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タレント専属契約所属
 
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{{pp-vandalism|small=yes}}
{{存命人物の出典明記|date=2020年7月}}
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 新井 良太
| 所属球団 = 阪神タイガ広島東洋カ
| 役職 = 二軍打撃コーチ
| 背番号 = 8384
|選手写真ファイル名 画像 = Arai ryota.jpg
|写真のコメント 画像説明 = 2012阪神時代<br />(2012年8月17日 [[明治神宮野球場]]にて
|写真 画像サイズ = 220px220
| 国籍 = {{JPN}}
| 出身地 = [[広島県]][[広島市]][[佐伯区]]
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1983|8|16}}
| 没年月日 =
| 身長 = 188
| 体重 = 99
| 利き腕 = 右
| 打席 = 右
| 守備位置 = [[三塁手]]、[[一塁手]]、[[外野手]]
| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
| ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト4巡目
| 初出場 = 2006年7月25日
| 最終出場 = 2017年10月10日(引退試合)
| 年俸 =
| 経歴 =
* [[広陵高等学校 (広島県)|広陵高等学校]]
* [[駒澤大学硬式野球部|駒澤大学]]
* [[中日ドラゴンズ]] (2006 - 2010)
* [[阪神タイガース]] (2011 - 2017)
| 経歴補足題 = コーチ歴
| 経歴補足 =
* 阪神タイガース (2018 - 2022)}}
* [[広島東洋カープ]] (2023 - )
'''新井 良太'''(あらい りょうた、[[1983年]][[8月16日]] - )は、[[広島県]][[広島市]][[佐伯区]]出身の[[プロ野球選手|元プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]]、右投右打)・[[プロ野球コーチ|コーチ]]。[[広島東洋カープ]]に所属していた[[新井貴浩]]内野手は実兄で、{{by|2011年}}から{{by|2014年}}までは、兄弟揃って[[阪神タイガース]]に所属した。
}}
'''新井 良太'''(あらい りょうた、[[1983年]][[8月16日]] - )は、[[広島県]][[広島市]][[佐伯区]]出身の[[プロ野球選手|元プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]]、右投右打)。現在は[[広島東洋カーロ野球コーチ|コーチ]][[広島東洋カープ (ファーム)|二軍]]に所属していた[[新井貴浩]]内プロ手は実兄で、{{by球コーチ#打撃コーチ|2011年}}から{{by|2014年}}までは、兄弟揃って[[阪神タイガ打撃コ]]に所属したを務めている
 
広島や[[阪神タイガース]]でプレーした[[新井貴浩]]は実[[兄]]であり、阪神では一時兄弟揃って在籍していた。タレント専属契約は[[エイベックス・マネジメント・エージェンシー]]<ref>{{Cite web |url=https://avexnet.jp/contents/ARIRT-OFCL-0001|title=新井良太|accessdate=2025-09-06|author=|date=|website=エイベックス・ポータル|work=|publisher=エイベックス|language=ja|archiveurl=|archivedate=}}</ref>
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[広島市立五月が丘小学校|市立五月が丘小学校]]・[[広島市立五月が丘中学校|五月が丘中学校]]出身<ref name="中日選手名鑑">{{Cite web ja |url=http://dragons.jp/teamdata/players/arai_r.html |title=選手名鑑 25 新井良太 |publisher=中日ドラゴンズ |year=2010 |website=中日ドラゴンズ 公式サイト |date= |access-date=2024-04-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20101122053608/http://dragons.jp/teamdata/players/arai_r.html |archive-date=2010-11-22}}</ref>。小学5年時から[[ソフトボール]]を始め、中学2年時には[[軟式野球]]で中国大会3位に入った。
小学5年時から[[ソフトボール]]を始め、[[広島市立五月が丘中学校|五月が丘中学]]2年時には[[軟式野球]]で中国大会3位に入った。
 
[[広陵高等学校 (広島県)|広陵高校]]では主に[[一塁手]]を務め、3年時に4番・主将で[[第73回選抜高等学校野球大会|春の選抜大会]]に出場。当時2年の[[吉村裕基]]が4番を打っていた[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高校]]と初戦で当たり、自ら[[投手]]として3イニングを無失点に抑えたものの、試合は4-8で敗れた。広陵の2年後輩に[[西村健太朗]]・[[白濱裕太]]がいる。
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卒業後は、当初は[[早稲田大学]]の進学を考えていたが、兄・貴浩の「(自身の恩師である)[[太田誠]]監督(当時)の下で野球をやってほしい」という希望で[[東都大学野球連盟]]所属の[[駒澤大学]]へ進学した。入学してまもなく4番に座った。東都大学1部リーグ通算79試合出場、273[[打数]]65[[安打]]、[[打率]].238, 14[[本塁打]](歴代7位タイ)、49[[打点]]。[[ベストナイン]]2度受賞。このほか1年秋のみ2部リーグでプレーし3本塁打している。駒大の1年後輩にプロでも同僚となる[[野本圭]]がおり、大学時代は野本が3番、新井が4番と[[クリーンナップ]]を担っていた。
 
[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年のドラフト]]で[[中日ドラゴンズ]]から4位指名を受け入団。[[野球の背番号|背番号]]は'''25'''が与えられた<ref name=":0">{{Cite web |title=中日ドラゴンズ 公式サイト - 歴代背番号 |url=https://dragons.jp/teamdata/number/top_number.html |website=dragons.jp |access-date=2025-02-23}}</ref>。なお、この番号は広島に在籍していた兄・貴浩が着けていた番号と同じである
 
=== 中日時代 ===
[[画像:CD-Ryota-Arai.jpg|150px|thumb|中日時代]]
プロ初年度の{{byBy|2006年}}は新人ながら[[中日ドラゴンズ (ファーム)|二軍]]の[[ウエスタン・リーグ]]でほぼ毎試合4番で出場した。しかし、打率.254・3本塁打と、パワーはあるものの粗い打撃と拙守のためシーズン前半は二軍生活を送った。7月17日にプロ初の一軍昇格。同日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で[[代打]]として待機していたものの、降雨コールドとなり初打席はお預けとなってしまった。しかしその後一軍再昇格し、9月10日の対広島戦7回表、二度目の代打機会でプロ初安打を記録。この試合には兄の貴浩も広島の[[三塁手]]として出場しており、{{byBy|1998年}}7月16日の[[山田勉 (投手)|山田勉]](広島)・[[山田博士|山田洋]](中日)以来8年ぶりに、別球団同士の兄弟選手が同時に顔を合わせたケースとなった。このとき、敵地である[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]のスコアボードには「中日ドラゴンズ25新井良太選手 広島市民球場 初登場!」と表示する演出が行なわれた。その後4度の代打機会にて全てヒットを放ち、右の代打として存在をアピール。10月12日の対阪神戦では6番・一塁手でプロ初[[スターティングメンバー|スタメン]]出場を果たした。10月16日の対広島最終戦(広島市民球場)ではヒットを打って一塁に出塁した兄・貴浩と一塁守備に就く弟・良太が初めて並んだ。それまでは良太は代打ばかりで守備に就くことがあまりなく、レギュラーの[[タイロン・ウッズ]]が足を痛めていたこともあっての出場であった。逆に三塁・貴浩と三塁走者・良太の並びは2006年中には実現しなかった。
 
同年の秋季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]では強化選手に選ばれ、連日ハードな練習メニューをこなした。初日は通常の2倍のテンポで投げ出され、しかも見逃せば罰金を取られるマシン打撃を行った。両足がつり、グロッキー状態になりながらも1時間のメニューをこなした。しかし強化選手に選ばれているため、更に1時間このメニューを続け、スイング数は1,500回にもなった。終わった後は立つこともできず、バットから指も離せなくなった。練習後、記者の質問に対して「ヘタクソは練習あるのみです!」と語っている。2日目は[[落合博満]]監督から直々にノックを受けた。ただのノックではなく、同僚の[[森野将彦]]と共に50球連続で捕球できたら終了という内容で、エラーをするとファンから野次られたり、励まされたりされていた。意識が朦朧としてくるとバケツに入った水を頭から被った。結局、終わったのは1時間40分後であった。練習後に新井自身は「強化選手に選ばれるのは光栄なこと。人より多く練習できるので、その期待に応えたい」と語った。
 
{{byBy|2007年}}は二軍で打率.286, チームトップの6本塁打と打撃が向上し、一軍でも打率.280を記録、プロ初打点も挙げた。7月31日の対広島戦(広島市民球場)では延長10回表に初の決勝打を放った。一方、本職の内野守備(一塁手・三塁手)になかなか向上が見られないことに加え、地肩の強さ、大学時代の4年春に7[[盗塁]]を決めた脚力などを考えた首脳陣から[[外野手]]への[[コンバート (野球)|コンバート]]を打診された。本人も「試合に出られるなら」とこのシーズンの終盤より積極的に外野守備練習に励み、シーズン終盤からは試合前のノックでも、内野守備練習に加え左翼など外野でも練習する姿が多く見られた。10月7日の対横浜戦では3番・[[左翼手]]スタメン先発出場したが、[[死球]]を受けて打席で悶絶、途中交代となった。これに関しては[[立浪和義]]から、せっかく与えてもらったチャンスをふいにしてしまったことへの戒めとして「痛がるなら一塁へ行ってからじゃないのか」と叱咤された。この言葉に新井は「今度は顔に当たっても塁へ出ます」と教訓を得て、スタメン先発出場した[[アジアシリーズ]]第1戦では試合中の一塁守備時に手の指を負傷したものの、それを痛がるそぶりもなく引き続きプレーした。後に骨折と判明し、第2戦以降は欠場している。このシーズンから中日の私設応援団による選手別応援歌が作られたが、新井のみ1番・2番の構成になっている。
 
{{byBy|2008年}}、春季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]は一軍スタートだったものの、中盤に二軍に降格。そのまま二軍で開幕を迎えたが、そこで好成績を収め、5月14日に一軍に合流。負傷した森野に代わって翌15日に一軍に昇格した。その後わずか3日で再び二軍に降格したが、二軍で打率3割の活躍をみせて、6月7日に二度目の一軍昇格となった。また、この年はウエスタン・リーグで[[規定打席]]に4打席達しないながらも、認定ルールにより、打率.332でチームとしては1970年の[[坪井新三郎]]以来となる例外規定での2人目の[[首位打者]]、出塁率.418で[[出塁率#日本プロ野球|最高出塁率]]のタイトルを獲得した。
 
オフには[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]・[[ウィンターリーグ]]に派遣され、レオネス・デル・エスコヒード ([[:en:Leones del Escogido|Leones del Escogido]]) に所属した。結局、選手登録はされず、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]のアカデミーでの練習試合に出場して通算8打数3安打4四死球と、選手登録されて出場した[[藤井淳志]]や[[前田章宏]]に比べて低いものであった。しかし、派遣されている間に[[タイロン・ウッズ]]が退団、さらに、翌年の一塁手最有力候補であった[[中村紀洋]]も[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]]で[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍し、定位置である一塁が空いたため、開幕スタメンのチャンスができた。
 
{{byBy|2009年}}の春季キャンプは一軍スタートでそのまま完走。3月1日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]の[[オープン戦]]で6回表無死、日本ハムの3番手[[江尻慎太郎]]から中越えに本塁打を放った。その後は不調となり二軍に降格したが、開幕は初めて一軍で迎えた。しかし代打で結果が出せず、4月20日に降格した。ウエスタン・リーグでは4番・一塁手」のレギュラーとして打率.299, 9本塁打、リーグ3位の55打点。出塁率.426, 最多四死球(60個)で2年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得した。4月の練習で一軍控え組で測定された10メートル走でトップになり、[[宮前岳巳]]トレーニングコーチに「今年からすごく速くなった。チームの5本の指に入るかもしれない」と言われた<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/draban/20090414/index.html |title=ドラ番記者 |website=中日スポーツweb版 ドラ番記者 |date=2009年4月-04-14日分](リンク切れ) [|accessdate=2021-09-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090423190948/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/draban/20090414/index.html インターネットアーカイブ]|archivedate=2009-04-23}}</ref>。
 
{{byBy|2010年}}、6月9日の対楽天戦で一軍での初本塁打を記録した。この年は自己最多の45試合に出場したが、打率1割台と不振に陥り一軍に定着することはできなかった。オフに背番号を「32」に変更することになったが、その直後の12月24日、[[水田圭介]]との[[トレード|交換トレード]]で阪神に移籍<ref>[{{Cite web ja |url=https://dragons.jp/news/2010/10122401.html |title=トレード決定のお知らせ] |website=中日ドラゴンズプレスリリース |date=2010-12-24 |accessdate=2021-09-22}}。</ref>。兄・貴浩、慕っている[[金本知憲]]と同じチームでプレイすることになった。
 
12月27日に阪神入団発表記者会見を行い、背番号は'''32。'''登録名・スコアボード表記名はフルネームの「新井良太」と発表された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm 【プロ野球】阪神加入の新井弟が入団会見、登録名は「新井良太」] [[産経新聞]]、2010年12月27日。 {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20110103193945/http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm |date=2011年1月3日 }}</ref>。ただし、甲子園などの球場ではスペースの都合上「新井良」と表示、兄・貴浩は「新井」のままである<ref>兄・貴浩の阪神退団後もこの表記は現役引退まで継続していたが、マスメディアでは単に「新井」と表記されることが多い。</ref>。水田が着けていた背番号をそのまま引き継ぐ形になったが、これは中日で翌年に着けるはずだった番号とも同じであった。
 
=== 阪神時代 ===
2010年12月27日に阪神入団発表記者会見を行い、った{{R|sankei20101227}}。背番号は'''32'''{{R|sankei20101227}}。登録名・スコアボード表記名はフルネームの「新井良太」と発表された<ref name="sankei20101227">[{{Cite web ja |url=http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm |title=【プロ野球】阪神加入の新井弟が入団会見、登録名は「新井良太」] |website=[[産経新聞]] |date=2010-12-27日。 {{webarchive|accessdate=2021-09-22 |urlarchiveurl=https://web.archive.org/web/20110103193945/http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm |datearchivedate=2011年1月3日 -01-03}}</ref>。ただし、甲子園などの球場ではスペースの都合上「新井良」と表示、兄・貴浩は「新井」のままである<ref>{{Efn2|兄・貴浩の阪神退団後もこの表記は現役引退まで継続していたが、マスメディアでは単に「新井」と表記されることが多い。</ref>}}。水田が着けていた背番号をそのまま引き継ぐ形になったが、これは中日で翌年に着けるはずだった番号とも同じであった。
移籍初年度の{{by|2011年}}、開幕一軍に帯同し、4月19日の対[[読売ジャイアンツ]](巨人)戦で、移籍後初安打をプロ入り初の[[サヨナラゲーム|サヨナラ安打]]で決めた。4月22日の対横浜戦に兄・貴浩もサヨナラ安打を放ち、史上初の同年に同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/23/kiji/K20110423000681910.html 同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打] スポーツニッポン、2011年4月23日。</ref>。その後は調子を落とし、8月5日に一軍登録を抹消<ref name="hanshin">[https://hanshintigers.jp/farm/column/c11_12.html ファームコラム「兄と同じく苦しむ弟」] 阪神タイガース公式サイト 2011年9月6日</ref>。8月は二軍でも32打数4安打、打率.125と不振を極めた{{R|hanshin}}。9月になり復調し、[[藤川俊介|俊介]]と交代で9月15日に再昇格したが、昇格後は再び不振に陥り結果を残せなかった。最終的に打率は2割に満たず、結局前年よりも少ない43試合の出場でシーズンを終えた。
 
移籍初年度の{{byBy|2011年}}、開幕一軍に帯同し、4月19日の対[[読売ジャイアンツ]](巨人)戦で、移籍後初安打をプロ入り初の[[サヨナラゲーム|サヨナラ安打]]で決めた。4月22日の対横浜戦に兄・貴浩もサヨナラ安打を放ち、史上初の同年に同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/23/kiji/K20110423000681910.html |title=同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打] |website=スポーツニッポン |date=2011年4月-04-23 |accessdate=2021-09-22}}。</ref>。その後は調子を落とし、8月5日に一軍登録を抹消<ref name="hanshin">[{{Cite web ja |url=https://hanshintigers.jp/farm/column/c11_12.html |title=ファームコラム「兄と同じく苦しむ弟」] |website=阪神タイガース公式サイト |date=2011年9月6日-09-06 |accessdate=2021-09-22}}</ref>。8月は二軍でも32打数4安打、打率.125と不振を極めた{{R|hanshin}}。9月になり復調し、[[藤川俊介|俊介]]と交代で9月15日に再昇格したが、昇格後は再び不振に陥り結果を残せなかった。最終的に打率は2割に満たず、結局前年よりも少ない43試合の出場でシーズンを終えた。
{{by|2012年}}は一軍の試合で一塁手・三塁手・左翼手・[[右翼手]]の4ポジションを経験しながら、徐々に長打力を発揮するようになり、兄・貴浩の出場いかんにかかわらず、スタメンで試合に出場する機会が増えていった<ref>{{Cite news |title=虎・新井良で巻き返せ!6連敗が何じゃい |author=高瀬悟嗣 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2012-07-09 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120709/tig12070905040010-n2.html |accessdate=2012-07-29}}</ref>。7月17日の対巨人戦で、阪神球団として7,000本目の本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=「たまたま」新井良、阪神7000本目の本塁打 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2012-07-17 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120717/tig12071723080014-n1.html |accessdate=2012-07-29}}</ref>。貴浩とともにスタメンで出場した7月29日の対横浜戦([[阪神甲子園球場]])では、貴浩とともに本塁打を放ち、{{by|1981年}}の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]の[[レロン・リー]]と[[レオン・リー]]以来31年ぶり3組目の兄弟アベック本塁打を記録した<ref>{{Cite news |title=阪神の新井が31年ぶり兄弟アベック弾 |newspaper=デイリースポーツ |date=2012-07-29 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml |accessdate=2012-07-29}}</ref>。優勝争いから遠ざかっていた8月の長期ロードからは、[[和田豊]]監督の方針で「4番・三塁手」としてスタメンに定着。同月12日の対広島戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])では、3回裏に4番打者としての初本塁打を放つと、6回裏に貴浩の本塁打によってシーズン2度目となる兄弟アベック本塁打を達成した<ref>{{Cite news |title=新井兄弟弾 虎3つの連敗から脱出 |newspaper=日刊スポーツ |date=2012-08-13 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120813-999932.html |accessdate=2012-09-02}}</ref>。また、9月2日の対広島戦(甲子園)では、延長11回裏にライトスタンドへ「野球人生初」というサヨナラ本塁打(2ラン)を放っている。最終的に47試合で4番を打ち、頭角を表す。
 
{{byBy|2012年}}は一軍の試合で一塁手・三塁手・左翼手・[[右翼手]]の4ポジションを経験しながら、徐々に長打力を発揮するようになり、兄・貴浩の出場いかんにかかわらず、スタメンで試合に出場する機会が増えていった<ref>{{Cite newsweb ja |title=虎・新井良で巻き返せ!6連敗が何じゃい |author=高瀬悟嗣 |newspaperwebsite=サンケイスポーツ |date=2012-07-09 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120709/tig12070905040010-n2.html |date=2012-07-09 |accessdate=2012-07-29}}</ref>。7月17日の対巨人戦で、阪神球団として7,000本目の本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120717/tig12071723080014-n1.html |title=「たまたま」新井良、阪神7000本目の本塁打 |newspaperwebsite=サンケイスポーツ |date=2012-07-17 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120717/tig12071723080014-n1.html |accessdate=2012-07-29}}</ref>。貴浩とともにスタメンで出場した7月29日の対横浜戦([[阪神甲子園球場]])では、貴浩とともに本塁打を放ち、{{byBy|1981年}}の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]の[[レロン・リー]]と[[レオン・リー]]以来31年ぶり3組目の兄弟アベック本塁打を記録した<ref>{{Cite newsweb ja |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml |title=阪神の新井が31年ぶり兄弟アベック弾 |newspaperwebsite=デイリースポーツ |date=2012-07-29 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml |accessdate=2012-07-29}}</ref>。優勝争いから遠ざかっていた8月の長期ロードからは、[[和田豊]]監督の方針で「4番・三塁手」としてスタメンに定着。同月12日の対広島戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])では、3回裏に4番打者としての初本塁打を放つと、6回裏に貴浩の本塁打によってシーズン2度目となる兄弟アベック本塁打を達成した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120813-999932.html |title=新井兄弟弾 虎3つの連敗から脱出 |newspaperwebsite=日刊スポーツ |date=2012-08-13 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120813-999932.html |accessdate=2012-09-02}}</ref>。また、9月2日の対広島戦(甲子園)では、延長11回裏にライトスタンドへ「野球人生初」というサヨナラ本塁打(2ラン)を放っている。最終的に47試合で4番を打ち、頭角を表す。
{{by|2013年}}、シーズン開幕戦の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦(3月29日・[[明治神宮野球場]])で、4番打者としてプロ入り後初の開幕スタメンに抜擢。第1打席の二塁ゴロ失策で、チームのシーズン初打点を挙げた。その後の試合でも4番打者に起用され続けたが重圧から結果が出ず、4月5日の対広島戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]])延長11回表の打席で、遊撃へゴロを放って一塁ベースを駆け抜けた際に左太もも裏を痛めて交代(記録は併殺打)。その後の検査で「軽度の肉離れ」と診断されたため、翌4月6日に出場登録を抹消された<ref>{{Cite news |title=良太は軽度の肉離れ 出場選手登録を抹消 |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-04-09 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2013/04/06/0005877666.shtml |accessdate=2013-04-09}}</ref>。同月16日に一軍復帰を果たすと、「6番・三塁手」として出場した5月19日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦(甲子園)の第1打席で、プロ入り後初の満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=虎・良太、プロ初の満塁アーチ |newspaper=サンケイスポーツ |date=2013-05-19 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130518/tig13051815080013-n1.html |accessdate=2013-05-20}}</ref>。その後は、前述の戦線離脱を機に[[マット・マートン]]が4番打者へ定着していたことに加えて、自身の打撃不振から7番や8番に降格。三塁の守備でも精彩を欠いたため、[[セ・パ交流戦]]終盤の6月10日から同月20日までは、二軍での調整を余儀なくされたが、一軍復帰後の7月14日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦(甲子園)ではシーズン2本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130714-1157509.html |title=【阪神】新井良、満塁弾「無我夢中」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2013-07-25 |accessdate=2021-09-04}}</ref>。さらに、7月24日の対ヤクルト戦([[明治神宮野球場]])ではシーズン3本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=良太2発6打点!今季3本目Gスラム |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-07-25 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/25/0006189728.shtml |accessdate=2013-07-25}}</ref>。シーズン3度の満塁本塁打を記録したのは阪神では[[ハル・ブリーデン]]、[[田淵幸一]]、[[今岡誠]]に次いで4人目。この年は前年を上回る119試合に出場し、いずれも自己最高の14本塁打、51打点を記録したが打率は.238と安定感を欠いた。
 
{{byBy|2013年}}、シーズン開幕戦の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦(3月29日・[[明治神宮野球場]])で、4番打者としてプロ入り後初の開幕スタメンに抜擢。第1打席の二塁ゴロ失策で、チームのシーズン初打点を挙げた。その後の試合でも4番打者に起用され続けたが重圧から結果が出ず、4月5日の対広島戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]])延長11回表の打席で、遊撃へゴロを放って一塁ベースを駆け抜けた際に左太もも裏を痛めて交代(記録は併殺打)。その後の検査で「軽度の肉離れ」と診断されたため、翌4月6日に出場登録を抹消された<ref>{{Cite newsweb ja |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2013/04/06/0005877666.shtml |title=良太は軽度の肉離れ 出場選手登録を抹消 |newspaperwebsite=デイリースポーツ |date=2013-04-09 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2013/04/06/0005877666.shtml |accessdate=2013-04-09}}</ref>。同月16日に一軍復帰を果たすと、「6番・三塁手」として出場した5月19日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦(甲子園)の第1打席で、プロ入り後初の満塁本塁打を放った<ref>{{Cite web ja |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130518/tig13051815080013-n1.html |title=虎・良太、プロ初の満塁アーチ |newspaperwebsite=サンケイスポーツ |date=2013-05-19 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130518/tig13051815080013-n1.html |accessdate=2013-05-20}}</ref>。その後は、前述の戦線離脱を機に[[マット・マートン]]が4番打者へ定着していたことに加えて、自身の打撃不振から7番や8番に降格。三塁の守備でも精彩を欠いたため、[[セ・パ交流戦]]終盤の6月10日から同月20日までは、二軍での調整を余儀なくされたが、一軍復帰後の7月14日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦(甲子園)ではシーズン2本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130714-1157509.html |title=【阪神】新井良、満塁弾「無我夢中」 |newspaperwebsite=日刊スポーツ |date=2013-07-25 |accessdate=2021-09-04}}</ref>。さらに、7月24日の対ヤクルト戦([[明治神宮野球場]])ではシーズン3本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/25/0006189728.shtml |title=良太2発6打点!今季3本目Gスラム |newspaperwebsite=デイリースポーツ |date=2013-07-25 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/25/0006189728.shtml |accessdate=2013-07-25}}</ref>。シーズン3度の満塁本塁打を記録したのは阪神では[[ハル・ブリーデン]]、[[田淵幸一]]、[[今岡誠]]に次いで4人目。この年は1年を通してほぼ一軍に帯同した<ref>{{Cite web ja |url=https://baseballking.jp/ns/68226 |title=兄の偉業に間に合った一軍昇格…阪神・新井良太が迎える“逆襲のとき” |website=BASEBALL KING |date=2016-04-27 |accessdate=2021-12-17}}</ref>。前年を上回る119試合に出場、いずれも自己最高の14本塁打、51打点を記録したが打率は.238と安定感を欠いた。
{{by|2014年}}は4月までに打率.338, 6本塁打を放つなど好調なスタートを切ったが、5月以降は不振に陥り6月25日に登録抹消。一軍復帰後は代打要員または7番・右翼手として出場していたが、8月28日に腰痛を発症して翌日に再び登録抹消され<ref>{{Cite news |title=良太、抹消へ 腰痛発症で監督明言 |newspaper=デイリースポーツ |date=2014-08-29 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2014/08/29/0007281342.shtml |accessdate=2014-10-09}}</ref>、そのままレギュラーシーズンを終えた。オフには背番号を、この年限りで阪神を退団して広島に復帰した兄・貴浩がつけていた「25」への変更を打診されたが、「誰かにつけられるくらいなら僕がというも思いもあったけど。いろいろな人に相談した。32に愛着もあるし、25は兄のイメージもあるので」と語り、辞退した<ref>{{Cite news |title=阪神・良太が兄の背番「25」を辞退…「25は兄のイメージ」 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2014-12-5 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20141205/tig14120519100017-n1.html |accessdate=2014-12-29}}</ref>。なお、背番号「25」は駒大の後輩で、大学時代には新井兄弟同様「25」を背負っていた同年のドラフト3位の[[江越大賀]]がつけることになった。
 
{{byBy|2014年}}は4月までに打率.338, 6本塁打を放つなど好調なスタートを切ったが、5月以降は不振に陥り6月25日に登録抹消。一軍復帰後は[[今成亮太]]にレギュラーを奪われ<ref name="weeklybaseball20150109">{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20150119-08 |title=新井良太内野手・試合に出るためになりふり構わず |website=週刊ベースボールONLINE |date=2015-01-09 |accessdate=2021-12-17}}</ref>、代打要員または7番・右翼手として出場していたが、8月28日に引退を考える程<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2015/01/22/0007678491.shtml |title=良太、引退危機だった!神の手で復活 |website=デイリースポーツ online |date=2015-01-22 |accessdate=2021-12-17}}</ref>の重度の腰痛を発症して翌日に再び登録抹消され<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2014/08/29/0007281342.shtml |title=良太、抹消へ 腰痛発症で監督明言 |newspaperwebsite=デイリースポーツ |date=2014-08-29 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2014/08/29/0007281342.shtml |accessdate=2014-10-09}}</ref>、そのままレギュラーシーズンを終えた{{R|weeklybaseball20150109}}。オフには背番号を、この年限りで阪神を退団して広島に復帰した兄・貴浩がつけていた「25」への変更を打診されたが、「誰かにつけられるくらいなら僕がという思いもあったけど。いろいろな人に相談した。32に愛着もあるし、25は兄のイメージもあるので」と語り、辞退した<ref>{{Cite web ja |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20141205/tig14120519100017-n1.html |title=阪神・良太が兄の背番「25」を辞退…「25は兄のイメージ」 |newspaperwebsite=サンケイスポーツ |date=2014-12-5 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20141205/tig14120519100017-n1.html05 |accessdate=2014-12-29}}</ref>。なお、背番号「25」は駒大の後輩で、大学時代には新井兄弟同様「25」を背負っていた同年のドラフト3位の[[江越大賀]]がつけることになった。年俸は、200万減の3000万円でサインした{{R|weeklybaseball20150109}}
{{by|2015年}}には、一軍公式戦93試合に出場したが、打率.193、4本塁打と精彩を欠いた。{{by|2016年}}には、一軍公式戦への出場試合数が46試合にまで減少。打率.154、3本塁打と、前年に続いて低迷した。
 
{{By|2015年}}には、5月6日の中日戦で、8回に[[ラウル・バルデス]]から1号本塁打を放ち、最終回には[[又吉克樹]]から3年ぶりにサヨナラヒットを放った<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2015/05/07/0007998575.shtml |title=「打率1割男」新井が黄金週間歓喜締め |website=デイリースポーツ online |date=2015-05-07 |accessdate=2021-12-17}}</ref>。一軍公式戦93試合に出場したが、打率.193、4本塁打を記録した。
{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンの終盤まで、一軍公式戦16試合に代打で出場。打率.063(16打数1安打)で、本塁打はなく、シーズンの大半を二軍で過ごした。[[ウエスタン・リーグ]]公式戦では64試合の出場で打率.288、9本塁打を記録したが、10月10日に現役引退を発表する<ref>{{Cite web |title=【スタッフより】 |publisher=新井良太オフィシャルブログ |date=2017-10-10 |url=https://ameblo.jp/ryota-arai32/ |accessdate=2017-10-10}}</ref>。当初は親しい知人にも告げずにひっそりと引退するつもりであったが、監督の[[金本知憲]]の計らいで周囲に知れ渡り、一軍のレギュラーシーズン最終戦および[[安藤優也]]の引退試合であった当日夜の対中日戦(甲子園)6回裏に代打へ起用された<ref>{{Cite web |title=【神機一転】新井良太 ひっそり去るつもりが最高の引退試合に |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/12/17/0010824769.shtml |website=デイリースポーツ |date=2017-12-17 |accessdate=2021-04-09}}</ref>(記録は遊撃へのゴロ)。そのまま三塁の守備に就くと、安藤が登板した8回表には、2人目の打者で代打の[[野本圭]]が放った三遊間の強いゴロをダイビングキャッチ(記録は三塁へのゴロ)。8回裏に現役最後の打席を迎えたが、[[福谷浩司]]の前に左翼へのフライで凡退した。しかし、試合後には、引退セレモニーを終えたばかりの安藤に続いて阪神ナインから5回にわたって胴上げされた。10月11日の記者会見で、改めて現役引退を報告<ref>{{Cite web |title=阪神・新井良太、11日に引退会見…最後まで魅せたフルスイング |url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20171011/tig17101105010017-n1.html |website=SANSPO.COM |date= |accessdate=2021-04-09 |language=ja |author=SANKEI DIGITAL INC}}</ref>。10月26日付で、安藤と共に、[[日本野球機構|NPB]]から[[任意引退選手]]として公示された<ref>{{Cite news |title=2017年度任意引退選手 |author= |publisher=日本野球機構 |date=2017-10-26 |url=https://npb.jp/announcement/2017/pn_retired.html |accessdate=2017-10-27}}</ref>。
 
{{By|2016年}}には、一軍公式戦への出場試合数が46試合にまで減少。打率.154、3本塁打に終わり、年俸は600万円減となる2100万円でサインした<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2016/11/29/0009708693.shtml |title=新井良、600万減の提示も「速攻でしました」 |website=デイリースポーツ online |date=2016-11-29 |accessdate=2021-12-17}}</ref>。
 
{{byBy|2017年}}には、レギュラーシーズンの終盤まで、一軍公式戦16試合に代打で出場。打率.063(16打数1安打)で、本塁打はなく、シーズンの大半を二軍で過ごした。[[ウエスタン・リーグ]]公式戦では64試合の出場で打率.288、9本塁打を記録したが、10月10日に現役引退を発表する<ref>{{Cite web ja |url=https://ameblo.jp/ryota-arai32/ |title=【スタッフより】 |publisherwebsite=新井良太オフィシャルブログ |date=2017-10-10 |url=https://ameblo.jp/ryota-arai32/ |accessdate=2017-10-10}}</ref>。当初は親しい知人にも告げずにひっそりと引退するつもりであったが、監督の[[金本知憲]]の計らいで周囲に知れ渡り、一軍のレギュラーシーズン最終戦および[[安藤優也]]の引退試合であった当日夜の対中日戦(甲子園)6回裏に代打へ起用された<ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/12/17/0010824769.shtml |title=【神機一転】新井良太 ひっそり去るつもりが最高の引退試合に |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/12/17/0010824769.shtml |website=デイリースポーツ |date=2017-12-17 |accessdate=2021-04-09}}</ref>(記録は遊撃へのゴロ)。そのまま三塁の守備に就くと、安藤が登板した8回表には、2人目の打者で代打の[[野本圭]]が放った三遊間の強いゴロをダイビングキャッチ(記録は三塁へのゴロ)。8回裏に現役最後の打席を迎えたが、[[福谷浩司]]の前に左翼へのフライで凡退した。しかし、試合後には、引退セレモニーを終えたばかりの安藤に続いて阪神ナインから5回にわたって胴上げされた。10月11日の記者会見で、改めて現役引退を報告<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20171011-VZXESMTYSFJSJGTFH6LBNM47EU/ |title=阪神・新井良太、11日に引退会見…最後まで魅せたフルスイング |url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20171011/tig17101105010017-n1.html |website=SANSPO.COM |date=2017-10-11 |accessdate=2021-04-09 |language=ja |author=SANKEI DIGITAL INC}}</ref>。10月26日付で、安藤と共に、[[日本野球機構|NPB]]から[[任意引退選手]]として公示された<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://npb.jp/announcement/2017/pn_retired.html |title=2017年度任意引退選手 |author= |publisherwebsite=日本野球機構 |date=2017-10-26 |url=https://npb.jp/announcement/2017/pn_retired.html |accessdate=2017-10-27}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
{{byBy|2017年}}10月23日に、安藤と共に、阪神の二軍育成コーチ就任すること球団から発表した<ref name="sanspo20171023">{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20171023-WXMJNESOQJO3BGXPMXY2HEW3CQ/ |date=2017-10-23 |title=阪神・新井氏、ファーム育成コーチに就任「誠心誠意サポートできたら」 |publisherwebsite=サンケイスポーツ |accessdate=2017-10-23}}</ref>。これにともない背番号は'''83'''に変更された{{R|sanspo20171023}}。コーチ陣最年少の34歳で、若手野手の指導を託された。
 
{{byBy|2019年}}からは、二軍の打撃コーチへ異動した
 
{{byBy|2020年}}からは、一軍打撃コーチに昇格した
 
{{By|2022年}}10月15日、同年限りで退団すると球団が発表した<ref>{{Cite web ja |url=https://hanshintigers.jp/news/topics/info_8329.html |title=コーチの退団について(10月15日) |website=阪神タイガース |date=2022-10-15 |accessdate=2022-10-15}}</ref>。
== 選手としての特徴 ==
長打力を生かした打撃が持ち味。豪快なフルスイングでジャストミートした際には派手にバットを投げ飛ばす動作が特徴。この動作について新井は「無意識ですね。振り抜いた時にああいう風になるって感じで。振り抜いて収まりが良い時に自然と投げちゃいますね」と語っている<ref>{{Cite web|title=阪神タイガース 新井 良太選手「フルスイングを実現する軸回転の秘密」|url=https://www-hb--nippon-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317/amp?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw==#aoh=16322525839013&amp_ct=1632252590683&referrer=https://www.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9:%20%251$s&ampshare=https://www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317|website=www-hb--nippon-com.cdn.ampproject.org|accessdate=2021-09-21}}</ref>。
 
10月18日、2023年シーズンから兄・貴浩が監督を務める[[広島東洋カープ]]で二軍打撃コーチを務めることが判明した。24日に球団から正式に就任を発表した<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20221024013530/https://www.carp.co.jp/news22/n-349.html |title=新コーチについて |website=広島東洋カープ |date=2022-10-24 |accessdate=2022-11-25}}</ref>。背番号は'''84'''<ref name="npb2023">{{Cite web ja |url=https://npb.jp/announcement/2023/managers_c.html |title=2023年度 監督・コーチ一覧(広島東洋カープ) {{!}} 2023年度公示 |website=NPB.jp 日本野球機構 |date= |access-date=2025-02-22}}</ref>。兄・貴浩と同一球団に所属するのは選手として阪神に在籍した2014年以来、9年ぶりとなる。また、良太は広島に初めて所属することとなり、27日に就任会見を行った<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20221027052556/https://www.carp.co.jp/news22/n-354.html |title=新井良太コーチ 就任記者会見! |website=広島東洋カープ |date=2022-10-27 |accessdate=2022-11-25}}</ref>。
== 人物 ==
{{スポーツ選手の出典明記|人物像|section=1|date=2014年12月7日 (日) 16:30 (UTC)}}
在日韓国人であったが、2004年6月頃に兄の貴浩と同様に日本に帰化している<ref>https://kanpou.npb.go.jp/20040609_old/20040609h03867/20040609h038670000f.html</ref>。帰化前の本名は朴良太(パク・ヤンテ、박양태)。
 
{{By|2024年}}5月17日に、元[[中国放送]]アナウンサーの[[河村綾奈]]と結婚したことを双方のSNSで報告した<ref>{{Cite web ja |url=https://www.instagram.com/p/C7DHZF-yPTi/ |title=ご報告 |website=新井良太 Instagram |date= |accessdate=2024-05-17}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/466014 |title=カープの新井良太2軍コーチと元RCCの河村綾奈アナが結婚 SNSで報告 知人の紹介で知り合い交際 |website=中国新聞 |date=2024-05-17 |accessdate=2024-05-17}}</ref>。
『月刊ドラゴンズ』2月号のインタビューで[[清水昭信]]、[[高橋聡文]]、[[佐藤亮太 (野球)|佐藤亮太]]、[[前田章宏]]、2007年まで中日に[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]として所属した[[竹下哲史]]の6人で集まる「昭和58年会」を行っていると語っている。
 
== 選手としての特徴 ==
2013年の秋季キャンプから阪神の[[ゼネラルマネジャー|GM]]付育成&打撃コーディネーター(当時。現在はオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー<ref>2015年9月23日に[[中村勝広]]GMが死去したことに伴い、10月1日付の人事異動でGM職が廃止されたため「球団本部付育成&打撃コーディネーター」に肩書きが変更されたが、一軍監督に就任した金本の要請で二軍監督に就任した。その後、2017年限りで二軍監督を退任しオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザーに就任した。</ref>)に就任した[[掛布雅之]]からは、「[[ミスタータイガース]]と呼ばれた現役時代の自分に続いて欲しい」という期待を込めて、「小ミスター」と呼ばれている<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131107-1214714.html 掛布DC命名 新井良は「小ミスター」](「[[日刊スポーツ]]」2013年11月7日付記事)</ref>。
長打力を生かした打撃が持ち味。豪快なフルスイングでジャストミートした際には派手にバットを投げ飛ばす動作が特徴。この動作について新井は「無意識ですね。振り抜いた時にああいう風になるって感じで。振り抜いて収まりが良い時に自然と投げちゃいますね」と語っている<ref>{{Cite web ja |url=https://web.archive.org/web/20150812234857/https://www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317 |title=阪神タイガース 新井 良太選手「フルスイングを実現する軸回転の秘密」 |urlwebsite=https://www-hb--nippon-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317/amp?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw==#aoh=16322525839013&amp_ct=1632252590683&referrer=https://www.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9:%20%251$s&ampshare=https://www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317高校野球ドットコム |websitedate=www2015-hb08--nippon-com.cdn.ampproject.org10 |accessdate=2021-09-21}}</ref>。
 
== 人物 ==
{{スポーツ選手の出典明記|人物像|section=1|date=2014年12月7日 (日) 16:30 (UTC)}}
* [[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]であったが、2004年6月頃に兄の貴浩と同様に日本に帰化している<ref>https://kanpou.npb.go.jp/20040609_old/20040609h03867/20040609h038670000f.html『[[官報]]』第3867号 平成16年6月9日付3頁</ref>。帰化前の本名は'''朴良太'''(パク・ヤンテ、박양태)'''박양태''')
* 『月刊ドラゴンズ』{{いつ範囲|2月号|date=2023年12月}}のインタビューで[[清水昭信]]、[[高橋聡文]]、[[佐藤亮太 (野球)|佐藤亮太]]、[[前田章宏]]、2007年まで中日に[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]として所属した[[竹下哲史]]の6人で集まる「昭和58年会」を行っていると語っている。
* 2013年の秋季キャンプから阪神の[[ゼネラルマネジャー|GM]]付育成&打撃コーディネーター(当時。現在はオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー<ref>{{Efn2|2015年9月23日に[[中村勝広]]GMが死去したことに伴い、10月1日付の人事異動でGM職が廃止されたため「球団本部付育成&打撃コーディネーター」に肩書きが変更されたが、一軍監督に就任した金本の要請で二軍監督に就任した。その後、2017年限りで二軍監督を退任しオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザーに就任した。</ref>}})に就任した[[掛布雅之]]からは、「[[ミスタータイガース]]と呼ばれた現役時代の自分に続いて欲しい」という期待を込めて、「小ミスター」と呼ばれている<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131107-1214714.html |title=掛布DC命名 新井良は「小ミスター」](「[[ |website=日刊スポーツ]]」 |date=2013-11月7日付記事)-07 |accessdate=2021-09-22}}</ref>。
* 阪神での現役時代に貴浩と共にプレーしていた2011年から2014年シーズンにかけてのスタジアム表記は、貴浩が『'''新井'''』、良太は『'''新井良'''』と表記されていた。
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{|{{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球機構}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2006}}
|rowspan="5" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[中日ドラゴンズ|中日]]
|18||24||23||2||6||2||0||0||8||0||0||0||0||0||0||0||1||9||0||.261||.292||.348||.639
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2007}}
|29||28||25||5||7||3||0||0||10||2||0||0||0||0||2||0||1||5||0||.280||.357||.400||.757
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2008}}
|24||19||18||2||3||0||0||0||3||0||0||0||0||0||0||0||1||5||0||.167||.211||.167||.377
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2009}}
|8||6||6||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||3||0||.000||.000||.000||.000
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2010}}
 
|45||60||59||6||9||0||0||1||12||2||1||0||0||0||1||0||0||14||2||.153||.167||.203||.370
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2011}}
|rowspan="7" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[阪神タイガース|阪神]]
|43||27||26||3||5||0||0||0||5||3||0||0||0||0||1||0||0||8||1||.192||.222||.192||.414
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2012}}
|110||370||322||38||90||18||0||11||141||32||1||0||3||1||38||0||6||73||7||.280||.365||.438||.803
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2013}}
|119||401||357||44||85||14||1||14||143||51||2||2||1||2||37||0||4||89||10||.238||.315||.401||.716
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2014}}
|78||196||173||19||51||9||0||7||81||34||0||0||1||2||17||1||3||48||0||.295||.364||.468||.832
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2015}}
|93||162||150||10||29||8||0||4||49||19||0||0||0||1||10||0||1||41||3||.193||.247||.327||.574
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2016}}
|46||88||78||10||12||3||0||3||24||8||1||0||1||1||7||0||1||21||1||.154||.230||.308||.538
|-
|style="text-align:center;"|{{by2By2|2017}}
|17||17||16||1||1||0||0||0||1||0||0||0|0||0||0||1||0||0||3||0||.063||.118||.063||.180
|-
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]通算:12年
||630||1398||1253||140||298||57||1||40||477||151||5||2||6||7||114||1||18||319||24||.238||.309||.381||.690
|}
141 ⟶ 152行目:
=== 年度別守備成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small;"
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[一塁手|一塁]]!!colspan="6"|[[三塁手|三塁]]!!colspan="6"|[[外野手|外野]]
|-style="line-height:1.25em;"
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率
|-
|style="text-align:center;"|2006
|rowspan="5" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|中日
|5||25||0||0||1||1.000||2||0||0||0||0||----||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
161 ⟶ 173行目:
|-
|style="text-align:center;"|2011
|rowspan="7" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|阪神
|27||43||0||1||1||.977||colspan="6" style="text-align:center;"|-||4||2||0||0||0||1.000
|-
181 ⟶ 194行目:
|2||9||2||0||0||1.000||1||1||1||0||0||1.000||1||0||0||0||0||----
|-
!colspan="2"|通算
|123||395||23||4||21||.990||241||135||346||30||33||.941||51||57||1||0||0||1.000
|}
 
=== 表彰 ===
* 月間[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞|サヨナラ賞]]:1回 (2012年9月)
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回 (2012年度第9回)
* [[スピードアップ賞]]:1回 (2012年)
* [[サンケイスポーツ|サンスポ]]MVP大賞:1回 (2012年<ref>{{Cite newsweb ja |url=httphttps://www.sanspo.com/baseballgallery/photos20161122-JEYGFEERFFNUPIAFIRRQJ3A66A/20161123/tig16112305040011-p6.html |title=【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者 |newspaperwebsite=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |publisher=[[産業経済新聞社]] |date=2016-11-23 |accessdate=2017-09-07}}</ref>)
 
=== 記録 ===
; 初記録
* 初出場:2006年7月25日、対[[阪神タイガース]]8回戦([[ナゴヤドーム]])、7回裏に[[中田賢一]]の代打で出場
* 初打席:同上、7回裏に[[能見篤史]]の前にから空振り三振
* 初安打:2006年9月10日、対[[広島東洋カープ]]17回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、7回表に[[林昌樹]]から右前安打
* 初先発出場:2006年10月12日、対阪神タイガース22回戦([[阪神甲子園球場]])、6番・[[一塁手]]で先発出場
* 初打点:2007年4月21日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]5回戦([[明治神宮野球場]])、7回表に[[遠藤政隆]]から左越適時二塁打
* 初盗塁:2010年6月5日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に二盗(投手:[[山田秋親|秋親]]、捕手:[[里崎智也]])
* 初本塁打:2010年6月9日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]3回戦([[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]])、7回表に[[永井怜]]から中越ソロ
* 初猛打賞:2012年7月7日、対[[読売ジャイアンツ]]11回戦([[東京ドーム]])、8回表に[[西村健太朗]]から右前安打で達成
; その他の記録
* 兄弟アベック本塁打:2012年7月29日、対[[横浜DeNAベイスターズ]]15回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に良太が[[三浦大輔]]から中越3ラン、7回裏に新井貴浩が[[林昌範]]から左越2ラン ※他に2度記録
 
=== 背番号 ===
* '''25'''(2006年<ref name=":0" /> - 2010年)
* '''32'''(2011年{{R|sankei20101227}} - 2017年)
* '''83'''(2018年{{R|sanspo20171023}} - 2022年
* '''84'''(2023年{{R|npb2023}} - )
 
=== 登場曲 ===
213 ⟶ 226行目:
* 「[[睡蓮花]]」[[湘南乃風]](2007年 - 2009年)
* 「Garden feat. [[DJ KAORI]], [[Diggy-MO']], [[クレンチ&ブリスタ]]」[[May J.]](2010年)
* 「[[禁じられた愛 (ボン・ジョヴィの曲)|禁じられた愛]]」[[ボン・ジョヴィ|BONBon JOVIJovi]](2011年)
* 「[[世界でいちばん熱い夏]]」[[プリンセス・プリンセス]](2012年 - 2017年)
 
219 ⟶ 232行目:
=== 出演 ===
; CM
* [[上新電機]](2013年) - チームメイトの[[能見篤史]]・[[伊藤隼太]]とともに出演
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
235 ⟶ 251行目:
== 外部リンク ==
{{NPB|01105112}}
{{BASEBALLstats |brjpn=arai--001ryo |cube=Ryota-Arai141909 |mlb=617175}}
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19830036/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
* [https://ameblo.jp/{{Ameba ブログ|ryota-arai32/ |新井良太オフィシャルブログ ] - 公式ブログ}}
* {{Twitter|ryota_arai_32|新井良太}}
* {{Instagram|ryota.arai_official|新井良太official}}
 
{{阪神タイガ広島東洋カプの選手・タッフ}}
{{中日ドラゴンズ2005年ドラフト指名選手}}
 
{{デフォルトソート:あらい りようた}}
[[Category:新井貴浩|+]]
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:広陵高等学校出身の野球選手]]
249 ⟶ 267行目:
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]
[[Category:広島東洋カープ関連人物]]
[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:帰化日本人の野球選手]]
[[Category:韓国・朝鮮系日本人の野球選手]]
[[Category:広島県出身のスポーツ選手]]
[[Category:広島市出身の人物]]
[[Category:1983年生]]