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'''大和茶'''(やまとちゃ)は、[[奈良県]][[大和高原]]を中心とする地域で生産される[[日本茶]]のひとつ。
 
良質な[[茶]]の栽培には冷涼な[[気候]]が適しているとされ、大和高原はその条件に合っているのう大和高原茶の栽培が奨励されてきた。[[月ヶ瀬梅林]]で有名な[[月ヶ瀬村|月ヶ瀬]]も茶の生産では有名な地域である。2007年の奈良県の荒茶生産量は2850トンで全国第6位である<ref>[http://www.pref.nara.jp/20320.htm 奈良県農業なんでもランキング] 奈良県</ref>。
 
== 概要 ==
大和茶が栽培される奈良県東北部の大和高原一帯は、標高200~600m、平均気温13~15℃、降雨量1500mmの山間冷涼地で、日照時間が短く、昼夜の温度差が大きいため昼間に合成された[[糖|糖類]]が消費されずに茶葉に残り、自然な甘みや旨味が生きた茶葉が収穫できる。粘土層の地質が多く、土が[[ミネラル]]などを多く含み滋味豊かな茶葉が育つ。また冬期は氷点下10度近くまで冷え込むこともあるため、害虫の越冬を妨げ、さらに朝霧が発生しやすい地形のため、適度な湿度により茶樹が潤う。また、[[吉野川 (奈良県)|吉野川]]流域の[[大淀町]]、[[東吉野村]]でも、恵まれた自然条件を生かした茶の栽培が行われている。銘柄は、産地別に月ヶ瀬茶、田原茶、柳生茶、山添茶、福住茶、都祁茶、室生茶、大淀茶があるが、全県的に「大和茶」で統一されている
また、吉野川流域の大淀町、東吉野村でも、恵まれた自然条件を生かした茶の栽培が行われている。
銘柄は、産地別に月ヶ瀬茶、田原茶、柳生茶、山添茶、福住茶、都祁茶、室生茶、大淀茶があるが、全県的に「大和茶」で統一されている。
 
== 表示基準 ==
緑茶の表示基準というものが公表されており、「大和茶」として表示される以外に、生産地名からの呼称として「月ヶ瀬茶」や「福住茶」、「柳生茶」、「山添茶」という表示も行われている。<ref>[http://www.nihon-cha.or.jp/hyouji/hyouji.htm 日本茶業中央会ウェブサイト]</ref>
 
== 主要産地 ==
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『竈の賑ひ : 日用助食』は「大和國揚茶粥 大和國は農家にても、一日に四五度宛の茶粥を食する也、聖武天皇の御宇、南都大佛御建立の時、民家各かゆを食し米を喰のばして、御造營の御手傳ひをしたりしより、專らかゆを用る事と云傳ふ、奈良茶といへるは是より出たる事とぞ」と、茶粥の始まりが奈良時代であると記している<ref>大蔵永常編[{{NDLDC|849008}} 『竈の賑ひ : 日用助食』] 東京屋、1887年4月。</ref>。
 
これらの記述は後世に書かれたもので実証性には乏しい。しかし、[[正倉院文書]]には、758年(天平宝字2年)の「末醤、滓醤、酢、油、糯米、大豆、小豆、漬菜、青瓜、茄子、水葱、搗滑海藻(標出)茶、薪、松、柏」をはじめ、「茶」の文字が見え、奈良時代に奈良の都で茶が存在したことは確かである。
 
大和茶のおこりについては、以下のように紹介されている。
 
「大和茶は大同元年(806年)に[[空海|弘法大師]][[]]より帰朝の際茶の種子を持ちかえり、これを現在の宇陀榛原赤埴に播種して、その製法を伝えられました。またその際持ち帰った茶臼は赤埴の[[仏隆寺]]に現在も保存されております。茶の実もまた同境内に「苔の園」として保存されており、これが「大和茶」の初めとも言われております。」<ref>大和茶の由来について、大和茶販売(株)発行のガイドブックより引用。</ref>
 
もっとも、[[波多野村]]の住人、吉田太郎兵衛が[[近江国|江州]]の信楽からチャの実を買い入れ、約70aに蒔いたともいわれている。奈良は仏教史跡、寺院も多く、仏教との関係で茶も広まり、一方ではヤマチャも諸所にあり、それなりに利用されたとされる。<ref>渕之上康元・渕之上弘子『日本茶全書』農山漁村文化協会、1999年、ISBN 4-540-98213-3</ref>
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [httphttps://www.pref.nara.jp/nogyos/nousou/tea/index1763.htmlhtm 奈良県大和業振興研究センター]
 
{{茶}}
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{{DEFAULTSORT:やまとちや}}
[[Category:日本茶]]
[[Category:奈良県の農業]]
[[Category:日本茶の産地]]
[[Category:奈良県の食文化]]