「東京箱根間往復大学駅伝競走」の版間の差分

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{{Otheruseslist|箱根駅伝一般|20162025年10月に予選会、20172026年1月に本大会が実施され93102回大会|第93102回東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝の主な記録|箱根駅伝の記録一覧|日本テレビ系列の中継番組|新春スポーツスペシャル箱根駅伝}}
{{スポーツ大会シリーズ
|大会名 = 東京箱根間往復大学駅伝競走<br>(箱根駅伝)
|今シーズン = [[第102回東京箱根間往復大学駅伝競走]]
|画像 = [[File:Hakone Ekiden logo.svg|120px]]<br />[[ファイル:2012年箱根駅伝(1区、丸の内).jpg|380px]]<br />第88回(2012年)箱根駅伝 一区 東京・丸の内にて
|昨シーズン = [[第101回東京箱根間往復大学駅伝競走]]
|競技 = [[陸上競技]]
|大会形式=[[駅伝競走]]
|画像 = [[file:HAKONE LOGO (1).svg|230px]]<br>{{small|箱根駅伝オフィシャルロゴマーク}}
[[ファイル:HAKONE-EKIDEN.jpg|280px]]<br>{{small|日本テレビ系の「箱根駅伝」番組シンボルマーク}}
[[ファイル:2012年箱根駅伝(1区、丸の内).jpg|280px]]<br>{{small|第88回(2012年)箱根駅伝 1区 東京・丸の内にて}}
|開始年 = [[1920年]]
|終了年 =
|主催 = [[関東学生陸上競技連盟]]
|開催国={{JPN}}
|参加チーム数 = 21(記念大会では関東インカレ成績枠あり)
|開催都市=[[東京都]]・[[神奈川県]]
|開催時期=毎年[[1月2日]](往路)・毎年[[1月3日]](復路)
|参加チーム数 = 21
|加盟国 = {{JPN}}
|前回初代優勝 = 青山[[東京高等師範院大学(3回校]](1920年
|最多前回優勝 = 中央[[青山学院大学(14]](2年連続8
|最多優勝 = [[中央大学]](14回)
|サイト = [http://www.hakone-ekiden.jp/ www.hakone-ekiden.jp]
|サイト = {{Official website}}
|備考 =
}}
'''東京箱根間往復大学駅伝競走'''(とうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)は、例年[[1月2日]]と翌[[1月3日|3日]]の2日間にわたって行われる[[大学]][[駅伝競走|駅伝]]競技会(関東地方大会)である。主催は[[関東学生陸上競技連盟]]が主(以下「関東学連」という。)、共[[読売新聞グループ本社|読売新聞社]]が共催する一般には'''箱根駅伝'''(はこねえきでん)と呼ばれ、そ実施については関東学生陸上競技連盟が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」に定められている俗称で<ref name="naiki">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20070108121927/http://www.kgrr.org/event/2006/kgrr/83hakone/83naiki!-new.pdf|title=東京箱根間往復-「真の大学駅伝競走に関する内規|format=PDF|publisher=[[関東学生陸上競技連盟]]|accessdate=2016-11-06|quote=2006年(平成18年)10月13改定時点}} ※ 現在は[[インターネット・アーカイブ]]内に残存</ref>(以下、「東京箱根間往復大本一の駅伝に関す校を決め内規大会としての部分、Wikiの編集方針「内規」とます。検証可能な事実のみ書い説明すください。個人の“思い”は書かないでください。-->広く知られ
 
なお、「箱根駅伝」は[[読売新聞東京本社]]の登録商標(登録番号: 第5565518号)である。
現在開催されている駅伝の中で2番目に長い(最長は長野県縦断駅伝)距離を持ち、[[1987年]]から放送を開始した[[テレビ中継]]によって国内の[[学生スポーツ]]競技会の中でも極めて高い人気も誇る。
「箱根駅伝」は[[読売新聞東京本社]]の登録商標(第5565518号)である。
 
== 概要 ==
毎年1月2日および1月3日の2日間にわけて実施される。コースは国道1号線、[[東京都]][[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]・[[読売新聞東京本社]]ビル前<ref name="yomiuri" group="注">[[読売新聞東京本社]]は[[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]の社屋建て替えのため、2010年9月から[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]の[[日産自動車]]旧本社ビルに一時移転していた({{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/info/info20100823.htm |title=読売新聞 一時移転のおしらせ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-08-23 |archiveurl=https://archive.is/20100915051122/http://www.yomiuri.co.jp/info/info20100823.htm |archivedate=2010年9月15日 |deadlinkdate=2017年10月 }})。</ref> から、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]、[[戸塚区|戸塚]]、[[平塚市|平塚]]、[[小田原市|小田原]]の各中継所を経て[[神奈川県]][[足柄下郡]][[箱根町]]・[[芦ノ湖]]までの往復で、往路107.5km、復路109.6km、計217.1km<ref name="kyorihenkou"/>。2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。主に通過する路線名称は[[日比谷通り]]、[[国道15号]]、[[国道1号]]、[[国道134号]]などである。現在開催されている駅伝の中で、総距離が4番目に長い<ref>[[山形県縦断駅伝競走大会|山形県縦断駅伝]](305.km)、[[郡市対抗県内一周駅伝大会]](297.9km)、[[徳島駅伝]](約250㎞)に次ぐ。</ref>。
[[ファイル:HakoneEkiden Tasuki.jpg|thumb|200px|小田原中継所と予備の[[たすき]]]]
[[ファイル:Tōkai_Univ._track_team_uniform.jpg|thumb|240px|東海大学のユニフォームと襷]]
出場校は20校で、これとは別に出場校以外の競技者による[[関東学生連合チーム]](オープン参加)が参加する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)<ref name="senbatsu">{{Cite web|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91sennbatu_hakone.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チームについて|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。さらに5年ごとの記念大会では関東インカレ成績枠という出場枠が設けられている<ref name="seisekiwaku"/>(2019年の第95回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)。
 
創設のきっかけは、「日本陸上の父」と呼ばれる[[金栗四三]]が「五輪で日本を強くするには、長距離、[[マラソン]]選手を育成すること」と発案したことがきっかけであるとされ、[[アメリカ大陸横断レース|アメリカ大陸の継走での横断]]を実施するための予選会という位置付けであったとされる。また別説では、宿駅伝馬制(2文字略して「'''駅伝'''」)の[[飛脚]]をもとに、手紙に見立てた襷を、東京から[[東海道]]の宿駅があった鶴見([[川崎宿]])、戸塚([[戸塚宿]])、平塚([[平塚宿]])、小田原([[小田原宿]])で引継ぎ、箱根町郵便局([[箱根関所]])まで、どの大学が一番早く届けて、東京に帰ってくるかという大学対抗戦のイベントとして開催されたという説もある。往路ゴール地点は、第1回から第12回までは箱根関所跡で、第13回から第44回までは箱根町郵便局だった(第22回を除く)。
コースは、[[東京都]][[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]・[[読売新聞東京本社]]ビル前<ref name="yomiuri" group="注">[[読売新聞東京本社]]は[[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]の社屋建て替えのため、2010年9月から[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]の[[日産自動車]]旧本社ビルに一時移転していた({{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/info/info20100823.htm |title=読売新聞 一時移転のおしらせ |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |date=2010-08-23 |archiveurl=http://archive.is/sRWFW |archivedate=2014-04-02}})。</ref>から、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]、[[戸塚区|戸塚]]、[[平塚市|平塚]]、[[小田原市|小田原]]の各中継所を経て[[神奈川県]][[足柄下郡]][[箱根町]]・[[芦ノ湖]]までの往復で、往路107.5km、復路109.6km、計217.1km<ref name="kyorihenkou"/>。1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。
 
箱根駅伝出場者から[[夏季オリンピック|オリンピック]]や[[世界陸上競技選手権大会|世界陸上]]などに出場を果たした選手も少なくない(詳細は[[箱根駅伝の人物一覧]]を参照)。
第1回大会は、[[アメリカ大陸横断レース|アメリカ大陸の継走での横断]]を実施するための代表選考会という位置付けで、[[1920年]][[2月14日]]に行われた。これは、[[1912年]]の[[ストックホルムオリンピック]]に出場した日本人五輪選手第1号の[[金栗四三]]が、「五輪で日本を強くするには、長距離、[[マラソン]]選手を育成すること」と発案したことがきっかけである。別の説として、箱根駅伝は[[飛脚]]制度をもとに、手紙に見立てた襷を、東京から[[宿駅]]があった鶴見([[川崎宿]])、戸塚([[戸塚宿]])、平塚([[平塚宿]])、小田原([[小田原宿]])で引き継ぎ、箱根町郵便局([[箱根宿]])まで届ける観光イベントだったという説もある。その目的は、箱根で観光客が少なくなる冬に観光客を呼びこみ、2日間に渡って開催する事で旅館やホテルに宿泊してもらうためだったと言われている。[[第二次世界大戦]]中の[[1941年]]から一時中断されたが、[[1943年]]に一度だけ戦時下で開催された([[靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会]])。その後、再び中止となり、戦後の[[1947年]]に復活。第32回([[1956年]])から現在の1月2・3日の開催となった(内規第1条)<ref name="naiki"/>。
 
実施は関東学連が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」(以下「内規」という。)に定める<ref name="naiki">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2006/kgrr/83hakone/83naiki-new.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規|format=PDF|publisher=[[関東学生陸上競技連盟]]|accessdate=2016-11-06|quote=2006年(平成18年)10月13日改定時点|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070108121927/http://www.kgrr.org/event/2006/kgrr/83hakone/83naiki-new.pdf|archivedate=2007-01-08}}{{リンク切れ|date=March 2018}} ※現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存</ref>。
箱根駅伝は、関東地方では従前から人気があったが、1987年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が全国放送で全区間の生中継(電波を途切れさせない完全中継実施は1989年から)を開始して以降、正月の[[風物詩]](国民的スポーツ大会)として関東地方以外でも知名度・注目度が格段に向上した<ref group="注">ただし[[沖縄県]]では生中継がない関係なのか、[[全日本実業団対抗駅伝競走大会|実業団駅伝]]の方が人気が高いといわれている。</ref>(詳細は[[#中継番組]]を参照)。また、箱根駅伝出場者から[[夏季オリンピック|オリンピック]]や[[世界陸上選手権|世界陸上]]などに出場を果たした選手も少なくない(詳細は[[箱根駅伝の人物一覧]]を参照)。
 
関東地方では従前から人気があったが、長時間公道の規制を行うことを問題視した警察から駅伝自体の中止を含めた内容変更を迫られるなど、存続の危機に立たされていた<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=「バカか」一蹴された中継が危機救う/箱根連載1 |url=https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202012270000094.html |website=日刊スポーツ |access-date=2023-01-02 |date=2020-12-28 |author=上田悠太}}</ref>。しかし、1987年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が全国放送で全区間の生中継(電波を途切れさせない完全中継実施は1989年から)を開始して以降、正月の[[風物詩]](国民的スポーツ大会)として関東地方以外でも知名度・注目度が格段に向上した(詳細は[[#中継番組]]を参照)<ref name=":1" />。
箱根駅伝は、関東学連が主催する地方大会であり、10位以内に入ると、同じ年の全国大会で駅伝シーズンの開幕を告げる[[出雲全日本大学選抜駅伝競走]](同年体育の日開催。以下「出雲駅伝」という)に関東代表として出場できる<ref group="注">同じく全国大会で大学日本一を決める[[全日本大学駅伝対校選手権大会]](同年11月第1日曜日開催。以下「全日本大学駅伝」という)には、同大会のシード校(前年上位6位)のほか、関東からは6月に実施される地区予選会で7校を決定する(基本枠1、成績枠7のうち推薦1校)</ref>。一般に、出雲駅伝、[[全日本大学駅伝]]、箱根駅伝を併せて「大学三大駅伝」と呼ばれており、同じ年度の全大会に優勝すると「三冠」と称され、大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)、青山学院大学(2016年度)の4校が達成している。ただし、箱根駅伝は全国大会ではないため、関東学連加盟校以外の大学は三冠を達成することはない。また大東文化大学は復路優勝を、順天堂大学と早稲田大学は往路優勝を逃しており、箱根駅伝を完全優勝しての三冠を達成した大学は2016年度の青山学院大学が史上初である。
 
関東学連が主催する地方大会でありながら、正規の全国大会である[[出雲全日本大学選抜駅伝競走]](出雲駅伝)、[[全日本大学駅伝対校選手権大会]](全日本大学駅伝)とあわせて「[[大学三大駅伝]]」と並び称されるほどのブランドを誇り、同じ年度の全大会に優勝すると「三冠」と称される。これまでに大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)、青山学院大学(2016年度)、駒澤大学(2022年度)の5校が達成している。
 
== 出場チームと出場選手 ==
[[File:Hakone Ekiden 2024 Yamanote Line Advertisement.jpg|thumb|2023年末、東京のJR山手線内で、箱根駅伝(この場合は第100回大会)に参加する各大学のタスキを模した広告物]]
関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権(後述)を獲得した大学10校と[[予選]]会を通過した大学10校の計20校と、このほかに関東学生連合チームを加えた21チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)<ref name="zouwaku">{{Cite web|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91hakone_zouwaku.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における出場枠数増枠について|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。また、第95回([[2019年]])以後の5年ごとの記念大会では、関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられている<ref name="seisekiwaku">{{Cite web|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91_hakoneicseisekiwaku.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東インカレ成績枠の導入について|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-13}}</ref>。
 
=== 競技者チームの参加資格 ===
関東学連加盟校のうち以下のチーム数が選抜される(2015年の第91回大会以降)<ref name="zouwaku">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91hakone_zouwaku.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における出場枠数増枠について|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。
==== 現行 ====
# シード校(10校):前回大会で総合順位10位以内
競技者は次の参加資格を満たしている必要がある。
# 予選会通過校(10校):予選会での成績上位10校
# 競技者の所属校が関東学連加盟校で競技者は当該年度の登録を完了していること(内規第4条)<ref name="naiki"/>。
# 所属する加盟校が関東学連から処分を受けていないこと(内規第5条)<ref name="naiki"/>。
# 本人が関東学連の資格審査委員会によって処分を受けていないこと(内規第6条)<ref name="naiki"/>。
# 出場申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条)<ref name="naiki"/>。
第68回(1992年)までは、28歳以下という年齢制限があったが、第69回(1993年)から撤廃されている<ref group="注">年齢制限に抵触した有名選手として、[[大八木弘明]]は、社会人を経て駒沢大学に入学したこともあり、自身が4年生時の大会に出場できなかった。</ref>。
 
==== 沿革 ====
{{hidden begin
|title = 出場資格の変遷
|titlestyle = background:lightgrey;}}
; 第1回 - 第31回(1920年 - 1955年)
参加希望校の内、関東学連が承認したすべてのチーム
* 1920年の[[アントワープオリンピック日本選手団|アントワープオリンピック代表]]選考予選から日本の陸上界でも[[アマチュア]]規定が採用となった。[[マラソン]]では17歳以上でかつ「脚力ヲ用ウルヲ業トセサルモノ」という規定され、[[車夫]]([[人力車]])、牛乳、郵便配達夫、魚屋のひき子は締め出されることとなった。これにより多くの車夫が夜学に通い始めたが、後に[[農林大臣]]及び[[建設大臣]]を歴任することになる早稲田大学の[[河野一郎]]主将が夜学生の締め出しを提案、第4回以降夜学生は出場できなくなった<ref>{{Cite book|和書||author=[[武田薫]] |year=2008 |title=オリンピック全体会 人と時代と夢の物語
|publisher =[[朝日新聞社]] |isbn=978 4-02-259938-4}}</ref><ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.30.</ref>。
* なお、開催30周年を迎えた第31回(1955年開催分)は本来開催予定だった予選会が[[#これまでの予選会実施方法|後述]]の通り、降雨による予選会開催地のコンディション不良で開催を急遽中止した。
; 第32回(1956年)
出場校を15チームに限定し、出場全チームを当該同年度秋季の予選会にて選考
; 第33回 - 第46回(1957年 - 1970年)
以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
* 前年度の総合順位'''10位'''までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 他の出場校については当該同年度秋季に行われる予選会に参加し、その予選会上位5チーム
※第35回([[1959年]])は予選会終了後に計算ミスで5位と6位が入れ替わったため、この年のみ予選会通過枠を1枠増やした16校で本大会を実施<ref name="saitamadai">[http://www.alumni.saitama-u.ac.jp/?action=common_download_main&upload_id=4 『埼玉大学創立60周年を迎えて 埼玉大学同窓会記念誌』](2010)p.12.</ref><br/>
※第40回([[1964年]])の記念大会時は、例年の15校のほかに特例として関西と九州から各1校の計2チームを招待
; 第47回 - 第78回(1971年 - 2002年)
以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
* 前年度の総合順位'''9位'''までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 他の出場校については当該同年度秋季(第68回([[1992年]])から10月下旬)に行われる予選会に参加し、その予選会上位6チーム
※第50、60、70回([[1974年|1974]]、[[1984年|1984]]、[[1994年]])の記念大会時は、特例として20チームで実施。増加分の決定方法は年度により異なるので、後述の[[#歴史|歴史]]の年表を参照のこと。
; 第79回 - 第89回(2003年 - 2013年)
箱根駅伝に出場できるのは、以下の4種類の方法で選んだ合計20チームとなった。
* 前年度の総合順位'''10位'''までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 予選会タイムの上位6チーム
* 予選7位〜予選9位の3チーム
** 予選7位以降については予選会タイムに[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](関東インカレ)のポイント(順位・エントリー数をタイムに換算)を減算した上での上位3チーム(インカレポイントの詳細計算については[[#外部リンク|外部リンク]]などを参照。また後述の[[#駅伝偏重とインカレポイント|駅伝偏重とインカレポイント]]も参照)
* 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学連選抜1チーム(各校最大2名まで選出)
** 第80回(2004年)の記念大会では関東学連選抜に代わり、日本学連選抜が参加した。
** 関東学連選抜チームは第79回(2003年)から第82回(2006年)まではオープン参加扱いだったため、記録の公認は個人記録に限られ総合順位は付けられなかったが、第83回(2007年)からは総合順位も公認されることになった。関東学連選抜チームがシード権を獲得できる総合順位10位以内に入った場合、翌年のシード枠が1つ減り予選会からの出場枠が1つ増える(第84回で総合4位、第85回で総合9位となっている)。
** 第89回(2013年)では関東学連選抜は各校1名ずつ16校からの選出に変更された。
※第85回([[2009年]])は出場校を3校増やす。これは第85回記念大会に伴う措置で、シード校9校(第84回([[2008年]])で関東学連選抜が第4位に入ったことにより、前項の規定に基づき第85回(2009年)のシード枠が1つ減ったため)と予選会から選考した13校に、関東学連選抜チームを加えた23チームで争われる。予選会選考方式は成績上位10校に自動的に出場権を与え、残り3校についてはインカレポイントを加味して選考する<ref>{{Cite press release
| title = 第85回東京箱根間往復大学駅伝競走出場枠数の増加について
| publisher = 箱根駅伝公式Webサイト
| date = 2008-09-02
| url = http://www.hakone-ekiden.jp/topics/detail.php?newsID=166
| accessdate = 2010-01-01
}}</ref><ref>{{Cite news
|url = http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20080902-OYT1T00558.htm
|title = 2009年箱根駅伝、過去最多の23校出場
|newspaper = [[読売新聞]]
|date = 2008-09-02
|accessdate = 2008-09-02
}}</ref>。<!--なお、この措置は5年ごとの記念大会に限るもので、通常の大会は引き続き20校で行うこととしている。--><br>
※第86回([[2010年]])は関東学連選抜が第9位に入ったことに加え、第3位に入った日本体育大学が跳躍選手の不祥事でシード権を剥奪されたことから、予選会枠が11校に拡大された。
; 第90回(2014年)以後
箱根駅伝に出場できるのは、以下の3種類の方法で選んだ合計21チームとなった(ただし第90回の記念大会では2枠増の23チーム)。
* 前年度の総合順位'''10位'''までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 予選会タイムの上位10チーム(ただし第90回の記念大会では3枠増の上位13チーム)
** 予選会タイムに関東インカレポイントを減算した成績順とする制度は廃止となった。
* 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学生連合1チーム(ただし第90回の記念大会では編成しない)
※なお、第95回([[2019年]])以後の5年ごとの記念大会では、予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」を創設する方向で検討され<ref>{{Cite news
|url = http://runnet.jp/mrnews/detail/1889541_1786.html
|title = 「インカレポイント枠」創設へ=5年に1度の記念大会で予選会免除-箱根駅伝
|newspaper = runnet.jp
|date = 2013-06-11
|accessdate = 2013-09-04
}}</ref><ref>{{Cite news
|url = http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo
|title = 「インカレポイント枠」創設へ=5年に1度の記念大会で予選会免除-箱根駅伝
|newspaper = 時事通信社 時事ドットコム
|date = 2013-06-11
|accessdate = 2013-09-04
}}</ref>、関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられることとなった<ref name="seisekiwaku"/>。
{{hidden end}}
{{clear}}
 
=== チームエントリーと区間エントリー ===
申込み(チームエントリー、区間エントリー)は関東連盟が提示する日時と場所で所定の様式によって行われ、資格審査委員会の審査によって参加資格ありと認められた大学・競技者のみ正式出場が認められる(内規第8条)<ref name="naiki"/>。
 
チームエントリーは16名以内で、区間エントリーのチーム編成は正選手10名と補欠選手6名以内である(内規第9条)<ref name="naiki"/>。ただし、留学生については、エントリー2名以内、出走1名以内に制限されている(内規第9条)<ref name="naiki"/>。現行の16人エントリーになったのは第79回(2003年)からで、背景にはここ数年で体調不良による[[ブレーキ]]やけがによる途中棄権などが相次いだことで、主役である選手の健康を最優先した主催者側の配慮と言える。第82回(2006年)までは区間エントリーの際にメンバーを16人から14人に減らす必要があったが、第83回(2007年)より区間エントリーでも16人のまま登録することができるようになった。したがって、補欠選手はそれまでの4人から6人に増えた(ただし、後述のように往路・復路の当日エントリー変更は、従来どおり4人までの変更に限られている)。
 
区間エントリーは1区から10区までにエントリーされた正選手とその他の補欠選手とに大別される。そして、正選手には主催者側が用意したナンバーカードが配布される。ナンバーは1区から順に1、2…となり、補欠選手は11番から16番までとなる。ナンバーカードの記載は「(前年の順位・予選会の順位に従い大学に割り振られた番号)-(1番 - 16番)」となり、例えば前年3位の大学の6区にエントリーされた選手は「3-6」となる(第80回より。それ以前は大学ごとの番号は付されなかった)。
 
変更は正選手と補欠選手との入れ替えのみで4名までとされ、区間変更は認められていない(内規第10条2項)<ref name="naiki"/>。つまり、補欠選手は当日のエントリー変更で正選手と入れ替えとしてどの区間にも入ることができるが、既に区間ごとに配置されている正選手はその区間しか走ることができない(例えば2区に補欠から選手を入れることはできるが、2区と4区の走者を変えることはできない)。通常の駅伝では補欠選手との交代には医師による診断書の提出が義務付けられているが、この大会は長時間の移動への配慮からその必要がないため、戦略的に補欠との選手交代が行われるケースが数多くあり、補欠選手は言わば[[ジョーカー]]的な意味合いを持つ。逆に区間エントリーで補欠選手と交替した選手は走ることができないため、[[偵察オーダー|当て馬]]的な要素もある。2区にチームで最も力のある選手を置くのが通常であるが、選手層の厚い大学では「つなぎの区間」にエースを配置し、他大学の虚を突くこともある。
 
傾向としては往路での変更は比較的少なく、復路で何人かを変えてくることが多い。また、各校のエースが集う2区の変更が最も少ないようである。逆に言えば、補欠選手になるのはエースとまでは行かないものの、それに準じる選手や力がありながら調子が上がらない選手、全くの無名選手…などが考えられる。近年ではいずれかの区間を走るべき確実な力のある(かつ調子のよい)選手、またエースすらもあえて補欠登録して、他校のエントリー状況や往路の結果を見ながらいずれかの区間に投入する作戦を取る大学も見られるようになった。優勝をねらうチームは、ライバル視するチームの配置を読んだ上で自チームのそれを考える必要がある。逆に予選会を勝ち上がってきたチームや苦戦が予想されるチームの中は、往路重視の布陣を敷いてくることが多い。選手層が薄く、後半区間での巻き返しが難しいため、エースクラスを序盤に配置することで落ち込みを避けるのがねらいである。また、どのチームも特殊区間である5区、6区については候補を複数用意していることが多い。これは他の区間とは違い、コースの特殊性ゆえに突発的なアクシデントなどによる急な抜擢が難しい(起用しても適性がない選手が走ることになるため、結果は芳しくないことが多い)ためである。
 
全区間が20km超という長丁場であることを考慮し、体調不良など万が一の状況に備えて選手の交替が認められている点が他の主要駅伝とは大きく違う点である。また、なかなか調子が上がらない選手の様子をぎりぎりまで見るという点でも、補欠温存ができるのは非常に大きい。(2006年から2016年は4区が18.5kmだった)
 
=== 出場チーム ===
先述したように箱根駅伝には関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権を獲得した大学10校と[[予選]]会を通過した大学10校の計20校と、このほかに関東学生連合チームを加えた21チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)<ref name="zouwaku"/>。さらに5年ごとの記念大会では関東インカレ成績枠という出場枠が設けられている<ref name="seisekiwaku"/>(2019年の第95回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)。
# シード校(10校) - 前回大会で総合順位10位以内
# 予選会通過校(10校) - 予選会での成績上位10校
# 関東学生連合チーム(1チーム)
# 関東インカレ成績枠(5年ごとの記念大会のみ) - 関東インカレ5年間の総合得点の累計が最も多い大学(該当校がシード校と重複している場合でも下から繰り上げない)<ref name="seisekiwaku"/>
 
==== シード校 ====
本競技会で10位までに入った大学は「シード校」として次回の本競技会出場権を取得する(内規第13条1項)<ref name="naiki"/>。つまり、前回の本競技会で総合10位以内に入賞していれば本競技会出場権を取得し予選会出場義務は免除される(シード権、予選免除権)。ただしシード権を確保した大学に重大不祥事が発覚した場合、シード権が剥奪される場合がある。実際に、[[日本体育大学]]は2009年4月に大麻で陸上競技部員(駅伝ブロックではない跳躍ブロックの選手)が退学処分となったため、[[第86回東京箱根間往復大学駅伝競走|2010年大会]]のシード権が取り消されている<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20090413-482274.html 日体大、箱根駅伝シード権はく奪へ] 日刊スポーツ2009年4月13日</ref>
 
前回大会でシード権を逃した大学と次の大会の予選会で本選出場権を獲得した大学がすべて一致することもあるが、過去に予選枠が6校だった第56回 - 第57回、第61回 - 第62回、第63回 - 第64回と、予選枠が9校だった第82回 - 第83回と、予選枠が10校になった第94回 - 第95回の計5回しか起きていない<ref>第95回は記念大会のため日本大学(インカレ枠)・明治大学も出場権を獲得している。</ref>。
他の大学駅伝大会に比べると、箱根駅伝ではシード校が10校とやや多くなっている(出雲駅伝は3校、全日本大学駅伝は6校)。
 
シード校の参加は希望制(日本国内での各学連主催の駅伝大会共通)であるが、不参加チームはいまだ発生していない([[出雲全日本大学選抜駅伝競走|出雲駅伝]]では発生例があった)。
前回大会でシード権を逃した大学と次の大会の予選会で本選出場権を獲得した大学がすべて一致することもあるが、過去に予選枠が6校だった第56回-第57回、第61回-第62回と、予選枠が9校になってからでは第82回-第83回の計3回しか起きていない。
 
第95回記念大会において関東インカレ成績枠の該当校がシード権を獲得しており出場権を確保している場合には繰り上げは行われないこととされていた<ref name="seisekiwaku">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91_hakoneicseisekiwaku.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東インカレ成績枠の導入について|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-13}}</ref>。
シード校の参加は希望制(日本国内での各学連主催の駅伝大会共通)であるが、不参加チームはいまだ発生していない([[出雲全日本大学選抜駅伝競走|出雲駅伝]]では発生例がある)。
 
第83回から第90回までは関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選抜するとされていたが(この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走への推薦校も9校となる)、2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称変更されるとともにオープン参加となっている<ref name="senbatsu">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91sennbatu_hakone.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チームについて|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。
なお、記念大会において関東インカレ成績枠の該当校がシード権を獲得しており出場権を確保している場合には繰り上げは行われない<ref name="seisekiwaku"/>。
 
==== 予選会 ====
第83回から第90回までは関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選抜するとされていたが(この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走への推薦校も9校となる)、2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称変更されるとともにオープン参加となっている<ref name="senbatsu"/>。
; 現行
 
箱根駅伝の予選会は本競技会の2か月以上前に行われ、別に開催要項が定められている(内規第14条1項)<ref name="naiki"/>。予選会は[[陸上自衛隊]][[立川駐屯地]]内の滑走路を周回し、立川市の市街地を通過して、[[昭和記念公園]]内をゴールとするハーフマラソン(21.0975&nbsp;km) のコースを各校10名以上12名以下の走者が走って行われる<ref name="yosen" />。
==== 予選会 ====
===== 現行 =====
[[ファイル:箱根駅伝予選会コース図.jpg|thumb|第88回大会予選会のコース図(陸上自衛隊立川駐屯地〜立川市街地〜国営昭和記念公園)]]
箱根駅伝の予選会は本競技会の2か月以上前に行われ、別に開催要項が定められている(内規第14条1項)<ref name="naiki"/>。予選会は[[陸上自衛隊]][[立川駐屯地]]内の滑走路を周回し、立川市の市街地を通過して、[[昭和記念公園]]内をゴールとする20kmのコースを各校10名以上12名以下の走者が走って行われる<ref name="yosenkaiyoukou">[http://www13.plala.or.jp/hakone-kiroku/index.html 第91回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会要項]</ref>。
 
前年の1月1日から予選会申込期日前日までの公認記録で、5000m16分30秒00か10000m34分00秒00のどちらか以内の記録(トラック記録に限る)を有する選手のみに出場資格があるため<ref name="naiki"/>、この出場資格を有する者を補欠も含めて10人以上揃えなければならない<ref groupname="yosen">[http://www.kgrr.org/event/2018/kgrr/95hakone-yosenkai/youkou.pdf 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会 要項]</ref>。以前はこのような出場資格はなかったが、参加校の増加で予選会の段階である程度出場校を絞り込む必要が出てきたことから、このような資格が設けられた<ref group="注">第75回大会に初設定(5000m18分00秒00以内)。その後年々参加標準記録が引き上げられ、第87回大会から「5000m16分30秒00以内もしくは10000m34分00秒00以内」となった。さらに第95回大会から5000mの参加標準が廃止され、10000mのみとなった。</ref>。
 
予選会では各校上位10名の合計タイムにより10校を選出する<ref name="yosenkaiyoukouyosen"/>。
 
予選会での順位を決定する際の記録の扱いは、下記の通りとなっている<ref name="yosenkaiyoukouyosen"/>
# 競技成績での'''10名の合計タイム'''が少ない大学を上位とする。
# 1で同タイムの場合には'''上位10名の合計順位'''が少ない大学を上位とする。
# 2でもによって順位が決定しない場合には、各校'''最上位選手競技者の順位'''が上位の大学を上位とする。
# 1の基準で10位が複数校となったときは2及び3の基準を適用し順位を決定する。
なお、5年1回の記念大会については予選会とは別に'''関東インカレ成績枠'''が設けられている<ref name="seisekiwaku"/>。これは関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与えるものである<ref name="seisekiwaku"/>。
 
=====; 沿革 =====
箱根駅伝では第23回([[1947年]])から予選会が実施されている<ref>[http://www13.plala.or.jp/hakone-kiroku/index.html 箱根駅伝記録館]</ref><ref>[http://www13.plala.or.jp/jwmiurat/index.html 箱根駅伝の記録]</ref>。
 
当初は関東学生10マイル(約16.1kmコース)の成績を選考材料にしていたが、予選会のコース・距離及び選考方法は、次第に変遷を重ね、現在第81回からは陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園の全長20kmのコースで開催されている。第97回および第98回の予選会は、新型コロナウイルス感染症対策として立川駐屯地内の滑走路行なっ周回するコースに変更された。第95回からは、距離が従来の20㎞からハーフマラソン(21.0975km)に延長されている<ref>{{Cite web|和書|title=箱根駅伝公式サイトサイト 第95回箱根駅伝予選会 コース図|url=http://www.hakone-ekiden.jp/
|accessdate=2018-10-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181222145756/http://www.hakone-ekiden.jp/pdf/course_95.pdf|archivedate=2018-12-22}}/</ref>。
 
また、当初は参加校全校が予選会に参加し上位15校が本戦出場する規定となっていたが、第32回([[1956年]])まではいずれも参加校が15校以下であり予選参加の全校が本戦出場していた。第33回([[1957年]])からは規定が変更となり、前回大会の総合成績上位10校にシード権を与え、予選会からの本戦出場は予選上位5校のみとなり、これ以降は予選会で敗退校が出るようになった。第48回([[1972年]])からは予選会からの出場枠が6校となり、第79回(2003年)以降は予選上位9校が本戦出場できることとなっていた(学連選抜の前回大会成績がシード圏内の場合は上位10校が本戦出場)
 
第79回大会から第89回大会まではインカレポイント制が導入されていた。これは予選会では本競技会の出場校の数からシード上位6校を除いた残りの出場校数を、まず、合計タイムにより6校び(前回の本競技会において関東学連選抜チームが10位以内に入った場合には7校選び)出し、残3校はその年の関東インカレの成績に基づくポイント制との併用により選ぶという出するものである。具体的には各校上710人以下合計タイムにより、まず上6校(関東学連選抜が前回大会10位以内だった場合は7校)が予選通過となり、残り3校については関東学生陸上競技対校選手権大会の成績に基づくポイント(インカレポイント)による減算タイムを併用して最終順位を決定していた。インカレポイントは、大学の陸上部全体の成績が反映されるため、駅伝だけではなく陸上競技部全体としての取組が成績に影響する仕組みとなっている。本戦がテレビメディアに大きく扱われるようになって以後予選会突破しての本戦出場は、僅差のタイムにより明暗分かれることが多い傾向にある。頻発し、特に第83回大会予選会においては、本戦出場を果たした10位の拓殖大学と9位の国士舘大学と、予選落ちとなった10位の拓殖大学のタイム差は、インカレポイントを含めてわずか1秒だった。
 
{{hidden begin
|title = 予選会の変遷
|titlestyle = background:lightgrey;}}
{| class="wikitable" style="font-size:small; text-align:center;" width=:100%;"
|-
!大会
202 ⟶ 117行目:
|-
|第31回
|style="text-align:left;white-space:normal;"|降雨コンディション不良のため予選会中止
|-
|第32回
209 ⟶ 124行目:
|第33回
|rowspan="2"|5
|style="text-align:left;white-space:normal;"|前年上位10位内にシード制を導入(予選会枠は5校)。<br />予選4位の順大が本大会棄権、予選6位の神大が出場
|-
|第34回
239 ⟶ 154行目:
|-
|第43回<br />❘<br />第47回
|rowspan="2127"|東京箱根間<br />往復大学<br />駅伝競走<br />予選会
|rowspan="2127"|合計タイム<br />(10選手)
|-
|第48回
269 ⟶ 184行目:
|-
|第75回
|style="text-align:left;white-space:normal;"|今大会以降、予選会出場の標準記録を設定
|-
|第76回
279 ⟶ 194行目:
|第79回
|10
|style="text-align:left;white-space:normal;"|本大会の出場校数を19校に変更(シード10校+予選会枠9校、79回大会はシード9校+予選会枠10校で実施)<br />インカレポイント制度を導入。
|-
|第80回
296 ⟶ 211行目:
|-
|第83回<br />第84回
|rowspan="68"|陸上自衛隊<br />立川駐屯地<br />↓<br />立川市街地<br />↓<br />国営昭和記念公園
|-
|第85回
312 ⟶ 227行目:
|第90回
|13
|style="text-align:left;white-space:normal;"|記念大会で予選枠が3増。<br />また、この大会では学連選抜を編成しないことせずなり、<br />併せて上位13校が本大会出場。<br />インカレポイントによるタイム換算制度を廃止。<br />この年から地上波での生放送を実施。
|-
|第91回<br />❘<br />第94
|10
| -
|-
|第95回
|rowspan="6"|21.0975km
|11
|style="text-align:left;white-space:normal;"|記念大会で予選枠が1増。<br />この年に限り関東インカレ枠を導入。日本大学が前年予選会敗退ながらも予選免除となる。<br />
|-
|第96回
|rowspan="3"|10
|style="text-align:left;white-space:normal;"|即位の礼の挙行日程を考慮し、この年に限り10月の第4土曜日(10月26日)に変更。
|-
|第97回<br />❘<br />第98回
|陸上自衛隊<br />立川駐屯地
|style="text-align:left;white-space:normal;"|新型コロナの影響でコースを立川駐屯地周回コースのみ実施。<br />完全無観客で開催。
|-
|第99回
|rowspan="3"|陸上自衛隊<br />立川駐屯地<br />↓<br />立川市街地<br />↓<br />国営昭和記念公園
|style="text-align:left;white-space:normal;"|立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園のコースに戻して実施。<br />沿道での応援は引き続き自粛を要請。
|-
|style="white-space:nowrap;"|第100回
|13
|style="text-align:left;white-space:normal;"|記念大会で予選枠が3増。<br />この大会に限り、全国の大学が参加可能。<br />この大会では関東学生連合チームを編成せず、<br />併せて上位13校が本大会出場。<br />4年ぶりに沿道での応援が解禁。
|-
|第101回
|10
|style="text-align:left;white-space:normal;"|安全の観点から、立川駐屯地内での生放送を実施一般観戦が禁止となる
|}
{{hidden end}}
322 ⟶ 262行目:
 
==== 関東学生連合チーム ====
=====; 現行 =====
前年大会でシード権を獲得した大学10校と[[予選]]会を通過した大学10校の計20校のほかに[[関東学生連合チーム]]が出場する(2015年の第91回東京箱根間往復学駅伝競走以降の編成)<ref name="zouwakusenbatsu" /><ref name="senbatsuzouwaku">{{Cite web|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91sennbatu_hakone.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チームについて|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称が変更された<ref name="senbatsu"/>。
 
* 関東学生連合チームは1校から1名が選出される<ref name="senbatsu"/>。
* 選出選手は10月に行われた予選会に出走し、かつ本大会出場回数が2回を超えないことが要件となっている(第91回大会から適用)<ref name="senbatsu"/>。
* 関東学生連合チームはオープン参加である<ref name="senbatsu"/>。個人記録そのものは有効な記録であるが順位は付かず、チーム・個人ともに参考記録となる<ref name="gakuseirengou">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91gakuseirengouteam_kirokunotoriatsukai.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学生連合チームにする問い合わせについて|publisher=:関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref><ref group="注">2017年(第93回)の第10区で、[[東京国際大学]]4年の照井明人が同区で区間賞を取った順天堂大学・作田直也より2秒早い1時間10分58秒でゴールし、'''幻の区間賞'''となった。ただし、「日本学連選抜」時代は、チームとしての記録は参考記録となったが、個人記録は公認された。(出典:スポーツ報知2017年1月4日付け6面と4面記事から)</ref>。
 
=====; 沿革 =====
第79回(2003年)から関東学連選抜チームの参加が認められることとなり、第82回(2006年)までオープン参加として個人記録のみが認められていた。
 
5年ごとの記念大会は日本学連選抜チームが関東学連選抜チームに代わって参加することが認められている(内規第12条)<ref name="naiki"/>。最近では第80回([[2004年]])で特別に日本学連選抜チーム<ref group="注">箱根駅伝に既に出場権を得ている大学以外から選抜され、関東以外の大学([[徳山大学]]・[[京都産業大学]]・[[立命館大学]]・[[岡山大学]]・[[北海道教育大学]]旭川校・[[広島経済大学]])からも選抜された。</ref> がオープン参加で出場した。
 
第79回(2003年)から参加が認められるようになった関東学連選抜チームのメンバーは、予選会で落選したチームに所属する選手のうち個人成績で上位に位置する選手から、各校最大2名までの枠内で選抜される。第80回(2004年)では日本学連選抜としての参加だったこともあり、6位相当の成績を収めたが、通常の関東学連選抜の場合には下位に低迷することが多かった。もっとも<!--5年に一度の-->、日本学連選抜チームとしての出場の機会しかない関東以外の各地区の学生が最初から選抜チームのメンバー入りを目指し練習してきたのに対し、関東学連選抜チームの場合、所属大学の一員として箱根駅伝に出たいと言う気持ちがあるのは普通のことであり、予選会で落選したショックからわずか2月後の本番に選抜チームとして招集されたとしてもモチベーションが上げにくいことも事実である。また、大学ごとの真剣勝負の場に趣の異なるチームが混じることへの違和感も根強い<ref>2012年6月9日付け読売新聞朝刊スポーツ面</ref>。このような意見もある一方、選抜チームの経験をチームに持って帰り次回へのモチベーションとすることは大いに意義のあることであり、参加選手からは「この経験を母校に持ち帰り来年に生かす」との声も聞かれ、後年予選会を勝ち抜き本選出場を果たした大学も多い
このような意見もある一方、選抜チームの経験をチームに持って帰り次回へのモチベーションとすることは大いに意義のあることであり、参加選手からは「この経験を母校に持ち帰り来年に生かす」との声も聞かれ、後年予選会を勝ち抜き本選出場を果たした大学もある。
 
第83回([[2007年]])からはチームとして正式にタイムおよび順位が記録されることになり、関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選することとなり、この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)への推薦校も9校となるとされた。これにより全体のレベル拮抗が予選会参加校のレベル向上へと結びつき、第84回(2008年)では関東学連選抜が総合4位という好成績を収め、続く第85回(2009年)も総合9位となり、2大会連続してシード圏内入りを果たした。予選会出場枠が1枠増えることにより自身の所属大学の翌年の箱根出場の可能性がわずかながらも広がることから、関東学連選抜の存在価値が増し、そのレース順位が大きな意味を持つようになった。なお、第80回(2004年)に出場した日本学連選抜については、「[http://www.kgrr.org/event/2006/kgrr/83hakone/83naiki-new.pdf 東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規]」第12条において、5年ごとの記念大会での参加が認められてはいるが、第85回(2009年)については・第95回(2019年)記念大会であるが日本学連選抜ではなく関東学連選抜が選抜チームとして出場している。
 
関東学連選抜チームについては、第86回(2010年)終了時から廃止・継続または新制度の導入などの議論を重ねた結果、2012年6月6日に行われた関東学連代表委員総会において、第89回(2013年)は現行どおり実施(ただし、各校から1名とし、16校から選出)、第90回(2014年)は不採用。第91回(2015年)以降は、廃止・継続のいずれの可能性も残し検討を重ねた<ref>{{Cite news
|url=http://www.kgrr.org/about_hakone_new.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チーム並びに関東インカレポイントについて|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140104072028/http://www.kgrr.org/about_hakone_new.pdf|archivedate=2014-1-4}}</ref> 結果、2013年6月10日に行われた委員総会で当初案の5年ごとの記念大会の編成ではなく、第91回以降も継続して実施することが決定した<ref>{{Cite news
|url=httphttps://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/06/11/kiji/K20130611005987560.html
|title=箱根駅伝「関東学連選抜」15年以降も継続決定
|work=スポニチアネックス。
350 ⟶ 289行目:
2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」からオープン参加の「関東学生連合チーム」に変更された<ref name="senbatsu"/>。
 
第100回(2024年)大会では、予選会に全国の大学が参加可能となる代わりに、本選での「関東学生連合チーム」の編成は行われなかった<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202206300001272.html 箱根駅伝第100回大会予選会「関東」から「全国」に 大学長距離界の勢力図は変わっていくか?] - 日刊スポーツWeb版・2022年6月30日23時25分配信</ref>。
== コースの特徴 ==
[[ファイル:Hakone Ekiden Course NewVer.PNG|thumb|箱根駅伝のコース]]
コース(競走路)は東京・読売新聞社前から箱根・箱根町芦ノ湖駐車場入口間の往復217.1km<ref name="kyorihenkou">{{Cite web|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/hakoneekiden_kyorihenkou.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における距離変更とそれに伴う記録の取り扱いについて|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。東京大手町読売新聞社前、[[日比谷]]、西新橋、[[三田 (東京都港区)|三田]]、[[品川]]、[[六郷橋]]、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]、[[横浜駅]]、[[保土ケ谷]]、[[戸塚]]、[[藤沢]]、[[平塚]]、[[大磯]]、[[二宮]]、[[小田原]]、箱根町芦ノ湖駐車場入口の各点がコース上の通過点として設定されている(内規11条1項)<ref name="naiki"/>。また、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]については復路のみ通過点とされている(内規11条1項)<ref name="naiki"/>。
 
==== 沿革 ====
以下、各区の主な特徴について述べる(コース途中の括弧書きは主な経由地、および固定テレビカメラ設置地点。通過道路名は[[国道]]・主要道以外は割愛する)。
{{hidden begin|title=出場資格の変遷|titlestyle=background:lightgrey;}}
; 第1回 - 第31回(1920年 - 1955年)
参加希望校の内、関東学連が承認したすべてのチーム
* 1920年の[[1920年アントワープオリンピックの日本選手団|アントワープオリンピック代表]]選考予選から日本の陸上界でも[[アマチュア]]規定が採用となった。[[マラソン]]では17歳以上でかつ「脚力ヲ用ウルヲ業トセサルモノ」と規定され、[[車夫]]([[人力車]])、牛乳、郵便配達夫、魚屋のひき子は締め出されることとなった。これにより多くの車夫が夜学に通い始めたが、後に[[農林大臣]]・[[建設大臣]]を歴任した早稲田大学主将の[[河野一郎]]が夜学生の締め出しを提案、第4回以降夜学生は出場できなくなった<ref>{{Cite book|和書|author=武田薫|year=2008|title=オリンピック全体会 人と時代と夢の物語|publisher=[[朝日新聞社]]|isbn=978 4-02-259938-4}}</ref><ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.30.</ref>。
* 1928年の第9回大会・1931年の第12回大会・1932年の第13回大会には、[[関西大学]]が出場した<ref>1964年の第40回大会に出場した立命館大学・福岡大学の時とは異なり、関西大学の順位は公式に認定されている。[https://www.hakone-ekiden.jp/record/ 箱根駅伝過去の記録](該当の開催年をクリックすると順位が確認できる)</ref>。
* 開催30周年を迎えた第31回(1955年開催分)は本来開催予定だった予選会が[[#これまでの予選会実施方法|後述]]の通り、降雨による予選会開催地のコンディション不良で開催を急遽中止した。
; 第32回(1956年)
出場校を15チームに限定し、出場全チームを当該同年度秋季の予選会にて選考
; 第33回 - 第46回(1957年 - 1970年)
以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
* 前年度の総合順位「10位」までを[[シード]]校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 他の出場校については当該同年度秋季に行われる予選会に参加し、その予選会上位5チーム
※第35回([[1959年]])は予選会終了後に計算ミスで5位と6位が入れ替わったため、この年のみ予選会通過枠を1枠増やした16校で本大会を実施<ref name="saitamadai">[http://www.alumni.saitama-u.ac.jp/?action=common_download_main&upload_id=4 『埼玉大学創立60周年を迎えて 埼玉大学同窓会記念誌』]{{リンク切れ|date=March 2018}}(2010)p.12.</ref><br/>
※第40回([[1964年]])の記念大会時は、例年の15校のほかに特例として関西と九州から各1校の計2チームを招待
; 第47回 - 第78回(1971年 - 2002年)
以下の2種類の方法で選んだ合計15チーム
* 前年度の総合順位「9位」までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 他の出場校については当該同年度秋季(第68回([[1992年]])から10月下旬)に行われる予選会に参加し、その予選会上位6チーム
※第50回、第60回、第70回([[1974年]]、[[1984年]]、[[1994年]])の記念大会時は、特例として20チームで実施。増加分の決定方法は年度により異なるので、後述の[[#歴史|歴史]]の年表を参照のこと。
; 第79回 - 第89回(2003年 - 2013年)
箱根駅伝に出場できるのは、以下の4種類の方法で選んだ合計20チームとなった。
* 前年度の総合順位「10位」までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 予選会タイムの上位6チーム
* 予選7位 - 予選9位の3チーム
** 予選7位以降については予選会タイムに[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](関東インカレ)のポイント(順位・エントリー数をタイムに換算)を減算した上での上位3チーム(インカレポイントの詳細計算については[[#外部リンク|外部リンク]]などを参照。また後述の[[#駅伝偏重とインカレポイント|駅伝偏重とインカレポイント]]も参照)
* 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学連選抜1チーム(各校最大2名まで選出)
** 第80回(2004年)の記念大会では関東学連選抜に代わり、日本学連選抜が参加した。
** 関東学連選抜チームは第79回(2003年)から第82回(2006年)まではオープン参加扱いだったため、記録の公認は個人記録に限られ総合順位は付けられなかったが、第83回(2007年)からは総合順位も公認されることになった。関東学連選抜チームがシード権を獲得できる総合順位10位以内に入った場合、翌年のシード枠が1つ減り予選会からの出場枠が1つ増える(第84回で総合4位、第85回で総合9位となっている)。
** 第89回(2013年)では関東学連選抜は各校1名ずつ16校からの選出に変更された。
※第85回([[2009年]])は出場校を3校増やす。これは第85回記念大会に伴う措置で、シード校9校(第84回([[2008年]])で関東学連選抜が第4位に入ったことにより、前項の規定に基づき第85回(2009年)のシード枠が1つ減ったため)と予選会から選考した13校に、関東学連選抜チームを加えた23チームで争われる。予選会選考方式は成績上位10校に自動的に出場権を与え、残り3校についてはインカレポイントを加味して選考する<ref>{{Cite press release|和書|title=第85回東京箱根間往復大学駅伝競走出場枠数の増加について|publisher=箱根駅伝公式Webサイト|date=2008-9-2|url=http://www.hakone-ekiden.jp/topics/detail.php?newsID=166|accessdate=2010-1-1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081011224755/http://www.hakone-ekiden.jp/topics/detail.php?newsID=166|archivedate=2008-10-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20080902-OYT1T00558.htm|title=2009年箱根駅伝、過去最多の23校出場|newspaper=[[読売新聞]]|date=2008-9-2|accessdate=2008-9-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080915052411/http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20080902-OYT1T00558.htm|archivedate=2008-9-15}}</ref>。<!--この措置は5年ごとの記念大会限定で、通常の大会は引き続き20校で行うこととしている。-->
 
※第86回([[2010年]])は関東学連選抜が第9位に入ったことに加え、第3位に入った日本体育大学が跳躍選手の不祥事でシード権を剥奪されたことから、予選会枠が11校に拡大された。
; 第90回(2014年)以後
箱根駅伝に出場できるのは、以下の3種類の方法で選んだ合計21チームとなった(ただし第90回と第100回の記念大会では2枠増の23チーム)。
* 前年度の総合順位「10位」までをシード校とし、その中で参加希望校は予選会免除の上で本大会に参加
* 予選会タイムの上位10チーム(ただし第90回と第100回の記念大会では3枠増の上位13チーム)
** 予選会タイムに関東インカレポイントを減算した成績順とする制度は廃止となった。
* 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学生連合1チーム(ただし第90回と第100回の記念大会では編成しない)
 
※第95回([[2019年]])以降の5年ごとの記念大会では、予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」を創設する方向で検討され<ref>{{Cite news|url=http://runnet.jp/mrnews/detail/1889541_1786.html|title=「インカレポイント枠」創設へ=5年に1度の記念大会で予選会免除-箱根駅伝|newspaper=runnet.jp|date=2013-6-11|accessdate=2013-9-4|archiveurl=https://archive.is/DoVqW|archivedate=2013-9-4}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo|title=「インカレポイント枠」創設へ=5年に1度の記念大会で予選会免除-箱根駅伝|newspaper=時事通信社|publisher=時事ドットコム|date=2013-6-11|accessdate=2013-9-4|archiveurl=https://archive.is/qAgeg|archivedate=2013-9-4}}</ref>、第95回大会では関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられた<ref name="seisekiwaku"/>が、同大会のみで廃止された。
 
※第100回([[2024年]])の予選会は、参加資格が関東学連登録者から日本学生陸上競技連合男子登録者に変更。<ref name=100回大会>{{Cite press release|和書|url=https://www.kgrr.org/event/2023/kgrr/100hakone/100yosen_eligibility.pdf|title=第100回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会 選考方法・参加資格について|publisher=関東学生陸上競技連盟|date=2022-6-30|accessdate=2022-6-30}}</ref>。
{{hidden end}}
{{clear}}
 
=== 競技者の参加資格 ===
競技者は次の参加資格を満たしている必要がある。
# 競技者の所属校が関東学連加盟校で競技者は当該年度の登録を完了していること(内規第4条)<ref name="naiki"/>。
# 所属する加盟校が関東学連から処分を受けていないこと(内規第5条)<ref name="naiki"/>。
# 本人が関東学連の資格審査委員会によって処分を受けていないこと(内規第6条)<ref name="naiki"/>。
# 出場申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条)<ref name="naiki"/>{{Refnest|group="注"|なお、内規では「競技者が所属校を変更した場合の出場申込回数」についての扱いは規定されていないが、変更前の所属校からの出場申込回数も引き継がれるものと解釈されている。このケースに該当する競技者は第101回大会(2025年)終了時点で[[吉田響]]([[東海大学陸上競技部|東海大学]]→[[創価大学陸上競技部駅伝部|創価大学]])のみである。吉田は2021年に東海大学に入学し、翌2022年の第98回大会に出場(5区区間2位)した。この第98回大会で東海大学はシード権を失ったため、同年10月の第99回大会予選会に回ったが、吉田はこの予選会に出場している。しかし、吉田はその後諸事情から東海大学を退学して創価大学に編入(2023年4月)し、第100回大会(2024年)および第101回大会(2025年)に出場した。}}
 
年齢制限は、第68回(1992年)までは28歳以下という年齢制限があったが、第69回(1993年)から撤廃されている。
 
; 「実質5年生」のランナー
上記の参加資格の例外として、怪我によるエントリー漏れや年度途中での休学などに伴って留年し、「実質5年生」になった4年生ランナーが4回までとなっている参加資格の上限に到達していないことを理由に出場するケースも散見される。この場合には2通りのパターンがある。
#怪我による欠場:[[竹石尚人]]([[青山学院大学陸上競技部|青山学院大学]])、島﨑慎愛([[國學院大學陸上競技部|國學院大學]])<ref>{{cite news|url=https://news.ntv.co.jp/category/sports/e37a11cff7d74beca6ad028cb1b1ed3c|title=【箱根ランナーの旅立ち】新天地で競技を続ける者、4年間で第一線を退く者、“5年生”としてチームに残る者…|publisher=日テレNEWS|date=2022-04-01|accessdate=2023-01-05|archiveurl=https://archive.md/8Oqke|archivedate=2023-01-05}}</ref>{{Refnest|group="注"|竹石は4年生の第96回大会(2020年)を怪我で欠場。どうしても最後に走りたいという強い希望で内定していた企業への就職を辞退して留年を選び、第97回大会(2021年)に出場した。竹石の出場申込回数は2年生時の第94回大会(2018年)、3年生時の第95回大会(2019年)の2回であったため、参加資格を満たしていた。また、島﨑は第98回大会(2022年)を怪我で欠場し、出場申込回数が上限に到達していなかったことから留年を選び、第99回大会(2023年)に出場した。}}
#年度途中での休学(による留年):[[嶋津雄大]]([[創価大学陸上競技部駅伝部|創価大学]]){{Refnest|group="注"|嶋津は3年生の前期となる2020年4月から9月までの半年間休学していたため、本来予定されていた2022年3月に卒業できず留年することになった。この場合は所属大学の卒業時期を半年、最大で1年遅らせることが可能<ref>{{cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20230102/k00/00m/050/054000c|title=大学5年目の創価大・嶋津雄大「残った意味を確かめる」 箱根駅伝|publisher=[[毎日新聞]]|date=2023-01-02|accessdate=2023-1-25|author=円谷美晶}}</ref>で、なおかつ前述の出場申込資格が4回未満なら出場可能<ref>{{cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20220104-OYT1T50212/3/|title=3年連続の箱根駅伝、創価大・嶋津雄大が「魂の快走」…厚底シューズに背を向け・闘病は前向きに|publisher=[[読売新聞オンライン]]|date=2022-01-04|accessdate=2022-6-19|archiveurl=https://archive.ph/zVhEE|archivedate=2022-6-19}}</ref>となっていた。なお、嶋津は1年生時の第95回大会予選会(創価大は予選会敗退)<ref>{{cite news|url=https://hochi.news/articles/20211220-OHT1T51109.html?page=1|title=箱根駅伝往路優勝、総合3位以内を狙う創価大の4年生・嶋津雄大は来年度も5年生として大学に残る予定|publisher=スポーツ報知|date=2021-12-20|accessdate=2022-6-19}}</ref>並びに本戦にエントリー登録されていなかったことから出場申込資格は第98回大会終了時点で1回残っており、最後の出場となる[[第99回東京箱根間往復大学駅伝競走|第99回大会]]にもエントリー登録され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/88371|title=【箱根駅伝エントリー】創価大は嶋津雄大、葛西潤、ムルワを軸に4年生が順当 充実の戦力で初の総合優勝に挑む|publisher=月陸オンライン|date=2022-12-10|accessdate=2022-12-10}}</ref>、4区区間8位で箱根駅伝を終えた<ref>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2023/01/02/kiji/20230102s00063000143000c.html|title=【箱根駅伝4区】“5年目”の創価大・嶋津、区間8位も完全燃焼 「自伝執筆」の夢へ駆ける|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2023-01-02|accessdate=2023-1-25}}</ref>。卒業後は実業団の[[GMOインターネットグループ]]([[GMOアスリーツ]])で競技を継続している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gmo.jp/news/article/7919/|title=陸上長距離 嶋津 雄大選手、GMOインターネットグループ所属内定のお知らせ ~GMOインターネットグループ総力を挙げて支援、更なる高みを目指す~|publisher=[[GMOインターネットグループ]]|date=2022-08-01|accessdate=2023-01-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://athletes.gmo.jp/news/4403/|title=嶋津雄大選手 所属内定のお知らせ|publisher=[[GMOアスリーツ|GMOインターネットグループ陸上部]]|date=2022-08-01|accessdate=2023-01-25}}</ref>。}}
 
また、「修士課程(博士前期課程)」「専門職学位課程」「博士課程(博士後期課程)」にある[[大学院]]生であっても、参加資格の上限に達していなければ学部生に混じって出場可能である。さらに「[[東京大学]]大学院」や「[[東京工業大学]]大学院」のように、大学院生のみで学部生とは別個のチームを組成して出場することも認められている。
 
== コースの特徴<!-- 記事が肥大化している。細かい歴史や、大学ごとの特徴などは不要ではないか --> ==
[[ファイル:Hakone Ekiden Course Map jp.jpg|thumb|箱根駅伝のコース]]
コース(競走路)は東京・読売新聞社前から箱根・箱根町芦ノ湖駐車場入口間の往復217.1km<ref name="kyorihenkou">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/hakoneekiden_kyorihenkou.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における距離変更とそれに伴う記録の取り扱いについて|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-10-09}}</ref>。東京大手町読売新聞社前、[[日比谷]]、西新橋、[[三田 (東京都港区)|三田]]、[[品川 (東京都)|品川]]、[[六郷橋]]、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]、[[横浜駅]]、[[保土ケ谷区|保土ケ谷]]、[[戸塚区|戸塚]]、[[藤沢市|藤沢]]、[[平塚市|平塚]]、[[大磯町|大磯]]、[[二宮町|二宮]]、[[小田原市|小田原]]、箱根町芦ノ湖駐車場入口の各点がコース上の通過点として設定されている(内規11条1項)<ref name="naiki"/>。[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]は復路のみ通過点とされている(内規11条1項)<ref name="naiki"/>。
 
以下、各区の主な特徴について述べる。コース途中の括弧書きは主な経由地、および固定テレビカメラ設置地点。通過道路名は[[国道]]・主要道以外は割愛する。
 
=== 往路(1月2日) ===
''' 東京・大手町→箱根・[[芦ノ湖]] 5区間/107.5km<ref name="kyorihenkou"/>'''
==== 1区(21.3km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(1区)
|-
![[佐藤悠基吉居大和]]<br />(東海中央大学2年)
|-
!1時間01000640
|-
!第8398(2007(2022年)
|}
'''東京・大手町 [[読売新聞グループ本社|読売新聞東京本社ビル]]<ref name="yomiuri" group="注"/> 前(北側)(往路スタート)→([[東京都道409号日比谷芝浦線]])→([[国道15号]])→([[田町 (東京都港区)|田町]])→([[品川駅]]前)→()<br/>→(新八ツ山橋)→(大井)→(大森)→([[蒲田]]([[京浜急行電鉄]]・[[京急蒲田駅]]))→([[六郷橋]])→鶴見中継所'''
* 大手町・[[読売新聞東京本社]]ビル]]前から神奈川県横浜市の鶴見中継所までを走る区間(当区と裏返しの10区だけ東京都がある)。距離は21.3kmである<ref name="kyorihenkou"/>(第90回までは21.4kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 午前8時00分に一斉スタート。スタート前からあらかじめ指定された場所で出場大学の[[応援団]]や[[チアリーディング]]が母校の幟と共に応援合戦を繰り広げる。
* この区間で重要なのは「次につなげること」(先頭の見える位置でたすきタスキを渡すこと)である。スピードランナーや準エースクラスの投入が多い区間だが、集団になれば牽制などでスローペースになったり、それほど大きくばらけなかったりする傾向にある。そのため、鶴見中継所に多数の選手が僅差で殺到することが多い。一方で、各校を代表するエースクラスが集い、他校よりとにかく1秒でも先に出るべく、超ハイペースで進行することもある。また、スタート直後に飛び出して逃げ切りを狙う(俗に言う'''大逃げ''')学校もあり、各校の戦術が現れる区間の1つである。コース上の大きなアップダウンは新八ツ山橋と六郷橋のみ。この付近における選手同士の駆け引きも見もの。特に六郷橋から川崎市街にかけての区間では、橋からの下りを利用してスパートをかける選手も多い。
* 運営管理車は、新八ツ山橋付近から入る。
* 六郷橋は東京都と神奈川県の境界に位置しており、六郷橋までの[[交通規制]]・先導等は[[警視庁]]、六郷橋からは[[神奈川県警察]]が担当している<ref>{{Cite web|url=http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/hakone/image/89hakone_1.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:警視庁|accessdate=2013-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.police.pref.kanagawa.jp/pdf/f1010_01.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:神奈川県警察本部|accessdate=2013-01-01}}</ref>。
* 六郷橋は東京都と神奈川県の境界に位置しており、六郷橋までの[[交通規制]]・先導等は[[警視庁]]、六郷橋から[[神奈川県警察]]が担当している<ref name="tokyo1">{{Cite web|和書|url=http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/hakone/image/89hakone_1.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:警視庁|accessdate=2013-01-01}}{{リンク切れ|date=March 2018}}</ref><ref name="kanagawa1">{{Cite web|和書|url=http://www.police.pref.kanagawa.jp/pdf/f1010_01.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:神奈川県警察本部|accessdate=2013-01-01}}{{リンク切れ|date=March 2018}}</ref>。
* 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在したが、立体交差化に伴い、現在は撤去されている(変遷などについては[[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
*第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在したが、立体交差化に伴い、現在は撤去されている(変遷などについては[[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#1区]]を}}
 
<gallery>
File:Kamata 20140429172700 (15072524499).jpg|かつて踏切があった[[京急蒲田駅]]
File:箱根駅伝鶴見中継所.jpg|2区・10区起点の鶴見区市場大和町歩道橋前(鶴見中継所)
</gallery>
 
==== 2区(23.1km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(2区)
|-
![[メクボリチャードジョブ・モグスエティーリ]]<br />(山梨学院東京国際大学42年)
|-
!1時間06050431
|-
!第85101(2009(2025年)
|}
'''鶴見中継所→([[横浜駅]]前)→([[国道1号]])→([[権太坂]])→[[戸塚区|戸塚]]中継所'''
* 鶴見中継所から戸塚中継所までの23.1kmである<ref name="kyorihenkou"/>(当区と裏返しの9区は横浜市内だけ)(第90回までは23.2kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 第37回(1961年)以降は最長距離区間となっている(ただし第82回(2006年)から第92回(2016年)は小田原中継所の位置が変更となっていて5区が最長距離区間だった)。各校がエース級の選手を揃えて争い「'''花の2区'''」と呼ばれ続けている区間。区間内に[[東海道五十三次]]で江戸
* 留学生出て最初の難所として知られ擁す[[権太坂]]<ref>{{Cite web|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/syukuba/#sakaigi|title=東海道 保土ケ谷宿:権太坂と境木(武蔵と相模の国境)|publisher=横浜市保土ヶ谷区役所|accessdate=2012-01-12}}</ref>がある事など、地形的にも走りづらい区間といえる。[[山梨学院大学]]や[[日本大学]]などこの区間に留学生を当てエントリーさせることが多い。初めて留学生が出走した第65回(1989年)以降、2区で留学生が1人も出走しなかったのは第73回(1997年)~第76回(2000年)と第88回(2012年)、第91回(2015年)の6大会のみである。
* 箱根に限らず2区はその後の流れを決める重要な区間に挙げられることが多いが、各校のエース級の選手はほぼ均等な力を持っているため、ペース配分のミスやアクシデント発生以外の理由では差が広がりにくく、この区間の結果が総合優勝争いに直結することはほとんどない。
* 鶴見中継所から横浜駅前を経由して[[保土谷駅]]までは標高差がほぼゼロの平坦なコースであるが、そこから[[東海道五十三次]]で箱根越えに次ぐ難所といわれた'''権太坂'''(ただ国道1号の権太坂は東海道のそれと比べて勾配が緩い)と、戸塚中継所手前残り3km地点から2つのアップダウンと、ラスト1kmの通称「戸塚の壁」と呼ばれる勾配な登り坂があり、る。これら後半の難所をいかに攻略するかが最大のポイントとなる。
* 鶴見中継所までは差が付かないことが多く、ごぼう抜きや大ブレーキ激しい順位変動頻繁に起こる区間でもある。エースの結果いかんで後の流れが決まってくるともいわれる。また、
* コースの特徴からかる通り、地形的にも走りづらい区間といえ、平坦なコース前半にペースを上げ過ぎると権太坂と中継所手前戸塚後半の上りで力尽き、失速することがある。好タイムを出すためにはこの上りにいかに余力を残して臨むかがポイントとなり、第75回([[1999年]])に当時の区間新記録を樹立した[[三代直樹]]は残り3kmの上りを快走した。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#2区]]を}}
 
<gallery>
file:権太坂上交差点.jpg|国道1号の権太坂
file:箱根駅伝戸塚中継所.jpg|3区・9区起点の不動産会社および、自動車ディーラー店(戸塚中継所)
</gallery>
 
==== 3区(21.4km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(3区)
|-
![[イエゴ・ヴンセントコスマスキベット|イェゴン・ヴィンセント]]<br />(山梨学院東京国際大学41年)
|-
!1時間01593825
|-
!第8896(2012(2020年)
|}
'''戸塚中継所→(遊行寺坂)→[[神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線|湘南新道]]→(藤沢)→[[国道134号]]→([[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]])→([[湘南大橋]])→[[平塚市|平塚]]中継所'''
* 戸塚中継所から平塚中継所までの21.4kmである<ref name="kyorihenkou"/>(第90回までは21.5kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 遊行寺坂を下って浜須賀交差点を右折すると[[湘南海岸]]に出るフラットなコースではあるが、海風の影響を受けやすい区間である。従来はこの3区かつてつなぎの区間とされてきたが、4区の距離短縮に伴い2区と同様の重要区間と位置づけられる事が多くなった。そのため2000年代以降、2区の流れを持続する、あるいつまずきを取り返すために、下りから平坦のコース形態も相まって力のある選手スピードランナー置く起用するチームも多くが増え最近はこの区間でもごぼう抜きが見られる様になった。
* 東京から小田原までのコースは[[東海道本線|東海道線]]と接近しているため、ファンはもちろん、出場校の走り終えた選手やコーチ、監督、付き添いなどが[[電車]]を使って移動することが多い。従って、大会開催中は移動の車中で選手や監督などに遭遇することもある(学校毎に揃いのグラウンドコートを着ている)。
* 晴れた日には選手の前方に[[富士山]]の雄大な姿を望むことができる。
* 第80回(2004年)の金栗四三杯創設以来、3区から選出されたことは一度もなく、これは全10区間で唯一である。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#3区]]を}}
 
<gallery>
ファイル:Mt. Fuji from Chigasaki.jpg|国道134号
ファイル:r134tougahara.jpg|4区・8区起点の唐ヶ原交差点(平塚中継所)
</gallery>
 
==== 4区(20.9km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(4区)
|-
![[イエゴン・ヴィンセント・キベット|イェゴン・ヴィンセント]]<br>(東京国際大学4年)
![[栃木渡]]<br />(順天堂大学3年)
|-
!1時間03003600
|-
!第9399(2017(2023年)
|}
'''平塚中継所→(国道1号)→(大磯)→([[二宮町|二宮]])→(酒匂橋)→(小田原市民会館前)→旧小田原中継所→新[[小田原市|小田原]]中継所'''
* 平塚中継所から小田原中継所までの20.9kmである<ref name="henkou93"/>。
** 2006年の区間距離短縮以前は、4区がエース区間の一つとされており、4連覇時の[[駒澤大学]]のように、チームの絶対的エースを4区に置くケースも多く見られた。
** 第82回(2006年)から第92回(2016年)までは18.5kmとされ、区間距離が大会唯一20kmを切る最も短い区間となっていた。第82回(2006年)にて、往路の小田原中継所が2.5km東京寄りに変更となった([[風祭駅|風祭]][[鈴廣]]前→[[メガネスーパー]]本社前<ref group="注">中継所移転後の2019年3月に[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]に移転。現在旧本社には小田原箱根[[商工会議所]]が入居。</ref>)。4区短縮の背景には「中距離で活躍する選手にも箱根に出場する機会を与えたい」という関東学連の意向があり、短縮1年目の第82回は目論み通り1500mの日本インカレ王者である[[村上康則]](順天堂大学)が区間賞を取った。しかし、平塚中継所から11.8kmの[[国府津駅]]入口前交差点まで細かいアップダウンが続き、距離のわりにスピードが出にくいため、4区よりも3区にスピードランナーを置く学校も多く、この区間はチームで10番手の選手や1年生を起用する傾向が強まっている。これらのことから、他の区間よりも区間距離が短い割に1kmに平均3分以上かけて走る選手がほとんどである。1km平均3分(55分30秒)を切って走った選手は計225名中21名(約9.3%)しかいない{{いつ|date=2020年5月}}
** 第93回(2017年)からは中継所が再び鈴廣前となり区間距離も20.9kmで、第81回までのコース同じになる<ref name="henkou93">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2016/kgrr/93hakone_ekiden/hakone_ekiden4ku5ku_hennkou.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走第4区・第5区の区間距離の変更とそれに伴う中継所の変更について|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2017-01-02}}</ref>。4区については第82回大会以降の距離短縮が[[マラソン]]に順応できる選手の芽を摘み取っているという懸念が出され距離が再び延長された<ref name="henkou93"/>。この区間距離の変更に伴い第93回大会以前の記録は参考記録となった<ref name="henkou93"/>。なお、第81回以前と距離延長後の第93回以降は実質同一区間ではあるものの、あくまで別記録として扱われている
*平地区間では唯一21kmを下回っているものの、上記の通り中盤まではアップダウンが続き、ラスト2kmは小田原中継所まで緩やかな上り坂が続くため、タフなコースとなっている。
*上位のチームは3区までの勢いを保って後続との差を広げて5区へ繋げたいのに対し、下位のチームはこの区間で前のチームとの差を縮めたいため、第93回のコース延長後は再びチームのエースが起用される区間となっている。
* 晴れた日には選手の前方に[[富士山]]の雄大な姿を望むことができる。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#4区]]を}}
 
<gallery>
ファイル:箱根駅伝小田原中継所.jpg|5区・7区起点の[[鈴廣]]前(小田原中継所)
</gallery>
 
==== 5区(20.8km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(5区)
|-
![[大塚祥平若林宏樹]]<br />(駒澤青山学院大学4年)
|-
!1時間12094611
|-
!第93101(2017(2025年)
|}
'''小田原中継所→([[箱根登山鉄道]][[箱根湯本駅]]前)→([[箱根国道#函嶺洞門・函嶺洞門バイパス|函嶺洞門バイパス]]<ref name="doumon1"/>)→(大平台ヘアピンカーブ)→(宮ノ下[[富士屋ホテル]]前)→()<br>→([[箱根小涌園|小涌園]]ユネッサン前)→([[箱根恵明学園|恵明学園]]旧校舎跡地前)→(芦の湯)→(国道1号最高点)→([[元箱根]])→箱根・芦ノ湖(往路ゴール)'''
* 小田原中継所から芦ノ湖までの20.8kmである<ref name="henkou93"/>。
** 第82回(2006年)からは距離が延長され、全区間で最長の23.4kmとなっていた。
** 第91回大会(2015年)で区間距離は23.2kmに変更された。これは2014年2月7日をもって従来の通過点となっていた函嶺洞門迂回する「函嶺洞門バイパス」の開通に伴い通行禁止となり、第91回大会(2015年)からバイパスへとコースが変更となっされたためであり<ref name="doumon1">{{Cite web|和書|url=http://www.kgrr.org/event/2014/kgrr/91-hakone/91hakone_kirokunotoriatukai.pdf|title=東京箱根間往復大学駅伝競走における競走路一部変更に伴う記録の取り扱いについて|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2014-07-28}}</ref>、約20メートル20m延長された<ref name="hochi20140728">[{{Cite web|和書|url=http://www.hochi.co.jp/event/sports/20140728-OHT1T50194.html |title=【箱根駅伝】名物の5区山上りコース2020メートル延長!歴代記録は「参考」扱いに : 事業 : |work=スポーツ報知]|publisher=報知新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150102084422/http://www.hochi.co.jp/event/sports/20140728-OHT1T50194.html|archivedate=2015-01-02|accessdate=2017-12-23}}</ref>。これに伴い第90回大会以前の記録は参考記録となった<ref name="kyorihenkou"/><ref name="doumon1"/>。コース変更と合わせて行った距離の再計測により、距離表示ではそれまでより200メートル200m短くなっている。
** 第93回(2017年)からは中継所が再び鈴廣前となり区間距離も20.8kmとなる<ref name="henkou93"/>。5区については第82回大会以降の区間距離延長により、走行後半に低体温症や低血糖症の症状に陥る例が多数発生するなど選手に対する負担が問題視され、また5区の総合成績に対する貢献度が大きくなりすぎているという指摘があったことから距離が再び短縮されることとなった<ref name="henkou93"/>。この区間変更に伴い第92回大会以前の記録は参考記録となった<ref name="henkou93"/>。
* 小涌園手前には[[ファイル:Tozan Kowakidani cross Ekiden Meidai.jpg|thumb|200px|小田急箱根登山鉄道線]](箱根登山電車)[[踏切では]](小涌谷踏切)があるが、選手が通過する際には車を踏切の直前で一旦停止させる措置がとられている([[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
* 俗に「山上り」と呼ばれ、標高差864mを駆け上がる非常に特異な区間である。小田原中継所から[[箱根湯本駅]]前までの約3kmは若干の上り勾配はあるものの、比較的平坦ではあるがゆえに、序盤の平坦な区間では力を温存し、箱根湯本駅前から始まる本格的な上り坂でいかに力を発揮できるかがポイントとなる。相当な脚力とスタミナが要求され、コース適性が最も必要とされる。その為スペシャリストが担当することが多く、「4年連続同一区間走行選手数」が全区間中最多(37人<!--100回現在-->)となっている。特殊な区間ゆえに個人成績で大差が付きやすく、4区終了までについた数分の大差を5区のみで挽回する大逆転も頻繁に発生する。シード制が導入された第33回以降、5区で区間賞を取った大学がシード権を逃したのは、参考記録扱いで個人記録のみ有効であった第80回(2004年)の日本学連選抜を除けば、第39回、第41回、第60回、第77回、第92回のわずか5例しかない。ことに第82回(2006年)の距離延長後は5区での成績如何により往路優勝が決しており、第82回から第92回(2016年)までのうち、5区で区間賞を取った大学が往路優勝できなかったことは第92回の日本大学のみであった(この年の往路優勝・青山学院大学の神野大地は区間2位)。山上りが注目される区間ではあるが、反対に最高点を過ぎた残り4kmの下りが勝負という言われ方もされる。事実、上りと下りでは使用する筋肉が異なるので向き不向きがあり、いきなり筋肉にかかる負荷が極端に変わることから、寒さも災いして中には下りで痙攣を起こして立ち止まる選手もいる。
* 小涌園手前には[[箱根登山鉄道鉄道線]]の[[踏切]](小涌谷踏切)があるが、[[箱根登山鉄道]]の協力を得て選手が通過する際には列車を踏切の直前で一旦停止させる措置がとられている([[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
* 5区は非常に気温の低い山中を走る。平地とは温度差があるため5区を走る選手の中には[[タンクトップ]]ではなく、袖のあるユニフォームやアームウォーマーを着用することが少なからずある。
* 俗に「'''山上り'''」と呼ばれ、標高差864mを駆け上がる非常に特異な区間である。小田原中継所から[[箱根湯本駅]]前までの約3kmは若干の上り勾配はあるものの、比較的平坦ではあるがゆえに、序盤の平坦な区間では力を温存し、[[箱根湯本駅]]前から始まる本格的な上り坂でいかに力を発揮できるかがポイントとなる。相当な脚力とスタミナが要求され、コース適性が最も必要とされる。その為スペシャリストが担当することが多く、「4年連続同一区間走行選手数」が全区間中最多(37人<!--93回現在-->)となっている。特殊な区間ゆえに個人成績で大差が付きやすく、4区終了までについた数分の大差を5区のみで挽回する大逆転も頻繁に発生し、ことに第82回(2006年)の距離延長後は5区での成績如何により往路優勝が決しており、第82回以降5区で区間賞を取った大学が往路優勝できなかったことは第92回(2016年)の日本大学までなかった(この年の往路優勝・青山学院大学の神野大地は区間2位)。また、距離延長前も5区の重要性が非常に高く、シード制が導入された第33回以降、5区で区間賞を取った大学がシード権を逃したのは、参考記録扱いで個人記録のみ有効であった第80回(2004年)の日本学連選抜を除けば、第39回、第41回、第60回、第77回、第92回のわずか5例しかない。山上りが注目される区間ではあるが、反対に最高点を過ぎた残り4kmの下りが勝負という言われ方もされる。事実、上りと下りでは使用する筋肉が異なるので向き不向きがあり、また、いきなり筋肉にかかる負荷が極端に変わることから、寒さも災いして中には下りで痙攣を起こして立ち止まる選手もいる。
* 第80回(2004年)の金栗四三杯創設以来、5区で区間賞を取った選手が同賞を10回(第80~83回、第85~86回、第88~89回、第91回、第100回)受賞している。この区間で圧倒的な実力を示した選手([[今井正人]]、[[柏原竜二]]、[[神野大地]]など)に対しては「[[#山の神|山の神]]」など、「山の○○」という異名が付けられることがある。
* 5区および6区は非常に気温の低い山中を走る。平地とは温度差があるため5・6区を走る選手の中には[[タンクトップ]]ではなく、袖のあるユニフォームやアームウォーマーを着用することが少なからずある。
* 第80回(2004年)の金栗四三杯創設以来、5区で区間賞を取った選手が同賞を14回中9回(第84回、第87回、第90回、第92回、第93回以外)受賞している。また、この区間で圧倒的な実力を示した選手に対しては「'''山の神'''」([[今井正人]]や[[柏原竜二]]など)という異名が付けられることがある。
{{See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#5区]]を}}
 
<gallery>
{{Main2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#5区]]を}}
ファイル:Tozan Kowakidani cross Ekiden Meidai.jpg|箱根登山電車の踏切では、選手が通過する際には電車を停止させる
ファイル:箱根駅伝ミュージアム前.jpg|往路ゴールおよび復路起点の[[芦ノ湖]]駐車場入口
</gallery>
 
=== 復路(1月3日) ===
''' 箱根・芦ノ湖→東京・大手町 5区間/109.6km<ref name="kyorihenkou"/>'''
==== 6区(20.8km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(6区)
|-
![[秋山清仁野村昭夢]]<br />(日本体育青山学院大学4年)
|-
!58560147
|-
!第93101(2017(2025年)
|}
'''箱根・芦ノ湖(復路スタート)→国道1号→(芦之湯)→(恵明学園旧校舎跡地前)→(小涌園前)→(宮ノ下温泉郷)→(大平台)→()<br>→(塔ノ沢温泉郷)→(函嶺洞門バイパス<ref name="doumon1"/>)→(箱根湯本駅前)→小田原中継所'''
* 芦ノ湖から小田原中継所までの20.8kmである<ref name="kyorihenkou"/>。
** 2014年2月7日をもって従来の通過点となっていた函嶺洞門が通行禁止となり、第91回大会(2015年)から函嶺洞門バイパスへとコースが変更となり<ref name="doumon1" />、約20メートル20m延長された<ref name="hochi20140728" />。これに伴い第90回大会以前の6区の記録は参考記録となった<ref name="kyorihenkou" /><ref name="doumon1" />。
* 復路は、往路のゴール地点である芦ノ湖から復路は出発する(復路のスタート方法については[[#復路のスタート]]を参照)。
* 俗に'''山下り'''」区間と呼ばれ、下りでの平均速度は時速25kmに達し、この高速で半径の小さなカーブを多く回るため、ひざに大きな負担がかかる。箱根湯本駅前過ぎからの残り3kmのほぼ平坦な道(若干の下り勾配はある)は選手にとって上り坂に感じると言われ、ここから1分以上の差をけられることもある。このような事情から、5区の距離延長と同時に6区の距離短縮も検討されたが、中継所の問題等から見送られた。
* 膝に大きな負担がかかることもあり5区と同様、スペシャリストが担当することが多い。実際、「4年連続同一区間走行選手数」が5区に次いで多く(33(35人<!--93100回現在-->)、復路中最多。3番目である2区はこの半数以下となっており、山の上り下りという特殊性が現れている。
* 朝8時台に高地からスタートというする事もあって氷点下まで気温が下がることが多く、山中では降雪することも珍しくない。体温低下を防ぐために長袖シャツのユニフォームを着用、またはTシャツにアームウォーマーを併用して体温調節をする選手がほとんどとなである。
* 前日の夜の気象状況によっては路面が凍結して滑りやすくなることもある。その影響により、下り坂の途中で選手が転倒するケースも見られる。
* 小田急箱根登山鉄道線(箱根登山電車)の小涌谷踏切では、往路と同様に選手が通過する際には職員が列車を踏切の直前で一旦停止させる措置がとられている([[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
* この区間は片側1車線しかなく平均速度が時速25kmに達することもあり、運営管理車の伴走が困難な事から、箱根町役場駐車場に設けられた基地に待機し、箱根湯本駅付近でコースに合流する。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#6区]]を}}
 
==== 7区(21.3km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(7区)
|-
![[設楽悠太佐藤圭汰]]<br />(東洋駒澤大学23年)
|-
!1時間02003243
|-
!第88101(2012(2025年)
|}
'''小田原中継所→(小田原市民会館前)→(二宮)→(大磯)→(国道134号)→平塚中継所'''
* 小田原中継所から平塚中継所までの21.3kmである<ref name="kyorihenkou"/>。
* 往路(4区)では序盤、平塚中継所通過後直進し、海沿いのコースを通るに対し、復路(7区)は終盤、大磯駅入口交差点通過後に陸寄りのコースを通るため、4区よりも若干距離が長い。
* 10区間中最も走りやすい区間といわれるが、前半に9km以降は小刻みなアップダウンがある。また、当初は山から吹き降ろす冷気で冷え込むが、太陽が高くなるにつれて気温も上がるため、最も気温差が激しい区間となっている<ref>[http {{Cite web|和書|title= 第86回箱根駅伝コースマップ |url= https://www.ntv.co.jp/hakone/86/coursemap/index.html 第86回箱根駅伝コースマップ] - 日本テレビ</ref>。そのため、山から海に出る際の大幅な気温の変動に注意したい。かつては、いわゆる「つなぎ区間」として、10人の中でもさほど走力が高くない選手を置くケースが多かったが、近年、優勝争いをする大学にとっては、7区にいかに力のある選手を置けるかが鍵となっている。
|website=日本テレビ|accessdate=2010-01-01|archiveurl= https://web.archive.org/web/20100101074550/https://www.ntv.co.jp/hakone/86/coursemap/index.html |archivedate=2010-01-01}}</ref>。かつては、いわゆる「つなぎ区間」として、10人の中でもさほど走力が高くない選手を置くケースが多かったが、2010年代以降は「復路の2区」として位置付けられるようになり、優勝争いをする大学にとって、7区にいかに力のある選手を置けるかが鍵となっている。
* また、比較的平坦で走りやすいコースであることから、[[小林雅幸]](早稲田大学)、[[阿部弘輝]](明治大学)、[[葛西潤]](創価大学)、佐藤圭汰(駒澤大学)などコンディションが万全ではないエース級の選手が起用される例も見られる。
* 二宮定点における[[フリーザ]]の集団は名物と化しており、たびたびメディアで取り上げられている<ref> {{Cite web|和書|title= フリーザ軍団、2023年は二宮で沿道応援を再開するか…メンバーからは「再結成」願う声 |url= https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20221221-OYT1T50186/
|website=読売新聞 |date=2022-12-27 |accessdate=2024-01-02}}</ref><ref name="makimodoshi"/>。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#7区]]を}}
 
==== 8区(21.4km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(8区)
|-
![[古田哲弘小松陽平]]<br />(山梨学院東海大学13年)
|-
!1時間04030549
|-
!第7395(1997(2019年)
|}
'''[[平塚市|平塚]]中継所→([[湘南大橋]])→([[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]])→(浜須賀交差点)→[[神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線|湘南新道]]→([[藤沢市|藤沢]])→[[国道1号]]→()→(遊行寺坂)→[[戸塚区|戸塚]]中継所'''
* 平塚中継所から戸塚中継所までの21.4kmである<ref name="kyorihenkou"/>(第90回までは21.5kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 前半はフラットで走りやすいが、藤沢を越えると通称「[[清浄光寺|遊行寺]]の坂」が待ち構えるタフなコース。ここでどれだけ力のあるランナーを置けるかが逆転・シード権獲得への鍵となる。
* この区間では、日差しが強いと遊行寺坂付近で脱水症状を起こしやすい。後半のアクシデントに泣いて優勝を逃す、最悪[[棄権]]で涙を飲んだチームもある。ここでブレーキを起こすと後の2区間に大きな影響を及ぼすこともあるため、体調管理も重要な区間といえる。
* この区間は当日のエントリー変更が多く、3分の2近くが入れ替わることもある。第98回で区間賞を獲得した順天堂大学・津田将希など5区の経験者が配置<ref>{{Cite web|和書|title=【箱根駅伝】順大8区津田将希「菅田将暉」ばり存在感で区間賞 トレンドも - 陸上 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202201030000164.html |website=nikkansports.com |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref> されたり、法政大学・[[青木涼真]]のように8区を走った選手が翌年以降5区に配置される事もある<ref>{{Cite web|和書|title=陸上・駅伝 - 人生も5区も直感信じて 法政・青木涼真(下) {{!}} 4years. #大学スポーツ |url=https://4years.asahi.com/amp/article/12093201 |website=4years |accessdate=2022-02-21 |language=ja}}</ref>。
* この区間は当日のエントリー変更が多く、3分の2近くが入れ替わることもある。
* 遊行寺坂における「○_○」と描かれた旗が名物と化しており、たびたびメディアで取り上げられている<ref name="makimodoshi"> {{Cite web|和書|title= 【箱根駅伝】遊行寺付近で出現の「○_○」旗の意味は?「ロボットパルタみたい」疑問の声あがる |url= https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202401030000263.html |website=日刊スポーツ |date=2024-01-03 |accessdate=2024-01-03}}</ref>。なお、「○_○」は[[カセットテープ]]の[[録音録画再生機器のボタン#早戻しボタン|巻き戻し]]を表現しており、「(順位を)巻き返せ」という願いが込められている。
* 区間記録は現在のコースで最も古く、唯一2000年代より前に出されたものである。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#8区]]を}}
 
<gallery>
ファイル:Yugyouji saka.jpg|遊行寺坂
</gallery>
 
==== 9区(23.1km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(9区)
|-
![[篠藤淳中村唯翔]]<br />(中央青山学院大学43年)
|-
!1時間08070115
|-
!第8498(2008(2022年)
|}
'''戸塚中継所→(権太坂)→(横浜駅前)→国道15号→鶴見中継所'''
* 戸塚中継所から鶴見中継所までの23.1kmである<ref name="kyorihenkou"/>(第90回までは23.2kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 「'''復路のエース区間'''」、往路2区の「花の2区」に対して「松の9区」とも言われる。各校のキャプテンないし準エースクラスが集うことが多い。前半は権太坂等の下り主体、後半の保土ヶ谷駅以降はほぼ平坦なレイアウトだが、長い区間なのできっちりとしたペース配分が必要。
* 交通の便の良さが手伝ってか、例年横浜駅前には大勢の駅伝ファンが押し寄せる。
* 復路の鶴見中継所は全中継所中最も繰り上げスタートが発生しやすく、さらには手前が他の中継所と異なり引き込みへの側道入口からリレーゾーンまで数百メートル約160mの直線があ区間となっている。このため、9区のランナーの目の前で10区のランナーが繰り上げスタートしてしまい、タスキをつなぐことができず涙する光景がいくど幾度も見られる。
* この区間での成績が総合成績に大きく影響する。事実、この区間は逆転が非常に多く、近年では第75回(1999年)の順天堂大学、第79回(2003年)と第84回(2008年)の駒澤大学、第82回(2006年)の亜細亜大学が、いずれも9区での逆転に成功し、総合優勝を成し遂げている。
* '''花の2区'''に対し'''松の9区'''と呼ばれることもある。
 
{{Main2See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#9区]]を}}
 
==== 10区(23.0km) ====
{| class="wikitable" style="float:right"
|-
!区間記録保持者(10区)
|-
![[松瀬元太中倉啓敦]]<br />(順天堂青山学院大学43年)
|-
!1時間08075950
|-
!第8398(2007(2022年)
|}
'''鶴見中継所→(六郷橋)→(蒲田(京急蒲田駅))→(大森)→(大井)→(新八ツ山橋)→(品川駅前)→(田町)<br>→([[日比谷通り]]([[都道409号]]))→([[鍛冶橋通り]])→([[中央通り (東京都)|中央通り]])→(日本橋北詰交差点)→東京・大手町 読売新聞ビル<ref name="yomiuri" group="注"/> 前(南側)(復路ゴール)'''
[[ファイル:Keikyuu kamata station 1.jpg|thumb|175px|京急蒲田(空)第一踏切(現在は撤去済)]]
'''鶴見中継所→(六郷橋)→(蒲田(京急蒲田駅))→(大森)→(大井)→(新八ツ山橋)→(品川駅前)→(田町)→(都道409号)→(国道1号)→(日本橋)→東京・大手町 読売新聞東京本社ビル<ref name="yomiuri" group="注"/>前(復路ゴール)'''
* 鶴見中継所から東京大手町までの23.0kmである<ref name="kyorihenkou"/>(第90回までは23.1kmとされていたが2014年の再計測で距離表示を変更)<ref name="kyorihenkou"/>。
* 1区とは異なり馬場先門から日本橋を経由するルートとなっている。日本橋経由のコースになったのは第75回(1999年)からで、その際に区間距離が1.7km延びている。六郷橋と新八ツ山橋付近のアップダウンを除きコース全体はほとんどフラットだが、時折[[ビル風]]が選手を襲うこともある。
* 最終区間である上に沿道の観衆も増える事からプレッシャーが一層掛かる区間。第75回(1999年)以降、距離の延長に伴って各チームとも準エースクラスを配するようになり、選手層の厚さが問われる区間になりつつある。近年では[[鎧坂哲哉]](明治大)、[[出岐雄大]](青山学院大)など、チームの絶対的エースながらコンディションが万全ではない選手がエース区間を回避して起用されるケースもある。
* 六郷橋は神奈川県と東京都の境界に位置しており、六郷橋までの[[交通規制]]・先導等は[[神奈川県警察]]が担当し、六郷橋で[[警視庁]]に交代する<ref>{{Cite web|urlname=http:"tokyo1"//www.police.pref.kanagawa.jp/pdf/f1010_01.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:神奈川県警察本部|accessdate=2013-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|urlname=http:"kanagawa1"//www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/hakone/image/89hakone_1.pdf|title=交通規制のお知らせ 第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|publisher=:警視庁|accessdate=2013-01-01}}</ref>。
* 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在していたが、現在は京急線の高架化に伴い、撤去されている(変遷等については[[#概要と走行方法]]の鉄道踏切におけるルールを参照)。
* [[第87回東京箱根間往復大学駅伝競走|第87回]]で[[寺田夏生]](國學院大學)がラストスパートをかけ、テレビ中継車を追って誤って右折してしまった[[都道402号]](大名小路)の交差点は、駅伝ファンに「寺田交差点」の俗称で知られている<ref>{{Cite web|和書|title=箱根駅伝の珍事、大胆にコースを間違った「寺田交差点」はなぜ生まれたのか!?|url=https://www.huffingtonpost.jp/yuki-kaminuma/hakone-terada_b_13890706.html|website=ハフポスト|date=2016-12-31|accessdate=2022-01-14|language=ja}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=“寺田交差点”がトレンド入り あわや逸走に法大アンカー川上は「コースをあまり覚えていなかった」と冷や汗|url=https://hochi.news/articles/20220103-OHT1T51082.html|website=スポーツ報知|date=2022-01-03|accessdate=2022-01-14|language=ja}}</ref>。この交差点では[[第98回東京箱根間往復大学駅伝競走|第98回]](2022年)でも川上有生(法政大学)が誤って中継車を追ってしまうハプニングがあった<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|title=「そっちではない!」法大、ゴール前のハプニングに中継思わず…「寺田交差点」ワードも急上昇【箱根駅伝】:中日スポーツ・東京中日スポーツ|url=https://www.chunichi.co.jp/article/394437|website=中日スポーツ・東京中日スポーツ|accessdate=2022-01-14|language=ja}}</ref>。この交差点には名称はなかったが「寺田交差点」は駅伝マニア集団「EKIDEN News」の西本武司が命名したとされ、[[Google マップ]]においても「寺田交差点」と表示される<ref>{{Cite web|和書|title=10区の名所「寺田交差点」で起きた“新たな事件”――箱根駅伝2022「忘れられない名場面」復路編|url=https://bunshun.jp/articles/-/51239?page=5|website=文春オンライン|accessdate=2022-01-14|first=EKIDEN|last=News}}</ref>。[[第99回東京箱根間往復大学駅伝競走|第99回]](2023年)以降は誘導員を増やす、パイロンを置く、選手が真っ直ぐ進むまで車を止めることで誤進入しないように予防措置がとられるようになった<ref>{{Cite news |title=【箱根駅伝】今年は“寺田交差点”の事故ナシ 対策強化で「ガチガチ封鎖は笑った」「ナイスケア」の声も |newspaper=スポーツニッポン |date=2023-01-03 |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2023/01/03/kiji/20230103s00063000348000c.html |access-date=2025-01-09 }}</ref><ref>{{Cite news |title=【箱根駅伝】今年も「寺田交差点」に注目集まる「間違えるなよ!」「曲がっちゃダメだよ」「ソワソワする」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2024-01-03 |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/01/03/kiji/20240103s00063000257000c.html |access-date=2025-01-09 }}</ref><ref>{{Cite news |title=【箱根駅伝10区】シード争い4校で寺田交差点「再来…なるのか?」視聴者ハラハラも 今年は無事ゴールへ |newspaper=スポーツニッポン |date=2025-01-03 |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2025/01/03/kiji/20250103s00063000140000c.html |access-date=2025-01-09 }}</ref>。
{{Main2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#10区]]を}}
{{See2|区間賞については[[箱根駅伝の記録一覧#10区]]を}}
 
<!--中継点の画像です-->
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ファイル:Keikyuu kamata station 1.jpg|京急蒲田(空)第一踏切(現在は撤去済)
ファイル:The Yomiuri Shimbun Holdings new head office.JPG|往路起点および復路ゴールの、読売新聞東京本社ビル前
ファイル:r134tougaharaYomiuri Shimbun Tokyo Headquarters Building 2.jpg|4区・8区往路起点および復路ゴール唐ヶ原交差点読売新聞ビル
ファイル:suzuhiro.jpg|5区・7区起点の鈴廣前
ファイル:箱根駅伝ミュージアム前.jpg|往路ゴールおよび復路起点の、箱根駅伝ミュージアム横
ファイル:meganesuperhonsha.jpg|第82回から第92回までの5区起点だったメガネスーパー本社前
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== 競技方法・ルール ==
東京箱根間往復大学駅伝競走競技実施開催要項<ref name="99youkou">{{Cite web|和書|url=https://www.kgrr.org/files/competition/106/10/101hakone_yoko1119.pdf|title=第101回東京箱根間往復大学駅伝 開催要項 |publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2025-01-03}}</ref>並びに東京箱根間往復大学駅伝に関する内規第5章「競技細則」第15条 - 第21条に基づいて行われる<ref name="89youkou"/>
=== 概要と走行方法 ===
* 各競技者とも走行は1区間に限られる(内規第15条第2項)<ref name="naiki"/>。

競技者は競技中に理由の如何を問わずいかなる人の手助けを受けても失格となるとされているが、大会医務員が触診のために競技者の身体にふれても手助けとはならない(内規第15条第4項)<ref name="naiki"/>。

当然ながら禁止薬物の使用は厳禁とされており(内規第15条第5項)<ref name="naiki"/>、大会の要項にはドーピング検査等に関する規定がある<ref name="89youkou99youkou"/>。
 
* 1区と6区を除く往路と復路の各区間において給水が実施されるが、給水場所の選定や実施方法については駅伝対策委員会で設定される(内規第15条第6項)<ref name="naiki"/>。各区間の給水場所(給水ポイント)は、近年チーム間で給水の必要性が議論されて設けられたものである。ただし[[マラソン]]などで行われる給水とは異なり、テーブルに置かれたボトルなどを取るのではなく、各チームの部員あるいは各チームが許可した大学関係者が伴走しながら渡す。給水要項<ref>[http://www.kgrr.org/event/2016/kgrr/93hakone_ekiden/93kyuusui.pdf 第93回東京箱根間往復大学駅伝競走 給水要領]</ref>によると主催者が用意する水・スポーツドリンクを使用することとしており、競技者はいずれかもしくは両方を飲むことができる。ボトルは協賛しているサッポロビールのものが使用されている(使用された水の変例:ヴィッテル→ヴァットヴィレール→富士山麓のきれいな水)。この他に監督の任意で認められていた2回までの給水は給水方法が道路交通法に抵触するおそれがあるため2015年の第91回大会から禁止された。
1区と6区を除く各区間において給水が実施されるが、給水場所の選定や実施方法については駅伝対策委員会で設定される(内規第15条第6項および給水要領)<ref name="water">{{Cite web|和書|url=https://www.kgrr.org/files/competition/106/20/101hakone%20water%20supply.pdf|title=第101回東京箱根間往復大学駅伝競走 給水要領|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2025-01-03}}</ref>。各区間の給水場所(給水ポイント)は、近年チーム間で給水の必要性が議論されて設けられたものである。ただし[[マラソン]]などで行われる給水とは異なり、テーブルに置かれたボトルなどを取るのではなく、各チームの部員あるいは各チームが許可した大学関係者が伴走しながら渡す。給水にあたっては主催者が用意する水、および指定ボトルに入れた飲料を使用することとしており、競技者はどちらかもしくは両方を飲むことができる<ref>{{Cite web |title=箱根路のドラマも生む給水ルールには今大会から変更点も…給水ができない2つの区間はどこか |url=https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20241204-OYT1T50061/ |website=読売新聞オンライン |date=2024-12-17 |access-date=2025-01-03 |language=ja}}</ref>。飲料は、主催者側が用意したスポーツドリンクか各校で用意した飲料のどちらかの選択が可能でボトルは協賛している[[ポッカサッポロフード&ビバレッジ]]のものが使用されている(ヴィッテル→ヴァットヴィレール→富士山麓のきれいな水)。以前は監督による直接の給水が2回まで認められていたが、給水方法が道路交通法に抵触するおそれがあるため2015年の第91回大会から禁止された。
* 鉄道踏切における遮断閉鎖は不可抗力ではあるが、審判員が計時を行い、その間のロスタイムは競技者の所要時間に含まれないこととなる(内規第15条第7項)<ref name="naiki"/>。実際には近年は鉄道会社の配慮によって電車の一旦停止やダイヤ調整が行われている。2012年の京急蒲田第一踏切の高架化によって第89回(2013年)以降に競走路上に存在している踏切は箱根登山鉄道の小涌谷踏切のみとなった。
 
** 東海道踏切(JR[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]・[[横須賀線]]。通称・[[戸塚駅|戸塚大踏切]]。現在は廃止) - かつては戸塚中継所の近くにある東海道線・横須賀線の東海道踏切(戸塚大踏切)を通るコースが設定されたが、[[開かずの踏切]]だったため、状況によっては長時間の立ち往生を余儀なくされた<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)pp.165-166.</ref>。当時は踏切での足止めによるタイムロスが計算されず、業を煮やした選手が踏切上で立往生した貨物列車のすき間をかいくぐったり、列車が来ない合間を見計らって踏切を突破したりすることもあった。第20回(1939年)では、先行する[[専修大学]]を猛追していた[[日本大学]]が、ここでの足止めが元で優勝を逃したというケースもあり、このタイムロスを味わった選手は「あの時以来横須賀線には乗らない」と振り返っている。しかし、[[1953年]]、当時首相の座にあった[[吉田茂]]が大磯の私邸から上京する際にこの区間が渋滞することに激怒し、バイパスが造られ、これによって箱根駅伝のコースもバイパス側に再設定されたため結果として踏切遮断による足止めが解消されることとなった<ref name="KAJIMAdigest">[http://www.kajima.co.jp/news/digest/may_2009/site/index-j.htm KAJIMAダイジェスト] - 鹿島、2013年1月5日閲覧</ref>(バイパスについては[[戸塚道路]]も参照)。なお、戸塚大踏切については[[2015年]][[3月25日]]に[[アンダーパス]]が開通したことに伴い、廃止された<ref>[https://www.kanaloco.jp/article/83077/cms_id/122266 戸塚大踏切 アンダーパスは3月25日開通](神奈川新聞・カナロコ)</ref>。
鉄道踏切における遮断閉鎖でタイムロスが発生した場合は、審判員が計時を行い、集計時に差し引かれる(内規第15条第7項)<ref name="naiki"/>。実際には近年は鉄道会社の配慮によって電車の一旦停止やダイヤ調整が行われ、ランナー優先の運行がなされている。コース内に存在した踏切は以下の3か所。
** 蒲田第一踏切([[京浜急行電鉄]][[京急空港線|空港線]]。現在は廃止) - 第88回(2012年)まではコース上(往路1区・復路10区)には京急空港線の[[京急蒲田駅]]に隣接する京急蒲田(空)第一踏切があり、ランナーの通過が予想される時刻を対象に[[京急本線]]・[[京急空港線|空港線]]と、同路線に直通運転する[[都営地下鉄]][[都営地下鉄浅草線|浅草線]]・[[京成電鉄]][[京成押上線|押上線]]・[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]・[[北総鉄道]][[北総鉄道北総線|北総線]]で臨時ダイヤを組むなどして電車の行き先を変更していた。2007年の第83回から、列車の発車は京急社員の[[日本の鉄道信号#手信号|代用手信号]]によって許可されるなどの措置が取られていた<ref group="注">[[京急空港線]]内は線内折り返しの普通列車のみ運行されるが、列車の通過にある程度の時間確保が必要なため(片方通過で約1分半、両方通過で約3分)、鶴見中継所と[[雑色駅]]付近に京急の社員を配備し、その情報とテレビ中継を基に踏切付近に設置した特設本部で列車の運行と踏切閉鎖を判断していた。</ref>。第84回(2008年)では東海大学の選手が踏切内の線路につまづいて足を痛め、その後20km過ぎで棄権に至るというアクシデントが発生した。その後、[[2010年]][[5月16日]]、上り線が先行して高架化された為、臨時ダイヤが大幅に変更され、選手通過中は踏切を使用停止にする事が可能となった。その後、2012年10月に[[立体交差]]化事業が完成したことによって蒲田第一踏切は廃止となり第89回(2013年)以降は当該ポイントでの踏切通過はなくなった<ref>[http://www.keikyu.co.jp/company/20120717HP%E3%80%80%E9%AB%98%E6%9E%B6%E5%88%87%E6%9B%BF%E6%97%A5%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%EF%BC%88%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E7%89%88%EF%BC%89.pdf 京急蒲田駅付近の上下線が全線高架化します!] - 京浜急行電鉄、2012年7月17日、2012年7月17日閲覧。</ref>。
* 東海道踏切(JR[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]・[[横須賀線]]。通称・[[戸塚道路|戸塚大踏切]]。現在は廃止) - かつては戸塚中継所の近くにある東海道線・横須賀線の東海道踏切(戸塚大踏切)を通るコースが設定されたが、[[開かずの踏切]]だったため、状況によっては長時間の立ち往生を余儀なくされた<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)pp.165-166.</ref>。当時は踏切での足止めによるタイムロスが計算されず、業を煮やした選手が踏切上で立往生した貨物列車のすき間をかいくぐったり、列車が来ない合間を見計らって踏切を突破したりすることもあった。第20回(1939年)では、先行する[[専修大学]]を猛追していた[[日本大学]]が、ここでの足止めが元で優勝を逃したというケースもあり、このタイムロスを味わった選手は「あの時以来横須賀線には乗らない」と振り返っている。1953年にバイパスが造られ、箱根駅伝のコースもバイパス側に再設定されたため結果として踏切遮断による足止めが解消されることとなった<ref name="KAJIMAdigest">[http://www.kajima.co.jp/news/digest/may_2009/site/index-j.htm KAJIMAダイジェスト] - 鹿島、2013年1月5日閲覧</ref>(バイパスは[[戸塚道路]]も参照)。戸塚大踏切は2015年3月25日に[[アンダーパス]]が開通して廃止された<ref>{{PDFlink|1=[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000728877.pdf#page=4 渋滞対策箇所の効果確認]}} - 国土交通省関東地方整備局 p.4、2021年1月3日閲覧。</ref>。
** 小涌谷踏切([[箱根登山鉄道鉄道線]]) - [[小涌谷駅]]横のコース上(往路5区・復路6区)にあり、現在では選手が通過する時間帯に箱根登山鉄道の係員が待機し、選手通過時には電車を踏切手前で停止させる措置がとられている<ref>[http://www.hakone.or.jp/shop/kowakidanieki/index.html 箱根登山線 小涌谷駅] - 箱根町観光協会、2013年1月5日閲覧</ref>。かつては箱根山中で箱根登山鉄道の踏切に駅伝の隊列が引っかかり、やむを得ず選手を先に行かせて関係車両が後から追い掛けるハプニングもあった。最近ではバイクカメラによる中継で選手を後ろから追うことも多くなっているが、このハプニングの際には通常は選手の正面から撮影している大型の中継車が選手の後姿を放映するという、当時としては珍しい映像が放送される事態になった。第89回(2013年)以降は小涌谷踏切がコース上唯一の踏切となった。
* 蒲田第一踏切([[京急空港線]]。現在は廃止) - 第86回(2010年)までは(詳細後述)コース上(往路1区・復路10区)には京急空港線の[[京急蒲田駅]]に隣接する京急蒲田(空)第一踏切があり、ランナーの通過が予想される時刻を対象に[[京急本線]]・[[京急空港線|空港線]]と、同路線に直通運転する[[都営地下鉄浅草線]]・[[京成押上線]]・[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]・[[北総鉄道北総線]]で臨時ダイヤを組むなどして電車の行き先を変更していた。2007年の第83回から、列車の発車は京急社員の[[日本の鉄道信号#手信号|代用手信号]]によって許可されるなどの措置が取られていた<ref group="注">[[京急空港線]]内は線内折り返しの普通列車のみ運行されるが、列車の通過にある程度の時間確保が必要なため(片方通過で約1分半、両方通過で約3分)、鶴見中継所と[[雑色駅]]付近に京急の社員を配備し、その情報とテレビ中継を基に踏切付近に設置した特設本部で列車の運行と踏切閉鎖を判断していた。</ref>。第84回(2008年)では東海大学の選手が踏切内の線路につまづいて足を痛め、その後20km過ぎで棄権に至るというアクシデントが発生した。2010年5月16日に上り線が先行して高架化された為、第87回(2011年)・第88回(2012年)は臨時ダイヤで上下線共に高架上り線を走行するようになり、選手通過中は踏切を使用停止にする事が可能となったため当該ポイントでの踏切通過はなくなった。その後、2012年10月20日に下り線も[[立体交差]]化事業が完成したことによって蒲田第一踏切は完全に廃止され、臨時ダイヤでの運行も無くなった<ref>{{Cite web|和書|title=京急蒲田駅付近 連続立体交差事業について |url=https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000005947.pdf#page=2 |format=PDF |page=2 |publisher=東京都 / 大田区 / 京急電鉄 |accessdate=2018-01-03}}</ref>。
* 特殊事情によって審判員に走行を制止された場合のロスタイムも原則として競技者の所要時間に含まれないが、この場合の計時も審判員が行う(内規第15条第8項)<ref name="naiki"/>。
* 小涌谷踏切([[小田急箱根鉄道線]]〈箱根登山電車〉) - [[小涌谷駅]]横のコース上(往路5区・復路6区)にあり、現在では選手が通過する時間帯に小田急箱根の係員が待機し、選手通過時には電車を踏切手前で停止させ、発車は[[日本の鉄道信号#手信号|代用手信号]]によって許可されるなどの措置がとられている<ref> {{Cite web|和書|title= 箱根登山線 小涌谷駅 |url=http://www.hakone.or.jp/shop/kowakidanieki/index.html
|website=箱根町観光協会|accessdate=2013-01-05|archiveurl= https://archive.is/vFcBR |archivedate=2013-04-23}}</ref>。第63回(1987年)では遮断直前に隊列からランナーのみが通り抜け、関係車両や中継車が後から追いかけるというハプニングもあった。第87回(2011年)以降は小涌谷踏切がコース上唯一の踏切となった。
 
その他特殊事情によって審判員に走行を制止された場合のロスタイムも同様に集計時に差し引かれる(内規第15条第8項)<ref name="naiki"/>。
* 一例として、第77回(2001年)では、復路のスタート時のピストルによる号砲はそれまでは先頭のみだったのを改め、2位以下のチームについても鳴らすように変更されたが、ピストルに弾を詰め直す作業が間に合わなかったためか、3位の法政大学が本来の時間から25秒遅れてスタートするハプニングがあり、この年の法政大学の記録は実際の時刻から25秒差し引かれた。これを教訓として、翌年の箱根駅伝からは再び2位以下は手旗によるスタートに戻っている。
 
=== チームエントリーと区間エントリー ===
申込み(チームエントリー、区間エントリー)は関東連盟が提示する日時と場所で所定の様式によって行われ、資格審査委員会の審査によって参加資格ありと認められた大学・競技者のみ正式出場が認められる(内規第8条)<ref name="naiki"/>。
 
チームエントリーは16名以内で、区間エントリーのチーム編成は正選手10名と補欠選手6名以内である(内規第9条)<ref name="naiki"/>。ただし、留学生については、エントリー2名以内、出走1名以内に制限されている(内規第9条)<ref name="naiki"/>。現行の16人エントリーになったのは第79回(2003年)からである。第82回(2006年)までは区間エントリーの際にメンバーを16人から14人に減らす必要があったが、第83回(2007年)より区間エントリーでも16人のまま登録することができるようになった。したがって、補欠選手はそれまでの4人から6人に増えた。
 
区間エントリーは1区から10区までにエントリーされた正選手とその他の補欠選手とに大別される。そして、各選手には主催者側が用意したナンバーカードが配布される。ナンバーは1区から順に1、2…となり、補欠選手は11番から16番までとなる。ナンバーカードの記載は「(前年の順位・予選会の順位に従い大学に割り振られた番号)-(1番 - 16番)」となり、例えば前年3位の大学の6区にエントリーされた選手は「3-6」となる(第80回より。それ以前は大学ごとの番号は付されなかった)。
 
変更は正選手と補欠選手との入れ替えのみで、1日に変更できる選手は4名までとされている<ref group="注">第97回(2021年)大会より。それ以前は往路・復路合わせて最大4名であった。</ref>。区間変更は認められていない(内規第10条2項)<ref name="naiki"/>。つまり、補欠選手は当日のエントリー変更で正選手と入れ替えとしてどの区間にも入ることができるが、既に区間ごとに配置されている正選手はその区間しか走ることができない(例えば2区に補欠から選手を入れることはできるが、2区と4区の走者を変えることはできない)。通常の駅伝では補欠選手との交代には医師による診断書の提出が義務付けられているが、この大会は長時間の移動への配慮からその必要がないため、戦略的に補欠との選手交代が行われるケースが数多くあり、補欠選手は言わば[[切り札|ジョーカー]]的な意味合いを持つ。逆に区間エントリーで補欠選手と交替した選手は走ることができないため、[[偵察オーダー|当て馬]]的な要素もある。
 
=== 服装・ナンバーカード・タスキ ===
* 出場各競技者の服装(ランニング用シャツ、ランニング用パンツ、トレーニング用シャツ等)は、各チーム統一のものを使用した上で胸部と背部に大会本部指定のナンバーカードを取り付けるが、学連選抜チームについては各選手の所属校のものの着用が認められる(内規第16条第1項)<ref name="naiki"/>。テレビ中継が始まったころからPRの目的でユニフォームを変更する大学も見られた。戦前から出場している伝統校は、胸にアルファベット1文字のユニフォームが多く(早稲田大学の「W」、中央大学の「C」など)、新興校は校名を漢字で記載するケースが多い。また、特に日本テレビによる中継の生放送開始後に初出場を果たした大学は、色合いなど派手な目立つユニフォームを着の採する傾向があも見られる。
* タスキについては事前に連盟に提出された各チーム独自のタスキ2本のうちの1本を中継し、残りの1本は大会本部が保管することとなっている(内規第16条第2項)<ref name="naiki"/>。なお、繰り上げ出発のチームは、大会本部で用意する黄色と白色のストライプのタスキを使用することになるが、5区と10区については各校とも事前に本連盟に提出された各チーム独自のタスキを使用する(内規第16条第3項)<ref name="naiki"/>。繰上げのタスキの色は、早稲田大学のタスキの色に見えるという理由で、白と黄色のツートンカラーに変わった。
 
タスキは各チーム独自のタスキを3本製作し、うち1本はランナーが着用、残り2本は繰り上げ出発(後述)時に備えて大会本部が保管する(内規第16条第2項、第3項)<ref name="naiki"/>。タスキの受け渡しは、前走者が完全に所定の中継線を通過した上で、中継線の進行方向20m以内で次走者に渡して行うこととなっている(内規第18条第2項)<ref name="naiki"/>。
=== 走行不可能 ===
==== 途中棄権 ====
競技者が競技中にケガや疾病などによって走行困難となり歩行、立ち止まり、横臥などの行動に移った場合で、本人がなお競技続行の意思をもっている場合にも、運営管理車に同乗の競技運営委員、走路管理員、監督またはコーチの三者の合意によって競技を中止させることができる(内規第17条第1項)<ref name="naiki"/>。競技中止の通告は、大会の競技運営委員が当該走者に対して赤旗を挙げて示す、という手順で行われる<ref>[http://www.kgrr.org/event/2010/kgrr/87_hakone-ekiden/guideline2.pdf 東京箱根間往復大学駅伝競走競技実施要項(第87回)]</ref>。
 
=== 繰り上げ出発(繰り上げスタート) ===
競技者が走行困難となり競技中止・途中棄権となった場合、その区間の前区間までの記録は公式に認められるが、次区間からはオープン参加として繰り上げ出発し以後走行そのものは許されるが記録は公式に認められない(内規第17条第2項)<ref name="naiki"/><!--個人・チームとも-->。
各中継所において、先頭チームかの通過から一定時刻を過ぎても到着しないチームがある場合は、交通規制を長引かせないために、前走者が到着しなくても次の走者を出発させる(内規第19条)<ref name="naiki"/><ref> {{Cite web|和書|title=日本大学 駅伝ホームページ|url=http://www.nichidai-ekiden.jp/hakone/index.html|accessdate=2005-12-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20051230072719/http://www.nichidai-ekiden.jp/hakone/index.html|archivedate=2005-12-30}}</ref>。これを「繰り上げ出発」という<ref name="naiki"/>(報道などでは「繰り上げスタート」と言われる)。繰り上げ対象となる時間差は、往路の鶴見・戸塚中継所については先頭走者から10分、平塚・小田原中継所については15分、復路すべての中継所については20分遅れたチームである<ref name="naiki"/><ref> {{Cite web|和書|title=日本大学 駅伝ホームページ|url=http://www.nichidai-ekiden.jp/hakone/index.html|accessdate=2005-12-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20051230072719/http://www.nichidai-ekiden.jp/hakone/index.html|archivedate=2005-12-30}}</ref>。これを「繰り上げ出発」という<ref name="naiki"/>(報道などでは「繰り上げスタート」と言われる)。また、復路スタート時も、往路成績に基づいて時差スタートするが、10分以上遅いチームは、先頭スタートから10分後に一斉スタートする(報道では「復路一斉スタート」「繰り上げ一斉スタート」などと呼ばれる)。
 
これらの繰り上げスタートになったチームの成績には、繰り上げ分の時間を後で足すことになるため、実際の走行順番と集計後の順位が異なることになる。
大会史上、計11大会で延べ15チームが途中棄権している。
 
{{hidden begin
繰り上げとなるランナーは、前走者のタスキを直接受けられないため、予め用意してあるタスキを着用する。2区から4区・7区から9区では、大会本部で用意する黄色と白色のストライプのタスキを使用することになる<ref name="naiki"/><ref group="注">長年茶色のものを用いていたが、テレビ放送開始後は早稲田大学の臙脂色のタスキと間違えやすいことから、第68回(1992年)より現行のものに変更された</ref>。5区と10区は、往路・復路の最終区間であることから、上述の、予め提出してある同じデザインのタスキを着用する。そのため、(6区を除き)繰り上げになる場合、1本のタスキが全区間つながらなかったことになるため、日本テレビの放送では「無念の繰り上げ」という表現も使われる。
|title = 過去の各大会での途中棄権・各区での途中棄権
 
|titlestyle = background:lightgrey;}}
=== 途中棄権 ===
競技者が競技中にケガや疾病などによって走行困難となり歩行、立ち止まり、横臥などの行動に移った場合は、本人が競技続行の意思をもっている場合であっても、運営管理車に同乗の競技運営委員、走路管理員、監督またはコーチの三者の合意によって競技を中止させることができる(内規第17条第1項)<ref name="naiki"/>。競技中止の通告は、大会の競技運営委員が当該走者に対して赤旗を挙げて示す、という手順で行われる<ref> {{Cite web|和書|title=東京箱根間往復大学駅伝競走競技実施要項(第87回)|url=http://www.kgrr.org/event/2010/kgrr/87_hakone-ekiden/guideline2.pdf|accessdate=2011-01-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110102163752/http://www.kgrr.org/event/2010/kgrr/87_hakone-ekiden/guideline2.pdf|archivedate=2011-01-02}}</ref>。
 
第101回までに15事例あり。
:{|
|- style="vertical-align:top;"
|
{| class="wikitable" style="font-size:small;white-space:nowrap;"
|+ 途中棄権した学校
598 ⟶ 666行目:
|-
! 第52回(1976年)
| 青山学院大学(10区/脱水症状にる痙攣)
|-
! 第71回(1995年)
610 ⟶ 678行目:
|-
! 第78回(2002年)
| 法政大学(2区/右足アキレス腱損傷および脹脛肉離れ)
|-
! 第84回(2008年)
| 順天堂大学(5区/脱水症状に低血糖症痙攣)=大学として2度目<br />大東文化大学(9区/脱水症状に痙攣低血糖症)<br />東海大学(10区/[[京急蒲駅]]踏切での右足首捻挫にる靱帯損傷)=大学として2度目
|-
! 第85回(2009年)
| 城西大学(8区/低血糖症にる痙攣)
|-
! 第89回(2013年)
624 ⟶ 692行目:
| 山梨学院大学(2区/右足腓骨疲労骨折)=大学として2度目
|}
|
{| class="wikitable" style="text-align:left;font-size:small;white-space:nowrap;"
|+区間別の棄権回数
|-
!区間
!件数
!発生回次
|-
!1区
| {{0}}{{0}}0
| {{0}}{{0}} -
|-
!2区
| {{0}}{{0}}3
|第77回<br />第78回<br />第90回
|-
!3区
| {{0}}{{0}}1
|第25回
|-
!4区
| {{0}}{{0}}2
|第72回(2校)
|-
!5区
| {{0}}{{0}}3
|第84回<br />第89回(2校)
|-
!6区
| {{0}}{{0}}0
| {{0}}{{0}} -
|-
!7区
| {{0}}{{0}}0
| {{0}}{{0}} -
|-
!8区
| {{0}}{{0}}1
|第85回
|-
!9区
| {{0}}{{0}}2
|第34回<br />第84回
|-
!10区
| {{0}}{{0}}3
|第52回<br />第71回<br />第84回
|}
|}
{{hidden end}}
{{clear}}
* 途中棄権は1970年代までの50回以上行われた大会の中で3件しか発生していなかった。しかし第71回(1995年)に19年ぶりの途中棄権が順天堂大によりなされて以降、第90回までの20年間で延べ12件の途中棄権が発生している。この20年の間には同一大会での複数校による途中棄権も3度発生している。
* 同一大会での途中棄権校の数が最も多かったのは3校が棄権した第84回(順天堂大、大東文化大、東海大)である。また第72回(神奈川大、山梨学院大)、第89回(城西大、中央大)では2校が棄権している。
* 同一大会の同一区間での複数校による途中棄権は、これまでに第72回(4区、神奈川大と山梨学院大)、第89回(5区、城西大と中央大)の2度生じている。
* 過去2度の途中棄権をしている大学は、順天堂大(第71回、第84回)、東海大(第77回、第84回)、城西大(第85回、第89回)、山梨学院大(第72回、第90回)の4校である。
* これまでの計11大会で発生している途中棄権のうち、第71回以降では2年続けて途中棄権が発生するケースが4度生じている(第71回と第72回<small>(2校)</small>、第77回と第78回、第84回<small>(3校)</small>と第85回、第89回<small>(2校)</small>と第90回)。
* 早い段階での途中棄権については、第77回では東海大が、翌年の第78回では法政大が、第90回大会では山梨学院大が、それぞれ第2区で途中棄権している。最も短い距離での棄権は2区7.2km過ぎ地点での棄権となった第78回の法政大である。
* ゴール間近での途中棄権については、往路では第84回の順天堂大が5区の芦ノ湖ゴールまで残り500mの地点で棄権している。復路では第52回の青山学院大が10区のゴールまで残り150mの地点で棄権している。
* 前年優勝校による途中棄権は、これまで2度生じている。第72回の山梨学院大、第84回の順天堂大である。
* これまで途中棄権が最も多い区間は、過去3チームが棄権している2区、5区及び10区である。一方、まだ途中棄権が発生していないのは1区、6区及び7区である。
* 途中棄権した大学は以降の区間でオープン参加の扱いとなるが、棄権した以降の区間で参考記録ではあるが区間1位の公式記録を上回るタイムを記録したケースが2度生じている。第85回9区での城西大(復路8区で棄権)、第89回8区での中央大(往路5区で棄権)であるが、いずれの場合も参考記録扱いのため区間賞とはならなかった。ただし、かつては個人記録および一部のチーム記録(往路で途中棄権した場合は復路のチーム記録のみ)が公認されたことがある。第72回の7区と9区の神奈川大(往路4区で棄権)、10区の山梨学院大(往路4区で棄権)が途中棄権した以降の区間で区間賞を獲得している。
* 5区、10区以外で途中棄権した場合、次の区間のスタート時間は大会規定により繰り上げスタートと同様の扱いとなっているが、交通事情を考慮し、審判主任の裁定によりそのスタート時間を早める場合もある。第72回の4区で神奈川大と山梨学院大が途中棄権した際は、本来は小田原中継所を1位で通過した早稲田大から20分差でスタートとなるが、交通渋滞を考慮して、最下位(13位)の東洋大が1位から10分03秒後に襷リレーを行った1分後に両校が一斉スタートとなった。第78回の2区で法政大学が途中棄権した際は、本来は戸塚中継所を1位で通過した山梨学院大から10分差でスタートとなるが、最下位(14位)の東海大が1位から4分00秒後に襷リレーを行ったと同時にスタートとなった。
* 棄権には至らないものの故障や体調不良によるブレーキの事例が例年生じている。チーム競技である駅伝の特性上、体調を崩したり故障箇所を抱えている場合であっても、選手は「襷をつなぎたい」と思うがゆえに無理を押して走行を続けようとし、監督も棄権は良しとしない傾向が見られる<ref>[http://juninamiya.fc2web.com/2007/inami701.html 取り返しのつかない事故が、箱根駅伝で起こる前に] 稲見純也 『週刊漫画サンデー』掲載コラム</ref>。この場合、指揮官としても止めがたい側面もあるが、場合によっては選手生命にも影響を及ぼしかねないため、途中棄権についての判断の是非は重要課題となっている。
* 途中棄権を回避するには、コンディションの悪い選手のエントリーからの除外、区間エントリー時での補欠選手との交代といった方策がある。また、エントリー数が20チームに増加した第79回(2003年)からは、本番までのチームマネジメントに余裕を与えるよう配慮がなされている。しかし本番直前の時期に調整不足や体調不良であった場合でも、その選手がそれまで良い成績を記録していたりチームのまとめ役だったりすると、本人が強い責任を感じている傾向にある上、監督としてもチーム事情を考慮した上で強行出場させてしまうケースがまま散見され、途中棄権の解消には至っていない。2012年(第88回)大会の東京農業大学5区の選手の様にエントリー締切後に不調を訴えるも、選手が交代できない事案もある。この選手は中盤以降はジョギングほどのペースまで速度が落ちながらも、1位のフィニッシュから約40分後に無事に完走した。
* 近年は特に、[[脱水症状]]による途中棄権や足が止まってしまうケースが増える傾向にある。
 
途中棄権となった場合でも、その区間の前区間までの記録は公式に認められる。次区間以降は、繰り上げスタート扱いとなってランナーが走ることは可能だが、オープン参加扱いとなりその記録は公式に認められない(内規第17条第2項)<ref name="naiki"/><!--個人・チームとも-->。ただし、かつては個人記録および一部のチーム記録(往路で途中棄権した場合は復路のチーム記録のみ)が公認されたことがあり、第72回では7区と9区で神奈川大学(往路4区で棄権)が、10区で山梨学院大学(往路4区で棄権)が途中棄権した以降の区間で区間賞を獲得している。
==== 代走(再走) ====
 
現行ルールでは存在しないが過去の記録の上では、正規の選手が走行不能となった時に補欠選手を改めて走り直す「代走(再走)」が行われているケースが確認できる。これは当時のルールが「走行不能になった場合、途中棄権とはならず、代走にて再度該当区間初めから走り直し記録は残る」<ref>[http://nichidai-kanagawa.jp/haruka/10.html 日本大学校友会 神奈川県支部 箱根駅伝歴史シリーズ「箱根・・・遙か」第10話より]。''「ところが9区途中横浜生麦付近で、彼は不運にも、脱水にてふらふらになり走行不可能状態となりコース上で失神し倒れ込みました。このため、再度9区振り出しの戸塚中継所から、補欠の伊藤祐之選手が、同じ区間を走り直す、再走という事になってしまいました。これは、当時のルールで【走行不能になった場合、途中棄権とはならず、代走にて再度該当区間初めから走り直し記録は残る】このような事情からでした。」''との記述がある。</ref>となっていた事による。このケースでは同一区間について複数名の選手名の記載が確認できる資料がある。このような「代走(再走)」で過去の記録の上では5件確認できる<ref>[http://www13.plala.or.jp/hakone-kiroku/k-k10.html 箱根駅伝記録館 HAKONE-EKIDEN「途中棄権・補欠起用」より]。</ref>。
次の区間のスタート時間は大会規定では繰り上げスタートと同様の扱いとなっているが、交通事情を考慮し、審判主任の裁定によりそのスタート時間を早める場合もある。第72回の4区で神奈川大学と山梨学院大学が途中棄権した際は、本来は先頭通過から20分後に小田原中継所をスタートするところ、交通渋滞を考慮し、最後尾(13位)の東洋大学がタスキリレーを行った1分後に両校が一斉スタートとなった。第78回の2区で法政大学が途中棄権した際は、本来は先頭通過から10分後に戸塚中継所をスタートするところ、最後尾(14位)の東海大学がタスキリレーを行ったと同時にスタートとなった。
{{hidden begin
 
|title = 代走(再走)の記録
; 代走(再走)
|titlestyle = background:lightgrey;}}
現行ルールでは存在しないが過去の記録の上では、正規の選手が走行不能となった時には補欠選手が同じ区間のスタート地点から改めて走り直す「代走(再走)」が行われているケースが確認できる。これは当時のルールが「走行不能になった場合、途中棄権とはならず、代走にて再度該当区間初めから走り直し記録は残る」<ref> {{Cite web|和書|title=日本大学校友会 神奈川県支部 箱根駅伝歴史シリーズ「箱根・・・遙か」第10話より|url=http://nichidai-kanagawa.jp/haruka/10.html|accessdate=2014-02-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140201234536/http://nichidai-kanagawa.jp/haruka/10.html|archivedate=2014-02-01}}''「ところが9区途中横浜生麦付近で、彼は不運にも、脱水にてふらふらになり走行不可能状態となりコース上で失神し倒れ込みました。このため、再度9区振り出しの戸塚中継所から、補欠の伊藤祐之選手が、同じ区間を走り直す、再走という事になってしまいました。これは、当時のルールで【走行不能になった場合、途中棄権とはならず、代走にて再度該当区間初めから走り直し記録は残る】このような事情からでした。」''との記述がある。</ref> となっていた事による。このケースでは同一区間について複数名の選手名の記載が確認できる資料がある。
:{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:small;white-space:nowrap;"
 
歴代で5件確認されている。
 
{| class="wikitable" style="font-size:small;white-space:nowrap;"
|+ 記録上確認できる「代走(再走)」
!大会||大学名||区間||「代走(再走)」理由
712 ⟶ 720行目:
|法政大学||8区||style="text-align:left;"|正規選手の転倒による走行不能
|}
{{hidden end}}
{{clear}}
 
=== タスキの中継方法 ===
タスキの受け渡しは、前走者が完全に所定の中継線を通過した上で、中継線の進行方向20m以内で次走者に渡して行うこととなっている(内規第18条第2項)<ref name="naiki"/>。
 
=== 繰り上げ出発(繰上げスタート) ===
往路の鶴見・戸塚中継所については先頭走者から10分遅れたチーム、往路の平塚・小田原中継所と復路すべての中継所については先頭走者から20分遅れたチームは、交通規制の時間を長引かせないため、各中継所審判主任の裁定で、前走者が到着しなくても次の走者を出発させる(内規第19条)<ref name="naiki"/><ref>[http://www.nichidai-ekiden.jp/hakone/index.html 日本大学 駅伝ホームページ]</ref>。これを「'''繰り上げ出発'''」という<ref name="naiki"/>(報道などでは「'''繰上げスタート'''」といわれている)。
 
繰上げ出発を採用する他の駅伝と同様に、チームが繰上げスタートとなった場合、走者は「繰り上げタスキ」と呼ばれるタスキをかける。箱根駅伝の場合、内規第16条第3項により、繰り上げ出発のチームは、2区から4区・7区から9区では、大会本部で用意する黄色と白色のストライプのタスキを使用することになる<ref name="naiki"/><ref group="注">このため各出場校は、1区から使う正規のタスキと、5区が繰り上げになった場合の予備(この襷は6区の走者も使用する)、そして10区が繰り上げになった場合の予備という、3本のタスキを同じデザインで作成し、大会本部に提出して許可を受ける必要がある。</ref>。そのため、それまで走っていた選手らにとっては、自らの学校のタスキが全区間つながらなかったという悔しさがにじみ出る瞬間であるといわれ、実際に日本テレビの放送では'''「無念の繰り上げ」'''という表現も使われる。同時に出場校はすべての中継所で繰り上げを回避するべく高い競技レベルを維持することが要求される。
 
=== 復路のスタート ===
復路のスタートは、1位から10分以内の大学は時差出発を行い、その他の大学は1位校のスタートから10分後に同時出発する(内規第20条)<ref name="naiki"/>。つまり、往路のゴールにおいて1位から10分を超えて到達した大学は、3日の復路では午前8時10分([[日本標準時|JST]])に同時出発となる(復路の一斉スタートについては「復路一斉スタート」「繰り上げ一斉スタート」などと呼ばれている)。
 
復路のスタートで同時出発が行われた場合、復路では各チームが走行している順位(見かけ上の順位)と往路から通算した実際の順位が異なる場合を生じるため、チームの総合順位は見た目のタイムに繰上げ分の時間差を加算して算出される。またテレビ中継における順位は、復路同時出発による時間差が換算された上で表示される。
 
これらの事情もあり、復路で一斉スタートとなったチームの場合、復路で最初にゴールした場合でも、往路のタイムとの関係から総合優勝とならないケースがある。
 
そのため、復路の一斉スタートも10分ではなく20分にすべきという主張もあるが、交通規制などの関係から難しいとされる。
 
=== 同タイムの順位 ===
走行結果が同タイムの場合はゴールの着順に基づき成績順位とする。ただし、繰り上げ出発などによりゴールの着順が成績順位を示さない場合の同タイム校の順位決定は、区間上位者数の多少によるものとされる。まず区間1位の数で比較し、同数ならば区間2位の数と順位を一つずつ下げながら数を比較していき、多い方が上位となる(内規第21条)<ref name="naiki"/>。
 
この方法でも同タイム校が複数になった場合は、すべて同順位として扱われ、10位同タイム校が複数になった場合は、すべて10位校として翌年へのシード権が与えられる(内規第21条)<ref name="naiki"/>。
 
== 歴史 ==
創設当時の関係者達から取材した詳細な記録としては、箱根駅伝が着想されるに至ったきっかけは[[以下のとおりである<ref> {{Cite web|和書|title=箱根駅伝誕生秘話|url=https://www.ntv.co.jp/hakone/86/info/birth.html|accessdate=2010-01-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100106021438/https://www.ntv.co.jp/hakone/86/info/birth.html|archivedate=2010-01-06}}</ref>。1919年]]10月、[[東京高等師範学校]]出身の[[金栗四三]]が埼玉県(日本人初鴻巣で行われた小学校オリンピック選手、「日本マラソン界運動会に審判父」して招か呼ばれたことであった。帰路の車中金栗は[[明治大学体育会競走部|明治大学競走部]]の[[沢田英一]]同じく審判として招かれていた)2人明治大学陸上選手[[出口林次郎]]と[[札幌市|札幌]]~[[東京]]間を22日間で走破)、東京高範学校体育課教授後輩・[[野口源三郎]]および(1924年パリオリンピック出場)の3人が、明治大学競走部学生だった[[沢田英一山口六郎次]]と語り合っ(後の[[国会議員]]、[[大日本体育協会]]常務理事)から招聘され、山口の母校である[[埼玉県]]の鴻巣で行われ小学校の運動会で審判を務めた際、東京との車中での3人の談論の中で、沢田英一がその年の6月に同窓の[[出口林次郎]]と二人で札幌・東京間の走破を成し遂げていたことを踏まえ、3人は世界の耳目を集め、日本の長距離選手を育成するような外地での長距離走はできないものかと考えた<ref>[https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190122/ 筑波大学陸上部OB会「箱根駅伝の計画と開催」(岡尾恵一著(立命館大学名誉教授・東京高師陸上競技部OB)]</ref><ref>[「日本列島駅伝史」P.22(島田輝男 著)]</ref>。このときの結論が「アメリカ大陸横断駅伝」であった。その「予選会」という位置づけで国内での駅伝大会の実施が企図された。アメリカ大陸横断コースで最も大きな障壁となるであろうロッキー山脈の走破を見据え、この「予選会」のコースとして選ばれたのが山越えをコースに含む東京-箱根間であった。金栗らは大学や新聞社を回って参加と協力を訴え、金策に苦労しながらもなんとか[[1920年]][[2月14日]]の第1回箱根駅伝を実施した。箱根駅伝は始まるが、肝心の「アメリカ大陸横断駅伝」は実現しなかった。明治大学の出口林次郎と早稲田大学の生田喜代治らは箱根駅伝の実施に協力を惜しまなかった[[報知新聞社]]を訪ねて再び計画の協力を願ったが、実現は難しいという答えしか得られなかった。二人はあきらめず[[毎日新聞社]]の資金を得て調査のため1922年にアメリカに渡った。結局「アメリカ大陸横断駅伝」の話はそのまま頓挫した。その後、出口は[[コーネル大学]]からベルリン体育大学に学び、母校明治大学で教鞭をとるとになった。しかし生田は渡米5年目の1927年メキシコのカンセンシコで事業をめぐるトラブルに巻き込まれて横死している。資料によっては「アメリカに渡った学生が殺害されたため、アメリカ横断駅伝の計画はいえた」という書き方がされていることがあるが、実際には計画は早々に頓挫しており、生田の死によって駅伝計画が中止されたわけではない<ref>[[佐山和夫]]、『箱根駅伝にかけた夢』、講談社、2011年、pp124-135</ref>
 
こうして箱根駅伝の歴史が始まるが、肝心の「アメリカ大陸横断駅伝」は実現しなかった。明治大学の出口林次郎と早稲田大学の[[生田喜代治]]らは箱根駅伝の実施に協力を惜しまなかった[[報知新聞社]]を訪ねて再び計画への協力を願ったが、実現は難しいという答えしか得られなかった。二人はあきらめず[[毎日新聞社]]の資金を得て調査のため[[1922年]]にアメリカに渡った。結局「アメリカ大陸横断駅伝」の話はそのまま頓挫した。その後、出口は[[コーネル大学]]から[[ベルリン体育大学]]に学び、母校明治大学で教鞭をとることになった。しかし生田は渡米5年目の[[1927年]]メキシコの[[カンセンシコ]]で事業をめぐるトラブルに巻き込まれて横死している。資料によっては「アメリカに渡った学生が殺害されたため、アメリカ横断駅伝の計画はついえた」という書き方がされていることがあるが、実際には計画は早々に頓挫しており、生田の死によって駅伝計画が中止されたわけではない<ref>[[佐山和夫]]、『箱根駅伝にかけた夢』、講談社、2011年、pp124-135</ref>。
 
別の説もある。箱根駅伝は、[[宿駅]]間を継走し文書や情報を伝達していた宿駅伝馬制(真ん中の2文字を略して「'''駅伝'''」)の[[飛脚]](現在の郵便配達制度)をもとに、手紙に見立てた襷を、東京から[[東海道]]の宿駅があった鶴見([[川崎宿]])、戸塚([[戸塚宿]])、平塚([[平塚宿]])、小田原([[小田原宿]])で引継ぎ、箱根町郵便局([[箱根関所]])に届けて、東京に戻るまでの速さを競う大学対抗戦のイベントとして開催されたという説もある<ref>『はこね』 箱根町教育委員会 (1972)</ref>。第1回から第12回までの往路ゴール地点は箱根関所跡で、第13回から第44回までは箱根町郵便局がゴール地点だった。(第22回(箱根神社)を除く)<ref>『箱根駅伝60年』山本邦夫(1978)p.52.</ref><ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.596.</ref>その開催目的は、東海道の要衝として置かれていた箱根関所の[[明治維新]]による廃止(1869年)と、その情報通信の重要性から関所近くに建てられた箱根町郵便局(1871年日本で最初にできた[[特定郵便局]])の開局50周年を記念すると同時に、寒さや雪で観光客が少なくなる冬の箱根に観光客を呼び込むためで、宿泊客を増やすために2日間に渡って開催されたという説がある。その企画は、当時の箱根町郵便局長と神奈川県議会議員・[[河野治平]]によってなされた。当時の箱根町郵便局長は、1917年に行われた「東海道駅伝徒歩競走」(日本で最初の駅伝競走。陸上競技では無く、宿駅伝馬制を基にしたイベント)に影響されて企画したといわれている。また河野治平は、政治家を目指す息子・[[河野一郎]]を駅伝で走らせることで息子の知名度を上げようと考えた。実際、河野一郎は選挙区がある小田原を4回走っている。そして始まった箱根駅伝だが、第1回大会・5区箱根の山中で、[[慶應義塾大学]]の二木選手([[山岳部]]主将)が遭難して消息が全く不明になり<ref>『箱根駅伝60年』山本邦夫(1978)p.75.</ref>、箱根町の青年団は[[松明]]を持って捜索し、小雪が降る寒さと暗闇の中、木にしがみつき泣きじゃくる選手を発見した。選手は[[パニック]]状態であり、「もう嫌だ!もう走りたくない!」と泣き叫び続け、木から離れようとしなかったため、青年団は選手をなんとか説得し落ち着かせ、ゴールまで伴走し事なきを得たという話が地元に残っている。時にマイナス10℃以下になる冬の箱根で、最悪の事態にならずに済んだが、この遭難により観光地箱根のイメージ悪化を懸念し、観光客を呼ぶという目的を公にすることが出来なくなり、代わりに運営実行役だった金栗四三により「長距離選手を育成する」という目的になったといわれている。現在では「長距離選手を育成する」という目的が定説になっている。当初はイベントだったためルールが曖昧で、[[人力車夫]]や陸上以外の他競技の選手が走ったこともあったが、「長距離選手を育成する」という目的になることで回数を重ねるごとに陸上競技性が強くなり、1953年[[NHK]]によるラジオ放送、1987年[[日本テレビ]]が中継を開始するなど放送技術の進化もあり、細かいタイムを競い合う大会になった。ルールが厳格化し競技性が強くなる過程で、駅伝という言葉の意味が「宿駅伝馬制」(リレー形式での情報通信手段)から「陸上競技」(リレー形式での長距離走)に変化した。そしてその陸上競技の駅伝は、箱根駅伝を参考に全国で開催されるようになり、日本独自のスポーツとして定着した。
別の説もある。箱根駅伝は寒さや雪のため箱根で最も観光客の少ない真冬の2月に観光客を呼び込み(第1回開催は2月14〜15日)、2日間に渡って開催することで、ホテルや旅館に宿泊してもらうために行われた町おこしのイベントであり、1917年に行われた「東海道駅伝徒歩競走」に影響を受けた当時の箱根町郵便局長・[[石内九吉郎]]が企画し、箱根町長だった養父・石内為次郎の紹介で、神奈川県会議員の[[河野治平]]に開催の相談を持ちかけたのがきっかけである。観光イベントだったため後述のように地元の協力があり、競技のルールもあいまいであったと言われている。河野の息子は、第1回箱根駅伝で4区を走った[[河野一郎]]であり、孫は[[関東学生陸上競技連盟]]の役員を務めた[[河野洋平]]である。そもそも駅伝とは、[[飛脚]]制度(郵便配達)をもとにした日本独自の競技であり、箱根駅伝は手紙に見立てた襷を、東京から[[宿駅]]があった鶴見([[川崎宿]])、戸塚([[戸塚宿]])、平塚([[平塚宿]])、小田原([[小田原宿]])で手渡し、日本最古の郵便局である箱根町郵便局([[箱根宿]])まで届けて、東京に戻るまでの速さを競うという意味があり、箱根町郵便局はよく知られていた<ref>『はこね』 箱根町教育委員会 (1972)</ref>。宿駅を基準に区間を設定しているため、一区間が約20kmと他の駅伝に比べ長い距離になっている。なお、郵便局は戦後にゴール地点から移転している。
 
黎明期は現在のように開催期日が固定されていたわけではなかった。また'''学生の本分は勉強'''」という理由で、午前中に授業をした後で午後からスタートすることもあった<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.59.</ref>。このためにレース途中で日没となり、中でも5区の選手が暗闇の中を走らなければならなかったが、実際には地元の[[青年団]]の団員が[[松明]]を持って伴走したために事なきを得た<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.140.</ref>。
 
山登りの5区は当初はスタートとゴールしか決まっておらず、出場校は箱根山中をできるだけ近道をしようと思っていた。しかし前述のように選手を心配した地元住民たちが松明を持って伴走するなど協力があったので、結局はを得て近道をするチームはなく、全チームが無事に走り終えることとなった。しかし山登りのあまりの苦しさに、道端の木にしがみつき泣きじゃくる選手もいたという
 
1925年の第6回大会で、日本大学は選手の代わりに[[襷]]タスキをもらった[[人力車|人力車夫]]が走ったこともあり4人抜きを見せたが、翌年の出場を辞退せざるを得なくなった([[人力車夫事件]])<ref name="hakone70nen">『箱根駅伝70年史』(1989)p.84.</ref>。
 
[[勤労学生]]の出場で二重登録による失格処分になったり、ゴール直前で失神した選手を関係者がラインまで引きずり込んだにもかかわらず失格にならなかったりと失格に関する基準も曖昧だった<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.50.およびpp.270 - 271.</ref>。箱根駅伝関係の書籍に出場校の歴代全成績がよく掲載されているが、公式順位がついているものの実際には失格扱いになっている大学がいくつかある。このように、かつての成績については資料によって若干の相違点が見受けられる。
 
第二次世界大戦前は[[学制]]の違いもあり、[[大学予科]]から大学本科まで入れると5回以上の出場が可能だった。[[大学専門部 (旧制)|大学専門部]]から予科を経て本科まで通い、最高で8回出場を果たした選手がいる。
 
第二次世界大戦前から終戦直後に掛けては学生数の絶対的な不足もあって、1チーム10人のメンバーを組むこと自体が困難だった<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)pp.45 - 46.</ref>。そのため、戦後すぐのころまでは他の種目の選手が起用されることは決して珍しいことではなかった。同じ陸上競技である短距離や跳躍、[[投擲]]選手が起用されたことはまだいい方で、[[ラグビーユニオン|ラグビー]]や[[スキー]]の選手が登場した例も多かったという<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.45.</ref>。現在でも高校から陸上を始めた選手は多く見受けられ、第82回(2006年)・第83回(2007年)大会に出場した亜細亜大の[[岡田晃 (陸上選手)|岡田晃]]や第84回(2008年)・第85回(2009年)・第86回(2010年)に出場した大東文化大の[[清野篤]]のように大学から陸上競技を始めた選手もいる。また、[[1970年代]]ごろまでは実業団経由で入ってきた選手も多かった。
 
[[モータリゼーション]]化で[[渋滞|交通渋滞]]が増えてきたのが[[高度経済成長]]のころ。全国的な知名度はまだ低かったがコース沿線地域での人気は高かったため、コース周辺の交通渋滞に[[警察]]からも開催中止要請が出たこともあった<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)pp.583-585.</ref>。主催者側と警察側との折衝で15校制や繰上げスタートなどのルール改正がなされたことにより、中止要請は出なくなり15校制は第78回(2002年)まで続いた。
 
[[1960年代]]から1970年代に掛けては体育系学部を擁する大学が台頭してきたが、この頃は[[学生運動]]の時期と重なり、それが好成績にも影響しているとする説もある。
 
=== 歴代大会成績・表彰 ===
注:出場校数に学連選抜チームは含まない。<!-- チーム数は、2014年・2024年を除く2004年以降:出場校+1 -->
{|class="wikitable" style="font-size:8pt;"
{|class="wikitable" style="font-size:9pt; text-align:center"
!西暦!!和暦||{{nowrap|大会回次}}||{{nowrap|総合優勝校}}||内容
|-
!style="width:4em"|{{nowrap|回次}}
|{{nowrap|[[1920年]]}}||{{nowrap|大正{{0}}9年}}||[[第1回東京箱根間往復大学駅伝競走|第{{0}}1回]]||{{nowrap|東京高等師範学校}}
!{{nowrap|西暦 / 和暦}}
|第1回大会として2月14日〜15日に実施。明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京高等師範学校の4校が出場。東京高等師範学校(現・筑波大学)が優勝。開催に当たって東京帝国大学や中央大学、法政大学、立教大学、日本大学、東京農業大学、東洋大学、専修大学など多くの大学・旧制専門学校・師範学校などに対して参加を呼び掛けるが、10人の選手を出場させる状況にある学校が少なく、最終的にこの4校となった。このときは午前中は授業を行い、午後にスタートした。そのため、ゴールしたときには夜になっていた<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.58.</ref>。
!style="width:4em"|{{table2|cols=2|class=none|{{nowrap|日程}}|{{nowrap|往路<br/>復路}}}}
!style="width:8em"|総合優勝校
!style="width:8em"|優勝回数
!style="width:3em"|出場<br />校数
!初出場校
!概要
|-
||[[1921年]]||大正10年||![[第21回東京箱根間往復大学駅伝競走|第{{0}}21回]]||明治大学||1月8日〜9日に実施。東京農業大学、法政大学、中央大学が初出場。明治大学が初優勝。
|[[1920年]]<br/> 大正{{0}}9年||2月14日<br/>2月15日
|東京高等<br />師範学校||初優勝||4
|慶應義塾大学<br />{{nowrap|東京高等師範学校<br />(現:筑波大学)<br />明治大学<br />早稲田大学}}||style="text-align:left"|4校が出場。<br />呼びかけられた多くの大学・旧制専門学校・師範学校は選手を10人そろえられず、参加を断念。<br />午前中は授業を行い午後にスタートしたため、ゴールしたときには夜になっていた<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.58.</ref>。
|-
||[[1922年]]||大正11年||![[第32回東京箱根間往復大学駅伝競走|第{{0}}32回]]||早稲田大学||1月7日〜8日に実施。東大農学部実科、日本歯科大学、日本大学が初出場。早稲田大学が初優勝。
||[[1921年]]<br/> 大正10年||1月{{0}}8日<br/>1月{{0}}9日
|明治大学||初優勝||7
|中央大学<br />東京農業大学<br />法政大学||
|-
![[第3回東京箱根間往復大学駅伝競走|第3回]]
||[[1923年]]||大正12年||[[第4回東京箱根間往復大学駅伝競走|第{{0}}4回]]||早稲田大学(2)||1月6日〜7日に実施。早稲田大学が2連覇。この回から夜間部在籍選手の出場が禁止される(人力車夫などが学籍を置いて出場するケースがあったため)
||[[1922年]]<br/> 大正11年||1月{{0}}7日<br/>1月{{0}}8日
|早稲田大学||初優勝||10
|{{nowrap|東大農学部実科<br />(現:東京農工大学)}}<br />日本大学<br />日本歯科大学||
|-
![[第4回東京箱根間往復大学駅伝競走|第4回]]
||[[1924年]]||大正13年||第{{0}}5回||明治大学(2)||1月12日〜13日に実施。
||[[1923年]]<br/> 大正12年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|早稲田大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||rowspan="2"|9||rowspan="10"|-
|style="text-align:left"|この回から夜間部在籍選手の出場が禁止される<br />(人力車夫などが学籍を置いて出場するケースがあったため)。
|-
![[第5回東京箱根間往復大学駅伝競走|第5回]]
||[[1925年]]||大正14年||第{{0}}6回||明治大学(3)||1月6日〜7日に実施。明治大学が2連覇。大会後、日本大学が3区の走者としてエントリー選手ではない選手を出したことが発覚、順位成績取消は免れたものの、翌年の大会参加を辞退<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.84.</ref>。
||[[1924年]]<br/> 大正13年||1月12日<br/>1月13日
|明治大学||{{0}}3年ぶり{{0}}2度目||
|-
![[第6回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6回]]
||[[1926年]]||大正15年||第{{0}}7回||中央大学||1月9日〜10日に実施。中央大学が初優勝。
||[[1925年]]<br/> 大正14年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|明治大学||{{0}}2年連続{{0}}3度目||10
|style="text-align:left"|大会後、日本大学が3区の走者としてエントリー選手ではない選手を出したことが発覚、<br />順位成績取消は免れたものの、翌年の大会参加を辞退<ref name="hakone70nen" />。
|-
![[第7回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7回]]
||[[1927年]]||昭和{{0}}2年||第{{0}}8回||早稲田大学(3)||大正天皇崩御の影響により4月9日〜10日に開催。そのため参加校は5校のみとなった。早稲田大学が初の完全制覇(総合、往路、復路の全部門で優勝)。
||[[1926年]]<br/> 大正15年||1月{{0}}9日<br/>1月10日
|中央大学||初優勝||7||
|-
![[第8回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8回]]
||[[1928年]]||昭和{{0}}3年||第{{0}}9回||明治大学(4)||1月7日〜8日に実施。明治大学が初めて13時間台の総合成績を記録。関西大学を特別招待。
||[[1927年]]<br/> 昭和{{0}}2年||4月{{0}}9日<br/>4月10日
|早稲田大学||{{0}}4年ぶり{{0}}3度目||5
|style="text-align:left"|大正天皇崩御の影響により4月開催。そのため参加校は5校のみとなった。<br />早稲田大学が初の完全制覇(総合、往路、復路の全部門で優勝)。
|-
![[第9回東京箱根間往復大学駅伝競走|第9回]]
||[[1929年]]||昭和{{0}}4年||第10回||明治大学(5)||1月5日〜6日に実施。明治大学が2連覇。
||[[1928年]]<br/> 昭和{{0}}3年||1月{{0}}7日<br/>1月{{0}}8日
|明治大学||{{0}}3年ぶり{{0}}4度目||10
|style="text-align:left"|明治大学が初めて13時間台の総合成績を記録。<br />関西大学を特別招待。
|-
![[第10回東京箱根間往復大学駅伝競走|第10回]]
||[[1930年]]||昭和{{0}}5年||第11回||早稲田大学(4)||1月4日〜5日に実施。9区で日本大学が正規選手の走行不能により初の補欠による再走。
||[[1929年]]<br/> 昭和{{0}}4年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|明治大学||{{0}}2年連続{{0}}5度目||rowspan="2"|9||
|-
![[第11回東京箱根間往復大学駅伝競走|第11回]]
||[[1931年]]||昭和{{0}}6年||第12回||早稲田大学(5)||1月10日〜11日に実施。早稲田大学が2連覇。関西大学を特別招待。1区で東京文理科大学、4区で明治大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
||[[1930年]]<br/> 昭和{{0}}5年||1月{{0}}4日<br/>1月{{0}}5日
|早稲田大学||{{0}}3年ぶり{{0}}4度目
|style="text-align:left"|9区で日本大学が正規選手の走行不能により初の補欠による再走。
|-
![[第12回東京箱根間往復大学駅伝競走|第12回]]
||[[1932年]]||昭和{{0}}7年||第13回||慶應義塾大学||1月9日〜10日に実施。慶應義塾大学が初優勝。関西大学を特別招待。
||[[1931年]]<br/> 昭和{{0}}6年||1月10日<br/>1月11日
|早稲田大学||{{0}}2年連続{{0}}5度目||10
|style="text-align:left"|関西大学を特別招待。
|-
![[第13回東京箱根間往復大学駅伝競走|第13回]]
||[[1933年]]||昭和{{0}}8年||第14回||早稲田大学(6)||1月7日〜8日に実施。早稲田大学が初めて12時間台の総合成績を記録。東洋大学、拓殖大学が初出場。
||[[1932年]]<br/> 昭和{{0}}7年||1月{{0}}9日<br/>1月10日
|慶應義塾大学||初優勝||9
|style="text-align:left"|関西大学を特別招待。<br />1区で東京文理科大学、4区で明治大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
|-
![[第14回東京箱根間往復大学駅伝競走|第14回]]
||[[1934年]]||昭和{{0}}9年||第15回||早稲田大学(7)||1月6日〜7日に実施。専修大学、立教大学が初出場。
||[[1933年]]<br/> 昭和{{0}}8年||1月{{0}}7日<br/>1月{{0}}8日
|早稲田大学||{{0}}2年ぶり{{0}}6度目||11||拓殖大学<br />東洋大学
|style="text-align:left"|早稲田大学が初めて12時間台の総合成績を記録。
|-
![[第15回東京箱根間往復大学駅伝競走|第15回]]
||[[1935年]]||昭和10年||第16回||日本大学||1月5日〜6日に実施。日本大学が初優勝。
||[[1934年]]<br/> 昭和{{0}}9年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|早稲田大学||{{0}}2年連続{{0}}7度目||rowspan="2"|13||専修大学<br />立教大学||
|-
![[第16回東京箱根間往復大学駅伝競走|第16回]]
||[[1936年]]||昭和11年||第17回||日本大学(2)||1月4日〜5日に実施。日本大学が2連覇。横浜専門学校(現・神奈川大学)が初出場。
||[[1935年]]<br/> 昭和10年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|日本大学||初優勝||-
|style="text-align:left"|日本大学が完全優勝。
|-
![[第17回東京箱根間往復大学駅伝競走|第17回]]
||[[1937年]]||昭和12年||第18回||日本大学(3)||1月9日〜10日に実施。日本大学が初の3連覇を達成し当時の大会規約により優勝旗が授与された。その後大戦による混乱で紛失し、竿だけが大学内に保管されている<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.2.およびp.188.</ref>。日本大学は翌[[1938年]]も優勝し、戦前唯一の4連覇を達成している。
||[[1936年]]<br/> 昭和11年||1月{{0}}4日<br/>1月{{0}}5日
|日本大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||rowspan="2"|14||{{nowrap|横浜専門学校<br />(現:神奈川大学)}}
|style="text-align:left"|日本大学が2年連続完全優勝。
|-
![[第18回東京箱根間往復大学駅伝競走|第18回]]
||[[1938年]]||昭和13年||第19回||日本大学(4)||1月8日〜9日に実施。日本大学が4連覇。2着の明治大学が6区の走者の資格疑義により失格、以下順位が繰り上がる。失格の理由は、当該選手が夜間部に在籍する学生で二重登録に当たるというもの<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.195.</ref>。
||[[1937年]]<br/> 昭和12年||1月{{0}}9日<br/>1月10日
|日本大学||{{0}}3年連続{{0}}3度目||rowspan="4"|-
|style="text-align:left"|日本大学が完全優勝で3連覇を達成し、当時の大会規約により優勝旗が授与された。<br />その後大戦による混乱で紛失し、竿だけが大学内に保管されている<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.2.およびp.188.</ref>。
|-
![[第19回東京箱根間往復大学駅伝競走|第19回]]
||[[1939年]]||昭和14年||第20回||専修大学||1月7日〜8日に実施。専修大学が初優勝。
||[[1938年]]<br/> 昭和13年||1月{{0}}8日<br/>1月{{0}}9日
|日本大学||{{0}}4年連続{{0}}4度目||12
|style="text-align:left"|戦前唯一の4連覇。<br />2着の明治大学が6区の走者の資格疑義(夜間部に在籍する学生で二重登録に該当)により失格、以下順位が繰り上がる<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)p.195.</ref>。
|-
![[第20回東京箱根間往復大学駅伝競走|第20回]]
||[[1940年]]||昭和15年||第21回||日本大学(5)||1月6日〜7日に実施。
||[[1939年]]<br/> 昭和14年||1月{{0}}7日<br/>1月{{0}}8日
|専修大学||初優勝||rowspan="2"|10||
|-
![[第21回東京箱根間往復大学駅伝競走|第21回]]
||[[1941年]]||昭和16年||colspan="2"|<center> - </center>||第二次世界大戦の激化により東海道・箱根路の使用が禁止され大会中止。代替駅伝として明治神宮水泳場前-青梅熊野神社間往復駅伝を1月と11月に実施(歴代大会には含めない)。
||[[1940年]]<br/> 昭和15年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|日本大学||{{0}}2年ぶり{{0}}5度目||
|-
! -
||[[1942年]]||昭和17年||colspan="2"|<center> - </center>||戦時命令により日本学連が解体する。
||[[1941年]]<br/> 昭和16年
|colspan="1" rowspan="2"| -
|colspan="2" rowspan="2"| -
|colspan="1" rowspan="2"| -
|colspan="1" rowspan="2"| -
|style="text-align:left"|第二次世界大戦の激化により東海道・箱根路の使用が禁止され大会中止。<br />代替駅伝として明治神宮水泳場前-青梅熊野神社間往復駅伝を1月と11月に実施<br />(歴代大会には含めない)。
|-
! -
||[[1943年]]||昭和18年||[[靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会|第22回]]||日本大学(6)||戦時中により従来の東京-箱根間大学駅伝に代わり[[靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会]]を第22回大会として1月5日〜6日に実施。[[青山学院大学|青山学院]]が初出場。
||[[1942年]]<br/> 昭和17年
|style="text-align:left"|戦時命令により日本学連が解体する。
|-
![[靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会|第22回]]
|colspan="2"|{{nowrap|[[1944年]]〜[[1946年]]<br />(昭和19年〜21年)}}||colspan="2"|<center> - </center>||戦況激化により箱根駅伝は3年間再び中断。
||[[1943年]]<br/> 昭和18年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|日本大学||{{0}}2期連続{{0}}6度目||11||{{nowrap|青山学院<br />(現:青山学院大学)}}
|style="text-align:left"|戦時中により従来の東京-箱根間大学駅伝に代わり<br />[[靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会]]を第22回大会として実施。
|-
! -
||[[1947年]]||昭和22年||第23回||明治大学(6)
||[[1944年]]<br/> 昭和19年
|駅伝大会を復活し、第23回大会として1月4日〜5日に開催。神奈川師範学校が初出場。戦時中の[[ミャンマー|旧ビルマ]]捕虜で[[マラリア]]に感染していた当時のアンカーが必死で追い上げた末、中央大学が準優勝となる。初めての予選会(第1回関東大学高専10マイル)を前年12月に実施。読売新聞社が共催に入るが「学生の大会を私企業が催すことは好ましくない」との[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]からの指導があり、後援となる。
|colspan="1" rowspan="3"| -
|colspan="2" rowspan="3"| -
|colspan="1" rowspan="3"| -
|colspan="1" rowspan="3"| -
|rowspan="3" style="text-align:left"|戦況激化・終戦後の混乱により再び中断。
|-
! -
||[[1948年]]||昭和23年||第24回||中央大学(2)||1月6日〜7日に実施。この年の大会からスタート・ゴールを当時の銀座の読売新聞社前(現在の[[プランタン銀座]])とした。
||[[1945年]]<br/> 昭和20年
|-
! -
||[[1949年]]||昭和24年||第25回||明治大学(7)||1月5日〜6日に実施。神奈川師範学校(現:横浜国立大学)が大会史上初の途中棄権〈3区〉。日本体育専門学校が初出場(現:日体大、以降現在まで連続出場)。報知新聞社が後援につく。
||[[1946年]]<br/> 昭和21年
|-
![[第23回東京箱根間往復大学駅伝競走|第23回]]
||[[1950年]]||昭和25年||第26回||中央大学(3)||1月5日〜6日に実施。前年4月に新制大学が発足し、参加チームも再編の影響をうけ新しい校名で参加(神奈川師範学校→横浜国立大学、文理科大学・東京体育専門学校→東京教育大学、日本体育専門学校→日本体育大学、横浜専門学校→神奈川大学)。
||[[1947年]]<br/> 昭和22年||1月{{0}}4日<br/>1月{{0}}5日
|明治大学||18年ぶり{{0}}6度目||10||{{nowrap|神奈川師範学校<br />(現:横浜国立大学)}}
|style="text-align:left"|駅伝大会を復活。<br />初めての予選会(第1回関東大学高専10マイル)を前年12月に実施。<br />読売新聞社が共催に入るが、「学生の大会を私企業が催すことは好ましくない」と<br />[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]からの指導があり、後援となる。
|-
![[第24回東京箱根間往復大学駅伝競走|第24回]]
||[[1951年]]||昭和26年||第27回||中央大学(4)||1月5日〜6日に実施。中央大学が2連覇。駅伝有害論の影響により慶應義塾大学が大会参加を取りやめを決定(不参加に因る選手数の影響もあり、慶應義塾大学は以後約10年間出場せず)。東京農業大学が復路で失格。
||[[1948年]]<br/> 昭和23年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|中央大学||22年ぶり{{0}}2度目||rowspan="2"|12||-
|style="text-align:left"|この年の大会からスタート・ゴールを当時の銀座の読売新聞社前(現在の[[プランタン銀座]])とする。
|-
![[第25回東京箱根間往復大学駅伝競走|第25回]]
||[[1952年]]||昭和27年||第28回||早稲田大学(8)||1月6日〜7日に実施。成蹊大学が初出場。
||[[1949年]]<br/> 昭和24年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|明治大学||{{0}}2年ぶり{{0}}7度目||{{nowrap|日本体育専門学校<br />(現:日本体育大学)}}
|style="text-align:left"|神奈川師範学校(現:横浜国立大学)が大会史上初の途中棄権〈3区〉。<br />報知新聞社が後援につく。
|-
!第26回
||[[1953年]]||昭和28年||第29回||中央大学(5)||1月4日〜5日に実施。NHKラジオによる全国放送が開始。
||[[1950年]]<br/> 昭和25年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|中央大学||{{0}}2年ぶり{{0}}3度目||14||rowspan="2"|-
|style="text-align:left"|前年4月に新制大学が発足し、参加チームも再編の影響をうけ新しい校名で参加<br />(神奈川師範学校→横浜国立大学、文理科大学・東京体育専門学校→東京教育大学、<br />日本体育専門学校→日本体育大学、横浜専門学校→神奈川大学)。早稲田大学[[篠田正浩]]が出場。
|-
!第27回
||[[1954年]]||昭和29年||第30回||早稲田大学(9)||1月6日〜7日に実施。横浜市立大学が初出場。3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
||[[1951年]]<br/> 昭和26年||1月{{0}}5日<br/>1月{{0}}6日
|中央大学||{{0}}2年連続{{0}}4度目||11
|style="text-align:left"|駅伝有害論の影響により慶應義塾大学が大会参加を取りやめを決定<br />(不参加に因る選手数の影響もあり、慶應義塾大学は以後約10年間出場せず)。<br />東京農業大学が復路で失格。
|-
!第28回
||[[1955年]]||昭和30年||第31回||中央大学(6)||交通事情を考慮し大会日程を1月2日及び3日に変更。
||[[1952年]]<br/> 昭和27年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|早稲田大学||18年ぶり{{0}}8度目||rowspan="2"|14||成蹊大学||
|-
!第29回
||[[1956年]]||昭和31年||第32回||中央大学(7)||中央大学が2連覇。東京学芸大学が初出場。前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。
||[[1953年]]<br/> 昭和28年||1月{{0}}4日<br/>1月{{0}}5日
|中央大学||{{0}}2年ぶり{{0}}5度目||-
|style="text-align:left"|NHKラジオによる全国放送を開始<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=箱根路の興奮伝えた綱渡りの実況録音…1953年NHKラジオ中継開始 |url=https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20230817-OYT1T50345/ |website=読売新聞 |date=2023-08-27 |access-date=2023-08-27 |author=近藤雄二}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【箱根駅伝トリビア】「正月の風物詩」背景にメディアの挑戦 |url=https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/2023122100134-spnaviow |website=[[sportsnavi]] |access-date=2023-12-30}}</ref>。<br />3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。
|-
!第30回
||[[1957年]]||昭和32年||第33回||日本大学(7)||第33回大会からシード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。国士舘大学が初出場。同じく予選会を突破していた順天堂大学が本大会でチーム編成が不能となったため、神奈川大学が繰り上がりで出場。
||[[1954年]]<br/> 昭和29年||1月{{0}}6日<br/>1月{{0}}7日
|早稲田大学||{{0}}2年ぶり{{0}}9度目||rowspan="5"|15||横浜市立大学||
|-
!第31回
||[[1958年]]||昭和33年||第34回||日本大学(8)||順天堂大学が初出場。横浜市立大学が途中棄権〈9区〉。
||[[1955年]]<br/> 昭和30年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}2年ぶり{{0}}6度目||-
|style="text-align:left"|交通事情を考慮し大会日程を1月2日及び3日に変更。
|-
!第32回
||[[1959年]]||昭和34年||第35回||中央大学(8)||埼玉大学が初出場。予選会5位が神奈川大学、6位が埼玉大学であったが後に計算ミスが発覚し順位が入れ替わる事態となった為、特例で両校の出場が認められる<ref name="saitamadai"/><ref group="注">『箱根駅伝70年史』(1989)には平均タイムが60分を切ったための特例とあるが、この著のベースになったと思われる[[山本邦夫]]『箱根駅伝60年』(1978)には16校である理由の記述はない。</ref>。この大会のみ16校が出場。
||[[1956年]]<br/> 昭和31年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}2年連続{{0}}7度目||東京学芸大学
|style="text-align:left"|前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。
|-
!第33回
||[[1960年]]||昭和35年||第36回||中央大学(9)||中央大学が初めて11時間台の総合成績を記録して2連覇達成。
||[[1957年]]<br/> 昭和32年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||14年ぶり{{0}}7度目||国士舘大学
|style="text-align:left"|第33回大会からシード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。<br />順天堂大学が本大会でチーム編成が不能となったため、神奈川大学が繰り上がりで出場。
|-
!第34回
||[[1961年]]||昭和36年||第37回||中央大学(10)||中央大学が3連覇。防衛大学校が初出場。
||[[1958年]]<br/> 昭和33年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||{{0}}2年連続{{0}}8度目||順天堂大学
|style="text-align:left"|横浜市立大学が途中棄権〈9区〉。
|-
!第35回
||[[1962年]]||昭和37年||第38回||中央大学(11)||中央大学が4連覇。
||[[1959年]]<br/> 昭和34年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}3年ぶり{{0}}8度目||16||埼玉大学
|style="text-align:left"|予選会5位が神奈川大学、6位が埼玉大学であったが後に計算ミスが発覚し<br />順位が入れ替わる事態となった為、特例で両校の出場が認められる<ref name="saitamadai"/><ref group="注">『箱根駅伝70年史』(1989)には平均タイムが60分を切ったための特例とあるが、この著のベースになったと思われる山本邦夫『箱根駅伝60年』(1978)には16校である理由の記述はない。</ref>。<br />この大会のみ16校が出場。
|-
!第36回
||[[1963年]]||昭和38年||第39回||中央大学(12)||中央大学が初の5連覇達成。
||[[1960年]]<br/> 昭和35年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}2年連続{{0}}9度目||rowspan="4"|15||-
|style="text-align:left"|中央大学が初めて11時間台の総合成績を記録。
|-
!第37回
||[[1964年]]||昭和39年||第40回||中央大学(13)||中央大学が初の6連覇達成。第40回を記念して立命館大学と福岡大学を招待(オープン参加)し全17校にて実施。
||[[1961年]]<br/> 昭和36年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}3年連続10度目||防衛大学校||
|-
!第38回
||[[1965年]]||昭和40年||第41回||日本大学(9)||
||[[1962年]]<br/> 昭和37年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}4年連続11度目||rowspan="5"|-||
|-
!第39回
||[[1966年]]||昭和41年||第42回||順天堂大学||復路スタートを全校一斉スタートに変更。順天堂大学が初優勝。前年実施の予選会会場が千葉市の検見川ロードレースコースに変更。
||[[1963年]]<br/> 昭和38年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}5年連続12度目
|style="text-align:left"|中央大学が初の5連覇達成。
|-
!第40回
||[[1967年]]||昭和42年||第43回||日本大学(10)||亜細亜大学、駒澤大学が初出場。
||[[1964年]]<br/> 昭和39年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||{{0}}6年連続13度目||17
|style="text-align:left"|最終10区で追う中大若松軍蔵が日大高野俊雄を[[青物横丁商店街|青物横丁]]で遂に捉え、中央大学が初の6連覇達成。<br />第40回を記念して立命館大学と福岡大学を招待(オープン参加)し全17校にて実施。福岡大学の[[重松森雄]]が2区区間賞相当(参考記録)の走りを見せた。
|-
!第41回
||[[1968年]]||昭和43年||第44回||日本大学(11)||日本大学が2連覇。大東文化大学が初出場。
||[[1965年]]<br/> 昭和40年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||{{0}}7年ぶり{{0}}9度目||rowspan="9"|15||
|-
!第42回
||[[1969年]]||昭和44年||第45回||日本体育大学||日本体育大学が初優勝。
||[[1966年]]<br/> 昭和41年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||初優勝
|style="text-align:left"|復路スタートを全校一斉スタートに変更。<br />予選会会場を千葉市の検見川ロードレースコースに変更。
|-
!第43回
||[[1970年]]||昭和45年||第46回||日本体育大学(2)||日本体育大学が2連覇。
||[[1967年]]<br/> 昭和42年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||{{0}}2年ぶり10度目||亜細亜大学<br />駒澤大学||
|-
!第44回
||[[1971年]]||昭和46年||第47回||日本体育大学(3)||日本体育大学が3連覇。シード権枠を9校に変更。
||[[1968年]]<br/> 昭和43年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||{{0}}2年連続11度目||大東文化大学||
|-
!第45回
||[[1972年]]||昭和47年||第48回||日本体育大学(4)||日本体育大学が4連覇。前年実施の予選会会場が八王子市内の富士森競技場付属コースに変更。
||[[1969年]]<br/> 昭和44年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||初優勝||rowspan="4"|-
|style="text-align:left"|日本体育大学が初優勝。
|-
!第46回
||[[1973年]]||昭和48年||第49回||日本体育大学(5)||日本体育大学が5連覇を達成。東海大学が初出場。自衛隊車両が大会関係車両として登場。
||[[1970年]]<br/> 昭和45年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||
|-
!第47回
||[[1974年]]||昭和49年||第50回||日本大学(12)||第50回を記念して全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で過去に優勝した5校を招待参加とし、残り枠6を予選通過校とした。
||[[1971年]]<br/> 昭和46年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}3年連続{{0}}3度目
|style="text-align:left"|シード権枠を9校に変更。
|-
!第48回
||[[1975年]]||昭和50年||第51回||大東文化大学||大東文化大学が初優勝。
||[[1972年]]<br/> 昭和47年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}4年連続{{0}}4度目
|style="text-align:left"|予選会会場を八王子市内の富士森競技場付属コースに変更。
|-
!第49回
||[[1976年]]||昭和51年||第52回||大東文化大学(2)||復路スタートで上位数チームを時差スタートに変更。大東文化大学が2連覇。青山学院大学が途中棄権〈10区、ゴール前150m地点での棄権〉。
||[[1973年]]<br/> 昭和48年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}5年連続{{0}}5度目||東海大学
|style="text-align:left"|日本体育大学が5連覇を達成。<br />自衛隊車両が大会関係車両として登場。<br />この回のみ、NHKは[[東京箱根間往復大学駅伝競走#NHK制作|後述の理由]]でラジオ中継を中止している<ref name=":2" />。
|-
!第50回
||[[1977年]]||昭和52年||第53回||日本体育大学(6)||
||[[1974年]]<br/> 昭和49年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本大学||{{0}}6年ぶり12度目||20||rowspan="10"|-
|style="text-align:left"|第50回を記念して全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で<br />過去に優勝した5校を招待参加とし、残り枠6を予選通過校とした。
|-
!第51回
||[[1978年]]||昭和53年||第54回||日本体育大学(7)||日本体育大学が2連覇。前年実施の予選会会場が大井埠頭周回コースに変更。
||[[1975年]]<br/> 昭和50年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|大東文化大学||初優勝||rowspan="9"|15||
|-
!第52回
||[[1979年]]||昭和54年||第55回||順天堂大学(2)||大会の模様をテレビ東京が初めてテレビ中継を行う(ダイジェスト版で、最後のゴールのみ生放送)。
||[[1976年]]<br/> 昭和51年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|大東文化大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目
|style="text-align:left"|復路スタートで上位数チームを時差スタートに変更。<br />青山学院大学が途中棄権〈10区、ゴール前150m地点での棄権〉。
|-
!第53回
||[[1980年]]||昭和55年||第56回||日本体育大学(8)||2区のみNHKテレビが中継する。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、7・8区の区間記録、復路及び総合の順位、記録が無効となる。
||[[1977年]]<br/> 昭和52年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}4年ぶり{{0}}6度目
|style="text-align:left"|1区から一度も首位を譲らず完全優勝。
|-
!第54回
||[[1981年]]||昭和56年||第57回||順天堂大学(3)||
||[[1978年]]<br/> 昭和53年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}2年連続{{0}}7度目
|style="text-align:left"|予選会会場を大井埠頭周回コースに変更。
|-
![[第55回東京箱根間往復大学駅伝競走|第55回]]
||[[1982年]]||昭和57年||第58回||順天堂大学(4)||順天堂大学が2連覇。
||[[1979年]]<br/> 昭和54年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||13年ぶり{{0}}2度目
|style="text-align:left"|[[テレビ東京|東京12チャンネル]]が初めてテレビ中継を行う(ダイジェスト版で、最後のゴールのみ生放送)。
|-
![[第56回東京箱根間往復大学駅伝競走|第56回]]
||[[1983年]]||昭和58年||第59回||日本体育大学(9)||
||[[1980年]]<br/> 昭和55年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}2年ぶり{{0}}8度目
|style="text-align:left"|当年の[[1980年モスクワオリンピック|モスクワ五輪]]有力選手であった早稲田大学・[[瀬古利彦]]を取り上げる目的で、2区終盤の約3分間をNHKテレビの全国多元リレー番組「日本の新春」内で中継<ref name=":3">{{Cite web |title=箱根駅伝で“大博打”に出たNHKが全国中継したワケ たった3分間、一度だけ実現した知られざる過去 |url=https://the-ans.jp/column/381657/ |website=THE ANSWER |date=2024-01-02 |access-date=2024-01-02 |page=2 |author=荻島弘一}}</ref>。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、<br />7・8区の区間記録、復路及び総合の順位、記録が無効となる。
|-
![[第57回東京箱根間往復大学駅伝競走|第57回]]
||[[1984年]]||昭和59年||第60回||早稲田大学(10)||第60回を記念して全20校で実施。本大会では過去の優勝校を無条件で参加させるのではなく、制限タイムつきでの予選会突破を義務付けたが、対象3校(中央・慶應・明治)はいずれも予選会を突破。東京大学が初出場。国立大の東京学芸大学が23年振りに出場。
||[[1981年]]<br/> 昭和56年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}2年ぶり{{0}}3度目||
|-
![[第58回東京箱根間往復大学駅伝競走|第58回]]
||[[1985年]]||昭和60年||第61回||早稲田大学(11)||早稲田大学が2連覇。
||[[1982年]]<br/> 昭和57年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}2年連続{{0}}4度目||
|-
||[[1986年]]||昭和61年||![[第6259回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6259回]]||順天堂大学(5)||
||[[1983年]]<br/> 昭和58年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||{{0}}3年ぶり{{0}}9度目||style="text-align:left"|2区・9区のコースが変更。
|-
![[第60回東京箱根間往復大学駅伝競走|第60回]]
||[[1987年]]||昭和62年||[[第63回東京箱根間往復大学駅伝競走|第63回]]||順天堂大学(6)||順天堂大学が2連覇。日本テレビによる生中継放送が開始。山梨学院大学が初出場。最終10区で順天堂大学の選手が、突然飛び出してきた男性との接触により転倒。
||[[1984年]]<br/> 昭和59年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|早稲田大学||30年ぶり10度目||20||東京大学
|style="text-align:left"|第60回を記念して全20校で実施。<br />本大会では過去の優勝校を無条件で参加させるのではなく、制限タイムつきでの予選会突破を<br />義務付けたが、対象3校(中央・慶應・明治)はいずれも予選会を突破。<br>小田原中継所(往路)の位置が変更。
|-
||[[1988年]]||昭和63年||![[第6461回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6461回]]||順天堂大学(7)||順天堂大学が3連覇。
||[[1985年]]<br/> 昭和60年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|早稲田大学||{{0}}2年連続11度目||rowspan="9"|15||rowspan="2"|-||
|-
||[[1989年]]||昭和64年||![[第6562回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6562回]]||順天堂大学(8)||順天堂大学が4連覇を達成。留学生選手が初めて箱根路に登場。
||[[1986年]]<br/> 昭和61年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}4年ぶり{{0}}5度目||小田原中継所(復路)の位置が変更。
|-
||[[1990年]]||平成{{0}}2年||![[第6663回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6663回]]||大東文化大学(3)||伴走車(監督車)が交通事情により廃止。
||[[1987年]]<br/> 昭和62年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}2年連続{{0}}6度目||山梨学院大学
|style="text-align:left"|日本テレビによる生中継放送が開始。<br />日本テレビが後援、サッポロビールが協賛につく。<br />最終10区で順天堂大学の工藤康弘が、突然飛び出してきた男性との接触により転倒。
|-
||[[1991年]]||平成{{0}}3年||![[第6764回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6764回]]||大東文化大学(4)||大東文化大学が、出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて史上初の大学駅伝三冠達成。
||[[1988年]]<br/> 昭和63年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}3年連続{{0}}7度目||rowspan="6"|-||
|-
||[[1992年]]||平成{{0}}4年||![[第6865回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6865回]]||山梨学院大学||山梨学院大学が初優勝。
||[[1989年]]<br/> 昭和64年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}4年連続{{0}}8度目
|style="text-align:left"|留学生選手が初めて登場。
|-
||[[1993年]]||平成{{0}}5年||![[第6966回東京箱根間往復大学駅伝競走|第6966回]]||早稲田大学(12)||
||[[1990年]]<br/> 平成{{0}}2年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|大東文化大学||14年ぶり{{0}}3度目
|style="text-align:left"|伴走車(監督車)が交通事情により廃止。
|-
![[第67回東京箱根間往復大学駅伝競走|第67回]]
||[[1994年]]||平成{{0}}6年||[[第70回東京箱根間往復大学駅伝競走|第70回]]||山梨学院大学(2)||山梨学院大学が初めて総合成績10時間59分台を記録。第70回を記念して例年より5校多い11校を予選通過とし20校にて実施。まず予選通過の9校が選出され、中央学院大学、関東学院大学が初出場。後日特例として慶應義塾大学、筑波大学の出場も決まる。
||[[1991年]]<br/> 平成{{0}}3年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|大東文化大学||{{0}}2年連続{{0}}4度目
|style="text-align:left"|大東文化大学が、出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて史上初の大学駅伝三冠達成。
|-
||[[1995年]]||平成{{0}}7年||![[第7168回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7168回]]||山梨学院大学(3)||山梨学院大学が2連覇。順天堂大学が途中棄権(10区)。
||[[1992年]]<br/> 平成{{0}}4年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|山梨学院大学||初優勝||
|-
![[第69回東京箱根間往復大学駅伝競走|第69回]]
||[[1996年]]||平成{{0}}8年||[[第72回東京箱根間往復大学駅伝競走|第72回]]||中央大学(14)||史上初の2校(神奈川大学〈4区〉、山梨学院大学〈4区〉)途中棄権<ref group="注">同一区間内で複数校が途中棄権したのも大会史上初。</ref>。
||[[1993年]]<br/> 平成{{0}}5年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|早稲田大学||{{0}}8年ぶり12度目||
|-
![[第70回東京箱根間往復大学駅伝競走|第70回]]
||[[1997年]]||平成{{0}}9年||[[第73回東京箱根間往復大学駅伝競走|第73回]]||神奈川大学||神奈川大学が初優勝。前年途中棄権からの優勝、予選会突破からの優勝は初めての快挙。監督会議にて給水の必要性が議論され、以後14キロ過ぎに給水ポイントを設置することが決まる。
||[[1994年]]<br/> 平成{{0}}6年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|山梨学院大学||{{0}}2年ぶり{{0}}2度目||20||関東学院大学<br />中央学院大学
|style="text-align:left"|山梨学院大学が初めて総合成績10時間台を記録。<br />第70回を記念して例年より5校多い11校を予選通過とし20校にて実施。<br />特例として慶應義塾大学、筑波大学が出場。
|-
||[[1998年]]||平成10年||![[第7471回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7471回]]||神奈川大学(2)||神奈川大学が2連覇。帝京大学が初出場。
||[[1995年]]<br/> 平成{{0}}7年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|山梨学院大学||{{0}}2年連続{{0}}3度目||rowspan="8"|15||rowspan="3"|-
|style="text-align:left"|順天堂大学が途中棄権(10区)。
|-
||[[1999年]]||平成11年||![[第7572回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7572回]]||順天堂大学(9)||10区のコースを日本橋経由に変更。
||[[1996年]]<br/> 平成{{0}}8年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|中央大学||32年ぶり14度目
|style="text-align:left"|史上初の2校(神奈川大学〈4区〉、山梨学院大学〈4区〉)途中棄権<ref group="注">同一区間内で複数校が途中棄権したのも大会史上初。</ref>。
|-
||[[2000年]]||平成12年||![[第7673回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7673回]]||駒澤大学||5区と6区のコースが一部変更。元の東海道を通るコースになる。駒澤大学が初優勝。
||[[1997年]]<br/> 平成{{0}}9年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|神奈川大学||初優勝
|style="text-align:left"|前年途中棄権からの優勝、予選会突破からの優勝は初めて。<br />監督会議にて給水の必要性が議論され、以後14キロ過ぎに給水ポイントを設置することが決まる。
|-
![[第74回東京箱根間往復大学駅伝競走|第74回]]
||[[2001年]]||平成13年||[[第77回東京箱根間往復大学駅伝競走|第77回]]||順天堂大学(10)||順天堂大学が優勝し、史上2校目の大学駅伝三冠達成。國學院大學、平成国際大学が初出場。東海大学が途中棄権〈2区〉。前年実施の予選会の会場が[[国営昭和記念公園]]に変更。
||[[1998年]]<br/> 平成10年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|神奈川大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||帝京大学||
|-
||[[2002年]]||平成14年||![[第7875回東京箱根間往復大学駅伝競走|第7875回]]||駒澤大学(2)||法政大学が途中棄権(2区。スタートから最短地点<small>(2014年現在)</small>での途中棄権)。
||[[1999年]]<br/> 平成11年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||10年ぶり{{0}}9度目||rowspan="2"|-
|style="text-align:left"|10区のコースを日本橋経由に変更。
|-
![[第76回東京箱根間往復大学駅伝競走|第76回]]
||[[2003年]]||平成15年||[[第79回東京箱根間往復大学駅伝競走|第79回]]||駒澤大学(3)||第79回大会から前年度成績上位校によるシード枠を10校、予選会からの出場枠を9校に増加、さらにオープン参加として関東学連選抜チームを加えて20チームとする。エントリー人数が16人に拡大。運営管理車の導入など大幅な変更。
||[[2000年]]<br/> 平成12年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||初優勝
|style="text-align:left"|5区と6区のコースが一部変更。元の東海道を通るコースになる。
|-
![[第77回東京箱根間往復大学駅伝競走|第77回]]
||[[2004年]]||平成16年||[[第80回東京箱根間往復大学駅伝競走|第80回]]||駒澤大学(4)||第80回を記念して同年のみ関東学連選抜に代わり、日本学連選抜がオープン参加した。城西大学が初出場。この大会から、最も優秀な記録を出した選手に最優秀選手賞として、金栗四三杯が授与される。この大会で[[陸上自衛隊]][[第1師団 (陸上自衛隊)|第1師団]]からの車両・要員支援が終了。読売新聞社が共催に復帰。箱根町の要望により第80回を記念し、前年10月実施の予選会をこの回限定として芦ノ湖畔コースで実施。また年末にかけて[[シンポジウム]]やトークショーなどの記念行事が行われた。
||[[2001年]]<br/> 平成13年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}2年ぶり10度目||國學院大學<br />平成国際大学
|style="text-align:left"|順天堂大学が史上2校目の大学駅伝三冠達成。<br />東海大学が途中棄権〈2区〉。<br />予選会会場を[[国営昭和記念公園]]に変更。
|-
![[第78回東京箱根間往復大学駅伝競走|第78回]]
||[[2005年]]||平成17年||[[第81回東京箱根間往復大学駅伝競走|第81回]]||駒澤大学(5)||距離を再計測し、全区間の距離表示を変更(ルート自体は変更せず)。表彰式を[[東京ドームシティ|東京ドームホテル]]で公開して開催。箱根駅伝ミュージアムが往路ゴール脇に完成。予選会での外国人枠は2人までに限定。実際に走るのは1人のみ。駒澤大学が平成初の4連覇を達成。前年10月実施の予選会のコースが陸上自衛隊[[立川駐屯地]]→[[立川市|立川]]市街地→国営昭和記念公園のルートに変更された。
||[[2002年]]<br/> 平成14年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}2年ぶり{{0}}2度目||rowspan="2"|-
|style="text-align:left"|法政大学が途中棄権(2区。スタートから最短地点<small>(2014年現在)</small>での途中棄権)。
|-
![[第79回東京箱根間往復大学駅伝競走|第79回]]
||[[2006年]]||平成18年||[[第82回東京箱根間往復大学駅伝競走|第82回]]||亜細亜大学||亜細亜大学が初優勝。中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。4区が20kmを切る最短区間(18.5km)、5区が2区や9区を上回る最長区間(23.4km)になる。
||[[2003年]]<br/> 平成15年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}2年連続{{0}}3度目||rowspan="6"|19
|style="text-align:left"|前年度成績上位校によるシード枠を10校、予選会からの出場枠を9校に増加、<br />さらにオープン参加として関東学連選抜チームを加えて20チームとする。<br />エントリー人数が16人に拡大。運営管理車の導入など大幅な変更。
|-
||[[2007年]]||平成19年||![[第8380回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8380回]]||順天堂大学(11)||関東学連選抜が正式参加となる。
||[[2004年]]<br/> 平成16年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}3年連続{{0}}4度目||城西大学
|style="text-align:left"|第80回を記念して同年のみ関東学連選抜に代わり、日本学連選抜がオープン参加した。<br />この大会から、最も優秀な記録を出した選手に最優秀選手賞として、金栗四三杯が授与される。<br />この大会で[[陸上自衛隊]][[第1師団 (陸上自衛隊)|第1師団]]からの車両・要員支援が終了。<br />読売新聞社が共催に復帰。<br />箱根町の要望により第80回を記念し、予選会をこの回限定として芦ノ湖畔コースで実施。<br />年末にかけて[[シンポジウム]]やトークショーなどの記念行事が行われた。
|-
![[第81回東京箱根間往復大学駅伝競走|第81回]]
||[[2008年]]||平成20年||[[第84回東京箱根間往復大学駅伝競走|第84回]]||駒澤大学(6)||史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。関東学連選抜が4位に入り、シード枠を1校分減らしたため、第85回大会の予選会枠が1つ増えた。
||[[2005年]]<br/> 平成17年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}4年連続{{0}}5度目||rowspan="4"|-
|style="text-align:left"|距離を再計測し、全区間の距離表示を変更(ルート自体は変更せず)。<br />表彰式を[[東京ドームホテル]]で公開して開催。<br />箱根駅伝ミュージアムが往路ゴール脇に完成。<br />予選会での外国人枠は2人までに限定(実際に走るのは1人のみ)。<br />駒澤大学が平成初の4連覇を達成。<br />予選会のコースが陸上自衛隊[[立川駐屯地]]→[[立川市|立川]]市街地→国営昭和記念公園のルートに変更された。
|-
![[第82回東京箱根間往復大学駅伝競走|第82回]]
||[[2009年]]||平成21年||[[第85回東京箱根間往復大学駅伝競走|第85回]]||東洋大学||第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。上武大学が初出場<ref group="注">上武大学の所属選手としては過去に選抜チームの一員として出場経験有り。</ref>。青山学院大学が過去最長となる33年振りの出場。東洋大学が初優勝(往路、復路でも優勝する完全優勝)<ref group="注">但し、前年で同じ陸上競技部員の[[痴漢]]による不祥事により、例年恒例となっていた監督胴上げは自粛。</ref>。城西大学が途中棄権〈8区〉。関東学連選抜が9位に入ったほか、3位の日本体育大学が跳躍選手の不祥事(大麻使用歴及び偽札製作)によりシード権が剥奪されたため、第86回の予選会枠が2つ増えた。
||[[2006年]]<br/> 平成18年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|亜細亜大学||初優勝
|style="text-align:left"|中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。<br />4区が20kmを切る最短区間(18.5km)、5区が2区や9区を上回る最長区間(23.4km)になる。
|-
||[[2010年]]||平成22年||![[第8683回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8683回]]||東洋大学(2)||東洋大学2連覇。
||[[2007年]]<br/> 平成19年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|順天堂大学||{{0}}6年ぶり11度目
|style="text-align:left"|関東学連選抜が正式参加となる。
|-
||[[2011年]]||平成23年||![[第8784回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8784回]]||早稲田大学(13)||早稲田大学、史上3校目の大学駅伝三冠達成。史上2回目、現コース初の総合成績10時間59分台を記録。
||[[2008年]]<br/> 平成20年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}3年ぶり{{0}}6度目
|style="text-align:left"|史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。<br />関東学連選抜が4位に入り、シード枠を1校分減らしたため、次年度の予選会枠が1つ増えた。
|-
||[[2012年]]||平成24年||![[第8885回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8885回]]||東洋大学(3)||東洋大学が完全優勝。往路成績、復路成績、総合成績の全部門で記録更新。
||[[2009年]]<br/> 平成21年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|東洋大学||初優勝||22||上武大学<ref group="注">上武大学の所属選手としては過去に選抜チームの一員として出場経験有り。</ref>
|style="text-align:left"|第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。<br />青山学院大学が33年ぶりの出場。<br />城西大学が途中棄権〈8区〉。<br />関東学連選抜が9位に入ったほか、3位の日本体育大学が跳躍選手の<br />不祥事(大麻使用歴及び偽札製作)によりシード権が剥奪されたため、次年度の予選会枠が2つ増えた。
|-
||[[2013年]]||平成25年||![[第8986回東京箱根間往復大学駅伝競走|第8986回]]||日本体育大学(10)||日本体育大学が前年19位からの優勝。最大風速18m強風の影響もあり、2校(城西大学〈5区〉、中央大学〈5区〉)途中棄権。
||[[2010年]]<br/> 平成22年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|東洋大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||rowspan="4"|19||rowspan="5"|-||
|-
![[第87回東京箱根間往復大学駅伝競走|第87回]]
||[[2014年]]||平成26年||[[第90回東京箱根間往復大学駅伝競走|第90回]]||東洋大学(4)||第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の最多23校で実施。関東学連選抜は今大会のみ編成せず。東洋大学が完全優勝。復路成績で記録更新。山梨学院大学が途中棄権〈2区〉。予選会でのインカレポイント制度廃止。
||[[2011年]]<br/> 平成23年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|早稲田大学||18年ぶり13度目
|style="text-align:left"|早稲田大学が史上3校目の大学駅伝三冠達成。<br />史上2回目、当時においてコース初の総合成績10時間台を記録。
|-
![[第88回東京箱根間往復大学駅伝競走|第88回]]
||[[2015年]]||平成27年||[[第91回東京箱根間往復大学駅伝競走|第91回]]||青山学院大学||青山学院大学が完全優勝で初優勝。創価大学が初出場。関東学連選抜が関東学生連合に名称変更し、オープン参加となる。函嶺洞門が老朽化により崩落の恐れがあり、通行禁止になったため函嶺バイパスにコース変更された。それまでの第5区・第6区の区間記録、往路・復路・総合記録は参考記録とされた。競走路の再計測に伴い、第1区、第2区、第3区、第8区、第9区、第10区の距離表示が変更された。
||[[2012年]]<br/> 平成24年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|東洋大学||{{0}}2年ぶり{{0}}3度目
|style="text-align:left"|東洋大学が完全優勝。<br />往路成績、復路成績、総合成績の全部門で記録更新。<br />日本テレビが特別後援となる。
|-
![[第89回東京箱根間往復大学駅伝競走|第89回]]
||[[2016年]]||平成28年||[[第92回東京箱根間往復大学駅伝競走|第92回]]|| 青山学院大学(2)||青山学院大学が完全優勝で2連覇。1区から一度も首位を譲らず完全優勝したのは、1977年53回大会の日本体育大学以来、39年ぶり。東京国際大学が初出場。
||[[2013年]]<br/> 平成25年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|日本体育大学||30年ぶり10度目
|style="text-align:left"|城西大学〈5区〉、中央大学〈5区〉が途中棄権。
|-
![[第90回東京箱根間往復大学駅伝競走|第90回]]
||[[2017年]]||平成29年||[[第93回東京箱根間往復大学駅伝競走|第93回]]||青山学院大学(3)||青山学院大学が完全優勝で3連覇。3大会連続の完全優勝は、1937年第18回大会の日本大学以来で戦後初。史上4校目の大学駅伝三冠達成、完全優勝をしての三冠は史上初。中央大学が予選会11位で敗退。連続出場記録が87で途切れた。総合成績による第5区の貢献度が大きすぎる等の理由により往路の小田原中継所を箱根寄りの位置に変更。4区が20.9km、5区が20.8kmになる。それまでの第4区・第5区の区間記録、往路・総合記録は参考記録とされた。
||[[2014年]]<br/> 平成26年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|東洋大学||{{0}}2年ぶり{{0}}4度目||23
|style="text-align:left"|第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の最多23校で実施。<br />関東学連選抜は今大会のみ編成せず。<br />東洋大学が完全優勝。復路成績で記録更新。<br />山梨学院大学が途中棄権〈2区〉。<br />予選会でのインカレポイント制度廃止。
|-
![[第91回東京箱根間往復大学駅伝競走|第91回]]
||[[2015年]]<br/> 平成27年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||初優勝||rowspan="4"|20||創価大学
|style="text-align:left"|関東学連選抜が関東学生連合に名称変更し、オープン参加となる。<br />函嶺洞門が通行禁止になったため函嶺バイパスにコース変更、<br />それまでの第5区・第6区の区間記録、往路・復路・総合記録は参考記録とされた。<br />競走路の再計測に伴い、第1区、第2区、第3区、第8区、第9区、第10区の距離表示が変更された。<br />青山学院大学が完全優勝。
|-
![[第92回東京箱根間往復大学駅伝競走|第92回]]
||[[2016年]]<br/> 平成28年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}2年連続{{0}}2度目||東京国際大学
|style="text-align:left"|青山学院大学が1区から一度も首位を譲らず完全優勝(39年ぶり)。
|-
![[第93回東京箱根間往復大学駅伝競走|第93回]]
||[[2017年]]<br/> 平成29年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}3年連続{{0}}3度目||rowspan="5"|-
|style="text-align:left"|総合成績による第5区の貢献度が大きすぎる等の理由により<br />往路の小田原中継所を箱根寄りの位置に変更。<br />4区が20.9km、5区が20.8kmになる。<br />それまでの第4区・第5区の区間記録、往路・総合記録は参考記録とされた。<br />青山学院大学が完全優勝で3連覇(80年ぶり)、史上4校目の大学駅伝三冠達成。<br />完全優勝をしての三冠は史上初。<br />中央大学が予選会11位で敗退。連続出場記録が87で途切れた。
|-
![[第94回東京箱根間往復大学駅伝競走|第94回]]
||[[2018年]]<br/> 平成30年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}4年連続{{0}}4度目
|style="text-align:left"|青山学院大学が史上6校目の4連覇。初優勝からの4連覇は史上3校目(56年ぶり)。<br />現コース初の総合成績10時間台を記録。
|-
![[第95回東京箱根間往復大学駅伝競走|第95回]]
||[[2019年]]<br/> 平成31年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|東海大学||初優勝||22
|style="text-align:left"|第95回を記念して全22チームで実施。シード校10校と選抜チーム以外の11校を予選会で選考。<br />日本大学は関東インカレ成績枠として出場。
|-
![[第96回東京箱根間往復大学駅伝競走|第96回]]
||[[2020年]]<br/> 令和{{0}}2年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}2年ぶり{{0}}5度目||rowspan="4"|20
|style="text-align:left"|7区間で13選手が区間新記録を樹立。<br>東京国際大学(総合5位)と創価大学(総合9位)がシード権を獲得。
|-
![[第97回東京箱根間往復大学駅伝競走|第97回]]
||[[2021年]]<br/> 令和{{0}}3年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||13年ぶり{{0}}7度目
|style="text-align:left"|[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]感染拡大防止の為、沿道応援の自粛を要請。<br>前回大会でシード権を獲得した創価大学が史上19校目の往路優勝・総合2位と大躍進。
|-
![[第98回東京箱根間往復大学駅伝競走|第98回]]
|[[2022年]]<br/> 令和{{0}}4年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}2年ぶり{{0}}6度目||駿河台大学
|style="text-align:left"|新型コロナウイルス感染拡大防止の為、前回大会に続き沿道応援の自粛を要請。<br />大会最多優勝の中央大学が10年振りにシード権を獲得し、古豪復活を印象付ける。<br />青山学院大学が復路記録・大会記録を更新した。
|-
![[第99回東京箱根間往復大学駅伝競走|第99回]]
|[[2023年]]<br/> 令和{{0}}5年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|駒澤大学||{{0}}2年ぶり{{0}}8度目||rowspan="3"|-
|style="text-align:left"|3年ぶりに沿道での応援が解禁された。観戦者は91万人<ref> {{Cite web|和書|title=箱根駅伝、沿道観戦者は91万人 3年ぶりに応援容認|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/d7057f29b447a62d797e70ffbb394c3a43a551e8|website=Yahoo!ニュース|date=2023-01-03|accessdate=2023-01-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230103115341/https://news.yahoo.co.jp/articles/d7057f29b447a62d797e70ffbb394c3a43a551e8|archivedate=2023-01-03}}</ref>。<br />立教大学が史上最長となる55年ぶりの出場。襷を繰り上げスタートで途切れることなく最後まで繋いだ。<br />関東学生連合の1区・[[育英大学]]のランナーがスタート直後、飛び出して話題となる。<br />駒澤大学が史上5校目の大学駅伝三冠達成。3月に勇退が決まっていた28年駒澤一筋の[[大八木弘明]]監督が有終の美を飾った。 <br />前回大会に10年振りのシード権を獲得した中央大学は更に躍進し準優勝、完全復活を果たした。
|-
!{{nowrap|[[第100回東京箱根間往復大学駅伝競走|第100回]]}}
|[[2024年]]<br/> 令和{{0}}6年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}2年ぶり{{0}}7度目||23
|style="text-align:left"|第100回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の23校で実施。<br/>関東学生連合は今大会では編成されず。<br/>史上最多タイとなる16校が復路一斉スタート。<br />青山学院大学が完全優勝。往路成績、総合成績で記録更新。
|-
![[第101回東京箱根間往復大学駅伝競走|第101回]]
|[[2025年]]<br/> 令和{{0}}7年||1月{{0}}2日<br/>1月{{0}}3日
|青山学院大学||{{0}}2年連続{{0}}8度目||20
|style="text-align:left"|青山学院大学が総合成績を更新。<br />復路成績も更新したものの、駒澤大学がそれを上回り完全優勝とはならなかった。
|}
 
== 成績・表彰・式典 ==
=== 成績 ===
; 歴代出場校順位成績
{{See|箱根駅伝の記録一覧#歴代出場校成績}}
; 歴代本戦出場校一覧
{{See|箱根駅伝の記録一覧#歴代本戦出場校一覧}}
; 表彰
 
以下のような表彰がある<ref name="99youkou"/>。
=== 表彰 ===
以下のような表彰がある<ref name="89youkou">{{Cite web|url=http://www.hakone-ekiden.jp/pdf/youko_89.pdf|title=第89回東京箱根間往復大学駅伝競走要項|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2013-01-03}}</ref>。
* 総合優勝校には、賞状、優勝カップ、金メダル、優勝旗などを授与(内規第24条第1項)<ref name="naiki"/>。優勝校監督には記念品を授与(内規第24条第6項)<ref name="naiki"/>。
* 準優勝校、3位校には、賞状、カップ、メダルを授与。
* 総合1位から10位までのチームを入賞として賞状とトロフィーを授与(内規第24条第2項)<ref name="naiki"/>。なお、第78回(2002年)までは入賞は8位までとされていた。
* 往路優勝校、復路優勝校には賞状とトロフィーと副賞を授与(内規第24条第3項)<ref name="naiki"/>。なお、往路優勝校に関しては往路ゴール後に[[箱根町]]から提供される地元の名産[[寄木細工]]のトロフィー(箱根町長杯)が第73回(1997年)より授与されている。
* 区間賞者(各区間1位の者)には賞状とトロフィーを授与(内規第24条第4項)<ref name="naiki"/>。
* {{Anchors|金栗四三杯}}最優秀選手には金栗四三杯が授与される(内規第24条第5項)<ref name="naiki"/>。「日本マラソンの父」と評された[[金栗四三]]の功績を讃えるため、第80回(2004年)に新設された最優秀選手賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://spaia.jp/column/athletics/222|title=夢と感動と愛を与えた日本陸上界の偉人5人|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2016-07-23|accessdate=2020-11-17}}</ref>。最も優秀な記録を出した選手に授与される。なお、[[金栗四三杯]]の名称は[[富士登山駅伝競走大会|富士登山駅伝]]でも用いられておりこちらの方が先に命名されている。山登りの5区を中心に往路から選出されることが多い一方、復路からの授与者は第84回(2008年)の[[篠藤淳]]([[中央学院大学]])、第90回(2014年)の[[大津顕杜]]([[東洋大学]])、第93回(2017年)の[[秋山清仁]]([[日本体育大学]])、第94回(2018年)の3[[林奎介]]([[青山学院大学]])、第95回(2019年)の[[小松陽平]]([[東海大学]])、第98回の[[中村唯翔]](青山学院大学)、第101回の[[野村昭夢]](青山学院大学)の7しかいないである。現在のところ、外国人留学生が同杯を授与したことはなく、3・4・7・8区(戸塚 - 平塚 - 小田原間の各区間)からの選出ない。
{{hidden begin
|title = 金栗四三杯受賞者
|titlestyle = background:lightgrey;}}
{| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center;width:70%"
|+ 金栗四三杯受賞者
!回数!!受賞者!!所属大学!!style="white-space:nowrap;"|学年!!受賞理由成績!!style="width:40%500px"|備考
|-
|style="white-space:nowrap;"|第80回
1,062 ⟶ 1,368行目:
|4年
|10区<br />区間賞
|style="text-align:left;"|10区歴代3位の記録で盤石な総合優勝を成遂げた。また大会復路記録更新にも貢献した。
|-
|第91回
1,072 ⟶ 1,378行目:
|-
|第92回
|[[久保田和真|久保田 和真]]
|青山学院大学<br />(2度目)
|4年
1,084 ⟶ 1,390行目:
|6区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|自らの持つ区間記録を8秒更新。チームの総合7位に貢献した。
|-
|第94回
|[[林奎介]]
|青山学院大学<br />(3度目)
|3年
|7区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[設楽悠太]]が持っていた区間記録を17秒更新。大学4連覇に大きく貢献した。
|-
|第95回
|[[小松陽平]]
|東海大学<br />(3度目)
|3年
|8区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[古田哲弘]]が持っていた区間記録を16秒更新。大学初となる総合優勝に大きく貢献した。
|-
|第96回
|[[相澤晃]]
|東洋大学<br />(5度目)
|4年
|2区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[メクボ・ジョブ・モグス]]が持っていた区間記録を7秒更新。
|-
|第97回
|[[イエゴン・ヴィンセント・キベット|イェゴン・ヴィンセント]]
|[[東京国際大学]]
|2年
|2区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[相澤晃]]が持っていた区間記録を8秒更新。外国人留学生初の受賞。
|-
|rowspan="2"|第98回
|[[吉居大和]]
|[[中央大学]]
|2年
|1区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[佐藤悠基]]が持っていた区間記録を26秒更新。チームの10年ぶりシード権獲得に貢献した。
|-
|[[中村唯翔]]
|青山学院大学<br />(4度目)
|3年
|9区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[篠藤淳]]が持っていた区間記録を46秒更新。復路新記録及び大会新記録に大きく貢献した。
|-
|第99回
|イェゴン・ヴィンセント<br />(2度目)
|東京国際大学<br />(2度目)
|4年
|4区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[吉田祐也]]が持っていた区間記録を30秒更新。異なる3つの区間で区間記録を更新した。シードを逃した大学の選手が金栗四三杯を獲得するのは初めて(学連選抜を除く)。
|-
|style="white-space:nowrap;"|第100回
|[[山本唯翔]]
|[[城西大学]]
|4年
|5区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|自らの持つ区間記録を50秒更新。城西大学史上最高位となる総合3位躍進に貢献した。
|-
|第101回
|[[野村昭夢]]
|青山学院大学<br />(5度目)
|4年
|6区<br />区間新記録
|style="text-align:left;"|[[館澤亨次]]が持っていた区間記録を30秒更新。復路新及び大会新記録に大きく貢献した。(復路優勝は駒澤大学)また、野村は今回より新設されたMVPの初代受賞者となった。
|}
{{hidden end}}
{{clear}}
 
往路優勝の表彰は往路終了後に芦ノ湖の往路ゴール地点で実施。その他の賞(優勝校・入賞校・区間賞・金栗四三杯等)は3日の大会終了後に[[よみうり大手町ホール]]で行われる閉会式で行われる。
=== 式典 ===
表彰(優勝校・入賞校・区間賞・金栗四三杯等)は「閉会式」の会場で行われるが、往路優勝の表彰については芦ノ湖の特設会場の「往路表彰式」で行われる<ref name="89youkou"/>。閉会式は1月3日の大会終了後に[[読売新聞東京本社#よみうり大手町ホール|よみうり大手町ホール]]で行われている。
 
== 大会運営 ==
=== 本大会 ===
==== 現在 ====
* 主催 - 関東学生陸上競技連盟<ref name="89youkou99youkou">{{Cite web|url=http://www.hakone-ekiden.jp/pdf/youko_89.pdf|title=第89回東京箱根間往復大学駅伝競走要項|publisher=関東学生陸上競技連盟|accessdate=2013-01-03}}</ref>
* 共催 - [[読売新聞グループ本社|読売新聞社]]<ref name="89youkou99youkou"/>
* 特別後援 - 日本テレビ放送網<ref name="89youkou99youkou"/>
* 後援 - [[報知新聞社]]<ref name="89youkou99youkou"/>
* 特別協賛 - サッポロールディングス<ref name="89youkou99yosenyoukou"/>
** 第63回([[1987(1987]]) - 第79回([[2003(2003]]):)<ref>第73回(1997年)から'''特別協賛'''</ref>:サッポロビール(旧法人、現・[[在:サッポロホールディングス]])。
** 第80回([[2004(2004]]) - [[第93回(2017年):サッポロビール]](新法人)<ref name="SAPPORO" group="注">新法人になってからは、ゼッケンの特別協賛のサッポロビールのマークが変わった(サッポロビール→SAPPORO)。</ref>
 
* 協賛 - トヨタ自動車<ref name="89youkou"/>、[[ミズノ]]<ref name="89youkou"/>、[[セコム]]<ref name="secom" group="注">第91回(2014年度)大会より。BS日テレによる予選会中継にて確認。</ref>
* 協 - トヨタ自動車<ref name="99youkou"/>、[[ミズノ]]<ref name="99youkou"/>、[[セコム]]<ref name="secom" group="注">第91回(2014年度)大会より。BS日テレによる予選会中継にて確認。</ref>、(第93回以降)[[敷島製パン]](Pasco)<ref name="89youkou99youkou"/><ref group="注">なお、敷島製パンは第92回までは「協力」としてクレジットされていた。テレビ中継において販路に該当しない地域(県・圏域)の局では[[ACジャパン]]の啓発CMに差し替えていたが、2016年(第92回)はACジャパンの啓発CMが流れなかった(※販路に該当しない地域でもPascoのCMは流れた)。</ref>
* 運営協力 - 東京陸上競技協会<ref name="89youkou99youkou"/>、神奈川陸上競技協会<ref name="89youkou99youkou"/>、名橋日本橋保存会<ref name="89youkou99youkou"/>、[[箱根町]]<ref name="89youkou99youkou"/>、陸上競技社<ref name="89youkou99youkou"/>
* 警察 - 選手の先導及び安全確保任務のため選抜された[[白バイ]]隊員は、このために事前に特別訓練を行なって本番に臨んでいる。
** [[警視庁]]第一方面[[交通機動隊]]:大手町 - 六郷橋(先導担当は各方面隊から特に選抜された隊員が担当)
*** 第88回(2012年)の10区では、かつて箱根を走った日大陸上部OB([[警視庁#第九方面|第九方面隊]]所属、1年次に7区で区間賞、4年次に主将を務め総合4位に貢献)が先導を担当するというエピソードが生まれた<ref> {{Cite web|和書|title=箱根駅伝、今度は白バイで…日大OBの巡査部長|url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2012/news/20111227-OYT1T00691.htm|publisher=読売新聞 |accessdate=2011-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120109141226/http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2012/news/20111227-OYT1T00691.htm|archivedate=2012-01-09}}</ref>。
** [[神奈川県警察]](先導担当隊員は[[全国白バイ安全運転競技大会]]にて優勝など優秀な成績を収めた隊員が選抜される<ref>[https://biz-journal.jp/company/post_26134.html 箱根駅伝、先導する白バイ隊員は“特殊任務”…超エリートのみが挑む難易度最高水準&過酷な任務] - ビジネスジャーナル 2019年1月2日</ref>)
*** 六郷橋 - 遊行寺坂付近<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/life/article-1045964.html 先導の白バイに駐車場提供…“聖地”に 戸塚の和食店、隊員見守り50年余] - [[神奈川新聞]] 2023年12月29日</ref>:第一交通機動隊
*** 遊行寺坂付近 - 芦ノ湖:第二交通機動隊
* その他協力
** [[ウェザーニューズ]] - 気象面で運営をバックアップしている。具体的には、各中継地点で、気象情報を収集し、日本テレビに報告、大会運営や実況中継コメントなどで活用されている。第86回(2010年)からはテレビ中継の各中継地点の気象情報表示時に「気象情報 ウェザーニューズ」のクレジットが表示されている。
** [[警視庁]]・[[神奈川県警察]] - 選手の先導及び安全確保任務のため選抜された[[白バイ]]隊員は、このために事前に特別訓練を行なって本番に臨んでいる。
** 医師 - 順天堂大学OB<ref name=gendai221228>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/316575 |title= 箱根駅伝中継所ドクターは全員が順大医学部OB…なぜか協力しない大学がウジャウジャ|publisher=日刊ゲンダイ |date=2022-12-28|accessdate=2022-12-28}}</ref>
*** 大手町 - 六郷橋:警視庁第1方面[[交通機動隊]](先導担当は各方面隊から特に選抜された隊員が担当)
*** 六郷橋 - 芦ノ湖:神奈川県警第一交通機動隊
*** 第88回(2012年)の10区では、かつて箱根を走った日大陸上部OB(第9方面隊所属、1年次に7区で区間賞、4年次に主将を務め総合4位に貢献)が先導を担当するというエピソードが生まれた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2012/news/20111227-OYT1T00691.htm 箱根駅伝、今度は白バイで…日大OBの巡査部長] 読売新聞 2011年[[12月27日]]14時31分</ref>。
** [[ウェザーニューズ]] - 気象面で運営をバックアップしている。具体的には、各中継地点で、気象情報を収集し、主催者や日本テレビに報告、大会運営や実況中継コメントなどで活用されている。第86回(2010年)からはテレビ中継の各中継地点の気象情報表示時に「'''気象情報 ウェザーニューズ'''」のクレジットが表示されている。
 
==== 過去 ====
* [[アシックス]](第39回([[1963年]]) - 第70回([[1994年]]))
* [[日産自動車]](第63回([[1987年]]) - 第6968回([[19931992年]]))
* [[マツダ]](第69回([[1993年]]))
* [[三菱自動車工業]](第70回(1994年) - 第79回([[2003年]]))
* [[本田技研工業]](第80回([[2004年]]) - 第86回([[2010年]]))
 
==== 運営車両の変遷 ====
[[File:2024 Hakone Ekiden Team Support Car VOXY2023 Nippon Sport Science University.jpg|thumb|250px|第100回(2024年)運営管理車]]
第78回までは[[陸上自衛隊]]が担当。陸自撤退後の第76回からは[[三菱自動車工業|三菱自動車]]が運営車両を提供していたが、[[三菱リコール隠し|リコール隠し騒動]]の影響で第79回(2003年)をもって撤退。第80回(2004年)から第86回(2010年)までは[[本田技研工業|ホンダ]]が運営車両を提供した。この間、ホンダが開発中の[[燃料電池自動車]]の冬季公道走行試験の為、同社の[[ホンダ・FCX|FCX]]<ref>{{cite web|url=http://www.honda.co.jp/news/2003/4031210.html |title=四輪製品ニュース - 燃料電池車「FCX」、第80回東京箱根間往復大学駅伝競走で大会本部車として走行 |author=本田技研工業 |date=2003-12-10 |accessdate=2017-01-18}}</ref>および後継車種の[[ホンダ・FCXクラリティ|FCXクラリティ]]を先導車・大会本部車として投入した。但しホンダは[[貨物自動車|トラック]]・[[バス (交通機関)|バス]]を製造していない為、同時期に、[[トヨタ自動車]]も報道カメラ車として[[ハイブリッドカー|ハイブリッド]]・[[ディーゼルエンジン|ディーゼル]][[貨物自動車|トラック]]の[[トヨタ・ダイナ|ダイナハイブリッド]]を提供している。ホンダが第89回(2013年)まで車両提供契約を締結していたが、第87回(2011年)から第93回(2017年)までトヨタが運営車両全て(医務車と一部の車両を除いてハイブリッドカー)を提供しており<ref>[http://www.j-cast.com/2008/02/15016589.html]</ref>、両社のハイブリッドカーPR競争激化にも繋がっている。
運営車両は以下の編成<ref>[https://car-moby.jp/article/news/what-is-the-lead-car-for-the-2023-hakone-ekiden/ 「前大会は発売前のトヨタbZ4X」2023年箱根駅伝の先導車は何?大本命はトヨタのあの車] - MOBY[モビー] 2023年1月2日</ref>
各チームの運営管理車はホンダが[[ASIMO]]のステッカーを左側面に、トヨタは各チームのたすきと同じ色のストライプを87回では車両上部に、88〜89回では車両上部と前後に、90回では車両上部と前後に加え左側にも掲出している。また、84回からは運営管理車にスピーカーが取り付けられるようになった。運営管理車の運転は系列の自動車教習所の指導員が担当し、ホンダ時代はレインボーモータースクールが<ref>{{cite web|url=http://www.rms.co.jp/topics/2009/183.html |title=第85回 箱根駅伝を無事に安全運転で務めて参りました。|author=レインボーモータースクール |accessdate=2015-01-04}} </ref>、2015年現在はトヨタドライビングスクールが担当する。
* 大会会長車:審判長が乗車
2016年11月18日から2017年1月29日まで、[[MEGAWEB]]ヒストリーガレージで企画展「箱根駅伝を駆け抜けたランナーとクルマ ~STORY&HISTORY~」が開催されている<ref>{{cite web|url=http://www.megaweb.gr.jp/article/hakone2017/ |title=箱根駅伝を駆け抜けたランナーとクルマ ~STORY&HISTORY~ |author=MEGAWEB |accessdate=2017-01-18}} </ref>。
* 大会本部車:審判員が乗車
; 第76回(2000年) - 第78回(2002年)
* 技術総務車:走路の安全確認
: [[三菱・パジェロ]]
* 広報車:選手の接近を告知
; 第79回(2003年)
* 運営管理車:各大学の監督が乗車し、選手に指示を送る。監督・アシスタント・大会運営側委員が乗車。乗車人数が多い為、[[ミニバン]]が選ばれる。
: [[三菱・コルト]](運営管理車)
* 緊急対応車:3台投入。走路の最後尾を走り、選手のトラブルなどに対応
; 第80回(2004年)
* 医務車
: [[ホンダ・FCX]](ZC2)(大会本部車)
その他、報道関係車両([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]所有のテレビ中継車とバイク中継車、NHK([[日本放送協会]])所有のラジオ中継車、共同カメラ車(小型トラック)、新聞社の報道車)や、[[警視庁]]・[[神奈川県警察]]の警察車両が隊列を組む。
: ホンダ・オデッセイ(RB1)(運営管理車)
 
; 第81回(2005年)
第78回までは[[陸上自衛隊]]が担当。陸自撤退後の第76回からは[[三菱自動車工業|三菱自動車]]が運営車両を提供していたが、[[三菱リコール隠し|リコール隠し騒動]]の影響で第79回(2003年)をもって撤退。第80回(2004年)から第86回(2010年)までは[[本田技研工業|ホンダ]]が運営車両を提供した。この間は大会本部車に、ホンダで開発していた[[燃料電池自動車]]を冬季公道走行試験を兼ねて投入していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://global.honda/jp/news/2003/4031210.html |title=四輪製品ニュース - 燃料電池車「FCX」、第80回東京箱根間往復大学駅伝競走で大会本部車として走行 |author=本田技研工業 |date=2003-12-10 |accessdate=2017-01-18}}</ref>。
: ホンダ・FCX(大会本部車)
 
: [[ホンダ・エリシオン]](運営管理車)
第89回(2013年)まではホンダが車両提供契約を締結していたが、第87回(2011年)以降はトヨタが運営車両全て(医務車と一部の車両を除いてハイブリッドカー)を提供<ref>[https://www.j-cast.com/2008/02/15016589.html 箱根駅伝への車両提供 ホンダに出し抜かれたトヨタ : J-CASTニュース<!-- Bot generated title -->]</ref>。また第90回(2014年)以降の運営管理車には、各チームのたすきと同じ色のラインテープによる装飾(ボンネット・リアハッチ・左側面)が行われている。
: [[ホンダ・ステップワゴン]](医務車)
; 第82回(2006年)
: ホンダ・FCX(大会本部車)
: ホンダ・ステップワゴン(RG)(運営管理車・緊急対応車・医務車)
: [[ホンダ・シビック|ホンダ・シビックハイブリッド]](FD3)(広報車・技術総務車)
; 第83回(2007年)
: ホンダ・FCX(大会本部車)
: [[ホンダ・エディックス]](運営管理車)
; 第84回(2008年)
: ホンダ・FCX(大会本部車)
: ホンダ・ステップワゴン ステップワゴンスパーダ(RG後期型)(運営管理車)
; 第85回(2009年)
: [[ホンダ・FCXクラリティ]](大会本部車)
: [[ホンダ・フリード]](運営管理車)
; 第86回(2010年)
: ホンダ・FCXクラリティ(大会本部車)
: [[ホンダ・ステップワゴン]](RK)(運営管理車)
: [[ホンダ・エリシオン|ホンダ・エリシオンプレステージ]](医務車)
: [[ホンダ・インサイト]](ZE2)(広報車・技術総務車)
; 第87回(2011年)
: [[トヨタ・SAI]](大会会長車)
: [[トヨタ・ヴィッツ]](大会本部車)
: [[トヨタ・ラクティス]](技術総務車)
: [[トヨタ・プリウス|トヨタ・プリウス プラグインハイブリッド プロトタイプモデル]](ZVW30)(運営管理車・広報車)
: [[トヨタ・FCHV|トヨタ・FCHV-adv]](緊急対応車)
; 第88回(2012年)
: [[トヨタ・カムリ]](大会会長車)
: [[トヨタ・アクア]](大会本部車)
: [[トヨタ・プリウスα]](運営管理車)
: [[トヨタ・エスティマ|トヨタ・エスティマハイブリッド]](緊急対応車)
; 第89回(2013年)
: [[トヨタ・クラウン]](大会会長車・大会本部車・広報車)
: トヨタ・プリウスα(運営管理車)
: [[トヨタ・ヴェルファイア|トヨタ・ヴェルファイアハイブリッド]](緊急対応車)
; 第90回(2014年)
: トヨタ・プリウス プラグインハイブリッド(大会会長車)
: [[トヨタ・ハリアー|トヨタ・ハリアーハイブリッド]](大会本部車)
: トヨタ・SAI(技術総務車)
: トヨタ・アクア(広報車)
: トヨタ・プリウスα(運営管理車)
: [[トヨタ・アルファード|トヨタ・アルファードハイブリッド]](緊急対応車)
; 第91回(2015年)
: [[トヨタ・MIRAI]](大会会長車・大会本部車)
: トヨタ・クラウン(技術総務車・広報車)
: [[トヨタ・エスクァイア]]/[[トヨタ・ノア|ノア]]/[[トヨタ・ヴォクシー|ヴォクシー]](運営管理車)
: トヨタ・アルファードハイブリッド/ヴェルファイアハイブリッド(緊急対応車)
; 第92回(2016年)
: トヨタ・エスクァイア/ノア/ヴォクシー(運営管理車)
: トヨタ・プリウス(大会本部車・大会会長車)
: トヨタ・アルファードハイブリッド/ヴェルファイアハイブリッド(緊急対応車)
: トヨタ・アクアG's(広報車)
: トヨタ・MIRAI(技術総務車)
; 第93回(2017年)
: トヨタ・エスクァイア/ノア/ヴォクシー(運営管理車)
: トヨタ・プリウスPHV(ZVW50)(大会本部車)
:[[トヨタ・C-HR]](大会会長車)
: トヨタ・アルファードハイブリッド/ヴェルファイアハイブリッド(緊急対応車)
: トヨタ・MIRAI(広報車)
<gallery>
ファイル:2007 Hakone Ekiden Headquarter FCX.jpg|第80回(2004年) - 第84回(2008年)に先導車・大会本部車に起用されたホンダ・FCX
ファイル:2009 Hakone Ekiden Headquarter FCX Clarity.jpg|第85回(2009年)・第86回(2010年)に大会本部車に起用されたホンダ・FCXクラリティ
ファイル:2010 Hakone Ekiden Technical staff car Insight.jpg|第86回(2010年)に技術総務車として導入されたホンダ・インサイト
ファイル:2010 Hakone Ekiden Team support car StepWGN.jpg|第86回(2010年)に運営車両として導入されたホンダ・ステップワゴン
ファイル:2011 Hakone Ekiden Emergency car FCHV-adv.jpg|第87回(2011年)に緊急対応車として導入されたトヨタ・FCHV-adv
ファイル:2011 Hakone Ekiden Camera car Dyna Hybrid.jpg|第87回(2011年)にカメラカーとして導入されたトヨタ・ダイナハイブリッド
ファイル:2014 Hakone Ekiden Team support car Prius Alpha.jpg|第88回(2012年) - 第90回(2014年)に運営車両として導入されたトヨタ・プリウスα
ファイル:2014 Hakone Ekiden Announce car Aqua.jpg|第88回(2012年)・第90回(2014年)に広報車として導入されたトヨタ・アクア
ファイル:2014 Hakone Ekiden Camera truck DYNA Hybrid.jpg|第90回(2014年)にカメラカーとして導入されたトヨタ・ダイナハイブリッド
ファイル:2015 Hakone Ekiden Chairman car MIRAI.jpg|第91回(2015年)に大会会長車・大会本部車として導入されたトヨタ・MIRAI
ファイル:2015 Hakone Ekiden Team support car Esquire.jpg|第91回(2015年)に運営車両として導入されたトヨタ・エスクァイア
ファイル:2016 Hakone Ekiden Chairman Car Prius XW50 Thermo-tect Lime Green.jpg|第92回(2016年)に大会会長車として導入されたトヨタ・プリウス
ファイル:2017 Hakone Ekiden Chairman car C-HR.jpg|第93回(2017年)に大会会長車として導入されたトヨタ・C-HR
ファイル:2017 Hakone Ekiden Headquarter Prius Plug-in Hybrid.jpg|第93回(2017年)に大会本部車として導入されたトヨタ・プリウスプラグインハイブリッド
</gallery>
 
=== 予選会 ===
* 主催 - 関東学生陸上競技連盟<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou">{{Cite web|和書|url=httphttps://www.ntvkgrr.co.jporg/event/hakone2022/89kgrr/yosen99yosenkai/indexyoukou.htmlpdf|title=予選会要綱|publisher=日本テレビ放送網|accessdate=20132022-0112-0321}}</ref>
* 共催 - 読売新聞社<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>
* 特別後援 - 日本テレビ放送網<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>
* 後援 - 報知新聞社、[[国営昭和記念公園]]、立川市、立川商工会議所<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>
* 特別協賛 - サッポロールディングス<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>
** 第63回(1987年) - 第79回(2003年):サッポロビール(旧法人、現在:サッポロホールディングス)。
** 第80回(2004年) - 第93回(2017年):サッポロビール(新法人)<ref name="SAPPORO" group="注"/>
* 協賛 - トヨタ自動車<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>、ミズノ<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>、セコム<ref name="secom" group="注"/>、 (第93回以降<ref group="注">敷島製パンは第92回までは「協力」としてクレジットされていた。</ref>)敷島製パン(Pasco)<ref name="99yosenyoukou"/>
<!-- * 協力 - 敷島製パン(Pasco)<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/> -->
* 運営協力 - 東京陸上競技協会<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>、[[陸上自衛隊]][[立川駐屯地]]<ref name="89yosenyoukou99yosenyoukou"/>
 
=== 学生スタッフ ===
大会を支えているのは関東学連に加盟している加盟校である。創設以来の学生主体を現在も守り、沿道の走路員スタッフとして学生が起用されている。
大会を支えているのは関東学連に加盟している加盟校である。創設以来の学生主体を現在も守り、沿道の走路員スタッフとして学生が起用されている。箱根駅伝に出場するチームで選手や付き添い以外の部員、予選会で落選したチームの選手のほかにも1年生を多数スタッフとして送り込んでくる大学、[[トラック&フィールド]]も抱える大所帯の大学からも多数のスタッフが派遣される(過去には[[末續慎吾]]、[[為末大]]なども走路員としてスタッフに加わった。また、第89回(2013年)の往路は[[ディーン元気]]が3区の茅ヶ崎で早大選手に水を渡す係として加わった)。このことからも分かるように、箱根駅伝は実は単に長距離選手だけで行われているのではなく、多くの裏方に支えられている。その裏方とは種目は違えど、一緒に汗を流すチームメイトでもある。
 
箱根駅伝に出場するチームで選手や付き添い以外の部員、予選会で落選したチームの選手のほかにも1年生を多数スタッフとして送り込んでくる大学、[[トラック&フィールド]]も抱える大所帯の大学からも多数のスタッフが派遣されており、過去には[[末續慎吾]]、[[為末大]]なども走路員としてスタッフに加わった。
== 出場チームの取り組み 〜1年間の流れ〜 ==
* 3月頃までは[[ハーフマラソン]]などの{{仮リンク|ロードレース (陸上競技)|en|Road running|label=ロードレース}}に出て刺激を受ける選手も多い。そのうちに少しずつスピード練習を取り入れていくが、急激な練習の変化で肉離れなどが起きやすいともいわれる。近年は、この時期に合宿を組む大学も現れている。
* 春の目標は5月中旬の[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](関東インカレ)である。参加標準記録があり、種目ごとのエントリー人数も限りがあるので、それまでは各大学などで行われる記録会で標準記録を突破する必要がある。日本体育大学、東海大学、順天堂大学などが主催して大学内で行う長距離記録会が有名で、箱根出場大学や一部の実業団選手、高校生も出場する(この標準記録も有効期限内のものでなければいけない。大体至近2年ぐらいであることが多いようである)。関東インカレ男子は1部校と2部校(ならびに大学院生の3部校)に分かれ、毎年1部校下位2校と2部校上位2校が入れ替わる仕組みとなっているが、長距離部員のみの大学も多く、総合的なポイント獲得が難しいため、必ずしも強豪校が1部校というわけではない。
* 6月中旬には[[全日本大学駅伝関東地区予選会]]が開催され、シード校を除く多くの大学が顔を合わせる。
* 一部のトップ選手の場合には日本選手権など世界陸上やオリンピックへの出場を目指して実業団選手と走ることもある。また、近年は関東学連による海外遠征に参加する選手もいる。
* 大学によって時期のずれはあるが、[[試験]]の終わる7月下旬からが夏合宿となる。長期間の合宿を組むところや、何回かに分けて練習場所を変えるところもある。また選手の状態に合わせてAグループとBグループに分け、全く別の場所で行うところもあり、練習のスタイルも異なる。しかし月間で1000kmを超えることは珍しくなく、徹底した走りこみを行うことが特徴である。合宿の場所は[[北海道]]や[[東北地方]]、[[長野県]]などの高地や避暑地などが多い。また、前出の世界大会などに出場する選手は、チームを離れて別メニューとなることが多い。4年生の場合には[[就職活動]]や[[卒業論文]]などと並行しながら行っている。また[[教員免許]]をとる選手の場合には、夏又は秋以降に[[教育実習]]もあるためにチームを離れることも多く[[コンディション]]づくりも容易ではない。
* 9月上旬には[[日本学生陸上競技対校選手権大会]](日本インカレ)が開催される。出場のハードルは関東インカレよりも更に高い。しかし、箱根駅伝を最大の目標とする関東の大学は夏合宿での走りこみを重視し、この大会にピークを合わせることはしない<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/48924?page=2 あえて"非一流"の京大を選び、勝ち続ける男] 東洋経済オンライン - 2014年09月28日</ref>。結果的に関東インカレよりもレベルの低いメンバーしか集まらないこともあり、後述される駅伝偏重につながる批判の矢面に挙げられている。
* 下半期になると各大学のスタイルは、記録会にほとんど出ないところ、予選会突破を目指すところ、出雲駅伝や全日本大学駅伝を目指すところ、というように分かれてくる。特に駅伝では未経験者を試しに使ったり、様々なオーダーを試したりする使い方をする。9月ごろからは再び頻繁に記録会がある。
* 予選会に出る大学にとっては、10月中旬の本番までに最高の状態にピークを持っていかなければならない。予選会を突破することが最優先のため、本番の準備(特に5区、6区の山の区間)が遅れがちになる傾向にある。
* 全日本大学駅伝の後から短期の合宿を組むところもある。候補としては[[伊豆大島]]や[[房総半島]]など温暖な場所が挙げられる。
* 11月下旬に各地で開催されるハーフマラソンや記録会が、事実上メンバー選考の舞台となることが多い。エースクラスはともかく、当落線上の選手達にとってはここが正念場である。多くの大学が一堂に会するので、次第に大学間の力関係も浮き上がってくる。ここでの選手記録上位校がスポーツ新聞などの「下馬評」で上位校として取り上げられることが多い。
* [[12月10日]](第82回は[[2005年]]12月9日)までに出場校(チーム)は計16名以内のエントリーを関東学連に提出する。この最大16人がすなわち箱根駅伝本番への出場権を得た選手と言える。これ以外の選手は付き添いなど、裏方として本番までを過ごす。なお、当日午後から出場校の[[監督]]・[[コーチ]]と[[マネージャー]]がマスコミ向けに記者会見を行う。
* [[12月29日]]にエントリーした最大16人の[[#区間エントリー|区間エントリー]]を行う。16人を10人と残りの人数に分け10人を1区から10区までの区間ごとに、残りの人数を補欠選手として登録する。区間エントリーの詳細については後述。
* 1月2日午前7時に往路のエントリー変更を締め切る。
* 1月3日午前7時に復路のエントリー変更を締め切る。
 
=== トピ医療スタクとエピソード ===
駅伝に出走する選手のアクシデント等への対応のため、走者に車で伴走する医者のほか、各中継所に数人程度の医者が待機している。1992年より、順天堂大学医学部同窓会「順神会」の有志がメディカルボランティアを行っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.okutu.jp/shinbunold/0103omote.pdf |title=けんこうニュース新聞 第38号 |date=2001-03-10|access-date=2022-12-28|publisher=奥津医院|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221228085130/http://www.okutu.jp/shinbunold/0103omote.pdf|archivedate=2022-12-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.juntendo.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00031675.pdf&n=%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%A0%82%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A2020%E5%B9%B41%E6%9C%88%E5%8F%B7+No.308+%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A.pdf |title=順天堂だより2020年1月号 No.308 |access-date=2022-12-28 |publisher=学校法人順天堂|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221228085130/https://www.juntendo.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00031675.pdf&n=%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%A0%82%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A2020%E5%B9%B41%E6%9C%88%E5%8F%B7+No.308+%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A.pdf|archivedate=2022-12-28}}</ref>。
 
かつてはスタートとゴールのみに医師がいる状態で、大手町側は読売新聞社の[[産業医]]が担当していたが、読売新聞本社ビルの建て替えのため対応できなくなった。昭和年代にも、途中棄権者が出た際に医師が不在であることが問題になったこともあり、関東学連と順天堂大学医学部OBの宮川政久(2022年現在は川崎市の宮川病院院長)が医学部を持つ大学への協力を求めたが、無報酬であることなどがネックとなり協力を得られなかった。やむなく宮川が順大同窓会に助けを求め、1992年から同窓会が医師の派遣を行うようになった<ref name="gendai221228" />。
 
== トピック ==
{{出典の明記|date=2015年1月}}
=== 紫紺対決 ===
ユニフォームが白地に紫(藤色)のラインが入った駒澤大学と、紺色(茄子紺)の順天堂大学が激しい優勝争いを繰り広げていた[[2000年]]前後に使われていた言葉。第75回([[1999(1999]])から第84回([[2008(2008]])までは、[[亜細亜大学]]が優勝した第82回([[2006(2006]])を除き、駒澤大学、順天堂大学のいずれかが制している。
 
=== 山の神 ===
「山の神」は、全10区の中でも箱根の山登り区間を含む5区を担当し、特に優秀な成績を修めかつ人々の記憶に強い印象を与えた選手を讃える称号である<ref name="spaia161004">[https://spaia.jp/column/athletics/1065?page=1 箱根駅伝に名を残した3人の「山の神」] SPAIA 2016年10月4日</ref>。現在は3人の選手が「山の神」と呼ばれている。
第81回([[2005年]])で5区を担当した順天堂大学の[[今井正人]]が山上りで11人抜きを達成した際に、実況で「山の神が降臨しました」と言われた。これは当時同じ5区を担当した日本体育大学の[[北村聡]]が、「今井さんは神様のような存在です」と言ったことに由来する。今井は3年間、山上りの5区を担当し2年目以降は「山の神・今井」という言葉で常に紹介された。
* [[今井正人]](順天堂大学、2005年 - 2007年)
 
*: 2年生で出場した第81回大会(2005年)にて5区を担当した今井は、山上りで11人抜きを達成するとともに区間新記録を樹立<ref name="spaia161004" />。この激走を前に、実況アナウンサーが「山の神、ここに降臨」と実況したことが「山の神」の由来であり、当時同じ5区を担当した日本体育大学の[[北村聡]]が「今井さんは神様のような存在です」と言ったことに端を発する。今井はその後も5区を担当。「山の神・今井」という言葉で常に紹介された上で3年連続で区間賞を獲得し、3年時には往路優勝、4年時には総合優勝に貢献した<ref name="spaia161004" />。
その後、第85回([[2009年]])で5区を担当した東洋大学の[[柏原竜二]]が今井の記録を破る区間新を達成した際には、実況で「山の神を越える山の神童がここに誕生」と言われた。さらに第86回([[2010年]])で柏原は7位で襷を受けた後、自己記録を10秒縮め2位に3分38秒差を付ける快走を見せ「新・山の神」と言われ、紙面などではその名前と箱根芦ノ湖にちなみ「竜神」とも表された。今井・柏原共に[[福島県]]の[[浜通り]]地方(今井は[[南相馬市]]、柏原は[[いわき市]])の出身である。
* [[柏原竜二]](東洋大学、2009年 - 2012年)
*: 1年生で出場した第85回大会(2009年)で5区を担当した柏原は、今井の記録を破る区間新記録を達成。その際に実況アナウンサーが「山の神を越える山の神童がここに誕生」と実況した。さらに第86回(2010年)では7位でタスキを受けた後、自己記録を10秒縮めた上で2位に3分38秒差を付けるという快走を見せ「新・山の神」と称された。紙面などではその名前と箱根芦ノ湖から「竜神」とも言われた。その後も第87回大会(2011年)、第88回大会(2012年)と4年間全てで5区を担当し、特に第88回大会では自身が持つ区間記録の更新とともに、東洋大学の総合優勝にも貢献した<ref name="spaia161004" />。今井と柏原は共に[[福島県]]の[[浜通り]]地方(今井は[[南相馬市]]、柏原は[[いわき市]])の出身である。
* [[神野大地]](青山学院大学、2015年 - 2016年)
*: 3年生で出場した第91回大会(2015年)で5区を担当した神野は、先述の通りコース変更に伴って20m延長された新コースを走った上で、参考記録扱いとなっていた柏原の記録を24秒更新する区間新記録を樹立。3代目「山の神」と称され<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/01/02/kiji/K20150102009561300.html 青学大・神野 山上りで驚異のハイペース「夢なんじゃないかな」 ― スポニチ Sponichi Annex 駅伝]</ref><ref>[https://www.sanspo.com/article/20150103-7XI4E2FXPNKJBNB622DK4ALYHE/ 青学が往路初V!神野、3代目「山の神」襲名!!/箱根駅伝 (1/3ページ) - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)]</ref><ref> {{Cite web|和書|title=【箱根駅伝】青学大が往路制覇“山の神野”原監督も驚く5区で柏原超え|url=http://www.hochi.co.jp/event/sports/20150103-OHT1T50019.html|publisher=スポーツ報知|accessdate=2015-01-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150104070659/http://www.hochi.co.jp/event/sports/20150103-OHT1T50019.html|archivedate=2015-01-04}}</ref><ref>[https://www.daily.co.jp/general/2015/01/03/0007629429.shtml 3代目“山の神”降臨!青学大往路初V//デイリースポーツ online]</ref>、青山学院大学初の総合優勝(完全優勝)の立役者となった<ref name="spaia161004" />。この時ラジオ中継で解説を務めた柏原も「これで御役御免です」と発言した<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/01/02/0007629149.shtml?pg=2 “山の神”柏原「これで御役御免です」/スポーツ/デイリースポーツ online]</ref>。翌年の第92回大会(2016年)でも5区を担当し区間2位を記録。1区〜10区までの全てで1位通過する総合完全優勝に貢献した<ref name="spaia161004" />。
 
スポーツライターの[[生島淳]]は『元祖・山の神』を1974年から4年連続で5区の区間賞を獲得した[[大久保初男]]([[大東文化大学]])であるとし、今井以前の「山の神」に[[上田誠仁]](順天堂大)や木下哲彦([[金哲彦]]、早稲田大学)を挙げている<ref>{{Cite book|和書|author=生島淳|title=箱根駅伝|year=2011|publisher=幻冬舎|pages=41-44}}</ref>。[[奈良修]](大東文化大)も今井以前の「山の神」とみなす記事もある<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/hakone-ekiden/news/20221223-OYT1T50155/ 「山の神」はどんな人たち?4年連続区間賞の柏原竜二、驚異的速さの神野大地…元祖は今井正人]</ref>。
第91回([[2015年]])から[[函嶺洞門]]が崩落の恐れで通行禁止となり従来のコースの記録は参考記録となった。新コースで青山学院大学の[[神野大地]]が柏原の記録を24秒上回るタイムで走りきり、3代目「山の神」と呼ばれるようになった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/01/02/kiji/K20150102009561300.html 青学大・神野 山上りで驚異のハイペース「夢なんじゃないかな」 ― スポニチ Sponichi Annex 駅伝]</ref><ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20150103/ath15010305050001-n1.html 青学が往路初V!神野、3代目「山の神」襲名!!/箱根駅伝 (1/3ページ) - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)]</ref><ref>[http://www.hochi.co.jp/event/sports/20150103-OHT1T50019.html 【箱根駅伝】青学大が往路制覇“山の神野”原監督も驚く5区で柏原超え : 事業 : スポーツ報知]</ref><ref>[http://www.daily.co.jp/general/2015/01/03/0007629429.shtml 3代目“山の神”降臨!青学大往路初V//デイリースポーツ online]</ref>。ラジオ解説の柏原竜二も「これで御役御免です」と発言した<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/01/02/0007629149.shtml?pg=2 “山の神”柏原「これで御役御免です」/スポーツ/デイリースポーツ online]</ref>。
 
なお、4代目の「山の神」の条件として、5区の距離延長前の第81回で今井が樹立した1時間9分12秒に近い記録を出すことが挙げられている。その後第93回で元の距離に戻され、ほぼ同じコースになったためである(ただしその間に函嶺洞門バイパスへコース切り替えがあったため、完全に同じコースではない)<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/841810?page=3 「山の神」3人の5区を徹底検証。4代目の条件となるタイムとは?]</ref>。2025年の第101回大会では、若林宏樹(青学大)が1時間9分11秒とそれを超える記録を樹立した。ただ、神野の第91回の記録を現在の距離に換算した「事実上の区間記録」とされる1時間8分54秒を超えなければ4代目とは認められないという意見もある<ref>[https://hochi.news/articles/20250102-OHT1T51180.html?page=1 【箱根駅伝】青学大の若林、あと一歩で「4代目・山の神」襲名ならず 先輩の「3代目」神野大地も悔しがる]</ref>。
スポーツライターの[[生島淳]]は『元祖・山の神』を[[1974年]]から4年連続で5区の区間賞を獲得した[[大久保初男]]([[大東文化大学]])であるとし、今井以前の「山の神」に[[上田誠仁]]や木下哲彦([[金哲彦]])を挙げている<ref>{{Cite book|和書|author=生島淳|title=箱根駅伝|year=2011|publisher=幻冬社|pages=41-44}}</ref>。
 
=== コースへのお辞儀 ===
走者によっては、たすきタスキを次走者へ渡したあとコースへお辞儀をする選手がいも散見される。これは箱根駅伝へ出場でき、無事に走れたことへの感謝を示す行為で戦前から行わ見受けらている習慣である<ref group="注">新聞の報道やNHKの録画VTRなどにも記録されている。</ref>。従来は個人的な行為であり、チーム全体としては行われてこなかったが、第85回(2009年)に[[東洋大学陸上競技部|東洋大学]]が優勝した際、前年に元部員による不祥事があったにもかかわらず関係者の配慮などで出場できたこと、そして沿道で暖かい声援を送ってくれた全ての観衆へのお礼として自粛した胴上げのかわりに行われた。東洋大学は第86回(2010年)、第88回(2012年)に総合優勝した際も胴上げの前にまずコースに向かって監督・コーチ・選手全員で礼をした後に胴上げをしている<ref group="注">総合優勝ではない場合、混雑防止などもあってチーム全員がゴールスペースにいることはほぼないため、チーム全員でお辞儀をすることは出来ない。</ref>。<!--また、他の大学も日本体育大学が前年の不祥事を乗り越えて総合優勝を果たした第89回(2013年)に全員でお辞儀をした。さらに第91回(2015年)の青山学院大学も胴上げと順番は前後したものの全員でコースに向かってお辞儀をしている<ref group="注">日本テレビ本放送参照</ref>。-->
 
=== 超高速化 ===
ここ数年、優勝争いのレベルが急激なペースで向上しており、第87回(2011年)で優勝し、大学駅伝三冠を達成した早稲田大学の優勝タイムは、従来の総合記録を3分以上更新し、現行コ復路が日本橋を経由するルス・区間割(当時トに変更された第75回(1999年以降初めて11時間を切った。そして早稲田大学とはわずか21秒差で2位の東洋大学(11時間00分)、3位の駒澤大学(11時間03分)も、従来であれば十分に優勝出来るレベルのタイムであった。第88回(2012年)では高速化はさらに進化し、優勝した東洋大学(従来の総合タイムは、前年の早稲田大学2位最高記録を8分以上更新する10は11時間5107分台であった。5区の山登を(柏原が走ったとはいえ)加味してもなお全区11時06分以内1kmラップが3分を切るという、驚異的なタイムだった。4位早稲田大学も11時間3分台前半でフィニッシュしており、総合優勝争いするには11時間切る実力が求められるようになってきている。第90回(2014年)に至っては、10時間52分台で優勝した東洋大学だけでケースはなく、2位の駒澤大学も11時間台を切る10時間57分台でゴールしかっ。第91回(2015年は、優勝した青山学院大学は初めて10時間50分を切る10時間49分台でゴールした。因みに2010年度以降、総合優勝タイムが11時間を超えたのは強風に見舞われた第89回と4区・5区の距離の再改正が行われた第93回大会のみである
 
以降の大会では高速化はさらに進化し、第88回(2012年)では優勝した東洋大学の総合タイムは、前年の早稲田大学の記録を8分以上更新する10時間51分台であった。5区の山登りを(柏原が走ったことを)加味しても全区間の1kmラップが3分を切るという、驚異的なタイムであった。4位早稲田大学でも11時間3分台前半でフィニッシュしており、優勝争いするには11時間を切る実力が求められるようになった。第91回(2015年)で優勝した青山学院大学は、初めて10時間50分を切る10時間49分台でゴールした。
 
第96回(2020年)では、1区・8区・9区を除く7区間で区間新記録が生まれ、往路では全チームが5時間40分を切るタイムでゴール。復路でも全チームが5時間40分を切るタイムでゴールした。総合タイムでは青山学院大学と東海大学が10時間50分を切ったほか、シード権を得られる上位10校が全て11時間を切るタイムを記録した。さらに、第98回(2022年)では東海大学が、第99回(2023年)では東京国際大学が総合タイムで11時間を切ったにもかかわらず、シード権を獲得できなかった。第101回(2025年)では、上位10校が10時間55分を切り、13位の立教大学までが11時間を切るタイムでフィニッシュしている。
 
2010年度以降、総合優勝タイムが11時間を超えたのは、強風に見舞われた第89回と、4区・5区の距離の再改正が行われた第93回のみである。往路優勝および復路優勝のタイムが5時間30分を超えたのもその2大会のみである。
 
2010年代以降の高速化の要因として、各大学ともに選手のスカウティングやトレーニングに力を入れ、またスカウティング対象の高校生選手の走力も上がっている事から、結果、選手層が厚くなり優勝争いのレベルが非常に高くなったこと、[[ナイキ]]の厚底シューズに代表される高性能ランニングシューズが普及し、記録が更新しやすくなったことが挙げられる。
 
優勝を目指す大学にとっては、「つなぎ区間」という概念は無くなりつつあり、全ての区間が「重要区間」「エース区間」と位置づけられるようになってきており、いかに力のある選手が万全の体勢で走れるかが鍵となっている。
 
一方、ハイペースに付いて来られない下位の大学にとっては繰り上げスタートのリスクが非常に高くなっており如何にタイム差を抑えて母校のタスキを繋ぎきれるかが焦点となっている。事実、高速化が顕著になった第88回と第90回から第95回まで、第100回の計8大会は、復路の鶴見中継所(10区スタート地点)で4チーム以上が繰り上げスタートになっており、戸塚中継所(9区スタート地点)でも繰り上げスタートが発生。さらに、第92回から第94回までの3大会は復路の平塚中継所(8区スタート地点)で繰り上げスタートが発生していた
 
実際、高速化が顕著になった第88回大会以降、翌89回大会を除いて4チーム以上が復路の鶴見中継所で繰り上げスタートになっている。
ただ、下位校の記録も年々向上し、第95回以降、復路の鶴見中継所での繰り上げスタートは2チーム - 4チームにとどまっており、各校の戦力も徐々に均衡するようになってきている。
 
=== 練習(試走)中の事故で死亡 ===
第32回大会が開催された1956年の12月11日、[[箱根町]]の[[国道1号|国道1号線]]・宮ノ下界隈に於いて駅伝練習(試走)を行っていた[[専修大学]]の学生、小山国夫が[[交通事故]]に遭い、死亡した。事故当時、小山は前記国道1号線を駆け下りていたところだったという。ちなみに小山は、前記第32回大会に専修大学の第7区走者としてエントリー、1時間13分35秒のタイムで区間9位という成績を残していた<ref name="gendaib_160103">{{Cite web |和書|author=花房麗子 |date=2016-01-03 |url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239 |title=箱根駅伝のタブー「試走問題」にモノ申す! あの悲劇を繰り返すな |work=[[週刊現代|現代ビジネス]] |publisher=[[講談社]] |accessdate=2016-11-06 |quote=全5頁構成。3・5両頁目に小山国夫に関する記述が、4頁目に試走に関する記述が見える}}《→アーカイブ([|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161106032025/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239 P1]|archivedate=2016-11-06}}《→アーカイブ(・[https://web.archive.org/web/20161106032105/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239?page=2 P2]・[https://web.archive.org/web/20161106032132/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239?page=3 P3]・[https://web.archive.org/web/20161106032206/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239?page=4 P4]・[https://web.archive.org/web/20161106032224/http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47239?page=5 P5])》</ref><ref name="west4_pnf">{{Cite web |和書|date=2011-10月5日-05 |url=http://www.west4.gr.jp/pdf/hakone.pdf#page=41 |title=箱根駅伝35周年記念 小山国夫鎮魂の碑 |format=PDF |work=旅先案内人コンシェルジェ~虎の巻~・『箱根の巻』 |publisher=ウエスト4委員会事務局 |accessdate=2016-11-06 |quote=『箱根の巻』40頁目に掲載《[http://www.west4.gr.jp/cons.html →『旅先案内人コンシェルジェ』表紙]〔[https://web.archive.org/web/20161019141437/http://west4.gr.jp/cons.html 表紙アーカイブ(2011年10月5日更新時点)])〕》 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161106100308/http://www.west4.gr.jp/pdf/hakone.pdf |archivedate=2016-11-06}}</ref><ref>{{Cite web |和書|url=http://www.hakone-ekiden.jp/data/data_player.php?id=1795 |title=選手詳細情報(小山国夫) |work=箱根駅伝公式Webサイト |publisher=関東学生陸上競技連盟・読売新聞社 |accessdate=2016-11-06}}《[|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161106033203/http://www.hakone-ekiden.jp/data/data_player.php?id=1795 →アーカイブ]|archivedate=2016-11-06}}《》</ref>。
 
事故から2年余り経過した1959年3月5日、宮ノ下観光協会の手により、小山に対する鎮魂の意を込めた当駅伝35回記念碑が建立された。その記念碑は宮ノ下交差点から元箱根方向に約300m上ったところの右手、[[箱根神社]]宮ノ下別院付近に存在し、裏面には小山の母親による鎮魂の句が刻み込まれている<ref name="gendaib_160103" /><ref name="west4_pnf" />{{refnest|group="注"|この記念碑について、実際には、石碑の表面に銅版彫のプレートがはめ込まれており、そこには「東京・箱根 往復(”・”の箇所には聖火トーチの図柄)」と「関東大学駅伝競走第35回記念(”第”は[[略字]]表記、”回”は「はしご回」表記、”記”の右側は「巳」表記)」の文字が刻み込まれている<ref name="west4_pnf" /><ref>{{Cite web |和書|date=2010-10-06 |url=http://akashijc.tenkomori.tv/e198551.html |title=第59回 全国会員大会 後編 |work=社団法人明石青年会議所の活動ブログ |publisher=社団法人明石青年会議所 |accessdate=2016-11-06}}</ref>。}}。
 
なおコースに於ける事前試走については、現在、安全上の理由から当駅伝の主催者・関東学連により禁止されている。しかし実際には、箱根山中を試走する箱根駅伝出場ランナーとおぼしき姿が散見されている<ref name="gendaib_160103" />。
 
=== 箱根駅伝ミュージアム ===
[[2005年]]3月に芦ノ湖畔に箱根駅伝を題材にした'''[[箱根駅伝ミュージアム''']]がオープンした。スポーツを題材にした[[博物館]]は多いが、1つの行事として<ref group="注">例えば[[プロ野球]]の[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]や[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]、[[サッカー]]の[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]、あるいは[[中央競馬]]における[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]というカテゴリーとして。</ref>博物館化されることは極めて珍しい。運営は[[富士屋ホテル]]が行っている。
{{main|箱根駅伝ミュージアム}}
 
=== ゴミ拾い駅伝 ===
箱根駅伝復路の翌日から2日間、出場した大学の学生たちなどがゴミ拾いして同じコースをもう一度歩く。[[1998年]]に神奈川大学のウォーキング活動を復活させる動きがきっかけとなり、[[2006年]]に「大学対抗・ゴミ拾い」の形式でリニューアルされた。「もう一つの箱根駅伝」と呼ばれた。
 
日程は往路の5区間を2日に分けて行い、1日目が東京・大手町から神奈川・平塚までの3区間。2日目は平塚 - 箱根の2区間をゴミ拾いしながら歩く。順位は1袋10Pで半分だと5P。到着時間は最後のチームを基準とし、1分早いごとに1Pが加算される。
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当初は大学のみだったが現在は一般の参加も可能となり箱根駅伝に出場できない女性や社会人、海外からのチームも参加している。
 
2011年に「もう一つの東海道駅伝」と名称を改め、京都・三条大橋までのゴミ拾い駅伝を実施。東京 - 神奈川間以外に活動を広げた<ref>[ {{Cite web|和書|title=ゴミ拾い駅伝 Clean-up Relay|url=http://another-project.com/ekiden.html]|publisher=NPO法人もう一つのプロジェクト|accessdate=2022-12-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221209054303/http://another-project.com/ekiden.html|archivedate=2022-12-09}}</ref>。
 
=== エピソード ===
<!--中継番組に関するエピソードについては当該節に記載されている-->
箱根駅伝は日本のスポーツの中でも長い歴史を持つイベントである。そのために様々なエピソードが生まれた。
 
* 選手にアクシデントがあった場合には、控え選手を乗せた伴走車を前の中継所まで引き返させ、そこからの再スタートを切る方法が存在した<ref>『箱根駅伝70年史』(1989)pp.28-29.</ref>が、現在は交通への影響や選手の安全上認められていない。またこの伴走車には各校の[[応援団]]が大挙して乗り込み選手に声援を送っていたが、危険であるため[[河野洋平]]([[日本陸上競技連盟]]会長・[[衆議院議長]]・[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]を歴任)が廃止させた。現行のルールでは行為が発覚した時点で失格となることが考えられる。
*箱根駅伝が開催された理由といわれている「アメリカ大陸横断駅伝」を開催するための「予選会」という説、これは多くの書籍に書かれ一般的に広まっている説であるが、これは1980年代に放送されていたテレビ番組「[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]」の人気とともに言われ始めたもので、何かしらの誤認があるか、もしくはそのクイズ番組の人気に乗じた創作話という説がある。それぞれの言葉が似ているだけでなく、そのクイズ番組では「予選会」が行われており、さらに箱根駅伝と同じ日本テレビが放送局であった。そもそも箱根駅伝で第1回に予選会は行われておらず、行われたのは第23回からである。
* 表彰式では総合優勝校に優勝旗が授与されるが、前年優勝校が大学に置いたままにしていたためにあわてて取りに帰り、表彰式の開始時刻が遅れたことがあった。
*第1回開催当時の箱根町は現在と違い、箱根・元箱根・芦ノ湯の3地区のみであり、湯本・大平台・宮ノ下などは箱根町ではなかった。なお5区について、現在の[[国道1号]]線は開通しておらず、箱根旧街道を登った。甘酒茶屋・石畳の方である。開催前、その旧街道を現地調査した金栗四三は、「こんなひどい道を学生に走らせて大丈夫なんだろうか」と心配したといわれている。
* 第63回(1987年)には、最終10区で順天堂大学の選手が、興奮して突然飛び出してきたファンとの接触により転倒した。<!--選手は動揺せず走り続け、優勝のテープを切ってゴールしたが、この事件は、この年に開始されたテレビ放送の全国中継の影響によるものだとも言われている。-->
*箱根駅伝に関する書籍が第1回開催(1920年)から30年以上出版されなかったのは、第1回で遭難者が出てしまったためという説がある。
* これまで、ごくまれに悪天候(=降雪)下で開催されたことがあるが、このために交通手段が影響を受け、選手や関係者が到着できずにあわや失格の危機に瀕した事例もある。<!--
*箱根駅伝を企画したうちの一人、[[河野治平]]が関東地方に顔の利く政治家であったことが、関東地域の大学のみ出場するという流れになったといわれている。
* 緊張のあまり襷をせずに走り出して、あわてて戻ってきた選手もいた。-->
*その息子で政治家を目指していた[[河野一郎]]は、選挙区のある小田原を走るとき、街道の市民に手を振りながら走った。
* 沿道で配られる読売新聞社と報知新聞社の紙製応援小旗には、近年懸賞応募券が付いていた。これは使い終わった小旗を観客が沿道に捨てるのを防ぐための工夫であった。ちなみに2007年の懸賞は1等から8等まであり、1等は「箱根ホテル小涌園 宿泊招待券」だった。なお2010年の応援小旗は布製で、読売新聞社の小旗は読売新聞の社旗デザインが染め抜かれ、上部に「第86回箱根駅伝」と記されている。
*その[[河野一郎]]と[[吉田茂]]は同じ党でありながら仲が悪かった。毎年正月に大磯町の自宅にいた吉田茂は、憎き河野一郎が箱根駅伝と関係が深かったため、箱根駅伝まで憎くなり、「自宅の前を通過する選手への応援がうるさい、渋滞も酷い、なんとかしろ」と難癖をつけたといわれる。それが[[戸塚道路]](ワンマン道路)建設の理由の1つとかなんとか。建設後、箱根駅伝は戸塚道路を通るルートに変更になった。
* 下述のように箱根駅伝を目標にする選手が多く、一度大学を卒業、実業団に入ったものの「箱根を走りたい」という思いだけで有力校に再入学し箱根を走った選手がいる。<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140104-00000008-sph-spo 【箱根駅伝】“最後の昭和生まれランナー”?東農大・山本、25歳で夢かなえた]</ref>
*昭和の時代、伴走車には各校の応援団が大挙して乗り込み選手に声援を送っていたが、危険であるため河野一郎の息子・[[河野洋平]]が廃止させた。
* 第79回(2003年)では、本番間近のころ、大学近くで[[万引き]]犯を見つけた専修大学の選手が「俺は絶対に箱根駅伝を走るんだ。どこまでも追い掛けてやる」と犯人を取り押さえ逮捕に貢献。この選手は実際に本番で走ったが腹痛で区間最下位に終わった。「前を行く選手までは捕まえられなかった」と新聞のネタにされたものの、一連の善行で知名度が上がり、その本番では「沿道から名前で呼んで応援してもらえて、とても嬉しかった」と喜んだ。
* 箱根駅伝を目標にする選手が多く、一度大学を卒業、実業団に入ったものの「箱根を走りたい」という思いだけで有力校に再入学し箱根を走った選手も多い<ref> {{Cite web|和書|title=【箱根駅伝】“最後の昭和生まれランナー”?東農大・山本、25歳で夢かなえた|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140104-00000008-sph-spo|accessdate=2014-01-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140104205630/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140104-00000008-sph-spo |archivedate=2014-01-04}}</ref>。
* 第79回(2003年)では、大学近くで[[万引き]]犯を見つけた専修大学の選手が「俺は絶対に箱根駅伝を走るんだ。どこまでも追い掛けてやる」と犯人を取り押さえ逮捕に貢献<ref>{{Cite web|和書|title=箱根駅伝ハプニング集 警察暴走、犬で裸足で区間新 |url=https://cocokara-next.com/athlete_celeb/hakone-ekiden-rare-scene-02/2/ |website=ココカラネクスト |access-date=2023-01-03 |language=ja}}</ref>。この選手は実際に本番で走ったが腹痛で区間最下位に終わったものの、一連の善行で知名度が上がり、その本番では「沿道から名前で呼んで応援してもらえて、とても嬉しかった」と喜んだ。
* 箱根駅伝の楽しみ方として、走る選手を応援するだけでなく、各大学の歴史ある[[応援団]](東農大の大根踊り([[青山ほとり]]など)、[[チアリーディング]]、[[ブラスバンド]]、マスコットキャラクターを見学するという楽しみ方もある。但し大根踊りとの双璧と云われる日本体育大学のエッサッサ(日体大独自の応援スタイル運動)は、総合優勝しないと見られない。
* 箱根駅伝ではゴールや中継所近くの土地所有者が、応援団に応援場所を無償で提供している。その土地所有者の中には、応援団・チアリーディング・ブラスバンドを、邪気を祓い福を招く正月の縁起の良いものとして捉えている人もいる。
* 往路ゴール地点では、協賛企業が物品を販売したり、商品を無料配布することがある。企業以外では、箱根町の隣に位置する[[湯河原町]]が、名物のみかんを振る舞うことがある。
 
== 箱根駅伝が抱える問題 ==
{{未検証|date=2018年1月|section=1}}
箱根駅伝は、1987年以後の全国完全生中継(日本テレビ)による人気沸騰により、多くの問題が浮き彫りにされてきた。以下に主要な議論をまとめる。なおこれらを解決すべく、関東学連に設けられた「'''駅伝対策委員会'''」の存在に期待が集まる。
箱根駅伝は、1987年以後の全国完全生中継(日本テレビ)による人気沸騰により、多くの問題が浮き彫りにされてきた。以下に主要な議論をまとめる。これらを解決すべく、関東学連に設けられた「駅伝対策委員会」の存在に期待が集まる。
 
=== 留学生 ===
テレビの全国生中継開始と同じ、第63回(1987年)に初出場を果たした山梨学院大学は、出場3年目にしてから[[ネグロイド|アフリカ人]][[留学生]]の選手を呼び入れた。主催者側の判断により箱根駅伝を[[外国人]]選手が走ることができるようになり、その圧倒的な走りで新風を巻き起こした。特に、彼らは往路のエース区間とされる「花の2区」で、「ごぼう抜き」を演じるケースが非常に多かった。その後、山梨学院大学が彼らの快走によって3回の総合優勝を果たしたことと、初出場からの連続出場を30年以上も続けていることも、アフリカ系留学生の増加に拍車を掛ける大きな要因となっている。
 
[[1980年代]]後半からレース全体のスピードアップが進んだことにも、留学生の登場が大きく影響している。既に[[全国高等学校駅伝競走大会|全国高校駅伝]]や[[全日本実業団対抗駅伝競走大会|ニューイヤー駅伝]]では、外国人選手の起用制限事項(1チームあたりのエントリー数、起用区間の制限など)があり、箱根駅伝においても第82回(2006年)からは、前述の内規第9条を変更し、16名のエントリー時点では2人まで登録可能だが、実際に本番で走ることができるのは1人に限ると決められ、2005年秋に実施された予選会より適用されている。2006年以降本番で留学生を2名エントリーしたのは山梨学院大学(第85回 2009年・第92回・第992016年- 第101回)、日本大学(第86回 2010年・第89回 2013年・第92回 2016年)、拓殖大学(第87回 2011年・- 第88回)、国士舘大学(第95回)、創価大学(第96回・第99回)、東京国際大学(第962012年- 第99回・第101回)、駿河台大学(第100回)の例があり、いずれの例も、実際に本番で走ったのは1名のみで、もう1名は補欠選手となっているなお、大学三大大学駅伝の残り2つのうち[[全日本大学駅伝対校選手権大会|全日本大学駅伝]]では2011年より箱根駅伝と同様人数規制が行われることになったが、[[出雲全日本大学選抜駅伝競走|出雲駅伝]]においては規制がない<ref group="注">ただし、出雲駅伝において同一大学から複数人の留学生が出場した事例は、2011年の拓殖大学が最後となっている。</ref>
 
留学生の起用が好成績に結びつくとは限らない。実際に留学生を擁して総合優勝を果たしたのは前述の山梨学院大学のみで、第71回(1995年)以降、新たに留学生を擁して総合優勝を成し遂げた大学は出ていない。シード権においても例外ではなく、第100回(2024年)では7校が留学生を起用し、シード権を獲得できたのは城西大学(3位)、創価大学(8位)、大東文化大学(10位)の3校であった。しかしレースの高速化が顕著となった2010年代以降、留学生を受け入れる学校が増加しており、第100回大会予選会では参加57校中18校から留学生が出場し、そのうち5校が予選を通過している。
なお、箱根駅伝でアフリカ系留学生が走ったのはこれまで山梨学院大学、亜細亜大学、平成国際大学、日本大学、拓殖大学、東京国際大学、創価大学の7校である。
 
箱根駅伝本大会で初めてアフリカ系留学生が走った大学は、第65回(1989年)の山梨学院大学を筆頭に、亜細亜大学(第69回)、平成国際大学(第77回)、日本大学(第81回)、拓殖大学(第87回)、東京国際大学(第92回)、創価大学(第93回)、国士舘大学(第95回)、専修大学(第98回)、駿河台大学(第98回)、大東文化大学(第99回)、城西大学(第99回)の12校である。
[[コーカソイド|白人]]、アジア系留学生選手として選ばれ出場した例はほとんどない。
 
予選会で初めてアフリカ系留学生が走った大学は、山梨学院大学(第65回)、亜細亜大学(第69回)、流通経済大学(第72回)、平成国際大学(第75回)、日本大学(第87回)、拓殖大学(第87回)、東京国際大学(第89回)、桜美林大学(第91回)、日本薬科大学(第92回)、創価大学(第93回)、武蔵野学院大学(第93回)、国士舘大学(第95回)、駿河台大学(第95回)、専修大学(第98回)、大東文化大学(第98回)、城西大学(第99回)、麗澤大学(第99回)、上武大学(第99回)、立正大学(第99回)、札幌学院大学(第100回)の20校である。
=== 駅伝偏重とインカレポイント ===
大学経営策の一環として、箱根駅伝に[[パブリック・リレーションズ|PR]]効果を期待する大学が増えている。そのため「陸上競技部」と称しながら実際には長距離部門を中心に運営している大学や、挙句の果てには「駅伝部」を称する大学、「陸上部監督」とは別に、駅伝に特化した「駅伝監督」なるポジションが存在する大学も見られる。予選会に出場する大学の中には予選会に全力を傾けるため、インカレへの出場に消極的になりがちな大学もある。
 
[[コーカソイド|白人]]やアジア系留学生が出場した例としては、戦前の草創期に[[権泰夏]]・[[金恩培]]・[[南昇竜]]ら[[朝鮮]]出身選手の活躍が見られたものの、戦後はほとんど例が無い<ref group="注">[[全日本大学駅伝対校選手権大会|全日本大学駅伝]]では1990年代に[[名古屋商科大学]]が[[台湾人]]留学生を起用した例がある。予選会においては第99回(2022年)で関東学院大学から韓国人留学生が出場したほか、東京大学大学院や防衛大学校からスポーツ留学ではない留学生が出場した例がある。</ref>。
予選会の成績に関東インカレのポイントを導入した背景には、上記の「駅伝偏重」対策が大きく影響している。主催者側も箱根駅伝を「世界に通じる陸上競技者の育成」としており、その原点に立ち返る意味で導入した。このシステムは導入時から物議を醸しており、関東学連も導入後5年を経過した2007年を機にシステムの再構築も考える可能性を残した。一方で廃止論などに対し[[沢木啓祐]]は「たまたま同じ大学が悲劇の対象になっているだけ」という見方を示し、既に導入から5年経過しており各大学とも対策を練っていると廃止論を一蹴。[[青葉昌幸]]も「出場枠増にも様々な経緯があるだけに、そのような事情を知らないで(落選したチームが)かわいそうだと言われても困る」とコメントしている。総じて関東学連側は、見直し論については当初の予定どおり検討。第84回(2008年)の予選会よりポイント方式が変更されたものの廃止には否定的な見方を示していた。
 
=== 駅伝偏重とインカレポイント ===
インカレポイントについて、第86回(2010年)終了時から廃止・継続又は新制度の導入などの議論を重ねた結果、2012年6月6日に行われた関東学連代表委員総会において、第89回(2013年)は現行どおり実施、第90回(2014年)は不採用とすることが決定された。第91回(2015年)以降については、廃止・継続のいずれの可能性も残し、継続して検討を重ねたところ、2013年6月10日の関東学連代表委員総会で「インカレポイントは5年に1回の記念大会にのみ採用する」と決定された。具体的な運用については今後決定するとしている<ref>[http://www.kgrr.org/event/2013/kgrr/90-hakone/hakon%20about%20icpoint.pdf 東京箱根間往復大学駅伝競走における関東インカレポトについて](2013年[[6月10日]]プレスリリース)</ref>。現在検討されている方式は予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」の創設である。この方式では、直近5年間の関東学生対校選手権の総合順位とエントリー人数をポイント換算して上位1位の大学が本戦の出場権を獲得することになる(時事通信社の報道による)<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo]</ref>。
大学経営策の一環として、箱根駅伝に[[パブリック・リレーションズ|PR]]効果を期待する大学が増えている。そのため「陸上競技部」と称しながら実際には長距離部門を中心に運営している大学や、「駅伝部」を称する大学、「陸上部監督」とは別に、駅伝に特化した「駅伝監督」を擁する大学も見られる。予選会に出場する大学の中には予選会に全力を傾けるため、インカレへの出場に消極的になりがちな大学もある。
 
予選会の成績に関東インカレのポイントを導入した背景には、上記の「駅伝偏重」対策が大きく影響している。主催者側も箱根駅伝を「世界に通じる陸上競技者の育成」としており、その原点に立ち返る意味で導入した。このシステムは導入時から物議を醸しており、関東学連も導入後5年を経過した2007年を機にシステムの再構築も考える可能性を残した。一方で廃止論などに対し[[澤木啓祐]]は「たまたま同じ大学が悲劇の対象になっているだけ」という見方を示し、既に導入から5年経過しており各大学とも対策を練っていると廃止論を一蹴。[[青葉昌幸]]も「出場枠増にも様々な経緯があるだけに、そのような事情を知らないで(落選したチームが)かわいそうだと言われても困る」とコメントしている。総じて関東学連側は、見直し論については当初の予定どおり検討。第84回(2008年)の予選会よりポイント方式が変更されたものの廃止には否定的な見方を示していた。
2014年3月31日の関東学連代表委員総会において、従来の関東インカレポイントにかわって、第95回大会からの5年ごとの記念大会において5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が創設されることが正式に決定された<ref name="seisekiwaku"/>。
 
インカレポイントについて、第86回(2010年)終了時から廃止・継続又は新制度の導入などの議論を重ねた結果、2012年6月6日に行われた関東学連代表委員総会において、第89回(2013年)は現行どおり実施、第90回(2014年)は不採用とすることが決定された。第91回(2015年)以降については、廃止・継続のいずれの可能性も残し、継続して検討を重ねたところ、2013年6月10日の関東学連代表委員総会で「インカレポイントは5年に1回の記念大会にのみ採用する」と決定された。具体的な運用については今後決定するとしている<ref>[http://www.kgrr.org/event/2013/kgrr/90-hakone/hakon%20about%20icpoint.pdf 東京箱根間往復大学駅伝競走における関東インカレポトについて](2013年[[6月10日]]プレスリリース)</ref>。現在検討されている方式は予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」の創設である。この方式では、直近5年間の関東学生対校選手権の総合順位とエントリー人数をポイント換算して上位1位の大学が本戦の出場権を獲得することになる(時事通信社の報道による)<ref> {{Cite web|和書|title=「インカレポイント枠」創設へ=5年に1度の記念大会で予選会免除-箱根駅伝|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo|date=2013-06-11|accessdate=2013-09-04|archiveurl=https://archive.is/qAgeg|archivedate=2013-09-04}}</ref>。
=== 門戸開放 ===
箱根駅伝を出雲駅伝・全日本大学駅伝とともに「大学三大駅伝」と並び称する人やメディアも少なくないが、出雲駅伝と全日本大学駅伝が'''全国大会'''(主催:日本学連)なのに対し、箱根駅伝は日本学連傘下の一組織である関東学連が主催する'''地方大会'''にすぎないため、大会としての格は明らかに下である<ref group="注">『[[陸上競技マガジン]]』及び『[[月刊陸上競技]]』が毎年2月号あたりで載せている次年度の主要大会日程表にも、日本陸連が主催又は後援の大会、及びその協力団体の主催大会しか記載されておらず、箱根駅伝の名前はない。</ref>。しかし、近年では関東の各大学が、年間の最大の目標を箱根駅伝に置く傾向が強く<ref group="注">大学側にとっても、2日間のレースをテレビで完全生中継する箱根駅伝の方が、もしレースの間中トップを走り続ければ、その大学の名前は一日中テレビに映り続けるため、宣伝効果が高いという事情がある。</ref>、そのため、全国大会で本来最も権威の高いはずの出雲駅伝と全日本大学駅伝を、単なる箱根駅伝の前哨戦又は調整試合という意味合いで戦い、必ずしもベストメンバーを送り込まない大学も少なくない。また、地方大会であるはずの箱根駅伝が学生駅伝最大のイベントになったことで、他の大学スポーツと同様、長距離の人材の[[東京一極集中]]が起こっている。
 
2014年3月31日の関東学連代表委員総会において、従来の関東インカレポイントにかわって、第95回大会からの5年ごとの記念大会において5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が創設されることが正式に決定された<ref name="seisekiwaku"/>。しかし、第95回大会後、この関東インカレ成績枠は1回限りで廃止されることが決定。今後インカレポイントがどのように活用されていくのかは不明である。
このほか、関東地区の地方大会がゆえに当大会の出場は原則として関東学連の加盟校に限られる一方、テレビ報道の影響により箱根駅伝が全国的に知名度が高いスポーツイベントになったことで、他地域の大学にも門戸を開くべきであるという声がしばしば発生する。
 
=== 関東への戦力偏重と門戸開放論 ===
関東学連では1960年代に予選会への出場を他地域のチームに開放することを検討したことがあるが、予選会への参加を全国に開放した場合には'''全国大会'''となるため、大会の主管を日本学連へ移す必要が生じる。開催の主導権が変わることを避けたかった関東学連有力校のOBらが中心になって反対したため、結局この時の門戸開放は実現しなかった。
箱根駅伝は、地方組織である関東学連が主催する関東大会であるが、日本学連主催の全国大会として存在する出雲駅伝、全日本大学駅伝よりも歴史が長いため関東地区の男子学生駅伝では古くから重要視されてきた大会であり、テレビ中継の影響で全国的な知名度も高いことから、男子学生駅伝の分野ではブランド力、実力ともに、事実上の頂点をとっている。一方で、出場は原則として関東学連の加盟校に限られるため、有力選手が箱根出場を目標に関東地区の大学へ進学するようになり、男子陸上長距離の人材の[[東京一極集中]]が起こっている<ref group="注">女子陸上長距離は全国に強豪校が点在しているためこの現象が起こっていない。</ref>。
 
他地域の大学からは、箱根駅伝への門戸開放を求める声がしばしば発生する。古くは、1960年代に関東学連内で、予選会への出場権の門戸開放を検討したこともあるが、予選会への参加を全国に開放した場合には全国大会となるため、大会の主管を日本学連へ移す必要が生じる。開催の主導権が変わることを避けたかった関東学連有力校のOBらが中心になって反対したため、結局この時の門戸開放は実現しなかった。
この動きを受けた他の学連は、関西学連・東海学連が中心になり、箱根より高い権威を持つ全国大会を創設する目的で全日本大学駅伝の創設に導いた。こうした事情があるため、関東学連は全日本大学駅伝の創設に最後まで反対。これ以降は箱根駅伝を関東以外の大学に開放しようという意見は消滅することになる。なお、第90回(2014年)では記念大会による増枠分3枠を関東以外のチームに与えるとの報道がされていたが、学連選抜としてなのか単独チームとしてなのかは明らかにされていなかった。<ref group="注">[[2009年]][[1月3日]]の[[スポーツニッポン]]の記事より。</ref><ref group="注">2009年1月3日の日刊スポーツの記事より。</ref>結局、上記の学連選抜チームの記載のとおり、関東のチームのみとなった。
 
この動きを受けた他の学連、特に関西学連・東海学連が中心になり、箱根より高い権威を持たせようと1970年に[[全日本大学駅伝]]が創設される。続いて、1989年には[[出雲駅伝]]が創設された。この両駅伝大会は、日本学連が主催する全国大会であり、形式上はこの両大会が最も高い権威を持っている<ref group="注">『[[陸上競技マガジン]]』及び『[[月刊陸上競技]]』。毎年2月号あたりで載せている次年度の主要大会日程表にも、日本陸連が主催又は後援の大会、及びその協力団体の主催大会しか記載されておらず、箱根駅伝の名前はない。</ref>。
しかし近年、全日本大学駅伝の出場校が関東の大学と他地域の大学で実力差が如実に出るようになった。これは男子学生陸上競技界特有の現象であるとされる<ref group="注">学生駅伝競技界における有力校の勢力分布については、例えば女子駅伝では関東地区/関西地区/東海地区にバランスよく優勝候補が存在している。</ref>。上位をほぼすべて関東の大学が占める一方で、地方から出場している大学が半分も行かない地点で既に繰り上げスタートになってしまう事態が発生するに至って、全日本大学駅伝の権威が著しく低下している。
 
しかし、以降も出雲駅伝、全日本大学駅伝と箱根駅伝を合わせて「大学三大駅伝」と並び称されるなど、箱根駅伝のブランドは相変わらず健在であり、更に地区間の実力差は広がりつづけ、出雲駅伝、全日本大学駅伝では、関東地区の大学が上位を独占する事例が常態化している。更に関東地区大学の側でも、そのブランド力に加えて、選手に求められる力量も箱根駅伝が一番大きいことから<ref group="注">箱根駅伝は全日本大学駅伝や出雲駅伝に比べ、区間数や、区間あたりの距離の平均が非常に大きい上、他の学生駅伝には無い「山登り」「山下り」の区間も存在するなど、学生駅伝の中では最も過酷である。</ref>、箱根駅伝を年間の最大目標に据えてスケジュールを組んでおり、それより前の時期に行われる出雲駅伝と全日本大学駅伝を、箱根駅伝の前哨戦と考え、必ずしもベストメンバーを送り込まない大学も少なくない。
文部科学省では現在でも、全国大会は、実力本位の選手権大会と、選抜大会の2つしか開催しないよう学生競技団体へ指導を行っており、箱根駅伝が国内の全大学に門戸開放されると、全国大会として運営されている出雲駅伝および全日本大学駅伝との関係が問題となる。しかし現実には箱根駅伝が、現存する日本の駅伝では最も古い歴史を持つ大会であり、知名度も高いことを勘案すると、長年にわたり主催してきた関東学連が当大会を手放すことは考えにくい。
 
箱根駅伝の門戸開放は以降も議論されているが、教育機関を指導している文部科学省は、スポーツの全国大会は実力本位の選手権大会と、各地区代表の選抜大会の2つしか開催しないよう学生競技団体へ指導を行っており{{要出典|date=2024年10月20日}}、全日本大学駅伝が選手権大会、出雲駅伝が選抜大会であるため、箱根駅伝を門戸開放されると、この三大会の関係が問題となる。第80回(2004年)には日本学連選抜として地方大学の学生が出走し6位相当の成績を残したが、{{要出典範囲|これに対し関東の大学から反発の声が上がった結果|date=2024年1月}}、以降の記念大会では日本学連選抜自体が編成されなくなってしまった。第100回(2024年)には、予選会に全国の大学の出場を認めたが、この発表が2022年6月だったことから地方大学の関係者からは「すでに関東の大学への高校3年生のスカウトが終わっているタイミングであり、あまりにも強化に時間が足りなすぎる」との声が上がり、青山学院大学監督の原晋も「1回限りの解放は茶番」と批判している<ref>[https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/103038?display=1 箱根駅伝の全国化 青学・原監督「厳しく言えば、茶番」のワケ 地方の大学に聞くと…]</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202306270000578.html 青学大・原晋監督「まさに茶番劇」箱根駅伝の全国化が来年1月の100回大会限りの見通しに異論]</ref>。そしてその言葉通り、予選会を通過した大学は全て関東地区の大学となり、第101回(2025年)以降は元の関東地区の大学のみに戻されている<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202401050000864.html 【箱根駅伝】全国化は第100回大会限り 来年以降は関東学連加盟校のみに出場資格付与]</ref>。
2010年1月に行われた監督会議では、関東学連選抜枠を「廃止」もしくは「『全国』にも門戸を開く」案を含めて見直しの方向に入るとマスメディアによって報じられ<ref>[http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011801000967.html 「山上り」5区、距離変更せず 学連選抜は見直しも] - 47NEWS 2010年1月18日</ref>、第89回(2013年)までは存続した<ref>[[読売新聞]] [[2011年]][[2月25日]]記事より。</ref>。それ以降については学連選抜チームの記載を参照。
 
=== 箱根駅伝不要論 ===
従来は[[テレビ東京]]<ref group=注>[[1982年]]までは系列局自体がなかったため、[[サンテレビジョン]]にも同時放送され、[[1983年]]からは[[テレビ大阪]]を皮切りに、[[TXNネットワーク|メガTONネットワーク]]の各局向けにも放送されていた。番組自体は往路の個所を録画ダイジェストで放送したのち、後半がゴールの個所を軸にした内容を放送した。</ref>がゴールのみ放送していたが、1987年から[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が全国にネットして生放送を始めると、出場大学にとって宣伝効果も現れて下記のような弊害を挙げる者も散見する。
従来は[[テレビ東京]]によるゴールのみの放送だったのが[[%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E9%96%93%E5%BE%80%E5%BE%A9%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%A7%85%E4%BC%9D%E7%AB%B6%E8%B5%B0#.E3.83.86.E3.83.AC.E3.83.93.E6.94.BE.E9.80.81|後述の通り]][[1987年]]から[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]による全国ネットでの完全生中継が始まると、大学側の宣伝・PR的な側面も見せ始め、結果的に勝負至上主義的な駅伝競走となっていった。その結果、下記のような弊害を見せ始め「不要論」として語られるようになっている。
 
==== トラックの軽視 ====
持久力向上のために長い距離を走る練習ばかり行い、速度を付けさせるトラック競技を軽視することで、選手に速度が身に付かず、世界大会で勝てなくなるという指摘がある<ref>[https://gendai.media/articles/-/34546?page=3 新春特別研究「マラソンでメダル」が見たいのに……なぜ日本人には「箱根駅伝までの選手」が多いのか]</ref>。高校時代のトップ選手であった[[遠藤日向]]や[[長嶋幸宝]]、外国人留学生の[[ジュリアス・ギタヒ]]、[[サムエル・ワンジル]]、[[ビタン・カロキ]]のように、敢えて関東の大学に進学せず、直接実業団に入る例も見られる<ref group=注>ギタヒ、ワンジル、カロキは[[世界陸上競技選手権大会|世界陸上]]、[[夏季オリンピック|オリンピック]]に母国・ケニア代表として出場経験があり、中でもワンジルは[[2008年北京オリンピック]]で[[2008年北京オリンピックの陸上競技・男子マラソン|マラソン]]金メダル、カロキも世界陸上、オリンピックの10000mで複数回入賞している。</ref>。
 
==== 箱根駅伝燃え尽き症候群 ====
箱根駅伝で大活躍した選手が大学卒業後故障や不調悩まされ実業団に入ったものの、期待されたほどの活躍ができずに故障や不調に悩まされて引退するケースが度々見受けらした選手も少なくない。出場できても卒業せずに中退した者まで現ている。例えば
*[[早稲田大学]]時代に箱根駅伝で4年連続区間賞(区間新3回)を記録した[[武井隆次]]は、トラック、駅伝と季節を問わずフルに走り続けた影響からか卒業後は長い故障にさいなまれ、[[エスビー食品|ヱスビー食品]]時代の日本代表歴は、29歳の時の[[アジア競技大会|アジア大会]]・マラソン代表のみにとどまった。
*同じく早稲田大学出身の[[渡辺康幸]]は、箱根駅伝では2年次に1区区間新、3年次に2区区間新など華々しく活躍し、トラックでも4年次に[[1995年世界陸上競技選手権大会日本選手団|世界選手権イェーテボリ大会]]10000m12位、[[1995年夏季ユニバーシアード|ユニバーシアード福岡大会]]10000m金メダルと輝かしい成績を残した。しかし過密スケジュールによる慢性疲労が徐々に体を蝕み、卒業前に予定していた[[東京国際マラソン]]は欠場に追い込まれ、急遽出場した[[びわ湖毎日マラソン]]も7位に終わった。[[エスビー食品|ヱスビー食品]]入社後[[1996年アトランタオリンピック]]10000m代表に選ばれるが、左アキレス腱の故障で欠場。以降度重なるアキレス腱の故障に苦しみ、2002年に29歳の若さで引退した。
 
*その渡辺が樹立した2区の区間記録を上回る区間新記録を樹立した順天堂大学の[[三代直樹]]は[[富士通]]入社後坐骨神経痛に悩まされ、30歳の若さで引退している。
中でも箱根駅伝不要論者が「箱根駅伝で燃え尽きたスター」の典型例として挙げているのが、2015年3月末まで早稲田大学駅伝監督を務めた[[渡辺康幸]]である。渡辺は早稲田大学在学時、箱根駅伝では2年次に1区区間新、3年次に2区区間新など華々しく活躍し、トラックでも4年次に[[世界陸上競技選手権]]イェーテボリ大会10000m12位、[[ユニバーシアード]]福岡大会10000m金メダルと輝かしい成績を残した。しかし過密スケジュールによる慢性疲労が徐々に体を蝕み、卒業前に予定していた[[東京国際マラソン]]は欠場に追い込まれ、急遽出場した[[びわ湖毎日マラソン]]も7位に終わった。[[エスビー食品|ヱスビー食品]]入社後[[アトランタオリンピック]]10000m代表に選ばれるが、左アキレス腱の故障で欠場。以降度重なるアキレス腱の故障に苦しみ、2002年に29歳の若さで引退した。
*近年では「新・山の神」と称された[[柏原竜二]]が、卒業後相次ぐ怪我に悩まされ富士通入社からわずか5年で引退した<ref> {{Cite web|和書|title=「新・山の神」柏原竜二が現役引退!今後は社業に専念|url=http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20170403-OHT1T50151.html|publisher=スポーツ報知|date=2017-04-03|accessdate=2017-04-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170403043423/http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20170403-OHT1T50151.html|archivedate=2017-04-03}}</ref> 他、青山学院大学の過渡期のエースとして活躍した[[出岐雄大]]はモチベーション低下により[[中国電力]]入社からわずか3年で引退<ref>[https://dot.asahi.com/articles/-/77377?page=2 伸び悩んだ選手も多い? 箱根駅伝のエースだった男たちの“その後”] AERA dot. 2021年2月12日</ref>。8区で20年ぶりの区間新記録を樹立した東海大学の[[小松陽平]]は[[ロジスティード]]入社からわずか4年で引退した<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/861573 箱根駅伝MVP→26歳で引退…箱根8区最速ランナー・小松陽平が明かす“早期引退”の理由「自分の限界が見えてしまった」「ムダな1年をおくるより…」]</ref>。
 
*外国人留学生では[[メクボ・ジョブ・モグス]]、[[ギタウ・ダニエル]]等が実業団入り後、大学時代ほどの活躍が出来ていない。
また、箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得し「山の神」と呼ばれた[[東洋大学]]出身の[[柏原竜二]]が、[[富士通]]入りしてからは相次ぐ怪我の影響もあり目立った活躍ができないままわずか4年で引退した<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20170403-OHT1T50151.html 「新・山の神」柏原竜二が現役引退!今後は社業に専念]スポーツ報知 2017年4月3日</ref>ことに対し、本来スピードを身につけるべき時期に駅伝の練習ばかり行い、スピードが身につかなかった結果とする意見もある。柏原の前に箱根駅伝5区で活躍し、「元祖・山の神」と称された[[順天堂大学]]出身の[[今井正人]]も、[[東京マラソン]]で日本歴代6位の記録をマークするまではマラソンで思うような結果が残せず、箱根駅伝の弊害ではないかと指摘されていた。
 
また、日本人選手だけでなく、留学生も例外ではなく、箱根駅伝2区の区間記録保持者である[[山梨学院大学]]出身の[[メクボ・ジョブ・モグス]]や20人抜きのごぼう抜き記録を持っている[[日本大学]]出身の[[ギタウ・ダニエル]]も実業団入り後、大学時代ほどの活躍が出来ていない。
 
逆に、箱根駅伝不要論者が箱根駅伝を走らずに世界に通用した代表とした挙げる選手の筆頭が、2015年4月より[[カネボウ陸上競技部]]で監督を務める[[高岡寿成]]である。高岡は洛南高校時代、トラックレースで目立った実績は無かったが、3年連続で全国高校駅伝に出場し、3年次に4区で当時の区間新記録を樹立する等ロードでの実績はあったことから、関東の大学からもスカウトを受けていたが全て断り、関西でも強豪とは言い難い地元・京都の[[龍谷大学]]に進学した。大学1年次は10000mの自己ベストが30分台だったが、学年を重ねることにトラック中心の練習の成果により記録を伸ばし、大学4年次には5000mの日本記録を樹立した。実業団に入社後も、1年目の1993年に10000mで自己ベストとなる初の28分台を記録すると、翌年には初の27分台を記録するなど活躍し、1996年には念願であった[[アトランタオリンピック]]のトラックでの出場を果たす。特に90年代後半から2000年代前半にかけてはキャリアの全盛期を誇り、3000m、5000m、10000mで日本記録を次々に樹立し、2大会連続出場となった[[シドニーオリンピック]]では10000mで7位入賞の好成績を挙げ、2001年には10000mで日本記録を樹立した。
その後マラソンに転向し、2002年の[[シカゴマラソン]]で日本記録を樹立。世界大会でのメダルこそ獲得できなかったものの、30代後半まで第一線で活躍を続けた。このうちマラソンは現在でも日本記録保持者である。
 
また、山梨学院大学出身の[[尾方剛]]は、箱根駅伝では2年次に10区で区間賞を獲得し、山梨学院大学の優勝に貢献したものの、大学時代を通して故障続きで箱根駅伝の出場はその1回だけに終わり、実業団入社当初まで目立った活躍はなかった。しかし、その後本来の力をつけ始めると、フルマラソンで入賞を重ね、2004年12月の[[福岡国際マラソン]]で念願のフルマラソン初優勝を果たす。これにより、[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ヘルシンキ大会]]男子マラソン代表に即内定となった。そして翌2005年8月の本大会では、2時間11分16秒の好成績で日本人トップの3位入賞、銅メダルを獲得した。なお、尾方を最後に現在まで世界陸上、およびオリンピックで日本人選手でメダルを獲得した選手は現れていない。
 
対照的に、箱根駅伝を走らずに実業団や世界に通用した選手も存在する。
また、[[ソウルオリンピック]]、[[バルセロナオリンピック]]で4位入賞した[[中山竹通]]、そのバルセロナオリンピックで銀メダルに輝いた[[森下広一]]も箱根駅伝未経験者である。
*[[龍谷大学]]出身の[[高岡寿成]]は洛南高校時代、3年連続で全国高校駅伝に出場し、3年次に4区で当時の区間新記録を樹立する等ロードでの実績はあったことから、関東の大学からもスカウトを受けていたが全て断った。しかしトラック中心の練習の成果により、大学4年次には5000mの日本記録を樹立した。[[鐘淵化学硬式野球部|カネボウ]]に入社後も、3000m、5000m、10000mで日本記録を次々に樹立し、2002年の[[シカゴマラソン]]では日本記録を樹立。世界大会でのメダルこそ獲得できなかったものの、30代後半まで第一線で活躍を続けた。
*[[1988年ソウルオリンピック]]、[[1992年バルセロナオリンピック]]で4位入賞した[[中山竹通]]、そのバルセロナオリンピックで銀メダルに輝いた[[森下広一]]はともに高校から実業団に進んでいる。
*青山学院大学出身の[[橋本崚]]は、大学在籍時は全日本大学駅伝には2回出場したが、箱根駅伝は一度も走っていない。卒業後、[[GMOアスリーツ]]に入ってからは頭角を現し、2016年の[[防府読売マラソン]]で初優勝。2019年の[[2019年のマラソングランドチャンピオンシップ|MGC]]では5位に入っている。
 
また、箱根駅伝創設の目的は「世界に通用する長距離選手の育成」であるが、実際には多くの選手が箱根駅伝を最終目標としており、卒業後は実業団に進まず競技の第一線から退くのが現状である(区間賞・区間新記録を樹立した選手も例外ではなく、一例として6区の山下りで58分06秒とう驚異的な区間新記録を樹立した神奈川大学出身の中澤晃や、日本学連選抜として5区で区間賞を獲得し、初代金栗四三杯を受賞した筑波大学出身の[[鐘ヶ江幸治]]、8区で2度区間賞を獲得し、4年次には青山学院大学の初優勝に貢献した[[高橋宗司]]等がいる)。ただし、[[学習院大学若林宏樹]])。一方学連選抜ランナーとして出場した[[川内優輝]]のように公務員と市民ランナーを両立しながら、実業団の選手に引けをとらない活躍を見せる選手もいる。箱根駅伝という大きな目標があるからこそ、モチベーションを保って陸上競技を続けている選手が多い、という一面もあり、日本の男子陸上長距離界の裾野の拡大に箱根駅伝は貢献していると主張する者も多い。
*山梨学院大学出身の[[尾方剛]]は、箱根駅伝は2年次の[[第70回東京箱根間往復大学駅伝競走|第70回箱根駅伝]]10区で区間賞を獲得し山梨学院大学の優勝に貢献したものの、度重なる故障に苦しみその1回しか出場できなかった。[[中国電力陸上競技部|中国電力]]入社後、30歳ごろからフルマラソンで結果を表して、2004年12月の[[福岡国際マラソン]]でフルマラソン初優勝を果たす。2005年8月の[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ヘルシンキ大会]]本大会では、2時間11分16秒の好成績で日本人トップの3位入賞、銅メダルを獲得した。尾方を最後に現在まで世界陸上、およびオリンピックでメダルを獲得した日本人選手は現れていない。
実際、北京オリンピック以降の男子マラソン代表は、全て箱根駅伝経験者で占められている(北京…尾方、[[佐藤敦之]]、[[大崎悟史]]。ロンドン…[[中本健太郎]]、[[山本亮 (陸上選手)|山本亮]]、[[藤原新]]。リオデジャネイロ…[[佐々木悟]]、[[北島寿典]]、[[石川末廣]])。
*[[学習院大学]]で学連選抜の一員として出場した[[川内優輝]]も卒業後実業団に所属しなかったが、公務員と市民ランナーを両立しながら実業団の選手に引けをとらない活躍を見せ、2019年にプロランナーに転向している。
また、上記の通り箱根駅伝は大学側の宣伝・PR的な側面も見せ始めているが、箱根駅伝に限らず実業団のニューイヤー駅伝でも企業側の宣伝・PR的な側面もあることから箱根駅伝同様ニューイヤー駅伝でも実業団によってはそちらに向けた練習が優先されるため、箱根駅伝だけが批判されるのはおかしいと主張する者も多い。
*青山学院大学出身の[[吉田祐也]]は、3年次までは箱根駅伝に出場経験が無く、大学卒業後は競技の第一線から退く事を表明していた。しかし、最終学年に初めての箱根駅伝([[第96回東京箱根間往復大学駅伝競走|第96回箱根駅伝]])で4区を走ると区間新記録を樹立し、青山学院大学の2年ぶりの優勝に貢献。その1ヶ月後の[[別府大分毎日マラソン]]で初マラソンを走り、学生歴代2位・初マラソン歴代2位となる2時間8分30秒を記録したことから、[[原晋]]監督をはじめ、陸上関係者から競技継続を薦められる。結果、引退を撤回して内定先の企業を辞退。[[GMOアスリーツ]]で競技を継続した。卒業後、2020年12月の[[福岡国際マラソン]]に出場、2時間7分05秒の自己記録で2回目のマラソンにして初優勝を飾った。
*北京オリンピック以降の男子マラソン代表は、全て箱根駅伝経験者で占められている(北京…尾方、[[佐藤敦之]]、[[大崎悟史]]。ロンドン…[[中本健太郎]]、[[山本亮 (陸上選手)|山本亮]]、[[藤原新]]。リオデジャネイロ…[[佐々木悟]]、[[北島寿典]]、[[石川末廣]]、東京…[[中村匠吾]]、[[服部勇馬]]、[[大迫傑]]、パリ…[[小山直城]]、[[赤崎暁]]、大迫)。
*[[2019年のマラソングランドチャンピオンシップ|2019年のMGC]]でエントリーした31人中、箱根駅伝経験者が25人を占め、箱根駅伝未経験の選手は前述の橋本崚を含めわずか6人であった<ref group="注">このうち、[[木滑良]]・[[宮脇千博]]・[[岩田勇治]]は高校卒業後大学には進学せず実業団に所属。[[上門大祐]]は[[京都産業大学]]の出身。[[河合代二]]は[[麗澤大学]]2年時の[[第88回東京箱根間往復大学駅伝競走|第88回大会]]に[[関東学生連合チーム|関東学連選抜]]のメンバーとして9区にエントリーされたが、当日エントリー変更されている。</ref>。また、[[2023年のマラソングランドチャンピオンシップ|2023年のMGC]]でエントリーした65人中、箱根駅伝経験者は56人を占めた<ref group="注">箱根駅伝未経験の選手は、2019年大会にも出場した上門大祐、橋本崚、河合代二のほか、高校卒業後実業団に進んだ[[古賀淳紫]]、[[丸山文裕]]、[[松本稜]]、[[広島大学]]出身の[[相葉直紀]]、[[兵庫県立大学]]出身の[[村本一樹]]、駒澤大学出身だが大学三大駅伝への出場は一度もなかった[[小山裕太]]の9人である。</ref>。
*2017年後半以降、箱根駅伝経験者である大迫、[[設楽悠太]]、[[鈴木健吾 (陸上選手)|鈴木健吾]]等がマラソンで相次いで好記録を出している。
 
=== 大学陸上部関係者による不祥事とその対応 ===
大学陸上部関係者が事件や不祥事を起こした場合、各大学で相応の処分がなされるほかに、箱根駅伝参加大学に対しては競技団体である関東学連が同連盟の規約に基づき審査を行い、当事者又は所属大学に対して罰則を与えることがある(規約第62条)。
; 近年発覚した事件・不祥事の概要と処分
* 2008年12月1日、第85回(2009年)のシード校である[[東洋大学]]経済学部2年の陸上部員(駅伝選手)が、通学途中の[[東武東上線]]電車内での強制わいせつ行為で現行犯逮捕されるという事件を起こした。本大会出場大学所属の陸上部員による不祥事が発覚したのは、これが初めてのことであった。箱根駅伝本大会まで1カ月を切った時期ではあったが、東洋大学はこの問題に対する処分として、当該学生の退部処分と監督と部長の引責辞任、陸上部長距離部門のチーム練習を無期限自粛する決定をした。この対応を受けた関東学連は特別審査委員会を開き、12月5日に、東洋大学への補助金の支給停止、本大会での集団応援の禁止といった条件を付けた上で、東洋大学の出場を認める決定をした<ref group="注">正確には「'''箱根駅伝への出場を制限しない'''」とする決定である。</ref>。この決定について関東学連は、集団ではなく個人での犯罪であった点、加害者が個人的に責任を問える成人である点、合宿などチームの活動中ではない時に起きた点を挙げた上で「一部員の不祥事によって真摯に勉学とトレーニングに励んだ部員諸君がその成果を発表する機会まで失うことは誠に不憫」との見解を表明した。なお、無期限の活動自粛は12月6日に解除された(自粛期間5日間)。
* 2009年3月、日本体育大学陸上部の跳躍種目選手が同部合宿所内で[[大麻]]を栽培し、[[大麻取締法]]違反容疑で書類送検されたことなどを理由に関東学連の特別審査委員会は4月17日、日本体育大学陸上部全体に対して箱根駅伝の次大会シード権の剥奪、出雲全日本大学選抜駅伝と全日本大学駅伝への推薦取消を含めた処分を決定した。日本体育大学側は当初、陸上競技部の学生約400人に連帯責任を負わせるのは筋違いなどと反発し、関東学連に対して質問状を出すに至っ[<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nittai.ac.jp/info/info090418.html] |title=本学学生の大麻事件に係る関東学生陸上競技連盟裁定並びに勧告についての本学の見解 |publisher=日本体育大学 |date=2009-04-18 |accessdate=2021-10-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090421125908/http://www.nittai.ac.jp/info/info090418.html |archivedate=2009-04-21 |url-status=dead|url-status-date=2018-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2009/04/18/kiji/K20090418Z00002080.html |title=日体大陸上部 関東学連へ“反発”質問状 |publisher=スポニチアネックス |date=2009-04-18 |accessdate=2021-10-16}}</ref> が、最終的には処分を受け入れた。なお、次大会のシード権剥奪されたのは箱根駅伝史上初めてのことである。{{main|日本体育大学#事件陸上競技部による大麻栽培不祥通貨偽造}}
* 2021年5月、同年1月の第97回大会で総合優勝した駒澤大学のアンカー選手が未成年者に対するわいせつ行為をしたとして神奈川県警に逮捕される事件が発覚した。
{{main|駒澤大学駅伝選手未成年わいせつ事件}}
 
== 中継番組 ==
=== テレビ中継放送 ===
==== テレビ東京制作 ====
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=東京箱根間復大学駅伝競走<br/>中継
|画像=
|画像説明=
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}}
 
第55回(1979年〈昭和54年〉)から[[テレビ東京|東京12チャンネル]]([[1981年]]〈昭和56年〉に[[テレビ東京]]へ改称)が初めてのテレビ放送を開始した<ref name="nikkan_20201126" />。しかし完全中継ではなく、1月3日 12:00 - 13:54の録画ダイジェスト放送(ゴールは生放送、放送を開始した1979年は13:25 - 14:10の放送)であった<ref name="nikkan_20201126" />。その後、日本テレビが中継することに伴い第62回(1986年〈昭和61年〉)でテレビ東京での放送は終了した。
 
1979年から1982年までは[[サンテレビジョン|サンテレビ]]にもネット。1983年からは前年に開局した[[テレビ大阪]]に関西地区のネット局が移行した。[[京都放送|近畿放送(当時)]]は京滋オープンゴルフ中継などのため一度もネットしなかった<ref>サンケイ新聞近畿D版テレビ欄1979年~1983年1月3日付朝刊テレビ欄。</ref>。
 
テレビ東京制作版の映像は長らく日の目を見る機会が非常に少かったため[[お蔵入り]]していたが、[[2014年]]平成26年)に放送された『テレビ東京開局50周年特別企画 [[50年のモヤモヤ映像大放出! この手の番組初めてやりますSP]]』の中で第59回(1983年〈昭和58年〉)の映像を蔵出しで放送された。同番組によると、テレビ東京で中継されていた時代の最高視聴率は13.4 %(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイムと同番組の中で紹介されているだった
 
==== 日本テレビ制作 ====
[[ファイル:Hakone Ekiden NTV107 20040103.jpg|thumb|200px|駅伝の先頭を走る中継車(2004年)]]
{{Main2|日本テレビのテレビ放送の詳細|新春スポーツスペシャル箱根駅伝}}
[[ファイル:Hakone Ekiden NTV broadcast vehicle 20040103.jpg|thumb|200px|箱根駅伝のテレビ中継車(2004年)]]
[[ファイル:GMC-safari-2nd Mbros.jpg|thumb|200px|箱根駅伝仕様の撮影車]]
第63回(1987年)から[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が特別後援に入り、全国ネットの本格的なテレビ中継が開始された。第73回<ref -name="nikkan_20201126">{{Cite news|title=順大が13年ぶり優勝/写真で見る7655(1997年 箱根駅伝|newspaper=nikkansports.com|date=2020-11-26|url=https://www.nikkansports.com/sports/athletics/photonews/photonews_nsInc_202011120000788-12.html|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-12-07}}</ref><ref>{{Cite 2000年)は[[CS★news|title=【箱根百継】日テレ]]でも同が生中継を開始「テレビ放送された代の幕開け」…1987年箱根駅伝|newspaper=sportshochi.com|url=https://hochi.news/articles/20231223-OHT1T51317.html?page=1|agency=スポーツ報知|accessdate=2023-12-26}}</ref>
 
{{For2|日本テレビによるテレビ中継の詳細|新春スポーツスペシャル箱根駅伝}}
第82回(2006年)から[[ハイビジョン]]制作となった。
 
[[沖縄県]]など系列局がない域や上波に加え、第73回 - 第76回(1997年 - 2000年)の中継は[[クロスネット局CS★日テレ]]のため完全放送きない地域への配慮としての[[衛星も同時放送]]。そ中継は[[BS日本|BS日テレ]]当日てダイジェスト版また[[日テレジータス|G+ SPORTS & NEWS→日テレジータス]]でも大会終了から数日後、それぞれ2時間程度にまとめたダイジェスト版や完全版が放送されている。また第94回(2018年)以降、インターネットでの動画配信も行っている(後述)
 
系列局がない[[沖縄県]]内では、系列外ネットもなく、上記の[[衛星放送]]やインターネットを介した視聴が主だったが、県内のケーブルテレビ局が自主チャンネルの中で[[鹿児島讀賣テレビ|鹿児島読売テレビ]]の一部番組を[[区域外再放送]]する方式を導入したことにより、本番組も第96回(2020年)から[[沖縄ケーブルネットワーク|沖縄ケーブルネットワーク(テレビにらい)]]で、第99回(2023年)から[[宮古テレビ]]でもリアルタイム放送が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-964270.html|title=沖縄ケーブルネットワーク、きょうから日テレを生放送 「ZIP!」「ヒルナンデス」ニュース番組中心に|accessdate=2019-12-31|publisher=琉球新報(2019年8月1日作成)}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1039770.html|title=OCN開局30周年祝う 節目に関係者ら350人 大熊社長「箱根駅伝を沖縄で初放送する」|accessdate=2019-12-31|publisher=琉球新報(2019年12月10日作成)}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=第97回「箱根駅伝」放送のお知らせ|url=https://www.nirai.ne.jp/information/information-3094/|accessdate=2020-12-31|publisher=|website=沖縄ケーブルネットワーク|date=2020-12-21|archiveurl= https://web.archive.org/web/20201225154251/https://www.nirai.ne.jp/information/information-3094/|archivedate=2020-12-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=箱根駅伝 宮古テレビ091CHで生放送!! |url=https://www.miyako-net.ne.jp/ |accessdate=2022-12-28 |publisher= |website=宮古テレビ |date= |archive-url=https://web.archive.org/web/20221222203539/https://www.miyako-net.ne.jp/ |archive-date=2022-12-22}}</ref>。
第90回(2014年)からは予選会についても地上波で生中継されている。
 
予選会についても、第68回(1991年)から地上波の録画中継(ダイジェスト版)を開始し、後に生中継をG+ SPORTS & NEWSにて開始。第90回(2013年)から生中継は地上波での放送となり、全国の大学に参加資格が与えられた第100回(2023年)は初の地上波全国ネットでの放送となった(その他詳細は[[新春スポーツスペシャル箱根駅伝#予選会中継|当該項参照]])。
 
=== ラジオ放送 ===
ラジオでの中継はテレビでの中継よりも古くから行われ、複数の放送局が中継を行っている。以下に制作局の体制や概要について記述する。ラジオ中継の実況用の映像は日本テレビが制作、テレビ放送用とは別に各局に送っている。
 
=== ラジオ中継 ===
ラジオでの中継はテレビでの中継よりも古くから行われ、複数の放送局が中継を行っている(テレビ中継も行っている局は[[新春スポーツスペシャル箱根駅伝#テレビ中継放送ネット局|テレビ中継放送ネット局]]参照)。以下に制作局の体制や概要について記述する。ラジオ中継の実況用の映像は日本テレビが制作、テレビ放送用とは別に各局に送っている。
==== NHK制作 ====
{{基礎情報 ラジオ番組
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|プロデューサー=
|テーマ曲=
|放送局=[[NHKラジオ第1放送|NHK第1放送]]
|ネットワーク=
|制作=
|放送期間=1953年 -
|放送回数=
|公式サイト=http://www.nhk.or.jp/radiosp/hakone
|特記事項=
}}
[[NHKラジオ第1放送|NHK第1放送]]で放送。ただし、毎正時の前後には[[NHKニュース]]放送のため、数分程度中継が中断する。基本はラジオセンター132スタジオ内のブースに置かれているモニターに映し出される日本テレビの映像を見ながら実況を行うが、中継車を出しており、3位走行中の選手前後に付く。また各拠点にアナウンサーを配置し、電話リポートで臨場感のある実況中継を行う。コースにラジオ中継車がテレビ取材用報道カメラ車、日本テレビのテレビ中継車などに混じり、選手の動向を追っている。なお、テレビ取材用報道カメラ車は日本テレビの移動1号車の後に付く。
 
1953年(第29回)から[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]](R1)で放送<ref name=":2" /><ref>{{Cite web |title=箱根駅伝100回大会 — 危機を乗り越えた金字塔 |url=https://www.ssf.or.jp/knowledge/sport_topics/20231222_1.html |website=笹川スポーツ財団 |access-date=2024-01-02 |date=2023-12-22 |author=佐野慎輔}}</ref>。初めはラジオ第2での放送で、中継開始当初は品川から小田原の間はノイズが酷く生中継が困難だったことから、往路と復路共に12時30分頃からの放送で、番組途中までは録音による時差中継、後半は生中継としていた<ref name=":2" />。やがてスタートからの生中継が行われるようになるも、長時間の中断があった<ref>1977年は12時からの放送、1983年、85年は8時からの放送も「野党党首インタビュー」で1時間ほど中断。(産経新聞1977年1月3日、1983年1月3日、1985年1月3日ラジオ欄より)</ref>。1993年<ref group="注">[[NHKアーカイブスポータル|NHKクロニクル(NHKアーカイブス)]]でさかのぼることができる最古の年。ラジオ番組のデータは1992年4月1日以降のものしか表示できないため。</ref>時点でもこの体制は続き、別番組<ref group="注">1993年のタイトルは『新春野党インタビュー』。なお翌1994年は箱根駅伝中継終了後に『新春党首インタビュー』と題した番組が放送されている。</ref>放送のため10時台はまるまる中断していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/timetable/?date=1993-01-02&channel=6 |title=1993年1月2日 ラジオ第1 番組表 |website=[[NHKアーカイブスポータル|NHKクロニクル(NHKアーカイブス)]] |accessdate=2023-11-16}}
なお、[[NHKワールド・ラジオ日本]]では第88回(2012年)までは放送権上の制約および電波運用面の都合上、12時台の中断ニュースを除いて同時放送されず、当該時間帯は[[NHK-FM放送|FM放送]]の邦楽関連の年始特集番組や定時番組および地上デジタルラジオ実用化試験放送の音楽番組を中心に別番組へ差し替えていたが、第89回(2013年)からは全編同時放送をしている。
</ref>。第70回(1994年)以降はこのような中断のない完全中継態勢だが、それでも毎正時前後に[[NHKニュース_(ラジオ番組)|ニュース]]による中断が入る(正午前後はローカル枠気象情報・交通情報を含め20分、それ以外は数分)。
 
* 第49回大会(1973年)は中継自体が取り止められた。第42回(1966年)から導入された復路の全校一斉スタートなどの影響で本来の順位が全くわからなくなったこと<ref name=":2" />や、交通量の問題から関係車両を削減する必要に迫られNHKの中継車が出せなくなったこと<ref name=":3" />が理由とされている。
 
* 第100回大会(2024年)は往路はR1で中継したが、復路は1月1日に発生した[[能登半島地震 (2024年)|令和6年能登半島地震]]の報道関連番組を編成したため、[[NHK-FM放送|FM]]での振替放送となった。
 
ラジオ中継車も出している。第66回(1990年)までは3台使用していたが、第67回(1991年)以降はラジオセンター132スタジオ内のブースから、モニターに映し出される日本テレビの映像を見ながら実況を行う方式をとり、沿道に出す中継車は1台のみとして主に第2集団に付くことになった<ref>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'91|date=1991|publisher=日本放送出版協会|pages=307}}</ref>。また、各拠点にアナウンサーを配置し、電話リポートで臨場感のある実況中継を行う。なおコースにはテレビ取材用報道カメラ車も出ていて、日本テレビの移動1号車の後に付く。
 
[[NHKワールド・ラジオ日本]]は第88回(2012年)までは放送権上の制約および電波運用面の都合上、12時台の中断ニュースを除いて同時放送せず、当該時間帯は[[NHK-FM放送|FM放送]]の邦楽関連の年始特集番組や定時番組および[[地上デジタル音声放送|地上デジタルラジオ実用化試験放送]]の音楽番組を中心に別番組へ差し替えていたが、第89回(2013年)から全編同時放送している。
 
日本テレビでのテレビ独占生中継が決まる前に、関東学連はNHKにもラジオに加えてテレビも生中継を要請するも、全国参加ではないことや、山間部における中継が困難であることを理由として断られている<ref name=":1" /><ref name=":2" />。ただしNHKとしては、第56回大会(1980年)で、同年開催の[[1980年モスクワオリンピック|モスクワオリンピック]](後に日本は出場ボイコット)の[[オリンピックの陸上競技|男子マラソン]]出場が有力視されていた[[瀬古利彦]](早稲田大学)が2区を走る模様を『日本の新春』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A198001021000001300100 |title=日本の新春 ―多元中継― |website=NHKクロニクル(NHKアーカイブス) |accessdate=2024-01-04}}
</ref>という特番の中で生中継しており、「わずか3分」ながらNHKテレビでの中継事例となっている<ref name=":3" />。
 
==== 文化放送制作 ====
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|ネットワーク=
|制作=
|放送期間=1994年 -
|放送回数=
|スポンサー=
|公式サイト=http://www.joqr.co.jp/ekidenhakone96/hakone93
|特記事項=
}}
文化放送では『文化放送新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』として中継。第7033大会(1994(1957年)から完全実況生中継となった。2014第62回(1986現在、文化放送)までは『[[出雲全日本大学選抜駅伝競走#ラジオ部分的に中継|出雲駅伝]]』『[[全日本大学駅伝対校選手権<ref>第100回大会#ラジオ中継|全日本大学駅伝]]』も(2024年)中継放送内の実況コメント。</ref>ており3第70回(1994年)以降の駅伝のすべてをラジオ会で完全実況生中継している(そのこともあり、''「大学駅伝ラジオ独り占め -FIGHT THE FUTURE-」''キャッチフレーズに実施している。ただし、『出雲駅伝』はプロ野球のクライマックスシリーズと重複した場合、その時間はインターネットのみの放送としている)
 
文化放送では、「箱根駅伝への道」と題した10分番組を制作したうえで、毎年10月から12月にかけて平日のナイターオフ期間限定番組に内包。毎年の大会終了後には、『箱根駅伝への道~襷と絆の物語(ストーリー)~』と題した特別番組も放送している。また、箱根駅伝と並んで「大学3大駅伝」に数えられている『[[出雲全日本大学選抜駅伝競走#ラジオ中継|出雲駅伝]]』<ref group="注">2014年までは、[[日本野球機構|日本プロ野球(NPB)]]の[[クライマックスシリーズ]]と重複した場合にシリーズの試合中継を優先したため、重複する時間には実況音源をインターネット向けに配信。2015年にはクライマックスシリーズとの二元中継を実施したが、2016年からは出雲駅伝の中継を優先している。</ref>『[[全日本大学駅伝対校選手権大会#ラジオ中継|全日本大学駅伝]]』も中継しているため、''「大学駅伝ラジオ独り占め -FIGHT THE FUTURE-」''をキャッチフレーズに掲げている。
原則として[[全国ラジオネットワーク|NRN]]加盟局で放送。ただしネット局は基本的に8:30・9:00から中継を開始し、更に一部の局では別番組を放送するため、中継が長時間中断する(11:00飛び降り、12:30(13:00)[[飛び乗り (放送)|飛び乗り]]など)。また、文化放送以外のネット局では、局名がつかない『新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』に改題して放送しており、CM明けのジングルも文化放送から[[裏送り]]した上で差し替えている。なお、8:00以前と14:00以降は文化放送のみのローカル放送となるため、この間は実況アナウンサーからも「文化放送新春スポーツスペシャル」と読み上げられる。
 
2022年からチーフディレクターを担当する黒川麻希(文化放送)によれば、アナウンサー、ディレクター、技術スタッフ、インターネットへの速報・情報発信に専念するスタッフ、アルバイトスタッフを含めて70名前後で中継を制作。同局の放送対象地域である関東地区では、他のスポーツ中継やレギュラー番組を凌ぐほどの[[聴取率]]を例年記録しているという<ref name="kurokawa">[https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/rikujo/2021/12/29/post_38/ 箱根駅伝をラジオ局はどう伝えているか。文化放送ディレクター「レース、選手の多様な情報を多方面で発信しているのが強み」](『[[Sportiva|Web Sportiva]]』[[2021年]][[12月29日]]付記事)</ref>。
中継車を出していないため、メイン実況のアナウンサー(公式サイト上の呼称は「センター実況」、2017年は往路:[[松島茂]]、復路:[[槙嶋範彦]])は、スタジオ(放送上の呼称は「放送センター」)で日本テレビの映像(いわゆる「オフチューブ」)を見ながら実況<ref group="注">番組の途中には、日本テレビから映像・情報の提供を受けている旨のアナウンスを随時挿入。</ref>。スタジオには、「情報センター」(放送上の呼称)から記録・タイムの読み上げを担当するアナウンサー(2017年は往路:槙嶋、復路:松島)や、[[twitter]]上の公式アカウントに寄せられた大会・中継関連のツイートの一部の紹介担当(2017年は[[小川真由美 (アナウンサー)|小川真由美]]<ref>中継内の『文化放送ニュース』も担当</ref>)も入れている。さらに、往路・復路とも、すべての中継所と区間内の一部拠点にアナウンサーやリポーターを配置している<ref group="注">沿道の商店・民間施設の敷地を中継所の実況に借用する場合には、当該中継所を紹介する場合に、当該商店・施設に関するPRコメントを中継担当のアナウンサーが入れることがある。</ref>。
 
[[第79回東京箱根間往復大学駅伝競走|第79回大会(2003年)]]からは原則として[[全国ラジオネットワーク|NRN]]加盟局でも放送<ref group="注">NRN加盟局以外ではCBCラジオでも放送されている。</ref>。後述するネット局(2020年以降は32局)では、『新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』というタイトルで、基本として8:00、8:30、9:00のいずれかの時間から14:00まで中継の同時ネットを実施する<ref group="注">かつて一部の局では別番組を放送するため、中継が長時間中断する(11:00飛び降り、12:30(13:00)飛び乗りなど)例があったが、近年は長時間中継を中断する局はみられない。</ref>。文化放送(関東ローカル)のみで放送される時間帯(7:30 - 8:00および14:00以降)には「文化放送新春スポーツスペシャル」というタイトルを使用しているが、ネット局でも放送する時間帯には、CM明けの[[ジングル (ラジオ)|ジングル]]もネット局向けに文化放送からの[[裏送り]]方式で差し替えている。
番組の途中では、ニュース、天気予報、交通情報、さらには首都圏の鉄道情報も挿入されるが、ネット局でもそのまま放送される。そのため、通常の「[[文化放送ニュース]]」や「文化放送交通情報」・「文化放送天気予報」のジングルは使用しないうえ、「全国のニュース」「首都圏の交通情報・天気予報」といった表現に改め、ジングルは「[[箱根八里]]」に変更してネット局に配慮している。また、「情報センター」からの記録の読み上げや、中継所・拠点からのリポートの直前には[[ジングル]]を鳴らし分けている。
 
自前の中継車を出していないため、メイン実況のアナウンサー(公式サイト上の呼称は「センター実況」→「総合実況」、2023年以降は往路:[[斉藤一美]]、復路:[[寺島啓太]])は、スタジオ(放送上の呼称は「放送センター」)で日本テレビの映像を見ながら実況(いわゆる「オフチューブ」方式)<ref name="kurokawa" /><ref group="注">番組の途中には、日本テレビから映像・情報の提供を受けている旨のアナウンスを随時挿入。</ref>。同局の中継とは別に、大学生時代に箱根駅伝で目覚ましい活躍を見せた人物を、「メイン解説者」(2023年以降は[[柏原竜二]]が復路のみ、2024年には柏原に加えて往路・復路共通で[[大志田秀次]])や「ゲスト解説者」(2024年は「プレーヤーズ解説」との肩書で[[近藤幸太郎]])に迎えている。
実況は放送事業局報道スポーツセンター所属のスポーツアナウンサーが担当するが、全員総出でもまかないきれないため、制作部所属のアナウンサー(2017年は[[砂山圭大郎]]、[[八木菜緒]]、[[小尾渚沙]]、[[西川文野]])、文化放送の元アナウンサー(2017年は[[吉田涙子]]<ref group="注">2014年までは制作部所属のアナウンサーとして出演。2017年時点で放送事業局報道スポーツセンター所属の報道記者であるため、同年の中継では、「吉田涙子記者」という肩書でリポーターを務めた。</ref>)、フリーアナウンサー([[菅野詩朗]]<ref group="注">文化放送OB。2012年9月に定年退職した後も通過ポイントの実況を毎年担当。</ref>、2017年は小川・[[鬼頭里枝]])、ABCラジオのスポーツアナウンサー(2017年は[[平岩康佑]])が例年担当する。
 
また、「放送センター」とは別のスタジオを、「情報センター」という名称で使用。記録・タイムを伝えるアナウンサー1名(2023年以降は往路:寺島、復路:斉藤)、中継所通過時点での順位速報や(1区・6区を除く)区間の走者の氏名・大学名を伝える女性アナウンサー1名(2023年以降はフリーアナウンサーの[[小川真由美 (アナウンサー)|小川真由美]]<ref group="注">放送上の名義は「小川真由美アナウンサー」</ref>)、「ネットスタジオ担当」(提供クレジットの読み上げや途中飛び乗り・飛び降りネット局向けの案内を担当するアナウンサー)1名<ref group="注">2007年以降は、有期雇用契約扱いの女性アナウンサーが代々担当。担当日に文化放送のみで流れる中継直前番組にも出演する。</ref>(2022年・2023年は往・復路とも[[松井佐祐里]])を入れている。順位速報担当の女性アナウンサー<ref group="注">かつては、文化放送の女性アナウンサーが担当していた。</ref> は、2018年まで、[[Twitter]]上の公式アカウントに寄せられた大会・中継関連のツイートの一部も読み上げていた。2019年からは、ツイートに代わって、「応援一口メモ」(本選出場全校への事前取材に基づく注目選手の情報)を紹介している。
以下は2017年のネット局(10:00以降に中継を開始する局は併記)。ただし、テレビ・ラジオのネットワークの関係から、テレビで放送される放送局とは異なる場合あり。なお、RABラジオやBSNラジオなど、NHKと同様、正時にローカルニュースを放送する局がある。
 
* [[文化放送]](キー局) - 放送時間は7:30 - 14:30(以前は2日は14:00、3日は14:15までの放送だった)
その一方で、中継ではニュース、天気予報、交通情報、首都圏の鉄道情報を随時挿入している。11時台後半に放送する文化放送発のニュース、天気予報、交通情報はネット局でもそのまま流れるため、同局のみで関東ローカル向けに放送する場合のタイトル(「[[文化放送ニュース]]」「文化放送交通情報」「文化放送天気予報」)やジングルを使用せず、「全国のニュース」「首都圏の交通情報・天気予報」と改題。BGMも、「[[箱根八里]]」に変更している。ネット局は9:58、10:58、12:58から5分間ずつ中継を中断したうえで、ローカル向けのニュース、天気予報、交通情報を放送<ref group="注">実際には中断の間に正時を跨ぐため、最初の2分間をCMに充てた後に、時報をはさんでローカル編成へ移行するネット局が多い。中断の前に文化放送から「ネットスタジオ担当」による中断のアナウンスが入る。</ref>。さらに、「情報センター」からの記録の読み上げや、中継所・拠点からのリポート、「応援一口メモ」の直前にはジングルを鳴らし分けている。
* [[HBCラジオ|北海道放送]](テレビは[[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]が放送<ref group="注">札幌テレビは子会社として[[STVラジオ]]を有するが(分社前は同社のラジオ部門だった)、ネット局はSTVラジオではない。これは、土曜日の日中に通常番組『[[ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー]]』の放送が優先される事情に配慮した措置でもある。</ref>)
 
* [[青森放送]]
実況については、放送事業局報道スポーツセンター所属のスポーツアナウンサーを総動員。往路・復路とも、すべての中継所と区間内の一部拠点にアナウンサーやリポーターを配置している<ref group="注">沿道の商店・民間施設の敷地を中継所の実況に借用する場合には、当該中継所を紹介する場合に、当該商店・施設に関するPRコメントを中継担当のアナウンサーが入れることがある。</ref> ため、「総合実況」と「情報センター」を担当しないスポーツアナウンサー、「情報センター」を担当しない制作部所属のアナウンサー(2023年は[[砂山圭大郎]])、文化放送の元アナウンサー<ref group="注">かつては、[[菅野詩朗]](2012年9月の定年退職後に通過ポイントの実況を毎年担当)や[[吉田涙子]](放送事業局報道スポーツセンター所属の報道記者、2014年までは制作部所属のアナウンサー)が中継所のリポーターを務めた。</ref>([[鈴木光裕]]<ref group="注">文化放送時代にもスポーツアナウンサーとして出演</ref>)、フリーアナウンサー(2024年は[[鬼頭里枝]]<ref group="注">放送上の名義は「鬼頭里枝アナウンサー(またはリポーター)」</ref>・[[小笠原聖]]<ref group="注">放送上の名義は「小笠原聖アナウンサー」で、2024年から担当。</ref>)で分担している。文化放送アナウンサー時代の2020年からメイン実況を担当している寺島は、2021年4月の退社を経て、2022年以降の中継でもフリーアナウンサー(放送上の名義は「寺島啓太アナウンサー」)として担当を継続。過去には、[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]](2018年4月以降は[[朝日放送テレビ]])のスポーツアナウンサーにも、中継所の一部で実況を任せた時期があった。
* [[IBC岩手放送]](テレビは[[テレビ岩手]]が放送)
 
* [[東北放送]] <ref group="注">2013年までは11:00飛び乗り。</ref>(テレビは[[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]]が放送)
=====ネット局(文化放送)=====
* [[秋田放送]]
★印の局は[[ラテ兼営|ラジオ・テレビ兼営局]]で、テレビ放送部門が日本テレビ系列に属しているため、同じ大会の中継を自社のテレビ・ラジオ放送部門で同時に流している。
* [[山形放送]]
 
* [[ラジオ福島]] - 2017年よりネット開始。(テレビは[[福島中央テレビ]]が放送)
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"
* [[山梨放送]]
!rowspan="2"| 放送局名 !!rowspan="2"| 放送期間 !!colspan="2"| 近年の基本放送時間 !!rowspan="2" style="white-space:nowrap"| テレビ !!rowspan="2" | 備考
* [[信越放送]] - 2日は10:00飛び乗り(テレビは[[テレビ信州]]が放送)
|-
* [[新潟放送]](テレビは[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]が放送)
! style="white-space:nowrap"|往路(1月2日) !! style="white-space:nowrap" |復路(1月3日)
* [[静岡放送]](テレビは[[静岡第一テレビ]]が放送)
|-
* [[CBCラジオ]] - NRN非加盟局。2013年より8:00-14:00<ref group="注">2013年より、7:00-8:00の枠で『箱根駅伝直前スペシャル』を自社制作。2012年まで10:00ないし11:00飛び乗り - 14:00。中日新聞ニュースのため一部時間帯に数分間中断。</ref>(テレビは[[中京テレビ放送|中京テレビ]]が放送)
*! [[北日本文化放送]]
| style="white-space:nowrap"|1994年以降 ||colspan="2"| 7:30 - 14:30 || - ||style="text-align:left"|キー局。放送終了時刻は、2011年まで1月2日は14:00、1月3日は14:15。
* [[北陸放送]](テレビは[[テレビ金沢]]が放送)
|-
* [[福井放送]]
! [[HBCラジオ|北海道放送]]
* [[ABCラジオ|朝日放送]] - 2007年より文化放送の中継に協力(関東地方出身のスポーツアナウンサー<ref group="注">[[清水次郎]](2007年・2008年:東京都・早稲田大学出身) → [[山下剛]](2009年 - 2011年:神奈川県・早稲田大学出身)→ [[高野純一]](2012年 - 2015年:千葉県・早稲田大学出身)→ [[平岩康佑]](2016年 - :東京都・法政大学出身)</ref>1名を中継所の実況要員<ref group="注">往路・復路とも、2007 - 2015年・2017年は平塚中継所、2016年は戸塚中継所を担当。</ref>として派遣、テレビは[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]が放送)
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - || style="text-align:left"|<ref group="注">[[STVラジオ]]ではない。これは、土曜日の日中に通常番組『[[ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー]]』(2018年春終了)の放送が優先される事情に配慮した措置とされる。</ref>
* [[和歌山放送]](テレビは[[読売テレビ]]が放送)
|-
* [[四国放送]]
! [[青森放送]]
* [[山陰放送]] <ref group="注">2008年まで11:00 - 13:00間は中断していた。</ref>(テレビは[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]が放送)
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || ★ ||
* [[山陽放送ラジオ|山陽放送]](岡山県域。テレビは岡山県域、香川県域共に[[西日本放送テレビ|西日本放送]]が放送)
|-
* [[西日本放送ラジオ|西日本放送]](香川県域)
! [[IBC岩手放送]]
* [[中国放送]](テレビは[[広島テレビ放送|広島テレビ]]が放送)
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - ||
* [[山口放送]]
|-
* [[南海放送]]
*! [[高知東北放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - || style="text-align:left"|2013年までは11:00飛び乗り。
* [[KBCラジオ|九州朝日放送]](テレビは[[福岡放送]]が放送)
|-
* [[長崎放送]](長崎県域のみテレビは[[長崎国際テレビ]]が放送)
! [[秋田放送]]
** [[NBCラジオ佐賀]](テレビは福岡放送が放送)
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
* [[熊本放送]](テレビは[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]が放送)
|-
* [[大分放送]] - 2008年よりネット開始。(テレビは[[テレビ大分]]が放送)
! [[山形放送]]
* [[宮崎放送]] - 2008年よりネット開始。(テレビは[[テレビ宮崎]]が放送)
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
* [[ラジオ沖縄]](沖縄県域は地上波によるテレビ放送なし)
|-
! [[ラジオ福島]]
| 2017年以降 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[山梨放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[信越放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - || style="text-align:left"|2018年までは1月2日に限って10:00から飛び乗り。
|-
! [[新潟放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[静岡放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[CBCラジオ]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || - || style="text-align:left"|NRN非加盟局で唯一放送<ref group="注">NRN加盟局である[[東海ラジオ放送|TOKAI RADIO]]の編成の都合によるもの。[[CBCラジオ]]:文化放送制作の番組では、2018年以降に[[埼玉西武ライオンズ]]と[[中日ドラゴンズ]]の[[セ・パ交流戦]]を中心に『[[文化放送ライオンズナイター]]』と『[[CBCドラゴンズナイター|CBCラジオ ドラゴンズナイター]]』の相互ネットを実施する年があるものの、定期的な同時ネット番組は箱根駅伝実況中継のみである。放送対象地域の[[愛知県|愛知]]・[[三重県|三重]]両県内で開催される[[全日本大学駅伝対校選手権大会|全日本大学駅伝]]では、[[文化放送]]制作の中継を2019年まで[[ZIP-FM]]が、2020年からTOKAI RADIOが同時ネット。</ref>。[[東海3県]]ではこの局のみ放送。2012年までは10:00または11:00飛び乗り。<br />2013年に開始時刻を繰り上げてからは、7時台に自社制作による<br />『箱根駅伝直前スペシャル』も別途放送。
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! [[北日本放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[北陸放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
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! [[福井放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
|-
! style="white-space:nowrap"|[[朝日放送ラジオ]]
| 1994年以降 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || - || style="text-align:left"|2007年から2018年まで、関東地方出身のスポーツアナウンサー<ref group="注">[[清水次郎]](2007年・2008年:東京都・早稲田大学出身) → [[山下剛]](2009年 - 2011年:神奈川県・早稲田大学出身)→ [[高野純一]](2012年 - 2015年:千葉県・早稲田大学出身)→ [[平岩康佑]](2016年 - 2018年:東京都・法政大学出身)</ref> 1名を、<br />中継所の実況要員<ref group="注">往路・復路とも、2007 - 2015年・2017年は平塚中継所、2016年は戸塚中継所を担当。</ref> として派遣<ref group="注">大会開催が平日と重なった場合、『[[ニュース・パレード]]』(文化放送制作のNRN向け全国ニュース)を通して、派遣アナウンサーによる実況音源が[[ラジオ大阪]]から流れることがあった。</ref>。
|-
! [[和歌山放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
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! [[山陰放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - || style="text-align:left"|2008年まで自社制作番組『[[音楽の風車]]』放送のため、11:00 - 13:00は中断。<br />翌年以降は『音楽の風車』の時間変更で対応。
|-
! [[RSKラジオ|RSK山陽放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - ||
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! [[中国放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - ||
|-
! [[山口放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[四国放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[西日本放送ラジオ|西日本放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[南海放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[高知放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || ★ ||
|-
! [[KBCラジオ|九州朝日放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[長崎放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - || style="text-align:left"|[[NBCラジオ佐賀]](独自編成を行っていた時代の佐賀県向け放送)を含む。
|-
! [[熊本放送]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[大分放送]]
| 2008年以降 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[宮崎放送]]
| 2008年以降 ||colspan="2"| 8:30 - 14:00 || - ||
|-
! [[南日本放送]]
| 2020年以降 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
|-
! [[ラジオ沖縄]]
| 不明 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 || - ||
|}
======備考======
制作局の文化放送(NRN幹事局の1つ)と、九州朝日放送・ラジオ沖縄を除くネット局は[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]](幹事局は[[TBSラジオ]])にも加盟。ネット局のうち、JRNにも加盟する局(青森放送と朝日放送ラジオを除く)は、2021年4月から、毎週日曜日の8:00 - 10:00に通年で『[[地方創生プログラム ONE-J]]』(JRN32局の共同制作による生放送番組)を編成している。往路の開催と重なった2022年1月2日には、ネット局ごとに『ONE-J』側の時間変更などで対応したため、箱根駅伝中継の放送に大きな影響は生じなかった([[地方創生プログラム ONE-J#放送の休止・放送時間の変更|当該項も参照]])。
 
TBSラジオが平日のランチタイムに編成している生ワイド番組(月曜日 - 木曜日は『[[ジェーン・スー 生活は踊る]]』、金曜日のみ『[[金曜ボイスログ]]』)の同時ネットを2023年10月からで13時台限定で実施している長崎放送・NBCラジオ佐賀と、2024年4月より『生活は踊る』の12時台・13時台を同時ネットしている中国放送は、1月2日・1月3日が平日と重なった年でも箱根駅伝中継を放送するため、上記の番組については中継日のネットを臨時に返上している。また『生活は踊る』および『金曜ボイスログ』に内包されている12時台のコーナー『水音スケッチ』を2024年4月より単独番組として編成している東北放送は、箱根駅伝中継終了後に臨時に枠移動して放送している。
 
TBSラジオ制作でJRN全国ネットで午後に放送されている番組が放送される場合については、一部のネット局で臨時に枠移動させることで対応することが多い。しかし、2025年には1月3日(金曜日)の『[[朗読のミカタ|朗読のヒロバ]]』が箱根駅伝中継および各局の特別編成の都合により、複数の局で休止となった。
 
==== {{Visible anchor|ラジオ日本制作|RF制作}} ====
1,506 ⟶ 1,923行目:
|ネットワーク=
|制作=
|放送期間=1995年 - <ref>[http{{Cite web|和書|url=https://www.nitro.co.jp/housou/report/2016/01/22/post-1radionipponhakone_160122.html |title=ラジオ日本の箱根駅伝] 現場リポート|NiTRo|株式会社 |publisher=[[日テレ・テクニカル・リソーシズ|NiTRo]] |date=2016年1月-01-22 |accessdate=2023-11-16}}</ref>
|放送回数=
|スポンサー=
|公式サイト=http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/hakone.php?program=2019hakone1422
|特記事項=
}}
[[アール・エフ・ラジオ日本]]は[[日本テレビ放送網#主なグループ会社|日本テレビグループ]]で、コースに当たる神奈川県を[[放送対象地域]]とするラジオ局。いわゆる[[独立放送局|独立局]]であるが、文化放送と放送対象地域が重複する[[北関東]]のNRN加盟局、ラジオ日本とは提携関係がある[[兵庫県]]の[[ラジオ関西]]や一部の[[コミュニティFM]]局でも放送。エリア内という事で極め細かく交通情報を流すのが特徴。中継車を出していないため、基本的に日本テレビの映像を見ながら実況を行う。ただしスタート・ゴール、各中継所は[[リポーター]]が現場で実況す。ネット局は以下のとおり
* アール・エフ・ラジオ日本(キー局)
* [[栃木放送]]
* [[茨城放送]]
* [[ラジオ関西]](2007年より)
* [[エフエム世田谷|FM世田谷]](2004年から2009年まで、2013年から2015年まで) - 出場校が比較的多く立地している[[東京都]][[世田谷区]]のコミュニティFM局。
* [[エフエム甲府|FM甲府]](2009年より) - [[山梨学院大学]]の構内に演奏所・送信所を持ち、[[学校法人山梨学院|山梨学院]]が資本参加している、[[山梨県]][[甲府市]]のコミュニティFM局。
* [[エフエムみしま・かんなみ|FMみしま・かんなみ]](2010年より) - [[日本大学]]の国際関係学部がある[[静岡県]][[三島市]]のコミュニティFM局。
 
文化放送の制作版と同様に、自前で中継車を走らせていないため、アナウンサーは基本として日本テレビの映像を見ながら実況。ただし、スタート・ゴール地点と各中継所には、[[リポーター]]を独自に配置している。2008年から2020年まで文化放送の契約アナウンサーとして同局制作分の中継でセンター実況などを担当してきた[[槇嶋範彦]]は、契約期間の満了(2020年3月)を経て、2021年からラジオ日本制作分の中継でリポーターやセンター実況を任されている。同様に2019年まで文化放送アナウンサーとして同局制作分の中継に参加していた[[飯塚治]]も、部署移動ならびにフリーアナウンサーへの転向を経て、2024年からラジオ日本制作分の中継に参加している。
=== インターネット放送 ===
3局とも[[インターネットラジオ]]を通じて、配信している。
* [[NHKネットラジオ らじる★らじる]] - NHK制作分
* [[radiko]] - 民放ラジオ制作分(実施地域により、文化放送制作分のみ<!--、「radikoプレミアム」登録者は双方とも-->聴取可能<ref group="注">ラジオ日本制作分は関東地方(2013年以前は群馬県を除く)と兵庫・大阪の各府県のみ。</ref><!--プレミアムサービス(「radikoプレミアム」)開始に伴い、同サービス登録者はどちらの分も聴取可能か?確認を。※QRはOKと発表済み。-->)
* [[BBQR]] - 文化放送制作分
* [[Ustream]] - ラジオ日本(2011〜13年)、文化放送(2015年以降)制作分<ref group="注">ラジオ日本は2011〜13年開催分の予選会の、文化放送は2014年以降の全日本大学駅伝<!--(神宮や伊勢(駅伝)とも呼ばれる。)-->(第46回以降)および2015年以降の出雲駅伝(第27回以降)の配信実績がある。</ref>
なお、BBQRおよびUstreamは国内はもとより、海外でも聴取可能であった。また、これとは別に2014年大会では[[ニコニコ生放送]]でも配信されている。但しこちらは大会の映像を配信するものではなく、「年末年始ぶっ通し78時間全局テレビ実況」の一環として配信された。コメンテーターに[[徳本一善]]([[法政大学]]OB、2000年1区区間賞、現・[[駿河台大学]]監督)。
 
ラジオ日本の放送対象地域内にコースが設けられている関係で、地域内の道路交通情報をこまめに流すことが特徴。日本テレビ・文化放送の中継と同様にサッポロビールがスポンサーに名を連ねているが、文化放送制作分中継の実況音源を活用したサッポロビールの箱根駅伝限定ラジオCMは、ラジオ日本制作分の中継でもそのまま放送されている。
=== 中継番組に関するエピソード ===
 
{{Main2|日本テレビ制作の中継番組に限定された部分に関する内容|新春スポーツスペシャル箱根駅伝}}
関連番組として、毎年12月に「タスキでつなぐ青春の200キロ ―箱根駅伝への道―」を、火曜日 - 金曜日は20:45~21:00、土曜日・日曜日は19:45 - 20:00に放送(これにより[[60TRY部]]、[[タブレット純 音楽の黄金時代]]、[[THE BEATLES 10]]などレギュラー番組は短縮。収録放送である「THE BEATLES 10」以外はネット受け局も同様に短縮となる)。
* かつて[[ラジオ]]中継しか行われなかった時代は[[関東地方]]、特にコースとなる[[東海道]]沿線地域のお正月の風物詩とでもいうような非常にローカルな大会だった。しかし[[テレビ]]中継開始(特に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の完全中継開始)以降、知名度は一気に広がり、[[年末年始]]という大型番組が乱立する激戦区の中で常に高い[[視聴率]]をマークしている。放送時間も5時間と長いにも関わらず平均視聴率が25%以上を記録する年も多い。今や沿道の観衆は[[警察]]の発表では片道だけで50万人を数える。
 
* ある年{{いつ|date=2012年1月}}の2区で大ブレーキを起こして倒れ込みながら襷リレー。倒れたランナーを追っていたカメラマンに向かって「'''撮ってんじゃねえよ!'''」とファンが怒鳴るシーンが放送されるなど、いかにも生放送ゆえのハプニングが何回か起こっている。
=====ネット局(ラジオ日本)=====
* 8区の茅ヶ崎市付近では元日本テレビ[[アナウンサー]]の[[徳光和夫]]が毎年選手に声援を送っており、その声援を聴いたり姿を探す選手がいるほどである<ref group="注">ちなみにその模様は駅伝終了後の翌週の『[[THE・サンデー]]』で放映されていたが、同番組が『[[THE・サンデー NEXT]]』にリニューアルした2009年はスタジオでのコメントで触れられたのみで、映像はなかった。</ref><ref group="注">なお、2012年末最終放送の『[[Going!]]』日曜版(2012年12月24日付放送分)では中盤に年末恒例企画として箱根駅伝の取材企画としてベテラン局アナと共に(個別で)取材を受けていた。</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"
* スタート・ゴール地点や各中継所付近では出場校のマスコミ研究会・新聞部の部員が自校の大学新聞([[学生新聞]])を配布していることがあるが、主催者は大手町の特設ブースを除いて、コース沿道全域での大学新聞の配布を禁止している。
!rowspan="2"| 放送局名 !!rowspan="2"| 放送期間 !!colspan="2"| 近年の基本放送時間 !!rowspan="2"| 備考
* 近年では中継終了時刻まで完走チームの確定をしないままラジオでの中継を打ち切ることが多い。とりわけ2013年の第89回大会では、往路のテレビ中継においても、中継終了寸前まで完走チームが確定したかが分からず(城西大はスポンサースポット中で途中棄権、中央大は状況未確認<ref group="注">ただし、一部情報ではふらふらと蛇行しながら走り続けていたとの情報がスタッフ内などで入っていた。</ref>)そのままスタッフロールを簡略テロップ表示→最終後クレと提供読み→エンディングに「中央大は5区20km地点で途中棄権」と口頭で伝えて往路中継終了となった(VTRでは、当日18:00に放送された『[[NNNニュース&スポーツ]]』内で伝えられただけだった)。
|-
! 往路(1月2日) !! 復路(1月3日)
|-
! ラジオ日本
| 1995年以降 || style="white-space:nowrap"|7:30 - 14:25 || style="white-space:nowrap"|7:30 - 14:30 ||style="text-align:left"|キー局。
|-
! [[栃木放送]]
| 不明 - 2023年 ||colspan="2"| 7:50 - 14:00 ||
|-
! [[LuckyFM茨城放送|茨城放送]]
| 不明 - 2022年 ||colspan="2"| 9:00 - 14:00 ||
|-
! [[ラジオ関西]]
| 2007年以降 || 8:00 - 14:25 || 8:00 - 14:30 ||2025年の復路は『[[寺谷一紀のまいど!まいど!]]』の放送を優先したため放送開始が10:00からとなる。
|-
! [[エフエム世田谷|FM世田谷]]
| 2004年 - 2009年<br/>2013年 - 2015年 ||colspan="2"| - || style="text-align:left"|出場校が比較的多く立地している[[東京都]][[世田谷区]]のコミュニティFM局。
|-
! [[エフエム甲府|FM甲府]]
| style="white-space:nowrap"|2009年 - 2018年頃<br/>2021年以降 ||colspan="2"| - || style="text-align:left"|[[山梨学院大学]]の構内に演奏所・送信所を持ち、<br />[[学校法人山梨学院|山梨学院]]が資本参加している、[[山梨県]][[甲府市]]のコミュニティFM局。
|-
! style="white-space:nowrap"|[[エフエムみしま・かんなみ|FMみしま・かんなみ]]
| 2010年 - 2019年頃 ||colspan="2"| - || style="text-align:left"|[[日本大学]]国際関係学部がある[[静岡県]][[三島市]]のコミュニティFM局。
|}
 
==== その他のラジオ局 ====
[[TBSラジオ]]は現在、中継放送は実施していないが、ラジオ東京として開局して間もない[[1952年]]1月9日に、第28回大会(同6日・7日開催)のもようを収録した録音番組(10分)が放送されている<ref>『TBS50年史』本編、2002年、東京放送編。p.54。</ref>。
 
[[ニッポン放送]]も現在、中継放送は実施していないが、毎年1月2日・3日の各ワイド番組(新春特番を含む)の中で随時「箱根駅伝速報」を伝える<ref>[https://www.1242.com/information/329778/ 年末年始の特別番組のご案内 | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93]</ref>。
 
=== インターネット配信 ===
テレビ・ラジオ各局がそれぞれのサービスを通じて配信している。
* 各局の番組公式ページ:日本テレビ制作分、文化放送制作分
* [[Hulu]]:日本テレビ制作分(2018年のみ)
* [[TVer]]:日本テレビ制作分(2020年から)
* [[radiko]]:民放ラジオ制作分(2011年以降。地域により、主に文化放送制作分が<!--、「radikoプレミアム」登録者は双方とも-->聴取可能<ref group="注">ラジオ日本制作分は関東地方(2012-13年は群馬県と栃木県を除く)と近畿2府4県(兵庫・大阪は2012年から、京都は2018年から、滋賀・奈良・和歌山は2022年から)のみ。</ref><ref group="注">2019年まで制作局の文化放送および同局と個別の中継回線でネット受けする一部の局(朝日放送ラジオやNRN非加盟のCBCラジオ)はステレオ放送で、NRN回線での配信をネット受けする局(秋田放送・北海道放送・中国放送など)は回線の都合上モノラル放送だったが、2020年はステレオ放送によるネット局が増加した(北海道放送・北日本放送・RSK山陽放送・西日本放送・中国放送・山口放送など。秋田放送などモノラル放送の局もあり)。</ref><!--プレミアムサービス(「radikoプレミアム」)開始に伴い、同サービス登録者はどちらの分も聴取可能か?確認を。※QRはOKと発表済み。-->)、NHKラジオ制作分(2018年から)
* [[NHKネットラジオ らじる★らじる]]:NHKラジオ制作分(2012年から)
* [[BBQR]]:文化放送制作分(2009年まで)
* [[Ustream]]:ラジオ日本(2011年 - 2013年)、文化放送(2015年 - 2017年)制作分<ref group="注">ラジオ日本は2011〜13年開催分の予選会の、文化放送は2014年以降の全日本大学駅伝<!--(神宮や伊勢(駅伝)とも呼ばれる。)-->(第46回以降)および2015年以降の出雲駅伝(第27回以降)の配信実績がある。</ref>
BBQRおよびUstreamは国内はもとより、海外でも聴取可能であった。
 
これらとは別に、2014年大会は[[ニコニコ生放送]]にて「年末年始ぶっ通し78時間全局テレビ実況」の一環としてレース解説のもようが配信された。コメンテーターは[[徳本一善]]([[法政大学]]OB、現在:[[駿河台大学]]監督)。現地の映像・音声(日本テレビの中継映像)自体は配信されていない。
 
== 雑誌 ==
1,544 ⟶ 1,990行目:
ただ、『月刊陸上競技』の編集長はたびたび留学生制度に対して苦言を呈していることもある。
 
なお箱根駅伝の観戦ガイドブックは上記2誌の増刊号として発売されているほか、共催社である読売新聞社、後援社である報知新聞社からも発売されている<ref group="注">ただし、公式ガイドブックとなっているものは協力している陸上競技社発行のものであって、共催である読売新聞社のものは公式ではないことに注意。</ref>。
 
== 参考文献関連項目 ==
* [[箱根駅伝ミュージアム]]:2005年3月、芦ノ湖畔に開設。
* [[島田輝男]] 『日本列島駅伝史』 陸上競技社、1987年。
* [[箱根駅伝の人物一覧]]
* 『箱根駅伝70年史』 関東学生陸上競技連盟、1989年。
* [[箱根駅伝の記録一覧]]
* 箱根駅伝を10倍面白くみる本 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]箱根駅伝プロジェクトチーム、1995年。
* [[読売新聞グループ本社]]
* 『栄光を讃えて 箱根駅伝80回大会記念誌』 関東学生陸上競技連盟、2004年。
* [[読売新聞]]
* [[黒木亮]](金山雅之)著 『冬の喝采』 講談社、2008年。ISBN 978-4062150415 - [[中村清]]監督時代の箱根駅伝に向けての早稲田大学競走部のトレーニング描写、[[瀬古利彦]]のエピソード、中村の人物像に詳しい。
* [[全日本実業団対抗駅伝競走大会]](ニューイヤー駅伝):毎年元日に[[群馬県]]で開催され、当大会で活躍した選手が出場することが多い。
* [[風が強く吹いている]]:[[三浦しをん]]の小説。2009年に映画化され、箱根駅伝を目指す学生たちの姿を綴る。2018年~19年にも日テレの深夜枠「[[日本テレビの深夜アニメ枠|AnichU]]」にて連続テレビアニメーションとして放送。
* [[いだてん〜東京オリムピック噺〜]]:箱根駅伝を発案した[[金栗四三]]が主人公の[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]](2019年放送)。5月19日放送に放送された[[いだてん〜東京オリムピック噺〜#放送日程|第19回のサブタイトル]]は"箱根駅伝"<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/news/detail/190174/ |title=<いだてん>「箱根駅伝」初開催へ!瀬古利彦、谷口浩美、原晋が期待を語る|author= |publisher=ザテレビジョン|quote=5月19日(日)に放送される大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)で、第1回(ママ)「箱根駅伝」が描かれる。宮藤官九郎が脚本を務める本作は、日本人初のオリンピアン・金栗四三(中村勘九郎)と、1964年の東京オリンピック招致に奔走した政治記者・田畑政治(阿部サダヲ)を主人公にした、日本とオリンピックの歴史物語。19日放送の回では、四三が運営委員となり、アントワープオリンピックの代表選手選考を兼ねた「箱根駅伝」を初めて開催する。|date=2019-05-18 |accessdate=2021-01-03 }}</ref>。
*[[人力車夫事件]]:[[大正|大正時代]]、日本大学が学外の[[人力車|人力車夫]]を選手の「替え玉」として走らせた不祥事。
*[[アフター6ジャンクション]]:[[TBSラジオ]](1988年から箱根駅伝往路前日の1月1日に群馬県内で開催されているニューイヤー駅伝中継局の1つ)が2018年4月から通年で平日の18時 - 20時台に放送中の生ワイド番組。[[TBSテレビ]]制作の駅伝中継で実況を担当している[[熊崎風斗]](同局のスポーツアナウンサー)が月曜日のパートナーを務めていることや、[[アフター6ジャンクション#2022年度|TBSを除く2022年度下半期時点でのネット全局]]が文化放送制作の箱根駅伝ラジオ中継を放送していることから、2022年12月12日(月)には「[https://open.spotify.com/episode/44WitHDS040iMcGjm7Iiq6 『箱根駅伝』を知ると『ニューイヤー駅伝』が100倍楽しめるようになる特集]」を[[生島淳]](スポーツライター)の解説付きで20時台に編成した。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{ReflistNotelist|group=""}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|23}}
{{脚注ヘルプ}}
 
== 関連項目参考文献 ==
* 島田輝男 『日本列島駅伝史』 陸上競技社、1987年。
* [[箱根駅伝の人物一覧]]
* 『箱根駅伝70年史』 関東学生陸上競技連盟、1989年。
* [[箱根駅伝の記録一覧]]
* 箱根駅伝を10倍面白くみる本 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]箱根駅伝プロジェクトチーム、1995年。
* [[読売新聞グループ本社]]
* 『栄光を讃えて 箱根駅伝80回大会記念誌』 関東学生陸上競技連盟、2004年。
* [[読売新聞]]
* [[黒木亮]](金山雅之)著 『冬の喝采』 講談社、2008年。{{ISBN2|978-4062150415}} - [[中村清]]監督時代の箱根駅伝に向けての早稲田大学競走部のトレーニング描写、[[瀬古利彦]]のエピソード、中村の人物像に詳しい。
* [[風が強く吹いている]] - [[三浦しをん]]の小説。2009年に映画化され、箱根駅伝を目指す学生を取り上げている。映画化に際し、関東学連・「読売新聞グループ」(読売新聞・スポーツ報知・日本テレビ)および一部の協賛社が協力した。
 
== 外部リンク ==
{{WikinewsPortal|箱根駅伝}}
{{Commonscat|Tokyo-Hakone collegiate ekiden}}
* {{Official website|httphttps://www.hakone-ekiden.jp/}}
* [httphttps://www.kgrr.org/ 関東学生陸上競技連盟公式サイト]
* [httphttps://www.yomiuri.co.jp/sports/hakone-ekiden/ 箱根駅伝]:読売新聞による特集サオンラト]
* [https://www.ntv.co.jp/hakone/ 箱根駅伝]:日本テレビ
* {{Wayback|url=http://hakone-ouen.com/top.html|title=読売新聞による箱根駅伝応援サイト『箱根応援ロード』|date=20090203034539}}
** {{Twitter|hakone_ntv|箱根駅伝番組公式}}
* [http://www.ntv.co.jp/hakone/ 日本テレビによる中継サイト]
* [httphttps://www.nhkjoqr.orco.jp/radiosp/hakone/ NHKによるお便り募集サイト箱根駅伝]:文化放送
** {{Twitter|ekiden1134|文化放送大学駅伝独り占め}}
* [http://www.joqr.co.jp/ekiden/ 文化放送による中継サイト]
* [http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/hakone.php {{Twitter|jorfhakone|ラジオ日本による 箱根駅伝中継サイト]}}
* [https://www.hakone.or.jp/6320 箱根駅伝]:箱根町観光協会
* [http://www.sapporobeer.jp/hakone/ サッポロビールによる応援サイト]
* [httphttps://www.hakoneekidenmuseumsapporobeer.jp/hakone/ サッポロビール箱根駅伝ミュージアム応援サイト]
* [https://www.hakoneekidenmuseum.jp/ 箱根駅伝ミュージアム]
* [http://www.kgrr.org/event/2006/kgrr/83hakone/83naiki-new.pdf 東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規(平成18年10月13日改正)]
* [http://www.tvco.tv/interview/index.php?action=detail&id=99 「東京箱根間往復大学駅伝競走」番組メイキング(テレビコ)]
 
{{東京箱根間往復大学駅伝競走}}
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{{駅伝競走|other=[[箱根駅伝の人物一覧|本大会の人物]] - [[箱根駅伝の記録一覧|本大会の記録]] - [[新春スポーツスペシャル箱根駅伝|テレビ放送体制]] - [[日本学生陸上競技対校選手権大会|日本インカレ]] - [[関東学生陸上競技対校選手権大会|関東インカレ]]}}
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[[Category:箱根駅伝|*]]
[[Category:読売グループのスポーツ活動]]
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[[Category:東京都のスポーツ]]
[[Category:年末年始]]
[[Category:1920年設立開始のスポーツイベント]]
[[Category:年1回放送の特別番組]]
[[Category:ラジオの年末年始特番]]
[[Category:NHKのラジオ年末年始特番]]
[[Category:NHKラジオ第1の番組]]
[[Category:NHKラジオスポーツ番組]]
[[Category:文化放送の特別番組]]
[[Category:NRN]]
[[Category:ラジオ日本の特別番組]]
[[Category:かつて存在したテレビ東京の年末年始特番]]
[[Category:テレビ東京のスポーツ番組|歴]]