「海ゆかば」の版間の差分
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{{複数の問題
| 出典の明記 = 2024年9月
| 独自研究 = 2024年9月
}}
{{表記揺れ案内|text=この記事の項目名には、資料により以下のような表記揺れがあります。|表記1=海行かば}}
{{listen | filename = Umi Yukaba.ogg | title = 視聴する | description = 伴奏・歌唱: [[東京音楽学校 (旧制)|東京音樂學校]]管弦樂部・合唱團}}
詞は、『[[万葉集]]』巻十八「賀[[陸奥国]]出金詔書歌」(『[[国歌大観]]』番号4094番。『[[新編国歌大観]]』番号4119番。[[大伴家持]]作)の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は、「
この詞には、[[1880年]]([[明治]]13年)に当時の[[宮内省]]
<score vorbis="1" midi="1">{
\key bes \major \time 4/4 \tempo 4 = 60 \relative bes {
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の ど に は しー な じ
}
}
== 信時潔の作
<!--<score vorbis=1 midi=1>\relative g' {
\partial 4*1 g\mf\< | e2 d4. a'8\!\> | g2.\! \breathe a8. b16\< | c4. g8 e'4\! e |
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}
</score><ref>文部省、『高等科音樂一 女子用』昭和十九年四月八日、(2015年12月31日取得、http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450827/13)。</ref>--->
当時の[[大日本帝国]]政府が[[国民精神総動員]]強調週間を制定した際のテーマ曲。[[信時潔]]が当時の社団法人[[日本放送協会
放送は[[1937年]](昭和12年)10月13日から10月16日の国民精神総動員強調週間に「新しい種目として」行われたとの記録がある<ref>日本放送協会
なお、[[学校法人桜美林学園|桜美林学園]]は創立以来、[[1958年]](昭和33年)まで「海ゆかば」の旋律を校歌に採用していた。
==
信時の自筆譜における表題は「海'''ゆ'''かば」である。「海<u>ゆ</u>かば」と「海<u>行</u>かば」の表記ゆれは戦中からしばしば見られたが、[[堀内敬三]]は著書において東儀作曲のものを「海行かば」、信時作曲のものを「海ゆかば」と明瞭に表記を区別している<ref name="堀内1944-152" /><ref group="注">ただし、戦後に[[実業之日本社]]から復刊された『定本 日本の軍歌』(1969年)154ページ他では、信時作曲のものも「海<u>行</u>かば」に表記が変更されている。</ref>。
===歌詞===
{{Wikisource|海行かば}}
{{quote|
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}}
歌詞は2種類ある。「かへりみはせじ」は、前述のとおり「賀陸奥国出金詔書歌」による。一方、「長閑には死なじ」となっているのは、「陸奥国出金詔書」(『[[続日本紀]]』第13詔)による
==原歌==
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== 評価など ==
* [[ダーク・ダックス]]の喜早哲は、(楽譜通りに演奏することを条件として)自著{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}の中で信時の『海ゆかば』の音楽性を賞賛した。
* [[谷口雅春]]は海ゆかばに反対していた<ref name="生長の家本部1969-164">生長の家本部(1969), p184</ref>。その結果、[[生長の家]]の本部講師と[[特別高等警察]]の間でトラブルが発生することもあった<ref
* 現在出版されている信時潔の歌曲集にこの曲はなく、上記[[コンパクトディスク|CD]]『海ゆかばのすべて』発売以前は、ピアノと共に演奏することは容易ではなかった。このような[[音楽出版社]]、および[[日本放送協会|NHK]]の姿勢について、臭い物にはフタ式の不誠実な態度であると、[[藍川由美]]はみずからの著作{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}やCDの[[ライナーノーツ|ライナーノート]]{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}などで繰り返し批判している([[2005年]]([[平成]]17年)に再刊された春秋社の曲集には、付録として『海ゆかば』が収載されている)。
*[[林光]]は、[[軍国主義]]を批判する立場から『旗はうたう』([[1987年]](昭和62年))を作詞・作曲した。この中で林は、信時の『海ゆかば』を痛烈にもじっている。
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=== 軍歌か鎮魂歌か ===
[[大本営発表]]や出征兵士を送る際に使われた一方で、戦没者の遺骨を迎える際にも使われた経緯から、「[[軍歌]]」と認識する者と「[[鎮魂]]歌」と認識する者に分かれている。
[[2016年]](平成28年)から[[千葉県]][[八千代市]]で年に1回開催されている「日本の心を歌う集い」<ref>同会は開催毎に違うウェブサイトを立ち上げている。[http://nihonnouta.blog.fc2.com/ 第1回][http://nihonnouta2.blog.fc2.com/ 第4回]</ref>では、第3回となる[[2018年]](平成30年)3月3日に本曲が歌われる予定となり、それまで同イベントを後援してきた八千代市教育委員会は、一部の市民から「軍歌を歌うイベントの後援は好ましくない」との指摘を受け、第3回の後援は見送ることを決めた。同教委は主催者側に対しては「社会通念上、軍歌とされる『海行かば』が歌われる」「この歌を歌えば戦争賛美、戦死賛美を助長しかねない」といった理由を示し、[[産経新聞]]の取材に対しても「『海行かば』は作られた経緯から軍歌だと思っている」と説明した。一方、主催者側は「そもそも『海行かば』は軍歌ではなく鎮魂歌だ」「市教委は一方の市民の意見を代弁しており、公正中立とはいえない」と反発し、法的な対抗策を検討する構えも見せた。[[関東学院大学]][[文学部]][[教授]]の[[富岡幸一郎]]も「『海行かば』や本居宣長の和歌など、伝統的な文芸が戦意高揚に使われたことはあるが、本来は[[軍国主義]]と無関係」と述べている。なお、八千代市は第3回も後援を決めた<ref>{{Cite news|title=「海行かば」軍歌か鎮魂か 一部市民から指摘…市教委、公演の後援見送り|url= 2025年9月24日、[[宝塚歌劇団]]は[[宝塚大劇場]]で行われていた[[宙組 (宝塚歌劇)|宙組]]公演のショー「BAYSIDE STAR」において使用されていた「海ゆかば」の独唱を「軍歌はふさわしくない」という批判を受け取りやめたことが発表された。11月22日から行われる[[東京宝塚ビル#東京宝塚劇場|東京宝塚劇場]]での公演では楽曲自体を差し替えるという<ref>[https://www.sankei.com/article/20250929-WX4KSW6GUNKFNP3L7HIVEORSTI/ <主張>「海ゆかば」封殺 鎮魂歌の歴史を忘れまい]</ref>。
== 音声資料 ==
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;『[[潜水艦イ-57降伏せず]]』
: [[東宝]]、1959年公開、[[松林宗恵]]監督。
: [[太平洋戦争]]末期を描いた作品だが、ドキュメンタリー要素は薄い(架空の潜水艦、出来事)。戦死した兵を[[水葬]]にする際、潜水艦「イ-57」の水兵たちが「海行かば」を斉唱して送り出す。
;『[[ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐]]』
: 東宝、1960年公開、松林宗恵監督。
: [[ミッドウェー海戦]]で[[航空母艦|空母]][[飛龍 (空母)|飛龍]]が味方駆逐艦による雷撃処分で沈没する時にBGMとして使用される。
;『[[トラ・トラ・トラ!|トラ!トラ!トラ!]]』
: [[20世紀フォックス]]、1970年公開、[[リチャード・フライシャー]]・舛田利雄・[[深作欣二]]共同監督。
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;『[[連合艦隊 (映画)|連合艦隊]]』
: 東宝、1981年公開、[[松林宗恵]]本編監督、[[中野昭慶]]特技監督。
:
;『[[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]]』
: [[東映]]、1982年公開、舛田利雄監督。
: 東条英機を中心に
;『[[日本海大海戦 海ゆかば]]』
: 東映、1983年公開、[[舛田利雄]]監督。<!--DSTD-2336-->
: [[日露戦争]]を描いた映画。当時まだ本歌は存在しなかった。
;『[[上海バンスキング#映画版|上海バンスキング]]』
: 松竹、1984年公開、[[深作欣二]]監督。
: [[上海]]のクラブに来た日本軍の将校からこの曲をリクエストされたバクマツ([[宇崎竜童]])が[[トランペット]]で演奏する場面がある。バクマツは[[ジャズ]]風にアレンジしたためこれに怒った将校が立ち上がり、演奏を止めようと舞台に近づくが、仲間たちが阻止した。
;『[[太陽の帝国]]』
: ワーナーブラザーズ、1987年公開、[[スティーヴン・スピルバーグ]]監督。
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: NHK総合テレビジョン、2005年10月5日放送、原作・脚本:[[橋田壽賀子]]
: 昭和27(1952)年5月、海野が高倉家を訪ねた。海軍中佐だった海野は、サントス港で荷役をしていた高倉家次男の実と知り合い予科練をすすめ身元保証人になっていた。海野は、実が特攻隊としてレイテ沖で敵艦に突入して戦死したことを伝え、実の遺品の軍帽とハーモニカを手渡した。高倉忠次は、気をつけの姿勢をとって『海行かば』を歌い始めた。海野も気をつけの姿勢をとって一緒に歌い始めた<ref>[[橋田壽賀子|Sugako Hashida]], ''Haru e Natsu - As cartas que não chegaram -'', 2005, [http://www.imigrantesjaponeses.com.br/iminbrasil/Haru%20e%20Natsu.pdf#page=331 pp. 322-324.] {{Pt icon}}</ref>。
== 参考文献 ==
* 日本放送協会 編『昭和13年ラヂオ年鑑』1938年6月15日 発行 {{NCID|BN11967622}}
* 堀内敬三『日本の軍歌』日本音楽雑誌、1944年4月10日 初版発行、{{NCID|BA37049124}}
* 生長の家本部 編『生長の家四拾年史』[[日本教文社]]、1969年11月22日 発行 {{NCID|BN03850062}}
* 中西進、[[新間進一]]『日本の歌謡 記紀歌謡・梁塵秘抄・閑吟集・松の葉』[[河出書房新社]]、1975年5月20日 発行 {{NCID|BN11335833}}
* 『[[日本大百科全書]]』[[小学館]]、1989年7月1日 初版第五刷発行(3巻、18巻とも)
*: 小川乃倫子「海ゆかば」、3巻 ISBN 4-09-526003-3 p245
*: [[船山隆]]「信時潔」、18巻 ISBN 4-09-526018-1 p443
* 後藤暢子「信時潔」『[[世界大百科事典]] 22』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行 {{NCID|BA83204930}}
== 脚注 ==
{{
=== 注釈 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
*[
*{{NHK放送史|D0009060041_00000|海ゆかば}}
*[
*[https://www.youtube.com/watch?v=rwzU9zufJDo 海ゆかば]Taishi
*{{YouTube|PfBebI2oFp4|<軍歌・準国歌>海行かば}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:うみゆかは}}
[[Category:日本の合唱曲]]
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