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*開禧3年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]:翌年より踰年[[改元]]の詔が下る。
*嘉定元年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]:[[金 (王朝)|金]]と和約を結ぶ(3度目)。両国関係は伯姪と定め、金に送る歳幣を増やす。歳幣の内容として、[[銀]]は10万両増えて30万両、[[絹]]は10万匹増えて30万匹となる。
*2年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]:[[史弥遠]]が単独宰相となって政権を握る。[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]:詩人[[陸游]]が死去。
*7年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]:[[真徳秀]]の上奏によって金に対する歳幣支給の停止を決める。
*10年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]:金が南宋からの歳幣停止を理由に侵攻開始。
*12年[[閏月|閏]][[3月28日 (旧暦)|3月28日]]:[[興元府]]の軍人張福が反乱。[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]:張福を誅す。
*13年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]:南宋と[[西夏]]が金を挟撃することを約する。
*14年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]:[[モンゴル帝国|モンゴル]]から行き帰る南宋の使者が[[哲宗 (宋)|哲宗]]の御璽を得て寧宗に捧げる。
*17年[[閏月|閏]][[8月3日 (旧暦)|8月3日]]:寧宗が崩ずる。史弥遠が皇子趙竑を廃する。[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]:[[理宗]]の即位により翌年から「宝慶」へ踰年改元の詔が下る。
 
== 西暦等との対照表 ==
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|[[西夏]]||光定8||光定9||光定10||光定11||光定12||[[乾定]]元||乾定2
|}
 
== 出来事 ==
* 開禧3年
*開禧3年* [[12月26日 (旧暦)|12月26日]]:翌年より踰年[[改元]]の詔が下る。
* 嘉定元年
** 2月:[[郴州]]黒風峒の[[瑤族]]の羅世伝が反乱。
** [[3月19日 (旧暦)|3月19日]]:[[秦檜]]の王爵が追復される。
** [[閏月|閏]][[4月28日 (旧暦)|4月28日]]:[[韓侂冑]]の首を[[両淮]]地方に梟した後、金に送る。
*嘉定元年* [[9月22日 (旧暦)|9月22日]]:[[金 (王朝)|金]]と和約を結ぶ(3度目)。両国関係は伯姪と定め、国境は[[開禧北伐]]の以前通りに戻す。宋が金に送る{{仮リンク|歳幣|zh|岁币}}は増やす。歳幣の内容として、[[銀]]は10万両増えて30万両、[[絹]]は10万匹増えて30万匹となる。
** [[10月10日 (旧暦)|10月10日]]:[[史弥遠]]が[[右丞相]]となる。
* 嘉定2年
** [[2月6日 (旧暦)|2月6日]]:[[羌族|青羌]]が[[黎州 (四川省)|黎州]]を急襲する。
*2年* [[5月4日 (旧暦)|5月4日]]:[[史弥遠]]が単独宰相となって政権を握る。[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]:詩人[[陸游]]が死去
** 11月:黒風峒の李元礪が乱を起こす。
** [[12月9日 (旧暦)|12月9日]]:[[朱熹]]に「文」の[[諡]]が贈られる。[[朱子学|道学]]の禁令も完全に解ける。
** [[12月29日 (旧暦)|12月29日]]:詩人の[[陸游]]が死去。
* 嘉定3年
** [[1月15日 (旧暦)|正月15日]]:群盗を招諭する詔勅が出る。
** [[4月6日 (旧暦)|4月6日]]:李元礪の率いる蛮寇が[[南雄州]]を急襲する。
** [[5月18日 (旧暦)|5月18日]]:沿海諸州に海賊の取締を促す。
** [[12月12日 (旧暦)|12月12日]]:羅世伝が李元礪を捕らえて投降する。
* 嘉定4年
** [[2月2日 (旧暦)|2月2日]]:李元礪を誅す。
** [[6月7日 (旧暦)|6月7日]]:金に派遣された南宋の使者が[[モンゴル帝国|モンゴル]]の侵寇に会って還る。
** [[9月12日 (旧暦)|9月12日]]:[[叙州]]の蛮寇が辺境を侵す。
** [[9月26日 (旧暦)|9月26日]]:羅世伝の殺害により黒風峒の反乱が平定される。
** [[10月26日 (旧暦)|10月26日]]:金の混乱に備え、[[江淮]]・京湖・[[四川]]の防御を厳重にする。
* 嘉定5年
** [[1月21日 (旧暦)|正月21日]]:諸路に[[両浙]]の倍役法が施行される。
** [[3月3日 (旧暦)|3月3日]]:叙州の蛮寇が平定される。
* 嘉定6年
** [[2月24日 (旧暦)|2月24日]]:宗室と[[胥吏]]の通婚を禁ずる詔勅が出る。
** [[8月2日 (旧暦)|8月2日]]:[[思州]]知州の田宗範が反乱を企てると、これを討伐する。
** 閏[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]:雷の異変により寧宗の「[[罪己詔]]」が下る。
** 10月:モンゴルが金の[[中都]]を包囲する。
** [[11月17日 (旧暦)|11月17日]]:虚恨蛮が[[嘉定府]]を侵す。
* 嘉定7年
** [[1月1日 (旧暦)|正月元日]]:四川の宋軍が金の境内に入って[[秦州]]を攻めたが、敗退する。
** [[2月12日 (旧暦)|2月12日]]:黎州の青羌が投降する。
** 5月:金が[[開封府|開封]]へ遷都する。
** [[6月24日 (旧暦)|6月24日]]:嘉定府に辺丁を置いて諸蛮に備える。
** 7月:西夏の使者が四川に来て金を挟撃することを議論したが、答えない。
*7年* [[7月27日 (旧暦)|7月27日]]:[[真徳秀]]の上奏によって金に対する歳幣支給の停止を決める。
* 嘉定8年
** [[3月17日 (旧暦)|3月17日]]:南宋が金に和議の維持を条件付で歳幣の減額を求めたが、金はこれを拒否する。
** 5月:モンゴルが中都を攻め落し、そこに行省を置く。
* 嘉定9年
** 正月:馬軍司水軍が設置される。
** [[4月15日 (旧暦)|4月15日]]:秦州の流民10万人が帰順を請じたが、四川制置使により断られる。
* 嘉定10年
*10年* [[4月1日 (旧暦)|4月1日]]:金が南宋からの歳幣停止を理由に侵攻開始。
** [[5月27日 (旧暦)|5月27日]]:中原の官民を招諭する詔勅が出る。
** [[7月9日 (旧暦)|7月9日]]:[[雅州]]の蛮寇が辺境を侵す。
** [[12月27日 (旧暦)|12月27日]]:金軍が[[大散関]]を急襲する。
* 嘉定11年
** [[1月10日 (旧暦)|正月10日]]:[[山東]]の盗賊の[[李全]]が帰順して来る。
** [[3月17日 (旧暦)|3月17日]]:宋軍が大散関を奪還し、金軍を追撃して大破する。
** 12月:金が和議を求めて来たが、南宋はこれを拒否する。金は南侵を再開。
* 嘉定12年
** [[2月27日 (旧暦)|2月27日]]:[[棗陽|棗陽軍]]を攻めた金軍が退却する。
** 閏3月:金軍が淮南を蹂躙する。
*12年[[* 月|閏]][[3月28日 (旧暦)|3月28日]]:[[興元府]]の軍人張福が反乱。[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]:張福を誅す
** [[7月3日 (旧暦)|7月3日]]:張福を誅す。
** [[9月14日 (旧暦)|9月14日]]:沿江淮東西制置司が設置される。
* 嘉定13年
** 正月:淮北に入った宋軍が勝てずに還る。金軍が[[樊城]]を攻めたが、宋の守備軍により撃退される。
** [[5月1日 (旧暦)|5月1日]]:雅州の蛮夷が投降する。
*13年* [[8月15日 (旧暦)|8月15日]]:南宋と[[西夏]]が金を挟撃すること約する。
** 10月:南宋・西夏連合軍が[[鞏州]]を攻めたが、戦果なしに還る。
* 嘉定14年
** 2月:[[鄂州]]の五関と[[漢陽区|漢陽軍]]が金軍により侵される。
** [[4月14日 (旧暦)|4月14日]]:北還中の金軍が李全の迎撃を受けて敗退する。
** [[5月22日 (旧暦)|5月22日]]:『慶元寛恤詔令』が再び公布される。
** [[6月21日 (旧暦)|6月21日]]:[[杭州|臨安]]に[[岳飛]]の[[岳王廟|廟堂]]が建てられる。
*14年* [[7月5日 (旧暦)|7月5日]]:[[モンゴル帝国|モンゴル]]からに使き帰るした南宋の使者が[[哲宗 (宋)|哲宗]]「恭膺天命御璽宝」を得い、これを寧宗に捧げる。
* 嘉定15年
** 正月元日:御宝を受ける礼が行われる。
** 4月:金軍が淮南に再侵する。
** [[5月15日 (旧暦)|5月15日]]:宋軍が淮水から退却中の金軍を迎撃して大勝する。
* 嘉定16年
** [[1月5日 (旧暦)|正月5日]]:[[科挙]]試験官の収賄を厳しく扱う詔勅が出る。
* 嘉定17年
** 6月:金が南宋に対する侵攻を止める。
** 閏[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]:寧宗が崩ずる。史弥遠が皇子の[[趙竑]]を廃する。
*17年[[閏月|閏]][[8月3日* (旧暦)|8月3日]]:寧宗が崩ずる。史弥遠が皇子趙竑を廃する。[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]:[[理宗]]の即位により翌年から「宝慶」へ踰年改元の詔が下る。
 
== 他の王朝 ==
* [[モンゴル帝国]] - [[チンギス・カン|太祖]]チンギス・カンの3年 - 19年
 
== 関連項目 ==
* [[元号一覧 (中国)]]
* その他の[[嘉定]]の用法
 
{{中国の元号|''[[南宋]]''|[[開禧]]|[[宝慶]]|かてい}}