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'''メアリー・ダグラス'''(Mary Douglas、[[1921年]][[5月25日]] - [[2007年]][[5月16日]])は、[[イギリス]]の[[社会人類学]]、[[文化人類学]]者。専門は、[[象徴人類学]]、比較宗教学。『汚穢と禁忌』における「[[穢れ]]」論によって、20世紀の文化人類学を代表する一人として数えられている。
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'''メアリー・ダグラス'''(Mary Douglas、[[1921年]][[5月25日]] - [[2007年]][[5月16日]])は、[[イギリス]]の[[社会人類学]]、[[文化人類学]]者。専門は[[象徴人類学]]、比較宗教学。『汚穢と禁忌』における「[[穢れ]]」論によって、[[20世紀]]の文化人類学を代表する一人として数えられている。
 
== 人物・略歴 ==
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1921年、[[イタリア]]の[[サンレーモ]]にマーガレット・メアリー・テュー(Margaret Mary Tew)として生まれた。[[ローハンプトン]]のイエスの聖心修道院で寄宿生として[[カトリック教会|カトリック]]の中等教育を受ける。1942年に[[オックスフォード大学]]セント・アンズ・カレッジ卒業した後、1947年まで[[植民省]]で戦時勤務にあたった。そのなかで人類学に関心を抱き、同年、オックスフォード人類学研究所に入所。研究所では[[エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード|エヴァンズ=プリチャード]]に師事するした[[コンゴ]]での現地調査などを経て、1951年にオックスフォード大学で博士号取得。オックスフォード大学講師、[[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン]]教授を経て、1977年に米国に移住し、ラッセル・セイジ・ファンデーションのディレクターに就任。81年からは、[[ノースウェスタン大学]]教授。定年後、[[プリンストン大学]]で二年間、教鞭をり、1988年英国に戻り、引退後も[[聖書]]研究に精力的に取り組んだ。2006年、[[大英帝国勲章|大英帝国二等勲爵士]] (DBE)。2007年、癌の合併症によりロンドンにて逝去めた
 
1977年に米国に移住し、ラッセル・セイジ・ファンデーションのディレクターに就任。1981年からは、[[ノースウェスタン大学]]教授。ノースウェスタン大学を定年後、[[プリンストン大学]]で2年間、教鞭をとった。1988年英国に戻り、引退後も[[聖書]]研究に精力的に取り組んだ。2007年、癌の合併症によりロンドンにて逝去。
== 研究業績 ==
{{出典の明記|date=2015年11月3日 (火) 13:28 (UTC)|section=1}}
1966年の『汚穢と禁忌』が世界的なベストセラーになり、学界での名声を確立。今日では、その「[[穢れ]]」論によって、20世紀の文化人類学を代表する一人として数えられている。
 
==受賞・栄典==
1970年の『象徴としての身体』では、[[バジル・バーンステイン]]の分類化/枠付け論を援用し、以後のダグラスの論述の要をなす、グリッドとグループからなる独自の「文化理論」を提示した。
*1992年:[[トーマス・ハックスリー記念賞]]
*2006年:[[大英帝国勲章|大英帝国二等勲爵士]] (DBE)。
 
== 研究内容・業績 ==
また、1982年の『リスクと文化』([[アーロン・ウィルダフスキー]]との共著)のなかで、はじめて[[社会学]]的、文化人類学的にリスク論を展開しその後の[[構築主義]]的研究の道を開くなど、他の人文科学・社会科学にも広く影響を及ぼした。ただし他方で、{{要出典範囲|date=2015年11月3日 (火) 13:26 (UTC)|「汚染(pollution)は儀礼上の穢れ(pollution)の一種である」という主張から、当時の環境保護運動を「文化的バイアスのかかった人騒がせなセクト」であるなどと論難したため、「[[保守主義]]者」とみなされ批判されることもあった。}}
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*[[1966年]]の『汚穢と禁忌』が世界的なベストセラーになり、学界での名声を確立。今日では、その「[[穢れ]]」論人間が中間領域よって、20世紀ある事象に嫌悪を覚える人間文化人類学特性観念論でする一人とて数えられている
*[[1970年]]の『象徴としての身体』では、[[バジル・バーンステイン]]の分類化/枠付け論を援用し、以後のダグラスの論述の要をなす、グリッドとグループからなる独自の「文化理論」を提示した。
また、*[[1982年]]の『リスクと文化』([[アーロン・ウィルダフスキー]]との共著)のなかで、はじめて[[社会学]]的、文化人類学的にリスク論を展開しその後の[[構築主義]]的研究の道を開くなど、他の人文科学・社会科学にも広く影響を及ぼした。ただし他方で、{{要出典範囲|date=2015年11月3日 (火) 13:26 (UTC)|「汚染(pollution)は儀礼上の穢れ(pollution)の一種である」という主張から、当時の環境保護運動を「文化的バイアスのかかった人騒がせなセクト」であるなどと論難したため、「[[保守主義]]者」とみなされ批判されることもあった。}}
 
== 著書 ==
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*''How Institutions Think'', (Syracuse University Press, 1986)
*''Objects and Objections, Monograph Series of Toronto Semiotic Circle no.9'', (Victoria College, University of Toronto, 1992).
*''Risk and Blame: Essays in Cultural Theory'', ([[Routledge]], 1992)
*''Leviticus as literature'', (Oxford University Press, 1999)
*''Thouqht Style: Critical Essays on Good Taste'', (Sage, 1996)
*''Implicit Meanings 2nd edition: Selected Essays in Anthropology'', (Routledge, 1999).
*''In the Wilderness: The Doctrine of Defilement in the Book of Numbers'', ([[Oxford University Press]], 2001)
*''Jacob's Tears: The Priestly Work of Reconciliation'', (Oxford University Press, 2004)
*''Thinking in Circles: An Essay on Ring Composition'' , (Yale University Press, 2007)
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* [https://web.archive.org/web/20050414194548/http://www.sal.tohoku.ac.jp/~ito/bibmd.html メアリー・ダグラス著作一覧](2005年4月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
 
== 脚注 ==
{{Normdaten}}
{{reflist|2}}
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:たくらす めありい}}
[[Category:20世紀イギリスの女性科学者]]
[[Category:21世紀イギリスの女性科学者]]
[[Category:イギリスの女性の人類学者]]
[[Category:イギリスの文化人類学者]]
[[Category:聖書学者]]
[[Category:イングランドのカトリックの人物]]
[[Category:大英帝国勲章受章者イギリス学士院フェロー]]
[[Category:大英帝国勲章デイム・コマンダー]]
[[Category:ノースウェスタン大学の教員]]
[[Category:ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教員]]