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{{Hinduism}}
'''ハタ・ヨーガ'''({{lang-sa|हठयोग}} ''{{IAST|haṭhayoga}}'' {{IPA-hns|ɦəʈʰəˈjoːɡə|IPA}})は[[ヨーガ]]の一様式ないし一流派である。別名'''ハタ・ヴィディヤー''' (हठविद्या) すなわちで、「ハタの科学」を意味する<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], p. 137.</ref>。
 
ハタ・ヨーガは、半ば神話化されたインドの[[ヒンドゥー教]]の聖者で、シヴァ派の一派で[[仏教]]とヒンドゥー教[[シヴァ派]]が混然とした形態だった{{仮リンク|[[シヴァ派#ナー派|en|Nath}}ナート派]]の開祖{{仮リンク|ゴーラクシャナータ|en|Gorakshanath}}{{refn|group=†|歴史上の年代については諸説あり、9世紀から12世紀の間とする説([[#Eliade|エリアーデ]], pp. 45, 163)、10-12世紀とする説([[#Yamashita|山下 2009]], p. 140)、13世紀とする説([[#Tachikawa2008|立川 2008]] p. 101)がある。}}が大成したとされる。ゴーラクシャナータの師は、仏教徒であったといわれる{{日本語版にない記事リンク|マツイェーンドラナータ|en|Matsyendra}}(マッツェーンドラナート)である{{sfn|橋本|2005|pp=155-159}}。16世紀の行者{{仮リンク|スヴァートマーラーマ|en|Svātmārāma}}のヨーガ論書『[[ハタ・ヨーガ・プラディーピカー]]』{{refn|group=†|年代については諸説あり、14世紀とする説<ref>M・L・ガロテの研究[https://sites.google.com/site/hhaikata/risosu-no-juuyou-sei]</ref>から16-17世紀頃とする説<ref>[[#Yamashita|山下 2009]] p. 141; [[#Tachikawa2008|立川 2008]], p. 102.</ref>まである。}}において体系的に説かれた。
 
「ハタ」はサンスクリット語で「力」(ちから)、「強さ」といった意味の言葉である。教義の上では、「太陽」を意味する「ハ」と、「月」を意味する「タ」という語を合わせた言葉であると説明され{{refn|group=†|山下博司によると、これは[[民間語源|語源俗解]]的なこじつけである<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], pp. 137-138.</ref>。}}、したがってハタ・ヨーガとは陰(月)と陽(太陽)の対となるものを統合するヨーガ流派とされる<ref>{{cite web|last=ljpasion|title=Hatha Yoga - The Yoga of Postures|url=httphttps://www.abc-of-yogafitsri.com/styles-of-yoga/hatha-yoga.asp-meaning|accessdate=63 JuneJanuary 20112022}}</ref>。ゴーラクシャナータは師マツイェーンドラナータの認識論、宇宙生成論をほぼそのまま受け継ぎ、純粋精神である「最高の[[シヴァ神]]」に創造の意欲という「[[シャクティ]]」が生じ、その結果としてこの二大原理から[[因果|因中有果論]]に従って残りの原理が展開し、「束縛されたシヴァ」が個我(ジーヴァ)として顕現するとした{{sfn|宮本|2005|pp=155-159}}。人間は個我を形成するレベルの低次のシャクティによって体を維持しており、会陰部に「クンダリニー」(とぐろを巻いた蛇)として眠るこのシャクティをハタ・ヨーガによって目覚めさせ、頭頂にあるとされる「至高のシヴァ神」の元に上らせ、この二元を合一させ至高の歓喜を得ることを説いた{{sfn|橋本|2005|pp=155-159}}。
 
スヴァートマーラーマは、ハタ・ヨーガとはより高いレベルの[[瞑想]]、つまり[[ラージャ・ヨーガ]]に至るための準備段階であり、身体を鍛錬し浄化する段階であると説明する。[[印相|ムドラー]](印相)と、[[プラーナーヤーマ]](調気法)を中心としているが、{{仮リンク|シャトカルマ|en| Shatkarma}}による浄化法もよく知られている。インドの[[ゴーピ・クリシュナ]]はこのハタ・ヨーガにより解脱を得たとしてその境地を説明する本を著し、欧米人の興味を掻き立てた。
 
健康や[[フィットネス]]を目的とするエクササイズとして20世紀後半に欧米で大衆的な人気を獲得したハタ・ヨーガは、多くの場合、単に「'''ヨーガ(ヨガ)'''」と呼ばれる。現在ハタ・ヨーガと呼ばれるものの多くは、19世紀後半から20世紀前半の西洋で発達した[[体操|体操法]]などの西洋の{{仮リンク|身体鍛錬|en|Physical culture}}文化に由来し、インド独自の体系として確立した「新しいヨーガ」の系譜で、現代のハタ・ヨーガの[[アーサナ]]は、伝統のハタ・ヨーガとのつながりは極めて薄いといわれる<ref name="伊藤">[[#M_Ito|伊藤雅之 2011]].</ref>。現代広く普及している、独特のポーズ([[アーサナ]])を練習の中心に据えたヨーガは「[[創られた伝統]]」であった<ref>[[#Singleton {{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]]</ref>}}。(詳細は[[#現代のハタ・ヨーガ]]を参照)
 
=== 歴史 ===
== 伝統のハタ・ヨーガ ==
{{see also|ヨーガ#中世|シヴァ派#ナート派}}
=== 歴史 ===
;『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』
『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』は土着的民間伝承によってゴーラクシャナータの作と伝えられるサンスクリット語のハタ・ヨーガの聖典で、現存する中ではかなり古い。{{日本語版にない記事リンク|アヴァドゥータ|en|avadhuta}}(エゴや二元性を超越した聖者)の伝説についての記述が多い。ドイツ出身のヨーガ研究者{{日本語版にない記事リンク|ゲオルク・フォイアシュタイン|en|Georg Feuerstein}}{{refn|group=†|ゲオルグ・フォイアスティン、ゲオルグ・フォイヤーシュタインとも表記されるが、ここでは[[#Yamashita|山下 2009]]にならいドイツ語読みで表記する。}}の『聖なる狂気』 (1991: p.105) はこれについて以下のように述べている。
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;『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』
ハタ・ヨーガの総括的な教典は、スヴァートマーラーマが編纂した『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』である。著者自身は書名を『ハタ・プラディーピカー』と記している<ref>[[#T_Ito|伊藤武 2011]], p. 263.</ref>。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』は、ゴーラクシャの著書とされる失伝した『ハタ・ヨーガ』や現存する『ゴーラクシャ・シャタカ』など、それ以前の[[サンスクリット]]語諸文献にもとづいて書かれているが、スヴァートマーラーマ自身のヨーガ経験についても記述がある。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にはさまざまな事項、例えば{{日本語版にない記事リンク|シャトカルマ|en|shatkarma}}(浄化)、[[アーサナ]](坐法)、[[プラーナーヤーマ]](調気法)、[[チャクラ]](エネルギー中枢)、[[クンダリニー]]、{{日本語版にない記事リンク|バンダ (ヨーガ)|label=バンダ|en|:Bandha (Yoga)}}(筋肉による締め付け)、{{日本語版にない記事リンク|クリヤー|en|kriya}}(行為、クンダリニー覚醒技法)、[[シャクティ]](力)、{{日本語版にない記事リンク|ナディー|en|Nadi (yoga)}}(気道、脈管)、[[印相|ムドラー]](印相)といった事柄についての記載がある。
 
また、{{日本語版にない記事リンク|アーディナータ|en|Adi Natha}}([[シヴァ]]神)、マツイェーンドラナータ、ゴーラクシャナータなど、多数の著名なヨーギンについての記述がある。
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ヨーガの歴史的研究を行ったマーク・シングルトンによれば、近代インドの傾向において、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられてきたという{{sfn|シングルトン|2014|p=99}}。ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシら近代の聖者である指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた{{sfn|シングルトン|2014|p=99}}{{refn|group=†|例えば、近代インドを代表する聖者である[[ラマナ・マハルシ]]<ref>{{Cite book|和書|author=ポール・ブラントン |translator=日本ヴェーダーンタ協会 |year=2016 |origyear=1982 |title=秘められたインド 改訂版 |publisher=日本ヴェーダーンタ協会 |isbn=978-4-931148-58-1}}</ref>は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している<ref name="あるがままに2">{{Cite book|和書|author=デーヴィッド・ゴッドマン編 |translator=福間巖 |year=2005 |title=あるがままに - ラマナ・マハルシの教え |publisher=ナチュラルスピリット |isbn=4-931449-77-8 |pages=249-267}}</ref>。}}。ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという{{sfn|シングルトン|2014|pp=45-52}}{{refn|group=†|{{harvnb|シングルトン|2014}}によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた{{sfn|シングルトン|2014|pp=45-52}}。}}。
 
== 伝統のハタ・ヨーガ ==
=== 概要 ===
伝統的なハタ・ヨーガは総合的・全人的なヨーガ道である。具体的には制戒、坐法(アーサナ)、浄化法(シャトカルマ)、印相(ムドラー)、調気法(プラーナーヤーマ)、瞑想([[ディヤーナ]])である。
 
ヨーガには大きく分けて古典ヨーガとハタ・ヨーガという二つの流れがある<ref>[[#Tachikawa2013|立川 2013]], p. 62.</ref>。ハタ・ヨーガは生理的・身体的な修養を軸とする。また、古典ヨーガは心の作用の止滅を目指したのに対し、イメージを活用して心を統御しようとするハタ・ヨーガは、むしろ心の作用を活性化させる傾向を有するものと見ることができる<ref>[[#Tachikawa2013|立川 2013]], pp. 96-97.</ref>。ハタ・ヨーガの古典『ゴーラクシャ・シャタカ』は、『[[ヨーガ・スートラ]]』の説く八支則(アシュターンガ、アシュタ=八、アンガ=肢)のうち、ヤマ(禁戒、制戒)と[[ニヤマ]](勧戒、内制)を除く六つをハタ・ヨーガの六支則とする<ref>[[#T_Ito|伊藤武 2011]], p. 258.</ref>(ハタ・ヨーガの六支則については[[#六支則|後述]])。スヴァートマーラーマは自身の著書『ハタ・プラディーピカー』の中で、ハタ・ヨーガをラージャ・ヨーガの前段階として位置づける<ref>[[#Tachikawa2013|立川 2013]], p. 100.</ref>。そして、ラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガなしには成立せず、ハタ・ヨーガはラージャ・ヨーガなしでは成立しないと繰り返し述べている。ここでいうラージャ・ヨーガは一般に『ヨーガ・スートラ』の古典ヨーガのことと解される(例えば[[#Tachikawa2013|立川 2013]], p. 100、[[#Yamashita|山下 2009]], p. 136 参照){{refn|group=†|ただし、インド研究家の伊藤武によれば、『ハタ・プラディーピカー』が「ラージャ・ヨーガ」の章でラージャ・ヨーガの同義語として列挙している言葉の多くは、『ヨーガ・スートラ』よりも後の時代のタントラ用語である。伊藤は、同書の述べるラージャ・ヨーガの技法とは実のところハタ・ヨーガの最終段階に位置づけられるラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことであると指摘し、『ヨーガ・スートラ』の古典ヨーガをラージャ・ヨーガとするのは20世紀に入ってから確立した解釈でないかと推察している<ref>[[#T_Ito|伊藤武 2011]], p. 91-92.</ref>。}}。両者の主な相違点は、ラージャ・ヨーガで行う坐法は、瞑想状態を維持するために身体を整える目的で行われることである。したがってラージャ・ヨーガは瞑想に重点を置き、そのために蓮華座 ([[結跏趺坐]])、達人座 ([[:en:siddhasana]])、安楽座 ([[:en:sukhasana]])、正座 ([[:en: Vajrasana (yoga)|vajrasana]]) といったポーズを行う。ハタ・ヨーガは瞑想以外にも身体の訓練を目的とする坐法も行う。ラージャ・ヨーガで行うプラーナーヤーマ(調気法)に、[[バンダ (ヨーガ)|バンダ]] ([[:en:Bandha (Yoga)|Bandha]])(締め付け)を伴わないことと類似している。
 
ハタは熱い物と冷たい物のように相反するエネルギーを表す。(炎と水など陰陽の概念と同様に)男性と女性、プラスとマイナスなどである。ハタ・ヨーガは、身体を鍛練するアーサナと浄化の実践、呼吸のコントロール、そこから得られるリラクゼーションと瞑想によってもたらされる心の落ち着きを通して、精神と身体の調和を図る。アーサナは体の平衡を保つ訓練である。アーサナによってバランスが取れ、鍛えられると、心身ともに健康になり、瞑想の素養となる。ただし、痰や脂肪の多い人はプラーナーヤーマより先に浄化法を行うことが必要である。
 
アシュターンガとは、[[パタンジャリ]]が編纂した『[[ヨーガ・スートラ]]』に書かれている8支則のことである。すなわち、倫理遵守に関わるヤマ ([[:en:Yamas|Yama]])(禁戒)とニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、調気法であるプラーナーヤーマ(調息)、感官を外界から内に引き戻す{{日本語版にない記事リンク|[[プラティヤーハーラ|en|pratyahara}}]](制感)、思念の集中である{{日本語版にない記事リンク|[[ダーラナー|en|dharana}}]](凝念)、瞑想である{{日本語版にない記事リンク|ディヤーナ|en|Dhyana in Hinduism}}(静慮)、高度な心の抑止の境地であるサマーディ([[三昧]])の8つである<ref>[[#Mayo|Mayo 1983]].</ref>。8支則は、正確には8段階の修養過程であり、段階ごとに効果が顕れ、それが次の段階の基礎となる。パタンジャリのアシュターンガ・ヨーガ(八支ヨーガ)はラージャ・ヨーガと混同されることも多いが、『ヨーガ・スートラ』自体にはラージャ・ヨーガという言葉は使われていない。
 
ハタ・ヨーガは、{{anchorAnchors|六支則}}六支則に基づいてサマーディ(三昧)に到達しようとする。ハタ・ヨーガの六支則とは、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(調気法)、プラティヤーハーラ(制感)、ダーラナー(集中)、ディヤーナ(無心)、サマーディ(三昧)である。ハタ・ヨーガの原点となる教典は、サハジャーナンダ{{refn|group=†|[[プネー]]近くのアーランディー ([[:en:Alandi|Alandi]]) 出身のジュニャーネーシュヴァラ ([[:en:Jñāneśvar]]) の弟であるソーパーナの系統を引く人物。}}の高弟であるスヴァートマーラーマによって書かれた『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』である{{refn|group=†|スヴァートマーラーマは、サハジャーナンダの弟子であるチンターマニの弟子とも<ref>[https://sites.google.com/site/hhaikata/risosu-no-juuyou-sei]</ref>、チンターマニ自身の号とも<ref>[[#T_Ito|伊藤武 2011]], p. 268.</ref>。}}。ハタ・ヨーガで重要なのは[[クンダリニー]]の覚醒である。ハタ・ヨーガの成果は次のように現れるとされる。身体が引き締まる、表情が明るくなる、神秘的な音が聞こえる、目が輝く、幸福感が得られる、{{日本語版にない記事リンク|ビンドゥー|en|bindu<!-- 曖昧さ回避ページ -->}}のコントロールができる、エネルギーが活性化する、{{仮リンク|ナディー|en|Nadi (yoga)}}が浄化される、など。
 
==== プラーナーヤーマ(調気法) ====
{{main|プラーナーヤーマ}}
''[[プラーナ]]''(生命力)と''アヤマ''(拡張する、または調節する意)の2語から成る言葉。プラーナーヤーマは呼吸を長くし、コントロールして整える。その方法には、レーチャカ(呼気)、プーラカ(吸気)、{{日本語版にない記事リンク|クンバカ|en|Kumbhaka}}(通常の吸って吐く程度の間呼吸を止めること、保息)の3種がある。プラーナーヤーマは精神的、身体的、霊的な力を高めるために行う。しかし危険を伴うこともあるため、習得できるまでは経験豊富な指導者の下で行うべきであことが必要とされている。
 
== 現代のハタ・ヨーガ ==
=== 概要 ===
[[File:Raja sarvangasana.jpg|thumb|150px|現代ヨーガのアーサナである{{仮リンク|サルヴァンガーサナ|en|Sarvangasana}}(肩立ちのポーズ)]]
今日、さまざまな体位法([[アーサナ]])に重点を置くハタ・ヨーガが世界的に広まっているが、これは浄化法やムドラー、プラーナーヤーマを重視する古典的なハタ・ヨーガとは別物である<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =39-40.</ref>}}。宗教社会学者の[[伊藤雅之]]は、現在実践されている[[アーサナ]]の大半は、19世紀後半から20世紀前半に西洋で発達した身体文化(キリスト教を伝道する[[YMCA]]やイギリス陸軍によってインドに輸入された)を強調する運動に由来すると述べている<ref name="伊藤"/>。伊藤は、現代のアーサナの起源は、西洋式[[体操|体操法]]などの西洋身体文化が、インド独自の体系として、伝統的な「ハタ・ヨーガ」の名でまとめられたものであると述べており、現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している<ref name="伊藤"/>。
 
アーサナ偏重の現代ヨーガの基礎は20世紀前半に築かれた<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |p. =148.</ref>}}。19世紀のヨーロッパでは、精神だけでなく肉体を鍛えようとする「身体文化」が興隆した<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =105-111</ref>}}。20世紀に入ると、インドではその流れを受けて、国産の[[エクササイズ]]を生み出そうとする動きが活発化した<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]]</ref>}}。近代ヨーガの立役者であるヴィヴェーカーナンダは19世紀末にハタ・ヨーガのアーサナに対して否定的な態度を取ったが、20世紀に入ってから体操的なものとして復興したアーサナ(実は、欧米の体操などの影響を強く受けている)は、パタンジャリすなわち『ヨーガ・スートラ』の伝統に基づくという解釈によって権威づけされた<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]]</ref>}}。その時代に身体文化としてのヨーガの推進に貢献した人物としては、ボンベイ(現[[ムンバイ]])などで活躍した{{仮リンク|スワーミー・クヴァラヤーナンダ|en|Swami Kuvalayananda}}(1883年 - 1966年)、シュリー・ヨーゲーンドラ(1897年 - 1989年)、1930-40年代に[[マイソール]]でヨーガを指導した{{仮リンク|ティルマライ・クリシュナマチャーリヤ|en|Tirumalai Krishnamacharya}}(1888年 - 1989年)などが挙げられる。マニク・ラオに伝統的体育学と武闘術を学び、マーダヴァダースにヨーガを学んだクヴァラヤーナンダは、ヨーガを学問的に研究し、体育教育や病気治療に活用しようとした<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =150-151; [[#Yamashita|山下 2009]], pp. 183-184.</ref>}}。彼は1924年に[[プネー]]近郊のローナヴァラにカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を創設し、ヨーガの研究と普及に努めた<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], p. 183.</ref>。
 
クリシュナマチャーリヤは現代ヨーガへの影響が大きい人物で<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], p. 198.</ref>、「現代ヨーガの父」とも呼ばれる<ref name="伊藤"/>。クリシュナマチャーリヤは1930年代にマイソールの[[マハーラージャ|藩王]]の宮殿でヨーガ教師の職を得て、ジャガンモハン宮殿内にヨーガ教室を開いた。当時[[マイソール藩王国]]を統治していた[[クリシュナ・ラージャ4世]](1884年 - 1940年)は体育振興に熱心であり、クリシュナマチャーリヤが構築した体操的なアーサナのスタイルの背景には、1920~30年代のマイソールで振興が図られたさまざまな身体文化の要素があった<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =231-233.</ref>}}。ノーマン・スジョーマンの研究では、マイソールの宮殿では王族が体操を実践していたと指摘され、マイソール・スタイルのヨーガの形成において宮殿にあった体操の教本が利用された可能性が示唆されている<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =22-23,}}{{sfn|シングルトン|2014|pp= 260-261.</ref>}}。伊藤博之は、クリシュナマチャーリヤは西洋の身体文化から発生した多様な[[体操|体操法]]を自らのヨーガ・クラスに取り入れ、西洋式体操をインド伝統のハタ・ヨーガの技法として仕立て上げたとしている<ref name="伊藤"/>。クリシュナマチャーリヤはマイソールの宮殿で働き始めた年にクヴァラヤーナンダのカイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所を視察しているが、この時すでにクヴァラヤーナンダの「ヨーガ的体育」の教育プログラムは連合州に広まっていた。現代ヨーガのアーサナ体操の起源についての研究を行ったマーク・シングルトンは、そこでクリシュナマチャーリヤはヨーガをベースにした体育教育について教唆を受け、自分のヨーガ指導に応用したのではないかと考察している<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =266-267.</ref>}}。アーサナを取り入れたインド国産の(その実、欧米の体操などの影響を強く受けている)身体訓練は、1920年代以降全国的に広まっていた。シングルトンは、クリシュナマチャーリヤが1930年代以降に教えたマイソール・スタイルのヨーガもその流れに乗ったもので、当時インドで国産のエクササイズとして広まっていた体育教育法のヴァリエーションであったと指摘している<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], pp. |p=261, }}{{sfn|シングルトン|2014|p=271.</ref>}}。また、クリシュナマチャーリヤは思想面に[[ヴィヴェーカーナンダ]]などの[[ヒンドゥー]]復興運動の思想と『[[ヨーガ・スートラ]]』を援用した<ref name="伊藤"/>。ヴィヴェーカーナンダはハタ・ヨーガの身体鍛錬を軽んじるどころか否定した<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =89-94.</ref>}}。一方、『ヨーガ・スートラ』をハタ・ヨーガの教典よりも権威あるものとみなしたクリシュナマチャーリヤも、『ヨーガ・スートラ』には書かれていない浄化法(シャトカルマ)のような伝統的なハタ・ヨーガ技法は軽視してほとんど教えなかったが、アーサナ体操については『ヨーガ・スートラ』に基づくものとしてこれを正当化した<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =241-242.</ref>}}。クリシュナマチャーリヤはハタ・ヨーガの古典にはない、近代ヨーガの体位である{{仮リンク|シールシャーサナ|en|Sirsasana}}(頭立ちのポーズ)や{{仮リンク|サルヴァンガーサナ|en|Sarvangasana}}(肩立ちのポーズ)に重点を置いた張本人といわれ{{refn|group=†|クリシュナマチャーリヤがマイソールの宮殿でヨーガ教師の職を得たのは1933年頃のことであるが<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |p. =234.</ref>}}、クヴァラヤーナンダの1931年の著作『アーサナ』には肩立ちのポーズの図版が掲載されており<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |p. =215.</ref>}}、この体位そのものはクリシュナマチャーリヤの創案ではない。}}、現代のほとんどのヨーガ教師は(クリシュナマチャーリヤとは直接関係のないシヴァーナンダなどの系統の人々も含めて)直接的・間接的に彼の教えの一部から影響を受けているといわれる<ref name=Ruiz>Ruiz, Fernando Pagés. [http://www.yogajournal.com/article/philosophy/krishnamacharya-s-legacy/ "Krishnamacharya's Legacy." ] YogaJournal.com and Yoga Journal, May/June 2001.</ref>。
 
クリシュナマチャーリヤは1924年から死去する1989年までヨーガを指導した。アーサナを中心とした現代のヨーガは、直接または間接的にクリシュナマチャーリヤの影響を受けているものが多い。彼が1930年代から20年ほどの間にマイソールで教えていた激しい体操的なヨーガのスタイルからは、躍動的なヨーガで知られる{{仮リンク|アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ|en|Ashtanga vinyasa yoga}}が生まれ、1990年代以降の北米で盛んなパワー・ヨーガなどもその派生である<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |p. =228.</ref>}}
 
欧米にヨーガを広めた著名な弟子には、上記の[[ヨーガ#アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ|アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ]]の創始者{{日本語版にない記事リンク|パッタビ・ジョイス|en|K. Pattabhi Jois}}、正姿勢と補助道具が特徴の[[B.K.S.アイアンガー|B・K・S・アイヤンガール]]{{refn|group=†|日本ではアイアンガーと呼ばれることが多いが、正しくはアイヤンガールであると山下博司は指摘している<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], pp. 198-199.</ref>。}}、インドラ・デーヴィー ([[:en:Indra Devi]])、クリシュナマチャーリヤの子でヴィニヨーガ ([[:en: Viniyoga]]) の創始者T・K・V・デーシカーチャール ([[:en:T. K. V. Desikachar]]) が挙げられる。T・K・V・デーシカーチャールは、クリシュナマチャーリヤから継承したヨーガを広めるため、[[チェンナイ]]にクリシュナマチャーリヤ・ヨーガ・マンディラムを創立した。
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[[リシケーシュ]] の{{日本語版にない記事リンク|シヴァーナンダ|en|Sivananda Saraswati}}(1887年 - 1963年)と彼の多数の弟子たちも、影響力のある大きな流れを形成した。シヴァーナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター ([[:en:Sivananda Yoga Vedanta Centres]]) を創立した{{日本語版にない記事リンク|ヴィシュヌデーヴァーナンダ|en|Swami Vishnu-devananda}}、ビハール・ヨーガ学校 ([[:en:Bihar School of Yoga]]) を創立した{{日本語版にない記事リンク|サティヤーナンダ|en|Satyananda Saraswati}}、インテグラル・ヨーガの創始者{{日本語版にない記事リンク|サッチダーナンダ|en|Swami Satchidananda}}など著名な指導者を輩出した。
 
[[パラマハンサ・ヨガナンダ|パラマハンサ・ヨーガーナンダ]]の弟でボディビルダーの{{仮リンク|B・C・ゴーシュ|de|Bishnu Charan Ghosh}} (Bishnu Charan Ghosh) も、1930年代以降に体操やボディビルディングを融合させたヨーガを広めた人物である。彼は1923年に[[コルカタ]]で身体教育学校を開き、ボディビルディングを指導した。世界的に商業展開しているビクラム・チョードリーの[[ビクラムヨガ|ビクラム・ヨーガ]]は、自身がゴーシュの学校で教わった運動競技的なアーサナから派生したものである<ref>[[#Singleton{{sfn|シングルトン, 喜多訳 |2014]], |pp. =27-28, }}{{sfn|シングルトン|2014|pp=174-176.</ref>}}
 
=== 健康法としてのヨーガ ===
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''脚注リンク先の情報と翻訳元に記載の調査年度が異なる。''
 
現代では、ハタ・ヨーガのテクニックを利用するアスリートや格闘家もいる。日本では、北米で{{仮リンク|ヘルシー・ハッピー・ホーリー協会|en|3HO}}(3HOファウンデーション)を設立したインド人[[シク教徒]][[:en:Harbhajan Singh Khalsa|Harbhajan Singh Khalsa]]、通称[[ヨギ・バジャン]]によるクンダリーニ・ヨーガ(ハタ・ヨーガ)に基づく呼吸法として、小山一夫が「火の呼吸」と呼ぶ[[呼吸法]]を指導している。(格闘家[[ヒクソン・グレイシー]]が行っている呼吸法であるという触れ込みで日本に広まったが、事実ではないと指摘されている。<ref>[httphttps://athojapa.exblog.jp/11486862/ ヒクソン・グレイシーとヨガ] ヨガの光の行く先・ヨガの森 2009年7月9日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20041108004919/http://www.geocities.jp/athojapalegend/respect.htm ヒクソン・グレイシーとヨガ③] RESPECT RG 2003年09月09日</ref>)火の呼吸は、全身をリラックスさせ姿勢をまっすぐに保ち、速いペースで鼻呼吸を行う。
 
ビクラム・ヨーガは高温多湿の部屋で26種のアーサナを連続的に行っていくという形式のもので、ホット・ヨーガとも呼ばれる(今日では[[ホットヨガ|ホット・ヨーガ]]という用語はビクラム・ヨーガに限定されずに使われている)。部屋を高温にすると効果的にヨーガができるという発想は、1970年にビクラム・チョードリーが日本に開いたヨーガ教室で生徒たちがストーブを持ち寄って部屋を暖かくしたところ、冬の寒さにこごえていた身体が柔軟になったという経験がきっかけで生まれたという<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], p. 202.</ref>。チョードリーは1970年代初めに北米に進出し、1990年代には自分のヨーガをフランチャイズ制にした。一律のプログラムで運営される数百以上のヨーガ・スタジオが開設され{{refn|group=†|[[#Yamashita|山下 2009]]は、ビクラム・ヨーガの展開するスタジオは1,500箇所以上と記しているが、典拠は不明。科学ジャーナリストのウィリアム・J・ブロードによると、2010年にビクラム・ヨーガの国際総本部の広報担当は、全世界のスタジオ数は500箇所ほどで、その他多数は正規フランチャイジーではない違法なスタジオだと述べており、チョードリーの2007年の著書が主張する1,700というスタジオ数と大きく食い違っている<ref>[[#Broad|ブロード, 坂本訳 2013]], p. 316.</ref>。}}、世界的ファーストフード店の名をもじって「マックヨーガ」と揶揄されることもある。ビクラム・ヨーガで怪我をしたり酸欠で倒れるという事故も起きている<ref>[[#Yamashita|山下 2009]], pp. 203-204, 213.</ref>。
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== 参考文献 ==
{{ウィキポータルリンク|健康とフィットネス|[[画像:P human body violet.png|45px|Portal:健康とフィットネス]]}}
* {{Cite book|和書|author=[[ミルチャ・エリアーデ]]|authorlink=ミルチャ・エリアーデ |others=[[立川武蔵]]訳 |year=1987 |title=エリアーデ著作集 第十巻 ヨーガ2 |publisher=せりか書房 |isbn=4-7967-0087-0 |ref=Eliade}}
* {{Cite book ja-jp |editor=|chapter= |title =ヒンドゥー教の事典 |publisher=東京堂出版 |year=2005}}
**{{Cite journal|和書|ref={{Harvid|本|2005}} |author |author=[[橋泰元]]久義 執筆 |title=第32章 ヒンドゥー教の諸宗派と宗教根本的思想}}
**{{Cite journal|和書|ref={{Harvid|橋本|2005}} |author |author=橋本泰元 執筆 |title=第3章 ヒンドゥー教の諸宗派と宗教思想家}}
* {{Cite book|和書|author=[[立川武蔵]]|authorlink=立川武蔵 |year=2013 |origyear=1988 |title=ヨーガの哲学 |publisher=講談社 |series=講談社学術文庫 |isbn=978-4-06-292185-5 |ref=Tachikawa2013}}
* {{Cite book|和書|author=立川武蔵 |year=2008 |title=ヨーガと浄土 |publisher=講談社 |series=講談社選書メチエ |isbn=978-4-06-258429-6 |ref=Tachikawa2008}}
* {{Cite book|和書|author=山下博司 |year=2009 |title=ヨーガの思想 |publisher=講談社 |series=講談社選書メチエ |isbn=978-4-06-258432-6 |ref=Yamashita}}
* {{Cite book|和書|author=伊藤武 |year=2011 |title=図説 ヨーガ大全 |publisher=佼成出版社 |isbn=978-4-333-02471-1 |ref=T_Ito}}
* {{Cite journal|和書|author=伊藤雅之 |date=2011-03-30 |title=現代ヨーガの系譜 : スピリチュアリティ文化との融合に着目して |journal=宗教研究 |volume=84(4) |publisher=日本宗教学会 |naid=110008514008 |pages=417-418 |ref=M_Ito}}
* {{Cite book|和書|author=マーク・シングルトン |others=喜多千草訳 |year=2014 |title=ヨガ・ボディ - ポーズ練習の起源 |publisher=大隅書店 |isbn=978-4-905328-06-3 |ref=Singleton{{SfnRef|シングルトン|2014}}}}
* {{Cite book|和書|author=ウィリアム・J・ブロード |others=坂本律 |year=2013 |title=ヨガを科学する - その効用と危険に迫る科学的アプローチ |publisher=晶文社 |isbn=978-4-7949-6797-8 |ref=Broad}}
* {{anchorAnchors|Mayo}}Mayo, DeBarra, ''Runner's World Yoga Book II'', (1983) Chapter 1, The Origin and Nature of Yoga, pages 13-16 ISBN 0-89037-274-8
* {{anchorAnchors|Feuerstein}}Feuerstein, Georg (1991). 'Holy Madness'. In ''Yoga Journal'' May/June 1991. With calligraphy by Robin Spaan. Source: [httphttps://books.google.comco.jp/books?id=lekDAAAAMBAJ&pg=PA105&dq=Siddha+Siddhanta+Paddhati&hl=en&ei=46hfTZ3TIJGovQPp073dAg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=9&vedredir_esc=0CE0Q6AEwCDgKy#v=onepage&q=Siddha%20Siddhanta%20Paddhati&f=false] (accessed: February 29, 2011)
* Swami Sivananda Radha, ''Hatha Yoga: The Hidden Language, Secrets and Metaphors'', Timeless Books (May 1, 2006), ISBN 1932018131.