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== 組立作業 ==
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{{節スタブ|1=文章と作業中写真|date=2025年10月}}
組立は以下の工程で進む<ref>{{Cite news |date=2012-03-18 |title=西塩子の回り舞台 下 組立記録編(文化財物語27) |work=茨城新聞 |page=4 |edition=日曜版}}</ref><ref>{{Cite journal|year=2007|title=回り舞台組み立て作業参加記|journal=茨城大学中世史研究|issue=4|pages=付録冊子「常陸大宮市西塩子回り舞台組み立て作業参加記」7-18|publisher=茨城大学中世史研究会}}</ref>。
 
;屋根等の部材とする竹の切り出し。
[[ファイル:Umbrella Project1991 10 27.jpg|サムネイル|380x380px|『アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91』で茨城県側に設置された青い傘|代替文=]]
7~8メートルほどの竹を300本ほど切り出す。
'''アンブレラ、日本-アメリカ合衆国 1984-91'''(アンブレラ にほん アメリカがっしゅうこく 1984-91、''The Umbrellas, Japan – USA 1984-91'')は[[クリストとジャンヌ=クロード]](''Christo and Jeanne-Claude'')による芸術作品。
 
;骨格となる柱・梁の立ち上げ
== 概要 ==
鳥居状に組んだ柱・梁3基を地面に刺し立ち上げる。
[[ファイル:Christo and Jeanne-Claude.jpg|サムネイル|270x270px|クリストとジャンヌ=クロード|代替文=]]
 
;屋根の設営
{{ external media
竹を格子状に組んで屋根を作る。
| align = center
| width = 270px
| image1 = [http://christojeanneclaude.net/__data/5dc7369cfcf4573d23d406df5fb48706.jpg 『アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91』アメリカ側]
}}
{{ external media
| align = center
| width = 270px
| image1 = [http://christojeanneclaude.net/__data/c53315f29bf1127f81956efef28346e3.jpg 『アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91』日本側]
}}
 
;桟敷席、花道の設営
『アンブレラ、日本-アメリカ合衆国 1984-91』は、[[日本]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のそれぞれの広範囲なエリアに、同時に巨大な[[傘]]を一時的に多数設置した[[インスタレーション]]である<ref name=":0" />。『アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト(''The Umbrellas, Joint Projiect for Japan and U.S.A''』<ref name=":1">{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|year=|accessdate=|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=6|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>、『アンブレラ・プロジェクト』<ref name=":2">{{Cite news|title=「アンブレラ・プロジェクト」8日始動、米国でも同時に(美術)|newspaper=朝日新聞(夕刊)|date=1991-10-1|publication-date=1991-10-1|page=11}}</ref>、『アンブレラ展』<ref>{{Cite news|title=[顔]日米で「アンブレラ展」を開いているクリスト・ヤバシェフさん|newspaper=読売新聞|date=1991-10-25|publication-date=1991-10-25|page=17}}</ref>、或いは単に『アンブレラ(''Umbrellas'')』<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=17|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>とも呼ばれる。(本記事では以降"『アンブレラ』"と記す。)
 
;舞台、回り舞台の設営
手掛けたのは[[谷]]に巨大な[[カーテン]]を張る(『ヴァレー・カーテン(''Valley Curtain'')』)、[[島]]を布で取り囲む(『囲まれた島々(''Surrounded Islands'')』)等のスケールの大きい作品を発表していた[[夫婦]]二人の[[芸術家]]のクリストとジャンヌ=クロードである。
{{Location map|Japan
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| caption = 『アンブレラ』日本会場の場所。茨城県北部。
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{{Location map|USA
| caption = 『アンブレラ』アメリカ会場の場所。カリフォルニア州カーン郡、ロサンゼルス郡。
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}}
日本側の開催場所は東京から北に120キロメートル離れた、[[茨城県]]の北部に属する、[[里美村]](後に常陸太田市と合併)の陣馬地区から[[日立市]]の中里町、東河内町地区を経て、[[常陸太田市]]の里野宮町地区までの[[国道349号]]と里川沿い全長19キロメートルの水田と集落がある地域である。一方のアメリカ側の開催場所は[[ロサンゼルス]]から北に96キロメートル離れた、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス郡 (カリフォルニア州)|ロサンゼルス郡]] の{{仮リンク|ゴーマン|en|Gorman, California}}(''Gorman'')の南からカーン郡の{{仮リンク|レベック(カリフォルニア州)|en|Lebec, California}}(''Lebec'')を経て同郡{{仮リンク|グレープバイン (カリフォルニア州)|en|Grapevine, California}}(''Grapevine'')までの間の[[州間高速道路5号線]]沿と[[テホン峠]](''Tejon pass'')に沿った乾燥した放牧地が拡がる全長29キロメートルの地域である<ref name=":0" /><ref>{{Cite book|和書|author=|title=クリスト アンブレラ 日本 アメリカ合衆国|date=1991|publisher=クリスト}}</ref>。
 
;屋根への菰(こも)張り
設置された傘は高さ6メートル、直径8.66メートルの大きさの[[八角形]]をした物で、日本側には[[青色]]の傘が1340本、アメリカ側には[[黄色]]の傘が1760本置かれた。クリストとジャンヌ=クロードがこのアート・プロジェクトを着想したのは[[1984年]]で<ref name=":1" />、以降、傘の設置場所の選定、地権者や行政機関との交渉、傘の設計・製作等の準備に時間と労力を注ぎ、1991年[[10月]]に傘の開花を実現した。傘を設置するのに交渉した個人や企業等の数はアメリカ側は25者で日本側は459者であった<ref name=":0" />。
 
;フスマ立て等の道具類設置
プロジェクトに要した経費は2600万ドル(当時の日本円で約36億4千万円<ref>{{Cite journal|和書|author=|year=|date=1991-10|title=クリスト、自由への挑戦|journal=Marie claire Japon(マリ・クレール 日本版)|volume=10|issue=10|page=270|publisher=中央公論社}}</ref>)であるが、『アンブレラ』以外のプロジェクト同様、クリストとジャンヌ=クロードは寄付や寄贈の類いの金品は一切受けずに、全額を自分達で捻出している。その調達方法は、このプロジェクトの為に彼らが設立した会社「ザ・アンブレラ・ジョイント・プロジェクト・フォー・ジャパン・アンド・USA」(社長はジャンヌ=クロード)を介してクリストのドローイングや初期作品を売るというものであった<ref name=":0" /><ref>{{Cite journal|和書|author=中原洋|year=|date=1991-7|title=巨大プロジェクト「クリスト ザ・アンブレラズ」を推し進めるクリストの方法|journal=日経image climate forecast : 日経イメージ気象観測|volume=|issue=17|page=|pages=56-57}}</ref>。
 
完成
『アンブレラ』の狙いは二つの場所に同時に作品を置き、日米双方の生活様式や土地の利用方法の類似点や相違点を浮き彫りにしようとするもので、日本の傘は湿潤な気候と人が密集した場所を、アメリカ側の傘は乾燥した気候と人が少ない場所を描いた<ref name=":0" />。傘の配置についても、日本側は限られた空間内での幾何学的なデザインが考慮されているのに対し、アメリカ側では自由で気まぐれな配置、と対照的にしたとアーティストは述べている<ref>{{Cite video|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|medium=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(発売)|at=本編3分9秒から}}</ref>。同時に行うことの重要性についてクリストは「'''これは2つの場所で行われる1つの芸術作品であって、2つの独立した作品をセットにしたものではありません'''」と強調している<ref name=":6" />。
 
傘を使った理由についてクリストは、傘は前後左右が無く望んだ配置が可能である事、また「'''傘は"壁の無い家"であり、その下に入った訪問者は守られ、頭上の布に抱き込まれたような気持ちになるでしょう'''」と述べている。傘を6メートルの高さとしたのは2階建ての家と同じ高さにしたかったからである。また、一辺2メートルの正方形の形をした傘の土台は人が座れるような構造になっていた<ref name=":6">{{Cite book|和書|author=佐谷画廊|title=クリスト ザ・アンブレラズ : 日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト
Christo the umbrellas : joint project for Japan and the U.S.A.|date=1990|year=|accessdate=|publisher=佐谷画廊|pages=|chapter=実現への道:クリストが語る〈アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト〉|NCID=BA41063388}}</ref>。
 
当初傘が開く期間は1991年[[10月8日]]から[[10月29日]]までであったが<ref name=":2" />、日本側の降[[雨]]のため実際に傘が開いた初日は[[10月9日]]である。初日後、日本側では台風の影響で傘を一旦閉じることになったが、15日から再び傘を開き、以後は日米で満開の傘の光景が見る人に驚きと感銘を与え、傘の下では多くの人が思い思いに過ごしていた。しかし、[[10月26日]](日本時間は27日)にアメリカ側開催地で突[[風]]で飛ばされた傘が人を死亡させた事故が起きる。事故を知ったクリストとジャンヌ=クロードは即座にプロジェクトを中止し、『アンブレラ』は会期を全うせず終了した<ref>{{Cite journal|和書|author=柳正彦|year=|date=1991-12|title=クリストのアンブレラ・プロジェクト-日本とアメリカ ドキュメント|journal=季刊みづゑ|volume=|issue=961|page=|pages=11-14|ISSN=0915-9363}}</ref>。更に、中止後の傘の撤去作業中に日本側作業員が死亡するという事故が続いた<ref>{{Cite news|title=アンブレラ展の傘を撤去中に作業員感電死 常陸太田|newspaper=朝日新聞|date=1991-11-1|publication-date=1991-11-1|page=31}}</ref>。
 
『アンブレラ』を観た者は日本側で約57万6千人(茨城県調べ)<ref>{{Cite journal|和書|author=|year=|date=1991-11-12|title=クリストのアンブレラ・イベント、風と共に去りぬ(リポート・芸術)|journal=アエラ|volume=|page=72|publisher=朝日新聞社|ISSN=09148833}}</ref>、アメリカ側で約250万人の観客であった<ref>{{Cite journal|和書|date=1992-1|title=クリスト・アンブレラ開傘 写真家 ウルフガング・フォルツの見たアンブレラ|journal=美術手帖|volume=44|issue=649|page=|pages=194-197}}</ref>。
 
展示された傘の骨組みや布等の構成物は後日の展覧会用に残した物を以外はリサイクル処分され、残っていない<ref name=":4">{{Cite web|url=https://bijutsutecho.com/magazine/interview/402|title=「ストーリー」を語り継ぐ、クリストとジャンヌ=クロードに聞く|accessdate=2018-9-8|date=2017-1-19|website=「美術手帖」アートポータルサイト|publisher=}}</ref>。この一時的であった『アンブレラ』の姿はプロジェクトの専任[[写真家]]であった{{仮リンク|ウォルフガング・フォルツ|de|Wolfgang Volz}}(''Wologang Volz'')らの[[写真]]や<ref name=":5">{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=16|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>、[[アルバート・メイスルズ|アルバート・メイスルズ]]らが撮った[[ドキュメンタリー映画]]<ref name=":3">{{Cite book|和書|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|format=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(販売)|NCID=BA8000889X|ISBN=4877669949}}</ref>で見ることが出来る。また『アンブレラ』の[[ドローイング]]、写真、[[地図]]の他、傘の実物などを展示する回顧展(=ドキュメンテーション展)が[[ドイツ]]、[[スイス]]、日本で開催されている<ref>{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=12|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>。
 
== 開催場所概要 ==
 
[[File:Umbrellajapan3.png|thumb|日本側の傘が置かれた範囲。2018年時点のオープンストリートマップより作成。|150px]]
日本側の開催場所は里川が造る峡谷の狭い地域に水田と集落が存在する、日本の山間部の農村風景が見られる場所である。里川と国道349号は絡むように何度も交差している開催場所内には、陣場の棚田、玉簾の滝、薩都神社等の名所がある。傘は里美村の陣場地区、大菅地区、日立市の東河内町地区、常陸太田市の町屋地区、茅根町地区の水田や集落内に多く設置されていた。また里川の流れの中に設置された傘もあった。インフォメーションセンターが里美村陣場地区と日立市東河内町地区に設置され、東河内町はプレスセンターも兼ねていた<ref name=":10">{{Cite book|和書|author=|title=クリスト アンブレラ 日本 アメリカ合衆国(開催地配布パンフレット)|date=1991|year=|accessdate=|publisher=クリスト}}</ref>。2018年現在、開催エリアの最北にはこの地で『アンブレラ』が行われたことに由来して、傘を施設デザインのモチーフにした「道の駅さとみ」が建っている<ref>{{Cite web|url=https://www.ibarakiguide.jp/seasons/michinoeki/satomi.html|title=道の駅さとみ|accessdate=2018-11-21|website=観光いばらき|publisher=茨城県観光物産協会}}</ref>。
 
日本側開催地風景
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File:Kosuge hitachiota ibaraki.jpg|常陸太田市小菅(旧里美村地区)(2018年)
File:Nakazatocho hitachi ibaraki japan.jpg|日立市下深荻町の中里トンネル北の稲荷神社遠景(2018年)
File:Shimofukaogicho, Hitachi, Ibaraki.jpg|日立市下深荻地区(2018年)
File:Machiyacho, Hitachiota, Ibaraki.jpg|常陸太田市町屋(2018年)
ファイル:Roadseide station satomi hitachiota ibaraki.jpg|道の駅さとみ(2018年)
</gallery>
{{clear}}
[[File:Umbrellajapan4.png|thumb|アメリカ側の傘が置かれた範囲。2018年時点のオープンストリートマップより作成。|150px]]
一方のアメリカ側の開催場所はテホン峠と州間高速道路5号線沿いの牧草に覆われた丘が連なった場所である。このエリアにはカリフォルニア州の最大級の地主のひとつである{{仮リンク|テホン牧場|en|Tejon Ranch}}(''Tejou Ranch'')や{{仮リンク|テホン砦|en|Fort Tejon}}(''Fort Tejon'')がある州立フォートテホン歴史公園(''Fort Tejon State Historic Park'')などがある。傘はレベックとゴーマンの辺りに多く配置された他、高速道路から離れた丘の上にも連なるように配置されていた。また、アメリカ側に置かれた総傘本数の約41パーセントにあたる728本がテホン牧場の所有地に置かれていた。インフォメーションセンターはゴーマンのインターチェンジ付近とレベックの郵便局付近に置かれ、レベックはプレスセンターも兼ねていた<ref name=":10" /><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記|page=365}}</ref>。
 
アメリカ側開催地風景
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File:Tejon Pass july2015.jpg|州間高速道路5号線:グレープバイン-レベック間(2015年)
File:California, Spring, Tejon Pass, Grapevine Hill, 2012 - panoramio (3).jpg|グレープバイン-レベック間の丘(2012年)
File:California, Spring, Tejon Pass, Grapevine Hill, 2012 - panoramio.jpg|州間高速道路5号線:レベック-テホン峠間(2012年)
File:Gorman, California - panoramio.jpg|州間高速道路5号線:ゴーマン(2011年)
 
</gallery>
日米両会場とも公共交通機関の駅からは離れており、車を使わないアクセスは困難であった。だが日本側では展示エリア内に駐車場が少ないこともあり渋滞緩和策として、駐停車場を展示エリア外の常陸太田市民交流センター(パルティホール)と里美村文化センター(合併後は里美文化センター)に、展示エリア内には常陸太田市町屋地区、里美村陣場地区に設けた。更に土日限定で無料のシャトルバスを常陸太田駅・パルティホールから町屋停車場、町屋停車場から陣場駐車場、陣場駐車場から里美村文化センターの間を運行させた<ref name=":10" />。
 
{{clear}}
 
== プロジェクトの経過 ==
=== 1991年9月まで ===
[[1969年]]に初めて来日して日本に関心を持ったクリストとジャンヌ=クロードは、その頃招待されていた[[1970年]]開催の東京ビエンナーレ(第10回日本国際美術展)と[[オランダ]]の都市[[アーネム|アルンヘム]]にある{{仮リンク|ソンスビーク公園|nl|Park Sonsbeek}}(''Park Sonsbeek'')での大規模な展覧会において、東京の上野公園とソンスピーク公園の2つの場所を使った『包まれた遊歩道、東京、上野公園とオランダ、アルンヘム、ソンスビーク公園のための2つの部分からなるプロジェクト』を計画したが、この時は日本での許可が取れず断念していた<ref name=":1" />。この失敗についてどう思うか、との写真家安斎重男の問いに対し、クリストは「'''日本の社会構造を知るために時間が少なかった'''」と述べている<ref>{{Cite book|和書|author=安斎重男|title=現代美術トーク:安斎重男+篠田達美対談集|date=1993-10|year=|accessdate=|publisher=美術出版社|isbn=4568201497|page=55|author2=篠田達美}}</ref>。この1970年の失敗以降頻繁に日本を訪れるようになったクリストとジャンヌ=クロードは、日本での人脈を強くし、日本社会への理解を深め、日本と西洋の2つの場所を使ったプロジェクトへ関心を持ち続けた。そして『包まれた遊歩道』の15年後に満を持して『アンブレラ』に取りかかった。それは1984年の[[クリスマス]]に『アンブレラ』の最初のドローイングが描かれた時から始まった<ref name=":1" />。
 
最初の作業としてクリストとジャンヌ=クロードは、"人々が実際に生活を営んでいる場所"、"傘を様々な高さや角度から見られる[[渓谷]]部"、"容易に行ける場所"を条件に傘を置く場所の選定に取りかかった。日本側の選定は[[1985年]]から[[1986年]]の間で計3回行われた。1回目は1985年[[4月22日]]に行われた。この時は日本側のプロジェクト・ディレクターを務めた[[ニューヨーク・タイムズ]]の東京支局長だった[[ヘンリー・スコット・ストークス]]と共に九州を約300キロメートル回った。2回目は1986年4月12日から21日にかけて[[淡路島]]、[[奈良県]]、[[琵琶湖]]、[[丹後半島]]、そして茨城県など約5700キロメートルを回った。茨城県を巡ったのは元[[読売新聞]]文化部次長で美術[[ジャーナリスト]]の海藤日出男の勧めであった。この時の茨城県への旅で、開催地となる場所が見いだされた。3回目は[[1986年]][[10月21日]]から[[10月29日]]にかけて行われ、[[甲府市|甲府]]、[[奈良県|奈良]]、[[郡山市|郡山]]といった地域も見たが、ほぼ開催地に決めていた前回見た茨城県の場所を細かく調査する方に多くの時間を費やした<ref name=":7">{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=7|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>。
 
アメリカ側の開催地探索は1986年[[7月11日]]から[[7月20日]]にかけて行われた。この時の旅にはアメリカ側のプロジェクト・ディレクターのトム・ゴールデン(トーマス・M.R.・ゴールデン ''Thomas M.R. Golden''){{refnest|group=注釈|トム・ゴールデン(トーマス・M.R.・ゴールデン ''Thomas M.R. Golden'' [[1921年]][[1月8日]]-[[2002年]][[11月3日]])はカリフォルニア州の不動産実業家、アートコレクター。1970年に仕事上のパートナーと共に{{仮リンク|ハインズホテル|en|Hinds Hotel}}(別名:''Freestone Hotel'')を購入し[[ソノマ郡 (カリフォルニア州)|ソノマ郡]]に来た。「ランニング・フェンス」プロジェクトでクリストとジャンヌ=クロードと出会った彼は以後熱心な支援者となり、彼らのプロジェクトに協力した。彼をして「クリストの右腕」と表現する例もある。その交流を通し、ゴールデンは個人としては世界最大のクリストとジャンヌ=クロードのコレクションを有するに至った。2001年にそのコレクションは{{仮リンク|ソノマ郡博物館|en|Museums of Sonoma County}}(''Museum of Sonoma Caunty'')に寄贈された。翌年81歳で死亡した<ref>{{cite news|title=FREESTONE'S TOM GOLDEN DIES ; FRIEND OF CHRISTO AND JEANNE-CLAUDE SUPPORTED ARTS,HISTROC PRESERVATION|newspaper=The Press Democrat|date=2002-11-5|page=B1}}</ref><ref>{{cite news|title=Christo's right-hand man / Art cokkector's work on 'Running Fence' led to quartercentury collaboration|newspaper=San Francisco Chronicle|date=2001-4-28|page=C1}}</ref>。}}も加わり[[サンディエゴ]]周辺や[[ロサンゼルス]]の北周辺を約5000キロメートル巡った。結果この1回の旅でカーン郡、ロサンゼルス郡の開催地が決定した<ref name=":7" />。
 
[[1987年]][[7月10日]]、クリストとジャンヌ=クロードは茨城県庁(当時は水戸市三の丸に所在)で[[竹内藤男]][[茨城県知事]]と面会しプロジェクトについて説明した。この面会は竹内と親交があった[[政治評論家]]の[[早坂茂三]]の取り計らいもあって実現している。翌[[7月11日|11日]]は武藤彬常陸太田市長、立花留治日立市長、井坂紀一里美村長と面会した<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=10|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=104|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref name=":8">{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=|pages=12-13|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。竹内は面会当初から協力的な姿勢を見せ、面会の数週間後には県庁内でプロジェクトへの担当者を配置するなど、受入態勢を整えていった<ref name=":9">{{cite book|和書|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|author=柳正彦|publisher=図書新聞|date=2009-12|page=212|isbn=9784886114280}}</ref>。
 
1987年[[7月18日]]、[[軽井沢]]の[[高輪美術館]]で『クリスト展』が始まる。この展覧会で『アンブレラ』の[[ドローイング]]や計画段階の資料が初めて展示された{{refnest|group="注釈"|この『アンブレラ展』は高輪美術館で1987年7月18日から9月6日に開催された後、[[西武美術館]](1988年[[1月2日]]から[[2月23日]])、[[兵庫県立近代美術館]](1988年[[6月5日]]から[[7月3日]])と巡回した<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞(長野東北信版)|title=世界を梱包する芸術家クリスト展 軽井沢で開催|date=1987-7-26|page=20}}</ref>。}}。また展覧会初日には『アンブレラ』について最初の[[記者]]発表が行われた。この時の発表時では名称は『アンブレラ、日本とアメリカ西部のジョイント・プロジェクト(''The Umbrellas, Projiect for Japan and Western U.S.A''』であった<ref>{{Cite news|title=クリスト展始まる 本人が記念講演 軽井沢の高輪美術館|newspaper=朝日新聞(長野 東北信版)|date=1987-7-19|page=21}}</ref><ref>{{cite news|newspaper=世界を梱包するクリスト展|newspaper=朝日新聞(長野版)|date=1987-7-11|page=18}}</ref>。[[7月21日|21日]]には[[日本外国特派員協会]]で『アンブレラ』の世界発表が行われた。アメリカ側では9月9日に[[サクラメント (カリフォルニア州)|サクラメント]]で記者会見が行われている。外国特派員協会発表時には名称は『アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト(''The Umbrellas, Joint Projiect for Japan and U.S.A''』となっており、以後1991年の実現近くまでこの名称で通された。また、これら当初の発表時では開催予定時期は1990年10月とされていた<ref name=":8" /><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=126-127|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref>{{Cite news|title=CHRISTO IN JAPAN: HE'S AT IT AGAIN, AND AGAIN IT'S NEW|newspaper=NEW YORK TIMES|date=1987-7-22|url=https://www.nytimes.com/1987/07/22/arts/christo-in-japan-he-s-at-it-again-and-again-it-s-new.html|publication-date=1987-7-22|page=17}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=13|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>。
 
カリフォルニア側では、トム・ゴールデンがプロジェクトの許諾を得るために1987年7月下旬から行政当局、議員、地主と接触を始めている。クリストとジャンヌ=クロードはカリフォルニアにおいて、[[1976年]]に白い[[ナイロン]]製の布を[[ソノマ郡 (カリフォルニア州)|ソノマ郡]]と[[マリン郡 (カリフォルニア州)|マリン郡]]に39.4キロメートルにわたって張った『ランニング・フェンス(''Running Fence'')』という作品を成功させた実績があったこともあり、行政や議会は『アンブレラ』に対し好意的な反応を示し、1987年9月9日の記者会見後に[[カリフォルニア州議会]]は作品の舞台に再びカリフォルニアを選んだことに感謝する"決議文(''Resolution'')"を彼らに渡している。その後のアメリカ側での行政関係の許認可はスムーズに進んだ<ref name=":8" /><ref>{{Cite book|和書|author=佐谷画廊|title=クリスト ザ・アンブレラズ : 日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト
Christo the umbrellas : joint project for Japan and the U.S.A.(Catalogue, no.59-1988)|date=1988|year=|accessdate=|publisher=佐谷画廊|page=31|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=柳正彦|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|date=2009-12|accessdate=|publisher=図書新聞|page=195}}</ref>。
 
日本側の傘を置く場所の個人の地権者から同意を得る作業は1987年10月から始まった。日本側の地権者は多くが農家で、その数は450者を超えてい。クリストとジャンヌ=クロードは住民説明会を通して説明をすると共に、可能な限り農家個人の元を訪ね一対一で説明をして回った。この時の説明作業についてクリストとジャンヌ=クロードは「'''茨城で地権者の同意を得るために6000杯のお茶を飲んだのです'''」と、やや誇張した表現ではあるがその膨大さを話している。最終的に、この『アンブレラ』で傘の設置に同意しなかった茨城県側の地権者は1名のみであった。また、茨城県によって『アンブレラ』で設置する傘が一時的に設置される仮設建築物と見なされたことで、[[建築基準法]]、[[道路交通法]]、[[河川法]]等の法的な問題のハードルは低くなった<ref name=":9" />。
 
『アンブレラ』で使う傘の製作は強度面・デザイン面から検討が進められ[[1989年]]末までに基本設計が終了した。傘の支柱・骨組の製造と組み立ては、[[アルミニウム]]加工を得意とする開催地に近い[[ベーカーズフィールド (カリフォルニア州)|ベーカーズフィールド]] のレイン・フォー・レント(''Rain for Rent'')が、布の裁断と縫製は[[ヨット]]の[[帆|セイル]]の世界的なメーカーである{{仮リンク|ノースセール|en|North Sails}}(''North Sails'')が行った。ノースセールが選ばれたのはヨットで培われた技術で、風を受けた傘の膨らみとたわみを美しく表現してくれることを期待してのものであった<ref>{{Cite book|和書|author=柳正彦|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|date=2009-12|publisher=図書新聞|page=240}}</ref>。
 
実際に傘を置く場所を決める作業はアメリカ側で1988年9月に約1ヶ月かけて、日本側では同年10月13日から約3週間かけて行われた。クリストとジャンヌ=クロードは地図と測量道具を携え開催場所を巡り、決めた場所に杭を打ち込んでいった。日本側ではアーティストの他、行政職員、測量会社職員、通訳の他、地元の事情に精通した住民等がこの作業に帯同した<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記|pages=364-366}}</ref>
。この1988年の作業で日米の傘設置箇所が一旦は決められたのだが、その後、茨城県側でバイパスが造られたり、茅葺き家が現代住宅に建て替えられていたりと景観が変貌しており、クリストとジャンヌ=クロードはプロジェクトスケジュールのギリギリまで位置の変更・調整に拘った<ref name=":11">{{Cite book|和書|author=柳正彦|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|date=2009-12|accessdate=|publisher=図書新聞|page=241}}</ref><ref>{{cite book|和書|title=クリスト(Shinchosha's super artists)|author=クリスト|publisher=新潮社|date=1990-9|page=63|isbn=4106018160}}</ref>
 
[[1990年]]にはプロトタイプの傘を使った[[風洞実験]]や、カラーテストなどが行われ、8月から実際に展示する傘の製造が開始される<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=18|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref>。
 
1990年11月に日本側の地権者に向けて傘の台座を置くための説明会が開催される。傘を設置するための台座の設置を[[田植え]]が始まる前に行わなければ、スケジュール的に間に合わないことが判明した為、その理解を求めるのが目的であった。日本側の地権者には当初の傘設置に対する契約時には、傘1本につき1万円、ただし10本を超える場合には10万円の賃貸料を支払うとされていた。が、今回、田植え前に台座を設置することで稲の作付けが出来なくなる部分が出ることから、新たに台座1つにつき5千円の"迷惑料"を支払うこと等をクリストとジャンヌ=クロードは提示し、理解を求めた。その甲斐あって、11月25日から日本側で台座の設置作業が始まった。アメリカ側の台座設置作業は1991年1月15日から始まった<ref name=":15">{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=20|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref>{{Cite journal|author=JAN VAN DER MARCK|year=1992-3|title=Blue/Yellow Diptych|journal=Art in America|volume=80|issue=3|page=|page=103|issn=00043214}}</ref><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|pages=364-366|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|pages=440-441|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref>。
 
1991年[[7月9日]]、日本で展示する傘を載せたコンテナ船の第一便が[[ロングビーチ]]港を出港する。以後、傘は数回に分けて[[日立港]]へ運ばれた<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|pages=20-241|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref>。
 
===1991年10月から===
1991年[[10月3日]]、台座への傘の取り付けが本格的に開始される。この作業にはプロジェクトで契約した設置請負会社の作業員の他、日本側では600人、アメリカ側では960人の学生、アーティスト、農民等が参加している。彼らには揃いのユニフォーム、ヘルメットが渡され、トレーニングを受けた後、傘設置の作業に参加した<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|pages=998-1001|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|pages=1004-1005|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref>。
 
なお彼ら一般参加者は無償の[[ボランティア]]では無く、『アンブレラ』以外のプロジェクト同様、彼らには賃金が支払われている。これはクリストとジャンヌ=クロードの、プロジェクトは一切の資金援助を受けず行う、との姿勢の徹底した表れである<ref>{{Cite journal|和書|author=柳正彦|year=1991-7|title=ART NEWS クリストの「アンブレラ」プロジェクト今秋の実現に向けて|journal=版画芸術|volume=19|issue=73|page=|pages=174-175|ISSN=13437399}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=|year=1990-10|title=クリスト(表紙の人 坂田栄一郎のオフ・カメラ)|journal=アエラ|volume=3|issue=45|page=81|ISSN=09148833}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=中原洋|year=1991-7|title=巨大プロジェクト「クリスト ザ・アンブレラズ」を推し進めるクリストの方法|journal=日経image climate forecast : 日経イメージ気象観測|volume=|issue=17|page=|pages=56-57}}</ref>。
 
1本203キログラムの傘本体は展示現地近くまではトラックやヘリコプターを使って運ばれたが、最終段階は人力による運搬であった。傘本体を包んでいたカバーには10個の取っ手が付けられており、それを持って台座まで運び、ロープ等を使って直立させ台座に取り付ける作業が10人程度で行われた<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91|date=1998|year=|accessdate=|publisher=Taschen|page=930|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦}}</ref>。
 
傘の台座への取り付けが終わり、青又は黄の柱が林立する景観へと変貌した茨城とカリフォルニアの開催地は8日の開花予定日を待っていた。しかし開花予定日の3日ぐらい前から茨城県北地域は不順な天候が続いていた。また[[10月4日]]に発生した[[台風]]21号が日本接近の様子を見せており、今後天候がどうなるかの予想は立たなかった<ref name=":11" /><ref name=":14">{{Cite web|url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=40&block_no=1011&year=1991&month=10&day=1&view=p1|title=気象庁>過去の気象データ>日立1991年10月(日ごとの値)主な要素|accessdate=2018-12-3|website=気象庁公式ホームページ|publisher=気象庁}}</ref>。
 
開花予定日の前夜、クリストとジャンヌ=クロードは[[常陸太田市民交流センター]](パルティホール)で開催されたレセプション後の記者会見でクリストは日本側での悪天候を理由に翌日の開花の日米とも延期することを発表した<ref>{{Cite news|title=雨で傘開けず!|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-8|publication-date=1991-10-8|page=21}}</ref>。この時クリストはプロジェクトに対する信念を次のように述べている<ref>{{Cite video|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|medium=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(発売)|at=本編20分から}}</ref>。
{{Quotation|
何者にも屈しない。僕が最も楽しめる時にプロジェクトを行うつもりだ。作業責任者の**さんは明朝、傘を開くことも出来るが、僕が望んでいない。僕のプロジェクトは美の観点が大事なんだ。完全に自由な作品だから、誰のいいなりにもならない。|クリスト|映画『アンブレラ』}}
開花予定日だった8日の日本側では延期を知らず集まった観客もいたが特別の混乱は無かった<ref>{{Cite news|title=アンブレラ展 開幕はきょう以降に|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-9|publication-date=1991-10-9|page=19}}</ref>。
 
[[10月9日|9日]]、雨があがった朝、日本側での開花作業が始まった。青いカバーが外され姿を現した傘本体は、支柱下部に取り付けたハンドルが回されるとゆっくりとその身を開かせていった。午前9時にはほとんどの傘が開いた。クリストとジャンヌ=クロードは傘が開いた光景を車で見て回った。この時クリストはアメリカ側の開花を見るために急いで[[成田空港]]へ[[ヘリコプター]]で向かわねばならない状況であったが、開花の光景に興奮した様子で各所で車を止め、青い傘と茨城の水と緑の調和に感嘆のの言葉を漏らした<ref>{{Cite news|title=雨しのぐ巨大な『青い花』 クリスト・アンブレラ展 初日の人出は2万人|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-10|publication-date=1991-10-10|page=21}}</ref><ref>{{Cite video|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|medium=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(発売)|at=本編24分45秒から}}</ref>。
 
一方のアメリカ側は現地時間で9日となる朝に開花作業が始まり、日本からカリフォルニアに飛んだクリストはアメリカ側の開花にも立ち会うことが出来た。この日のカリフォルニアは40度を超える季節外れの猛暑日であったが、多くの観客が訪れていた<ref name=":12">{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記|page=26}}</ref><ref name=":13">{{Cite news|title=日米「満開」お預け 強風で傘閉じる クリスト・アンブレラ展|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-11|publication-date=1991-10-11|page=19}}</ref>。
 
しかし、この時の日本側では開花した9日の夜から強風と大雨、また接近する台風21号で緊迫した状況になっていた。台風21号は9日の時点では[[沖縄県]][[南南東]]にあったであるが今後、日本接近の進路予想を見せ今後強まる風雨で更なる危険が予想されていた<ref>{{Cite web|url=http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/route_map/bstv1991.html|title=気象中>台風経路図1991年>【10】台風21号(接近)|accessdate=2018-12-3|website=気象庁公式ホームページ|publisher=気象庁}}</ref>。実際、既に9日の夜には強風で破損した傘が出るなどの被害が発生しており、倒れた傘の布を破り被害拡大を防ぐなど懸命の措置が行われた。この状況でクリストとジャンヌ=クロードは日本側の傘を一旦閉じる判断を下した。10日の午前中から傘を閉じる作業が開始され、午後2時には、閉じると却って危ないと判断された里川内に設置された傘を除いた全ての傘が閉じられた。この時の閉じる作業には[[代官山]]に「アートフロントギャラリー」を設立していた[[北川フラム]]の、友人である柳正彦の求めに応じてスタッフを連れて駆けつけ、作業員不足を補う等の協力もあった<ref name=":12" /><ref name=":13" /><ref>{{Cite video|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|medium=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(発売)|at=本編47分51秒から}}</ref>。
 
13日、クリストが茨城に戻り、台風が過ぎた15日に再び日本側の傘は開かれ、日米とも満開の状況となった。17日にはジャンヌ=クロードがアメリカに渡り、カリフォルニアの谷に咲く黄色い傘を見た<ref name=":12" />。
 
日本側では15日の再開以後は順調に展示は進み、傘を見るために県内外から多くの観光客が訪れた。国道349号は期間中最大17キロメートルの渋滞を起こし、沿道では特産の[[巨峰]]が売られるなどされた<ref>{{Cite news|title=山に映えるブルーの傘 台風去り5日ぶり”満開" アンブレラ展|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-16|publication-date=1991-10-16|page=19}}</ref><ref>{{Cite news|title=閉じる傘、しぼむ芸術 唐突幕切れに「残念」 クリスト展中止|newspaper=朝日新聞(茨城版)|date=1991-10-29|publication-date=1991-10-29}}</ref>。また常陸太田、佐都(常陸太田市)、町屋(同左)、中里(日立市)、里美の各[[郵便局]]による[[スタンプラリー]]や[[かかし]]祭りや物産展を行うなど、『アンブレラ』にあやかった催しも会期中行われた<ref>{{Cite journal|和書|author=藤井孝次郎|year=|date=1992-1|title=郵便局の周辺 「クリスト・アンブレラ」展にスタンプ・ラリー|journal=郵政|volume=44|issue=1|page=裏表紙|publisher=郵政弘済会}}</ref><ref>{{Cite news|title=”芸術の傘"の下で村おこし|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-22|publication-date=1991-10-22|page=14}}</ref>。
 
一方のアメリカ側は9日の開花以降多くの観客が訪れていた。10日の[[ロサンゼルス・タイムズ]]は、『アンブレラ』を見に1万人が訪れ交通量は平日の約40パーセント増になっていた、と報じている<ref>{{Cite news|title=Christo's Umbrellas--a Golden Forest Opens : Art: 10,000 viewers are on hand in Tejon Pass as traffic flows well. The artist calls the parasols 'my children.'|newspaper=Los Angels Times|date=1991-10-10|author=DAVID COLKER|url=http://articles.latimes.com/1991-10-10/news/mn-178_1_tejon-pass|accessdate=2018-12-30}}</ref>。ヘリコプターを使っての上空からの鑑賞や、記念[[Tシャツ]]などの[[土産物]]の販売等便乗ビジネスも盛んに行われ、ユニークなイベントとして、傘の下での[[結婚式]]というのも行われていた<ref name=":13" /><ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記|page=1342}}</ref>。
 
[[Image:ChristoUmbrellas.jpg|thumb|right|150px|配布された傘の布地]]日米とも、来場者には日米の開催地が書かれた両面印刷の地図と傘のサンプル布地が渡された<ref>{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記|page=1340}}</ref>。
 
20日、アメリカ側で強風発生の恐れがあった為、多くの傘が閉じられた。翌日には再び開かれた<ref name=":12" />。<br />{{clear}}
 
=== 事故発生から ===
10月26日(日本時間は27日)、アメリカ側会場で強風で吹き飛ばされた傘により観客が死亡する事故が発生した。
 
[[共同通信社]]ロサンゼルス支局は事故について、事故発生の前週から続いていた強風で傘本体と土台を固定する部分が緩んでいた所に、事故当日の毎秒20メートルの風が傘を吹き飛ばし、それが女性を岩にたたきつけて死亡させ、他にも数人のけが人がでた、と報じている<ref>{{Cite news|title=アンブレラ展打ち切り 米国会場、強風で死傷者|newspaper=茨城新聞|date=1991-10-28|page=21}}</ref>
 
 
 
== 公式記録メディア ==
クリストとジャンヌ=クロードは各プロジェクトの実施後、彼ら自らの手で編纂した記録集の発行と、ドキュメンタリー映画作家記録映画の作成を行っており<ref>{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|publisher=水戸芸術館現代美術センター|page=10|author2=ジャンヌ = クロード}}</ref>、『アンブレラ』には以下のものがある。
 
*記録集
:『Christo and Jeanne-Claude:The Umbrellas,Japan-USA,1984-91(クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本ーアメリカ合衆国、1984-91)』
::プロジェクトの交渉段階から実施までの詳細な内容がクリスト、ジャンヌ=クロード、及びクリストとジャンヌ=クロードの活動にかねてから携わり『アンブレラ』ではスタッフの一翼として彼らと共に活動しプロジェクトの経緯を良く知ることとなった柳正彦<ref name=":5" /><ref>{{Cite book|和書|author=柳正彦|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|date=2009-12|year=|accessdate=|publisher=図書新聞|page=18}}</ref>による[[英語]]・[[日本語]]併記による文章と、ウォルフガング・フォルツによる豊富な写真で紹介されている。28x30センチの2冊セットの形態で、ドイツの[[出版社]][[タッシェン]]が部数限定で発行(c1998)した。
 
*記録映画
:『アンブレラ(Umbrellas)』
::{{仮リンク|ヘンリー・コーラ|en|Henry Corra}}(''Henry Corra'')、グラハム・ワインブレン(''Graham Weinbren'')及びドキュメンタリー映画の兄弟作家チームの[[メイスルズ兄弟]]の[[兄]]アルバート・メイスルズ(''Albert Maysles'')らが監督した81分のドキュメンタリー映画(1995年)<ref name=":3" />。日米での傘の設置作業、台風の接近で緊迫している日本側の状況、日米で開花した傘の美、事故が起きた時の様子などが記録されている。この映画は[[1996年]][[3月]]の[[モントリオール]]国際芸術[[映画祭]](International Festival of Films on Art in Montréal(仏語:Festival International du Film sur l'Art(FIFA))でグランプリとPeople’s Choice Awardを受賞した<ref>{{Cite web|url=http://christojeanneclaude.net/bibliography/films|title=Christo and Jeanne-claude>Bibliography>Films|accessdate=2016-9-8|website=Christo and Jeanne-Claude Official Website|publisher=Christo and Jeanne-Claude}}</ref><ref>{{cite journal|title=Awards for Art Films|journal=Art in America : an illustrated magazine|publisher=Brandt Art|issn=00043214|date=1996-5|volume=84|issue=5|page=31}}</ref>。
 
== 展覧会 ==
クリストとジャンヌ=クロードは『アンブレラ』等のプロジェクトを実施した後、ドローイングや写真の他、実際に設置した現物を展示する展覧会を開催しており、彼らはこれを"ドキュメンテーション展"と呼んでいる。『アンブレラ』には[[2018年]]までにドイツ、スイス、日本でドキュメンテーション展が開催されている。ドイツのドキュメンテーション展は[[1999年]]に[[オーバーハウゼン|オーバーハウゼン市]]にある”{{仮リンク|ガソメーター|de|Gasometer Oberhausen}}(''Gasometer'')"という、かってはガスタンクとして使用されていた巨大な建造物内で開催された"壁− 13,000 個のドラム缶(''The Wall - 13,000 Oil Barrels'')"展と同時に開催された<ref>{{Cite book|和書|author=|title=クリスト&ジャンヌ=クロード講演会 : 慶應義塾大学、京都造形芸術大学主催世界アーティストサミット関連プログラム|url=http://en.lib-arts.hc.keio.ac.jp/publication/uploadimages/pdf/1358170802.pdf#page=83|format=PDF|date=2007-3|year=|accessdate=2018-9-8|publisher=慶應義塾大学教養研究センター|page=82}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.gasometer.de/en/exhibitions/the-wall|title=The Wall|accessdate=2018-9-8|website=Gasometer Oberhausen|publisher=}}</ref>。日本のドキュメンテーション展は[[2016年]][[10月1日]]から[[12月4日]]までの会期で、茨城県水戸市の[[水戸芸術館]]現代美術ギャラリーにて開催された<ref name=":4" />。
 
上記の展覧会以外で特に『アンブレラ』を紹介したクリストとジャンヌ=クロードの展覧会には以下のようなものがある。
*1988年1月14日から2月6日、[[佐谷画廊]]、『クリスト ザ・アンブレラズ 日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト』
*1988年5月25日から6月24日、Annely Juda Fine Art([[ロンドン]])、『Christo;The Umbrellas.Joint Project for Japan and USA』<ref>{{Cite book|author=Wolfgang Volz|title=Christo : the umbrellas : joint project for Japan and USA : drawings and collages, 25 May-24 June 1988|date=1988|year=||publisher=Annely Juda Fine Art|isbn=1870280083|page=1|author2=Christo}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.annelyjudafineart.co.uk/exhibitions/archive|title=Annely JUda Fine Art/Archive|accessdate=2018-10-25|publisher=Annely Juda Fine Art}}</ref>
*1989年6月18日から7月13日、Guy Pieters Gallery([[クノック=ヘイスト]]([[ベルギー]])、『Christo : the umbrellas : joint project for Japan and USA』<ref>{{cite book|title=Christo : the umbrellas : joint project for Japan and USA|publisher=Guy Pieters Gallery|date=1989|author=Christo|NCID=BB06461889}}</ref>
*1990年11月14日から12月8日、佐谷画廊、『クリスト ザ・アンブレラズ 日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト』
*1991年9月14日から11月24日、[[水戸芸術館]]現代美術ギャラリー、『クリスト展 ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラ・プロジェクトのためのドローイング』<ref>{{Cite book|和書|author=クリスト|title=クリスト展:ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラ・プロジェクトのためのドローイング (水戸芸術館現代美術ギャラリー展覧会資料;10号)|date=1991|year=|accessdate=|publisher=水戸芸術館現代美術ギャラリー|page=6|author2=森司|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>
 
*1991年?月から1992年1月11日、アートスペースプティミュゼ(東京都千代田区)、『クリスト-消えたモニュメント』<ref>{{Cite news|title=「クリスト-消えたモニュメント」展 早くも"アンブレラ"回顧展|newspaper=毎日新聞(夕刊)|date=1991-12-24|publication-date=1991-12-24|page=6}}</ref>
 
*1992年4月11日から5月10日、[[丸亀市猪熊弦一郎現代美術館]]、『クリスト展 ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラのためのドローイング』、
*1992年7月4日から7月26日、[[豊田市民文化会館]]、『クリスト展 ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラのためのドローイング』
*2011年12月2日から12月27日、常陸太田市郷土資料館、『思い出の青い傘-クリスト・アンブレラ回顧展』<ref>{{cite news|newspaper=茨城新聞|date=2011-11-26|title=アンブレラ・プロジェクト20年 クリストさんの試み回顧 市民、思い出の品展示|page=18}}</ref>
 
この他小規模ではあるが、2016年9月11日と17日に常陸太田市折橋(旧里美村の折橋地区)のコミニュティースペースとして改修した酒蔵で、地域住民が保管していた『アンブレラ』思い出の品を展示するという、住民手作りの催しが開かれている<ref>{{cite news|newspaper=茨城新聞|title=常陸太田 改修酒蔵で展示会 25年前の「巨大傘」回顧|date=2016-9-15|page=21}}</ref><ref>{{cite web|url=https://kenpoku-creative.com/2018/07/19/aokasa00/|title=青い傘の“奇跡”/プロローグ|”クリスト”という事件 #00|work=茨城県北クリエイティブプロジェクト|date=2018-7-19|accessdate=2018-11-28}}</ref>。
 
== 脚注 ==
===注釈===
<references group="注釈"/>
=== 出典 ===
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
図書
*{{Cite book|和書|author=クリスト|editor=柳正彦ほか|title=クリストとジャンヌ=クロード = Christo and Jeanne-Claude : アンブレラ日本=アメリカ合衆国1984-91(水戸芸術館現代美術センター、展覧会資料;第103号)|date=2016-10|year=|accessdate=|publisher=水戸芸術館現代美術センター|author2=ジャンヌ = クロード|author3=水戸芸術館|NCID=BB22204683}}
*{{Cite book|和書|author=|title=クリスト&ジャンヌ=クロード講演会 : 慶應義塾大学、京都造形芸術大学主催世界アーティストサミット関連プログラム|url=http://en.lib-arts.hc.keio.ac.jp/publication/uploadimages/pdf/1358170802.pdf|format=PDF|date=2007-3|accessdate=2018-9-8|author=クリスト||author2=ジャンヌ=クロード|author3=慶應義塾大学教養研究センター|publisher=慶應義塾大学教養研究センター|NCID=BA90544203}}
*{{Cite book|和書|author=佐谷画廊|title=クリスト ザ・アンブレラズ : 日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト Christo the umbrellas : joint project for Japan and the U.S.A.|date=1990|year=|accessdate=|publisher=佐谷画廊|NCID=BA41063388}}
*{{Cite book|和書|author=クリスト|title=クリスト展:ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラ・プロジェクトのためのドローイング (水戸芸術館現代美術ギャラリー展覧会資料;10号)|date=1991|publisher=水戸芸術館現代美術ギャラリー|page=6|author2=森司|NCID=BN07980795|ISBN=4943825095}}
*{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=1|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記}}
*{{Cite book|author=Christo|title=Christo and Jeanne-Claude : The Umbrellas, Japan-USA, 1984-91(邦題:クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国 1984-91)|date=1998|publisher=Taschen|volume=2|author2=Jeanne-Claude|author3=Volz,Wolfgang|author4=柳正彦|NCID=BA40667777|language=英日併記}}
*{{cite book|和書|title=ライフ=ワークス=プロジェクト:クリストとジャンヌ=クロード|author=柳正彦|publisher=図書新聞|date=2009-12|page=212|isbn=9784886114280}}
*{{cite book|和書|title=クリスト(Shinchosha's super artists)|author=クリスト|publisher=新潮社|date=1990-9|isbn=4106018160}}
*{{Cite book|author=Wolfgang Volz|title=Christo : the umbrellas : joint project for Japan and USA : drawings and collages, 25 May-24 June 1988|date=1988|year=||publisher=Annely Juda Fine Art|isbn=1870280083|page=1|author2=Christo}}
*{{cite book|title=Christo : the umbrellas : joint project for Japan and USA|publisher=Guy Pieters Gallery|date=1989|author=Christo|NCID=BB06461889}}
 
 
雑誌記事
 
日本語
*{{Cite journal|和書|author=|year=|date=1991-10|title=クリスト、自由への挑戦|journal=Marie claire Japon(マリ・クレール 日本版)|volume=10|issue=10|page=270|publisher=中央公論社}}
*{{Cite journal|和書|author=柳正彦|year=|date=1991-12|title=クリストのアンブレラ・プロジェクト-日本とアメリカ ドキュメント|journal=季刊みづゑ|volume=|issue=961|page=|pages=11-14|ISSN=0915-9363}}
*{{Cite journal|和書|author=|year=|date=1991-11-12|title=クリストのアンブレラ・イベント、風と共に去りぬ(リポート・芸術)|journal=アエラ|volume=|page=72|publisher=朝日新聞社|ISSN=09148833}}
*{{Cite journal|和書|date=1992-1|title=クリスト・アンブレラ開傘 写真家 ウルフガング・フォルツの見たアンブレラ|journal=美術手帖|volume=44|issue=649|page=|pages=194-197}}
*{{Cite journal|和書|author=中原洋|year=|date=1991-7|title=巨大プロジェクト「クリスト ザ・アンブレラズ」を推し進めるクリストの方法|journal=日経image climate forecast : 日経イメージ気象観測|volume=|issue=17|page=|pages=56-57}}
*{{Cite journal|和書|author=柳正彦|year=1991-7|title=ART NEWS クリストの「アンブレラ」プロジェクト今秋の実現に向けて|journal=版画芸術|volume=19|issue=73|page=|pages=174-175|ISSN=13437399}}
*{{Cite journal|和書|author=中原洋|year=1991-7|title=巨大プロジェクト「クリスト ザ・アンブレラズ」を推し進めるクリストの方法|journal=日経image climate forecast : 日経イメージ気象観測|volume=|issue=17|page=|pages=56-57}}
*{{Cite journal|和書|author=|year=1990-10|title=クリスト(表紙の人 坂田栄一郎のオフ・カメラ)|journal=アエラ|volume=3|issue=45|page=81|ISSN=09148833}}
 
外国語
*{{Cite journal|author=JAN VAN DER MARCK|year=1992-3|title=Blue/Yellow Diptych|journal=Art in America|volume=80|issue=3|page=|pages=100-105|issn=00043214}}
*{{cite journal|title=Awards for Art Films|journal=Art in America : an illustrated magazine|publisher=Brandt Art|issn=00043214|date=1996-5|volume=84|issue=5|page=31}
 
新聞記事
 
日本語
*{{Cite news|title=「アンブレラ・プロジェクト」8日始動、米国でも同時に(美術)|newspaper=朝日新聞(夕刊)|date=1991-10-1|publication-date=1991-10-1|page=11}}
*{{Cite news|title=[顔]日米で「アンブレラ展」を開いているクリスト・ヤバシェフさん|newspaper=読売新聞|date=1991-10-25|publication-date=1991-10-25|page=17}}
*{{Cite news|title=アンブレラ展の傘を撤去中に作業員感電死 常陸太田|newspaper=朝日新聞|date=1991-11-1|publication-date=1991-11-1|page=31}}
*{{Cite news|title=「クリスト-消えたモニュメント」展 早くも"アンブレラ"回顧展|newspaper=毎日新聞(夕刊)|date=1991-12-24|publication-date=1991-12-24|page=6}}
*{{cite news|newspaper=茨城新聞|title=常陸太田 改修酒蔵で展示会 25年前の「巨大傘」回顧|date=2016-9-15|page=21}}
 
外国語
 
映像資料
*{{Cite book|和書|author=アルバート・メイスルズ(監督)|title=クリスト&ジャンヌ=クロード〔3〕 『アンブレラ』『インタビュー』|format=DVD|date=2006|year=|accessdate=|publisher=IMAGICA(販売)|NCID=BA8000889X|ISBN=4877669949}}
{{indent|1995年製作のドキュメンタリー映画『アンブレラ』のDVDの日本版。81分の本編の他、本編にクリストとジャンヌ=クロードとアルバート・メイスルズの音声解説付版、2003年に行われたクリストとジャンヌ=クロードとアルバート・メイスルズの27分のインタビュー編が1枚のDVDに収録されている。}}
 
インターネット
*{{Cite web|url=https://bijutsutecho.com/magazine/interview/402|title=「ストーリー」を語り継ぐ、クリストとジャンヌ=クロードに聞く|accessdate=2018-9-8|date=2017-1-19|website=「美術手帖」アートポータルサイト|publisher=}}
*{{Cite web|url=http://www.annelyjudafineart.co.uk/exhibitions/archive|title=Annely JUda Fine Art/Archive|accessdate=2018-10-25|publisher=Annely Juda Fine Art}}
*{{cite web|url=https://kenpoku-creative.com/2018/07/19/aokasa00/|title=青い傘の“奇跡”/プロローグ|”クリスト”という事件 #00|work=茨城県北クリエイティブプロジェクト|date=2018-7-19|accessdate=2018-11-28}}
 
*{{Cite book|和書|title=クリスト アンブレラ 日本 アメリカ合衆国|date=1991|year=|accessdate=|publisher=クリスト}}※1991年の展示会場で観客に配布された56×70センチ(折り畳み28×18センチ)のパンフレット。日本側、アメリカ側会場の地図、概要が日本語・英語併記でそれぞれ片面に印刷されている。