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{{サッカークラブ
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|image = Logotype of RB Omiya Ardija.png
|image_size = 200px
|
|愛称 =
|カラー = {{colorbox|#ED6D00}} 橙<br/>{{colorbox|#001D45}} 紺<br/>{{colorbox|#B8193F}} 真紅
|創設 = 1969
|リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]]
|ディビジョン = [[J2リーグ]]
|昨季リーグ順位 = J3 1位(2024)
|クラブライセンス = J1
|ホームタウン = [[埼玉県]][[さいたま市]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/omiya/profile/|title=クラブガイド:大宮アルディージャ|work=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2015-10-30}}</ref>
|スタジアム = [[ファイル:Ōmiya Park Soccer Stadium, R1068484.jpg|center|250px]][[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮]]{{R|jleague}}
|キャパ = 15,491{{R|jleague}}
|法人名 = RB大宮株式会社
|
|監督 = {{Flagicon|JPN}} [[宮沢悠生]]
|HP = https://www.rbomiya.com/
|pattern_so1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
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|クラブ名=RB大宮アルディージャ}}
{{基礎情報 会社
| 社名 =
| 英文社名 =
| ロゴ =
| 種類 = [[株式会社]]
| 市場情報 = 未上場
| 略称 =
| 本社所在地 = [[埼玉県]][[さいたま市]][[西区 (さいたま市)|西区]][[西大宮
| 国籍 = {{JPN}}
| 設立 = [[1998年]][[12月4日]]
| 業種 = [[サービス業]]
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = サッカークラブ運営
| 代表者 =
| 資本金 = 1億円
| 発行済株式総数 =
| 売上高 =
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| 従業員数 =
| 決算期 = [[1月]]期
| 主要株主 = [[
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク =
| 特記事項 =
| 郵便番号 =
}}
「'''RB'''」は、実質的には親会社である[[レッドブル (企業)|レッドブル社]]の「'''レッドブル'''」を指しているが、[[日本プロサッカーリーグ#クラブ名称表記|Jリーグのクラブ名には企業名を冠さない]]という事情のため、[[RBライプツィヒ]]と同様、公式には「'''Rasen Ballsport'''」(ラーゼン・バルシュポルト、ドイツ語による造語で「芝生の球技」≒[[フットボール]]を意味する)の略であるとしている<ref>{{Cite web|title=RB大宮株式会社 クラブプロパティ変更のお知らせ|url=https://www.rbomiya.com/news/?id=43448|website=www.rbomiya.com|access-date=2025-09-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20241106-OHT1T51037.html|title=J3大宮、新クラブ名は「RB大宮アルディージャ」に決定 「Rasen Ballsport」の略|date=2024-11-06|accessdate=2025-10-02|publisher=[[報知新聞社]]}}</ref>。
== 概要 ==
1969年に設立された電電関東サッカー部(1985年の[[日本電信電話公社]]の民営化・[[NTT]]への改組により「[[NTT関東サッカー部]]」に改名)を母体とする。1999年にJリーグに加盟。
Jリーグ加盟当初はNTT(1999年のNTT再編時に[[NTT東日本]]へ移管)、[[NTTドコモ]]、[[NTTデータグループ|NTTデータ]]など[[NTTグループ]]18社が出資した「[[NTTグループ#地域通信事業|エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社]]」(NTTスポーツコミュニティ)により運営されてきた。2023年までに株主がNTT東日本に一本化され<ref name="release20240806">{{Cite web |和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/company/|title=会社概要|website=大宮アルディージャ|accessdate=2024-08-06}}</ref>、2024年8月6日にNTT東日本がNTTスポーツコミュニティの全株式と運営権を[[オーストリア]]の飲料メーカー・[[レッドブル (企業)|レッドブル・ゲーエムベーハー]](Red Bull [[有限会社 (ドイツ)|GmbH]])に譲渡することを発表<ref>{{Cite press release|title=エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社のレッドブル・ゲーエムベーハーへの株式譲渡に関するお知らせ|publisher=NTT東日本|date=2024-08-06|url=https://www.ntt-east.co.jp/release/detail/20240806_01.html|和書|accessdate=2024-08-06}}</ref>、株式譲渡後に運営法人名も「'''RB大宮株式会社'''」に変更された([[#経営権の委譲]]を参照)。
クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語で[[リス]]を表す「Ardilla」に由来し、それを読みやすいように変更した造語で([[Ll]]参照)、リスは旧・[[大宮市]]が1990年の市制施行50周年記念時に制定したマスコット<ref name="club">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/|title=クラブ|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2023-12-29}}</ref>。
クラブカラーであるオレンジ(朱色)とネイビー(紺色)は[[氷川神社|大宮氷川神社]]の色で、ホームスタジアムは大宮氷川神社に隣接する。大宮氷川神社の[[お守り]]と[[御朱印帳]]にはアルディージャ柄が存在する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=3220|title=大宮アルディージャ大願成就お守りの販売について|publisher=大宮アルディージャ|date=2012-12-30|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=18030|title=新商品販売のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-12-02|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meijiyasuda.co.jp/brand/ld/jimotonogenki/tsunageru/article/ardija/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210421163248/https://www.meijiyasuda.co.jp/brand/ld/jimotonogenki/tsunageru/article/ardija/|title=大宮アルディージャ|publisher=[[明治安田生命]]|date=2020-10-28|archivedate=2021-04-21|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ar0216/|title=勝負ごとは勝つ!大宮アルディージャ 武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2016-02-17|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ard0127/|title=武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願 大宮アルディージャが2017シーズンに向けて始動|publisher=Acoreおおみや|date=2017-01-26|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ard02/|title=すべては勝利のために 大宮アルディージャ 武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2018-02-18|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ardi02/|title=大宮アルディージャ 新たなスタート。2020年、武蔵一宮氷川神社へ必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2020-02-10|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/hikar12/|title=必勝を祈る 大宮アルディージャと武蔵一宮 氷川神社がコラボした御朱印帳|publisher=Acoreおおみや|date=2021-12-05|accessdate=2022-01-16}}</ref>。またクラブ名(RB)ロゴ色である真紅(ディープレッド)は運営会社の[[レッドブル (企業)|レッドブル]]が由来<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC249B70U4A720C2000000/|title=レッドブル、Jリーグ参入 J3大宮アルディージャを買収|website=日本経済新聞|date=2024-07-26|accessdate=2024-08-08}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=レッドブルがJ3大宮アルディージャ買収発表 NTT東日本から、Jリーグに参入|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC054J40V00C24A8000000/|website=日本経済新聞|date=2024-08-06|access-date=2024-08-07}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|title=大宮アルディージャの株式、レッドブルに譲渡 佐野社長「成功につなげる」 契約締結、譲渡は今年9月を予定 NTT東日本はスポンサー企業に クラブ名の存続などについても言及|url=https://www.saitama-np.co.jp/articles/94284/postDetail|website=埼玉新聞|access-date=2024-08-07|date=2024-08-07}}</ref><ref name="sponichi202402152">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/02/15/kiji/20240215s00002179097000c.html|title=レッドブルJリーグ参入へ J初の外国資本企業オーナー誕生も J3大宮が最有力候補|website=スポーツニッポン|date=2024-02-15|accessdate=2024-08-08}}</ref><ref name=":4">{{cite pressrelease|title=クラブ公式サイトURL変更のお知らせ|publisher=RB大宮株式会社|date=2024-12-26|url=https://www.rbomiya.com/news/?id=43738|accessdate=2024-12-26}}</ref>。
クラブマスコットは
アカデミー
同じく
クラブの伝統は[[堅守速攻|堅守]]・[[カテナチオ]]・[[カウンターアタック|カウンターフットボール]]で「SPEEDY」「ACTIVE」「AGGRESSIVE」をキーワードに掲げている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/opening-game_2015/analysis/omiya.html|title=J1&J2クラブの戦力を徹底分析|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2023-12-29}}</ref>{{R|club}}。初代のエンブレム内の5本ストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動き、エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスを表現している{{R|club}}。
大宮は元々は堅守速攻のクラブではなく、[[ピム・ファーベーク]]と[[三浦俊也]]が構築した[[トータルフットボール]]を主軸にしていたが、守備や堅守自体はその当時から重視していた。2005年からはJ1の強豪クラブと互角に戦うために堅守速攻を主軸にし、2013年度まで堅守速攻が大宮の伝統として確立していた(2008年度のみ[[ポゼッションフットボール|攻撃的ポゼッションフットボール]])。堅守速攻の中でも特に守備を徹底した監督は[[ズデンコ・ベルデニック]]<ref name="nikkei_20130503">{{Cite web|和書|title=大宮、堅守で初の首位 「もしかしたら…」に現実味|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZZO54569130R00C13A5000000/|publisher=[[日本経済新聞]]|author=大住良之|authorlink=大住良之|date=2013-05-03|accessdate=2021-05-26}}</ref><ref name="number2016003">{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/826591|title=「大宮=アトレティコ」という仮説。最後の一押しは、監督の黒シャツ!?|publisher=[[Sports Graphic Number|Number Web]]|author=松本宣昭|date=2016-10-03|accessdate=2021-05-26}}</ref>。
その後、2024年度まではスタイルが定まらずに低迷し、[[J2リーグ]]降格・[[J3リーグ]]降格と没落していったが、2024年度より強化部に専門家を採用し、[[リトリート]]・ロングカウンター・攻守[[ハードワーク]]の三基軸を重視した手堅い[[カテナチオ]][[堅守速攻]]型への転換・スタイル固定に舵を切った事によりクラブの勝率は向上し、J3リーグ優勝した<ref name=":0">{{Cite web |title=大宮アルディージャ 2024 チームスタイル[攻撃セットプレー] {{!}} データによってサッカーはもっと輝く {{!}} Football LAB |url=https://www.football-lab.jp/omiy/style?year=2024 |website=www.football-lab.jp |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref>。
== 歴史 ==
=== Jリーグ参入前 ===
{{main|NTT関東サッカー部}}
1969年に大宮アルディージャの前身である'''[[NTT関東サッカー部|電電関東サッカー部]]'''(本拠地は[[埼玉県]][[浦和市]])が設立される。1985年に民営化により[[日本電信電話公社]]が[[NTT]]となったことに伴い、「'''NTT関東サッカー部'''」へと改名。1987-1992年に[[日本サッカーリーグ]]2部、1993年からは[[ジャパンフットボールリーグ]]に在籍した。
1997年に[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年に誘致のあった埼玉県[[大宮市]]に本拠地を移し、チーム名を「'''大宮アルディージャ'''」に改名。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、[[ピム・ファーベーク]]が監督に就任し、[[トータルフットボール]]と組織力を重視した。同年12月に[[NTT東日本]]を中心とした[[NTTグループ]]と関連企業18社の出資による運営会社である「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された<ref group="注">法人設立当時は[[持株会社]]移行前で[[NTT|日本電信電話]](NTT)本体が株主だったが、[[1999年]][[7月]]の持株会社移行後はNTT東日本が親会社となった</ref>。1999年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。
=== 1999年 - 2004年(J2) ===
; [[1999年のJリーグ ディビジョン2|1999年]]
: [[ピム・ファーベーク]]体制2年目。序盤は首位争いをしていたが、5月に得点源・牽引役であった[[ヨルン・ブーレ]]が深夜に暴漢に襲われ、左眼失明の重傷を負って引退。その後に大宮は失速し、最終順位6位。
; [[2000年のJリーグ ディビジョン2|2000年]]
: [[三浦俊也]]が監督に就任。J2に降格した[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]とリーグ戦初の[[さいたまダービー]]が開催された。
; [[2001年のJリーグ ディビジョン2|2001年]]
: 三浦体制2年目。第11節から12連勝、第8節から17戦無敗を記録し、前半戦は勝点50の首位だったが、後半は[[ジョルジェ・ルイス・デ・アモリン・シルヴァ|ジョルジーニョ]]と[[ホルヘ・デリー・バルデス|バルデス]]が重傷を負い、得点力が低下。新加入の[[ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー|バレー]]が活躍したが、チームは不調に陥り、最終順位5位。
; [[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002年]]
: [[ヘンク・デュット]]が監督に就任。年間を通じて4-8位の間を行き来する順位となり、1度も昇格圏内に入れずに最終順位6位。
; [[2003年のJリーグ ディビジョン2|2003年]]
: [[菅野将晃]]が監督に就任。序盤は6戦無敗で一時2位に上がると、その後は昇格圏に入れず、10月に菅野が退任し、ゼネラルマネージャーの[[清雲栄純]]が監督に就任。最終順位6位。
; [[2004年のJリーグ ディビジョン2|2004年]]
: [[三浦俊也]]が2001年度以来となる監督に就任。前半は一時8位であったが、第19節から6戦無敗で2位に上がると、第32節からは年度終了まで13連勝し、最終順位2位で初J1昇格を果たした。
=== 2005年 - 2014年(J1) ===
; [[2005年のJリーグ ディビジョン1|2005年]]
:* クラブスローガンは「'''「Departure」→走り出す大宮→'''」。
:三浦体制2年目。元ブラジル代表FWクリスティアンや、地元大宮出身の攻撃的MF[[桜井直人]]、元日本代表[[藤本主税]]などを補強した。前半戦は強豪とほぼ互角の試合を演じ、一桁順位を推移。J1初挑戦にしてはまずまずの成績を残していたが、シーズン中のクリスティアンの移籍や、桜井をはじめ故障者が続出するなどチームは悪循環に陥り、7連敗。16位まで順位を下げた。しかし、降格争い真っ只中の第29節からは、[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]]や[[若林学]]の活躍により4連勝と持ち直し、第32節にして15位以上が確定、J1残留を決めた。12勝5分17敗で最終順位13位。[[Jリーグカップ|ナビスコ杯]]ベスト8、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ベスト4。
; [[2006年のJリーグ ディビジョン1|2006年]]
:* クラブスローガンは「'''OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂'''」。
: 三浦体制3年目。DFに[[柏レイソル|柏]]から[[土屋征夫]]、[[波戸康広]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]からMF[[小林慶行]]、[[小林大悟]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[佐伯直哉]]、FWには[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[吉原宏太]]、上海クラブから[[サウル・マルティネス]]、[[大分トリニータ|大分]]からGK[[江角浩司]]など即戦力選手を大型補強。また、シーズン途中からFWロドリーゴ・グラウ(元横浜F・マリノス)も入団。さらにシーズン終盤にブラジル人FWのアリソンを迎え、チームの新戦力として期待されたがチーム浮上のきっかけとはならず、13勝5分16敗で最終順位12位。
; [[2007年のJリーグ ディビジョン1|2007年]]
:* クラブスローガンは「'''シンカ ~進化、真価、深化'''」。
: [[ロバート・ファーベーク]]([[ピム・ファーベーク|ピム]]の弟)が監督に就任。前半で16位となり、ロバートが退任し、強化育成部長の[[佐久間悟]]が監督に就任した。開幕から4連敗を喫しスタートダッシュに失敗、その後も15節から9戦勝ちなしを記録するなど調子が上がらずに降格圏を彷徨ったが、夏に[[ペドロ・ジュニオール]]、[[デニス・マルケス]]を獲得するなど大型補強を敢行。ここから調子が少しずつ上向きになっていき、第24節には首位の浦和を破るなど健闘。第30節には残留圏に浮上し、第33節FC東京に勝利して残留を決めた。8勝11分15敗で最終順位15位。リーグワースト2位の24得点と攻撃面では苦しんだが、40失点はリーグ7位と守備では奮闘した。
; [[2008年のJリーグ ディビジョン1|2008年]]
:* クラブスローガンは「'''シンカ NEXT~進化、真価、深化'''」。
: 三浦の監督退任時から監督就任を依頼していた[[樋口靖洋]]が監督に就任。攻撃的サッカーを志向し、第5節から5戦無敗であったが、その後に5試合未勝利となり低迷。その後に連勝したが、第24節からは6連敗を喫し、降格圏の17位に下がる。しかし終盤に再度5戦無敗となり、12勝7分15敗で最終順位12位。
; [[2009年のJリーグ ディビジョン1|2009年]]
:* クラブスローガンは「'''橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009'''」。
: [[張外龍]]が監督に就任。開幕から5戦無敗であったが、怪我人が続出し、第6節から4連敗と低迷し、シーズン通して降格圏に落ちることは無かったが伸び悩んだ。9勝12分13敗で最終順位13位。
; [[2010年のJリーグ ディビジョン1|2010年]]
:* クラブスローガンは「'''橙想心 より強く、より高く、より深く'''」。
: 張体制2年目。[[塚本泰史]]の右大腿骨[[骨肉腫]]が判明。7試合未勝利で17位に下がり、張が退任。[[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]が監督に就任すると、チーム状態は上昇し、第15節から5戦無敗となった。10月2日の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦にて観客数の水増しが発覚。クラブ側は当初全面否定したが、翌日にリーグ事務局による本格調査が入ると一転して事実を認め、その後の調査で2007年11月以降の主催58試合で各試合4000人以上、合計111737人の水増しが行われていたことが明らかになった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201010/cinfo20101019-02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140711213522/https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201010/cinfo20101019-02.html|title=ホームゲーム開催時の入場者数に関する調査結果等のご報告|publisher=大宮アルディージャ|date=2010-10-19|archivedate=2014-07-11|accessdate=2023-12-29}}</ref>。10月に[[渡邉誠吾]]の代表取締役退任と[[鈴木茂]]の代表取締役就任を発表<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?75581-65809-fl|title=観客水増し問題の大宮、新社長を発表|newspaper=[[ゲキサカ]]|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.saitama-np.co.jp/news/2016/06/09/02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160814232627/https://www.saitama-np.co.jp/news/2016/06/09/02.html|title=J1大宮・新社長に森氏、取締役会で正式決定へ 鈴木氏は6月末退任|newspaper=[[埼玉新聞]]|date=2016-08-14|archivedate=2016-08-14|accessdate=2023-01-11}}</ref>。11月16日に譴責(始末書提出)と制裁金2000万円の処分が課せられた<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201011/cinfo20101116-01.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140711161227/http://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201011/cinfo20101116-01.html|title=Jリーグからの制裁について|publisher=大宮アルディージャ|date=2010-11-16|archivedate=2014-07-11|accessdate=2023-12-29}}</ref>。最終順位12位。
; [[2011年のJリーグ ディビジョン1|2011年]]
:* クラブスローガンは「'''上昇宣言 ~リスの木登り~'''」。
: 鈴木体制2年目。東日本大震災の影響でレギュレーションに変化があった。後半では第18節から5試合未勝利、第19節から5試合未勝利と15位まで下がった。10勝12分12敗で最終順位13位。
; [[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012年]]
:* クラブスローガンは「'''上昇宣言2012 ~リスの木登り~'''」。
: 鈴木体制3年目。現役復帰を断念した[[塚本泰史]]が大宮アンバサダーに就任し、7年間在籍したエースの[[藤本主税]]が熊本に移籍。 第12節からの連敗で15位に下がると、鈴木とヘッドコーチの[[石井知幸]]を解任。[[ズデンコ・ベルデニック]]が監督に就任し、ユースコーチの[[井上卓也 (サッカー指導者)|井上卓也]]がヘッドコーチに就任。ベルデニックは監督就任早々に守備の立て直しに着手した{{R|nikkei_20130503}}<ref name="sakadai_20200430">{{Cite web|和書|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72298|title=【番記者コラム】大宮の歴史に強烈なインパクトを刻んだ「不敗街道」|publisher=[[サッカーダイジェスト|サッカーダイジェストWeb]]|date=2020-04-30|accessdate=2021-12-05}}</ref>{{R|number2016003}}。以前のベルデニックは3バックを使用していたが、大宮ではフォーメーションを4-4-2に固定した{{R|nikkei_20130503}}{{R|number2016003}}。守備を徹底し、選手全員が最前線からハードワークを行い、中盤を詰めてチームをコンパクトに保ち、ハイプレスでボールを奪ってシンプルにFWに繋ぐ[[堅守速攻]]スタイルの訓練を積み重ねた{{R|nikkei_20130503}}{{R|sakadai_20200430}}{{R|number2016003}}。選手の役割は柔軟にさせるのではなく、予め固定し、戦い方はシンプル・簡潔に「ボールを奪ったらFWを見ろ」と選手に徹底した{{R|nikkei_20130503}}{{R|sakadai_20200430}}。[[アトレティコ・マドリード]]の[[ディエゴ・シメオネ]]が使用する4-2-2-2の強固ブロックも採用した(ただしベルデニックはハイライン、シメオネはローラインである){{R|nikkei_20130503}}。また夏の移籍期間に絶対的エースであった[[ラファエル・マルケス・マリアーノ|ラファエル]]を移籍させるなどの大鉈を振るった。補強面ではスロベニア代表の[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]と[[ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチ|ノヴァコヴィッチ]]を獲得{{R|nikkei_20130503}}。[[金澤慎]]によると、ベルデニックは短期間でチームに自分のサッカースタイルを浸透させたというが{{R|sakadai_20200430}}、どちらも効果が早く表れず、降格圏の17位に下がった。しかしその後に効果が表れ始め、最終節までの11試合が5勝6分の無敗・複数失点0となり{{R|nikkei_20130503}}、11勝11分12敗で最終順位13位。
; [[2013年のJリーグ ディビジョン1|2013年]]
:* クラブスローガンは「'''大宮共闘'''」。
: ベルデニック体制2年目。[[堅守速攻]]スタイルが昨シーズンよりも浸透した{{R|sakadai_20200430}}。[[曺永哲|チョ・ヨンチョル]]、ズラタン、ノヴァコヴィッチなどの各国代表クラスの選手が在籍していたが、日本代表未経験選手らを中心としたハードワークで勝利を積み重ね{{R|nikkei_20130503}}第4節から7連勝、前年度終盤から続いた合計21戦無敗を記録し、当時のJ1リーグ連続無敗記録を更新した(それ以前の最高記録は2009年の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]による17試合連続無敗{{R|nikkei_20130503}})。第8節には柏をアウェイで4-0で粉砕しクラブ初の首位に浮上。その後も勝利を続け、このまま独走するかに思われた。しかし、真夏が近づくに連れ、ハードワークを要求される選手達の疲労が蓄積し、選手間でもハードな練習メニューに対する不満の声が出るようになった<ref name="soccerking201308132">{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20130813/128685.html|title=「電撃」解任ではなかった監督交代劇…試される大宮の団結力|newspaper=[[フロムワン|サッカーキング]]|author=上野直彦|date=2013-08-13|accessdate=2022-01-23}}</ref>。第17節 川崎戦にて逆転負けの3敗目後に首位から転落すると、ヘッドコーチの[[小倉勉]]がテクニカルディレクターに就任したが<ref name="soccerking201308132" />、チームは連敗を続け、8月11日にベルデニックを解任<ref name="soccerking201308132" />。ゼネラルマネージャーの[[岡本武行]]が監督代行で1試合指揮を取った後、小倉が監督に就任したが、第16節からの連敗は8まで伸びた。第24節横浜FM戦では勝利するも、次節からまた8連敗するなど大失速し、14勝3分17敗で最終順位14位。シーズン終了後に岡本と強化部長の[[古矢武士]]が退任。
; [[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014年]]
:* クラブスローガンは「'''大宮共闘'''」。
: [[大熊清]]が監督に就任。海外クラブに在籍していた日本代表の[[家長昭博]]を完全移籍で獲得するなど戦力補強を進めた。大宮は長年[[堅守速攻]]を採用していたが、大熊は[[ポゼッションフットボール]]を採用し、これを起点に大宮は毎年スタイルが変わり続けるようになっていった。前半では8位となったが、その後に7戦未勝となり、降格圏に下がる。その後に10戦未勝となり、8月31日に大熊を解任。コーチの[[渋谷洋樹]]が監督に就任し、6戦で5勝1敗となったが、第29節からの5戦未勝で低迷。最終節勝利の上で残留を争っていた[[清水エスパルス|清水]]が負ければ残留という状況だったが、[[清水エスパルス|清水]]は[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に引き分け、このため勝ち点で1及ばず9勝8分17敗の16位でJ2降格となった。
=== 2015年(J2) ===
{{See also|2015年のJ2リーグ#リーグ概要}}
* クラブスローガンは「'''挑む 頂点へ、未来へ'''」。
:渋谷体制2年目。渋谷は自らがコーチとして師事した初代監督の[[ピム・ファーベーク]]のスタイルである[[ポゼッションフットボール]]を志向し、攻撃的スタイルを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201508250005-spnavi|title=首位独走を支える2人の偉大なGK J2・J3漫遊記 大宮アルディージャ|author=宇都宮徹壱|authorlink=宇都宮徹壱|publisher=スポーツナビ|date=2015-08-26|accessdate=2022-01-23}}</ref>。前年度では不調であった[[家長昭博]]を司令塔MFからFWへ変更させ、最前線に配置し、得点力を大幅に向上させるなど、家長の潜在能力を開花させた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/?year=2015|title=大宮アルディージャ 2015 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2022-01-23}}</ref>。また家長はこの年を機にFWとしてプレーすることが主となっていった。序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定し、第15節に首位になると首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、圧倒的な勢いで快進撃を続けた。第41節[[大分トリニータ|大分]]戦にて2点を先行されるもムルジャの2得点、家長の逆転PKで勝利<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151114/369955.html|title=大宮がJ1昇格&J2優勝…磐田と福岡が自動昇格を争う/J2第41節|newspaper=サッカーキング|date=2015-11-14|accessdate=2022-01-23}}</ref>。J2優勝とJ1復帰を果たした。
=== 2016年 - 2017年(J1) ===
; [[2016年のJ1リーグ|2016年]]
:* クラブスローガンは「'''挑む より高みへ、未来へ'''」。
: 渋谷体制3年目。「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を目標に掲示し、後の日本代表である[[江坂任]]などを補強。前年度の[[ポゼッションフットボール|攻撃的ポゼッションフットボール]]を止め、自陣へと退いて堅守し、ボールを奪ってロングカウンターで得点する[[堅守速攻|ロングカウンター型堅守速攻]]で手堅く勝利を積み重ねていった{{R|number2016003}}。またその戦術が[[アトレティコ・マドリード]]の[[ディエゴ・シメオネ]]の戦術と類似していたため、大宮とアトレティコは報道機関から比較されることがあった{{R|number2016003}}。6月に[[鈴木茂]]が代表取締役を退任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=10897|title=代表取締役社長 鈴木茂より退任のご挨拶|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref>、7月1日に[[森正志]]が代表取締役に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=10900|title=代表取締役社長 森正志より就任のご挨拶|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref>。2nd第10節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦の試合終了後に選手間での乱闘、サポーター間での衝突が発生<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2016/0924_1.html|title=9/17 大宮戦でのトラブルについて【報告】|publisher=[[川崎フロンターレ]]|date=2021-09-06|accessdate=2023-01-13}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160917/494355.html|title=大久保退場で10人の川崎、一時は逆転も乱打戦落とす 大宮MF江坂が劇的決勝弾|newspaper=サッカーキング|date=2021-11-12|accessdate=2023-01-13}}</ref>。2nd第14節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦にて勝利し(カシマサッカースタジアムでのクラブ史上初勝利)、目標の「勝ち点48」以上の勝ち点50を達成。最終的に勝ち点は56まで伸び、順位は5位でクラブ史上最高順位を記録した。Jリーグカップでは予選トーナメント2位により2005年以来の決勝トーナメント進出となり、準々決勝の[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦ではホーム第1戦は勝利、アウェー第2戦は敗北し、アウェーゴール差で準々決勝敗退となった。天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが、川崎に敗北。
; [[2017年のJ1リーグ|2017年]]
:* クラブスローガンは「'''挑む ~より強く、未来へ。~'''」。
: 渋谷体制4年目。前年度までのエースの[[家長昭博]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]、[[泉澤仁]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]に移籍したが、家長の穴を埋める新エースの[[大前元紀]]と期限付き移籍で在籍していた[[マテウス・ドス・サントス・カストロ|マテウス]]を完全移籍加入で獲得。
: この年は前年度の[[堅守速攻]]から2015年度の[[ポゼッションフットボール]]にスタイルを戻したが、開幕より6連敗で最下位となり、G大阪戦では6失点の大敗を喫した。さいたまダービーの[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和戦]]にて年度初勝利となったが、チームは不調を脱することはできず、5月28日に渋谷とヘッドコーチの[[黒崎久志]]を解任、コーチの[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]が監督、[[海本慶治]]がヘッドコーチに就任。伊藤はフォーメーションを4-1-4-1に変え、ポゼッションフットボールを継続し、1トップの[[江坂任]]が得点源となり<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/828475|title=大宮降格回避へ得点量産モード! 江坂任の“消えてから決める”技。|publisher=Number Web|author=佐藤俊|date=2017-07-17|accessdate=2022-01-23}}</ref>、一時は降格圏を脱出するが、中断期間に補強した[[カウエ・セシリオ・ダ・シルバ|カウエ]]、[[マルセロ・アパレシド・トスカーノ|マルセロ・トスカーノ]]、[[金東秀 (1995年生)|キム・ドンス]]が機能せず、チームは再度降格圏に入った。残試合3節となった11月5日に伊藤と強化本部長の[[松本大樹 (サッカー選手)|松本大樹]]の解任、[[石井正忠]]の監督、スカウトの[[西脇徹也]]の強化本部長就任を発表<ref name="sakadai_20171108">{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=32213|title=大宮・石井新監督が涙を浮かべ決意。“古巣”の窮地救うべく伝統の「堅守速攻」回帰へ|newspaperサッカーダイジェストWeb|date=2017-11-08|accessdate=2018-11-27}}</ref>。石井は監督就任会見時に涙を浮かべ、残留のためにポゼッションフットボールから堅守速攻へとスタイル変更するなど大舵を切ったが{{R|sakadai_20171108}}、第32節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦の敗戦と第33節[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦での引き分けによりJ2降格が決定<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171126/673372.html|title=大宮、2014年以来2回目のJ2降格…石井監督招聘も立て直せず|newspaper=サッカーキング|date=2017-11-26|accessdate=2022-01-23}}</ref>。最終節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦では0-5で大敗を喫した。第28節終了時点では勝ち点差が10あった[[アルビレックス新潟|新潟]]にもここでまくられ、最下位でのJ2降格となった<ref group="注">新潟は最終節までの6試合で5勝1分の勝ち点16を得たのに対し、大宮は3分3敗の勝ち点3のみしか挙げられなかった。</ref>。ちなみにこの試合では、奇しくも前年度までの大宮のエースであった家長が川崎の選手として出場しており、川崎はこの試合でJ1優勝が決定した。
=== 2018年 - 2023年(J2) ===
; [[2018年のJ2リーグ|2018年]]
:* クラブスローガンは「'''ONE 勝利のために'''」。
: 石井体制2年目。スローガンは石井を中心に考案された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=13894|title=2018シーズン チームスローガン決定のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2018-01-14|accessdate=2018-07-16}}</ref>。[[江坂任]]、[[黒川淳史]]、[[瀬川祐輔]]、[[和田拓也 (サッカー選手)|和田拓也]]などの主力選手が移籍したが、[[奥抜侃志]]、[[笠原昂史]]、[[酒井宣福]]、[[佐相壱明]]、[[嶋田慎太郎]]、[[ロビン・シモヴィッチ]]、[[富山貴光]]、[[中村太亮]]、[[三門雄大]]が加入し、シーズン途中では[[畑尾大翔]]が加入するなど、後に大宮の主力になっていった有力選手が多く加入した。
: 石井はエースの[[大前元紀]]を軸とした4-4-2のフォーメーションを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/?year=2018|title=大宮アルディージャ 2018 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2019-12-27}}</ref>。前年度終盤の守備的な[[堅守速攻|堅守速攻フットボール]]とは異なり「まずは自ら前に出てアクションを起こす」というようなアグレッシブさを徹底し、ハードワーク、ハイプレス、中央突破のショートカウンター、DFの裏を狙う事を重視し、[[ポゼッションフットボール]]と[[カウンターアタック]]を取り入れたシンプルでアクティブな躍動感のある積極的フットボールを志向した<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/829863?page=3|title=大宮のJ1復帰は「誰」なのか。戦う男・三門雄大と大前元紀の復活。|publisher=Number Web|author=佐藤俊|date=2018-02-08|accessdate=2022-01-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.targma.jp/omiya/2018/11/03/post9982/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181127193733/https://www.targma.jp/omiya/2018/11/03/post9982/|title=石井正忠監督「自分から前にアクションを起こすというところを数多くやってほしい」【練習コメント】|newspaper=タグマ!|date=2018-11-03|archivedate=2018-11-27|accessdate=2018-11-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2018|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2018 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2023-01-13}}</ref>。前半は守備面では浸透に時間がかかり<ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2018/04/16/j2_2/index.php|author=小宮良之|authorlink=小宮良之|title=大宮アルディージャ、降格のJ2でも崖っぷち。本当に浮上できるのか|publisher=[[Sportiva|web Sportiva]]|date=2018-04-16|accessdate=2022-01-30}}</ref>、19位に下がったが、第10節から第12節まで3連勝したことでシーズン初連勝を記録。第16節から第23節まで8戦無敗を記録するなど好調を取り戻し、順位を徐々に上げていき、J1参入プレーオフ圏内に入った。[[J1参入プレーオフ]]は1回戦で[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に敗れた。大前が24得点でリーグ得点王に輝き、チーム総得点も65と大分・千葉に続くリーグ3位となる一方、失点48(優勝の[[松本山雅FC|松本]]を14点下回る)と守備面の問題が浮き彫りになったシーズンであった。
; [[2019年のJ2リーグ|2019年]]
:* クラブスローガンは「'''121%ORANGE'''」。
: [[高木琢也]]が監督に就任。大規模改革や人事異動などは行われずにコーチ陣は続投し、移籍も少数に留まった。
: 高木は前年度の[[石井正忠]]による前線を重視するアグレッシブな積極的スタイルとは打って変わり、冷静な守備的フットボールを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2019|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2019 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2023-01-13}}</ref>。大宮が長年採用した4バックではなく3バックを採用し、3-4-2-1をフォーメーションとした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/|title=大宮アルディージャ 2019 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2020-01-06}}</ref>。3バックへの変更によりサイド攻撃が減少し、カウンターによる中央突破が多くなり、前年度よりもポゼッション比率が減少<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2019 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2019-12-27}}</ref>。序盤4試合はスタートダッシュに失敗したが、第5節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦から第20節[[ツエーゲン金沢|金沢]]戦までの3ヶ月間で16戦無敗を記録。最終順位3位で2年連続の[[J1参入プレーオフ]]出場となったが、一回戦の[[モンテディオ山形|山形]]戦にて敗北し、2年連続でJ1復帰を逃した。
; [[2020年のJ2リーグ|2020年]]
:* クラブスローガンは「'''WIN☆WIN'''」。
: 高木体制2年目。[[原崎政人]]と[[藤原寿徳]]がコーチを退任、[[北嶋秀朗]]と[[松本拓也 (1980年生のサッカー選手)|松本拓也]]がコーチに就任。開幕前からシーズン終了までの入団選手は19名に上り、開幕前退団選手においては主将・エース・背番号10番を兼任していた[[大前元紀]]を始め、得点源の[[フアンマ・デルガド]]、ベテラン選手、成績不振の選手を放出し、合計17名の大量放出となった。補強面では期限付き移籍していた新エースの[[黒川淳史]]が復帰。基本フォーメーションは3-4-2-1を継続し、[[ポゼッションフットボール]]を採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2020|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2020 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2021-05-26}}</ref>。主力放出やポゼッションフットボールへのスタイル変更などが大きく影響し、この年からチームは最終順位を毎年大きく下げるなど、急激に弱体化をし始めることとなった。開幕から4連勝とスタートダッシュに成功したが、その後に徐々に低迷し、第9節[[アビスパ福岡|福岡]]戦から7戦未勝となった。シーズン途中で[[イバ・ラーヤブ|イバ]]を補強したが、その後も低迷を続けた。後半も第24節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦から7戦未勝となり、第28節終了時点で17位まで転落。怪我人も続出し、他チームへの期限付き移籍中選手を呼び戻すなどの緊急補強が行われたが、最終順位15位でクラブ史上最低順位を記録。
; [[2021年のJ2リーグ|2021年]]
:* クラブスローガンは「'''SHOW 勝つ、笑う、昇格する'''」。
: [[森正志]]が代表取締役を退任、2月1日付で[[佐野秀彦]]が代表取締役に就任。[[大分トリニータ|大分]]でヘッドコーチを務めていた[[岩瀬健]]が監督に就任<ref>{{Cite news|url=https://soccermagazine.jp/j2/17425379|title=【大宮】岩瀬健監督はただ勝利のために。「すべての試合に勝って昇格するつもりです」|newspaper=[[サッカーマガジン|サッカーマガジンWEB]]|date=2021-01-17|accessdate=2021-05-25}}</ref>。[[馬渡和彰]]、[[櫛引一紀]]、[[松本大弥]]、[[矢島輝一]]、[[松田詠太郎]]、[[中野誠也 (サッカー選手)|中野誠也]]といった実力者や、[[後藤大輝]]、[[佐相壱明]]、[[上田智輝]]といった若手が加入(期限付きを含む)、大宮U-18から[[柴山昌也]]と[[大澤朋也]]が昇格<ref>{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=84910|title=【大宮|新体制】新指揮官の下、4度目の正直へ――。“変革のシーズン”がいよいよスタート|newspaper=サッカーダイジェストWeb|date=2021-01-17|accessdate=2021-05-25}}</ref>。岩瀬はチームの将来を見据えて様々なスタイルを試したものの、岩瀬の志向する能動的なサッカーが機能せず、第7節で最下位に転落、クラブ側が緊急声明を発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17400|title=大宮アルディージャを愛する全ての皆さまへ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-04-28|accessdate=2023-11-15}}</ref>。以後も状況は好転せず、第15節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦終了時点で2勝5分8敗(20位)かつ10試合未勝利となり、5月25日に岩瀬とフットボール本部長の[[西脇徹也]]を解任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17476|title=岩瀬健監督 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17477|title=西脇徹也 フットボール本部長 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref>。大宮トータルアドバイザー・[[大宮アルディージャVENTUS|VENTUS]]総監督の[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]が暫定的に監督に就任、[[秋元利幸]]が強化部長代理に就任し、代表取締役の佐野自らが本部長と強化部長を兼任する事態となった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17475|title=トップチーム体制変更について|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref>。長期的視点に立っていた岩瀬に対し、佐々木は「現実的なサッカー」を掲げた<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105270000611.html|title=大宮暫定指揮の佐々木則夫氏「現実的なサッカーを」 “ノリさん”呼ばせる|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2021-05-27|accessdate=2021-05-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://soccermagazine.jp/j2/17456050|title=【大宮】理想に振れたチームを立て直す。佐々木則夫監督「現実的に戦って勝ち点3を積む!」|newspaper=サッカーマガジンWEB|date=2021-05-28|accessdate=2021-05-29}}</ref>もののリーグ戦で2敗。6月9日の[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会#2回戦|天皇杯2回戦]][[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦にて佐々木は[[三門雄大]]をベンチキャプテンに指名したが<ref name="sakadai_20210615">{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=92909|title=まさかの大不振に陥った大宮が新体制でリスタート! 早速効果が見えた“霜田マジック”に「確実に変わっている」|newspaper=サッカーダイジェストWeb|accessdate=2021-06-16}}</ref>、敗戦となり、佐々木体制は全敗で終了した。
: 天皇杯直前の6月7日に[[レノファ山口FC|山口]]などで指揮経験のある[[霜田正浩]]の監督就任を発表<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17506|title=霜田正浩 監督 就任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-06-07|accessdate=2021-06-07}}</ref>。霜田は選手のメンタル面の改善と、前を向いて戦う姿勢をチームに求め{{R|sakadai_20210615}}<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/113065|title=<国吉好弘の埼たまNOW>大宮新体制 引き分け発進に光明も|newspaper=[[東京新聞]]|date=2021-06-27|accessdate=2021-06-27}}</ref>、主将も[[渡部大輔 (サッカー選手)|渡部大輔]]から三門へ変更。[[栃木SC|栃木]]・[[松本山雅FC|松本]]相手の2分を挟み、第20節・山口戦にて16戦ぶり(リーグ戦15戦ぶり)に勝利<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202106270001265.html|title=J2大宮公式戦16試合ぶり白星 霜田監督就任3戦目で初勝利「感動した」|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-06-27|accessdate=2021-06-28}}</ref>。
: 後半戦では中断期間に補強した[[南雄太]]と[[河田篤秀]]が活躍したが、リーグ終盤になると勝ち点3を目指す攻撃的なポゼッションスタイルが相手カウンターの餌食になり再び失点が増加<ref name="u-soccer_20211208">{{Cite web|和書|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=408532|title=J3降格危機に陥った大宮の原因/六川亨の日本サッカーの歩み|publisher=[[超ワールドサッカー|超ワールドサッカー!]]|date=2021-12-08|accessdate=2023-11-15}}</ref>。最終6試合は勝ち点を手堅く稼ぐ現実的なスタイルに切り替えてJ2残留を目指し、第42節・[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦にて7試合ぶりに勝利したことでJ2残留が確定{{R|u-soccer_20211208}}。最終順位16位でクラブ最低順位である昨シーズンの15位を下回った。
; [[2022年のJ2リーグ|2022年]]
:* クラブスローガンは「'''ひたむき'''」。
: 霜田体制2年目。[[河本裕之]]の現役引退を始め、大宮一筋の[[渡部大輔 (サッカー選手)|渡部大輔]]、エースの[[黒川淳史]]、[[イバ・ラーヤブ|イバ]]、[[翁長聖]]、[[笠原昂史]]、[[河面旺成]]、[[櫛引一紀]]、[[フィリップ・クリャイッチ]]、[[ネルミン・ハスキッチ]]、[[松田詠太郎]]、[[馬渡和彰]]、長きに亘ってチームを支えたコーチの[[大塚真司]]及びGKコーチの[[渡邉英豊]]など、多くの主力選手や長期在籍スタッフが退団。一方で2016年まで大宮に所属していた[[泉澤仁]]や元日本代表の[[矢島慎也]]が完全移籍で加入。[[秋元利幸]]が正式に強化部長に就任し、2019年に大宮にて引退した[[金澤慎]]がコーチに就任。大宮は毎年豊富な資金力で外国籍選手を揃えていたが、この年は方針を転換しクラブ史上初となる外国籍選手の開幕時無在籍となった<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/01/09/kiji/20220109s00002180038000c.html|title=大宮 今季外国人なし 霜田監督「リスタートの年にしたい」|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|date=2022-01-09|accessdate=2023-11-15}}</ref>。
: シーズン前に「攻守共にひたむきにハードワークして走り勝つフットボール」のスタイルを掲げ<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=18161|title=「2022大宮アルディージャトップチーム新体制発表記者会見」実施レポート|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-01-15|accessdate=2022-01-16}}</ref>、前年シーズン終盤以前のスタイルを継続したものの、失点の多さは改善できず、怪我人が続出するなど悪い流れの歯止めがきかなくなり成績は低迷<ref name="zadankai_2023">{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/digitalvamos/?id=39087|title=緊急開催! 番記者座談会 前編|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-06-29|accessdate=2023-01-11}}</ref>。第15節[[いわてグルージャ盛岡|岩手]]戦での敗戦が引き金となり{{R|zadankai_2023}}、4勝5分9敗の20位となった第18節終了後の5月26日に霜田を解任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=38914|title=霜田正浩 監督 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-05-26|accessdate=2022-05-26}}</ref>。後任に前[[鹿島アントラーズ|鹿島]]監督の[[相馬直樹]]を招聘する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=38915|title=相馬直樹 監督 就任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-08-04|accessdate=2023-01-12}}</ref>。相馬は高い運動量や強度、素早く攻守を切り替えて戦う姿勢を重視した<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20220615-OHT1T51156.html?page=1|title=J2大宮・相馬監督「遊びじゃないんだ」「やってほしいのは切り替えだ!」 大声張り上げ熱血指導|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2023-01-12|accessdate=2023-01-12}}</ref>が、シーズン中のスタイルの大転換はシーズン途中から主将を務めたFW[[富山貴光]]がシーズン終了後に「チームとしてすごく迷いが生じました」と語る<ref name="spnavi20221111">{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2022111000001-spnavi|title=J2で過去最低成績の大宮に何が起きていたのか? 主将・富山が語る「迷い」|publisher=スポーツナビ|date=2022-11-11|accessdate=2023-11-16}}</ref>ように、チーム状況が大きく改善することはなかった。8月にはエース[[奥抜侃志]]の海外移籍など苦境は続いたが、冨山と矢島の「前線からプレスをかける守備をやりたい」との提案でようやく方向性が定まり、最終的に残留を果たした<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/news/20221123-OYTNT50256/|title=大宮なんとか残留 J2・19位|newspaper=[[読売新聞]]|date=2022-11-24|accessdate=2023-11-16}}</ref>。最終順位19位でクラブ最低順位である2021・2022年の順位を下回った{{R|spnavi20221111}}。
; [[2023年のJ2リーグ|2023年]]
:* クラブスローガンは「'''UNITE ONE ~限界の先へ~'''」。
: 相馬体制2年目。クラブ創立25周年。2020年15位、2021年16位、2022年19位と、2020年から急激に弱体化していったチームは2018年度から毎年目標に定めていたJ1昇格は強調しなかった<ref name="sponichi_20230110">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2023/01/10/kiji/20230110s00002180180000c.html|title=J2大宮 相馬監督が気合「挑戦者として失敗しながら成長を」|publisher=Sponichi Annex|date=2023-01-09|accessdate=2023-01-11}}</ref>。クラブスローガンには「クラブが勝利するにはまず全員が団結することが必要であり、最後の一分一秒まで戦い続け、全力を出していく」という趣旨が込められている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40028|title=2023シーズントップチーム体制ならびにスローガンについて|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-09|accessdate=2023-01-11}}</ref>。
: スタッフ面では2019年度までヘッドコーチを担当していた[[原崎政人]]がヘッドコーチに再任。前年度まで問題のあった守備面補強に注力し、[[山岸範之]]がGKコーチに就任。選手面では[[ロドリゴ・ルイス・アンジェロッティ|アンジェロッティ]]が柏から期限付き移籍で加入、2年ぶりに外国籍選手が所属することとなった。
: 相馬はチーム始動開始に際し「我々はチャレンジャー。失敗しながら成長していきたい。ハードワークは必要になってくる。運動量で上回れるようになりたい」と力を込め、気合を語った{{R|sponichi_20230110}}。キャンプでは初日に「チャレンジャーとして今シーズンを戦っていくチームの土台をしっかりと作り上げる」と、念入りな準備に注力した趣旨の内容を宣言し<ref name="camp_2023">{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40077|title=2023沖縄キャンプレポート 1月18日(水)|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-19|accessdate=2023-01-22}}</ref>、例年よりも強度の高いハードなトレーニングに取り組んだという{{R|camp_2023}}<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40080|title=2023沖縄キャンプレポート 1月19日(木)|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-20|accessdate=2023-01-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=2023沖縄キャンプレポート 1月20日(金)|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40081|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-22|accessdate=2023-01-22}}</ref>。開幕後はチームは攻撃的なサッカーを志向し、得点力はあったが守備が崩壊する事が多く、失点が上回る状況となっていた。第9節[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦で敗れて以降は8試合連続未勝利となり、第16節[[いわきFC|いわき]]戦に敗戦した事で最下位に転落、いわき戦の2日後となる5月19日に相馬の監督解任と原崎の監督就任が発表された。監督の年度途中解任は3年連続となった。しかしその後も状況は好転せず16試合連続未勝利となったが、7月には2017年まで大宮の監督であった[[渋谷洋樹]]がヘッドコーチに就任し、2021年まで大宮所属であった[[黒川淳史]]や[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[ヤクブ・シュヴィルツォク|シュヴィルツォク]]らを補強し巻き返しを図った。
: 第24節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦でリーグ戦久々の勝利を挙げる。8月27日に強化部長を務める秋元利幸との契約解除が発表された。千葉戦での勝利以降は、連敗こそあるものの第26節栃木戦からの5戦負けなしや第36節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦からの4連勝など調子が上向いたに見えたが、第40節[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦と第41節[[清水エスパルス|清水]]戦で連敗したことで[[J3リーグ|J3]]降格圏となる21位が確定した。最終戦終了時点ではJ3リーグでJ2ライセンスを交付されなかった[[FC大阪]]がJ3の2位以内に入ることでのみ残留する事になったものの<ref>{{Cite news|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=452809|title=クラブ史上最低のJ2・21位確定、凋落の大宮に残されたJ2残留の唯一の道はFC大阪に託されることに|newspaper=超ワールドサッカー!|date=2023-11-05|accessdate=2023-11-05}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/jleague-j3-md35-sagamihara-fcosaka-20231112/blt46c5c329a48d2e5e|title=FC大阪が相模原に5失点大敗で大宮のJ2残留が遠のく…J3残3試合で2位と勝ち点差6|newspaper=Goal.com|date=2023-11-12|accessdate=2023-11-12}}</ref>、11月25日、J3リーグ第37節でFC大阪が敗れ2位以内に入る可能性が消滅、同時にクラブ史上初のJ3降格が決まった。J1在籍歴のあるクラブがJ3降格するのは、2015年の大分、2021年の松本に次ぐ3例目となった。
=== 2024年 (J3) ===
{{See also|2024年の大宮アルディージャ}}
; [[2024年のJ3リーグ|2024年]]
:* クラブスローガンはなし。
: [[長澤徹]]が監督に就任。クラブ史上初のJ3降格を喫し、1年でのJ2復帰は至上命題であるとして、クラブ側はあえて今シーズンのスローガンを設定しないことを発表。佐野秀彦代表取締役は「J2復帰が旗印だという今季は明確なスローガンを定めない。J3降格の悔しさを絶対に忘れず、この1年で必ずJ2に戻る」と語った。
: コーチ陣も大幅に入れ替わり、ヘッドコーチに[[喜名哲裕]]、コーチに[[島田裕介]]と[[若宮直道]]、フィジカルコーチに奥村拓真、GKコーチに[[高橋範夫]]を招聘。
: 選手面では[[南雄太]]が現役引退、その他前年まで活躍を見せた選手たちが数人退団したものの、[[ヤクブ・シュヴィルツォク]]や[[笠原昂史]]を始めとする多くの主力選手が残留。新戦力として[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]から[[濱田水輝]]と[[下口稚葉]]、[[FC琉球OKINAWA|琉球]]から[[中野克哉]]、[[FC東京]]から[[アルトゥール・シルバ・フェイトーザ|アルトゥール・シルバ]]を完全移籍で獲得。また[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[杉本健勇]]が期限付き移籍で加入、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[泉柊椰]]、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[植田悠太]]がそれぞれ育成型期限付き移籍で加入するなど、近年類を見ない大幅な補強を敢行。またユースから[[市原吏音]]と[[種田陽]]が昇格した(種田はアメリカの大学へ進学するため6月に退団)。
:クラブが[[リトリート]]・ロングカウンター・攻守[[ハードワーク]]の三基軸を重視した手堅い[[カテナチオ]][[堅守速攻]]型への転換・スタイル固定に舵を切ったことによりクラブの勝率は抜群に向上した<ref name=":0" />。開幕戦の[[ヴァンラーレ八戸|八戸]]戦では泉の2ゴールなどで4-1と快勝。ここから開幕12戦無敗(9勝3分)で首位に立ち、昇格へ向けてスタートダッシュに成功。1万人余りの観客を集めた5月6日の第13節ホーム[[松本山雅FC|松本]]戦では、後半にサイドを突かれて連続で失点し、0-2で今季初黒星を喫したが、次節からのアルトゥール・シルバの5試合連続ゴールの活躍などで勝利を積み重ね、前半戦を首位で折り返した。夏の移籍期間にはシュヴィルツォクが[[シロンスク・ヴロツワフ]]([[ポーランド]])へ完全移籍、貫が[[ラインメール青森FC]]へ、高柳が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ、中野誠也が[[アスルクラロ沼津|沼津]]へそれぞれ期限付き移籍したが、八戸から[[オリオラ・サンデー]]、甲府から[[ファビアン・ゴンザレス]]が完全移籍でそれぞれ加入したほか、[[横浜FC]]から[[和田拓也 (サッカー選手)|和田拓也]]が7年ぶりに完全移籍で、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[知念哲矢]]が期限付き移籍でそれぞれ加入するなど、後半戦に向けて盤石の補強を行った。
: 後半戦も勢いそのままに首位を快走。10月13日の第32節・[[福島ユナイテッドFC|福島]]戦に勝利し、6試合を残して1年でのJ2復帰を決めた<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20241013/1944218.html|title=大宮が1年でJ2復帰! 6試合残して2位以上確定…次節天王山でJ3優勝の可能性|website=サッカーキング|date=2024-10-13|accessdate=2024-10-13}}</ref>。翌週の第33節・[[FC今治|今治]]戦は引き分け以上で優勝が決まる中で引き分け、J3優勝を果たした<ref>{{Cite web|和書|title=2024明治安田J3リーグ優勝のお知らせ|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=43314|website=大宮アルディージャ公式サイト|date=2024-10-20|accessdate=2024-10-21}}</ref>。11月24日の最終節・[[カターレ富山|富山]]戦に敗れ、第21節からの無敗記録は17でストップしたが、勝点85、年間25勝はいずれもJ3最多記録となった。
=== 2025年 - (J2・レッドブル体制) ===
;[[2025年のJ2リーグ|2025年]]
{{See also|2025年の大宮アルディージャ}}
:*クラブスローガンは「'''さあ、始めようか。快進撃を。'''」。
:長澤体制2年目、[[レッドブル (企業)|レッドブル]]体制初年度。
:佐野秀彦が代表取締役を退任し、後任にフットボール本部長の[[原博実]]が就任(1月1日付)。
:元[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]でレッドブル・サッカー部門のテクニカルダイレクター(TD)を務める[[マリオ・ゴメス]]は、3~4年でのJ1復帰と2030年のタイトル獲得を目標に掲げた<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/202410130000439_m.html?mode=all|title=【大宮】1年でJ2復帰決定 レッドブル経営参画でさらなる飛躍期待 長澤徹監督のもと守備安定|nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社|date=2024-10-13|accessdate=2024-10-13}}</ref>。
:スタッフ面では昨季から大きな入れ替えはなく、コーチに[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[戸田光洋]]を新たに招聘。
:選手面では笠原昂史や石川俊輝、アルトゥール・シルバといった主力選手の多くが残留したほか、昨季期限付き移籍加入していた杉本健勇と泉柊椰が完全移籍に移行した。また新戦力として[[カターレ富山|富山]]から[[安光将作]]、[[横浜FC]]から[[ガブリエウ・コスタ・フランサ|ガブリエウ]]と[[マウリシオ・カプリーニ・ピント|カプリーニ]]、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[谷内田哲平]]と[[豊川雄太]]が完全移籍で、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[坪井湧也]]が期限付き移籍で加入。[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]から[[福井啓太]]、[[東洋大学体育会サッカー部|東洋大学]]から[[中山昂大]]が加入。ユースから[[磯﨑麻玖]]が昇格。
:2025年度も[[リトリート]]・ロングカウンター・攻守[[ハードワーク]]の三基軸を重視した手堅い[[カテナチオ]][[堅守速攻]]型を継続<ref>{{Cite web |title=RB大宮アルディージャ 2025 チームスタイル[攻撃セットプレー] {{!}} データによってサッカーはもっと輝く {{!}} Football LAB |url=https://www.football-lab.jp/omiy/style |website=www.football-lab.jp |access-date=2025-04-24 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=「ハードワークは才能に勝る」国立で首位撃破の大宮、指揮官が示した”RB”らしさ「それを彼らが体現してくれた」 |url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?429287-429287-fl |website=ゲキサカ |date=2025-05-06 |access-date=2025-05-26 |language=ja |last=竹内達也}}</ref>。
: ホームでの開幕戦、[[モンテディオ山形|山形]]を後半アディショナルタイムの決勝点で下し、そこから開幕4連勝でスタートダッシュに成功。第5節で初黒星を喫するも大きく崩れることはなく、[[国立競技場|国立]]開催となった第14節には当時首位の[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]を下すなど、GWの5連戦を3勝1分1敗で乗り切った。6月の移籍期間には、浦上が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ、中野克哉が[[栃木SC]]へそれぞれ完全移籍したが、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[イヨハ理ヘンリー]]を期限付き移籍で、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[津久井匠海]]を完全移籍でそれぞれ獲得した。
:自動昇格圏である2位を堅持し続けていたが、第18節の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦を後半アディショナルタイムの失点で引き分けると、これを境に5試合連続のドローを含む7試合未勝利と失速。第23節甲府戦では今季初(長澤体制発足後初)の連敗を喫し、5位に転落して中断期間を迎えた。8月2日の富山戦で8試合ぶりの勝利を挙げるも、その後も[[ジェフユナイテッド千葉・市原|千葉]]や[[V・ファーレン長崎|長崎]]に力負けするなど不調を脱せず、3連敗で8位となった第30節[[FC今治|今治]]戦後の9月24日に長澤を解任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.rbomiya.com/news/?id=45040|title=長澤徹 監督 解任のお知らせ|publisher=RB大宮アルディージャ|date=2025-09-24|accessdate=2025-09-24}}</ref>。後任に[[宮沢悠生]]が監督に就任した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.rbomiya.com/news/?id=45041|title=宮沢悠生 監督 就任のお知らせ|publisher=RB大宮アルディージャ|date=2025-09-24|accessdate=2025-09-24}}</ref>。
:ルヴァン杯は1stラウンド2回戦で[[FC東京]]に、天皇杯は1回戦で[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]に敗れた<ref>{{Cite web|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/emperorcup/20250525/2021453.html|title=大宮が筑波大にジャイキリ許す J2上位勢の水戸&今治も敗退…福島は9発大勝/天皇杯1回戦|soccer-king.jp|publisher=サッカーキング|date=2025-05-25|accessdate=2025-05-26}}</ref>。
== 経営権の委譲 ==
2024年シーズン開幕前の2月15日、スポーツニッポンが[[オーストリア]]の[[エナジードリンク]]メーカー・[[レッドブル (企業)|レッドブルGmbH]](レッドブル)によるJリーグクラブ買収の可能性と、その最有力候補が大宮アルディージャであることを報じる<ref name="sponichi20240215">{{Cite web |和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2024/02/15/kiji/20240215s00002179097000c.html|title=レッドブルJリーグ参入へ J初の外国資本企業オーナー誕生も J3大宮が最有力候補|website=スポーツニッポン|date=2024-02-15|accessdate=2024-08-08}}</ref>。同年7月26日に、日本経済新聞はレッドブルが大宮アルディージャを買収することで大筋合意したと報じた<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC249B70U4A720C2000000/|title=レッドブル、Jリーグ参入 J3大宮アルディージャを買収|website=日本経済新聞|date=2024-07-26|accessdate=2024-08-08}}</ref>。
2024年8月6日、大宮アルディージャはNTT東日本及びレッドブルの本社法人であるRed Bull GmbHで共同リリースを出し、同年9月頃を目処に、NTT東日本が保有する大宮アルディージャと大宮アルディージャVENTUSの運営法人であるエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社の全株式をレッドブルに譲渡する株式譲渡契約を締結したと正式に発表した<ref name="release20240806"/>。外資系企業が単独でJリーグを含む日本の主要プロスポーツチームのオーナーになるのは今回が初めて<ref>{{Cite web |title=レッドブルがJ3大宮アルディージャ買収発表 NTT東日本から、Jリーグに参入 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC054J40V00C24A8000000/ |website=日本経済新聞 |date=2024-08-06 |access-date=2024-08-07}}</ref>。レッドブルは[[サッカー・ブンデスリーガ (オーストリア)|オーストリア1部]]・[[レッドブル・ザルツブルク|ザルツブルク]]の経営権を2005年に取得したのを皮切りに、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ1部]]・[[RBライプツィヒ|ライプツィヒ]]、[[メジャーリーグサッカー|アメリカMLS]]・[[ニューヨーク・レッドブルズ]]、[[2. ブンデスリーガ (オーストリアサッカー)|オーストリア2部]]・[[FCリーフェリング|リーフェリング]]、[[カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA|ブラジル1部]]・[[レッドブル・ブラガンチーノ|ブラガンチーノ]]および[[カンピオナート・パウリスタ|サンパウロ州選手権]]・[[レッドブル・ブラジル]](現:ブラガンチーノII)の現行6クラブ<ref name="sponichi20240215"/>、過去にはアフリカの[[:en:Red Bull Ghana|レッドブル・ガーナ]]を保有しており、大宮は8クラブ目となる。
なお、NTT東日本は株式譲渡後もスポンサー企業として引き続き支援するとしている<ref>{{Cite web |title=大宮アルディージャの株式、レッドブルに譲渡 佐野社長「成功につなげる」 契約締結、譲渡は今年9月を予定 NTT東日本はスポンサー企業に クラブ名の存続などについても言及 |url=https://www.saitama-np.co.jp/articles/94284/postDetail |website=埼玉新聞 |access-date=2024-08-07 |date=2024-08-07}}</ref>。
2024年12月26日、エンブレムをはじめとしたクラブプロパティ変更に伴い、クラブ公式サイトのURLを変更するとともに一部リニューアルを実施した<ref>{{cite pressrelease | title=クラブ公式サイトURL変更のお知らせ | url=https://www.rbomiya.com/news/?id=43738 | publisher=RB大宮株式会社 | date=2024-12-26 | accessdate=2024-12-26}}</ref>。
== 成績 ==
{{main|RB大宮アルディージャの年度別成績一覧}}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #ED6D00; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#001D45; color:#ED6D00; font-weight:bold"
|colspan="4"|記録<br/>(入場者数の上段は水増し発覚後である2010年J1第25節以降の数値で、下段は水増し発覚前である2010年J1第24節以前の数値。)
|- style="text-align:center; background-color:#001D45; color:#ED6D00; font-weight:bold;"
|項目||数字||時期||詳細
|-
|J1リーグ戦<br/>クラブ最高・最低最終順位||最高:5位<br/>最低:18位||最高:2016年<br/>最低:2017年||
|-
|J2リーグ戦<br/>クラブ最高・最低最終順位||最高:1位<br/>最低:21位||最高:2015年<br/>最低:2023年||
|-
|J3リーグ戦<br/>クラブ最高・最低最終順位||最高:1位<br/>最低:1位||最高:2024年<br/>最低:2024年||
|-
|最多連勝||
|-
|最長無敗期間||
|-
|最多連敗||
|-
|最長未勝利期間||
|-
|最多得点試合||
|-
|rowspan="3"|最多失点試合||rowspan="3"|6失点||2000年 J2 第14節||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]、0-6、大宮公園サッカー場
|-
|2003年 J2 第21節||[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2-6、札幌ドーム
|-
|2017年 J1 第8節||[[ガンバ大阪]]、0-6、市立吹田サッカースタジアム
|-
|rowspan="2"|最多入場者数||
|-
|bgcolor="#CCCCCC"|42,346人||bgcolor="#CCCCCC"|2009年 J1 第29節||bgcolor="#CCCCCC"|[[川崎フロンターレ]]、埼玉スタジアム2002
|-
|rowspan="2"|最少入場者数||5,627人||2011年 J1 第18節||[[ヴィッセル神戸]]、NACK5スタジアム大宮
|-
|bgcolor="#CCCCCC"|844人||bgcolor="#CCCCCC"|2000年 J2 第35節||bgcolor="#CCCCCC"|[[モンテディオ山形]]、大宮公園サッカー場
|}
== タイトル ==
=== 国内タイトル ===
* '''[[J2リーグ]]:1回'''
** [[2015年のJ2リーグ|2015]]
* '''[[J3リーグ]]:1回'''
** [[2024年のJ3リーグ|2024]]
=== その他タイトル ===
* '''[[さいたまシティカップ]]''':2回
** 2010, 2011
=== 個人タイトル ===
* '''[[J1リーグ]]'''
** '''[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]]'''
*** [[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]](2013年4月)
* '''J2リーグ'''
** '''得点王'''
*** [[大前元紀]](2018年)
** '''月間優秀監督賞'''
*** [[高木琢也]](2019年4月)
** '''月間MVP'''
*** [[家長昭博]](2015年6月・7月)
*** 大前元紀(2018年6月)
** '''月間ベストゴール'''
*** [[大山啓輔]](2020年8月)
** '''月間ヤングプレーヤー賞'''
*** [[市原吏音]](2025年2・3月)
*'''[[J3リーグ]]'''
** '''ベストイレブン'''
*** '''2024年'''
**** [[笠原昂史]]
**** [[市原吏音]]
**** [[浦上仁騎]]
**** [[小島幹敏]]
**** [[泉柊椰]]
**** [[杉本健勇]]
** '''優秀選手賞'''
*** '''2024年'''
**** 笠原昂史
**** 市原吏音
**** 浦上仁騎
**** [[下口稚葉]]
**** [[茂木力也]]
**** [[石川俊輝]]
**** 小島幹敏
**** 泉柊椰
**** [[アルトゥール・シルバ・フェイトーザ|アルトゥール・シルバ]]
**** 杉本健勇
**** [[オリオラ・サンデー]]
** '''月間MVP'''
*** アルトゥール・シルバ(2024年6月)
*** 小島幹敏(2024年9月)
** '''月間優秀監督賞'''
*** [[長澤徹]](2024年4月)
** '''月間ヤングプレーヤー賞'''
*** 市原吏音(2024年2・3月)
== 施設 ==
ホームスタジアムは、[[さいたま市]][[大宮区]][[高鼻町]]の[[大宮公園]]内にある[[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)]]{{R|jleague}}<ref name="stadium">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/ticket/stadium/|title=スタジアム|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2022-01-19}}</ref>で、[[熊谷スポーツ文化公園陸上競技場]]でもホームゲームが開催される<ref name="stadium" />。練習場はさいたま市西大宮サッカー場(さいたま市[[西区 (さいたま市)|西区]][[西大宮]]の高木第二最終処分場跡地をさいたま市が整備して開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.saitama.jp/006/007/002/015/005/p008536_d/fil/shiryou11040101.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220118223759/https://www.city.saitama.jp/006/007/002/015/005/p008536_d/fil/shiryou11040101.pdf|title=アルディージャ練習場の整備について|publisher=さいたま市スポーツ企画課|date=2009-11-04|archivedate=2022-01-18|accessdate=2023-12-29}}</ref>)を「[[アルディージャ練習場]]」として使用しており、敷地内にクラブハウスである「オレンジキューブ」を設けている{{R|jleague}}<ref name="clubhouse">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/clubhouse/|title=クラブハウス・練習場|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2023-12-29}}</ref>。2004年3月からは[[秋葉の森総合公園サッカー場]](さいたま市西区[[中釘]])も使用しており、2012年以前にはNTT東日本志木総合グラウンド([[志木市]][[上宗岡]])も使用していたことがあった{{R|clubhouse}}。
大宮アルディージャが運営するクラブ公式[[フットサル]]コートである「オレンジコート ステラタウン」をさいたま市[[北区 (さいたま市)|北区]][[宮原町 (さいたま市)|宮原町]]の[[ステラタウン]]内に保有しており、ロングパイル[[人工芝]]のコートが2面ある(アルディコート、ミーヤコート)。
{{clear}}
<gallery widths="200" heights="120" caption="施設の紹介">
Kumagayasogo1.JPG|熊谷スポーツ文化公園陸上競技場
Akiba Forest General Park Soccer Field 2.jpg|秋葉の森総合公園サッカー場
大宮アルディージャ クラブハウス.jpg|西大宮のクラブハウス
クラブハウス裏に広がる練習場.jpg|クラブハウス裏に広がる練習場
</gallery>
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="8"|年度・スタジアム別ホーム試合
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="5"|リーグ||rowspan="2"|Jリーグ杯||rowspan="2"|備考
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|大宮/<br/>NACK||[[さいたま市駒場スタジアム|{{font|駒場/<br/>浦和駒場|color=#FFFFFF}}]]||[[埼玉スタジアム2002|{{font|埼スタ|color=#FFFFFF}}]]||熊谷陸||その他
|-
|2001||21||0||0||rowspan="3"|-||[[鴻巣市立陸上競技場|鴻巣]] 1||大宮 1||
|-
|2002||rowspan="2"|20||1||1||rowspan="24"|なし||rowspan="3"|不参加||
|-
|2003||rowspan="2"|0||rowspan="2"|2||
|-
|2004||19||1||J1昇格
|-
|2005||5||2||8||3||大宮 1<br/>埼スタ 2<br/>駒場 1<br/>熊谷陸 1||大宮は当時J1規格外であったため試合数を制限し、<br/>埼スタを事実上準本拠地とした。
|-
|2006||-||10||5||2||rowspan="2"|駒場 3||大宮改修のため駒場が暫定本拠地。
|-
|2007||2||13||2||rowspan="13"|1||10月まで駒場を暫定本拠とし、11月よりNACKに本拠復帰した。
|-
|2008||16||rowspan="2"|0||0||NACK 2<br/>熊谷陸 1||
|-
|2009||13||3||rowspan="2"|NACK 3||
|-
|2010||15||rowspan="2"|-||1||
|-
|2011||rowspan="4"|16||rowspan="15"|0||NACK 1||
|-
|2012||rowspan="14"|0||rowspan="3"|NACK 3||
|-
|2013||
|-
|2014||J2降格
|-
|2015||20||不参加||J1昇格
|-
|2016||rowspan="2"|16||NACK 4||当初Jリーグ杯グループリーグはNACKで5試合を行う予定だったが、<br/>FC東京のACL本戦出場のために1試合減少した。
|-
|2017||NACK 3||J2降格
|-
|2018||rowspan="2"|20||rowspan="6"|不参加||
|-
|2019||
|-
|2020||rowspan="4"|21||rowspan="6"|0||
|-
|2021||
|-
|2022||
|-
|2023||J3降格
|-
|2024||rowspan="2"|19||NACK 1||J2昇格
|-
|2025||NACK 2||
|}
== ユニフォーム ==
{{ユニフォームの色2
| F正シャツ=ネイビー|F正パンツ=オレンジ|F正ストッキング=オレンジ
| F副シャツ=ホワイト|F副パンツ=ホワイト|F副ストッキング=ホワイト
| G正シャツ=オレンジ|G正パンツ=ネイビー|G正ストッキング=ネイビー
| G副シャツ=サックスブルー|G副パンツ=サックスブルー|G副ストッキング=サックスブルー
| G第3シャツ=ネイビー|G第3パンツ=ネイビー|G第3ストッキング=ネイビー
| pattern_la1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
| pattern_b1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
| pattern_ra1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
| pattern_sh1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
| pattern_so1 = _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP
| leftarm1 = F45C08| body1 = F45C08| rightarm1 = F45C08| shorts1 = 0D0D31| socks1 = 0D0D31
| pattern_la2 = _RB Omiya Ardija 2025 AWAY FP
| pattern_b2 = _RB Omiya Ardija 2025 AWAY FP
| pattern_ra2 = _RB Omiya Ardija 2025 AWAY FP
| pattern_sh2 = _RB Omiya Ardija 2025 AWAY FP
| pattern_so2 = _RB Omiya Ardija 2025 AWAY FP
| leftarm2 = FFFFFF| body2 = FFFFFF| rightarm2 = FFFFFF| shorts2 = 0D0D31| socks2 = FFFFFF
| pattern_la3=
| pattern_b3=
| pattern_ra3=
| pattern_sh3= _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_so3= _Omiya Ardija 2022 HOME FP
| leftarm3= 0e0d29| body3= ED6D00| rightarm3= 0e0d29| shorts3= 0e0d29| socks3= 0e0d29
| pattern_la4=
| pattern_b4=
| pattern_ra4=
| pattern_sh4=
| pattern_so4=
| leftarm4= 42a7f5| body4= 42a7f5| rightarm4= 42a7f5| shorts4= 42a7f5| socks4= 42a7f5
| pattern_la5=
| pattern_b5=
| pattern_ra5=
| pattern_sh5= _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_so5= _Omiya Ardija 2022 HOME FP
| leftarm5= 0e0d29| body5= 0e0d29| rightarm5= 0e0d29| shorts5= 0e0d29| socks5= 0e0d29
}}
=== ユニフォームスポンサー ===
{|
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考
|-
!胸
|[[レッドブル (企業)|レッドブル]]||(雄牛のマーク)||2025年 - ||
|-
!rowspan="2"|鎖骨
|[[武蔵野銀行]]||武蔵野銀行||2018年 - ||左側に掲出<br/>2012年 - 2016年はパンツ前面<br/>2016年7月 - 2017年は背中下部<br/>2019年 - 2024年は鎖骨両側
|-
|[[NTT東日本]]||NTT東日本||2025年 - ||右側に掲出<br/>1999年7月 - 2006年は胸<br/>2004年 - 2006年は「[[フレッツ|FLET'S]]」表記<br/>2007年 - 2014年は「[[フレッツ|FLET'S 光]]」表記<br/>2015年 - 2024年は背中上部
|-
!背中
|レッドブル||Red Bulls||2025年 - ||
|-
!背中下部
|[[しまむら]]||しまむら||2018年 - ||2017年はパンツ前面
|-
!袖
|[[富士薬品]]||富士薬品||2005年 - ||
|-
!パンツ前面
|[[武蔵コーポレーション]]||武蔵コーポレーション||2020年 - ||
|-
!パンツ
|なし||-||-||
|}
=== ユニフォームサプライヤーの遍歴 ===
* 1999年 - 2006年:[[ミズノ]]
* 2007年 - 2008年:[[ロット (企業)|ロット]]
* 2009年 - 現在:[[アンダーアーマー]]
=== 歴代ユニフォーム ===
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:3px solid #191970; font-size:smaller; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|colspan=5|FP 1st
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|1999 - 2000}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2001}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2002 - 2003}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2004 - 2005}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2006}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2007}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2008}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2009}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2010}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2011}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2012}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2013 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2013 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2013 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2013 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2013 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2013}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2014}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_ardija15h|pattern_b=_ardija15h|pattern_ra=_ardija15h|pattern_sh=|pattern_so=|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=FF8000|title={{Center|2015}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya16h|pattern_b=_omiya16h|pattern_ra=_omiya16h|pattern_sh=_Omiya Ardija 2016 HOME FP|pattern_so=|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=fc6000|title={{Center|2016}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya17h|pattern_b=_omiya17H|pattern_ra=_omiya17h|pattern_sh=|pattern_so=|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=fc6000|title={{Center|2017}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya18h|pattern_b=_omiya18h|pattern_ra=_omiya18h|pattern_sh=_omiya18h|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2018}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya19h|pattern_b=_omiya19h|pattern_ra=_omiya19h|pattern_sh=_omiya19h|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2019}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya20h|pattern_b=_omiya20h|pattern_ra=_omiya20h|pattern_sh=_omiya20h|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2020}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2021}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2022}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2023}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2024 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2024 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2024 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2024}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_RB Omiya Ardija 2025 HOME FP|pattern_b= _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP|pattern_ra= _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP|pattern_sh= _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP|pattern_so= _RB Omiya Ardija 2025 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2025 - }}}}
|-
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:
|- style="text-align:center; background-color:#
|
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|1999 - 2000}}}}
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|-
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|-
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|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2014 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2014 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2014 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2014 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2014 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2014}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_ardija15a|pattern_b=_ardija15a|pattern_ra=_ardija15a|pattern_sh=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2015}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya16a|pattern_b=_omiya16a|pattern_ra=_omiya16a|pattern_sh=_Omiya Ardija 2016 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2016}}}}
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|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:
|- style="text-align:center; background-color:#
|
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya18t|pattern_b=_omiya18t|pattern_ra=_omiya18t|pattern_sh=_omiya18t|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 AWAY FP|leftarm=fff|body=fff|rightarm=fff|shorts=|socks=|title={{Center|2018 3rd}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=fc6000|title={{Center|2018<br/>創立20周年記念}}}}
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|-
|
|}
=== 歴代ユニフォームスポンサー表記 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面
|-
|1998
|-
|1999||[[
|-
|2000||
|-
|2001||[[ブロードメディア|Club
|-
|2002||
|-
|2003
|-
|2004||
|-
|2005||
|-
|2006||rowspan="20"|[[富士薬品|富<br/>士<br/>薬<br/>品]]||- / <br/>[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>DoCoMo]]
|-
|2007||[[dカード|{{bigger|DCMX
|-
|2008||[[dカード|{{bigger|DCMX
|-
|2009||
|-
|2010
|-
|2011||-
|-
|2012||[[NTTドコモ|{{smaller|With Gratitude NTT}}<br/>20th docomo]]||rowspan="5"
|-
|2013||rowspan="3"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]
|-
|2014
|-
|2015||
|-
|2016||[[NTTドコモ#インターネットサービスプロバイダ及び公衆無線LAN事業|ドコモ 光]]||-
|-
|2017||[[dポイントクラブ#dポイント|d<br
|-
|2018||[[NTTドコモ|{{smaller|NTT
|-
|2019||[[NTTドコモ|{{smaller|NTT
|-
|2020||
|-
|2021
|-
|2022||rowspan="3"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT
|-
|2023
|-
|2024||rowspan="2"|-
|-
|2025||[[レッドブル (企業)|(雄牛のマーク)]]||[[武蔵野銀行]]||[[NTT東日本]]||[[レッドブル (企業)|Red Bulls]]
|-
|}
*2018年は鎖骨右側にクラブ創設20周年の記念ロゴが表記されていた。
== 決算 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:
|- style="
|
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="7"|営業収益||colspan="10"|営業費用||colspan="3"|営業利益||colspan="3"|経常利益||rowspan="2"|未処分<br/>利益||rowspan="2"|税引前<br/>利益||rowspan="2"|法人税<br/>住民税等||rowspan="2"|純利益
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|総営業<br/>収益||広告料||入場料||配分金||育成<br/>関連||物販||その他||総営業<br/>費用||事業費||人件費||試合<br/>関連経費||トップ<br/>運営経費||育成<br/>運営経費||女子<br/>運営経費||物販<br/>関連費||販売費||一般<br/>管理費||総営業<br/>利益||営業外<br/>収益||営業外<br/>費用||総経常<br/>利益||特別<br/>利益||特別<br/>損失
|-
|2005||2,242||1,359||311||256||rowspan="6"| ||rowspan="11"| ||316||2,232||1,648||||colspan="4" rowspan="6"| ||rowspan="11"| ||rowspan="6"| |||584||10||colspan="2" rowspan="6"| ||9||colspan="2" rowspan="6"| ||-188||colspan="2" rowspan="7"| ||2
|-
|2006||2,376||1,470||254||231||421||2,518||2,041||1,246||477||-142||141||rowspan="16"| ||-146
|-
|2007||2,842||1,960||305||248||329||2,840||2,403||1,384||437||2||0||8
|-
|2008||3,059||2,165||324||228||342||3,046||2,591||1,565||455||13||1||-2
|-
|2009||3,553||2,396||379||rowspan="2"|220||558||3,546||3,090||1,954||456||7||6||0
|-
|2010||3,308||2,286||375||427||3,290||2,802||1,850||488||18||0||-1
|-
|2011||2,775||1,924||325||218||150||158||2,770||rowspan="11"| ||1,314||313||354||61||rowspan="10"|0||colspan="2"|728||5||2||6||rowspan="3"|1||colspan="2" rowspan="11"|0||1
|-
|2012||3,344||2,172||329||208||143||492||3,348||1,787||288||387||59||colspan="2"|827||-4||12||7||colspan="2" rowspan="2"|1||rowspan="10"|0
|-
|2013||3,228||2,296||341||214||142||235||3,226||1,606||226||472||68||colspan="2"|854||2||9||10
|-
|2014||3,422||2,405||347||205||164||301||3,423||1,720||207||561||67||colspan="2"|868||-1||20||8||11||colspan="2"|11
|-
|2015||3,005||2,183||315||100||157||250||3,003||1,360||204||496||63||colspan="2"|880||2||12||14||rowspan="2"|0||0||-1
|-
|2016||3,203||2,077||398||216||174||165||173||3,194||1,411||229||487||73||142||colspan="2"|852||9||3||12||colspan="2"|0
|-
|2017||3,685||2,296||397||445||189||138||220||3,675||1,792||252||548||80||99||colspan="2"|904||10||2||8||4||colspan="2"|4
|-
|2018||3,972||2,611||339||282||189||156||395||3,965||1,915||271||682||78||107||colspan="2"|912||7||1||8||rowspan="2"|0||colspan="2" rowspan="2"|0
|-
|2019||3,454||2,464||332||151||215||129||163||3,458||1,547||272||625||78||96||colspan="2"|840||-4||15||11
|-
|2020||3,034||2,452||96||152||162||85||87||3,046||1,300||254||315||87||98||colspan="2"|992||-12||20||8||rowspan="2"|0||colspan="2" rowspan="2"|0
|-
|2021||3,115||2,281||200||161||225||125||123||3,082||1,354||181||309||100||50||136||colspan="2"|952||33||19||52
|}
{{Graph:Chart
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1,500 ⟶ 680行目:
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}}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:
|- style="
|
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="3"|資産||colspan="3"|負債||colspan="4"|資本
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|総資産||流動資産||固定資産||総負債||流動負債||固定負債||純資産||資本金||資本剰余金||利益剰余金
|-
|2005||753||colspan="2" rowspan="6"| || 602||colspan="2" rowspan="6"| ||151||rowspan="17"|100||rowspan="6"| ||
|-
|2006||612||608||4||335
|-
|2007||1,044||1,031||12||327
|-
|2008||1,015||1,004||rowspan="2"|11||328
|-
|2009||661||650||rowspan="2"|329
|-
|
|-
|2011||976||409||567||966||920||46||rowspan="11"|240||-330
|-
|
|-
|2013||1,236||324||912||1,225||587||638
|-
|2014||1,155||383||772||1,145||494||rowspan="2"|651
|-
|2015||1,184||431||753||1,174||523||10
|-
|2016||1,310||412||898||1,299||645||654||rowspan="6"|11
|-
|2017||1,670||642||1,028||1,659||981||678
|-
|2018||2,722||1,862||860||2,711||2,031||680
|-
|2019||1,512||701||811||1,501||827||674
|-
|2020||1,351||590||761||1,340||667||rowspan="2"|673
|-
|2021||1,144||547||596||1,133||460
|}
{{Graph:Chart
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1,656 ⟶ 743行目:
|y2Title=純資産
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}}
==その他==
NACK5スタジアムのある[[大宮公園]]のうち、第二・三公園の箇所を、[[2020年]]から[[埼玉県]]が募集した[[指定管理者]]に「大宮第二公園及び第三公園マネジメントネットワーク」が認定され、大宮アルディージャの運営会社・NTTスポーツコミュニティ(株)(現・RB大宮(株))もその構成団体の一部として参画している<ref>[https://www.ardija.co.jp/news/?id=16292 大宮第二公園および第三公園の指定管理者の選定について]・[https://www.pref.saitama.lg.jp/a1105/r01shiteikekka.html 令和元年度埼玉県営公園指定管理者候補者の選定結果について]</ref>。{{see also|大宮公園#将来像}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[RB大宮アルディージャの選手一覧]]
* [[RB大宮アルディージャ
* [[Ole! アルディージャ]]([[テレビ埼玉]])
* [[ARDIJA HOT LINE]]([[NACK5]])
* [[さいたまシティカップ]]
* [[さいたまダービー]]
* [[ロアッソ熊本]](旧・[[日本電信電話公社熊本サッカー部
* [[ベンターナAC]]
== 外部リンク ==
* {{officialsite}}
* {{Twitter|Ardija_Official|RB大宮アルディージャ 公式}}
** {{Twitter|Ardija_Ardy|アルディ}}
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* {{LINE公式アカウント|ardija.official}}
{{Navboxes|title
|list1=
{{RB大宮アルディージャのメンバー}}
{{RB大宮アルディージャ及びその前身チーム歴代監督}}
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{{日本プロサッカーリーグ}}
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{{リダイレクトの所属カテゴリ
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{{DEFAULTSORT:あるひおおみやあるていしや}}
[[Category:RB大宮アルディージャ|*]]
[[Category:
[[Category:Jリーグクラブ]]
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