「バチカン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 (jp.reuters.com) (Botによる編集) |
|||
| (100人を超える利用者による、間の294版が非表示) | |||
1行目:
{{redirect|バチカン市国|ユネスコの世界遺産|バチカン市国 (世界遺産)}}
{{独自研究|date=2017年9月}}
{{基礎情報 国
5行目:
|日本語国名 = バチカン市国
|公式国名 = '''{{lang|la|Status Civitatis Vaticanae}}'''{{Smaller|(ラテン語)}}<br/>'''{{lang|it|Stato della Città del Vaticano}}'''{{Smaller|(イタリア語)}}
|国旗画像 = Flag of
|国旗幅 =
|国章画像 = [[File:Coat of arms of
|国章リンク = ([[バチカンの国章|国章]])
|標語 = 無し
|国歌 = [[
|位置画像 = Vatican City in Europe (zoomed).svg
|公用語 = [[ラテン語]]<ref>[[イタリア語]]が常用される。</ref>
|首都 =
|最大都市 =
|元首等肩書 = [[教皇]]
|元首等氏名 = [[
|首相等肩書 = [[
|首相等氏名 =
|他元首等肩書1 = [[バチカン市国委員会|市国委員会]]議長
|他元首等氏名1 = {{ill2|フェルナンド・ベリゲス・アルザガ|en|Fernando Vérgez Alzaga}}
|面積順位 = 244
|面積大きさ = 1 E5
|面積値 = 0.44
|水面積率 = 極僅か
|人口統計年 =
|人口順位 =
|人口大きさ = 1 E2
|人口値 =
|人口密度値 =
|GDP統計年 =
|GDP順位 =
47行目:
|ccTLD = [[.va]]
|国際電話番号 = 379
|注記 = <references />
}}
{{Infobox
58行目:
| relief = }}
|data2 = {{Maplink2|zoom=14|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=1}}
}}{{出典の明記| date = 2024年12月}}
'''バチカン'''とは、カトリック教会の主導者である[[教皇]]と[[ローマ教皇庁]]をあわせた概念であり、国としての側面を持つ[[聖座]]({{lang-la|Sancta Sedes}})と、[[イタリア]]の[[ローマ]]市内に位置するバチカン市国の総称である<ref name=":0">{{Cite web|和書|title = バチカン基礎データ|url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vatican/data.html|website = Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate = 2025-04-26}}</ref>。国家としての'''バチカン市国'''(バチカンしこく、{{lang-la|Status Civitatis Vaticanae}}、{{lang-it|Stato della Città del Vaticano}})は、1929年に[[ラテラノ条約]]により独立国となった南ヨーロッパに位置する国家で国土面積は世界最小である(0.44km²)<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |title=面積が小さい国・地域ランキング(CIA) {{!}} 世界最小の国「バチカン市国」についても紹介|セカイハブ |url=https://sekai-hub.com/posts/cia-smallest-area-ranking |website=世界とつながるグローバルメディア|セカイハブ |access-date=2024-07-27 |language=ja |publisher=[[トロピカルグループ]] |quote=世界で最も面積が小さいバチカン市国の面積は、データの参照元によって0.44km2(44ヘクタール)と0.49km2(49ヘクタール)の2通りで紹介されることがありますが、実際のバチカン市国の面積は0.49km2(49ヘクタール)が正しいようです。
バチカン市国の面積が0.44km2(44ヘクタール)と言われるようになったのは、『De Agostini Atlas Calendar』という地理統計資料の1930年版において、バチカン市国の面積が誤って44ヘクタールと記載されたことが原因となっているようです。
同資料の1945-1946年版ではバチカン市国の面積は49ヘクタールに修正されたようですが、依然として多くの情報発信者によってバチカン市国の面積が0.44km2(44ヘクタール)と誤ったまま引用されてしまっているというのがその背景となります。}}</ref><ref group="注釈">ただし、バチカンは国際連合に加盟していないため、国際連合加盟国に限る場合は[[モナコ]]が国土最小国に該当する。</ref>。'''ヴァチカン'''や'''バティカン'''、'''ヴァティカン'''、'''ヴァティカーノ'''とも表記される。
== 概要 ==
[[カトリック教会]]の指導者である[[教皇]]とその行政組織である[[ローマ教皇庁]]は「[[聖座]]」と呼ばれ、ヨーロッパにおいては長らく[[主権国家体制|主権国家]]と同じ[[主権]]実体であるとして捉えられていた。[[1929年]]の[[ラテラノ条約]]において、[[サン・ピエトロ大聖堂]]周辺の教皇の主権が及ぶ地域はバチカン市国とされ、主権国家として扱われるようになった。単語としての「バチカン」は「聖座」と「バチカン市国」の総称である<ref name=":0" />。
バチカンという名称は、この地の元々の名前であった「{{仮リンク|バチカンの丘|en|Vatican Hill|label=ウァティカヌスの丘}}(Mons Vaticanus)」に由来する。ウァティカヌスの丘には聖[[ペトロ]]が殉教したという伝承があり、そのために教会が建てられ、やがてカトリック教会の中心地となった。
バチカン市国は[[教皇]]によって統治される国家であり<ref>バチカン市国基本法第一条</ref>、国民の国籍は聖職に就いている間にかぎり与えられる(「[[#国民と国籍]]」節で後述)。ローマ教皇庁の責任者は[[国務省長官 (ローマ教皇庁)|国務省長官]](Cardinal Secretary of State、通常は[[枢機卿]])、市国の領域の統治はバチカン市国行政庁長官兼バチカン市国委員会委員長(Governor of Vatican City and President of the Pontifical Commission for Vatican City State、通常は枢機卿)が務めている。
[[公用語]]は[[ラテン語]]であり、公文書にはラテン語が用いられる。通常の業務においては[[イタリア語]]が主に話され、外交用語として[[フランス語]]、その他[[スペイン語]]・[[ポルトガル語]]・[[英語]]も常用されている。また、警護に当たる[[バチカンのスイス衛兵|スイス人衛兵たち]]は[[ドイツ語]]を用いる。
バチカン市国には聖職者以外に、数千人の職員が居り、大半の職員はイタリアに居住し日々通勤している<ref>{{Cite web|和書|date=2021-02-19 |url=https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-vaccine-vatican-idJPKBN2AJ0O5/ |title=バチカンが釈明、ワクチン接種拒否への解雇法令に批判集まる |publisher=ロイター |accessdate=2021-02-21}}</ref>。
== 歴史 ==
{{see also|{{仮リンク|教皇の歴史|en|History of the papacy}}}}
バチカンの地は古代以来ローマの郊外にあって人の住む地域ではなかったが、キリスト教以前から一種の聖なる地だったと考えられている。約3000年前には「[[ネクロポリス]]」(古代の死者の街)として埋葬地として使用され、その後もローマ人の共同墓地として使用されていた<ref>徳安茂『なぜローマ法王は世界を動かせるのか』PHP研究所、第1版第1刷、2017年3月1日。28-29頁。ISBN 978-4-569-83268-5。</ref>。[[326年]]に[[コンスタンティヌス1世]]によって聖[[ペトロ]]の墓所とされたこの地に最初の教会堂が建てられた。
=== 教皇領 ===
{{Main|教皇領}}
ローマ司教が教皇として全カトリック教会に対して強い影響力をおよぼすようになると、バチカンはカトリック教会の本拠地として発展し、[[752年]]から19世紀まで存在した教皇領の拡大にともなって栄えるようになった。
教皇は[[19世紀]]中盤までイタリア半島中部に広大な教皇領を保持していたものの、[[イタリア統一運動]]の活発化に伴い[[1860年]]に[[イタリア王国]]が成立すると教皇領の大部分を占める北部地域の教皇領が接収されたため、ローマ教皇庁とイタリア王国政府が関係を断絶した。この時点では教皇領南部のローマ市およびラティウム地方は教皇の手に残っていた。 === バチカンの囚人 ===
{{Main|{{仮リンク|バチカンの囚人|en|Prisoner in the Vatican|redirect=1}}|第1バチカン公会議}}
[[1870年]]に[[普仏戦争]]の勃発によって教皇領の守備に当たっていた[[フランス軍]]が撤退すると、イタリア軍が残存教皇領もすべて接収し、バチカンはイタリア領となった。翌[[1871年]]には、イタリア政府は教皇にバチカンおよびラテラノ宮殿の領有を認めたものの、教皇[[ピウス9世]]はこれを拒否し、「{{仮リンク|バチカンの囚人|en|Prisoner in the Vatican|redirect=1}}」([[1870年]] - [[1929年]])と称してバチカン宮殿に引きこもった。この教皇庁とイタリア政府の対立は[[ローマ問題]]と呼ばれ、以後50年以上にわたって両者間の断絶を引き起こした。
=== バチカン市国 ===
このような不健全な関係を修復すべくイタリア政府とバチカンの間で折衝が続けられたが、[[1929年]][[2月11日]]になってようやく教皇[[ピウス11世 (ローマ教皇)|ピウス11世]]の全権代理{{仮リンク|ピエトロ・ガスパッリ|it|Pietro Gasparri|en|Pietro Gasparri}}枢機卿と[[ベニート・ムッソリーニ]][[首相]]との間で合意が成立し、3つの[[ラテラノ条約]]が締結された。条約は教皇庁が教皇領の権利を放棄するかわりに、バチカンを独立国家とし、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位を保証するものであった。この措置はイタリア国民にも広く支持され、「教皇との和解」を実現したムッソリーニの独裁体制はより強固なものとなった。
[[1984年]]になると再び[[政教条約]]が締結され、イタリアにおけるカトリック教会の特別な地位などのいくつかの点が、[[信教の自由]]を考慮して修正された。
== 政治 ==
[[ファイル:
[[ファイル:Basílica de San Pedro, Ciudad del Vaticano, 2022-09-14, DD 19-21 HDR.jpg|right|thumb|200px|深夜のサン・ピエトロ大聖堂。大聖堂は朝6時~7時の間に開門される。]]
政体は、{{仮リンク|バチカン市国基本法|en|Fundamental Law of Vatican City State}}により、教皇がその職掌としてバチカンの首長となり、立法権・行政権・司法権を総攬する[[絶対君主制]]。教皇は80歳未満の枢機卿(すうききょう)たちの[[選挙]]([[コンクラーヴェ]])によって選ばれるため、[[選挙君主制]]でもある。[[教会法]]において教皇に必要な資格は、[[男性]]の[[カトリック教会|カトリック]]信徒であるということだけであるが、実質上は80歳未満の枢機卿たちの互選が続いている。
教皇はバチカン市国の主権者であるが、一方で主権実体でもある。外交権は教皇及び[[ローマ教皇庁|教皇庁]](事務組織)の総称である「[[聖座]]」によって行使されている。バチカン市国の行政組織の長は[[行政庁 (バチカン)|行政庁]]長官 ({{la|Governatorato dello Stato della Città del Vaticano}})であるが、外交は教皇庁の組織であり、[[国務省長官 (ローマ教皇庁)|国務長官]] を長とする{{ill2|国務省 (ローマ教皇庁)|en|Secretariat of State (Holy See)|it|Segreteria di Stato della Santa Sede|label=国務省}}が担っている。
バチカン市国の立法権は教皇の任命による[[バチカン市国委員会]] が持っている。この委員会のメンバーの任期は5年となっているが、[[使徒座空位]]が発生すると、教皇秘書官である[[カメルレンゴ]]と首席枢機卿以外の省庁の長官や評議会の議長は自動的に(一旦)解職される。新しい教皇がコンクラーヴェで選ばれるまでの間はカメルレンゴを長とした枢機卿団がバチカンを管理する。そして新しい教皇が選ばれると、新教皇は使徒座空位前に務めていた各長官・議長に対して当面の間職務を続けるよう命じ、業務が再開されることとなる。もちろん新教皇が長官・議長だった場合は就いていたポストに後任が割り当てられることとなる。直近の例は[[2025年]]の[[レオ14世 (ローマ教皇)|レオ14世]]の選出時で、彼は{{仮リンク|司教省|en|Congregation for Bishops}}長官に就いていたが、後任がほどなく選ばれている。
=== 国際関係 ===
{{main|{{仮リンク|聖座の国際関係|en|Foreign relations of the Holy See}}}}
{{see also|{{仮リンク|聖座の法的地位|en|Legal status of the Holy See}}|聖座の外交使節の一覧}}
[[File:Holy See relations.svg|thumb|400px|緑色は聖座と公式な外交関係を有する国。ライトグリーンはその他の関係。]]
[[ファイル:Dmitry Medvedev in the Vatican City 3 December 2009-1.jpg|250px|サムネイル|右|2009年、バチカンを訪問するロシアのメドベージェフ大統領(当時)。]]
[[File:Pope Francis Visits the United States Capitol (22153720701).jpg|thumb|right|250px|2015年、アメリカ合衆国議会で演説する教皇フランシスコ。]]
ヨーロッパ世界では、教皇および聖座は伝統的に主権実体として認められてきた。バチカン市国基本法第二条によれば、バチカン市国の外交権は教皇に対して留保されており、教皇は{{仮リンク|国務省 (聖座)|en|Secretariat of State (Holy See)|label=国務省}}を通じてこれを行使する。教皇は伝統的に{{仮リンク|教皇大使|en|Nuncio}}や{{仮リンク|教皇特使|it|Legato pontificio}}といった常設の外交官を派遣し、{{仮リンク|教皇大使館|en|Apostolic nunciature}}設置して外交を行ってきた。教皇領が消滅した後も、ラテラノ条約による国家としてのバチカン市国成立後もその体制が継続されている。教皇大使の地位は1815年の[[ウィーン会議]]によって確認され、[[外交関係に関するウィーン条約]]第十四条において通常の国の特命全権大使と同等であるとされている。2024年10月時点で、バチカンは184の国と地域に対して外交関係を有している<ref name=":0" />。また[[国際連合]]および[[マルタ騎士団]]の[[特命全権大使]]を受け入れており、179の国と地域に教皇大使あるいは教皇公使などの外交使節を派遣している。
2024年時点で、聖座と外交関係が樹立されていない国は16カ国である。主な国家としては、宗教の存在を否定する[[共産党]]の[[一党独裁]]国家で[[社会主義国]]の[[中華人民共和国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)、[[ラオス]]と、[[イスラム国家]]の[[サウジアラビア]]、[[アフガニスタン]]、[[ソマリア]]、[[ブルネイ]]などがある。ただし社会主義国でも[[ベトナム]]は1990年代から関係が改善されて教皇使節が派遣され<ref>[[上野景文]]『バチカンの聖と俗』、かまくら春秋社、2011、pp91-92</ref>、2011年には非常駐の外交使節が設置され<ref>{{Cite web|和書|title = 在ベトナム教皇庁代表と駐在事務所めぐる規約合意|url = https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2023-07/vatican-vietnam-statuto-rappresentante-pontificio-residente.html|date = 2023-07-27|website = VaticanNews|accessdate = 2025-06-28}}</ref>、2023年12月には常駐のバチカン代表が設置されている<ref>{{Cite web|和書|title = マレク・ザレフスキ大司教がベトナムにおけるバチカン代表に就任|url = https://www.vietnam.vn/ja/tong-giam-muc-marek-zalewski-lam-dai-dien-vatican-tai-viet-nam|date = 2023-12-23|website = vietnam.vn|accessdate = 2025-06-28}}</ref>。イスラム国家でも[[首長国]]の[[アラブ首長国連邦]]や王制の[[ヨルダン]]、[[イラン]]、[[オマーン]]などとは外交関係がある。また[[国家の承認]]が分かれている国では[[中華民国]]・[[クック諸島]]・[[パレスチナ]]<ref>{{Cite web|和書|title = バチカンにパレスチナ大使館開設、法王とアッバス議長が会談|url = https://www.cnn.co.jp/world/35095047.html|date = 2017-01-16|author = 翻訳:CNN.co.jp編集部|website = CNN.co.jp|accessdate = 2025-04-26}}</ref>と国交がある一方で、[[コソボ]]の独立を承認していない<ref>{{Cite web|和書|title = サチ氏、ローマ法王に独立承認を求める:「コソボは寛容と共存の一例だ」-KoSSev|url = https://kossev.info/ja/taci-trazi-od-pape-priznanje-nezavisnosti-kosovo-primer-tolerancije-i-suzivota/|website = KoSSev|date = 2016-06-18|accessdate = 2025-04-26}}</ref>。
また国交がなく、[[大司教区]]が設置されていない一部の地域には{{仮リンク|教皇使節団|it|Delegazione apostolica}}が派遣されている。「教皇使節」(Apostolic delegate)は現地のカトリック信徒のために派遣されるもので、必ずしも公式な外交関係の存在を意味していない{{efn|1932年に独立した[[満洲国]]においても[[吉林省]]駐在司教{{仮リンク|オーギュスト・ガスペ|it|Auguste_Gaspais}}が満洲国におけるローマ教皇庁の代表とされ、政府の式典などに参列していたことをもって「[[国家の承認]]」が行われたという認識を持つものもあったが、「満洲国」に聖座の外交施設が設置されることはなかった<ref>{{アジア歴史資料センター|B02032044200|1.一般/3 羅馬法皇庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title = アジ歴ニューズレター第29号|url = https://www.jacar.go.jp/newsletter/newsletter_029j/newsletter_029j.html|accessdate = 2025-04-26}}</ref>。ただし、外交関係がある場合でも教皇使節のみが派遣されることはある。日本は1942年にバチカンと外交関係を結んだが、この際でも日本駐在の外交使節は教皇使節のまま改名されなかった<ref>{{Cite web|和書|title=日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争 第2冊 その他中立国との関係 バチカン|url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_001053.html|website = Ministry of Foreign Affairs of Japan|accessdate = 2025-04-27|date=2010|format=pdf|author=外務省}}</ref>。}}。教皇使節の派遣を管轄するのはバチカンにおいて宗教業務を担当する[[福音宣教省]]であって、外交を司る国務省ではない。
[[国際連合]]には、長らく「恒久的[[国際連合総会オブザーバー|オブザーバー]]」という形式で代表を派遣していたが、[[2004年]]7月に、[[投票]]以外の全ての権利を持った代表となった({{仮リンク|国際連合常任オブザーバー (聖座)|en|Permanent Observer of the Holy See to the United Nations}})。[[投票権]]を行使しないのは、[[政治的中立]]を維持するためであり、当時の国連バチカン代表であった{{仮リンク|チェレスティーノ・ミリオーレ|en|Celestino Migliore|it|Celestino Migliore}}大司教も「投票権を持たないことは、私たち自身の選択です」と語っている。
一方、前述のように事実上イタリアとの国境管理がされていないことに加え、狭いバチカン市国内では各国が大使館を構えるだけの敷地が現実的に取れないという事情もあり、バチカンと外交関係を有する国はローマ市内に大使館を設置している(兼轄や本国駐在によりローマ市にも駐在しない場合を除く)<ref>{{Cite web |url=https://www.sdsofficium.va/cd/corpsdiplomatique.html |title=駐バチカン外交団リスト |access-date=2024-12-31 |publisher=バチカン国務省 |language=fr}}</ref>。この場合も、ラテラノ条約<ref>{{Cite web |url=https://www.vatican.va/roman_curia/secretariat_state/archivio/documents/rc_seg-st_19290211_patti-lateranensi_it.html |title=ラテラノ条約 |access-date=2024-12-31 |publisher=バチカン国務省 |language=it}}</ref>第12条第2項の規定により、イタリアとの国交の有無にかかわらず、駐バチカン外交官・在バチカン公館は、イタリア国内で外交官・公館としての保護を受ける。また、各国の在イタリア大使館がバチカンを兼轄することはない。バチカンと外交関係を有する国家のうち約100カ国は兼轄であり、常駐の特命全権大使を派遣しているのは80カ国弱である。
==== 日本 ====
{{See also|日本とバチカンの関係}}
聖座が日本に教皇使節を派遣したのは1919年であり、この時に教皇使節館が東京に設置された。正式な外交関係を樹立したのは[[第二次世界大戦]]中の[[1942年]]であり、日本は公使を設置している。終戦後に国交は断絶したが、[[1952年]]の主権回復により復活し、教皇使節館はローマ法王庁公使館に格上げされた<ref>{{Cite journal|和書|title = 駐日教皇使節ビオンディ大司教の長崎教区訪問の報告|url = https://cir.nii.ac.jp/crid/1050012711548536704|publisher = 長崎純心大学|journal = 純心人文研究|naid = 110006426143|issn = 13412027|author = 片岡瑠美子|authorlink = 片岡瑠美子|year = 2007|volume = 13|ref=harv}}
</ref>。日本は[[1958年]]に駐バチカン日本公使館を大使館に格上げし、[[1966年]]にはバチカン側がローマ法王庁公使館を[[駐日本国ローマ法王庁大使館|在日本国ローマ法王庁大使館]]に格上げした<ref>[http://www.vatican.va/holy_father/paul_vi/apost_letters/documents/hf_p-vi_apl_19660614_communi-cum_lt.html NUNTIATURA APOSTOLICA IN IAPONIA ERIGITUR]</ref>。
日本国大使館(正式名称:{{仮リンク|在バチカン日本国大使館|pl|Ambasada Japonii przy Stolicy Apostolskiej}})は隣国イタリア・ローマにおかれている。
日本においては、教皇ならびにその組織である教皇庁などの用語を、公式には「法王」「法王庁」と表記してきたが、2019年の教皇フランシスコの訪日に伴い、「教皇」「教皇庁」との表記に変更した<ref>{{Cite web|和書|title=政府、「ローマ教皇」に呼称変更|publisher=[[時事通信]]|date=2019-11-20|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112000814&g=pol|accessdate=2019-11-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191121031424/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019112000814&g=pol|archivedate=2019-11-21}}</ref>。政府の名称変更に合わせ産経新聞<ref>{{Cite web|和書|title=【おことわり】「ローマ教皇」に表記を変更します|publisher=[[産経新聞]]|date=2019-11-22|url=https://www.sankei.com/entertainments/news/191122/ent1911220008-n1.html|accessdate=2019-11-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191122061904/https://www.sankei.com/entertainments/news/191122/ent1911220008-n1.html|archivedate=2019-11-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「ローマ法王」が「ローマ教皇」に変更 政府発表で割れるメディアの対応|publisher=J-CASTニュース |date=2019-11-22|url=https://www.j-cast.com/2019/11/22373392.html?p=all|accessdate=2019-11-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191123132625/https://www.j-cast.com/2019/11/22373392.html?p=all|archivedate=2019-11-23}}</ref>や[[日本放送協会]]<ref>{{Cite web|和書|title=【お知らせ】今後は「ローマ教皇」とお伝えします |publisher=[[日本放送協会]]|date=2019-11-22|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186861000.html|accessdate=2019-11-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191123131836/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186861000.html|archivedate=2019-11-23}}</ref>ほかメディアも呼称を変更した。ただし教皇大使と駐日大使館については「法王庁大使」「法王庁大使館」の用語が2025年現在も用いられている<ref name=":0" />。
====イギリス====
[[イギリス]]とは、[[ヘンリー8世]]の離婚問題、[[国王至上法]]によって[[イギリス国教会]]が設立されてからローマ教皇がイギリス王を破門するかたちで断絶が続いていた。以来、イギリス国王とローマ教皇は没交渉であったが1914年に交渉が回復した。バチカン市国が建国され、主権国家として外交関係が樹立されたのは1982年のヨハネ・パウロ2世のイギリス司牧の旅以降である。2010年にはベネディクト16世が国賓としてイギリスを訪問。その答礼として2014年にエリザベス2世、エジンバラ公フィリップがバチカンを訪問した。しかしベネディクト16世の頃は、彼の超保守的な思想やカトリック聖職者の性的虐待問題でイギリス国民が、次のフランシスコのときは彼が[[アルゼンチン]]出身であること、[[フォークランド諸島]]で[[フォークランド紛争|紛争]]を抱えるイギリス政府が、態度を硬化させている。
==
前身となる[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]とは[[ロシア革命]]以降外交関係を持っていなかったが、[[1990年]][[3月15日]]に外交関係が樹立された。[[ソビエト連邦の崩壊|ソ連崩壊後]]、後継となる[[ロシア|ロシア連邦]]ではバチカン市国との外交関係を有していなかったことから、外交関係再設定への動きが進み、[[2009年]][[12月3日]]に大統領[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]が、バチカン市国を訪問して教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]と会談を行い、国交が樹立された。翌年の[[2010年]]には正式に大使が交換されている。[[ウラジーミル・プーチン]]は大統領・首相として通算4度バチカンを訪れ、時の教皇と会談している。
====キューバ====
[[キューバ]]は[[1935年]]に国交を樹立してから、[[キューバ革命]]後も関係が継続している。なお、キューバは[[社会主義|社会主義者]]による[[革命]]が起きたにも関わらず国交断絶しなかった唯一の社会主義国である<ref>{{cite news|title=キューバ見つめて バチカン、50年の外交努力|date=2014-12-24|author=|url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/14895/20141224/cuba-vatican-50-pope-francis.htm|accessdate=2014-12-25|publisher=|language=}}</ref>。
====中華民国(台湾)====
{{main|中華民国とバチカンの関係}}
カトリック教会と中国の関係は[[明]]の時代の[[イエズス会]]の[[マテオ・リッチ]]らの布教に始まる<ref>中国におけるキリスト教の伝来は[[景教]]と呼ばれた[[ネストリウス派]]の伝来までに遡ると7世紀の[[唐]]の時代になる。</ref>。[[イエズス会]]は布教に当たり、[[儒教]]の祖先崇拝を容認したことで急速に信徒を増やすことに成功した。これに対して[[ドミニコ会]]が「イエズス会は異端の布教を行っている」と教皇庁に報告し、[[パリ外国宣教会]]が中国での典礼行為を禁止したことで、[[清]]の時代には、イエズス会とパリ外国宣教会の間で「[[典礼論争]]」が発生した。[[1715年]]に[[クレメンス11世]]が「儒教との両立は異端である」という教皇の[[回勅]]をだしたことで清朝はキリスト教は禁教とされ、キリスト教信仰は地下で行われた。[[1912年]]に[[辛亥革命]]で清朝が滅び[[中華民国]]が建国されると[[1922年]]に非外交レベルのバチカンとの国交が樹立され、[[1942年]]には正式に国交が樹立された。その間の[[1939年]]に[[ピウス12世]]の回勅によって儒教との両立を禁止したクレメンス11世の回勅は緩和された。[[1949年]]に[[国共内戦]]に勝利した[[中国共産党]]が[[中華人民共和国]]を建国し、中華民国は[[台湾]]に[[中華民国政府の台湾への移転|移転]]するがバチカンは反共主義の立場から台湾の中華民国との外交関係を維持している。
==== 中華人民共和国 ====
中華人民共和国<ref>{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000289.html |title=中国が初の政党白書 一党独裁の正当性強調 |newspaper=47ニュース |agency=共同通信 |publisher=共同通信社 |date=2007-11-15 |accessdate=2013年12月23日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131224114523/http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000289.html|archivedate=2013-12-24}}</ref>は[[信教の自由]]がなく<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/091017/amr0910171912007-n1.htm|title=「中国政府は言論・宗教を抑圧」 米国が中国人権報告書発表|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2009-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091025075008/http://sankei.jp.msn.com/world/america/091017/amr0910171912007-n1.htm|archivedate=2009年10月25日|deadurldate=2017年9月}}</ref>、[[中国天主教愛国会|カトリック教会を政府の管理下に置き続ける上]]<ref>{{Cite news |url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2053086/526712 |title=政府の教会統制策、バチカンの許可なく司祭叙階 - 中国 |newspaper=AFPBB News |publisher=クリエイティヴ・リンク |date=2006年5月3日}}</ref>、キリスト教関係者を逮捕、追放するなど[[中国のキリスト教|弾圧を続けていること]]<ref>[http://www.docstoc.com/docs/20626523/Restriction-and-Suppression-of-Religious-Freedom-in-China/ Restriction and Suppression of Religious Freedom in China] [[ボイス・オブ・アメリカ]]2006年5月17日</ref>を理由に、[[1949年]]10月1日の中華人民共和国の建国以来、国交を持っていない<ref>{{Cite news |url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2039872/431452?pageID=2 |title=バチカンとの国交樹立を妨げるもの - 中国 |newspaper=AFPBB News |publisher=クリエイティヴ・リンク |date=2006年3月26日}}</ref>。なお[[宗主国]]との条約の下で[[一国二制度]]の下、本土とは別制度が採られる[[香港特別行政区|香港]]と[[マカオ特別行政区|マカオ]]の両司教区([[カトリック香港教区]]および[[カトリックマカオ教区]])は、[[イギリス]]と[[ポルトガル]]の[[植民地]]時代からローマ教皇庁の直接管轄であり、中華人民共和国政府の影響を受けていない本来のカトリックに属する。
国交はないものの、バチカンと中華人民共和国は「司教の任命権」の問題など多くの困難な問題を抱えながらも、外交関係の再設定を目指して水面下での協議を続けてきた。例えば[[1979年]]には、[[中華民国]][[台北市]]派遣の外交官レベルを臨時代理大使に格下げし、中華人民共和国との関係改善への意欲を見せていた。[[2015年]]9月28日には、教皇フランシスコ自らが中華人民共和国政府との接触を認めており<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/articles/20151018/ddm/007/030/055000c |title=中国と協議 関係改善へ 法王、訪中の意向 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-10-18|accessdate=2016-09-22}}</ref>、バチカンの国務長官[[ピエトロ・パロリン]]は中華人民共和国との国交樹立の意向を明言している<ref>{{Cite news|url=http://en.radiovaticana.va/news/2016/08/27/vatican_sec_of_state_hopes_for_improved_relations_with_china/1254058 |title=Vatican Sec of State hopes for improved diplomatic relations with China |newspaper=[[バチカン放送]] |date=2016-08-27|accessdate=2016-09-22}}</ref>。2018年9月22日、バチカンと中華人民共和国は、長年対立していた司教の任命権を巡る協議について、中華人民共和国はローマ教皇の国内における地位を認める代わりに、バチカンは中華人民共和国が独自に任命した司教を認めるという内容で、暫定的な合意に達したと発表した。これに関して、バチカンと中華民国は、両国の外交関係には何ら影響を与えるものではないとそれぞれコメントしている。なお[[香港]]の[[カトリック香港教区]]は、[[1997年]]の[[香港返還]]後も[[ローマ教皇庁]]の直轄[[教区]]である。
2020年2月14日には、ドイツのミュンヘンで[[王毅]]外務大臣と{{仮リンク|ポール・リチャード・ギャラガー|en|Paul Gallagher (bishop)}}外務局長による初の外相会談が行われた。だが、中華人民共和国が[[共産主義]]国として、[[中国共産党]]の傘下にない[[宗教]]を規制するという問題は、何ら解決されないという現実がある。
=== 軍事 ===
[[ファイル:Pontifical Swiss Guards in their traditional uniform.jpg|right|200px|thumb|スイス人衛兵]]
バチカン市国は、一切の[[軍隊]]を保持していない。[[警察力]]も[[永世中立国]]である[[スイス]]からの[[傭兵]]である「市国警備員([[バチカンのスイス衛兵|スイス人衛兵]])」が担当している。
==== 国境 ====
イタリアとの入出国は自由。[[国境]]もガードレール風の[[柵]]があるだけで、[[国境検問所]]の類いは一切無く、よって[[出入国管理]]体制もない。国内は、公開の区域に限り入場は自由で、イメージとしては街中にある教会堂とその敷地に近い。そのため、各国から[[首脳]]や[[賓客|貴賓]]が参列した[[2005年]]の教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]の[[葬儀]]では、国境の外側を取り囲むイタリア側が警備を行ったことで、事実上の国内警備につながった。
==== 安全保障 ====
教皇の衛兵として、[[バチカンのスイス衛兵|スイス人衛兵]]が常駐している([[2007年]]の時点では110人)。[[1505年]][[1月22日]]に教皇[[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]により創設され、[[1527年]]、ローマが[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]の[[神聖ローマ皇帝]]軍に侵攻された際([[ローマ略奪]])、その身を犠牲にして[[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]の避難を助けた。衛兵はスイスで[[カトリック教会]]からの推薦を受けた、カトリック[[信徒]]の[[男性]]が選ばれている。
衛兵の[[制服]]は、一説には[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]の[[デザイン]]とも言われるが、[[1914年]]に制定されたものである。その派手なデザインは、伝統的なスイス傭兵というよりも、むしろ[[ランツクネヒト]]を彷彿とさせる。スイス人衛兵たちは一応武器の携行はしているものの、本質的に[[儀仗兵]]である。[[1981年]]、[[ヨハネ・パウロ2世_(ローマ教皇)#1981年5月13日の事件|ヨハネ・パウロ2世が襲撃された事件]]以来、教皇が公の場に出て行く時、スイス人衛兵たちは[[催涙スプレー]]を常時携行するようになったという。
かつては、スイス人衛兵だけでなく、[[教皇騎馬衛兵]]や[[宮殿衛兵]]といわれる衛兵隊が存在していたが、形式的なものになっていたため[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]によって[[1970年]]に廃止された。
{{Wide image|Vatican StPeter Square.jpg|850px|サン・ピエトロ広場と大聖堂。撮影者はイタリアを背にして国境線の真上に立ち、バチカンの方を向いている}}
== 地理 ==
161 ⟶ 170行目:
=== 国土 ===
[[ファイル:Vatican City map EN.
バチカン市国はローマの北西部に位置するバチカンの丘の上、[[テベレ川]]の右岸にある。その国境はすべてイタリアと接しており、かつて教皇を外部の攻撃から守るために築かれたバチカンの城壁に沿って
また[[ラテラノ条約]]の取り決めに従って、国外のいくつかの区域(イタリア・ローマ南東約20kmにある[[カステル・ガンドルフォ]]の教皇別荘である[[ガンドルフォ城]]、[[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂|サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]、[[サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂]]などの大バジリカ、
これらの中には[[バチカン放送]]の建物も含まれているが、[[短波]][[ラジオ]]
外国人観光客が入れる場所は、サン・ピエトロ広場、[[サン・ピエトロ大聖堂]]、バチカン
{{Panorama
174 ⟶ 183行目:
|height = 240
|alt = サン・ピエトロ大聖堂の展望台からバチカン庭園の全景および幾つかの建物を望む。
|caption =
}}
242 ⟶ 251行目:
== 経済 ==
=== 国家予算 ===
バチカンの「[[国家予算]]」は[[2003年]]のデータで[[歳入]]が約277億円で歳出290億円となっている。主な産業として出版業、[[モザイク]]製作などがある。バチカンは国家というにはあまりに特殊な存在であり、(下記にある「宗教活動協会」の投資運用は除き)利益追求の産業活動は行っていないため、歳入は「聖ペトロの献金
=== 宗教活動協会 ===
[[第二次世界大戦]]中の[[1942年]]に、[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピウス12世]]によってそれまでの「宗務委員会」から改組され設立された、バチカンの国家財政管理を行う組織である「[[宗教事業協会]]
[[1980年代]]前半までは、宗教事業協会の投資運用と資金調達を行う主力行としての業務は[[イタリア国立労働銀行]]の子会社の[[アンブロシアーノ銀行]]が行っていたが、[[1982年]]に、同協会の[[ポール・マルチンクス]][[大司教]]と、「[[教皇]]の銀行家」と呼ばれていた
=== 不正行為の疑い ===
255 ⟶ 264行目:
=== その他 ===
バチカン職員の給与水準は、イタリア・ローマの平均給与よりもやや良いといわれている。独自通貨をつくらないため、以前は[[イタリア・リラ|リラ]]が用いられていたが、イタリアが[[ユーロ]]に通貨を変更した[[2002年]][[1月1日]]以降、バチカンでもユーロが流通するようになった。なお、バチカン発行のユーロ通貨は、[[ユーロ圏]]ならどこでも使用することが可能であるが、[[切手]]は
== 交通
[[ファイル:St.
{{see also|バチカン市国の鉄道}}
[[ローマ教皇庁]]が所有する自動車は「'''SCV'''」というナンバーがつく。この3文字の意味は「{{la|'''S'''tato della '''C'''ittà del '''V'''aticano}}(バチカン市国)」の略である。
かつては、バチカンを取り囲むように古い住宅がごみごみと立ち並んでいたが、[[1920年代]]にイタリアの実権を握った[[ベニート・ムッソリーニ]]は、[[ラテラノ条約]]による[[カトリック教会]]との和解を[[世界]]にアピールしようと、[[サン・ピエトロ大聖堂]]正面の家屋を大胆に撤去し、広い街路を敷いた。これが「和解の道({{it|Via della Conciliazione}})」といわれる、バチカン市国前のメインストリートである。
[[空港]]はないが、中型ヘリコプターが発着可能な[[ヘリポート]]が一つある。[[バチカン市国の鉄道|鉄道]]は、イタリアの[[サンピエトロ駅]]から分岐して[[バチカン駅]]へ向かう863メートル(うち国内は227メートル)の鉄道路線がある。現在は定期旅客列車は走っておらず、たまに[[貨物列車]]が入線するのみで、[[旅客輸送]]は行っていない。この鉄道路線はイタリア国内分も含めてバチカン国有のものであるが、列車の運行は[[イタリア国鉄]]が代行している<ref>[https://web.archive.org/web/20070105103122/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/railway.html#04 バチカン市国国鉄 変わりダネ国際列車]</ref>。
== 通信 ==
[[郵便局]]と[[電話局]]が一つある。
ローマ市民たちは[[国際郵便]]を出す場合、イタリアの郵便局([[ポステ・イタリアーネ]])を通すよりも、バチカン市国内にあるPoste Vaticaneの[[郵便ポスト]]から投函するほうが、格段に早くかつ確実に郵便物が到着することを知っているため、少し歩いてでも越境してバチカン内から投函する者も多い<ref>{{cite news | author = デノーラ砂和子 | url = https://allabout.co.jp/gm/gc/78028/2/ | title = 天使が配達?!絵葉書送るならバチカン郵便局 | newspaper = all about | date = 2008-10-31 | accessdate = 2017-10-23 }}バチカンの郵便ポストに手紙を投函するときは、うっかりイタリアの切手を貼らないように注意しましょう。</ref><ref>{{Cite web|和書|author=辻田希世子 |url=http://www.cafeglobe.com/news/dailynews/dn20020401-01.html |title=劣悪イタリア郵便事情の改善に 日本人が立ち上がった! |work=Cafeglobe.com |publisher=カフェグローブ・ドット・コム |date=2002-04-01 |accessdate=2011-01-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020612095808/http://www.cafeglobe.com/news/dailynews/dn20020401-01.html |archivedate=2002-06-12 |url-status=dead|url-status-date=2017-09}}</ref>。ただし、この場合イタリア発行の切手は通用しないため、バチカン市国発行の[[切手]]を貼付する必要がある。
== 国民と国籍 ==
277 ⟶ 289行目:
バチカン居住権は[[聖職者]]も含め、基本的にバチカンで職務についている期間に限って与えられる。教皇庁の職員の多数を占めるイタリア人職員たちには外交業務などにおいて特に必要がないかぎり、居住権は与えられない。また、バチカンの[[市民権]]は上記のように職務に対応する特殊な地位であるため、たとえバチカン市国内で出生しても[[出生地主義]]による国籍の取得はできない。
バチカン市庁における女性職員は600人程度で、カトリック信徒であることが必須であるが、初の女性職員は、1934年に採用された
== 文化 ==
{{See also|バチカン市国 (世界遺産)}}
バチカン市国は、[[国家]]自体が[[世界文化遺産]]の宝庫である。[[サン・ピエトロ大聖堂]]や[[システィーナ礼拝堂]]など、[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェッリ]]、[[ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ|ベルニーニ]]、[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]といった美術史上の巨匠たちが存分に腕をふるった作品で満ちあふれている。また、[[バチカン美術館]]とバチカン文書資料館には歴史上の貴重なコレクションが大量に納められている。なお、バチカンは[[1984年]]に[[世界遺産]]にも登録されている。
バチカンに定住している人々は、[[カトリック教会]]の聖職者国家という性格上男性がほとんどである。わずかな女性たちが職員として教皇庁で働くために、二つの[[女子修道会]]が支部を置いている。バチカンで働く聖職者たちは、枢機卿などの高位聖職者を除けばほとんどが[[修道士|修道会員]]である。
バチカンは聖地であるため
バチカンは巡礼者のみならず全世界から訪れる観光客でいつもにぎわっている。教皇は世界から訪れる信徒のために毎週日曜日には彼らの前で[[ミサ]]を執り行い、平日にも信徒と共に行う信心業や謁見(通常は毎週水曜)を行っている。[[復活祭]]などの特別な[[祝日]]には、サン・ピエトロ広場に姿を見せて世界に挨拶を送るのがならわしとなっている。
=== 祝祭日 ===
321 ⟶ 334行目:
|}
=== スポーツ ===
;サッカー
バチカン市国では[[サッカー]]が最も人気の[[スポーツ]]であり、[[1972年]]にサッカーリーグの{{仮リンク|バチカン市国選手権|en|Vatican City Championship}}が創設され、主に州の省庁を代表する労働者で構成されている。[[サッカーバチカン代表]]は、バチカン[[国籍]]を有する聖職者会議の議員や、[[バチカン美術館]]の[[警備員]]、[[スイス傭兵|スイス人衛兵]]などでチームは形成される。ちなみにバチカンは[[国際サッカー連盟|FIFA]]や[[欧州サッカー連盟|UEFA]]には加盟しておらず、[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]や[[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]には出場できない。
2019年5月、初の女性チームが組織され、主にバチカン職員と職員の妻や娘で構成された。同月、ローマ市のチームと対戦し、0-10で敗北した<ref>{{Cite web |title=El debut del equipo de fútbol femenino del Vaticano - Vatican News |url=https://www.vaticannews.va/es/vaticano/news/2019-05/debut-equipo-futbol-femenino-vaticano-mensaje-papa-parolin.html |website=www.vaticannews.va |date=2019-05-27 |access-date=2023-06-07 |language=es}}</ref>。
[[File:2017 Vatican City Jersey.jpg|thumb|right|公式シールドが付いた2017年のサッカー男子チームのTシャツ。]]
;陸上競技
2019年1月10日、バチカンにおける最初の公認スポーツ協会である「アスレティカ・バチカーナ」の設立が発表された。チームは教皇庁職員および、さまざまな年齢・性別・国籍の人々から構成される<ref>{{Cite web |title=Athletica Vaticana |url=http://www.cultura.va/content/cultura/en/dipartimenti/sport/risorse/athletics.html |website=www.cultura.va |access-date=2023-06-08}}</ref>。アスレティカ・ヴァチカーナは、教皇庁国務省の支援と、イタリア陸上競技連盟(FIDAL)に加盟し公認されているイタリア国内オリンピック委員会との二国間協定により設立され、競技の機会が与えられることになる。イタリアでもヨーロッパでも。アスレティカ・ヴァチカーナの最初の競技は、2019年1月20日にローマのコルサ・ディ・ミゲルの10kmレースで行われた。
;サイクリング
2021年10月28日、[[国際自転車競技連合]]は、アスレティカ・バチカーナの一部門である「バチカンサイクリング」の連合への加盟を認めた<ref>{{Cite web |title=La Santa Sede, nuevo miembro de la Unión Ciclista Internacional - Vatican News |url=https://www.vaticannews.va/es/vaticano/news/2021-10/la-santa-sede-nuevo-miembro-de-la-union-ciclista-internacional.html |website=www.vaticannews.va |date=2021-10-28 |access-date=2023-06-08 |language=es}}</ref>。20 世紀以来、サイクリストと教皇は絶えず友好的なアプローチをとっており、すでに1948年に教皇 [[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピウス12世]]はマドンナ・デル・ギザッロをサイクリストの普遍的な[[守護聖人]]として宣言した。[[マドンナ・デル・ギザッロ教会]]は、自転車界の聖地とみなされている[[コモ県]][[マグレーリオ]]にある。
;クリケット
2013年10月22日、サン・ペトロ・クリケットクラブが教皇庁文化評議会の後援のもと発足した。これは、世界の多くの国(105か国)で楽しまれているスポーツである[[クリケット]]を通じて、異なる文化や宗教との対話を強化する事を目的としており、その対象には、[[イングランド国教会|英国国教会]]、[[イスラム教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[シク教]]、[[仏教]]などが含まれる<ref>{{Cite web |title=Comunicado Prensa |url=http://www.theologia.va/content/cultura/es/dipartimenti/sport/risorse/cricket/ohiggins1.html |website=www.theologia.va |access-date=2023-06-08}}</ref><ref>{{Cite web |title=La selección de críquet vaticana ya es oficial: seminaristas británicos, curas de India, Pakistán... |url=https://www.religionenlibertad.com/vaticano/992416830/seleccion-criquet-vaticana-oficial-seminaristas-britanicos-curas-india-pakistan.html |website=https://www.religionenlibertad.com |date=2023-01-28 |access-date=2023-06-08 |language=es |last=ReL}}</ref>。
== バチカンが舞台の作品 ==
{{Main|Category:バチカンを舞台とした作品}}
== メディア ==
[[新聞]]として
=== ツイッター===
バチカンのニュースサービスが、それぞれ専用アカウントを保持している。
2012年12月4日、[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が自身の[[Twitter]]アカウント「@Pontifex」を開設したが、2013年2月28日の教皇の退位と同時に閉鎖されることになった。しかし実態としてはツイート全削除(別途アーカイブは残される)の上でユーザー情報の書き換えが行われたのみで、アカウント自体は存置され、[[使徒座空位]]を表わす「傘と天国の鍵の紋章」と「Sede Vacante」の表示のある状態とな
2013年3月13日に、コンクラーヴェで[[フランシスコ (ローマ教皇)|フランシスコ]]が新教皇に就任すると、「三重冠と天国の鍵の紋章」に戻り「我ら[[フランキスクス]](フランシスコ)を得たり == 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
339 ⟶ 373行目:
== 関連項目 ==
* {{仮リンク|バチカン関係記事の一覧|en|Index of Vatican City–related articles}}
* [[ローマ教皇の一覧]]
* [[カトリック教会]]
345 ⟶ 380行目:
* [[ラジオ・ベリタス・アジア]]([[バチカン放送]]とは友好関係にある)
* [[ミニ国家]]
* [[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]
* [[バチカン市国 (世界遺産)]]
* [[日本とバチカンの関係]]
* [[駐日本国ローマ法王庁大使館]]
* [[フィリピン]] - バチカン市国以外では同国が唯一、法律で離婚を禁止している。
* {{仮リンク|テウトニコ墓地|en|Teutonic Cemetery}}
== 外部リンク ==
{{Sisterlinks
| wikt = バチカン
| voy = ja:バチカン市国
| q = no
| v = no
}}
'''公式'''
* [https://www.vaticanstate.va
* [https://
* {{Twitter|pontifex|Pope Francis}}
'''日本政府'''
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vatican/ 日本外務省 - バチカン]
* [https://www.va.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在バチカン日本国大使館]
'''その他'''
* [https://www.vaticannews.va/ja.html バチカンニュース] {{ja icon}}
* [https://www.cbcj.catholic.jp/faq/popeofrome/ カトリック中央協議会 -「ローマ法王」「ローマ教皇」という二つの呼称について]
* {{Kotobank|バチカン市国}}
{{ヨーロッパ}}
369 ⟶ 411行目:
{{coord|41|54|9|N|12|27|6|E|type:country_region:VA_dim:1000|display=title}}
{{
[[Category:バチカン|*]]
[[Category:ヨーロッパの国]]
[[Category:ヨーロッパの都市]]
[[Category:ヨーロッパの首都]]
[[Category:都市国家]]
[[Category:宗教国家]]
[[Category:宗教都市]]
[[Category:内陸国]]
[[Category:保護国|関]]
[[Category:先進国]]
[[Category:現存する君主国]]
[[Category:カトリック]]
[[Category:
[[Category:
[[Category:分割都市]]
[[Category:神権政治]]
[[Category:イタリア語圏]]
| |||