削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(100人を超える利用者による、間の222版が非表示)
1行目:
{{Otheruses|プロレスラー|その他の「鈴木実」|鈴木実}}
{{存命人物の出典明記|date = 2010年8月}}
{{存命人物の出典明記|date = 2020年6月}}
{{Infobox プロレスラー
{{更新|date = 2020年6月}}{{Infobox プロレスラー
| 名前 = 鈴木 みのる<br />Minoru Suzuki
| 画像 = MinoruForbidden SuzukiDoor 2017(AEW x NJPW) (52292653626) (cropped).jpg
| 画像サイズ = 200px
| リングネーム = '''鈴木 みのる'''<br />レイ・ミノール<br />鈴木 実
| 本名 = 鈴木 実<ref name="20周年本">週刊プロレス別冊2008夏季号「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.74 目次ページ記載のプロフィールより</ref>
| ニックネーム = '''プロレス王'''<br />'''世界一性格の悪い男'''<br />鈴木軍の首領(ボス)<br />「風」<br />ハマの喧嘩屋<br />性悪王者<br />カミソリファイター<br />性悪王者
| 身長 = 178cm<ref name="20周年本"/>
| 体重 = 102kg<ref name="20周年本"/>
13 ⟶ 14行目:
| 出身地 = [[神奈川県]][[横浜市]]<ref name="20周年本"/>[[西区 (横浜市)|西区]]
| 所属 = [[パンクラス|パンクラスMISSION]]<ref name="注釈">『プロレスで〈自由〉になる方法』 p266 - 270の「あとがき」によると2015年現在はパンクラスMISSON所属という肩書きはあるが実際にパンクラスと契約関係はないとのこと</ref><br />[[サンミュージックプロダクション]]
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]<br />[[剣道]]
| トレーナー = [[ビル・ロビンソン山本小鉄]]<br />[[藤原喜明]]<br />[[カール・ゴッチ]]<br />[[藤原喜明ビル・ロビンソン]]
| デビュー = [[1988年]][[6月23日]]<br />対[[飯塚高史|飯塚孝之]]戦<ref name="20周年本"/>
| 引退 =
}}
{{MedalTableTop}}
'''鈴木 みのる'''(すずき みのる、本名<ref name="20周年本"/>・旧[[リングネーム]]:'''鈴木 実'''/読み同じ、[[1968年]][[6月17日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]、実業家、[[総合格闘家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[パンクラス|パンクラスMISSION]]<ref name="注釈"/>、[[サンミュージックプロダクション]]所属<ref>[http://www.sunmusic.org/profile/suzuki_minoru.html 鈴木みのる] - サンミュージック</ref>。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役<ref>[http://www.piledriver.jp/fs/gotchstyle/c/company/ 会社概要] - パイルドライバー</ref>。
{{MedalSport|男子 レスリング グレコローマン}}
{{MedalCompetition |[[国民体育大会]]}}
{{MedalSilver|1986 |少年81kg級}}
{{MedalBottom}}
 
'''鈴木 みのる'''(すずき みのる、本名<ref name="20周年本"/>・旧[[リングネーム]]:鈴木 実/読み同じ、[[1968年]][[6月17日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]、実業家、[[総合格闘家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[パンクラス|パンクラスMISSION]]<ref name="注釈"/>、[[サンミュージックプロダクション]]<ref>[https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/suzuki_minoru/ 鈴木みのる] - サンミュージック</ref>。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役。[[ABO式血液型|血液型]]B型<ref>[http://www.piledriver.jp/fs/gotchstyle/c/company/ 会社概要] - パイルドライバー</ref>。
 
== 来歴 ==
=== 新日本、UWF、藤原組プロレス ===
{{スポーツ選手の出典明記|選手 = プロレスラー|新日本プロレス|section = 1|date = 2020年6月}}
[[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]]時代は[[アマチュアレスリング|レスリング]]部に所属。[[国民体育大会|国体]]2位という実績を残して[[新日本プロレス]]に入門。
[[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]]時代は[[アマチュアレスリング|レスリング]]部に所属<ref>{{Cite web|和書|url=https://hamarepo.com/story.php?story_id=6781|title=横浜生まれのプロレスラー、鈴木みのるさんを徹底解剖!【前編】|publisher=はまれぽ.com|date=2018-06-19|accessdate=2022-04-16}}</ref>。[[第41回国民体育大会|国体]]2位<ref>[https://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/images/archives/01_kokutai.pdf 第41回国民体育大会 少年グレコローマンスタイル81kg級 2位] 国民体育大会記録集</ref> という実績を残して1987年3月に[[新日本プロレス]]に入門。
* [[1988年]]、[[飯塚高史|飯塚孝之]]戦でデビュー。同年10月22日の飯塚戦で初勝利<ref name="20周年本戦歴">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.65 - 72 「鈴木みのる 全試合記録」(2008年5月までの戦歴)</ref>。
; 1988年
* [[1989年]]3月、[[アントニオ猪木]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 6月23日、[[飯塚高史|飯塚孝之]]戦でデビュー。同年10月22日の飯塚戦で初勝利<ref name="20周年本戦歴">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.65 - 72 「鈴木みのる 全試合記録」(2008年5月までの戦歴)</ref>。前座戦線で[[佐々木健介]]と幾度となく対戦し好勝負を繰り広げる。
* 1989年5月に[[田村潔司]]のデビュー戦の相手を務め、UWFでの初白星<ref>「週刊プロレス」別冊2008年冬季号「新生UWF証言集」 P.47 「新生UWF 闘いの記録」「UWF HAY HISTORY 2nd.」東京ベイNHホール</ref>。
; 1989年
* 1989年11月29日、骨折した[[船木誠勝]]の代役で[[東京ドーム]]大会「[[U-COSMOS]]」で、[[モーリス・スミス]]と[[異種格闘技戦]]で対戦したが、4ラウンドでKO負け。後に鈴木は「スミスの強さにビビって大観衆の前で泣いて自らリングに寝転がった」と語っている<ref name="スミス戦"/>。
* 3月、[[アントニオ猪木]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。同月に新日本プロレスを退団<ref>[https://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-12100811281.html 26年前の今日…] 鈴木みのる公式ブログ 2015年11月29日</ref>。
* [[1991年]]3月、UWFを退団して、船木らと[[藤原組|プロフェッショナルレスリング藤原組]]へ参加。
* 1991年4月1日、[[SWS]]と提携して行われた[[ワールド記念ホール|神戸ワールド記念ホール]]大会における[[アポロ菅原]]戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木は張り手を菅原は前蹴りを放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為を仕掛け<ref name="アポロ戦">「[[週刊プロレス]]」別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.59「神戸事件の夜、ミナミのスナックで…」(元週刊ファイト編集次長、波々伯部哲也による出筆)より</ref>、その行為に対して鈴木はコーナーに追い詰め頭突きを見舞い菅原はグーパンチで応戦。まともに試合が成立しないほど泥沼の様相に。レフェリーが間に入り、双方の反則に(頭突きとグーパンチ)注意を入れた所でそのジャッジに呆れた菅原がリングを降りて試合放棄した<ref name="アポロ戦"/><ref>船木がかつて担当していた「プロレス格闘技DX」のコラムによれば{{要ページ番号|date=2015年11月}}、当日の試合後、鈴木は控え室で泣いていたという。またこの興行は、[[北尾光司]]がプロレス史上に残る「八百長野郎」事件を起こしたことでも知られている</ref>。
* [[1992年]]10月、東京ドーム大会で、[[ソウルオリンピック]]のレスリング金メダリスト:[[ゴベリシビリ・ダビッド]]と対戦、[[裸絞|裸絞め]]で勝利。
 
=== UWF ===
藤原組は[[カール・ゴッチ]]を顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。
{{スポーツ選手の出典明記|選手 = プロレスラー|UWF|section = 1|date = 2020年6月}}
* 4月3日にUWFと契約<ref>『猪木は馬場をなぜ潰せなかったのか 80年代プロレス暗闘史』西花池湖南</ref>。
; 1989年
* 5月に[[田村潔司]]のデビュー戦の相手を務め、UWFでの初白星<ref>「週刊プロレス」別冊2008年冬季号「新生UWF証言集」 P.47 「新生UWF 闘いの記録」「UWF HAY HISTORY 2nd.」東京ベイNHホール</ref>。
; 1989年
* 11月29日、骨折した[[船木誠勝]]の代役で[[東京ドーム]]大会「[[U-COSMOS]]」で、[[モーリス・スミス]]と[[異種格闘技戦]]で対戦したが、4ラウンドでKO負け。後に鈴木は「スミスの強さにビビって大観衆の前で泣いて自らリングに寝転がった」と語っている<ref name="スミス戦"/>。
; 1991年
* 3月、UWFを退団。
 
=== プロフェッショナルレスリング藤原組 ===
{{スポーツ選手の出典明記|選手 = プロレスラー|プロフェッショナルレスリング藤原組|section = 1|date = 2020年6月}}
3月、船木らと[[藤原組|プロフェッショナルレスリング藤原組]]へ参加。
; 1991年
* 4月1日、[[SWS]]と提携して行われた[[ワールド記念ホール|神戸ワールド記念ホール]]大会における[[アポロ菅原]]戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木は張り手を菅原は前蹴りを放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為を仕掛け<ref name="アポロ戦">「[[週刊プロレス]]」別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.59「神戸事件の夜、ミナミのスナックで…」(元週刊ファイト編集次長、波々伯部哲也による出筆)より</ref>、その行為に対して鈴木はコーナーに追い詰め頭突きを見舞い菅原はグーパンチで応戦。まともに試合が成立しないほど泥沼の様相に。レフェリーが間に入り、双方の反則に(頭突きとグーパンチ)注意を入れた所でそのジャッジに呆れた菅原がリングを降りて試合放棄した<ref name="アポロ戦"/><ref>船木がかつて担当していた「プロレス格闘技DX」のコラムによれば{{要ページ番号|date=2015年11月}}、当日の試合後、鈴木は控え室で泣いていたという。またこの興行は、[[北尾光司]]がプロレス史上に残る「八百長野郎」事件を起こしたことでも知られている</ref>。
; 1992年
* 10月、東京ドーム大会で、[[ソウルオリンピック]]のレスリング金メダリスト:[[ゴベリシビリ・ダビッド]]と対戦、[[裸絞|裸絞め]]で勝利。
; 1993年
* 1月、船木らと共に藤原組を退団。
藤原組は[[カール・ゴッチ]]を顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。
 
=== パンクラス ===
{{スポーツ選手の出典明記|選手 = レスラー|パンクラス|section = 1|date = 2020年6月}}
* [[1993年]]1月、船木らと共に藤原組を退団。
* 1993年8月、[[パンクラス]]を船木らと共に旗揚げ。
* 1993年9月21日、パンクラス旗揚げ戦の第1試合にて[[稲垣克臣]]にチョークスリーパーで勝利<ref name="20周年本戦歴"/><ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P28.「VS稲垣克臣 『"秒殺"の裏側で』」によると「パンクラスのルールでチョークを解禁したから自分が第1試合でチョークで決めることにより既存のプロレスとの相違点を周知させようという狙いがあったとのこと。</ref>。
* 1993年11月、神戸大会で[[モーリス・スミス]]と[[キックボクシング]]ルールで対戦し3RでTKO負け<ref name="20周年本戦歴"/>。
; 1994年
* [[1994年]]5月、武道館大会でスミスと再戦し、3Rに腕ひしぎ十字固めで勝利。U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 5月、[[日本武道館]]大会でスミスと再戦し、3Rに腕ひしぎ十字固めで勝利。U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした<ref name="20周年本戦歴"/>。
* [[1995年]]5月、NKホール大会では[[ケン・シャムロック]]を破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなる<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 7月、[[バス・ルッテン]]と対戦し、膝蹴りでKO負け。
* 1995年9月、[[日本武道館|武道館]]大会で、[[バス・ルッテン]]にフロントチョークスリーパーで敗退し、キング・オブ・パンクラシストから転落<ref name="パンクラス"/>。
* 10月、[[両国国技館]]大会で[[船木誠勝]]と対戦し、チョークスリーパーで一本負け。
* [[1996年]]1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦を[[フランク・シャムロック]]と行うが敗退。以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の[[近藤有己]]にまで敗退。同年10月より長期欠場した<ref name="パンクラス">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P23 - 27「パンクラス時代 一瞬の栄光と挫折の連続、そして再生へ」</ref>.。
; 1995年
* [[1997年]]5月、[[ジョエル・サトゥン]]戦で復帰<ref name="パンクラス"/>。7月には負傷が再発し再び欠場した。以後、[[山宮恵一郎]]や、[[冨宅飛駈]]などに敗北。この頃の鈴木は、[[リングス]]とパンクラスとのトラブルに巻き込まれ、[[前田日明]]より「パンクラスは邪魔だから潰したい」、「高橋君([[高橋和生]])には付き合ってられない。鈴木、お前出て来い」などと挑発されたが鈴木は黙殺し続けた<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 pp25. パンクラス時代の略歴より抜粋</ref>、一方で当時[[シュートボクシング]]に在籍していた[[村浜武洋]]に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライター・[[安田拡了]]経由で村浜に圧力をかけるなどの言動もあった。
* 4月、[[愛知県武道館]]大会で[[フランク・シャムロック]]と対戦し、スリーパーホールドで一本負け。
* 5月、NKホール大会では王者の[[ケン・シャムロック]]を破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなる<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 9月、日本武道館大会で、挑戦者のバス・ルッテンにフロントチョークスリーパーで敗退し、キング・オブ・パンクラシストから陥落<ref name="パンクラス"/>。
; 1996年
* 1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦を[[フランク・シャムロック]]と行うが敗退。以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、同年10月より長期欠場した<ref name="パンクラス">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P23 - 27「パンクラス時代 一瞬の栄光と挫折の連続、そして再生へ」</ref>。
; 1997年
* 5月、ジョエル・サトゥン戦で復帰<ref name="パンクラス"/>。しかし負傷が再発し再び欠場した。この頃の鈴木は、[[リングス]]とパンクラスとのトラブルに巻き込まれ、[[前田日明]]より「パンクラスは邪魔だから潰したい」、「高橋君([[高橋和生]])には付き合ってられない。鈴木、お前出て来い」などと挑発されたが鈴木は黙殺し続けた<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 pp25. パンクラス時代の略歴より抜粋</ref>、一方で当時[[シュートボクシング]]に在籍していた[[村浜武洋]]に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライター・[[安田拡了]]経由で村浜に圧力をかけるなどの言動もあった。
* その後は「キャッチレスリング」という組み技限定ルールとエキシビションを中心に活動。
; 2002年
* [[2002年]]6月、[[DEEP (格闘技団体)|DEEP2001]]に出場し、[[ルチャリブレ|ルチャドール]]の[[エル・ソラール]]と対戦するが、試合中のアクシデントで([[金的]]蹴りを食らい)反則勝ち<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 3月、[[DEEP (格闘技団体)|DEEP2001]]に出場し、[[ルチャリブレ|ルチャドール]]の[[エル・ソラール]]と対戦するが、試合中のアクシデントで[[金的|ローブロー]]をもらい反則勝ち<ref name="20周年本戦歴"/>。
 
指導者としては「出稽古禁止」などのルールを設けたが、これはパンクラスの練習を疎かにして他の所に練習に行くという行為を認めなかったという物である<ref name="出稽古">『プロレスで〈自由〉になる方法』pp58 - 59 本文中で鈴木は「パンクラスの練習をしっかりこなして他の練習に行くなら文句はなかった」と語っている。</ref>。しかしマスコミや<ref>週刊プロレス別冊「UWF30年史」 (2013年、ベースボール・マガジン社)P78 - 82、「鈴木みのる×伊藤崇文 あの時横浜道場で……」</ref> 一部の練習生からの反発もあり<ref name="出稽古"/>、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。
* [[2002年]]11月、横浜大会で[[獣神サンダー・ライガー]]に勝利<ref name="20周年本戦歴"/>。本来はライガーではなく、[[佐々木健介]]と対決する予定であったが、同年9月に健介が負傷。その後、健介が新日本プロレスを退団したため、ライガーが代役として出場した経緯があった<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P4 - 10. 巻頭インタビュー「鈴木みのるを解放せよ。」(構成・聞き手:[[斎藤文彦]])</ref>。
 
=== プロレス復帰 ===
; 2003年
ライガー戦を最後に、総合格闘技の試合は行っていない(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)<ref name="20周年本戦歴"/>。[[2003年]]4月にパンクラスのプロレス部門として「パンクラスMISSION」を立ち上げた。
{{ページ番号|date=2020年6月}}ライガー戦を最後に、総合格闘技の試合は行っていない(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)<ref name="20周年本戦歴" />。[[2003年]]4月にパンクラスのプロレス部門として「パンクラスMISSION」を立ち上げた。プロレス回帰を進めるにつれて、これまでリングを降りると礼儀正しく振る舞う好青年であった人柄から、時に厳つい眼光で睨み、時に舌を出して高笑いを見せ、試合内外で徹底的に相手を罵倒し、自分の価値観を押し通すと言う傍若無人かつ唯我独尊なキャラクターを作り上げ、これが「'''世界一性格の悪い男'''」と称されるきっかけになる。
* 2003年6月13日、[[日本武道館]]での[[成瀬昌由]]戦より古巣の新日本マットに参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 6月13日、新日本プロレス [[日本武道館]]での[[成瀬昌由]]戦より古巣・新日に参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* [[2004年]]8月17日、[[菊タロー|初代えべっさん]]と対戦。1秒で勝利<ref name="20周年本戦歴"/><ref>なお再試合、再々試合も行われいずれも勝利している</ref>。
; 2004年
* 2004年11月、[[IWGPヘビー級王座]]を懸けての場で念願の佐々木健介との対戦を実現させた<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 8月17日、[[菊タロー|初代えべっさん]]と対戦。1秒で勝利<ref name="20周年本戦歴"/><ref>なお再試合、再々試合も行われいずれも勝利している</ref>。
* 一方で[[2004年]]7月10日、[[プロレスリング・ノア 東京ドーム大会|東京ドーム大会]]よりIWGPタッグ王座を持ちパートナーの高山善廣と共に[[プロレスリング・ノア]]に参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。[[2005年]]1月8日、武道館大会で[[小橋建太]]とGHCヘビー級タイトルマッチを行った<ref name="20周年本戦歴"/>。[[2005年]]6月18日、[[丸藤正道]]と組んで、イギリスまで出向き、[[チャールズ・スキャッグス|スコーピオ]]、[[ダグ・ウィリアムス (プロレスラー)|ダグ・ウィリアムス]]組と戦い勝利、[[GHCタッグ王座]]を奪取した<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 7月10日、[[2006年プロレスリング・ノア 東京ドーム大会]]、佐々木健介よりIWGPタッグ王者としてパートナー20周年自主興行高山善廣と共に参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 11月13日、新日本・大阪ドーム大会にて、[[IWGPヘビー級王座]]を懸けての場で念願の佐々木健介との対戦を実現させた<ref name="20周年本戦歴"/>。
 
; 2005年
=== 全日本プロレス ===
* 1月8日、ノア・武道館大会で[[小橋建太]]とGHCヘビー級タイトルマッチを行ったが敗戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 2006年3月、[[全日本プロレス]][[大田区体育館]]大会のメインイベント[[三冠ヘビー級王座|三冠ヘビー級選手権試合]]終了後、勝利した[[小島聡]]を背後からスリーパーで絞め上げ、参戦を表明。2006年4月の[[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]より全日本を主戦場とした<ref name="全日本">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P34 - 35. 「MISSION時代〔PART.3〕vs全日本」</ref>。
* 5月10日、[[DRAGON GATE]]に参戦。ストーカー市川とシングルマッチをこなした。
* 2006年6月23日、[[ウルティモ・ドラゴン]]主催興行で[[メカマミー]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 6月18日、[[丸藤正道]]と組んでイギリスまで出向き、[[チャールズ・スキャッグス|スコーピオ]]、[[ダグ・ウィリアムス (プロレスラー)|ダグ・ウィリアムス]]組と戦い勝利、[[GHCタッグ王座]]を奪取した<ref name="20周年本戦歴"/>。
; 2006年
* 2月11日、後楽園ホールにて佐々木健介20周年自主興行に参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 3月、[[全日本プロレス]]・[[大田区体育館]]大会のメイン終了後に乱入し、[[三冠ヘビー級王座|三冠ヘビー級]]王者・[[小島聡]]を背後からスリーパーで絞め上げた。4月の[[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]より全日本を主戦場とした<ref name="全日本">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P34 - 35. 「MISSION時代〔PART.3〕vs全日本」</ref>。
* 6月23日、[[ウルティモ・ドラゴン]]主催興行で[[メカマミー]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 9月3日、札幌メディアパーク・スピカ大会で[[太陽ケア]]を破り、三冠ヘビー級王座を奪取(第35代)<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 12月12日[[リアルジャパンプロレス]]後楽園大会では、[[佐山聡|初代タイガーマスク]]とシングルで対戦し勝利<ref name="20周年本戦歴"/>。
; 2007年
* [[2007年]]1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で永田と三冠ヘビー級王座戦を行い、勝利<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 2007年51月4日、[[マッスル (新日本プロレス)|マッスルハウス4の東京ドーム大会で[[永田裕志]]に参戦と三冠ヘビー級選手権を行い、勝利<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 2007年125244日、[[ZERO1マッスル (プロレス)|ZERO1-MAXマッスルハウス4]]に参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 5月18日、高山善廣と共に[[CMLL]]に参戦<ref>{{Cite web |和書 |url=https://wp.bbm-mobile.com/sp2/News/Detail.asp?n=022830 |title=鈴木&高山組がメキシコCMLLマットに登場 |publisher=週刊プロレスmobileプレミアム |date=2007-05-19 |accessdate=2025-03-20}}</ref>。
* 2008年1月23日、[[西口プロレス]]で[[アントニオ小猪木]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 11月、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]との「超異次元タッグ」で[[世界最強タッグ決定リーグ戦]]に参戦。
* 2008年4月13日、[[ハッスル (プロレス)|ハッスル30]]で[[レイザーラモンRG]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
のちに著書の中で「(ブッチャーは)カール・ゴッチ、藤原喜明と同じように、自分を構成する要素を与えてくれた大きな存在」と述べている<ref>『ギラギラ幸福論 黒の章』 P.134</ref>。
* 2008年4月20日、後楽園大会で太陽ケア・[[NOSAWA論外]]・[[MAZADA]]・[[竹村豪氏|TAKEMURA]]と共に「[[GURENTAI]]」を結成した<ref name="全日本"/>。
* 12月24日、[[ZERO1|ZERO1-MAX]]に初参戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 2008年6月17日、後楽園ホールで、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催。モーリス・スミスとのエキシビションマッチおよび高山との2度目のシングルマッチを行った。
; 2008年
* [[2009年]]8月30日、両国大会で、プロレス復帰した船木とタッグマッチで対戦(パートナーは鈴木が[[蝶野正洋]]、船木が[[武藤敬司]])。
* 1月23日、[[西口プロレス]]で[[アントニオ小猪木]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* 2009年9月26日、横浜文体大会で、船木とシングルで対戦。感情むき出しで船木に突っかかり、鈴木のレフェリー暴行による反則負け。
* 4月13日、[[ハッスル (プロレス)|ハッスル30]]で[[レイザーラモンRG]]と対戦<ref name="20周年本戦歴"/>。
* [[2010年]]3月22日、両国大会で船木と「[[デスマッチ#金網デスマッチ|金網マッチ]]」で再戦したが、レフェリーストップによるKO負け。
* 4月20日、後楽園大会で太陽ケア・[[NOSAWA論外]]・[[MAZADA]]・[[竹村豪氏|TAKEMURA]]と共に「[[GURENTAI]]」を結成した<ref name="全日本"/>。
* 2010年4月11日、チャンピオンカーニバル決勝で船木を破り、大会史上3人目の連覇を達成した(対船木戦初勝利)。
* 6月17日、後楽園ホールで鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催。モーリス・スミスとのエキシビションマッチおよび高山との2度目のシングルマッチを行った。
* 2010年5月2日、愛知県大会で[[浜亮太]]を破り第42代三冠ヘビー級王者となる。
; 2009年
* 2011年5月8日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会で[[杉浦貴]]のGHCヘビー級選手権に挑戦し敗北。
* [[2009年]]8月30日、両国大会でプロレス復帰した船木とタッグマッチで対戦(パートナーは鈴木が[[蝶野正洋]]、船木が[[武藤敬司]])。
* 2011年6月、全日本プロレスとの常時出場契約が満了、19日の両国国技館大会で[[渕正信]]とのシングルマッチで対戦し試合後「新しい実がついたら(選手が育ったら)収穫に来てやる」とコメントを残し全日本に一時別れを告げた。
* 9月26日、横浜文体大会で船木とシングルで対戦。鈴木も感情むき出しで船木に突っかかり、鈴木のレフェリー暴行による反則負け。
; 2010年
* [[2010年]]3月21日、両国大会で船木と全日本初の「[[デスマッチ#金網デスマッチ|金網マッチ]]」で再戦したが、レフェリーストップによるKO負け。
* 4月11日、チャンピオン・カーニバル決勝で船木を破り、大会史上3人目の連覇を達成した(対 船木戦初勝利)。
* 5月2日、愛知県大会で[[浜亮太]]を破り、第42代三冠ヘビー級王者となる。
 
==== 新ユニット「鈴木軍」を結成 ====
=== 2011年5月以降 ===
; 2011年
* 2011年5月3日、新日本博多大会に来場し、[[真壁刀義]]対小島の試合後、敗れた小島を襲撃し、それまで小島と共闘していた[[TAKAみちのく]]、[[タイチ (プロレスラー0|タイチ]]と共に、「[[鈴木軍|鈴木軍(仮)]]」を結成した。2011年6月18日、大阪府立体育会館大会より本格に参戦する。
* 5月3日、新日本・博多大会に来場し、[[真壁刀義]]対小島の試合後、敗れた小島を襲撃し、それまで小島と共闘していた[[TAKAみちのく]]、[[タイチ (プロレスラー)|タイチ]]と共に「[[鈴木軍]]」を結成した。
* 2011年6月25日、2回目の自主興行「PAILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~」を開催。鈴木は[[里村明衣子]]と組み、[[高山善廣]]、[[栗原あゆみ]]組とのミクストタッグマッチで試合をした他、無期限謹慎中だったNOSAWA論外をリングに上げ(NOSAWA1人で、[[菊タロー|KIKUZAWA]]、高山、鈴木の3人と続けてシングルマッチを行う「3人掛け」をその場で組み)、NOSAWAのプロレス界復帰の後押しを行なった。
* 5月8日、ノア・有明コロシアム大会で[[杉浦貴]]のGHCヘビー級選手権に挑戦したが敗北。
* 2011年8月、G1クライマックスに出場。
* 6月19日、両国国技館大会『2011プロレスLOVE in 両国 Vol.12』で[[渕正信]]とのシングルマッチで対戦し、試合後に鈴木は「新しい実がついたら(選手が育ったら)収穫に来てやるよ!」とコメントを残し、レギュラー参戦契約が満了となり離脱。
* 2011年8月、事前予告無し、マスコミ非公開という形で[[宮城県]][[気仙沼市]]で試合(興行)を開催する<ref>[http://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-10997429899.html 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2011年8月25日更新ページ「気仙沼本吉町で、カウント2.9~さあ、ここから~」] 2011年8月29日 閲覧</ref>。
{{スポーツ選手の出典明記|選手=レスラー|2011年5月以降|section=1|date = 2020年6月}}
* 2011年10月より、[[ランス・ホイット|ランス・アーチャー]]とのタッグで[[G1 TAG LEAGUE|G1タッグリーグ]]に出場し、決勝で[[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]]、[[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]]組を破り、同リーグ優勝。11月12日、バーナード、アンダーソン組にランスとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するも、ランスがフォールを奪われ敗北。
* 6月18日、新日本プロレス・大阪府立体育会館大会より本格参戦。「鈴木軍」として本格活動開始。
* 2011年11月17日、[[金原弘光]]のデビュー20周年記念興行に出場。「U-SPIRITSルール」<ref>「ダウン」もしくは「ロープエスケープ」毎に1ポイントをロストし、ロストポイントが5に達するとTKO負けとなるルール</ref>で金原と対戦し、勝利した。この試合ではレガースを着用して試合に臨み、試合前には金原の握手に鈴木が応じ、試合後には金原の座礼に対して一度は断るものの応じる場面が見られた。
* 6月25日、2回目の自主興行「PAILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~」を開催。鈴木は[[里村明衣子]]と組み、[[高山善廣]]、[[栗原あゆみ]]組とのミクストタッグマッチで試合をした他、無期限謹慎中だったNOSAWA論外をリングに上げ(NOSAWA1人で[[菊タロー|KIKUZAWA]]、高山、鈴木の3人と続けてシングルマッチを行う「3人掛け」をその場で組み)、NOSAWAのプロレス界復帰の後押しを行なった。
* 2011年12月4日、ジャイアント・バーナードとシングルで対戦し、ゴッチ式パイルドライバーを決めて勝利してIWGPヘビー級王座挑戦権獲得。2012年1月4日、IWGP王者の[[棚橋弘至]]に挑戦したが敗北。
* 8月、[[G1 CLIMAX]]に出場。優勝戦線まで残るが、最終戦で中邑に敗れて優勝決定戦進出はならず、6勝3敗に終わった。
* 2012年8月、2年連続でG1 CLIMAXに出場。
* 事前予告無し、マスコミ非公開という形で[[宮城県]][[気仙沼市]]で試合(興行)を開催する<ref>[https://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-10997429899.html 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2011年8月25日更新ページ「気仙沼本吉町で、カウント2.9~さあ、ここから~」] 2011年8月29日 閲覧</ref>。
* 2012年[[10月8日]]、両国大会にて棚橋の[[IWGPヘビー級王座]]戦で再度棚橋に挑戦したがまたしても敗北。
* 10月より、[[ランス・アーチャー]]とのタッグで[[WORLD TAG LEAGUE|G1 TAG LEAGUE]]に出場し、決勝で[[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]]、[[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]]組を破り、同リーグ優勝。11月12日、バーナード、アンダーソン組にアーチャーとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するも、アーチャーがフォールを奪われ敗れる。
* 2012年[[11月20日]]より開催された[[G1 TAG LEAGUE|WORLD TAG LEAGUE]]に、[[真霜拳號]]とのタッグ「鈴木軍」で出場。
* 11月17日、[[金原弘光]]のデビュー20周年記念興行に出場。「U-SPIRITSルール」<ref>「ダウン」もしくは「ロープエスケープ」毎に1ポイントをロストし、ロストポイントが5に達するとTKO負けとなるルール</ref> で金原と対戦し勝利した。この試合で鈴木はレガースを着用して試合に臨み、試合前には金原の握手に鈴木が応じ、試合後には金原の座礼に対して一度は断るものの、応じる場面が見られた。
* [[2013年]]1月4日、東京ドーム大会で永田と対決。
* 12月4日、ジャイアント・バーナードとシングルで対戦し、ゴッチ式パイルドライバーを決めて勝利しIWGPヘビー級王座挑戦権獲得。2012年1月4日、IWGP王者の[[棚橋弘至]]に挑戦したが敗れた。
* 2013年5月3日、[[オカダ・カズチカ]]の持つIWGPヘビー級王座に挑戦。
; 2012年
* 2014年6月8日、直前の横浜アリーナ大会でCHAOSを裏切り鈴木軍入りした[[飯塚高史]]とタッグを組み、矢野・桜庭らとの抗争を開始。
* 8月、2年連続でG1 CLIMAXに出場。
* 2014年7 - 8月、4年連続でG1 CLIMAXに出場したものの、5勝5敗(勝ち点10)で予選リーグ敗退となった。後に[[A.J.スタイルズ]]とのリーグ戦試合が、レスリング・オブザーバー紙年間最優秀試合(Match of the Year)に選出される。
* 10月8日、両国大会にて棚橋の[[IWGPヘビー級王座]]挑戦で再度棚橋の保持するIWGPヘビー選手権に挑戦したが、またしても鈴木の敗戦に終わった。
* 2014年11月9日、[[中村あゆみ]]とのコラボ興行「あゆみのるPresents"風になれ"フェスティバル」を開催、鈴木軍(鈴木、TAKAみちのく、タイチ組)のボスとして自身に縁のあるGURENTAI(高山、NOSAWA論外、MAZADA組)と闘った。
* 11月20日より開催された[[WORLD TAG LEAGUE]]に[[真霜拳號]]とのタッグ「鈴木軍」で出場。
* 2015年1月4日、[[桜庭和志]]と3カウントと場外カウントなしの完全決着ルールで対戦し勝利し一連の抗争に決着を付けた。
; 2013年
* 2015年1月10日、[[プロレスリング・ノア]]後楽園ホール大会に乱入しノアに参戦開始。
* 1月4日、東京ドーム大会で永田と対決。
* 2015年3月15日、丸藤正道を破り第23代[[GHCヘビー級王座]]となった<ref name="gon201504">『ゴング』新装刊2号 pp10 - 13 掲載3・15決戦!!Part.1 プロレスリング・ノア 2015年3月15日『GREAT VOYAGE IN TOKYO 2015』試合リポート&鈴木みのるインタビュー「ノアなんてオンボロ船はほっといても沈むんだけど、昨日ちょっとだけムカついたから気が変わった。丸藤の減らず口を聞いて、沈めちゃおうってね」 聞き手:堀江将司(2015年3月、発行:アイビーレコード 発売:徳間書店 ISBN 978-4-19-710398-0)</ref>。
* 5月3日、[[オカダ・カズチカ]]の持つIWGPヘビー級王座に挑戦。
* 2016年11月、グローバルリーグ戦優勝<ref>『週刊プロレス』No.1880 p19 -25</ref>。12月2日中嶋勝彦のGHCヘビー級王座に挑戦、3日には杉浦貴との対戦を終えノアから撤退<ref>『週刊プロレス』No.1881 p23 - 25</ref>。
; 2014年
* 2017年1月5日、新日本プロレスに再上陸<ref>『週刊プロレス』No.1886 p15 - 17</ref>。
* 6月8日、直前の横浜アリーナ大会でCHAOSを裏切り鈴木軍入りした[[飯塚高史]]とタッグを組み、矢野・桜庭らとの抗争を開始。
* 2017年4月27日、[[後藤洋央紀]]を破り[[NEVER無差別級王座]]戴冠。
* 7月-8月、4年連続でG1 CLIMAXに出場したものの5勝5敗(勝ち点10)で予選リーグ敗退となった。後に[[AJスタイルズ]]とのリーグ戦試合が、レスリング・オブザーバー紙年間最優秀試合(Match of the Year)に選出される。
* 2018年1月4日、[[後藤洋央紀]]とノーセコンド&敗者髪切りデスマッチ試合形式の中、後藤洋央紀に敗れ、[[NEVER無差別級王座]]陥落
* 11月9日、[[中村あゆみ]]とのコラボ興行「あゆみのるPresents"風になれ"フェスティバル」を開催、鈴木軍(鈴木、TAKAみちのく、タイチ組)のボスとして自身に縁のあるGURENTAI(高山、NOSAWA論外、MAZADA組)と闘った。
* 2018年1月27日、北海きたえーるで[[棚橋弘至]]の持つ、[[IWGPインターコンチネンタル王座]]に挑戦し、レフェリーストップにより戴冠
; 2015年
* 1月4日、[[桜庭和志]]と3カウントと場外カウントなしの完全決着ルールで対戦し勝利し一連の抗争に決着を付けた。
* 1月10日、[[プロレスリング・ノア]]後楽園ホール大会に乱入しノアに参戦開始。
* 3月15日、丸藤を破り第23代[[GHCヘビー級王座]]となった<ref name="gon201504">『ゴング』新装刊2号 pp10 - 13 掲載3・15決戦!!Part.1 プロレスリング・ノア 2015年3月15日『GREAT VOYAGE IN TOKYO 2015』試合リポート&鈴木みのるインタビュー「ノアなんてオンボロ船はほっといても沈むんだけど、昨日ちょっとだけムカついたから気が変わった。丸藤の減らず口を聞いて、沈めちゃおうってね」 聞き手:堀江将司(2015年3月、発行:アイビーレコード 発売:徳間書店 ISBN 978-4-19-710398-0)</ref>。
; 2016年
* 11月、[[N-1 VICTORY|グローバル・リーグ戦]]優勝<ref>『週刊プロレス』No.1880 p19 -25</ref>。12月2日中嶋勝彦のGHCヘビー級王座に挑戦、3日には杉浦貴との対戦を終えノアから撤退<ref>『週刊プロレス』No.1881 p23 - 25</ref>。
; 2017年
* 1月5日、新日本プロレスに再上陸<ref>『週刊プロレス』No.1886 p15 - 17</ref>。
* 4月27日、[[後藤洋央紀]]を破り[[NEVER無差別級王座]]戴冠。
; 2018年
* 1月4日、後藤とノーセコンド&「[[敗者髪切りデスマッチ]]」試合形式の中、後藤に敗れ[[NEVER無差別級王座]]から陥落。
* 1月27日、北海きたえーるで棚橋の持つ[[IWGPインターコンチネンタル王座]]に挑戦し、レフェリーストップにより戴冠。
* 6月23日から6月24日にかけて、デビュー30周年記念野外フェスティバル『大海賊祭』を開催。初日のメインイベントでオカダと対戦したが、30分時間切れにより引き分け<ref>。[https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201806240001-spnavi 鈴木みのるが30周年でオカダとドロー IWGPの“お宝”奪還をファンに約束] Sportsnavi 2018年6月24日(日) 13:00(ワイズ・スポーツ株式会社、2019年1月26日閲覧)</ref>。
; 2020年
* 8月29日、SUMMER STRUGGLE IN JINGUにて[[鷹木信悟]]の保持するNEVER無差別級王座に挑戦、鷹木にゴッチ式パイルドライバーを決めNEVER戴冠を果たす。
; 2022年
* 1月4日、KOPWランボーで争い4人のうちの4人 矢野、オーエンズ、CIMA、鈴木が残る。
** 1月5日、前日の試合で勝ち残った4人、矢野、オーエンズ、CIMA、鈴木が対決し矢野にゴッチ式パイルドライバーを決めて鈴木が勝利、KOPW2022のチャンピオンとなる。
* 2月20日、北海きたえーるで矢野とKOPW2022防衛戦を行い、ドッグケージに収監され敗北。
 
==== 鈴木軍を解散 ====
* 12月14日、鈴木軍を年内をもって解散することを宣言した。
; 2023年
* 1月5日、大田区大会の第1試合終了後、[[HOUSE OF TORTURE]](HOT)に蹂躙されていた[[成田蓮]]を元鈴木軍の[[エル・デスペラード]]と共に救出。以降、HOTとの抗争を開始する。
 
==== 新ユニット「ストロングスタイル」を結成 ====
* 2月11日、大阪大会にてデスペラード&成田とのトリオで、HOTの[[EVIL]]、[[高橋裕二郎]]、[[SHO (プロレスラー)|SHO]]が保持する[[NEVER無差別級6人タッグ王座]]に挑戦しこれを奪取。試合後のマイクではチーム名を「[[ストロングスタイル (プロレスユニット)|ストロングスタイル]]」と発表した。
 
== 戦績 ==
=== 総合格闘技 ===
{{MMA recordbox
|total=49
|wins=29
|KOwins=2
|subwins=22
|decwins=4
|otherwins=1
|losses=19
|KOloss=7
|subloss=7
|decloss=5
|otherloss=2
|draws=0
|no contests=1
}}
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|○|[[獣神サンダー・ライガー]]|1R 1:48 チョークスリーパー|PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR| 2002年11月30日}}
{{Fight-cont|○|[[エル・ソラール]]|反則勝ち(金的)| DEEP2001 4th IMPACT in NAGOYA| 2002年3月30日}}
{{Fight-cont|○|冨宅飛駈|5:09 膝十字固め| PANCRASE 2001 PROOF TOUR| 2001年9月30日}}
{{Fight-cont|×|デニス・ケイン|3:43 ギブアップ| PANCRASE 2000 TRANS TOUR| 2000年9月24日}}
{{Fight-cont|○|ショーン・ダグティ|1:01 チキンウィングアームロック| PANCRASE 2000 TRANS TOUR| 2000年4月30日}}
{{Fight-cont|×|[[菊田早苗]]|2:39 レフェリーストップ(肩固め)| PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR| 1999年12月18日}}
{{Fight-cont|×|[[渋谷修身]]|2:31 レフェリーストップ| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR<br />【ランキング戦】| 1998年12月19日}}
{{Fight-cont|×|オマー・ブイシェ|0:45 チョークスリーパー| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年10月26日}}
{{Fight-cont|×|[[高橋義生]]|8:06 TKO(掌打)| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年9月14日}}
{{Fight-cont|×|冨宅飛駈|10分終了 判定0-1| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR<br />【東京・横浜道場対抗戦:先鋒戦】| 1998年6月21日}}
{{Fight-cont|○|ジョン・ローバー|15分終了 判定| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年6月2日}}
{{Fight-cont|○|トニー・ロホ|10分+延長3分終了 判定3-0| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年4月26日}}
{{Fight-cont|○|窪田幸生|3:38 チョークスリーパー| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年3月18日}}
{{Fight-cont|×|山宮恵一郎|20分終了 判定0-2| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR<br />【ランキング戦】| 1998年3月01日}}
{{Fight-cont|×|[[セミー・シュルト|セーム・シュルト]]|9:52 KO(膝蹴り)| PANCRASE 1998 ADVANCE TOUR| 1998年1月16日}}
{{Fight-cont|×|[[KEI山宮|山宮恵一郎]]|20分終了 判定| PANCRASE 1997 ALIVE TOUR<br />【ランキング戦】| 1997年9月6日}}
{{Fight-cont|×|ジェイソン・デルーシア|不戦敗| PANCRASE 1997 ALIVE TOUR<br />【ランキング戦】| 1997年7月20日}}
{{Fight-cont|○|ジャグエット・シン|0:21 KO(ハイキック)| PANCRASE 1997 ALIVE TOUR| 1997年6月18日}}
{{Fight-cont|○|ジョエル・サトゥン|0:48 アームロック| PANCRASE 1997 ALIVE TOUR| 1997年5月24日}}
{{Fight-cont|○|[[伊藤崇文]]|10分終了 判定| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH| 1996年10月8日}}
{{Fight-cont|×|ジェイソン・デルーシア|4:58 KO(左フック)| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH| 1996年9月7日}}
{{Fight-cont|×|ヴァーノン“タイガー”ホワイト|15分終了 判定0-2| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH| 1996年7月23日}}
{{Fight-cont|×|[[近藤有己]]|15分終了 判定0-2| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH| 1996年6月25日}}
{{Fight-cont|×|ガイ・メッツアー|7:59 TKO| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH<br />【ランキング戦】| 1996年5月16日}}
{{Fight-cont|○|冨宅飛駈|22:53 腕ひしぎ十字固め| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH| 1996年3月2日}}
{{Fight-cont|×|フランク・シャムロック|22:53 膝十字固め| PANCRASE TOUR 1996 TRUTH<br />【暫定キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチ】| 1996年1月28日}}
{{Fight-cont|-|[[ガイ・メッツァー]]|7:15 無効試合(ドクターストップ)| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年11月04日}}
{{Fight-cont|○|トッド・メディーナ|1:39 腕ひしぎ十字固め| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年11月04日}}
{{Fight-cont|×|バス・ルッテン|15:35 フロントチョークスリーパー| パンクラス 1995 EYES OF BEAST<br />【キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチ】| 1995年9月01日}}
{{Fight-cont|○|ジェイソン・デルーシア|9:03 フロントチョークスリーパー| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年7月22日}}
{{Fight-cont|○|ラリー・パパドポロス|8:34 スリーパーホールド| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年6月13日}}
{{Fight-cont|○|ウェイン・シャムロック|2:14 膝十字固め| パンクラス 1995 EYES OF BEAST<br />【キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチ】| 1995年5月13日}}
{{Fight-cont|×|[[フランク・シャムロック]]|3:23 スリーパーホールド| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年4月8日}}
{{Fight-cont|○|クリストファー・デウィーバー|1:50 チョークスリーパー| 夢の架け橋~憧夢春爛漫~| 1995年4月2日}}
{{Fight-cont|○|グレゴリー・スミット|9:10 チョークスリーパー| パンクラス 1995 EYES OF BEAST| 1995年3月10日}}
{{Fight-cont|×|[[山田学]]|14:46 腕ひしぎ十字固め| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP<br />【KING OF PANCRASE TOURNAMENT 準決勝】| 1994年12月17日}}
{{Fight-cont|○|[[ジェイソン・デルーシア]]|2:46 ヒールホールド| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP<br />【KING OF PANCRASE TOURNAMENT 2回戦】| 1994年12月16日}}
{{Fight-cont|○|[[マット・ヒューム]]|10分終了 判定| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP<br />【KING OF PANCRASE TOURNAMENT 1回戦】| 1994年12月16日}}
{{Fight-cont|×|[[船木誠勝]]|3:11 チョークスリーパー| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP| 1994年10月15日}}
{{Fight-cont|○|ロバート・ヨナサン|3:11 腕ひしぎ十字固め| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP| 1994年9月1日}}
{{Fight-cont|○|[[レムコ・パドゥール]]|7:16 KO(掌底)| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP| 1994年7月26日}}
{{Fight-cont|×|[[バス・ルッテン]]|3:41 KO(膝蹴り)| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP| 1994年7月6日}}
{{Fight-cont|○|モーリス・スミス|3R 0:36 腕ひしぎ十字固め| パンクラス 1994 ROAD TO THE CHAMPIONSHIP| 1994年5月31日}}
{{Fight-cont|○|トーマス・プケット|1:43 腕ひしぎ十字固め| パンクラス 1994 PANCRASH!| 1994年4月21日}}
{{Fight-cont|○|[[冨宅飛駈|冨宅祐輔]]|6:31 スリーパーホールド| パンクラス 1994 PANCRASH!| 1994年3月12日}}
{{Fight-cont|○|[[ケン・シャムロック|ウェイン・シャムロック]]|7:37 膝十字固め| パンクラス 1994 PANCRASH!| 1994年1月19日}}
{{Fight-cont|○|ジェームス・マシューズ|0:58 アームロック|パンクラス 1993 YES, WE ARE HYBRID WRESTLERS| 1993年10月14日}}
{{Fight-cont|○|[[ヴァーノン・ホワイト|ヴァーノン“タイガー”ホワイト]]|2:36 クロックヘッドシザース|パンクラス 1993 YES, WE ARE HYBRID WRESTLERS| 1993年10月14日}}
{{Fight-cont|○|[[稲垣克臣]]|3:25 チョークスリーパー|パンクラス 1993 YES, WE ARE HYBRID WRESTLERS| 1993年9月21日}}
{{Fight-end}}
 
=== キックボクシング ===
{{Kickboxing recordbox
|total=1
|wins=0
|KOwins=0
|decwins=0
|otherwins=0
|losses=1
|KOloss=1
|decloss=0
|otherloss=0
|draws=0
|no contests=0
|}}
{{Fight-start}}
{{Fight-header}}
{{Fight-cont|×| モーリス・スミス|3R 52秒 TKO|パンクラス|1993年11月}}
{{Fight-end}}
 
== 人物 ==
{{内容過剰|date=2013年1月|section=1|Wikipedia:過剰な内容の整理/過剰な内容の整理}}
* 鈴木と交流のある俳優の[[上地雄輔]]は横浜高校の後輩<ref name=natary151110/>、鈴木とは雑誌などでも対談している[[愛甲猛]]・[[大橋秀行]]は先輩にあたる。
* プロレスに再進出してからはヘアスタイルを頻繁に変えるようになり、凝った剃り込みが入っている。常連である横浜の美容室の美容師を「おらが村のカリスマ美容師」と呼び、大きな大会の前にはヘアスタイルを変えているちなみにそれ以前の鈴木のヘアスタイルは[[リーゼント]]か坊主だった。
* 普段は黒のショートタイツに黒のリングシューズというちであるが、パンクラス時代から現在に至るまでここ一番の大舞台では白のショートタイツを着用する<ref name="スミス戦">「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 pp18 「VS モーリス・スミス 『白装束が「特攻服」になった日』」</ref>(近年では先述のパンクラスでのライガー戦、ノアでの秋山戦など)。
** 白のショートタイツについては一時期は鈴木本人も「願掛け」のように縋り、本人いわ鈴木曰く「わけのわからない試合でも着用していた」が、[[高橋和生]]に「昔は特別な時にしか履いていなかったものを、特別ではない時も履いているのはカッコ悪いですよ」と指摘されていたことを語っている<ref>「新生UWF証言集」 P.75</ref>。
* 2005年7月18日のノア東京ドーム大会に息子を連れてきたり、「息子に自慢するから」とノアの5周年記念パーティで[[ネブ博士]]と写真を撮ったりしている。
* 2007年1月には全日本沖縄大会に参戦するため沖縄を訪れたが、その際に与那原警察署で一日署長を務めた。しかし[[東京スポーツ]]に「みのる逮捕」なるという見出しが載っていた。
* [[中村あゆみ]]の大ファンであり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202211070000838.html|title=【新日本】「カッゼーニーナレー!」27年鈴木みのる「世界一聞いている」酸いも甘いも味わい|publisher=日刊スポーツ|date=2022-11-07|accessdate=2022-11-08}}</ref>。入場テーマ曲は中村に直接製作を依頼したオリジナル曲『[[風になれ (中村あゆみの曲)|風になれ]]』である。会場ではリング・インする瞬間にくる「かっぜにぃなれー♪」の部分で大合唱が起こるようになってきている。2013年1月4日の新日本東京ドーム大会の永田戦やデビュー20周年興行のメインイベントなどビッグマッチでは、中村の生演奏をバックに入場したことがある。
** 中村あゆみ「みのる君<ref>中村は基本的に鈴木のことを「みのる君」と呼ぶ</ref> は、プロレス界では世界一性格の悪い男と言われているけど全然ちがう、モノをハッキリ言うし、嫌なこともズケズケ言うけど結構当たっている、キレイごとだけではなくすべてを見ようとしている」から口が悪くなるのだろうと指摘しつつ、「自分(中村)は利害関係がないから優しい男の一面を見せてくれるのかもしれないが、私の前では照れ屋、私が話すとすぐ真っ赤になる」などと評し純粋で奥手だったのではないかと分析している<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.52 「鈴木みのるを暴く! 証言者12 中村あゆみ」</ref>。
* 役者としてテレビドラマや映画に出演することもあり、“役者・鈴木みのる”について鈴木本人は『[[週刊プロレス]]』2008年4月16日号掲載の連載コラム「鈴木みのるの独り言」にて、「[[大根役者]]だな〜」とダメ出ししている。
* 趣味に[[釣り]]がある。東京スポーツの鈴木のインタビュー<ref>東京スポーツ2009年5月14日付「レスラー、格闘家のあんな話・こんな話 豪傑列伝」第4回</ref> によれば、元々実家が海に近いことから子供時代は兄弟でよく釣りに出ていたとのことだが、本格的に趣味としてのめりこみ始めた理由は「28歳の時にパンクラスで大きなケガをして、ついでに離婚もして(笑)。一人で家でボーっとしていたら友達から誘われて」とのこと。同インタビューで鈴木「引退したら釣り船屋か釣具屋をやろうかな。たぶん一生続けていくだろうな」とも語っている。なお、[[テレビ東京]]系列の釣り番組『[[釣り・ロマンを求めて]]』にパンクラスMISSIONの後輩でもある[[佐藤光留]]と共に出演したことがある。
* [[尾田栄一郎]]の漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』のファンだと公言しており、作中に登場する「悪魔の実」や「ゴムゴムの実」をイメージした剃り込みを入れていた時期もある。ジャンプの巻末コメントでは作者の[[尾田栄一郎]]から親交があることも明かされている。またアニメにも「風野みのる」として出演している。『SMAP×SMAP』で行われた芸能人の“ONE PIECE王”を決める「ONE PIECE王決定戦」では、一度優勝をしている。
* コンピューターゲームのファンでもあり、『[[ファイナルファンタジーIV]]』でロールプレイングゲームにハマる。パンクラス時代にプレイした『[[クロノ・トリガー]]』の大ファンであり、「[[週刊ファミ通]]」に[[ニンテンドーDS]]版リメイク作品のレビューを書いたことがある<ref>「週刊ファミ通」2009年4月17日号 (通刊1061号)(2009年、[[エンターブレイン]])P51.「ソフトウェアインプレッション」</ref>。
* パンクラス旗揚げ期には女性誌やファッション誌にモデルとして登場することがあり、『[[an・an]]』の「抱かれたい男ランキングの上位にランクインしたこともある<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.40 - 41.「オフ・ザ・リング秘蔵アルバム」</ref>
* さまざまな団体に参戦していてIWGPヘビー級王座に挑戦した次の日に[[崖のふちプロレス]]に参戦をするほか他、グレート・ムタ&矢野と闘う1.4東京ドームの前日にDDTプロレスリングに参戦もする。
* [[モーリス・スミス]]「昔、日本でスズキという奴と出逢った、彼が不利なルールで自分に挑戦してきたことを評価している、それで自分も総合格闘技に挑戦する気になった」と語っている<ref>「新生UWF証言集」P75.</ref>。
* [[高木三四郎]]は、当時DDTで最大の人気を誇っていたメカマミーとの戦いや、マッスルハウス4の世界観<ref>「世界フィギュアレスリング選手権」というフィギュアスケートを模した、試合などのやり取りに採点をするというプロレスとしては極めて特殊な設定。</ref> への対応を引き合いに出し「(SWSとの対抗戦のアポロ戦の印象から)頭のカタい人だと思っていたが180°ちがって自分たちの世界観に鈴木のキャラを崩さず対応して来て驚いた。DDTにレギュラー参戦されると乗っ取られかねない」と高く評価している<ref>『プロレスで〈自由〉になる方法』P158 - 161.</ref>。
* [[伊藤崇文]]には「船木さん(船木誠勝)とはちがう怖さ、鈴木さんはダイレクトな(見える)怖さ」と評された<ref name="30年史">週刊プロレス別冊「UWF30年史」 P79.</ref>、鈴木自身は「ゴッチさん(カール・ゴッチ)に影響された」、「(伊藤と知り合ったパンクラス旗揚げ期は)いつもカリカリしていて(自分にも他人にも)1ミリの狂いも許さなかった」と返答している<ref name="30年史"/>。
* 『大海賊祭』を横浜市の市民局と教育委員会の後援を取り付けて開催した動機としては、「小さいころから『食えない』という現実的な理由で夢を諦めている子供が多い。夢を潰しているのは大人の責任であり、自分は子供たちに夢のあるものを見せてあげたいね」という考えを持っていた<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/830035?page=2 デビュー30周年を教育委員会が後援!?鈴木みのるが無料イベントをやる理由。(2/3ページ)] Number Web 2018/02/27 11:30 (文藝春愁、2019年1月26日閲覧)</ref><ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/830035?page=3 デビュー30周年を教育委員会が後援!?鈴木みのるが無料イベントをやる理由。(3/3ページ)] Number Web 2018/02/27 11:30 (文藝春愁、2019年1月26日閲覧)</ref>。
*選手名鑑での好きな食べ物欄には、一貫して「鶏の唐揚げマヨネーズ和え」と記述している<ref name=":0">[[大坪ケムタ]]「レスラーめし」(2019年)[[ワニブックス]] 74‐75頁</ref>。パンクラス当時に掲げていた「ハイブリッドボディ」と相反する記載のため、ある種のネタにされてきたが、幼少時に兄弟で大皿に山盛りのから揚げを取り合ったりしたため、ずっと思い出の食べ物だという<ref name=":0" />。
 
== 得意技 ==
{{スポーツ選手の出典明記|選手=レスラー|得意技|section=1|date = 2020年6月}}
UWFの流れを汲んだレスラーであることや、ヘビー級戦線では102kgと小柄であることもあり、基本的に大技を用いることはあまりなく老獪なテクニックと相手をおちょくる動き、そしてピンポイントで決める投げ技で試合を組み立てていく。鈴木について[[棚橋弘至]]は「鈴木さんはあえて受け身をとらないし、もしくはあえて受け身を下手に見せて他の選手との差別化を図っているのではないか?」と評している<ref>『プロレスで〈自由〉になる方法』P34 - 36.</ref>。技のバリエーションについて鈴木は、「(2003年にプロレスに戻って来た時点で)知っているのは前座の技だけだった」と語り、堂々と客に見せられる技しか使わないことにしている<ref>『プロレスで〈自由〉になる方法』P181 - 182.</ref>。
=== フィニッシュ・ホールド ===
 
[[ファイル:Minoru Suzuki 3.jpg|thumb|[[パイルドライバー#派生技|ゴッチ式パイルドライバー]]。]]
関節技の多さ・正確性から、[[対戦型格闘ゲーム]]・[[鉄拳シリーズ]]のキャラクターとして登場する、覆面プロレスラー・キングの[[モーションキャプチャ]]に参加。ゲーム内に「ベルウッド・スペシャルコンボ」という名称を残す(ちなみにベルウッドは、鈴木というみのるの苗字の英訳)。
; [[パイルドライバー#派生技|ゴッチ式パイルドライバー]]
: 鈴木の代名詞。カール・ゴッチが使用していた相手の股をクラッチしての[[パイルドライバー]]。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、鈴木の場合は、最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている。(アマチュアレスリングの「がぶり」を切るクラッチの応用と鈴木が解説している。)過去には日本人最重量レスラーの[[浜亮太]]を持ち上げた事もある<ref>[[テレビ朝日]]「新日ちゃんぴおん。」2023年3月25日放送分より</ref>。
'''[[裸絞|スリーパーホールド]]'''
 
そのままKOを狙えるほどの容赦ない締め上げ。この技で相手をひるませてゴッチ式パイルドライバーにつないだり、座らせてロープに走りサッカーボールキックを見舞ったりもする。
鈴木曰く「大技ではなく必殺技。ハヤタ隊員が[[ウルトラマン]]に変身していきなりスペシウム光線を出さないのは、怪獣を動けなくさせてからでないと避けられるから。あと視聴者につまらない印象を与えないため」と、ウルトラマンに例えて自分のファイトスタイルを語っている。フィニッシュホールドの定義についても「誰でもできるけどその選手が使うとまったくちがう、っていうふうに見せられるのがプロ。フィニッシュホールドはなおさらそうじゃなきゃだめ。」と語る<ref>『プロレスで〈自由〉になる方法』P189.</ref>。
; ゴッチ式パイルドライバー
: カール・ゴッチが使用していた、相手の股をクラッチしてのパイルドライバー。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、鈴木の場合は最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている(アマチュアレスリングの「がぶり」を切るクラッチの応用と鈴木が解説している)。
: 「ゴッチ式」とあるが、開発者はゴッチではなく、鈴木本人であると週刊プロレスで述べている<ref>同誌連載のコラム「鈴木みのるの独り言」や、2008年に出版された週刊プロレス別冊冬季号「新生UWF証言集」のインタビューなどでも発言している</ref>。しかし技の完成に至る経緯で藤原組時代にゴッチによるアドバイスを受けて技を改良したことから「ゴッチ直伝」であることは間違いではないとしている<ref>『プロレスで〈自由〉になる方法』 pp188 - 189</ref>
; [[裸絞|スリーパーホールド]](裸絞め、チョークスリーパー)
: 後ろから相手の首をねちっこく締め上げる。基本的にこの時の鈴木は舌を出し、相手や観客を挑発する表情をしながら絞めていることが多い。スリーパーホールドで相手の抵抗力を奪ってから、ゴッチ式パイルドライバーにつなぐのが必殺フルコースだが、格下相手にはこれで失神を奪い勝利を決める。
; 逆落とし
: スタンディング・スリーパーホールドの状態から後方へクルっと首を絞めながら払い腰の要領でマットに叩きつけるコンパクトながらも危険な投げ技。投げた後、そのままスリーパーホールドをかけ続けてギブアップを奪う場合が多い。たまに、投げた後フォールにいくこともある。稀に断崖式も使用。
; 張り手
: 相手の頬を叩くだけの技。得意技としながらも「ビンタだけなら2歳児でも出来る」と鈴木は認めており、プロレスラーだからこそ出来る立派な技としてのビンタへ昇華させようとしている。緩急をつけ易いため、思い切り行くと見せかけて途中で止め軽く叩き相手をおちょくったり、掌底のようにフルスイングで打ち付けたりと大きな幅を持って使用している。2006年3月5日のGHCヘビー級選手権試合・秋山戦では、お互いに213発にも及ぶ張り手合戦を繰り広げた。
; [[ドロップキック]]
: 鈴木のドロップキックは、しっかり足を揃えてキックするので形が綺麗。プロレス再復帰戦となった成瀬戦でこの技を綺麗に決め、観客のどよめきを誘った。
; [[腕ひしぎ十字固め]]
: パンクラス時代から得意としている技。グラウンド・飛びつき式・タランチュラ式・技の切り返し等、バリエーションは多い。
; [[脇固め]]
: 一番の使い手でもある師匠の藤原から勝利を奪った事もあり、(2006年3月22日 ビッグマウスラウド 後楽園ホール シングルマッチ)、他の関節技同様に相手を挑発しながら極める事が多い。
; アキレス腱固め
: 若手時代より長年使用し続けている技。新生UWF時代には、師匠の藤原に「決め方」について試合中(1989年6月、愛知体育館でのシングルマッチ)直接「決め返される」形で「ダメ出し」された事もある。プロレス回帰後は、エプロン等を利用しロープ越しに決める「ぶら下がり式(タランチュラ式)」等バリエーションも多彩に。
; ジェットスタンプ
: プロレス回帰後使用し始めた技。ハーフダウン状態の相手に向かって走り込む、もしくはロープに飛んで勢いをつけて繰り出す顔面狙いのストンピング。名称は「心の中で(ゴムゴムの~…)って言いながら放っているとのことで<ref>{{Twitter status|suzuki_d_minoru|493553774355431424|鈴木本人のTwitter 2014年7月27日 17:29の発言}} 。</ref>、 [[ONE PIECE]]の[[モンキー・D・ルフィ]]の必殺技の一つが由来であると匂わせている。
: 『週刊プロレス』の試合リポートではジェットブーツやフロントジェットと記載されていた時期がある(主に全日本参戦時代)。
; ゴッチ式アームホールド(ローリングショルダーフック)
: チキンウィングに捕らえた後、両前腕で挟み込みホールドして極める。
: 2014年3月6日の新日本プロレス旗揚げ記念日大会の第一試合に出場、42年前の旗揚げ戦の際にメインで戦った[[アントニオ猪木]]と[[カール・ゴッチ]]の技のみを使用し、フィニッシュで繰り出したのがこの技だった。
: 技名に関して、新日本公式では「チキンウィングアームロック」<ref>[http://www.njpw.co.jp/match/detail_result_game.php?e=812&c=6093 第1試合|03/06(木) 19:00 東京・大田区総合体育館|旗揚げ記念日|大会結果一覧|Match Information|新日本プロレスリング]</ref>、カードゲーム「キングオブプロレスリング」では「ローリングショルダーフック」<ref>[http://kopw.jp/goods/card.html?id=10 カードリスト | 商品紹介 | キング オブ プロレスリング トレーディングカードゲーム]{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>となっているが、鈴木は「ゴッチ式アームホールド」としている。<ref>[http://ameblo.jp/suzuki-minoru/archive7-201403.html 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2014年3月6日更新ページ「1972年3月6日」] </ref>。
; [[卍固め]]
: 新日本系レスラーが多用するお馴染みの技。鈴木はこの技をセカンドロープ上やトップコーナーなど、様々な場所で繰り出す。例によって相手を締め上げている間は良く舌を出していることが多い。
; 逆片エビ固め
: 鈴木の若手時代からの得意技のひとつ。2005年3月13日 対[[中嶋勝彦]]戦の決まり手。
; クロスアームパイルドライバー
: 2004年、健介とのIWGP戦のために開発した秘密兵器。相手の腕を交差した状態でのパイルドライバーで、太陽ケアとの三冠王座戦でも使用した。
 
== タイトル歴 ==
[[ファイル:Minoru Suzuki NEVER Openweight Champion.jpg|thumb|[[NEVER無差別級王座]]を手にする鈴木。]]
{{スポーツ選手の出典明記|選手=レスラー|タイトル歴|section=1|date = 2020年6月}}
; [[パンクラス]]
* 第2代[[パンクラス王者一覧#無差別級|キング・オブ・パンクラシスト…第2代王者無差別級]](防衛0回)
; [[新日本プロレス]]
* 第46代[[IWGPタッグ王座]](防衛4回 パートナーは[[高山善廣]])
: 5度目の防衛戦は高山が[[脳梗塞]]からの復帰のめどがたたず、王座を返上しなければならない危機となり、高山がパートナーの座を健介に譲り、返上ではなく健介&鈴木組で新王者組と主張したが認められず、棚橋&[[中邑真輔]]組との王座決定戦に挑むこととなり、自らがフォールを取られて敗退した<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」P30 - 31. 「MISSION時代〔PART.1〕vs新日本プロレス」</ref>。
* [[G1 TAG LEAGUE]]優勝(2011年)
: パートナーは[[ランス・アーチャー]]。
[[File:Minoru Suzuki NEVER Openweight Champion.jpg|thumb|[[NEVER無差別級王座]]を手にする鈴木]]
* 第16代[[NEVER無差別級王座]]
* 第17代[[IWGPインターコンチネンタル王座]]
* 第46代[[IWGPタッグ王座]](パートナーは[[高山善廣]])
: 5度目の防衛戦は高山が[[脳梗塞]]からの復帰のメドが断たず、王座を返上しなければならない危機となり、高山がパートナーの座を健介に譲り、返上ではなく健介&鈴木組で新王者組と主張したが認められず、棚橋&[[中邑真輔]]組との王座決定戦に挑むこととなり、鈴木が自らフォールを取られてしまい敗れた<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」P30 - 31. 「MISSION時代〔PART.1〕vs新日本プロレス」</ref>。
* 第16代・第30代[[NEVER無差別級王座]]
* 第25代[[NEVER無差別級6人タッグ王座]](パートナーは[[エル・デスペラード]]、[[成田蓮]])
* [[KOPW]]2022保持者(初代)
* [[WORLD TAG LEAGUE|G1 TAG LEAGUE]]優勝(2011年)(パートナーは[[ランス・アーチャー]])
; [[プロレスリング・ノア]]
* 第23代[[GHCヘビー級王座]]<ref name=gon201504/>
* 第10代[[GHCタッグ王座]](防衛2回 パートナーは[[丸藤正道]])
* [[N-1 VICTORY|グローバル・リーグ戦]]優勝(2016年)
; [[全日本プロレス]]
* 第35代・第42代[[三冠ヘビー級王座]]
: 防衛回数は5回・1回
* 第55代[[世界タッグ王座]](パートナーは[[太陽ケア]])
* 第81代[[アジアタッグ王座]](パートナーは[[NOSAWA論外]])
* [[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]優勝:2回(2009年、2010年)
; [[天龍プロジェクト]]
* 第24代[[世界6人タッグ王座|WAR世界6人タッグ王座]](パートナーは[["brother"YASSHI]]、[[拳剛]])
; [[DDTプロレスリング]]
* 第18代[[DDT UNIVERSAL王座]]
; アップタウン
* 初代UP TOWNチャンピオンシップ
; [[プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUT]]
* 第6代[[JTOタッグ王座]](パートナーは[[夕張源太]])
; [[レボリューション・プロレスリング|RPW]]
* 第19代[[RPWブリティッシュ・タッグヘビー級王座 : 1回 (パートナーは[[ザック・セイバー・ジュニア|ザック・セイバーJr.]])
* 第20代[[RPWブリティッシュ・タッグ王座]](パートナーは[[ザック・セイバーJr.]])
; [[ROH]]
* 第29代[[ROH世界TV王座]]
; [[メジャー・リーグ・レスリング|MLW]]
* 第14代MLW世界タッグ王座(パートナーはイクロ・クウォン)
; [[プロレス大賞]]
* 2004年度プロレス大賞 技能賞
* 2004年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&[[高山善廣]]
* 2006年度プロレス大賞 MVP最優秀選手賞<ref>「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P36 - 37.「MISSON時代〔PART.4〕多団体」</ref>
* 2008年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&[[太陽ケア]]
* 2015年度プロレス大賞 殊勲賞<ref>{{Cite web |和書|date= 2015-12-08 |url= https://web.archive.org/web/20151208211214/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/481187/ |title= 【プロレス大賞】殊勲賞は鈴木みのる「ノアマットを性悪流に活性化」 |publisher= [[東京スポーツ|東スポweb]] |accessdate=2015-12-08}}</ref>
 
== 入場曲 ==
下記楽曲のオリジナルアーティストは全て中村あゆみが担当している。2015年にリリースされた中村の企画ベストアルバム『[[「風になれ」 完全版20周年ベスト〜鈴木みのるテーマ曲集]]』にすべての2015年10月時点までに使用された曲が収録されている<ref>{{Cite web |和書|url=http://wmg.jp/artist/nakamura_ayumi/WPCL000012217.html |title= 中村あゆみ「「風になれ」完全版20周年ベスト~鈴木みのるテーマ曲集」|publisher= ワーナーミュージック・ジャパン|accessdate=2015-10-14}}</ref>。なお、「風になれ」の原盤権は鈴木が所有者となっている。使用順は下から。
*; '''風になれ~I〜The haveKing to bethe a lonely warrior,tonight~''' (2006World〜(2018年6月23日 - )
: デビュー30周年を記念し、2018年6月23日開催の「大海賊祭」VS[[オカダ・カズチカ]]戦から使われ始めた。 同日にシングルCDも発売された。シングルCDには、鈴木軍のテーマ曲「SUZUKI GUN ICHI-BAN」も収録され、同日の大会から解散まで使われた。[[ストロングスタイル (プロレスユニット)|ストロングスタイル]]を結成しても本曲も継続して使われている。<ref>「[https://www.atpress.ne.jp/news/157327 プロレスラー・鈴木みのるのデビュー30周年を記念して、 中村あゆみが4代目『風になれ』を6月23日(土)発売 ~横浜赤レンガ倉庫で行われる記念イベント「大海賊祭」にて初披露!~]」atpress 2023年5月8日閲覧</ref> <ref> 「[https://sp.njpw.jp/153493 雨の中の決闘…!! 鈴木みのる“デビュー30周年記念試合”はオカダ・カズチカと壮絶30分フルタイムドロー!!【6.23大海賊祭結果】]」新日本プロレス 2023年5月8日閲覧</ref>
; 風になれ〜I have to be a lonely warrior,tonight〜(2006年 - 2018年)
: 2006年より使用。ファンからの熱い要望により、ミックスダウンし2013年1月4日にCD発売。
: また、2014年9月3日リリースされた中村のベストアルバム『[[Ayumi of AYUMI〜30th Anniversary All Time Best]]』にも収録<ref>{{Cite web |和書|url=httphttps://wmg.jp/artist/nakamura_ayumi/news_57653.htmlnews/57653/ |title=中村あゆみデビュー30周年記念初オール・タイム・ベスト9/3(水)発売決定!「翼の折れたエンジェル」は勿論、プロレスラー:鈴木みのるテーマ曲「風になれ」も初収録!! |publisher=Warner Music Japan |accessdate=2015-10-14}}</ref>。
: 旧タイトルは『風になれ -Rough-Mix-』<ref>一部入場テーマリスト等では-Rough-Mix PART2-との記載がある。</ref>。
*; 風になれ ※New Version (2004Version(2004 - 2006)2006)
: 下記曲のニューバージョン。2004年より使用されメジャーレーベルでのCD化。当時、参戦していたNOAHのCDにも収録されている。
*; The Beautiful days~風になれ2~
: 2010年3月26日、船木との金網デスマッチにのみ使用。歌詞自体は2008年の鈴木のデビュー20周年興行の頃には書き上がっており、中村が『週刊プロレス』別冊の鈴木の20周年記念本の中の第三者インタビュー記事で「(鈴木が)パンクラスを離れかけていた頃のいろいろを人伝えに聞き、自分(中村)が思った事を歌詞にした」と語っている<ref>週刊プロレス別冊『鈴木みのる 風になれ ~suzuki minoru 20×2th Birthday Party~』 p52</ref>。
: [[2010年]][[3月26日]]、船木との金網デスマッチにのみ使用。
*; where is my Hero
: [[2004年]][[11月13日]]、IWGPヘビー級選手権・[[佐々木健介]]戦にのみ使用。
*; [[風になれ (中村あゆみの曲)|風になれ]] (1994 - 2004)2004年)
: 鈴木が大ファンである中村に直接依頼したことから生まれた楽曲。
: インディーズレーベルよりCD化され現在は廃盤。次にリリースされるバージョンが主流となったため、こちら旧バージョンと称されている。前述の2014年にリリースされた中村のベストアルバムのボーナストラックに収録された。
*; Yesterday,Today&Tomorrow
: 入場に使用した音源は未CD化(マスターテープ紛失のため上記「風になれ」ベスト収録音源は新規録音)。
*; MIDNIGHT HALLELUJAH
: パンクラス旗揚げ当時からモーリス・スミスへのリマッチ期にかけて使用。
*; 太陽の光の中で
: 藤原組時代(1992年)に使用。
*; BOY'S ON THE ROAD
: 藤原組時代(1991年)に使用。
*; BROTHER
: UWF時代(1990年)に使用。
*; Rolling Age
: UWF時代(1989年)に使用。鈴木自身初の入場テーマ<ref>{{Twitter status|suzuki_D_minoru|410239652046450688|鈴木本人のTwitter 2013年12月9日18:48の発言}}</ref>。
 
== 自主興行 ==
=== 風になれ ===
2008年4月14日に[[FIGHTING TV サムライ]]にて記者会見を発表、その日の生放送番組『[[Sアリーナ]]」』にも出演し鈴木本人から詳細が語られた。
* 大会名 : 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜
* 開催日時 : 2008年6月17日
269 ⟶ 418行目:
|-
|colspan="3"|※リングコール:中村あゆみ
|-
|}
 
=== パイルドライバー ===
* [[2011年]][[3月11日]]に起きた[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])のチャリティーイベントとして開催が決定。スタッフ・選手がノーギャラで参加する。
: 試合カード発表前に前売券が完売してしまったため追加発売が決定した。
* 大会名 : PILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~
* 開催日時 : [[2011年]][[6月25日]]
280 ⟶ 428行目:
* 観客 : 超満員札止め。(前売・追加・当日立見、完売。)
* 主催 : パイルドライバー チャリティープロジェクト実行委員会
: 興行収益は、2011年7月7日付けの鈴木の公式ブログ<ref>[httphttps://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-10946113850.html 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba.7月7日更新ページ「義援金総額」] </ref> [[日本赤十字社]]の「東北地方太平洋沖地震宛」に募金したと公表した(チケット売上、グッズ売上、義援金プロジェクトの売上などの「総収入」から会場費、その他の「必要経費」を引いた利益額)。
: その後、マスコミ非公開の興行を[[宮城県]]の[[気仙沼市]]で開催した。前もってその際の募金は義捐金にはせず、次回の被災地での大会資金にすると公言し、実際に[[宮城県]][[気仙沼市]]本吉町でマスコミ非公開で興行を行っ<ref>{{Cite web|和書|title=鈴木みのる『気仙沼本吉町で、カウント2.9~さあ、ここから~』 |url=https://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-10997429899.html |website=鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba |access-date=2023-03-25 |language=ja}}</ref>
==== 試合内容 ====
{|class="wikitable"
328 ⟶ 476行目:
|style="text-align: center;"|1分31秒<br>ゴッチ式パイルドライバー
|style="text-align: left;"|'''NOSAWA論外'''×
|-
|}
: 当初は[[平井伸和|スーパーヘイト]]、[[MAZADA]]が参戦する予定だったが、在籍していた[[VOODOO-MURDERS]]のリーダー・[[TARU]]の暴行事件による、[[全日本プロレス|全日本]]からの無期限出場停止処分を受け、こちらも出場辞退となった。
 
== メディア出演 ==
=== 映画 ===
* [[タナカヒロシのすべて]](2004年) - 工員
* [[ガッツ伝説 愛しのピット・ブル]](2006年) - 菅原
* [[カブキングZ]](2008Z(2008年)
* [[喧嘩高校軍団 特攻!國士義塾VS.朝高]](2009年) - 田村
* [[大怪獣モノ]](2016年)
* [[大怪獣モノ]](2016年) - 新田陽出人:強化後2
 
=== テレビドラマ ===
* [[ジョシデカ!-女子刑事-]](2007年10月 - 12月、[[TBSテレビ|TBS]]) - 溝之口吾郎 役
* シリーズ激動の昭和・3月10日東京大空襲/語られなかった33枚の真実(2008年3月10日、TBS)- 憲兵 役
* [[仮面ライダーリバイス]] 第1話ゲスト(2021年9月5日、[[テレビ朝日]]) - 原田智之 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/revice/2|title=リバイス 第2話:「悪魔はあくまで悪いやつ!?」|website=仮面ライダーWEB【公式】|publisher=東映|accessdate=2021-09-05}}</ref>
 
=== ネットドラマ ===
* ジョシデカ!-女子刑事- ウェビソード(2007年10月 - 12月) - 主人公・溝之口吾郎 役 ※スピンオフドラマとしてネット配信
 
=== Vシネマ ===
* [[四角いジャングル#新☆四角いジャングル|新☆四角いジャングル 虎の紋章]] (2010、西)
* この男たち、凶暴にて。 (2011、ブチ)
* 実録マフィアンヤクザV MONEYTRAPPING (2013)
 
=== ラジオ ===
* 鈴木みのるのマンガ王に俺はなる!(2016年 - 2018年6月28日、[[ソラトニワ|ソラトニワ原宿]])
 
=== バラエティー ===
* [[クイズ!ヘキサゴンII]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]](2009年11月26日と2018年2月15日、フジテレビ)「ムダ・ベストテン」に出演
* [[アウト×デラックス]](2014年2月13日、フジテレビ)
* [[ジャンクSPORTS]](2018年9月2日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])VTR出演
* [[照英]]・[[児島玲子]]の最強!釣りバカ対決!!(2019年4月4日、[[BS日テレ]])
 
=== アニメ ===
355 ⟶ 514行目:
 
=== 著書 ===
* 『鈴木みのるの独り言100選』(2012年11月1日、[[ベースボールマガジン社]]、2012年、ISBN)ISBN 978-4-583-10500-0
* 『プロレスで〈自由〉になる方法』 (2015年10月29日、[[毎日新聞出版]]、2015年10月30日、ISBN)ISBN 978-4620323329
* 『ギラギラ幸福論 白の章』(2019年12月28日、[[徳間書店]])ISBN 978-4-19-864989-0
共著
* 『ギラギラ幸福論 黒の章』(2019年12月28日、徳間書店)ISBN 978-4198650506
* 鈴木みのる、[[金沢克彦]]『風になれ』[[東邦出版]]、2006年10月、ISBN 978-4809405662
 
関連書籍
==== 共著 ====
* [[金沢克彦]]『風になれ』(2006年10月1日、[[東邦出版]])ISBN 978-4809405662
 
==== 関連書籍 ====
* 「[[週刊プロレス]]」別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」ベースボール・マガジン社、2008年6月、雑誌コード 29688-7/25 L-8/17
 
365 ⟶ 528行目:
* 新 鈴木みのるの独り言 - [[週刊プロレス]] (ベースボールマガジン社)2010年1月 - 2013年5月 全169回
** 2008年 - 2009年までは 『鈴木みのるの独り言』として連載。同連載100回目を持ってリニューアルし現在の連載名となる。
* 鈴木みのるのふたりごと・[[KAMINOGE]](東邦出版)2013年6月 - (KAMINOGE No.19より)
 
=== ゲーム ===
* [[鉄拳3]] - モーションキャプチャー協力<ref>{{Cite web|和書|title=NOURS#15:『鉄拳3』 |url=https://www.bandainamcoent.co.jp/corporate/bnours/nours/vol15/interview/interview.html |website=www.bandainamcoent.co.jp |access-date=2023-03-25}}</ref>
 
=== MV ===
* [[上地雄輔#歌手「遊助」|遊助]]「[[お前しかいねぇ 遊turing RED RICE(from湘南乃風)]]」(2015年)<ref name=natary151110>{{citeCite web|和書|url=httphttps://natalie.mu/music/news/165598|title=遊助ニューシングルにRED RICE参加、MVには鈴木みのる出演|publisher=音楽ナタリー|date=2015-11-10|accessdate=2015-11-11}}</ref>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
382 ⟶ 541行目:
* 『週刊プロレス』別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」ベースボール・マガジン社、2008年7月、雑誌コード 29688-7/25 L-8/17
* 週刊プロレス別冊「UWF30年史」 ベースボール・マガジン社、2014年3月、ISBN 978-4-583-62100-5 P78 - 82. 「鈴木みのる×伊藤崇文 あの時、横浜道場で……」(聞き手:高崎計三)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=30em}}
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://ameblo.jp/suzuki-minoru/ 鈴木みのる公式ブログ]
* {{twitter|suzuki_d_minoru}}
* {{Instagram|suzuki.d.minoru}}
* [httphttps://www.njpw.co.jp/profile/706 新日本プロレス 公式プロフィール]
* [httphttps://www.noahpancrase.co.jp/profile060data/prfl2/suzuki.phphtml プロレスリグ・ノア公式サイトクラス 選手紹介データ]
* [http://www.pancrase.co.jp/data/prfl2/suzuki.html パンクラス 選手データ]
* {{SHERDOG}}
* [http://www.piledriver.jp/fs/gotchstyle/c/toppage ON LINE SHOP パイルドライバー]
* {{Twitter|_PILEDRIVER_|鈴木みのるオフィシャルグッズショップ【PILEDRIVER】&【PILEDRIVER HARAJUKU】}}
 
{{Navboxes
{{新日本プロレス}}
|title = 獲得タイトル
|list =
{{IWGPインターコンチネンタル王座}}
{{IWGPタッグ王座}}
{{NEVER無差別級王座}}
{{NEVER無差別級6人タッグ王座}}
{{三冠ヘビー級王座}}
{{世界タッグ王座}}
{{アジアタッグ王座}}
{{GHCヘビー級王者}}
{{GHCタッグ王座}}
{{世界6人タッグ王座}}
{{プロレス大賞MVP歴代受賞者}}
}}
{{Championshiptitle|第2代|[[パンクラス]]|[[無差別級]]|ケン・シャムロック|バス・ルッテン|1995年5月13日 - 1995年9月1日}}
{{サンミュージックグループ}}
{{DEFAULTSORT:すすき みのる}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:すすき みのる}}
[[Category:日本のプロレスラー]]
[[Category:アマチュアレスリング出身のプロレスラー]]
[[Category:プロレス・トレーナー]]
[[Category:新日本プロレスに所属したプロレスラー]]
[[Category:UWFに所属したプロレスラー]]
412 ⟶ 589行目:
[[Category:新日本プロレスにレギュラー参戦するプロレスラー]]
[[Category:DRAGON GATEに参戦したプロレスラー]]
[[Category:CMLLに参戦したプロレスラー]]
[[Category:TNAに参戦したプロレスラー]]
[[Category:AEWに参戦したプロレスラー]]
[[Category:日本の総合格闘家]]
[[Category:プロレス出身の総合格闘家]]
[[Category:グレコローマンレスリング出身の総合格闘家]]
[[Category:パンクラスに参戦した選手]]
[[Category:GPWA]]
[[Category:横浜高等学校出身の人物]]
[[Category:神奈川県出身のスポーツ選手]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1968年生]]