紹介に努めた。1999年10月18日、[[悪性腫瘍|癌]]のため死去<ref name="bukko"/>享年71歳没
 
==著書==
18行目:
==補足事項==
*藤本が神戸市の社会教育課に籍を置いていた時期、今日の市民大学の魁となる公開講座を開講していた。講師として招かれた人物には塩尻公明、宮田喜代蔵、樺俊雄、島雄敏雄などがいた。
 
==脚注==
<references/>
 
==関連人物==
25 ⟶ 28行目:
*[[竹中郁]]
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふしもと きいち}}
[[Category:日本の編集者]]
[[Category:日本のコピーライター]]
[[Category:サントリーの人物]]
[[Category:ワインに関連する人物]]
[[Category:胃癌で亡くなった人物]]
[[Category:神戸市出身の人物]]
[[Category:1927年生]]