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{{Otheruses||漫画家ビリーの[[日本の漫画]]|シネマこんぷれっくす!}}
{{Pathnav|劇場|映画館|frame=1}}
[[ファイル:AMC Ontario Mills 30.jpg|thumb|right|250px|[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[オンタリオ (カリフォルニア州)|オンタリオ]]にあるシネマコンプレックスの一例([[AMCシアターズ]])]]
'''シネマコンプレックス'''({{lang-en|cinema complex}})は、同一の施設に複数の[[スクリーン]]がある[[映画館]]である。'''シネコン'''、'''複合映画館'''とも呼ばれる。
== 概要 ==
モデルは[[北アメリカ|北米]]発祥の'''マルチプレックス''' ({{en|multiplex}}) または'''シネプレックス''' ({{en|cineplex}}) と呼ばれる映画館である。劇場構造はそれに準じた作りになっており、ロビー、チケット売場、[[売店]]、映写室等の設備を複数のスクリーンで共有している。
世界的に見ると'''メガプレックス''' ({{en|megaplex}}) と呼ばれる20スクリーン以上の例もある。最多の上映スクリーン数は[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[カリフォルニア州]]の[[AMCシアターズ|AMCオンタリオミルズ30]]
[[日本]]国内の場合、5スクリーンから多くても13スクリーン、基本的には7 各スクリーンの客席数は80 - 500席程度で、大小組み合わせることが多く、集客力の見込める作品は客席数の多いスクリーンで上映し、封切りから時間の経った作品や、集客力の落ちた作品は客席数の少ないスクリーンで上映する方式をとる。ただし、作品を抱き合わせた2 - 3本立てでの興行は通常は行われず、完全入替制を採用しているため、単一または複数の作品を退場せずに連続して見ることはできない。
大抵の場合、[[ショッピングセンター]]や[[スーパーマーケット]]の[[テナント]]として運営
その為、日本
なお、本項では慣例に基づき映画館(施設)内に設置された上映室を「スクリーン」と記述する。また、単一または複数のスクリーンを包括する映画館を「サイト」と記述する。
== 特徴 ==
=== 定義 ===
シネマコンプレックスについて法令等での明確な定義はなく、統計や書籍によって条件が異なっている。
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と定義されている<ref>木村隆雄 「「映像産業活性化研究会」報告書にみる映画館産業の現状と将来展望」 『月刊レジャー産業資料』1998年8月号、総合ユニコム、1998年、119-123頁</ref>。
また、[[日本映画製作者連盟]]が毎年1月に発表する日本映画産業統計<ref>「[
* 同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…等)をもって運営している映画館
とされている。
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# 完全入替制を採用し、定員制か全席指定席制を併用することで立ち見がないこと。
なお、シネマコンプレックスという言葉自体は[[1980年代]]から使用されており<ref name="pia19840406">{{Cite journal|和書|year=1984|month=4|title=第7回ぴあフィルムフェスティバル特別座談会|journal=ぴあ|volume=13|issue=9|pages=32-36頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref><ref name="kinejun19860215">立川健次郎「1985年日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1986年2月下旬決算特別号、キネマ旬報社、1986年、122-137頁など</ref>、1990年代前半までは複数のスクリーンを持つことだけを条件にシネマコンプレックスとしていた<ref name="toyo19960427">
=== 従来館との相違点 ===
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== 現状 ==
=== サイト数・スクリーン数 ===
{| class="wikitable"
|+ 各社のサイト数・スクリーン数
! シネマコンプレックス名称 !! 運営企業 !! サイト数 !! スクリーン数 !! 備考
|-
| イオンシネマ || [[イオンエンターテイメント|イオンエンターテイメント株式会社]] || style="text-align:right" |
|-
| TOHOシネマズ、他 || [[TOHOシネマズ|TOHOシネマズ株式会社]] || style="text-align:right" |
|-
| (上記以外の東宝系) || [[関西共栄興行|関西共栄興行株式会社]] || style="text-align:right" |1|| style="text-align:right" |5|| 東宝の完全子会社による運営サイト<ref group="
|-
| ユナイテッド・シネマ、<br/>シネプレックス || [[ローソン・ユナイテッド
|-
| MOVIX、他 || [[松竹マルチプレックスシアターズ|株式会社松竹マルチプレックスシアターズ]] || style="text-align:right" |
|-
| T・ジョイ || [[ティ・ジョイ|株式会社ティ・ジョイ]] || style="text-align:right" | 22 || style="text-align:right" | 218<ref group="注釈">T・ジョイ蘇我のプライベートルームを除く。多目的ホール兼用のこうのすシネマのシアター1を含む。</ref> || [[東映]]系。同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。
|-
| [[109シネマズ]] || [[東急レクリエーション|株式会社東急レクリエーション]] || style="text-align:right" | 19 || style="text-align:right" | 175 || [[東急グループ|東急]]系。同社運営の[[ムービル]]を含む。
|-
| [[シネマサンシャイン]] || 佐々木興業株式会社 || style="text-align:right" | 14 || style="text-align:right" | 122 ||
|-
|
|}
=== 運営・経営 ===
[[画像:torius_cinema.jpg|thumb|260px|TOHOシネマズが撤退した[[トリアス (ショッピングセンター)|トリアス]]のシネマコンプレックス(現ユナイテッド・シネマトリアス久山)]]
シネマコンプレックスを運営する各社の資本関係は大きく変わりつつある。2009年9月30日に松竹マルチプレックスシアターズの資本から[[三井物産]]が撤退し、[[松竹]]の完全子会社になった。2011年3月1日には同社に松竹が映画興行事業を移管した。これにより9大都市ロードショー館は松竹、ローカル館は松竹マルチプレックスシアターズと言う体制から他社と同様に全国を同一会社で運営することになった<ref name="bunkatsushin201112">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 12 |title = 私が陣頭指揮を取り早く統合効果を出す |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 12 |pages = 24-32 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。2013年2月28日にはワーナー・マイカルからタイム・ワーナー(現[[ワーナー
2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いている一方で、2010年までスクリーン数が増加し続けたこともあり、各社の経営状態は厳しくなった。各社はこれに対応するためオペレーションの見直しによる人件費の削減を行なっている他、家賃の見直しも進んでいる。
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出店競争が激化していた時期は出店条件が吊り上がり、中小興行会社は出店出来ない状況が続いていた<ref name="bunkatsushin200908">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 8 |title = 投資家の視点にたった会社経営 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 8 |pages = 46-49 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。一方、これらの時期に出店を進めた大手各社は固定費削減のため、2008年頃から家賃の値下げ交渉を進めた。ディベロッパー側の収益にも関わるため難しい交渉となっているが、シネマコンプレックスの初期の劇場は特に収益性が悪化しているため、場合によっては撤退も視野に入れて進めている。また、劇場の不動産自体をグループ会社が所有する企業にとってこの施策は不動産事業の収益悪化にもつながるため困難を極めた。この課題の解決のため、東宝の不動産経営部の専務である[[中川敬 (映画プロデューサー)|中川敬]]が2010年から2012年までTOHOシネマズの社長を兼務するなどの人事も見られた<ref name="bunkatsushin201007">{{Cite journal|和書 |year = 2010 |month = 7 |title = 価格の問題は避けて通ることはできない |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 50 |issue = 7 |pages = 24-31 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200810">{{Cite journal|和書 |year = 2008 |month = 10 |title = 新しい視点・発想で、この会社を変えていく |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 48 |issue = 10 |pages = 44-49 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200811">{{Cite journal|和書 |year = 2008 |month = 11 |title = 渋谷の拠点化、パンテオンをもう一度 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 48 |issue = 11 |pages = 30-35 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200906">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 6 |title = 黒字回復へ、この2年間の歩み |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 6 |pages = 36-42 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin200909">{{Cite journal|和書 |year = 2009 |month = 9 |title = 本社とSMTの“興行力”の相乗効果を目指したい |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 49 |issue = 9 |pages = 38-44 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。
これらの見直しや後述する設備のデジタル化を見送り従来の興行会社が撤退した映画館では、集客のためにディベロッパー自身が事業主となって経営し、興行会社に運営委託する例も現れてきた。例えば、2010年1月31日に閉館したMOVIX六甲の跡地は[[神戸ファッションプラザ]]が事業主となった。[[オーエス]]が番組編成業務を受
=== サービス・設備 ===
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近年は前述のコスト削減のための見直しや、新たな観客獲得のための動きが見られている。また、急速に[[デジタルシネマ]]が普及した。
コスト削減の例としてチケット販売の自動券売機化が進んでいる。TOHOシネマズでは2012年5月から6月にかけて自動券売機の導入を本格的にすすめた<ref group="PR">{{Cite web
新たな観客層獲得のため、試験的に鑑賞料金を変更する動きも見られる。ワーナー・マイカルは2010年1月9日から4月9日まで海老名と釧路の2サイトで1000円均一とした。しかし、従来の契約のままだと値下げにより配収が減少する可能性がある。結果、配給契約の条件が折り合わず『[[ラブリーボーン]]』や『[[LIAR GAME (テレビドラマ)|LIAR GAME ザ・ファイナルステージ]]』が上映中止となった<ref name="bunkatsushin201004">{{Cite journal|和書 |year = 2010 |month = 4 |title = WMC2館で上映中止 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 50 |issue = 4 |page = 13 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。また、TOHOシネマズは2011年4月(一部3月)から2012年春までの予定とし、7サイトで試験的な料金変更を行った。一般料金を1500円、18歳未満を1000円に値下げする一方、シニア割引を60歳から65歳に引き上げる、レイトショーを廃止するなど、複雑な割引をやめ料金を均一化した。しかし、全国平均と比べ5%程度動員が減る結果が得られ、高校生料金は1000円と据え置いたが、それ以外は予定より早く2011年11月末に試験を中止した<ref name="bunkatsushin201103">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 3 |title = 7劇場で、18歳以上は基本料金1500円 TOHOシネマズ、今春から新料金テスト |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 3 |page = 12 |publisher = 文化通信社 }}</ref><ref name="bunkatsushin201112a">{{Cite journal|和書 |year = 2011 |month = 12 |title = 動員5%減、12月から料金・割引を元に戻す TOHOシネマズ、7劇場のテスト料金終了 |journal = 月刊文化通信ジャーナル |volume = 51 |issue = 12 |page = 12 |publisher = 文化通信社 }}</ref>。その後、2013年6月1日より高校生料金を1000円とする料金変更のみ全国に広げている<ref group="PR" name="tc20130426">{{Cite
上映機材のデジタル化は2010年から2012年の2年間で一気に進み、2012年12月時点で全スクリーンの88%に導入されている。デジタルシネマプロジェクターは当初、ワーナー・マイカルやティ・ジョイを中心に導入されたが、コスト負担が大きくそのペースは遅かった。しかし、現在では35mmフィルムのノンリワインド映写機から置き換わってデジタルシネマプロジェクターが主流となった。導入の進んでいたティ・ジョイは主要各社では一番早く、2010年7月までに全スクリーンへの導入を完了した。TOHOシネマズは、2011年3月17日に開館したTOHOシネマズ甲府ではデジタルシネマプロジェクターのみを設置するなどの施策をとり、2011年に全劇場のデジタル化を完了した。2012年には定期借地等、運営期間の限りがあるものや一部の小規模興行会社を除き、おおよそのシネマコンプレックスでは導入が完了している。2013年3月5日に開館したワーナー・マイカル・シネマズ春日部(現イオンシネマ春日部)のようにデジタル化により映写室を廃止した劇場も現れてきた<ref group="PR" name="wmc20130125">{{Cite press release|和書|date=2013-01-25 |url=http://www.aeoncinema.com/company/press/13/01/0125.pdf |title=国内初!“映写室のないシネマコンプレックス”が登場 「ワーナー・マイカル・シネマズ 春日部」 2013年3月5日(火)グランドオープン |format=PDF |publisher=株式会社ワーナー・マイカル |accessdate=2013-04-02}}</ref>。
この背景にはバーチャル・プリント・フィー(以下、VPF)による導入スキームの変化があったことが要因として挙げられる。VPFとはVPFサービス会社が興行会社の代わりにデジタルシネマ機材の購入費用を一括支払いし、配給会社が導入費用の70%までを、興行会社が残りの30%をそれぞれ10年間かけて作品ごとまたは月ごとにVPFサービス会社に対して償還していく仕組みのことである。映画館のデジタル化により配給会社はプリント代や輸送費が削減できメリットを受ける一方、興行会社は機材入れ替えのコスト負担が大きくデメリットが大きかった。しかし、VPFの導入により興行会社の負担が軽減されたため上映機材のデジタル化が進んだ。ただし、それでも一定のコスト負担はあるため、導入を見送り閉館を選択する劇場もある<ref name="bunkatsushin201207sasaki">{{Cite journal |和書 |year=2012 |month=07 |title=新音響システムなど「体験型」重視 佐々木興業、佐々木伸一社長に聞く |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=52 |issue=7 |page=48 |publisher=文化通信社}}</ref>。
設備のデジタル化により、上映コンテンツ自体の変化も現れている。Other Digital Stuff(以下、ODS)と呼ばれる映画以外のコンテンツを上映することも増えてきた。TOHOシネマズやティ・ジョイでは[[パブリックビューイング]]や舞台演劇の上映が行われている<ref name="r25jp20081002">{{Cite web
==歴史==
[[マルチプレックス]]の発祥である北米では、主に[[1960年代]]から複数スクリーン化の傾向が見られた。日本でも映画館の複数スクリーン化傾向は古くからある。当初はこれらの映画館をシネマコンプレックスと呼んでいたため、いくつかの映画館が日本初のシネマコンプレックスを名乗っている。
以下、シネマコンプレックスとマルチプレックスの歴史について記述する。
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=== 1930年代 - 1992年 ===
;日本におけるシネマコンプレックスの発祥
[[
日本では1930年代に大劇場時代が到来すると、その地下や高層スペースにもう1つの劇場を設置する映画館が現れはじめた。例えば、[[日本劇場]]の地下にニュース映画専門館として1935年12月30日に開館した第一地下劇場などがそれである。これらは当時新興勢力であった[[東宝]]の経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢で[[松竹]]にも取り入れられていった<ref>{{Cite book|和書|author = 田中純一郎|year = 1975|title = 日本映画発達史II 無声からトーキーへ|publisher = 中央公論社|
[[1950年代]]になると映画館の全盛期が到来し、映画館の新設や建て替えが多数発生した。これに伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。
これらの運営システムは、個々の建物として存在する従来の映画館と変わりがない。入替制は導入しておらず<ref group="
[[1981年]]10月、[[アスミック・エース|ヘラルド・エース]]の[[原正人]]が日本でもシネコンの時代が来るだろうと{{sfn |原|2004| pp=76–79}}、ビジネス上の付き合いがあった[[東映]]の鈴木常承取締役営業部長に話を持ち掛け、ヘラルド・エースの主催で32人の劇場関係者と[[ジャーナリスト]]を連れて、アメリカ、カナダ、ヨーロッパのシネコンを視察に回った{{sfn |原|2004| pp=76–79}}。原としては、日本では劇場システムが大きすぎて、全国公開できるような作品でないと上映できず、小品でも良質な映画をたくさん上映できる方法はないか、と考えシネコンに期待していた{{sfn |原|2004| pp=76–79}}。しかし当時の日本では[[建築基準法]]の規制が厳しく、発想が早すぎたが、原はこれを[[ミニシアター]]の発想に繋げている{{sfn |原|2004| pp=76–79}}。
[[1984年]][[3月30日]]に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する<ref name="pia19840309">{{Cite journal|和書|year=1984|month=3|title=キネカ大森開館時の広告|journal=ぴあ|volume=13|issue=7|pages=38頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref>。設立した[[西友|株式会社西友]]文化事業部によれば、欧米の映画館の動向を調査した結果、動員で上映館を入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館の形態に行き着いたとしている<ref>{{Cite journal|和書|author=冨田道彦|year=1984|month=6|title=ニュース・スポット 「キネカ」命名由来|journal=kineca|volume=1|issue=2|page=39|publisher=株式会社西友文化事業部}}</ref>。同館は流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。一方で、スクリーン数が3と少ないこと、[[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]、[[名画座]]、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めている<ref name="pia19840406sc">{{Cite journal|和書|year=1984|month=4|title=映画の街角全453館スケジュール一覧表内の支配人コメントより|journal=ぴあ|volume=13|issue=9|pages=56頁|publisher=ぴあ株式会社}}</ref>ことなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。また、現在は上映作品の傾向から[[ミニシアター]]と認識されることが多い。
この時期から同館と同様に[[郊外]]の[[ショッピングセンター]]に、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた<ref group="
<!-- 下記の一覧に該当する映画館を挙げだすときりがないので、1950年代について本文に合わせスクリーン分割で増スクリーンした例(名宝会館)、新築で多数スクリーンを持つ例(東急文化会館)の2種類としました。それ以降は本文にも記載されているような日本初として取り上げられる映画館を除き除去しました。尚、例外的に横浜東宝会館がありますが、これは後年のシネマコンプレックスのコピーでもよく使われる「映画のデパート」と言うコピーをいち早く使用しているため言及する必要があるためです。 -->
{| class="wikitable"
|+ 複数スクリーンを持つ映画館の例
! 施設名称 !! 開館日 !! 所在地 !! スクリーン数<ref group="
|-
| [[名宝会館]] || [[1955年]][[12月23日]]<ref>「映画・演劇」欄 『中部日本新聞』(市民版)1955年12月23日付朝刊、第4面</ref><br />(改装日) || [[愛知県]][[名古屋市]] || style="text-align:right" | 4<br />(改装後) || [[1935年]][[11月3日]]開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。<br />[[1972年]]5月に再改装し、以降3スクリーン<ref>柴田勝 『中京名古屋映画興行の変遷(明治三十年より昭和四十九年迄)』 1974年</ref>。
139 ⟶ 143行目:
| [[東急文化会館|渋谷東急文化会館]]|| 1956年[[12月1日]] || [[東京都]][[渋谷区]] || style="text-align:right" | 4 || 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。
|-
| [[ムービル|相鉄ムービル]] || [[1971年]][[3月5日]] || [[神奈川県]][[横浜市]] || style="text-align:right" | 5 || 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」<ref>{{Cite web |url=http://www.sotetsu.rosen.co.jp/profile/enkaku_index.htm |title=沿革 |publisher=相鉄ローゼン |archiveurl=
|-
| [[コロナワールド|小牧コロナ会館]] || [[1981年]][[7月11日]]<ref group="
|-
| [[東京テアトル|キネカ大森]] || [[1984年]][[3月30日]] || [[東京都]][[品川区]] || style="text-align:right" | 3 || [[西友]]大森店内に設置。「シネマコンプレックス日本初登場」<ref name="pia19840309" /><ref>
|-
| [[シネマサンシャイン|池袋シネマサンシャイン]] || [[1985年]][[7月6日]] || [[東京都]][[豊島区]] || style="text-align:right" | 5 || [[1994年]]12月に改装し、以降6スクリーン。<br/>[[2019年]][[7月19日]]に「[[グランドスケープ池袋|グランドシネマサンシャイン]]」(12スクリーン)へ移転開業。
|-
| [[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]] || [[1987年]][[7月25日]] || [[神奈川県]][[川崎市]] || style="text-align:right" | 5 || スクリーン数は「チネグランデ」を除く。<br/>「日本初のシネマ・コンプレックス」<ref>
|-
| シネシックス<ref name="architect198807">福島一三、小泉直久 「ららぽーと2 変貌するショッピングセンター」 『新建築』1988年7月号、新建築社、1988年、225-229頁</ref> || [[1988年]][[3月25日]] || [[千葉県]][[船橋市]] || style="text-align:right" | 6 || 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされた<ref name="architect198807" />[[ららぽーとTOKYO-BAY|ららぽーと船橋ショッピングセンター]]内に設置。<br />2004年7月に[[TOHOシネマズららぽーと船橋|TOHOシネマズ船橋ららぽーと]]へ改装。
|}
他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。
小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと
チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディア<ref>
また、[[池袋]]シネマサンシャイン(後のシネマサンシャイン池袋)についても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており<ref name="kinejun19860215" />、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる<ref name="leisure199811" />。さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが<ref>{{Cite journal|和書|author=編集部|year=1996|month=8|title=特集 SCとエンターテインメント施設 「ららぽーと志木」の映画館導入について|journal=ショッピングセンター|issue=274|pages=41-43頁|publisher=社団法人 日本ショッピングセンター協会}}</ref>、スクリーンごとに東宝と松竹という別々の経営母体で運営されており、集客に応じてスクリーンを変更できる柔軟性がなかった。
162 ⟶ 166行目:
いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に上陸する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。ただ、1990年代に見られるような爆発的な普及は起こらなかった。
その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる<ref name="leisure199809">万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第1回 積極展開をみせる外資系企業」 『月刊レジャー産業資料』1998年9月号、綜合ユニコム、1998年、121-127頁</ref>。また、当時の映画館が主に建てられていた市街地は地価が高く、収益を上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられる<ref name="moviecollection20090801">{{Cite web|和書|author=安部偲|date=2009-08-01|url=
;北米におけるマルチプレックスの発祥
184 ⟶ 188行目:
[[1993年]][[4月24日]][[神奈川県]][[海老名市]]に日本初の本格的マルチプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館した。同社は北米やイギリスと同様にマルチプレックスという用語を用いていたが、日本市場では以前から存在する複数スクリーンの映画館と同様に、シネマコンプレックスと呼ばれた。そして、シネマコンプレックスの定義自体が後にマルチプレックスのことを指すようになる。そのため、現在では同館を日本初のシネマコンプレックスとすることが多い。日本国内のスクリーン数は減少傾向であったが、この1993年を底に増加に転じた。
ワーナー・マイカルの進出当初は業界内では失敗するものと思われていた。従来館が既に撤退していた海老名{{refnest|group=注釈|かつては海老名村時代の1926年に「相模座」という劇場が発足し、サイレントやトーキー映画を上映していたが、わずか7年ほどで閉館<ref>{{Cite book|和書|title=海老名市史 10 別編ダイジェスト えびな歴史ものがたり 下|publisher=海老名市|year=2013|pages=70-71}}</ref>。その後1972年頃に「大塚劇場」が開業したが、わずか4年で廃業した為<ref>日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1976年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1975年。</ref>、ワーナー・マイカル開業までは主に隣の[[厚木市]]まで映画鑑賞に足を運ばなければならない状況が続いた。}}には大きすぎる映画館だと考えられていたからである<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木啓代
この成功を機に外資の参入が相次ぎ、国内各社もシネマコンプレックスの建設に取りかかる。
外資系の[[AMCシアターズ|AMCエンターテインメント]]とユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン(以下、UCIジャパン)は1996年、東宝と松竹は1997年、東急レクリエーションは1998年にそれぞれ自社系列のシネマコンプレックスを開館させた。さらに1999年には
{| class="wikitable"
194 ⟶ 198行目:
! サイト名称 !! 運営企業 !! 開館日 !! 所在地 !! スクリーン数 !! 備考
|-
| ワーナー・マイカル・シネマズ海老名<br />(現[[イオン海老名店|イオンシネマ海老名]]) || 株式会社ワーナー・マイカル<br />(現イオンエンターテイメント株式会社) || [[1993年]][[4月24日]] || [[神奈川県]][[海老名市]] || style="text-align:right" | 7 ||
|-
| [[シネマシティ]] || シネマシティ株式会社 || [[1994年]][[10月8日]] || [[東京都]][[立川市]] || style="text-align:right" | 6 ||
212 ⟶ 216行目:
| ヴァージンシネマズトリアス久山<br />(後のTOHOシネマズトリアス久山、現ユナイテッド・シネマトリアス久山) || ヴァージンシネマズ・ジャパン株式会社<br />(現TOHOシネマズ株式会社) || [[1999年]][[4月23日]] || [[福岡県]][[久山町]] || style="text-align:right" | 7 ||
|-
| [[イオンモール久御山|イオンシネマ久御山]] || イオンシネマズ株式会社 || [[1999年]][[6月29日]] || [[京都府]][[久御山町]] || style="text-align:right" | 7 ||
|-
| T・ジョイ東広島 || 株式会社ティ・ジョイ || [[2000年]][[12月9日]] || [[広島県]][[東広島市]] || style="text-align:right" | 6 ||
219 ⟶ 223行目:
各社の出店戦略は様々であった。
AMCエンターテインメントは当初九大都市ロードショー地域を中心にメガプレックスを計画していたが、後に地方都市の郊外型ショッピングセンターにも出店するようになった。UCIジャパンは地方の県庁所在地クラスの都市を中心に出店を計画していった<ref name="toyo19960427" /><ref name="leisure199809" />。また、ワーナー・マイカルは親会社[[マイカル]]のショッピングセンターに併設する形で計画を進め、九大都市ロードショー地域である本牧の出店はマイカル松竹に譲り大手映画会社との摩擦を避けた<ref>{{Cite journal|和書|author=宇田川日出雄
東宝グループは有楽町マリオンやシネシックスでの成功を元に、番組編成のしやすい東宝邦画系と洋画系の1・2番手の3スクリーンで組み合わせる劇場展開にこだわり続けた<ref>{{Cite journal|和書|year=1994|month=2|title=東宝・石田敏彦代表取締役専務にきく 興行は“立地”と“ソフト”だけじゃない|journal=AVジャーナル|volume=34|issue=2|pages=22-29頁|publisher=文化通信社}}</ref>ため出遅れた。1997年頃からこの方針を転換し、5 - 6スクリーンのシネマコンプレックスを展開しはじめたが<ref>{{Cite journal|和書|year=1997|month=12|title=東宝創立65周年・石田敏彦社長インタビュー 肌で感じ取ってきた東宝の45年|journal=AVジャーナル|volume=37|issue=12|pages=26-33頁|publisher=文化通信社}}</ref>、そのころ開館した天神東宝は当初は定員入替制の導入をしておらず立ち見を出していたり<ref>「天神に文化の殿堂またひとつ 6映画館の「東宝ビル」誕生 宝塚ショップ人気」 『西日本新聞』1997年3月16日付朝刊、都市圏版、第24面</ref><ref>2006年11月29日より入替制を導入「福博映画案内」 『西日本新聞』1997年11月26日付夕刊、10版B、第5面</ref>、浜大津アーカスシネマはスタジアムシートを導入しておらずフラットな床だったり{{efn|もっとも、必ずしもスタジアムシート非導入・床がフラットなシネマコンプレックスが珍しいわけでもなく、特に黎明期は東宝以外の劇場でも見られた(同時期に近隣に開館した[[Oh!Me大津テラス|OTSU7シネマ]]など)。}}、サービス面で見劣る部分があった。1998年12月5日にやっと本格的な郊外型のシネマコンプレックスとされる鯖江シネマ7を開館させたが<ref>{{Cite journal|和書|year=1998|month=12|title=本格的な郊外型シネコン『鯖江シネマ7』 東宝“映画劇場の未来形”12月オープン|journal=AVジャーナル|volume=38|issue=12|pages=14頁|publisher=文化通信社}}</ref>、ワーナー・マイカルにスクリーン数で国内1位の座を明け渡し、外資系他社の買収を模索するようになる<ref name="avjournal200304">{{Cite journal|和書|year=2003|month=4|title=特集/シネコン10年これまでとこれから 邦画3社経営『札幌』“日本一のシネコン” 東宝、ヴァージンシネマズ100億で買収|journal=AVジャーナル|volume=43|issue=4|pages=22-26頁|publisher=文化通信社}}</ref>。
一方、松竹は国内興行会社としてはマルチプレックスへの対応が早かった。1990年から海外情報の収集を進め、1995年4月にはマルチプレックスシアター開発委員会を設立。二条駅周辺区画整理事業用地内(現[[BiVi二条]])<ref name="nijo" group="
東宝系の興行各社や松竹マルチプレックスシアターズは、新設される地方のショッピングセンターを中心に出店計画を立てていった。当時各地で開発していたイオン系のショッピングセンターも多く含まれた。
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; [[青森県]][[弘前市]]
: ワーナー・マイカルの進出にあたって従来館からの激しい反発があった。地元の興行団体だけでなく全国興行生活衛生同業組合連合会まで反対運動を行ったが、1994年9月23日にワーナー・マイカル・シネマズ弘前(現イオンシネマ弘前)は開館した。結果的に、開館当時8館あった従来館のうち6館が1996年までに閉館するだけでなく、ワーナー・マイカルも興行的に苦戦を強いられた<ref name="toyo19960427"/><ref name="kine20000700">{{Cite journal|和書|author=掛尾良夫
; [[福島県]][[福島市]]
: 1996年9月に[[フォーラムシネマネットワーク|福島フォーラム]]が1998年に進出予定のワーナー・マイカルにスクリーン数の削減を申し入れた。1997年4月にはフォーラム側は3万人以上の市民の署名も集めている。また、新聞にはフォーラムの閉館を危ぶむ声が投書されるなど、映画館同士としての問題だけでなく地元住民の反発まで招いた<ref>「ふれあいサロン モズと映画館」 『福島民報』(県北版)1997年4月4日付朝刊、第17面</ref><ref>「県都の映画の灯消させない フォーラム新館きょうオープン」 『福島民報』(福島版)1997年4月12日付朝刊、第16面</ref>。ここまで至ったのはロードショー上映で収益をあげ、それを原資にミニシアター作品を上映していたフォーラムの手法が支持されていた背景がある<ref name="juminjichi199812">{{Cite journal|和書|author=清水修二|year=1988|month=12|title=4万市民が推すわれらが「フォーラム」|journal=住民と自治|issue=428|pages=62-65頁|publisher=自治体研究社}}</ref>。[[中小企業の事業活動の機会の確保のための大企業者の事業活動の調整に関する法律|分野調整法]]に基づいた調整を申請したが通産省および厚生省に却下され<ref name="juminjichi199812" />、福島フォーラムは1997年4月12日にフォーラム5
; [[神奈川県]][[横浜市]]
: 前述の通り1996年6月29日の[[本牧]]へのシネマコンプレックスの出店は松竹との合弁会社であるマイカル松竹が行い、マイカルは大手映画会社との摩擦を避けた。しかし、3年後の1999年9月10日、[[横浜みなとみらい21|みなとみらい]]地区への出店はワーナー・マイカルが行った。この地域では[[馬車道 (横浜市)|馬車道]]周辺の従来館が優先的に新作配給を受けたため、ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)の開館時には旧作ばかりが上映される事態となった{{efn|ワーナーが配給する作品(『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』など)ですら封切りから数週間遅れて上映するということすらあった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cinema-st.com/amuse/a005.html|title=ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい|website=港町キネマ通り|date=2001-03|accessdate=2021-08-24}}</ref>。}}。しかし、同年12月11日に[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ]]が『[[ジャンヌ・ダルク (映画)|ジャンヌ・ダルク]]』や『[[ランダム・ハーツ]]』を封切りと同時に配給し、これを機に同館には順次各社から新作の配給がされるようになった。なお、これらの作品を自社チェーンで上映していた松竹
; [[滋賀県]][[大津市]]
: 1996年11月2日に開館したUCIジャパンのOTSU7シネマと1998年4月23日に開館した東宝直営の[[浜大津アーカス|浜大津アーカスシネマ]](
; [[福岡県]][[福岡市]]
: 1996年4月20日に[[AMCシアターズ|AMCエンターテインメント]]が九大都市ロードショー地域である福岡県福岡市にAMCキャナルシティ13を開館した。上映作品や料金設定など具体的な内容を開館直前まで発表せず、地元興行会社からはその手法から黒船と恐れられた<ref>
当時は大津市や横浜市の例に見られるように、配給会社から配給を受ける上映権を得るために争うことが多かった。しかしながら、従来は7割程度を占めていた従来館中心のロードショー館の興行収益比率がシネマコンプレックス中心のローカル館に押され、2000年には5割近くまで落ち込んでいた。このため配給会社はシネマコンプレックスにも配給を行うようになり、洋画系については2000年以降、おおよその地域ではこのような争いは見られなくなっていった<ref name="moviecollection20090801" />。そして、大半の競合地域では、単純に集客力を争っていくようになり、後に邦画3社が従来館中心からシネマコンプレックス中心へと軸足を動かす要因にもなっていく。
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1999年から2001年1月の間にシネマコンプレックスは急増する。この2年1ヶ月の間に主な興行会社だけで、ワーナー・マイカルが24サイト、ユナイテッド・シネマが7サイト、松竹マルチプレックスシアターズが7サイト、東宝および東宝系の六部興行が6サイト、ヴァージンシネマズ・ジャパンが5サイトの出店をしている。これは、1998年に「[[大規模小売店舗立地法]]」が成立したため、旧法である「[[大規模小売店舗法]]」の基準で計画されたショッピングセンターが旧法の期限である2001年1月までに駆け込み出店したためである。ショッピングセンターに併設されるシネマコンプレックスは結果的に急増する形になった。
2001年1月18日には[[ロウズ・シネプレックス・エンターテインメント]]が[[京都市]]二条の二条駅周辺区画整理事業用地内<ref name="nijo" group="
アメリカで連邦倒産法第11章を申請したのはロウズ社だけではなかった。アメリカでは1990年代にシェア獲得のためメガプレックスの出店競争が
{| class="wikitable"
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|}
一方で、2001年以降になると
;設備とサービスの変遷
'''予約システム'''
シネマコンプレックス
その後、2000年に[[アレックスシネマ]]がeメールを使用して席の予約をし、現地で支払うというシステムを導入。2002年にはヴァージンシネマズ・ジャパンがインターネットで支払いを行うチケット販売システム『Vit』を導入したのを皮切りに、インターネットでの販売が主流になっていった。 '''座席指定'''
ワーナー・マイカルやAMCエンターテインメントは、座席指定を行わない定員入替制を採用していた。また、一部を指定席にし一般料金より高めの料金設定をする劇場も見られた。しかし、1996年11月にUCIジャパンが開館したOTSU7シネマは全席指定制を採用した。そのため、1998年9月26日公開の『[[プライベート・ライアン]]』からワーナー・マイカルは全席指定制を部分採用する形に切り替えた。これ以降、シネマコンプレックスでは全席指定制が主流になっていった。さらに、1999年4月23日に開館した[[トリアス (ショッピングセンター)|ヴァージンシネマズトリアス久山(現:ユナイテッド・シネマ トリアス久山)]]はプレミアスクリーンとして座席幅を広くし、サイドテーブルのあるシートを採用した高付加価値のスクリーンを設置した。これにより単なる全席指定制では差別化が図れなくなり、各社とも特徴のあるサービスを行うようになっていった。
=== 2003年 - 2009年 ===
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2003年以降になると、外資系シネマコンプレックスの撤退を引き金に業界再編がはじまる。
外資系各社の攻勢でワーナー・マイカルが337スクリーンを保有していたのに対し、東宝グループは284スクリーンと劣勢に立たされていた。この状況に際し、東宝は他社の買収を模索していたとされる<ref group="
買収されたヴァージンシネマズ・ジャパンは改称しTOHOシネマズとなった<ref>{{Cite web
2004年4月22日にはマイカルと松竹の合弁であったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表された<ref group="PR">{{Cite web
また、2004年9月にUCIが撤退し、同社保有分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却した。さらに、2005年にはAMCエンターテインメントが撤退をする。AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズが[[7月1日]]にユナイテッド・シネマに売却された<ref name="avjournal200507" />。AMCイクスピアリ16は[[東京ディズニーリゾート]]を運営する[[オリエンタルランド]]と家賃を巡って係争中であったが、[[9月1日]]にそのオリエンタルランドに事業譲渡された<ref>{{Cite journal|和書|year=2005|month=10|title=映像最前線 オリエンタルランド、シネコンに興味津々まずAMCを直営化、新規出店の可能性も|journal=AVジャーナル|volume=45|issue=10|pages=23 頁|publisher=文化通信社}}</ref>。同サイトはデジタル3D映画システムの導入などを行い、2006年3月1日に同社の直営のシネマイクスピアリとなっている。
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;再度の急増
[[画像:Sapporo Cinema Frontier(2).jpg|thumb|240px|right|[[札幌ステラプレイス]]内にある札幌シネマフロンティア]]
この時期になると、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化が加速した。この動きの中では[[札幌シネマフロンティア]](TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)や、大阪の[[E-MA|梅田ブルク
動員もシネマコンプレックスが主体となっていった。[[2003年]]から[[2006年]]まで[[川崎市]]の[[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]]が年間観客動員数日本一に、[[2007年]]は観客動員数はMOVIXさいたま、興行収入はTOHOシネマズ[[六本木ヒルズ]]が日本一になった。
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大規模小売店舗法の下での駆け込み出店が行われた影響もあり、大規模小売店舗立地法が施行された後、しばらくは郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていた。前述の通り、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はあったが、従来館の置き換えであるため、スクリーン全体としては微増であった。2000年に2524スクリーンだったものが2003年末までに2681スクリーンになっただけで、157スクリーンしか増えていない<ref name="eiren_kakodata" />。
しかし、大規模小売店舗立地法自体が郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系であったため、2004年以降、増加傾向に拍車がかかった。さらに、2006年に[[まちづくり3法]]が改正され、郊外型ショッピングセンター新設に抑制がかけられたため、再び駆け込み出店が行われることになった。結果的に2006年には従来館も含めると3000スクリーンを突破し、2007年には3221スクリーンとなった<ref name="eiren_kakodata" />。これは1970年頃のスクリーン数とほぼ同じである。当時の映画人口は2億5千万人程度であったが、2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いており<ref name="eiren_kakodata">「[
観客数が横ばいでありながら各社の出店が続いていること、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が近年では短くなってきていること、インターネットによる[[ビデオ・オン・デマンド|オンデマンド配信]]も増えていることなど、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなっていった。また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年頃は平均座席占有率<ref group="
;各地の状況
[[画像:WARNER-MYCAL-CINEMAS-of-Kishiwada001.JPG|thumb|260px|right|閉館した「[[そよら東岸和田|ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田]]」<br />(2007年7月23日撮影)]]
シネマコンプレックスの同士での競合商圏内での出店が増えたため、再編、閉館などの動きが見られるようになった。
; [[大阪府]][[高槻市]]
: [[ジョイプラザ]]運営の高槻シネマルート170(2000年7月21日開館)とTOHOシネマズ運営のTOHOシネマズ高槻(2004年2月21日開館)の2サイトが、約2km程度の距離に存在した。2007年6月28日にTOHOシネマズ高槻が閉館し、営業譲渡されたジョイプラザが同一施設で同年6月30日から高槻ロコ9シネマ(現高槻アレックスシネマ)として運営している。また、同日に高槻シネマルート170は閉館し、同地域のシネマコンプレックスは1館に再編された。同地域に東宝の出店予定はなかったが、買収したヴァージンシネマズの出店計画が進んでおり出店せざるを得なかった。無駄な競合を避けるため、TOHOシネマズ高槻の開館後に再編をした<ref>{{cite news |title=TOHOシネマズ高槻、営業権譲渡の理由 |url=http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=11152 |newspaper=文化通信.com |publisher=文化通信社 |date=2007-06-04 |accessdate=2012-05-03 |archiveurl=
; [[大阪府]][[岸和田市]]
: 1993年4月29日[[
[[File:UNITED CINEMAS Kashihara.jpg|thumb|250px|ユナイテッド・シネマ橿原<br/>(2019年10月26日撮影)]]
; [[奈良県]][[橿原市]]
: 総人口12万5千人程度の都市でありながら、中心部の近鉄[[大和八木駅]]を中心に半径約2km圏内に[[橿原シネマアーク]](1999年7月24日開館、5スクリーン
; [[神奈川県]][[海老名市]]
: 1993年4月24日にワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現イオンシネマ海老名)が開業した9年後、2002年4月19日にヴァージンシネマズ海老名(現[[ビナウォーク#TOHOシネマズ海老名|TOHOシネマズ海老名]])が開業した。双方の映画館はわずか400mしか離れていない。しかし、この状況を逆手にとって、2002年から海老名商工会議所が中心となり、[[海老名プレミアム映画祭]]を開催し、海老名市を「シネマコンプレックス発祥の地」としてアピールした<ref>{{Cite web|和書|date=2008-
</ref>。
; [[埼玉県]][[熊谷市]]
: 2000年11月16日にワーナー・マイカル・シネマズ熊谷(現イオンシネマ熊谷)が開業した。従来館の[[シネティアラ21#シネプラザ21|シネプラザ21]]を運営していた鷹の羽興業は2003年9月30日に同館を閉館させ、2004年11月20日にシネマコンプレックスの[[シネティアラ21]]を開業させた。熊谷市の人口は20万人程度であるが、それぞれの立地(ワーナー・マイカルはショッピングセンター併設型、鷹の羽興業は駅前立地型)を活かし、共存した。
; [[三重県]][[津市]]
: 2000年12月15日にワーナー・マイカル・シネマズ津が開業。市内の従来館を相次いで閉館に追い込んだ後、2013年7月1日に[[イオン津ショッピングセンター|イオンシネマ津]]と改称。その後2018年11月9日、[[イオンモール津南]]内にイオンシネマ津南が開業し<ref>{{Cite web|和書|date=2018-09-10|author=中林暁|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1142295.html|title=Chirstie 4Kプロジェクタと大画面ULTIRAの映画館「イオンシネマ津南」11月開業|website=AV Watch|publisher=[[インプレス]]|accessdate=2025-06-16}}</ref>、人口26万人程度の津市<ref>{{Cite web|和書|date=2025-05-31|title=人口(男女別)・世帯数|url=https://www.info.city.tsu.mie.jp/www/contents/1001000000814/|website=津市|accessdate=2025-06-16}}</ref>にイオンシネマが2サイト存在する状況となったが、イオンシネマ津が建物の賃貸借契約満了を理由に2025年6月15日をもって閉館となった<ref>{{Cite news|date=2025-03-27|url=https://www.chunichi.co.jp/article/1044478|title=「イオンシネマ津」契約満了に伴い6月閉館 2000年オープン|newspaper=[[中日新聞]]|publisher=[[中日新聞社]]|accessdate=2025-06-16}}</ref>。
: なお、近年でも[[静岡県]][[沼津市]](シネマサンシャイン[[BiVi沼津|沼津]]・シネマサンシャイン[[ららぽーと沼津]])や[[愛知県]][[安城市]]([[安城コロナワールド|安城コロナシネマワールド]]・シネマワールド[[ららぽーと安城]])のように、[[中核市]]<ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000885088.pdf 中核市一覧]}}([[総務省]]・2021年4月1日現在){{Accessdate|2025-06-16}}</ref>ではない市に同一会社のシネコンが2サイトある事例も発生している。
;設備とサービスの変遷
シネマコンプレックス間での差別化を図るため、サービスや設備の個性化が進んだ<ref name="nikkeitrendy20081023">{{Cite web
コンテンツの差別化という点では、チェーンによる独占上映が行われた。[[2007年]][[4月9日]]にユナイテッド・シネマと東急レクリエーションが独自の番組編成を目的に提携したことを発表<ref group="PR">{{Cite press release|和書|date=2007-04-09|url=http://www.tokyu-rec.co.jp/company/news/2007/news_070409.pdf |title=ユナイテッド・シネマとの映画興行事業提携について|format=PDF|publisher=[[東急レクリエーション]]|accessdate=2018-02-19}}</ref>し、『[[アドレナリン (映画)|アドレナリン]]』など複数の作品が2社の劇場を中心に上映された。2007年[[12月20日]]にはティ・ジョイ、東急レクリエーション、ユナイテッド・シネマ、ワーナー・マイカル4社に拡大した「オープン・コラボレーション」という提携を発表<ref>{{cite news |title=ティ・ジョイ、東レク、UC、WMのシネコン4社が提携 |url=http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=16587 |newspaper=文化通信.com |publisher=文化通信社 |date=2007-12-21 |accessdate=2012-05-03 |archiveurl=
顧客サービス面の差別化ではTOHOシネマズの「ママズ クラブ シアター」などが挙げられる。小さな子供を持つ親を優先にした上映回を設定し、周りの観客に気兼ねなく鑑賞できるようにした。
サービス面の向上を図った結果、各地のシネマコンプレックスで導入されたサービスもある。例としてインターネット予約は各社で導入された。また、ポイントサービスはTOHOシネマズのシネマイレージをはじめ、各社とも導入を行った。一般にポイントサービスはヘビーユーザー向けの物だが、ワーナー・マイカルは「[[ティーポイント]]」と提携し、劇場であまり見ない層の集客を図っていた。しかし、[[2009年]][[6月27日]]にこのサービスは終了した<ref>{{Cite web|和書|date=2008-12-26|url=
座席幅が広かったりサイドテーブルが付いていたりする付加価値の高い座席も導入するところも増えた<ref name="businessmediamakoto20080905">{{Cite web
=== 2010年代以降 ===
[[2010年代]]に入ると、[[東日本大震災]]([[2011年]][[3月11日]])をはじめとする[[巨大地震]]や、相次ぐ大型[[台風]]の被害により数日間営業休止するサイトが目立つようになり、特に東日本大震災で被災した[[東北地方|東北]]・[[関東地方]]において、2週間以上営業休止に追い込まれた劇場は40サイト以上にのぼる<ref>{{Cite web|和書|title=震災で営業を休止していた映画館が続々と営業再開!|url=https://press.moviewalker.jp/news/article/21660/|date=2011-04-25|website=MOVIE WALKER PRESS|publisher=[[ムービーウォーカー]]|accessdate=2024-11-16}}</ref>。また[[令和]][[改元]]後の[[2020年]](令和2年)に[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症が世界的に流行]]し始めると、それに伴う[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]により1ヵ月以上も営業休止するサイトが目立った<ref>{{Cite web|和書|date=2020-06-04|url=https://eiga.com/extra/newnormal/4/|title=全国で映画館が営業再開! 6月の公開・上映スケジュールは? 映画ファンの声も紹介|website=[[映画.com]]|accessdate=2024-11-16}}</ref>。
ここでは特に半年以上再開が滞ったり、休閉館したサイトについて述べる。
==== 東日本大震災による影響 ====
; [[宮城県]]
: 柴田郡大河原町のシーズンズウォークフォルテ2階にあるシアターフォルテが東日本大震災の被害で休館し、復旧に時間がかかった。同施設は映画館のある2階部分の被害が特に大きくその補強工事とデジタル化に向けた工事が必要となっていた。当初は2012年3月に再開する予定であったが、結局何年も手つかずのままとなっていた。しかし、[[2018年]]になってようやく進展し、シアターフォルテ跡地にユナイテッド・シネマが入居することが発表され、同年[[7月4日]]、ユナイテッド・シネマ フォルテ宮城大河原として再開館した<ref>{{Cite news|date=2018-02-01|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201802/20180201_12027.html|title=仙南に映画の灯再び 宮城・大河原に今夏シネコン7年ぶり復活|newspaper=[[河北新報]]|publisher=[[河北新報社]]|accessdate=2018-02-19}}</ref>。{{see also|フォルテ (大河原町)}}
: また、仙台市泉区の泉コロナシネマワールドは被害が大きく2011年10月に閉館が決定。2007年11月のオープンからわずか4年で撤退となった。建物は再開発され、跡地は[[ユニクロ]]仙台泉店となっている。仙台市宮城野区の仙台コロナワールドは2011年9月に瓦礫の撤去作業までは終了し、併設のホテルやアミューズメント施設は相次いで再開したが、その後の改装や同市中心部にオープンした[[仙台パルコ#TOHOシネマズ仙台|TOHOシネマズ仙台]]の台頭などもあってか、シネコン自体は再開の目途が立たず事実上の閉鎖状態となっている<ref group="PR">{{Cite press release|和書|date=2012-11-15|url=http://www.korona.co.jp/WhatsNew/Detail.asp?Seq=1048|title=仙台コロナワールド今後の営業についてのお知らせ|publisher=[[コロナワールド]]|accessdate=2018-07-05}}</ref><ref name="bunkatsushin201105eq">{{Cite journal|和書 |year=2011 |month=05 |title=4月末の休業数は10社で10、全体で15ほど 震災で休業した映画館、復旧して再開進む |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=51 |issue=05 |pages=6-7 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref><ref name="bunkatsushin201110eq">{{Cite journal|和書 |year=2011 |month=10 |title=鴻巣、フォルテ等が休業中/富谷は再開 東日本大震災から半年、映画館のその後 |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=51 |issue=10 |pages=58 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。
[[画像:Konosu Konosu City Library 1.JPG|thumb|260px|東日本大震災の影響で閉館したシネマックス鴻巣]]
; [[埼玉県]][[鴻巣市]]
: [[エルミこうのす]]内にあった[[USシネマ|シネマックス鴻巣]]が東日本大震災の影響で閉館した<ref name="cinemaxkonosu">{{Cite web|和書|author=シネマックス鴻巣|authorlink=シネマックス|date=2011-12-15|url=http://www.cinemax.co.jp/konosu/|title=シネマックス鴻巣 閉館のご案内|publisher=千葉興行|language=日本語|accessdate=2011-12-23}}</ref>。このショッピングセンターはディベロッパーが破綻したため、地権者が中心となる鴻巣駅東口A地区市街地再開発組合の手によって2008年5月23日に開業させたもの。しかし、劇場は出店予定のワーナー・マイカルが親会社の意向で撤退したため<ref>「街にシネコンできるの
; [[千葉県]][[印西市]]
: [[日活]]が経営し、[[東京テアトル]]に運営を委託していたシネリーブル千葉ニュータウンも東日本大震災で大規模な被害を受け、復旧に時間がかかった劇場の1つである。東京テアトルは復旧に多くのコストが掛かるとして運営再開を断念したため、日活は運営委託先をシネマックスなどを展開する千葉興行に変更した。座席を撤去した上で足場を組んで天井を復旧するなどの修復作業を行い、音響面や上映設備のデジタル化などの変更なども加えられた。名称もシネマックス千葉ニュータウンと変更し、下層階にあった6スクリーンは2011年7月9日に、上層階にあった4スクリーンは同年11月26日にそれぞれ営業を再開した<ref group="PR" name="chibant20110607">{{Cite press release|和書|date=2011-06-17 |url=http://www.theatres.co.jp/news/2011/2011_6_17.htm |title=「シネリーブル千葉ニュータウン」当社による運営終了のお知らせ |publisher=東京テアトル株式会社 |accessdate=2013-04-02}}</ref><ref name="chibant20110720">{{Cite web
==== 熊本地震による影響 ====
[[2016年]][[4月]]に[[熊本県]]を中心に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、同県[[熊本市]][[中央区 (熊本市)|中央区]]のグランパレッタ熊本内にあるシネプレックス熊本が「[[ユナイテッド・シネマ熊本]]」と改称して2016年[[11月23日]]に再開館<ref>{{Cite news|date=2016-10-12|url=https://natalie.mu/eiga/news/205095|title=シネプレックス熊本が名称新たに営業再開、埼玉・新座とあわせ4DX新規導入|agency=[[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher=ナターシャ|accessdate=2018-11-21}}</ref>。同市[[南区 (熊本市)|南区]]の[[ゆめタウンはません]]内にある「TOHOシネマズはません」が[[2017年]][[3月16日]]に<ref name="BG-Mania">{{Cite web|和書|date=2017-03-09|url=https://bg-mania.jp/2017/03/09196045.html|title=ただいま、映画。ただいま、熊本。2つの映画館が再開|website=東京バーゲンマニア|publisher=[[ジェイ・キャスト]]|accessdate=2024-12-07}}</ref>、同県[[上益城郡]][[嘉島町]]の[[イオンモール熊本]]内にある「イオンシネマ熊本」が[[3月24日|同月24日]]に営業再開<ref name="BG-Mania"/><ref group="PR">{{Cite press release|和書|date=2017-02-17|url=http://www.aeoncinema.com/company/press/17/02/0217.pdf|title=「イオンシネマ熊本」3月24日(金)営業再開が決定|publisher=イオンエンターテイメント|format=PDF|accessdate=2018-11-21}}</ref>と、復旧に半年以上の時間がかかった。その後ユナイテッド・シネマ熊本はグランパレッタを含む周辺施設の再開発に伴い[[2025年]][[3月30日]]をもって閉館<ref>{{Cite news|date=2024-12-03|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20241203-OYTNT50063/|title=「グランパレッタ熊本」25年3月30日閉館、「ユナイテッド・シネマ熊本」も営業終了…一帯を再開発へ|newspaper=[[読売新聞]]|publisher=[[読売新聞社]]|accessdate=2025-05-18}}</ref>。TOHOシネマズはませんとイオンシネマ熊本は営業を継続している。
==== 令和5年台風第7号による影響 ====
[[File:MOVIX Yao.jpg|thumb|250px|MOVIX八尾(2019年1月撮影)]]
[[2023年]][[8月]]に発生した[[令和5年台風第7号]]の被害により、[[大阪府]][[八尾市]]の[[アリオ八尾]]内にあるMOVIX八尾が休館し、復旧に時間がかかった<ref name="八尾">{{Cite web|和書|date=2023-08-19|url=https://yao.goguynet.jp/2023/08/19/ario-taihu/|title=【八尾】アリオ八尾、台風7号の影響により一部専門店の休業が続いています。|website=号外NET|publisher=本氣(マジ)メディア株式会社|accessdate=2024-11-16}}</ref>。同施設では屋根の一部が剥がれ、MOVIXの場内まで漏水の被害が発生<ref name="丸善">{{Cite news|date=2024-01-18|author=西川博明|url=https://www.sankei.com/article/20240118-ZQJ5UDIKSJMQLOBGAOT4UAO2GM/|title=台風7号で被害、書店「丸善」5カ月ぶり営業再開 大型商業施設のアリオ八尾|newspaper=産経WEST|publisher=[[産業経済新聞社]]|accessdate=2024-11-16}}</ref>。[[イトーヨーカドー]]をはじめとするテナントの多くが徐々に営業を再開した一方<ref name="八尾"/><ref name="丸善"/>、MOVIX八尾は時間をかけて3面ライブスクリーンを新設する等の大規模な改修工事を行った結果、[[2024年]][[11月15日]]に営業を再開。1年3ヵ月ぶりに八尾市内に映画の灯がともった<ref group="PR">{{Cite press release|和書|date=2024-10-16|url=https://www.smt-cinema.com/news/detail/073304.html|title=MOVIX八尾 2024年11月15日(金)リニューアルオープン 関西初! 3面ライブスクリーンを導入|publisher=松竹マルチプレックスシアターズ|accessdate=2024-11-16}}</ref>。
== 商圏と各地の状況 ==
=== 商圏の変化 ===
シネマコンプレックスが国内に参入した当初は郊外の映画館
「映画館数は商圏人口に比例する」と1950年代から言われており、シネマコンプレックスも例外ではない。シネマコンプレックスが併設されることが多いショッピングセンターは、およそ20 - 30kmが商圏と言われている<ref name="nchiiki20001106">浅田和幸 「特集 激戦、シネコンの地方展開 年内に1000スクリーン突破、総数の4割へ 大都市・中心市街地型立地も」 『日経地域情報』2000年11月6日354号、日経産業消費研究所、2000年、1-12頁</ref>。シネマコンプレックス自体の商圏は、
シネマコンプレックスの売り上げは、ショッピングセンターの売り上げの5%程度であり<ref>山本マーク豪 『ポップコーンはいかがですか?』 新潮社、2003年、115-116頁 ISBN 4-10-464301-7</ref>、集客力もあることから、ショッピングセンターでは破格のテナント料で誘致されてきた。例えば、ヴァージンシネマズ南大沢(現TOHOシネマズ南大沢)は20年の定期借家契約を結ぶ代わりに賃料は相場の80%程度となっている<ref>{{Cite journal |和書 |title = 特集 不動産大革命 不良債権が収益ビルに |date = 2002-07-22 |publisher = 日経BP社 |journal = 日経ビジネス |number = 1151 |pages = 30-33}}</ref>。
2009年以降になると、シネマコンプレックスの新規開業も1桁台が続いており、落ち着きを見せている<ref name="bunkatsushin201212kaigyo">{{Cite journal|和書 |year=2012 |month=01 |title=スクリーン減少は、実に1993年以来 2011年映画館の新規開業、閉館など |journal=月刊文化通信ジャーナル |volume=52 |issue=01 |page=41 |publisher=文化通信社 |accessdate=2013-04-02 }}</ref>。
==== 空白地帯 ====
多くの県は県庁所在地にシネマコンプレックスが存在するが、以下の通り書類上を含め県庁所在地に存在しない、または逆に県庁所在地しか存在しない例がある。
;[[山梨県]][[甲府市]]
:甲府市は、中心部に[[甲府ワシントンホテルプラザ#甲府武蔵野シネマ・ファイブ|甲府武蔵野シネマ5]]、市内[[甲府バイパス]]沿いに[[グランパーク#グランパーク東宝8|グランパーク東宝8]]が存在したが、2011年3月にどちらも休館または閉館<ref>{{cite news|title=甲府武蔵野シネマ・ファイブ 郊外館進出・赤字で休館へ|author=佐藤美鈴|publisher=朝日新聞|edition=山梨全県版、朝刊|date=2011-02-10|page=35}}</ref><ref>{{cite news|title=『グランパーク東宝8』10年で幕 3月13日」|publisher=朝日新聞|date=2011-02-02|edition=山梨全県版、朝刊|page=33}}</ref>したことでシネマコンプレックスが消滅した(グランパーク東宝8は[[昭和町]]にある[[イオンモール甲府昭和#TOHOシネマズ甲府|TOHOシネマズ甲府]]へ事実上移転)。また、甲府市は従来型の映画館も相次いで閉館し、唯一営業を続けていた[[シアターセントラルBe館]]も2023年12月14日に休館したが<ref name="kofukeizai20231207">{{Cite news|url=https://kofu.keizai.biz/headline/41/|title=甲府市でただ一つの映画館「シアターセントラルBe館」が休館|newspaper=甲府経済新聞|date=2022-12-07|accessdate=2024-07-23}}</ref>、2025年[[5月2日]]に営業を再開したため、同市内の映画館消滅は回避された<ref>{{Cite news|date=2025-05-06|url=https://kofu.keizai.biz/headline/331/|title=甲府市唯一の映画館「シアターセントラルBe館」が上映再開|newspaper=甲府経済新聞|accessdate=2025-05-18}}</ref>。
:山梨県全体を見ても'''シネマコンプレックスは先述のTOHOシネマズ甲府のみ'''で、それ以外は休日のみ上映を行う'''非常設型'''かつ子供向け映画を中心に上映する映画館<ref>{{cite web|url=http://www.cinema-st.com/road/r071.html|title=塩山シネマ(2009年10月取材)|publisher=港町キネマ通り|accessdate=2024-12-24}}</ref>の[[塩山シネマ]]が[[甲州市]]にあるのみとなっており、'''常設型の映画館に関してもTOHOシネマズ甲府とシアターセントラルBe館のみ'''となっている。但し元からシネマコンプレックスや映画館が少なかったわけではなく、むしろ2001年頃の甲府市は'''人口に対するスクリーン数の多さは市町村単位で全国1、2を争う'''<ref name="kofukeizai20231207" />とまで言われていた。しかし甲府市街地空洞化に加え[[オーバーストア]]による過当競争が指摘され、さらに[[やまなし映画祭]]の負担などでシネマコンプレックスや映画館が疲弊してしまい、結果ドミノ倒しのように閉館や休館が相次いでしまった。
:この状況に山梨県出身の映画監督である[[成島出]]が映画館の存続を訴えたほか<ref name="mainichi2013-02-10">{{cite news|title=やまなし映画祭:「映画館を残して」 成島監督あいさつ /山梨 |publisher=毎日新聞|date=2013-02-10}}</ref>、地元マスメディアの[[山梨放送]]も映画館復活に向けたイベントを開催している<ref>{{cite web|url=https://www.ybs.jp/pr/19xxfilmfestival/|title=19xx映画祭|publisher=山梨放送|accessdate=2024-07-21}}</ref>。甲府市も空白化対応に動いており、[[岡島百貨店 (旧店舗)|岡島百貨店]]跡地に建設予定の複合施設にシネマコンプレックスを誘致する計画がある<ref>{{Cite News|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC167L30W3A610C2000000/|title=甲府・岡島百貨店跡の再開発、商業施設にシネコン|newspaper=日本経済新聞|date=2023-06-16|publisher=日本経済新聞社|accessdate=2023-12-11}}</ref>。
;[[鳥取県]][[鳥取市]]
:鳥取市は、従来型映画館の[[鳥取シネマ]](2スクリーン)が存在するものの、同館は話題作が上映されていない<ref name="tottori-2018-08-14">{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/teian/contents/1540889863816/index.html|title=2018.08.14 「シネコンのない県庁所在地」の返上(若者の定住する魅力ある街へ) 1820-A0022-001|website=鳥取市|publisher=鳥取市|date=2018-11-01|accessdate=2022-06-08}}</ref>、されても1ヶ月以上経ってからということがあり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cinema-st.com/road/r130.html|title=鳥取シネマ(港町キネマ通り)|website=港町キネマ通り|date=2017-07|accessdate=2022-06-08}}</ref>、市の[[目安箱]]「[https://www.city.tottori.lg.jp/www/teian/index.html 市政提案箱]」にシネマコンプレックスの誘致を願う意見が投書されたこともあった<ref name="tottori-2018-08-14"/>。
:その後は先述の甲府市と同様の対応に動いており、[[鳥取駅]]周辺の再開発地区にシネコンを誘致する計画が報じられている<ref>{{Cite news|date=2024-08-27|url=https://www.nnn.co.jp/articles/-/377511|title=鳥取市にシネコン実現か JR鳥取駅周辺再整備計画で浮上 運営会社参入に前向き|newspaper=[[日本海新聞]]|publisher=[[新日本海新聞社]]|accessdate=2024-08-30}}</ref>。
:県内には他にも映画館はあるが、[[湯梨浜町]]のジグシアターが1スクリーン([[ミニシアター]])<ref>{{Cite web |author=映画ナタリー編集部|url=https://natalie.mu/eiga/news/437938|title=鳥取に新たなミニシアターがオープン、設立者とユーロスペース支配人が対談|website=映画ナタリー|publisher=株式会社ナターシャ|date=2021-07-22|accessdate=2025-04-22}}</ref>、[[倉吉市]]の[[パープルタウン#シネマエポック|シネマエポック]]が3スクリーン<ref>{{Cite web|url=http://www.cinema-st.com/road/r131.html|title=倉吉パープルタウン シネマエポック|website=港町キネマ通り|date=2017-07|accessdate=2025-04-22}}</ref>、[[日吉津村]]の[[イオンモール日吉津#MOVIX日吉津|MOVIX日吉津]]('''県内唯一のシネマコンプレックス''')が6スクリーンであり<ref>{{Cite web|url=https://eiga.com/theater/31/310301/6003/|title=MOVIX日吉津|website=映画.com|accessdate=2025-04-22}}</ref>、いずれも規模が小さい。
;[[山口県]][[山口市]]
:山口市は、かつて[[山口スカラ座]]が存在したが、同館はわずか4スクリーンしかなく、前述の通商産業省の定義にも日本映画製作者連盟の定義にも満たしていなかった。同館は近隣のシネマコンプレックスやDVDレンタル店に押され2012年11月1日に閉館<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/121026/ymc12102602060000-n1.htm |title=山口スカラ座、半世紀の歴史に幕 シネコン、DVDレンタル店に押され |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産業経済新聞社 |date=2012-10-26|accessdate=2021-08-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121030094314/http://sankei.jp.msn.com/region/news/121026/ymc12102602060000-n1.htm |archivedate=2012-10-30}}</ref>。なお、隣接する[[防府市]]に[[イオン防府店|イオンシネマ防府]]がある。
;[[奈良県]][[奈良市]]
:[[奈良県]][[奈良市]]はシネマコンプレックスが存在しない県庁所在地として扱われることがある<ref name="voiceofnara">{{cite news |title=県都の映画館 ゼロになったのか? |author=浅野善一 |newspaper=ニュース奈良の声 |date=2011-10-11 |url=http://voiceofnara.jp/news132.html |accessdate=2021-08-03}}</ref>。同市には[[イオンモール高の原#イオンシネマ高の原|イオンシネマ高の原]]<!--(旧ワーナー・マイカル・シネマズ高の原)-->が所在し、税金も同市に納めてはいるが、同館が入居する[[イオンモール高の原]]が[[京都府]][[木津川市]]との県境に所在することなどから興行場法の営業許可を同府へ申請しており、'''書類上では奈良市にシネマコンプレックスが存在せず'''、木津川市に所在することとなっている{{R|voiceofnara}}。なお、かつては市街地に[[シネマデプト友楽]]が存在したが、近隣のシネマコンプレックスとの競合や運営会社の社長が病気を患ったこともあって2010年1月31日に閉館した。
;県庁所在地しか存在しない例
:[[高知県]]は[[高知市]]([[イオンモール高知|TOHOシネマズ高知]])、[[宮崎県]]は[[宮崎市]]([[セントラルシネマ宮崎]]・[[アミュプラザみやざき#ワンダーアティックシネマ|ワンダーアティックシネマ]])以外にシネマコンプレックスが存在しない。
=== 近年の状況 ===
近年は新たな出店が落ち着いてきたが、不採算サイトの撤退が見られている。また、地域活性化のための出店など新たな動きもある。
;[[青森県]][[青森市]]
:2001年3月1日、青森県内としては今世紀初の新規開業映画館となる青森コロナシネマワールドが複合型アミューズメント施設「青森[[コロナワールド]]」内にオープン。以後20年間にわたり営業していたが、建物の賃貸借契約の都合で2021年8月29日に閉館<ref>{{Cite news|author=吉備彩日|url=https://www.asahi.com/articles/ASP6T6RF7P6TULUC00D.html|title=青森コロナワールド閉館 映画館は8月末まで 青森|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=株式会社朝日新聞社|date=2021-06-26|accessdate=2022-06-08}}</ref><ref>{{Cite news |author= |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210831-OYT1T50082/|title= 青森の「コロナワールド」営業を終了、支配人「みなさんの思い出に」|newspaper=読売新聞オンライン|date=2021-08-31|publisher=読売新聞社|accessdate=2022-06-08}}</ref>。同業他社が映画館を引き継ぐ話も浮上したが、所有者と話がまとまらず、結果市内で上映されない映画が出るなどの影響が出ていた<ref>{{Cite news|和書|author=長谷川恵子|url=https://www.toonippo.co.jp/articles/-/929720|title=シネコン、青森市にいつ復活 コロナワールド 閉館半年|newspaper=[[東奥日報]]|page=1|publisher=株式会社東奥日報社|date=2022-03-15|accessdate=2022-06-08}}</ref>。その後、イオンエンターテイメントが青森コロナワールド跡に「[[イオンシネマ新青森]]」の出店を発表し、2024年3月20日に開業。青森市内に約2年半ぶりにシネマコンプレックスが復活した<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/552612|title=青森市に新たな映画館・イオンシネマ新青森が3月オープン|website=[[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2022-12-11|accessdate=2024-03-21}}</ref><ref group="PR">{{Cite press release|和書|date=2024-02-15|url=https://www.aeoncinema.com/company/press/24/02/0215.pdf|title=「イオンシネマ新青森」3月20日(水・祝)グランドオープン|publisher=イオンエンターテイメント株式会社|accessdate=2024-03-21|format=PDF}}</ref>。
[[File:Jp multiplex cinemax ashikaga.jpg|thumb|250px|シネマックスが入居していた頃のあしかがハーヴェストプレース(現:アシコタウンあしかが、2009年2月撮影)]]
; [[栃木県]][[足利市]]
: 2007年12月22日、足利市内活性化の原動力となるよう期待されつつ、あしかがハーヴェストプレース内に[[USシネマ|シネマックス足利]]が開館した。しかし、わずか1年3ヶ月後の2009年2月27日に閉館した。同市内に競合となるようなシネマコンプレックスは存在しなかったが、広域的に見ると佐野市に1サイト、後述の群馬県太田市に2サイト存在しており、地域間での集客競争が激化していた。結果、想定の半数程度しか動員が伸びず、業績不振に至ったとされる<ref name="mainichi20090217">{{cite news |title=シネマックス足利:来月27日閉館へ 「観客数想定の半分」 /栃木 |author=古賀三男 |url=http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20090117ddlk09020153000c.html |newspaper=毎日新聞 |publisher=毎日新聞社 |date=2009-01-17 |archiveurl=
; [[群馬県]][[太田市]]
: 2012年3月31日に太田コロナシネマワールドが閉館している。同劇場は2003年12月3日に後発の[[イオンモール太田|イオンシネマ太田]]が開館して以降、動員数が減少しており閉館に至った。コロナでは立て続けに4サイトの閉館・休館を決めており、経営的に抜本的な見直しを図っているとされる。また、残ったイオンシネマも商圏としては伊勢崎市や埼玉県羽生市と競合しているとされ、地域間での集客競争が激化している<ref name="sankei20120127">{{cite news |title=シネコン乱立、生き残り熾烈 県内第1号、3月末閉館 群馬 |author=伊藤徳裕 |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120127/gnm12012702100003-n1.htm |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経新聞社 |date=2012-01-27 |accessdate=2013-04-05 |archiveurl=
; [[千葉県]][[茂原市]]
: 外房にある[[茂原ショッピングプラザアスモ|シネマサンシャイン茂原]]は1997年7月12日に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。しかし、15年の賃貸借契約が満了タイミングで契約を終了し、2012年9月2日に閉館。これにより茂原市内から映画館が全て姿を消した。契約を延長し今後も営業を続けるためにはデジタル化をする必要に迫られたが、VPFを活用したとしても設備導入や継続的な運営に一定の投資が必要となる。この地域ではデジタル化の投資回収が難しいと見られ、閉館するに至った<ref name="bunkatsushin201207sasaki" />。
[[ファイル:GENTO YOKOHAMA 1.jpg|thumb|250px|109シネマズMM横浜があったGENTO YOKOHAMA]]
; [[神奈川県]][[横浜市]]
: [[みなとみらい地区]]は集客力のある地域だが、1999年にワーナー・マイカル・シネマズみなとみらい(現イオンシネマみなとみらい)が開業して以降、2004年には暫定商業施設(10年程度の運営を予定)の[[GENTO YOKOHAMA]]内に109シネマズMM横浜、2010年には[[桜木町駅]]前の複合商業ビル・[[ヒューリックみなとみらい|TOCみなとみらい]](現ヒューリックみなとみらい)内に[[ティ・ジョイ|横浜ブルク13]]がオープンしている。また、建設計画自体が中止となったが2011年に開業を目指していた[[
; 神奈川県[[大和市]]
: 2000年11月9日、つきみ野サティ(現「[[イオンつきみ野店]]」)開業と同時にワーナー・マイカル・シネマズつきみ野(後に「イオンシネマつきみ野」に改称)が開館したが2018年2月28日に閉館、商圏の競合ではなくイオンつきみ野店の建て替えの為に閉館した<ref>{{Cite news|date=2017-09-23|url=https://www.townnews.co.jp/0401/2017/09/29/400557.html|title=イオンつきみ野店、来年2月で休業、建て替え後、19年秋再開|newspaper=タウンニュース|publisher=株式会社タウンニュース社|accessdate=2020-02-29}}</ref>。その後、西隣りの[[座間市]]の[[イオンモール座間]]内にイオンシネマが移転オープンした。
: なお、イオンシネマでは後に類似の事例が発生しており、[[石川県]][[野々市市]]において1998年3月14日に御経塚サティ(後に「[[イオン御経塚ショッピングセンター|イオン御経塚店]]」に改称)開業と同時に開館したワーナー・マイカル・シネマズ御経塚(後に「イオンシネマ御経塚」に改称)がイオン御経塚店の閉店に伴い2021年5月31日に閉館し<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC313YP0R30C21A5000000/|title = 金沢ベッドタウン商圏に変化 野々市市のイオン閉店|newspaper = 日本経済新聞|date = 2021-05-31|accessdate = 2023-12-11}}</ref>、西隣りの[[白山市]]に2021年7月19日に開業した[[イオンモール白山]]内にイオンシネマ白山として事実上移転オープンしている<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.ryutsuu.biz/store/n060215.html|title = イオンモール白山/北陸最大級の商業施設7月19日オープン、専門店200店|website = 流通ニュース|date = 2021-06-02|accessdate = 2023-12-11}}</ref>。
; [[静岡県]][[富士市]]
: 富士地区にある富士ショッピングセンターパピー内の富士シネ・プレーゴは1998年に開館し、直接の競合となるシネマコンプレックスはない状態であった。
[[File:Tenmonkan Cinema Paradise 2013-08.JPG|thumb|250px|天文館シネマパラダイスのロビー(2013年8月撮影)]]
; [[鹿児島県]][[鹿児島市]]
: 衰退しつつある[[天文館]]の活性化を図るために、2006年10月11日までに閉館した従来館の代わりとなるコア施設として、商店街が中心となりシネマコンプレックスが計画された。近隣には
: 2012年5月3日に[[天文館シネマパラダイス]] == 各社シネマコンプレックス ==
ここでは、原則スクリーンが5つ以上あるものをシネマコンプレックスと見做す。
<!-- 通常、シネマコンプレックスとして統計や一覧を作成する場合、5または6スクリーン以上のサイトを対象とします。そのため、4スクリーン以下のサイトの加筆はご遠慮ください。もし、何らかの加筆する理由がある場合、ノートに記載を願います。 -->
=== 映画会社・大手興行会社系列 ===
ディノスシネマとオーエスは大手ではないが、大手の映画会社や興行会社が出資しているためこちらに記載。
{| class="wikitable"
|-
!運営会社!!ブランド!!備考
|-
|[[イオンエンターテイメント]]||イオンシネマ||[[イオングループ]]<br />[[イオン (企業)|イオン]]子会社
|-
|[[TOHOシネマズ]]||TOHOシネマズ<br />[[札幌シネマフロンティア]]||[[阪急阪神東宝グループ]]<br />[[東宝]]子会社
|-
|[[ローソン・ユナイテッドシネマ]]||ユナイテッド・シネマ<br />ローソン・ユナイテッドシネマ<br />シネプレックス||[[ローソン]]・[[三菱商事]]傘下
|-
|[[松竹マルチプレックスシアターズ]]||MOVIX<br />ピカデリー||[[松竹]]子会社
|-
|[[東急レクリエーション]]||[[109シネマズ]]<br />[[ムービル]]||[[東急グループ]]<br />[[東急]]子会社
|-
|[[ティ・ジョイ]]||T・ジョイ<br />[[新宿三丁目イーストビル|新宿バルト9]]<br />[[コレットマーレ#横浜ブルク13|横浜ブルク13]]<br />[[イオンモール広島府中#広島バルト11|広島バルト11]]<br />[[有楽興行#映画事業|鹿児島ミッテ10]]<br />[[こうのすシネマ]]
|[[東映]]子会社{{efn|東急レクリエーションや佐々木興業など複数の興行会社がパートナー企業として提携している<ref>{{Cite web |url=https://tjoy.co.jp/about/partner|title=パートナー情報|publisher=株式会社ティ・ジョイ|accessdate=2024-12-24}}</ref>。}}
|-
|[[コロナワールド]]||シネマワールド||rowspan="2"|
|-
|佐々木興業||[[シネマサンシャイン]]
|-
|[[ディノスシネマ]]||ディノスシネマズ||佐々木興業子会社
|-
|[[オーエス]]||OSシネマズ||阪急阪神東宝グループ<br />東宝出資
|}
=== 中堅興行会社系列 ===
3サイト以上運営している会社。
{| class="wikitable"
|-
!運営会社!!ブランド!!備考
|-
|フォーラム運営委員会<br />([[フォーラムシネマネットワーク]])||フォーラム||rowspan="3"|
|-
|colspan="2" style="text-align:center"|[[USシネマ]]
|-
|[[ヒューマックスシネマ]]||HUMAXシネマズ
|-
|colspan="2" style="text-align:center"|[[アレックスシネマ]]||{{efn|[[平和堂]]グループではないものの、同社の意向によって社員が独立の上で設立した経緯があり<ref>{{Cite web|url=http://www.cinema-st.com/amuse/a053.html|title=水口アレックスシネマ|website=港町キネマ通り|date=2018-08|accessdate=2025-04-26}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.cinema-st.com/amuse/a055.html|title=敦賀アレックスシネマ|website=港町キネマ通り|date=2019-04|accessdate=2025-04-26}}</ref>、繋がりが強い。}}
|-
|[[オー・エンターテイメント]]||[[オー・エンターテイメント#ジストシネマ|ジストシネマ]]||[[オークワ]]子会社<br />{{efn|ジストシネマ和歌山以外のサイトは、厳密にはシネマコンプレックスではない(スクリーンが3~4スクリーンの為)。}}
|-
|[[セントラルシネマ宮崎|セントラル観光]]||セントラルシネマ<br />ワンダーアティックシネマ||
|-
|[[ザ・テラスホテルズ]]||ミハマ7プレックス<br />シネマQ<br />サザンプレックス<br />[[イオンモール沖縄ライカム#シネマライカム|シネマライカム]]||[[國場組]]子会社
|}
=== その他 ===
{| class="wikitable"
|-
!運営会社!!ブランド!!備考
|-
|[[太陽グループ]]||[[太陽グループ#映画館「シネマ太陽」|シネマ太陽]]||rowspan="2"|
|-
|シネマセンター||[[イオンモールつがる柏|シネマヴィレッジ8・イオン柏]]
|-
|台町ティー・エム・シー||[[シネマ・リオーネ古川]]||東急レクリエーションと提携
|-
|[[ムービーオン]]||MOVIE ON やまがた||
|-
|秋田シネマ&エンターテイメント||[[AL☆VEシアター]]||東急レクリエーションと提携
|-
|[[まちポレいわき|名画座]]||[[イオンモールいわき小名浜#ポレポレシネマズいわき小名浜|ポレポレシネマズいわき小名浜]]||TOHOシネマズと提携
|-
|銀星座||シネマロブレ5<br />[[おやまゆうえんハーヴェストウォーク|シネマハーヴェストウォーク]]||
|-
|[[イウォレ京成]]||京成ローザ10イースト<br />京成ローザ10ウエスト||[[京成グループ]]
|-
|[[イクスピアリ (企業)|イクスピアリ]]||シネマ[[イクスピアリ]]||京成グループ<br />AMCの居抜き
|-
|パシフィカ・モールズ||[[旭サンモールショッピングセンター|旭サンモールシネマ]]||rowspan="12"|
|-
|鷹の羽興業||[[シネティアラ21]]
|-
|[[シネマシティ]]||シネマ・ワン<br />シネマ・ツー
|-
|colspan="2" style="text-align:center"|[[チネチッタ (川崎市)|チネチッタ]]
|-
|金子興業||[[JMAX THEATER]]
|-
|中谷商事||[[長野グランドシネマズ]]
|-
|[[井上 (百貨店)|井上]]||[[アイシティ21#アイシティシネマ|アイシティシネマ]]
|-
|北原||[[シネマライツ8]]
|-
|colspan="2" style="text-align:center"|[[岡谷スカラ座]]
|-
|東部事業||[[ジョイランド]]みしま
|-
|[[静活]]||シネシティ・ザート<br />シネプラザサントムーン
|-
|[[日映]]||[[静岡東宝会館]]<br />[[BiVi藤枝#藤枝シネ・プレーゴ|藤枝シネ・プレーゴ]]
|-
|[[きんえい]]||[[あべのアポロ#あべのアポロシネマ|あべのアポロシネマ]]||[[近鉄グループホールディングス|近鉄グループ]]
|-
|アースシネマズ||[[テラッソ姫路#アースシネマズ姫路|アースシネマズ姫路]]||rowspan="3"|
|-
|フューレック||[[フジグラン神辺#福山エーガル8シネマズ|福山エーガル8シネマズ]]
|-
|毎日興業||[[フジグラン宇部|シネマ・スクエア7]]
|-
|スバル興業||[[シネマボックス太陽]]||[[スバル興業|同名の東宝子会社]]及び<br />前述の太陽グループとは無関係。
|-
|天文館||[[天文館シネマパラダイス]]||日映、TOHOシネマズと提携
|}
=== 共同事業 ===
一部のシネマコンプレックスは以下のように複数同業者共同運営、及び他社との共同運営によるものがある。
{| class="wikitable"
|-
!ブランド!!経営主体!!共同運営会社!!備考
|-
|[[キタカラ|T・ジョイ稚内]]||'''最北シネマ'''||ティ・ジョイ||{{efn|全3スクリーンしか存在せず厳密にはシネコンではないが、「T・ジョイ」ブランドを使用して共同事業で運営されていることから、参考として記載。}}
|-
|[[札幌シネマフロンティア]]||'''TOHOシネマズ'''||松竹マルチプレックスシアターズ<br />ティ・ジョイ||
|-
|[[アシコタウンあしかが|ユナイテッド・シネマ<br />アシコタウンあしかが]]<br />[[ウニクス秩父#ユナイテッド・シネマ ウニクス秩父|ユナイテッド・シネマ<br />ウニクス秩父]]<br />[[ウニクス上里#ユナイテッド・シネマ ウニクス上里|ユナイテッド・シネマ<br />ウニクス上里]]<br />[[ウニクス南古谷|ユナイテッド・シネマ<br />ウニクス南古谷]]||'''ローソン・ユナイテッドシネマ'''||ピーアンドディコンサルティング||{{efn|経営はそれぞれの施設を管理するピーアンドディコンサルティングが行うが、実際の運営業務はローソン・ユナイテッドシネマへ委託している{{R|kdx-UC}}{{R|pd-interview}}。}}
|-
|[[こうのすシネマ]]||rowspan="6"|'''ティ・ジョイ'''||[[鴻巣市]]||{{efn|鴻巣市は所有のみ。指定管理者としてティ・ジョイが運営。}}
|-
|[[エミテラス所沢#T・ジョイ エミテラス所沢|T・ジョイエミテラス所沢]]||松竹マルチプレックスシアターズ<br />[[西武リアルティソリューションズ]]||
|-
|[[東映東京撮影所#T・ジョイSEIBU大泉|T・ジョイSEIBU大泉]]||rowspan="2"|西武リアルティソリューションズ||{{efn|元々はティ・ジョイの単独運営だった。}}
|-
|[[品川プリンスホテル#T・ジョイPRINCE品川|T・ジョイPRINCE品川]]||{{efn|元々は[[プリンスホテル]]による単独運営だった。}}
|-
|[[新宿三丁目イーストビル#新宿バルト9|新宿バルト9]]<br />[[イオンモール広島府中#広島バルト11|広島バルト11]]||TOHOシネマズ||rowspan="6"|
|-
|[[コレットマーレ#横浜ブルク13|横浜ブルク13]]||東急レクリエーション<br />松竹マルチプレックスシアターズ
|-
|[[中日本興業#ミッドランドスクエア シネマ|ミッドランドスクエア シネマ]]<br />[[中日本興業#ミッドランドスクエア シネマ2|ミッドランドスクエア シネマ2]]||'''[[中日本興業]]'''||松竹マルチプレックスシアターズ
|-
|[[ノースゲートビルディング#大阪ステーションシティシネマ|大阪ステーションシティシネマ]]||rowspan="2"|'''松竹マルチプレックスシアターズ'''||TOHOシネマズ<br />ティ・ジョイ
|-
|[[なんばパークス]]シネマ||ティ・ジョイ
|-
|[[阪急西宮ガーデンズ#TOHOシネマズ西宮OS|TOHOシネマズ西宮OS]]||'''TOHOシネマズ'''||オーエス
|-
|[[フジグラン今治#ユナイテッド・シネマ フジグラン今治|ユナイテッド・シネマ<br />フジグラン今治]]||'''ローソン・ユナイテッド・シネマ'''||[[フジ (チェーンストア)|フジ]]||{{efn|フジがローソン・ユナイテッド・シネマに委託する形で運営{{R|fuji-UC}}。}}
|-
|[[有楽興行#映画事業|鹿児島ミッテ10]]||'''ティ・ジョイ'''||[[有楽興行]]||
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|colwidth=40em}}
==== プレスリリース ====
{{Reflist|group="PR"|2}}
== 関連項目 ==
462 ⟶ 601行目:
{{参照方法|date=2013年6月}}
* {{Cite book|和書
|author=村上世彰
478 ⟶ 610行目:
}}
* {{Cite book|和書
|author=
|year=1998
|title=世界が注目する日本映画の変容
484 ⟶ 616行目:
|isbn=4-7942-0837-5
}}
* {{Cite book|和書
|author=山本マーク豪|authorlink=山本マーク豪
|year=2003
|title=ポップコーンはいかがですか?
|publisher=[[新潮社]]
|isbn=4-10-464301-7
}}
* {{Cite book|和書
|author1=原正人|authorlink1=原正人
|author2=本間寛子(構成)
|year=2004
|title=映画プロデューサーが語る“ヒットの哲学”
|publisher=[[日経BP]]
|isbn=9784822243593
|ref={{SfnRef|原|2004}}}}
* 安保有希子 「[http://www.hollywood-ch.com/trend/08080401.html 映画ウラ事情 第5回:総興行収入・映画人口ともに頭打ち。これからシネコンはどうなる?]」 ハリウッドチャンネル、2008年8月4日
* 斉藤守彦 「[http://tvstation.jp/special/movie_collapse/070606_1.html 「日本映画、崩壊」第三章:シネコンによる市場改革=“モノ”の変化]」 テレビ・ステーション
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しねまこんふれつくす}}
[[Category:映画館|しねまこんふれつくす]]
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