「弥勒菩薩」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m Remove 0x200e ∵Check Wikipedia ID16 |
出典が無い タグ: 手動差し戻し ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
||
(58人の利用者による、間の90版が非表示) | |||
1行目:
{{Otheruses|主に仏教信仰の対象|その他|弥勒 (曖昧さ回避)}}
{{統合文字|薩}}
7 ⟶ 6行目:
|別名= 慈氏菩薩
|画像= [[ファイル:Maitreya Koryuji.JPG|250px|]]
|説明文= [[広隆寺#木造弥勒菩薩半跏像|木造弥勒菩薩半跏像]]<ref group="注">通称「宝冠弥勒」</ref><br />([[国宝]]・[[広隆寺]]蔵)
|経典= 『[[法華経]]』<br/>『[[観弥勒菩薩上生兜率天経]]』<br
|主要経典注釈書=
|信仰= [[瑜伽行唯識学派]]<br
|関連項目=
}}
'''弥勒菩薩'''(みろくぼさつ)、{{lang-sa-short|maitreya}}('''マイトレーヤ''')、{{lang-pi-short|metteyya}}('''メッテ
弥勒は音写であり、「慈しみ」({{lang-sa-short|maitrī}}, {{lang-pi-short|mettā}})を語源とするため、慈氏菩薩
[[三昧耶形]]は蓮華上の塔、賢瓶
== 名称 ==
一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、[[スッタニパータ]]第五章や、『[[中阿含経]]』中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人である。慧覚訳『[[賢愚経 (本縁部)|賢愚経]]』では、弥勒は[[仏陀]]となると[[誓願]]を述べ、阿逸多は[[転輪聖王]]となるという誓いを表明したところ、阿逸多は叱責され、弥勒は[[記別]]を受けている{{Sfn|香川|1964|pp=628-629}}。
== 未来仏 ==
[[File:Bodhisattva, Kamakura period, Japan.jpg|thumb|弥勒菩薩立像、13世紀、[[鎌倉時代]]、[[重要文化財]]、[[東京国立博物館]]蔵]]
弥勒は現在仏である[[ゴータマ・ブッダ]](釈迦牟尼仏)の次に[[仏陀|ブッダ]]となることが約束された[[菩薩]](修行者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは[[兜率天]]で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に[[往生]]しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。
前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この
また、56億7000万年という年数は厳密なものではなく「遠い未来」の比喩ではないかとの説もある。
{{要出典範囲|他の古い経典では3000年後とするものもあり|date=2014年12月}}、その未来仏の出現する時代は厳密には定かではなく「遠い未来」の比喩ではないかとの説もある。弥勒菩薩は[[バラモン]]として娑婆世界に出世して、シッダッタ同様に[[出家]]したのち竜華樹下で[[悟り]]を得て、三度にわたり説法を行い多くの人々を救うという(これを竜華三会という)。『[[弥勒下生経]]』には、初会96億、二会94億、三会92億の衆生を済度すると説いている。なお、現在の弥勒はまだ修行者(菩薩)だが、遠い未来の下生の姿を先取りして'''弥勒如来'''、'''弥勒仏'''と呼ばれることもあり、[[如来形]]<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%A6%82%E6%9D%A5%E5%BD%A2 如来形とは] [[世界大百科事典]]</ref>の仏像も作られている<ref>http://narabungei.blog4.fc2.com/blog-entry-38.html 奈良の文化と芸術 当麻寺の塑像弥勒仏坐像</ref>。▼
▲
『[[観弥勒菩薩上生兜率天経]]』、『[[弥勒下生経]]』、『[[弥勒大成仏経]]』の3本で『弥勒三部経』と呼ぶことがある。また、[[浄土宗]]系の『[[無量寿経]]』には、[[阿弥陀仏]]の[[本願]]を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付属されている。▼
▲『[[観弥勒菩薩上生兜率天経]]』、『[[弥勒下生経]]』、『[[弥勒大成仏経]]』の3本で『弥勒三部経』と呼ぶことがある。また、[[浄土宗]]系の『[[無量寿経]]』には、[[阿弥陀仏]]の[[本願]]を後世の苦悩の衆生に説き聞かせるようにと、釈迦牟尼仏から弥勒菩薩に付
仏教の中に未来仏としての弥勒菩薩が登場するのはかなり早く、すでに『[[阿含経]]』に記述が見える。この未来仏の概念は[[過去七仏]]から発展して生まれたものと考えられている。
弥勒菩薩が出現するまでの間は現世に仏が不在となってしまうが、その間に[[六道]]すべての世界に現れて衆生を救うのが[[地蔵菩薩]]であるとされる。
== 下生信仰 ==
45 ⟶ 52行目:
== ミスラ神との関係 ==
{{See also|ミトラ教|阿修羅}}
[[ミスラ]]は[[インド神話]]における[[アーディティヤ神群]]の一柱[[ミトラ (インド神話)|ミトラ]]と起源を同じくし、古くは古代[[アーリア人|アーリア]]において信仰されていた契約の神だった<ref>*フランツ・キュモン『ミトラの密儀』小川英雄訳 [[平凡社]](1993年)[[スティグ・ヴィカンデル]]「ミスラスの秘儀研究」(『アーリヤの男性結社』[[言叢社]]収録、1997年){{要ページ番号|date=2015-08}}</ref>。[[ゾロアスター教]]においては中級神[[ヤザタ]]の一柱とされ、英雄神、太陽神とされる。ただし、教祖[[ゾロアスター]]は、ミスラをはじめとする神々ではなく、[[アフラ・マズダー]]に対してのみ崇拝をすべきだと宗教改革をしたため、周辺のアーリア人の宗教に比べ、ミスラ神は低く位置づけられている。また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。ミスラは[[クシャーナ朝]]では[[バクトリア語]]形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったという説もある<ref>[[松本文三郎]]『弥勒浄土論・極楽浄土論』平凡社東洋文庫 2006年、[[前田耕作]]『巨像の風景 インド古道に立つ大仏たち』 中公新書 1986年、同『バクトリア王国の興亡 ヘレニズムと仏教の交流の原点』 レグルス文庫:第三文明社 1992年 {{要ページ番号|date=2015-08}}</ref>。▼
▲[[ミスラ]]は[[インド神話]]における[[アーディティヤ神群]]の一柱ミトラと起源を同じくし、古くは古代[[アーリア]]において信仰されていた契約の神だった<ref>*フランツ・キュモン『ミトラの密儀』小川英雄訳 [[平凡社]](1993年)[[スティグ・ヴィカンデル]]「ミスラスの秘儀研究」(『アーリヤの男性結社』[[言叢社]]収録、1997年){{要ページ番号|date=2015-08}}</ref>。[[ゾロアスター教]]においては中級神[[ヤザタ]]の一柱とされ、英雄神、太陽神とされる。ただし、教祖[[ゾロアスター]]は、ミスラをはじめとする神々ではなく、[[アフラ・マズダー]]に対してのみ崇拝をすべきだと宗教改革をしたため、周辺のアーリア人の宗教に比べ、ミスラ神は低く位置づけられている。また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースと呼ばれ、太陽神・英雄神として崇められた。ミスラは[[クシャーナ朝]]では[[バクトリア語]]形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったという説もある<ref>[[松本文三郎]]『弥勒浄土論・極楽浄土論』平凡社東洋文庫 2006年、[[前田耕作]]『巨像の風景 インド古道に立つ大仏たち』 中公新書 1986年、同『バクトリア王国の興亡 ヘレニズムと仏教の交流の原点』 レグルス文庫:第三文明社 1992年 {{要ページ番号|date=2015-08}}</ref>。
== 造像例 ==
[[File:Miroku Bosatsu (Chogenji Obama).jpg|thumb
[[
日本で広く目にされている弥勒菩薩像に、50円切手の図案がある。これは[[中宮寺]]の木造菩薩半跏像である。
弥勒如来像としては、前述の[[奈良]]の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、[[
<gallery>
画像:岩戸寺 弥勒菩薩像P9019178.jpg|[[岩戸寺 (丹波市)|岩戸寺(丹波市)]]
Image:Maitreya Koryuji.JPG|[[広隆寺#木造弥勒菩薩半跏像|木造弥勒菩薩半跏像]]<br
Image:Bodhisattva Chuguji.JPG|奈良
Image:Maitreya Yachuji.JPG|大阪
Image:MaitreyaSeated.JPG|弥勒菩薩交脚像<br
</gallery>
== 真言 ==
オン・マイタレイヤ・ソワカ
[[画像:Maitreya-01.JPG|thumb|布袋]]▼
== 布袋
▲[[画像:Maitreya-01.JPG|thumb|布袋]]
日本では[[七福神]]の一人として知られる[[布袋]]は、[[中国]]では、弥勒の化身とされ、下生した'''弥勒如来'''として仏堂の正面にその破顔と太鼓腹で膝を崩した風姿のまま祀られている。
== ミルク神 ==
[[
[[沖縄県]]の[[沖縄本島]]及び周辺離島や[[八重山列島]]では「ミルク」と呼ばれる神の信仰が盛んである。これは、東アジアから東南アジアにかけて分布する弥勒信仰が[[ニライカナイ]]信仰と融合したものとするのが定説である<ref name="石田_2013">{{cite journal|和書
| title = 沖縄におけるミルク信仰の現状:首里赤田町を事例に
| url = https://cir.nii.ac.jp/crid/1050574201775787520
| author = 石田晶子
| journal = 琉球アジア社会文化研究
| issue = 16
| pages = 30-59
| date = 2013-11
| publisher = 琉球アジア社会文化研究会
}}</ref>。これらの地域では、豊年祭等の祭りに、笑顔のミルク面をつけたミルク神が登場し歩き回る。ミルク面は布袋に似た姿をしているが、これは布袋を弥勒菩薩の化身とする東アジアや東南アジアの弥勒信仰の影響であると考えられている。ミルク神は年に一度(12年に一度等の地域もある)集落を来訪する[[来訪神]]である<ref>{{cite news
| title = 「島ネタCHOSA班」2013年09月19日[No.1485]号 ミルク神の正体は!?
| url = http://www.lequio.co.jp/pc/show2.php?c1=03shi&c2=2013&vol=1485
| newspaper = 週刊レキオ
| publisher = [[琉球新報|琉球新報社]]
| date = 2010-10-07
}}</ref>。
起源については、約300年前に首里殿内から「たい国」(通説では中国)に派遣された求道長老が弥勒の掛け軸を持ち帰り、毎年7月に祭を行ったとされ、[[1816年]]の「三司官伊江朝睦日日記」には首里赤田町(現在の那覇市首里地区)のミルクウンケー(弥勅御迎)の記録が残っている<ref name="石田_2013" />。また、八重山列島の[[石垣市]]登野城に伝わるミルク面は、[[1791年]]に首里から八重山への帰途に遭難し安南(現在の[[ベトナム]])に漂着した黒島首里大屋子職大浜用倫が持ち帰ったものとされる<ref>{{cite news
| title = ミルクの面を新調 登野城字会
| url = http://www.y-mainichi.co.jp/news/16919
| newspaper = 八重山毎日新聞
| date = 2010-10-07
}}</ref><ref>{{Cite web|和書
| title = 八重山を読む やいま特集 登野城結願祭
| url = https://yaimatime.com/yaima_special/42228/
| work = やいまタイム
| publisher = 南山舎
| accessdate = 2018-10-25
}}</ref>。
== 脚注 ==▼
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
== 参考文献 ==
*{{Cite journal |和書|author1=香川孝雄 |date=1964 |title=彌勒と阿逸多 |journal=印度學佛教學研究 |volume=12 |issue=1 |pages=628-631 |url=https://doi.org/10.4259/ibk.12.628|ref={{SfnRef|香川|1964}}}}
▲==脚注==
▲<references />
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Maitreya}}
83 ⟶ 124行目:
== 外部リンク ==
*[
{{Buddhism2}}
{{浄土教2}}
{{唯識}}
{{仏陀}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:みろくほさつ}}
[[Category:菩薩]]▼
[[Category:浄土教]]
[[Category:浄土三部経]]
[[Category:唯識]]
[[Category:ミトラ教]]
▲[[Category:弥勒菩薩|*]]
[[Category:仏教の終末論]]
|