[[画像File:Ooyaishi.jpg|thumb|250px280px|切り出された大谷石]]
'''大谷石'''(おおやいし)は[[軽石]][[凝灰岩]]で、[[栃木県]][[宇都宮市]]北西部の大谷町付近一帯で採掘される[[軽石]][[凝灰岩]]の[[石材]]である{{sfn|清木|2017|pp=793-794}}。柔らかく加工がしやすいことから、古くから[[外壁]]や[[土蔵]]などの[[建材]]として使用されてきた{{sfn|清木|2017|p=793}}。現在も蔵の壁面などに使われている。また、熱に強い。
== 成分・成因と分布 ==
基質は浮石質ガラス・[[斜長石]]・[[石英]]を主とし、少量の[[黒雲母]][[角閃岩]][[輝石]]で構成され{{sfn|清木|2017|p=793}}、[[珪酸]]、[[第二酸化鉄]]、[[酸化アルミニウム]]、[[酸化マンガン(II)|酸化マンガン]]、[[石灰]]、[[酸化マグネシウム]]、[[カリウム]]、[[ナトリウム]]などを含む。[[日本列島]]の大半がまだ海中にあった[[新生代]][[第三紀]][[中新世]]の前半に、[[火山]]が[[噴火]]して噴出した[[火山灰]]や[[砂礫]]が海水中に沈殿して、それが凝固してできたものとされている{{sfn|清木|2017|p=793}}。
大谷町付近の大谷石の分布は、東西4キロメートル、南北6キロメートルにわたる<ref name="jp.tochigi.utsunomiya/1006777">{{Cite web|和書|url=https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/sangyo/sangyo/ziba/1006777.html |title=大谷石 |website=宇都宮市公式Webサイト |accessdate=2018年3月-03-31日|archive-url=https://web.archive.org/web/20180331173741/http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/sangyo/sangyo/ziba/1006777.html |archive-date=2018-03-31 |url-status=dead |url-status-date=2024-09-23}}</ref>。2009年度時点で[[採石場]]は12か所、出荷量は年2万トン程度、推定埋蔵量は約6億トン{{R|jp.tochigi.utsunomiya/1006777}}。一部で[[露天掘り]]も行われているが、地下数十メートルから100メートルを超える地下で切り出す坑内掘りが多い{{R|jp.tochigi.utsunomiya/1006777}}。最盛期の[[昭和]]40年代には約120か所の採石場が稼働していた{{R|jp.tochigi.utsunomiya/1006777}}。栃木県には大谷石と類似の石材が多数分布し、それぞれ産地の名を取って長岡石、深岩石、岩舟石、茂木石などと呼ばれている{{sfn|清木|2017|pp=793-794}}。
== 特徴と用途 ==
[[画像File:Tuff_ohyaishi02.jpg|thumb|right|大谷石の石塀(拡大)の表面]]
[[ファイルFile:宇都宮餃子像.jpg|thumb|right|餃子像(宇都宮駅 旧東口広場)の餃子像]]
軽くて軟らかいため加工しやすく、さらに[[耐火物|耐火性]]・防湿性に優れている{{sfn|清木|2017|p=793}}。このため[[住宅]]([[かまど]]、石[[塀]]・[[防火壁]]、[[門柱]]、[[敷石]]・貼石など)、[[蔵]]や[[倉庫]]、大きな建築物の[[石垣]]、斜面の土止め石([[擁壁]])といった幅広い用途を持つ{{sfn|清木|2017|p=793}}。耐火性・蓄熱性の高さから[[パン]]や[[ピザ]]を焼く窯や石釜の構造材としても用いられる{{sfn|清木|2017|p=794}}。岩盤工学の分野では、扱いやすい素材として実験試料に利用される{{sfn|清木|2017|p=796}}。
産地に近い宇都宮周辺では[[縄文時代]]の[[竪穴式住居建物]]で炉石としての使用が確認されており{{sfn|清木|2017|p=793}}、石蔵をはじめとした建築物の外壁、[[鉄道駅]]の[[プラットホーム]]、石垣や階段、門柱に大谷石が盛んに利用されている。1932年(昭和7年)に建設された[[テレビ番組]]との[[タイアカトリップク松が峰教会]]により、[[宇都宮駅]]に設置された[[餃子像]]や、1932年に建設された宇都宮カトリック教会(通称:[[カトリック松が峰教会]])もなどは大谷石造であできている。同じく地元にある[[下野国分寺]]や[[宇都宮城]]などの築造にも古くから使われた{{sfn|清木|2017|pp=793-794}}。愛知県名古屋市の[[川原田家住宅]]の擁壁の表面にも大谷石が用いられている<ref>{{cite web|url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/411865 |title=川原田家住宅石垣|publisher= 文化遺産オンライン|accessdate=2018-03-31}}</ref>。[[多孔質材料|多孔質]]の独特な風合いが広く知られるようになったのは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の建築家[[フランク・ロイド・ライト]]が、[[帝国ホテル]]旧本館(東京)に用いてからである{{sfn|清木|2017|p=793}}<ref>[{{cite web|url=http://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=34&r=163 |title=大谷石利用の歴史]|publisher= 栃木県教育委員会とちぎ ふるさと学習(2018年3月|accessdate=2018-03-31日閲覧)}}</ref>。
地下から切り出した直後は水分が多いため青みがかっており、乾燥するにつれ茶色っぽい白色に落ち着く<ref>[{{cite web|url=http://www.yamaminami.co.jp/original8.html |title=山南石材店](2018年3月|publisher= |accessdate=2018-03-31日閲覧)}}</ref>。表面に点在する茶色の斑点は「ミソ」と呼ばれる{{sfn|清木|2017|p=793}}。ミソの成分は含水量の多い[[沸石]]や[[モンモリロン石]]の粘土鉱物から成る[[オパール|蛋白石]]鉄塩鉱物を含むとされるが、成分の由来は諸説ある{{sfn|清木|2017|p=793}}。「ミソ」が大きい荒目より、小さい細目(さいめ)が高級品とされる。[[風化]]しやすい大谷石の中でもミソの部分は特に劣化速度が速い{{sfn|清木|2017|p=793}}。
多孔質故に風雨に晒される野外では劣化が早く、第二次世界大戦後は[[コンクリート]]に押された。特に民家の外壁に使われた場合、雨や雪を吸水して膨張を繰り返すことで劣化し、黒変、粉末状・板状の剥離を起こす{{sfn|清木|2017|p=796}}。近年は厚さ2cm程度に薄くスライスする技術が開発されたほか、見た目の美しさが再評価されている。さらに吸湿や消臭、音響効果があることも分かり、住宅や店舗の内装、音楽ホールへの利用が広がっている。
== 地下空洞の利用と陥没事故 ==
操業を終えた採石場跡に残る広大な地下空洞は[[ワイン]]や[[日本酒]]、[[納豆]]などの貯蔵・熟成に使われているほか、観光・学習施設として[[大谷資料館]]が開設されている。非日常的な光景を求めて、[[映画]]の[[ロケーション撮影]]やパーティ結婚式、展示会などにも活用されている<ref>「融通無碍 よみがえる大谷石」『[[日本経済新聞]]』朝刊2018年3月4日 NIKKEI The STYLE</ref>。
一方で、特に古い採石場跡の地表部が陥没する事故も起きている<ref>[{{Cite news|url= http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/feature/CO005267/20131104-OYT8T00116.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150407024248/http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/feature/CO005267/20131104-OYT8T00116.html |title=【大谷石ルネサンス】採掘跡 安全調査を徹底]『|newspaper=読売新聞』地域ニュース・サイト(2013年|date=2013-11月4日)2018年3月31日閲覧-04|archivedate=2015-04-07}}</ref>。特に[[1989年]](平成元年)に発生した陥没事故は規模が大きく、採石業者の撤退や観光客の減少を招いた{{sfn|清木|2017|p=794, 797}}。陥没事故の発生地は大谷石の屑や公共残土で埋め戻されたものの、30年が経過した2019年(平成31年)2月現在も付近の市道は通行止めのままである<ref name="st1902">{{citeCite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/132128|title=大谷の陥没事故から30年 採取場跡地を観測し対策 観光客は増加、用途も拡大【動画】|date=2019-02-10|publisheraccessdate=2022-06-13|website=[[下野新聞]]|accessdatearchiveurl=2020https://web.archive.org/web/20190228091459/https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-10/132128|archivedate=2019-02-2328}}</ref>。
== 年表 ==
[[画像File:Ohyashiryoukan.JPG|thumb|right|大谷資料館内部]]
* 6-7世紀:[[切石積]][[横穴式石室]]を持つ[[古墳]]に加工が容易な大谷石等が多く用いられる。
* [[741年]]: - 現在の栃木県、[[下野国|下野]][[国分寺]]・下野[[国分尼寺]]の[[礎石]]、地覆石、羽目石に使用される。
* [[810年]]: - [[大谷寺 (宇都宮市)|大谷寺]]の本尊([[大谷観音]])は[[空海|弘法大師]]自らが大谷石を彫り、完成させたとされる。
* [[1922年]]:(大正11年) - [[フランク・ロイド・ライト]]設計の[[帝国ホテル]]に使用される。玄関部は現在、[[博物館明治村]]に保存されていまする<ref name="tochigi100"/>。
* [[1932年]]:(昭和7年) - [[カトリック松が峰教会]]に使用される(現存する国内最大級の大谷石による[[ロマネスク・リヴァイヴァル建築]]<ref name="tochigi100">「とちぎの百様大図鑑」栃木県 2016年3月 P44</ref>)。
* [[1944年]]:(昭和19年) - 大谷石地下採掘場の広大な空間は、陸軍糧秣廠・被服廠の地下秘密倉庫に利用される。戦時中は中島飛行機の疾風を製造する地下工場としても活用された。
* [[1951年]]:(昭和26年) - [[坂倉準三]]設計の[[神奈川県立近代美術館]]に使用される。
* [[1954年]](昭和29年)[[11月1日]] - 大谷町が属していた[[河内郡]][[城山村 (栃木県)|城山村]]が[[宇都宮市]]に編入され、宇都宮市の一部になる。
* [[1957年]](昭和32年)[[10月7日]] - 宇都宮市田下東倉の採石場で落盤が発生。作業員5人死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=123|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1969年]]:大谷石地下採掘場は年平均気温が8度前後であるため、[[政府米]]([[新米と古米|古々米]])の保管庫として利用される。 ▼
* [[1959年]](昭和34年)[[7月6日]] - 宇都宮市大谷町の採石場で落盤が発生。作業員9人が生き埋めとなるも6人が重軽傷を負いつつ救助、3人が死亡<ref>日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』 p.136</ref>。
* [[1979年]]:3月、[[大谷資料館]]がオープン。地下採掘場が公開される。 ▼
* [[1962年]](昭和37年)[[7月30日]] - 宇都宮市大谷町の採石場で落盤が発生。作業員2人と通行人の中学生1人が死亡<ref>日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』 p.162</ref>。
* [[1989年]]:2月、宇都宮市大谷町坂本地区にあった昔の採掘場の跡地の地下空間が直径70m、深さ30mにわたり陥没<ref name="st1902"/>。周囲が住宅地であったことから、住民が避難する騒ぎとなった<ref name="st1902"/>。 ▼
▲* [[1969年]] :(昭和44年) - 大谷石地下採掘場は年平均気温が 87度前後であるため、[[政府米]]([[新米と古米|古々米]])の保管庫として利用される。
* [[2010年]]:6月、大谷石産業によって32年ぶりに新しい採掘場「石の里 希望」が作られた。宇都宮市も、市内において住宅に大谷石を使用した場合に費用を助成する制度を始めた。 ▼
▲* [[1979年]] :3(昭和54年) - 3月、[[大谷資料館]]がオープン。地下採掘場が公開される。
* [[2016年]]:[[日本地質学会]]により、栃木[[県の石]]に選ばれる{{sfn|清木|2017|p=793}}。 ▼
▲* [[1989年]] :2(平成元年) - 2月、宇都宮市大谷町坂本地区にあった昔の採掘場の跡地の地下空間が直径70m、深さ30mにわたり陥没<ref name="st1902"/>。周囲が住宅地であったことから、住民が避難する騒ぎとなった<ref name="st1902"/>。
* [[2018年]]:[[5月24日]]、「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が[[日本遺産]]の認定を受ける<ref>{{cite web|url=https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/citypromotion/rekishi/1015948/1015963.html|title=「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました|work=宇都宮ブランド|publisher=宇都宮市教育委員会事務局文化課文化財保護グループ|accessdate=2020-10-23}}</ref>。 ▼
▲* [[2010年]] :6(平成22年) - 6月、大谷石産業によって32年ぶりに新しい採掘場「石の里 希望」が作られた。宇都宮市も、市内において住宅に大谷石を使用した場合に費用を助成する制度を始めた。
▲* [[2016年]] :(平成28年) - [[日本地質学会]]により、栃木[[県の石]]に選ばれる{{sfn|清木|2017|p=793}}。
▲* [[2018年]] :(平成30年) - [[5月24日]]、「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が[[日本遺産]]の認定を受ける<ref>{{ citeCite web |和書|url=https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/citypromotion/rekishi/1015948/1015963.html|title=「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」が日本遺産に認定されました|work=宇都宮ブランド|publisher=宇都宮市教育委員会事務局文化課文化財保護グループ|accessdate=2020-10-23}}</ref>。
== 採掘 ==
地表から下へ下へと掘り進める「[[平場掘り]]」と、立坑から横へ横へと掘り進める「[[垣根掘り]]」がある{{sfn|清木|2017|p=795}}。大谷地域の地層は、利用価値の高い石材の層とミソが多く利用価値の低い層が交互に堆積しているため、明治末期から大正初期に[[伊豆長岡町|伊豆長岡]](現・[[伊豆の国市]])から伝わった垣根掘りは画期的であった{{sfn|清木|2017|p=795}}。
また、[[露天掘り]]と坑内掘りの2種類があり、坑内掘りは更に碁盤の目状に掘る「[[柱房式]]」と櫛形に掘る「[[長壁式]]」に分けられている{{sfn|清木|2017|pp=795-796}}。
=== 手掘り時代 ===
== 運搬 ==
手掘り時代には地下の深い採掘場から背負って運び出していた。石塀に使用される石(50石)1本の重さが70kg程あり、重い石では140kgの石まで1人で1本担ぎ出したとされている。外に運び出された石は[[馬車]][[人車|や]]人車([[トロッコ]])、荷船で遠くまで運ばれた。現在では、地下の深い採石場からは[[モーター・ウィンチ]]という機械で石が巻き上げられ、[[貨物自動車|トラック]]、[[貨物列車]]で全国各地に運び出されている。
== エピソード ==
[[ファイル:Imperial Hotel lobbie 2014 Museum Meiji Mura 5.jpg|サムネイル|代替文=内外装に大谷石を使用した帝国ホテルライト館|大谷石を多用した帝国ホテルライト館([[博物館明治村]]に移築復元)]]
{{出典の明記|date=2021-06-19|section=1}}
[[フランク・ロイド・ライト]]設計の[[帝国ホテル]][[帝国ホテル#ライト館|ライト館]](旧所在地は東京都千代田区内幸町)の建材として使多用されたが。ライトは[[国会議事堂]]建設のために日本国内の石材を集めた標本室を訪れ、そこで大谷石を選んでいる{{sfn|谷川|2000|p=11|ps=最初に選んだのは島根県産の荒島石であったが産出量が少ないため大谷石に決定した}}。ホテルは完成披露宴の当日である1923年9月1日、披露宴の準備の真っ最中に[[関東大震災]]に遭遇した。しかし、小規模な損傷を受ライトは自著「An Autobiography」にて「一面焼け野原となったもの東京に天才のほぼ記念碑として無傷なままで残建っていた。このこ」との電報を設計者記し、このライトエピソードは知り、狂喜し彼の[[師弟|弟子]]たらちによって伝説化された。ただし、震災直後に行われた被災調査によると「火害なけれど震害あり」と判定されている{{sfn|谷川|2000|p=10-11}}。
== 脚注 ==
== 参考文献 ==
* {{cite journal|和書|author=清木隆文|title=大谷石の紹介|journal=材料|publisher=日本材料学会|year=|date=2017-11|volume=66|issue=11|page=793-798|naid=130006922182|doi=10.2472/jsms.66.793|ref={{sfnref|清木|2017}}}}
* {{Cite journal|和書| author=谷川正己
| journal=建築の研究| issue=137
| title=物語と歴史の間-F.L.ライトと日本
| year=2000
| publisher=建築研究振興協会| page=9-12
|id={{NDLJP|3313487/6}} |ref={{harvid|谷川|2000}}
}}
== 関連項目 ==
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