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{{基礎情報 君主
| 人名 = ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
| 各国語表記 = Birendraवीरेन्द्र Birवीर Bikramविक्रम Shahशाह
| 君主号 = [[ネパール王国の君主|ネパール]]
| 画像 = Birendra Bir Bikram Shah Dev =Birendraon BirDecember Bikram5, Shah1983 (cropped).jpg
| 画像サイズ = 230px220px
| 画像説明 = ビレ[[1983年]][[12月5日]]、[[アンドラ・ビル・ビクラム・シャハズ空軍基地]]にて
| 在位 = [[1972年]][[1月31日]] - [[2001年]][[6月1日]]
| 戴冠日 = [[1975年]][[2月24日]]
| 別号 =
| 全名 = {{Lang|ne|वीरेन्द्र वीर बिक्रम शाहदेव}}<br />ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ
| 出生日 = {{生年月日と年齢|1945|12|28|no死去}}
| 生地 = [[ファイル:Flag_of_Nepal_(19th_century-1962).svg|22x20px|link=|alt=]]{{NPL1768}} [[ネパール王国|ネパール]]、[[カトマンズ]][[:en:Narayanhity Palace Museum|ナラヤンヒティ殿]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1945|12|28|2001|6|1}}
| 没地 = {{NPLNPL1768}} [[カトマンズ]][[:en:Narayanhity Palace Museum|ナラヤンヒティ宮殿]]
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 継承者 = [[ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ディペンドラ]]
| 継承形式 = 王太子
| 配偶者1 = [[アイシュワリヤ・ラージャ・ラクシュミー・デビー|アイシュワリヤ]]
| 子女 = [[ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ディペンドラ]]<br />[[シュルティ・ラージャ・ラクシュミー・デビー|シュルティ]]<br />[[ニーラージャン・ビール・ビクラム・シャハ|ニーラージャン]]
| 王家 =
| 王朝 = [[ゴルカ朝]]
| 王室歌 =
| 父親 = [[マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|マヘンドラ]]
| 母親 = [[インドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー|インドラ]]
| 宗教 = =[[ヒンドゥー教]]
| サイン = =
}}
'''ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ'''({{翻字併記|ne|वीरेन्द्र वीर बिक्रमविक्रम शाहदेवशाह देव|Birendra Bir Bikram Shah Dev}}、[[1945年]][[12月28日]] - [[2001年]][[6月1日]])は、[[ネパール王国]]の第10代君主(在位: [[1972年]][[1月31日]] - [[2001年]][[6月1日]])。第9代[[マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|マヘンドラ]]の長男。
 
__TOC__
{{clear}}
== 生涯 ==
[[1945年]][[12月28日]]、ネパール王(当時は王太子[[マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ]]と、最初妻である[[インドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー]]王太妃の長男として[[カトマンズ]]の[[ナラヤンヒティ宮殿]]にて生まれた<ref name="#1">[http://www.royalark.net/Nepal/nepal12.htm Nepal 12]</ref>。
 
ビレンドラは、弟の[[ギャネンドラ]]と共に、[[ダージリン]]にある[[イエズス会]]の学校であるセント・ジョゼフ・スクールに8年間通う。[[1955年]][[3月13日]]、祖父の[[トリブバン]]国王が死去し、父[[マヘンドラ]]がネパールの王位を継承した。マヘンドラの即位に伴い、ビレンドラは王太子となる。
[[1945年]][[12月28日]]、ネパール王(当時は王太子)[[マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ]]の息子として生まれた<ref>[http://www.royalark.net/Nepal/nepal12.htm Nepal 12]</ref>。
 
[[1959年]]、[[イギリス]]の[[イートン・カレッジ]]に入学し、[[1964年]]に卒業するまで在籍した。卒業後はネパールに戻り、国内の各地を歩いて冒険する旅に出た<ref name=DT>{{cite news |title=King Birendra of Nepal |url=httphttps://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1309622/King-Birendra-of-Nepal.html|publisher=Daily Telegraph |date=23 August 2001 |accessdate=21 July 2008 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.chandra-thapa.com.np/2014/01/the-late-king-birendra-bir-bikram-shah-childhoow-picture.html|title=The Late King Birendra Bir Bikram Shah - Childhood Picture|accessdate=2015年9月10日}}</ref>。
 
[[1967年]]には[[東京大学]]に留学し、親日家としても知られていた。大学に留学していたビレンドラに[[熱海市|熱海]]の植物友の会が[[サクラ|桜]]と[[ウメ|梅]]の種を献上し、その返礼として[[ヒマラヤザクラ]]が贈られた。また、同年から翌[[1968年]]にかけてハーバード大学にも留学し、政治学を学んだ<ref name=BBC>{{cite news |title=Birendra: Nepal's monarch of change |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/1365485.stm |publisher=BBC |date=2 June 2001 |accessdate=2015年9月10日}}</ref>。
 
[[1972年]]、父マヘンドラ国王の死去崩御に伴い、ビレンドラが即位した<ref>[http://www.royalark.net/Nepal/nepal12.htm Nepal 12]<name="#1"/ref>。
 
[[1980年]][[5月]]、父マヘンドラが創設した政党制を否定する[[パンチャーヤト制]]の是非を問う[[国民投票]]が行われ、僅差で存続が決まった<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.658</ref>。
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[[1990年]][[4月]]、[[民主化]]を求める声が高まったのを受けて、パンチャーヤト制を廃止し、[[11月]]には[[複数政党制]]、[[基本的人権]]などを認める新憲法を公布<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、pp.667-668</ref>。新憲法では主権在民がうたわれ、国王は「国家と国民の統合の象徴」であるとされ、ネパールは[[立憲君主制]]へ移行した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.668</ref>。これにより[[絶対君主制]]に終止符が打たれ、ビレンドラは開明的君主として、[[国民]]の厚い信頼を得た。
 
翌[[1991年]][[5月]]、新憲法に基づく複数政党制による総選挙が行われ、ネパール会議派が第1なり、[[ギリジャー・プラサード・コイララ]]が組閣した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、pp.670-680</ref>。だが、高度な[[報道の自由]]を認めた結果、政治家の腐敗が明らかとなり、政争は激化し、会議派、統一共産党、国家民主党などの短命[[内閣]]が相次いだ。
 
[[2001年]][[6月1日]]、[[ネパール王族殺害事件]]でアイシュワリヤ王妃、第二王子[[ニーラージャン・ビール・ビクラム・シャハ|ニーラージャン]]らとともに射殺された<ref>[http://www.royalark.net/Nepal/nepal12.htm Nepal 12]<name="#1"/ref><ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.678</ref>。事件の犯人とされる長男の[[ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ディペンドラ]]王太子が意識不明のまま即位したが、3日後に死去崩御したため、弟の[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ギャネンドラ]]が即位した<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.679</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite|和書|author =佐伯和彦|authorlink=佐伯和彦|translator=|title=世界歴史叢書 ネパール全史|publisher =明石書店|date =2003年|isbn =}}
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Birendra Bir Bikram Shah Dev|ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ}}
*[[ネパール王国]]
* [[ネパーカ朝王国]]
* [[ゴルカ朝]]
 
{{s-start}}
{{s-hou|[[ゴルカ朝]]・[[ゴルカ朝|シャハ家]]|1945年|12月28日|2001年|6月1日|}}
{{clears-reg}}
{{s-bef|before=[[マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|マヘンドラ]]}}
{{s-ttl|title={{NPL1768}}[[ネパール王国の君主|国王]]|years=1972年 - 2001年}}
{{s-aft|after=[[ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ディペンドラ]]}}
{{S-end}}
{{ゴルカ朝の君主|||[[ネパール王国|ネパール王]]:[[1972年]] - [[2001年]]}}
{{Normdaten}}
{{Authority control}}
 
{{DEFAULTSORT:ひれんとら ひる ひくらむ しやは}}
[[Category:20世紀アジアの君主]]
[[Category:21世紀アジアの君主]]
<!--[[Category:東京大学出身20世紀ネパールの人物]]
[[Category:21世紀ネパールの人物]]-->
[[Category:ネパール王国の君主]]
[[Category:イートン・カレッジ出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:ネパール内戦の人物]]
[[Category:ハーバード大学出身の人物]]
[[Category:殺人被害者]]
[[Category:ネパールの紙幣の人物]]
[[Category:大勲位菊花章頸飾受章者]]
[[Category:ラーチャミトラーポーン勲章受章者]]
[[Category:イートン・カレッジ出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:ハーバード大学出身の人物]]
[[Category:人被害者された王族]]
[[Category:1945年生]]
[[Category:2001年没]]
[[Category:海葬された人物]]