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{{存命人物の出典明記|date = 2015年11月}}
{{Infobox プロレスラー
| 名前 = 中邑 真輔<br />Shinsuke Nakamura
| 画像 = Shinsuke Nakamura at BCW East Meets WestShinsuke_Nakamura_2024.jpg
 
| 画像サイズ = 220px
| 画像サイズ = 200px
| リングネーム = '''中邑 真輔'''
|画像説明=2024年| リングネーム = '''中邑 真輔'''<br>'''SHINSUKE NAKAMURA'''<br>キング中邑
| 本名 = 中邑 真輔
| ニックネーム = '''ジ・アーティスト'''<br />'''キング・オブ・ストロングスタイル'''<br />'''ウェイワード・サムライ'''<br /> 選ばれし救世主 <br /> 選ばれし神の子<br />狂気のインテリジェンス<br />反逆のボマイェ<br />解放された求道者<br />欲深き求道者<br />選ばれし救世主<br />選ばれし神の子ロックスター
| 身長 = 188cm
| 体重 = 104kg
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1980|2|24}}<ref name="復刻ゴング1号">{{Cite journal|和書|title=ゴング 新装刊|volume=1号|date=2014年10月|publisher=発行:アイビーレコード、発売:徳間書店|isbn=978-4-19-710388-1|page=19}}</ref>
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1980|2|24}}
| 死亡日 =
| 出身地 = [[京都府]][[中郡 (京都府)|中郡]][[峰山町]]
| 所属 = [[新日本プロレスWWE]]
| スポーツ歴 = [[総合格闘技]]<br />[[アマチュアレスリング|レスリング]]<br />[[空手]]<br />[[バスケットボール]]
| トレーナー = [[アントニオ猪木]]<br />[[山本小鉄]]<br />[[木戸修]]<br />[[永田裕志]]
| デビュー = [[2002年]][[8月29日]]
| 引退 =
}}
{{MedalTableTop}}
 
{{MedalSport|男子 レスリング}}
'''中邑 真輔'''(なかむら しんすけ、[[1980年]](昭和55年)[[2月24日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]、[[総合格闘家]]。[[京都府]][[峰山町]](現・[[京丹後市]])出身。[[新日本プロレス]](以下新日本)所属。[[京都府立峰山高等学校]]、[[青山学院大学]]卒業。
{{MedalCompetition |[[全日本学生レスリング選手権大会]]}}
{{MedalBronze|2001 |フリー97kg級}}
{{MedalCompetition |[[全国高校生グレコローマンスタイルレスリング選手権大会]]}}
{{MedalSilver|1997 |81kg級}}
{{MedalCompetition |[[全国高等学校総合体育大会]]}}
{{MedalBronze|1997 |フリー115kg級}}
{{MedalBottom}}
'''中邑 真輔'''(なかむら しんすけ、[[1980年]][[2月24日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]。[[京都府]][[峰山町]](現:[[京丹後市]])出身。[[京都府立峰山高等学校]]、[[青山学院大学]][[経営学部]]卒業<ref name="復刻ゴング1号"/><ref name="スポーツアルバム49-母親発言">{{Harvnb|スポーツアルバム|2014|pp=32-33|loc=「母親が語る息子・中邑真輔の実像 -」}}</ref>。[[WWE]]所属。[[ABO式血液型|血液型]]A型。[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[オーランド]]在住。
 
== 来歴 ==
=== 学生時代 ===
青山学院大学では[[アマチュアレスリング|レスリング]]部と美術部に同時に在籍し、レスリング部で主将を務めた。並行して[[和術慧舟會|和術慧舟會RJW]]でも1期生として練習を行っていた<ref>[http://www.g-c-m.net/pac/wk/dojyo/rjw.html RJW] WK NETWORK</ref><ref>[http://www.kamipro.com/news/?id=1258367607 中邑真輔と岡見勇信の対談実現、岡見が新日本参戦の夢を語る!!] kamipro.com 2009年11月16日</ref>。画家としても展覧会に出展している。
[[小学校|小学生]]の頃に[[空手]]教室に入ったが、それは長続きせずすぐに止めている<ref name="スポーツアルバム49-母親発言"/>。[[中学校|中学生]]になると[[バスケットボール]]を始め、ブロック大会でチームを優勝に導く主要メンバーだったこともある<ref name="スポーツアルバム49-母親発言"/>。中学卒業時にプロレス入りを希望したが、母親に「[[高等学校|高校]]に行ってからでも遅くはないじゃない」と諭され、高校に進学し<ref name="スポーツアルバム49-母親発言"/>、部活でレスリングを始めた。卒業時にもふたたびプロレス入りを希望するが、母親に「大学に行ってからでも遅くはないじゃない」と諭され、青山学院大からのスカウトもあり進学した<ref name="スポーツアルバム49-母親発言"/>。
 
大学では[[アマチュアレスリング|レスリング]]部と美術部に在籍し、レスリング部では主将を務めた。並行して[[総合格闘技]]道場である[[和術慧舟會|和術慧舟會RJW]]でも1期生として練習を行っていた<ref>[https://web.archive.org/web/20110808001526/http://www.g-c-m.net/pac/wk/dojyo/rjw.html RJW] WK NETWORK</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20100124220710/http://www.kamipro.com/news/?id=1258367607 中邑真輔と岡見勇信の対談実現、岡見が新日本参戦の夢を語る!!] kamipro.com 2009年11月16日</ref>。画家としても展覧会に出展している。
[[2002年]]、新日本プロレスに入団(同期は[[山本尚史]]、[[田口隆祐]]、[[後藤洋央紀]]、[[長尾浩志]])。同年8月29日、[[日本武道館]]における[[安田忠夫]]戦でデビュー、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた[[木戸修]]が付いた。レスリングでの実績とデビュー前に[[総合格闘技]]のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、デビュー戦後はシリーズには帯同せずLA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けた。
 
=== 新日本プロレス ===
12月31日、[[INOKI BOM-BA-YE 2002]]における[[ダニエル・グレイシー]]戦で総合格闘技に初参戦。2R2分14秒、[[腕ひしぎ十字固め|腕ひしぎ逆十字固め]]で敗北。
==== 2002年 ====
[[2002年]]、[[新日本プロレス]]に入門(同期は[[山本尚史]]、[[田口隆祐]]、[[後藤洋央紀]]、[[長尾浩志]])。同年8月29日、[[日本武道館]]における[[安田忠夫]]戦でデビュー<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録">スポーツアルバムNo.49『中邑真輔 新日本プロレス[CHAOS]』pp67 - 81「完全保存版 中邑真輔 国内全試合記録 ~2002年8月>>>2014年5月~」</ref>、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた[[木戸修]]が付いた。レスリングでの実績<ref>[https://db.japan-wrestling.jp/player/%E4%B8%AD%E9%82%91%E7%9C%9F%E8%BC%94/ 中邑真輔] 日本レスリング協会 選手&大会データーベース</ref> とデビュー前に[[総合格闘技]]のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、デビュー戦後はシリーズには帯同せず[[ロサンゼルス|LA]]道場で[[総合格闘技]]のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けた。
 
12月31日、[[INOKI BOM-BA-YE 2002]]における[[ダニエル・グレイシー]]戦で総合格闘技に初参戦。2R2分14秒、[[腕ひしぎ十字固め|腕ひしぎ逆十字固め]]で敗北<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
=== 2003年 - 2005年 ===
[[2003年]]5月2日、新日本「アルティメット・クラッシュ」大会で[[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキア]]と総合格闘技ルールで対戦し勝利。8月にはデビュー1年にも満たないキャリアで[[G1 CLIMAX]]へ初出場。安田、[[柴田勝頼]]から勝利を収める。
 
==== 2003年 - 2005年 ====
12月9日、[[天山広吉]]の所持する[[IWGPヘビー級王座]]に初挑戦。[[腕拉十字固|逆十字固め]]で天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす。
[[2003年]]5月2日、新日本「ULTIMATE CRUSH」大会で[[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキア]]と総合格闘技ルールで対戦し勝利<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。8月にはデビュー1年にも満たないキャリアで[[G1 CLIMAX]]へ初出場。安田、[[柴田勝頼]]から勝利を収める<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
 
12月9日、[[天山広吉]]の所持する[[IWGPヘビー級王座]]に初挑戦。[[腕拉十字固|逆十字固め]]で天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
12月31日、[[K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!]]で[[アレクセイ・イグナショフ]]と対戦。3Rでイグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの[[平直行]]が即座にTKOを宣告し敗北を喫するも、中邑側からの抗議によりジャッジを見直されて無効試合となった。
 
12月31日、[[K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!]]でキックボクサーの[[アレクセイ・イグナショフ]]と対戦。3Rでイグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの[[平直行]]が即座にTKOを宣告し敗北を喫するも、中邑側からの抗議によりジャッジを見直されて無効試合となった<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/><ref>プロレススポーツアルバムNo.49 pp23</ref>。
[[2004年]]1月4日、自身の持つIWGPヘビー級王座と[[NWF|NWFヘビー級王座]]の統一戦と銘打たれた試合で[[高山善廣]]と対戦。[[チキンウィングアームロック]]で高山からギブアップを奪い、IWGP王座を防衛、並びにNWFヘビー級王座に戴冠し二冠王となるも、後日NWFを封印。その後、精密検査の為欠場しIWGP王座も返上。
 
[[2004年]]1月4日、自身の持つIWGPヘビー級王座と[[NWF|NWFヘビー級王座]]の統一戦と銘打たれた試合で[[高山善廣]]と対戦。[[チキンウィングアームロック]]で高山からギブアップを奪い、IWGP王座を防衛、並びにNWFヘビー級王座に戴冠し二冠王となるも、後日NWFを封印。その後、精密検査の為欠場しIWGP王座も返上<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
5月22日、[[K-1 ROMANEX]]でイグナショフと再戦し、2R1分51秒[[ギロチンチョーク]]で勝利。以降、総合格闘技のリングには上がらずプロレス業に専念する。
 
5月22日、[[K-1 ROMANEX]]でイグナショフと再戦し、2R1分51秒前腕チョーク(K-1の公式記録は[[ギロチンチョーク]])で勝利<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。以降、総合格闘技のリングには上がらずプロレス業に専念する。
この時期から同じく次期エース候補である[[棚橋弘至]]、柴田勝頼と共に「新闘魂三銃士」と称されたが、3人それぞれこのプランに前向きではなく、更に翌年1月31日付で柴田が新日本と契約更新せず退団し、団体の新三銃士構想は立ち消えとなる。
 
11月、[[大阪ドーム]]大会で突然のカード変更により、[[中西学]]と組んで[[藤田和之]]、[[石澤常光|ケンドー・カシン]]組と対戦したがピンフォール負け<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。試合後にカード変更を打診した[[アントニオ猪木]]から鉄拳制裁を受けた<ref>スポーツアルバムNo.49 pp24</ref>
 
12月、[[棚橋弘至]]と組み、IWGPタッグ王者決定戦にて[[佐々木健介]]、[[鈴木みのる]]組と対戦。棚橋が鈴木からドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール勝ちを収め、第47代[[IWGPタッグ王座]]に就き、く<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。翌年10月に陥落するまでに4度の防衛を果たした。
 
[[2005年]]1月4日、棚橋を破って[[IWGP U-30無差別級王座]]を奪取し、ベルト封印を宣言した(返上扱い)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
3月12日に[[全日本プロレス]]に流出したIWGPヘビー級王座を奪還する為全日本のリングに単身乗り込み[[小島聡]]に対戦を直訴<ref>スポーツアルバムNo.49 pp53</ref>。26日に新日本両国国技館大会でタイトルマッチが組まれるも60分時間切れ引き分けで王座奪還は失敗に終わる<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
==== 2006年 - 2008年 ====
[[2006年]]1月4日、IWGPヘビー級王者[[ブロック・レスナー]]に挑戦したが惨敗<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
3月、会社新日本中邑を無期限の海外遠征修行に出すことを決意。この遠征は元IWGP王者の肩書がすでに団体・対戦相手の最高峰(IWGPヘビー級王座)制限するため、[[覆面レスラー]]と獲得て行うと発表され。かつては海外遠征からの帰国後、王者なるの日本プロレス界におけレスラーの格上げの常套手段であったが、中邑の場合はこの手順逆転させた海外修行に出すという稀な例であった<ref name="2006から2010">スポーツアルバムNo.49 pp26</ref>。しかし、遠征先では試合を一切行なわずに新日本ロス道場で汗を流し、9月24日に凱旋帰国した。
 
10月、[[蝶野正洋]]とタッグを組み、[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]から[[ヒール (プロレス)|ヒール]]への路線変更を図る。また、半年間の海外修行でビルドアップされた肉体に合わせ、コスチュームもロングタイツからショートタイツに変更。[[長州力]]、中西学組相手に凱旋試合を行い、新技'''ランドスライド'''で長州から3カウントを奪った<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。同月に行われた[[G1 TAG LEAGUE]]では蝶野とタッグを組んでエントリー。決勝トーナメントにて[[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]]、[[トラヴィス・トムコ]]組を撃破し、決勝戦で棚橋弘至、[[金本浩二]]組の王者タッグを破り優勝<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。試合後に蝶野、バーナード、トムコと共に蝶野政権を築くと宣言。
 
12月10日に帰国後初となるIWGP王座に挑戦。棚橋と対戦するも、[[ドラゴン・スープレックス|ドラゴン・スープレックス・ホールド]]でピンフォール負けを喫した<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
[[2007年]]1月4日、[[川田利明]]と対決するも顔面へのミドルキックを喰らい敗戦<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。8月にはG1 CLIMAXに出場。決勝トーナメントまでコマを進めるも12日、準決勝で[[永田裕志]]に敗れる<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。この試合中に雪崩式エクスプロイダーを受けた際、左肩側から不自然な形でマット上に落下。後日、肩鎖関節[[靭帯損傷|靭帯断裂]]および[[脱臼]]で3か月間の絶対安静と診断された<ref name="2006から2010"/>。26日より[[C.T.U (プロレス)|C.T.U]]解散に伴い[[田中稔 (プロレスラー)|稔]]、[[ミラノコレクションA.T.]]等と共闘を選択。後日に新ユニット[[RISE (プロレス)|RISE]]を結成した。
 
9月1日に[[挙式|結婚披露宴]]を行なった<ref>[http://www.njpw.co.jp/news/article.php?nwid=7298 祝!中邑真輔選手結婚!] 新日本プロレス公式サイト 2007年9月1日</ref>。
 
11月11日に復帰戦を行い、RISEを正式に始動させる<ref name="2006から2010"/>。
11月11日にジャイアント・バーナードをパートナーに復帰戦を行い、永田裕志、中西学組と対戦し勝利すると、メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合終了後に「次はこの俺と闘え」とマイクアピール。直後に同じく挑戦を表明してきた[[真壁刀義]]と12月9日の挑戦者決定戦で対決し勝利した。
 
[[2008年]]1月4日、棚橋弘至を破り第48代IWGPヘビー級王者となった<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。試合後に3代目IWGPヘビー級王座(IWGP 3rd)を所持する[[カート・アングル]]との対戦を要求。2月17日にベルト統一戦を行い腕ひしぎ逆十字固めで勝利し3代目ベルトを奪還した<ref name="2006から2010"/> が、同ベルトに対する世間のイメージが悪くなってしまった為封印。新たに4代目のIWGPベルトが制作される事になった<ref>3代目IWGPベルトは、ブロック・レスナーによって流出後、カート・アングルへの無断譲渡される等「負のイメージ」が強がったため</ref>。それに伴い「借りていた」かたちになっていた2代目IWGPベルトを、3月2日、ZEROONE-MAX後楽園大会に参戦時に[[橋本大地 (プロレスラー)|橋本大地]]に手渡し橋本家へ返却した<ref>スポーツアルバムNo.49 pp25</ref><ref>3代目IWGPベルトが流出中、新日本プロレスは、2代目IWGPベルトを仮のベルトとして使用していた。2代目ベルトは、橋本真也が急逝した2005年に新日本から橋本家に寄贈された形になっていた</ref>。
 
3月20日、4代目ベルトを掲げた初の防衛戦で棚橋から勝利を収めるも<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、4月27日に[[全日本プロレス]]の[[武藤敬司]]に敗れ、IWGPヘビー級王座から陥落しベルトの他団体への流出を許してしまう<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。10月13日にリマッチ権を行使し武藤とのタイトルマッチに臨むも、フランケンシュタイナーでピンフォール負けを喫した
 
==== 2009年 - 2011年 ====
9月5日に後藤洋央紀と組んで真壁刀義、[[矢野通]]の持つ[[IWGPタッグ王座]]に挑戦。[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]のセコンド乱入とジャイアント・バーナード、[[リック・フーラー]]による裏切り行為により不利な状況を強いられ敗戦。試合後に救援に駆け付けた棚橋と握手を交わし本隊と共闘をアピールした。10月13日にリマッチ権を行使し武藤とのタイトルマッチに臨むも、フランケンシュタイナーでピンフォール負けを喫した。
[[2009年]]1月4日東京ドーム大会で後藤洋央紀と組み、[[プロレスリング・ノア]]の[[三沢光晴]]、[[杉浦貴]]組と対戦。杉浦から腕ひしぎ十字固めでタップを奪い勝利<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。以降、ホーム・アウェイ問わず両団体での対抗戦で継続されていった。
 
2月15日に王座を奪回した棚橋弘至から指名を受ける形でIWGPに挑戦するも、ハイフライフローでピンフォール負けを喫する<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
12月6日の試合後に[[プロレスリング・ノア]]対抗戦に出陣することを宣言し、対戦相手に[[三沢光晴]]を指名した。
 
=== 2009年 - 2011年 ===
[[2009年]]1月4日東京ドーム大会で後藤洋央紀と組み、NOAHの三沢光晴、[[杉浦貴]]組と対戦。杉浦から腕ひしぎ十字固めでタップを奪い勝利。以降、ホーム・アウェイ問わず両団体での対抗戦で継続されていった。2月15日に王座を奪回した棚橋弘至から指名を受ける形でIWGPに挑戦するも、ハイフライフローでピンフォール負けを喫する。
 
3月1日にNOAHの日本武道館大会にミラノコレクションA.T.と共に参戦し杉浦貴、[[潮崎豪]]組と対戦。ミラノが潮崎にピンフォールを奪われ敗北。
 
4月5日、[[真壁刀義]]とのシングルマッチでレフェリー不在の中、[[矢野通]]が乱入し真壁を[[椅子]]で殴打。このアシストを経て真壁に勝利し、後日に矢野ら旧G・B・Hメンバーと共に[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]を結成<ref name="2006から2010"/>。コスチュームも黒のロングタイツに変更した。CHAOSの他のメンバーのようなあからさまな反則やヒール行為などは行っていないが、ファイトスタイルが今まで以上に殺伐としたものになった。
 
8月に行われた[[G1 CLIMAX]]では全勝し決勝トーナメントで一番乗りを挙げるも決勝で真壁に敗れ準優勝<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。G1終了後に、棚橋が怪我によりIWGP王座を返上。それにより9月27日、真壁とのIWGPヘビー級王者決定戦が急遽決定する。この試合に勝利し、第53代IWGPヘビー級王者に<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。また試合では最年少で同王座を獲得したときのテーマ曲Moving Cityで入場した。その[[大谷晋二郎マイク]]、棚橋弘至、永田裕志相手に防衛に成功する持ち「猪木ー!」と叫び物議を醸した<ref name="2006から2010"/>
 
[[2010年]]1月4日、[[高山善廣]]と6年振りに対戦。ボマイェでピンフォール勝ちを収め4度目の防衛に成功した<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。その後も中西学、後藤洋央紀からもベルトを防衛するも、5月3日に真壁刀義との防衛戦に敗戦<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。この試合中真壁の雪崩式パワースラムを受けた際に、古傷である左肩を負傷。その後の興業でもテーピングを張って出場するが、ドクターストップがかかり治療に専念するため欠場に入る。6月19日、[[ダニエル・ピューダー]]戦で復帰戦を行い勝利。7月19日にリマッチ権を使い真壁とのタイトルマッチに臨むも敗北
 
8月のG1 CLIMAXに出場し最終戦で潮崎と対戦するも時間切れ引き分けに終わり予選落ち<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。22日にNOAHに乗り込み再戦するも変形ゴーフラッシャーで敗戦<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
10月、[[小島聡]]が真壁からIWGPベルトを奪取した際、次期挑戦者として逆指名される。のらりくらりと指名を拒み続けたが、頑なに嘆願する小島に結局会社の同意のもとでそれを承諾した。12月11日IWGP戦で小島に敗れた<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
[[2011年]]1月4日の[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムV INin 東京ドーム|レッスルキングダムV]]にて、昨年8月の屈辱を晴らすために潮崎と対戦し勝利<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。対戦成績を五分に戻した。3月に開催された[[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CUP]]では決勝にまで進出したが、[[永田裕志]]に敗れ準優勝<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
4月、永田との防衛戦を終えた直後の棚橋のマイクに対して「うっとうしくねえだろ」<ref>かつて中邑がIWGPヘビー級王座についた際、棚橋がしつこく挑戦をアピールした時に棚橋が「うっとうしいだろ」と、マイクアピールしたパターンを坂手に取る形になる</ref> と突っかかる形で返答し、IWGP王者挑戦をアピール。公約通りに5月3日の福岡大会で挑戦するも敗北<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。この年から腕をダラリと下げて脱力するようなムーブを多用し始めた中邑に対し、前哨戦で棚橋は「あのフニャフニャした動きは好きじゃない」と発言すると、中邑も「フニャフニャじゃなくて、クネクネしてるだけだろ」と応戦。試合後も中邑は、「また立ちあがればいいんだろ。悪いけど、折れないんでね、オレの心は。こんなクネクネしてるんでね」と発言。この時期を境に、中邑独特のムーブに対して「クネる」という表現が使われるようになる
 
8月のG1 CLIMAXでは、自身の出場ブロック(Bブロック)で、最終戦までに勝ち点が5人並ぶ混戦となったが、最終戦の対戦相手であり同点で並んでいた[[鈴木みのる]]との事実上の決勝進出決定戦に勝利。決勝戦では[[内藤哲也]]を破り初めて優勝した<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
6月に短期海外武者修行に単身メキシコに渡り、7月3日に凱旋。CHAOS結成以来初めてコスチュームの黒タイツを赤いラインのある物に変える。
 
9月の神戸ワールド記念ホールで行われた「[[星野勘太郎]]追悼大会」で、IWGPヘビー級王者棚橋に挑むも敗れる<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
8月のG1 CLIMAXでは、自身の出場ブロック(Bブロック)で、最終戦までに勝ち点が5人も並ぶという混戦状態に陥るも、最終戦の対戦相手であり同点で並んでいた[[鈴木みのる]]との事実上の決勝進出決定戦に勝利。決勝戦では[[内藤哲也]]を破り初めて優勝した。
 
==== 2012年 - 2016年 ====
9月の神戸ワールド記念ホールで行われた「[[星野勘太郎]]追悼大会」で、IWGPヘビー級王者棚橋に挑むも敗れる。11月12日の試合終了後に勝利を挙げた内藤に突っかかり、内藤もこれに応戦しG1でのリベンジマッチを要求。12月4日にシングルマッチが組まれ、内藤を返り討ちにした。
[[File:滾る中邑.jpg|thumb|リングアナウンサーの選手コールに合わせてポーズを決める中邑。]]
[[2012年]]7月22日、[[キズナ・ロード#2012年|KIZUNA ROAD]]最終戦にて、[[後藤洋央紀]]が保持する[[IWGPインターコンチネンタル王座]](以降IC)に挑戦。勝利を収め、第4代王者に輝いた<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。しかし、試合後のコメントで同王座のデザインに対して酷評し、会社に対して作り直しを要求。ベルトの革の部分を白くする変更がなされた<ref>スポーツアルバムNo.49 pp29</ref>。このインターコンチ王座初戴冠により、中邑は同王座を輝かせることになる。8月26日、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]に拠点を置く[[SWF (プロレス)|SWF]]に参戦。同団体で新たに製作されたIC王座を賭けて、[[オリバー・ジョン]]と対戦し、初防衛に成功した<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。
 
12月10日、プロレス大賞技能賞を受賞。
=== 2012年 - 現在 ===
[[File:滾る中邑.jpg|thumb|リングアナウンサーの選手コールに合わせてポーズを決める中邑]]
 
[[2013年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム7 〜EVOLUTION〜 in 東京ドーム|レッスルキングダム7]]のダブルメインイベントに登場し、IC王座選手権試合で[[桜庭和志]]を破り、4度目の防衛に成功<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。その後も挑戦者たちを退け、防衛回数を8までに伸ばす。5月31日のCMLL遠征時に行われたタイトルマッチで[[ラ・ソンブラ]]に敗れ、一度は王座を手放すも<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、7月20日の[[キズナ・ロード#2013年|KIZUNA ROAD 2013]]最終戦で再びIC王座を奪取し、第6代王者に返り咲いた<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。下半期は3度の防衛を達成する。
[[2012年]]7月22日、[[キズナ・ロード#2012年|KIZUNA ROAD]]最終戦にて、後藤洋央紀が保持する[[IWGPインターコンチネンタル王座]](以降IC)に挑戦。勝利を収め、第4代王者に輝いたが、試合後のコメントで同王座のデザインに対して酷評し、会社に対して作り直しを要求する。8月26日、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]に拠点を置く[[SWF (プロレス)|SWF]]に参戦。同団体で新たに製作されたIC王座を賭けて、[[オリバー・ジョン]]と対戦し、初防衛に成功した。以降、後藤洋央紀、[[カール・アンダーソン]]を相手に防衛に成功を果たす。
 
[[20132014年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム78 ~EVOLUTION~ INin 東京ドーム|レッスルキングダム78]]のダブルメインイベントに登場で棚橋と対戦して敗北し、IC王座選手権から陥落<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合で[[桜庭和志]]を破り、4度目の防衛に成功記録"/>以降、[[CMLL]]2月9日の[[ソンブラ]]、[[鈴木軍]]の[[ランスニューホイット|ラビギニス・アーチャー]]、[[ハリー・スミス (プロレスラー興行)|デイビーボーイ・スミスJr.]]、[[シェルトン・ベンジャミン|シェルトン・X・ベンジャミン]]を相手に防衛を積み重ねていく。5月31日のCMLL遠征時に行われたタイトルマッチでソンブラに敗れ、一度は王座を手放すも、7月20日の[[キズナ・ロード#2013年THE NEW BEGINNING in HIROSHIMA|KIZUNATHE NEW BEGINNING ROADin 2013HIROSHIMA]]最終戦再びIC王座リマッチ奪取敢行たが第6代王者に返り咲いたここでも敗北<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
 
3月、[[NEW JAPAN CUP]]に出場し、決勝戦で[[バッドラック・ファレ]]と対戦し、[[BULLET CLUB]]の介入に苦しめられ、終盤には額から流血しながらも、ファレを下して初優勝<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>。今大会の優勝者にはIWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチ王座のいずれかに挑戦できる権利が与えられ、中邑はICを選択する。
[[2014年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム8 IN 東京ドーム|レッスルキングダム8]]で棚橋と対戦して敗北し、IC王座から陥落。2月9日の[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#9日|THE NEW BEGINNING in HIROSHIMA]]でリマッチを敢行したが、ここでも敗北。
 
3月、[[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CAP]]に出場し、決勝戦で[[ファレ・シミタイトコ|バッドラック・ファレ]]を下して初優勝。今大会の優勝者にはIWGPヘビー級王座とIWGPIC王座のいずれかに挑戦できる権利が与えられ、中邑はICを選択する。4月6日、[[インベージョン・アタック#2014年|INVASION ATTACK]]で棚橋と再戦。この試合に勝利を収め、第8代王者に返り咲いた<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録" />
 
[[2014年]]5月25日、横浜アリーナにて、12年前に総合格闘技ルールで敗れた[[グレイシー一族]]の[[ダニエル・グレイシー]]にIC初防衛戦で勝利を収めた<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録" />。しかし6月21日、[[バッドラック・ファレ]]に敗れIC王座から陥落した<ref>{{Cite web |和書|date=2014-06-22 |url=https://web.archive.org/web/20140913200908/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/281331/ |title=ファレ新王者 中邑撃破の大金星! |publisher=[[東京スポーツ]] |accessdate=2014-06-22}}</ref>。
2014年 8月10日 G1 CLIMAX 24 優勝決定戦、[[西武ドーム]]大会でのメインイベントにて同門CHAOSの[[オカダ・カズチカ]]と対戦したが敗北を喫し、準優勝となった。
 
8月10日、G1 CLIMAX 24 優勝決定戦[[西武ドーム]]大会でのメインイベントにて、同門CHAOSの[[オカダ・カズチカ]]と対戦したが、敗北を喫し、準優勝となった。
9月21日、ファレの持つIC王座戦のリマッチに勝利し、第10代王者になった。10月13日の試合後、柴田を挑戦者に逆指名し対戦が決定。11月8日、柴田に勝利して初防衛に成功。試合後に飯伏が乱入して中邑を[[ジャーマンスープレックス]]で投げ捨て、挑戦を表明。中邑はこれを受諾した。
 
9月21日、ファレの持つIC王座戦のリマッチに勝利し、第10代王者になった。10月13日の試合後、[[柴田勝頼]]を挑戦者に逆指名し対戦が決定。11月8日、柴田に勝利して初防衛に成功。試合後に飯伏が乱入して中邑を[[ジャーマンスープレックス]]で投げ捨て、挑戦を表明。中邑はこれを受諾した。
[[2015年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム9 IN 東京ドーム|レッスルキングダム9]]で[[飯伏幸太]]とのIC戦で2度目の防衛に成功。
翌5日、後楽園ホール大会において、永田が中邑の持つICに挑戦表明し、2月14日、仙台サンプラザホールにて防衛戦を行い、3度目の防衛に成功した。
 
[[2015年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 9 in 東京ドーム|レッスルキングダム9]]で[[飯伏幸太]]とのIC戦で2度目の防衛に成功。翌5日、後楽園ホール大会において、永田が中邑の持つICに挑戦表明し、2月14日、仙台サンプラザホールにて防衛戦を行い、3度目の防衛に成功した。
3月のNEW JAPAN CUP終了後、同大会準優勝に終わった後藤洋央紀に6人タッグマッチで勝利。試合後に後藤を「存在が薄い」「透明人間」と挑発。しかし4月5日に後藤からピンフォール負けを奪われると5月3日のレスリングどんたくで後藤に破れ王座から陥落してしまった。
7月5日、大阪城ホール大会で後藤とのICのリマッチに挑んだが、敗北した。
 
3月のNEW JAPAN CUP終了後、同大会準優勝に終わった後藤洋央紀に6人タッグマッチで勝利。試合後に後藤を「存在が薄い」「透明人間」と挑発。しかし、4月5日の両国大会で、後藤からピンフォール負けを奪われると、5月3日のレスリングどんたくで後藤に破れIC王座から陥落することとなる。7月5日、大阪城ホール大会で、忍者の衣装で入場し、後藤とのICのリマッチに挑んだが、敗北した。
8月のG1 CLIMAX25に出場中、左肘を負傷するも途中から戦線復帰し、Bブロック首位のオカダカズチカからタップを奪いBブロック首位に。Aブロック首位の棚橋弘至との優勝決定戦を激闘の末、敗北、惜しくも準優勝となる。
試合後、棚橋弘至とリング上で握手し、勝利を称えた。
 
8月のG1 CLIMAX25に出場中、左肘を負傷するも途中から戦線復帰し、Bブロック首位のオカダからタップを奪いBブロック首位となり、2年連続で優勝決定戦進出を決める。Aブロック首位の棚橋弘至との優勝決定戦を激闘の末、敗北し、惜しくも準優勝となる。試合後、棚橋弘至とリング上で握手し、勝利を称えた。
9月27日、DESTRUCTIONinKOBEにてG1で勝利を収めた後藤洋央紀から指名される形でIC戦を行いこれに勝利して第12代王者に返り咲く。
試合後、BULLETCLUBのカール・アンダーソンとドク・ギャローズが乱入し、カール・アンダーソンが挑戦を表明する。
 
9月27日、DESTRUCTIONinKOBEにてG1で勝利を収めた後藤洋央紀から指名される形でIC戦を行いこれに勝利して第12代王者に返り咲く。試合後、BULLETCLUBの[[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]]と[[ドリュー・ハンキンソン|ドク・ギャローズ]]が乱入し、アンダーソンが挑戦を表明する。
11月7日、POWER STRUGGLEにて、カール・アンダーソンとIC戦を行い、セコンドについたBULLETCLUBに苦しめられながらも勝利し、王座を防衛する。
試合後、AJスタイルズが海野レフェリーからベルトを取り上げ、挑戦を表明しながら中邑にベルトを手渡す。中邑はこれを受け入れ、WK10にてAJスタイルズとIC戦を行うことが決まる。
 
11月7日、POWER STRUGGLEにて、カール・アンダーソンとIC戦を行い、セコンドについたBULLET CLUBに苦しめられながらも勝利し、王座を防衛する。試合後、AJスタイルズが海野レフェリーからベルトを取り上げ、挑戦を表明しながら中邑にベルトを手渡す。中邑はこれを受け入れ、WK10にてAJスタイルズとIC戦を行うことが決まる。
== 芸術家 ==
中邑はペインティングを得意としている。学生時代からレスリング部と美術部を掛け持ち、双方で活躍してきた。[[岡本太郎]]にインスパイアされWEB上で彼の描く「プロレスラー」という作品が公開されている。そして自ら描いた100点を越える絵画をもって、絵画展を主催したことがある。
=== 展覧会 ===
; 『TOKYO WRESTLING ARTS』中邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代美術展
: [[2008年]](平成20年)12月12日 - 18日
: 東京・青山SPACE INTART GALLERY
=== イラスト ===
* 『イタい人にならない自分☆発信力』原村和子([[ビジネス社]]、2010年6月16日) - 絵を担当
* 「いざ戦いのクリスマス MORE's Xmas」([[横浜モアーズ]]、2015年、11月)- キャンペーンイラスト
 
[[2016年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)|レッスルキングダム10]]にて[[AJスタイルズ]]と対戦。激闘の末ピンフォール勝ちを収め、試合後は拳を合わせて健闘を称えあった。
== その他 ==
 
今でこそ総合格闘技色の強いスタイルであるが、学生時代はインディーから女子プロレスまで追いかける生粋のプロレスマニアであった。[[LLPW-X|LLPW]]の旗揚げ当時のメンバーを暗唱できるなど、知識も豊富である。2008年2月に放送された[[FIGHTING TV サムライ]]の『P-1選手権 第1回プロレスクイズ王決定戦』では新日本チームの一員として出場し(メンバーは他に[[レッドシューズ海野|海野宏之]]+[[週刊プロレス]]記者1名)、その豊富な知識量の一端を披露してチームの優勝に貢献した。
1月7日、東京スポーツの取材により新日本プロレスを退団することが明らかになる<ref>[https://web.archive.org/web/20160107020520/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/491361/ インターコンチ王者・中邑が新日プロ退団!WWE入り] - (2016年1月7日) 東京スポーツweb 2016年1月7日閲覧</ref> が、日刊スポーツの報道によれば、新日本プロレス側は「まだ何の話もしていない」と移籍を否定していた<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/1589308.html 中邑真輔WWE移籍浮上、新日本は「話していない」] - (2016年1月8日)</ref>。しかし、12日、新日本プロレスより正式に退団と発表された<ref>{{Cite web|和書|date=2015-01-12 |url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=15657 |title=中邑真輔選手、退団のお知らせ |publisher=新日本プロレスリング |accessdate=2016-01-12}}</ref>。その後、[[WWE]]に移籍してファーム団体である[[WWE・NXT|NXT]]にて4月1日のTakeoverでデビューすることがWWE公式より発表された。移籍により所持していた[[IWGPインターコンチネンタル王座]]は返上となった。
 
1月30日、後楽園ホール大会で「中邑真輔 壮行試合」と銘打ち、オカダ・カズチカ、[[石井智宏]]と組んで、棚橋弘至、後藤洋央紀、柴田勝頼組と対戦。石井が柴田から勝利を収め、試合後は[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]メンバーからの祝福を受け、大会を締め括った。同日を以って新日本プロレスを退団。それに伴いCHAOS脱退。なお、同年は年頭より中邑だけでなく、AJや飯伏らの主力も新日本を退団している。
 
=== WWE ===
==== NXT ====
 
==== 2016年 ====
{{内容過剰|section=1|date=2016年7月}}
2016年2月4日、リングネームを本名名義でデビューする事が発表された<ref name="wwe-ringname">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1601292.html|title=中邑真輔、リングネームは「シンスケ・ナカムラ」か|accessdate=2016-02-06|publisher=nikkansports.com}}</ref>。同月22日、ハードロックカフェ東京にてWWEと正式に契約を交わした事に関して入団会見を行った。モニターを使用して渡米した際にWWE本社にて[[ビンス・マクマホン]]、[[トリプルH]]、[[ステファニー・マクマホン=レヴェック|ステファニー・マクマホン]]と会話を交わし、WWEパフォーマンスセンターに訪問した際には[[ASUKA (プロレスラー)|ASUKA]]、[[小林健太|ヒデオ・イタミ]]といった日本人レスラーや[[ファーガル・デヴィット|フィン・ベイラー]]、[[マシュー・ブルーム]]、[[ラ・ソンブラ|マニー・アンドラーデ]]といった新日本プロレスで苦楽を共にした人物達と顔を合わせた。最後にファンに送るメッセージとして「中邑真輔を世界にぶつけていきたいと思います。イヤァオ!」とコメントした<ref name="wwe-signed-01">{{cite web|url=https://www.wwe.com/shows/wwenxt/article/shinsuke-nakamura-signs-wwe-nxt?sf21301902=1|title=Shinsuke Nakamura signs with WWE NXT |accessdate=2016-02-21|publisher=WWE.com}}</ref><ref name="wwe-signed-02">{{Cite web|和書|url=http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201602220047-spnavi|title=中邑真輔がWWEと正式契約。「世界にぶつけたい。イヤァオ!」|accessdate=2016-02-22|publisher=スポーツナビ}}</ref><ref name="wwe-signed-03">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1607707.html|title=中邑真輔、WWE傘下NXT部門の一員として契約|accessdate=2016-02-22|publisher=nikkansports.com}}</ref>。なお、WWEから初めて接触があったのは2014年ごろで、当初は断っていた。移籍の決め手はIWGP主義者だった中邑がインターコンチ王座の価値として上げることに成功させてしまい、個人としても団体としても多様性を認める価値観に変わってしまったこと。赤字返済報告を受け、新日本プロレスは大丈夫だと思えたタイミングだったことなどを、のちのインタビューで回答している<ref>柳澤健『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(2017年、文藝春秋)386‐389頁</ref>。
 
3月16日、NXTにてリング上で[[ラミ・セベイ|サミ・ゼイン]]がマイクアピールをしているところへGMである[[ダレン・マシューズ|ウィリアム・リーガル]]が登場。[[NXTテイクオーバー|NXT Takeover Dallas]]でサミに見合う相手として世界でトップに入る男であると紹介されるとタイタントロンに映し出され、" See you in Dallas, when Shinsuke Nakamura takes over! "とコメントした<ref name="nxtlive-20160316">{{cite web|url=https://www.wwe.com/shows/wwenxt/2016-03-16/article/wwe-nxt-results-2016-03-16|title=WWE NXT results - March 16, 2016: American Alpha and Vaudevillains square off for title opportunity, Sami Zayn and Shinsuke Nakamura set for Dallas dream match|accessdate=2016-03-16|publisher=WWE.com}}</ref>。
 
4月1日、NXT Takeover Dallasにてサミ・ゼインと対戦。脱力ロープブレイク、バイブレーション式踏み付けなど新日本プロレス時代の定番となっていたムーブを披露し、終盤にセカンドロープから後頭部に[[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|ダイビング式キンシャサ]]、そして正調式キンシャサを決めてNXTデビュー戦を勝利で飾った<ref name="nxt-20160401">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-news/58303-nxt-takeover-dallas-results-4-1-16-live-results-in-dallas|title=NXT TakeOver Dallas Results - 4/1/16 (Balor vs. Joe)|accessdate=2016-04-01|publisher=Wrestleview.com}}</ref>。
 
5月25日、NXT王座挑戦を宣言した[[オースチン・エリーズ]]に対してバックステージより登場し、挑戦するのはエリーズではなく自身であるとアピールを行なった。これを受けてGMである[[ウィリアム・リーガル]]がNXT Takeover The Endでの両者の対戦を発表した<ref name="nxt-20160525">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-wrestling-results/wwe-nxt-results/62465-wwe-nxt-results-52516-triple-threat-nxt-womens-title-1-contenders-match-main-events-tm-61-makes-debut-takeover-matches-set/|title=WWE NXT Results – 5/25/16 (Triple Threat NXT Women’s Title #1 Contenders Match main events, TM-61 debuts)|accessdate=2016-05-26|publisher=Wrestleview.com}}</ref>。
 
6月8日の両者の試合では蹴り技で試合を組み立てる中邑に対して、エリーズからはその中邑の膝を狙われる展開となる。それでも痛めている膝での攻撃を強行し、ジャンピング・キンシャサから正調キンシャサへと繋げて勝利した<ref name="takeover-theend2016">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-wrestling-results/wwe-nxt-takeover-results/62926-nxt-takeover-end-results-6816-live-full-sail-university-samoa-joe-vs-finn-balor-nxt-championship/|title=NXT TakeOver: The End Results – 6/8/16 (Samoa Joe retains the NXT Title, Austin Aries vs. Shinsuke Nakamura, lots of debuts)|accessdate=2016-06-08|publisher=Wrestleview.com}}</ref>。
 
7月1日 - 2日、東京・両国[[両国国技館|国技館]]で行われたWWE Live Japanで凱旋帰国。1日はクリス・ジェリコに、2日はケビン・オーエンズに勝利した<ref name="wwejapan-20160703">{{cite web|url=http://www.wwe.co.jp/article/2016/07/1230.html|title=WWE | ニュース | 2016 | 『WWE Live』で中邑、アスカが凱旋!|accessdate=2016-07-03|publisher=WWE.co.jp}}</ref><ref name="sportsnavi-20160703">{{Cite web|和書|url=http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201607010010-spnavi|title=中邑真輔、日本凱旋でジェリコを撃破アンブローズが3Way戦制し防衛 - スポーツナビ|accessdate=2016-07-03|publisher=sports.yahoo.co.jp}}</ref>。
 
8月20日、[[NXTテイクオーバー|NXT TakeOver: Brooklyn II]]にて[[NXT王座]]を保持する[[サモア・ジョー]]に挑戦。勝利し新王者となる。NXTデビューからわずか4ヶ月で最高位のベルトを獲得した<ref name="takeover-20160820">{{cite web|url=http://www.sescoops.com/video-shinsuke-nakamura-wins-the-nxt-championship/|title=Video – Shinsuke Nakamura Wins The NXT Championship|accessdate=2016-08-21|publisher=SeScoops.com}}</ref>。
 
12月2日、[[大阪府立体育会館]]で行われたWWE Live Japanで凱旋帰国。NXT王座を保持するサモア・ジョーに挑戦。王座を奪還した<ref>https://web.archive.org/web/20161220033151/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161203-00000030-tospoweb-fight</ref>。
 
==== WWE ====
==== 2017年 ====
[[2017年]]4月4日、WWEに昇格。[[スマックダウン|SmackDown]]にて[[ザ・ミズ]]と[[マリース・ウエレ|マリース]]がリング上にて[[ジョン・シナ]]と[[ベラ・ツインズ|ニッキー・ベラ]]の[[コスプレ]]をしてマイクパフォーマンスをしているところに、バックステージから[[ヴァイオリニスト]]のリー・イングランド・ジュニアと共に登場を果たした<ref name="smackdown-20170404">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-wrestling-results/wwe-smackdown-results/77230-wwe-smackdown-results-4417-fallout-wrestlemania-33/|title=WWE Smackdown Results – 4/4/17 (Fallout from WrestleMania 33)|accessdate=2017-04-04|publisher=Wrestleview.com}}</ref><ref name="smackdown-debut">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-news/77358-nxt-stars-debut-smackdown-live/|title=NXT stars debut on Smackdown Live, Nikki Bella taking time off from WWE|accessdate=2017-04-04|publisher=Wrestleview.com}}</ref>。
 
5月21日、[[WWE・バックラッシュ|Backlash 2017]]にて[[ドルフ・ジグラー]]を相手にWWEデビュー戦を行い、勝利した<ref name="wwe-backlash2017">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-wrestling-results/wwe-ppv-results/wwe-backlash/81250-wwe-backlash-results-52117-orton-vs-mahal-nakamura-debut/|title=WWE Backlash Results – 5/21/17 (Orton vs. Mahal, Nakamura debut)|accessdate=2017-05-21|publisher=Wrestleview.com}}</ref>。
 
8月20日、[[サマースラム|SummerSlam 2017]]にて[[WWE・世界王座|WWE王座]]を保持する[[ユブラジ・デッシィ|ジンダー・マハル]]に挑戦。日本人初の王座戴冠を目指すが、シン・ブラザーズ(サミル・シン & スニル・シン)が乱入して、彼らを蹴散らした隙を突かれて敗戦した<ref name="summerslam-2017-01">{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/wwe-wrestling-results/wwe-ppv-results/wwe-summerslam/89310-wwe-summerslam-results-august-20-2017/|title=WWE SummerSlam Results WWE SummerSlam Results – 8/20/17 (Fatal 4-Way headlines in Brooklyn)|accessdate=2017-08-20|publisher=Wrestleview.com}}</ref><ref name="summerslam-2017-02">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20170821044542/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/738915/|title=【WWE】中邑 日本人初の王座奪取ならず!インドの怪人にまさかのフォール負け|accessdate=2017-08-21|publisher=東スポweb}}</ref>。8月22日、ニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターでシン・ブラザーズと1vs2ハンディキャップマッチを行った。シン・ブラザーズは2人で一遍にけいれん式ストンピング、コーナーに乗せられて膝蹴りを食らわせ、最初は中邑を劣勢に追い込むも、サミルを三角絞めでタップを奪って勝利。2分48秒での決着であった。かつて乱入により自身の試合を妨害した相手に勝った中邑は試合後「オレはマハラジャに勝ちたいわけじゃない。マハルに勝ってWWE王者になりたいんだ」と宣言<ref name="nakasto">週刊プロレス2017年9月13日号pp.37-39.</ref>。
 
10月8日、スマックダウンPPV大会でジンダー・マハルと対戦。3度目のWWE王座戦となったが、シン・ブラザーズの妨害もあり背後から捕獲されカラスを決められ、3カウントを奪われた<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/201710090000386.html 中邑真輔フォール負け、ヘビー級王座挑戦またも失敗] 日刊スポーツ 2017年10月9日17時2分(2017年10月11日閲覧)</ref>。
 
==== 2018年 ====
1月28日、[[ロイヤルランブル]]の[[ロイヤルランブル#ロイヤルランブルマッチ|ロイヤルランブルマッチ]]で14番目に出場。試合終盤に中邑、[[ジョン・シナ]]、[[ロマン・レインズ]]の3人が残りまずシナを撃破、その後レインズから[[スーパーマンパンチ]]と[[スピアー (プロレス技)|スピアー]]をくらうがなんとか耐えて最後はキックをしてふらついているレインズを落とし、優勝を飾る<ref>{{cite web|url=https://www.sbnation.com/2018/1/28/16943326/royal-rumble-2018-results-shinsuke-nakamura-royal-rumble-winner-roman-reigns|title=Royal Rumble 2018 results: Shinsuke Nakamura wins men’s Royal Rumble after epic battle|accessdate=2018-01-28|publisher=sbnation.com}}</ref>。
 
4月8日、[[レッスルマニア|WrestleMania 34]]における[[WWE王座 (世界ヘビー級)|WWE王座]]戦で王者の[[AJスタイルズ]]に挑戦。[[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|キンシャサ]]をカウンターで[[フェイス・バスター#スタイルズ・クラッシュ|スタイルズ・クラッシュ]]に切り返されフォール負けし、タイトル獲得を逃す。試合後、一度はスタイルズと抱擁、その後跪きチャンピオンベルトを渡すも、ベルトを掲げたスタイルズへ[[金的|ローブロー]]、悶絶し倒れたスタイルズに日本語で罵声を浴びせながら場外に蹴り出し、最後はキンシャサを決め[[ヒール (プロレス)#ヒールターン|ヒールターン]]を果たす<ref>{{Cite web|和書|date=2018-04-09|url=https://www.sportingnews.com/jp/amp/wwe/news/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A234%E9%80%9F%E5%A0%B1%E5%81%89%E6%A5%AD%E5%A4%B1%E6%95%97%E3%81%AE%E4%B8%AD%E9%82%91%E7%9C%9F%E8%BC%94%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%AE%E9%80%86%E3%82%AE%E3%83%AC%E3%81%A7%E7%8E%8B%E8%80%85aj%E3%82%92%E6%9A%B4%E8%A1%8C/1l3t9ge9eh8ub1ir58prjb6shn |title=【レッスルマニア34速報】偉業失敗の中邑真輔、まさかの逆ギレで王者AJを暴行! |work=Sporting News|publisher=Perform Group|accessdate=2018-04-09}}</ref>。
 
7月15日、[[WWEエクストリーム・ルールズ|エクストリーム・ルールズ]]での[[WWE・ユナイテッドステイツ王座|WWE US王座]]戦前に王者の[[ジェフ・ハーディー]]に対して、レフェリーの死角を突いた急所攻撃を敢行。レフェリーがジェフの安否を確認して試合を開始した直後にキンシャサを見舞い、WWE US王座を奪取した<ref>{{cite web|url=http://www.sportingnews.com/wwe/news/wwe-extreme-rules-2018-results-live-updates-matches-card-predictions-roman-reigns-bobby-lashley-aj-styles/7elrpp9li77m1c46x9cckgn3r|title=WWE Extreme Rules 2018 results: Lashley upends Reigns, Kevin Owens takes scary fall|accessdate=2018-07-16|publisher=Sporting News}}</ref>。
 
12月25日<ref>12月18日収録[http://www.ringsidenews.com/2018/12/18/spoiler-big-title-change-christmas-edition-wwe-smackdown-live/]</ref>、SmackDown Liveで[[ミロスラフ・バルニャシェフ|ルセフ]]とWWE US王座戦を行い、敗戦。王座から陥落した<ref>{{cite web|url=http://www.pwmania.com/wwe-smackdown-results-december-25-2018 |title=WWE SmackDown Results – December 25, 2018 |publisher=PWMania.com Staff |author=PWMania.com |date=2018-12-25 |accessdate=2018-12-26 }}</ref>。
 
==== 2019年 ====
[[2019年]]1月27日、[[ロイヤルランブル#第32回大会(2019年) WWE Royal Rumble 2019|Royal Rumble 2019 Kickoff]]でWWE US王者のルセフに挑戦。ルセフが倒れている間にリングのターンバックルを取ろうとする仕草を見せ、ルセフのマネージャーであるラナに体当たりを誤爆させると後頭部へのキンシャサを決めて勝利。リベンジを果たすと同時に王座を戴冠した<ref>{{cite web|url=https://www.mirror.co.uk/sport/other-sports/wrestling/wwe-royal-rumble-live-stream-13908212|title=WWE Royal Rumble 2019 LIVE results: Latest updates and matches as they happened|accessdate=2018-01-28|publisher=Mirror}}</ref>。1月29日、SmackDown Liveで[[ロン・キリングス|R・トゥルース]]とWWE US王座戦を行い敗戦。わずか2日で王座から陥落。
 
7月14日、Extreme Rules 2019 Kickoffで[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWE IC王者]]のフィン・ベイラーに挑戦。終盤にベイラーの[[フット・スタンプ#ダイビング・フット・スタンプ|クー・デ・グラ]]を避けると背後からのキンシャサ、そして正調式キンシャサを決めて勝利。王座を戴冠した<ref>{{cite web|url=https://www.forbes.com/sites/brianmazique/2019/07/14/wwe-extreme-rules-2019-results-winners-grades-highlights-and-analysis/#4fc3bdb349f1|title=WWE Extreme Rules 2019 Results: Winners, Grades, Highlights And Analysis|accessdate=2019-07-14|publisher=Forbes}}</ref>。
 
==== 2020年 ====
1月26日、ロイヤルランブルマッチで11番目に出場。キンシャサを決めようとしたところを[[ブロック・レスナー]]に捕らえられ、そのまま投げ出されて脱落した。1月31日、SmackDown Liveで[[アダム・シェル|ブラウン・ストローマン]]とWWE IC王座戦を行い敗戦。王座から陥落<ref>{{Cite web|url=https://www.wwe.com/shows/smackdown/2020-01-31/article/braun-strowman-def-shinsuke-nakamura|title=Braun Strowman def. Shinsuke Nakamura to win the Intercontinental Title|accessdate=2020-03-04|publisher=WWE.com}}</ref>。
 
その後は[[ラミ・セベイ|サミ・ゼイン]]、[[クラウディオ・カスタニョーリ|セザーロ]]とヒールユニットを組み、3月8日の[[エリミネーション・チェンバー・マッチ|エリミネーション・チェンバー]]でIC王者のストローマンと3対1のハンデ戦でIC王座戦を行う。数的有利を活かし終始優勢に立ち回り、ゼインの戴冠をアシストした。
 
7月19日の[[WWEエクストリーム・ルールズ|エクストリーム・ルールズ]]にて、セザーロと組んで[[ニュー・デイ (プロレス)|ニュー・デイ]]の保持する[[WWE・スマックダウン・タッグチーム王座|スマックダウンタッグ王座]]に[[テーブルマッチ]]で挑戦。セザーロが場外に立てられた2段のテーブルの上に[[コフィ・キングストン]]を叩きつけるパワーボムを決めて勝利。WWE入団以降で初となるタッグ王座を戴冠した。
 
9月28日、ルチャ・ハウス・パーティー([[サムライ・デル・ソル|カリスト]]&リンセ・ドラド&[[マスカラ・ドラダ|グラン・メタリック]])と対戦し王座防衛に成功。
 
10月9日、ニュー・デイとのタイトルマッチで敗れ、王座から陥落した。
 
==== 2021年 ====
1月8日、[[ケビン・スティーン|ケビン・オーエンズ]]の負傷によって行われたガントレット形式WWEユニバーサル王座次期挑戦者決定戦に出場するも、[[ジョー・アノアイ|ローマン・レインズ]]の妨害にあい敗北。また、この試合を機に徐々にフェイスターンを果たす。
 
8月13日、[[スマックダウン]]で[[ウーハー・ネイション|アポロ・クルーズ]]を倒し、2度目の[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWEインターコンチネンタル王座]]を獲得した。
 
==== 2022年 ====
1月30日、[[ロイヤルランブル#ロイヤルランブルマッチ|ロイヤルランブルマッチ]]で2番目に登場。1番目に登場した[[AJスタイルズ]]により脱落させられた。
 
2月18日、スマックダウンにて[[ラミ・セベイ|セミ・ゼイン]]とタイトルマッチを行い敗北。[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWEインターコンチネンタル王座]]を失った。
 
4月2日、[[レッスルマニア38]]にてリック・ブーグスとタッグを組み、[[ウーソズ]]が保持する[[WWE・スマックダウン・タッグチーム王座|スマックダウンタッグチーム王座]]に挑戦。試合中にブーグスが足を負傷するというアクシデントが起き、孤軍奮闘するも敗れる。
 
6月3日、スマックダウンにて[[マット・リドル]]とチームを組み[[ウーソズ]]の持つ統一タッグチーム王座に挑戦したが、今度は中邑が足を負傷してしまいタイトル獲得とはならなかった。
 
8月12日、スマックダウンにて[[ビッグバン・ウォルター|グンター]]の持つ[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWEインターコンチネンタル王座]]に挑戦するが敗北。
 
10月14日、同月1日に亡くなった[[アントニオ猪木]]の通夜・告別式出席のため一時帰国<ref>{{Cite web|和書|title=中邑真輔 緊急帰国で猪木さん葬儀参列…WWEの計らいに感謝「来れることができて本当によかった」 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/241931 |website=東スポWEB |date=2022-10-14 |access-date=2022-10-31 |language=ja}}</ref>。
 
10月18日、5年ぶりにNXTに登場。チャニング“スタックス”ロレンゾ相手にフォール勝ちした<ref>{{Cite web|和書|title=【WWE】中邑真輔5年ぶりNXTで試合 猪木さん葬儀出席後初試合に観客は大熱狂 - プロレス : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202210200000555.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-11-01 |language=ja}}</ref>。
 
==== 2023年 ====
1月1日、[[日本武道館]]にて行われた[[プロレスリング・ノア]]『[[ABEMA]] presents NOAH “THE NEW YEAR” 2023』にて[[グレート・ムタ]]と対戦した。日本での試合は2019年のWWE日本公演以来、国内団体での試合は2016年1月30日・新日本プロレス壮行試合以来であり、WWE所属になってからは初となる<ref>{{Cite web|和書|title=【1.1 日本武道館大会】グレート・ムタ見参!対戦相手はWWEスーパースター SHINSUKE NAKAMURA!! |url=https://www.noah.co.jp/news/3766/ |website=プロレスリング・ノア公式サイト {{!}} PRO-WRESTLING NOAH OFFICIAL SITE |access-date=2022-10-30}}</ref>。
 
4月28日の[[スマックダウン]]にて、WWEキャリア初となる[[WWE・ロウ|ロウ]]にドラフトされる。
 
7月1日に[[イギリス]]の[[ロンドン]]で行われた[[WWEマネー・イン・ザ・バンク|マネー・イン・ザ・バンク]]の[[マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ|男子ラダーマッチ]]に出場したが、惜しくも敗れた。
 
9月のペイバック2023及び10月のファストレーン2023では、いずれもメインイベントで世界ヘビー級王者の[[セス・ロリンズ]]に挑んだが、30分近い激闘の末敗れ、悲願の最高王座獲得はならなかった。
 
'''2024年'''
 
4月22日の試合を最後に、WWEのテレビ番組への出場が約半年途切れる。その間もハウスショーなどで試合は組まれていた。
高校の先輩に[[野村克也]]がいる。
 
この欠場からの復帰戦となった11月のサバイバーシリーズ2024で[[LAナイト]]に勝利し、自身3度目のWWE US王座獲得となった。
なおインタビューにおいて、ファン時代に[[チャールズ・スキャッグス|スコーピオ]]のファンサービスに感銘を受け、プロになった現在、彼のファンサービスの良さを目標にしていると語っている。
 
'''2025年'''
他にも、テレビにも度々出演しており、『[[恋するハニカミ!]]』(相手は「当時は年下」の[[夏川純]])や『[[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!]]』などの[[バラエティ番組]]、[[マクドナルド]]や[[資生堂]][[Uno (化粧品)|uno]]のCMに出演した。
 
[[5月23日]](日本時間24日)の[[WWEスマックダウン|SMACK DOWN]]で[[マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ]]予選3WAYマッチに挑むが[[LAナイト]]に敗れる。<ref>{{Cite web |url=https://wp.bbm-mobile.com/sp2/result/resultshow.asp?s=063639 |title=PLE・SNME前日のSD。MITB予選に中邑、ジュリアが出場、フラクシオムがタッグ王座に初挑戦、元ジェフ・コブとジェイコブは? |publisher = |accessdate=2025-05-24}}</ref>
2014年5月に[[ファレル・ウィリアムス]]「ハッピー」のミュージックビデオに出演<ref>{{cite web|url=https://ototoy.jp/news/75446|title=ファレル・ウィリアムス「ハッピー」MVにBiS、ふなっしー、オカダカズチカ&中邑真輔が出演|publisher=OTOTOY|date=2014年5月1日|accessdate=2015年3月13日}}</ref>
。2015年1月には[[テンプラキッズ]]「ミイラキラー」のミュージックビデオに出演<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=13278|title=IWGPインターコンチネンタル選手権・中邑vs飯伏の煽りVTRのスピンオフ企画「中邑真輔×テンプラキッズverのMV『ミイラキラー』」がYouTubeで公開中!!|publisher=新日本プロレスリング|date=2015年1月28日|accessdate=2015年3月13日}}</ref>。
 
[[6月13日]](日本時間14日)の[[WWEスマックダウン]]で行われた[[キング・オブ・ザ・リング]]の予選で[[コーディ・ローデス]]に敗れる。<ref>{{Cite web |url=https://abema.app/UFYW |title=WWE SMACKDOWN#89 |publisher =ABEMA |date=2025-06-14 |accessdate=2025-06-14}}</ref>
2014年9月創刊のムック本『日本プロレス事件史』(ベースボールマガジン社)においてコラム「中邑真輔が歴史的一戦を徹底分析!」を連載開始(全15回予定)<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=12741|title=新日本プロレスリング:中邑がジャイアント馬場を語る! 新日本vs旧UWFの内幕! 『日本プロレス事件史』Vol.3は、11月17日(月)発売!|publisher=新日本プロレスリング|date=2014年11月15日|accessdate=2014年11月17日}}</ref>
 
== 得意技 ==
元々キャリア初期関節技を主体とした総合格闘技色が強かった。その後、肉体改造を行って身体を大きくしパワーファイトも行うようになる。[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]結成後からはキックや膝蹴りなどの打撃技と大きな受け身を主体とし、加えて近年では入場時や試合中に随所でクネクネと体を脱力させるという独自のムーブや唯一無二の言動は総じて「キング・オブ・ストロングスタイル」と称される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202210200000555.html|title=【WWE】中邑真輔5年ぶりNXT会場試合 猪木さん葬儀出席後初試合に観客は大熱狂|publisher=日刊スポーツ|date=2022-10-20|accessdate=2022-10-21}}</ref>。2017年の専門誌によると「"キング・オブ・ストロング"が観客の絶大な支持沸かせ獲得」と評されている。
[[ファイル:Nakamura Boma Ye.JPG|thumb|200px|[[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]]に[[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|ボマイェ]]を放つ中邑。]]
[[ファイル:Nakamura Front Neck Lock.JPG|thumb|200px|フロントネックロック]]
[[ファイル:2016-04-01 22-04-40 ILCE-6000 6498 DxO (26502104933).jpg|thumb|200px|シャイニング・トライアングル]]
 
=== フィニッシュ・ホールド ===
; [[膝蹴り#派生技|キンシャサ]]('''Kinshasa''')
[[File:Nakamura Boma Ye.JPG|thumb|250px|[[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]]に[[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|ボマイェ]]を放つ中邑]]
: 相手から距離をとり自身は、全身をエビ反らせるような独特のフォームで滾り助走をつけてから放つ、相手の顔面へのランニング式膝蹴り。近年ではレッグ・ラリアートのような形で相手の顔面を打ち抜く形式へと変化している。
; [[ニー・バット#ランニング・ニー・バット|ボマイェ]]({{Lang-sw|'''Boma Ye'''}})
: 下記にあるように[[パンチング#ナックル・パンチ|ナックルパート]]の後に移行したり、後頭部へ放つこともある。当初は右足で放っていたが半月板を断裂して以降、左足で繰り出す事が主要となった。2014年4月の棚橋戦にて久々に右のボマイェを使用。
: 現在のフィニッシュ・ホールド。 全身をエビ反らせるような独特のフォームで放つ顔面への膝蹴り。[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]結成後から使い始めた。
: [[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]結成後から新日本退団時まで、[[膝蹴り#派生技|ボマイェ]]({{Lang-sw|'''Boma Ye'''}})の技名で使用していた現在のフィニッシュ・ホールド。
: 名称は[[リンガラ語]]で「''kill you''」の意で、[[アントニオ猪木]]の入場テーマ曲「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」中の台詞「ボンバイエ」と同義。
: 下記にあるようにナックルパートの後に移行したり、後頭部へ放つこともある。当初「ボマイェ」右足[[リンガラ語]]放っていたが半月板を断裂して以降、左足「''kill you''」の意繰り出す事が主要、[[アントニオ猪木]]の入場テーマ曲「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」中の台詞「ボンバイエ」なった同義。本人曰く、この技は[[高山善廣]]の必殺技である[[膝蹴り#ニー・リフト|ニー・リフト]]を意識して使い始めたという。
: [[WWE]]・[[WWE・NXT|NXT]]ではボマイェ繋がりから[[キンシャサの奇跡]]に掛けて'''キンシャサ'''('''Kinshasa''')へと技名を変更。WWE日本語公式サイトでは'''キンシャサ・ニー・ストライク'''('''Kinshasa knee strike''')と表記されている。
:''' この技の発展形'''
・コーナー二段目から飛び上がって放つ「'''ジャンピング式'''」
・トップロープに乗りその反動を生かしてから放つ「'''スワンダイブ式'''」(主に2m級のレスラーに大して使っていたが現在は使っていない)
コーナーヘうつ伏せに張り付けた相手に助走をつけて見舞う「'''串刺し式'''」
・尻餅をついた相手に対して首元へ滑り込ませるように当てる「'''スライディング式'''」
・四つん這いの相手の側頭部に当てる「'''低空スライディング式'''」
 
: この技の発展形
=== 打撃技 ===
; ダイビング式
; [[パンチング#種類|ナックルパート]]
: コーナー二段目から飛び上がって放つ。
; スワンダイブ式
: トップロープに乗りその反動を生かしてから放つ。
; 串刺し式
: コーナーヘうつ伏せに張り付けた相手に助走をつけて見舞う。
; スライディング式
: ハーフダウン状態の相手に対し、走り込んでから相手の後頭部又は、首元に滑り込むように低空式で左膝を叩き込むランニング・ニーアタック
; サイドポジションから放つ
: 四つん這いの相手の側頭部に当てる。
; 断崖式
: 相手をエプロンサイドへ腹這いに寝かせて後頭部へ膝を当てる。
; 場外へ
: 場外にいる相手に向かい、エプロンから助走した場外へ放つ。
 
===打撃技===
; [[パンチング#ナックル・パンチ|ナックル・パンチ]]
: 主に打撃合戦中の際、不意に相手の喉元へ食い込ませ、上記のボマイェに移行することもある。トップロープ等から飛んで来た相手を迎撃する際に使用することもある。
; [[ラリアット#レッグ・ラリアット|ゼロ戦キック]]
: 助走をつけてジャンプし、脛の外側の部分で相手の顔面を蹴る技。レッグ・ラリアットともいえる。主にカウンターで使用する。
; 各種[[蹴り技|キック]]
; [[ライダーキック]](カンフーキック)
: [[ローキック]]、[[ミドルキック]]、[[ハイキック]]それぞれを使う。CHAOS結成後は、主にこの技を使って試合を組み立てる。
: 顔面への跳び蹴り。[[キングオブプロレスリング]]では「ジャンピング・カラテキック」と表記されている。
; [[ライダーキック]]
; [[後ろ回し蹴り#プロレス|虎尾]](ヒールキック・スピンキック)
: 顔面への跳び蹴り。[[キングオブプロレスリング]]では「'''ジャンピングカラテキック'''」と表記されている。
: ハイキックからのフェイントでよく使用するカンフー由来の技<ref>{{Cite web|和書|date=2008-4-7|url=http://blog.livedoor.jp/ryosijj/archives/51310667.html|title=中邑アチョ~! カンフーで武藤越え!? |publisher=多重ロマンチック |accessdate=2014-4-6}}</ref>。[[望月成晃]]のイリュージョンと同型。
; [[後ろ回し蹴り|虎尾]](ヒールキック・スピンキック)
: ハイキックからのフェイントでよく使用するカンフー由来の技<ref>{{Cite web|date=2008-4-7|url=http://blog.livedoor.jp/ryosijj/archives/51310667.html|title=中邑アチョ~! カンフーで武藤越え!? |publisher=多重ロマンチック |accessdate=2014-4-6}}</ref>。[[望月成晃]]のイリュージョンと同型。
; [[膝蹴り]]
: ダウンした相手に連続で叩きこんだり、[[フロントチョーク|フロントネックロック]]の状態から相手の腹部目掛けて叩きこんだり、相手の飛び技を迎撃したり等、バリエーションが非常に多い。
; [[バックブリーカー#バック・スタバクラッカー|バッククラッカー]]
: 背後から相手の顎を掴み、そこから自分の両膝を相手の背中にあてがうようにして飛び付きながら相手引き倒す変形の[[バックブリーカー]]。
: [[カーリー・コロン|カリート]]の得意技で中邑の場合、膝を使った攻撃のバリエーションの一部として使用している。
; [[フェイスバスター#コード・ブレイカー|コード・ブレイカー]]
: 自分の両膝を使っての[[フェイスバスター]]。首を掴んでから仕掛けたりする他、相手に片足を掴まれたときにも使用する。
: 上記のバッククラッカー同様、膝攻撃の一種として使用している。
; 痙攣式[[蹴り技#種類|ストンピング]]
: コーナーに押し込んだ相手に[[蹴り技#種類|ストンピング]]を見舞い、相手が尻もちを付いた所で相手の喉元を足で踏みつけながら全身をブルブル震わせる。
 
=== 投げ技 ===
; [[ファみちのくドラマンズキャII#ハケーン・ドライバ#プロレスにおける派生技|ランドスライド]]
: 肉体改造後のフィニッシュ・ホールド。
: 肉体改造後のフィニッシュ・ホールド。[[ファイヤーマンズキャリー]]で相手をかつぎ、ファルコンアローのような形でシットダウンしながら前方へホイップし相手の後頭部から背中にかけてマットに叩き付ける。ハリケーン・ドライバーと同型の技。大一番では雪崩式で披露することもあったが、ボマイェを取得してからはほとんど使用していない。
: [[ファイヤーマンズキャリー]]の体勢で相手を担ぎ上げ、そこからシットダウンと同時に相手を前方回転させながら相手の後頭部から背中にかけてマットに叩きつける変型ドライバー。ハリケーン・ドライバーと同型の技。大一番では雪崩式で披露することもあった。
: 2013年1月4日の[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム7 ~EVOLUTION~ IN 東京ドーム|レッスルキングダム7]]の舞台で対戦した[[桜庭和志]]との試合で久々に解禁した。それ以降、1.4東京ドームやG1 CLIMAX決勝戦など大舞台で繰り出す事が多い。
: 2013年1月4日の[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム7 〜EVOLUTION〜 in 東京ドーム|レッスルキングダム7]]の舞台で対戦した[[桜庭和志]]との試合で久々に解禁した。それ以降、1.4東京ドームやG1 CLIMAX決勝戦、レッスルマニアなど大舞台で繰り出す事が多い。
; [[ファイヤーマンズキャリー#プロレスにおける派生技|変形ランドスライド]]
; [[バックブリーカー#牛殺し|変形ランドスライド]]
: ファイヤーマンズキャリーで担ぎ上げる所までは上記のランドスライドと同じ。相手を前方へホイップする所からが相違点で、こちらの技の場合は、自分の左膝を立てその膝に相手の頭部を叩きつけるようにホイップする。最終的には後藤洋央紀の「牛殺し」と同型になる。2011年のG1決勝戦(対内藤哲也戦)で初披露。正式名称について本人からの言及は無く不明。ただし、公式サイト [http://www.njpw.co.jp/match/detail_result_game.php?e=322&c=2790]や[[週刊プロレス]]2011年8月31日号[http://www.sportsclick.jp/magazine/pro_wrestling/110831/index.html]の記事で『変形ランドスライド』と記載されていた。
: [[ファイヤーマンズキャリー]]で担ぎ上げる所までは上記のランドスライドと同じ。相手を前方へホイップする所からが相違点で、こちらの技の場合は、自分の左膝を立てその膝に相手の頭部を叩きつけるようにホイップする。最終的には後藤洋央紀の「牛殺し」と同型になる。2011年のG1決勝戦(対内藤哲也戦)で初披露。正式名称について本人からの言及は無く不明。ただし、公式サイトの記事で『変形ランドスライド』と記載されていた。
; [[羽交い締め#リバース・フルネルソンの体勢から移行する技|ダブルアーム式パイルドライバー]]
; [[パイルドライバー#ダブルアーム・パイルドライバー|ダブルアーム・パイルドライバー]]
: ダブルアームで抱え上げ、そのまま自身が尻から着地し相手の頭をマットに落下させる危険技。2008年1月4日の棚橋戦で初公開。フィニッシュ・ホールドとして使っていたこともある。現在は使用をしていない。
: ダブルアームで抱え上げ、そのまま自身が尻から着地し相手の頭をマットに落下させる危険技。2008年1月4日の棚橋戦で初公開。フィニッシュ・ホールドとして使っていたこともある。
; [[パワースラム|リバースパワースラム]]
; [[パワースラム#リバース・パワースラム|リバース・パワースラム]]
: 中邑のオリジナル技。相手を背後から抱え上げ、パワースラム状に投げ落す技。綺麗に決まれば相手はパワースラムと表裏逆に落ちることとなり、顔面や胸部等をマットへ打ち付けるのだが、タイミングや角度によっては相手が頭部や肩から先に落ちている場合もあり、危険な技とも言える。雪崩式も存在するが前述のように通常でも危険技に匹敵するため、あまり使用しない。
: 中邑のオリジナル技。
: 相手を背後から抱え上げ、[[パワースラム]]状に投げ落す技。綺麗に決まれば相手は[[パワースラム]]と表裏逆に落ちることとなり、顔面や胸部等をマットへ打ち付けるのだが、タイミングや角度によっては相手が頭部や肩から先に落ちている場合もあり、危険な技とも言える。雪崩式も存在するが前述のように通常でも危険技に匹敵するため、あまり使用しない。NXTではリバース[[エクスプロイダー]]と紹介されている。
; おからボム
: 相手の蹴り足を片腕でキャッチし、もう片方の腕を相手の股に潜り込ませ、そのまま抱え上げてライガーボムで落とす。蹴りのディフェンス用に効果を発揮する技。[[日高郁人]]のイグチボムとほぼ同形技。
; [[タイガー・スープレックス]]
: 新三銃士と呼ばれ始めた頃に対棚橋戦で、棚橋のドラゴン・スープレックスに対抗するように使用し始めた。基本的に大一番でしか使用しない。クラッチは[[三沢光晴]]式。
; [[ジャーマン・スープレックス]]
: デビュー当時から現在も使い続けている。高山善廣や吉江豊などの巨漢レスラーも投げたことがあるが、使用頻度は少な
; [[ジャーマン・スープレックス#スライディング式ジャーマン・スープレックス|スライディング・ジャーマン・スープレックス]]
: セカンドロープに場外を向いて座らせた相手に対し、相手の背後に蹴りを入れて自身は、後方回転をしてから立ち上り反対側のロープから走り込んで腰部分を掴み、場外へスライディングしながらその勢いを利用してマットに叩きつける変型ジャーマン・スープレックス。
 
=== 関節技 、絞め技===
; [[シャイニング・ウィザード#派生技|シャイニング・トライアングル]]
: 肉体改造前のフィニッシュ・ホールド。相手が片膝を立てて屈んでいる状態で、相手の片膝を踏み切って相手の上体に跳びつき素早く[[三角絞め]]を極める。現在はほとんど使用していない
: シャイニング・トライアングルを決め、そこから首に巻きつけた足を外して腕ひしぎ十字固めに移行した派生技で、天山広吉を破り、デビューから史上最速最年少でIWGPヘビー級王座を獲得した。
; [[腕拉十字固|腕ひしぎ十字固め]]
; [[腕ひしぎ十字固め]]
: デビュー時から愛用している必殺技。特に相手のラリアット等を切り返してのびつき腕ひしぎ十字固めは非常に素早くフィニッシュとして絶大な効果を発揮している。
; [[腕挫三角固#表三角固|表三角固め]]
; スタンド式腕ひしぎ十字固め
: [[腕ひしぎ十字固め]]を極めている最中に相手が立ち上がった時に[[三角締め]]に移行しそのまま相手を腹這いにして極める腕十字。最近はこちらに移行して極めるパターンが多く2015年G1 CLIMAXでは最終戦でオカダ・カズチカからタップを奪った。
: シャイニング・トライアングルを決め、そこから首に巻きつけた足を外して腕ひしぎ十字固めに移行する。この技で、天山広吉を破り、デビューから史上最速最年少でIWGPヘビー級王座を獲得した。
; [[裸絞|スリーパーホールド]]
: スタンディング式のこの技から前述のリバースパワースラムへ移行するパターンが多い。スタンディング式からそのまま絞め続け胴締め式等に移行する場合もある。
; [[フロントチョーク|フロントネックロック]]
: フロントチョークと同様の体勢から首を絞めるのではなく、相手の首を曲げることにより、[[頸椎]]へのダメージを狙う首関節技。2003年1月の、東京ドーム大会で、安田忠夫からギブアップを奪った技で、デビュー直後からシャイニング・トライアングルを編み出すまでの間は、腕ひしぎ逆十字固めと並ぶ必殺技であった。<!--安田戦は、タッグマッチ、互いのパートナーが不明-->CHAOS結成頃から使用頻度が再び増え、この技でギブアップを奪うことは殆どないが、相手のスタミナを削ぐ技としても使われる。
 
=== 飛び技 ===
; [[ムーンサルトプレス]]
: 2008年のIWGP王座獲得以降、一時的に使用した技。基本的に2回連続に放っていた。また、実況がよくムーンサルトとエルニーニョを間違ってしまうことがあった。
; エルニーニョ
: 片足をセカンドロープに乗せた状態から膝を当てる[[ムーンサルトプレス]]。技名の由来は2004年のG1 CLIMAXに向け、「[[エルニーニョ]]現象を起こす」とマスコミに向けて発したコメント。この技も今となって現在見ら使わていくなった
; 羅骭下(らかんか)
: コーナーから放つ相手の顔面に向けてのニー・ドロップ。2004年のG1 CLIMAXにおける永田戦で初公開。なお、技名は漢方薬の原料である[[ラカンカ]](羅漢果)をもじったものとされる(「骭」は「脛(の骨)」の意)。相手の頭部をうつ伏せ状態でリングのエプロンに突き出るように置き、自らはエプロンから場外にダイブする形で決める「断崖式」も存在。
 
===連携技===
; 天中殺 (w/天山広吉)
: 天山広吉がマウンテンボムの体勢で持ち上げた相手に中邑が飛びつき式DDTを決める
 
===その他===
; 脱力ブレイク
: ロープ際の攻防で相手を押し込んだ後ブレイク時に前のめりになり相手を挑発する。
;側転
:腕をとった後に捻りを加える時や、逆に腕をとられた状態からの切り返しに序盤に使用する。[[佐山聡|初代タイガーマスク]]と戦った[[スティーブ・ライト]]の動きを参考にしたもの。
; [[パンチング#ロー・ブロー|ロー・ブロー]]
: 急所攻撃。
: 2018年の[[レッスルマニア34]]にてヒールターンをして以降要所で繰り出すようになった。2019年以降は封印している。
; [[毒霧]]
: 2024年11月のヒール転向以降から使用。
 
== 決め台詞 ==
出典<ref>スポーツアルバムNo.49 pp54 - 55 「NakamuraWords」</ref>
* たぎる
* 「たぎる」
:中邑の興奮の度合いを表す台詞で「たぎってきたぜ」「たぎらせてくれよ」「たぎらねぇ」などの言い回しで使用される。
: 中邑の興奮の度合いを表す台詞(「たぎってきたぜ」、「たぎらせてくれよ」、「たぎらねぇ」などの言い回しで使用される)。
* イヤァオ!!
* 「イヤァオ」
:中邑の興奮が最高潮に達した時に発せられる雄叫び。対戦相手の挑戦を受諾する際の返答にも用いられる。
: 中邑の興奮が最高潮に達した時に発せられる雄叫びで、観客を巻き込むこともある。
: 対戦相手から挑戦を受けた際は「どうしよっかな〜」→「答えはこうだ」→「イヤァオ」の流れで使用する。
: WWE移籍後も引き続き使用されている。
* 「一番スゲェのはプロレスなんだよ」
: 大会の締めで使用されることが多い。
*「Come on!」(日本語の発音はカモーン!)
:WWE移籍後から使用し始める。主に試合中などに相手を挑発する際に発している。独特な間を置いてから言うことが多いため、場合によっては相手に妨害されることもある。
 
== 獲得タイトル ==
 
[[File:Shinsuke Nakamura IWGP Intercontinental Champion.JPG|thumb|150px|IWGPIC王座を腰に巻く中邑]]
[[ファイル:Shinsuke Nakamura WWE United States Champion.jpg|thumb|180px|[[WWE・ユナイテッドステイツ王座|WWE US王座]]]]
; 新日本プロレス
* 第34代、48代、53代[[IWGPヘビー級王座]]
[[ファイル:Shinsuke Nakamura - 2019-08-18 - 01.jpg|thumb|180px|WWEインターコンチネンタル王座]]
: 23歳8ヶ月という若さで戴冠。最年少戴冠記録保持者で未だにこの記録は破られていない。
[[ファイル:Shinsuke Nakamura IWGP Intercontinental Champion.JPG|thumb|180px|IWGPインターコンチネンタル王座を腰に巻く中邑。]]
* 第2代[[IWGP U-30無差別級王座]]
; [[WWE]]
* 第4代、6代、8代、10代[[IWGPインターコンチネンタル王座]]
* [[NXT王座]] : 2回
* 第47代[[IWGPタッグ王座]](パートナーは棚橋弘至)
* [[WWE・ユナイテッドステイツ王座|WWE US王座]] : 3回
* [[G1 CLIMAX]] 準優勝:3回(2009年、2014年、2015年) 優勝:1回(2011年)
* [[WWE・インターコンチネンタル王座|WWE IC王座]] : 2回
* [[G1 TAG LEAGUE]] 優勝(2006年)
* [[WWE・スマックダウン・タッグチーム王座]] : 1回
: パートナーは蝶野正洋。
: w /[[クラウディオ・カスタニョーリ|セザーロ]]
* [[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CUP]] 準優勝(2011年) 優勝:1回(2014年)
* [[ロイヤルランブル]] 優勝 : 1回(2018年)
; NWF
* 2016年 NXT年間最優秀男子選手賞
* NWFヘビー級王座(第21代)
* 2016年 NXT年間最優秀選手賞
; [[新日本プロレス]]
* [[IWGPヘビー級王座]] : 3回 (第34代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、48代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、53代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>)
: 23歳9ヶ月という若さで戴冠。最年少戴冠記録保持者で未だにこの記録は破られていない。
* [[IWGPヘビー級王座#IGF版歴代王者|IWGPヘビー級王座]] : 1回(第3代)(IWGP 3rd)
: 戴冠後、封印。
* [[IWGP U-30無差別級王座]] : 1回(第2代)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
* [[IWGPインターコンチネンタル王座]] : 5回 (第4代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、6代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、8代<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>、10代、12代)
* [[NWF世界ヘビー級王座|NWFヘビー級王座]](復活版): 1回(第2代)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
: 戴冠後、封印。
* [[IWGPタッグ王座]] : 1回(第47代)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
; プロレス大賞
: w /[[棚橋弘至]]
* [[G1 CLIMAX]] 優勝 : 1回(2011年)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
* [[NEW JAPAN CUP]] 優勝 : 1回(2014年)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
* [[WORLD TAG LEAGUE|G1 TAG LEAGUE]] 優勝 : 1回(2006年)<ref name="スポーツアルバム49-国内全試合記録"/>
: w /[[蝶野正洋]]
; [[プロレス大賞]]
* 2003年 新人賞
* 2012年 技能賞
* 2013年 年間最高試合賞(2013年8月4日 G1 CLIMAX 23公式戦、対[[飯伏幸太]]、[[大阪府立体育会館|BODY MAKERコロシアム]])
* 2014年 年間最高試合賞 (2014年8月10日 G1 CLIMAX 24優勝決定戦、対[[オカダ・カズチカ]]、[[西武ドーム]])
* 2023年 年間最高試合賞(2023年1月1日 スペシャルシングルマッチ、対[[武藤敬司#グレート・ムタ|グレート・ムタ]]、[[日本武道館]])
 
== 入場テーマ曲 ==
* Shadows of a Setting Sun
: 「The Rising Sun」をロック調にアレンジしたもので日本語ラップが挿入されている。WWEにてヒールターンして以降使っていた。
* ''' The Rising Sun '''
: NXT/WWEにて、2016年4月 - 2018年4月まで使用。ヴァイオリンのイントロから曲の旋律に合わせ、感極まった表情で全身をくねらせて独特のポーズを取りながら入場。客席は旋律を合唱するのが恒例になっている。サビの部分でロープ際に走り、体をのけぞらせてリングに仰向けに崩れ落ちた後で立ち上がり、大きな身振りでリング中央にタッチダウンするルーティンで入場を〆る。試合によってはバイオリニスト(リー・イングランドJr.)や弦楽隊を伴って入場する。ヒールターン以降は使われていなかったが、2021年1月15日(現地時間)のSmackDownより再びThe Rising Sunを使い始めた。
: 2023年6月30日には、米・人気ラッパーの[[リル・ウージー・ヴァート]]がこの楽曲をサンプリングした「[[:en:Pink_Tape_(Lil_Uzi_Vert_album)#Track_listing|Nakamura]]」をリリースし<ref>{{Cite web|和書|date=2023-07-02 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/268338 |title=【WWE】中邑真輔MITB制覇ならずも…米超人気ラッパーがコラボ曲「Nakamura」発表 |publisher=東京スポーツ |accessdate=2023-07-03}}</ref>、同年7月15日付の米・[[Billboard Hot 100|ビルボード Hot100]]で71位にエントリーした<ref>{{cite web|url=https://www.billboard.com/charts/hot-100/2023-07-15|work=[[ビルボード]]|title=THE HOT 100 Week of July 15, 2023|accessdate=2023-07-11}}</ref>。
* Subconscious entry version
: 2004年5月 - 2009年4月、2009年8月 - 現在2016年1月まで使用。
* Worlds Collide / [[アポカリプティカ|Apocalyptica]]
: 2009年5月 - 7月まで使用。現在は「'''[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]のテーマ曲'''」として使用されている。
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|no contests=1
|}}
 
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|○| [[アレクセイ・イグナショフ]]| 2R 1:51 ギロチンチョーク| [[K-1 ROMANEX|ROMANEX 格闘技世界一決定戦]]| 2004年5月22日}}
{{Fight-cont|-| [[アレクセイ・イグナショフ]]| 3R 1:19 無効試合| [[K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!]]| 2003年12月31日}}
{{Fight-cont|○| シェーン・アイトナー| 1R 4:29 V1アームロック| [[Jungle Fight 1]]| 2003年9月13日}}
{{Fight-cont|○| [[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]| 2R 3:12 ギロチンチョーク| 新日本プロレス ULTIMATE CRUSH| 2003年5月2日}}
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{{Fight-end}}
 
== 関連書籍芸術家 ==
中邑はペインティングを得意としている。学生時代からレスリング部と美術部を掛け持ち、双方で活躍してきた。[[岡本太郎]]にインスパイアされWEB上で彼の描く「プロレスラー」という作品が公開されている。そして自ら描いた100点を越える絵画をもって、絵画展を主催したことがある。また[[日本放送協会|NHK]][[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]「[[デザインあ]]」の『デッサンあ』のコーナーにも出演したこともある。ジャーナルスタンダードやRVCAなどのアパレルにデザインを提供している。
* 『中邑真輔の一見さんお断り』 (kamipro books)2010年3月17日(中邑真輔著、エンターブレイン)
=== 展覧会 ===
* スポーツアルバムNo.49『中邑真輔』2014年6月(「[[週刊プロレス]]」編集部・編 ベースボールマガジン社) ISBN 978-4-583-62172-2
; 『TOKYO WRESTLING ARTS』中邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代美術展
: [[2008年]](平成20年)12月12日 - 18日
: 東京・青山SPACE INTART GALLERY
 
=== イラスト ===
* 『イタい人にならない自分☆発信力』原村和子([[ビジネス社]]、2010年6月16日) - 絵を担当
* 「いざ戦いのクリスマス MORE's Xmas」([[横浜モアーズ]]、2015年、11月)- キャンペーンイラスト
 
== その他 ==
* 新日本プロレス在籍初期は総合格闘技色の強いスタイルであったが、学生時代はインディーから女子プロレスまで追いかける生粋のプロレスマニアであった。[[LLPW-X|LLPW]]の旗揚げ当時のメンバーを暗唱できるなど、知識も豊富である。2008年2月に放送された[[FIGHTING TV サムライ]]の『P-1選手権 第1回プロレスクイズ王決定戦』では新日本チームの一員として出場し(メンバーは他に[[レッドシューズ海野|海野宏之]]+[[週刊プロレス]]記者1名)、その豊富な知識量の一端を披露してチームの優勝に貢献した。
* 他にも、テレビにも度々出演しており、『[[恋するハニカミ!]]』(相手は「当時は年下」の[[夏川純]])や『[[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!]]』などの[[バラエティ番組]]、[[マクドナルド]]や[[資生堂]][[Uno (化粧品)|uno]]のCMに出演した。
* 2014年5月に[[ファレル・ウィリアムス]]「ハッピー」のミュージックビデオに出演<ref>{{Cite web|和書|url=https://ototoy.jp/news/75446|title=ファレル・ウィリアムス「ハッピー」MVにBiS、ふなっしー、オカダカズチカ&中邑真輔が出演|publisher=OTOTOY|date=2014年5月1日|accessdate=2015年3月13日}}</ref>。2015年1月には[[テンプラキッズ]]「ミイラキラー」のミュージックビデオに出演<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=13278|title=IWGPインターコンチネンタル選手権・中邑vs飯伏の煽りVTRのスピンオフ企画「中邑真輔×テンプラキッズverのMV『ミイラキラー』」がYouTubeで公開中!!|publisher=新日本プロレスリング|date=2015年1月28日|accessdate=2015年3月13日}}</ref>。
* 2014年9月から2015年8月までムック本『日本プロレス事件史』(ベースボールマガジン社)においてコラム「中邑真輔が歴史的一戦を徹底分析!」を連載していた(全12回)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=12741|title=新日本プロレスリング:中邑がジャイアント馬場を語る! 新日本vs旧UWFの内幕! 『日本プロレス事件史』Vol.3は、11月17日(月)発売!|publisher=新日本プロレスリング|date=2014年11月15日|accessdate=2014年11月17日}}</ref>。
* 2016年4月、NXTで使用する入場テーマ曲「Rising Sun」が[[iTunes]]のサウンドトラックチャートで第一位に輝く<ref>{{Cite web|url=https://www.wwe.com/inside/wwemusic/article/nakamuras-entrance-theme-hits-no-1-itunes|title=Nakamura’s entrance theme is the No .1 iTunes soundtrack song|accessdate=2016-04-16|publisher=WWE}}</ref>。
* 2020年9月、日常をファンと共有するオンライン・ファンクラブ「[https://community.camp-fire.jp/projects/view/315090 SHINSUKE NAKAMURA SECRET]」を開設。新型コロナによる制約下で人々とつながる術を考え、スーパースターであるために必須なトレーニング、武術の稽古、サーフィン、衣食住、犬の散歩までをファンに発信・交流している。
 
== メディア出演 ==
=== CM ===
* マクドナルド「ペッパーチーズ・ダブルビーフ」(2005年7月13日、[[日本マクドナルド]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://post.njpw.co.jp/31565|title=棚橋&中邑両選手がTVCMに出演|accessdate=2017-11-30|publisher=新日本プロレスリング}}</ref>
*「[[どん兵衛]]」(2019年5月13日、[[日清食品]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nissin.com/jp/products/cm/222|title=日清のどん兵衛「禁断の出会い 篇」|accessdate=2019年5月15日|publisher=日清食品グループ}}</ref>
 
=== テレビアニメ ===
* [[キン肉マン 完璧超人始祖編]](2025年3月23日、[[CBCテレビ]]・[[TBS系列]]) - [[キン肉マンの登場人物#カマーンダス|カマーンダス]] 役<ref>{{Cite web2|df=ja|url=https://kin29man-anime.com/news/archives/946|title=TVアニメ『キン肉マン』完璧超人始祖編Season 2、カマーンダスのキャスト解禁!|website=TVアニメ『キン肉マン』完璧超人始祖編公式サイト|date=2025-03-21|accessdate=2025-03-24}}</ref><ref>{{cite web|url=https://mantan-web.jp/article/20250320dog00m200045000c.html|title=中邑真輔:アニメ「キン肉マン 完璧超人始祖編」で声優初挑戦 ウォーズマンの仲間・カマーンダス演じる|publisher=[[MANTANWEB]]|date=2025-03-21|accessdate=2025-03-24}}</ref><ref>{{cite web|url=https://natalie.mu/comic/news/616531|title=「キン肉マン」完璧超人始祖編、WWE所属の中邑真輔がカマーンダス役で出演|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|date=2025-03-21|accessdate=2025-03-24}}</ref><!-- 2025-03-23 -->
 
== 著書 ==
* 『中邑真輔の一見さんお断り』(kamipro books)2010年3月17日(中邑真輔著、エンターブレイン)
* 新日本プロレスブックス『中邑真輔自伝 KING OF STRONG STYLE 1980-2004』2014年5月24日(中邑真輔著、イースト・プレス)
* 新日本プロレスブックス『中邑真輔自伝 KING OF STRONG STYLE 2005-2014』2014年11月16日(中邑真輔著、イースト・プレス)
* THE RISING SUN 陽が昇る場所へ(2017年9月6日、双葉社)
* SHINSUKE NAKAMURA USA DAYS (2017年9月7日、イーストプレス)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=スポーツアルバム No.49 中邑真輔 新日本プロレス[CHAOS]|date=2014年6月|publisher=ベースボール・マガジン社|isbn=978-4-583-62127-2|ref={{SfnRef|スポーツアルバム|2014}}}}
 
== 関連項目 ==
300 ⟶ 480行目:
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Shinsuke Nakamura}}
* [http://www.njpw.co.jp/data/detail_profile.php?f=022 新日本プロレス 公式プロフィール]
* {{wwe superstar}}
* {{Twitter|ShinsukeN|Shinsuke Nakamura}}
* {{Instagram|shinsukenakamura}}
* [http://www.k-1.co.jp/jp/fighter/player.php?index=nakamura_shinsuke K-1 選手データ]
* [https://community.camp-fire.jp/projects/view/315090 SHINSUKE NAKAMURA SECRET]-Official Community Web Site{{Wrestling Database|3163AEA21A6F46B781C817A3065DACF2}}
* [http://www.sherdog.com/fighter/Shinsuke-Nakamura-6361 SHERDOG 選手データ]
* {{Professional wrestling profiles}}
* {{Wrestling Database|3163AEA21A6F46B781C817A3065DACF2}}
* [http://k-1.info/html/profile_jp/view_na_nakamura.html K-1 選手データ]
* [https://www.boutreview.com/fightsspiral/nakamura_shinsuke.html バウトレビュー] [https://www.boutreview.com/fightsspiral/nakamura_shinsuke.html 選手データ]
* {{SHERDOG}}
 
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[[Category:日本のプロレスラー]]
[[Category:新日本プロレス所属したプロレスラー]]
[[Category:CMLLに参戦したプロレスラー]]
[[Category:WWEに参戦したプロレスラー]]
[[Category:K-1に参戦した選手]]
[[Category:アマチュアレスリング出身のプロレスラー]]
[[Category:日本の男子レスリング選手]]
[[Category:日本の総合格闘家]]
[[Category:グレコローマンレスリング出身の総合格闘家]]
[[Category:プロレス出身の総合格闘家]]
[[Category:青山学院大学出身の人物]]
[[Category:京都府出身の在アメリカ合衆国日本のプロレスラー]]
[[Category:京都府立峰山高等学校出身の人物]]
[[Category:京都府出身のスポーツ選手]]
[[Category:京丹後市出身の人物]]
[[Category:1980年生]]
[[Category:存命人物]]