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{{Infobox オウム真理教徒
|名前 = {{ruby|麻原|あさはら}} {{ruby|彰晃
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|画像説明 =
|説明 =
|生年 = 松本 智津夫(まつもと ちづお)<br />{{生年月日と年齢|1955|3|2|no}}
|生地 = {{JPN}}・[[熊本県]][[八代市]]<ref group="注" name="A"/>
|没年 = {{死亡年月日と没年齢|1955|3|2|2018|7|6}}
|没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[葛飾区]][[小菅 (葛飾区)|小菅]]([[東京拘置所]])
|出身校 =[[熊本県立盲学校]]専攻科
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|
|非婚配偶者 =
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|ホーリーネーム = マハー・グル・アサハラ
|階級 = [[尊師]]
|役職 = 神聖法皇、代表(設立者)
|入信 =
|事件 = [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]<br/>[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]<br/>[[薬剤師リンチ殺人事件]]<br/>[[松本サリン事件]]<br/>[[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性信者リンチ殺人事件]]<br/>[[会社員VX殺害事件]]<br/>[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]<br/>[[地下鉄サリン事件]]<br/>ほか多数
|判決 = [[日本における死刑|死刑]](執行済み)
|現在 =
}}
'''麻原 彰晃'''(あさはら しょうこう、[[1955年]]〈[[昭和]]30年〉[[3月2日]] - [[2018年]]〈[[平成]]30年〉[[7月6日]]<ref>{{Cite news|title=オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32688690W8A700C1MM0000/|accessdate=2018-07-06|language=ja|work=日本経済新聞 電子版}}</ref><ref group="電" name="nhk180706">{{Cite news|title=オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行|newspaper=NHK|date=2018-07-06|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011513621000.html|accessdate=2020-07-03|archivedate=2018-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180706025032/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011513621000.html}}</ref>)は、[[日本]]の宗教活動家、[[政治活動家]]([[真理党]][[党首]])、[[テロリスト]]、元[[死刑囚]]。本名は'''松本 智津夫'''(まつもと ちづお)。[[熊本県]][[八代市]]出身。
[[宗教団体]]「[[オウム真理教]]」を創設し、[[開祖|教祖]]として政治活動や宗教活動を行った一方、宗教的に[[殺人]]を肯定し、自らの信者を利用して、[[オウム真理教の国家転覆計画|国家転覆]]を最終目標とする数多くの犯罪事件を起こした。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]を初めとするこれら一連の事件は、[[オウム真理教事件]]と称される。麻原は地下鉄サリン事件の[[正犯|首謀者]]として、[[1995年]](平成7年)[[5月16日]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された。
逮捕されてからは徐々に奇行が増え、意思疎通が困難となった<ref>{{Cite news|url=https://www.asagei.com/excerpt/101329|title=Xデー間近…麻原彰晃はこうして処刑される(1)いよいよ秒読み段階 |accessdate=2018-10-25|newspaper=アサ芸プラス|language=ja |date=2018-04-03}}</ref>。[[1996年]](平成8年)[[3月27日]]に[[警視庁]]本庁舎から[[東京拘置所]]に移送され<ref>『[[中日新聞]]』1996年3月27日夕刊第一社会面13面「厳戒の中、移監 麻原被告を東京拘置所へ」</ref><ref name="impact2016">{{Cite book|和書|author=年報・死刑廃止編集委員会|title=死刑と憲法 年報・死刑廃止2016|publisher=インパクト出版会|date=2016-10-10|page=225|isbn=978-4755402692}}</ref>、[[2006年]](平成18年)に[[日本における死刑|死刑]]が[[確定判決|確定]]、2018年(平成30年)7月6日に[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑を執行された]]<ref group="電" name="nhk180706"/>。[[検察官|検察]]からは「わが国[[犯罪]]史上、最も凶悪な犯罪者というしかない」と評されている<ref name="hanzai" />。
オウム真理教での地位は[[尊師]]、[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]においては神聖法皇。1996年(平成8年)[[6月19日]]以降は、教団内部での地位は[[開祖]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=32}}。[[2000年]](平成12年)にオウム真理教が宗教団体「'''アレフ'''」(現:'''[[Aleph (宗教団体)|Aleph]]''')に改組されてからの公式呼称は「旧団体代表」<ref group="電">野田成人 [http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-189.html 規約・綱領・活動規定](「アーレフ」時代)</ref>。
== 経歴 ==
=== 成
==== 松本智津夫 ====
1955年3月2日3時34分、麻原彰晃こと松本智津夫は、[[熊本県]][[八代市]]高植本町<ref group="注" name="A">判決書には熊本県[[八代郡]][[金剛村]]と記載されているが、金剛村は智津夫が生まれる11ヶ月前の[[1954年]][[4月1日]]に八代市に編入され、智津夫の出生時には既に消滅していた。</ref>の「松本畳店」を経営する[[畳]]職人の家庭の四男(男6人女3人の9人兄弟の第七子)として生まれた{{Sfn|東京キララ社|2003|p=9}}<ref>「「上に立つ」…盲学校に原点」読売新聞 2004年2月4日</ref>{{Sfn|高山|2006|p=21}}<ref group="電" name="shitsui"/>{{Sfn|門田|p=165}}。[[先天性]][[緑内障]]のため生来、左目がほとんど見えず、右目の[[視力]]は1.0程度だった{{Sfn|高山|2006|p=21}}。12歳年上の長兄は全盲、五男も[[弱視]]だった。[[藤原新也]]は、「麻原兄弟の視覚障害が[[水俣病]]の影響であり、それゆえに同じく視覚障害を起こす[[サリン]]を使ったのではないか」<ref group="注">ただし後の裁判等で、麻原は[[ホスゲン]]や[[ボツリヌス菌]]など他にも多くの[[オウム真理教の兵器]]を開発指示しており、サリンはその中のひとつに過ぎないことがわかった(『黄泉の犬』はまだ事情がよく分かっていなかった1995年当時の文章)。</ref>という仮説を立て、全盲の長兄に事件後インタビューしている<ref group="電">[https://nikkan-spa.jp/398545 「時代が生んだ犯罪」の原因を考えるということ【鴻上尚史】] 日刊SPA! 2013年4月7日</ref>。長兄の証言によると、彼も智津夫の視覚障害に関し同様の疑いを持ち、水俣病患者として役所に申請したことがあるが、却下されたという{{Sfn|藤原|2006|pp=71-80}}。
祖父は[[熊本県]]出身
==== 盲学校 ====
[[1961年]](昭和36年)4月、一旦は[[八代市立金剛小学校]]に入学するが{{Sfn|高山|2006|p=22}}、[[視覚障害者]]([[隻眼]])を理由に同年秋(6歳)より当時[[熊本市]]出水町今(現在の熊本市[[中央区 (熊本市)|中央区]][[水前寺]])に所在した[[熊本県立盲学校]]に[[転学|転校]]、[[寄宿舎]]に移住{{Sfn|高山|2006|p=25}}<ref group="電" name="mougakkou">{{Cite web|和書|title=熊本県立盲学校の沿革|publisher=熊本県立盲学校|url=http://sakura1.higo.ed.jp/sh/kumamo/enkaku.htm|accessdate=2013-07-13|archivedate=2013-08-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130812215154/http://sakura1.higo.ed.jp:80/sh/kumamo/enkaku.htm}}</ref>{{#tag:ref|松本が高等部1年時の[[1970年]](昭和45年)[[9月1日]]には、現住所の熊本市東区東町に校舎が移転している{{Sfn|高山|2006|p=27}}<ref group="電" name="mougakkou"/>。|group="注"}}。しかし、智津夫は全盲の兄とは異なり目が見えたのに、[[学費]]も寄宿舎代も食費も不要な[[盲学校]]へ入れられたことを親に捨てられたと思い不満をぶつけ{{Sfn|高山|2006|p=24}}、転校の際には泣いて嫌がったという{{Sfn|高山|2006|p=23}}。近所では口減らしではないかと噂が流れた<ref name="anoko12">{{Harvnb|有田|女性自身|1995|pp=12-40}}</ref>。20歳で卒業するまでの13年間、両親が訪ねてくることはなく、[[衣類|衣服]]や[[食品|食料]]を送ってくることもなかった。他の子供たちは週末には里帰りしたが、松本3兄弟は寮に残った<ref name="aumkaranotoi"/>。
当時オウム同様の閉鎖社会であった盲学校では、強い権力欲を見せ、目が見えるために他の子供たちを子分扱いにし、[[暴力]]で支配、全盲の子供を外へ連れ出すと食事をおごらせたり{{Sfn|高山|2006|p=39}}[[窃盗]]を命じたり{{Sfn|高山|2006|p=40}}、全盲の生徒相手に落とし穴を仕掛けたり{{Sfn|高山|2006|p=31}}、
[https://web.archive.org/web/19970805052713/http://www.asahi.com/paper/aum/guru4.html 4・自作自演 「主役」の少年時代] 朝日新聞</ref>、自分の欲しいものを買わせたりし、「外へ連れて行ってやったのだから日当をよこせ」などと言ってお金を巻き上げていたという。寄宿舎の消灯時間が過ぎたにもかかわらず部屋の明かりを点けたことを寮母がとがめた際には、ふてぶてしい態度で「宿舎ば(を)焼いて明るくするぐらいのこつば(ことを)やってやっぞ」「撃ち殺すぞ」と言った{{Sfn|高山|2006|p=41}}<ref>{{Cite book |和書 |author=江川紹子 |authorlink=江川紹子 |title=救世主の野望 |edition= |date=1991-05 |publisher=[[教育史料出版会]] |isbn=4876522030 |page=32}}</ref>。生活指導の教師が注意すると「言うだけなら、なにを言うたって勝手でしょう」と語ることもあった{{Sfn|高山|2006|pp=41-42}}。凶暴なので退学させろとの声も出ていた<ref name="anoko12" />。金への執着が強く、同級生への恐喝によって卒業するまでに300万円を貯金していた<ref name="aumkaranotoi"/>。
27歳の智津夫は「男の子と遊ぶとすぐに喧嘩になってしまうから、女の子とよく遊んだんです。お医者さんごっこをやって、女の子の性器に砂をいれて、評判を落としたりしましてね。」と打ち明けている{{Sfn|高山|2006|p=|loc=「盲学校への転校」}}。
一方、高等部での担任教師であった人物は、盲学校時代の[[報道]]を聞いて「そういう陰日なたのある人間とは、とても感じられなかった」、「明るい活発な子で、遠足に行くときは見えない子の手を引いてやったりしていた」と述べている{{sfn|森|2012|p=138}}。
盲学校で演劇『[[みにくいアヒルの子]]』の主演をして演劇が好きになり、[[自作自演]]していた。『[[源氏物語]]』では女生徒を侍らせ、恋愛劇『ちぎれた愛』では「好きだ、好きだ、好きなんだー」と絶叫した<ref name="guru4"/>。
成績は中程度であったが、「自分のように病気で困っている人を救う仕事がしたい」{{sfn|森|2012|p=137}}と[[熊本大学]][[医学部]]を志望するようになり{{Sfn|高山|2006|p=45}}、高等部3年の3月に同医学部を目指すが当時は視覚障害者では[[医師免許]]が取れなかったこともあり諦め{{Sfn|高山|2006|p=47}}<ref group="電" name="shitsui"/>、高等部[[専攻科#特別支援教育諸学校の専攻科|専攻科]]に進学する{{Sfn|高山|2006|p=47}}。
体格が良く、当時の教師によると高等部3年の時には身長175センチ体重80キロはあり{{Sfn|毎日新聞社会部|1995|p=34}}、部活動は[[柔道]]に打ち込んだ{{Sfn|高山|2006|p=37}}。[[1975年]](昭和50年)[[1月12日]]には、盲学校の生徒としては異例の柔道二段([[講道館]])を取得{{Sfn|高山|2006|p=48}}(一連のオウム事件の裁判が進むと[[講道館]]より段位を剥奪した事が記者会見で発表され、その様子がテレビや新聞各社、近代柔道誌などで報道された)。
[[1975年]](昭和50年
=== 成人後 ===
==== 結婚 ====
[[東京大学]][[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|文科1類]]受験を目指すため、1975年(昭和50年)3月末に[[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]、8月に[[品川区]][[戸越]]に移住するが、9月には八代市の実家に戻る{{Sfn|高山|2006|pp=53-54}}。1976年(昭和51年)1月、熊本市[[春日 (熊本市)|春日]](現在の同市[[西区 (熊本市)|西区]]春日)に移住し長兄の[[漢方薬]]店の助手を務める{{Sfn|高山|2006|p=54}}。鍼灸は上手だったとの患者の証言がある<ref>「終末の教団(1)」1995年5月17日 [[読売新聞]]</ref>。3月、受験勉強をするために学生街のある熊本市[[黒髪 (熊本市)|黒髪町]](現在の同市[[中央区 (熊本市)|中央区]]黒髪)に下宿するが、5月にはまた実家に戻り、長兄の店を手伝う{{Sfn|高山|2006|pp=54-55}}。1976年(昭和51年)7月20日、長兄の店の元従業員が兄を[[侮辱]]したため[[頭部]]を殴打し負傷させ、9月6日、[[八代簡易裁判所]]にて1万5千円の[[罰金]]刑を受ける{{Sfn|高山|2006|p=55}}。この頃既に「弁護士か宗教家になりたい」と語っていた<ref name="anoko12"/>。
この頃、鍼灸師として「病気の人を完治させることができない、無駄なことをしているのではないか」と悩み、無常感を抱き、[[四柱推命]]や[[気学]]を研究し始める
==== 薬事法違反で逮捕 ====
1980年(昭和55年)7月、[[保険料]]の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される{{Sfn|高山|2006|p=73}}。同年8月25日(25歳)、根本仏教系の[[新宗教]]団体[[阿含宗]]に入信{{Sfn|高山|2006|p=93}}。
'''妻の神経症'''
妻の[[松本知子]]と三女の[[松本麗華]]によれば、知子は、1982年に麻原が[[医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律|薬事法]]違反で[[逮捕]]されたことや、[[宗教]]にのめり込み家に戻らなくなったことなどが原因で、許容量をはるかに超える精神的葛藤のために、精神の異常が現れ始め、[[神経症]]に罹ったと告白(自著『転換人生』にも書いている)。その後、[[対人恐怖症]]・[[広場恐怖症|外出恐怖症]]を発症、[[強迫性障害|強迫神経症]]もひどくなる。このため、家庭でも精神不安定が目立ち、外で愛想のよい笑顔を浮かべた日に限って家庭では些細なことで怒りを爆発させていた。
知子は夫婦喧嘩の末に[[家出]]をすることもあり、「もう勝手にして!こんな家、出て行くわ」と叫びながらも実際に家を出るまで怒鳴りながら部屋と玄関の間を何往復もしていた。しかし、三姉妹の中で知子についていくものはなく、気の毒に思った三女の麗華が何度か家出について行った(松本麗華の本人談)<ref name="rika" />。
=== オウム真理教 ===
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[[1982年]](昭和57年)、経営塾などをやっていた人物である[[西山祥雲]]に弟子入りし「彰晃」の名をもらい{{Sfn|高山|2006|p=98}}、「松本彰晃」を名乗る{{Sfn|高山|2006|p=104}}。
[[1983年]](昭和58年)夏
[[1984年]](昭和59年)2月、学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、5月28日には株式会社オウムを設立{{Sfn|高山|2006|p=109}}{{#tag:ref|この時麻原は、長兄に対し「教祖になってくれないか」と依頼している{{Sfn|高山|2006|p=110}}。|group="注"}}。[[石井久子]]によると、当時の麻原は中性的なヨーガの先生といったところで、宗教的な感じはせず命令するタイプでもなかった{{Sfn|降幡|2001|p=142}}。
1985年(昭和60年)、[[神奈川県]]の[[三浦海岸]]で修行中に「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたという<ref group="電">{{Harvnb|広瀬|2019|p=2|loc=「序章」}}</ref>。秋には空中浮揚したと称する写真が雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』『トワイライトゾーン』に掲載された<ref group="電" name="nanzan"/>。また、「幻の超古代金属[[ヒヒイロカネ]]は実在した!?」という記事を『ムー』に掲載。[[岩手県]]釜石市にヒヒイロカネ(餅鉄)を探しに行った際、[[酒井勝軍]]の知り合いという老人から、酒井が隠していたという[[ハルマゲドン]]予言を聞いた。それは[[ハルマゲドン]]の時には日本から「神仙民族」が出現し、救世主となるというものであった(酒井がほんとうに語っていたのかについての真偽は不明){{Sfn|大田|2011|p=215}}。
1986年(昭和61年)4月、税制上の優遇に目をつけて、ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称{{Sfn|高山|2006|p=140}}。同年7月、[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]で最終[[解脱]]と称す<ref name="mahayana"/>。すでに「武力と[[超能力]]を使って国家を転覆することも計画している。その時は、[[フリーメイソン]]と戦うことになるだろう」などと語っていたという{{Sfn|江川|2000|p=312}}。
当時、麻原は妻の[[松本知子|知子]]と3人の娘と共に千葉県[[船橋市]]に住み、家族全員で1つの寝室を共有していた。食事は野菜中心で肉の代りに[[グルテン]]を肉状にしたものを食べたり、[[ちゃぶ台]]の上にホットプレートを置き、「野菜バーベキュー」を楽しんでいた。この船橋の家には「瞑想室」があり、宗教画が掛けられ棚には[[仏像]]が置かれていた。麻原は日に1度は瞑想室にこもり修行をしていた。棚の前にちゃぶ台を置き、麻原はそれを[[祭壇]]と呼んでいた。「形は重要じゃない。心が重要なんだ。私にとっては」というのが麻原の口癖だった。後に教団が大きくなってからも、麻原はそれを祭壇として使うほど愛着を持っていた。当時、麻原はヨーガ教室を東京都渋谷区で開いていたため、家にいることが少なかった。たまに帰宅すると強度の弱視のためテレビにくっつくように野球中継を見ていた。
このころには[[世田谷区]]の道場に住み込むようになりほとんど家に帰らなくなる。たまに麻原が帰宅すると3人の娘たちが大喜びで玄関まで走って行き、姉妹で父を奪い合っていた。次女は父の帰宅を「太陽のない世界に、太陽が来た」などと表現していた。しかし、妻の知子は麻原が滅多に帰宅しないことなどから精神不安定となり、麻原に向かってなじるようないさかいがあったが、麻原はほとんど抵抗をしなかった。三女[[松本麗華|麗華]]の目には、知子が麻原の宗教を信じているようには見えなかったが、麻原の著書の代筆を深夜まで行っていた。後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。麻原は子供に向かって「[[蚊]]に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」や「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、妻の知子は当時は信仰心を有していなかっためか、蚊を平気で殺していた。また、麻原はその頃、家族とともに[[発展途上国]]を中心によく旅行をしたが、子たちに「世界には食べ物を食べられない子も、屋根のあるところに住めない子もいるんだ。食べ物を粗末にするのはやめようね」などと諭したりしていた<ref name="rika">{{Harvnb|松本|2015|p={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}</ref>。
==== オウム真理教結成 ====
[[1987年]](昭和62年)[[7月]](32歳)にはヨガ教室では無く宗教法人だったら税制面で優遇される事に目を付けた麻原は、ヨーガ系でいきたいという大半の信者の意向を押し切ってまでも[[仏教]]の団体でいくとして{{Sfn|門田|p=181}}、「オウム神仙の会」から「[[オウム真理教]]」へ改め{{Sfn|高山|2006|p=160}}、布教活動を展開。自著、[[オカルト]][[雑誌]]への広告記事を利用し徐々に信者を獲得していった。同年、[[日本テレビ]]『[[鶴ちゃんのプッツン5]]』に超能力者として出演。さらに[[ダライ・ラマ14世]]と親交のある[[ペマ・ギャルポ]]に接近。「自分の修行がどの程度のものなのか[[チベット仏教]]の長老に見ていただきたい」と申し出、[[ダラムサラ]]の宗教・文化庁を紹介される{{Sfn|高山|2006|pp=149-150}}。現地で長老らと一緒に瞑想した結果、高く評価され、ダライ・ラマ14世との接見を数回行っており、接見の様子を宣伝に利用することとなる{{Sfn|江川|1995|pp=145-152|loc=「ダライ・ラマ側近の証言」}}<ref>{{Cite book |和書 |title=オウム真理教事件 - 宗教者・科学者・哲学者からの発言 (仏教・別冊) |date=1996-01 |publisher=[[法蔵館]] |isbn=4831802581 |pages=4-5}}</ref>。
==== マハーヤーナとヴァジラヤーナ ====
{{Seealso
麻原は既にオウム神仙の会時代の[[1987年]]にはタントラ・ヴァジラヤーナや[[ポア (オウム真理教)|ポア]]といった
[[1988年]](昭和63年)、7月に莫大な布施によりインドで[[カール・リンポチェ]]と会うことに成功する。麻原の神秘体験中心主義はリンポチェにはあまり褒めてもらえなかったが、この際に麻原はリンポチェからヴァジラヤーナの暴力肯定の教えを説法され大きな影響を受け、帰国後には「これからは、ヴァジラヤーナの掟だ!」と叫びなから[[新実智光]]ら男性幹部に暴力をふるっていた{{Sfn|門田|p=156}}。9月には教団初の死亡事故が起きたのも、この当時教団は[[東京都]]に[[宗教法人]]認可の手続きを行っており、この事故が明らかになる時点で宗教法人との認可が当然却下されるので{{Efn2|翌1989年8月25日にオウム真理教は宗教法人として認可された。}}、この時点で麻原はこの事故を弟子たちに隠蔽させた(詳しくは、[[オウム真理教在家信者死亡事件|在家信者死亡事件]]を参照)。この件に対して麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」と語った<ref group="電">[https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-5817.pdf 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所](PDF)</ref>。この頃から[[ヨハネの黙示録]]解読に熱中し始める。同年[[10月28日]]、「当初、初めは、わたしはね、凡夫を救済するのがわたしの役割だろうと考えていた。しかし、近ごろわたしは心が少しずつ変わってきている。(略)動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。そして、じゃあどうしたらいいかというと、新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことがわたしの役割なのかもしれないなと。」と説法した<ref group="電">{{Harvnb|広瀬|2019|p=21|loc=「第二章」}}</ref>。
[[1989年]](平成元年)、[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]、[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]を
[[1990年]](
坂本弁護士一家殺害事件への捜査から教団が狙われる事を運良く逃げ切った麻原だが、1990年(平成2年)10月に[[オウム真理教国土利用計画法違反事件|国土法違反事件]]で強制捜査を受けたため、武装化の中断を余儀なくされる。この時、「世界的に名を残す宗教にオウム真理教はこれから発展していくんじゃないかなと。ただまあ、それだけになる条件をひとつだけ備えていませんけどね。・・・それは何かというと、それは教祖の逮捕です」と妙な予言をした{{Sfn|降幡|1998b|p=100}}。
[[1991年]](平成3年)から[[1992年]](平成4年)にかけてはマハーヤーナ・合法路線に切り替え、文化活動や、[[インド]]・[[チベット]]・[[ラオス]]・[[スリランカ]]・[[ロシア]]訪問、[[テレビ朝日]]『[[朝まで生テレビ!]]』『[[ビートたけしのTVタックル]]』・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[おはよう!ナイスデイ]]』・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[とんねるずの生でダラダラいかせて]]』への出演、雑誌や新聞への登場、[[島田裕巳]]・[[荒俣宏]]・[[中沢新一]]・[[栗本慎一郎]]・[[田原総一朗]]・[[ビートたけし]]らとの対談、大学での講演などを精力的に行い知名度を高める<ref group="電">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1991.html オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括 1991年] ひかりの輪</ref><ref group="電">[http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1992.html オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括 1992年] ひかりの輪</ref>。
かくして新新宗教ブームの代表として人気者となっていた麻原だが、一方で、麻原自身はこのような穏健路線は「邪悪な世界への誘惑」であり、「救世主としての使命を妨げている」と感じており「この流れにのってはいけない」と言ったと上祐史浩は語っている<ref group="電">Richard Danzig・Zachary M. Hosfordほか(2012)「[https://www.cnas.org/publications/reports/aum-shinrikyo-second-edition-japanese オウム真理教:洞察-テロリスト達はいかにして生物・化学兵器を開発したか](日本語版)」 新アメリカ安全保障センター</ref>{{Sfn|上祐|2012|p=156}}。[[1993年]]前後から「またヴァジラヤーナを始めるぞ」として徐々に武装化を再開した<ref group="判" name=wa141/>。
==== 武装・非合法路線の本格化 ====
1993年(平成5年)には「すべての魂をポアするぞ」などと発言し再びヴァジラヤーナ・非合法路線を本格的に再始動、[[オウム真理教放送]]など一部を除いてメディアへの露出も減り、信者に兵器の開発や敵対者の暗殺を指示し多くの事件を起こす<ref group="判" name="wa141"/>。ほとんどの事件は[[村井秀夫]]などの弟子に指示する形で行っていたが、[[薬剤師リンチ殺人事件]]や[[亀戸異臭事件]]では実際に現場に立ち会った<ref group="判" name="hanketu"/>。後に[[オウム真理教女性信者殺害事件|女性信者殺害事件]]にも立ち会ったことが発覚している。信者の運転する[[炭疽菌]]噴霧トラックに乗り込み都内を巡り、[[フリーメイソン]]認定した建物めがけて炭疽菌をばらまいていたこともあった{{Sfn|青沼|2007|p=233}}。
[[サリン]]開発にも力を入れており、[[サリンプラント|サリン70トン量産計画]]の早期実現を命令していた。この他、[[自動小銃密造事件|自動小銃密造]]など多数の[[オウム真理教の兵器]]開発を推し進めた<ref group="判" name="wa141"/>。
また、この頃から[[アメリカ軍]]による毒ガス攻撃や[[Q熱]]の症状を訴え、「毒ガスでやられて死んじゃう」などと被害妄想が激しくなる。電磁波攻撃対策として専用車に金属ネットを張らせたり<ref group="電">[https://web.archive.org/web/20100324171548/http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/revisonaum/1993.html オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括 1993年] ひかりの輪</ref>{{Sfn|降幡|2001|p=170}}、[[肝癌]]になったと言って[[超音波検査]]をしたりしていた{{Sfn|降幡|1998e|p=107}}。[[占星術]]にも熱中し、コンピュータプログラムを作らせて教団運営に持ち込んだ<ref group="電">[https://web.archive.org/web/19970805052726/http://www.asahi.com/paper/aum/guru6.html オウム解剖 グルと呼ばれた男 6・猜疑心 占星学頼みに独裁強化] 朝日新聞</ref>。
1994年(平成6年)からは麻原は急速に子供らに対し頻繁に[[スキンシップ]]を繰り返すようになる。時には三女(麗華)にキスをしたり、抱きしめたりすることもあり、[[遊園地]]や食事に連れていく機会も増えたという<ref name="rika"/>。同年6月に[[松本サリン事件]]を起こしている。
1995年(平成7年)、[[阪神・淡路大震災]]の支援と称して[[神戸市]][[長田区]]を訪れたが、長田区に遊ぶところがないと分かると帰ってしまったという{{sfn|田村|1996|p=53}}。3月13日には[[トイザらス]][[岡崎市|岡崎]]店で、3月15日には[[彦根市]]のファミレスで信者を連れて出歩いていたのが目撃されている<ref>「オウム麻原容疑者 潜伏、ナゾの2ヶ月間」 読売新聞 1995年5月16日</ref>。
==== 逮捕 ====
40歳を迎えた[[1995年]]の3月18日、[[村井秀夫]]、[[井上嘉浩]]らと強制捜査の延期方法をリムジン内で謀議、地下鉄にサリンを撒くという提案に賛同、20日に[[地下鉄サリン事件]]が起きる<ref group="判" name="hanketu"/>。
その後、尊師専用車を東京に移動させ偽装工作を行ったが<ref group="電">[http://www.s-a-t.org/sat/sarin/960425k.html サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/1996年4月25日 冒頭陳述の要旨(麻原彰晃こと松本智津夫)] オウム裁判対策協議会</ref>、5月16日に山梨県[[西八代郡]][[上九一色村]](現・[[南都留郡]][[富士河口湖町]])のオウム真理教の教団施設「第6[[サティアン]]」内で[[地下鉄サリン事件]]の[[間接正犯|首謀者]]として[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref>『中日新聞』1995年5月16日夕刊1面「麻原代表けさ逮捕 地下鉄サリン殺人容疑 オウム幹部ら40人も 警視庁 全国で一斉捜査へ」</ref><ref>『中日新聞』1995年5月16日夕刊1面「オウム麻原代表逮捕 上九『第6』中3階に潜む 地下鉄サリン殺人容疑 『目の見えない私にはできぬ』 容疑否認」</ref>。
[[捜査本部]]は当初、「麻原は1階と2階の間の部屋に隠れていて末期がんで死にそうになっている」という[[遠藤誠一]]の供述を元に該当箇所を捜索したが見つからず、第6サティアンの南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋(高さ約50cm、幅103cm、奥行き335cm)で、[[現金]]960万円の札束と[[寝袋]]を抱えて隠れていた所で発見された<ref group="電">{{Cite news|title=地下鉄サリン:事件から20年 教祖逮捕、緊迫の4時間|date=2015-03-20|url=http://mainichi.jp/select/news/20150320k0000m040169000c.html|newspaper=毎日新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150320091136/http://mainichi.jp/select/news/20150320k0000m040169000c.html|archivedate=2015-03-20}}</ref>。
麻原は以下のように供述した。
* [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]] - 被害者が死にたい、[[ポア (オウム真理教)|ポア]]してほしいと言ってきた。[[岡﨑一明]]らに説得するように言ったが殺害してしまった{{Sfn|降幡|2004|p=237}}
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]] - 坂本弁護士が悪業を積む前にポアするしかないと思った。子どもだけ生き残らせても逆に残酷だと思い一家の殺害を許可した。処罰は覚悟している{{Sfn|降幡|1998d|p=272}}
* [[薬剤師リンチ殺人事件]] - 被害者の首を絞めて気絶させ、懲らしめてやろうと思ったが、[[中川智正]]がロープ等を使用した為に殺してしまった{{Sfn|降幡|2002a|p=254}}
* [[松本サリン事件]] - 否認も自白もしない。教団が精神錯乱剤などによる毒ガス攻撃を受けていたため発生した可能性がある{{Sfn|降幡|2004|p=200}}
麻原は[[釈迦]]や[[シヴァ神]]の「[[啓示]]」として[[遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠]]に弁護を頼んだが拒否され{{Sfn|降幡|2003a|p=66}}、[[横山昭二]]が麻原の私選弁護人となった(後に解任)。横山に宛てた「麻原ノート」には、「多くの人たちが死に、また傷害を負ったことは事実です」「今回の事件の幕引きについては、私個人は自己の一身をこのようにいじめながらなげうって、いじめながら人生の終わりを迎えたいと考えているのです」「外にいる弟子たちの修行の場を取り上げるようなことはどうかやめてください」などと書いた<ref group="電" name="note">[https://web.archive.org/web/19990202205217/http://www.aum-net.com:80/ben4-04.htm ●「麻原ノート」の内容――私は教団代表及び教祖を降りる] オウム真理教公式サイト(Internet Archive)</ref>。
逮捕前からすでに麻原逮捕後の教団の存続について計画を建てており、当初は弁護士を通じて獄中指示を出していた{{Sfn|松本|2010|p=53}}。
== 刑事裁判 ==
=== 起訴された罪状 ===
最終的には[[東京地方検察庁]]により17事件(殺人
[[弁護人|弁護]]側は、事件は「[[村井秀夫|村井元幹部]]を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本智津夫自身は一切指示をしていない」と[[無罪]]を主張。
==== 最後まで起訴されていた罪状 ====
137 ⟶ 163行目:
==== 途中で取り下げられた罪状 ====
* [[オウム真理教薬物密造事件|チオペンタール密造事件]]([[薬事法]]違反)
* [[オウム真理教薬物密造事件|LSD密造事件]]([[麻薬及び向精神薬取締法]]違反)
* [[オウム真理教薬物密造事件|覚醒剤密造事件]]([[覚
* [[オウム真理教薬物密造事件|メスカリン密造事件]](麻薬及び向精神薬取締法違反)
=== 第一審
==== 初公判 ====
当初、第一審の初公判日程は1995年(平成7年)10月26日に設定されたものの、麻原は初公判前日の10月25日に私選[[弁護人]]の[[横山昭二]]を解任<ref>{{Cite news|title=「露骨な引き延ばしだ」--オウム真理教代表・麻原彰晃被告の弁護士解任|newspaper=[[毎日新聞]]|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=[[毎日新聞東京本社]]|date=1995-10-26|page=31}}</ref>。[[東京地方裁判所]]は期日を取り消し、[[渡辺脩]]、[[安田好弘]]、小川原 優之他計12人の[[国選弁護制度|国選弁護団]]を選任したが、初公判は延期を余儀なくされた。国選弁護団は弁護士会から依頼があったので引き受けただけであるが、「何故麻原を弁護するのか」とバッシングを受けた<ref>{{Cite book |和書 |author=渡辺脩 |authorlink=渡辺脩 |title=麻原を死刑にして、それで済むのか? |date=2004-02 |publisher=[[三五館]] |isbn=4883202879 |page=9}}</ref>。
[[裁判]]では初公判で阿部
弁護側は検察側が申請した被害調書や[[共犯]]者の供述調書などの1万5687点の証拠に対し1万5472点と約98.62%に不同意。そのために171人の検察側の[[証人]]を直接出廷させて証言させることになったが、検察側の尋問時間が計206時間であったのに対し、弁護側の尋問時間は1053時間 (検察側の5倍) に及んだ。弁護士の証人尋問では「(地下鉄サリン事件に関し、営団地下鉄の地下鉄のダイヤの表について)職場のどのプリンターで印刷したものか」「(サリン患者に関する医師のカルテについて)サリンを見たことあるのか」などの尋問があった。これらにより実質的な証拠調べが遅れたと[[日刊ゲンダイ]]は報じている<ref>日刊ゲンダイ 2000年4月25日{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>。
1997年(平成9年)12月、検察側は松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を約4000人から18人に減らす訴因変更を行い、2000年(平成12年)10月に薬物密造など4事件の起訴を取下げて案件を13事件に絞り込んだ。
==== 安田好弘の証言 ====
1995年10月26日に予定されていた初公判が[[横山昭二]]弁護人の突然の解任で取り消しになった後、弁護士会より国選弁護人就任を依頼された弁護士安田好弘は、4日後に初めて麻原に接見。麻原は開口一番「あなたをお待ちしていました。あなたの名前は聞いていました」といったという。その後、月に5-10回の頻度で接見を続ける。1995年暮れ、麻原は安田に向かい、「どうすれば、私の真実を明らかにできますか」と問うたのに対し、安田は「法廷でみんなが見ている前で、[[空中浮揚]]をやってはどうでしょうか」と提案する。「[[法廷]]でやってみせれば、僕たち弁護人も納得するし、[[検察官]]、[[裁判官]]は腰を抜かして逃げてくと思うよ」と話すと、麻原は、「やってみます」と言い、1996年4月の初公判に向けて、警視庁の[[留置場]]や[[東京拘置所]]中で、『空中浮揚』の修行を重ねていたという。また、「当時麻原の好物は検察発表により高級品の[[メロン]]と報道されていたが、麻原は「本当の好物は[[バナナ]]」と話した([[#食べ物、動物|後述]])。
麻原は接見中に、「2003年に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が日本や世界に向けて最終の[[宗教戦争]]を引き起こす」と言い出したことがあり、「自分は時間と空間を超えることができる。2003年の[[広島市|広島]]に飛んだところ、焼け野原になっていた。通りがかりの人に聞くとアメリカが[[原子爆弾|原爆]]を落としたと広島弁で話した。これは、予言ではない、現実に行って見聞してきたことだ」と安田に向かって話した。また、接見中に[[停電]]があり、真っ暗となった際に麻原は何も気づかずに話し続けたことから、目が見えないのは本当だと思ったという<ref group="電" name="aera">{{Cite news|url=https://dot.asahi.com/articles/-/126096?page=1|title=「法廷で空中浮揚」計画も… 麻原彰晃が本気で明かしたかった「私の真実」とは? 元主任弁護士が語る|date=2018-07-06|newspaper=AERA|publisher=朝日新聞出版|language=ja|accessdate=2018-7-8}}</ref>。
==== 罪状認否 ====
麻原は公判の初期や、裁判と同時期(1996年5月)に行われたオウムへの[[破壊活動防止法]]適用を議論する弁明に出席した際には、宗教的な難解な話を始めることはあったものの饒舌であり、まともな受け答えを行っていた<ref group="電" name="nanzan">渡邉学 [https://nirc.nanzan-u.ac.jp/nfile/3788 南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について] 南山宗教文化研究所 2009年</ref>。
だが1996年10月18日の井上に対する弁護側反対尋問の際に、麻原は井上への尋問の中止を頑なに要求。弁護団も延期を要請したが検察と裁判所に拒否された{{Sfn|降幡|1998d|p=204}}。以降、突如英語で話し始める、居眠りをするなどの行動([[#奇行|後述]])を繰り返すようになり、しばしば裁判長から注意や退廷命令を受けた<ref group="判" name="hanketu"/><ref group="電" name="enter" />。麻原は「退廷ですか?それはありがたい{{Sfn|毎日新聞社会部|1997a|p=244}}」「とんでもないことをやっている教祖とは何だ{{Sfn|毎日新聞社会部|1997b|p=203}}」などと応酬した。
当初は起訴案件の[[罪状認否]]に関しては留保したが、1997年4月24日の公判で麻原は罪状認否を行い、起訴された17事件のうち16事件で英語を交えながら以下の通りに無罪を主張した([[駐車場経営者VX襲撃事件]]のみ留保)。「麻原は事件について語らなかった」とされることもあるが、実際には(整合性のない言葉と不自然な英語で)事件について語っており、事件をオウムが起こしたことは認めつつ弟子の責任とした<ref group="電" name="enter"/>{{Sfn|降幡|1999|p={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}。
* [[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]] - ロープで殺せと指示していないので無罪
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]] - 実行犯が5、6人ぐらいなので、罪も5分の1、6分の1になるので無罪
* [[薬剤師リンチ殺人事件]] - 殺害の指示をしていない、被害者も悪いので無罪
* [[オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件|男性現役信者リンチ殺人事件]] - 被害者が悪いので無罪
* [[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件]] - サリンが非常に少ないので無罪
* [[松本サリン事件]] - 死んだのは犬、魚なので無罪
* [[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件|被害者の会会長VX襲撃事件]] - 井上嘉浩が悪いので無罪
* [[駐車場経営者VX襲撃事件]] - 殴る蹴るよりVXの方が害が少ない。私も検察官から[[VXガス|VX]]らしきものをかけられた
* [[会社員VX殺害事件]] - [[山形明]]が悪いので無罪
* [[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]] - 治療が遅れただけなので無罪
* [[地下鉄サリン事件]] - [[村井秀夫]]と井上が悪いので無罪
* [[メスカリン]]・[[LSD (薬物)|LSD]]・[[覚醒剤]]・[[チオペンタール]]製造事件 - 人類の進化・精神の進化のため仕方なかったので無罪
* [[自動小銃密造事件]] - 弾丸は製造しておらず無罪
* [[サリンプラント建設事件]] - 途中で中止しているので無罪
最後に麻原は、自身が[[エンタープライズ (CVN-65)|原子力空母エンタープライズ]]にいて米露の政府関係者・チベット僧・[[中沢新一]]らに語りかけている、既に釈放されており「裁判は遊び」、今日の日付は1997年4月24日ではなく1997年1月5日か6日、などと不可解な発言を付け加えた<ref group="電" name="enter" />。
====
麻原は「こんなくだらん裁判はやらんでいい{{Sfn|毎日新聞社会部|1997a|p=368}}」「ここは裁判所なんかじゃない、劇場だ」「退廷させて死刑場につれていくのはOKだ」「射殺したければ射殺すればいい」「こんなばかな茶番劇のような裁判はやっても仕方ない」「こんなでたらめな裁判はやめろ、権利の侵害だ」「私はあなた方が裁くことはできない」などと度々述べ<ref name="hu13-655">{{Harvnb|降幡|2004|p=655}}</ref><ref name="ronkoku">松本智津夫被告に対する検察側論告の要旨 平成15年4月24日 東京地方裁判所({{Harvnb|降幡|2004|pp=271-349}}より引用)</ref>、2002年2月25日の公判を最後に応答しなくなった<ref group="判" name="hanketu"/>{{Sfn|降幡|2004|p=21}}。
[[2003年]](平成15年)4月24日、検察側は[[論告]]求刑公判で、麻原被告人に[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref>『中日新聞』2003年4月25日朝刊1面「麻原被告に死刑求刑 オウム公判 『犯罪史上最も凶悪』」</ref><ref group="電">{{Cite news|title=オウム真理教の松本智津夫被告に死刑求刑|newspaper=読売新聞|date=2003-04-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/features/kyouso/200304//ky20030424_46.htm|archiveurl=https://archive.is/20131229033100/http://www.yomiuri.co.jp/features/kyouso/200304//ky20030424_46.htm|archivedate=2013-12-29}}</ref>。検察側は「わが国犯罪史上、最も凶悪な犯罪者と言うしかない」「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で[[オウム真理教事件|一連の事件]]を起こした」と論告した。検察側は「処罰感情は激烈である」として被害者遺族らの「八つ裂きに」「自分が殺してやりたい」「サリンによる死刑執行を望む」などといった発言を引用した<ref name="hanzai">{{Harvnb|降幡|2004|pp=297-332}}</ref>。
同年10月30日から10月31日にかけて弁護側が「一連の事件は弟子たちの暴走であり被告は無罪」とする旨の最終弁論を行い、結審した<ref>『中日新聞』2003年10月30日夕刊1面「麻原被告弁護側 『弟子の暴走』無罪主張 最終弁論、あす結審」</ref><ref>『中日新聞』2003年11月1日朝刊1面「麻原被告、発言せず結審 来年2月27日判決 初公判から7年半」</ref>。東京地裁で開かれた公判回数は、257回に上り、初公判から第一審の判決まで、7年10カ月を要した。
==== 死刑判決 ====
2004年(平成16年)2月27日、一連の事件を首謀したと認定して[[東京地方裁判所]]([[小川正持]]裁判長)は「浅ましく愚かしい限り」「無慈悲かつ冷酷非情で残酷極まりない」「残虐非道極まる犯行の数々というほかはない」として求刑通り'''死刑判決'''を言い渡した<ref>『中日新聞』2004年2月27日夕刊1面「東京地裁判決 麻原被告に死刑 オウム全13事件首謀 『極限の非難に値する』」</ref><ref>『中日新聞』2004年2月28日朝刊1面「麻原被告に死刑判決 オウム13事件で東京地裁 すべて首謀と認定 弁護団、控訴し辞任」</ref><ref group="判" name="wa141"/><ref group="電">{{Cite news|title=オウム松本被告に死刑判決、犯行指示認定 弁護団は控訴|newspaper=朝日新聞|date=2004-02-27|url=http://www.asahi.com/special/matsumoto/TKY200402270121.html|accessdate=2017-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170706124019/http://www.asahi.com/special/matsumoto/TKY200402270121.html|archivedate=2017-07-06 }}</ref>。これに対し、弁護側は東京高等裁判所に即日[[控訴]]した。
=== 控訴審・東京高裁 ===
第一審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。12人の国選弁護人に支払われた弁護士[[報酬]]は計4億5200万円になった<ref>「麻原裁判、国選弁護人の報酬は計4億5200万円」 読売新聞 2004年4月19日</ref>。松井武と仙台在住の松下明夫の2人の弁護団が後を引き継いだ。[[東京高等裁判所]]は[[控訴趣意書]]の提出期限を2005年(平成17年)1月11日と定めた<ref>{{Cite news|title=オウム裁判:松本智津夫被告の控訴審 趣意書提出期限は来年1月11日--東京高裁|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2004-07-02|page=27}}</ref>。弁護団は1審判決後、松本に計36回接見したものの、弁護団の問いかけに無反応で意味不明な声を漏らし意思疎通が不可能であるとして、公判停止を申し立てた<ref>{{Cite news|title=オウム裁判:松本被告の弁護団「訴訟能力なし」--公判停止を申し立て|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2004-11-30|page=31}}</ref>。一方、東京高裁裁判長の[[須田贒]]は、2004年12月10日に麻原と面会し、「控訴趣意書は弁護士に作ってもらってもよい」「提出期限を延ばすつもりはなく、棄却もありえる」と説明した<ref>{{Cite news|title=オウム裁判:東京高裁裁判長、松本智津夫被告に面会|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2004-12-18|page=28}}</ref>。
2005年(平成17年)1月6日、東京高裁は麻原の精神鑑定を求める[[特別抗告]]を[[棄却]]しつつ、控訴趣意書の提出期限を同年8月31日まで延長することを決めた<ref>{{Cite news|title=オウム裁判:松本被告控訴審 東京高裁、趣意書提出期限を延長--年内開始、微妙に|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2005-01-08|page=25}}</ref>。
同年8月19日、東京高裁は弁護団に対して精神鑑定の実施を伝えた<ref group="電">{{Cite news|title=松本被告 精神鑑定へ|newspaper=読売新聞|url=http://www.yomiuri.co.jp/features/kyouso/200508/ky20050820_01.htm|date=2005-08-20|archivedate=2013-12-29|archiveurl=https://archive.fo/z0KWi}}</ref>。弁護団によれば、このとき東京高裁は「鑑定形式による鑑定人の意見が出るまでは控訴棄却はしない」と明言したとされる<ref name="mainichi:05">{{Cite news|title=オウム裁判:松本被告訴訟、直ちに控訴棄却せず 精神鑑定出るまで--東京高裁|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2005-09-01|page=31}}</ref>。提出期限の8月31日、弁護側は控訴趣意書の「骨子」を持参したが、高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などに関する申し入れが拒否されたことを理由に提出を拒んだ<ref name="mainichi:05"/>。9月3日、東京高裁は控訴趣意書を「直ちに提出することを強く求める」文書を弁護団に送付した<ref group="電">{{Cite news|title=高裁、趣意書の即時提出要請|newspaper=読売新聞|publisher=読売新聞社|language=ja|url=http://www.yomiuri.co.jp/features/kyouso/200509/ky20050903_01.htm|date=2005-09-03|archivedate=2013-12-29|archiveurl=https://archive.fo/nb5JC}}</ref>。2005年(平成17年)9月、東京高裁は麻原の[[精神鑑定]]を[[西山詮]]に依頼した<ref name="tyuniti:06"/>。
2004年(平成16年)10月以降、弁護団は独自に[[精神科医]]に依頼して鑑定を実施した{{Sfn|森|2012|pp=304-306}}。[[中島節夫]]・[[中谷陽二]]・[[野田正彰]]・[[秋元波留夫]]・[[加賀乙彦]]など、計7人の精神科医はいずれも訴訟能力を否定または疑問視している{{Sfn|森|2012|pp=239-240}}<ref>{{Cite news|title=オウム裁判:松本智津夫被告「訴訟能力なし」--弁護団が意見書|newspaper=毎日新聞|language=ja|edition=東京朝刊|publisher=毎日新聞東京本社|date=2006-01-17|page=28}}</ref><ref>{{Cite news|title=(教祖死刑:上)語らぬ心、審理「幕」 オウム・松本被告の死刑確定|newspaper=朝日新聞|language=ja|edition=朝刊|page=35|date=2006-9-16}}</ref>。一方、高裁の依頼を受けて鑑定を行った西山は「[[拘禁反応]]はあるが拘禁精神病の水準には達しておらず訴訟を続ける能力を失っていない」とし、高裁は[[2006年]]2月にこの鑑定書を受けとった<ref name="tyuniti:06"/>。
高裁はこの鑑定書への反論意見書の提出を2006年3月15日までとした<ref group="電" name="kantei">{{Cite news|title=動揺→逃避願望→奇行、松本鑑定の全容が明らかに|newspaper=[[読売新聞]]|publisher=[[読売新聞社]]|language=ja|date=2006-02-21|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060221it04.htm|accessdate=2013-07-06|archivedate=2013-07-06|archiveurl=https://archive.fo/uwIeZ}}</ref>。弁護側は提出期限の1ヶ月延長を高裁に申し立てたが<ref group="電">{{cite news|title=松本被告弁護側、意見書の提出期限延長を申し立て|newspaper=読売新聞|date=2006-02-25|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060309ic04.htm|accessdate=2013-07-06|archivedate=2013-07-06|archiveurl=https://archive.fo/KtmtK}}</ref>、認められず<ref group="電">{{Cite news|title=松本被告の弁護側意見書、東京高裁は提出延長認めず|newspaper=読売新聞|publisher=読売新聞社|language=ja|date=2006-03-11|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060311it12.htm|accessdate=2013-07-06|archivedate=2013-07-06|archiveurl=https://archive.fo/T92El}}</ref>、結局期日通りに意見書を提出した<ref group="電">{{Cite news|title=松本被告弁護側、訴訟能力認めた精神鑑定に反論書|newspaper=読売新聞|publisher=読売新聞社|language=ja|date=2006-03-16|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060315i316.htm|accessdate=2013-07-06|archivedate=2013-07-06|archiveurl=https://archive.fo/hH22j}}</ref>。
弁護団は2006年(平成18年)3月28日に控訴趣意書を提出することを表明していたが、東京高裁(須田贒裁判長)はその前日の2006年[[3月27日]]付で'''控訴棄却'''を決定した<ref name="tyuniti:06">{{Cite news|title=麻原被告 死刑確定の公算 審理なく控訴棄却決定 趣意書不提出を批判 東京高裁『訴訟能力ある』|newspaper=中日新聞|language=ja|edition=朝刊|publisher=中日新聞社|date=2006-03-28|page=1}}</ref>。この控訴棄却の[[裁判#裁判の形式|決定]]は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、[[刑事訴訟法]]の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。
これについては、弁護側が裁判引き延ばしのため控訴趣意書を出さないことで裁判所と危険な[[チキンゲーム]]をやって負けたという弁護側批判<ref group="電">[[江川紹子]][https://web.archive.org/web/20070221051905/http://www.egawashoko.com/c006/000214.html 弁護士会の自浄能力を問う] 2007年2月19日</ref>、裁判所のだまし討ちであるという裁判所批判{{Sfn|松本|2015|p=236}}の両方がある。
弁護団はこの決定に対し、2006年(平成18年)3月30日に東京高等裁判所([[白木勇]]裁判長)へ異議申立てを行ったが、同年5月、棄却が決定された<ref name="igi">{{cite news|title=麻原被告の異議棄却『治療しても結論同じ』弁護団の主張一蹴|newspaper=[[東京新聞]]|language=ja|edition=朝刊|publisher=[[中日新聞東京本社]]|date=2006-05-31|page=31}}</ref>。「裁判所は『精神鑑定の意見が出るまでに提出すれば認める』と明言した」とする弁護団の主張については、「裁判所はその日のうちに見解を訂正した」として退けた<ref name="igi"/>。
=== 特別抗告・最高裁 ===
弁護側は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[特別抗告]]を行った。最高裁では死刑判決の是非ではなく、被告人の訴訟能力の有無、弁護側の控訴趣意書の提出遅れが「やむを得ない事情」に該当するかの有無、提出遅れという弁護活動の不備による不利益を被告に負わせることの可否の3点が争われた。
同年[[9月15日]]、最高裁第三[[小法廷]]([[堀籠幸男]]裁判長)は、特別抗告を棄却する決定をした<ref name="最高裁特別抗告棄却決定">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成18年(し)第202号|裁判年月日=2006年(平成18年)9月15日|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|判例集=『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第290号367頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=33538|事件名=控訴棄却決定に対する異議申立て棄却決定に対する特別抗告事件|判示事項=被告人の訴訟能力を肯定し,控訴趣意書の提出の遅延につき刑訴規則238条にいう「やむを得ない事情」がないなどとされた事例(いわゆるオウム真理教教祖事件)}}</ref><ref>『中日新聞』2006年9月16日朝刊1面「麻原被告の死刑確定 オウム事件で最高裁 10年裁判 打ち切り 特別抗告棄却 訴訟能力を認定」</ref>。これにより控訴審は開かれず、麻原への死刑判決が確定した。麻原の関与した27人殺人(司法の認定としては26人殺人と1人逮捕監禁致死)は、確定当時は[[死刑囚]]として戦後最多であった<ref group="注">それまでは1993年(平成5年)2月に確定した連合赤軍事件の[[坂口弘]]の17人殺人(司法の認定としては16人殺人と1人傷害致死)が最多であった。なお、この記録は2025年(令和7年)1月に確定した[[京都アニメーション放火殺人事件]]の死刑囚Xの36人殺人により更新されている。</ref>。またオウム真理教事件で死刑が確定するのは[[岡﨑一明]](2005年4月7日に確定)に続いて2人目だった<ref name="impact2016" /><ref group="電">{{Cite news|title=オウム・松本被告、死刑が確定…特別抗告を棄却|newspaper=読売新聞|date=2006-09-15|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060915it11.htm|archiveurl=https://archive.is/20130705213145/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060915it11.htm|archivedate=2013-07-05}}</ref>。
東京高裁は2006年(平成18年)9月25日に控訴趣意書の提出遅延に関して、[[日本弁護士連合会|日弁連]]に対し「審理の進行を妨げた」として、[[刑事訴訟法]]に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めたが、日弁連は訴訟終結後は処置請求はできないと判断した。2008年(平成20年)9月に弁護士1人に戒告の懲戒処分が、2009年(平成21年)7月27日に弁護士1人に業務停止1カ月の懲戒処分が出た(ただし、日弁連に対する審査請求の結果、処分は戒告に変更された)。
=== 再審請求 ===
==== 1度目の再審請求 ====
*
*
==== 2度目の再審請求 ====
*
* [[2013年]][[5月10日]]、最高裁判所第1[[小法廷]](裁判長:[[横田尤孝]])は抗告を退け、再審を認めない決定を下した<ref group="電">{{Cite news|title=松本死刑囚の再審認めず 最高裁|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130510/k10014490461000.html|newspaper=NHK|date=2013-05-10|accessdate=2013-05-10|archiveurl=https://megalodon.jp/2013-0510-2003-14/www3.nhk.or.jp/news/html/20130510/k10014490461000.html|archivedate=2013-05-10}}</ref>。
=== 訴訟能力 ===
前述のように、麻原は1審から不規則な行動・発言を繰り返し、2審では弁護士と意志疎通ができなくなった([[#奇行]]を参照)。このことから、2審弁護団は訴訟能力は無いと主張し、[[b:刑事訴訟法第314条|刑事訴訟法第314条]]による公判停止を求めていた<ref>{{Cite report |和書 |author=白取祐司 |author-link=白取祐司 |title=刑事弁護人の役割と倫理 |chapter=弁護人の控訴趣意書提出期限の徒過と被告人の裁判を受ける権利 |chapterurl=http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/18477/5/0411000116.pdf |accessdate=2013-07-12 |format=PDF |date=2009-06 |series=平成16年度-平成19年度科学研究費補助金(基盤研究(A))研究成果報告書 |id={{Hdl|10086/18477}}、課題番号: 16203005 |pages=136-140}}</ref>。
訴訟能力があるか否か、または詐病であるか否かについて以下のように見解が分かれた。
==== 訴訟能力はある、詐病であるとする見解 ====
* 検察は詐病の疑いが強いとして高裁に意見書を提出した。
* [[東京高等裁判所]]に精神鑑定を依頼された[[西山詮]]は「無言状態は[[偽痴呆]]性で、精神病の水準にない」とし訴訟能力はあると判断した<ref name="tyuniti:06"/><ref name="akimoto">{{Cite news|title=訴訟能力認めた精神鑑定「誤り」 オウム・松本被告弁護団|newspaper=朝日新聞
* 東京高裁(須田
* [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷([[堀籠幸男]]裁判長)もまた、特別抗告棄却において、前述の「なぜなんだ、ちくしょう」と叫んだことに加え、
* 四女は面会時に詐病であることを確信した<ref name="watashiha naze">
* その他詐病説を支持する意見は以下の通り。ただし、
** 上祐史浩、土谷正実、平田信は詐病だと考えている。
*** 上祐は、釈迦も糞まみれになる修行をやっていたので麻原はそれを真似ていると考えている<ref group="電">上祐史浩 [https://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-12374965011.html 麻原獄中メッセージ公開:今の麻原の変調は麻原が獄中メッセージで予告した通り:アレフの解釈] 2018年5月10日公開 2018年6月1日閲覧</ref>。
*** 土谷は、「自分が麻原の一審に証人出廷した際、精神疾患の兆しはなく、自分の証言も理解していたし裁判長の反応も気にしていた。一審判決時に精神病を患っているはずがない、弟子達を差し置いて[[詐病]]に逃げた」と語る<ref group="電">朝日新聞 2011年2月15日{{Cite news|title=「麻原、詐病やめて考え述べよ」オウム土谷被告が手紙|newspaper=朝日新聞|date=2011-02-15|url=http://www.asahi.com/special/playback/TKY201102140406.html|accessdate=2018-07-06|archivedate=2018-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180706025946/http://www.asahi.com/special/playback/TKY201102140406.html}}</ref>。
*** 平田は「詐病だと思う。そういうことをする人間だ」と話したとされる<ref group="電">{{Cite news|title=麻原死刑囚は「詐病だと思う」 平田容疑者、弁護士に話す|newspaper=産経新聞|date=2012-01-07|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120107/crm12010714370010-n1.htm|accessdate=2013-07-05|archivedate=2012-06-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120605223152/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120107/crm12010714370010-n1.htm}}</ref><ref group="電">{{Cite news|title=オウム井上死刑囚「麻原は“アレフ解体”指示すべき」|url=https://www.mbs.jp/news/national/20180413/00000035.shtml|date=2018-04-13|newspaper=MBSニュース|publisher=毎日放送|accessdate=2018-04-13|archivedate=2018-04-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180413190258/https://www.mbs.jp/news/national/20180413/00000035.shtml}}</ref>。
** [[東北学院大学]][[名誉教授]]の[[浅見定雄]]は「現実から逃避しているだけ」と評した{{sfn|森|2012|p=284}}。
** [[滝本太郎]]弁護士は訴訟能力の鑑定はしたほうがいいとしつつも、「なんら訴訟能力に問題のないことが分るのだけれどね。」と断じ<ref group="電">{{
** 多くの麻原裁判を傍聴したジャーナリストの[[青沼陽一郎]]は、麻原を「最終芸達者<ref group="注">最終解脱者のもじり。</ref>」と呼び、裁判中の奇行は自分の意思でやっていたと考えている<ref group="電">青沼陽一郎 [http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-185.html 麻原彰晃の思う壺にはまる人々] 2018年6月3日</ref>。
** ノンフィクション作家の[[髙山文彦]]は、「正常」のひとつの表れ方としての「狂気」ではあるが異常とは思えず「異常」のふりをしているだけ、と評した{{Sfn|高山|2006|p=248}}。
==== 訴訟能力はない、詐病ではないとする見解 ====
* 控訴審の松井武弁護士は意思疎通できず、訴訟能力は無いとし、高裁に公判停止を求めていた。
* 松本の二女、三女[[松本麗華]]は
* 弁護団の依頼で接見した7人の精神科医は、いずれも訴訟能力を否定または疑問を呈し
** 元[[北里大学]]助教授の医師[[中島節夫]]は「器質性脳疾患の疑いが濃厚」とした{{Sfn|森|2012|pp=239-240}}。
** 弁護士に接見の依頼を受けた二人目の精神科医は「[[拘禁反応]]によって混迷状態にある」「訴訟能力はない」とした{{Sfn|森|2012|pp=239-240}}。
** [[筑波大学]]
** [[関西学院大学]]教授の[[野田正彰]]は、公判当初には訴訟能力に問題はなかったが、その後意志能力が消失したと考え、治療によって軽快ないし治癒する可能性が高いとした<ref>{{
** [[金沢大学]]
** 作家で精神科医の[[加賀乙彦]]は、拘禁反応の状態を示しており言語による意思の疎通は不可能で訴訟能力はないとし、西山の鑑定は「被告の空想虚言症を見落としているうえ、医学用語の使用にも誤りがある。到底信頼できない」とした<ref>{{Cite book|和書|author=加賀乙彦|title=悪魔のささやき|publisher=集英社|date=2006-08-12|isbn=978-4087203547|pages=146-151}}</ref><ref>{{cite news|title=弁護団、松本被告の再鑑定申し入れ オウム裁判|newspaper=朝日新聞
** 精神科医の[[斎藤学 (精神科医)|斎藤学]]は「痴呆に似ているが断定できない」としつつ、治療可能性があると印象を語った<ref>{{
* 死刑判決のみを傍聴した[[ドキュメンタリー]]作家の[[森達也]]は、「壊れている」ように見えたと感想を述べた{{Sfn|森|2012|p=18}}{{Sfn|森|2012|p=283}}。また、[[b:刑事訴訟法第479条]]によると「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する」とあり、森は麻原がその状態にあるのではないかとしている<ref group="電">{{Cite web|和書|url=http://diamond.jp/articles/-/15465?page=4|title=あの事件から16年、真相は解明されず不安だけが残った|series=森達也 リアル共同幻想論|author=森達也|publisher=ダイヤモンド社|accessdate=2013-07-12|date=2011-12-26}}</ref>。
* アメリカの精神科医[[ロバート・J・リフトン]]は「麻原の弟子たち、とりわけ井上が反旗を翻したため、麻原は無意識的な逃避から深い退行状態に入ったのではないか」と推測した<ref group="電" name="nanzan"/>。
==
[[File:死刑事件審査結果(執行相当).pdf|thumb|upright|死刑事件審査結果]]
[[File:死刑執行命令書.pdf|thumb|upright|死刑執行命令書]]
[[上川陽子]][[法務大臣]]は[[2018年]](平成30年)7月3日付で麻原・[[土谷正実]]・[[遠藤誠一]](以上3人は東京拘置所在監)・[[井上嘉浩]]・[[新実智光]](以上2名は[[大阪拘置所]]在監)・[[中川智正]](広島拘置所)・[[早川紀代秀]]([[福岡拘置所]])の各死刑囚7人に対する[[死刑執行命令書]]へ署名した<ref group="電" name="法務省2018-07-06">{{Cite press release|和書|title=法務大臣臨時記者会見の概要 平成30年7月6日(金)|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01026.html|date=2018-07-06|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[上川陽子]])|accessdate=2018-11-09|archivedate=2018-11-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181109123735/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01026.html}}</ref>。
この死刑執行命令を受けて3日後の[[7月6日]]、麻原は朝食を全部食べた後の7時40分ごろに、教誨室で死刑執行を告げられた。遺体の引き取り先を聞かれた際に刑務官に対し長い無言時間の後、「ちょっと待って」「四女」と答え、最後に「グフッ」と咳払いのような音を発声した<ref group="電" name="執行直前">{{Cite news|title=松本元死刑囚、執行直前の様子明らかに|newspaper=TBS NEWS|publisher=TBS|date=2018年7月12日|url= http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3419567.html|accessdate=2018-07-13|archivedate=2018-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180713153810/http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3419567.html}}</ref><ref>[https://bunshun.jp/articles/-/43976 死刑執行日に出す予定だった妻への手紙に「これからもよろしく」と 地下鉄サリン事件犯たちの“最後の言葉”]</ref><ref>[https://www.zakzak.co.jp/article/20180715-PHNVSRQFZNJVJGOQHDKPHB6U4I/2/ 麻原元死刑囚、最期の言葉は「ぐふっ」 井上元死刑囚「まずは、よし」 中川元死刑囚「誰も恨まず…」]</ref>。麻原は特に暴れたり抵抗したりはせず<ref group="電" name="執行直前"/>、自称していた超越神力を使い回避することもなく、同日に前述6人とともに[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑を執行された]]。{{没年齢|1955|3|2|2018|7|6}}<ref group="電" name="法務省2018-07-06"/><ref group="電">{{Cite news|title=麻原彰晃死刑囚の死刑執行 ほかの6人も執行見込み オウム事件で初|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018-07-06|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060004-n1.html|accessdate=2018-07-13|archivedate=2018-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180713154808/http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060004-n1.html}}</ref><ref group="電">{{Cite news|title=麻原彰晃死刑囚ら7人死刑執行 早川・井上・新実・土谷・中川・遠藤死刑囚|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018-07-06|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060006-n1.html|accessdate=2018-07-13|archivedate=2018-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180713154954/http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060006-n1.html}}</ref><ref group="電">{{Cite news|title=麻原死刑囚の死刑執行 オウム事件で初|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018年7月6日8時51分|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060004-n1.html|accessdate=2018-07-06|archivedate=2018-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180706031511/http://www.sankei.com/affairs/news/180706/afr1807060004-n1.html}}</ref>。2006年9月の死刑確定から11年10ヶ月後のことであった<ref group="電" name="mainichi180706">{{Cite news|title=オウム事件:教団元代表の松本智津夫死刑囚の刑を執行|newspaper=毎日新聞|date=2018-07-06|url=https://mainichi.jp/articles/20180706/k00/00e/040/163000c|author=和田武士|accessdate=2018-07-06|archivedate=2018-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180706025035/https://mainichi.jp/articles/20180706/k00/00e/040/163000c}}</ref>。
遺体の引取先に指定された四女とその代理人である[[滝本太郎]]弁護士が7月7日に麻原の遺体と対面した。滝本は「『麻原彰晃』とは思わなかった。松本智津夫として死んだと思った」と語る。また、埋葬地の[[聖地]]化を防ぐため海上に散骨することを提唱している<ref group="電">{{Cite news|title=四女側「遺骨、太平洋に」=警備など国に支援要請-オウム松本元死刑囚|newspaper=時事ドットコム|publisher=時事通信|date=2018年7月11日|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2018071100819&g=soc|accessdate=2018-07-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180713212413/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018071100819&g=soc|archivedate=2018-07-13}}</ref>。一方、麻原の妻[[松本知子]]・三女[[松本麗華]]らが遺体の引き渡しを求める要求書を上川法相らに提出している。同月9日に[[府中市 (東京都)|府中市]]内の斎場で[[火葬]]され、当面は東京拘置所において遺骨を安置することとなった<ref group="電">{{Cite news|title=【オウム死刑執行】麻原彰晃元死刑囚の遺体を火葬 四女「身の危険感じる」 遺骨は当面、東京拘置所に|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2018-07-09|url=https://www.sankei.com/affairs/news/180709/afr1807090002-n1.html|accessdate=2018-07-13|archivedate=2018-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180713154007/https://www.sankei.com/affairs/news/180709/afr1807090002-n1.html}}</ref>。
== 麻原の遺骨をめぐる問題 ==
法務当局が保管している遺骨と遺髪については、2021年7月に次女を引渡し先とした裁判所の決定が確定した<ref name="yahoo0917">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20210705-AUOQS5PR2NJPJKG2IYRXUDEFFM/|title=麻原元死刑囚の遺骨、次女に 四女の抗告棄却|newspaper=産経新聞|date=2021-07-05|accessdate=2024-03-13}}</ref>。その後、次女は引渡しを求めたが、国が「次女を通じて遺骨がオウム真理教の後継団体に渡って利用される可能性があり、公共の安全や社会秩序を害することになる」として応じなかっため、引渡しを求め提訴。その結果、2024年3月13日に[[東京地方裁判所]]が国に引渡しを命じる判決を言い渡し<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20240313-DW74P4TCKBPTNPEE7XO3VJJSDM/|title=オウム真理教・麻原彰晃元死刑囚の遺骨と遺髪、次女への引き渡し命じる 東京地裁|newspaper=産経新聞|date=2024-03-13|accessdate=2024-03-13}}</ref>、国側が18日に控訴した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20240318-CLUK4FU5VJPUDD4X26BC43E57U/|title=次女へ遺骨引き渡し国控訴 オウム松本元死刑囚|newspaper=産経新聞|date=2024-03-18|accessdate=2024-03-18}}</ref>。
この地裁判決に対しては、各方面から憂慮する声が出た。法務大臣は「判決の内容が公共の安全及び社会秩序全体に大きな影響を及ぼし、国民の皆様に不安を与える」と述べている<ref>{{Cite web |url=https://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00496.html |title=法務大臣閣議後記者会見の概要 |access-date=2025-07-05 |date=2024-03-19 |publisher=法務省}}</ref>。地下鉄サリン事件犠牲者の妻・高橋シズヱは「遺骨が資金獲得の道具として悪用されないよう、あらゆる対策を講じてほしい」とする要望書を法務省に提出した<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20240318-OYT1T50155/ |title=松本智津夫・元死刑囚の遺骨と遺髪、次女に引き渡し求めた一審判決不服…国が東京高裁に控訴 |access-date=2025-07-05 |date=2024-03-18 |publisher=読売新聞社}}</ref>。オウム真理教後継団体であるアレフの関連施設が多く存在する足立区の区長は「今回の判決及び控訴を受け足立区でも、旧オウム真理教関連施設周辺住民をはじめ多くの方々が多大な不安や恐怖を感じていることから、国に対して、遺骨等をめぐる問題が大きな社会不安に発展しないよう適切な措置を講じていただくことを引き続き求めてまいります」との声明を出した<ref>{{Cite web |url=https://www.city.adachi.tokyo.jp/kikikanri/ikotu.html |title=麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の遺骨等引渡し訴訟に係る東京地方裁判所の判決及び東京高等裁判所への控訴について |access-date=2025-07-05 |date=2024-08-06 |publisher=足立区}}</ref>。
オウム真理教犯罪被害者支援機構の弁護士で、オウム事件被害者でもある滝本太郎は、「オウム事件では、殺されて焼却された信者7人の遺骨が遺族に戻ってきていません。それにも拘わらず松本の骨を(※その家族らが)後生大事に持っていたいなどとは、言えた筋合いではありません。松本の遺骨は太平洋の誰も知らない場所に散骨すべきだと思っています(中略)カルト教団教祖の処刑散骨は、例えばアメリカのチャールズ・マンソン、アルカイダのウサマ・ビン・ラディンなどは、警察、米海軍の手によって行われています。松本の遺骨もテロ対策の一環として国が責任を持って後始末をつけるべきです。」と述べている<ref>{{Cite web |url=https://kazgoto.my.coocan.jp/diary/diary2018_r.html |title=管理人日記 2018/09/11 オウム真理教と30年間戦ってきた弁護士 |access-date=2025-07-05 |date=2018/09/11 |publisher=管理人日記}}</ref>。
なお、この裁判に至った経緯については、週刊文春電子版が、弔うためという次女が遺骨を保管するかを明らかにしなかったため国との交渉が決裂したということを報じている<ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/denshiban/articles/b8335 |title=麻原彰晃の遺骨引き渡し命令 控訴のウラに公調の“メンツ” |access-date=2025-07-05 |date=2024-03-27 |publisher=週刊文春}}</ref>。
この地裁判決は、次女に引き渡された遺骨がオウム真理教後継団体であるアレフに渡るか否かについて検討しており、アレフに渡るという証拠まではないということで、遺骨を手にしたアレフによる社会不安が生じるという具体的な根拠がないとされている。
しかし、次女は、かつて麻原の遺骨の引き渡しを国に求めて、次男[[松本璽暉]]や麻原の妻と協力したことがあるので<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20180707-ZH3H4KB45ZKXXHKOG2O5PKN3JM/ |title=麻原元死刑囚の妻らが遺体引き渡し要求 「遺体は祭祀の対象」 |access-date=2025-07-05 |date=2018-07-07 |publisher=産経新聞社}}</ref>、次女から次男に遺骨が渡る可能性は否定できず、しかもこの地裁判決言渡し当時には知られていなかった次男によるアレフの裏支配の疑い(次男が長男と共に麻原から後継指名された二代目教祖の権威をもって、アレフを実質的に裏から支配しているという疑い)<ref>{{Cite web |url=https://joyu.jp/hikarinowa/aum/cat198/post_4.html |title=アレフに今も続く違法行為と麻原次男・家族の教団裏支配疑惑 |access-date=2025-07-05 |date=2025-03-16 |publisher=ひかりの輪}}</ref>を踏まえると、次女から次男を経由してアレフに渡る可能性は十分考えられるとの指摘がある<ref name=":0">{{Cite web |url=https://joyu.jp/hikarinowa/aum/cat198/content.html |title=麻原遺骨引き渡し問題:国と麻原家族が係争中 |access-date=2025-07-05 |date=2025-07-01 |publisher=ひかりの輪}}</ref>。
また、仮に遺骨がアレフに渡らなくても、次女と、次女と行動を共にする三女・長男の周辺には、アレフを脱会はしたものの麻原とオウム真理教の教義を信仰し、麻原が後継指名した二代目教祖のうちの一人である長男を精神的な支柱にした「脱会信者」の集まりがあり、そのような集まりに遺骨が渡って、強い求心力を持たせる恐れがあるとも指摘されている<ref name=":0" />。
そして、麻原の遺骨は、麻原を信じる者たちにとって神聖な崇拝対象であるから、それが置かれた場所は「聖地」となって信者が巡礼したり(現に麻原の勾留中は、勾留場所であった警視庁や東京拘置所を聖地として信者らが巡礼していたと報道されている<ref>{{Cite web |url=https://www.j-cast.com/2018/07/06333195.html?p=all |title=東京拘置所は「ゴルゴタの丘」? 麻原死刑執行前も時計回りに「聖地巡礼」 |access-date=2025-07-05 |date=2018-07-06 |publisher=Jcastニュース}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.j-cast.com/2015/03/09229887.html?p=all |title=オウム・麻原が信者に獄中指示とテレ東特集 アレフに改称、後継者指名もそうだった? |access-date=2025-07-05 |date=2015-03-09 |publisher=Jcastニュース}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20180706-7X7DRZ6FPNIHBJRBIQ4QJWNPXQ/ |title=「やっと区切り」「風化させない」 周辺住民ら |access-date=2025-07-05 |date=2018-07-06 |publisher=産経新聞社}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.e-sogi.com/guide/1986/ |title=【特別寄稿】麻原彰晃の遺骨の行方 ~ 現代日本の散骨事情 |access-date=2025-07-05 |date=2023-12-26 |publisher=株式会社鎌倉新書}}</ref>)、移り住んだり、また遺骨が超高額で信者に販売され教団資金を増大させる恐れがあるとも指摘されており<ref name=":0" />、公共の安全や地域住民の生活の平穏に影響を与えるものとして、東京高裁での控訴審の成り行きが注目されている。
== 麻原の子女 ==
麻原には愛人が100人以上いたとされ、愛人と「イニシエーション」と称する[[性行為]]を行い<ref name="kohan19961108">1996年11月8日[[豊田亨]]/[[廣瀬健一]]/[[杉本繁郎]]公判での[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]の証言記録より</ref>、妊娠させた結果、妻の[[松本知子|知子]]の子である6人を含めて、12人ないし15人ほどの子がいるとされる{{Efn2|[[滝本太郎]]によると12人<ref>{{Cite web |url=http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/t-comment27.htm |title=滝本コメント 28~30 |accessdate=2007-07-27 |author=滝本太郎 |authorlink=滝本太郎 |date=2001-03-04 |website=カナリヤの詩 |publisher=[[カナリヤの会]] |language=ja}}</ref>。四女の松本聡香によると15人{{Sfn|松本|2010|p={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}。}}。麻原は在家信者なので子作りをしてもいいとされていた{{Sfn|降幡|2001|p=48}}。出生時に麻原が[[阿含宗]]にいたことや、「最終解脱」前に生まれたことが理由で知子の子の間でも[[オウム真理教の階級|ステージ]](階級)は異なる<ref group="電" name="tkst">滝本太郎ブログ「[https://web.archive.org/web/20180307023225/http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1850.html 宗教的な地位等とブログ | 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記]」 2018年2月6日閲覧</ref>。
四女によると麻原は、村井秀夫または上祐史浩と長女、上祐と次女、[[石川公一]]と三女、遠藤と四女、新実と[[石井久子]]に産ませた娘を婚姻させる計画をたてていたという{{Sfn|松本|2010|p=191}}<ref group="電" name="joyu2"/>。また、最終解脱するにはグルの娘との合一が必要とされていた<ref group="電" name="joyu2">{{Cite web|和書| url=http://hikarinowa.net/kyokun/joyu/cat215/post-2.html | title=【3】麻原彰晃とは何者だったか | 1.上祐総括:オウム入信から現在まで | 上祐史浩個人の総括 | オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- | first= | last= | work=[[ひかりの輪]] | accessdate=2017-11-21}}</ref>。
当項目では、知子の子である6人を述べる。麻原の警備担当者によると、麻原は子煩悩で、おもちゃを沢山買い与えたり、[[エアコン|クーラー]]を用意したりして、蜂の巣ベッドに押し込められていた出家信者達や、カビの生えたものを食べていた出家信者の子供達とは違い、格段に良い生活をさせていた{{sfn|田村|1996|p=10}}{{sfn|田村|1996|p=25}}。美女3人が[[女中]]として一家の面倒をみていた{{sfn|田村|p=173}}。
麻原一家は上祐史浩率いる[[ひかりの輪]]とは対立関係にあり、ひかりの輪側は、松本知子・次女・三女は上祐の脱麻原路線に反対していた、四女は2007年時点において麻原崇拝グループを結成しようとしていたと主張している<ref group="電">[http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-130.html アレフ問題の告発と対策 麻原三女『止まった時計』] [[ひかりの輪]]公式サイト 2018年4月15日閲覧。</ref><ref group="電">{{Cite web|和書|title=麻原四女の著書における、上祐代表に関する記載の誤りについて|publisher=[[ひかりの輪]]|url=http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/cat200/post.html|accessdate=2013-07-05}}</ref>。さらに家族内でも対立があり、特に四女と次女・三女の主張が異なるなど関係が悪化していた<ref group="電">{{cite news|url=https://smart-flash.jp/sociopolitics/2461|title=「三女の本は嘘ばかり」麻原彰晃四女が語る“一家”のいま|newspaper=週刊FLASH|accessdate=2021-8-12|archivedate=2016-4-3|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160403211042/https://smart-flash.jp/sociopolitics/2461|date=2015-6-6}}</ref>。
また知子の影響下にあるAlephが次男[[松本璽暉]]を役員名簿に登録することについて、麗華が教団幹部に反対を呼び掛けたことが「[[山田らの集団]]」分裂の要因になったと、ひかりの輪と公安調査庁は分析している。(麗華は関与を否定した。)
; 長女:{{Vanc|松本美和}}(みわ)<ref name="femiru">{{Cite web|和書|url=https://femiru.com/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E3%81%AE%E4%B8%BB%E8%A6%81%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7/|title=femiru - オウム真理教を支えた幹部・主要人物一覧【高学歴多数】|accessdate=2019-10-27 |date=2019-08-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200630155754/https://femiru.com/オウム真理教の主要人物一覧/ |archivedate=2020-06-30}}</ref>{{Nobold|{{信頼性要検証|date=2025年3月|title=運営者の素性が不明なウェブサイト}}}}
: 1978年(昭和53年)生まれ。[[ホーリーネーム]]はドゥルガー。教団での地位は[[正悟師]]。[[省庁制 (オウム真理教)|省庁制]]の際には流通監視省大臣であった。麻原の逮捕後は教団と距離をおいている。
; 次女:松本宇未(うみ、仮名)<ref group="電">松本宇未ブログ [https://profile.ameba.jp/ameba/matsumoto-umi/ 木の葉が沈み石がうく]</ref>
: 1981年(昭和56年)生まれ。ホーリーネームはアジタナーター・カーリー{{Sfn|東京キララ社|2003|p=23}}。2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、[[保護観察]]処分となった{{#tag:ref|逮捕理由は教団施設への「住居侵入」であるが、それは教団の実態は酷いと感じた次女が、長男を教団から救出・保護するための手段であったという<ref name="DYJN!">{{Cite book |和書 |author=手塚愛一郎 |authorlink=手塚愛一郎 |author2=松井武 |author2-link=松井武 |author3=山際永三 |author3-link=山際永三 |author4=深見史 |author4-link=深見史 |title=「悪魔のお前たちに人権はない!」学校に行けなかった「麻原彰晃の子」たち |date=2001-12 |publisher=[[社会評論社]] |isbn=4784514171 |page={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}</ref>。|group="注"}}。
: 麻原詐病説などについて四女と真っ向から対立し、四女はマスコミ受けの良い話をして金を得ていると批判している<ref group="電">松本宇未 [https://ameblo.jp/matsumoto-umi/entry-12048098554.html 八、「物語」の検証]、[https://ameblo.jp/matsumoto-umi/entry-12040378307.html 四、16歳の少女を手駒にする方法]</ref>。
: [[2021年]][[7月5日]]、最高裁の決定により、麻原の遺骨の引受人に決まる<ref group="電">{{Cite news|title=オウム真理教松本智津夫元死刑囚遺骨 次女引き取り確定 最高裁|newspaper=NHKニュース|date=2021-7-5|url=https://web.archive.org/web/20210705081945/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210705/k10013120881000.html|accessdate=2021-8-12}}</ref>。
; 三女:[[松本麗華]](りか)
:
: 2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件
:
:
: 2015年3月19日、[[
: 2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』([[講談社]]、ISBN 978-4062194808)を上梓<ref group="電">[http://jp.wsj.com/articles/SB11871187576556893798304580529093996254312 地下鉄サリン事件20年、松本死刑囚の三女「アーチャリー」語る] ウォールストリートジャーナル日本版 2015年3月20日 2015年3月20日閲覧</ref>。[[ニコニコ生放送]]に出演して
; 四女:[[松本聡香]](さとか、仮名)
:
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: 麻原に死刑判決が下る2004年(平成16年)までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、自らインターネットや書籍を調べて自分に対する世間の冷たい視線の背景に初めて気付いた
:
:
: 三女の松本麗華に
: 2017年10月に実父・麻原彰晃と実母・松本知子に対して[[相続廃除]]を申請し、横浜家裁が認める審判をした。審判では両親が適切な養育をしなかったことや犯罪を行ったことで、四女が「重大な不利益を被り、現在もその影響が続いている」と認定された<ref
; 長男
:
: 四女と次男同様学校に籍を置くことが許されず、ほとんど学校に通わせて貰えなかったという。姉や弟共々晴れて[[2001年]](平成13年
:
: この他、[[テレビ東京]]に対しても父智津夫の後継者のように報道されたとして訴訟を起こしたが、2018年3月15日に敗訴<ref group="電">{{cite |url=https://www.asahi.com/articles/ASL3H5D4LL3HUTIL02K.html|title=オウム松本死刑囚の長男が敗訴 名誉毀損でテレ東訴える|publisher=朝日新聞|date=2018年3月15日}}</ref>。
; 次男:[[松本璽暉]](ぎょっこう)
:
: 小学1年生は1学期しか登校しておらず、その後は茨城県龍ケ崎市に引越し四女と長男同様学校に通えなかったが、協力者のお蔭で学校に通うことが出来た。しかし、約8か月も学校に通えていない時期が続いていたため、小学2年生から学校生活を正式にスタートした<ref name="DYJN!" />。
:
:
: 2025年(令和7年)7月22日、[[公安調査庁]]は次男が「2代目グル」(宗教指導者)を自称し、[[Aleph (宗教団体)|Aleph]]の運営を主導していると認定したと明らかにした。麻原の妻の知子についても後見的に補佐する立場にあるとみている<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20250722-FOWPQ3GTXRPC3PRONGKVHIT4T4/|title=麻原彰晃元死刑囚の次男が「グル」自称 オウム真理教後継団体の運営主導と認定、公安庁|newspaper=産経新聞|date=2025-07-22|accessdate=2025-07-22}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20250722/k00/00m/040/034000c|title=松本智津夫元死刑囚の次男、アレフの組織運営を主導 公安調査庁認定|newspaper=毎日新聞|date=2025-07-22|accessdate=2025-07-22}}</ref>。同年9月3日、[[公安審査委員会]]は公安調査庁の請求を踏まえ、次男と妻を「役職員」として新たに認定した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20250903-HPXC7IB4ZZLEXP2YKEIOK33PM4/|title=アレフに対する再発防止処分を継続 公安審査委、松本智津夫元死刑囚の次男は「役職員」|newspaper=産経新聞|date=2025-09-03|accessdate=2025-09-03}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/sp/articles/AST9345KNT93UTIL01CM.html|title=アレフに再発防止処分 公安審、松本元死刑囚の次男「役職員」と認定|newspaper=朝日新聞|date=2025-09-03|accessdate=2025-09-04}}</ref>。
== エピソード ==
=== 尊師 ===
* オウム真理教の信者からは'''尊師'''、もしくは本来[[ヒンドゥー教]]の導師を指す'''[[グル]]'''と呼ばれ、[[信仰|崇拝]]の対象となっていた。「尊師」の使用を発案したのは[[新実智光]]であるとの証言がある{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|p=51}}。著書やアニメ、音楽等では「'''真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師'''」名義を用いていた。教団は世界征服も画策しており、国家の[[憲法]]に相当する[[基本律 (オウム真理教)|基本律]]の草案では'''神聖法皇'''(しんせいほうこう)と呼称されていた。
* 初期のAlephでは尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表したものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けることを禁じたが、2011年頃からは麻原の「生誕祭」や肖像の掲示を公然と行うようになり<ref group="電">{{Cite press release | 和書 | title = 信者1000人超と報告=事件知らぬ若年層に拡大―原点回帰も鮮明に・アレフ | publisher = 朝日新聞 | date = 2011-11 | url = http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111170060.html | accessdate = 2011-11-17|archivedate=2011-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111119205436/http://www.asahi.com:80/national/jiji/JJT201111170060.html}}</ref>、「尊師」の呼称が復活した<ref group="電">{{Cite web|和書|url=http://info.aleph.to/news/201803.html#201803161521175396|title=3月20日に際して|publisher=Aleph(アレフ)広報部|date=2018-03-16|accessdate=2018-04-26|archivedate=2018-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180706031000/http://info.aleph.to/news/201803.html}}</ref>。
* Aleph分派の[[山田らの集団]]は「そそそそそそそ尊師、そそそそそそそ尊師、麻原尊師、麻原尊師」と大声で「尊師」を讃える[[オウムソング]]を歌っていた様子が報じられた<ref group="電">{{cite news|url=http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00387552.html|newspaper=fnn-news.com|publisher=FNN|title=オウム後継分派の実態|date=2018-03-19|accessdate=2018-03-19|archivedate=2018-03-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180319214342/http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00387552.html}}</ref>。
* 妻の[[松本知子|知子]]は、「麻原」と呼んだのを上祐史浩に怒られて尊師と呼ぶようになった{{Sfn|松本|2010|p=44}}。
* [[端本悟]]と[[富田隆]]は太った麻原を影で「卑劣なブタ野郎」と呼んでいた<ref>{{Cite book |和書 |author=佐木隆三 |authorlink=佐木隆三 |title=大義なきテロリスト |date=2002-11 |publisher=[[日本放送出版協会]] |isbn=4140807288 |page=146}}</ref>。
*尊師マーチは最初は「彰晃 彰晃 しょこしょこ 彰晃〜」といった歌詞だったが、「信者が尊師を呼び捨てにするのはどうか」との理由で「尊師 尊師 そんしそんし 尊師〜」に変えられた。
=== 前世 ===
麻原は自らの出版物を通して、多くの[[前世]]を持つと以下のものを称していた。
* 意識堕落天([[阿修羅]]界)の宗教上の王 - 直前の生であったため、その世界で麻原に[[帰依]]していた人たちが多く[[転生]]し、現在の信者になっていると教団内では信じられていた。松本家が[[カニ]]、[[エビ]]を食べているのに興味を持ってしまい、人間界に落下し松本智津夫になってしまったという<ref name="choetsu2" />。
* [[徳川家光]] - [[転輪聖王]]ではあったが[[島原の乱]]や[[不受不施派]]を弾圧したため、[[熊本県]]や[[日蓮正宗]]によるオウムバッシングの原因となる[[カルマ]]をつくってしまったとしている<ref name="choetsu2" /><ref group="注">実際には[[日蓮正宗]]と[[不受不施派]]は別の系統の宗派である</ref>。
* [[近藤勇]]{{Sfn|降幡|2000a|p=225}}
* [[朱元璋]] - 彼のように全国統一を達成したいと考えており、1994年2月22日より、麻原一行は[[明孝陵|孝陵]](朱元璋の陵墓)などを訪問し、旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポアしなければならない」「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70tぶちまくしかない。」と[[世界征服]]を目指すことを説法した<ref group="判" name="hanketu" />。
* [[チベット]]のタントラ修行者 - 過去世の松本知子と石井久子を妻としていた<ref name="choetsu2" />。
* [[イムホテプ]] - 道場では「宿命通」というアニメビデオを放映し、麻原の[[エジプト]]での前世の物語を展開していた。[[ジョセル|ジェゼル王]]に宗教的指導を施し、最古のピラミッドである「[[ジェゼル王のピラミッド|ジェゼル王の階段のピラミッド]]」を造ったとしている<ref name="takara30-199511">『[[宝島30]]』1995年11月号「オウム真理教修行体験90日」[[大泉実成]]</ref>。
* [[帝釈天|有能神]] - 過去世の上祐史浩と[[杉浦実]]を養子としていた<ref name="choetsu2" />。
* [[ナーガ]]([[蛇神]])の国の王 - 過去世の[[松本知子]]が妻であった<ref name="choetsu2" />。
* [[フリーメイソン]]創始者 - 現在のフリーメイソンは[[物質主義]]になってしまったのでよくないとのこと<ref>{{Cite book |和書 |author=早見慶子 |authorlink=早見慶子 |title=カルト漂流記 オウム篇 |date=2009-05 |publisher=[[彩流社]] |isbn=9784779114434 |page=184}}</ref>。
* 欲界の王
* [[夜摩天]]の王
* [[光音天]]の魂
* [[神聖天界]]の王
* [[除冷淡天]]の王 - 過去世の[[青山吉伸]]を弟子としていた<ref name="choetsu2" />。
* [[カッサパ]]仏の弟子 - 過去世の[[新実智光]]の火遊びによって起きた火事で焼死したという<ref name="choetsu2" />。
* [[兜率天]]の軍人 - 天界軍の指揮官として[[阿修羅]]界と戦争し勝利した。過去世の石井紳一郎、石井久子が部下だった<ref>{{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=真実!六道輪廻 |date=1991-10 |publisher=オウム |series=麻原彰晃の世界 part 3 |isbn=4900497622 |page=181}}</ref>。
* [[宮沢りえ]]の夫 - 一部報道によると自称していたという<ref>1995/8/28 [[日刊スポーツ]]{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>。
その他<ref name="choetsu2">{{Harvnb|麻原|1991|p={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}</ref>
=== 最終解脱 ===
* オウム真理教において「最終解脱」とは、「煩悩や苦悩から解き放たれ、輪廻転生からも解放された状態」であるとしていた<ref>オウム20年目の真実~暴走の原点と幻の核武装計画~ - テレビ朝日</ref>。
* ヒマラヤでのクンダリニー・ヨーガによる修行中、麻原はさまざまな神秘体験をし、シヴァ大神やパールヴァティー女神の助けも得て最終解脱に至ったとされる。また、最終解脱に至る過程で、さまざまな神通力(後述)を得たと自称している<ref>月刊「マハーヤーナ」{{Full|date=2025年3月}}<!-- 巻次・部編番号、刊行年月が不明 -->{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>。
* しかし、高校生時代の井上嘉浩がそのことについて聞くと、「インド? あれはパフォーマンスだ。実は渋谷の瞑想場で最終解脱したんだ」と答えたという<ref name="kyozo">ザ・ノンフィクション 虚像の神様</ref>。
* 麻原は最終解脱をして戒律をも超越する存在であるとして、後述の通り[[ダーキニー (オウム真理教)|ダーキニー]]や肉食など己の欲望を満たす振る舞いを許されていた<ref name="kyozo"/>。
* 別の宗教団体から「オウム神仙の会」創設メンバーとなり、出家制度などオウムの組織体制を作ったという元幹部Sによると、麻原が「一修行者」を名乗っていた頃、福生のスナックである宗教家に「私はヴィジョンとか光の体験はあります。どのような段階にあるのでしょうか?」と教えを乞いたそのたった二ヶ月後に「最終解脱した」と言い出し、その後の麻原の言動にも疑問を持ったことから「(麻原は)解脱者なんかじゃない」と思ったという<ref name="kyozo"/>。
* 上祐史浩はインターネット上のやりとりで「最終解脱という言葉自体麻原の造語であり、実体がない」とし、「(自我破壊という)『解脱』体験はあるが、恒常的な自我意識の破壊はなかったのではないか」「一定の霊的な体験をさせる力はあったが、本来のグルが導くべき心の成熟、愛の増大には導けなかった」としている<ref>[https://blog.goo.ne.jp/hakuryuu_001/e/91c26443e6042e6c6342def1609ee1ac 白龍のオウム・アーレフで過ごした日々 - 最終解脱について]</ref>{{信頼性要検証|date=2025年3月|title=「『mixiの投稿』を転載した匿名掲示板の投稿」を転載したブログ記事}}。
=== 超越神力 ===
麻原は様々な超越神力([[超能力]])があることになっていた。中には信者が頭の中で歌っていた「[[魔法使いサリー]]」の曲を的確に聞き分ける、[[終電]]を逃した信者へ[[乗換案内]]する、信者に[[まんじゅう]]を残さず食べさせるなど奇妙な超能力もあった<ref name="cho4-12">{{Harvnb|麻原|1992a|pp=12-134}}</ref>。
* [[六神通]]
** 天耳通 - 神々の声を聞いたり、遠くの音を聞いたりする<ref name="cho4-13">{{Harvnb|麻原|1992a|p=13}}</ref>
** 他心通 - 他人の心を知る<ref name="cho4-13"/>
** 宿命通 - 前生を知る<ref name="cho4-13"/>
** 死生智 - 転生先を知ったり、生きながらにしていろいろな世界とつながる<ref name="cho4-13"/>
** 漏尽通 - 完全なる絶対なる神の叡智<ref name="cho4-13"/>
* [[ポア (オウム真理教)|ポア]] - 霊的なレベルを高めるという意味だが<ref name="cho4-12"/>、悪行を犯した人間(≒教団に対する敵対者等)を殺害するという意味に変わっていった
* [[防水]] - 気で雨を弾き返す。ただし完全防水ではなく多少濡れるが乾燥機能もあるので平気<ref name="cho4-12"/>
* [[超伝導]] - 肉体の[[電気抵抗]]をゼロにする<ref name="cho4-12"/>
* [[オーラ]] - オーラのバリアにより足の裏が汚れない<ref name="cho4-12"/>
* [[煩悩]]探知 - 声やにおいで相手の[[煩悩]]が分かる<ref name="cho4-12"/>。アニメではこれにより、離反の可能性が高い希望者の入信を拒んだりした。
* 情報測定 - 体温計やスピードメーターより正確<ref group="電" name="choweb"/>
* 成分分析 - [[砂糖]]と[[サッカリン]]の違いを検知。村井秀夫曰く「究極のグルメ」<ref group="電" name="choweb"/>
* [[透視 (超心理学)|透視]] - [[CTスキャン]]並<ref name="cho4-12"/>
* 耐火 - 火傷しない(エネルギーが満ちているときだけ可能)<ref group="電" name="choweb">[https://web.archive.org/web/19990204023835/http://www.aum-internet.org:80/aum2/choetu/ あなたの持っている本当の力 超越神力] オウム真理教公式サイト(Internet Archive)</ref>
* 道路情報 - 渋滞状況が分かる<ref group="電" name="choweb"/>
* 速筆 - あっという間に本の内容をつくる<ref group="電" name="choweb"/>
* 壁抜け - しかし本番に弱いのか取調室や留置場、拘置所等の壁は抜けられなかった。取調官に「抜けられなくて申し訳ない」と謝った<ref group="電">[https://www.huffingtonpost.jp/entry/uiminoru_jp_5c5d75cbe4b0974f75b2cd14 麻原彰晃死刑囚を取り調べた検事が語っていた「拘置所での素顔」 (オウム真理教事件)] [[ハフィントンポスト]]</ref>
* [[治療]]<ref name="cho4-12"/>
* 機械修理<ref name="cho4-12"/>
* 見積もり計算<ref group="電" name="choweb"/>
* 未来予知<ref name="cho4-12"/> -「教祖の逮捕」等、当たったものもある
* [[気象操作]]<ref name="cho4-12"/>
* 怪力<ref group="電" name="choweb"/>
* [[透明人間]]<ref name="cho4-12"/>
* [[幽体離脱]]<ref name="cho4-12"/> -アニメでは変化身を用いて信者同士の噂話をこっそり聞くなどした
* 空中歩行<ref name="cho4-12"/> -アニメでは空中浮揚した後、空中を自由自在に歩行しながら移動した
* '''[[空中浮揚]]'''<ref name="cho4-12"/>
=== 空中浮揚 ===
* 麻原は1985年頃のオカルト雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』の中などで[[岐部哲也]]が撮影した麻原が空中浮揚している写真を公開し、空中浮揚をテーマとした本や[[オウム真理教のアニメ|アニメ]]も製作するなど大々的に宣伝した。麻原によると初めて浮揚したのは1985年2月であったという{{Sfn|麻原|1986|p=15}}。「ズバリ!浮揚」で自身も披露した上祐は単に脚で跳ねただけであったと後に語っている<ref group="電">「[https://web.archive.org/web/20121016192836/https://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/47697/ 上祐氏暴露“空中浮揚はヤラセ”]」 [[東京スポーツ]] 2012年10月15日</ref>。
* 弁護士の[[坂本堤]]らが組織した「オウム真理教被害者の会」はこれをインチキと批判、公開の場で行えと要求し、その後[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]が発生した<ref group="判" name="hanketu"/>。
* 坂本の後を継いだ弁護士[[滝本太郎]]は、[[座禅]]を組んだままでの跳躍(ジャンプ)を[[エレクトロニックフラッシュ|ストロボ]]を使い早いシャッタースピードで空中にいる瞬間だけを狙って写真撮影することで「あたかも連続して飛んでいるように見える」ようにしたトリックだと主張し<ref group="注">事実、麻原の浮揚写真では[[髪]]が逆立ち、力んだ表情が見られる。</ref>、「空中浮揚なら自分でもできる」と、自ら麻原以上の高さで「空中浮揚」した写真を信者に見せてまわり、多くの脱会者をつくっていたため坂本同様に命を狙われた([[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件]]){{Sfn|東京キララ社|2003|p=46}}。
* 松本麗華は空中浮揚が見たくて、麻原に依頼したところ「疲れているから」と断られた。ただし、身体が勝手に跳びはねる空中浮揚の前段階といわれる[[ダルドリー・シッディ]]という現象は何度も目撃している<ref name="yukan-news.ameba" group="電">{{Cite news|title=麻原彰晃の三女が明かす半生と父への思い「矛盾の中で生きてきました」|newspaper=週刊プレイボーイ|date=2015-4-7|url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2015/04/07/46122/|accessdate=2021-8-13}}</ref>。
* 法廷では、麻原はもっとリラックスした感じで撮りたかったので写真は失敗作と述べた。何分ぐらい浮かんでいたのかと聞かれると返答に困り沈黙し、「脳波で答えている」と主張する一幕もあった{{Sfn|青沼|2007|p=331}}。また、石井久子は本当に見たと主張した{{Sfn|青沼|2007|p=205}}。
* 麻原の弁護人を務めた[[安田好弘]]が法廷で空中浮揚してみたらと提案したところ、麻原は本気で飛ぼうと熱心に拘置所内で練習していたらしいが{{Sfn|森|2012|p=98}}、ついに飛ぶことはなく「超越神力」は証明できなかった。また法廷で[[井上嘉浩]]に対し「井上証人、私の精神異常だと思うだろうな、すまないが飛んでみてくれ」と頼んだが、阿部文洋裁判長が「コラッ、静かにしなさい!」と注意し<ref group="電">「[https://www.youtube.com/watch?v=RRz83e3oHbM 麻原法廷物語 第2話 エネルギー上昇]」([[YouTube]])2018-08-05</ref><ref group="電">「[https://www.youtube.com/watch?v=BbSEZ851Y00 麻原法廷物語 第3話 不規則発言]」(YouTube)2018-08-08</ref>、また井上本人も麻原の要求を拒んだ<ref>{{Cite book |和書 |author=降幡賢一 |authorlink=降幡賢一 |title=オウム裁判と日本人 |date=2000-05 |publisher=[[平凡社]] |series=[[平凡社新書]] |isbn=4582850448 |page=8}}</ref>。
=== 音楽 ===
* [[音楽]]好きであり、盲学校中学部・高等部時代に、他の寄宿生らを集め[[西城秀樹]]や[[尾崎紀世彦]]の歌を歌う「松本智津夫ショー」を何度も開催し、盲学校生を困らせた{{Sfn|高山|2006|p=38}}。空き缶をマイクの代わりにして西城秀樹の当時のヒット曲「[[傷だらけのローラ]]」を歌ったこともある{{Sfn|高山|2006|p=38}}。校内で結成したバンドでもボーカルを務め、西城の「[[情熱の嵐]]」を十八番としていた
* オウム真理教でも大量の[[オウムソング]]・アストラル音楽を作詞作曲(実際は[[石井紳一郎]]らが[[ゴーストライター|作ったものも多いとされる]])、自ら歌っていたほか、弟子の[[村井秀夫]]や[[青山吉伸]]にも歌わせていた。特に[[真理党]]の選挙応援で自ら「[[尊師マーチ|しょーこーしょーこー彰晃彰晃彰晃♪]]」「しょしょしょしょしょしょしょしょーこー!」などと自分の名前の入った歌を熱唱していた姿が有名である。しまいには交響楽団[[キーレーン]]を結成し指揮棒を握っていた。カラオケ好きも盲学校時代と変わらず、尾崎紀世彦や[[中村雅俊]]の曲を歌っていた{{sfn|田村|1996|p=31}}。麻原がオウムソングの中で好きな曲は「戦え!真理の戦士たち2」「黎明」「ロード・シヴァ」など{{Sfn|麻原|1995|p=38}}。一方ジャズや[[ロック音楽|ロック]]は嫌い<ref>{{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=尊師、麻原彰晃が斬る! |date=1991-09 |publisher=オウム |series=麻原彰晃の世界 part 2 |isbn=4900497649 |page=178}}</ref>{{Sfn|東京キララ社|2003|p=38}}。
* [[うまかろう安かろう亭]]で若い女性信者に囲まれて[[カラオケ]]をしていたこともあり、[[井上嘉浩]]は麻原が女の子とキャッキャするのを見て[[VXガス|VX]]をかけてやろうかと思ったという<ref group="電">[[西田公昭]](2009)、「[https://doi.org/10.14966/jssp.KJ00004622720 オウム真理教の犯罪行動についての社会心理学的分析]」『社会心理学研究』 2001年 16巻 3号 p.170-183, {{doi|10.14966/jssp.KJ00004622720}}</ref>{{Sfn|降幡|2002b|p=90}}。
=== 視力 ===
弱視であることでは一致しているが、全盲かについて議論がある。
* 麻原の調書によると、左目は全盲、右目は[[パラリンピック]]を目指していた高等部2年のとき0.3(熊本市立病院調べ)、薬事法違反のとき0.1(警察病院調べ)で、その後読書が困難になり、1989年頃から急激に悪化したが[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]のときには被害者の顔は見えていた、逮捕時には時々輪郭が見える程度に落ち込んでいて(失明しているとはいっていない)報道陣のフラッシュは全く分からなかったと語ったとされる{{Sfn|降幡|2004|p=250}}。また逮捕後、「麻原ノート」([[#逮捕|前述]])を自分で書いて弁護団に渡しているが、文字は書けたが解読してもらうのに時間がかかったという<ref group="電" name="note"/>。
* 表向きには「信者への[[シャクティパット]]を繰り返したためエネルギーを消耗したうえ相手のカルマを負い、さらに目が悪くなり失明した」と説明されていたが{{Sfn|毎日新聞社会部|1995|p=15}}、他のオウム関連の裁判に証人として出廷した際、宣誓書を弁護士の言う通りに比較的短時間で書き上げ余白の部分だけ上手に切り取ったり{{Sfn|青沼|2007|p=329}}、[[宮沢りえ]]の[[Santa Fe|ヌード写真集]]を持っていたとの報道や{{Sfn|東京キララ|p=129}}、[[観覧車]]や[[お化け屋敷]]に行ったり、子どもとキャッチボールをしていた{{Sfn|降幡|1998a|p=24}}{{Sfn|東京キララ社|2003|p=88}}、[[パトカー]]を察知したり<ref name="hu7-184">{{Harvnb|降幡|2001|p=184}}</ref>、[[生物兵器]]噴霧車に乗り込み指揮をしていた{{Sfn|青沼|2007|p=233}}、ガードレールを飛び越えた(ビデオに撮影されている){{Sfn|上祐|2012|p=295}}との証言もあり、失明に関しては疑惑がある<ref group="注" name="EYE">ただし、視力を失ってはいても、他の感覚([[聴覚]]や[[触覚]]等)で補っていたとする反論もある。</ref>。取調べの際も目が見えないことを強調し、それを理由に供述調書へのサインを拒むなどしていたが、逮捕から2日か3日辺りには、「刑事さんは[[竜雷太]]みたいでカッコイイですね」や「刑事さん、[[太陽にほえろ!|太陽にほえろ]]の[[石原裕次郎|ボス]]みたいですね」と語ったり、的確に障害物を避けるなどをしている。麻原の兄は事件当時、インタビューに対して「(智津夫は)今でもちっとは見えとる」と推測{{Sfn|藤原|2006|p=70}}、[[薬剤師リンチ殺人事件]]に関わった元信者<ref group="注">被害者の友人Y。執行猶予判決。</ref>も視力が弱いとは聞いているが失明したという話は聞いたことがないと証言している{{Sfn|毎日新聞社会部|2000|p=124}}。オウムでは「救世主は盲目の人」という予言があり、これに沿うために全盲である必要があったのではとの説もある{{sfn|田村|1996|p=15}}。
* 対して、松本麗華は完全に視力を失ったのは1989年の秋頃だったとする(その頃より、麗華と手をつなぎ、後に肩に手を置いて歩くようになっている)<ref name="kousoshin116" group="電">[http://blog.asahara-kousoshin.info/?eid=116 松本麗華公式ブログ「お父さん分かりますか?」『父が盲目であることについて』2015.05.14]</ref>。なお、左目は[[義眼]]であるという<ref group="電">[https://twitter.com/asaharasanjo/status/959337036233678848 松本麗華ツイッター 2018年2月2日](同日閲覧)</ref>。著書『止まった時計』の中で、[[フランス]]へ行ったとき、[[村井秀夫]]や[[石井久子]]はスーツ姿、麗華ら子供たちも普通の格好だったが、麻原だけは[[オウム真理教の衣服|クルタ]]を着用していた。もし、麻原に視力があったなら、それなりにまともな格好をしたのではなかったかと指摘している。これに象徴されるように、オウムが社会性をなくしていったのも麻原の目が見えないことと関連しているのではないかと麗華は考えている<ref name="rika"/>。
: 1982年に無許可製造医薬品販売の容疑で麻原を取り調べた刑事は「事件後に実は目が見えているとか、そんな報道がずいぶんありましたよね。だけど、あのころからやっぱりほとんど見えていなかったね。どっちだっけな。片方は0・06だったね。もうひとつはほとんど見えていなかったよ。」と語っている。また「警察の取調べで刑事に盛んに媚びていたという情報がありました。刑事さんは石原裕次郎に似ていますねとか何とか言ったとか」という質問に対して「媚びはしないね。そういうタイプじゃない。どちらかといえば寡黙でしたよ」と語っている<ref>{{Cite book |和書 |author=森達也 |authorlink=森達也 |title=A3 |publisher=[[集英社インターナショナル]] |date=2010-11 |isbn=9784797671650 |pages=308, 311}}</ref>。
* [[1997年]][[1月31日]]に東京地裁で行われた第24回公判で麻原の隣に座っていた刑務官が大きくあくびをした際、それをじっと見てニヤリと笑ったことがある{{Sfn|毎日新聞社会部|1997a|p=370}}。
=== 旅行 ===
* 1987年
* 1992年5月24日、[[スリランカ航空|エアランカ]]のチャーター機内で麻原の席に客室乗務員が座っていたため信者が激怒し暴れ、[[コロンボ]]に緊急着陸した{{Sfn|NCC宗教研究所|富坂キリスト教センター|2004|p=238}}。
* インドによく行っており一時期は1、2ヶ月に1回は行っていた{{Sfn|降幡|2000b|p=123}}。1992年11月12日、釈迦が悟りを開く[[瞑想]]に入った[[ブッダガヤの大菩提寺]]にある「金剛座」に座り、地元の高僧に下りるように言われたが従わなかったため、警官に引き摺り下ろされた<ref>「神話 聖地訪れ「私はブッダ」」『朝日新聞』東京朝刊、1995年10月22日、p.31</ref>。この後、厳重な柵が設置され、座ることが出来なくなった。
* 1993年9月9日、[[オーストラリア]]で[[ウラン]]を探して[[原爆]]をつくるため[[塩酸]]などを持ち込み税関に止められ、係官が麻原に触れたため信者が激怒、口論となった{{Sfn|NCC宗教研究所|富坂キリスト教センター|2004|p=227}}。
* [[日本航空]]に搭乗を拒否されたため、海外移動の際には[[全日本空輸]](ANA)や[[アエロフロート・ロシア航空|アエロフロート]]へ搭乗していた。なお、ANAに搭乗する際は[[ファーストクラス]]を貸し切りにすることが多かった<ref>『[[噂の眞相|噂の真相]]』1998年2月号{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>が、専用の椅子を持ち込もうとして拒否されたこともある。
* 麻原の家族と正大師は[[ファーストクラス]]、[[ホテル]]は市内で一番高いホテルに泊まっていた{{Sfn|降幡|2000a|p=226}}。
* 1993年夏、上祐史浩、[[新実智光]]、早川紀代秀と一緒に[[生物兵器]]散布車で[[皇居]]1周散布ドライブをしていた時、怖くなったらしく、途中で麻原だけ逃げ出した<ref>東京新聞 1995年10月23日付 朝刊23面</ref>。
* 「尊師接待マニュアル」というのがあり接待の方法が厳しく定められていた{{Sfn|門田|p=201}}。
===
* 口癖は「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」。『教本』上では1991年2月12日阿蘇シャンバラ精舎説法が初出である<ref>{{Cite book |和書 |author=井上順孝 責任編集 |authorlink=井上順孝 |author2=宗教情報リサーチセンター 編 |title=〈オウム真理教〉を検証する |date=2015-08 |publisher=[[春秋社]] |isbn=9784393299289 |page=48}}</ref>。また説法の最後に「いいねっ」と言うことが多く、信者は「はい!」と返すのがお約束だった{{Sfn|朝日新聞出版|2012|p=110}}。
* 麻原の予言には当たったものもある。[[早川紀代秀]]曰く、第1[[サティアン]]建設のとき麻原が超能力で必要な[[水道管]]の太さを予言し的中させ、建設が上手くいったという{{Sfn|降幡|2000a|p=73}}。
* 被害妄想のほか病気になったといって騒ぐことがあり、ある日、信者で[[オウム真理教附属医院]]院長でもあった[[林郁夫 (オウム真理教)|林郁夫]]に「実は[[心臓]]に[[いぼ]]ができているんだ。何とかしてくれ」といった。これには林も困ってしまったという<ref name="kohan19961108" />。
* 事件前は聖人として振る舞っていたが、事件後は裁判等で、真偽の程は定かでないが麻原の鬼畜エピソードが弟子から多々語られた。[[風評被害]]で困窮している[[宮﨑勤]]の親族から機械を格安で買い取ろうとした、[[阪神・淡路大震災]]の被災者に水を売りつけて儲けようとしていた、被災した神戸の[[長田区]]を訪れ「(被災者が)地獄、餓鬼、動物に転生した」と発言していたとの証言がある{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|pp=169;353}}{{sfn|田村|1996|p=48}}。
* 上祐は、2010年12月3日号の週刊誌『FRIDAY』誌での対談において「麻原は人の心を読む感受性は鋭く、[[超能力]]のようなものは確かにあったが、能力と人格が一致しない人物だった。麻原の根源は、逆恨みと[[被害妄想]]。弱視だった子供時代からの逆恨みを社会に広げた人物だ」と語っている<ref name="hikarinowa" group="電">[http://hikarinowa.net/public-info/pressreport/2010/friday2010123.html ひかりの輪 広報部サイト]</ref>。他にも、[[PSI (オウム真理教)|PSI]]を製作する際に調べた麻原の脳波が精神異常のそれと似ていることを指摘している{{Sfn|上祐|2012|p=130}}。オウムはこれを[[脳死]]の脳波に近いとし「解脱者の脳波」として宣伝していた<ref>{{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=ボーディサットヴァ・スートラ |date=1994-02 |publisher=オウム |isbn=4871420930 |at=巻頭}}</ref>。
=== 思想 ===
* (
* (人間の[[転生]]については?)現代人は、[[地獄]]か[[餓鬼]]、動物に生まれ変わると思って間違いない。なぜなら[[殺生]]をする、[[盗み]]をする、[[邪淫]]をする、[[嘘]]をつく、[[酒]]は飲む。これはもう救済の方法がないと考えたほうがいい<ref name="mahayana" />。
* ([[ゲイ]]は救われるか?)徳が高ければ、天界(戯忘天)の男しかいないホモの世界に行けるが、徳が無いと地獄行きになる
* ([[共産主義]]は必要ないか?)[[経済的不平等|貧富の差]]は必要だ。なぜかというと、貧富の差こそカルマだからだ。豊かな人が貧者に功徳を積むのは当然だし、それがその者たちのカルマを浄化する。私は[[共産主義]]が好きか嫌いかは言わない。共産主義によいところがあれば学べばいい。しかし、共産主義は完璧ではない。いや、共産主義社会はもうすぐつぶれる。あと20年か、30年でつぶれると思う<ref name="mahayana" />。[[マルクス主義]]や[[毛沢東思想]]は思想というより宗教のひとつだ
* (独裁者について)[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は政治的独裁者、[[毛沢東]]は思想的独裁者。彼らと違った存在として宗教的独裁者を目指そうとした。政治的独裁者、思想的独裁者を目指したことはない<ref group="電">[
* ([[進化論]]は正しいか?)一部は正しいが全体的には間違いだ。サルと人間の中間の魂が存在するとは思えない
* (日本について)[[大和民族]]は[[釈迦族]]の末裔である可能性が高く選ばれた民だが
=== 宗教観 ===
* (麻原の[[教相判釈]])小乗を極めないことには大乗もない。[[北伝仏教]]は大乗偏重でよくない<ref>{{Cite book |和書 |author=麻原彰晃
* (ユダヤについて)[[ユダヤ人]]は天界、[[阿修羅]]界から人間界に落下してきた神々の系譜にあり、
* ([[ヤハウェ#エホバ|エホバ]]について)間違った名を用いて神を賛美するのは愚の骨頂だ
* (オウムについて)私は最後の救世主だ。オウム真理教以上の宗教は現れないだろう{{Sfn|NHKスペシャル取材班|2013|p=357}}。
=== マスメディア関連 ===
* 多くの著書を出し、
* [[衆議院議員総選挙|衆院選]]に出馬していた時、
* 日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー「[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!#
* [[タイム (雑誌)|タイム誌]]の1995年4月3日号において、カバーパーソンとなった<ref group="電">{{Cite web |url=http://www.time.com/time/covers/0,16641,19950403,00.html |title=TIME Magazine Cover: Shoko Asahara - Apr. 3, 1995 - Cults - Terrorism - Japan |publisher=タイム |accessdate=2013-07-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130714074524/http://www.time.com/time/covers/0,16641,19950403,00.html |archivedate=2013-07-14 |language=en}}</ref>。
* 『朝まで生テレビ』に出演した際、[[幸福の科学]]サイドの[[景山民夫]]が公園で犬の糞を拾うことこそ幸福の科学の教えの真髄であると30分間以上にわたって熱弁したことがあった。これに対して麻原は、のちに「犬のウンコであろうと人間のウンコであろうと、本当は自然に返って、それが肥料となって、例えば糞そのものも微生物の栄養分になるわけだから、還元してあげてもいいわけだよね」と語っている{{Sfn|麻原|1992b|pp=164;211}}。
* 1995年5月に[[TBSテレビ|TBS]]で放送された『[[JNN報道特集|報道特集]]』における[[オウム真理教]]のドキュメンタリーで、関係のないシーンで30分の1秒単位という知覚できない速度で、急に麻原の顔写真や[[キリスト教]]の[[裏切り]]者をあらわす[[イスカリオテのユダ]]の[[サブリミナル効果|サブリミナル]]カットが何度も放映された{{Sfn|東京キララ社|2003|pp=59-60}}。その後、TBSは[[郵政省]]による事情聴取ののち厳重注意を受けた{{Sfn|東京キララ社|2003|p=60}}。
* [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]、[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]が製作したアニメ『[[シティーハンター (アニメ)#シティーハンター3|シティーハンター3]]』第11話(1989年12月24日放送)の中で麻原の画像のカットが使用され{{Sfn|東京キララ社|2003|p=59}}、放送後に発覚したが、読売テレビへの処分はオウム事件が起きた1995年5月23日付で[[郵政省]]から「番組基準の遵守を問われるような放送を行い、社会問題を引き起こした」として[[行政指導]]を受けた<ref>{{Cite book |和書 |editor=鈴木秀美 |editor-link=鈴木秀美 (法学者) |editor2=山田健太 |editor3=砂川浩慶 |title=放送法を読みとく |date=2009-07 |publisher=商事法務 |isbn=9784785716646 |page=83}}</ref>。
* [[俳優]]の[[ピーター・ディンクレイジ]]が製作総指揮とナレーションを担当した[[Netflix]]のドキュメンタリー『カルト教祖になる方法』にて、[[チャールズ・マンソン]]、[[人民寺院]]の[[ジム・ジョーンズ]]、[[ヘヴンズ・ゲート (宗教団体)|ヘヴンズ・ゲイト]]の[[マーシャル・アップルホワイト]]や[[旧統一教会]]の[[文鮮明]]などと共に取り上げられた<ref>{{cite web|title=How to Become a Cult Leader’ Review: Smart Laughs and Missed Opportunities in Netflix’s Doc-Comedy Series|url=https://www.hollywoodreporter.com/tv/tv-reviews/how-to-become-a-cult-leader-netflix-series-peter-dinklage-1235545721/|website=Hollywood Reporter |access-date=2023-7-30 |author=Daniel Fienberg |date=2023-07-27 |language=en}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=カルト教祖になる方法|url=https://www.netflix.com/jp/title/81596972|website=Netflix|access-date=2023-7-30}}</ref>。
=== 女性関係 ===
*
* 女好きについては自覚があったようで「[[クリシュナ]]は[[シヴァ]]神の化身で、普段はぼうっとして女と戯れて遊んでばかりいるんだが、戦うときには相手を一気に殲滅するんだ。これはおれにそっくりだろう」と語っていた<ref group="判" name="wa141">[https://www.courts.go.jp/hanrei/5572/detail4/index.html 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所 刑事第7部][https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-5572.pdf 全文]</ref>。
* [[恐妻家]]であり「([[石井久子]]との)不倫がばれたら[[松本知子|知子]]に殺される」と怯えていた{{Sfn|上祐|2012|p=120}}。
=== 有名人 ===
* [[八代亜紀]]の家が近くにあったため遊んだこともあり、八代からは「チヅちゃん」と呼ばれていたという{{Sfn|毎日新聞社会部|1995|p=32}}。
* [[秋吉久美子]]<ref group="電" name="buzzfeed20180707"/>{{Sfn|東京キララ社|2003|p=8}}、[[あべ静江]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=12}}、[[西城秀樹]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=55}}のファンだった。また、前世では[[宮沢りえ]]と夫婦だったとも語った。
=== 嗜好 ===
* 実家は貧しかったが、父が旧[[金剛村]]で最初にテレビを購入しており、子供のころ、そのテレビで『[[あんみつ姫]]』([[1958年]]放送)や『[[8マン]]』([[1963年]]〜[[1964年]]放送)をよく観ていたという{{Sfn|高山|2006|p=19}}。後に『[[未来少年コナン]]』、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』、『[[機動戦士ガンダム]]』などから用語を拝借し説法のネタにした{{Sfn|青沼|2007|p=215}}。また、『[[伝説巨神イデオン]]』はオウムに似ている、『[[地球へ…]]』のキャラであるジョミー・マーキス・シンは自分と似ているなどと話していた。『宇宙戦艦ヤマト』主題歌の[[替え歌]]を歌ったこともある<ref name="k" group="電">[
* 幼少期は女の子と[[おままごと]]、小等部では[[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]ごっこ、中等部では[[プロレス]]ごっこをやっていた<ref name="znkrk">{{Harvnb|朝日新聞出版|2012|p=12}}</ref>。
* 専攻科時代、運動会の応援団長を務めることになった松本は、運動会当日[[モヒカン刈り|モヒカン頭]]の出立ちで現れ周囲を驚かせた{{Sfn|高山|2006|pp=47-48}}。
* よく盲学校の劇の脚本・主演を担当、18歳のときには女の子を襲うチンピラを倒す[[正義の味方]]を演じた。脚本は上手な
* このままでは来世は[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]のピッチャーになることになっていたが、修行が進んだ結果回避されたという{{Sfn|東京キララ社|2003|p=44}}<ref name="choetsu2" />。実際に野球に関連する不規則発言も見られた。また56億年後には[[弥勒菩薩]]となる魂であると自称した<ref name="hykw120">{{Cite book |和書 |author=早川紀代秀 |authorlink=早川紀代秀 |author2=川村邦光 |author2-link=川村邦光 |title=私にとってオウムとは何だったのか |date=2005-03 |publisher=[[ポプラ社]] |isbn=4591086003 |page=120}}</ref>。
* 1995年3月22日の[[捜査#強制捜査と任意捜査|強制捜査]]後に公開された手記の中で「[[マハーポーシャ]]ブランドの[[コンピュータ|コンピューター]]は個人ユーザーの間では1、2を争う売り上げをなしている」とし、コンピューター雑誌『DOS/V FAN』の創刊号アンケートで3位になったことを根拠に「[[IBM]]に次ぐ大企業に発展」としていた<ref name="takarajima30">『宝島30』1995年5月号、[[宝島社]]{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>。
* 麻原の本棚には『[[我が闘争]]』があった{{Sfn|高山|2006|p=124}}。また、ヒトラー生存説や[[ハルマゲドン]]を書いた『滅亡のシナリオ』([[川尻徹]]作)のファンであった{{Sfn|大田|2011|p=204}}。
* [[血液型性格分類]]に興味を持っていた{{Sfn|毎日新聞社会部|2001|p=118}}。
* オウム時代の愛車は黒色の[[防弾車|防弾仕様]]の[[メルセデス・ベンツ]]。麻原は目が悪いこともあり[[杉本繁郎]]ら運転手が運転していた。1993年頃、[[PSI (オウム真理教)|PSI]]で儲けた金で[[ロールス・ロイス]]も購入した{{Sfn|降幡|2000a|p=87}}。このほか、[[トヨタ・チェイサー]]を頑丈な車だと褒めている<ref group="電" name="choweb"/>。また、[[中古車]]は嫌い{{sfn|田村|1996|p=80}}。
* スピード狂で度々速度違反を指示した。麻原のベンツの性能に[[日本車]]に乗った信者たちがついていけないこともあった{{sfn|田村|1996|p=81}}。[[高速道路]]で渋滞になるとしばしば違反である[[路側帯]]走行を指示した<ref name="hu7-184" />。
* 第6[[サティアン]]1階に自宅があった。麻原の部屋はわりと狭い(風呂場と同じサイズ){{Sfn|降幡|1998c|p=127}}。
* [[そろばん]]が得意{{Sfn|毎日新聞社会部|1995|p=32}}。
* 麻原の実家近くには金剛小学校があり、隣には[[坂本村 (熊本県)|坂本村]](現在は八代市に編入されて同市坂本町)があった。[[滝本太郎]]は、これが[[金剛乗]](ヴァジラヤーナ)への傾倒と[[坂本弁護士一家殺害事件]]に関係するのかもしれないと見ている<ref group="電">滝本太郎ブログ [http://sky.ap.teacup.com/takitaro/333.html 備忘録-黄泉の犬]〈2018年2月4日閲覧〉</ref>。
* [[毒ガス]]に心酔していた麻原だが、一方で[[キンチョール]]のCMは殺生を奨励していると批判していた
* 時期によって服の色が異なる。初期は「[[小乗|ヒナヤーナ]]」を表すオレンジ色の服、真理党出馬の前後は「[[大乗仏教|マハーヤーナ]]」を表す白色の服、その後一時期は「純粋な帰依」を表す青紫色の服、末期は「最高の色」である赤紫の服を着ていた<ref>{{Cite book |和書 |author=森達也 |authorlink=森達也 |author2=深山織枝 |author3=早坂武禮 |title=A4または麻原・オウムへの新たな視点 |date=2017-11 |publisher=[[現代書館]] |isbn=9784768458211 |page=109}}</ref>。
* ヒゲを伸ばし放題にした独特な風貌をしていた(選挙付近までは髭を剃った風貌の画像も使われた)。[[三重県]]で活動していたある芸術家グループが、ヒゲもじゃだらけだったことからオウムと疑われ、警察が出動したという[[風評被害]]もあった(芸術家ということでヒゲもじゃが多かった)<ref>「オウムで迷惑」 読売新聞(中部) 1995年6月27日</ref>。
=== 食べ物、動物 ===
* [[メロン]]{{Sfn|東京キララ社|2003|p=132}}<ref name="hu8-117">{{Harvnb|降幡|2002a|p=117}}</ref>、[[寿司]]{{Sfn|高山|2006|p=67}}、[[今川焼き]]<ref name="hu8-117" />、[[ラーメン|豚骨ラーメン]]<ref name="post10">『[[週刊ポスト]]』2000年3月10日号{{要ページ番号|date=2025年3月}}</ref>、[[長浜ラーメン]]{{Sfn|門田|p=192}}、[[魚介類]]{{Sfn|藤原|2006|p=73}}、[[砂糖]]の入っていない[[ミルクティー]]{{sfn|田村|1996|p=16}}、[[エビフライ]]{{sfn|田村|1996|p=16}}が好物とされる。
: 麻原メロン好き説は広く知られた。四日間の断水断食から帰った[[井上嘉浩]]の目の前でメロンを何個も食べていたこともあった{{Sfn|門田|p=221}}。サティアン近辺で信者が熊本県産高級メロンをまとめ買いしていたとの情報もある<ref>「麻原氏用?高級メロンまとめ買い」 東京新聞 1995年5月7日</ref>。だが麻原は取り調べでメロンだけでなく果物全般が好きと供述しており<ref name="me"/>、[[安田好弘]]弁護士に対しても「メロンなんかここ2、3年間食べたことがない。好物は[[バナナ]]なのに」と言った。安田は「バナナでは安くてだめなんでしょうね、弟子に粗食を強いて自分だけ贅沢していたという検察側のシナリオの下では」と語る<ref group="電" name="aera" />。
* 夕食の時間に知子が戻らなかった時には麻原は、[[インスタントラーメン]]を作ろうとし湯を煮詰めて[[鍋]]を焦がしたことがあり、それ以降は長女にラーメン作りを依頼するようになる。ある知人はヨガ行者は粗食ばかりと思っていたら、麻原がインスタントラーメンを食べているのを見て驚いたという{{Sfn|毎日新聞社会部|1995|p=51}}。
* 信者には肉食や[[アイスクリーム|アイス]]を禁じていたが、[[ファミリーレストラン|ファミレス]]で[[焼き肉]]重、まぐろ丼、いくら丼、オニオンスープ、[[味噌汁]]二杯、アイスなどを勢いよく食べていたこともあった{{Sfn|降幡|1998a|p=23}}。一時期ファミレス中毒になり連日通っていた{{Sfn|松本|2010|p=77}}。捜査で第6サティアンから[[牛肉]]と[[エビ]]が発見されたが、取り調べで肉食については断固否定した<ref name="me">「オウム真理教麻原容疑者『メロン以外の果物も好き』」毎日新聞 1995年5月21日</ref>。
* インドツアー前の食事で、カレーではなくラーメンを食べた信者に怒り、インドでも怒っていた。麻原曰く「カレーを食べているのはいいが、ラーメンを食べた者は煩悩的だ」とのこと{{Sfn|降幡|2000a|p=55}}。
* [[早川紀代秀]]は検事から、麻原が留置場でセルフポア(自殺)をしようとしていたが、食事の[[カレーライス]]を見て食欲がわいてきたので中止したとの話を聞かされた。早川は「自分をポアできないのが、なんで他人をポアできるか」と苦悩した{{Sfn|降幡|2003a|p=62}}。
* オス猫の「マース君」とメス猫の「サニー君」を飼っていた。麻原曰くマース君は死後、阿修羅界に転生したという{{Sfn|東京キララ社|2003|p=120}}。またオウムには動物の入信制度があり、捨て猫の「キタロウ」「ミンミン」などがオウムの一員となっていた。いろいろ持ってこられるので「オウムは動物園じゃないぞ」と怒ってもいたが、気がつくと飼っていたという<ref>松本知子『転換人生』 p.52, 110</ref>。
* アヒルのおもちゃと一緒に風呂に入るのが趣味{{Sfn|高山|2006|p=168}}。
=== 逮捕後 ===
* オウム信者による奪還計画が噂されたが、「[[東京拘置所]]はコンクリートが厚く最高の洞窟であり瞑想場」として奪還計画を否定している<ref group="電">[
* [[東京拘置所]]そばの建造物(高速道路の柱)から超望遠レンズを付けたカメラにより、[[車椅子]]に乗った麻原の姿が撮影され、1996年(平成8年)4月25日号の週刊文春に掲載されている<ref group="電">{{cite
* 1998年2月に39.8度の熱を出し、不規則発言も減るほど元気が無くなっていた。点滴は受けたが[[レントゲン]]や採血は拒否した{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|p=290}}。
=== 奇行 ===
==== 裁判中の奇行 ====
*
* 他の証人が証言している最中に割り込んだり、ツッコミを入れたり、つぶやいたり、突然大声を発することがあった<ref>{{cite news|title=[オウム裁判]松本智津夫被告・第35回公判 「教祖の法廷」全記録(その2止)|date=1997-04-26|page=17|newspaper=毎日新聞 東京朝刊|publisher=毎日新聞社}}</ref>。[[阿部文洋]]裁判長は「私もね、たくさん裁判をやってきたけど、あなたのようにね、静かにできない被告人はいないよ」と語り、法廷は笑いに包まれた
* 「アイ
* [[痔]]を患っていたためか裁判中よく揺れていた{{Sfn|毎日新聞社会部|2000|p=112}}。
* 傍聴席を向き人差し指で空中に「無」「罪」と書いてみせるパフォーマンスもあった{{Sfn|毎日新聞社会部|1999|p=119}}。
* 意味不明な発言。
** 「今の名前はない。[[ブラックホール]]を背負っている<ref>{{cite news|title=[オウム裁判]松本智津夫被告・第34回公判 「教祖の法廷」全記録(その3止)|publisher=毎日新聞社|newspaper=毎日新聞
** 「このような話を本日、[[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]のような[[原子力空母|原子力艦空母]]の上で行なうのは、うれしいというか悲しいというか、複雑な気分であります<ref group="電" name="enter">{{cite web|title= 麻原彰晃こと松本智津夫被告の罪状認否 97年4月24日|publisher=[[カナリヤの会]]|url=http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/10-7.html|accessdate=2013-07-05}}</ref>」
** 「エンタープライズで裁判があるわけないだろ<ref group="電" name="enter" />」
** 「ここをゼロとして、X軸とY軸が…{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|p=184}}」
** 「
** 「[[上祐史浩]]がそこで遊んでいるのか!?{{Sfn|青沼|2007|p=116}}」
** 「いま、ここにいるのが麻原彰晃です{{Sfn|青沼|2007|p=143}}」
** 「体がバラバラだから、しっかり寝るしかない{{Sfn|降幡|2002c|p=115}}」
* 事実と異なる発言。
** 「
** 「うー、無罪なんだよ{{Sfn|江川|2000|p=318}}」
** 「阿部文洋裁判長が1996年11月15日に、釈放と言っております。アメリカでチェックされています{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|p=229}}」
** 「麻原彰晃は必ず暗殺されて97年4月の公判廷で意見陳述ができなくなってしまいます <ref group="電">オウム事件真相究明の会 [http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/05/20/post-97/ 裁判所側依頼の鑑定書要旨(西山詮鑑定)]</ref>」
** 「[[第三次世界大戦]]は終わっていますから<ref group="電" name="enter" />」
** 「(妻の)おじいちゃんが[[文鮮明]]氏なんですよ。[[統一教会]]の。いいですか、細川(徳川)、[[天皇]]家、そして[[統一教会]]、そしてオウム真理教が動いてですよ、[[真理党|千数百票になること]]はないでしょう{{sfn|青沼|2007|p=337}}{{Sfn|降幡|2002c|p=101}}」
** 「日本の特別な法律がありまして、奥さんは一人じゃなくてもいい{{Sfn|青沼|2007|p=354}}」
** 「地下鉄サリンで死ぬことはないわけで、どうもわからない{{Sfn|降幡|2002c|p=198}}」
* [[遠藤誠一]]への拘り。
** 「たぶん[[遠藤誠一]]君が、オウム真理教、それから日本を統治したかったのかもしれない。私の奥さんも巻き込まれた。90年か89年か、入ってきたときから変だった{{Sfn|降幡|2002c|p=127}}」
** 「遠藤誠一君の、[[大腸菌]]を増殖した、高級な大腸菌が撒かれた{{Sfn|降幡|2002c|p=126}}」
** 「私は遠藤誠一に殺された者です{{Sfn|降幡|2004|p=18}}」
* 勝手に死亡宣告。
** 「[[朝まで生テレビ!]]でテレビ中毒になりまして、保釈書を書いた裁判官が3人殺されまして、身元引受人は[[中沢新一]]{{Sfn|青沼|2007|p=145}}」
** 「
** 「[[豊田亨]]被告人であった人ですね、今は、[[中華人民共和国]]の[[太平洋]]側に生まれ変わっています{{Sfn|降幡|2002c|p=178}}」
** 「[[杉本繁郎]]は亡くなっています。間違いありません{{Sfn|降幡|2002c|p=179}}」
* [[被害妄想]]。
** 「幻覚剤を使っての裁判はやめていただきたい{{Sfn|青沼|2007|p=87}}」
** 「私を精神病院に入れるためにやってるんだな。超音波を使って。私の体をレーザーで焼いて。こういう洗脳、でたらめのことはやめて欲しい。拘置所に帰ったら電撃で一発で殺してほしい{{Sfn|降幡|1998d|p=238}}」
* 宣誓を拒む、暴言を吐くなどして何度か退廷させられた<ref name="taitei"/>。
** 「ここは裁判所なんかじゃない、劇場だ<ref name="hu13-655"/>」
** 「退廷させて死刑場につれていくのはオーケーだ<ref name="hu13-655"/>」
** 「射殺したければ射殺すればいい<ref name="hu13-655"/>」
** 「坂本堤が言ったことが異常だ{{Sfn|毎日新聞社会部|1998|p=263}}」
* 2000年4月4日の第153回公判で弁護士滝本太郎が証人として出廷した際には、滝本に対し「バカ」「出て行け」と怒鳴ったり、刑務官に八つ当たりして殴りかかるなどした{{Sfn|降幡|2003b|p=33}}。
** 「憲法違反だ<ref name="vi86"/>」
** 「いろんなところに息子をつくってどうする。自害しろ<ref name="vi86">{{Harvnb|毎日新聞社会部|2001|pp=85-86}}</ref>」
** 「こいつは[[坂本堤]]の母親だぞ<ref name="vi86"/>」
** 「([[阿部文洋]]裁判長に)私は父だぞ。お前たちの<ref name="vi86"/>」
* 次第に法廷で居眠りなどをするようになり、審理に関心を示さなくなった<ref>{{cite news|title=麻原被告公判、きょうで丸3年 長期化避けられず 松本サリンで遠藤被告「麻原被告が指示」|newspaper=中日新聞|language=ja|edition=朝刊|page=33|date=1999-04-24|publisher=中日新聞社}}</ref>。
* [[森達也]]はある司法記者から、しばしば午前と午後で松本のズボンが替わっており、[[失禁]]しているらしいと伝え聞いた{{sfn|森|2012|p=16}}。
==== 拘置所での奇行 ====
*
* 拘置所の看守や接見した弁護士に対しても不規則発言をしていた。さらに、弁護士との接見もしだいに「くだらない」「釈放されているからいかない」などとして拒否するようになった<ref name="han160">判例タイムズ1232号 p.160</ref>。[[2000年]]頃から拘置所内でも会話不能になる<ref group="電" name="nanzan"/>。
** 「声が聞こえている」<ref name="han158"/>
** 「死刑廃止を」<ref name="han158"/>
** 「絞首場へ行かせてくれ」<ref name="han158"/>
** 「[[ヘロイン]]中毒の検査をしてください。そういう感じがする」<ref name="han158">判例タイムズ1232号 p.158</ref>
** 「ヘロインで手足が硬直し―」<ref name="han166">判例タイムズ1232号 p.166</ref>
** 「私は気が狂うかもしれない。夢の中で変なものが見えるし、聞こえたりする」<ref name="han166"/>
** 「[[松本麗華|アーチャリー]]はどこにいる」<ref name="han166"/>
** 「ここは拘置所ではない。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]です。わたしはここに拉致されて監禁されている」<ref name="han160"/>
** 「80日間グルグル回されて精神病になっている」<ref name="han160"/>
** 「心臓が止まっています。止まっても生きているんです」<ref group="電" name="nanzan"/>
** 「[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]の優勝投手だ」<ref group="電" name="nanzan"/>
** 「[[大リーグボール]]3号だ」<ref group="電" name="nanzan"/>
* 最終的に言葉らしい言葉を話さなくなった。以下は医師と面接した際のもの。
** 「あ、あ、あ」<ref name="han171">判例タイムズ1232号 p.171</ref>
** 「い、い」<ref name="han171"/>
** 「うーうー」<ref name="han171"/>
** 「うーん」<ref name="han171"/>
** 「うふふ」<ref name="han171"/>
** 「うるせい」<ref name="han171" />
** 「うん、うん」<ref name="han171"/>
** 「おう」<ref name="han171"/>
** 「そやな」<ref name="han171"/>
* 一審で死刑判決を受けたとき独房で「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだ<ref group="電" name="nanzan"/>。このことは裁判所による控訴棄却決定要旨にも記述されている。[[精神鑑定]]で正常と判断された根拠の1つに、腕を捻って「痛い!」と言ったことが挙げられる<ref group="注">ただし、麻原以外の精神障害者でもこのようなことをされれば痛みを訴えることはある。</ref>。
* 朝になると「[[尊師マーチ|ショーコーショーコー!]]」と叫んでいた{{Sfn|森|2012|p=261}}。
* 獄中で糞尿を垂れ流すため、40代半ば頃から[[おむつ]]を使用していると報じられている。風呂にも自力で入れない為、看守らに洗われるわけであるが、体に付着した[[糞|大便]]のせいで風呂場は汚物まみれの極めて不衛生な状態となるまでとのこと。掃除の際は飛び散った大便を[[ブーツ|長靴]]で踏んで排水口に流せるほど細かくして流し、[[クレンザー]]と[[クレゾール]]で殺菌するという{{Sfn|麻原控訴審弁護人|2006|p={{要ページ番号|date=2025年3月}}}}。
* 控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに[[陰茎]]を露出させて[[自慰行為]]をおこない、[[射精]]に至ったという{{Sfn|麻原控訴審弁護人|2006|p=101}}。自分の娘たちとの接見でも自慰行為を行ったことがあった<ref>「独占手記『麻原彰晃四女』獄中の父が『詐病』と悟った瞬間」『週刊新潮』2008年2月7日号</ref>。2005年8月、3人の娘と面会の際には麻原は忙しなく動かしていた手を止めると、スウェットパンツの中から性器を取り出すと自慰行為を始めた。3人の娘たちが沈黙している不自然な空気を感じ取った看守が気付き「やめなさい!」と看守が制止したものの、3回ほど繰り返した。3人の娘たちは絶句したまま呆然と父の自慰を見つめたまま接見時間の30分が過ぎた<ref name="watashiha naze"/>。
* 独房での生活について、東京拘置所の関係者は、HIV感染者や覚醒剤中毒者などがいる病舎の、看守も勝手に近付けない隔離独房で糞まみれになっていて、「独房でおむつの中に糞尿をたれ流したり、接見室でマスターベーションをしたりと、廃人同然の有様です」と語った<ref group="電">[https://www.asagei.com/excerpt/3619 麻原彰晃「6月死刑執行」の戦慄現場!(2)独房で糞尿を垂れ流して・・・](Asagei+)</ref><ref group="電">[https://www.dailyshincho.jp/article/2018/03280800/?all=1&page=3 「ただ為されるがままに生きている」東京拘置所での麻原彰晃の姿] デイリー新潮(「週刊新潮」2018年3月29日号 掲載分)</ref>。
== 著書 ==
麻原彰晃名義のみ記載。この他、オウムの書籍には実質的に麻原の説法集であるものも多い。
* 超能力「秘密の開発法」―すべてが思いのままになる! - 1986年([[大和書房|大和出版]])
* 生死を超える ―絶対幸福の鍵を解く - 1986年
* 超能力「秘密のカリキュラム」健康編 ―癌・エイズだって怖くない!! - 1987年
* イニシエーション - 1987年
* マハーヤーナ・スートラ ―大乗ヨーガ経典 - 1988年
* 滅亡の日 ―麻原彰晃「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ - 1989年
* 滅亡から虚空へ ―続・滅亡の日 麻原彰晃の「黙示録大預言」完全解読 - 1989年
* 原始仏典講義1 - 1990年
* マハーヤーナ・スートラ PART2 - 1991年
* 創世記 - 1991年
* 人類滅亡の真実 - 1991年
* 真実の仏陀の教えはこうだ! ―幸福の科学の会員よ聞きなさい! - 1991年
* 百問百答 - 1991年
* ノストラダムス秘密の大予言 ―1999年の謎 - 1991年
* 麻原彰晃のズバリ!浮揚―28人の決定的瞬間が証明する現代の神秘! - 1991年
* 麻原彰晃のザ・サマディ―現代に甦ったいにしえの聖者の奇跡! - 1991年
* タダーガタ・アビダンマ 第1誦品~第4誦品 - 1991年・1992年
* キリスト宣言 PART1〜4 - 1991年~1993年
* 古代エジプトの秘儀を解く ―甦るクンダリニー・ヨーガ文明 - 1992年
* 色別恋人判定法 ―ズバリ明かす! バルドーの秘密 -1992年
* シンセ音楽を楽しもう ―最聖麻原彰晃尊師のベスト26 - 1992年
* もりもり智慧のわく書 ―故事成語がズバリわかる!1〜6 - 1992〜1993年
* 根源仏典シリーズ(1・3・5・11・12) - 1993年
* ボーディサットヴァ・スートラ ―完全他力本願の道を説く -1994年
* 日出づる国、災い近し ―麻原彰晃、戦慄の予言 - 1995年
* 亡国日本の悲しみ ―迷妄の魂よ、大悪業の恐怖を知れ - 1995年
== 麻原を演じた人物 ==
* [[青沼陽一郎]] - [[フジテレビ]]「[[ザ・ノンフィクション]] 虚像の神様」(声のみ)
* [[和田洋一 (俳優)|和田洋一]] - 映画「[[地獄 (1999年の映画)|地獄]]」(麻原とよく似た「瘡原」役)
* [[古川悦史]] - NHK「[[未解決事件 (テレビ番組)|未解決事件]]」
* [[植木紀世彦]] - [[日本テレビ]] 「THE重大事件 vol.2 土谷正実 サリンを造った男」
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"|2}}
=== 出典 ===
==== 判決文 ====
{{Reflist|group="判"|2}}
==== オンライン ====
{{Reflist|group="電"|2}}
==== 印刷物 ====
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=毎日新聞社会部|authorlink=毎日新聞|title=冥い祈り―麻原彰晃と使徒たち|publisher=[[毎日新聞社]]|date=1995-9|isbn= 978-4620310749|ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|1995}} }}
* {{Cite book|和書|author=田村智 |author2=小松賢寿|title=麻原おっさん地獄|publisher=[[朝日新聞社]]|date=1996-1|isbn= 978-4023302167|ref={{SfnRef|田村|1996}} }}
* {{Cite book|和書|author=東京キララ社編集部|title=オウム真理教大辞典|publisher=[[三一書房]]|date=2003-11|isbn= 978-4380032097|ref={{SfnRef|東京キララ社|2003}} }}
* {{Cite book|和書|author=高山文彦|authorlink=高山文彦 (作家)|title=麻原彰晃の誕生|publisher=[[文藝春秋]] |series=[[文春新書]]|date=2006-2|isbn=978-4166604920|ref={{SfnRef|高山|2006}} }}
* {{Cite book|和書|author=青沼陽一郎|authorlink=青沼陽一郎|title=オウム裁判傍笑記|publisher=[[小学館]]|date=2007-7|isbn= 978-4094026979|ref={{SfnRef|青沼|2007}} }}
* {{Cite book|和書|author=森達也|authorlink=森達也|title=A3 |volume=上|publisher=[[集英社]] |series=[[集英社文庫]] |date=2012-12|isbn=978-4-08-745015-6|ref={{SfnRef|森|2012}} }}
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* {{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=超越神力 |publisher=オウム}}
** {{Cite book |和書 |date=1991-10 |volume=part 2 |isbn=4900497762 |ref={{SfnRef|麻原|1991}}}}
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* {{Cite book |和書 |editor=NCC宗教研究所 |editor2=富坂キリスト教センター |title=あなたはどんな修行をしたのですか? : オウムからの問い、オウムへの問い |date=2004-02 |publisher=[[新教出版社]] |isbn=4400427544 |ref={{SfnRef|NCC宗教研究所|富坂キリスト教センター|2004}}}}
* {{Cite book |和書 |author=松本麗華 |authorlink=松本麗華 |title=止まった時計 : 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記 |date=2015-03 |publisher=[[講談社]] |isbn=9784062194808 |ref={{SfnRef|松本|2015}}}}
* {{Cite book |和書 |author=鈴木伸元 |title=加害者家族 |date=2010-11 |publisher=[[幻冬舎]] |series=[[幻冬舎新書]] ; 193 |isbn=9784344981942 |ref={{SfnRef|鈴木|2010}}}}
* {{Cite book |和書 |author=降幡賢一 |authorlink=降幡賢一 |title=オウム法廷 |publisher=[[朝日新聞社]] |series=[[朝日文庫]]}}
** {{Cite book |和書 |date=1998-03 |volume=グルのしもべたち 上 |isbn=4022612231 |ref={{SfnRef|降幡|1998a}}}}
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* {{Cite book |和書 |author=藤原新也 |authorlink=藤原新也 |title=[[黄泉の犬]] |date=2006-10 |publisher=[[文藝春秋]] |isbn=4163685308 |ref={{SfnRef|藤原|2006}}}}
* {{Cite book |和書 |author=松本聡香 |authorlink=松本聡香 |title=私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか |date=2010-04 |publisher=[[徳間書店]] |isbn=9784198627539 |ref={{SfnRef|松本|2010}}}}
* {{Cite book |和書 |editor=麻原控訴審弁護人 |title=獄中で見た麻原彰晃 |date=2006-02 |publisher=[[インパクト出版会]] |isbn=4755401623 |ref={{SfnRef|麻原控訴審弁護人|2006}}}}
* [[毎日新聞社|毎日新聞社会部]] 編、[[現代書館]]〈オウム「教祖」法廷全記録〉。{{CRID|1130282269857754240}}
** 1{{Cite book |和書 |title=恩讐の師弟対決 |date=1997-05 |isbn=4768470017 |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|1997a}}}}
** 2{{Cite book |和書 |title=私は無罪だ!! |date=1997-07 |isbn=4768470025 |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|1997b}}}}
** 3{{Cite book |和書 |title=元愛弟子(治療省大臣)への無期判決 |date=1998-06 |isbn=4768470033 |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|1998}}}}
** 4{{Cite book |和書 |title=元信者への死刑判決 |date=1999-04 |isbn=4768470041 |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|1999}}}}
** 5{{Cite book |和書 |title=「新法」成立で揺れる教団 |date=2000-02 |isbn=476847005X |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|2000}}}}
** 6{{Cite book |和書 |title=名称変更で存続を図る |date=2001-05 |isbn=4768470068 |ref={{SfnRef|毎日新聞社会部|2001}}}}
* {{Cite journal |和書 |date=2012-07 |journal=週刊朝日 |volume=117 |issue=第31号(通号5141): 増刊7月15日号: 「オウム全記録」ー彼らの暴走は本当に終わったのか |publisher=[[朝日新聞出版]] |id={{NDLBibID|000000010717-i5400190}} |ref={{SfnRef|朝日新聞出版|2012}}}}
* {{Cite book |和書 |author=有田芳生 |authorlink=有田芳生 |author2=女性自身「シリーズ人間」取材班 |author2-link=女性自身 |title=「あの子」がオウムに! |date=1995-08 |publisher=[[光文社]] |isbn=4334971075 |ref={{SfnRef|有田|女性自身|1995}}}}
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* {{Cite book |和書 |author=江川紹子 |authorlink=江川紹子 |title=「オウム真理教」追跡2200日 |date=1995-07 |publisher=[[文芸春秋]] |isbn=4163505806 |ref={{SfnRef|江川|1995}}}}
* {{Cite book |和書 |author=上祐史浩 著 |authorlink=上祐史浩 |author2=有田芳生 検証 |author2-link=有田芳生 |title=オウム事件 17年目の告白 |date=2012-12 |publisher=[[扶桑社]] |isbn=9784594067496 |ref={{SfnRef|上祐|2012}}}}
* {{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=自己を超えて神となれ! |date=1992-02 |publisher=オウム |series=麻原彰晃の世界 part 11 |isbn=4871420140 |ref={{SfnRef|麻原|1992b}}}}
* {{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=滅亡から虚空へ |date=1989-05 |publisher=オウム |isbn=4900497282 |ref={{SfnRef|麻原|1989}}}}
* {{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 述 |title=尊師に聞く! |date=1992-12 |publisher=オウム |volume=2 (人生開拓編) |isbn=4871420604 |ref={{SfnRef|麻原|1992c}}}}
* {{Cite book |和書 |author=麻原彰晃 |title=日出づる国、災い近し : 麻原彰晃、戦慄の予言 |date=1995-04 |publisher=オウム |isbn=4871421090 |ref={{SfnRef|麻原|1995}}}}
* {{Cite book |和書 |author=大田俊寛 |authorlink=大田俊寛 |title=オウム真理教の精神史 |date=2011-03 |publisher=[[春秋社]] |isbn=9784393323311 |ref={{SfnRef|大田|2011}}}}
* {{Cite web |url=http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/IMG2.pdf |title=オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 |accessdate=2025-03-23 |author=広瀬健一 |authorlink=広瀬健一 |date=2008-06-25 |format=PDF |website=真宗大谷派 円光寺 |language=ja |ref={{SfnRef|広瀬|2019}}}}
== 参照文献 ==
=== 刑事裁判の判決文・決定文 ===
*
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
; 『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28095463
: 【著名事件名】オウム真理教代表者に対する地下鉄サリン事件等第一審判決
: 【事案の概要】オウム真理教の代表者である被告人に対し、弁護士一家殺人事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等の13の事件について、いずれも教団幹部らとの共謀の事実を認定して有罪とし、罪質、犯行の回数・規模、その動機・目的、経緯、態様、結果の重大性、社会に与えた影響、被害感情等からすると、本件一連の犯行の淵源であり首謀者である被告人の刑事責任は極めて重大であり、被告人のために酌むべき一切の事情をできる限り考慮し、かつ、極刑の選択に当たっては最大限慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても、被告人に対しては死刑をもって臨む以外に途はないとして、死刑を言い渡した事例。
: 【判示事項】(『判例タイムズ』)オウム真理教代表者の被告人に対し、弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等13の事件について、教団幹部らとの共謀を認めて有罪とし、死刑を言い渡した事例。
:* [[裁判官]]:[[小川正持]]([[裁判長]])・[[伊名波宏仁]]・[[浅香竜太]]
:* 判決内容:死刑(求刑:同)
</div>
* {{Cite 判例検索システム
|事件番号=平成18年(し)第202号
|裁判形式=決定
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|判示事項=被告人の訴訟能力を肯定し,控訴趣意書の提出の遅延につき刑訴規則238条にいう「やむを得ない事情」がないなどとされた事例(いわゆるオウム真理教教祖事件)
|参照法条=刑訴法314条1項,刑訴法386条1項1号,刑訴規則238条
|url=
}}
** [[最高裁判所裁判官]]:[[堀籠幸男]]([[裁判長]])・[[上田豊三]]・[[藤田宙靖]]・[[那須弘平]]
** 決定内容:特別抗告棄却(控訴棄却決定支持・死刑判決確定)
* [[オウム真理教]]
* [[オウム真理教事件]]
* [[オウム真理教の年表]]
* [[オウム真理教の歴史]]
* [[地下鉄サリン事件]]
* [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]
== 外部リンク ==
{{Wikisource|オウム真理教事件・麻原彰晃に対する判決文|麻原彰晃に対する地裁判決}}
* [https://www.asahara-kousoshin.info/ 麻原裁判 控訴審弁護人]
* [https://web.archive.org/web/20011005024516/http://www.asahi.com/paper/aum/index2.html 松本被告の公判一覧]
* [https://ameblo.jp/shomuken/entry-12443463742.html 1990年衆議院議員選挙東京4区選挙公報・麻原彰晃(松本智津夫、真理党)]
{{オウム真理教}}
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[[Category:きゆう師]]
[[Category:日本の宗教家]]
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[[Category:日本の
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