「シメオン (クロパの子)」の版間の差分

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{{Infobox 聖人
'''シメオン'''は[[イエス・キリスト]]の従兄弟で[[エルサレム総主教庁|エルサレム教会2代主教]]。[[トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の迫害下で殉教死したとされる。
|名前=聖シメオン
|画像=File:SymeonTheApostle.jpg
|画像サイズ=140px
|画像コメント=
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|他言語表記=
|生誕地=[[ガリラヤ]]
|生誕年(日)=
|死去地=[[エルサレム]]
|死去年(日)=
|崇敬する教派=[[正教会]]<br>[[カトリック教会]]<br>[[ルーテル教会]]
|記念日=2月18日(西方教会)<br>4月27日(東方教会)
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'''シメオン'''(Simeon)は[[イエス・キリスト]]の従兄弟で[[エルサレム総主教庁|エルサレム教会]]第2[[主教]]。[[トラヤヌス|トラヤヌス帝]]の迫害下で[[殉教]]したとされる。
 
[[正教会]]・[[カトリック教会]]・[[ルーテル教会]]で[[聖人]]。日本正教会では「聖[[使徒]][[神品致命者]]主の義兄聖シメオン」とも表記される<ref>『正教会暦 2011年』[[日本ハリストス正教会]]教団</ref>。
 
== 生涯 ==
[[エウセビオス]]が[[教会史]]に引用する[[へゲシップス]]の記事に拠ると、シメオンは[[義人ナザレのヨセフ|イエスの父ヨセフ]]の弟である{{仮リンク|クロパ|en|clopas}}の息子であり、イエスが生まれる前に誕生したと言う。
[[新約聖書]]には彼の記述が見られないが、[[ルカ福音書]]が伝えるエマオへの道程の際にクロパともう一人の弟子についての記述が見られ、仮にこのクロパがシメオンの父と同一人物とすれば、もう一人の弟子はシメオンである可能性がある。
 
紀元6262年に初代[[エルサレム]][[主教]][[ヤコブ (イエスの兄弟)|初代エルサレム主教ヤコブ]](イエスの兄弟)が殉教すると、後継主教として他の長老達から全会一致で認められた。[[ユダヤ戦争|第一次ユダヤ戦争]]の際には他の信徒達を連れてペラに逃れた。
 
戦争が終結すると[[エルサレム]]に戻り教団を経営していたが、120120歳の時にユダヤ総督アッティコに捕らえられ拷問にかけられた。時のローマ皇帝[[トラヤヌス]][[ユダヤ戦争]]のトラウマから[[ダビデ]]後胤を絶滅する様命じ、シメオンもその血を引いていたから標的となったのである。
アッティコはその身が老年である事から棄教する事を薦めたが、シメオンは頑なに拒否した為に遂に[[磔刑]]に処せられる事になった。シメオンは自ら十字架に進んで釘に打ち付けられ、従兄弟のイエス同様に己を殺す者達への祈りを唱えてから壮絶な最期を遂げた。その場に居た人達は120歳の老人が十字架上での苦しみに最後まで耐えた事に驚嘆したと言う。
 
アッティコはその身が老年である事から棄教する事を薦めたが、シメオンは頑なに拒否した為に遂に[[磔刑]]に処せられる事になった。シメオンは自ら十字架に進んで釘に打ち付けられ、従兄弟のイエス同様に己を殺す者達への祈りを唱えてから壮絶な最期を遂げた。その場に居た人達は120120歳の老人が[[十字架]]上での苦しみに最後まで耐えた事に驚嘆したと言う。
 
== 熱心党のシモンとの混同 ==
シメオンはく[[12使徒|12使徒]]の一人である[[熱心党のシモン]]と古くから同一視されてきた。後者が美術上、十字架を持った老人として表されるのはその所以ためである。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
*http://hushiginomedai.holy.jp/st%20simeon%20e%20et%20m.htm
 
{{先代次代|[[エルサレム総主教庁|エルサレム総主教]]|62年 - 107年|[[ヤコブ (イエスの兄弟)|イヤコフ]]|イウスト1世}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しめおん くろはのこ}}
[[Category:2世紀の古代ローマ人]]
[[Category:キリスト教の殉教者]]
[[Category:エルサレム総主教]]
[[Category:正教会の聖人]]
[[Category:カトリック教会の聖人]]
[[Category:ルーテル教会の聖人]]