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{{商業施設
| 社色 = white
| 文字色 = magenta
| 名称 = 山交百貨店
| 外国語表記 = yamako
| 画像 = Yamako-dept.JPG
| 画像サイズ = 300px
| 地図 = {{Infobox mapframe|zoom=13|frame-width=300|type=point}}
| 画像説明 =
| 正式名称 = 山交百貨店
| 所在地郵便番号 = 400-0031
| 所在地 = 山梨県甲府市丸の内1丁目3-3
| 位置 =
| 開業日 = [[1954年]]
| 閉業日 = [[2019年]][[9月30日]]
| 施設所有者 = 株式会社山交百貨店
| 施設管理者 = 株式会社山交百貨店
| 敷地面積 =
| 商業施設面積 = 15,774 15774
| 延床面積 = 39,36339363
| 店舗数 =
| 中核店舗 =
| 営業時間 = 10:30 - 19:30(一部除く)
| 駐車台数 =
| 前身 = 甲府松菱
| 外部リンク = http://www.yamako-dept.jp
| 商圏人口 =
| グループ社色 = white
| グループ文字色 = green
| グループ文字フォント =
| グループ = 国際興業
| 後身 = [[ヨドバシ甲府]]
}}
'''株式会社山交百貨店'''(やまこうひゃっかてん、[[英語|英称]]:''Yamako Department Store Co.,Ltd.'')は、かつて[[山梨県]][[甲府市]][[丸の内 (甲府市)|丸の内]]([[甲府駅]]前)に存在した、[[国際興業]]グループの[[日本の百貨店|百貨店]]である。
 
ここでは創立時の'''甲府松菱'''および前運営会社の'''山交'''についても説明する。
 
== 概要 ==
[[甲府駅]]前という山梨県内の一等地に店舗を構え、同じ丸の内地区にある[[岡島百貨店]]とともに山梨県内の百貨店として営業してきた。[[日本百貨店協会]]には非加盟だったが(同様の例として[[静岡県]][[沼津市]]にあった[[富士急百貨店]]などが該当する)、一般的には百貨店として扱われる<ref group="注">日本百貨店協会は[[加盟が任意団体]]である[[業界団体]]にすぎず、日本の「百貨店」の基準として協会への加盟が条件となるわけではない。<!--※日本百貨店協会の加盟基準とされる売場面積そのものの出典がないためいったんコメントアウト--また山交百貨店の閉店時点での店舗規模は、同協会が加盟の基準とする「店舗の売場面積が1万5千平方メートル以上」には該当していた。--></ref>。国際興業グループとしては唯一の百貨店であり、同店の閉店によりグループとしても百貨店事業から事実上撤退したことになる。
 
山交百貨店があった甲府市丸の内1丁目は、[[甲府城]]の内堀に囲郭された[[内城]]区域にあたり、山交百貨店の所在地は、舞鶴陸橋から[[中央本線|中央線]]敷地付近までの周辺区域とともに本丸の所在する城域中央から北西側の[[屋形]][[曲輪]]に相当し、北側には清水曲輪、南には楽屋曲輪が広がる。西側には南北に内堀が通り二の堀で囲郭された[[武家地]]に通じる柳門があり、曲輪内には甲府藩主[[柳沢氏]]時代には[[書院]]や[[番所]]、[[城門]]などの施設が存在していたと考えられている。明治初期には内城区域の一部を残して内堀・二の堀は埋め立てられ[[官公庁]]用地として開発され、旧清水曲輪地点には[[甲府駅]]が開業して景観は大きく変貌した。{{see also|丸の内 (甲府市)}}
 
創業は[[1954年]](昭和29年)であるが、これはかつて[[静岡県]][[浜松市]]で営業していた[[松菱]]の創業者である谷氏<ref group="注">京都・[[丸物]](現:[[近鉄百貨店]])の創業者の一人でもある。</ref>をだった[[谷政二郎]]が出した<ref group="注">ただし、谷氏は甲府松菱設立以降は松菱および[[三重県]]にある[[津松菱]]との関係は一切なかった。</ref>とした'''甲府松菱'''(こうふまつびし)時代からで、それ以前に[[中央 (甲府市)|中央地区]]で営業をしていた'''松林軒デパート'''(しょうりんけんデパート)時代は含まれない。
 
== 歴史 ==
=== 甲府松菱時代 ===
甲府市では山梨県内初となる[[百貨店]]として[[1937年]](昭和12年)に'''松林軒デパート'''が甲府市中央1丁目の[[甲府会館]]で営業を開始していたが<ref name="asahi-yamanashi-showa-history-1989-9">朝日新聞社 甲府支局 『山梨の昭和 山梨ふるさと文庫』 [[朝日新聞社]]、1989年9月。ISBN 978-4-7952-0718-9</ref>、8年後の[[1945年]](昭和20年)に起きた)7月7日の空襲([[甲府空襲]]により内部が損傷外構を残たためて全焼し、百貨店としての事業を中止していた。終戦を迎え、甲府会館は[[山梨日日新聞]]の印刷所となっていたが、百貨店事業を再開するため松菱の創業者である谷政二郎の協力のもと[[1954年]](昭和29年)に'''甲府松菱'''として百貨店としての営業をした。
 
甲府松菱の営業開始後は、[[1938年]](昭和13年)開業の岡島百貨店と1948年(昭和23年)に業態転換した中込百貨店と3店舗が競い合う状態の中、地元山梨県出身の[[小佐野賢治]]が社主だった[[国際興業]]は当時経営難に陥っていた[[山梨交通]]の買収と同時に甲府市内へ百貨店事業を展開しようとしていたが、当時の人口が約16万人程度だった甲府市に4つ目の百貨店を開業するのは[[オーバーストア]]になってしまうためることから既存店舗の買収に乗り出し、3店舗の中で一番規模の小さかった甲府松菱に注目。[[1961年]](昭和36年)に山梨交通とともに譲渡され、国際興業傘下の山梨交通系列に編入された<ref name="kkk-50-history-1990-5">国際興業株式会社社史編纂室編集 『国際興業五十年史』 国際興業、1990年5月。</ref>。また甲府会館が手狭で増床も困難であったことから、買収の翌年に廃止された[[山梨交通電車線]]の[[甲府駅前駅]]跡地を活用しようと[[バスターミナル]]を併設した地上6階建の屋上に小規模の[[遊園地]]を設置した建物を建設。[[1963年]](昭和38年)に完成し、運営会社を'''株式会社山交'''(以下、山交)、百貨店名称を甲府松菱から'''山交百貨店'''(以下、山交百貨店)に商号変更のうえ移転開業した。
 
甲府松菱が撤退した後の甲府会館は[[パチンコ]]店などが入居していたが、老朽化により[[2005年]](平成17年)に解体され、跡地は[[ホテル]]([[ドーミーイン|ドーミーイン甲府]])になっている。{{see also|甲府会館}}
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|SWIFTコード =
|事業内容 = [[保険]]契約業務、[[不動産会社|不動産賃貸業務]]
|代表者 = [[代表取締役]] 宮島 忠之<ref group="資料" name="fy">[https://catr.jp/companies/79c4c/18992/settlements/19379/163222 株式会社山交百貨店 第14期決算公告]</ref>
|資本金 = 5000万円(2020年3月期)<ref group="資料" name="fy" />
|発行済株式総数 =
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3年後の[[1989年]](平成元年)に地上5階建、地下4階建の新しい建物が完成し営業再開。1階と2階の間にスパイラルタイプの[[エスカレーター|スパイラルエスカレーター]]<ref group="注">[[三菱電機]]製。総製作数は約30基で、山交百貨店以外では[[横浜ランドマークタワー]]や[[インテックス大阪]]などにある。</ref><ref>{{Cite news|title=曲がるエスカレーター見納め 甲府・山交百貨店|url=https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190925/lif19092522280021-n1.html|newspaper=産経新聞|data=2019-09-25|accessdate=2019-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191115221209/https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190925/lif19092522280021-n1.html|archivedate=2019-11-15}}</ref>を設置し、1階の上下エスカレーターの間に時計台を設置していた。
 
改築の売上は[[バブル景気]]に乗り売上は順調であったが、バブル崩壊後の[[1990年代]]は[[不況]]と甲府駅前中心部の[[シャッター通り|空洞化]]により売上が低迷した。[[1998年]]2月には甲府西武が閉店、[[1999年]]11月にはトポス甲府店(旧:[[過去に存在した北陸地区・甲信越地区・東海地区のダイエーの店舗#山梨県|ダイエー甲府店]])が相次いで閉店している。{{main|甲府市中心市街地活性化基本計画#概要}}
 
それに加えて、運営会社の山交もGMS事業の失敗([[#総合スーパー事業|後述]])による負債が重くのしかかったことから、親会社の国際興業は経営健全化を目的に運営会社の[[新旧分離]]を実施した。まず[[2007年]](平成19年)2月に'''株式会社山交百貨店'''を設立して山交百貨のみ舗や不動産関連を移譲。負債だけとなった山交は同年3月に'''株式会社甲州管財'''と商号変更したうえで臨時株主総会で解散を決議し、同年7月に[[東京地方裁判所|東京地裁]]より[[清算#特別清算|特別清算]]手続の決定を受け、清算業務を行なっている<ref>[http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1197620_1588.html 倒産速報(株)甲州管財(旧(株)山交)]([[東京商工リサーチ]])</ref>。
 
経営が新会社に移った山交百貨店は[[2008年]](平成20年)の改装工事を実施し、スパイラルエスカレーターの右半分(下り)と1階にあった時計台の撤去を行なった<ref group="注">下りエスカレーターは別の場所に通常タイプが設置されている。また、時計台は同市にある大里幼稚園に譲渡された。</ref>。[[2015年]](平成27年)12月17日より[[甲府駅バスターミナル]]にあった[[バスターミナル|バスセンター]]を当百貨店地下1階、バス案内所を百貨店前に移転。[[2017年]](平成29年)8月9日の新案内所竣工まで営業を行っていた。
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新会社移行後も[[ロードサイド店舗|郊外大型店舗]]の増加や東京への買い物客流出、さらに[[電子商取引|ネットショッピング]]の台頭などにより、売上高は1997年2月期の約121億7700万円から2018年3月期には約28億4300万円まで大きく落ち込み<ref>{{Cite news|title=山交百貨店、9月30日に閉店へ 甲府駅前の老舗|url=http://mainichi.jp/articles/20190301/k00/00m/020/200000c|newspaper=毎日新聞|accessdate=2019-03-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190301114625/http://mainichi.jp/articles/20190301/k00/00m/020/200000c|archivedate=2019-03-01}}</ref>、全盛期は100店舗あったテナントも、[[キーテナント]]であった[[良品計画|無印良品]]が[[2017年]](平成29年)10月29日に[[イオンモール甲府昭和]]へ移転するなど[[2019年]](平成31年)3月時点で67店舗までに減少し、駅前通行量の減少で新規テナントの出店を躊躇される状況であった<ref name="sankei20190301">{{Cite news|title=甲府「山交百貨店」9月閉店 競合激化で収益改善できず|url=http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/190301/ecn19030117240015-n1.html|newspaper=産経新聞|accessdate=2019-03-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190301115220/http://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/190301/ecn19030117240015-n1.html|archivedate=2019-03-01}}</ref>。
 
さらにまた、山交百貨店の親会社である国際興業グループ内でも[[2014年]](平成26年)に[[サーベラス・キャピタル・マネジメント]]からの株式買い戻しを発端とした再編が行われ、この過程で名前の由来になった山梨交通系列のバス事業とトラベル事業がグループから離脱したことで山交百貨店との資本関係がなくなり<ref>鈴木文彦「Bus Corner」『[[鉄道ジャーナル]]』第575号、鉄道ジャーナル社、2014年9月、 150-153頁。</ref>、甲府市内にあった[[富士屋ホテルチェーン]]の甲府富士屋ホテルも[[2018年]](平成30年)5月に2019年3月をもって営業終了することが発表されるなど<ref>{{Cite news |title=甲府富士屋ホテル 愛知の企業に譲渡 現行の営業、今年度末終了 |newspaper=毎日新聞 |date=2018-05-12 |url=https://mainichi.jp/articles/20180512/ddl/k19/020/199000c |accessdate=2018-07-16}}</ref>(2019年4月より別資本に譲渡され[[甲府記念日ホテル]]として営業継続)、山交百貨店と提携する企業が県内から相次いで喪失していった。国際興業も株式買い戻しにより1400億円の負債を抱えており、山交百貨店を支援する体力は残されていない状況であった。
 
この状況で2018年3月期には純損失が1億2900万円、純資産もマイナスに転じ<ref group="資料" name="fy12">[https://catr.jp/companies/79c4c/18992/settlements/a1f9f/19306 株式会社山交百貨店 第12期決算公告]</ref>、さらに2019年3月期は純損失が1億7600万円を計上するなど<ref name="nikkei2019-09-30">{{cite news |title=甲府駅前の山交百貨店が閉店|author= |agency=|publisher=日本経済新聞 |date=2019-09-30|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50397760Q9A930C1L83000/|accessdate=2019-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191009044011/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50397760Q9A930C1L83000/ |archivedate=2019年10月09日}}</ref><ref group="資料" name="fy" />先行きが見通せなくなったことから、同年9月30日をもって閉店することを決定した<ref name="sankei20190301" />。
 
2019年9月30日19時の閉店時間に従業員が正面玄関前に並び、200人の観衆の前で店長が閉店を告げる挨拶を行い、最後は従業員が店内に戻り頭を下げた状態でシャッターが降ろされ、1954年開業の甲府松菱以来65年間の歴史に幕を下ろした<ref>{{Cite news|title=甲府の顔として約65年 山交百貨店閉店|url=http://www.uty.co.jp/news/20191001/6408/|newspaper=テレビ山梨|accessdate=2019-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191005164420/http://www.uty.co.jp/news/20191001/6408/|archivedate=2019-10-05|language=ja}}</ref>。
 
=== 閉店後 ===
閉店後も法人としての山交百貨店は存続し、不動産賃貸や保険販売事業は継続している<ref name="nikkei2019-09-30" />(2019年11月に本社を甲府市内の[[ダイタ]]ビル2階に移転、2020年9月に「株式会社山交」に社名変更)
 
閉店決定した段階で111人いた従業員のうち、約100人の再就職先が閉店時点で決まっておらず、産業雇用安定センターが斡旋を継続していると報じている<ref name="nikkei2019-09-30" />。
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立地が甲府駅前であること、[[甲府市中心市街地活性化基本計画]]の第二期が佳境に入り駅前南口整備がほぼ完了した中でのこともあり、運営会社および県や市は閉店が決定した段階から跡地利用について模索していたが、閉店した9月30日時点で建物と土地の活用策などは決まっていないと報じられていた<ref name="nikkei2019-09-30" />。
 
2019年11月12日に[[家電量販店]]の[[ヨドバシカメラ]]が跡地の土地および建物の売買契約を締結したことが報道された。行政手続および改装などを経て出店する予定で<ref>{{cite news |title=甲府の山交百貨店跡地、ヨドバシカメラが進出|newspaper=日本経済新聞|date=2019-11-12|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52082870S9A111C1L83000/|accessdate=2019-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191112112848/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52082870S9A111C1L83000/ |archivedate=2019年11月12日}}</ref>、2021年4月28日に'''[[ヨドバシ甲府]]'''(ヨドバシカメラマルチメディア甲府)としてオープンを予定ている<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210421-OYT1T50000/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210423012310/https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210421-OYT1T50000/|title=駅前百貨店の跡地、ヨドバシカメラ28日開店…空洞化1年7か月「周囲もにぎわいを」|newspaper=読売新聞|date=2021-04-22|accessdate=2021-04-23|archivedate=2021-04-23}}</ref><ref>{{cite news |title=ヨドバシ来春開店へ 山交百貨店跡の新店舗|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2020-05-28|url=https://web.archive.org/web/20191112122648/http://www.uty.co.jp/news/20191112/6586/|accessdate=2020-05-28|archiveurl=https://web.archive.org/saveweb/20200613025151/https://mainichi.jp/articles/20200528/ddl/k19/020/117000c |archivedate=2020年05月28日}}</ref>。
{{see also|ヨドバシ甲府}}
なお、改装の際山交百貨店の象徴でもあったスパイラルエスカレーターは撤去されている<ref name="sankei2021-04-12">{{citeCite web |url=https://www.sankei.com/premium/news/210412/prm2104120004-n1.html |title=消えゆく「曲がるエスカレーター」  甲府で撤去、「バブルの遺物」国内あと3030 |authoraccess-date=2021-04-12 |agency=|publisher=産経新聞 |date=2021archive-04-12|url=https://www.sankei.com/premium/news/210412/prm2104120004-n1.html|accessdate=2021-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210414081643/https://www.sankei.com/premium/news/210412/prm2104120004-n1.html |archivedatearchive-date=2021-04-14 |url-status=dead |url-status-date=2025-04-24 |date=2021-04-12}}</ref>。
 
== 施設概要 ==
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会員サービスとして「山交友の会」という積立制度があり、12ヶ月分の積立を行うことで約13ヶ月分の山交百貨店商品券を受け取ることができたほか、特典や山交トラベル(現・山梨交通トラベル事業部)が企画する旅行の優待を受けることができた。
 
「山交友の会」は閉店が決定した2019年3月1日の前日である2月28日をもって新規受付を停止し、閉店後は商品券の払戻および友の会の積立金返金を2019年12月27日まで行った(店舗は閉鎖されたため、[[ダイタ]]本社ビルで受付を行い[[銀行振込]]での返金を実施)<ref>{{Cite web|和書|title=山交百貨店営業終了に伴う「山交百貨店 商品券等」のお取り扱いについて|url=https://www.yamako-dept.jp/index.html|website=山交百貨店|accessdate=2019-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190930102038/https://www.yamako-dept.jp/index.html|archivedate=2019-09-30}}</ref>。
 
=== 交通アクセス ===
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== 総合スーパー事業 ==
[[1989年]](平成元年)の新店舗による営業開始と同時期に、[[ダイエー]]と提携して[[総合スーパー]] (GMS) 事業に進出した。[[1990年]](平成2年)11月に[[信玄の湯 湯村温泉 (山梨県)|湯村温泉]]に'''湯村ショッピングセンター'''(以下、湯村SC)をオープン<ref name=toshoken>[https://toshoken.com/news/11328 オギノ湯村ショッピングセンター、2018年夏閉店-旧・山交ダイエー、老朽化で] 都市商業研究所ニュース、2017年10月14日</ref>。[[1997年]](平成9年)1月には山梨交通貢川営業所跡地に'''貢川ショッピングセンター'''(以下、貢川SC)をオープンした。
 
しかし貢川SCは県内大手GMSの[[オギノ]]本店の向かい側という立地だったこともあり、当初90億円を目指していた年間売上高は約20億円に留まった。提携していたダイエーも[[阪神・淡路大震災]]や[[アジア通貨危機]]による影響から経営難に陥ったことから、合理化のため[[1999年]](平成11年)8月末に貢川SCがわずか1年9ヶ月で閉店。湯村SCは営業を継続したが、[[2003年]](平成15年)9月にダイエーとの提携解消と同時に閉鎖した。GMS事業に失敗した山交は多額の負債を抱えることになり、百貨店事業にも多大な影響を及ぼした。
 
閉店後、貢川SCの建物は家電量販店の[[コジマ]]が[[居抜き出店]]し「コジマNEW甲府店」(現:コジマ甲府店)としてオープン、山交百貨店が閉店した2019年時点で営業を継続している<ref name=kojima>[https://www.kojima.net/shop/shoplist/kofu.html コジマ甲府店] コジマ公式サイト</ref>。湯村SCの建物はオギノが居抜き入居し「オギノ湯村ショッピングセンター」となったが、建物の老朽化を理由に<ref name=toshoken />[[2018年]]8月26日に閉店<ref name=atyamanashi>[https://search.yamanashi-i.com/articles/20180827/9304 甲府・オギノ湯村SC閉店、28年歴史に幕] 山梨の情報サイト アットやまなし、2018年8月27日</ref><ref name=kaihei>[https://kaiten-heiten.com/kappa/ 【閉店】オギノ湯村ショッピングセンター] 開店閉店.com、2018年7月10日</ref>。跡地は[[南アルプスビッグステージ]]などを手掛ける不動産会社のにしきコーポレーションへ売却され、県内スーパーの[[いちやまマート]]を核店舗とする[[ショッピングセンター#ネイバーフッド型ショッピングセンター|ネイバーフッド型ショッピングモール]]として再開発するため解体され跡地は2021年5月「wellside山の手」が開業予定した<ref name=atyamanashi />。
 
店舗所在地は以下のとおり。
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== 関連項目 ==
* [[松菱]] ‐ 設立時の資本先。[[2001年]](平成13年)に倒産し現存せず。
** [[津松菱]]
** [[丸物]]
** [[近鉄百貨店]]
* [[東急百貨店]]
* [[甲府会館]]
* [[山梨交通]]
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{{国際興業グループ}}
{{東急百貨店}}
{{近鉄百貨店}}
{{coord|35|39|58.2|N|138|34|9.9|E|region:JP-19|display=title}}
{{DEFAULTSORT:やまこうひやつかてん}}
[[Category:国際興業グループの歴史]]
[[Category:山梨交通]]
[[Category:かつて存在した日本の百貨店]]
[[Category:山梨県の商業施設|ショッピングセンター (止)]]
[[Category:甲府市の商業施設|廃やまこうひやつかてん]]
[[category:山梨県のショッピングセンター|廃]]
[[Category:ダイエーの歴史]]
[[Category:日本の小売業者|百]]
[[Category:東急百貨店|歴やまこう]]
[[Category:近鉄百貨店の歴史]]
[[Category:日本甲府市小売者|百]]
[[Category:甲府駅]]