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{{体育館
| 名称 = 両国国技館<br />The Ryogoku Kokugikan<br />Sumo Arena|正式名称=国技館
| 画像 = [[ファイル:Ryogoku Great Sumo Hall.jpg|300px]]<br />{{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=300}}
| 用途 = 大相撲興行
| 旧用途 =
| 収容人数 = 11,098人(B1Fアリーナ1,300席・1F桝2,600席・2Fイス2,600席)
| 設計者 = [[鹿島建設]]
| 事業主体 =
| 管理運営 = [[
| 延床面積 = 35700|延床面積ref=
| 階数 = 地上2階・地下1階
| 高さ = 39.6m
| 総工費 = 150億円
| 竣工 = [[1984年]](昭和59年)[[11月30日]]
| 所在地郵便番号 = 130-0015
| 所在地 = [[東京都]][[墨田区]][[横網]]
}}
'''両国国技館'''(りょうごくこくぎかん)は、[[東京都]][[墨田区]][[横網]]一丁目にある[[大相撲]]の興行のための施設。
[[プロレス]]、[[ボクシング]]などの格闘技の興行会場、その他のスポーツ競技の会場、[[ポピュラー音楽]]のライブでも使用される。クラシック音楽のコンサートが開かれた事例もある<ref>{{Cite web|和書|url=http://classicnews.jp/c-news/image/2012/06/b120628.pdf|title=「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を支援するコンサート 2012年7月1日14時開演 横浜みなとみらいホール|accessdate=2019-05-11|publisher=有限会社神奈川芸術協会|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190511100508/http://classicnews.jp/c-news/image/2012/06/b120628.pdf|archivedate=2019-05-11}}</ref>。
なお「両国国技館」という呼称は日本相撲協会が一般向けに用いる[[通称]]であり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sumo.or.jp/KokugikanSumoMuseumDisplay/past?year=2020|title=相撲博物館 展示紹介 過去の展示「両国国技館35年と平成の大相撲」|accessdate=2020-06-01|publisher=[[日本相撲協会]]|archiveurl=https://megalodon.jp/2020-0601-1738-45/www.sumo.or.jp/KokugikanSumoMuseumDisplay/past?year=2020|archivedate=2020-06-01}}</ref>、同協会による正式な呼称は'''国技館'''である<ref>{{Cite web|和書|title=国技館のご案内 概要|url=http://www.sumo.or.jp/|website=日本相撲協会公式サイト|accessdate=2019-05-11|language=ja|publisher=[[日本相撲協会]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190511095801/http://www.sumo.or.jp/Kokugikan/|archivedate=2019-05-11}}</ref>。[[番付]]では、[[旧字体]]で'''國技館󠄁'''と表記している。
== 旧国技館 ==
[[1833年]](天保4年)から[[回向院]]で相撲興行が催されていたことから、[[1909年]](明治42年)に'''旧国技館'''が、同境内に建設された。明治20年代(1887年-1896年)初めごろから安定した興行が開催できる相撲常設館の建設が必要であるという意見が出て、明治30年代(1897年-1906年)となって常設館建設に動くことになった<ref name="enki">『大相撲中継』2017年8月12日号 p96-97</ref>。その後、日本初のドーム型鉄骨板張の洋風建築の建物となった。屋根は[[法隆寺]]金堂を真似た。約13,000人収容できた。開館当初は仮称で、翌年から国技館という呼び方が定着した。また、鉄柱308本と鉄材538tで建造された大屋根が巨大な傘に見えたため、'''大鉄傘'''という愛称で呼ばれていた。
その後、[[日本大学]]が[[日本相撲協会]]から旧国技館([[墨田区]][[両国 (東京都)|両国]])を買収。[[1958年]](昭和33年)から[[1982年]](昭和57年)までの間は、'''日本大学講堂'''だった([[#日本大学講堂|下記詳述]])。回向院の近辺には旧国技館跡の説明板が建てられている。
== 沿革 ==
===
[[
{{Anchors|旧両国国技館}}先代は現在の国技館とは異なり、[[京葉道路]]沿いの[[本所 (墨田区)|本所]][[回向院]]の境内にあった。
[[1906年]](明治39年)6月着工、3年後の[[1909年]](明治42年)5月に竣工し、[[6月2日]]に開館式が行われ、6月場所より使用された(それまでは'''小屋掛け'''[臨時に設備を設けて行なうこと]による「回向院場所」が行なわれていた)。しかし6月場所の番付上は「常設館」とだけあって、まだ国技館の名は無かった。6月場所は本来は5月18日より興行との番付が発表されており、工事の遅延によって場所が延期となって6月開催となったという経緯がある<ref name="enki"/>。
設計は[[日本銀行|日本銀行本店]]や[[東京駅]]、[[浜寺公園駅]]の設計者として知られる[[辰野金吾]]とその教え子[[葛西萬司]]で、「大鉄傘」の愛称は当時のデザインに由来する。工事費用は27万円。[[枡席]]約1,000席を含む13,000人が収容可能で、3,000人程度しか収容できなかった小屋掛け時代の3倍以上の収容能力となった。実際の収容人数は20,000人以上ともされていた<ref>『大相撲ジャーナル』2017年6月号62頁</ref>。建物の内径は62m、中央の高さは25mあった。天候に関係なく興行を打てるようになったことで、優勝制度が自然発生的に生まれたとする見方もある<ref>『大相撲ジャーナル』2017年6月号65頁</ref>。
当時の[[枡席]]は、土俵を中心に同心円状に配されていた。[[1910年]](明治43年)、都下が大水害([[明治43年の大水害]])に見舞われた際に、[[避難所]]として機能した際の写真が残されている<ref>{{Cite web |url=http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/10_image/large/10008.html |title=両国国技舘(土木学会図書館 戦前絵葉書 10風水害) |publisher=土木学会 |date= |accessdate=2025-02-20}}</ref>。
==== 命名 ====
こうして竣工した常設館の名称は、当初は設立委員会の委員長を務める[[伯爵]][[板垣退助]]が提案した「尚武舘」(しょうぶかん)が有力な候補となっていた<ref name=鹿島>[https://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki26/index-j.html 鹿島の軌跡 第26回「国技館 ― 伝統と技術が融合した相撲の殿堂」]、鹿島建設ウェブサイト{{smaller| (2018年9月13日閲覧)}}</ref>。ところが大の相撲好きだった作家の[[江見水蔭]]が開館式の式次第のために起草した披露文の中に「[[相撲|角力]]は日本の國技なり」という一文を見た委員の一人・[[年寄]]の[[大戸平廣吉|三代尾車(元大関大戸平)]]はこれに甚く感じるところがあり、土壇場になって名称に「國技舘」を提案した<ref>[https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/tmp/153.pdf 第 153 回常設展示「国技・相撲」-近代以降の事件と名力士] 平成20年4月17日国立国会図書館</ref>。この名称については5月29日の委員会で話し合われたがまとまらず、結局開館式の直前になって板垣の最終決定という形でこれを了承。これを受けて6月1日付の『[[朝日新聞]]』に「國技舘を觀る」という記事が掲載された<ref name=鹿島 />。午前5時の祝砲に始まった翌2日の開館式は空前の盛会となり、土俵の中央に立った板垣が「國技舘」と命名されたことを高らかに宣言すると会場は拍手万雷に包まれた。翌3日付の『朝日』が「國技と名づけられたる角力道がいや榮に榮えゆくべき瑞相とは知られたり」と書いたように、相撲はここに[[神事]]から[[国技]]へと変貌を遂げたのである。なお命名が最後までずれ込んだため当初の[[番付表]]などにはまだ「両國元町常設館」とあったが、翌年1月場所の番付表に初めて「本所元町國技舘」の名称が記された<ref name=鹿島 />。
==== 二度の再建 ====
[[1917年]](大正6年)11月29日午前1時30分、1階売店 福井軒にあった火消壷からの出火による火災が発生、[[國見山悦吉|放駒]]などの消火により午前2時40分に鎮火するも回向院花売場、本堂も含め全焼した。損害額約120万円、(回向院 約12万円)火災保険は約13万円だった。
使用不能の間は[[靖国神社]]境内に仮小屋を建てて興行を行なった<ref>{{Cite book |和書 |author=下川耿史 家庭総合研究会 編 |title=明治・大正家庭史年表:1868-1925 |publisher=河出書房新社 |year=2000 |page=421 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>。
新国技館は葛西博士により屋根は亜鉛製にて設計され、[[1918年]]([[大正]]7年)7月に[[地鎮祭]]・起工式、1919年(大正8年)4月3日に鉄柱崩壊事故があるも、[[1920年]](大正9年)1月15日に完成・開館式を挙行した。[[1920年]](大正9年)[[9月1日]]に再建興行したが、[[1923年]](大正12年)[[9月1日]]の[[関東大震災]]で屋根・柱など外観を残して再度焼失。再建の結果、翌年の夏場所から興行を再開した。
再建中、[[1924年]](大正13年)[[1月11日]]からは[[愛知県]][[名古屋市]]中区の[[埋立地]]で本場所が行われた<ref>{{Cite book |和書 |author=下川耿史 家庭総合研究会 編 |title=明治・大正家庭史年表:1868-1925 |publisher=河出書房新社 |year=2000 |page=474 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>。
{{Gallery
|align=center
|width=160
|height=120
|File:Ryogoku Kokugikan Second Building.png|再建後の国技館
|File:Old Ryōgoku Kokugi-kan.jpg|関東大震災で被災した国技館
|File:Kokugikan.jpg|震災復興後の昭和初期
|whitebg=no}}
==== 第二次世界大戦中 ====
[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]])中の[[1944年]](昭和19年)、1月の初場所を最後として2月に[[大日本帝国陸軍]]に接収され、[[風船爆弾]]の工場として使用された。このため5月(夏)場所は[[後楽園球場]](番付には[[小石川]]後楽園球場と表記)で開催されることになり、球場の中央に協会員の手で土俵作りが行われた。野外での晴天興行は関西本場所を含めた年4場所時代の[[1932年]](昭和7年)[[10月]]場所以来のことであった。この場所7日目には日曜日で晴天とあって、大観衆8万人以上という空前絶後の記録でスタンドまでギッシリ埋まった(幕下以下は事前に国技館で開催した)。
なお同年11月にも同球場で秋場所が開催された([[十両]]以上。[[幕下]]以下は別日程で[[明治神宮外苑|神宮外苑]]相撲場(現[[明治神宮野球場#明治神宮第二球場|神宮第二球場]])にて開催)。翌年1月が厳寒期に当たり、野外の興行が困難なため2か月繰り上げて11月5日より晴天10日間開催された。ちなみに東京で11月に本場所が行われるのは[[1872年]](明治5年)以来72年ぶりであった。
[[1945年]](昭和20年)[[3月10日]]、[[アメリカ軍]]による[[東京大空襲]]
==== 両国メモリアルホール ====
[[画像:Postwar Ryogoku, 1948.jpg|thumb|両国メモリアルホール(1948年)]]
[[日本の降伏]]による第二次世界大戦[[敗戦]]後の[[1945年]](昭和20年)[[10月26日]]には[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP)により接収され、'''メモリアルホール'''として改称・改装された。改装は[[1946年]](昭和21年)[[9月24日]]完了。改装前の1945年(昭和20年)[[11月16日]]から天井が抜けて焼け爛れたままの国技館で戦後初の本(秋)場所が行なわれた。晴天10日間と露天並みの興行だった<ref>{{Cite book |和書 |author=世相風俗観察会 |title=増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)|publisher=河出書房新社 |year=2003-11-07 |page=10 |isbn=9784309225043}}</ref>。
占領軍から本場所開催許可の一つの条件として「[[土俵]]を広げよ」という要請で、1場所限り土俵の直径を15尺(4.55m)から16尺(4.8m)に広げさせられた(ただし1場所で15尺に戻る)。改装後の[[1946年]](昭和21年)[[11月]]にはこけら落としとして大相撲秋場所が開催されたが、その後は接収解除まで大相撲でのメモリアルホールの使用は許可されることはなく、1946年
以降はプロボクシングやプロレスリングなどの会場として使用された。ちなみに日本初の公開プロレスは[[1951年]](昭和26年)[[9月30日]]にメモリアルホールで開催されており、大相撲を廃業したばかりの[[力道山]]がリングサイドで観戦、約1ヵ月後の10月28日にエキシビションながら同じメモリアルホールのリングに上がり、前世界チャンピオンのボビー・ブランズと対戦し、これがプロレスデビューとなった。また、[[全日本柔道選手権大会]]の会場にも使用された。
==== 国際スタジアム ====
[[1952年]](昭和27年)[[4月1日]]の接収解除後、
==== 日本大学講堂 ====
日大講堂は、日
[[1968年]](昭和43年)から[[1969年]](昭和44年)にかけて全国で起こった[[全学共闘会議|全共闘]]運動のなかで、[[日大紛争|日大における闘争]]の舞台(対大学当局全学大衆交渉)としても使用された。
[[1976年]](昭和51年)、日大講堂での全日本プロレスの興行において、大相撲からプロレスラーに転向した[[天龍源一郎]]
[[1975年]](昭和50年)[[千日前デパート火災]]を教訓におこなわれた[[消防法]]改正により、[[スプリンクラー]]の設備がないままでは施設として使用できないこととなった。日大側は設備の設置を検討したが、老朽化により屋根がもたないと判断。消防法が施行された[[1977年]]4月以降は、ほぼ使用されない状態となった。このため墨田区は両国の発展に支障をきたすとして、1978年に大学へ善処するよう注文を付けている<ref>死に体 日大講堂善処せよ 両国の発展に邪魔『朝日新聞』1978年(昭和53年)6月21日朝刊、13版、20面</ref>。
[[1982年]] (昭和57年)4月の消防法改正により大規模施設にスプリンクラーの設置が義務付けられたことから、老朽化が激しくなっていた日大講堂は使用不能となり<ref>高永・原田、317頁</ref>、翌[[1983年]](昭和58年)に解体された。以降、日大の入学式・卒業式は[[日本武道館]]で挙行されるようになった。
日大講堂(旧国技館)は、幾度かの再建や改修を経つつも、1983年(昭和58年)に解体されるまで、国技館当時の「大鉄傘」の姿を堅持していた。
[[ファイル:両国シティコアの中庭にある旧国技館の土俵の位置を示すタイル(後方にシアターカイ).jpg|thumb|両国シティコアの中庭にある旧国技館の土俵の位置を示すタイル(後方に[[シアターΧ|シアターカイ]])]]
解体後の跡地には複合ビル施設の「両国シティコア」が建設された。キーテナントは劇場[[シアターΧ]](シアターカイ。[[Χ]]は[[ラテン文字]]の「エックス」ではなく[[ギリシア文字]]の「カイ」)であり、その他オフィス・住宅・レストランなどからなる。その中庭には、旧国技館の土俵の位置がタイルの色で示されている。
=== 2代目新国技館
[[
{{Anchors|新国技館(2代目)}}
[[1985年]](昭和60年)1月場所より使用されている現在の国技館は2代目であり、[[国鉄バス]][[ジェイアールバス関東東京支店|東京自動車営業所]]([[両国駅#歴史|旧両国貨物駅跡地]])に建設された。新国技館は、地上2階・地下1階で、総工費150億円は全て自己資金で賄った。建設計画発表から3年の歳月で[[1984年]](昭和59年)11月30日に完成、12月3日には新国技館敷地内に移転した[[相撲教習所]]の開所式、土俵祭が行われた。翌年1月9日、[[中曾根康弘]]首相をはじめ約3200人を招いて盛大に落成式が催され、[[千代の富士貢|千代の富士]]と[[北の湖敏満|北の湖]]の両[[横綱]]による[[三段構え]]が披露された。この1月場所で千代の富士は「全勝優勝」、怪我を押して強行出場した北の湖は1勝も出来ずに「[[引退]]」と、明暗分かれる世代交代の場所となった。
[[蔵前国技館]]は厚木の海軍倉庫の鉄骨を払い下げてもらい建設されたものであり、昭和50年代に入ると傷み具合は相当激しくなってきた。[[栃錦清隆|春日野]]理事長は1974年(昭和49年)の就任直後から理事会で新国技館建設の構想を打ち明けていて<ref name="gekidou">高永・原田、313~314頁</ref>、のちに記者会見で「私が入門したのは昭和十四年の初場所なんです。ご承知のとおり、その場所はあの双葉山関が[[安藝ノ海節男|安芸ノ海]]関に敗れ、七十連勝をストップされた歴史的な場所です。私はその日、たまたま翌日の取組表をもらいに行って、"双葉散る"の場面を目撃しているんですよ。まあ、座ブトン、灰皿までが飛ぶ大変な騒ぎでした。それで、またいつか両国で相撲を、という思いは人一倍強かったんですね」「新しい両国国技館を建てたい、という夢を描いたのは、横綱の現役時代なんですよ。毎日、両国の春日野部屋を車で出て、蔵前国技館へ車で向かう途中、旧国技館(当時の日大講堂)の前を通るんです。だんだん古くなって、さびれていく様を見るにつけ、ようし、私が…という思いがつのっていったんです」<ref name="gekidou"/> と述べ、"両国帰還"<ref name="gekidou"/> の姿勢を鮮明にする。
春日野理事長は最初に日大講堂の買い戻しを検討するも、敷地が蔵前国技館よりも狭いことからこの案は立ち消えになり、両国駅北側に狙いを定める。ちょうど[[日本国有鉄道|国鉄]]が赤字解消を目指して遊休地の処分に積極的になっていた時代背景もある。[[1980年]](昭和55年)2月、春日野理事長、[[高木文雄]]国鉄総裁、[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]都知事、[[内山榮一]]台東区長、[[山崎榮次郎]]墨田区長の五者会談が都庁で開催され、その結果、新国技館の建設と蔵前国技館跡地の処分について決着を見た。同年7月12日の理事会で新国技館の建設を正式に決定、[[1982年]](昭和57年)2月に国鉄と協会との間で土地の売買契約が成立し、[[1983年]](昭和58年)4月27日に着工した。なお、両国移転計画が頓挫した場合の代替案として、[[江東区]]長の[[小松崎軍次]]が[[辰巳 (江東区)|辰巳二丁目]]の埋立地(都有地)への移転案を出していた<ref>朝日新聞1978年5月7日付朝刊東京地域面</ref>。
大相撲の[[本場所]]、[[引退相撲]]、[[NHK福祉大相撲]]などで協会自らが使用するほか、設計段階より多目的に使える構造として構想されていて<ref>高永・原田、316頁</ref>、[[新日本プロレス]]の[[G1 CLIMAX]]決勝戦([[2014年]]、[[2018年]]、[[2019年]]、[[2025年]]を除く)に使用され、[[1991年]](平成3年)から毎年11月に[[アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト|高専ロボコン]]の全国大会、[[1992年]](平成4年)からは毎年[[全日本ロボット相撲大会]]が開催されるほか、毎年2月には[[国技館5000人の第九コンサート]]が行なわれている。
[[平成26年度全国高等学校総合体育大会|煌(きら)めく青春 南関東総体2014]]では相撲競技の会場となった。
== イベント会場としての利用 ==
=== プロレス
[[ファイル:Scaffold Death Match in BJW.jpg|thumb|270px|大日本プロレスの興行<br />[[2016年]][[7月24日]]<br />[[BJW認定デスマッチヘビー級王座|BJW認定デスマッチヘビー級選手権試合]]<br />[[デスマッチ#建築現場デスマッチ|スキャフォールド&G-Shockデスマッチ]]<br />[[伊東竜二]] vs [[星野勘九郎]]]]
プロレス興行でのこけら落としは1985年[[3月9日]]の[[全日本プロレス]](当日のメインイベントは[[ジャンボ鶴田]]&[[天龍源一郎]] 対 [[ロード・ウォリアーズ]]の[[インターナショナル・タッグ王座|インターナショナル・タッグ選手権]]試合)であった。しかしこの時期、全日本プロレスに[[輪島大士]]ら力士出身者の入団が相次いだことなどから、全日本と日本相撲協会の関係が悪化し、これを機に全日本の都内の大会場での興行は[[日本武道館]]を使用するようになり、両国国技館は[[新日本プロレス]]の会場として定着していく。
新日本の初使用は[[1985年]][[4月18日]](当日のメインイベントは[[アントニオ猪木]] 対 [[ブルーザー・ブロディ]]戦)である。だが、前年の蔵前国技館で行われた[[IWGPリーグ戦#決勝戦 2|第2回IWGPリーグ戦優勝戦]]で試合内容を巡ってファンによる暴動(放火未遂や旧国技館の椅子、大時計が破壊された)が発生しており、日本相撲協会に気を使った新日本がトップレスラーのブロディに「入場コスチュームの[[鎖|チェーン]]の持ち込み禁止」を通達、激怒したブロディが猪木を試合前に襲撃するという一幕があった(ブロディは結局チェーンを持ってリング入りしている。またブロディは3月の全日本両国大会にもチェーン持参で参戦している)。
一方の全日本は[[武藤敬司]]体制となってから武道館が使用できなくなったのもあり、「'''プロレスLOVE in 両国'''」と題したPPV興行としてビッグマッチを再び両国で開いている。
全日本から分かれる形で旗揚げされた[[プロレスリング・ノア]]は長らくビッグマッチを武道館で開いていたため両国を使用することがなかったが、[[2011年]]限りで武道館から撤退したため、[[2012年]][[7月22日]]に初の両国大会を開催した。この大会では力士出身である[[力皇猛]]の引退セレモニーも執り行われた。
[[1986年]][[4月5日]]に、[[全日本女子プロレス]](当日のメインイベントは[[デビル雅美]] 対 [[ライオネス飛鳥]]の[[WWWA世界シングル王座|WWWA世界シングル選手権]]試合)が女子格闘技として初進出。女子プロレスでは全女の他、[[JWP女子プロレス|JWP]]、LLPW(現:[[LLPW-X]])がビッグマッチを開いていた。[[2007年]][[2月]]のLLPWを最後に女子プロレス興行は行われなくなったが、[[2012年]][[4月29日]]に[[スターダム]]が初進出。[[2014年]][[10月11日]]にはLLPW-Xが7年ぶりに開催された。2021年12月29日にスターダムが8年ぶりに開催され、翌2022年も同日に開催した。また、2022年3月19日には[[東京女子プロレス]]が初進出した。
[[2009年]]にはインディー団体の[[DDTプロレスリング]]も進出し
[[2010年]]には世界最大のプロレス団体[[WWE]]の日本
[[2012年]]は「WWE Presents [[スマックダウン|SMACK DOWN]] WORLD TOUR 2012」、[[2013年]]、[[2014年]]には「WWE Live」、[[2015年]]は「The Beast in the East」。[[2016年]]以降は「WWE Live Japan」として開催されていた。2020年7月にも予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で中止。以降、開催はなかったが2024年に「WWE supershow Summer Tour」として5年ぶりに開催された。<ref>{{Cite web |title=WWE日本公演5年ぶりの開催が決定! コーディ・ローデス&中邑真輔&イヨ・スカイ&ASUKA&カイリ・セインら参戦!!【週刊プロレス】(BBM Sports) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/4538aea539b73a0f184d8cdac713b20fcb6a458c |website=Yahoo!ニュース |access-date=2024-07-20 |language=ja}}</ref>。
[[2010年]]から2015年まで[[イノキ・ゲノム・フェデレーション|IGF]]が「[[INOKI BOM-BA-YE]]」を開催し、[[2012年]]以降は[[大晦日興行]]として行われていた。
2015年11月15日には、元力士でもあった[[天龍源一郎]]の引退興行が催された。
過去には[[近畿地方|近畿]]を拠点とする[[DRAGON GATE]]も東京におけるビッグマッチの会場として使用した時期がある([[大田区体育館]]建て替えのための代替。現在は建て替え後の[[大田区総合体育館]]を使用)。[[新東京プロレス|FFF]]([[1998年]]解散)、[[格闘探偵団バトラーツ]]([[2001年]]解散)も会場として使用したことがある。
=== ボクシングの試合 ===
ボクシングでは、[[浜田剛史]]([[帝拳プロモーション|帝拳]])が出場した世界戦(WBC世界[[スーパーライト級]]タイトルマッチ)3試合を全て両国国技館で開催。2017年には[[村田諒太]]がここで世界王者となり、日本人初となる'''オリンピックメダリストのプロボクシング世界王者'''となった。
また、世界戦のみならず[[日本プロボクシング協会]]主催の[[チャンピオンカーニバル (ボクシング)|チャンピオンカーニバル]]で、[[1998年]][[スーパーフェザー級]]王者・[[コウジ有沢]]([[草加有沢ボクシングジム|草加有沢]]) vs 挑戦者・[[畑山隆則]]([[横浜光ボクシングジム|横浜光]])の'''史上最大の日本タイトルマッチ'''、[[2000年]]フライ級王者・[[セレス小林]]([[国際ボクシングスポーツジム|国際]]) vs 挑戦者・[[浅井勇登]]([[緑ボクシングジム|緑]])、スーパーライト級王者・[[小野淳一 (ボクサー)|小野淳一]]([[新日本木村ボクシングジム|新日本木村]]) vs 挑戦者・[[前田宏行]]([[角海老宝石ボクシングジム|角海老宝石]])、王者・コウジ vs 挑戦者・玉置厚司(守口東郷)の5階級日本タイトルマッチ同時開催興行等も実施された。
[[File:Hovhannes Bachkov boxing at the 2020 Tokyo Summer Olympics.jpg|thumb|2020年東京オリンピック]]
[[2020年東京オリンピック]]では[[オリンピックのボクシング競技|ボクシング]]競技会場として使用された<ref>{{Cite web|和書|title=国技館ならでは、寄せ太鼓が決戦ゴング 海外記者「クールだ」:中日新聞Web|url=https://www.chunichi.co.jp/article/306009|website=中日新聞Web|accessdate=2021-08-14|language=ja}}</ref>。
=== その他の競技・大会 ===
その他格闘技では、[[髙田延彦|高田延彦]]が[[1991年]][[12月]]に[[UWFインターナショナル]]「'''格闘技世界一決定戦'''」と銘打って元WBC世界ヘビー級王者[[トレバー・バービック]]に圧勝。その後も[[極真会館松井派|極真会館(松井館長)]]主催の[[極真会館#全日本選手権|全日本空手道選手権大会]]と[[極真会館#全世界ウェイト制選手権|全世界ウェイト制空手道選手権大会]]、[[パンクラス]]、[[SENGOKU RAIDEN CHAMPIONSHIP|SRC]]、[[THE OUTSIDER]]、[[シュートボクシング]]、[[ONE Championship|ONE]]などで開催実績がある。
他のスポーツ競技では、[[1985年]]の新・両国国技館開場の年に[[バレーボール日本女子代表|日本女子代表]]チームが出場した[[バレーボール]]の国際試合が開催されたことがある。
[[2011年]]には[[FIG体操ワールドカップ]]東京大会の会場となった。
2018年10月にはプロ卓球リーグ:[[Tリーグ (卓球)|Tリーグ]]開幕戦の会場として使用された<ref>{{Cite press release |和書 |title= 開幕戦対戦カード決定|publisher= 一般社団法人 Tリーグ|date= 2018-08-02|url= https://tleague.jp/news/article/68/|format= HTML|language= 日本語|accessdate= 2018-10-24}}</ref>。
また、試合が行われたわけではないが、2020年、2021年に[[プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]が[[ファン感謝デー]]の会場として使用した<ref>{{Cite web|和書|title=国技館に巨人選手の相撲字踊る、本職行司が一役買う|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202012110001234.html|website=日刊スポーツ|accessdate=2020-12-13|publisher=|date=2020-12-11}}</ref><ref>{{Cite news|title=両国がオレンジ一色 巨人感謝祭に大行列 選手の幟で記念撮影するファンも|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-12-08|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202112080000869.html|accessdate=2021-12-14}}</ref>。
=== スポーツ以外のイベント ===
1985年12月31日には、民放同時放送『[[ゆく年くる年 (民間放送テレビ)|ゆく年くる年]]』(幹事局:[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])のメイン会場として使用された<ref>[https://www.tvguide.or.jp/column/brandnewtv/28_brandnewtv.html 『TVガイド』所蔵資料から発掘!民放版「ゆく年くる年」全33回の歴史] [[東京ニュース通信社]]</ref>。
[[1986年]][[4月29日]]には、[[第2次中曽根内閣 (第2次改造)|内閣]]の主催により[[昭和天皇]]御在位60年記念式典を挙行した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19860315001/t19860315001.html |title=天皇陛下御在位六〇年記念式典の挙行について |date=1986-03-15 |work=[[文部科学省|文部省]] |accessdate=2016-05-26}}</ref>。
[[1992年]]には[[格闘ゲーム]]『[[ストリートファイターII]]』、[[1993年]]にはそのバージョンアップの『ストリートファイターIIターボ』、[[1994年]]にはさらなるバージョンアップの『スーパーストリートファイターII』(いずれも[[スーパーファミコン]]版)の全国大会が行われた。
同[[1992年]][[12月6日]]には『[[ソニック・ザ・ヘッジホッグ2]]』の発売を記念して両国国技館初のビッグイベント『遊星Sega World』が開催された。『[[バーチャレーシング]]』や『ソニック2』、『[[ベア・ナックル2]]』等のゲーム大会や[[UFOキャッチャー]]選手権が開かれたりや司会者に[[マイケル富岡]]、ゲストに[[所ジョージ]]、[[高橋由美子]]、[[大森うたえもん]]、[[大川興業]]、[[林原めぐみ]]等が出演した。[[メガドライブ]]や[[メガCD]]の新作ソフトの出品がラインナップされた。
[[アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト]]という、[[高等専門学校]]の[[ロボット]]の性能技術を競う[[コンクール]]では、[[1991年]]の第4回大会(テーマ「ホットタワー」)以後、毎年全国コンクールの会場として使われており、地方コンクール(全国8地区)を勝ち抜いた高専生の憧れの場、「高専生の甲子園」とまで言われている。
蔵前国技館時代から[[日本民謡協会]]主催の民謡民舞全国大会が4日間当会場で開催されていたが、2017年から[[品川区立総合区民会館]]に会場を移動して継続開催されている。
また、年に数回程度、[[コンサート]]・[[演奏会|ライブ]]の会場として使われることがある。ライヴ会場としてのこけら落としは[[1985年]][[3月31日]]に開催された、ロックバンド[[甲斐バンド]]の「BEATNIK TOUR in 両国国技館」。上記の「国技館5000人の第九コンサート」などのほか、[[1988年]]秋にはアメリカのアイドル歌手[[ティファニー (歌手)|ティファニー]]のコンサートが催されたり、[[2007年]][[11月22日]]に両国国技館では初のオールナイト音楽イベント「Connect '07」<ref>[http://www.hmusic.jp/connect07 史上初! 国技館でのオールナイトクラブイベント]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071120125651/http://www.hmusic.jp/connect07/ |date=2007年11月20日 }}</ref> が開催され、[[石野卓球]]、[[大沢伸一]]らが出演した。2013年からは毎年3月に[[J-WAVE]]主催のギター弾き語り音楽フェスティバル「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE」が開催されている(2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止ののち12月に振替開催、このため2021年は未開催)。
2018年11月には[[ポール・マッカートニー]]が日本ツアーの追加公演を、本人の希望で国技館を会場として開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20180928-MB6EMZTSTNJ57L2JPVNS7BIMRI/ |title=相撲好きポール・マッカートニー、11・5初国技館!13年に生観戦も |date=2018-09-28 |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2018-09-28}}</ref>。
2024年11月には、[[go!go!vanillas]]が国技館では初となるフリーライブ「[[LIVE FILM「東京 Lab. ストーリー」2024.11.10 両国国技館|東京 Lab. ストーリー]]」を開催した<ref>{{Cite web |title=【ライブレポート】go!go!vanillasメジャーデビュー10周年!両国国技館を熱狂で満たす「僕たちの音楽を信じてください」 |url=https://natalie.mu/music/news/599397 |website=音楽ナタリー |access-date=2025-02-26 |language=ja |first= |last=}}</ref>。
アニメ・ゲーム関係では、2007年[[12月24日]]には[[堀江由衣]]が[[声優]]としては初めて単独コンサートを行い、[[2015年]][[11月28日]]・[[11月29日|29日]]には[[アクアプラス|AQUAPLUS]]作品のファンイベント『大アクアプラス祭』を行い、[[2018年]][[10月6日]]・[[10月7日|7日]]には『[[それいけ!アンパンマン]]』テレビアニメ放送30周年&劇場版30作記念イベント東京公演を行った。[[2024年]][[12月21日]]・[[12月22日|22日]]には[[蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ]]がライブを行い、両国国技館公式ウェブサイトのコンサート開催事例として掲載されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokugikan.sumo.or.jp/Case/detail?id=2001 |title=事例紹介|国技館オフィシャルウェブサイト |date= |website=国技館オフィシャルウェブサイト |accessdate=2025-03-02}}</ref>。
また、両国国技館傍に本社を置く[[ライオン (企業)|ライオン]]や、芸能プロダクション・[[アミューズ]]<ref group="注">2020年と2021年は別会場で実施。</ref> の[[株主総会]]も当地で開催される。アミューズは株主総会の後に所属アーティストによるライブ及びイベントを開催しており、これまでに[[Perfume]]<ref>{{Cite web|和書|title=サザンショック払拭! Perfumeがアミューズ株主総会で迫力ライブ|ライフ関連ニュース|オリコン顧客満足度ランキング |url=https://life.oricon.co.jp/news/55704/ |website=CS RANKING |accessdate=2022-01-24 |language=ja}}</ref>、[[福山雅治]]<ref>{{Cite web|和書|title=株主・福山雅治、初の株主総会出席で取締役就任宣言!? |url=https://www.oricon.co.jp/news/45797/full/ |website=ORICON NEWS |accessdate=2022-01-24}}</ref>、[[原由子]]<ref>{{Cite web|和書|title=asahi.com(朝日新聞社):原由子がシークレットゲスト アミューズ株主総会後イベント - 音楽 - 映画・音楽・芸能 |url=https://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201006280082.html |website=www.asahi.com |accessdate=2022-01-24}}</ref>、[[安田顕]]<ref>{{Cite web|和書|title=安田顕、アミューズ株主総会でパジャマトーク |url=https://www.oricon.co.jp/news/2114254/full/ |website=ORICON NEWS |accessdate=2022-01-24}}</ref> らが出演している。
[[年末年始]]は通常大相撲初場所の準備のため会場貸しは行われないが、[[2009年]]の[[大晦日]]から[[2010年]]の[[元旦]]にかけて[[さだまさし]]が国技館初のカウントダウンコンサートを行い<ref group="注">コンサート終了後、引き続き『[[今夜も生でさだまさし]]』の元日特番の公開生放送も[[NHK総合テレビジョン]]を通じて行われた。</ref>、幟のほかに角界関係者をはじめとする企業・個人などから150枚を超える懸賞幕が出された。その後もさだはほぼ毎年両国国技館でカウントダウンコンサートと『今夜も生でさだまさし』元日特番の公開生放送を行っている<ref group="注">また、さだが『[[NHK紅白歌合戦]]』に歌手として出場する場合は国技館から中継で出演している。</ref>。
[[2010年]]には演芸コンテスト「[[M-1グランプリ]]」の[[準決勝]]会場としても使用されたほか、[[2019年]]からは日本テレビで毎年8月に放送されるチャリティー番組『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』のメイン会場として使用されている<ref>{{Cite news|title=「24時間テレビ」今年のメインパーソナリティーは嵐! 6年ぶり最多5回目、新元号初の大役 初の国技館|newspaper=Sponichi Annex|date=2019-03-16|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/03/16/kiji/20190316s00041000340000c.html|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2019-03-16}}</ref>。また、『[[満点☆青空レストラン]]』・『[[ゴールデンストーンズ]]』(2024年までは『[[行列のできる相談所]]』<ref group="注">2021年9月までは『行列のできる法律相談所』。2025年3月番組終了。</ref>)の生放送でも使われている。なお、2020年、2021年は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]感染拡大防止のため無観客で開催された<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=『24時間テレビ』3年ぶり有観客開催へ 対面募金は今年も実施せず |url=https://www.oricon.co.jp/news/2239995/full/ |website=ORICON NEWS |access-date=2022-08-26 |date=2022-06-27}}</ref>。
[[2015年]][[6月2日]]、ミュージシャンの[[星野源]]がリーダーを務めるインストバンド・[[SAKEROCK]]の解散ライブが開催された。
[[2022年]][[3月23日]]には、[[放送大学]]の学位記授与式が開催されている。更に同年から[[ベストボディ・ジャパン協会]]主催のベストボディ・ジャパン日本大会が開催されている。
== 記録 ==
* 旧国技館での最多優勝は[[双葉山定次|双葉山]]の12回、新国技館では[[白鵬翔|白鵬]]
* 旧国技館での最多連続優勝は[[太刀山峯右エ門|太刀山]]と双葉山の5場所連続で、ともに地方場所のなかった年2場所制時代でのものである。同じく年2場所時代に5連覇を達成している[[栃木山守也|栃木山]]は、国技館延焼事件の影響もあって仮設国技館での優勝を含み、両国国技館での5連覇は達成していない。
* 新国技館での連続優勝の最多は[[千代の富士貢|千代の富士]]の7連覇
== 施設 ==
[[
* [[電光掲示板]]に、その取組の決まり手が表示出来るようになっている。
** 電光掲示板の老朽化により[[2015年]](平成27年)[[9月]]
* 吊り屋根は[[伊勢神宮]]の[[御神木]]で建造されている。2本の[[ロープ|ワイヤー]]で上下させられる常設式のもので、相撲開催時以外は天井まで巻き上げられる。総重量は屋根の裏に備え付けの照明機材を含めて6.25トン<ref>[http://ozumou.com/archives/37 土俵] 大相撲ドットコム</ref>。
* やぐらと土俵は[[エレベーター]]式の昇降型、[[枡席]]は一部が可動型となっており、相撲以外のイベントにも対応出来るようになっている(やぐらは天井近くまで上がり、土俵は地下に沈む)
* 地下には[[相撲茶屋|国技館サービス]]の統括する[[焼き鳥|焼鳥]]工場があり、お土産用の焼き鳥を調理・製造している<ref name="Triv-i-a">[[フジテレビジョン|フジテレビ]]トリビア普及員会編 『トリビアの泉 〜へぇの本〜 素晴らしきムダ知識』III、[[講談社]]、2003年 8頁 ISBN 9784063527049</ref>。以前は相撲の興行中のみ稼動しており、従業員の大半は別に職があり、興行中は[[アルバイト]]として働いていた<ref name="Triv-i-a" /> が、現在では、本場所の開催期間以外でも稼動しており、[[東京駅|JR東京駅]]や[[新宿駅|JR新宿駅]]など、一部のJRの駅の[[駅弁]]販売店で販売されている。
* 大相撲興行中、枡席において伝統的に喫煙が認められていたが、[[受動喫煙]]の防止を定めた[[健康増進法]]第25条により、[[2005年]](平成17年)の1月場所から'''全面禁煙'''となった。
* 1階には[[相撲博物館]]、地下1階には相撲診療所があり、博物館は[[本場所]]やイベントなどの行われていないときには入館無料である。また、診療所は力士・協会員の診療・定期[[健康診断]]を行うほか、一般の患者も受け付けている<ref group="注">協会の平成30年事業報告書によれば、平成30年の1年間の外来診療受診者数は7,049人であり、内訳は力士3,275人、力士以外の協会員2,175人、協会員家族170人、一般1,429人であった。</ref>。
* [[2003年]](平成15年)より本場所開催中に[[ミニFM]]の国技館FM放送<ref>{{Wayback|url=http://www.sumo.or.jp/Kansen/fm|title=国技館FM放送について(両国国技館)|date=20190209025904}}</ref> が運用される。[[日本放送協会|NHK]]の『[[大相撲中継]]』[[テレビジョン放送|テレビ放送]]の[[日本語]][[音声]]を76.6MHzで、[[英語]]音声を78.3MHzで[[再送信]]する。オリジナルの『どすこいFM』を83.4MHzで送信していたが、[[大相撲平成29年9月場所|平成29年9月場所]]の千秋楽を最後に終了した。
* [[2005年]](平成17年)5月場所より、館内で、[[無線LAN]]を利用して[[ノートパソコン]]に大相撲や国技館の情報を配信するサービスである「Sumo Live TV powered by [[インテル|Intel]]」を開始した。
* 屋根上の金色の部分の側面は、8分割で開閉可能である。
* 正面は西北西の方角を向いており、東方は北北東、西方は南南西、向正面は東南東と実際の方角とは一致していない。
* 原則として力士のエレベーター利用は禁止されており、エレベーター脇にはそのことを記した張り紙がしてある。
* 旧国技館は当時東洋一の規模の建物として称えられており、イルミネーションの美麗さには定評があった他、菊花大会や水害の避難場所としても活用された<ref>『大相撲ジャーナル』2017年12月号p6</ref>。
* 国技館正門向かって左の「稲荷門」から入ると、2つの社が祀られている。右側の「出世稲荷大明神」は力士たちの出世を祈念して協会が祀ったもの。左側の「豊国稲荷大明神」は商売繁昌を願って相撲茶屋が祀ったもの<ref>[[木村庄之助 (34代)|伊藤勝治]]監修『大相撲の解剖図巻』株式会社[[エクスナレッジ (出版社)|エクスナレッジ]]、2016年9月20日発行 p.29</ref>。旧両国国技館に祀られていたものが蔵前を経て2代目両国国技館新設の際に移された。
* 施設内には印刷場もあり、館内で来場者に配布される取組表・星取表や、メディア向けの「顔ぶれ」{{efn2|メディアや関係者に配られる、翌日の取組が書かれた紙。}}などを印刷している。運営は外部の印刷会社に委託されているが、事実上「協会の印刷部」のような状態だという<ref>[https://www.bbm-japan.com/article/detail/7056 【私の“奇跡の一枚” 連載79】 大横綱をおくびにも出さず 友達付き合いをしてくれた北の湖親方] - BBM Sports・2020年7月21日</ref>。
== 女人禁制問題 ==
相撲協会は国技館が蔵前にあった時代は土俵の上にリングを組む[[女子プロレス]]や女子[[格闘技]]の大会、興行、イベントに当初は貸していたが途中から[[女人禁制]]と言い貸さなくなっていた。男子のものでも[[花束]]嬢などの[[女性]]はリングには上がらせないようにしていた。両国国技館になって土俵は[[エレベーター]]式の昇降型となり地下に沈められるようになったため再び貸すようになり、リング上で花束嬢などの女性が中央に立つことも可能となった。しかし、のちに他会場を含め花束嬢の登壇は減少している。
リングでの女人禁制は解禁されたものの、土俵への女人禁制は両国国技館になっても続いた。
[[アマチュア]]の[[国際相撲連盟]]主催[[世界相撲選手権大会]]は女子が参加していなかった第9回大会までは大半が国技館で実施されていたが、[[世界女子相撲選手権大会]]が同時開催となった2001年第10回大会から2018年第22回大会は一度も国技館で開催されていない。
[[わんぱく相撲全国大会]]については、男女混合で行われることもある地区大会優勝者が女性だった場合に出場権がないことが問題となっていた。この問題については同大会主催の東京[[日本青年会議所|青年会議所]]が2019年に[[わんぱく相撲全国女子大会|わんぱく相撲女子全国大会]]を開設することによって解決を図っている<ref>{{Cite web|和書|title=大相撲より先進的?わんぱく相撲、女子の全国大会創設へ:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASM374S0DM37OHGB00S.html|website=朝日新聞デジタル(2019年3月7日)|accessdate=2020-06-10|language=ja|publisher=}}</ref>。
2005年、[[ヒップホップ]]のイベント『[[B BOY PARK]]』の[[MCバトル]]は国技館の土俵上で行われた。出場者に女性ラッパーの[[COMA-CHI]]がいた。[[ハイヒール]]は脱ぐことになったが土俵には上がることができ、準優勝を果たした。[[平成期]]以前にハプニング以外で国技館の土俵に女性が上がったのは唯一か非常に珍しいことである。
[[2007年]][[9月19日]](大相撲秋場所11日目)には観客の40歳前後の女性が国技館の土俵にハプニングで乱入する事件が発生している。これに関して日刊スポーツは「約1400年の大相撲の歴史で初めて女人禁制が破られた」としている<ref name=Nikkan>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201804050000234.html 女性乱入ハプニング/過去の女人禁制問題] - 日刊スポーツ、2018年4月5日</ref>。日本相撲協会側ではこれについて、この女性が土俵の勝負俵内には入っていないため伝統は破られていないとしている<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2285939?pid=2164687 大相撲 土俵に女性乱入で伝統は崩壊か?] - AFPBB、2007年9月20日</ref>。
女人禁制のため[[断髪式]]でも女性は鋏を入れる役をさせてもらえなかったが、2010年10月2日、最高位[[大関]]だった[[千代大海]]の国技館で行われた断髪式で彼は母美恵に鋏を入れてもらうことにした。しかし、美恵は土俵下で彼の髪を切ることとなった<ref name=Nikkan/>。これを機に女性も鋏を入れる例が増えたが土俵には上がらないことが続いた。
== 交通の便 ==
* [[東日本旅客鉄道|JR]][[中央・総武緩行線|総武線(各駅停車)]]・[[都営地下鉄大江戸線]]:[[両国駅]]下車すぐ
* [[都営バス]] 錦27([[小岩駅]]
* 都営バス 門33([[亀戸駅]]
* [[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]・[[東武バスセントラル]] スカイツリーシャトル東京線([[東京駅のバス
==
{{Gallery
|align=center
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|height=120
|File:Ryogoku Kokugikan-1a.jpg|正門(2018年6月撮影)
|File:Ryogoku Kokugikan-1.jpg|外観(2008年7月撮影)
|File:Ryogoku Kokugikan2.jpg|初場所の幟旗(のぼりばた 2009年1月撮影)
|File:Ryogoku Kokugikan4, Emperor's Cup.jpg|天皇賜杯(2009年4月撮影)
|File:Ryogoku Kokugikan5.jpg|三賞(殊勲賞、敢闘賞、技能賞 2009年4月撮影)
|File:Ryogoku Kokugikan3.jpg|相撲博物館(2009年1月撮影)
|File:The Sumo Grand Championship (47938161927).jpg|アメリカ大統領杯(2019年5月撮影)
|File:Japon_tokyo_0801a.jpg|[[土俵]](2005年5月)
|File:Japo_Tokyo_0524.jpg|[[幕内]](2005年5月)
|whitebg=no}}
== 脚注 ==
{{
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* [[風見明]]『相撲、国技となる』[[大修館書店]] ISBN 4-469-26502-0
* 天使の恋人 『{{Wayback|url=http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/5785/Sumo/Kokugi1.html |title=国技館と共に歩んだ近代都市 |date=20140220133340}}』
* [[広瀬謙一郎]]「両国“国技館”今昔」 『荷風!』 Vol.12、42-46頁、[[日本文芸社]]、[[2007年]]
* 高永武敏・原田宏共著「激動の相撲昭和史」ベースボール・マガジン社、1990年2月25日発行
== 関連項目 ==
* [[栃錦清隆]]
* [[国技館5000人の第九コンサート]]
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== 外部リンク ==
{{Commonscat|Ryogoku Kokugikan}}
* [http://www.sumo.or.jp/kokugikan/ 国技館のご案内 - 公益財団法人日本相撲協会] {{ja icon}}
* [https://ryogoku-kokugikan.jp/ 国技館オフィシャルウェブサイト]
* [{{NDLDC|966238/2}} 旧両国国技館写真『歴史写真. 大正7年1月號』] {{ja icon}} - (国立国会図書館デジタルコレクション)
* {{TripAdvisor|g1066459-d315484|両国国技館|access-date=2020年4月22日}}
* {{Googlemap|両国国技館}}
{{相撲}}
{{2020年東京オリンピックの競技会場}}
{{Normdaten}}
{{coord|35|41|48.9|N|139|47|36.7|E|type:landmark_scale:10000_region:JP|display=title}}
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[[Category:関東地方のバスケットボール競技施設]]
[[Category:関東地方のバレーボール競技施設]]
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[[Category:卓球競技施設]]
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[[Category:東京都のコンサート会場]]
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[[Category:日本のミニFM放送局]]
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[[Category:墨田区のスポーツ]]
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[[Category:1984年竣工の日本の建築物]]
[[Category:1985年開設のスポーツ施設]]
[[Category:本所]]
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[[Category:占領軍に接収された日本の建築物]]
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[[Category:1983年解体の建築物]]
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