「江戸東京たてもの園」の版間の差分
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{{博物館
| 名称 = 江戸東京たてもの園<br/><small>Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum</small>
| 画像 = Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum PB252276.jpg
| 画像説明 =
| 正式名称 = 東京都江戸東京博物館分館江戸東京たてもの園<ref>[
| 愛称 =
| 前身 = 武蔵野郷土館
| 専門分野 = [[江戸]]・[[東京]]の歴史的建造物
| 事業主体 =
| 管理運営 = [[公益財団法人]][[東京都歴史文化財団]]
| 開館 = [[1993年]](平成5年)[[3月28日]]
| 所在地郵便番号 = 184-0005
| 所在地 = [[東京都]][[小金井市]]桜町三丁目7番1号
| 緯度度 = 35
| 緯度分 = 42 | 緯度秒 = 56.96 | N(北緯)及びS(南緯) = N | 経度度 = 139
| 経度分 = 30 | 経度秒 = 45.41 | E(東経)及びW(西経) = E | 地図国コード = JP
| 座標右上表示 = 1
| map_type = Japan Western Tokyo
| URL = [
}}
'''江戸東京たてもの園'''(えどとうきょうたてものえん、Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum)は、失われてゆく[[江戸]]・[[東京]]の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で[[東京都]][[小金井市]]の都立[[小金井公園]]内に設置された[[野外博物館]]。
東京都[[墨田区]][[横網
[[指定管理者
== 歴史・概要 ==
小金井公園には古代住居や[[江戸時代]]の農家を移築・展示する「'''武蔵野郷土館'''」があった。1954年([[昭和]]29年)[[1月14日]]の小金井公園開園時に、[[井の頭恩賜公園]]にあった「武蔵野博物館」を移転し開館したもので、光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター)、鍵屋、吉野家住宅などは当時からの施設である。[[1991年]]([[平成]]3年)12月に閉館した。
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| publisher = 朝日新聞社
| page = 夕刊 4面
}}</ref>
10.11501/2869493 |chapterurl={{NDLDC|2869493/12}}|title=都政研究 |publisher=都政研究社|volume=26|issuse=3|date=1993-03|chapter=江戸四百年の歴史を一堂に集めて――東京都江戸東京博物館がオープン 緑豊かな分館「江戸東京たてもの園」|pages=23}}</ref>。
開園20周年となる[[2013年]](平成25年)3月、最後の1棟となる[[デ・ラランデ邸]]の移築復元が完成した<ref>[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/03/20n37500.htm 新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について(江戸東京たてもの園)]、東京都報道発表資料 2013年3月7日</ref>。
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[[宮崎駿]]監督の映画『[[千と千尋の神隠し]]』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされた<ref name="asahi201867"/>。この縁で[[2002年]]には園内で「千と千尋の神隠し展」と映画「千と千尋の神隠し」の[[星空映画会|屋外上映会]]が開催された。たてもの園シンボルキャラクターの「'''えどまる'''」は宮崎駿のデザインである。
『[[ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜]]』(2006年)などのドラマや映画で何度か撮影に使用されたことがある。
=== 沿革 ===
* [[1934年]](昭和9年) - [[有栖川宮記念公園]]敷地内に東京市立の'''東京郷土資料陳列館'''が設立され、公園の開園と同時に開館<ref>[https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/project/21423/%E7%99%BA%E6%8E%98%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B62018%E3%80%80%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%B1%95/ 発掘された日本列島2018 地域展「東京郷土資料陳列館と考古学」] - [[東京都江戸東京博物館]]、2021年12月25日閲覧。</ref>。
* [[1941年]](昭和16年) - 光華殿が小金井大緑地(後の小金井公園)に移築される。
* [[1948年]](昭和23年) - [[武蔵野文化協会]]と[[東京都]]により、[[井の頭恩賜公園]]内に'''武蔵野博物館'''が開館<ref>[https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/5674.html 武蔵野博物館設立] - [[東京文化財研究所]]、2021年12月25日閲覧。</ref>。戦災で荒廃した東京郷土資料陳列館の資料を引き継ぐ<ref>[https://smtrc.jp/town-archives/city/azabu/p06.html このまちアーカイブス 戦前期までの街並みと風景 麻布・赤坂] - [[三井住友トラスト不動産]]、2021年12月25日閲覧。</ref>。
* [[1954年]](昭和29年) - [[小金井公園]]開園。武蔵野博物館が
* [[1991年]](平成3年) - 武蔵野郷土館閉館。▼
縄文式(竪穴住居,敷石住居址,貝塚)・屋様式(縦穴住居,高倉)・古墳(住居,古墳石室)時代の以降を復元</ref>。
▲* [[1991年]](平成3年) - 武蔵野郷土館が閉館。
* [[1993年]](平成5年) - 江戸東京たてもの園開館<ref>{{Cite news |title=野外博物館 その未来に思いを巡らせて |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130322/t10013370361000.html |date=2013-03-22 |newspaper=NHKニュース |publisher=日本放送協会 |accessdate=2013-03-26 |archiveurl=https://megalodon.jp/2013-0326-2124-08/www3.nhk.or.jp/news/html/20130322/t10013370361000.html |archivedate=2013-03-26}}</ref>(当初の復元建造物は12棟)。
* [[2013年]](平成25年) - デ・ラランデ邸が完成し30棟の移築復元が完了(一般公開は同年4月20日から)。
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=== センターゾーン ===
* 旧光華殿(現・江戸東京たてもの園ビジターセンター) - 昭和15年([[1940年]])に[[紀元二千六百年記念行事|紀元二千六百年記念式典]]の
* 旧自証院霊屋 - 江戸初期の慶安5年([[1652年]])に建てられた、幕府大棟梁[[甲良氏|甲良宗賀]]による華やかな[[霊廟]]建築。3代将軍[[徳川家光]]の[[側室]][[自証院]](お振りの方、[[石田三成]]の曾孫)を祀ったもの。[[東京都指定文化財一覧|東京都指定有形文化財(建造物)]]。
* 高橋是清邸 - [[二・二六事件]]で暗殺された政治家・[[高橋是清]]の邸宅。明治35年([[1902年]])落成。総[[ツガ|栂]]普請。和風邸宅に窓ガラスを使った初期の事例である。是清はこの建物の2階で暗殺された。昭和13年([[1938年]])邸宅は東京市に寄贈され、母屋は[[多磨霊園]]に移築。休憩所「仁翁閣」となり戦災を免れた。だが老朽化で昭和51年([[1976年]])公開中止となり、昭和58年([[1983年]])に一部修繕。
* 西川家別邸 - 西川製糸<ref>[http://www.siminkaigi.ma.cx/nisikawa/nisikawa6.html 西川製糸]</ref> 創業者・西川伊左衛門が接客用兼隠居所として用いた和風邸宅<ref>[http://www.siminkaigi.ma.cx/nisikawa/nisikawa7.html 西川家別邸]</ref>。大正11年([[1922年]])竣工。
* 伊達家の門 - 大正時代に伊達[[侯爵]]家(旧[[宇和島藩]]伊達家)が[[白金 (東京都港区)|白金三光町]]に建てた屋敷の表門。片番所を設けた[[大名屋敷]]の格式で建てられている。
* 会水庵 - 大正期頃、[[宗徧流]]の茶人・山岸宗住(会水)が建てた[[茶室]]。
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* 綱島家(農家) - [[世田谷区]]岡本にあった貴重な江戸時代中期の農家。
* 小出邸 - 建築家・[[堀口捨己]]がヨーロッパから帰国した直後に設計した住宅。黎明期の和洋風混在住宅で、四角錐のような大屋根と水平な軒を持つ。東京都指定有形文化財(建造物)。
* [[デ・ラランデ邸]] - [[信濃町 (新宿区)|新宿区信濃町]]にあった西洋館。気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計したと伝わる平屋建てであったが、1910年ごろ、ドイツ人建築家[[ゲオルグ・デ・ラランデ]]により、木造3階建へ大規模に増築され、その当時の姿を想定して復元された<ref>{{Cite web
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* 植村邸 - [[新富町]]にあった銅板張りの看板建築。
* 丸二商店(荒物屋) - [[神田神保町]]にあった荒物屋(日用品店)。看板建築。[[ファサード]]を[[江戸小紋]]のパターンを用いた銅板張りで仕上げている。
* 村上精華堂(化粧品店) - [[池之端]]にあった小間物屋。看板建築。[[イオニア式]][[オーダー (建築)|オーダー]]風の列柱と瓦葺きの和風屋根を組み合わせた外観が個性的である。
* 川野商店(和傘問屋) - 出桁造りの和傘製造問屋。
* 大和屋本店(乾物屋) - [[港区 (東京都)|港区]][[白金台]]にあった木造3階建ての商店。
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==指定・登録文化財一覧==
'''重要文化財(考古資料)'''
* 土製耳飾(東京都調布市下布田遺跡出土)
'''東京都指定有形文化財(建造物)'''
* 旧自証院霊屋
* 旧前川家住宅主屋(前川國男邸)
* 旧小出邸
* 旧三井家本邸(三井八郎右衛門邸)
'''東京都指定有形文化財(考古資料)'''
* 茂呂遺跡出土石器「ローム層標本」
'''小金井市指定有形文化財'''
* 吉野家住宅
* 天明家住宅(附:長屋門、飼葉小屋)
* 奄美の高倉
==所在地・アクセス==
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* なお同園の敷地の北は市境を挟んで[[小平市]]で、ゴルフ場である[[小金井カントリー倶楽部]]が広がっているため、各建物の背景には樹木が生い茂り、景観が損なわれずにいる。
== その他 ==
* 武蔵野郷土館時代の [[1977年]]、中学生グループが収蔵品を盗み出し、[[古物商]]との間で物々交換を行っていた事件が発生。被害は他の博物館にも及んだ<ref>ちびっこ考古学者脱線 中学生7人博物館荒らし 縄文土器など400点 古物商と物々交換『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
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== 外部リンク ==
{{Commonscat|Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum}}
* {{Official website|
{{Normdaten}}
<!--{{日本の博物館 (公立)}}-->
{{デフォルトソート:えととうきようたてものえん}}
[[Category:東京都の博物館]]
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[[Category:小金井市の教育]]
[[Category:東京都生活文化局]]
[[Category:日本の野外博物館]]
[[Category:東京都指定有形文化財]]
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