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{{別人|x1=元プロ野球選手の|坂本竜一}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
{{独自研究|date=2022年6月}}
| Name = 坂本龍一<br/>Ryuichi Sakamoto
{{Infobox 人物
| Img = Ryuichi_Sakamoto_side.jpg
| 氏名 = {{ruby|坂本|さかもと}} {{ruby|龍一|りゅういち}}
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| 画像 = Ryuichi Sakamoto side.jpg
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| Landscape画像説明 = 2013年
|画像サイズ = 250
| Background = maker
| Birth_name出生名 = 坂本 龍一<ref>{{Citecite web ja |url= httphttps://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/07/10/kiji/K20140710008536040.html |title= 坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続 |publisher= スポーツニッポン |date= 2014-07-10 |accessdate= 2017-03-14 }}</ref>
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1952|1|17|no}}
| Alias = [[教授]], 坂本教授
| 生誕地 = {{JPN}} [[東京都]][[世田谷区]]
| Blood = [[ABO式血液型|B型]]
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1952|1|17|2023|3|28}}
| School_background = [[東京芸術大学]]大学院修士課程
| 死没地 = {{JPN}} [[東京都]]
| Born = {{生年月日と年齢|1952|1|17}}
| 死因 = [[直腸がん]]
| Died =
| 別名 = <!-- 活動時に使用した別名義を記載。愛称や略称ではありません。 -->
| Origin = {{JPN}}・[[東京都]][[中野区]]
| 出身校 = [[東京芸術大学]]大学院修士
| Instrument = [[キーボード (楽器)|キーボード]]<br/>[[シンセサイザー]]<br/>[[ピアノ]]<br/>[[オルガン]]<br/>[[ストリングス]]<br/>[[ドラムセット|ドラム]]<br />[[ボーカル]]
| 職業 = {{Hlist-comma|[[作曲家]]|[[編曲家]]|[[ピアニスト]]|[[音楽プロデューサー]]|[[俳優]]}}
| Genre = [[映画音楽]]<br/>[[ニューエイジ・ミュージック|ニューエイジ]]<br/>[[エレクトロニカ]]<br/>[[J-POP]]<br/>[[テクノポップ]]<br/>[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]<br/>[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]<br/>[[沖縄音楽]]<br/>[[環境音楽|アンビエント]]<br/>[[イージーリスニング]]<br/>[[ボサノヴァ]]<br/>[[ハウスミュージック]]<br/>[[ワールドミュージック]]<br/>ほか…
|影響を受けたもの = [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]、[[クロード・ドビュッシー]] など
| Occupation = [[作曲家]]<br/>[[キーボーディスト]]<br/>[[音楽プロデューサー]]<br/>[[編曲家]]
|影響を与えたもの =
| Years_active = [[1978年]] -
| 活動期間 = [[1978年]] - [[2023年]]
| Label = [[日本コロムビア]]<br/>(1978 - 1979)<br/> [[アルファレコード]]<br/>(1978 - 1983)<br/> [[ミディ|MIDI]]/SCHOOL<br/>(1984 - 1986)<br/> [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBSソニー]]/TERRAPIN<br/>(1987)<br/>[[ヴァージン・レコード]]<br/>(1989 - 1991)<br/>[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]<br/>(1981,1993)<br/>[[フォーライフ・レコード]]/[[güt]]<br/>(1994 - 1997)<br/>[[ワーナーミュージック・ジャパン]]<br/>(1998 - 2006)<br/>[[commmons]]<br/>(2006 - )
| 配偶者 = {{Plainlist|[[矢野顕子]]{{small|({{Start date|1982}} - {{End date|2006}})}}}}
| Production =
| 子供 = {{Plainlist|
| Associated_acts = [[りりィ|りりィ&バイバイセッションバンド]]<br/>[[細野晴臣]]<br/>[[高橋幸宏]]<br/>[[矢野顕子]]<br/>( - 1993年まで)<br/>[[忌野清志郎]]<br/>[[デヴィッド・シルヴィアン]]
* [[坂本美雨]](次女)
| Influences =
* [[空音央]](長男)}}
| URL = [http://www.sitesakamoto.com/ sitesakamoto.com]
|親 = [[坂本一亀]](父)
| 家族 = [[坂本龍一#家族・親族|#家族・親族]]を参照
| 公式サイト = [https://www.sitesakamoto.com/ sitesakamoto.com]
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| 署名サイズ =
| module = {{Infobox Musician|embed=yes
| 担当楽器 = {{Hlist-comma|[[キーボード (楽器)|キーボード]]|[[シンセサイザー]]|[[ピアノ]]|[[オルガン]]|[[ボーカル]]|[[ドラムセット|ドラム]]}}
| ジャンル = {{Hlist-comma|[[エレクトロニック]]<ref name="AM">{{AllMusic |first=Jason |last=Ankeny |title=Ryuichi Sakamoto Biography, Songs, & Albums |class=artist |id=ryuichi-sakamoto-mn0000587608#biography |accessdate=2022-02-15 }}</ref><ref name="okmusic">{{Cite web ja|title=坂本龍一(サカモトリュウイチ)の情報まとめ |url=https://okmusic.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80 |website=OKMusic |publisher=ジャパンミュージックネットワーク |accessdate=2022-02-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180421141823/https://okmusic.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80|archivedate=2018-04-21}}</ref>|[[シンセポップ]]<ref name="AM" />|[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]<ref name="AM" />|[[クラシック音楽|クラシック]]<ref name="AM" />|[[ワールドミュージック|ワールド]]<ref name="okmusic" />|[[映画音楽]]<ref name="AM" />|[[現代音楽]]<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一 - プロフィール |url=https://artist.cdjournal.com/a/sakamoto-ryuichi/111109 |website=CDJournal |publisher=音楽出版社 |accessdate=2022-02-15 }}</ref>}}
| レーベル = {{Plainlist|
* [[日本コロムビア]] / Better Days {{small|({{Start date|1978}} - {{End date|1979}})}}
* [[アルファレコード]]{{small|({{Start date|1978}} - {{End date|1983}})}}
* [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL{{small|({{Start date|1984}} - {{End date|1986}})}}
* [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN {{small|({{Start date|1987}} )}}
* [[メディア・レモラス|ヴァージン・ジャパン]]{{small|({{Start date|1989}} - {{End date|1991}})}}
* [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]] {{small|({{Start date|1991}} - {{End date|1993}})}}
* [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt{{small|({{Start date|1994}} - {{End date|1997}})}}
* [[タワーレコード]] / güt bounce {{small|({{Start date|1996}} - {{End date|1997}})}}
* [[ワーナーミュージック・ジャパン]] {{small|({{Start date|1998}} - {{End date|2006}})}}
* [[commmons]]{{small|({{Start date|2007}} - {{End date|2023}})}}}}
|事務所 = Kab(日本)<ref>「エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ」と業務提携</ref><br>Kab America(日本国外)
| 共同作業者 = {{Plainlist|
* [[りりィ|りりィ&バイバイセッションバンド]]
* [[細野晴臣]]
* [[高橋幸宏]]
* [[イエロー・マジック・オーケストラ]]
* [[矢野顕子]]
* [[忌野清志郎]]
* [[デヴィッド・シルヴィアン]]
}}
| 著作使用楽器 =
'''坂本 龍一'''(さかもと りゅういち、Sakamoto Ryūichi、[[1952年]][[1月17日]] - )は、[[日本]]の[[音楽家|ミュージシャン]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ピアニスト]]、[[キーボーディスト]]
}}}}
。東京都出身。
'''坂本 龍一''' (さかもと りゅういち、{{lang-en|Ryūichi Sakamoto}}、[[1952年]]〈[[昭和]]27年〉[[1月17日]]<ref name="djmeikan">{{Cite book ja|title=DJ名鑑 1987|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12276264/40}}|url-access=registration|publisher=[[三才ブックス]]|date=1987-02-15|pages=78-79}}</ref> - [[2023年]]〈[[令和]]5年〉[[3月28日]]<ref>{{cite web |title=An Announcement|url=https://www.sitesakamoto.com/whatsnew/ |website=Ryuichi Sakamoto official site|access-date=2 April 2023}}</ref><ref>{{cite web ja |title=【坂本龍一】ご報告|url=https://archived.avexnet.jp/news/detail.php?id=1013209|website=avex portal|access-date=2023-04-02 }}</ref><ref name="kyodo202304011030"/>)は、[[日本]]の[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[ピアニスト]]、[[音楽プロデューサー]]<ref>{{cite web ja |author=天辰保文 |title=音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一 |url=https://www.nippon.com/ja/features/c03701/ |website=nippon.com |publisher=公益財団法人ニッポンドットコム |date=2016-11-15 |accessdate=2022-02-15 }}</ref>、[[公益|公益活動家]]。[[東京都]]出身<ref>{{cite web ja |title=全部出し!「ユザーンの川越コンピューター学園」 その10 (1/3) |url=https://ascii.jp/elem/000/000/730/730971/ |website=ASCII.jp |access-date=2022-07-01 |last=ASCII}}</ref>。
 
音楽性は幅広く、[[クラシック音楽]]が根幹にあり、[[民族音楽学|民俗音楽]]、[[ポピュラー音楽]](特に[[テクノポップ]])にも造詣が深かった。[[1987年]]には[[日本人]]で唯一[[アカデミー作曲賞]]を受賞しており、[[映画音楽]]でも世界的に評価されている<ref>{{cite web ja |title=4月開業「109シネマズプレミアム新宿」の全シアターの音響を世界的音楽家・坂本龍一が監修 |url=https://weekend-cinema.com/40073/ |website=WEEKEND CINEMA |date=2022-11-16 |access-date=2023-05-15 }}</ref><ref>{{cite web ja |title=日本人で初めてのアカデミー賞作曲賞受賞者 – 日本記録(公式) {{!}} 日本記録認定協会 |url=https://japaneserecords.org/japanese-records/6538/ |website=japaneserecords.org |access-date=2023-05-15}}</ref>。[[愛称]]は「'''教授'''」<ref>{{cite web ja |title=教授動静 第29回──坂本龍一、コロナ禍での年始年末 |url=https://www.gqjapan.jp/culture/article/20210115-sakamoto-dousei-29 |website=GQ JAPAN |date=2021-01-15 |access-date=2022-06-28 |first=Condé |last=Nast}}</ref>。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた<ref>{{cite web ja |title=一般社団法人more trees |url=https://www.more-trees.org/ |website=一般社団法人more trees |access-date=2022-06-28 }}</ref><ref>{{cite web ja |title=坂本龍一さん、国会前で演説 「日本にもまだ希望がある。本当によかった」(全文・動画) |url=https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/30/sakamoto-ryuichi-speech_n_8061622.html |website=ハフポスト |date=2015-08-30 |access-date=2022-06-28 }}</ref>。1990年代中盤には[[インターネット]]の普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。
世界的に活動している日本人ミュージシャンである。その音楽性は幅広く、[[クラシック音楽]]が根幹にあるものの、[[民族音楽学|民俗音楽]]、[[現代音楽]]にも造詣が深い。
 
有能
 
== 概要 ==
幼いころから作曲母方叔父の持っているレコード聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。[[世田谷区]]で小中生時代を過ごし<ref>{{cite web ja |title=【坂本図書 第6回】坂本龍一 人生を変えた、大島渚監督との出会い |url=https://www.fujingaho.jp/culture/column-essay/a40055008/ryuichi-sakamoto-bookshelves-06-ooshima-nagisa-220704/ |website=Fujingaho |date=2018-09-21 |access-date=2023-05-15}}</ref>[[東京都立新宿高等学校]]に進学する<ref>{{cite web ja |title=【同窓生シリーズ】坂本龍一 |url=https://dev.ed2.jp/swas/index.php?id=s_pta&frame=20120301_sakamoto |website=dev.ed2.jp |access-date=2023-05-16}}</ref>。[[新宿]]は当時の日本のサブカルチャーの中心地であり、[[映画]]と[[音楽]]を中心に様々な店に出入りしては文化的素養を吸収していった<ref name=":2" /><ref name=":1" />。[[東京芸術大学]]在学中に[[スタジオ・ミュージシャン]]として活動を開始<ref name="djmeikan"/>した。[[1970年代]]後半よりソロや[[KYLYN (アルバム)|KYLYN]]バンドのメンバーとして活動する一方、メンバーとして参加した音楽グループ「[[イエロー・マジック・オーケストラ]](YMO)」が国内外で商業的成功を収め、人気ミュージシャンとなったYMOに[[テクノポップ山下達郎]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ大貫妙子]]など分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現同世音楽手法を使った作品の発表、[[ロック (音楽)|ロック]][[テクノ]]の融も知り[[ワールドミュージック]]、[[ヒップホップ]]や[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]などの[[ブラックミュージック]]共同作業織り交ぜ行っ[[ポピュラー音楽|ポップス]]、[[オペラ]]の作曲および[[プロデュース]]、[[クラシック音楽|クラシック]]や[[ボサノヴァ]]のユニットを結成してのワールドツアー、近年は[[環境音楽|アンビエント]]や[[エレクトロニカ]]の作品を発表するなど、ジャンルを超越して多彩な作品を発表している
 
YMO時代に[[テクノポップ]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]の分野で活動したことは広く知られているが、その後は一つのところに留まらず、現代音楽の手法を使った作品の発表、[[ロック (音楽)|ロック]]と[[テクノポップ|テクノ]]の融合、[[ワールドミュージック]]、[[ヒップホップ]]や[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]などの[[ブラックミュージック]]を織り交ぜた[[ポピュラー音楽|ポップス]]、[[オペラ]]の作曲および[[プロデュース]]、[[クラシック音楽|クラシック]]や[[ボサノヴァ]]のユニットを結成してのワールドツアー、晩年は[[環境音楽|アンビエント]]や[[エレクトロニカ]]の作品を発表するなど、ジャンルを横断して多彩な作品を発表した。前衛的で先進的なイメージを残しながら、大衆に理解され得る親しみ易さを持った作品として仕上げる手腕に卓越したものを持っていた<ref>{{cite web ja |title=【新宿高校】華麗なる卒業生人脈!音楽家の坂本龍一、日銀元総裁の速水優、東電元社長の勝俣恒久と広瀬直己… |url=https://diamond.jp/articles/-/321205 |website=ダイヤモンド・オンライン |date=2023-04-18 |access-date=2023-05-16 }}</ref>。
 
自身の音楽活動のほか、[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]や[[編曲家|アレンジャー]]としても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。俳優として出演した[[大島渚]]の監督映画『[[戦場のメリークリスマス]]』で[[映画音楽]]も手掛け、日本人初の[[英国アカデミー賞 作曲賞]]を受賞した。1987年公開の『[[ラストエンペラー]]』<ref group="注">坂本が書いたピアノスケッチ譜に基づいて、オーケストレーションは<!--坂本本人を含む 要出典-->[[川崎絵都夫]]、[[上野耕路]]、[[野見祐二]]、[[渡辺蕗子]]らが分担した。</ref>では日本人初の[[アカデミー作曲賞]]を受賞し<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>、同曲で[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]、1989年第31回[[グラミー賞]]最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。[[1990年]]、[[映画]]『[[シェルタリング・スカイ]]』の[[サウンドトラック]]を担当し[[ロサンゼルス映画批評家協会賞]]の作曲賞、[[1991年]]に[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。
 
[[1990年代]]前半は打ち込み系ポップスの作品を多数リリースし、[[1995年]]11月30日には『三菱電機 スーパーセレクション 坂本龍一 TOUR '95 D&L with Daizaburo Harada』というライブを開催し、[[WIDEプロジェクト]]の協力を得て、日本初の[[ネット配信|インターネット配信]]も行った。[[ネット配信|インターネット配信]]自体は既に[[1994年]]11月に[[ローリング・ストーンズ]]が行っていたが、[[インターネット]]の商業利用化が[[1995年]]に完了した直後という時代に、世界でも数例しか行われていない中での極めて先進的な試みであった。同時に、[[原田大三郎]]によるステージ上での映像のリアルタイムコントロールも、後の[[ビデオジョッキー|VJ]]の先駆けであった。
 
[[1990年代]]後半はアコースティック作品を中心に制作し、その中でも[[1999年]]に[[三共 (製薬会社)|三共]]『[[リゲイン]]EB錠』のCM曲であった『[[ウラBTTB|energy flow]]』が癒し系楽曲として絶大な人気を得て、同曲を収録した『[[ウラBTTB]]』が[[ミリオンセラー]]を達成した。以降のスタジオ作品は[[2000年代]]を通して、アコースティック感のある脱構築的な作風に移行して行った([[2009年]]の『[[アウト・オブ・ノイズ|Out of Noise]]』など)。同時に、スタジオ・アルバムのリリースは大きく減少した。
 
音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には[[俳優]]としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]などとお笑い番組やバラエティ番組に出演することもあった。
 
近年は各メディアで[[環境問題]]や[[憲法]]をはじめとした諸問題に関する運動に積極的に参加・言及しており、2000年代半ばに話題になった[[PSE問題]]においても、坂本が中心人物として反対運動を行った。「[[エコロジー|エコ]]」や「[[LOHAS|ロハス]]」といったキーワードを口にすることが多く、[[マクロビオティック]]の実践者でもある。[[2008年]]6月5日の「[[環境の日|世界環境デー]]」には、CD製造時の[[二酸化炭素]]排出への対策として[[commmons]]レーベルから新たに発売する全てのCDを[[カーボンオフセット]]対応とすることも発表した(最新作まで継続中)<ref>{{cite web ja |title=音楽からエコ!坂本龍一、全CDをカーボンオフセットに |url=https://barks.jp/news/608919/ |website=BARKS |access-date=2023-05-14 }}</ref>。長年[[喫煙]]者であったが、[[鍼|針治療]]を通じて[[禁煙]]に成功した<ref>[http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/009.html 第9回 「禁煙」について言いきる] Web Magazine OPENERS - 坂本龍一の「上から」言いきる.... 2008年7月28日</ref>。一時期は[[菜食主義|ベジタリアン]]でもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に中止している。2008年の9月には作家[[村上龍]]との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。
 
無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している<ref>2009年3月10日放送TBS「はなまるマーケット」での発言。</ref>。若い頃は自分の見た目に無頓着で、アルバム『[[千のナイフ]]』のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほどだった。このような坂本がファッションセンスを得るに至ったのは、ファッションデザイナーとしての顔も持っていた同じYMOメンバーの[[高橋幸宏]]の指導によるものである。晩年は、センター分けにした白髪の[[ツーブロック]]に、フランスの「[[ジャック・デュラン]]」の[[眼鏡]]がアイコンとなっていた。
 
坂本は[[手塚治虫]]の[[漫画]]が好きだと公言しており、特にお気に入りの作品は『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]』と『[[ブッダ (漫画)|ブッダ]]』だという。手塚漫画の女性や動物は滑らかな曲線で描かれており、そこに音楽性と美しさを感じると度々語っている<ref>[http://www.switch-pub.co.jp/happy-birthday-tezuka-osamu/ 【坂本龍一、杏などの豪華コメントをご紹介!】RADIO SWITCH特集「HAPPY BIRTHDAY 手塚治虫」]</ref>。坂本は[[手塚るみ子]]プロデュースの「手塚治虫 その愛した音楽」というCD(内容は手塚が漫画の執筆中に聴いていた音楽を収録したもの)の仕事もしている。[[手塚プロダクション]]の「さよならティラノ」というアニメの音楽も担当している。
 
[[スピーカー]]の付帯音を極限まで抑えて原音をそのまま再生するムジーク([[:de:Musikelectronic_Geithain|musikelectronic geithain]])のモニタースピーカーを愛用していた<ref>{{Cite web |title=【番外編】坂本龍一が語る commmons: scholaのこれまで、そしてこれから。 | commmons:schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons |url=https://www.commmons.com/schola/interview3.html |website=www.commmons.com |access-date=2024-05-26}}</ref>。
 
愛称は「[[教授]]」「世界のサカモト」。
 
== 生涯 ==
自身の音楽活動のほか、[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]や[[編曲家|アレンジャー]]としても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も数多く行っている。また、映画『[[戦場のメリークリスマス]]』で[[映画]]に俳優として出演し、[[映画音楽]]も手掛け、日本人初の[[英国アカデミー賞]]の[[英国アカデミー賞 作曲賞|作曲賞]]を受賞した。[[1987年]]公開の『[[ラストエンペラー]]』<ref group="注">坂本が書いたピアノスケッチ譜に基づいて、実際のオーケストレーションは、坂本本人を含む、東京芸術大学作曲科後輩のアレンジャー[[川崎絵都夫]]、[[上野耕路]]、[[野見祐二]]、[[渡辺蕗子]]らが分担した。</ref>では日本人初の[[アカデミー作曲賞]]を受賞し<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>、また同曲で[[ゴールデングローブ賞]]、1989年第31回[[グラミー賞]]最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞など世界的な音楽賞を総なめした。[[1990年]]、[[映画]]『[[シェルタリング・スカイ]]』の[[サウンドトラック]]を担当し[[ロサンゼルス映画批評家協会賞]]の作曲賞、[[1991年]]に[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]を受賞した。以降、国内外の映画音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を築いた。
=== 生い立ち ===
[[1952年]]、[[東京都]][[中野区]]に生まれた。父は[[河出書房新社|河出書房]]の[[編集者]]で、[[三島由紀夫]]や[[野間宏]]、[[中上健次]]、[[高橋和巳]]などを担当した[[坂本一亀]]。母・敬子は実業家・[[下村彌一]]の娘にあたり、帽子デザイナーで[[銀座]]の宝石商に勤務。
 
通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所であったため、3歳から[[ピアノ]]を習い始める。[[学校法人自由学園|自由学園]]幼児生活団に準じた世田谷幼児生活団<ref>2022年3月に閉団した</ref>において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。
音楽家としての活動のほかに、いくつかの映画や映像作品には[[俳優]]としての出演歴がある。テレビCMにも多く出演しており、ときには、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]などとお笑い番組やバラエティ番組に出演する。
 
6歳ごろまで住んでいた中野の家には、ピアノやレコードプレーヤーがなかった<ref name="gendai20230404">{{cite web ja |url=https://gendai.media/articles/-/108491?imp=0 |title=「過激な左翼だった」「三島由紀夫の遺体に会いたかった」坂本龍一さんが明かしていた「世界のサカモトの壮絶人生」 |access-date=2023-04-07 |publisher=週刊現代 |date=2023-04-04}}</ref>。近所に住む祖父の家には、当時まだ学生だった叔父のピアノがあり、その上にレコードプレイヤーがあった<ref name="gendai20230404" />。ピアノによじ上ってレコードを聴いたのが、坂本の最初の音楽の記憶である<ref name="gendai20230404" />。
近年は各メディアで[[環境問題]]や[[平和]]問題をはじめとした諸問題について発言する機会も多く、最近は[[PSE問題]]において、坂本も中心人物として参加した反対運動が実を結んだ。また「[[エコロジー|エコ]]」や「[[LOHAS|ロハス]]」といったキーワードを口にすることが多く、[[マクロビオティック]]の実践者でもある。長年[[喫煙]]者であったが、[[鍼|針治療]]を通じて[[禁煙]]に成功した<ref>[http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/009.html 第9回 「禁煙」について言いきる] Web Magazine OPENERS - 坂本龍一の「上から」言いきる.... 2008年7月28日</ref>。一時期は[[菜食主義|ベジタリアン]]でもあったが、これは「人としての闘争本能がなくなりそうだから」という理由で後に挫折している。2008年の9月には作家村上龍との対談で、現代の「夢があるということは素晴らしい、だから君も夢を持て」という風潮に疑問を抱いている発言をしている。
 
10歳で[[東京芸術大学]]教授の[[松本民之助]]に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家は[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]であった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。14歳の頃、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の音楽と出会い、そこから多大な影響を受けた。自分はドビュッシーの生まれ変わりに違いないと半分信じて、サインの練習まで始めた。人生で最も影響を受けた音楽家は、ドビュッシーと[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]である<ref>commmons: schola vol.4 Ravel</ref>。
無類の猫好きである。一人っ子だった坂本が生まれたときから15歳の時まで一緒に住んでいた猫と兄弟のように生活していたことが影響している<ref>2009年3月10日放送TBS「はなまるマーケット」での発言。</ref>。また無類の[[ジャージ]]嫌いであり、昔よく遊んでた友達がジャージをはいていた日、その瞬間に絶交したことがあるほどで、「僕の前でみんなはかないでね」と発言している<ref>[http://www.1101.com/kyoju/03.html ほぼ日刊イトイ新聞-矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。]</ref>。その一方でアルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほど、見た目に無頓着だった過去を持つ。このような坂本が当時のミュージシャンに不可欠だったファッションセンスを得るに至ったのは、[[高橋幸宏]]の指導によるものである。
 
<!-- [[1959年]]、 --><!-- 出典を確認できません -->小学2年の時に、東京都[[世田谷区]][[給田 (世田谷区)|給田]](千歳烏山)に転居<ref name="gendai20230404"/>。[[世田谷区立祖師谷小学校]]から[[世田谷区立千歳中学校]]を経て、[[東京都立新宿高等学校]]を卒業<ref>{{cite web ja |url=https://dev.ed2.jp/swas/index.php?id=s_pta&frame=20120301_sakamoto |title=坂本龍一氏インタビュー(同窓生シリーズ第77回 ウェブ版) |publisher=都立新宿高校PTA |date=2012-03-01 |accessdate=2023-04-08}}</ref>。同級生には[[塩崎恭久]]<ref group="注">塩崎は年齢では1学年上にあたるが、高校時代に1年間アメリカ留学を経験した上で本来より1学年下の学年に編入したため、結果的に坂本と同級生になった。</ref>、[[馬場憲治]]、[[那須恵理子]]、[[野中直子]]がいる。千歳中学校ではバスケットボール部に所属した。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]などにたむろする[[ヒッピー|フーテン]]たちに影響を受け、[[ジャズ]]を聞くようになり、自分でも演奏するようになった。[[ロック (音楽)|ロック]]も好きであったが、[[フォークソング|フォーク]]は大嫌いであった。[[学生運動]]にものめり込み、塩崎や馬場はこの時の闘争仲間でもある。
「[[教授]]」「世界のサカモト」とあだ名される。[[左利き]]。[[ABO式血液型|血液型]]はB型。現在は[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]在住。[[歌手]]の[[坂本美雨]]はシンガーソングライターの[[矢野顕子]]との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女。
 
[[1970年]]東京芸術大学入学<ref group="注">坂本が[[東京都立新宿高等学校]]一年生の時、偶々坂本作曲の音楽を聴いた、高校の先輩の[[池辺晋一郎]]は、「この実力があれば(東京芸大に)十分受かるだろう」と太鼓判を押したというエピソードもある。なお、芸大受験に失敗した場合は、父の母校である[[日本大学]][[芸術学部]]に進むことを考えていたという。その理由は「当時の日大[[全学共闘会議|全共闘]]は一番ぶっちぎれていたから」。(「SELDOM - ILLEGAL - 時には、違法」、1989年、角川書店より)</ref>。大学在学中、[[音楽民族学|民族音楽学]]研究の泰斗[[小泉文夫]]の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想が確かにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家[[三善晃]]にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた[[高橋悠治]]の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が[[電子音楽]]に出会ったのは大学学部在学中のことである。
== 来歴 ==
[[1952年]]、[[東京都]][[中野区]]に生まれた。
 
学生時代には教職課程も履修しており、母校へ音楽教員になるための教育実習に行ったこともあったが、生来の気質から学校組織の一員として務めることには向いていないと早々に諦めている<ref>{{cite web ja |url=https://bunshun.jp/articles/-/60754?page=4 |title=大学3年生で初めての結婚、美輪明宏の伴奏をするバイトで生活費を稼いだ日々…若き音楽家・坂本龍一を驚かせたのは“はっぴいえんどのベーシスト”だった |publisher=文春オンライン |date=2023-02-19 |accessdate=2023-04-06}}</ref>。
父 は [[河出書房新社|河出書房]]の[[編集者]]で、[[三島由紀夫]]や[[野間宏]]、[[中上健次]]などを担当した[[坂本一亀]]。母・敬子は帽子デザイナーで[[銀座]]の宝石商に勤務。母方の祖父[[下村彌一]]は[[実業家]]で[[共保生命]]取締役、[[東亜国内航空]][[会長]]などをつとめ、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]と[[京都大学|京大]]とで[[池田勇人]]と同級で生涯の親友として付き合い、池田首相の葬儀に友人代表として[[葬儀|弔辞]]を読んだという<ref>坂本龍一著 『音楽は自由にする』 [[新潮社]]、2009年、23頁</ref>。母方の叔父(母の弟)[[下村由一]]は[[歴史学者]]で、[[千葉大学]][[名誉教授]]。
 
[[1974年]]東京芸術大学の[[音楽学]]部作曲科を卒業し、同[[大学院]]音楽研究科修士課程に進む。[[1976年|1977年]]修了。修士論文は「坂本龍一 Year Book 1971-1979」のDISC 2にも収録されている管弦楽作品「反復と旋」。
通っていた幼稚園が「全員ピアノを習う」所だったため、3歳から[[ピアノ]]を習いはじめる。[[学校法人自由学園|自由学園]]幼児生活団に準じた[[世田谷幼児生活団]]において作った「うさぎのうた」が最初の作曲。10歳で[[東京芸術大学]]教授の[[松本民之助]]に師事し作曲を学び始める。なお、作曲を勉強し始めて最初に興味を持った作曲家は[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]であった。この頃は特にピアノが好きではなく、むしろ苦痛だったという。しかし14歳の頃は「自分は[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の生まれ変わりだ」と半分信じていて、サインの練習までしていた。人生で最も影響を受けた音楽家も、ドビュッシーと[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]である<ref>commmons: schola vol.4 Ravel</ref>。
 
=== デビュー ===
[[1959年]]から東京都[[世田谷区]][[給田 (世田谷区)|給田]]に育つ。[[世田谷区立祖師谷小学校]]から世田谷区立千歳中学校<ref group="注">バスケットボール部に所属した。</ref>を経て、[[1970年]]に[[東京都立新宿高等学校]]を卒業<ref group="注">[[塩崎恭久]]、[[野中直子]]と同期。</ref>。新宿高校時代には読書が趣味で、常に学校図書館の貸出ランキング10位以内に入っていた。また[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]などにたむろする[[ヒッピー|フーテン]]たちに影響を受け、[[ジャズ]]を聞くようになり、自分でも演奏する。[[ロック (音楽)|ロック]]も好きであったが、[[フォークソング|フォーク]]は大嫌いであった。また[[学生運動]]にも、のめり込む<ref group="注">この時の闘争仲間に、後に「アクション・カメラマン」になった[[馬場憲治]]がいた。</ref>。
[[1975年]]、大学院在学中に[[新宿ゴールデン街]]で意気投合したという[[友部正人]]の『誰もぼくの絵を描けないだろう』に[[ピアノ]]で参加。[[スタジオ・ミュージシャン]]としてのキャリアをスタートさせる。翌[[1976年]]、[[竹田賢一]]と「学習団」を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』([[土取利行]]との[[コラボレーション]])を発表。以降、[[りりィ]]の[[バックバンド]](バイバイセッションバンド)に所属した後、当時の[[りりィ]]の[[マネージャー]](現:[[株式会社365]]代表)が[[細野晴臣]]のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。初期の[[山下達郎]]の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、[[大瀧詠一]]、山下達郎、[[伊藤銀次]]のアルバム『[[NIAGARA TRIANGLE Vol.1]]』などにキーボードとして参加。[[大貫妙子]]のLP『[[SUNSHOWER]]』『[[ミニヨン (大貫妙子のアルバム)|MIGNONNE]]』『[[ROMANTIQUE (大貫妙子のアルバム)|ROMANTIQUE]]』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。
 
[[1978年]]2月、[[細野晴臣]]のアルバム『[[はらいそ]]』に参加。細野の誘いにより、[[高橋幸宏]]とともに「[[イエロー・マジック・オーケストラ]]」(YMO) を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『[[千のナイフ]]』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『[[イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)|イエロー・マジック・オーケストラ]]』を発売、続く『[[ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー]]』で爆発的人気を博す。この年、[[風の旅団]]の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌1979年6月にはYMOと並行する形で[[渡辺香津美]]、[[矢野顕子]]、[[小原礼]]、[[村上秀一]]、[[本多俊之]]らとセッションユニットで「[[KYLYN (アルバム)|KYLYN]]」を発売。ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるという[[概念|コンセプト]]のカクトウギセッションでの活動を行う。一部の楽曲で第二ピアノを演奏した[[高橋悠治]]のLP『[[新ウィーン楽派]]ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。参加楽曲[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。1979年から翌80年にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。
[[1970年]]東京芸術大学入学<ref group="注">坂本が[[東京都立新宿高等学校]]一年生の時、坂本の作曲の腕前に関して、高校の先輩の[[池辺晋一郎]]から「このままの実力でも(東京芸大に)十分受かる」と太鼓判を押された。芸大受験に失敗した場合は、父の母校である[[日本大学]][[芸術学部]]に進むことを考えていた。その理由は「当時の日大[[全学共闘会議|全共闘]]は一番ぶっちぎれていたから」。(「SELDOM - ILLEGAL - 時には、違法」、1989年、角川書店より) </ref>。大学在学中、[[音楽民族学|民族音楽学]]研究の泰斗[[小泉文夫]]の講義を受け、その内容の深さに坂本はそれまで培ってきた音楽観の根底を揺さぶられるような大きな衝撃を受けたという。さまざまに変遷してきたと見られる坂本の作風であるが、そのベースには、小泉から学び得た民族音楽学の知識や思想がたしかにあるようである。ただし小泉自身は作曲をしなかったので、坂本に作曲技法上の影響を与えたというわけではなかった。また坂本は、大学在学中、一年ほど作曲家[[三善晃]]にも学んでいる(ただし一度直接指導を受けただけ、と坂本は発言している。しかも、三善から「理論的すぎる」の如き指摘を受けたとも)。さらには、渋谷で開かれていた[[高橋悠治]]の勉強会にも高校・大学を通して顔を出していた。坂本が[[電子音楽]]に出会ったのは、そんな大学学部在学中のことである。[[1974年]]東京芸術大学の[[音楽学|音楽学部]]作曲科を卒業し、同[[大学院]]音響研究科修士課程に進む。[[1976年]]修了。
 
[[1979年]]12月、アレンジを手掛けた[[サーカス (コーラスグループ)|サーカス]]のシングル「[[アメリカン・フィーリング]]」で、[[日本レコード大賞]]編曲賞を受賞する<ref group="注">受賞のコメントで「売れようとか思ってやったわけではないので、自分のやったことが評価されただけ」と述べたという。</ref>。
[[1975年]]、大学院在学中に[[新宿ゴールデン街]]で意気投合したという[[友部正人]]の『誰もぼくの絵を描けないだろう』に[[ピアノ]]で参加。[[スタジオ・ミュージシャン]]としてのキャリアをスタートさせる。翌[[1976年]]、[[竹田賢一]]と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織し、竹田のプロデュースの下、はじめてのアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』([[土取利行]]との[[コラボレーション]])を発表。以降、[[りりィ]]の[[バックバンド]](バイバイセッションバンド)に所属した後、当時の[[りりィ]]の[[マネージャー]](現[[株式会社365]]代表)が[[細野晴臣]]のマネージャーに坂本を紹介、YMO結成の足がかりとなる。また初期の[[山下達郎]]の楽曲(「2000トンの雨」「パレード」など)、[[大瀧詠一]]のアルバム『[[NIAGARA TRIANGLE Vol.1]]』などにキーボードとして参加。また、[[大貫妙子]]のLP『サン・シャワー』『ミニヨン』『ロマンティック』などにアレンジャー、プロデューサーとして参加。
 
YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。この頃、[[立花ハジメ]]、沢村満、[[鈴木さえ子]]らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。[[1982年]]には、[[RCサクセション]]の[[忌野清志郎]]と組んでシングル『[[い・け・な・いルージュマジック]]』をリリース。[[資生堂]]'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した<ref group="注">『[[戦場のメリークリスマス]]』でも坂本と[[デヴィッド・ボウイ]]と抱擁しながらのキスシーンがある</ref>。この年、[[矢野顕子]]と結婚。
[[1978年]]2月、[[細野晴臣]]のアルバム『はらいそ』に参加。細野の誘いにより、[[高橋幸宏]]とともに「[[イエロー・マジック・オーケストラ]]」(YMO)を結成、活動を開始する。10月、坂本初のソロアルバム『[[千のナイフ]]』をリリースし、ソロ・デビューも果たす。11月、YMO名義の『[[イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)|イエロー・マジック・オーケストラ]]』を発売、続く『[[ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー]]』で爆発的人気を博す。またこの年、[[風の旅団]]の前身となるテント劇団「曲馬館」の音楽にも参加した。翌[[1979年]]にはYMOと並行する形で[[渡辺香津美]]、[[矢野顕子]]、[[小原礼]]、[[村上秀一]]、[[本多俊之]]らとセッションユニット[[KYLYN]]や、ほぼ同じメンバーで、各パート二人ずつで演奏技術を競わせるという[[概念|コンセプト]]のカクトウギセッションでの活動を行う。また一部の楽曲で第二ピアノを演奏した[[高橋悠治]]のLP『[[新ウィーン楽派]]ピアノ音楽集成』が発表された(後に『新ウィーン楽派ピアノ作品集』としてCD化。また参加楽曲[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]「四手のための六つの小品」は坂本のアルバム『フェイヴァリット・ヴィジョンズ』にも収録されている)。同年から[[1980年]]にかけて、YMOは2度にわたるワールドツアーを実施。
 
YMOとしての活動の傍ら、[[1981年]]より[[NHK-FM放送|NHK-FM]]にて「[[サウンドストリート]]」の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた<ref group="注">この番組にテープを送っていた[[リスナー]]で後にメジャーデビューしたのが、ジュラン、[[テイ・トウワ]]、[[槇原敬之]]らであり、[[ステッピン・イントゥ・エイジア]]でラップを担当した浅野智子もこの特集がきっかけで、同曲のレコーディングに参加することになった。ここで流された曲の一部が後に「DEMO TAPE-1」としてCD化されている。</ref>。パンクバンド[[山崎春美|TACO(タコ)]]のオムニバスにはな・い・し・ょのエンペラーマジックで参加。同曲を[[サウンドストリート]]で放送したが、放送禁止用語が含まれていたためにすぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と並行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、[[パス・レコード]]で[[フリクション (バンド)|フリクション]]、[[Phew]]のプロデュースを行っている。
[[1979年]]12月、アレンジを手掛けた[[サーカス (歌手)|サーカス]]のシングル「アメリカンフィーリング」で、[[日本レコード大賞]]編曲賞を受賞する<ref group="注">受賞のコメントで「売れようとか思ってやったわけではないので、自分のやったことが評価されただけ」と述べたという。</ref>。
 
[[1983年]]公開の[[映画]]『[[戦場のメリークリスマス]]』には、[[大島渚]]監督の依頼により、ヨノイ[[大尉]]役で出演し、[[デヴィッド・ボウイ]]、[[ビートたけし]]らと共演。出演の条件として音楽を担当した。同作は[[第36回カンヌ国際映画祭]]に出品されて高い評価を受け、アジア人として初めて[[英国アカデミー賞 作曲賞]]への[[ノミネート]]及び[[受賞]]を果たした。同作品の[[戦場のメリークリスマス (サウンドトラック)|サウンドトラック]]からシングルカットされた[[デヴィッド・シルヴィアン]]とのシングル「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」は、全英チャート(Music Week)16位を記録した<ref name="fc"/>。同年、YMOは「散開」(解散)する。
YMOとしての活動の傍ら、[[1981年]]より[[NHK-FM放送|NHK-FM]]にて「[[サウンドストリート]]」の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]を務める。担当していた火曜日ではアマチュアミュージシャンから送られるテープを番組内で放送する「デモテープ特集」が不定期に行われていた<ref group="注">この番組にテープを送っていた[[リスナー]]で後にメジャーデビューしたのが、ジュラン、[[テイ・トウワ]]、[[槇原敬之]]らであり、また[[ステッピン・イントゥ・エイジア]]でラップを担当した浅野智子もこの特集がきっかけで、同曲のレコーディングに参加することになった。ここで流された曲の一部が後に「DEMO TAPE-1」としてCD化されている。</ref>。また、パンクバンド[[山崎春美|TACO (タコ)]]のオムニバスに[[な・い・し・ょのエンペラーマジック]]で参加。同曲を[[サウンドストリート]]で放送したが、放送禁止用語が含まれていたため、すぐにオンエア中止になった。メジャーシーンの活動と平行して、TACO以外にもアンダーグラウンドロックシーンとは交流があり、自主レーベルである、[[パス・レコード]]で[[フリクション (バンド)|フリクション]]、[[Phew]]のプロデュースを行っている。YMOのライブを期待していた観客から野次られると「うるさいぞ、この野郎!」と怒鳴り返した等のエピソードもある。またこの頃、[[立花ハジメ]]、[[沢村満]]、[[鈴木さえ子]]らと「B-2UNITS」という名前のユニットを結成、ライブ活動を散発的に行っている。[[1982年]]には、[[RCサクセション]]の[[忌野清志郎]]と組んでシングル『[[い・け・な・いルージュマジック]]』をリリース。[[資生堂]]'82春のキャンペーンソングとしてヒットする。TVでは、どぎつい化粧をした男同士でキスをするなど、過激なパフォーマンスを展開した<ref>『[[戦場のメリークリスマス]]』でも坂本と[[デヴィッド・ボウイ]]と抱擁しながらのキスシーンがある</ref>。またこの年、[[矢野顕子]]と結婚。
 
=== YMO解散後 ===
[[1983年]]公開の[[映画]]『[[戦場のメリークリスマス]]』には、[[大島渚]]監督の依頼により、ヨノイ[[大尉]]役で出演し、[[デヴィッド・ボウイ]]、[[ビートたけし]]と共演。出演の条件として音楽を担当した。同作が[[カンヌ国際映画祭]]に出品された際に、映画監督[[ベルナルド・ベルトルッチ]]と出会い、これが映画『[[ラストエンペラー]]』への布石となる。この年、[[デヴィッド・シルヴィアン]]と組んでシングル「{{仮リンク|Forbidden Colours|en|Forbidden Colours}}」(禁じられた色彩)をリリースした。同年、YMOは「散開」(解散)する。
[[1984年]]、矢野らと「[[ミディ|MIDIレコード]]」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。[[1986年]]には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。ツアー終了後、YMO以来所属していた「ヨロシタ・ミュージック」から独立し個人事務所「トラフィコ」を設立。
 
[[1984年]]、矢野顕子らと「[[ミディ|MIDIレコード]]」を設立し、同レコード内にレーベル「school」を立ち上げる。[[1986年]]には初のソロ・コンサート「メディア・バーン」を全国24カ所(28公演)で行う。翌1987年、映画『[[ラストエンペラー]]』公開。坂本は[[甘粕正彦]][[満洲映画協会|満映]]理事長役で俳優として出演し、音楽を[[デイヴィッド・バーン]]、[[蘇聡]]とともに担当。これによりし、[[グラミー賞 映画・テレビサウンドトラック部門]]、[[ゴールデングローブ賞 作曲賞]]を日本人で初めて受賞し、[[アカデミー作曲賞]]作曲賞も受賞する<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>等を日本人として初めて受賞し、以後、[[映画音楽]]作家としての地位を確立する。[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]役の[[ジョン・ローン]]とは、敵役同士という間柄の役作りのために、撮影中は一言も口を利かなかったという<ref>「[[夜のヒットスタジオ]]」より。</ref>。
 
[[1989年]]、都民文化栄誉章を受章。海外戦略のため[[ヴァージン・レコード]]に移籍するが、セールス的な成功を収めることはなかった。後にEMIの[[ヴァージン・レコード]]買収により契約を主導したヴァージン・アメリカの社長の辞任に伴って契約を解消。
 
[[1990年]]4月からは、音楽の拠点を[[ニューヨーク]]に移す。別の女性と暮らしはじめ、男児をもうける<ref>[httphttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/152520/2  坂本龍一&矢野顕子 大型カップルの別居・離婚 ]日刊ゲンダイ、2014年8月13日 </ref>。これが原因で、矢野と翌年に別居したと報じられた
 
[[1992年]]には[[バルセロナオリンピック]]開会式の[[マスゲーム]]の音楽を作曲(坂本のスケッチに基づく管弦楽編曲は作曲家[[鈴木行一]]が担当)、自らも会場でオーケストラを[[指揮 (音楽)|指揮]]した。この依頼の当初「ナショナリズムを高揚させるスポーツイベントは嫌い」と一度は断ったが、プロデューサー Pepo Solなど制作側から熱心なオファーがあり最終的には引き受けることになる。契約金は他の出演者とともに1ドルであった<ref group="注">本人は「日本人が外国人に歌舞伎をお願いするようなものだ」と語っている。</ref>。このときの楽曲は<!--若干アレンジされ、-->後に「El Mar Mediterrani」として発表された<ref group="注">高橋幸宏によると「非常に嫌々やっていた」。</ref>。
 
[[1993年]]、YMO「再生」(再結成)。アルバム『[[テクノドン]]』を発表し、6月には[[東京ドーム]]にて2日間のライブを行う。
 
[[1994年]]には契約地域を分割し、日本では[[フォーライフ・レコード]]に移籍し、レーベル「[[güt]](güt(グート)」を設立。日本国内での活動を活発にした。日本以外の海外地域では[[エレクトラ・レコード|エレクトラ]]と契約。個人レーベル「güt」の第一弾作品・アルバム『[[スウィート・リヴェンジ]]』を6月に発売する
 
[[1995年]]、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の変名音楽ユニット「[[gEISHAGEISHA GIRLS|ゲ]]」に[[富家哲]]、[[テシャガールズ・トウワ]](GEISHAらと参加<ref>[https://www.discogs.com/ja/Geisha-Girls-The-Geisha-Girls-Show/release/338461 Geisha GIRLS)」をプロデュースGirls – The Geisha Girls Show]</ref>。以降、彼らとの親交を深め[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])ではコント「[[ダウンタウンのごっつええ感じのコント#AHO AHO MAN|アホアホマン]]」に出演、大便のシミを付けたパンツで登場するなどアホアホブラザー役でエキセントリックな一面を見せた<ref>『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52</ref>。
「野生の王国」でライオンの生態の時、松本の企みで浜田にほんこんと思い込ませ散々に苛めさせた後、怒り狂った坂本が驚く浜田をうち据えた。
 
=== ワーナーへの移籍 ===
[[1998年]]、エレクトラとの契約を解消し海外地域ではSONY[[ソニー・クラシカル|Sony CLASSICALClassical]]と契約、日本では[[ワーナーミュージック・ジャパン]]に移籍。
 
[[1999年]]、製薬会社[[三共 (製薬会社)|三共]](現:[[第一三共ヘルスケア]])[[リゲイン]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に用いられたピアノソロ曲「[[ウラBTTB|エナジー・フロー]]」を収録した[[シングル|マキシシングル]]「[[ウラBTTB]]」が[[ミリオンセラー]]となり、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]としては初の[[オリコンチャート]]1位を記録した。また、自身初となる[[オペラ]]『[[LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999]]』(以下、LIFE)を公演。この頃には矢野顕子との夫婦仲は実質的に破綻していたとされ、テレビ番組「[[おしゃれカンケイ]]」において愛人(ニューヨークで行動を共にしている女性マネージャー)とその女性との間にいる子供(次男)の存在を認め、長男(矢野の連れ子)と坂本美雨に「お父さんにはお母さん(矢野顕子)以外に好きな人がいる」と告げたというエピソードも披露している。また「子供は4人」と語り、矢野顕子との結婚前に学生結婚していた女性との間にも子供(長女)がいることも明かしている<ref group="注">4人のうち1人(長男)は矢野顕子が前夫である[[矢野誠 (ミュージシャン)|矢野誠]]との間にもうけた連れ子で、坂本と養子縁組はしていたものの血縁関係はない。なお、矢野との離婚後も養子関係を継続しているかは明らかでない。2015年7月に美雨が女児を出産した際には、この女児が坂本にとっての初孫と報じられている(矢野にとっての初孫は2014年秋に生まれた長男の子供)。</ref>。さらに同番組では、「外国人が持つ日本コンプレックスをくすぐる、嫌いなアーティスト」として[[喜多郎]]と[[CHAGE and ASKA]]を名前を伏せた形で挙げた<ref group="注">番組内では音声は伏せられたものの「K」と「C&A」と画面には表示し、さらに「K」について司会の[[古舘伊知郎]]は「[[ゲゲゲの鬼太郎|ゲゲゲが付いたら]]」とヒントを挙げている。</ref>。
 
[[2001年]][[東京放送TBSホールディングス|TBS]]50周年特別企画番組地雷ZERO 21世紀最初の祈り』』に出演。同番組の企画において、親交のある国内外のアーティスト達を起用し、[[地雷]]除去のためのチャリティーソング「[[ZERO LANDMINE]]」を作曲、リリースした。同年には[[ボサノヴァ]]トリオ「Morelembaum2Morelenbaum2/Sakamoto」を結成し、アルバム『Casa』を発表。このトリオとしての活動、および坂本がこれまで自身の音楽にボサノヴァを取り入れてきたことなどが評価され、翌2002年、日本と[[ブラジル]]の友好に寄与したとして、ブラジル政府より{{仮リンク|リオ・ブランコ国家勲章|en|Order of Rio Branco}}「カヴァレイロ位」を授与される<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一、ブラジルで国家勲章を受勲 - TOWER RECORDS ONLINE |url=https://tower.jp/article/news/2002/07/24/100000461 |website=tower.jp |access-date=2023-04-04}}</ref>
 
[[2003年]]には、この年4月にオープンした[[六本木ヒルズ]]のテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を発表<!--し、ネットで無料配信を行う-->。また、[[小林武史]]、[[桜井和寿]]らと非営利組織「ap bank」を設立。
 
[[2006年]][[11月6日]]、[[エイベックス・グループ|エイベックス]]と新レーベル「[[commmons]]」を共同設立。この年、矢野顕子と離婚。
 
[[2007年]][[3月10日]]-[[5月28日]]、高谷史郎と共に、オペラ「LIFE」をベースにした[[インスタレーション]]作品「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を[[山口情報芸術センター]]にて展示。[[3月10日]]にはオープニング・コンサートを行った。[[9月15日]]-[[11月4日]]、東京の[[NTTインターコミュニケーション・センター]]でも展示。9月15日には、[[浅田彰]]、[[中沢新一]]を交えてのアーティスト・トークに加え、オープニング・コンサートを行った。またこの年は細野晴臣と高橋幸宏との活動が活発になる。2月に[[麒麟麦酒|キリン]]ラガービールのCMにYMOとして出演。同時に「[[RYDEEN 79/07]]」をリリース。[[5月19日]]には「[[ヒューマン・オーディオ・スポンジ]]」(HAS)としてチャリティーライブを行う。さらに[[7月7日]]には「[[ライブ・アース]]」にYMOとして出演。[[8月22日]]には「HASYMO(ハシモ)」名義で新曲「RESCUE」をリリース。
 
[[2009年]][[7月16日]]、芸術家として文化の多様性を豊かにしたことなどが評価され、[[フランス]]政府から[[芸術文化勲章]]「オフィシエ」を授与された。
 
[[2010年]][[3月12日]]、芸術分野での優れた業績を評価され、[[文化庁]]より[[芸術選奨]]「大衆芸能部門」の[[文部科学大臣賞]]を授与された。
 
[[2012年]]、[[東日本大震災]]における[[原子力事故|原発事故]]の後の[[原子力撤廃|脱原発]]に向けた[[デモ活動]]に対して[[ニューヨーク]]から駆け付けて参加する中で、「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」と発言して物議を醸す<ref name="jcast120717">{{cite web ja |title=坂本龍一が反原発運動で「たかが電気」発言 ネットで「電気で儲けた人が言うか」と疑問の声 |url=https://www.j-cast.com/2012/07/17139629.html |website=J-CAST ニュース |date=2012-07-17 |access-date=2023-04-04 }}</ref><ref name="yahoo230405">{{Cite web |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4eb4fcea5eed3a969463151a8dd807ad118e35d4 |title=坂本龍一さんの「たかが電気」発言は切り取りによるミスリード。死去で再び批判集まる |publisher =Yahoo! JAPAN |author=篠原修司 |date=2023-04-05 |accessdate=2024-04-26}}</ref>。この発言の全文は、原発に頼らない電力供給を呼びかけたものだった<ref name="jcast120717" /><ref name="yahoo230405" />。その後、自身も呼びかけ人を務める「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」から「音楽のイベントができないか」という相談を受けたため、[[原子力撤廃|脱原発]]をテーマにした[[ロック・フェスティバル]]である「[[NO NUKES]]」を企画してシリーズ化し、[[2019年]]までほぼ毎年開催した<ref>{{cite web ja |title=脱原発を訴えるロック・フェス「NO NUKES 2012」開催発表。発起人・坂本龍一と、参加アーティスト代表・後藤正文が記者会見-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/65722 |url=https://rockinon.com/news/detail/65722 |website=rockinon.com |access-date=2023-04-04 }}</ref>。
 
[[2012年]][[11月23日]]、[[アジア太平洋映画賞]]国際映画製作者連盟賞を受賞。
 
[[2013年]][[2月8日]]、米カリフォルニア大バークレー校日本研究センターから「[[バークレー日本賞]]」を授与された<ref>[httphttps://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130210-1083420.html  坂本龍一さんに「日本賞」取り組み評価 日刊スポーツ]2013年2月10日閲覧 </ref>。[[オリエンタリズム]]を感じさせる作風と初期の作品に見られた[[現代音楽]]の手法を用いた斬新さ、独特の風貌と知的な発言が固有の存在感を生み、多くのファンを獲得。これまでに映画やCMにも多数出演している。同年、「第70回[[ヴェネツィア国際映画祭]]」のコンペティションの審査員を務める。
 
[[2014年]]、[[札幌国際芸術祭]]のゲストディレクターに就任。
 
=== 闘病 ===
[[2014年]][[7月10日]]、所属事務所[[エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ]]から中咽頭癌であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された<ref>音楽家 坂本龍一に関するお知らせ http://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201407101307.html</ref>。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。
[[2014年]][[7月10日]]、所属事務所[[エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ]]から中[[咽頭癌]]であること、療養に専念するためにコンサート活動などを中止する旨が発表された<ref>[http://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201407101307.html 音楽家 坂本龍一に関するお知らせ]</ref>。かつてはインタビューなどで度々自身の健康状態や体力に自信を表しており、コンサート等公演スケジュールを自身の健康に起因する理由でキャンセルしたことがなかった。
 
[[2015年]][[8月2日]]、映画『[[母と暮せば]]』(監督・[[山田洋次]]、主演・[[吉永小百合]]、2015年[[12月12日]]公開)の音楽で仕事復帰<ref>{{Citecite web ja |url= httphttps://www.nikkansports.com/entertainment/news/1517038.html |title= 坂本龍一、がん療養からの復帰作は山田洋次監督映画 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2015-08-03 |accessdate= 2015-08-03 }}</ref>。本作で第70回[[毎日映画コンクール]]・音楽賞を受賞<ref>{{citeCite news web|url=httphttps://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c |title=毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」 |publisher=[[毎日新聞]] |date=2016-01-21 |accessdate=2016-01-21}}</ref>。
 
[[2016年]]、第25回[[モンブラン国際文化賞]]を受賞<ref>{{citeCite news |url=httphttps://www.oricon.co.jp/news/2083366/full/ |title=坂本龍一、グラミー賞こだわらず「欲張る気持ちはない」 |newspaper=ORICON STYLE |date=2016-12-21 |accessdate=2016-12-22}}</ref>。
 
[[2017年]][[11月4日]]、自身のドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開される。[[スティーブン・ノムラ・シブル]]監督によるもので、[[第74回ヴェネツィア国際映画祭]]アウト・オブ・コンペティション部門正式出品作品になった<ref>[http://ryuichisakamoto-coda.com/ Ryuichi Sakamoto CODA』公式サイト]</ref><ref>『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(英語版) https://m.youtube.com/watch?v=VSsEsUQO4sQ</ref><ref>『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編(日本語版) https://m.youtube.com/watch?v=Goo_LRPrnk8</ref>。
[[2018年]]、[[1月27日]]自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。
[[2月15日]]開催の「第68回[[ベルリン国際映画祭]]」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる<ref>{{cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0098468|title=坂本龍一、ベルリン映画祭で審査員!政治的ではなく芸術的な視点で|newspaper=[[シネマトゥデイ]]|date=2018-02-16|accessdate=2018-02-17}}</ref>。
 
[[2018年]]、[[1月27日]]自身のライヴの様子を収録した映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async」を公開。[[2月15日]]開催の「第68回[[ベルリン国際映画祭]]」で、コンペティション部門の審査員6名に選ばれる<ref>{{Cite news |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0098468 |title=坂本龍一、ベルリン映画祭で審査員!政治的ではなく芸術的な視点で |newspaper=[[シネマトゥデイ]] |date=2018-02-16 |accessdate=2018-02-17}}</ref>。
== 思想・活動など ==
[[ファイル:Ryuichi Sakamoto 3.jpg|250px|right|thumb|坂本龍一]]
[[政治思想]]に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、[[塩崎恭久]]と[[馬場憲治]]の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には[[武満徹]]を中傷する過激なビラを配ったこともあった。これについて坂本は、武満は当時音楽界の権力の象徴だったからと、武満の没後語っている。中傷された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという。なお、坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していた[[オペラ]]からインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『[[BTTB]]』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを少なからず意識していた。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、[[野口晴哉]]の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。[[作家]]や[[思想家]]など[[知識人]]との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである([[#関連項目]]参照)。
 
[[2021年]][[1月21日]]、[[2020年]]6月にニューヨークにてがんの診断を受け、直腸がんおよび転移巣の手術を受けたことを公式サイトで発表した<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/413278|title=坂本龍一が直腸がん、手術は成功し入院治療中「もう少しだけ音楽を作りたいと思っています」|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2021-01-21|accessdate=2021-01-21}}</ref><ref name="bookban">ブックバン: [https://www.bookbang.jp/article/733536 坂本龍一「ステージ4」のガンとの闘病を語る](2022/6/7)</ref>。手術は20時間にも及び、発表後も[[転移 (医学)|転移]]した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた<ref name="bookban" />。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『[[新潮]]』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した<ref name="bookban" />。
[[1997年]]ごろから日本における音楽[[著作権]]の取り扱いについて、[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]が独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび[[文化庁]]に対して働きかけを行った<ref>[http://www.kab.com/liberte/ A nous, la Liberte!]</ref>。MAA (メディア・アーティスト・アソシエイション) 設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから[[環境]]・[[平和]]問題に言及することも多くなり、[[地雷]]除去活動を支援するための[[チャリティー]]ソングとして[[GLAY]]、[[Mr.Children]]、[[DREAMS COME TRUE]]、[[DJ KRUSH]]らを迎えて制作した『[[ZERO LANDMINE]]』<ref>[http://www.tbs.co.jp/zero/ TBS50周年特別企画 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」]</ref>や[[アメリカ同時多発テロ事件]]をきっかけとした論考集『[[非戦論|非戦]]』を発表している。
 
[[2022年]][[3月26日]]、[[東京]]・[[サントリーホール]]で行われた東北復興支援プロジェクト『東北ユースオーケストラ演奏会2022』に登場。『東北ユースオーケストラ』は、[[東日本大震災]]を体験した小学生から大学生までの若者で構成され2016年から2019年までに公演を定期的に行っていたが、2020年以降は[[コロナ禍]]のためコンサートは中止になっていたため、坂本とともに3年ぶりの公演であり、最後の公の場での生演奏であった。坂本は新曲『いま時間が傾いて』を初演。坂本がピアノ演奏を行う中で[[吉永小百合]]による詩の朗読も行われた<ref name="ori">{{cite web ja |date=2022-03-26|url=https://www.oricon.co.jp/news/2229180/full/|title=がん療養中の坂本龍一、3年ぶりにイベント登場 吉永小百合と平和への祈り「争いがなくなるといいですね」|publisher=ORICON MUSIC|accessdate=2022-03-27}}</ref>。
[[2004年]]には音楽評論家[[高橋健太郎 (音楽評論家)|高橋健太郎]]や[[ピーター・バラカン]]らの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、[[著作権法]]改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、[[国会 (日本)|国会]]で審議されていた[[音楽レコードの還流防止措置]](レコード輸入権)に反対を表明した<ref>[http://diary.nttdata.co.jp/diary2004/05/20040509.html 先見日記 insight diaries]</ref>。
 
2022年6月、がんの「ステージ4」であり、両肺に転移したがん摘出手術を前年10、12月に受けたことなどを明かした<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一、がんは「ステージ4」 昨年10、12月に摘出手術を受けていた 文芸誌で公表 - 音楽 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202206070000287.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-06-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220607034256/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202206070000287.html|archivedate=2022-06-07}}</ref>。
[[2006年]]2月には、[[PSE問題]]に絡み、[[松武秀樹]]、[[椎名和夫]]とともに2006年4月に本格的に施行される[[電気用品安全法]](PSE法)に反対する署名を募集<ref>{{cite web |url=http://www.jspa.gr.jp/pse/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2006年2月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060222032129/http://www.jspa.gr.jp/pse/ |archivedate=2006年2月22日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。[[経済産業省]]がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。また、同年5月には[[Shing02]]、[[クリスチャン・フェネス]]らとともに[[青森県]][[六ヶ所村]]の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクト[[STOP ROKKASHO]]をスタートし、[[河野太郎]]、[[保坂展人]]らの政治家、[[小室哲哉]]らのミュージシャンからも賛同を得ている<ref>[http://stop-rokkasho.org stop-rokkasho.org]</ref>。
 
同年9月中旬、[[NHK放送センター]]の509スタジオにて、ピアノのソロ演奏の撮影が行われた。長期の闘病生活で体力が落ちてしまい長時間のコンサートをやり切るのが難しくなったことから、1日数曲ずつの演奏を撮影・編集しコンサート形式に仕立てることとなった。映像化に当たっては、前述の女性マネージャーとの間の子供(次男)である、映像作家の[[空音央]]が監督を務めた。その映像は同年12月11日、オンラインコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」として世界配信され、最後の公の場になった。
2007年7月16日に起きた[[新潟県中越沖地震]]で[[柏崎刈羽原子力発電所]]が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。[[東日本大震災]]後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。
 
=== 死去 ===
2012年[[1月11日]]には、自身が代表を務める森林保全団体 [[more trees]] による[[More_trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト「LIFE311」]]と、[[サイバーエージェント]]のソーシャルゲーム[[ピグライフ]]と連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定([[3月31日]]まで)で立ち上げた<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/541614/ 「LIFE311」とピグライフがコラボ 坂本龍一さんの環境団体被災地支援プロジェクト] - 産経新聞 2012/01/11 18:27</ref>。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。
[[2023年]]3月28日午前4時32分、直腸がんのため、東京都内の病院で死去した。{{没年齢|1952|1|17|2023|3|28}}。
[[File:Ryuichi Sakamoto, Photographed by Ryota Nakanishi.JPG|thumb|IWJ主催シンポジウムで演説中の坂本龍一]]
憲法9条の改正に強く反対しており、選択的[[夫婦別姓]]制度導入にも賛同する。
 
訃報は同年4月1日午前、共同通信の配信記事で明らかになった<ref name="kyodo202304011030">{{cite web ja |author=瀬野木作、大倉たから | url=https://nordot.app/1013405450532716544 | title=亡くなった坂本龍一さん「音楽制作が難しい」体調の中で反対した神宮外苑再開発 「深呼吸し、スマホのカメラを向けることも多々あった」 | publisher=[[共同通信]] |website=[[47NEWS]] | date=2023-04-01 | accessdate=2023-07-03 }}</ref>。また、4月2日夜、本人の公式Xおよび所属事務所によるリリースで公表された<ref>{{cite tweet ja |user= ryuichisakamoto |author= ryuichi sakamoto |number= 1642507238467309568 |title= January 17 1952 - March 28 2023 |date= 2023-04-02 |accessdate= 2025-06-15 }}</ref>。所属事務所によれば「がんの治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」としており、既に葬儀は近親者で執り行われている<ref>{{cite web ja |title=【坂本龍一】ご報告|url=https://archived.avexnet.jp/news/detail.php?id=1013209|website=avex portal|access-date=2023-04-02 }}</ref><ref>{{cite web ja |title=坂本龍一さん死去、71歳 「YMO」「世界のサカモト」がん闘病力尽く ラストエンペラーで日本人初快挙 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/02/kiji/20230402s00041000763000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-02 }}</ref>。所属事務所のコメントは、坂本が好んだ一節「[[アルスロンガ、ウィータブレウィス|Ars longa, vita brevis]] 芸術は長く、人生は短し」で締められた<ref name="Oricon20230402">{{cite web ja |title=坂本龍一さん死去、インスタ動画は「無音」で“朽ちたピアノ” 「January 17 1952 - March 28 2023」 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2273995/full/ |website=ORICON NEWS |date=2023-04-02 |accessdate=2023-04-08 }}</ref>。公式[[Instagram]]アカウントでは、生没年月日と朽ちて壊れた[[ピアノ]]と暗闇が繰り返し[[フェード|フェードイン]]する動画がトップに固定されて投稿された<ref name="Oricon20230402" /><ref>{{cite web ja |title=Ryuichi Sakamoto |url=https://www.instagram.com/reel/CqiLVIbBI7P/ |website=Instagram |access-date=2023-04-02 }}</ref>。
数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の[[More_trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト『LIFE311』]]など、様々な側面から復興支援に尽力した。<ref>[http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/best_support/award/ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧]</ref>。2012年5月1日、[[日本財団]]により、[[伊勢谷友介]]、[[EXILE]]、[[加藤登紀子]]、[[小林幸子]]、[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]、[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]、[[杉良太郎]]、[[伍代夏子]]、[[中村雅俊]]、[[はるな愛]]らと共に「被災地で活動した[[芸能人]]ベストサポート」に選出され、表彰されている<ref>[http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/3626 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート]</ref>。
 
苦しい闘病の中でも、亡くなる2日前の3月26日には自身が代表・監督を務める「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで視聴し、終演後に出演者に向けて「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れ様でした♪」とのメッセージを送っていた<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一さん、亡くなる2日前にも東北の若いオーケストラを応援…被災楽器の修復が縁 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230404-OYT1T50089/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-04-04 |access-date=2023-04-04 }}</ref>。同年3月29日に配信された共同通信の書面インタビューでは「音楽制作も難しいほど気力・体力ともに減衰しています。残念ながら手紙を送る以上の発信や行動は難しい」と現状を明かしていたが、この記事が配信された時点で既に死去していた<ref>[https://www.47news.jp/9121177.html 「ビジョン持ち、政治家選ぶ」 小池知事に手紙の坂本龍一さん] - 47NEWS(共同通信)2023年3月29日</ref>。
[[2015年]]には、[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015083102000125.html 「坂本龍一さんら各界著名人も市民と連携」、東京新聞、2015年8月31日]</ref>。
 
死去から約1年後となる2024年4月7日に放送された「https://www.web.nhk/tv/an/special/pl/series-tep-2NY2QQLPM3/ep/9L46Y89MGL Last Days 坂本龍一 最期の日々]」(NHK総合)にて、死去に至るまでの克明な状況が遺族の撮影・取材協力のもと放送されたが、それによると、東京の居宅にて療養中の2023年3月20日深夜、発熱及び呼吸困難([[酸素飽和度|血中酸素濃度]]が60~70台にまで低下)により救急搬送されたものの快方に向かう事はないまま治療行為を断念し、同24日に本人からターミナルケア([[緩和医療|緩和ケア]])を病院に依頼した。翌25日に4人の子供と病院で(長男のみ海外在住のためオンラインにて)生涯最後となる対面を果たし、26日に前述の東北ユースオーケストラ演奏会をオンラインで観賞した。27日には意識低下し昏睡状態に陥るも、臨終の1時間前には意識がない状態の中で右手がピアノを弾くかの如く動いていたとのことである(そのシーンは映像でも公開された)。
2016年、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた<ref>[http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=174050 沖縄県民大会に坂本龍一さんらメッセージ きょう午後2時開催 暴行殺人事件に抗議、沖縄タイムス、2016年6月19日]</ref>。
 
「世界のサカモト」と呼ばれた坂本の訃報は、イギリス・BBC、アメリカ・CNN、フランス・AFP通信、韓国・聯合ニュース、中国のネットメディアなどで速報で伝えられた<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009071156_00000 音楽家 坂本龍一さん死去 71歳 YMOなどで世界的に活躍] - NHK NEWS WEB 2023年4月3日</ref>。また、世界中の著名人のWebサイトやSNSアカウントで追悼文が公開された。
自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが民主主義でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている<ref> [https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto?page=3 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について] T JAPAN:The New York Times Style Magazine</ref>。
 
[[2023年]]4月2日、活動限界を迎える直前まで[[コンピュータ|コンピューター]]で制作し続けた「[[神山まるごと高等専門学校]]」の校歌が、未完成ながらも入学者や出席者に対して披露された。生前、坂本自身も未完成の作品の発表をためらっていたが「新入生を祝福するため」として了承していた。この校歌が生前最後の作曲となった<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一さん死去 生前最後の作曲は「神山まるごと高専」校歌|NHK 徳島県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20230403/8020017158.html |website=NHK NEWS WEB |access-date=2023-04-04 |last=日本放送協会}}</ref><ref name=":0">{{cite web ja |title=坂本龍一さん最後の曲は「神山まるごと高専」校歌…UAさんが作詞 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230404-OYT1T50198/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-04-04 |access-date=2023-04-04 }}</ref>。その後、坂本の生前の意思に基づき、[[網守将平]]が編曲を担当。同年8月10日に、完成した校歌「KAMIYAMA」が同校公式Webサイトで公開された<ref>{{cite web ja |url=https://kamiyama.ac.jp/news/20230810-01/ |title=学校便り : お知らせ 神山まるごと高専の校歌「KAMIYAMA」が完成 |publisher=神山まるごと高等専門学校 |date=2023-08-10|language=日本語 |accessdate=2023-09-17}}</ref><ref>{{cite web ja |date=2023-08-12 |author=東孝司 |title=坂本龍一さん作曲の校歌が完成 「神山まるごと高専」でUAさん歌う |url=https://www.asahi.com/articles/ASR8C7JMWR8BPTLC01F.html |website=[[朝日新聞]]デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2023-09-17}}</ref>。
== 音楽活動 ==
坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文のなかで音楽評論家の[[秋山邦晴]]は「なかなかピアノも巧い」と評している。また処女作[[千のナイフ]]では現代音楽家の[[高橋悠治]]との連弾を行っている。[[加藤登紀子]]が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。[[フランツ・リスト]]の難曲[[ラ・カンパネッラ|ラ・カンパネラ]]を藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。
 
[[2023年]]4月3日1時29分、たった2ヵ月の間に[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]で唯一の存命者となった[[細野晴臣]]は、[[高橋幸宏]]が亡くなった時に坂本龍一が行った追悼の方法と同じく、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]で無地の灰色の画像を投稿して追悼した<ref>{{cite web ja |title=Hosono Haruomi |url=https://www.instagram.com/p/Cqil9-tJ6If/ |website=Instagram |access-date=2023-04-02 }}</ref>。
音楽を担当した映画「[[ラストエンペラー]]」において[[アカデミー作曲賞]]を受賞<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>した際には、写真週刊誌フライデーにおいて「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」と発言。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と雑誌「[[ゲーテ (雑誌)|GOETHE]]」で述べている。
 
=== 死後 ===
[[現代音楽]]への進出は、[[原田力男]]の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行ったが、そのときの作風は20世紀前半の近代和声の段階に「意図的に」留まっている。YMO散開後の1984年、[[題名のない音楽会]]においてオーケストラを用いて行われたニューアルバム『[[音楽図鑑]]』のプロモーションで用いた技法は1960年代に一世を風靡した[[フランク・ステラ]]のような単色の[[ミニマル|ミニマリズム]]ではなく、時代遅れのものとされオーケストラの濁った音で奏でられるポスト・ミニマルであった。
[[2023年]]4月14日、[[新宿TOKYU MILANO|新宿ミラノ座]]の跡地に坂本龍一監修の[[東急歌舞伎町タワー|109シネマズプレミアム新宿]]が開業した。館内BGMは3曲が坂本龍一作曲で、全シアターには坂本が認めた最高の音響設備のみを採用した「SAION -SR EDITION-」が導入され、一部シアターには坂本の希望で稀少な35mmフィルム映写機も導入されている<ref name=":1">{{cite web ja |title=SOUND - 109シネマズプレミアム新宿 {{!}} 109CINEMAS |url=https://109cinemas.net/premiumshinjuku/sound.html |website=109cinemas.net |access-date=2023-05-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230403064604/https://109cinemas.net/premiumshinjuku/sound.html|archivedate=2023-04-03}}</ref>。坂本にとって新宿は思い出深い地であり、[[1960年代]]後半の[[東京都立新宿高等学校]]在学中に好んで[[新宿]]中の[[映画館]]で上映作品の傾向を調べて映画を鑑賞するほどの[[映画]]マニアで<ref name=":1" />、他にも「事前に調べた新宿のジャズ喫茶約30軒を1ヶ月かけて全部廻る」などして後の活動の基盤となる文化的素養を得ていた<ref name=":2">{{cite web ja |title=ぐるっと首都圏・母校をたずねる:東京都立新宿高校/1 音楽、映画…全てが糧に 音楽家・坂本龍一さん /東京 - 毎日新聞 |url=https://web.archive.org/web/20201219105942/https://mainichi.jp/articles/20160603/ddl/k13/100/012000c |website=web.archive.org |date=2020-12-19 |access-date=2023-05-15}}</ref>が、新宿の文化的発展を願い自身が監修した[[映画館]]に行くことは出来なかった。
 
同年5月17日、音楽(新曲2曲、既成曲5曲)を担当した日本映画『[[怪物 (2023年の映画)|怪物]]』が[[第76回カンヌ国際映画祭]]で上映される<ref name="IMDb-23736044">{{IMDb title|23736044|怪物}}</ref>。同作品は[[カンヌ国際映画祭 脚本賞|脚本賞]]と[[クィア・パルム|クィア・パルム賞]]を受賞した<ref name="eiga-com20230528">{{cite web ja |url=https://eiga.com/news/20230528/1/ |title=【第76回カンヌ国際映画祭】是枝裕和監督「怪物」に脚本賞 坂元裕二「たった一人の孤独な人のために書きました」 |publisher=[[映画.com]] |date=2023-05-28 |accessdate=2023-06-02}}</ref><ref name="eiga-com20230527">{{cite web ja |url=https://eiga.com/news/20230527/8/ |title=【第76回カンヌ国際映画祭】是枝裕和監督「怪物」にクィア・パルム賞 日本映画としては初 |publisher=映画.com |date=2023-05-27 |accessdate=2023-06-02}}</ref>。
学生時代に[[ヤニス・クセナキス]]の作曲法を取り入れようとしたが、数学ができなくて挫折した。[[太田出版]]から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。多くの著書で[[リゲティ・ジェルジュ|ジェルジ・リゲティ]]や[[オリヴィエ・メシアン]]に言及しているが、自身の音楽語法は[[フィリップ・グラス]]や[[トム・ジョンソン (作曲家)|トム・ジョンソン]]のような簡明なパターンの羅列を好んでいる。
 
同年9月、前年配信のオンラインコンサートが劇場映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』として全国公開された。
YMOでの活動は国内外のオーバーグラウンド・ニューウェーヴに革新を起こしたが坂本はそれと平行し、国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンド[[フリクション (バンド)|フリクション]]のファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリスト[[Phew]]のソロデビューシングルでのコラボレーション、[[山崎春美]]の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。国外ではNO NEW YORKで一際存在感を放っていた[[アート・リンゼイ]]との親交が有名である。DNAの頃のアートと初めて出会ったときは満足に言葉も交わせず一方的に敵意を向けられていたが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーしたらあっさり快諾、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。
 
同年、[[第65回日本レコード大賞]]特別功労賞を受賞した<ref>{{cite web ja |url=https://www.oricon.co.jp/news/2305410/full/|title=伊集院静さん、『日本レコード大賞』特別功労賞受賞 訃報を受け…記者会見で追加発表|website=ORICON NEWS|publisher=株式会社oricon ME|date=2023-12-06|accessdate=2023-12-06}}</ref>。
[[J-WAVE]]にて2004年放送の番組「ゆく都市くる都市・新春放談」では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成に[[コンプレックス]]があると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。<!--*社会主義的傾向を持つことが音楽家のステータスとみなされた1970年代末期、「ポピュラー音楽はポピュラー音楽でしか聴かれないイディオムと個性を持ち、なおかつ体制が生み出した現代音楽には反抗しなければならない」という考え方が力を持っていた。当時の坂本の思想的背景には、このような考え方もあったのではないかとされる。坂本がこの思想を自身のプロモーションに戦略的に利用したという明確な証拠はないが、MIDI音源黎明期の1980年代、結果的にこのような思想が坂本の活動への絶大な追い風となった。YMOのアルバムは一枚も持っていないなどと述べた[[高橋悠治]]が、当時[[グラスホッパーズ]]のピアノソロ編曲を残していることにも裏付けられる。しかし、1990年代以降[[ジョン・ゾーン]]らが[[現代音楽]]に接近する頃になると、こうした追い風は次第に止んだ。[[BTTB]]では[[高橋悠治]]や[[高橋アキ]]が愛奏した[[エリック・サティ]]の様式模倣すら公的に認め、[[オールナイトニッポン]]のテーマソングをリメイクするといった活動も、当時のリスナーからの支持は得られなかった。←要出典-->
 
2024年1月、[[第47回日本アカデミー賞]]会長特別賞と優秀音楽賞を贈賞された<ref>{{cite web ja |url=https://www.oricon.co.jp/news/2310639/full/|title=「第47回日本アカデミー賞」坂本龍一さん、阿部秀司さんに会長特別賞を贈賞|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2024-01-16|accessdate=2024-01-16}}</ref><ref>{{cite web ja |url=https://www.oricon.co.jp/news/2311800/full/|title=『第47回 日本アカデミー賞』受賞者・作品発表 授賞式司会は羽鳥慎一、岸井ゆきの【コメント全文】|website=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2024-01-25|accessdate=2024-01-25}}</ref>。
 
同年3月、[[第96回アカデミー賞]]の逝去した映画関係者を讃えるイン・メモリアム([[:en:In memoriam segment|In memoriam]])のコーナーで追悼された<ref>{{Cite news|last=Saperstein|first=Pat|url=https://variety.com/2024/film/awards/oscars-in-memoriam-left-out-1235926039/|title=Oscars In Memoriam: Angus Cloud, Lance Reddick Left Out|work=[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]|publisher=PMC|date=2024-03-10|accessdate=2024-03-11|language=en}}</ref>。
 
同年4月17日、[[NexTone Award]] 2024で特別功労賞を受賞<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2323329/full/ 『NexTone Award』Ado歌唱作品がV2 特別賞は星街すいせい 特別功労賞は坂本龍一さん] - ORICON NEWS・2024年4月18日</ref>。
 
2025年2月開催の第67回[[グラミー賞]]で、最期のピアノ・ソロ・コンサートを収録したアルバム『Opus』が、[[グラミー賞カテゴリー一覧#ニューエイジ・ミュージック|最優秀ニューエイジ、アンビエント、チャント・アルバム賞]]にノミネートされた<ref>{{Cite news2|url=https://www.oricon.co.jp/news/2353446/full/|title=『第67回グラミー賞』坂本龍一さん、最期のピアノソロコンサート作品『Opus』がノミネート|work=[[オリコン|ORICON NEWS]]|publisher=[[オリコン#企業グループ|oricon ME]]|date=2024-11-09|accessdate=2024-11-09|df=ja}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2025020300328|title=故坂本龍一さん受賞逃す 「SHOGUN」も届かず―米グラミー賞|agency=時事ドットコム|publisher=[[時事通信社]]|date=2025-02-03|accessdate=2025-02-03}}</ref>。
 
== 人物 ==
=== 音楽活動 ===
[[ファイル:Jun Miyake and Ryuichi Sakamoto at Ibirapuera Park (2017) 36.jpg|サムネイル|250px|ピアノを演奏する坂本(2017年)]]
坂本のピアノ曲集『Avec Piano』に寄せられた解説文の中で音楽評論家の[[秋山邦晴]]は「なかなかピアノも巧い」と評している。デビュー作『[[千のナイフ]]』では現代音楽の[[高橋悠治]]との連弾を行っている。[[加藤登紀子]]が坂本のピアノの演奏技術に感嘆し、それを本人に伝えた際に坂本は「18歳の頃の僕はもっとすごかった」と答えたという。[[フランツ・リスト]]の難曲[[ラ・カンパネッラ|ラ・カンパネラ]]を藝大入学以前に、初見で弾きこなしたとも坂本本人は発言している。
 
音楽を担当した映画『[[ラストエンペラー]]』で、[[アカデミー作曲賞]]を[[デヴィッド・バーン]]・[[蘇聡]]と共同受賞<ref group="注" name="movie"/>した際には、『[[FRIDAY (雑誌)|フライデー]]』(講談社の写真週刊誌)で「この賞を受賞したことよりもこれから仕事を選べるという点のみで今回の受賞は悦ばしい」とコメント。活動の拠点をアメリカに移したのも「日本という小さなマーケットでCDを100万枚売るよりも、世界の10カ国からそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが作品のクオリティーを落とさないで済む」と後に雑誌『[[ゲーテ (雑誌)|GOETHE]]』([[幻冬舎]])で述べている。
 
[[現代音楽]]への進出は、[[原田力男]]の推薦にもかかわらず成功しなかった。現代音楽界を狭い世界と捉え、その中で活動することを嫌ったとの本人コメントがある。社会的成功を確実にした後、神奈川県内のクラシック音楽専用のホールで個展を行い、芸大在学中に作曲した曲を中心に数作品が高橋アキ等によって演奏された。YMO散開後の1984年、『[[題名のない音楽会]]』([[テレビ朝日]])においてオーケストラ曲「反復と旋」が一部割愛ながらも世界初演される。この作品は芸大大学院の修士論文として提出された作品で、未発表のまま芸大に保管されていた。
 
学生時代に[[ヤニス・クセナキス]]の作曲法を取り入れようとしたが、数学が苦手なために挫折した。[[太田出版]]から出された『坂本龍一・音楽史』に、その試行の膨大なメモが掲載されている。
 
坂本は国内のアンダーグラウンドシーンにも接近した。ニューヨーク帰りの東京のパンクバンド[[フリクション (バンド)|フリクション]]のファーストアルバムをプロデュース、関西の女性パンクボーカリスト[[Phew]]のソロデビューシングルでのコラボレーション、[[山崎春美]]の音楽プロジェクトTACOへの参加などが挙げられる。しかし、TACOでの過激な楽曲提供はともかく、フリクションのアルバムはメンバー・ファン共に「ライブでの緊張感・硬質感が再現されていない」と不評を買い、Phewも「(坂本は)仕事は速いがセンスは悪い」と評判は芳しくない。
 
国外では[[ノー・ニューヨーク|NO NEW YORK]]で一際存在感を放っていた[[アート・リンゼイ]]との親交が有名である。[[DNA (バンド)|DNA]]の頃のアートと初めて出会ったときは一方的に敵意を向けられて満足に言葉を交わすことができなかったが、その後坂本が自身のソロアルバムへの参加をオファーした際に快諾し、以後現在まで坂本の活動に欠かせない人物となった。
 
[[J-WAVE]]で2004年に放送された番組『ゆく都市くる都市・新春放談』では、細野晴臣、高橋幸宏との対談で、リズム隊出身の両者に対し、坂本自身はリズムトラックの構成に[[コンプレックス]]があると告白した。対して細野は「教授の作品を聴いて特にリズムが弱いと思ったことは無かった」と語り、少々意外な発言だったようである。<!--*社会主義的傾向を持つことが音楽家のステータスとみなされた1970年代末期、「ポピュラー音楽はポピュラー音楽でしか聴かれないイディオムと個性を持ち、なおかつ体制が生み出した現代音楽には反抗しなければならない」という考え方が力を持っていた。当時の坂本の思想的背景には、このような考え方もあったのではないかとされる。坂本がこの思想を自身のプロモーションに戦略的に利用したという明確な証拠はないが、MIDI音源黎明期の1980年代、結果的にこのような思想が坂本の活動への絶大な追い風となった。YMOのアルバムは一枚も持っていないなどと述べた[[高橋悠治]]が、当時[[グラスホッパーズ]]のピアノソロ編曲を残していることにも裏付けられる。しかし、1990年代以降[[ジョン・ゾーン]]らが[[現代音楽]]に接近する頃になると、こうした追い風は次第に止んだ。[[BTTB]]では[[高橋悠治]]や[[高橋アキ]]が愛奏した[[エリック・サティ]]の様式模倣すら公的に認め、[[オールナイトニッポン]]のテーマソングをリメイクするといった活動も、当時のリスナーからの支持は得られなかった。←要出典-->
<!--*音楽性のタガが次第に外れていることは、本人も承知しているものの、目立った方向性の転換は2000年代にはまだ聞かれていない。これについて坂本を「クラシック音楽をマスターしきれずに、ポピュラー音楽に流れた」音楽家の限界と見るむきもある。ちなみに1950年代生まれのほとんど全てのジャンルの日本の作曲家において、坂本と同じように様式折衷に悩む者が多く見られる。←要出典-->
 
コンサートではほとんど年齢制限を設けたことなく「0歳児でも入場可」をポリシーとしている。しかし2007年[[5月12日]]「坂本龍一プロデュース公演/ロハスクラシック・コンサート2007」の会場となった[[bunkamuraオーチャードホール]]では、子供の泣き声が数か所から上がり、第二部開演前に坂本から「0歳児でもOKというのをポリシーにしていますが、純粋に音楽を楽しみに来ている方もおられるでしょうから、常識的なところで、例えばロビーへ行ってあやすなど臨機応変に対応をしてください」と照れながらのアナウンスがあった。
 
過去に[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]監督の[[高畑勲]]監督から音楽を頼まれたことがあったが、作った音楽があまりにも暗すぎ、解雇されてしまった<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0100497 坂本龍一、高畑勲監督からオファー&解雇されていた!]</ref>。
歌は上手くないと自認している。[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]に出演した際、『[[君に、胸キュン。]]』を歌ったら[[浜田雅功]]にツッコまれてしまった程である。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『[[左うでの夢]]』『[[ビューティ]]』『[[スムーチー|SMOOCHY]]』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。
 
歌はうまくないと自認している。『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)に出演した際、「[[君に、胸キュン。]]」を歌ったら[[浜田雅功]]にツッコまれてしまったほどである。坂本自身がボーカルを執った楽曲は極めて少ないが『[[左うでの夢]]』『[[ビューティ (坂本龍一のアルバム)|ビューティ]]』『[[スムーチー|SMOOCHY]]』のように、あえて坂本のボーカルを前面に押し出して製作されたアルバムもある。「歌はうまさじゃなく声色、ヘタでも自己表現としては音楽の中で最高のもの」という自身の発言がある。
 
幅広い音楽ジャンルを分析し、自身の作品に反映しているが、[[カントリー・ミュージック]]と[[ハワイの音楽|ハワイアン]]だけはなじめないと発言していた<ref>[[NHK-FM放送|NHK-FM]][[サウンドストリート]]での放送の発言より。</ref><ref>[[2011年]][[1月11日]]WebマガジンOPENERS連載「上から言い切る」より。</ref>が、近年どちらも聴けるようになりハワイアンに関しては「現地に行った際に大好きになった」とのこと。
 
ヘヴィメタルミュージシャンと競演したこともあり、「[[今夜はブギー・バック]]」リリース当時「ハマった」と言ってミュージシャン[[小沢健二]]と対談もしている<ref>1994年月刊カドカワ「世界の肌ざわり」</ref>。ZERO-LANDMINE企画時には日本のビジュアル系と称されるアーティストたちとも共演したり、YMOチルドレンの[[LUNA SEA]]の[[SUGIZO]]のソロ・アルバムにピアノで参加したこともある。クラシックから[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]のプロデュースに至るまで、いずれもジャンルの垣根を越え音楽を聴き、解析し、プロデュースすることのできる自身の才能について「自分は音楽の鉄人だと思う。(発表されている作品には)いろいろなスタイルの音楽がありますが、全部僕のものですから、安心して下さい」と発言している<ref>Sweet revenge Tour 1994 (19951994(1995)</ref>。
 
若い頃は古典芸能や工芸などの日本の古典的文化を「戦前のナショナリズムの象徴」として否定的に考えていたが、海外移住や年齢を重ねたこともあって、近年はそれらに対しての関心が強くなり、そうした日本の古典的文化を積極的に学ぶようになったという<ref>[https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto?page=2 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について] T JAPAN:The New York Times Style Magazine</ref>。
 
=== 思想・社会活動 ===
[[画像:Ryuichi Sakamoto 3.jpg|250px|thumb|坂本(2007年)]]
[[政治哲学#概要|政治思想]]に関しての発言や、社会運動家としての活動も多い。新宿高校時代には学生運動に関わり、[[塩崎恭久]]と[[馬場憲治]]の3人でバリケード封鎖を決行した。大学時代には[[武満徹]]を批判するビラを配ったこともあった<ref name="mikiki">[https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20368 坂本龍一、武満徹との50年を振り返る mikiki]</ref><ref name="nhk">「武満徹の残したものは」1996年、NHKで放映。</ref>。これについて坂本は、当時の自分は生意気で、それに対し武満はエスタブリッシュされた作曲家であり、その日本的な情緒が目障りだったからと、武満の没後に語っている<ref name="nhk"></ref>。また、[[鈴木邦男]]との対談<ref>「愛国者の憂鬱」 [[週刊金曜日|金曜日]]出版</ref>では、「若い頃は日本の楽器とかが嫌でそれを使っていた武満さんに反抗心を抱いてしまった」とも語っている。批判された武満は、逆に坂本に「このビラ撒いたの君?」と語ったという<ref name="mikiki"></ref><ref name="nhk"></ref>。このことは、同じく鈴木邦男との対談では、30分くらい話し合ったと語り、のちに坂本が何人かでコンサートをやった後、偶然バーで武満と会った時には武満から「ビラのときの子ね。君、いい耳持ってるね。」と言われ、うれしかったという<ref name="mikiki"></ref><ref name="nhk"></ref>。武満はそのコンサートの観客の中の1人であり、その後は名前を覚えてもらったという。武満はその後、坂本が作曲した「[[戦場のメリークリスマス (サウンドトラック)|戦場のメリークリスマス]]」を、高く評価している<ref>川崎弘二 著「武満徹の電子音楽」</ref>。さらに坂本によるとニューヨークでも会ったことがあり喫茶店で「いつか一緒に仕事しましょう」と約束したという<ref name="mikiki"></ref>。坂本は武満の没後、武満が晩年完成を目指していた[[オペラ]]からインスパイアされた曲「Opus」を作曲する(アルバム『[[BTTB]]』所収)。さらには自作のオペラ『LIFE』を完成させるなど、武満のことを意識している。概して、若い頃は退廃的な考えを持っていたようだが、[[野口晴哉]]の著書『風邪の効用』やオペラ『LIFE』の製作のための取材等の影響で、健康的、生命的な考えへと変わっていった。[[作家]]や[[思想家]]など[[知識人]]との交流も深く、作品に影響が及ぶこともしばしばである([[#関連項目・人物]]参照)。
 
東京藝術大学一年生だった1970年11月25日、作家[[三島由紀夫]]が、新宿市ヶ谷で割腹自殺を遂げた([[三島事件]])ことを知った坂本は、遺体が移された[[牛込警察署]]に押し掛けた<ref name="gendai20230404"/>。坂本によると「作家としての三島をとても尊敬していた。彼は右翼、僕は過激な[[左翼]]でしたが、右も左も過激になると似て来るところがあるのでしょうか。」という<ref name="gendai20230404"/>。
 
[[小室哲哉]]とは「クリエイティブな少数派に向けた作風」を追求する坂本と「メジャーでスターになるための方法論」を追求する小室、インターネットでのファンに対するアプローチの方針の違い<ref group="注">坂本はライブの生中継を目指し、小室は音源データの配信を意図していた</ref>からして、小室曰く「お互い中和しない関係」と称しつつも、「何をどうするかが絶対に違うけど、無いものねだりながらもお互いに無いものを求めている」「誤解されるのを承知で言えばホモセクシャルな感覚を持っていて会うと安心できる」と話している<ref name="bart95109">[[集英社]]刊「[[BART (雑誌)|Bart]]」1995年10月9日号「BEHIND the MASK 小室哲哉 坂本龍一 対談」pp.16-17より。</ref>。反面小室は「芸術家であり、その方面では未だに何一つ彼との差は縮まっていない」と賛美と嫉妬を込めた発言をしていて<ref>[https://smart-flash.jp/entertainment/entertainment-news/31796/ 小室哲哉「ガチで嫉妬したのは坂本龍一と吉田拓郎の2人」]より。</ref>、坂本もいち早くダウンタウンを音楽への道に引き入れる小室の発想力とバイタリティに「横取りしやがって…」と反発心を覚えていた<ref>株式会社スコラ刊「[[スコラ]]」1995年10月26日号p.169より。</ref>。
 
[[1997年]]ごろから日本における音楽[[著作権]]の取り扱いについて、[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]が独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび[[文化庁]]に対して働きかけを行った<ref>[http://www.kab.com/liberte/ A nous, la Liberte!]</ref>。MAA(メディア・アーティスト・アソシエイション)設立。1999年制作のオペラ『LIFE』あたりから[[環境]]・[[平和]]問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するための[[チャリティー]]ソングとして[[GLAY]]、[[Mr.Children]]、[[DREAMS COME TRUE]]、[[DJ KRUSH]]らを迎えて制作した『ZERO LANDMINE』<ref>[https://www.tbs.co.jp/zero/ TBS50周年特別企画 「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」]</ref>や[[アメリカ同時多発テロ事件]]をきっかけとした論考集『[[非戦論|非戦]]』を発表している。
 
[[2004年]]には音楽評論家[[高橋健太郎 (音楽評論家)|高橋健太郎]]や[[ピーター・バラカン]]らの呼び掛けに応じて共同声明「私たち音楽関係者は、[[著作権法]]改定による輸入CD規制に反対します」に名を連ね、[[国会 (日本)|国会]]で審議されていた[[音楽レコードの還流防止措置]](レコード輸入権)に反対を表明した<ref>[https://web.archive.org/web/20040509230014/http://diary.nttdata.co.jp/diary2004/05/20040509.html 先見日記 insight diaries]</ref>。
 
[[2006年]]2月には、[[PSE問題]]に絡み、[[松武秀樹]]、[[椎名和夫]]とともに2006年4月に本格的に施行される[[電気用品安全法]](PSE法)に反対する署名を募集<ref>{{cite web ja |url=http://www.jspa.gr.jp/pse/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2006-02-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060222032129/http://www.jspa.gr.jp/pse/ |archivedate=2006-02-22 |url-status=dead|url-status-date=2017-09}}</ref>。[[経済産業省]]がマークなしの販売を条件付きながら認めるなど、一定の成果を得た。同年5月には[[Shing02]]、[[クリスチャン・フェネス]]らとともに[[青森県]][[六ヶ所村]]の核再処理施設に反対し、この問題をアート作品の共有と拡散という手法を使って内外に周知するプロジェクト[[STOP ROKKASHO]]をスタートし、[[河野太郎]]、[[保坂展人]]らの政治家、[[小室哲哉]]らのミュージシャンからも賛同を得ている<ref>[http://stop-rokkasho.org stop-rokkasho.org]</ref>。
 
[[2007年]]7月16日に起きた[[新潟県中越沖地震]]で[[柏崎刈羽原子力発電所]]が被害を受けたことに応じて「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」という運動を始めた。[[東日本大震災]]後も原発を批判する旨の意見を度々述べている。
 
[[2012年]]1月11日には、自身が代表を務める森林保全団体 [[more trees]] による[[More trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト「LIFE311」]]と、[[サイバーエージェント]]のソーシャルゲーム[[ピグライフ]]と連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定([[3月31日]]まで)で立ち上げた<ref>[https://archive.is/oqQj 「LIFE311」とピグライフがコラボ 坂本龍一さんの環境団体被災地支援プロジェクト] - 産経新聞 2012/01/11 18:27<!-- http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/music/541614/ --></ref>。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。
[[画像:Ryuichi Sakamoto, Photographed by Ryota Nakanishi.JPG|thumb|IWJ主催シンポジウムで演説中の坂本龍一]]
[[日本国憲法第9条|憲法9条]]の改正に強く反対しており、選択的[[夫婦別姓]]制度導入にも賛同する。
 
数多くのチャリティーコンサートを実施、無償での被災地の幼稚園・小・中・高校に対し、楽器関連の復興支援を行うための『こどもの音楽再生基金』、被災地支援参加型プロジェクト『kizunaworld.org』、先述の[[More trees#LIFE311|被災地支援プロジェクト『LIFE311』]]など、様々な側面から復興支援に尽力した<ref>[https://web.archive.org/web/20140222034821/http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/best_support/award/ 日本財団>被災地で活動した芸能人ベストサポート>表彰者一覧]</ref>。2012年5月1日、[[日本財団]]により、[[伊勢谷友介]]、[[EXILE]]、[[加藤登紀子]]、[[小林幸子]]、[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]、[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]、[[杉良太郎]]、[[伍代夏子]]、[[中村雅俊]]、[[はるな愛]]らと共に「被災地で活動した[[芸能人]]ベストサポート」に選出され、表彰されている<ref>[https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/3626 日本財団会長 笹川陽平ブログ>被災地で活動した芸能人ベストサポート]</ref>。
 
[[2015年]]には、[[安倍晋三]][[内閣総理大臣]]の進める集団自衛権や改憲について、デモにも参加するなど批判している<ref>[https://web.archive.org/web/20150831132348/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015083102000125.html 「坂本龍一さんら各界著名人も市民と連携」、東京新聞、2015年8月31日]</ref>。
 
[[2016年]]、沖縄における米軍属に対する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」に向けて「沖縄だけに痛み、苦痛と侮辱を何十年もおしつけておくべきではない。もうたくさんだ。基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」とのメッセージを寄せた<ref>[https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/5869 沖縄県民大会に坂本龍一さんらメッセージ きょう午後2時開催 暴行殺人事件に抗議、沖縄タイムス、2016年6月19日]</ref>。
 
自身の政治的な言動が批判されることについては「音楽家だけど、余計な口を出してしまうから。音楽家は音楽だけやっていろ、とインターネットで言われているらしいということも知っています。これは言わないと、というときだけ選んでいるつもりですけれど、発言するから偉いとも思ってません。でも音楽だけやればいいとも思わない。普通の人が口出すのが[[民主主義]]でしょ。職業に関係なく誰もが声を出せる社会じゃないとダメだと思うんです」といった考えを述べている<ref>[https://www.tjapan.jp/ENTERTAINMENT/ryuichi-sakamoto?page=3 坂本龍一が語る、自身が今作りたい音楽について] T JAPAN:The New York Times Style Magazine</ref>。
 
[[2021年]]、[[小山田圭吾]]が、東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事や、同記事をめぐる報道(詳細は[[小山田圭吾#東京オリンピック・パラリンピック開会式音楽スタッフ就任に端を発する過去の雑誌インタビュー記事騒動|小山田圭吾]]を参照)<ref name="謝罪">{{Cite web|author=|date=|url=https://www.instagram.com/p/CT7M8iKBafW/?utm_medium=copy_link|title=Cornelius on instagram|publisher=Instagram|accessdate=2021-09-17}}</ref>に謝罪の文を公式サイトに寄稿。坂本は「読みながら少し泣けてしまった。なかなかこれほど真摯な文章は書けるものじゃない。よほど自分の心の中を曇りなく隅々まで見ないと」と私見を述べ、「今後どんな音楽が生まれてくるのか、気長に待ってます」とつづった<ref>{{Cite news|title=坂本龍一、小山田圭吾の謝罪文に「読みながら少し泣けてしまった」|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-09-21|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202109210000185.html|accessdate=2021-10-21}}</ref>。
 
最晩年となった2023年3月上旬には明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を、[[小池百合子]]東京都知事、[[永岡桂子]]文部科学大臣、[[都倉俊一]]文化庁長官、[[吉住健一]]新宿区長、[[武井雅昭]]港区長の5名に送り、「100年かけて守り育ててきた樹々を犠牲にすべきではない」「樹々は差別なく万人に恩恵をもたらすが、開発は一部の既得権者と富裕層だけに恩恵をもたらす」などと訴えたが、認可を出した小池百合子東京都知事から「事業者の[[明治神宮]]にも手紙を送られた方がいいじゃないでしょうか」と一蹴されている<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/238684 坂本龍一さん「神宮外苑の再開発、見直すべき」と手紙で訴えたが…小池知事「事業者にも送ったら」] - 東京新聞 TOKYO Web 2023年3月18日</ref>。一方で、坂本は「単に無理やりなんでも反対だという事ではなく、色々な事情があるのはわかっているが、それでも一つずつ解決して何か別の方法が考えられるのではないか?という話がしたいのです」とも語っている<ref name="する理由">{{cite web ja |title=明治神宮外苑再開発に私が”賛成”する理由 |url=https://note.com/keizokuramoto/n/n4e173264d7be |website=note(ノート) |date=2023-04-30 |access-date=2023-09-03 |publisher=[[倉本圭造]]}}</ref>。
 
=== 人柄 ===
若い頃について坂本は「YMOで大ブレイクして、30歳代半ばまではまさに人生の絶頂期で、遅刻やすっぽかしもしょっちゅうだった。運転手が気に入らないとすぐに殴ったり蹴ったりした。今思えばとんでもないことであり、私の理不尽な暴行に耐え切れず辞めていった運転手の人たちには申し訳ないと思っている。子供の頃、体格がよかったこともあって、力ずくで意思を通すことをあまりためらわない性格に育っていた。」などと述べている<ref name="jitsuwa20230406">{{cite web ja |url=https://weekly-jitsuwa.jp/archives/100050|title=坂本龍一さんが後悔していた“運転手暴行事件”と大貫妙子との若き日の関係 |website=[[週刊実話]]Web |date=2023-04-06 |accessdate=2023-04-29 }}</ref>。
 
YMO結成当初の紙面上のインタビューで、同時期に活動を開始していた[[P-MODEL]]に関して坂本が吐いた発言により、当時のP-MODELファンの間で「YMO不買運動」が起こるなどの因縁が生まれた<ref>{{Cite book |title=電子音楽 in Japan |url=https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA55613217 |publisher=アスペクト |date=2001 |first=雄二 |last=田中}}</ref>。
 
[[糸井重里]]との対談で坂本は「自分の生活を露出させる人は、他人に対して無遠慮だ」と非難し、「[[ジャージー (衣類)|ジャージ]]をはいてる人が嫌い。ジャージはその人の生活を完全に感じさせるものだからそんな格好して、外に出てくるな」、「学生の時に、学生食堂で一人でご飯をきちんと食べてる男の人を見ると、すごく不愉快だった」などと述べている<ref>{{cite web ja |url=https://www.1101.com/kyoju/03.html|title=第3回 ジャージを履いてはならぬ |website=[[ほぼ日刊イトイ新聞]] |date=2006-11-16 |accessdate=2023-04-30 }}</ref>。
 
== 家族・親族 ==
坂本家は福岡県[[三奈木村]]の坂の下(現・[[朝倉市]])の出で、[[江戸時代]]に[[足軽]]として[[三奈木黒田家|黒田家]]に仕えた<ref name="detazo">{{cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20201101025916/https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/1157003|title=ファミリーヒストリー 坂本龍一〜父との葛藤 福岡藩黒田家に仕えた先祖〜|work=TVでた蔵|publisher=ワイヤーアクション|date=2018-04-23|accessdate=2023-04-11}}</ref>。[[明治]]に入ると苦しい生活を強いられたため、坂本龍一の曽祖父・坂本兼吉は明治の中頃に[[甘木町]]に移住し、「料理坂本」を始めた<ref name="detazo"/>。坂本龍一の祖父・坂本昇太郎は坂本兼吉の長男として生まれ、22歳でタカという女性と結婚、長男が坂本龍一の父・一亀である<ref name="detazo"/>。坂本昇太郎は興行を取り仕切る父の影響もあり、芸事が好きで、芝居小屋「甘木劇場」の経営主をつとめ、後に福岡の生命保険会社に就職した<ref name="detazo"/>。
 
母方の祖父[[下村彌一]]は長崎県[[諫早市]]の小さな[[農家]]に生まれ、苦学して[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]と[[京都帝国大学]]に学んだ。第五高等学校では後に首相となった[[池田勇人]]が同級生におり、ともに京都帝国大学へ進学して、生涯の親友として交流した<ref group="注">この祖父は、池田首相の葬儀の際に友人代表として[[葬儀|弔辞]]を読んだという。坂本龍一著 『音楽は自由にする』 [[新潮社]]、2009年、23頁</ref>。大学卒業後は共保生命保険に就職、[[実業家]]として[[共保生命]]取締役、[[東亜国内航空]][[会長]]などを歴任。母方の叔父(母の弟)[[下村由一]](1931 - )は[[歴史学者]]で、[[千葉大学]][[名誉教授]]。
 
東京芸術大学2年のときに2歳年上の女性と結婚し、長女ができたが離婚する<ref name="jitsuwa20230406"/>。[[歌手]]の[[坂本美雨]]はシンガーソングライターの[[矢野顕子]]との間に生まれた娘で、坂本にとっては次女<ref>{{cite web ja |title=矢野顕子&坂本美雨、11年ぶり母娘共演!「伊勢丹」タータン柄に向けた新曲!|シネマトゥデイ |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0057631 |website=シネマトゥデイ |access-date=2022-07-01 }}</ref>。また、矢野と別居後には事務所の女性マネージャーと事実婚の状態にあり、その女性との間に生まれた息子(坂本にとっては長男)が映像作家の[[空音央]]である<ref>{{cite web ja |title=坂本龍一さん 2度目の結婚相手が矢野顕子、娘は坂本美雨 経歴同様華やか…多くの女性に愛された人生|スポーツニッポン |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/03/kiji/20230403s000413H4099000c.html|website=
スポニチ Sponichi Annex |access-date=2024-10-07 }}</ref>。
 
== 出版活動 ==
1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。1984年に<[[週刊本]]>シリーズで刊行された『本本堂未刊行図書目録』([[朝日出版社]])も話題となった。その本で予告されたのは、[[浅田彰]]著/[[井上嗣也]]装幀『煉獄論あるいは[[ジャン=リュック・ゴダール|ゴダール]]・スペシャル』、[[南方熊楠]]著/[[井上嗣也]]装幀『男色と免疫疾患』、[[赤瀬川原平]]装幀『[[糸井重里]]児童文学全集』、[[武邑光裕]]編/細野晴臣装幀『往復書簡 [[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]-[[出口王仁三郎]]』、[[中沢新一]]構成/坂本龍一ピアノ/[[日比野克彦]]装幀『[[ゲオルギイ・グルジエフ|グルジェフ]]体操カセットブック』などの、50冊であった。
1984年から1989年まで「本本堂」という個人出版社を持ち、自身の著書を中心に、独自の出版活動を行った。
また、1984年に、シリーズ<[[週刊本]]>から刊行された『本本堂未刊行図書目録』([[朝日出版社]])も話題となった。その本で予告されたのは、[[浅田彰]]著/[[井上嗣也]]装幀『煉獄論あるいは[[ジャン=リュック・ゴダール|ゴダール]]・スペシャル』、[[南方熊楠]]著/[[井上嗣也]]装幀『男色と免疫疾患』、[[赤瀬川原平]]装幀『[[糸井重里]]児童文学全集』、[[武邑光裕]]編/細野晴臣装幀『往復書簡 [[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]-[[出口王仁三郎]]』、[[中沢新一]]構成/坂本龍一ピアノ/[[日比野克彦]]装幀『[[ゲオルギイ・グルジエフ|グルジェフ]]体操カセットブック』などの、50冊であった。
 
本本堂から、実際に刊行された書籍は以下のとおり。
* 長電話 [[高橋悠治]],坂本龍一 本本堂, 1984年5月
* [[水牛楽団]] 休業 [録音資料] [[浅田彰]]+坂本龍一編 本本堂, 1984年10月
* [[音楽図鑑坂本龍一]] 坂本龍一 本本堂, 1985年6月
* 未来派2009 坂本龍一+[[細川周平]]監修 本本堂, 1986年4月
* 写真集『[[ラストエンペラー]]』 坂本龍一編 本本堂, 1988年4月
* キリコのコリクツ [[玖保キリコ]] 本本堂, 1989年4月
 
== 「教授」という愛称 ==
* 一般に「[[教授]]」という愛称で広く親しまれているが、これ。命名者は[[高橋幸宏]]が付けたものである
** 高橋がテレビ番組で語ったところによると、坂本と高橋が初めて会った時、坂本が[[東京芸術大学]]の[[大学院生]]だと聞いた高橋が驚いて、「大学教授にでもなるの?」と尋ねたことがきっかけ<!--のようだ(ライブでたどたどしい口調で司会をする様子がいかにも芸大生風だったという説もある)-->アスペクト刊「イエロー・マジック・オーケストラ』([[アスペクト (出版社)|アスペクト]])には坂本が大学院生であることを知った高橋が「じゃあ、プロフェッサーだから『教授』」と名付けたとある。イエロー・マジック・オーケストラ結成直後にニューミュージックマガジン』(現『[[ミュージック・マガジン]]』、ミュージック・マガジン)から取材を受けた時にはすでに「教授」の愛称が使われている(同誌1978年10月号)。
* 「教授」と呼ばれる前は、当時の坂本の無頼派な風貌が野球漫画『[[あぶさん]]』の主人公である[[景浦安武]]に似ていることから「あぶ」と呼ばれていた。細野晴臣が漫画好きで、高校時代の友人である[[西岸良平]]が『[[ビッグコミックオリジナル]]』で連載していたため、同誌で連載していた『あぶさん』も読んでいたからだが、「ある日、[[斉藤ノヴ|ノヴ]]さんが『どんなお酒が好き?』と聞かれ、教授は『[[アブサン]]』(=[[スイス]]が発祥のお酒)と答えました。それで『じゃあ、今日から君はアブサンね』となり、そう呼ばれていました。」([[土屋昌巳]])という説もある。
<!--** 坂本は[[大学院|修士課程]]を修了しているが、大学教授ではない。-->
* 2014年より母校である東京芸術大学において、[[客員教授]]を務めた。
* 「教授」と呼ばれる前、当時の坂本の風貌が野球漫画「[[あぶさん]]」の主人公である[[景浦安武]]に似ていることから「あぶ」と呼ばれていた。
*2014年より母校である東京芸術大学において、客員教授を務めている。
 
== ディスコグラフィ ==
''{{For2|坂本龍一が提供、プロデュースした楽曲は[[|坂本龍一提供楽曲一覧]]を参照。''}}
=== シングル ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | [[アルファレコード]]
|-
! 1st
| 1980年7月21日
| '''[[WAR HEAD]]'''
| [[レコード#EP盤|EP]]
| ALR-901
|-
! 2nd
| 1981年4月21日
| '''[[フロントライン (坂本龍一の曲)|フロントライン]]'''
| EP
| ALR-730
|-
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL
|-
! rowspan="2"|3rd
| rowspan="2"|1985年9月5日
| rowspan="2"|'''[[ステッピン・イントゥ・エイジア]]'''
| EP
| MIS-8
|-
| EP<br />(ピクチャーレーベル)
| MIPS-1
|-
! 4th
| 1986年3月21日
| '''[[G.T.]]'''
| EP
| MIS-11
|-
! rowspan="3"|5th
| rowspan="2"|1987年9月15日
| rowspan="2"|'''[[ビハインド・ザ・マスク (曲)#坂本龍一によるセルフカバー|ビハインド・ザ・マスク]]'''
| [[レコード#12インチシングル盤|12インチシングル]]
| MIS-507
|-
| [[シングル|Maxi]]
| MID-507
|-
| 1991年8月21日
| '''[[ビハインド・ザ・マスク (曲)#坂本龍一によるセルフカバー|ビハインド・ザ・マスク+3]]'''
| Maxi
| MDC3-1071
|-
! colspan="5" | [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN
|-
! rowspan="3"|6th
| 1987年7月1日
| '''RISKY'''
| EP
| 07SH-1949
|-
| 1987年10月21日
| '''RISKY (Extended Version)'''
| 12インチシングル
| 12AH-2251
|-
| 1988年3月5日
| '''RISKY'''
| [[CDビデオ|CDV]]
| 24VH-2009
|-
! colspan="5" | [[メディア・レモラス|ヴァージン・ジャパン]]
|-
! 7th
| 1989年7月5日
| '''[[アンドゥ#1|アンドゥ#1]]'''
| Maxi
| VJCP-15554
|-
! 8th
| 1990年2月21日
| '''[[ユー・ドゥ・ミー]]'''
| Maxi
| VJCP-1404
|-
! 9th
| 1990年12月5日
| '''[[ウィ・ラヴ・ユー]]'''
| Maxi
| VJCP-1417
|-
! 10th
| 1991年10月21日
| '''Sayonara'''
| [[8センチCD|8cmCD]]
| VJDP-10170
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! 11th
| 1996年8月21日
| '''[[08/21/1996]]'''
| Maxi
| FLCG-3022
|-
! colspan="5" | [[タワーレコード]] / güt bounce
|-
! 12th
| 1997年1月1日
| '''El Mar Mediterrani'''
| Maxi
| GTBC-0004
|-
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan
|-
! rowspan="2"|13th
| 1999年5月26日
| rowspan="2"|'''[[ウラBTTB]]'''
| Maxi
| WPC6-10022
|-
| 1999年9月12日
| 12インチシングル
| WPJ6-10022
|-
!14th
|2000年5月17日
|'''LOST CHILD'''
|Maxi
|WPC6-10085
|-
! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン
|-
! 15th
| 2004年1月21日
| '''[[アンダークールド]]'''
| Maxi
| WPCL-70013
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! 16th
| 2008年3月19日
| '''[[koko]]'''
| Maxi
| RZCM-45844
|-
! 17th
| 2009年4月15日
| '''nord'''<ref group="注">北海道地区限定リリース</ref>
| Maxi
| RZC1-46206
|-
! -
| 2014年
| '''TIMELESS PASSION'''<ref group="注">パークハイアット東京開業20周年記念のCD BOOK</ref>
| Maxi
|
|}
 
==== スタジオア海外限定シングバム ====
# [[ライオット・イン・ラゴス|Riot In Lagos]](1980年)
* [[千のナイフ]](''Thousand Knives'', 1978年)
# Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Ryuichi Sakamoto(1982年)-全英チャート30位<ref>[http://www.umdmusic.com/default.asp?Lang=English&Chart=A&ChDay=&ChMonth=&ChYear=&ChBand=sakamoto&ChSong=bamboo+houses] Music Week Bamboo Houses / Bambo Music - David Sylvian & Riuichi Sakamoto</ref>
* [[B-2ユニット]](''B-2 Unit'', 1980年)
# Life In Japan(1983年)
* [[左うでの夢]](''Left Handed Dream'', 1981年)
# Forbidden Colours - David Sylvian & Ryuichi Sakamoto(1983年)-全英チャート16位<ref name="fc">[http://www.umdmusic.com/default.asp?Lang=English&Chart=A&ChDay=&ChMonth=&ChYear=&ChBand=sakamoto&ChSong=Forbidden+Colours] Music Week Forbidden Colours - David Sylvian & Riuichi Sakamoto</ref>
* [[コーダ (坂本龍一のアルバム)|コーダ]](''Coda'', 1983年)
# Field Work - Ryuich Sakamoto feat. Thomas Dolby (1985年)
* [[音楽図鑑]](''Illustrated Musical Encyclopedia'', 1984年)
# Movin' on(1994年)
* [[エスペラント (アルバム)|エスペラント]](''Esperanto'', [[1985年]])
# love & hate(1994年)
* [[未来派野郎]](''Futurista'', [[1986年]])
# Anger/Grief(1998年)
* [[ネオ・ジオ]](''Neo Geo'', 1987年)
# prayer/salvation(1998年)
* [[ビューティ]](''Beauty'', 1989年)
* [[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]](''Heartbeat'', [[1991年]])
* [[スウィート・リヴェンジ]](''Sweet Revenge'', 1994年)
* [[スムーチー]](''Smoochy'', 1995年)
* [[1996 (アルバム)|1996]] (1996年)
* [[ディスコード]](''Discord'', 1997年)
* [[BTTB]](''Back to the Basic'', 1998年)
* [[コミカ]](''Comica'', 2002年)
* [[エレファンティズム]](''Elephantism'', 2002年)
* [[キャズム]](''CHASM'', 2004年)
* [[アウト・オブ・ノイズ]](''out of noise'', [[2009年]])
* [[Playing the Piano]]([[2009年]])– 『/04』と『/05』に「水の中のバガテル」と「Bolerish」を追加。“special edition”は『out of noise』との2枚組(2011年にサイン入りで限定100枚、海外盤のみ)。
* [[音楽図鑑-2015 Deluxe Edition-]]([[2015年]])
* [[async]]([[2017年]])
 
==== 配信限定シングル ====
# 海の道(2006年)
* [[WAR HEAD]]([[1980年]][[7月21日]])
# aubade(2009年3月7日)
* [[フロントライン (坂本龍一の曲)|フロントライン]](Front Line, 1981年)
# Ieta(2022年1月19日)
* メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス(Merry Christmas Mr. Lawrence, 1983年)
 
* [[フィールドワーク (曲)|フィールドワーク]](Field Work, 1985年)
=== アルバム ===
* [[ステッピン・イントゥ・エイジア]](Steppin' Into Asia, 1985年)
==== スタジオ・アルバム ====
* G.T.(1986年)
{| class="wikitable" style="font-size:small"
* [[ビハインド・ザ・マスク (曲)|ビハインド・ザ・マスク]](Behind The Mask,1987年)※12インチシングル
!
* リスキー(Risky, 1987年)※7インチシングル/12インチシングル/CDV
! 発売日
* [[アンドゥ#1]](Undo #1, 1989年)
! タイトル
* [[ユー・ドゥ・ミー]](You Do Me, 1990年)
! 規格
* [[ウィー・ラヴ・ユー]](We Love You, 1990年)
! [[規格品番]]
* サヨナラ(Sayonara, 1991年)
|-
* タイナイカイキII(Tainai KaiKi II, 1992年)※海外盤タイトルは「heartbeat」
! colspan="5" | [[日本コロムビア]] / Better Days
* [[二人の果て]](1994年)※featuring [[今井美樹]]
|-
* Movin' on(1994年)※国内盤未発売
! 1st
* love & hate(1994年)※国内盤未発売
*| [[08/21/1996]]([[19961978]][[8102125]])
| '''[[千のナイフ]]'''
* El Mar Mediterrani(1997年)
| [[レコード#LP盤|LP]]
* ジ・アザー・サイド・オブ・ラヴ(The Other Side of Love, 1997年) ※「featuring Sister M」とクレジットされている。Sister Mとは坂本の娘の[[坂本美雨]]のことである。
| YX-7586-ND
* [[砂の果実]](1997年) ※「中谷美紀 with 坂本龍一」とクレジットされている。上記曲の日本語ヴァージョン。
|-
* Anger/Grief(1998年)※国内盤未発売
! colspan="5" | [[アルファレコード]]
* prayer/salvation(1998年)※国内盤未発売
|-
* [[ウラBTTB]](Ura BTTB, 1999年)
! rowspan="2"|2nd
* [[アンダークールド]](undercooled, 2004年)
| rowspan="2"|1980年9月21日
* 海の道(2006年)※CM楽曲着うた配信限定
| rowspan="2"|'''[[B-2ユニット]]'''
* [[koko]]([[2008年]])
| LP
* nord([[2009年]])※北海道地区限定リリース
| ALR-28003
* aubade([[2009年]])※アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CM楽曲着うた配信限定
|-
* TIMELESS PASSION ([[2014年]])※パークハイアット東京開業20周年記念のCD BOOK
| CT
| ALC-28003
|-
! rowspan="2"|3rd
| rowspan="2"|1981年10月5日
| rowspan="2"|'''[[左うでの夢]]'''
| LP
| ALR-28025
|-
| CT
| ALC-28024
|-
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL
|-
! rowspan="6"|4th
| rowspan="3"|1984年10月24日
| rowspan="4" |'''[[音楽図鑑]]'''
| LP+[[レコード#EP盤|EP]]
| rowspan="2"|MIL-1001
|-
| LP+[[レコード#12インチシングル盤|12インチシングル]]
|-
| CT
| MIT-1001
|-
| 1984年11月24日
| [[コンパクトディスク|CD]]
| MID-1001
|-
| 1992年7月1日
| '''[[音楽図鑑#音楽図鑑完璧盤|音楽図鑑完璧盤]]'''
| [[GOLD CD]]
| MDCL-1243
|-
| 2015年3月25日
| '''[[音楽図鑑#音楽図鑑 -2015 Edition-|音楽図鑑 -2015 Edition-]]'''
| [[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]<br />(初回完全限定生産盤)
| MDCL-5034
|-
! rowspan="3"|5th
| rowspan="3"|1985年10月5日
| rowspan="3"|'''[[エスペラント (アルバム)|エスペラント]]'''
| LP
| MIL-1007
|-
| CT
| MIT-1007
|-
| CD
| 35MD-1007
|-
! rowspan="3"|6th
| rowspan="3"|1986年4月21日
| rowspan="3"|'''[[未来派野郎]]'''
| LP
| MIL-1015
|-
| CT
| MIT-1015
|-
| CD
| 35MD-1015
|-
! colspan="5" | [[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]] / TERRAPIN
|-
! rowspan="3"|7th
| rowspan="3"|1987年7月1日
| rowspan="3"|'''[[ネオ・ジオ]]'''
| LP
| 28AH-2200
|-
| CT
| 28KH-2220
|-
| CD
| 32DH-700
|-
! colspan="5" | [[メディア・レモラス|ヴァージン・ジャパン]]
|-
! rowspan="3"|8th
| rowspan="3"|1989年11月21日
| rowspan="3"|'''[[ビューティ (坂本龍一のアルバム)|ビューティ]]'''
| LP
| VJL-28203
|-
| CT
| VJT-28211
|-
| CD
| VJD-32235
|-
! 9th
| 1991年10月21日
| '''[[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]]'''
| CD
| VJCP-30093
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! rowspan="3"|10th
| rowspan="2"|1994年6月17日
| rowspan="2"|'''[[スウィート・リヴェンジ]]'''
| CD
| FLCG-3001
|-
| CD+レコーディングノート<br />(特別仕様完全限定盤)
| FLCG-3002
|-
| 1994年11月18日
| '''[[スウィート・リヴェンジ|スウィート・リヴェンジ '94年末スペシャル・エディション]]'''
| CD+レコーディングノート+[[グリーティングカード]]<br />(特別仕様完全限定)
| FLCG-3005
|-
! rowspan="2"|11th
| rowspan="2"|1995年10月20日
| rowspan="2"|'''[[スムーチー]]'''
| CD
| FLCG-3014
|-
| CD+[[写真集]]<br />(特別仕様完全限定盤)
| FLCG-3015
|-
! 12th
| 1997年7月2日
| '''[[DISCORD (坂本龍一のアルバム)|DISCORD]]'''
| CD
| FLCG-3028
|-
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan
|-
! rowspan="3"|13th
| 1998年11月26日
| rowspan="2"|'''[[BTTB]]'''
| CD+[[フロッピーディスク]](演奏データ)+[[楽譜|譜面]]<br />(初回生産完全限定盤)
| WPC6-8524
|-
| 1999年2月24日
| CD<br />(通常盤)
| WPC6-10010
|-
| 2018年9月26日
| '''[[BTTB|BTTB -20th Anniversary Edition-]]'''
| CD
| WPCL-12924
|-
! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン
|-
! rowspan="2"| 14th
| 2004年2月25日
| rowspan="2"| '''[[キャズム (アルバム)|キャズム]]'''
| CD
| WPCL-10072
|-
| 2004年3月24日
| LP
| WQJL-10002
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! rowspan="3"|15th
| rowspan="2"|2009年3月4日
| rowspan="3"|'''[[アウト・オブ・ノイズ]]'''
| CD<br />(フルアートワーク盤)
| RZCM-46128
|-
| CD<br />(パッケージレス盤)
| RZCM-46129
|-
| 2009年3月18日
| LP
| RR12-88544/5
|-
! rowspan="2" |16th
| 2017年3月29日
| rowspan="2" |'''[[async]]'''
| CD
| RZCM-86314
|-
| 2017年5月17日
| LP
| RZJM-86312/3
|-
! rowspan="2" |17th
| rowspan="2" |2023年1月17日
| rowspan="2" |'''[[12 (坂本龍一のアルバム)|12]]'''
| CD
| RZCM-77657
|-
| LP
| RZJM-77655/6
|}
 
==== セルフカバー・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | [[ロンドンレコード]]
|-
|- 1st
! rowspan="2"|1st
| rowspan="2"|1983年12月10日
| rowspan="2"|'''[[コーダ (坂本龍一のアルバム)|コーダ]]'''
| [[レコード#LP盤|LP]]
| L25N-1016
|-
| [[コンパクトカセット|CT]]
| M25M-1016
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! rowspan="2"|2nd
| rowspan="2"|1996年5月17日
| rowspan="2"|'''[[1996 (アルバム)|1996]]'''
| CD
| FLCG-3020
|-
| LP
| FLJG-9009
|-
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]]
|-
! 3rd
| 2004年11月24日
| '''[[/04]]'''
| [[コンパクトディスク|CD]]
| WPCL-10136
|-
! 4th
| 2005年9月28日
| '''[[/05]]'''
| CD
| WPCL-10222
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! 5th
| 2012年10月17日
| '''THREE'''
| CD
| RZCM-59189
|-
! colspan="5" | [[デッカ・レコード|Decca]]
|-
! -
| 2013年
| '''Three - Deluxe Edition'''<ref group="注">海外盤のみのリリース。附属のDVDは日本ツアーの物販のEUツアーのブルーレイディスクと同内容。収録はドイツのHamburg(ハンブルク)とKarlsruhe(カールスルーエ)の2公演から。</ref>
| CD+[[DVD]]
| 481 036-4
|}
 
==== ライヴ・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]] / SCHOOL
|-
! rowspan="2"|1st
| rowspan="2"|1986年9月21日
| rowspan="2"|'''[[メディア・バーン・ライブ]]'''
| [[レコード#LP盤|LP]]
| MIL-4001/2
|-
| [[コンパクトディスク|CD]]
| MID-4001
|-
! colspan="5" | [[メディア・レモラス|ヴァージン・ジャパン]]
|-
! 2nd
| 1988年12月16日
| '''[[プレイング・ジ・オーケストラ]]'''
| CD
| VJCP-36040/41
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! 3rd
| 1995年1月20日
| '''“スウィート・リヴェンジ”ツアー1994'''
| CD
| FLCG-3008
|-
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan
|-
! 4th
| rowspan="2"|1999年10月27日
| '''[[RAW LIFE OSAKA]]'''
| CD<br />(初回生産限定盤)
| WPC6-10054/5
|-
! 5th
| '''[[RAW LIFE TOKYO]]'''
| CD<br />(初回生産限定盤)
| WPC6-10056/7
|-
! colspan="5" | [[ソニー・クラシカル|Sony Classical]]
|-
! -
| 2000年2月8日
| '''Cinemage'''<ref group="注" name=US>[[アメリカ合衆国|アメリカ]]盤のみ</ref>
| CD
| SK-60780
|-
! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan
|-
!‐
|2000年2月23日
|'''[[AUDIO LIFE]]'''
|CD
|WPC6-10073/4
|-
! 6th
| 2001年3月22日
| '''In The Lobby At G.E.H. In London'''
| CD
| WPC6-10124
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! 7th
| 2009年9月23日
| '''[[プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン]]'''
| CD
| RZCM-46381/2
|-
! 8th
| 2011年12月14日
| '''playing the piano usa 2010 / korea 2011 - ustream viewers selection -'''
| CD
| RZCM-59041
|-
! 9th
| 2013年1月30日
| '''[[The best of THREE live in Japan & Korea]]'''
| [[音楽配信]]
|
|-
! 10th
| 2013年12月11日
| '''Playing the Orchestra 2013'''
| CD
| RZCM-59475
|-
! 11th
| 2015年3月24日
| '''Playing the Orchestra 2014'''
| CD
| RZCM-59835
|-
! 12th
| 2021年12月12日
| '''Playing the Piano 12122020'''
| CD
| RZCM-77479
|-
! 13th
| 2024年12月11日
| '''Opus'''
| CD
| RZCM-67100
|}
 
==== ベスト・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | [[アルファレコード]]
|-
! 1st
| 1982年
| |'''決定版 坂本龍一 ベストセレクション'''
| [[コンパクトカセット|CT]]
| ALC-30002
|-
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]]
|-
! rowspan="2"|2nd
| rowspan="2"|1989年9月22日
| rowspan="2"|'''[[グルッポ・ムジカーレ]]'''
| CD
| 32MD-1046
|-
| CT
| 30MT-1046
|-
! colspan="5" | [[日本コロムビア]]
|-
! 3rd
| 1992年12月21日
| '''Better Days Of RYUICHI SAKAMOTO'''
| CD
| COCA-10561
|-
! colspan="5" | [[ヴァージン・レコード|Virgin]]
|-
! 4th
| rowspan="2"|1993年3月31日
| '''[[ベスト・オブ・坂本龍一ヴァージン・トラックス]]'''
| CD
| VJCP-28160
|-
! 5th
| '''[[ベスト・オブ・坂本龍一サウンドトラックス]]'''
| CD
| VJCP-28161
|-
! colspan="5" | MIDI
|-
! 6th
| 1993年6月21日
| '''[[グルッポ・ムジカーレII]]'''
| CD
| MDCL-1237
|-
! 7th
| 1993年11月21日
| '''[[OPERA (アルバム)|OPERA]]'''
| CD
| MDCL-1261
|-
! -
| 1993年11月21日
| '''WORKS OF R.SAKAMOTO/坂本龍一ベスト・セレクション'''<ref group="注">通販限定</ref>
| CD
| FDCL-30276
|-
! colspan="5" | MESA
|-
! -
| 1994年
| '''Soundbytes'''<ref group="注" name=US/>
| CD
| R2 79075
|-
! colspan="5" | Virgin
|-
! 8th
| 1998年3月28日
| '''[[ザ・グレイテスト (坂本龍一のアルバム)|ザ・グレイテスト]]'''
| CD
| VJCP-51051
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! 9th
| 1998年4月22日
| '''[[the very best of güt years 1994-1997]]'''
| CD
| FLCG-3035
|-
! colspan="5" | 日本コロムビア
|-
! 10th
| 1999年9月18日
| '''坂本龍一の音楽〜Early Best Songs'''
| CD
| COCP-30628
|-
! colspan="5" | FOR LIFE / güt
|-
! 11th
| 2001年9月27日
| '''PURE BEST'''
| CD
| FLCF-3886
|-
! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン / WEA Japan
|-
! 12th
| rowspan="2"|2002年10月23日
| '''[[US (坂本龍一のアルバム)|US]]'''
| CD
| WPC6-10241/2
|-
! 13th
| '''[[UF (坂本龍一のアルバム)|UF]]'''
| CD
| WPC6-10243
|-
! colspan="5" | [[ソニー・クラシカル|Sony Classical]]
|-
! -
| 2003年11月11日
| '''moto.tronic'''<ref group="注" name=US/>
| CD+[[DVD]]
| SNYC93044
|-
! colspan="5" | [[日本コロムビア|コロムビアミュージックエンタテインメント]] / J-room
|-
! 14th
| 2004年9月22日
| '''Chronological Collection 1978-1981 [Columbia Years]'''
| CD
| COCB-53251/3
|}
 
==== リミックス・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | [[アルファレコード]]
|-
! 1st
| 1991年11月21日
| '''イン・ザ・ナインティーズ ザ・マーク・プラッティ・リミックス'''
| [[コンパクトディスク|CD]]
| ALCA-229
|-
! colspan="5" | [[メディア・レモラス|ヴァージン・ジャパン]]
|-
! 2nd
| 1992年1月21日
| '''ハートビート〜リミクシーズ'''
| CD
| VJCP-14037
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! 3rd
| 1994年12月16日
| '''[[ハード・リヴェンジ]]'''
| CD
| FLCG-3006
|-
! 4th
| 1996年3月21日
| '''[[スヌーティー]]'''
| CD
| FLCG-3006
|-
! 5th
| 1999年2月24日
| '''DISCORD gütninja remixes'''
| CD
| FLCG-3041
|-
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan
|-
! -
| 1999年9月12日
| '''[[LIFE IN PROGRESS]]'''
| CD
| WPC6-10035/6
|-
! -
| 2002年2月27日
| '''コミカ'''
| CD
| WPC6-10194
|-
! colspan="5" | ワーナーミュージック・ジャパン
|-
! 6th
| 2006年5月24日
| '''[[ブリコラージュ (アルバム)|ブリコラージュ]]'''
| CD
| WPCL-10315
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! 7th
| 2017年12月13日
| '''ASYNC REMODELS'''
| CD
| RZCM-86410
|}
 
==== ミニ・トリビュートアルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
* オネアミスの翼〈イメージスケッチ〉(1987年)
!
* Music For Yoji Yamamoto Collection 1995(1996年)
! 発売日
! タイトル
! 規格
! [[規格品番]]
|-
! colspan="5" | グリーンエナジー
|-
! 1st
| 2005年5月10日
| '''music plans skmt tribute'''
| [[コンパクトディスク|CD]]
| GECA-1106
|-
! colspan="5" |electric sheep
|-
! 2nd
| 2012年1月17日
| '''Ryuichi Sakamoto Tribute'''
| CD
| ELSP-0011
|-
! colspan="5" |'''[[commmons]]'''
|-
! 3rd
| 2022年11月30日
| '''A TRIBUTE TO Ryuichi Sakamoto - TO THE MOON AND BACK'''
| CD
| RZCM-77623
|-
! 4th
| 2024年5月29日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 1'''
| LP
| RZJM-77981
|-
! 5th
| 2024年7月31日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 2'''
| LP
| RZJM-77982
|-
! 6th
| 2024年9月25日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 3'''
| LP
| RZJM-77983
|-
! 7th
| 2024年11月27日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 4'''
| LP
| RZJM-77984
|-
! 8th
| 2025年1月29日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 5'''
| LP
| RZJM-77985
|-
! 9th
| 2025年3月26日
| '''Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music" Vol. 6'''
| LP
| RZJM-77986
|}
 
==== ベストコンピレーション・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
* [[グルッポ・ムジカーレ]](1989年[[9月22日]])
!
* 決定版・坂本龍一 ベストセレクション(1990年)
! 発売日
* [[グルッポ・ムジカーレII]](1993年[[6月21日]])
! タイトル
* [[ベスト・オブ・坂本龍一ヴァージン・トラックス]](1993年[[3月31日]])
! 規格
* [[ベスト・オブ・坂本龍一サウンドトラックス]](1993年[[3月31日]])
! [[規格品番]]
* [[OPERA (アルバム)|OPERA]](1993年[[11月21日]])
|-
* WORKS OF R.SAKAMOTO(1993年)※The CD CLUB(通販)
! colspan="5" | [[ワーナーミュージック・ジャパン]] / WEA Japan
* Soundbytes(1994年)※海外盤のみ
|-
* [[ベリー・ベスト・オブ・グート]](1998年[[4月22日]])
! 1st
* COMPLETE INDEX OF GÜT (1999年)※DISC4に未発表曲6曲収録。
*| ピュア・ベスト(20012002[[9102723]])
| '''[[CM/TV]]'''
* [[US (坂本龍一のアルバム)|US]]([[2002年]][[10月23日]])
| [[コンパクトディスク|CD]]
* [[UF (坂本龍一のアルバム)|UF]](2002年10月23日)
| WPC6-10244
* [[CM/TV]](2002年10月23日)
|-
* ワークスI - CM(2002年)
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]]
* ワークスII - TV/Inst(2002年)※このシリーズでは、1980年から1985年に発表の作品を中心に収録。
|-
* moto.tronic(2003年)※海外盤のみ
! 2nd
| rowspan="2"|2002年11月20日
| '''[[WORKS I - CM]]'''
| CD
| MDCL-1437
|-
! 3rd
| '''[[WORKS II - TV/Inst.]]'''
| CD
| MDCL-1438
|-
! colspan="5" | [[commmons]]
|-
! 4th
| 2015年1月17日
| '''Year Book 2005-2014'''
| CD
| RZCM-59752/3
|-
! 5th
| 2016年1月17日
| '''Year Book 1971-1979'''
| CD
| RZCM-86035/7
|-
! 6th
| 2017年3月29日
| '''Year Book 1980-1984'''
| CD
| RZCM-86229
|-
! 7th
| 2018年2月28日
| '''Year Book 1985-1989'''
| CD
| RZCM-86486/90
|-
! colspan="5" | [[ソニー・ミュージックダイレクト|Sony Music Direct]] / GREAT TRACKS
|-
! 8th
| 2020年7月22日
| '''GREAT TRACKS'''
| [[レコード#LP盤|LP]]
| MHJL-139
|-
! colspan="5" | commmons
|-
! 9th
| 2023年5月3日
| '''TRAVESIA RYUICHI SAKAMOTO CURATED BY INARRITU'''
| CD
| RZCM-77722
|}
 
==== リミBOXセクス・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
* RYUICHI SAKAMOTO IN THE '90S(1991年)
!
* ハートビート 〜リミクシーズ〜(1991年)
! 発売日
* [[ハード・リヴェンジ]](''Hard Revenge'', 1994年)
! タイトル
* [[スヌーティー]](''Snooty'', 1996年)
! 規格
* ディスコード グートニンジャ・リミキシーズ(''Discord gütninja remixes'', 1999年)
! [[規格品番]]
* [[LIFE IN PROGRESS]](1999年)
|-
* music plans skmt tribute(2005年)
! colspan="5" | [[ミディ|MIDI]]
* [[ブリコラージュ (アルバム)|ブリコラージュ]](''Bricolages'', 2006年)
|-
*ASYNC REMODELS(2017年)
! rowspan="2" |1st
| 1990年12月1日
| rowspan="2" |'''坂本龍一コレクション'''
| rowspan="2" |[[コンパクトディスク|CD]]
| MDCZ-1123/30
|-
| 1993年5月21日
| MDCZ-1215/24
|-
! colspan="5" | [[フォーライフ・レコード|FOR LIFE]] / güt
|-
! 2nd
| 1999年8月21日
| '''COMPLETE INDEX OF GÜT'''
| CD
| FLCG-3042
|-
! colspan="5" |[[フォーライフミュージックエンタテイメント|FLME]] / güt
|-
! 3rd
| 2012年11月28日
| '''坂本龍一 Complete güt BOX'''
| CD
| FLCG-5001
|}
 
==== 坂本龍一によるクイヴシック・アーティストのセレクション・アルバム ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
* [[メディア・バーン・ライヴ]](''Media Bahn Live'', [[1986年]])
!
* [[プレイング・ジ・オーケストラ]](''Playing the Orchestra'', [[1988年]])
! 発売日
* “スウィート・リヴェンジ”ツアー1994(''"Sweet Revenge" tour 1994'', [[1994年]])
! タイトル
* [[Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996]]([[1996年]])
! 規格
* [[RAW LIFE OSAKA]]([[1999年]])
! [[規格品番]]
* [[RAW LIFE TOKYO]]([[1999年]])
|-
* CINEMAGE(1999年)※海外盤のみ
! colspan="5" | [[ソニー・クラシカル|Sony Classical]]
* [[AUDIO LIFE]]([[2000年]])
|-
* [[イン・ザ・ロビー・アット・G.E.H.・イン・ロンドン]](''In The Lobby At G.E.H. In London'', [[2001年]])
! 1st
* [[プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン]](''Playing the Piano 2009 Japan'', [[2009年]])
| 2008年12月24日
* [[playing the piano usa 2010 korea 2011 - ustream viewers selection -]], [[2011年]]
| '''グレン・グールド 坂本龍一セレクション'''
* Playing the Orchestra 2013 (2013年)
| CD
|SICC-1109
|-
! 2nd
| 2009年12月2日
| '''グレン・グールド 坂本龍一セレクション バッハ編'''
| CD
| SICC-1268
|-
! colspan="5" |[[ドイツ・グラモフォン|Deutsche Grammophon]]
|-
! 3rd
| 2018年12月05日
| '''ドイツ・グラモフォン ベスト・オブ・ベスト selected by 坂本龍一'''
| CD
| UCCG-1824
|-
! colspan="5" |[[commmons]]
|-
! 4th
| 2018年12月19日
| '''坂本龍一 選 耳の記憶 前編'''
| CD
| RZCM-86712
|-
! 5th
| 2019年01月30日
| '''坂本龍一 選 耳の記憶 後編'''
| CD
| RZCM-86715
|}
 
=== セルフカヴァー・タイルバムップ一覧 ===
<!-- 『UF』『CM/TV』『ワークスI - CM』『ワークスII - TV/Inst』は割愛。 -->
* [[1996 (アルバム)|1996]](1996年)
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
* [[:/04]](2004年)
|-
* [[:/05]](2005年)
!楽曲
* THREE(2012年)
!タイアップ
* THREE Deluxe Edition(2013年)海外盤のみのリリース。附属のDVDは日本ツアーの物販のEUツアーのブルーレイディスクと同内容。収録はドイツのHamburg(ハンブルク)とKarlsruhe(カールスルーエ)の2公演から。
!収録作品
|-
| きみについて
| [[日本生命保険|日本生命]]「新・青春の保険『YOU』」CMソング
| rowspan="3"|アルバム『[[音楽図鑑]]』
|-
| M.A.Y. IN THE BACKYARD
| rowspan="2"|[[セイコーグループ|セイコー]]『アルバサクセス』CMソング
|-
| マ・メール・ロワ
|-
| RISKY
| [[日産・セドリック#7代目 Y31型系(1987年 - 2014年)|NISSANセドリック]]・イメージソング
| シングル「RISKY」
|-
| アンドゥ#1
| [[サッポロビール|サッポロ]]・ドラフト・CF・イメージソング
| シングル「[[アンドゥ#1]]」
|-
| ユー・ドゥ・ミー
| [[日本電気|NEC]]春のCライフフェア キャンペーンテーマソング
| シングル「[[ユー・ドゥ・ミー]]」
|-
| トゥリストゥ
| [[三菱地所]]CMイメージ・ソング
| rowspan="2"|アルバム『[[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]]』
|-
| エピローグ
| [[サントリー]]・[[ウイスキー]]“[[響 (ウイスキー)|響]]”CMイメージ・ソング
|-
| 1919
| [[三菱電機|MITSUBISHI]]携帯電話デジタル・ディーガ/カラー・ディスプレイモニターTV CF SONG
| シングル「[[08/21/1996]]」
|-
| El Mar Mediterrani
| [[1992年バルセロナオリンピック|1992年バルセロナ・オリンピック]]開会式“地中海のテーマ”
| シングル「El Mar Mediterrani」
|-
| energy flow
| [[三共 (製薬会社)|三共]]『[[リゲイン]]EB錠』CM曲
| rowspan="3"|シングル「[[ウラBTTB]]」
|-
| put your hands up (piano version)
| [[TBSテレビ|TBS]]系テレビ『[[筑紫哲也 NEWS23]]』テーマソング
|-
| 鉄道員 (piano version)
| 映画『[[鉄道員 (小説)|鉄道員]]』主題歌
|-
| Ngo
| [[ニューバランス|new balance]] CMテーマ曲
| シングル「[[アンダークールド]]」
|-
| koko
| [[日本郵政|JP日本郵政グループ]] [[郵便事業|郵便事業株式会社]]『[[2008年|平成二十年]]用年賀キャンペーン』CMソング
| rowspan="2"|シングル「koko」
|-
| dancing in the sky
| [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]55周年記念企画『[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]+ルノワール展』テーマソング
|-
| aubade
| [[アサヒ飲料]]『[[三ツ矢サイダー]]』CMソング
| 配信限定シングル「aubade」
|-
| nord
| [[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン]] CMソング
| シングル「nord」
|-
| Ieta
| コンタクトレンズ「CREO」CMソング
| 配信限定シングル「Ieta」
|}
 
=== 非売品レコード・CD・ファイル ===
*# [[レキシントン・クィーン)WAR HEAD|LEXINGTON QUEEN]](六本木「[[{{仮リンク|LEXINGTON QUEEN]]|en|Lexington Queen}}, 1980年)
*# い・け・な・い ルージュマジック(資生堂、1982年)※B)※ B面は「インスツルメンタル(表記通り)」7インチシングル
*# LIFE IN JAPAN(日本生命、1983年)※12)※ 12インチシングル(※ (※後にVocal版が『音楽図鑑 完璧版』、ベストアルバム「CM/TV」と「Works」シリーズに収録。)
*# 空に会おうよ&プロローグ・大地の詩/フェスタ・エリカの夢(国際科学技術博覧会 住友館、1985年)
 ※#* 「空にあおうよ」はモモの歌入り。作詞は矢野顕子。7インチシングル(※ (※後に「Works」シリーズに収録。)
*# COMPUTE, COMPUTE, COMPUTE(京セラ、1987年)
*# THE GARDEN(TOKIO KUMAGAI、1989年)
*# FLOATING ALONG(日産自動車)
*# YOU DO ME(NEC)※ME (NEC) ※ 音源は市販されたものと同じ。
*# THE IMAGE MUSIC(鹿島建設)
*#コンピューターおばあちゃん ※NHK NHK「[[みんなのうた]]」のBGMで編曲のみ。
*# The Fantasy of Light & Life(Expo '90電力館、1990年)プロデュースのみ。音楽は小久保隆が担当。
*# The Heart of Asia(Cathay Pacific、1994年) ※)※「CM/TV」に収録されているテイクはM5のreprise。M1は4:14
*# snooty抜粋3曲入りプロモ(1996年)※ 短冊7cmシングル
*# COMPLETE INDEX OF GÜT抜粋5曲入りプロモ(1999年)
*# [[GEM (坂本龍一のアルバム)|GEM]](2002年)※ 非売品(2002年に発売されたベストアルバム「US」「UF」「CM/TV」の初回盤のみの特典として、応募券3枚を集め送るともらえた“坂本龍一お宝音源”を収録したCD)
*# WORLD CITIZEN - i won't be disappointed(music for J-WAVE、2003年)※ 坂本本人のナレーションと曲紹介から始まるショートヴァージョン。
*# ASIENCE(花王、2004年)※M2)※ M2のstring quartet ver.は未発表
*# +33(ルイ・ヴィトン)※ 後に「/04」に収録された。
*# The Land Song(六本木ヒルズ)※後に無償配信された。
*# 26-Windb theme rev nobell (2005nobell(2005)※nokia8801)※ nokia8801に添付されているCD-Rに音楽ファイルとして収録。
*# wind, cypresses & absinthe(2012年)※「メトロポリタン美術館展」テーマ曲。図録に添付。
*# Blu (2014Blu(2014) ※)※「洋服の青山」CM曲
*# Whitescape #1&#2 (2014)2(2014年)※ 札幌国際芸術祭2014のホームページ用サウンド
*# XSOL CM TUNE(2014)TUNE(2014年)※ ※22曲がXSOLのHPよりDLが出来サイトからダウンロードできた。1曲のタイトルは「Urlicht」
*# Music for Fashion Museum (2013) ※Museum(2013年)※「ISETAN」リニューアル後の正面入り口のウェルカム曲
*# 命の循環(2014年)※ (2014) ※NHKNHK for SchoolのダンゴムシのBGM
 
=== TVテレビなどのサウンド・トラック ===
*# アリスの叛乱(演劇、脚本・監督:[[高取英]]、1978年)
# [[NHKニュースワイド]]初代テーマ曲(1980年 - 1983年)
* [[天外魔境 ZIRIA]](1989年)※メインテーマを含む計3曲を提供
# [[YOU (テレビ番組)]]テーマ曲(NHK教育TVで1982年 - 1987年放送)
* ピーチ・ボーイ -[[桃太郎]]-(''Peach Boy - Momotaro -'', 1992年)※童話「桃太郎」の英語朗読([[シガニー・ウィーバー]])のバックに流れる音楽を担当
# [[天外魔境 ZIRIA]](1989年)※ メインテーマを含む計3曲を提供
* ワイルド・パームス(''Wild Palms'', 1992年)※アメリカのテレビドラマのサウンドトラック。
# ピーチ・ボーイ -[[桃太郎]]-(''Peach Boy - Momotaro -'', 1992年)※ 童話「桃太郎」の英語朗読([[シガニー・ウィーバー]])のバックに流れる音楽を担当
* [[ストーカー 逃げきれぬ愛]](1997年)
# ワイルド・パームス(''Wild Palms'', 1992年)※ アメリカのテレビドラマのサウンドトラック。
* [[セガゲームス|セガ]]・[[ドリームキャスト]]サウンドロゴ(1998年)※いわゆる起動音
# Music For Yoji Yamamoto Collection 1995(1996年)
* L.O.L(''Lack of Love'', 2000年)※[[ドリームキャスト]]のゲーム「Lack of Love」の音楽。坂本はゲーム自体のプロデュースも行っている。
# [[ストーカー 逃げきれぬ愛]](1997年)
* ロスト・チャイルド(Lost Child, [[2000年]])
# [[セガ]]・[[ドリームキャスト]]サウンドロゴ(1998年)※ 起動音
* [[永遠の仔]](2000年)※2曲に使用
# L.O.L(''Lack of Love'', 2000年)※ [[ドリームキャスト]]のゲーム「Lack of Love」の音楽。坂本はゲーム自体のプロデュースも行っている。
* 変革の世紀(''Henkaku No Seiki - Changing Century'', [[2002年]])※NHKの同名番組のテーマ曲。
# ロスト・チャイルド(Lost Child, 2000年)
* [[不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)|不毛地帯]]([[2009年]])※メインテーマ。
# [[永遠の仔]](2000年)※ 2曲に使用
* [[大河ドラマ]]・[[八重の桜]]([[2013年]])※オープニングのテーマ音楽のみ。
# エレファンティズム(2002年)※ 同名のDVD BOOKのサウンドトラック
* 朝日放送オープニングテーマ曲([[1990年]]。[[朝日放送テレビ]]は1990年 - [[1998年]]、[[朝日放送ラジオ]]は[[1992年]] - [[2014年]]の間使用)
# 変革の世紀(''Henkaku No Seiki - Changing Century'', 2002年)※ NHKの同名番組のテーマ曲
# [[聖剣伝説4]](2006年)メインテーマ「Dawn of Mana」
# [[不毛地帯 (テレビドラマ 2009年)|不毛地帯]](2009年)※ メインテーマ
# [[大河ドラマ]]・[[八重の桜]](2013年)※ オープニングの「メインテーマ」、「八重のテーマ」、「八重の桜 紀行」のみ。
# 朝日放送オープニングテーマ曲(1990年。[[朝日放送テレビ]]は1990年 - 1998年、[[朝日放送ラジオ]]は1992年 - 2014年の間使用)
# [[きょうの猫村さん#テレビドラマ|きょうの猫村さん]](2020年、[[テレビ東京]])※ オープニングテーマ「猫村さんのうた」の作曲も担当(作詞:[[U-zhaan]]、歌:[[松重豊]])
# [[日本沈没|日本沈没2020]](Webアニメ、監督:[[湯浅政明]]、2020年、[[Netflix]])※ 主題歌「a life」の作曲を担当(作詞、歌:[[大貫妙子]])
# エクセプション(Webアニメ、監督:サトウユーゾー、2022年、Netflix<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/493397|title=安達寛高×天野喜孝のアニメ「エクセプション」に小林親弘ら、音楽は坂本龍一が担当|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-13|accessdate=2022-09-13}}</ref>)<!-- 2022-10-13 -->
# [[NHKスペシャル]]「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」(2023年2月26日放送)※ 番組終了時の音楽担当
 
=== 映画音楽 ===
* [[戦場のメリークリスマス]](''Merry Christmas Mr Lawrence'', 1983年) - [[英国アカデミー賞]]受賞
** 戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition-(2013年)- 未発表ヴァージョンを多数収録してリマスタリングで2枚組[[SHM-CD]]仕様でリリース。リマスタリング・エンジニアは、[[オノセイゲン]]が担当。
{{Main|メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス}}
* [[子猫物語]](''Adventures of Chatran'', 1986年)
* [[王立宇宙軍 オネアミスの翼|王立宇宙軍〜オネアミスの翼]](''Aile De Honneamise - Royal Space Force'', 1987年)
** オネアミスの翼〈イメージスケッチ〉(1986年)
* [[ラストエンペラー]](''The Last Emperor'', 1988年) - 米[[アカデミー賞]]<ref group="注" name="movie">[[#外部リンク|外部リンクに映像]]</ref>、[[ロサンゼルス映画批評家協会賞|LA映画批評家賞]]、[[ゴールデングローブ賞]]、[[グラミー賞]]受賞。
* [[ラストエンペラー]](''The Last Emperor'', 1988年)- 米[[アカデミー賞]]<ref group="注" name="movie"/>、[[ロサンゼルス映画批評家協会賞|LA映画批評家賞]]、[[ゴールデングローブ賞]]、[[グラミー賞]]受賞。
{{Main|ラストエンペラー (サウンドトラック)}}
* [[ブラック・レイン]](1989年)※1)※ 1曲使用
* [[侍女の物語#映画|侍女の物語]](''The Handmaid's tale'', 1990年)
* [[シェルタリング・スカイ]](''The Sheltering Sky'', 1991年) - ゴールデングローブ賞、LA映画批評家賞受賞
{{Main|シェルタリング・スカイ (サウンドトラック)}}
* [[ハイヒール (映画)|ハイヒール]](''High Heels'', 1991年)
* [[嵐が丘 (1992年の映画)|嵐が丘]](''The Wuthering Heights'', 1992年)
* [[リトル・ブッダ]](''Little Buddha'', 1993年) - グラミー賞ノミネート
{{Main|リトル・ブッダ (サウンドトラック)}}
* [[ワイルド・サイド]](''Wild Side'', 1995年)
* [[スネーク・アイズ (1998年の映画)|スネーク・アイズ]](''Snake Eyes'', 1998年)
* [[愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像]](''Love is the Devil - Study for a portrait of Francis Bacon -'', 1999年)
* [[鉄道員 (小説)|鉄道員(ぽっぽや)]](''Poppoya'', 1999年)※ 主題歌のみ
* [[御法度 (映画)|御法度]](''Gohatto'', 1999年)
{{Main|御法度 (サウンドトラック)}}
* [[アレクセイと泉]](''Alexei and the Spring'', 2002年)
* [[ファム・ファタール (映画)|ファム・ファタール]](''Femme Fatale'', 2002年)
{{Main|ファム・ファタール (サウンドトラック)}}
* [[ジャック・デリダ#映画|デリダ]](''Derrida'', 2003年)
* Life is Journey(2003年)
* Rubios,Los(2003年)
* [[アップルシード]](2004年)※ アルバム『[[キャズム (アルバム)|キャズム]]』収録の「coro」が使用されている。
* [[トニー滝谷]](''TONY TAKITANI'', 2004年)※ サウンドトラックのリリースは2007年。
{{Main|トニー滝谷 (サウンドトラック)}}
* [[:en:Original Child Bomb(2004Bomb|Original Child Bomb]](2004年)
* Peach One Day(2004年)※ アルバム『[[ハートビート (坂本龍一のアルバム)|ハートビート]]』収録の「nuages」が使用されている。
* Zarin(2005年)
* [[星になった少年]](''Shining Boy & Little Randy'', 2005年)
{{Main|星になった少年 (サウンドトラック)}}
* [[バベル (映画)|バベル]](''Babel'', 2006年)※ オリジナル・アルバムより3曲使用されている。
* [[シルク (2007年の映画)|シルク]](''SILK'', 2008年)
{{Main|シルク (サウンドトラック)}}
* women[[:en:Women withoutWithout men(2008Men (2009 film)|Women Without Men]](2008年) - [[ヴェネツィア国際映画祭]]銀獅子賞(監督賞)受賞。
* [[一命]](2011年)
* [[新しい靴を買わなくちゃ]](2012年)※ [[コトリンゴ]]との共作。サントラ14曲中6曲収録。
* ショート・ムービー「アンジュール」(2012年)メイン・テーマ曲のバッハ/グノー:アヴェ・マリアを、グレン・グールドの演奏(1962年)・宮本笑里のヴァイオリン・坂本龍一のシンセサイザーでスーパーインポーズした録音。
* 戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition-(2013年)
** 未発表ヴァージョンを多数収録してリマスタリングで2枚組[[SHM-CD]]仕様でリリース。リマスタリング・エンジニアは、[[オノセイゲン]]が担当。
* [[母と暮せば]](2015年)
* [[レヴェナント: 蘇えりし者]](''The Revenant'', 2016年)<ref>{{Cite news |url= httphttps://www.daily.co.jp/gossip/2015/10/13/0008478464.shtml |title= 坂本龍一 オスカー獲得監督と夢タッグ |newspaper= デイリースポーツ online |publisher= 株式会社デイリースポーツ |date= 2015-10-13 |accessdate= 2015-10-13 }}</ref> - ゴールデングローブ賞ノミネート<ref>{{Cite news |url= httphttps://www.cinematoday.jp/pagenews/N0078746 |title= 坂本龍一、ゴールデン・グローブ賞にノミネート!自身3度目の快挙 |newspaper= シネマトゥデイ |publisher= 株式会社シネマトゥデイ |date= 2015-12-10 |accessdate= 2015-12-11 }}</ref>。
* [[怒り (小説)#映画|怒り]](2016年)<ref>{{citeCite news |url=httphttps://natalie.mu/music/news/191043 |title=坂本龍一が映画「怒り」音楽を担当、主題曲には2CELLOSが参加 |newspaper=音楽ナタリー |date=2016-06-16 |accessdate=2016-06-16}}</ref>
* [[日本と再生 光と風のギガワット作戦]](2017年) - [[新垣隆]]と共作エンディングテーマ
* [[米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー]](2017年) - テーマ音楽
* [[星砂物語#映画|STAR SAND-星砂物語-]](2018年) - 主題曲
* [[天命の城]](南漢山城、2018年)
* [[さよなら、ティラノ]](''My Tyrano: Together, Forever''、2018年<ref>{{cite web ja |url=https://www.sayonara-tyrano.jp/ |title=『さよなら、ティラノ』オフィシャルサイト |accessdate=2020-01-30}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/comic/news/365147 |title=劇場アニメ「さよなら、ティラノ」が初夏公開!ティラノ役に三木眞一郎、音楽は坂本龍一 |newspaper=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2020-01-30 |accessdate=2020-01-30}}</ref>)
* [[你的臉]] (Your Face)(2018年)
* [[パラダイス・ネクスト]](2019年) - テーマ曲
* [[米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯]](2019年) - テーマ音楽
* [[:en:Love After Love (2020 film)|Love After Love]](2020年)
* [[MINAMATA-ミナマタ-]](2021年)
* [[約束の宇宙]](''Proxima'', 2021年4月)<ref>{{cite web ja |date=2020-12-03|url=https://eiga.com/news/20201203/9/|title=エバ・グリーン主演、坂本龍一が音楽を手掛けた「約束の宇宙」21年4月公開 娘を持つ宇宙飛行士の物語|website=[[映画.com]]|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|accessdate=2020-12-06}}</ref>
* [[ベケット (2021年の映画)|ベケット]](''Beckett'', 2021年)
* [[アフター・ヤン]](''After Yang'', 2021年)
* [[怪物 (2023年の映画)|怪物]](2023年)
 
=== バンド・ユニット・コラボ活動 ===
YMOについては[[イエロー・マジック・オーケストラ]]の項を参照。
* ディスアポイントメント・ハテルマ(''Disappointment - Hateruma'', [[土取利行]]+坂本龍一, [[1976年]])
* 東京ジョー(''[[:en:Tokyo Joe (album)|Tokyo Joe]]'', 坂本龍一&[[渡辺香津美]], 1978年)
* [[サマー・ナーヴス]](''SUMMER NERVES'', 坂本龍一&カクトウギ・セッション, [[1979年]])
** [[山下達郎]]、[[大村憲司]]、[[吉田美奈子]]、[[小原礼]]などとのコラボレーション。
* [[い・け・な・いルージュマジック]]([[忌野清志郎]]+坂本龍一, 1982年)※ シングル
* [[東京ジョー (アルバム)|東京ジョー]](''[[:en:Tokyo Joe (album)|Tokyo Joe]]'', 坂本龍一&[[渡辺香津美]], 1982年)
* エンド・オブ・エイジア(''the End of Asia'', 坂本龍一+[[ダンスリールネサンス合奏団|ダンスリー]], 1982年)
* アレンジメント(''THE ARRANGEMENT'', 坂本龍一&{{仮リンク|ロビン・スコット|en|Robin Scott (singer)}}), 1982年)
* バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック(''Bamboo Houses/Bamboo Music'', [[デヴィッド・シルヴィアン]]&リュウイチ・サカモト, 1982年)※ シングル
* 禁じられた色彩(''[[:en:Forbidden Colours|Forbidden Colours]]'', リュウイチ・サカモト&[[デヴィッド・シルヴィアン]], 1983年)※ シングル
* [[フィールドワーク (曲)|フィールドワーク]](''Field Work'', [[トーマス・ドルビー]]&坂本龍一, 1985年)※ シングル,12インチシングル
* [[ZERO LANDMINE|ゼロ・ランドマイン]](''ZERO LANDMINE'', [[N.M.L.]], 2001年)※ シングル
* カーザ(''CASA'', モレレンバウム<{{sup>|2</sup>}}/サカモト, 2001年)
* ライヴ・イン・トーキョー・2001(''LIVE IN TOKYO 2001'', モレレンバウム<{{sup>|2</sup>}}/サカモト, 2001年)
* ア・デイ・イン・ニューヨーク(''A DAY IN NEW YORK'', モレレンバウム<{{sup>|2</sup>}}/サカモト, 2003年)
* ワールド・シチズン(''WORLD CITIZEN - i won't be disappointed'', 坂本龍一+[[デヴィッド・シルヴィアン]], 2003年)※ シングル
* vrioon([[alva noto]]+Ryuichi Sakamoto, 2003年)
* insen(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
* Sala Santa Cecilia([[クリスチャン・フェネス|Christian Fennesz]]+Ryuichi Sakamoto, 2005年)
* revep(alva noto+Ryuichi Sakamoto, 2006年)
* cendre(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2007年[[3月28日]])※ [[クリスチャン・フェネス]]とのユニット
* Ocean Fire(WILLITS+SAKAMOTO, 2007年[[10月17日]])※ クリストファー・ウィリッツとのユニット
* Ancient Future(WILLITS+SAKAMOTO, 2012年[[7月31日]])※ クリストファー・ウィリッツとのユニット
* [[UTAU (アルバム)|UTAU]] ([[2010年]][[11月10日]])–) - 大貫妙子&坂本龍一
** 2枚組は坂本龍一のピアノのみの楽曲が収録。
* flumina(fennesz+sakamoto(フェネスサカモト), 2011年8月3日)※ クリスチャン・フェネスとのユニット
* Disappearance (Ryuichi Sakamoto + [[:en:Taylor Deupree]] , 2013年7月10日)
* Snow, Silence, Partially Sunny (SachikoSunny(Sachiko M + Ryuichi Sakamoto, 2012年12月19日)
** 山口情報芸術センター(YCAM)(YCAM)のみの限定販売。
 
=== その他アーティストとのコラボレーション ===
* 「誰も僕の絵を描けないだろう」([[友部正人]]、[[1975年]])
* 「物語のようにふるさとは遠い」([[富岡多恵子]]、[[1976年]])
* 「終曲/うらはら」([[Phew]]、[[1980年]])※ シングル
* 「[[死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!]]」([[スネークマンショー]]、[[1981年]])※ [[エリック・サティ]]「[[ジムノペディ]]」の演奏を収録。
* 「愛はすべてを赦す」([[加藤登紀子]]、[[1982年]])
* 「な・い・し・ょのエンペラーマジック」(TACO、[[1983年]])※ 山崎春美が率いたユニットとのコラボレーションでアルバム『TACO』に収録
* 「ネイヂ・カンドリーナ (Neide Candolina)」、「うつくしいおまえ (Lindeza)」([[カエターノ・ヴェローゾ]]、[[1991年]])※ アルバム『[[シルクラドー]]』に収録。
* 「タイナイカイキII」(坂本龍一 / [[デヴィッド・シルヴィアン]]、 1992年)※ 海外盤タイトルは「heartbeat」
* 「ASIAN GAMES」([[山下洋輔]]、[[ビル・ラズウェル]]、[[1993年]])
* 「[[二人の果て]]」(坂本龍一 featuring [[今井美樹]]、1994年)
* 「Sovereign」([[アート・リンゼイ]]、[[1995年]])※アルバム『曖昧な存在』に収録。
* 「VOLTEX OF LOVESovereign」([[小室哲哉アート・リンゼイ]]、[[1995年]])※ アルバム『[[Avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP]]曖昧な存在』に収録
* 「RETROFITVOLTEX OF LOVE」([[佐藤理小室哲哉]]、1995年)※ アルバム『EQUAL[[Avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP]]』に収録
* 「RETROCOGNITIONRETROFIT」([[佐藤理]]、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録
* 「RETROCOGNITION」(佐藤理、1995年)※ アルバム『EQUAL』に収録
* 「A Flower Is Not A Flower」([[KENNY WEN]]、1997年)
* 「[[The Other Side of Love]]」(坂本龍一 featuring [[坂本美雨|Sister M]]、1997年)
* 「[[桜のころ]]」([[甲本ヒロト]]、[[What's Love? (バンド)|What's Love?]]、[[ダンス☆マン|DANCE☆MAN]]とのコラボレーション、[[2002年]])
* 「I WANNA BE DOWN」([[m-flo砂の果実]]」(中谷美紀 loveswith 坂本龍一、[[20041997]])※アルバム『[[ASTROMANTIC]]』に収録。
* 「[[桜のころ]]」([[甲本ヒロト]]、[[What's Love? (バンド)|What's Love?]]、[[ダンス☆マン|DANCE☆MAN]]とのコラボレーション、2002年)
* 「Asian Flower」([[トベタ・バジュン]] feat. 坂本龍一、[[2008年]])※アルバム『青い蝶』に収録。
* 「I WANNA BE DOWN」([[m-flo]] loves 坂本龍一、2004年)※ アルバム『[[ASTROMANTIC]]』に収録
* 「Asian Flower」([[トベタ・バジュン]] feat. 坂本龍一、2008年)※ アルバム『青い蝶』に収録
* 「死んだ女の子」([[元ちとせ]])
* 「[[雪の降るまちを]]」([[手嶌葵]])
* 「風追い人」 (ACIDMAN)
* 「A Word I Give」([[キース・ケニフ|Goldmund]]、[[2015年]])※アルバム『Sometimes』に収録
* 「Snooze」([[SUGA|Agust D]] feat. Ryuichi Sakamoto, Woosung of the Rose、2023年)※アルバム『[[D-DAY (アルバム)|D-DAY]]』に収録
 
=== 映像作品 ===
* 電子の拓本 ALL STAR VIDEO (VIDEO(現代美術家・[[ナム・ジュン・パイク]]とのコラボレーション,1984年)
* Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto (フランス公共放送[[フランス3|FR3]]制作のドキュメンタリー映画, 1985年)
* TV WAR([[浅田彰]]、RADICAL TVとのコラボレーション, 1985年)
* ADELIE PENGUINS (ビデオアーティスト・[[キット・フィッツジェラルド]][[ポール・ギャリン]]とのコラボレーション, 1986年)
* ESPERANTO (前衛舞踏家・モリサ・フェンレイとのコラボレーション。アルバム「[[エスペラント (アルバム)|エスペラント]]」はこの、本のサウンドトラック
* MEDIA BAHN LIVE (1986LIVE(1986年)
* NEOGEO LIVE in NEW YORK(1988年)
* ビューティ・ツアー'90 (199190(1991)
* Sweet revenge Tour 1994 (19951994(1995)
* D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95D&L WITH 原田大三郎(映像作家・[[原田大三郎]]とのコラボレーション, 1996年)
* [[Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996 (1997]](1996)
* PLAYING THE ORCHESTRA 1997“f” (19981997“f”(1998)
* MORELENBAUM2 / SAKAMOTO / 3 years (DVDyears(DVDのみの1万枚限定生産。プライベートフォトやビデオを日記風に閲覧できる作品, 2003年)
* 坂本龍一・80年代の映像作品集(「電子の拓本 ALL STAR VIDEO」、「TV WAR」、「ADELIE PENGUINS」、「ESPERANTO」、「MEDIA BAHN LIVE」、「NEOGEO LIVE in NEW YORK」を収録した6枚組のDVD-BOX, 2004年)
* PLAYING THE PIANO/05 (2006年)
* PLAYING THE PIANO/05(2006年)
* LIFE - fluid, invisible inaudible...([[ダムタイプ|高谷史郎]]とのコラボレーション, 2008年)
* utp_ (Alva Notoとのコラボレーション, 2008年)
* watch-ryuichi sakamoto playing the piano 2009 japan(2009年に行われた東京オペラシティ コンサートホールでのライヴ, 2010年)
* UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO (2010SAKAMOTO(2010年末に開催された[[大貫妙子]]とのツアーの模様, 2011年)
* playing the piano in seoul / korea 2011 (20112011(2011年韓国からUstreamによる中継を編集したもの, 2012年)
* Ryuichi Sakamoto ❘ Trio Tour 2011 in Europe(2012年)
*async surround /坂本龍一 + 高谷史郎 (2018年)
* commmons schola: Live on Television vol. 1 Ryuichi Sakamoto Selections: schola TV(2010年、2011年放送[[スコラ 坂本龍一 音楽の学校]](NHK Eテレ)番組内で演奏した楽曲の中からセレクトして収録, 2012年)<ref>https://commmonsmart.com/products/rzbm-59095</ref>
* commmons schola: Live on Television vol.2 Ryuichi Sakamoto Selections: schola TV2(2010〜2014年放送[[スコラ 坂本龍一 音楽の学校]](NHK Eテレ)番組内で演奏した楽曲の中からセレクトして収録。また、特典映像として、映画音楽編ワークショップのために制作された2分程度の短編『猛暑物語』(監督:[[岩井俊二]])に坂本龍一が音楽をつけていくドキュメントが収録されている。2014年)<ref>https://commmonsmart.com/products/rzxm-59557</ref>
*細野晴臣×坂本龍一 at EX THEATER ROPPONGI 2013.12.21(2013年12月に開催された[[細野晴臣]]とのライブで、[[高橋幸宏]]もゲスト参加, 2015年)<ref>https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A019206/VIXL-138.html</ref>
* async surround /坂本龍一 + 高谷史郎(2018年)
* Opus(2024年)
{{節スタブ}}
 
== 書籍 ==
=== 単著 ===
*アヴェクピアノ 戦場のメリークリスマス」[[思索社]]([[1983年]])
** カセットブック。アルバム『[[メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス]]』の楽譜とピアノソロヴァージョンが収録されたカセットテープがセットとなったもの。後に2曲を加え『[[コーダ (坂本龍一のアルバム)|コーダ]]』として再発されるが新版
*本本堂未刊行図書目録: 書物の地平線」(』[[朝日出版社]]〈[[週刊本]])([[〉、1984年]]、[[朝日出版社]])
*『Seldom-illegal :illegal:時には、違法』[[角川書店]] 1989 のち年。[[角川文庫]]、1991年。
*『N/YY:坂本龍一写真集[[田島一成]]写真 リトルモア ブックス、1995
*Decode 20』[[インプレス([[1997年]]、1997年
*『AFRICA NOTE』code、2000年
* 「アフリカ・ノート」code([[2000年]])
*『BRAZIL BOX』code、2001年
* 「ブラジル・ボックス」([[2001年]])
*音楽は自由にする[[新潮社]]([[2009年。[[新潮文庫]]、2023年4月
**::「[[エンジン 坂本の(雑誌)|ENGINE]]」2007年1月号から2009年まで連載。半生をまとめた[[自叙伝]]
*『龍一語彙 二〇一一年-二〇一七年』角川書店、2017年11月。発言・発信録集
*『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023年6月
::「[[新潮]]」2022年7月号から2023年2月号まで連載。続編の遺著
 
=== 共著 ===
*『音を視る、時を聴く 哲学講義』[[大森荘蔵]]共著 朝日出版社 1982 のち年)。[[ちくま学芸文庫]]、2007年
* 「水牛楽団休業」([[浅田彰]]共編、1984年)。カセットブック
* 『長電話』([[高橋悠治]]との共著、本本堂 1984年/改訂復刊・空里香監修、坂本図書、2024年9月)
** カセットブック。
* 「長電話音楽図鑑([[高橋悠治]]との共著、本本堂 1984、1985
* 「音楽図鑑」([[1985年]])
** アルバム『[[音楽図鑑]]』と同時に発刊した書籍。
* 「EV.Café 超進化論」[[村上龍]]との共著、1985年、ほか([[講談社]]、1985年のち。[[講談社文庫 ]]、1989年
** 『[[IN★POCKET]]』に連載された対談集。
* 「音楽機械論」[[吉本隆明]]との共著、 [[1986年]])トレヴィル のち、1986年)。ちくま学芸文庫、2009年
**  『[[月刊カドカワ]]』に連載されたエッセイ。
*『未来派2009 : La velocita.i rumori.il movimento.』[[細川周平]]共編 本本堂 1986
* 「友よ、また逢おう」(村上龍共著、[[1992年角川書店]]、1992年角川書店 のち文庫、1993年
* 「ザ・ゲイシャ・ガールズ・ショウ 炎のおっさんアワー」(Ken&Shoとの共著、[[1995年]]、[[幻冬舎]]、1995年
* 「モニカ 音楽家の夢・小説家の物語」(村上龍共著、[[新潮社、1996年]]新潮社 のち文庫 、1999年
* 「skmt」([[後藤繁雄]]共著、リトル・モア、1999年)
*「少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話」([[天童荒太]]との共著、2001年)[[文芸春秋]] のち文庫
* 「skmt2」(後藤繁雄共著、[[NTT出版]]、2006年)。新編合本・[[ちくま文庫]]、2015年
*『[[ミヒャエル・エンデ|エンデ]]の警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来』[[河邑厚徳]]共編著 [[日本放送出版協会]] 2002
*「反定義少年とアフリカ 新たな想像音楽と物語、いのちと暴をめぐる対話」([[辺見庸天童荒太]]との共著、[[2002年文藝春秋]]、2001年「小説トリッパー」編集部編 朝日新聞社 のち。[[文春文庫]]、2004年
*『[[ミヒャエル・エンデ|エンデ]]の警鐘 地域通貨の希望と銀行の未来』[[河邑厚徳]]共編著([[NHK出版]]、2002年)
*『Skmt. 2』[[後藤繁雄]]共著 [[NTT出版]] 2006
*「反定義 新たな想像力へ」([[辺見庸]]との共著、朝日新聞社、2002年)「[[小説トリッパー]]」編集部編。[[朝日文庫]]、2005年
*「Life : fluid,invisible,inaudible…」([[高谷史郎]]共著、浅田彰監修 NTT出版 [[2007年]])
*「Life : fluid,invisible,inaudible…」(高谷史郎共著、浅田彰監修、[[NTT出版]]、2007年)
* 「縄文聖地巡礼」([[中沢新一]]との共著、[[2010年]])
*「縄文聖地巡礼」([[中沢新一]]との共著、木楽舎、2010年/イースト・プレス、2023年12月)
** 雑誌「ソトコト」に掲載された縄文文化に関する旅と対談をまとめた記事をさらに追記したもの。
*:雑誌「ソトコト」に掲載された縄文文化に関する旅と対談をまとめた記事をさらに追記したもの。
* 「LIFE-TEXT」(高谷史郎との共著、[[2010年]])
*「LIFE-TEXT」(高谷史郎との共著、NTT出版、2010年)
** [[1999年]]に発表されたオペラ「[[LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999|ライフ]]」と[[2007年]]の「インスタレーション」をまとめたビジュアルブック。
*:1999年に発表されたオペラ「[[LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999|ライフ]]」と2007年の「インスタレーション」をまとめたビジュアルブック。
*『いまだから読みたい本-3.11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選 [[小学館]] 2011
*『いまだから読みたい本 3.11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選 [[小学館]] 2011
*『クロニクルFukushima』[[大友良英]]著 [[宇川直宏]],[[遠藤ミチロウ]],[[木村真三]],[[丹治博志]]・智恵子・宏大,[[森彰一郎]],[[和合亮一]]共著 [[青土社]] 2011
*『クロニクルFukushima』 [[青土社]] 2011
*『脱原発社会を創る30人の提言』[[池澤夏樹]],[[池上彰]]ほか共著 コモンズ 2011
::[[大友良英]]代表、[[宇川直宏]],[[遠藤ミチロウ]],[[木村真三]],丹治博志・智恵子・宏大,森彰一郎,[[和合亮一]]共著
*『脱原発社会を創る30人の提言』[[池澤夏樹]]・[[池上彰]]ほか共著 コモンズ 2011
*『地球を聴く 3・11後をめぐる対話』[[竹村真一]]共著 [[日本経済新聞出版社]] 2012
*『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』編纂チーム共編 [[小学館]]スクウェア 2012
*『フクシマからはじめる日本の未来』大友良英,[[金子勝]],[[児玉龍彦]]共著 アスペクト 2012
::大友良英・[[金子勝 (経済学者)|金子勝]]・[[児玉龍彦]]共著
*『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』[[北野宏明]],浅田彰,[[伊藤穰一]],[[竹中直純]],[[赤尾健一]],[[塩崎恭久]] 述 スペースシャワーブックス 2013
*『村上龍と坂本龍一 21世紀のEV.Cafe』スペースシャワーブックス 2013
::[[北野宏明]]・浅田彰・[[伊藤穰一]]・[[竹中直純]]・[[赤尾健一]]・[[塩崎恭久]] 述
*『愛国者の憂鬱』[[鈴木邦男]]、[[週刊金曜日|金曜日]] 2014。対談を書籍化。
*『坂本龍一×[[東京新聞]] 脱原発とメディアを考える』東京新聞編集局編 2014
*『音楽と生命』[[福岡伸一]]、[[集英社]]、2023年3月。遺著
*『[https://www.sakamoto-library.com/ 坂本図書]』伊藤総研構成、空里香監修、坂本図書、2023年9月
*『坂本龍一のメディア・パフォーマンス マス・メディアの中の芸術家像』
::松井茂・川崎弘二編著、[[フィルムアート社]]、2023年9月。第2部にインタビュー
*『インタビュー:坂本龍一』[[リットーミュージック]]、2024年12月。記事集成
*『坂本龍一 ピアノへの旅』[[伊東信宏]]・[[上尾信也]]<ref>[https://artespublishing.com/shop/books/86559-301-3/ ピアノへの旅、アルテスパブリッシング]</ref>、アルテスパブリ、2024年12月
 
=== 監修・聞き書き等 ===
* 「[[未来派]]2009」(坂本龍一・[[細川周平]]と共同監修、[[本本堂、1986年]]
* 「気分転換法77」(サワグチ・サイキック・センター著、坂本龍一監修、[[1987年扶桑社]]、1987年
* 「写真集『[[ラストエンペラー]]』」(バジル・パオ他写真、本本堂、坂本龍一編、[[1988年]]
* 「テクノドン坂本龍一・全仕事」(後藤繁雄山下邦彦 著、1993[[太田出版]]、1991年)。大著
* 「skmt坂本龍一・音楽史」(後藤繁雄山下邦彦 編著、[[1999太田出版、1993]]。大著
* 「テクノドン」([[後藤繁雄]] 編著、小学館、1993年)。主にYMOの全発言
* 「伝説の編集者坂本一亀とその時代」(田邊園子、[[2003年]])
* 「坂本龍一・全仕事楕円とガイコツ」(山下邦彦太田出版、2000年)。[[1991年小室哲哉]]との関連
* 「非戦」(sustainability for peace 共同監修、幻冬舎、2002年)
* 「坂本龍一・音楽史」(山下邦彦編、1993年)
* 「伝説の編集者 [[坂本一亀]]とその時代」(田邊園子、[[作品社]]、2003年。[[河出文庫]]、2018年)。企画
* 「楕円とガイコツ」(山下邦彦著、[[2000年]])
* 「坂本龍一の音楽」(山下邦彦 編著、[[東京書籍]]、2008年7月)。坂本自身の提供資料による大著
* 「非戦」坂本龍一+sustainability for peace監修、2002年
* 「エロコト」(編[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 総特長:=坂本龍一」([[青土社]]ソトコト20062009114臨時増刊
* 「2003―[[飯野賢治]]対談集」(1999年、[[ソニーマガジン]]) {{ISBN2|4-7897-1359-8}}
* 「ラブコト」 (編集長:坂本龍一、ゲストエディター:蝶々、ソトコト2008年8月号増刊)
* 「耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック」([[鈴木惣一朗]]、[[DU BOOKS]]、2018年)。インタビュー収録
* 「坂本龍一の音楽」(山下邦彦編著、[[2008年]])
* 「[[小津安二郎 大全]]」(松浦莞二・宮本明子編著、朝日新聞出版、2019年)。インタビュー収録
* 「ユリイカ4月臨時増刊号・総特集坂本龍一」(2009年)
* 「[[Commmons|コモンズ]]:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅」(伊東信宏、上尾信也と座談ほか、[[小室敬幸]]解説、アルテスパブリッシング、2021年)。シリーズ最終巻(上記「ピアノへの旅」は改訂版)
* 2003―飯野賢治対談集(1999年、[[ソニーマガジン]]) ISBN 978-4789713597
* 「坂本龍一 音楽の歴史」(吉村栄一、[[小学館]]、2023年2月)
:長年の取材による音楽評伝(没する直前に刊、写真集・完全ディスコグラフィーを併せた3冊組・特装版も刊行)
;以下は追悼特集ほか
* 「坂本龍一 本当に聴きたい音を追い求めて」([[ミュージック・マガジン]]、2023年6月号増刊)、長年の関連記事を集成
* 「別冊[[ele-king]] 「日本のサカモト」坂本龍一追悼号」([[Pヴァイン]]、2023年7月)
* 「ユリイカ 総特集=坂本龍一 1952-2023」(青土社、2023年12月臨時増刊号)
* 「[[サウンド&レコーディング・マガジン]] 追悼特集:坂本龍一 〜創作の横顔」(2024年5月号、[[リットーミュージック]])
* 「「教授」と呼ばれた男 坂本龍一とその時代」([[佐々木敦]]、[[筑摩書房]]、2024年4月)
* 「坂本龍一語録 教授の音楽と思考の軌跡」([[円堂都司昭]]、ぱる出版、2024年12月)
* 「坂本龍一 最後のプレイリスト」(吉村栄一、[[イースト・プレス]]、2025年2月)
 
=== フォトグラファー ===
* 「エロコト」第1号(ソトコト2006年11月号増刊/責任編集:坂本龍一、アート・ディレクション:[[信藤三雄]])
*: THE NAKED LUNCH  裸のランチ(写真:坂本龍一、モデル:[[天海麗]])
* 「ラブコト」(ソトコト2008年8月号増刊/編集長:坂本龍一、ゲストエディター:蝶々)
 
=== CD-BOOK ===
* 「[[Commmons#コンピレーションアルバム|commmons: schola]](コモンズ・スコラ)」vol.1-17(2008-2018/監修:坂本龍一 :編集 [[門松宏明]])schola(スコラ)はラテン語で「学校」の意味。坂本龍一監修による「音楽全集」。クラシック/非クラシックを問わず、世界中の様々な音楽をテーマ に取り上げ、専門家とともに厳選した楽曲を収録したCDと、解説ブックレットが一体化したパッケージ。<ref>https://www.commmons.com/schola/</ref>
 
== 出演 ==
=== 俳優としての出演映画作品 ===
* 「[[戦場のメリークリスマス]]」(1983年)- 各・俳優としての出演
==== 映画 ====
* 「[[ラストエンペラー]]」(1987年)※ [[日曜洋画劇場]]版の日本語[[吹き替え]]も担当。
* 「[[戦場のメリークリスマス]]」(1983年)
* 「[[ラストエンペラー]]」(1987年)※[[日曜洋画劇場]]版の日本語[[吹き替え]]も担当。
* 「[[ニューローズホテル (映画)|New Rose Hotel]]」(1998年)
 
==== CM ====
* [[新潮社]]「[[新潮文庫]]」([[1981年]])
* [[日本生命保険|日本生命]]「新・青春の保険『YOU』」([[1983年]] - [[1984年]])
* [[味の素ゼネラルフーヅAGF]]「AGFグランデージ」([[1984年]])
* [[セイコーホールディングス|セイコー]]「ALBA」([[1984年]])
* [[ダイエー]]「ダイエーのお正月・新春福々市」「龍一のバレンタイン」(1984年)
* [[フジテレビ]] 「秋のフジテレビ しなやか思想」([[1985年]]、[[おニャン子クラブ]]と共演)
* [[フジテレビ]] 「秋のフジテレビ しなやか思想」([[1985年]]、[[おニャン子クラブ]]と共演)
* [[京セラ]]「サムライ」([[1987年]])
* [[協和発酵キリン]](:協和発酵)[[サントネージュワイン]]」※ 現在は、[[アサヒビール]]から販売されている。
* [[日産自動車]]「[[日産・セドリック|セドリック]]」(Y31前期型)()([[1987年]]6月 - [[1989年]]6月)
* [[サッポロビール]]
**「サッポロドラフト」([[1989年]])<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の広告批評 / 編集部|journal=[[広告批評]]|issue=116|publisher=マドラ出版|date=1989-04-01|pages=99|id={{NDLJP|1853082/52}}}}</ref>
**「サッポロドラフト」([[1989年]])
**「大人エレベーター」([[2018年]])
* [[日本電気|NEC]]「C-LIFEフェア」([[1990年]])
* [[東芝]]「BSアリーナ」([[1992年]])<ref>{{Cite journal|和書|journal=消費と生活 : consumer magazine|issue=189|publisher=消費と生活社|date=1993-01-01|pages=132|id={{NDLJP|1860587/67}}}}</ref>
* [[マイカル]]「ビブレ」([[1992年]])
* [[ダイエー]]「ダイエーのお正月・新春福々市」
* [[カルピス|カルピス食品工業]]「ゆうゆう茶」([[1995年]])
* [[武田アリナミン製品工業]]「[[アリナミン#アリナミンA主要製品|アリナミンA錠]]」([[1990年]])
* [[アウディ]]「[[アウディ・A6|A6]]」([[1995年]])
* [[三菱電機]]「携帯電話・ディーガ」「アプリコット」([[1996年]])<ref>{{Cite journal|和書|title=CF撮影余話|journal=近代企業リサーチ 1月10日|issue=765|publisher=中小企業経営管理センター事業部|date=1997-01-10|pages=81|id={{NDLJP|2652266/41}}}}</ref>
* [[NTTグループ|NTT]]「NTT電話機・ハウディ」
* 「[[バドワイザー]]」([[1998年]])
* [[三共 (製薬会社)|三共]](現:[[第一三共]])「[[リゲイン]]EB錠」([[1999年]])<ref>{{Cite journal|和書|title=今月の新作CM50連発! / 編集部|journal=[[広告批評]]|issue=226|publisher=マドラ出版|date=1999-04-01|pages=20|id={{NDLJP|1852945/12}}}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=こんなCMもありました|journal=[[広告批評]]|issue=233|publisher=マドラ出版|date=1999-12-01|pages=59|id={{NDLJP|1852952/31}}}}</ref>
* [[トヨタ自動車]]「[[トヨタ・プリウス|プリウス]]」
* 「[[ニューバランス|NEW BALANCE]]」([[2004年]])
* [[サントリー]]「山崎」([[2002年]])、「ウイスキー統合」([[2010年]])
* [[麒麟麦酒]]「ラガービール」([[2007年]])※YMO)※ YMOとして出演
* [[日本郵政|JP日本郵政グループ]]「年賀キャンペーン」([[2008年]])
* [[サムスン電子]]
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** 「[[SoftBank 931SC]]」([[2009年]])
** 「[[SC-01B|docomo PRO series SC-01B]]」([[2010年]])
* [[江崎グリコ]]「[[ポッキー]]」([[2010年]])※YMO)※ YMOとして出演
* [[エクソル]]
** 「ストロングメッセージ篇」([[2012年]])
** 「パワー・イノベーション篇」([[2013年]])
** 「ソーラーコンサート篇」([[2014年|2014]] - [[2015年]])
* 日産自動車「[[日産・リーフ|リーフ]]」([[2012年]]2月 -)
* [[キリンビバレッジ]]「[[FIRE (コーヒー)|ファイア ブラック]]」(2016年)<ref>{{cite news|url=httphttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000017850.html|title=<新・KIRIN FIRE 誕生。>三浦知良さん 柳楽優弥さん 坂本龍一さんを新たにイメージキャラクターに起用し新CMを展開!|newspaper=PR TIMES|date=2016-10-04|accessdate=2016-10-11}}</ref>
 
==== ミュージック・ビデオ ====
* [[マドンナ (歌手)|マドンナ]]「[[:en:Rainレイン (Madonna songマドンナの曲)|レイン]]」(1993年)
 
=== TV・ラジオテレビ ===
* [[YOU (テレビ番組)|YOU]]「誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座」 (1982年6月12日、NHK教育)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A198206122245001300200</ref>
* [[NHK-FM放送|NHK-FM]]「[[サウンドストリート]]」火曜日([[1981年]][[4月7日]] - [[1986年]][[3月18日]]、パーソナリティ)
* [[オレたちひょうきん族]](1983年頃、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - ビートたけしと明石家さんまが共演するタケちゃんマンのコントでゲスト出演していた
* [[エフエム東京|TOKYO FM]]「サウンドビジュアート 不思議の国の龍一」([[1986年]][[10月5日]] - [[1987年]][[9月27日]]、パーソナリティ)
* [[ダウンタウンのごっつええ感じ]](フジテレビ) - アホアホマンのゲスト・アホアホブラザー 役
* TOKYO FM「[[プレミア3 (ラジオ番組)|TOSHIBA PREMIA 3]]」([[1990年]]4月 - [[1992年]][[3月]]、[[山下達郎]]・[[氷室京介]]と週替わりでパーソナリティを担当)
* [[平成教育委員会]](フジテレビ)
* [[J-WAVE]]「[[RADIO SAKAMOTO]]」(奇数月第1日曜 24:02 - 26:02、パーソナリティ)
* [[たけし・さんまの有名人の集まる店]](フジテレビ)- ゲスト出演し、番組の最後はたけし演ずる[[鬼瓦権造]]と同じ扮装をして「ゴンゾーズ」を結成
* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[オレたちひょうきん族]]」(前期の1983年頃、ビートたけしと明石家さんまが共演するタケちゃんマンのコントでゲスト出演していた)
* [[土曜ソリトン SIDE-B]] 坂本龍一スペシャル (1995年6月10日、NHK教育)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A199506102300001300200</ref>
* フジテレビ「[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]」(アホアホマンのゲスト・アホアホブラザー役)
* [[MBSテレビ|毎日放送]]「[[Ryu's Bar 気ままにいい夜|Ryu's Barスペシャル21]][[毎日放送]]) - ゲスト
* TBS50周年特別企画「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」(2001年4月30日、TBS)<ref>https://www.tbs.co.jp/zero/</ref>
* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「笑い飯の臭い飯〜ザ・監獄漫才〜」([[2005年]]6月)
* 笑い飯の臭い飯〜ザ・監獄漫才〜([[2005年]]6月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[日本放送協会|NHK]]「[[サラリーマンNEO]]」2007年・年の瀬スペシャル([[2007年]][[12月30日]]、コント「私とNEO」にて本人役で出演)
* [[サラリーマンNEO]] 2007年・年の瀬スペシャル([[2007年]][[12月30日]]、[[日本放送協会|NHK]]) - コント「私とNEO」にて本人役で出演
* NHK「[[爆笑問題のニッポンの教養]]」([[2009年]][[9月1日]])
* [[100年インタビュー ]]「坂本龍一」(2008年4月10日、NHK BS)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200804102000001301000</ref>
* [[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]「“スコラ”坂本龍一 音楽の学校」(レギュラー出演)
* [[爆笑問題のニッポンの教養]]([[2009年]][[9月1日]]、NHK)
**シーズン1([[2010年]][[4月3日]] - [[6月19日]])
* [[スコラ 坂本龍一 音楽の学校]]([[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) - レギュラー出演
**シーズン2([[2011年]][[10月1日]] - [[12月17日]])
** シーズン1({{Start and end dates|2010|4|3|2010|6|19}})
* [[BSジャパン]]開局 10周年記念番組 美しい地球の讃歌([[2010年]][[5月22日]])
** 白熱教室JAPAN({{Start and end dates|2010|10|24|2010|11|14}})
** シーズン2({{Start and end dates|2011|10|1|2011|12|17}})
** シーズン3({{Start and end dates|2013|1|11|2013|3|15}})
** 特別編 オーケストラと市民([[2013年]][[3月16日]])<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201303161600001303100</ref>
** シーズン4({{Start and end dates|2014|1|9|2014|3|27}})
* 開局10周年記念番組 美しい地球の讃歌(2010年[[5月22日]]、[[BSテレビ東京|BSジャパン]])
* [[ETV特集]]「坂本龍一 Forest Symphony 森の生命の交響曲」(2012年2月12日、NHK教育)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201202122200001303100</ref>
* [[日曜美術館]]「アートと音楽 坂本龍一×[[日比野克彦]]」(2013年1月13日、NHK Eテレ)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/GXKJP63253/ |title=選 アートと音楽 坂本龍一×日比野克彦 |date=2023-06-04 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230528010718/https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/GXKJP63253/ |
df=ja |url-status=live |archivedate=2023-05-28 |accessdate=2023-05-28}}</ref>
* 坂本龍一 音楽で楽しむ大河ドラマ(2013年9月22日、NHK総合)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201309221505001302100</ref>
* WOWOWライブ「細野晴臣×坂本龍一」(2014年3月9日、WOWOW)<ref name="名前なし_2-20250106191837">https://www.commmons.com/whatsnew/artists/sakamotoryuichi/201402141802.html</ref><ref>https://www.wowow.co.jp/detail/104975</ref>
* 震災から3年"明日へ"コンサート(2014年3月10日、NHK 総合、NHK BSプレミアム)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201403101930001302100</ref><ref name="名前なし_2-20250106191837"/>
* 坂本龍一のMUSIC FOR ダンゴムシ(2014年8月1日、NHK Eテレ)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201408010955001303100</ref>
* [[SWITCHインタビュー 達人達]]「坂本龍一×[[福岡伸一]]」(2017年、NHK Eテレ)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/episode/te/V2YKZ4WYV4/ |title=特別編「坂本龍一×福岡伸一」EP1 |date=2023-08-18 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230812095557/https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/episode/te/V2YKZ4WYV4/ |df=ja |url-status=live |archivedate=2023-08-12 |accessdate=2023-08-12}}</ref>
* [[クローズアップ現代+]]「坂本龍一 分断された世界で」(2017年4月19日、NHK 総合)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201704192200001302100</ref>
* [[ファミリーヒストリー]]「坂本龍一~父との葛藤 福岡藩黒田家に仕えた先祖~」(2018年4月23日、NHK 総合)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201804231930001302100</ref>
* 細野晴臣イエローマジックショー2(2019年1月1日、[[NHK BS4K]]/1月2日、[[NHK BSプレミアム]])<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20181030-716132/|title=『細野晴臣イエローマジックショー2』に星野源・水原希子・宮沢りえら出演|newspaper=マイナビニュース エンタメ|publisher=マイナビ|date=2018-10-30|accessdate=2019-01-13}}</ref>
* 細野晴臣イエローマジックショー3(2020年1月1日、NHK BSプレミアム/1月2日、NHK BS4K)<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202001012230001301000</ref><ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202001021300001304400</ref>
* 坂本龍一 被災地をつなぐオーケストラ(2020年3月7日、NHK BSプレミアム<ref>https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003071500001301000</ref>
* 坂本龍一 Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes(2023年1月5日、[[NHK総合テレビジョン|NHK]])<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.or.jp/music/programs/477649.html |title=坂本龍一 Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes |df=ja |date=2022-12-20 |publisher=NHK |url-status=live |archiveurl=https://archive.md/GH3P1 |archivedate=2023-01-01 |accessdate=2023-01-01}}</ref>
* [[NHKスペシャル]]「Last Days 坂本龍一 最期の日々」(2024年4月7日、NHK)<ref>{{Cite web2 |url=https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/9L46Y89MGL/ |title=Last Days 坂本龍一 最期の日々|date=2024-04-07 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20240405145759/https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/9L46Y89MGL/ |df=ja |url-status=live |archivedate=2024-04-05 |accessdate=2024-04-05}}</ref>
 
=== ラジオ ===
* [[サウンドストリート]] 火曜日([[1981年]][[4月7日]] - [[1986年]][[3月18日]]、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]) - パーソナリティ<ref name="djmeikan"/>
**坂本龍一の電気的音楽講座(1981年[[8月10日]] - [[8月14日]])※夏季特別番組
* Sony Sound Visart 不思議の国の龍一([[1986年]][[10月5日]] - [[1987年]][[9月27日]]、[[エフエム東京|TOKYO FM]]) - パーソナリティ<ref name="djmeikan"/>
* [[プレミア3 (ラジオ番組)|TOSHIBA PREMIA 3]]([[1990年]]4月 - [[1992年]][[3月]]、TOKYO FM) - [[山下達郎]]・[[氷室京介]]と週替わりでパーソナリティを担当
* [[RADIO SAKAMOTO]](2003年1月5日 - 2023年3月5日、[[J-WAVE]])- 奇数月第1日曜 24:02 - 26:02、パーソナリティ
* [https://web.archive.org/web/19981206125333/http://www.dabb.com/gut_online/ gut on-line](J-WAVE)
* [https://www.nhk.jp/p/rs/ZZP4W9QKL6/ 坂本龍一のRadio Schola](2025年3月30日、[[NHK FM]])
<ref>https://rights.jp/20250330radio-schola/</ref><ref>https://note103.hatenablog.com/entry/2025/04/08/204201#f-2019b8eb</ref>
 
=== コンサート ===
* LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999<ref>[https://web.archive.org/web/20000823155754/http://www.asahi.com/opera/ asahi.com LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999]</ref>
* [[Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ]]2002
 
=== ドキュメンタリー映画 ===
* SUGA: Road to D-Day(2023年) - [[SUGA]]との対談シーンに出演<ref>[https://www.disneyplus.com/movies/suga-road-to-d-day/30f1LoYHW3wd SUGA: Road to D-Day(Disney+)]</ref>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|230em}}
 
== 関連項目・人物 ==
{{ウィキポータルリンク|音楽|[[画像:Xmms.png|45px|Portal:音楽]]}}
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{{ウィキプロジェクトリンク|音楽家|[[File:Band Silhouette 04.jpg|35px|ウィキプロジェクト 音楽家]]}}
* [[坂本一亀]](父)
<!-- 語彙が類似しているだけの項目や、多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません。「Wikipedia:関連項目」を参照。 -->
* [[矢野顕子]](元・妻)
* [[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・個人)]]
* [[坂本美雨]](娘)
* [[東京都出身の人物一覧]]
* [[イエロー・マジック・オーケストラ]](坂本もメンバーとして活動)
* [[東京芸術大学の人物一覧]]
* [[スネークマンショー]](坂本も参加)
* [[作曲家一覧]]
* [[テイ・トウワ]](坂本も参加)
* [[ゼンハーモニック音楽]] - 坂本龍一のいくつかの楽曲はゼンハーモニック的作曲技法に基づいている。
* [[村上龍]](友人)
* [[見城徹]](友人)
* [[マイケル・ジャクソン]]
* [[奥村靫正]]
* [[後藤繁雄]]
* [[ap bank]]
* [[alan]]
* [[グレン・グールド]]
* [[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]
* [[塩崎恭久]]
* [[加藤和彦]]
* [[川崎絵都夫]]
* [[鈴木行一]]
* [[小泉文夫]]
* [[川田龍平]]
* [[松武秀樹]]
* [[浅田彰]]
* [[中沢新一]]
* [[大島渚]]
* [[中上健次]]
* [[柄谷行人]]
* [[大貫妙子]]
* [[原田大三郎]]
* [[原田知世]]
* [[ピーター・バラカン]]
* [[カザルスホールを守る会]](発起人の一人)
* [[日本未来の党]] - 「びわこ宣言」の賛同人に[[稲盛和夫]]、[[茂木健一郎]]、[[菅原文太]]、[[鳥越俊太郎]]とともに名を連ねる。
* [[飯野賢治]]
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== 外部リンク ==
{{commonscat|Ryuichi_Sakamoto}}
{{ウィキポータルリンク|音楽|[[画像:Xmms.png|45px|Portal:音楽]]}}
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* [httphttps://www.sitesakamoto.com/ sitesakamoto.com] - 公式サイト
* {{Twitter|ryuichisakamoto|ryuichisakamotoryuichi sakamoto}}(2009年2月 - )
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* {{YouTube channel|RyuichiSakamotoArchive|Ryuichi Sakamo}}(2011年11月12日 - )
* {{Discogs artist | artist = Ryuichi Sakamoto}}
* [httphttps://wmg.jp/sakamoto-ryuichi/ 坂本龍一 @ WARNER MUSIC JAPAN OFFICIAL SITE]
* [https://www.110107.com/s/OTONANO/page/cbs?site=OTONANO&ima=5823 坂本龍一|SonyMusic]
* [http://www.ryuichi-sakamoto.com/ Sony Classical]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }}
* [http://www.110107.com/mob/pageShw.php?site=OTONANO&ima=5823&cd=cbs 坂本龍一|SonyMusic]
* [http://www.kab.com/ KAB] - 事務所公式サイト
* [https://commmons.com/ commmons official website]
* [http://www.ustream.tv/channel/skmt09 Ustream ] - 2010年坂本龍一北米ツアーUST生中継の有志作成スペシャルサイト
* [https://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/ J-WAVE RADIO SAKAMOTO]
* [http://www.commmons.com/ commmons official website]
* [https://www.1101.com/kyoju/index.html 矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。] - [[ほぼ日刊イトイ新聞]]内
* [http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/ J-WAVE RADIO SAKAMOTO]
* {{Wayback|url=http://www.asahi-net.or.jp/~kd2e-kwsk/interbew.htm |title=映画音楽《ラストエンペラー》のオーケストレーター:川崎絵都夫先生へのインタビュー(早稲田大学第二文学部 機関紙記事) |date=20110609211924}}
* [http://www.1101.com/kyoju/index.html 矢野顕子について、坂本龍一くんと話そう。] - [[ほぼ日刊イトイ新聞]]内
* [https://openers.jp/tag/sakamoto-uekara 坂本龍一相談室「上から」言いきる....]
* [http://www.asahi-net.or.jp/~kd2e-kwsk/interbew.htm 映画音楽《ラストエンペラー》のオーケストレーター:川崎絵都夫先生へのインタビュー(早稲田大学第二文学部 機関紙記事)]
* [http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/index.html 坂本龍一相談室「上から」言いきる....]
* {{YouTube|Z1IHDTMtsSY|The Last Emperor Wins Original Score: 1988 Oscars}} 坂本龍一「[[ラストエンペラー]]」[[アカデミー作曲賞]](受賞スピーチ映像)
* {{NHK人物録|D0009071156_00000}}
* {{Spotify artist|1tcgfoMTT1szjUeaikxRjA}}
 
 
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{{イエロー・マジック・オーケストラ}}
{{矢野顕子}}
{{忌野清志郎}}
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{{アカデミー賞作曲賞}}
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