「京福電気鉄道越前本線列車衝突事故」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2010年11月}}
|出典の明記=2010年11月
<!--工事中タグでの対処を再来月中までに予定してましてお知らせします。資料は九州の大学に至るまで多岐に渡りますので中立の観点から福井新聞を主とします。自身の技術不足もあり先月地元の件で対処頂いた方への協力依頼も検討しています。2012年11月26日-->
|参照方法=2021年1月
'''京福電気鉄道越前本線列車衝突事故'''(けいふくでんきてつどう えちぜんほんせん れっしゃしょうとつじこ)は、[[2000年]](平成12年)12月と[[2001年]](平成13年)6月に2回立て続けに発生した、[[京福電気鉄道]]越前本線(現・[[えちぜん鉄道]][[えちぜん鉄道勝山永平寺線|勝山永平寺線]])の[[列車衝突事故]]である。
}}
'''京福電気鉄道越前本線列車衝突事故'''(けいふくでんきてつどう えちぜんほんせん れっしゃしょうとつじこ)は、[[2000年]](平成12年)12月と[[2001年]](平成13年)6月と半年間で二度にわたって発生した、[[京福電気鉄道]]越前本線(現・[[えちぜん鉄道勝山永平寺線]])の[[列車衝突事故]]である。
 
同社が[[福井県]]内で[[鉄道路線]]を運行していた福井鉄道部が廃止され、[[第三セクター鉄道]]として発足した[[えちぜん鉄道]]に移管される原因となった重大事故である。この事故を受け、[[国土交通省]]は[[2002年]](平成14年)、中小[[鉄道事業者]]に対し[[補助金]]を交付して[[自動列車停止装置]] (ATS) の整備を指示した。
 
== 2000年12月17日の事故(松岡町・東古市駅付近:現永平寺町・志比堺-永平寺口間) ==
{{Infobox 鉄道事故
|image = Keifuku RW Type Mc251 & Mc1001 Fukui,JAPAN.jpg
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|damage =
}}
{{節スタブ}}
2000年(平成12年)[[12月17日]]13時30分ごろ、[[京福電気鉄道永平寺線]]の[[永平寺駅|永平寺]]発東古市(現在の[[永平寺口駅]])行き上り列車([[京福電気鉄道ホデハ251形電車|モハ251形]]251・1両編成)がブレーキ破損により分岐駅である終点の東古市駅に停車できず[[冒進]]し、越前本線の福井方面に[[分岐器]]を割り込んで進入、越前本線の[[福井駅 (福井県)|福井]]発[[勝山駅|勝山]]行き下り列車([[阪神5101・5201形電車|モハ1101形]]1101・1両編成)と正面衝突し、上り列車の運転士1名が死亡、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った<ref>{{Cite news |title=志比堺-東古市間で列車衝突事故 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2000-12-19 |page=3 }}</ref>。
2000年(平成12年)[[12月17日]]13時30分ごろ、[[京福電気鉄道永平寺線]]の[[永平寺駅|永平寺]]発東古市(現・[[永平寺口駅|永平寺口]])行きの上り列車([[京福電気鉄道ホデハ251形電車|モハ251形]]251・1両編成)が、ブレーキロッドの破断により分岐駅である終点の東古市駅に停車できず[[冒進]]、越前本線の福井方面に[[分岐器]]を割り込んで進入し、対向してきた越前本線の[[福井駅 (福井県)|福井]]発[[勝山駅|勝山]]行き下り列車([[阪神5101形・5201形電車|モハ1101形]]1101・1両編成)と正面衝突した<ref name ="mainichi20001217"/>。この事故で上り列車の運転士(当時57歳)が死亡し、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った<ref>{{Cite news |和書|title=志比堺-東古市間で列車衝突事故 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2000-12-19 |page=3 }}</ref><ref name ="mainichi20001217">{{Cite news|和書|title=京福電車衝突:運転士1人死亡、1人意識不明 24人けが|newspaper=[[毎日新聞]]|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2000-12-17|accessdate=2025-02-10|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/17/1218m077-401.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20011123043054/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/17/1218m077-401.html|archivedate=2001-11-23}}</ref>。
 
=== 原因 ===
事故原因は、車体中央部床下に設けたブレーキシリンダーの動作を前後の各台車へ伝達するブレーキロッド(鉄製引棒)が繰り返し行われてきた[[溶接]]による{{仮リンク|クレビス|en|Clevis fastener}}{{efn2|ロッド等の先端に加工したU字またはY字形をした、両先端にピンを通す穴の開いた部材のこと。ピン(クレビスピン)を差し込んで連結する。}}交換修繕接続部分から破断したためであり、京福電気鉄道および検査業務を請け負った[[JR西日本テクノス]]金沢支社([[石川県]][[松任市]]、現・[[白山市]])の施工検査体制が問われた<ref name ="mainichi20001218">{{Cite news|和書|title=京福電車衝突:ブレーキをかけた状況に 運輸省が現地調査|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2000-12-18|accessdate=2025-04-20|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/18/1218e048-400.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010220095907/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/18/1218e048-400.html|archivedate=2001-02-20}}</ref><ref name ="mainichi20001219">{{Cite news|和書|title=京福電鉄事故:ブレーキロッドと呼ばれる金属棒が破断 運輸省|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2000-12-19|accessdate=2025-02-10|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/19/1220m101-400.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020317052912/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/19/1220m101-400.html|archivedate=2002-03-17}}</ref><ref name ="mainichi20001227"/>。
事故原因は、ブレーキを作動させるロッド(金属棒)が、繰り返し行われてきた溶接による補修部分より破断したためであり、検査業務を請け負った[[西日本旅客鉄道|ジェイアール西日本テクノス]]金沢支社<ref>ロッドの部品交換と定期検査は、[[1997年]](平成9年)10月JR西日本連結子会社であるジェイアール西日本テクノス金沢支社(松任市(現・[[白山市]]))が担当した。交換した新しい部品は京福電鉄が用意したもので、同支社は[[鉄道営業法]]に基づく1997年の検査の際、破断した主ロッドの両端にある特殊な形状の取り付け部を新品に交換したが、これにも破断個所が含まれていた。同支社は交換部品にも問題があることを想定していなかったとして、探傷検査などを行っていないことを認めた。2000年(平成13年)12月27日、同支社は部品に問題がないか検査していなかったとして、業務上過失致死傷容疑で[[福井県警察|福井県警]]捜査本部の[[家宅捜査]]を受けた。2000年(平成13年)12月28日付「[[福井新聞]]」ほか北陸の地方紙、「[[毎日新聞]]」ほか全国紙など。<!--たまたま身近にあっただけです。関西系以外はバックナンバーで確認済み。--></ref>と同社の施工検査体制が問われた。
 
ブレーキロッドの修繕、交換と定期検査は、[[1997年]](平成9年)10月にJR西日本テクノス金沢支社が担当した<ref name ="mainichi20001219"/>。JR西日本テクノスは[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[連結子会社]]で、他社私鉄を含む[[鉄道車両]]の整備を請け負う企業である。
この車両は、車体床下に装着された1個のブレーキシリンダーから、ロッドによって各[[鉄道車両の台車|台車]]にブレーキ力を伝達し、各車輪の[[制輪子|ブレーキシュー]]を[[輪軸 (鉄道車両)|車輪]]に押し付ける方式で<ref>現在は、各台車各軸に独立したブレーキシリンダー(または[[ディスクブレーキ|ブレーキキャリパー]])が取り付けられるものが一般的である。ただし、これは元来は安全性向上のための多重化ではなく、ブレーキの応答性を高めて高減速性能を確保するための[[日本国有鉄道|国鉄]]および[[大手私鉄]]の[[新性能電車]]によって確立された技術であった。</ref>、古い車両に多く見られるものである。当該車両の車体は[[1958年]]製造のものであったが、下回りの台車は当時の京福が所有していた台車で最も古い[[1928年]]製造のものが流用されていた<ref>北日本新聞 2000年12月18日付朝刊1面『福井で電車正面衝突』より。</ref><ref>ブレーキ破損を起こしたモハ251形は、1957年の車庫火災で被災した戦前製車両の走行機器を流用し、[[日本車輌製造]]で設計・製造した車体を組み合わせて作られた車両であった。また衝突されたモハ1101形の車体は[[阪神電気鉄道|阪神]]からの譲渡であるが、オリジナル車両は[[標準軌]]であるため、[[狭軌]]を採用していた京福電鉄福井支社管内では、在来車両等の[[鉄道車両の台車|台車]]を流用した。</ref>。この方式では、ブレーキロッドが折損すると[[手ブレーキ]]を含むすべての車輪のブレーキが効かなくなるため、[[国土交通省]]は、ブレーキ系統の多重化等の対策を全国の鉄道事業者に指示した。これに伴い、同じ構造のそれまで各社で[[動態保存]]されてきた車両の使用が取りやめられた。基本的に単行(1両での運転)の場合の指示で、2両編成以上の場合は1両のみの破損での[[フェイルセーフ|フェールセーフ]]が確保されるため、その後も使われている事例はある。京福電鉄は事故以降からは、2両編成で永平寺線の運行を再開している。
 
ブレーキロッド修繕に用いたロッドやクレビスは京福電鉄が用意したもので、同支社は[[鉄道営業法]]に基づく1997年の検査の際、破断した主ロッドの端にある損耗したクレビスを損耗の少ない他のクレビスに交換したが、交換したクレビスの溶接部に破断個所が含まれていた<ref name ="mainichi20001227"/><ref name ="yomiuri20050113"/><ref name ="asahi20050113"/>。同支社は交換部品にも問題があることを想定していなかったとして、探傷検査などを行っていなかったことを認めた。また、京福電鉄が3か月ごとに実施していた車両検査には、ブレーキロッドなどの検査方法を定めたマニュアルがなく、JR西日本テクノス金沢支社の作業員任せになっていたことも判明した<ref>{{Cite news|和書|title=特報・京福電鉄:車両検査にマニュアルなく、現場任せに|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2000-12-22|accessdate=2025-04-20|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/22/1222m181-400.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010126174800/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/22/1222m181-400.html|archivedate=2001-01-26}}</ref>。
この事故の原因ではないが、事故当時[[自動列車停止装置|ATS]]や[[安全側線]]が東古市駅に設置されていなかったことを指摘する論調が見られた。また、台車についても最新のものでも1962年製造であったことが判明している<ref>北日本新聞 2000年12月18日付朝刊24面『老朽化した市民の足』より。</ref>。
 
2000年(平成12年)12月27日、同支社は部品に問題がないか検査していなかったとして、[[業務上過失致死傷]]容疑で[[福井県警察]]捜査本部と所轄の[[永平寺警察署|松岡警察署(現在は福井警察署永平寺分庁舎)]]より[[捜査|家宅捜索]]を受けた<ref>『[[福井新聞]]』2000年(平成13年)12月28日付</ref><ref name ="mainichi20001227">{{Cite news|和書|title=京福電鉄事故:ブレーキロッドを交換した業者捜索|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2000-12-27|accessdate=2025-02-10|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/27/1228m038-400.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010219103146/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/27/1228m038-400.html|archivedate=2001-02-19}}</ref>。
 
[[2005年]](平成17年)[[1月13日]]、[[福井地方裁判所]](久保豊裁判長)は「安全確保業務の中で最も重要な注意義務を怠った過失は重大。公共交通機関に携わる者として職業意識が著しく欠如していたと言わざるを得ない」として、京福電鉄の元福井鉄道部長ら3人に対し[[執行猶予]]付きの有罪判決を言い渡した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-7862.pdf |title=平成14(わ)321 業務上過失往来危険、業務上過失致死傷被告事件 |accessdate=2025-02-16 |date=2005-01-13 |publisher=裁判所 |format=PDF}}</ref><ref name ="yomiuri20050113">{{Cite news|和書|title=福井の電車衝突、元京福電鉄部長ら3被告有罪|newspaper=[[読売新聞]]|publisher=[[読売新聞社]]|date=2005-01-13|accessdate=2025-04-20|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050113i102.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050115043247/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050113i102.htm|archivedate=2005-01-15}}</ref><ref name ="asahi20050113">{{Cite news|和書|title=元福井鉄道部長ら3人に有罪判決 京福電鉄正面衝突事故|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2005-01-13|accessdate=2025-04-20|url=http://www.asahi.com/national/update/0113/007.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050115032253/http://www.asahi.com/national/update/0113/007.html|archivedate=2005-01-15}}</ref>。
 
当該事故車両であるモハ251の車体は[[1958年]]製であったが、下回りの台車は当時の京福が所有していた台車で最も古い[[1928年]]製のものが流用されていた<ref>{{Cite news |和書 |title=福井で電車正面衝突 |newspaper=[[北日本新聞]](朝刊) |date=2000-12-18 |page=1}}</ref>。同車両のブレーキは車体床下に設けられた1個のブレーキシリンダーから、ロッドによって前後の各[[鉄道車両の台車|台車]]にブレーキ力を伝達し、各車輪の[[制輪子]]を[[輪軸 (鉄道車両)|車輪]]に押し付ける方式で、戦前設計の電車や客貨車に多くみられるものである<ref group="注">現在は、各台車各軸に独立したブレーキシリンダー(または[[ディスクブレーキ|ブレーキキャリパー]])が取り付けられるものが一般的である。ただしこれは、元来は安全性向上のための多重化ではなく、ブレーキの応答性を高めて高減速性能を確保するため、[[日本国有鉄道]](国鉄)および[[大手私鉄]]の[[新性能電車]]によって確立された技術であった。</ref>。この方式では、ブレーキロッドが破断折損すると[[手ブレーキ]]を含むすべての車輪のブレーキが効かなくなるため、[[国土交通省]]はブレーキ系統の多重化等の対策を全国の[[鉄道事業者]]に指示した<ref>{{Cite news|和書|title=京福電鉄事故:全車両のブレーキ装置など点検指示=運輸省|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2000-12-18|accessdate=2025-04-20|url=http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/18/1219m019-400.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010220095607/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200012/18/1219m019-400.html|archivedate=2001-02-20}}</ref>。これに伴い、それまで各社で[[動態保存]]されてきた同じ構造を持つ車両の運行が取りやめられる事態となった<ref group="注">例として、[[東京都交通局]]([[東京都電車|都電]])の[[東京都交通局6000形電車_(軌道)#「一球さん」(6152)|6000形]]や、[[東海旅客鉄道]](JR東海)でイベント用に改造された[[国鉄30系電車#クモヤ22形をイベント用に改造|クモハ12041]]などが挙げられる。</ref>。ただし、これは基本的に単行(1両)での運転における指示で、2両編成以上の場合は1両のみの破損での[[フェイルセーフ]]が確保されるため、その後も使われている事例はある。京福電鉄は事故以降、永平寺線で2両編成での運行を再開した。
 
この事故の直接的原因ではないが、事故当時の東古市駅に[[自動列車停止装置]] (ATS) や[[安全側線]]が設置されていなかったことを指摘する論調も見られた。また、当時の京福が保有する[[鉄道車両の台車|台車]]が最新のものでも1962年製と、老朽化が著しいことも指摘された<ref>{{Cite news |和書 |title=老朽化した市民の足 |newspaper=北日本新聞(朝刊) |date=2000-12-18 |page=24}}</ref><ref group="注">本件事故以前は[[大手私鉄]]においても、このような古典台車を履いた機器流用車は珍しくなく、特に[[東武鉄道]]では原型が[[明治]]期に遡るゲルリッツ台車を履いた[[東武3000系電車|3000系列]]が1996年まで運用されていた。その他、枕バネを[[空気バネ]]化した例や、ブレーキシリンダーを台車側に移設した例も散見される。</ref>。
 
==== 運転士の尽力・殉職 ====
ブレーキ故障後、当該列車の[[運転士]](当時57歳)は[[鉄道無線]]でブレーキ故障に伴う停止不能を連絡しつつ、乗客に車両後へ避難し、[[抗力|空気抵抗]]を増して減速させるためにできるだけ多くの窓を開けるように指示した{{R|:0|:1}}。乗客には1人の死者も出なかったが、運転士は退避可能であったにもかかわらず、衝突する最後の瞬間まで運転席に留まり[[殉職]]した{{R|:0|:1}}。この運転士の同僚は「衝突時にちょっと後ろに逃げれば助かったのに。責任感の強い男だったので、それはできなかったのだろう」「ああいう性格なので最後の最後まで頑張りすぎてしまった。残念でならない」と語った{{R|:0|:1}}。また、[[運輸省]]鉄道保安局車両課(当時)は「列車自体のブレーキが効かず衝突し、運転士が殉職した事故は極めてまれなケース」としている{{R|:0|:1}}
乗客には1人の死者も出なかったが、運転士は退避可能であったにも関わらず、衝突する最後の瞬間まで運転席に留まり、[[殉職]]した<ref>{{Cite web |author= |date= |url=http://www.fesco.or.jp/winner/h13/05.php |title=社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞) |publisher=社会貢献支援財団 |accessdate=2012-10-08}}</ref>。
:{{節stub}}
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== 2001年6月24日の事故(勝山市・保田駅 - 発坂駅間) ==
{{Infobox 鉄道事故
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}}
{{節スタブ}}
[[2001年]](平成13年)[[6月24日]]18時頃、越前本線の[[保田駅 (福井県)|保田駅]] - [[発坂駅]]間([[単線]])で、勝山発福井行きの上り[[普通列車]]([[京福電気鉄道モハ5001形電車|モハ5001形]]5002・1両編成)と福井発勝山行きの下り[[急行列車]]([[阪神3301・3501形電車|モハ2201形]]2201・1両編成)が正面衝突して、乗員乗客24名が重軽傷を負った。事故原因は、本来発坂駅で対向する急行列車と[[列車交換|すれ違う必要があった]]ところを、普通列車の運転士が[[鉄道信号機|信号]]を確認せずに発車したという[[ヒューマンエラー|人為的ミス]]であった。また、ATSの未設置も問題となった<ref>1970年代に赤字に伴う合理化で有人駅の無人駅化と[[閉塞 (鉄道)|タブレット閉塞]]が廃止され、[[鉄道信号機|自動信号]]化された。通行手形代わりのタブレットの手渡しも廃止され、完全な[[閉塞 (鉄道)|自動閉塞]]やATS設置を伴わない不完全な移行のため、事実上運転士1人の注意力に頼らざるを得なかった。1970年代から運転休止までは司令室や対向列車の確認のやり取りなどもあったが、事実上信号確認のみに頼らざるを得ない運行を行っていた。2度目の事故(2000年代の事故)について、福井県警捜査本部の発表では、運転士の信号見落としが原因とされている。わずか2か月の見習い期間中に乗務させたとして問題となった。2001年(平成14年)11月20日、福井県警捜査本部は、2001年(平成13年)6月の京福電鉄の正面衝突事故で上り電車を運転していた運転士を[[業務上過失往来危険罪]]の容疑で逮捕した。2001年(平成13年)11月21日付「福井新聞」ほか北陸の地方紙、「毎日新聞」ほか全国紙。参考・鉄道友の会福井支部報「わだち」など。</ref><ref>一般的には信号無視とATS未設置が主な事故要因との論調が報じられていたが、2001年(平成13年)6月25日放送の『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』番組内で司会の[[小倉智昭]]が、ATSの無い単線は原則タブレット交換すべきと発言するなどのほか、一部のマスコミや専門誌などではタブレット論調も存在した。</ref>。
[[2001年]](平成13年)[[6月24日]]18時頃、越前本線の[[保田駅 (福井県)|保田駅]] - [[発坂駅]]間([[単線]])で、勝山発福井行きの上り[[普通列車]]([[京福電気鉄道モハ5001形電車|モハ5001形]]5002・1両編成)と福井発勝山行きの下り[[急行列車]]([[阪神3301形・3501形電車|モハ2201形]]2201・1両編成)が正面衝突し、乗員乗客25名が重軽傷を負った<ref name ="yomiuri20050113"/><ref name ="asahi20050113"/>。うち上り列車の運転士および乗客の4名が重傷を負っている<ref>{{Cite news|和書|title=京福電車また正面衝突 |newspaper=福井新聞|date=2011-06-24|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/10years_ago/28839.html|accessdate=2020-01-09|___location=福井県|publisher=福井新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160619013459/http://www.fukuishimbun.co.jp:80/localnews/10years_ago/28839.html|archivedate=2016-06-19}}</ref>。
{{節stub}}
 
事故原因は、本来は[[発坂駅]]で対向する急行列車とすれ違う([[列車交換]])必要があったところを、上り普通列車の運転士が列車交換ダイヤを失念した上に、出発[[鉄道信号機|信号]]機の現示を確認せずに発車したという[[ヒューマンエラー]]であった。また、[[自動列車停止装置]] (ATS) の未設置も問題視された。
 
京福では[[1970年代]]、[[黒字と赤字|赤字]]に伴う[[リストラ|合理化]]で[[有人駅]]が[[無人駅]]化されるとともに、[[閉塞 (鉄道)#タブレット|タブレット閉塞]]が廃止され[[鉄道信号機|自動信号]]化されていた。これに伴い[[閉塞 (鉄道)#タブレット|タブレット]]の手渡しも廃止されたが、完全な[[閉塞 (鉄道)#自動閉塞方式|自動閉塞]]やATSの設置を伴わない不完全な移行であったため、事実上は運転士1人の注意力に頼らざるを得ない状態となっていた。1970年代から運転休止までは[[運転指令所]]や対向列車との確認のやり取りなどもあったが、実質的には信号確認のみに頼らざるを得ない運行を行っていた。
 
福井県警察捜査本部の発表では、本件事故について上り列車の運転士が出発信号機の停止現示を見落として誤出発したことが原因としている。わずか2か月の見習い期間中に乗務させたとして問題となった。福井県警察捜査本部と同[[勝山警察署]]は同年[[11月20日]]、上り列車を運転していた運転士(当時22歳)を[[往来を妨害する罪#過失往来危険罪|業務上過失往来危険罪]]の容疑で逮捕<ref>『[[福井新聞]]』2001年(平成13年)11月21日付</ref><ref group="注">参考・[[鉄道友の会]]福井支部報『わだち』など。</ref>。
 
[[2002年]](平成14年)[[10月22日]]、福井地方裁判所(松永真明裁判長)は[[禁錮]]2年6か月(執行猶予5年)の有罪判決を言い渡した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-7872.pdf |title=平成14(わ)78 業務上過失往来危険,業務上過失傷害被告 |accessdate=2025-02-16 |date=2002-10-22 |publisher=裁判所 |format=PDF}}</ref><ref name ="asahi20050113"/>。
 
一般的には信号無視とATS未設置が主な事故要因との論調であったが、[[2001年]](平成13年)[[6月25日]]放送の[[フジテレビ]]『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』番組内で、司会の[[小倉智昭]]が「ATSのない[[単線]]は原則としてタブレット交換すべき」と発言するなど、一部[[マスメディア]]や[[鉄道雑誌]]ではタブレット交換の廃止が原因とする論調も存在した。
{{-}}
 
== 2001年の事故以降の経緯 ==
=== 京福福井鉄道部の営業継続断念 ===
半年間に2回もの正面衝突事故を引き起こした事態を重く見た[[国土交通省]][[中部運輸局]]は、京福電気鉄道福井鉄道部に対して2回目の事故発生当日に全線の運行停止と[[バス代行]]を命じ<ref>{{Cite newspaper |和書|title=京福電鉄また正面衝突 |newspaper=[[日本経済新聞]] |edition=朝刊|publisher=[[日本経済新聞社]] |date=2001-06-25 |page=39 }}</ref>、同年7月19日には[[鉄道事業法]]第23条に基づく「安全確保に関する[[業務改善命令|事業改善命令]]」を発出した<ref>{{Cite newspaper |和書|title=中部運輸局 京福電鉄に改善命令 全国初 2カ月内報告求める |newspaper=[[中日新聞]] |edition=朝刊 |publisher=[[中日新聞社]] |date=2001-07-20 |page=1 }}</ref>。なお、全線運行停止命令の上、事業改善命令が鉄道会社に出された事例は現在でも本件が唯一である。
 
しかし同社はこの事故の5年以上前から、福井鉄道部単独では事業改善を行う原資も確保できない状態に陥っており、沿線住民に全線[[廃線|廃止]]を含む提案を繰り返し行っていた<ref name ="mainichi20001218"/>。事故理由の根幹には、この財政状態で積極的な車両更新や信号系統改良などに対する投資自体に関し、同社の鉄道事業全体の収支を考えても、基幹株主などの支持が得られない状態という現実があった<ref name ="mainichi20001218"/>。
=== 京福の営業継続断念 ===
国土交通省と[[中部運輸局]][[福井運輸支局]]は、半年の間に2回もの正面衝突を引き起こした事態を重く見て、2回目の事故の翌日から京福電気鉄道に対し、全線の運行停止・[[バス代行]]を命じた<ref>{{Cite news |title=京福電鉄また正面衝突 |newspaper=[[日本経済新聞]] |publisher=[[日本経済新聞社]] |date=2001-06-25 |page=39 }}</ref>。また、同年7月に「安全確保に関する事業改善命令」が出された。
 
しかし、同社はこの事故の5年以上前から、福井鉄道部単独では事業改善を行う原資も確保できないという状態に陥っており沿線住民に全線廃止を含む提案を繰り返し行っていた(以前から合理化のため[[支線]]の廃止およびバス転換を行っていが、[[1992年]]([[平成]]4年)に京福電気鉄道が越前本線の東古市 - 勝山間と永平寺線の廃止・バス転換を表明したのが最初である)。また<ref>{{Cite newspaper |和書|title=京福電鉄 越前本線を一部廃線 鉄道離れ経営悪化 東古市-勝山間と永平寺線全線 バスに切り替え 4年度中に |newspaper=中日新聞 |edition=福井版朝刊 |publisher=中日新聞社 |date=1992-02-21 |page=18 }}</ref>。これに関しては地元紙に全面広告まで打ち出したこともあった。一方、[[豪雪地帯]]であり積雪時のバス代行輸送に困難な事情がある当地ではその提案が受け入れられず、むしろ高額な運賃が乗客減少の要因であるとする収入減少に対して[[トレードオフ]]の関係を指摘する意見も強かった<ref name ="mainichi20001218"/>。そのため、従来から同社と沿線自治体との間には軋轢が生じていた<ref name ="mainichi20001218"/>
<!--一部事実と異なる可能性があるため調査の上で対処します。-->
一方、積雪時の交通について非常に困難な事情がある当地ではその提案が受け入れられず、むしろ運賃がかなり高い状況が乗客減少の要因だという、収入減少に対して[[トレードオフ]]の関係を指摘する意見も強かったため、従来から沿線自治体との軋轢が生じていた(えちぜん鉄道に移管後は運賃の低減を行った)。事故の理由の根幹には、この財政状態で積極的な車両更新、信号系統改良などに対する投資自体に関し、同社の鉄道事業全体の収支を考えても、基幹株主などの支持が得られない状態という現実があった。
 
このような中で事業改善命令が発せられても、[[大阪証券取引所|]](大証]]2)2部上場会社である同社には、親会社である[[京阪電気鉄道]]による資金援助は期待できず、また鉄道営業を維持する改善費用の捻出や、改善姿勢の維持、原資維持すること自体にすでに無理があった<ref name ="mainichi20001218"/>。そのため、同社は事業改善命令の負担に耐えられないとして、同社は営業継続を断念。2001年10月19日に福井鉄道部全線の廃止届を提出した<ref name="keii">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/013561/keii.html |title=京福越前線存続の経緯|author=福井県未来創造部 新幹線・交通まちづくり局地域鉄道課|website=福井県ホームページ|date=2010-06-16|accessdate=2023-09-05|language=ja }}</ref>
 
=== 代行バスでの輸送困難 ===
[[京福バス]](当時)が[[バス代行]]を担当することになったが、鉄道輸送のない状態では鉄道利用客の約4割が[[自家用車]]利用へ転換したため、幹線道路の混雑と[[渋滞]]に拍車がかかった。他社・他系列の中古車を投入して増車するなどの対策をとったものの、バスは大幅に遅延して[[ダイヤグラム|ダイヤ]]通りの運行ができない状態に陥り、バスはおろか自家用車での通勤・通学すら困難になることが明らかになった<ref>{{Cite web|和書|title=えちぜん鉄道の経験 |url=https://www.mlit.go.jp/common/000056278.pdf|format=PDF |publisher=国土交通省|accessdate=2022-05-02}}</ref>。
 
このことは「負の[[社会実験]]」などと呼ばれ、地域社会も巻き込んだ積雪地における鉄道の効用が、運行休止後の降雪・積雪時の代行バスをも巻き込んだ道路交通の麻痺という形で現れたことで、経営上の黒字や赤字だけでは計り知れない鉄道存続の必要性を社会に示す結果となった。
 
=== 第三セクターへの移管 ===
{{See also|えちぜん鉄道#歴史}}
<!--前述とも関係各位の事実確認を終えてまして新聞などでも当時報じられてます。バスの事情についてはマニア的な事柄で記事等は困難ですが一応当たってみます。-->
このような状況を受けて、[[鉄道路線]]存続のために[[福井県]]と沿線[[市町村]]が出資する[[第三セクター]]「'''[[えちぜん鉄道]]'''」が設立され、京福福井鉄道部の路線を継承することになった<ref name="keii"></ref><ref name ="yomiuri20050113"/><ref name ="asahi20050113"/>。
しかし、2001年の冬季になって、積雪時に鉄道輸送のない状態では、[[京福バス]](当時)が[[バス代行|代行バス]]の運行を行おうとしても、鉄道輸送していた分に加えて駅・学校までの自転車等での通勤・通学分までの自動車交通転移負荷がより大きい方向に出てしまい、幹線道路の混雑に拍車がかかったため、終日無[[ダイヤグラム|ダイヤ]]状態に陥り、バスのみでは通学はおろか、マイカー族の通勤ですら困難になることが明らかになった。これに関しては、中古車を委譲してもらったのみならず、他系列の中古バスまで投入するなど、京福電気鉄道側としては万全の対策をはかった体制をとった。同じ[[福井県]]内を走る私鉄である[[福井鉄道]]では問題が生じなかったことから、その差異は顕著であった。このことは、結果として地域社会まで巻き込んだ積雪地での交通の一種の比較[[社会実験]]の、非常に稀有な事例にもなった。通常なら見えない部分で地域輸送を支えてきた鉄道の効用が、運行休止後の降雪・積雪時の、代行バスをも巻き込んだ道路交通麻痺という、目に見える形で現れたことで、当時の報道の論調として「壮大な負の実験」という表現まで現れ、経営上の黒字・赤字だけで計れない、鉄道存続の必要性を社会に示す結果となった。
 
そこで、路線は福井県と沿線市町村が出資する[[第三セクター]]の[[えちぜん鉄道]]に、設備維持作業を行っていた京福越前本線の有形資産を中心として継承させ、従業員の引き継ぎはなく、いったん一旦全線廃止という形式的処理を行った上で)引き継がれた(、[[えちぜん鉄道勝山永平寺線]]として[[2003年]](平成15年)[[7月20日]]部分開業、同年[[10月19日]]全線開業)。乗客数が少ない[[京福電気鉄道永平寺線|永平寺線]]は、それ以前にも一部の鉄道運行便をバス運転代行とていことと、並行道路が整備されていた実績があったので、休止のまま[[2002年]](平成14年)10月21日に[[廃線]]となっており、代替の旅客輸送は京福バスにより維持されている<ref name="keii"></ref><ref name ="yomiuri20050113"/><ref name ="asahi20050113"/>
{{節stub}}
 
なお、利用者が少なかった[[京福電気鉄道永平寺線|永平寺線]]は、それ以前にも一部の鉄道便をバス代行としていたことと、並行道路が整備されていた実績があることから、再開されることなく[[2002年]](平成14年)10月21日に[[廃線]]となった<ref name ="yomiuri20050113"/><ref name ="asahi20050113"/>。代替の旅客輸送は京福バスにより維持されている。
== 脚注・補足 ==
 
<references />
== 題材とした作品 ==
[[映画]]『[[えちてつ物語〜わたし、故郷に帰ってきました。]]』では、この事故が主題として扱われている。
 
== 過去の列車・バス事故 ==
京福は過去にも、[[1964年]]1月に鞍馬線(現・[[叡山電鉄鞍馬線]])で[[日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#京福電鉄電車衝突事故|正面衝突炎上事故]]を起こしたほか、わずか7か月後の同年8月には、越前本線発坂駅付近で下り旅客列車が貨物列車に追突する事故を起こしていた。{{Main|叡山電鉄鞍馬線#歴史|京福電気鉄道#沿革}}
 
また直営時代のバス部門でも、[[1985年]]10月に[[2階建車両#バス|2階建]][[観光バス]]が[[中央自動車道]]で[[防護柵 (道路)|ガードレール]]を突き破り県道に転落し、乗客3名が死亡、57名が重傷、さらに運転手がその場で[[自殺]]するという事故を起こしている。
 
== 類似の鉄道事故 ==
*[[近鉄奈良線列車暴走追突事故]](1948年3月31日)- 2000年12月17日の事故と類似。
*[[日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#北陸鉄道金沢市内線脱線転覆事故|北陸鉄道金沢市内線脱線転覆事故]](1965年6月24日)- 2000年12月17日の事故と類似。
*[[信楽高原鐵道列車衝突事故]](1991年5月14日)- 2001年6月24日の事故と類似。
*[[:zh:臺鐵埔心平交道事故]](2012年1月17日・[[台湾]])- 2000年12月17日の事故と類似<ref>{{Cite news |和書 |title=台湾鉄道、一斉警笛で2年前殉職の運転士を追悼 |newspaper=フォーカス台湾 日本語版 |author=蔡和穎 |date=2014-01-17 |publisher=[[中央通訊社]] |url=http://japan.cna.com.tw/search/201401170006.aspx |accessdate=2016-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161021064317/http://japan.cna.com.tw/search/201401170006.aspx|archivedate=2016-10-21}}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist
|refs=
<ref name=":0">{{Cite web|和書|author= |date= |url=http://www.fesco.or.jp/winner/h13/05.php |title=社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞) |publisher=[[社会貢献支援財団]] |accessdate=2012-10-08}}</ref>
<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=社会貢献者の記録 平成13年度|url=https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00469/contents/00013.htm|website=[[日本財団]] 図書館|accessdate=2020-07-04}}</ref>
}}
 
== 関連項目 ==
*[[京福電気鉄道]]
*ジェイアール西日本テクノス金沢支社 - [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)連結子会社で他社私鉄を含む[[鉄道車両]]の整備を請負う企業。同支社の検査体制が、永平寺線のロッド破断による事故原因の一つとされた(脚注参照)。
**[[京福電気鉄道モハ5001形電車]]
*[[近鉄奈良線列車暴走追突事故]](1948年3月31日) - 2000年12月17日の事故と類似。
**[[京福電気鉄道永平寺線]]
*[[日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#北陸鉄道金沢市内線脱線転覆事故|北陸鉄道金沢市内線尻乗坂(現在の兼六坂)暴走脱線事故]](1965年6月24日) - 2000年12月17日の事故と類似。
*[[えちぜん鉄道]]
*[[信楽高原鐵道列車衝突事故]](1991年5月14日) - 2001年6月24日の事故と類似(脚注参照)。
**[[えちぜん鉄道勝山永平寺線]](旧:京福電気鉄道越前本線)
*[[:zh:臺鐵埔心平交道事故]](2012年1月17日) - 2000年12月17日の事故と類似<ref>[http://japan.cna.com.tw/search/201401170006.aspx?q=%E6%AE%89%E8%81%B7 台湾鉄道、一斉警笛で2年前殉職の運転士を追悼]中央社、2016年9月25日閲覧。</ref>。
*[[列車衝突事故]]
*[[日本の鉄道事故 (2000年以降)]]
*[[自動列車停止装置#歴史]]
*[[閉塞 (鉄道)]]
 
== 外部リンク ==
* [{{Wayback|url=http://www.fukuishimbun.co.jp:80/localnews/10years_ago/28839.html 10年前のきょう福井のニュース |date=20160619013459|title=京福電車また正面衝突] - 福井新聞(2011年6月24日}}
* {{Wayback|url=https://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/kanren/keifuku.html|date=20190420160643|title=詳報 京福電車 正面衝突事故(京都新聞)}}
* {{Cite web|和書|author= |date= |url=http://www.fesco.or.jp/winner/h13/05.php |title=社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞) |publisher=公益財団法人 社会貢献支援財団 |accessdate=2012-10-08}}
 
{{rail-stub}}
{{DEFAULTSORT:けいふくてんきてつとうえちせんほんせんれつしやしようとつしこ}}
[[Category:日本の鉄道列車衝突事故]]
[[Category:京阪グループの歴史]]
[[Category:えちぜん鉄道|事 けいふくてんきてつとうえちせんほんせんれつしやしようとつしこ]]
[[Category:2000年の鉄道]]
[[Category:2001年の鉄道]]