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{{基礎情報 ラジオ番組
|番組名=フジセイテツコンサート<br />↓<br />新日鉄コンサート
|ジャンル=[[音楽番組]]
|放送=録音
|放送時間=毎週日曜 22:30 - 23:00
|パーソナリティ=[[#ナレーター|当該項]]参照
|放送局=[[ニッポン放送]]
|テーマ曲=ショパン「マズルカ ハ長調 作品67の3」
|プロデューサー=大木恵子<ref>[https://web.archive.org/web/20140202100926/http://www.sanspo.com/geino/news/20140131/oth14013105000000-n1.html 大木恵子さん死去、ニッポン放送音楽プロデューサー] SANSPO.COM 2014年1月31日閲覧</ref><br />吉田抄子
|ネットワーク=[[#ネット局|ネット局]]を参照
|放送期間=1955年10月7日 - 2005年3月27日
|放送回数=2582
|スポンサー=[[日本製鉄|新日本製鐵]]
|特記事項=1.番組開始時から1970年3月29日までは[[富士製鐵]]をスポンサーに『フジセイテツコンサート』として放送。上記番組名『新日鉄コンサート』になったのは[[八幡製鐵]]と合併し新日本製鐵となった後の1970年4月5日放送から。<br>2.放送時間は、1970年4月5日放送分以降におけるニッポン放送のもの。<br>3.1994年4月10日 - 1997年10月5日は、ニッポン放送のみ『[[古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト]]』の[[フロート番組|内包番組]]として放送
2.放送時間は、1970年4月以降(ニッポン放送)。
3.1994年4月10日 - 1997年10月5日は、『[[古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト]]』の[[フロート番組|内包番組]]として放送(ニッポン放送のみ)。
}}
 
'''新日鉄コンサート'''(しんにってつコンサート)は[[1955年ニッポン放送]][[ラジオ番組]]。1955年10月7日]]から[[2005年]][[3月27日]]まで、[[ニッポン放送]](以下「LF」)で放送されていた、[[ラジオ番組|ラジオ]]の[[音楽番組]]。放送時間は30分枠であった。全2582回放送。長年「LFの歴代の番組の中で最も長期に渡り放送された番組」の地位を守っていた(2015年に『[[テレフォン人生相談]]』が最長記録を更新)
 
ニッポン放送の歴代の番組の中で、最も長期に亘り放送した番組の地位を長年守っていた<ref group="注釈">2015年に『[[テレフォン人生相談]]』が最長記録を更新した。</ref>。
LFをキーステーションに各地のラジオ局でも放送していた。
 
LFニッポン放送をキーステーションに全国各地の民放ラジオ局で放送していた。
 
== 歴史・概要 ==
LFニッポン放送が開局した翌年の1955年、[[富士製鐵]]の[[一社提供]]による『'''フジセイテツコンサート'''』<ref name="shinnittetsu2005"/>(『'''フジセイテツ・コンサート'''』<ref name="abc50th_3_p93">『朝日放送の50年 III 資料集』P93</ref>と記す書籍がある)として、金曜21:30の枠でスタート。[[1956年]][[1月21日]]からは土曜21:30の枠時台後半、[[1969年]][[10月12日]]からは日曜20:00の枠(ナイターオフ枠)にそれぞれ移して放送された開始なお、1放送で演奏された曲は、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]による[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]『[[白鳥の湖]]』であった<ref>[[朝日新聞]] 1955年10月7日ラジオ欄より。</ref>。
 
番組の最大の特徴「新しく収録された生演奏のみを放送する」ことで<ref name="minpou">{{Cite web|和書|url= https://minpou-club.org/history/0085.pdf|title= みんなで語ろう民放史 ブラヴォー“新日鉄コンサート”|format=PDF |publisher= 裕川雅雄(故人)|language= |date= |accessdate=2023-08-22}}</ref>、新日鉄が保有する[[紀尾井ホール]]で開催される[[クラシック音楽|クラシックコンサート]]の録音を放送する他、「[[日本製鉄音楽賞|新日鉄音楽賞(現・日本製鉄音楽賞)]]」の発表も行う。[[1976年]]からは有望な新人音楽家を紹介する『プロミシングアーティストシリーズ』がスタートし、番組を開始。放送終了までに106回行われた<ref name="shinnittetsu2005">{{Cite web|和書|url=https://www.nipponsteel.com/company/publications/monthly-nsc/pdf/2005_5_148_13_16.pdf|title=新たなステージを迎える新日鉄の音楽メセナ活動 ラジオ番組「新日鉄コンサート」50年の歴史を踏まえ、新たなステージへ|publisher=[[日本製鉄|新日本製鐵]]|date=2005-05-01|accessdate=2020-11-18}}</ref>。その為、レコードやCDの録音素材は一切使用しなかったという<ref name="minpou"/>。
[[1970年]][[4月5日]]から日曜22:30の枠に移った。また、[[3月31日]]に富士製鐵と[[八幡製鐵]]が合併して[[新日本製鐵]](現・[[日本製鉄]])となったことに伴い、番組名は『'''新日鉄コンサート'''』へ変更した。以後、この日曜22:30からの放送時間を貫いた結果、[[1980年代]]以降は前後を[[アイドル|女性アイドル]]が出演する番組に挟まれる形が定着した。また、[[1994年]][[4月10日]] - [[1997年]][[10月5日]]の間は、数本の女性タレントによる冠番組とともに[[ワイド番組]]『[[古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト]]』の[[フロート番組|内包番組]]として放送した。
 
1956年1月21日からは土曜21時台後半に、1969年10月12日からは日曜20時台前半(ナイターオフ枠)にそれぞれ枠移動して放送した。
番組は、新日鉄が保有する[[紀尾井ホール]]で開催される[[クラシック音楽|クラシックコンサート]]の録音を放送する他、「[[日本製鉄音楽賞|新日鉄音楽賞(現・日本製鉄音楽賞)]]」の発表も行う。[[1976年]]からは有望な新人音楽家を紹介する『プロミシングアーティストシリーズ』がスタートし、番組終了時までに106回が行われた<ref name="shinnittetsu2005">{{Cite web|url=https://www.nipponsteel.com/company/publications/monthly-nsc/pdf/2005_5_148_13_16.pdf|title=新たなステージを迎える新日鉄の音楽メセナ活動 ラジオ番組「新日鉄コンサート」50年の歴史を踏まえ、新たなステージへ|publisher=[[日本製鉄|新日本製鐵]]|date=2005-05-01|accessdate=2020-11-18}}</ref>。
 
1957年の夏の終わり頃に、毎日新聞が1957年10月に当時のソビエトの若手ピアニストだった[[エミール・ギレリス]]を招聘することを番組プロデューサー(当時)の裕川雅雄が聞き付け、毎日新聞の当時の事業局長を早速訪問して、番組の出演オファーを取り付けて準備に入ったが、報告を聞いたニッポン放送の編成局長から物言いが入り、収録を断念した<ref name="minpou"/>。
番組全体が新日鉄の[[コマーシャルメッセージ|CM]]も同然なので、CMの挿入はない。また、新日鉄がLFの大株主であった為、野球中継の延長等その他何らかの理由で、通常の時刻に放送出来なくなった場合でも休止せず、枠を(月曜早朝に)移動の上で必ず放送された。
 
1962年から1963年にかけて、不況のため、鉄鋼が減産を迫られ、提供スポンサーの富士製鐵が『番組は一応初期の成果を挙げた事だし、この辺で打ち切るか。レコード番組に切り替えるか』という決断を迫られたが、出演者の皆さんが「クラシックの火を消すな、出演料など要らない」と立ち上がって、この危機は乗り越えられた<ref name="minpou"/>。
LFの「[[タイムテーブル]](番組表)」では、「'''Classic concert'''」または「'''コンサート'''」と記した時期もあった(このころ発行のタイムテーブルにはスポンサー名や細かいコーナーを表記していなかった。なお他局でもその形式者はあったが当番組は正規のタイトルが掲載されている)。
 
1970年4月5日から日曜22時台後半に枠移動した。同年3月31日に富士製鐵と[[八幡製鐵]]が合併。[[新日本製鐵]](現・[[日本製鉄]])となったことに伴い、『'''新日鉄コンサート'''』に番組タイトルを改題した。実は、この時が番組存続の重大危機となったと言う<ref name="minpou"/>。裕川によれば、当時の富士製鐵の広報部長から「もし合併後に自分が再び番組担当を命ぜられたら、クラシック番組はやらないよ」と言われていた<ref name="minpou"/>。ニッポン放送の社内で番組の終了に傾いていた為「諦めムード」が漂っていたと言い、同局の編成局長も「番組はなくなるのだから、お前はもうスポンサーのところヘは行くな」と言われていた<ref name="minpou"/>。それでも番組存続への動きが活発化して、富士製鐵の当時の秘書室長が「自分はクラシックはよく分からんが、方々で『お宅は良い番組をやっていますね』と言われるんだ。そんな良い番組なのに、[[鹿内信隆|鹿内]]さん<ref group="注釈">「番組存続の重大危機」と言われた当時のニッポン放送社長(在任:[[1961年]]~[[1974年]])。</ref>は続けてほしいとは一度も言って来ないよ。それにこちらとしてはフジテレビが推す美術番組をやるつもりはないからね」と言われ、そのことを編成局長に報告して、一件落着となった<ref name="minpou"/>。
2004年11月26日には、番組開始50周年を記念した[[アルバム]]CD『新日鉄コンサートの歴史』が[[ポニーキャニオン]]から発売された。
 
[[1970年]][[4月5日]]から日曜22:30の枠に移った。また、[[3月31日]]に富士製鐵と[[八幡製鐵]]が合併して[[新日本製鐵]](現・[[日本製鉄]])となったことに伴い、番組名以降『'''新日鉄コンサート'''』へ変更した。以後この日曜22:30から時台後半の放送時間を貫いた結果、[[1980年代]]以降は前後の時間帯を[[アイドル|女性アイドル]]が出演する番組に挟まれる形が定着した。また、[[1994年]][[4月10日]] - [[1997年]][[10月5日]]の間数本の女性タレントによる冠番組とともに[[ブロックワイド|日曜夜ワイド番組]]『[[古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト]]』の[[フロート番組|内包番組]]として放送した。当番組の終了後、2014年に『[[ノースリーブスの「週刊ノースリー部」]]』が枠移動した後は日曜22時台後半枠はアイドル ラジオとなっている
番組自体のマンネリ化に加え、新日鉄の[[リストラ]]やニッポン放送の編成事情もあり、2005年3月27日をもって、49年半の歴史に幕を閉じた(新日鉄としては、[[FMラジオ]]放送の普及や[[コンパクトディスク|CD]]、[[ミニディスク|MD]]の一般化、インターネットの配信などメディアの変化により、人々が音楽を聴く形も変化したとして、良質なクラシック音楽をより幅広い多くの人々が聴ける[[AMラジオ]]で普及するという目的は終えたと考えたことが終了の一因としている<ref name="shinnittetsu2005"/>)。最終回の収録は2005年3月24日に[[サントリーホール]]で行われ、[[井上道義]]の指揮と[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]の演奏で、曲目は[[ラデツキー行進曲]]、[[ロメオとジュリエット (プロコフィエフ)|ロメオとジュリエット]]組曲からの2曲、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番ニ長調「巨人」]]であった。そしてこの後、本番組のテーマ曲であるショパン『マズルカ ハ長調 作品67の3』がアンコール曲として演奏され、番組が締めくくられた<ref name="shinnittetsu2005"/>。
 
番組全体が新日鉄の[[コマーシャルメッセージ|CM]]も同然なので、CMの挿入はない。まかっ新日鉄がLFニッポン放送(旧法人)の大株主であったため、野球中継の延長等その他など何らかの理由で通常の時刻に放送出来できなくなった場合でも休止せず、放送枠を(月曜早朝に)移動の上で必ず放送された。
1980年代前半からの[[ナレーション]]およびコンサートの司会はニッポン放送[[アナウンサー]]の[[那須恵理子]]、[[プロデューサー]]は同局の[[吉田抄子]]であった。
 
LFニッポン放送の「[[番組表|タイムテーブル]](番組表)」では「'''Classic concert'''」または「'''コンサート'''」と記した時期あった(このころ発行<ref group="注釈">当時のタイムテーブルにはスポンサー名や細かいコーナーを表記していなかった。なお他局でもその形式者はあったが当番組は正規のタイトル掲載されていることが殆どだった。</ref>
[[2014年]][[8月22日]]、那須がレギュラー出演している『[[垣花正 あなたとハッピー!]]』の中で当番組が紹介された。
 
1980年代前半から以降の[[ナレーション]]およびコンサートの司会はニッポン放送[[アナウンサー]](当時)の[[那須恵理子]]が担当。番組[[プロデューサー]]は同局の[[吉田抄子]]であった。
 
=== 番組の終焉とその後 ===
番組自体のマンネリ化に加え、新日鉄の[[リストラ]]ニッポン放送の編成事情もあにより、2005年3月27日の放送もって、49年半の歴史に幕を閉じ下ろし新日鉄として[[FMラジオ]]放送の普及や[[コンパクトディスク|CD]]、[[ミニディスク|MD]]の一般化、インターネットの配信などメディアの変化により、人々が音楽を聴く形も変化したとして、良質なクラシック音楽をより幅広い多くの人々が聴ける[[AMラジオ]]で普及するという目的は終えたと考えたことが終了の一因としている<ref name="shinnittetsu2005"/>)。最終回の収録は2005年3月24日に[[サントリーホール]]で行われ、[[井上道義]]の指揮と[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]の演奏で、曲目は[[ラデツキー行進曲]]、[[ロメオとジュリエット (プロコフィエフ)|ロメオとジュリエット]]組曲からの2曲、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番ニ長調「巨人」]]であった。そしてこの後、本番組のテーマ曲であるショパン『マズルカ ハ長調 作品67の3』がアンコール曲として演奏され、番組が締めくくられた<ref name="shinnittetsu2005"/>。
 
最終回の収録は2005年3月24日に[[サントリーホール]]で行われ、[[井上道義]]の指揮と[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]の演奏で、曲目は[[ラデツキー行進曲]]、[[ロメオとジュリエット (プロコフィエフ)|ロメオとジュリエット]]組曲からの2曲、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番ニ長調「巨人」]]など<ref>{{Cite web |title=[ニッポン放送「新日鉄コンサート」公開録音 最終回] サントリーホール 公演アーカイブ |url=https://web.archive.org/web/20240410085415/http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=10962 |website=サントリーホール |access-date=2024-04-10}}</ref>であった。この後、本番組のテーマ曲であるショパン『マズルカ ハ長調 作品67の3』がアンコール曲として演奏され、番組が締めくくられた<ref name="shinnittetsu2005"/>。
 
なお、2005年3月24日に収録した音源がCDとして『ニッポン放送 「新日鉄コンサート」最終回・井上道義指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団』というタイトルで2024年6月19日に[[オクタヴィアレコード|オクタヴィア・レコード]]から発売<ref>{{Cite news |和書 |title= 20年の時を経て初CD化 ニッポン放送「新日鉄コンサート」最終回  井上道義指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団による公開録音|newspaper= ニッポン放送|date= 2024-06-12|author= |url= https://news.1242.com/article/509793|access-date=2024-06-13}}</ref>。
 
2004年11月26日には番組放送開始50周年を記念した[[アルバム]]CD『新日鉄コンサートの歴史』が[[ポニーキャニオン]]から発売された<ref>{{Cite web |title=新日鉄コンサート ARCHIVE |url=https://tower.jp/item/1130021 |website=tower.jp |access-date=2024-08-14}}</ref>
 
[[2014年]][[8月22日]]、那須がレギュラー出演している『[[あなたとハッピー!|垣花正 あなたとハッピー!]]』の中で当番組が紹介された。
 
== ネット局 ==
[[沖縄県]](琉球放送)広島県(中国放送)宮城県(東北放送)以外は新日鉄の製鉄所(工場がある都道府県の地元民放ラジオ局から放送<ref group="注釈">但し、広島県と宮城県には新日鉄の支店があり、新日鐵住金を経て日本製鉄となった現在も維持されてい(日本製鉄の成立後は沖縄県にも営業所がある)。また日本製鉄の成立後は、広島県の[[日本製鉄瀬戸内製鉄所|呉製鉄所]]を日新製鋼→[[日鉄日新製鋼]]から引き継いでいたが、2023年に操業を停止した。</ref>。ただしLFニッポン放送以外は[[全国ラジオネットワーク|NRN系列]](LFと[[文化放送]]が率いるネットワーク)との[[クロスネット局|クロスネット]]を含めて全て[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN系列]]([[TBSラジオ]]が率いるネットワーク)全て放送されるという珍い番組であった。また、ネット局の多くはその地区最初に開局した民放ラジオ局であった。放送開始当時にその地区の第2局が開局されていないか、規模が小さかったこともあり、当時の有力放送局とのネットに踏み切ったことからこのようなネット編成となった。
 
=== 放送終了時点 ===
※以下、ネット局一覧。
参考までにネット各局の放送エリアに立地する主な新日鉄の製鉄所・工場を併記する(呼称は放送当時)。なお、制作局・ニッポン放送の放送エリアには[[日本製鉄東日本製鉄所#君津地区|君津製鉄所]]<ref group="注釈">所在する[[君津市]]に隣接する[[木更津市]]にはニッポン放送の[[ニッポン放送#送信所|親局送信所]]が設置されている。</ref>・[[日本製鉄東日本製鉄所#君津地区(東京)(閉鎖)|東京製造所]]<ref group="注釈">東京製造所は組織統合などを経て2020年に閉鎖。</ref>が立地している。ちなみに、新日鐵住金の発足は当番組終了後の[[2012年]]である。
* [[HBCラジオ|北海道放送]](HBC)
* [[HBCラジオ|北海道放送]](HBC)([[日本製鉄北日本製鉄所#室蘭地区|室蘭製鉄所]])
*: 日曜21:30 - 22:00(1977年4月3日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1977年4月10日 - 放送終了時)
* [[IBC岩手放送]](IBC)
* [[IBC岩手放送]](IBC)([[日本製鉄北日本製鉄所#釜石地区|釜石製鉄所]])
*: 土曜22:00 - 22:30 → 日曜22:30 - 23:00(放送終了時)
* [[東北放送]](TBC)
*: 日曜22:30 - 23:00 → 日曜21:30 - 22:00(放送終了時)
* [[CBCラジオ|中部日本放送]](CBC・CBC:CBCラジオ) ※JRN単独ネット。([[日本製鉄名古屋製鉄所|名古屋製鉄所]])
*: 日曜21:30 - 22:00(1973年1月28日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1973年2月4日 - 放送終了時)
* [[MBSラジオ|毎日放送]](MBS、現:MBSラジオ)([[日本製鉄瀬戸内製鉄所#広畑地区|広畑製鉄所]]・[[日本製鉄関西製鉄所#和歌山地区(堺)|堺製鉄所]])
* [[MBSラジオ|毎日放送]](MBS)
*: 日曜21:30 - 22:00(1970年10月11日~1982 - 1982年4月4日)→ 日曜9:30 - 10:00(1982年4月11日~1992 - 1992年3月)→ 日曜12:00 - 12:30(1992年4月~1994 - 1994年3月)→ 日曜8:00 - 8:30(1994年4月 - 放送終了時)
* [[中国放送]](RCC)
*: 日曜22:30 - 23:00 → 日曜9:00 - 9:30(放送終了時)
* [[山口放送]](KRY)([[日本製鉄九州製鉄所#八幡地区(光チタン)|光製鉄所]])
* [[山口放送]](KRY)
*: 土曜22:00 - 22:30 → 日曜9:00 - 9:30(放送終了時)
* [[RKBラジオ|RKB毎日放送]](RKB)<ref group="注釈">RKBへのネットは新日本製鐵がRKBの設立母体の一社で大株主である関係であったため。実際に1990年代までは比率 第3位であった。</ref> ※JRN単独ネット。([[日本製鉄九州製鉄所#八幡地区|八幡製鉄所]])
*: 日曜22:30 - 23:00
* [[大分放送]](OBS)([[日本製鉄九州製鉄所#大分地区|大分製鉄所]])
* [[大分放送]](OBS)
*: 日曜22:30 - 23:00
 
=== 放送終了以前に打ち切り ===
* [[朝日放送ラジオ|朝日放送]](ABC・ABC:朝日放送ラジオ)
*: 土曜21:00 - 21:30(1960年4月2日から - 1965年3月)→ 金曜21:00 - 21:30(1965年4月から - 1970年6月)→ 日曜9:20 - 9:50(1970年7月から - 9月28日)<ref name="abc50th_3_p93" /><br>※1970年10月を以て、毎日放送へネット移動。
* [[琉球放送]](RBC) ※JRN単独ネット。
*: 土曜22:30 - 23:00(1990年3月25日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1990年4月1日~2002 - 2002年3月31日)→ 日曜8:00 - 8:30(2002年4月7日~2003 - 2003年3月30日 ※途中打ち切り<br>※2003年4月から放送終了までの2年間は未放送。
※終了以前のネット局
* [[朝日放送ラジオ|朝日放送]](ABC。現・ABCラジオ)
*: 土曜21:00 - 21:30(1960年4月2日から1965年3月)→金曜21:00 - 21:30(1965年4月から1970年6月)→日曜9:20 - 9:50(1970年7月から9月28日)<ref name="abc50th_3_p93" />
 
== テーマ曲 ==
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== ナレーター ==
* [[高岡尞一郎]](フジセイテツ・コンサート」時代に担当
* [[村木正顕]](1970年代 - 1980年代前半)
* [[那須恵理子]]([[1985(1985]] - 放送終了
*:ほか
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
<references />
 
== 参考資料 ==
* 朝日放送の50年 III 資料集(2000年3月31日、朝日放送発行)…[httphttps://opacndlonline.ndl.go.jp/recordid#!/000002879765detail/jpnR300000001-I000002879765-00 国立国会図書館の書誌情報]
 
== 関連項目 ==
* [[ニッポン放送番組一覧]]
* [[冠スポンサー番組]]
* [[新日鐵アワー・音楽の森]]([[エフエム東京|FM東京]] 制作。当番組とじく様に新日鐵協賛鉄が提供スポンサーのラジオ番組)
* [[百万人の音楽]]([[TBSラジオ]]制作。HBC・CBC・ABC・[[サントリー]]提供のラジオ番組。北海道放送、中部日本放送、朝日放送、RKB・RBCは両方毎日放送、琉球放送へネットしていた)
 
== 外部リンク ==
※いずれも、[[インターネットアーカイブ]]の保存キャッシュ。
* [https://web.archive.org/web/20010717200938/http://www0.nsc.co.jp/music_sports/culture/culture.html 文化活動(新日本製鐵公式サイト内。インターネットアーカイブ2001年7月17日付保存キャッシュより)] ※「新日鐵コンサート」を紹介。
* [httphttps://web.archive.org/web/*/http://www0.nsc.co.jp/CGI/culture/culture.cgi?key=detail&year=2002#00002 放送当時の番組情報サイト(新日鉄公式サイト内)の保存キャッシュ一覧]
 
{{前後番組|
放送局=[[ニッポン放送]]|
放送枠=金曜 21:30 - 22:00(1955年10月7日 - 1956年1月13日)00|
前番組=民謡のど自慢|
番組名=フジセイテツコンサート<br />(1955年10月7日 - 1956年1月13日)|
次番組=新国劇傑作集|
2放送局=ニッポン放送|
2放送枠=土曜 21:30 - 22:00(1956年1月21日 - 1969年10月4日)00|
2前番組=新国劇傑作集|
2番組名=フジセイテツコンサート<br />(1956年1月21日 - 1969年10月4日)|
2次番組=サタデイ・ニッポン<br />(20※20:00 - 22:00)00|
3放送局=ニッポン放送|
3放送枠=日曜日22 20:3000 - 2320:00(1970年4月5日 - 2005年3月27日)30|
3前番組=[[ニッポン放送ショウアップナイター|プロ野球中継]]|
3前番組=ミュージック・タウン|
3番組名=新日鉄フジセイテツコンサート<br />(1969年10月12日 - 1970年3月29日)|
3次番組=[[渡辺真理のDreamin' Night]]プロ野球中継|
4放送局=ニッポン放送|
4放送枠=日曜 22:30 - 23:00|
34前番組=ミュージック・タウン|
4番組名=新日鉄コンサート<br />(1970年4月5日 - 2005年3月27日)|
4次番組=[[渡辺真理のDreamin' Night]]
}}
{{radio-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:しんにつてつこんさあと}}
[[Category:クラシック音楽のラジオ番組]]
118 ⟶ 142行目:
[[Category:新日本製鐵グループ一社提供番組]]
[[Category:1955年のラジオ番組 (日本)]]
{{radio-stub}}