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{{Infobox motorsport championship
| category = [[ラリルド1|ラリー1.ラリー2.ラリ3]]
| logo= File:WRC.svg
| country/region = [[国際|インターナショナル]]
| inaugural2 = {{WRC|1973}}
| folded =
| drivers = 910<ref group="注" name="Manufacture">マニュファクチャラーチーム</ref>
| teams = 3<ref group="注" name="Manufacture"/>
| tyres = [[ピレリハンコックタイヤ|ハンコック]]
| champion driver = {{flagicon|FRA}} [[セバスチャン・オジェ]]({{WRC|2021}})
| manufacturer = {{flagicon|JPN}} [[トヨタ自動車|トヨタ]](2021年)
| current_season =20222025年の世界ラリー選手権
| website = https://www.wrc.com
}}
 
[[File:2017 Rally Portugal - 22.jpg|thumb|right|300px|2017年[[ラリー・ポルトガル]]]]
'''世界ラリー選手権'''(せかいラリーせんしゅけん、''{{lang-en|FIA World Rally Championship}}''、ワールドラリーチャンピオンシップ、通称:'''WRC'''(ダブリュアールシー))は、[[国際自動車連盟]] (FIA) (FIA)が主催する[[ラリー]]競技の[[世界選手権]]である。ヨーロッパを中心として[[アフリカ]]・[[ラテンアメリカ|中南米]]・[[アジア]]・[[オセアニア]]などの地域でも開催されている。併催のWRC2、WRC3、JWRCなどについてもここで述べる。
 
== 概要 ==
[[ファイル:2010 wales rally gb by 2eight dsc1445.jpg|thumb|right|220px|[[シトロエン]]チームと9年連続WRC王者の[[セバスチャン・ローブ]]/[[ダニエル・エレナ]]組(2010年[[ラリーGB]])]]
[[1970年]]にそれまで世界各地で単独に開催されていた[[ラリー]]競技のイベントをFIAの下に一本化して誕生した、'''『「{{仮リンク|国際マニュファクチャラーズ選手権』(IMC)'''|en|International Championship for Manufacturers}}」({{Lang-en-short|International Championship for Manufacturers}}、通称:IMC)<ref group="注">[[スポーツカー世界選手権]]が1962年に改称した、全く同名のシリーズも存在する</ref>が前身である。[[1973年の世界ラリー選手権|1973年]]に世界選手権へと格上げされて、WRCとしてスタートした<ref name="msarchive-4-wrc">{{Cite journal|和書|journal=モータースポーツアーカイブ |volume=4 |publisher=公益社団法人自動車技術会 |year=2017 |title=WRCの解説 |author=田中泰男 |url=https://www.jsae.or.jp/katsudou/docu/1045/motorsports_archives04.pdf |format=PDF |page=12}}</ref>。FIAが主催する[[自動車競技]]の世界選手権の中では[[フォーミュラ1|F1世界選手権]]({{F1|1950}}創設)の次に長い歴史を持つ<ref group="注">[[スポーツカー世界選手権]]は1953年創設だが1992年に一旦消滅している。</ref>。また開幕戦の[[ラリー・モンテカルロ]]は、F1の[[モナコグランプリ]]より長い歴史を持つイベントである{{R|msarchive-4-nissan|page=6}}。選手権は元々はマニュファクチャラー部門(自動車メーカー)のみが争われたが、後にドライバー部門と[[ナビゲーター (モータースポーツ)|コ・ドライバー]]部門の選手権も争われるようになった。また下位のサポート選手権であるWRC2、WRC3、JWRCが併催されている。
 
ラリーの種類は、[[公道]]や[[競技場]]などに設けられたコース=[[スペシャルステージ(SS) ]](SS)でタイムアタックを行い、各SSタイムの合計で順位を決める「スペシャルステージラリー」である。SSとSSの間の移動は「[[リエゾン (曖昧さ回避)|リエゾン]]」または「ロードセクション」と呼ばれ、一般車に混じり現地の交通法規に従って走行する{{R|msarchive-4-wrc}}。現行の標準的なスケジュール(アイテナリー)では、木曜日から日曜日にかけての3 - 4日間に20本前後のSSを走行する{{R|msarchive-4-wrc}}。SSの合計距離は300 - 400&nbsp;km、リエゾンを加えた総走行距離は1,000 - 1,500 km程度である{{R|msarchive-4-wrc}}。SSの時間は基本的に日中で、時々早朝や夜間にも行われる。
 
競技車両は一定数生産された市販車をベースとして、[[ホモロゲーション|公認]]範囲内で改造を加えたラリーカーである。性能別に数段階にグループ分けされているが、選手権タイトルを賭けた最高峰クラスは、マニュファクチャラーの直営組織([[ワークスチーム]])が開発した現在では[[ワールドラリーカー]](WRカー)で競われる。
 
競技車両には[[運転手|ドライバー]]と[[ナビゲーター (モータースポーツ)|コ・ドライバー]]の2名が乗車し、コ・ドライバーがコース上のコーナーや路面状況などをあらかじめ記載した[[ペースノート]]を読み上げ、ドライバーはそれに従い運転操作を行う{{R|msarchive-4-wrc}}。また、基本的にはドライバーが運転操作を行い、ナビゲートするのがコ・ドライバーという形ではあるが、非常に稀なケースではあるものの両者の役割が逆転する場合もある。2011年スウェーデンラリーでは、[[ペター・ソルベルグ]]選手が一般道のリエゾン区間でスピード違反で免許停止措置(世界中で開催される世界選手権に参加するためのライセンス以外に開催国での自動車運転を認めてもらうための国際免許を停止される処分)を受け、処分の執行には48時間の猶予があったものの、最終ステージ前で執行猶予時間が経過したため最終ステージだけをコ・ドライバーのグリス・パターソンにステアリングを託し、ソルベルグ本人は助手席で運転操作を解説しながら最終ステージを完走するという場面もあった<ref name="rallyplus_20110214">{{Cite web|和書| url = https://www.rallyplus.net/7850 | title = ペター・ソルベルグ、免停の顛末を語る - RALLYPLUS.NET | accessdate=2022-8-14}}</ref>。このように、タイムアタック区間(スペシャルステージ)以外の走行区間では開催当該国の道交法に従わなければならないため苦肉の策が実行されるケースもある。また、スペシャルステージでアクシデントを起こして破損した車で走り続けるしかない場合(多くの場合はリエゾン区間前にチームの整備を受けられる)もあり、そのままリエゾン区間に入ると整備不良や危険な破損車での走行ということで警官に止められ、その場合は、その場で即刻リタイアを余儀なくされるケースもある。このようにFIA(FIA(世界選手権主管団体)が定めた規則だけではなく、開催当該国の道交法も遵守しなければならない。
 
== 主な特徴 ==
{{Double image aside|right|VW Polo V 1.2 Team Monosilber.JPG|180|2014 rally sweden by 2eight dsc6731.jpg|200|市販車両|WRCの競技車両}}
[[Image:2013-03-05 Geneva Motor Show 7962.JPG|thumb|right|200px|4連補助灯]]
競技車両は市販車両をベースに製作することと規定されているため外観はベースモデルと大差無いが、特に最上位のWRCクラスが使用すの車両である'''[[ワールドラリーカー|WRカー1]]'''は、フレームやエンジンはじめとする各パーツ、駆動やサスペンションの形式の変更などが行われ、内部は大部分がほぼ完全に別物となっている{{#tag:ref|WRカー時代末期のトヨタ・ヤリスWRCの場合、WRカー仕様と市販車仕様の共通性は38%ほどであるという<ref name="toyokeizai18477">{{Cite web |和書|url=httphttps://toyokeizai.net/articles/-/184777 |title=トヨタが「WRC再参戦」でつかんだ成果と課題 |accessdate=2017-08-28 |publisher=東洋経済}}</ref>。|group="注"}}。[[エンジンコントロールユニット|ECU]]にはSS用の“ステージモード”{{#tag:ref|リエゾン走行時とは異なるSS用のセッティングモード。パワーの増大と共に[[ミスファイアリングシステム|アンチラグシステム]]の効きを強くすることでスロットルレスポンスは向上するが、燃料を濃くするため、より多くの燃料を消費する。仮に、負荷の低いリエゾンでステージモードを使用してしまうと不燃焼ガスが多く発生する<ref>WRC 2013 第5戦 アルゼンチン . ''J SPORTS''. (2013年5月5日)</ref>{{出典無効|date=2020-04-10|title=WP:TVWATCH}}。|group="注"}}、リエゾン用で低燃費となる“リエゾンモード”の2種類が設定されており、走行状況に合わせて切り替える仕様となっている(ラリー1の車両では、ハイブリッドシステムの複数の走行モードを切り替えて運用する<ref>{{Cite web|和書| url = http://rallyx.net/news/Rally1%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%AF3%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%B5%B0%E8%A1%8C%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89-20547/ | title = Rally1のハイブリッドシステムは3つの走行モード - RALLY-X mobile | accessdate = 2022-8-14}}</ref>)
 
[[モータースポーツライセンス|競技ライセンス]]“国際C級レース除外”を取得し、規定に合致した車両を用意して抽選に通れば、一般人も'''プライベーター'''として出場することが可能である<ref group="注">2004年に日本で初めて行われた[[ラリージャパン]]には、全国から多数のプライベーターが参戦した。</ref>。[[WRカー]]の後から同じコースを走りタイムを争い、時にはプライベーターがランキングの上位に食い込むということもある。なお[[コ・ドライバー]]もドライバーと同等の競技ライセンスが必要である。
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== イベント ==
WRCの統一プロモーターは2014年から現在まで、「WRCプロモーター有限会社(WRC Promoter GmbH)」が担っている。以前は1982年に[[バーニー・エクレストン]]により設立された「[[:en:International Sportsworld Communicators|ISO(International Sportsworld Communicators)]]」が2010年まで、これをノースワン・テレビジョンが買収した「ノースワン・スポーツ」がプロモーターを務めていた<ref>[https://www.rallyplus.net/9918 WRCのプロモーター、ISCが社名変更]Rally Plus.net 2022年8月12日閲覧</ref>。
 
各々の国で開催される競技を'''イベント'''と呼ぶ。年間のイベント数は1990年代中頃まで8 - 10戦程度であったが、増加を望むFIAの意向により各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス (車両整備) 回数の制限等、イベントの簡素化が進められたことに対応するようにイベント数が徐々に増やされ、2007年には全16戦、2008年は全15戦となっていたが、2009年と2010年は2年間で24戦を隔年で開催するという年間12戦のローテーション制となり{{#tag:ref|自動車メーカー側からはイベント数が多過ぎるとの声が上がり、主催者側はWRCを自国で開催したいという思惑があるため、双方の意向を汲む形で導入された<ref>{{Cite news |url=https://www.jsports.co.jp/press/article/N2009012614501305.html |title=【WRCコラム】2009年 第1戦 ラリー・アイルランド |newspaper=J SPORTS WRC Mr.フクイのものしり長者 de WRC! |date=2009-01-26}}</ref>。そのため2009年は伝統のモンテカルロからの開催とならず、ラリージャパンも2010年に回っている。映画の題材となるなど、日本でよく知られている[[ケニア]]の[[サファリラリー]]は、イベント自体の特殊性や開催地の遠さが敬遠され、2002年の開催を最後にWRCからは外されている。 |group="注"}}、2011年からは全13戦となっている。
 
F1のオフシーズンである[[ストーブリーグ]]が4ヶ月-5ヶ月近くであるのに対して<ref group="注">2006年最終戦は10月21日の[[ブラジルグランプリ]]で、2007年の開幕戦である[[オーストラリアグランプリ]]は3月18日と5ヶ月ある。</ref> WRCは1ヶ月前後しかないが<ref group="注">例として、2006年最終戦のグレートブリテンラリーが12月3日に最終日を迎えたのに対し、2007年開幕戦であるモンテカルロ・ラリーは1月19日と1ヶ月強程度しかオフシーズンがない。</ref>、<!--ドライバーからは年間イベント数の縮小を求めるなど不満の声が出ている。(出典提示後に本文に戻して下さい)-->シーズンオフが短い分、6月上旬から7月終わりまたは8月始めまで約2ヶ月間の休息期間となるインターバルを設けている。
 
現在WRCクラスのマニュファクチャラーチームは全イベントに参戦することが前提となっているが、かつては有効ポイント制であったことに加えて輸送の問題や参戦コスト、マシンの得意・不得意などもあったため、全イベントに参戦しない方がむしろ一般的であった。WRC黎明期に日本勢がアフリカイベントで好成績を残すことができたのは、そうした事情も関係がある。
 
=== これまでに開催されたWRCイベント ===
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|[[ラリー・フィンランド|ネステ・ラリー・フィンランド]]
|ユバスキュラ
|1997年 - 2019年, 2021
|-
|rowspan="2"|{{FRA}}
|[[ツール・ド・コルス|ツール・ド・コルス - ラリー・ド・フランス]]
|[[アジャクシオ]]
|1956年 - 2009年
|-
|{{FRA}}
|[[ラリー・ド・フランス-アルザス]]
|[[ストラスブール]]
130 ⟶ 136行目:
|-
|{{POL}}
|[[ラリー・ポーランド]]{{#tag:ref|一部のステージはWRC初の[[リトアニア]]で行われる<ref>{{Cite news |url=httphttps://response.jp/article/2013/12/06/212477.html |title=【WRC】ラリーポーランド、2014年のルートの詳細を発表 |newspaper=Response |date=2013-12-06}}</ref>。 |group="注"}}
|[[ミコワイキ]]
|2014年 - 2017年
139 ⟶ 145行目:
|1976年 - 1992年
|-
| rowspan="34" |{{JPN}}
| rowspan="34" |[[ラリージャパン|ラリー・ジャパン]]
|[[帯広市]]
|2004年 - 2007年
148 ⟶ 154行目:
|-
|[[長久手市]]
|2020年(中止)、2021年(中止)
|-
|[[豊田市]]
|2022年
|-
|{{JOR}}
187 ⟶ 196行目:
|[[ラリー・ニュージーランド|プロペシア・ラリー・ニュージーランド]]
|[[ハミルトン (ニュージーランド)|ハミルトン]]
|1985年 - 2008年, 2010年, 2012年, 2020
|-
|rowspan="2"|{{POR}}
201 ⟶ 210行目:
|[[ラリー・カタルーニャ|ラリー・ラック・カタルーニャ - コスタ・ドゥラダ]]
|[[サロウ]]
|1991年 - 2019年, 2021
|-
|rowspan="23"|{{SWE}}
|[[Rally to the Midnight Sun]]
|[[カールスタッド]]
|1950年 - ?
|-
|rowspan="2"|[[スウェディッシュラリー|ウッデホルム・スウェディッシュ・ラリー]]
|カールスタッド
|2002年 - 2020年
|-
|[[ウメオ]]
|2022年
|-
|{{TUR}}
235 ⟶ 247行目:
|[[ラリー・クロアチア]]
|[[ザグレブ]]
|2021年 -
|-
|{{BEL}}
248 ⟶ 260行目:
 
概ね、ターマックでは[[最低地上高|車高]]を下げて大径の18インチ[[車輪|ホイール]]を装着するのに対して、路面変化の大きいグラベルではサスペンションのストロークを確保するために車高を上げて小径の15インチホイールを装着する。全イベントの2/3を占めるグラベルも地質や砂利の割合などそれぞれ特性が異なり一括りに出来ない難しさがあるため、ターマック、グラベル共に路面状況や天候を読みながらのセッティング、タイヤ選択がタイムに大きな影響を与えることも少なくない{{#tag:ref|特に1月に開催される[[ラリー・モンテカルロ|モンテカルロ]]は、ドライ、ウェット、スノー、アイスと路面状況が変化するためタイヤ選択が重要なイベントとなっている。公式サプライヤーの1社で、2014年に全てのワークスチームに供給するミシュランでは、低い路面温度に対応するコンパウンドが柔らかいソフトとスーパーソフトの2種類、モンテカルロ専用となるスタッド付きとスタッド無しのスノータイヤを用意したが、装着分4本とスペアタイヤの搭載は2本に限られるため、選択によっては大きくタイムを失うドライバーが続出する結果となった<ref>{{Cite news |url=http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/01/rd01-monte-carlo-report.html |title=【第1戦 ラリー・モンテカルロ: レポート】 |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-01-20 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。 |group="注"}}。
 
ラリードライバーは大別するとターマックが得意か・グラベルが得意かで分けることができるが、その違いはドライバーの出身地による場合が多い。例えばグラベル路面の多い[[フィンランド]]のドライバーはグラベルが得意で、ターマック路面の多い[[フランス]]のドライバーはターマックが得意、といった具合である。これは慣れというのはもちろん、その地域で頭角を現すためにはその地域の路面に強い必要があるということでもある。また同じ「グラベル」「ターマック」でも、国によってコース環境は大きく異なる<ref group ="注">例えばグラベルは土砂の大きさや乾燥具合、ターマックは路面の粗さなど。また両者に共通して、平均速度や土地勘なども加わる</ref>ため、地元のドライバーが好成績を残す傾向にある。
 
=== タイヤの制限 ===
[[Image:Rali Portugal (168).JPG|thumb|right|200px|左: ターマック用<br />右: グラベル用<br />(2007年 ラリー・ポルトガル)]]
かつてはタイヤの種類や使用本数に制限は無かったが、コスト低減などを目的としたコントロールタイヤ制度 (ワンメイク) の導入<ref group="注">2008年 - 2010年</ref> と同時に様々な制限を行った<ref name="mmr20110616Tips">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/06/-1.html |title=グラベル用ラリータイヤ最新事情 |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2011-06-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140404175924/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/06/-1.html |archivedate=2014-04-04 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。タイヤの種類は、[[トレッド (タイヤ)|トレッド]]パターンがブロック状のグラベル用<ref group="注">少々のパンクに対応できる様、2007年まではムースと呼ばれる発泡剤をタイヤ内部に充填していたが、2008年のレギュレーション変更で禁止された。</ref>、ターマック用のグルーブ (溝) が少ない[[セミスリックタイヤ|セミスリック]]{{#tag:ref|1994年を以て純粋なスリックタイヤの使用は禁止された<ref name="mmr20110816">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/08/post-34.html |title=アスファルト用ラリータイヤのパフォーマンス |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2011-08-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140404191605/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/08/post-34.html |archivedate=2014-04-04 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。 |group="注"}}のほか、冬期イベント用にスノー用([[スタッド付きノータイヤ|スタッドレス]])とアイス用([[スパイクタイヤ|スタッド]])がある<ref>{{Cite web|title=脇阪寿一『WRCで使用するタイヤ』|url=https://ameblo.jp/juichi-wakisaka/entry-12394133873.html|website=脇阪寿一オフィシャルブログ「脇阪寿一の走らなあかん!」Powered by Ameba|access-date=2025-10-16|language=ja}}</ref>{{#tag:ref|同じ冬期のイベントでも、モンテカルロとスウェーデンでのスタッドタイヤは仕様が異なる。2013年のスタッドの高さと数は、モンテカルロが約2 mm/180本、スウェーデンが6 mm/360本となっている<ref name="2013R2"/>。 |group="注"}}。レギュレーションにより、イベントで使用可能なトレッドはグラベル、ターマック共に1種類、コンパウンド<ref group="注">タイヤの接地面に使用されるゴムの種類。一般的に、ソフトはグリップ力は高いが性能保持時間が短く、ハードはソフトに比べるとグリップ力は劣るものの性能保持時間は長い傾向がある。</ref> は2種類まで認められているが<ref name="mmr20110816"/>、例外として、ターマックの冬期イベントで路面のコンディションが多種多様に変化する[[ラリー・モンテカルロ|モンテカルロ]]では4種類まで認められている<ref name="mmr20140115">{{Cite news |url=http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/01/rd01-monte-carlo-preview.html |title=今年もWRCは"雪と氷のモンテカルロ"から。ミシュランのWRC公式タイヤサプライヤー4年目がスタート |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-01-15 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。
 
車両へ搭載されるスペアタイヤの本数は2本まで、新品タイヤへの交換は“サービスパーク”への入庫時のみ、交換本数も4本までとなっている{{#tag:ref|環境負荷の低減とコスト削減のため、2011年までは6本まで、2012年には5本まで、2013年からは4本までと年々削減されているため、タイヤメーカーは耐久性と性能の両立を更に求められることになった<ref name="mmr20140207t&r">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-regulations.html |title=2014年WRCタイヤ&主要レギュレーション |newspaper= MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC|date=2014-02-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141214010440/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-regulations.html |archivedate=2014-12-14 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。 |group="注"}}。限られたタイヤ本数で如何に早いタイムを出すことが求められるため、特に近年はタイヤマネージメントの重要性が増した。前後左右のタイヤ選択、前後のローテーション、内圧設定のほか、勝負所となる重要なSSを見極めタイヤを温存するなど様々な戦略が取られている<ref name="mmr20110910">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/09/post-40.html |title=ラリー中のタイヤ・マネージメント |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2011-09-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140404182055/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/09/post-40.html |archivedate=2014-04-04 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。イベント毎に使用出来るタイヤの総本数は異なるが、2014年のラリー・イタリアではシェイクダウンに4本、競技では35本となっている<ref name="mmr20140605p">{{Cite news |url=http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/06/rd06-sardinia-preview.html |title=【第6戦 ラリー・イタリア: プレビュー】 |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-06-05 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。
 
=== タイヤメーカー ===
2018年現在でFIAに認定されている公式サプライヤー (供給メーカー) は、[[ミシュラン]]{{#tag:ref|WRC開催初年度の1973年から2005年まで供給、その後は傘下の[[グッドリッチ#BFグッドリッチ|BFグッドリッチ]]ブランドとして[[インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ]](IRC)に供給するなどの形で一時休止していたが2011年に復帰した<ref>{{Cite news |url=http://f1-gate.com/michelin/wrc_8980.html |title=ミシュラン、WRC復帰を検討 |newspaper=F1-Gate.com |date=2010-09-10}}</ref><ref name="mmr20140207w&m">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-michelin-and-wrc.html |title=WRCとミシュラン |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-02-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141214010431/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-basics-michelin-and-wrc.html |archivedate=2014-12-14 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。2014年は全てのワークスチームが使用する<ref name="mmr20140207t&r"/>。 |group="注"}}、[[山東永泰化工集団|DMACK]]、[[ピレリ]]{{#tag:ref|ミシュランと同じく開催初年度の1973年から供給を開始し、2008年から2010年までは独占契約によりワンメイク供給を行った<ref name="rp20100409">{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/9435 |title=ピレリ、2011年までWRCコントロールタイヤ契約を延長! |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2010-04-09 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。2011年からF1に集中するため2010年を以て休止したが、2014年に復帰した<ref>{{Cite news |url=http://rallyx.net/news/ピレリ、2014年にWRCに復帰-9447/ |title=ピレリ、2014年にWRCに復帰 |newspaper=RALLY·X |date=2013-08-02}}</ref>。|group="注"}}の3社である。2008年から2011年までは独占契約を結んだ1社が全てのマシンにタイヤを供給するワンメイクとなっていたが、2011年からはタイヤメーカーの選択が自由となり、各チームがそれぞれのタイヤメーカーと契約する形となっている<ref name="mmr20110201tips">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/02/post-8.html |title=ミシュラン、ラリーに本格復帰 |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2012-01-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141214003242/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/02/post-8.html |archivedate=2014-12-14 |deadlinkdate=2017-08-24}}</ref>。尚、トップクラスのWRカークラスに関しては2021シーズンから、コントロールタイヤがミシュラン製からピレリ製に変更されている。
 
== スケジュール ==
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=== リエゾン ===
[[Image:2012 10 05 Rallye France, Route de liaison à Colmar, Ott Tänak.jpg|thumb|right|200px|リエゾンを走行する車両 (2012年 [[ラリー・ド・フランス-アルザス|ラリー・フランス]])]]
一般道路を使用する移動区間。スタートした車両はリエゾンを通りTCへ向かう。SSと異なり閉鎖されていないため、現地の交通法規に従い一般車両に混じって走行する{{R|msarchive-4-wrc}}。そのため競技車両は開催国のナンバープレートを装着する。リエゾンを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するというラリー競技当初の姿が現在も残っている<ref group="注">優勝を争うような選手でもコマ図を読み違え、道に迷いガス欠で棄権するということが起こる。</ref>。TCに入る時間は車両毎に指定され<ref group="注">交通渋滞などで遅くなった若しくは早く着いてしまったなど、リエゾンで生じた誤差を正すのが目的。</ref>、指定時刻に遅れた場合は1分につき10秒のペナルティが総合タイムに加算される<ref name="mmr20140207t&r"/>。スピード違反や一時停止義務違反で現地の警察に検挙されることもあり{{R|msarchive-4-wrc}}、ドライバーが免許停止などの処分を受けた場合、以後のリエゾン区間はコ・ドライバーがステアリングを握ってドライバーがナビをする<ref>{{Cite news |urlname=http://www.rallyplus.net/news/info.php?no=24554"rallyplus_20110214" |title=ペター・ソルベルグ、免停の顛末を語る |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2011-02-14}}</ref>。また、各国の法律<ref group="注">日本の場合は[[道路運送車両法]]。</ref> に定められた保安基準を満たしていない場合は走行を止められることがあり、特にSS区間でのトラブルで車が破損した場合などに問題となる<ref>{{Cite journal|和書|magazine=RALLY CARS |volume=24 |year=2019 |publisher=三栄 |title=小説より、奇なり {{Small|トミ・マキネン3度目の戴冠と三菱ランサーエボリューションV}} |author=Martin Holmes |authorlink=マーティン・ホームズ |page=98, 102 |isbn=9784779639319}}</ref>。
 
=== SS ===
{{see also|スペシャルステージ}}
 
一般道路を一時的に閉鎖して作られた区間で、スタート地点はTC内に設置され、1台ずつ一定間隔でスタートしてタイムを競う。イベントによっては一般道路を閉鎖して使用するSSとは異なり、人工的に作られたサーキットコースのような特設会場で、2台の車両が仕切りのあるコースを同時にスタートする'''スーパースペシャルステージ''' (Super Special Stage: '''スーパーSS'''、'''SSS''') も存在する{{R|msarchive-4-wrc}}<ref group="注">通常のSSでは観客は競技車両が走り去るまでの短時間しか観戦出来ないが、スーパーSSでは観客席を設けて同じコースを2台の車両が同時にスタートするため、タイムを争う様子を観戦出来る。厳密には同じコースではないが比較的距離が短いため、タイム差は僅かである。</ref>。
[[ファイル:Grönholm vs. Loeb.jpg|thumb|200px|left|スーパーSS<br />(2006年 [[ラリー・アルゼンチン]])]]
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スタート順は、グラベルのイベントに於いては重要なファクターとなる。最初にスタートするドライバーは堆積する土砂を掻き分ける掃除役となり不利を被ることが多いため、これまでも様々な対策が取られてきたが根本的な解決策は定まっていない。2013年までは事前に行われる予選でタイム順に上位のドライバーから自由に決めることが出来たが、2014年からは予選が廃止された。新方式は、初日のDAY1はドライバーズポイントが高い順、DAY2以降はスーパーSSを除く前日の最終ステージを終えた時点での総合成績順となっている。
 
各DAY最後のSS終了後はTCに移動してリエゾンを通り、'''サービスパーク'''と呼ばれる各チームの本部に戻る。サービスパークでは競技中の整備や給油などの各種作業が許されるが制限時間があり{{#tag:ref|通常は60分だが、ミックスサーフェイスのイベントであるスペインでは75分に設定されている。これは、DAY2がターマックでDAY3がグラベルのため、通常の整備作業に加えて仕様変更も行う必要があるため特別に設定されている<ref name="michelin1"/>。 |group="注"}}、制限時間をオーバーしたり、SSを欠場してマシンの修復を行う場合<ref group="注">[[スーパーラリー]]制度を適用</ref> はペナルティとしてタイムが加算される<ref group="注">以前はサービスパークという制度は存在せず、競技中はほぼ時間や場所に関わらず整備が可能であった。</ref>。その後、車両は再びパルクフェルメに保管されて次のDAYの競技開始を待つ。サービスパーク以外で簡単な整備が出来る場所、'''リモートサービス'''{{#tag:ref|15分間のため、整備は必要最低限となる<ref name="mmr20110526r6">{{Cite news |url=http://nihon.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2011/05/post-19.html |title=WRC第6戦ラリー・アルゼンチン プレビュー |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2011-05-26 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。 |group="注"}}を設ける場合もある。
 
== 車両クラス ==
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=== 実際に参戦可能な車両とクラス ===
2022年現在。車両の詳細は[[世界ラリー選手権#競技クラス|競技クラス]]を参照。
; WRC
:* [[WRカー]](型落ちも含む)
:
; WRC2/WRC3
:* グループRally2
:
: WRC3
;JWRC
:*グループRally3
:* 二輪駆動のグループRally(=R3 - Rally5)車両の中からFIAが指定する一車種
:
; FIA R-GTカップ
:* [[グループR-GT]]
 
その他、これらのクラスとは別枠でASN(Authority Sport Nationale、各国の自動車協会)の認める地域選手権独自の規定の車両がエントリーすることも可能である。ただし安全基準はFIAのそれに準ずる。またチャンピオンシップポイントを得ることはできず、賞典外での参加となる。
 
== 競技クラス ==
2019年はWRCのほかに'''WRC2'''、'''WRC3'''、'''JWRC'''を始めいう3つのするサポート選手権と、それに付随する各種カップが存在する。このうちWRC2とWRC3は全WRCイベントで併催される<ref group="注">2012年まで、WRC以外のJWRCやPWRCなどは、WRCと併設されたイベントでWRCのみしか行われないイベント、一部サポートカテゴリーを行われないイベント、全カテゴリーを同時開催するイベントなどまちまちであった</ref>。こうしたいわゆる「下位クラス」は業界の事情に対して右往左往するような形で毎年大規模に賞典の変更が行われるため、情報を追う場合には特に注意が必要である
 
[[タイヤ]]は20212022年現在、全クラスで[[ピレリ]]となっている(ただしASN車両はこの限りではない)。
 
=== WRC ===
[[File:TheWRC 45thCentral TokyoEuropean MotorRallye Show2023 2017-16Nr. 18 (380381926914).jpg|200px|thumb|[[トヨタ・GRヤリスWRC ラリー1|トヨタ・GRヤリス Rally1 ハイブリッド]]]]
[[File:Hyundai-MotorsportWRC vinnerCentral Tour-de-CorseEuropean 2Rallye 2023 Nr. 11 (4).jpg|thumb|right|200px|[[ヒダイ・i20 N ラリペWRC1|ヒョンデ・i20 N Rally1 ハイブリッド]]]]
[[File:WRC Central European Rallye 2023 Nr. 13 (4).jpg|thumb|right|200px|[[フォード・プーマ ラリー1|フォード・プーマ Rally1 ハイブリッド]]]]
選手権の名称にもなっている最上位クラス。1973年誕生。マニュファクチャラー(製造者)として参戦するチームは、全13戦で2台以上のエントリーが義務付けられている。ポイントは全戦有効。カーナンバーは基本的に1 - 30番だが、それ以外をリクエストすることも可能。2019年よりチャンピオンドライバー以外は「2 - 99」のうちから自由選択となった。
選手権の名称にもなっている最上位クラス。1973年誕生。マニュファクチャラー(製造者)として参戦するチームは、全13戦で2台以上のエントリーが義務付けられている。ポイントは全戦有効。カーナンバーは基本的に1 - 30番だが、それ以外をリクエストすることも可能。2019年よりチャンピオンドライバー以外は「2 - 99」のうちから自由選択となった<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.as-web.jp/rally/444410 | title = WRC:ドライバーが任意で選ぶ“コンペティションナンバー”発表。トヨタの3名は#5、#8、#10 - autosport web | accessdate=2022-8-21}}</ref>。
 
WRCクラスで現在み使用される車両規定は'''WRカー([[ワールドラリーカー1|Rally1]]'''は量産である。市販車に四輪駆動化やタ由来しないパイプフレボ化いった大幅な改造や変更を施す規定で共通のハイブリッドシステム1997年SDGsの観点から施行精製されたバイオ燃料を用いているのが特徴となる。ベース車両は古くエンジン先代の[[WRカ]]や[[セダン]]が主流であったが、現在は全車が[[Bセグメント]][[ハッチバック]]を採用している。2017年規定のWRカからキャリーオのエンジンはバーされた直列4気筒1.6 Lターボの「GREGRE(グローバル・レース・エンジン)」と呼ばれる規格で、最高出力は約380 PS、最大トルクは約425 Nmを発生する。00年代以降はハイブリッドの最大出力と組み合わせると500PS/500Nmにも達する。コストダウ削減のため[[パドルシフト]]とセの観点から改造範囲が縮小ターデフ、電子制御デフは禁止されていたが、2017年の規定では空力・駆動面の大胆な規制緩和が行われ、速度と迫力が大幅に向上した
 
ベース車両は古くは[[クーペ]]や[[セダン]]が主流であったが、2000年代以降は小型化が進み、現在のラリー1は[[Bセグメント]][[ハッチバック]]と同様のシルエットを採用している。
2018年まで規則上ではWRカー以外にも[[グループN]]、[[スーパー2000]]、[[グループA]]、グループRGT、グループRなどが参戦可能であったが、実際にこれを用いるエントラントはなく、2019年以降は規則から削除されている。
 
2018年まで規則上では[[グループN]]、[[スーパー2000]]、[[グループA]]、グループRGT、グループRなども参戦可能であったが、実際にこれを用いるエントラントはなく、2019年以降は規則から削除されている。
2022年以降は、昨今厳しい環境規制への対応に迫られている自動車メーカーたちの参戦を促すため、[[ハイブリッドカー|ハイブリッドシステム]]と[[バイオ燃料]]を用いる『Rally1』規定が導入された。これによるコスト増加にアクティブセンターデフの禁止、空力開発の制限、パドルシフトの禁止、シフトの6→5速化などで吸収したため、従来よりは速度が抑制される。また骨格はFIAの共通パイプフレームとなり、これにより市販車にベース車両として優秀なBセグメントハッチバックを持たないメーカーも参入することが可能となった。
 
{{main|[[ワールドラリーカー1]]}}
 
==== 1998 - 2010年の主な車種 ====
394 ⟶ 411行目:
* [[プジョー・206]]
* [[プジョー・307]]
* [[三菱・ランサーGr.Aエボリューション]](Gr.A)
* [[三菱・ランサーWRC]]
 
==== 2011- 2016年の車種 ====
410 ⟶ 428行目:
 
==== 2022年以降の車種 ====
* [[トヨタ・GRヤリス ラリー1|トヨタ・GRヤリス Rally1 ハイブリッド]]
* [[ヒョンデ・i20 N ラリー1|ヒュンダイ・i20 Rally1 ハイブリッド]]
* [[フォード・プーマ ラリー1|フォード・プーマ Rally1 ハイブリッド]]
 
=== WRC2 ===
[[Filefile:Paulo2019 MeirelesRally SkodaBohemia - Kopecký-Dresler, Škoda Fabia R5 (2)evo.jpg|thumb|right|200px|[[シュコダ・ファビアR5|シュコダ・ファビアRally2]] R5]]
WRCの直下カテゴリ。2013年誕生。参戦した7戦のうち上位6戦分のポイントが採用される[[有効ポイント制]]である<ref group="注">2017年までは、フル参戦者は運営の指定する3イベントに参戦することが義務付けられていたが、2018年には全戦自由に選べるようになった。これはWRC3も同様である</ref>。カーナンバーは2018年までは31から60番。2019年より20番以降となる。歴史は長くないが、WRC3との絡みも合わせて参加車両・参加資格などの変更が非常に多くされてきたクラスである。
 
使用車両は2022年現在はRally2('''Rally2'''(旧名グループR5)車両のみで選手権が争われる。2013〜14年まではグループR4、2013 - 2018年までは[[グループN|グループN4]]、[[スーパー2000]]もエントリーできた。またWRC2発足当初は[[グループN|グループN4]]が対象の「プロダクションカーカップ」が設定されていた<ref name="as20121122">{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/5032 |title=WRC-2,WRC-3の詳細が発表 |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2012-11-22 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。2020年からは、[[オレカ]]製の共通コンポーネントおよび1.6リッターターボエンジンを搭載するRally2キットカー(旧R4キットカー)も参戦可能となる。
 
グループRally2/R5は元々はスーパー2000に代わる規定で、最大価格18万ユーロの規制の下に多数のメーカーがR5マシンの開発・販売を行っている。エンジンは市販車由来の1.6 Lターボで最大馬力280 PS程度、大規模な空力パーツも無いため絶対的な速さこそWRカーRally1に劣るが、コースやドライバーなどの諸条件が揃うと稀にRally1/WRカーを上回るパフォーマンスを見せることもあ{{#tag:ref|2017年[[ラリー・ドイチュラント]]のSS1ではWRカーには狭すぎる超低速ステージであったこともあり、[[シュコダ・ファビアR5]]のヤン・コペッキーが総合首位に立った。また2022年[[ラリー・エストニア]]のパワーステージでは荒天による路面状況の変化が目まぐるしく、シュコダRally2の[[アンドレアス・ミケルセン]]が後一方でステージウィンを飾るところであった<ref>{{Cite news |url=https://www.as-web.jp/rally/152149 |title=WRCドイチェランド:シトロエンのミークがSS1クラッシュの波乱。トヨタ勢は6番手発進 |date=2017-08-18 |accessdate=2017-08-28 |newspaper=AUTO SPORT web}}</ref> |group="注"}}。コストパフォーマンスに極めて優れているためプライベーターからの人気が高く、[[シュコダ]]のようにこのクラスを主戦場とするメーカーもいるため、かつてはRally2/R5規定を次期WRカーとする構想があったほどであった。結局それは実現していないものの、ワークスチームやプロドライバーが多数いる現状を鑑みて、彼らを対象としたWRC2プロクラスが開催されていたこともあった<ref>[https://www.rallyplus.net/54921 WRCがカーナンバー選択制へ、WRC2プロを創設しWRC3は廃止] RallyPlus.net 2018年10月13日</ref>。WRC2プロは1年間のみの開催で、2020年からはワークス向けのWRC2プロを「WRC2」、プライベーター向けのWRC2を「WRC3」へと名称を置き換えることとなった。
</ref> |group="注"}}、現状ではWRカーに最も近いマシンである。コストパフォーマンスに極めて優れているためプライベーターからの人気が高く、[[シュコダ]]のようにこのクラスを主戦場とするメーカーもいるため、かつてR5規定を次期WRカーとする構想があったほどであった。2017年にWRカーがコスト削減の方針を撤廃したことでそれは実現しなかったものの、ワークスチームやプロドライバーが多数いる現状を鑑みて、彼らを対象としたWRC2プロクラスが誕生した<ref>[https://www.rallyplus.net/54921 WRCがカーナンバー選択制へ、WRC2プロを創設しWRC3は廃止] RallyPlus.net 2018年10月13日</ref>。WRC2プロは1年間のみの開催で、2020年からはワークス向けのWRC2プロを「WRC2」、プライベーター向けのWRC2を「WRC3」へと名称を置き換えることとなった。
 
グループR5が「Rally2」に改称した後の2022年からは再びワークス・プライベーターともにWRC2に一本化され、高齢層のための「マスターカップ」と、WRC2/3優勝経験を持たない若年層のための「ジュニアカップ(WRC2ジュニア)」が賞典として施行される。2023年からはジュニアカップはまだRally2レベルのサポート選手権(WRC2/旧WRC3)の王者になったことのないドライバーによる「'''WRC2チャレンジャー選手権'''」に格上げされ、マスターカップは50歳以上のドライバーとRally2〜5またはR-GT車両が対象の「WRCマスターズカップ」へと変更された
 
==== 2015年までの主な車種 ====
450 ⟶ 467行目:
 
=== WRC3 ===
2013年誕生<ref group="注">2002年から2012年までは「[[プロダクションカー世界ラリー選手権]]」として開催されていた。</ref>。運営規則はほぼWRC2とかなり近く、13戦開催・7戦中6戦の有効ポイント制を敷く。歴史は短いながら車両規定の変遷が激しく、廃止と復活も経験している。
[[File:2017 Rally Portugal - 13.jpg|thumb|right|200px|[[プジョー・208]] R2]]
2013年誕生。運営規則はほぼWRC2とかなり近く、13戦開催・7戦中6戦の有効ポイント制を敷く。
 
もともとはワンメイク化されたJWRCに代わって登場した、WRCの[[二輪駆動]]車部門で、2018年までは二輪駆動のグループR車両(=R1 - R3)・2・3、現在のRally4・5)で争った。またJWRCの車両はWRC3の規則と合致するため、両クラスに同時エントリーが可能となっていた。JWRCは出走イベント・参戦マシン・タイヤメーカーなどを選べないハンデはあるが、実際にはJWRCのエントラントがWRC3でも上位をほぼ占めており、両選手権でチャンピオンを獲得することの方が多かった<ref group="注">現在、2014年から2017年まで4年連続でJWRC/WRC3の同時制覇が達成されている</ref>。この頃はWRC3としてのメディア露出はほとんどなく、2018年終了を以て一旦廃止された。
 
2020年にRally2車両のプライベーター向けクラスとして復活したが、最終戦ラリー・モンツァにて前年までヒュンダイワークスドライバーの[[アンドレアス・ミケルセン]]がスポット参戦し優勝したことで苦情が発生。その影響で2021年以降、過去5年以内にWRCクラスでマニュファクチャラーズポイントを獲得した者又はWRC2/3チャンピオンのWRC3参戦を禁止するという一幕があった<ref name="rallyplus.net">[https://www.rallyplus.net/74982 2021年からパワーステージポイントがマニュファクチャラーズ選手権にも加算。WRC2、WRC3にも導入へ] RallyPlus.net 2020年12月17日</ref>。
 
2022年からは新生'''Rally3''車両(コスト規制10万ユーロで210 PS程度の四輪駆動車)が導入され、明確にWRC2と区別される。
 
==== 2018年までの主な車種 ====
[[File:2017 Rally Portugal - 13.jpg|thumb|right|200px|[[プジョー・208]] R2]]
* [[シトロエン・DS3]] R3
* [[フォード・フィエスタ]] R2T
469 ⟶ 486行目:
* [[フォード・フィエスタ]] Rally3
 
=== ジュニア世界ラリー選手権 (JWRC)===
[[File:D. Matalobos - P. Silva (CITROEN DS3 R3T ) (18060760938).jpg|thumb|right|200px|[[シトロエン・DS3]] R3T]]
WRCの育成向けクラス。2002年誕生。WRCクラスの有力マニュファクチャラーで知られる[[Mスポーツ]]のポーランド法人がプロモーターを務める。年間65 - 7戦で、ポイントは全戦が有効となる。カーナンバーは61から80番。2015 - 2016年と2019年以降に、1イベント中各国で最もポイントを稼いだドライバーをポイント対象とし、年間最もポイントを稼いだ国に贈られる「JWRCネイションズトロフィー」が設定されている。
 
参戦には29歳以下<ref group="注">かつては26歳以下だった。</ref>で、かつWRカーでマニュファクチャラーポイントを獲得したことが無いドライバーという制限が課されており、WRCへの[[登竜門]]的な存在となっている。以前はJWRCでチャンピオンになってすぐWRCで活躍するドライバーも多かったが、近年はWRCの出場枠が少ないことやWRカーの戦闘力が以前より上がったこともあり、一旦WRC2へステップアップするドライバーが多い。運営側でも、優秀な成績を収めたドライバーには翌年WRC3<ref group="注">2020年まではWRC2だった。JWRCは年間イベントを2戦ずつ3つのセクターに分けており、各セクターで最も多くのドライバーズポイントを得たドライバーは、[[Mスポーツ]]のオペレーションの下、翌年のWRC2にR5マシンで2戦ずつスポット参戦する権利を得ることができる。加えてドライバーズチャンピオンは1戦の権利を得る。つまり全セクターで勝利すれば、7戦に参戦する権利を得ることが可能となる。ちなみにこの特典がこのような複雑な形態を取るのは、接戦になった場合を考慮しているためである。なお2020年以降はコロナ禍もあって4~5戦に絞られており、上記の話は当てはまらない</ref>に参戦するための費用やマシンが与えられる。
 
2011年から車両・タイヤともにワンメイクとなっている。従来の指定車両は前輪駆動車のみであったが、2022年からは四輪駆動の'''フォード・フィエスタRally3'''が指定されている。
参戦には29歳以下<ref group="注">かつては26歳以下だった。</ref> で、かつWRカーでマニュファクチャラーポイントを獲得したことが無いドライバーという制限が課されており、WRCへの[[登竜門]]的な存在となっている。以前はJWRCでチャンピオンになってすぐWRCで活躍するドライバーも多かったが、近年はWRCの出場枠が少ないことやWRカーの戦闘力が以前より上がったこともあり、一旦WRC2へステップアップするドライバーが多い。運営側でも、優秀な成績を収めたドライバーにはWRC2に無償で参戦できる権利を用意している<ref group="注">JWRCは年間イベントを2戦ずつ3つのセクターに分けており、各セクターで最も多くのドライバーズポイントを得たドライバーは、[[Mスポーツ]]のオペレーションの下、翌年のWRC2にR5マシンで2戦ずつスポット参戦する権利を得ることができる。加えてドライバーズチャンピオンは1戦の権利を得る。つまり全セクターで勝利すれば、7戦に参戦する権利を得ることが可能となる。ちなみにこの特典がこのような複雑な形態を取るのは、接戦になった場合を考慮しているためである</ref>。2011年から車両・タイヤともにワンメイクとなっており、2018年は[[フォード・フィエスタ]] R2と[[ピレリ]]が指定されている。
 
前身は1993 - 1999年開催の、二輪駆動+自然吸気エンジンの[[フォーミュラ2 (ラリー)|F2]]規定車両のための'''FIA 2リッターカップ'''(正式名称は「FIAカップ・フォー・マニュファクチャラー・オブ・ツーリングカー」)。2001年に改めて開催された「FIA[[スーパー1600]]カップ」が翌年にJWRCと改称された。2006年以降はスーパー1600に加えて1,600cc以下の[[グループA|グループA3]][[キットカー]]、2,000cc以下の[[グループN|グループN3]]、[[グループR|グループR2・R3]]規定など多彩なマシンのエントリーも認められるようになった。2007年のみ[[ヨーロッパ]]以外での開催が無かったため、“W”が取れ「JRC」となった。エントラントの減少から、2011年に車両・タイヤがワンメイク化された。2011 - 2012年の名称は「WRC アカデミー」であったが、2013年にはサポートカテゴリ再編と共に「JWRC」に戻った。2022年のみ'''WRC2ジュニア/WRC3ジュニア'''へと分化しているが、Mスポーツのブランド戦略上の意向により、WRC3ジュニアについては「JWRC」の呼称が残された。WRC2ジュニアの発展解消により、2023年からは正式にも「JWRC」として開催される
 
==== 2010年までの主な車種====
497 ⟶ 516行目:
* [[シトロエン・DS3]] R3T(2014 - 2016年)
* [[フォード・フィエスタ]] R2 (2011 - 2013年、2017 - )
* [[フォード・フィエスタ]] Rally3 (2022年 - )
 
=== FIA R-GTカップ ===
クーペをメインとした、[[グループR-GT]]を対象とするカテゴリ。WRCとの併催が多いが、他のサポート選手権と異なり世界タイトルはかけられておらず、ERC([[ERC]](ヨーロッパラリー選手権]])などとも併催されている。
{{main|グループR-GT}}
==== 主な車種 ====
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== ポイントシステム ==
=== ドライバー選手権/コ・ドライバー(ナビゲータ)選手権 ===
2023年までは全クラス共通で、最終日のSS終了時の順位で1位から10位までに25, 18, 15, 12, 10, 8, 6, 4, 2, 1ポイントが与えられ、1シーズンで最も多くのポイントを獲得したドライバー/コ・ドライバーが'''ドライバーズチャンピオン'''/'''コ・ドライバーズチャンピオン'''となる。
 
WRC、WRC2、WRC3のエントリー車両に限り、総合成績に関係なくイベントの最終SS{{#tag:ref|2018年のラリーGBのように、最終SSではないことも稀にある。|group="注"}}の1〜5位にそれぞれ5-4-3-2-1ポイントのボーナス点が与えられる('''パワーステージ''')<ref>{{Cite news |url=https://jp.motorsport.com/wrc/news/wrc-2017年の規定変更がwrcコミッション内で決定-847770 |title=2017年の規定変更がWRCコミッション内で決定 |date=2016-11-09 |author=David Gruz |accessdate=2017-08-28 |newspaper=motorsport.com}}</ref>。JWRCのみ、各SSで最速タイムを記録するたび1ポイントの「ステージポイント」が与えられる。
 
2024年より新ポイントシステムが採用され、土曜日までの総合順位に加え、スーパーサンデーと呼ばれる最終日の日曜日のSSのみの総合順位を合算するものへと変更した。土曜日の総合順位の1位から10位まで18, 15, 13, 10, 8, 6, 4, 3, 2, 1。最終日は1位から7位まで7, 6, 5, 4, 3, 2, 1。この二つのポイントに加え、パワーステージでのボーナスポイントを含めた結果が大会のポイントとなる。この結果、2023年シーズンまでよく見られた優勝ドライバーがパワーステージも制してフルポイントの30Pを獲得する難易度がかなり上昇した。また、日曜日にクラッシュやトラブルによるリタイアを喫した場合は、土曜日のポイントは無効となり、それぞれ順位が繰り上がったポイントが付与される。
そのため、2023年までは優勝したドライバーが大会における最多のポイントを獲得していたが、2024年シーズンより2位以下のドライバーが最多ポイントの獲得が可能となった。実際、2024年の第2戦では優勝した[[エサペッカ・ラッピ]]が最終日にマージンを保って攻めの走りを行わず、土曜日3位・総合2位フィニッシュでパワーステージでもポイント加算した[[エルフィン・エバンス]]が優勝したラッピより総ポイント数が多いという事態も発生している<ref>{{Cite news |url=https://www.as-web.jp/rally/1043014-|title=総合2位ながら最多ポイント獲得のエバンス。マニュファクチャラーはトヨタとヒョンデが同点に/WRC第2戦 |date=2024-02-19|accessdate=2024-04-29 |newspaper=as-web.jp}}</ref>。
 
下位クラスのWRC2/WRC3/JWRCはクラス別にポイントが設けられているが、最高峰のWRCのドライバーだけはクラス順位ではなく総合順位からポイントが決定する。また下位クラスのドライバーでも総合順位次第でWRCのポイントを獲得できる(ただしASN車両では獲得できない)。
 
WRC2は7戦中上位6戦(そのうち1戦は欧州外イベントが絶対条件)、WRC3は最初に参戦した7戦中上位5戦の有効ポイント制となっている。2020年のJWRCは最終戦のみポイントが倍となる。
 
2020年のJWRCは最終戦のみポイントが倍となる。
 
=== マニュファクチャラー選手権 ===
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ドライバーズタイトルと異なり、下位クラスのマシン・各マニュファクチャラーの最下位者1名・リタイア者を排除した順位でポイントを決める。例えば3名×4マニュファクチャラー=12名がマニュファクチャラー参戦している状態で、仮に全車がデイリタイアを喫しつつも完走した場合、マニュファクチャラー選手権の加点対象は12名―(各メーカーの最下位者×4)=8名となるため、最低順位は8位となる。つまりこの場合どんな形でも最終日の最終SSを走りきれば、7位+8位分の6+4=10ポイントは必ず獲得できる。年間最も多くのポイントを獲得したメーカーが'''マニュファクチャラーズチャンピオン'''となる。
 
なおWRCが誕生した当初はドライバーズ選手権はなく、マニュファクチャラーズ選手権のみであった。
 
2021年よりパワーステージにてマニュファクチャラーズ選手権ポイントも加算される。ドライバーズ選手権のパワーステージ同様に各マニュファクチャラーは、パワーステージの上位5人のうち、自チームのポイント対象ドライバーの上位2名のポイントを獲得できる<ref name="rallyplus.net"/>。
 
2024年よりマニュファクチャラーズ選手権にも上記の新ポイントシステムが採用され、土曜日と日曜日のポイントを合算したものへと変更となった。
 
なおWRCが誕生した当初はドライバーズ選手権はなく、マニュファクチャラーズ選手権のみであった。1970年後半から~80年半ばまでは、総合順位とグループB/A/N内の順位を表で照らし合わせて、18~1ポイントまでを割り振るという少々複雑なポイント付与が行われていた。またマニュファクチャラーズポイント対象外に設定されるイベントもあった。
 
=== チームズ選手権 ===
WRC2ではマニュファクチャラーズ選手権の代わりにチーム選手権が設定されている。1チームにつき最大2名が対象で、3人目以降は別チームの扱いとなる。そのイベントで最もポイントを多く獲得した1名がポイント対象。ドライバーズ選手権同様、13戦中8戦の有効ポイント制で、チームのドライバーのうち1名でも参戦すればポイント対象となる。年間通して最もポイントを獲得したチームが'''チームズチャンピオン'''となる。
 
JWRCと2020年以降のWRC3にチーム選手権に該当するものは存在しないが、JWRCではイベント毎各国で最も多くポイントを稼いだ者が対象の、JWRCネイションズトロフィーと呼ばれる国別対抗戦が存在する。
 
== 車両の変遷 ==
=== WRC草創期 ===
[[Image:Lancia-Stratos-HF-Group-4-'.jpg|thumb|right|200px|ランチア・ストラトス]]
1973年のWRC創設から1980年代初頭までは市販車に近い「連続する12ヶ月間で1000台以上」の生産義務がある[[ツーリングカー]]の'''グループ2'''と改造範囲「連続する12ヶ月で500台」の[[グランドツーリングカー]]広い'''グループ4'''といった規定で競技が行われ、大手メーカた。ただしグルプ2「連続する12ヶ月で生産台数5,000台」のグループ1、グループ4に参入しは「連続する12ヶ月で1,000台」のグループ3の公認もそれぞれ取得することが前提であった。各メーカーは市販車を強化した特別仕様車である[[ホモロゲーション]]モデルを販売し、その車両をベースにグループ2・グループ4の競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に400台{{R|msarchive-4-wrc}}」と少ないことを利用し、ランチアがWRCのためだけに開発した市販モデルの[[ランチア・ストラトス]]は例外的存在である
 
目敏い[[ランチア]]はグループ3のパワートレインだけを移植したような、[[ミッドシップ]]のグループ4マシン・[[ランチア・ストラトス|ストラトス]]を生産してWRCを席巻。マニュファクチャラーズ選手権を3連覇した。しかしあまりに市販車と乖離していることから宣伝にならないと親会社の[[フィアット]]が難色を示し、ランチアの代わりにフィアット([[アバルト]])が前面に出ることとなった。ここに[[フォード]]、[[オペル]]、[[タルボ (自動車メーカー)|タルボ]]などが絡む形となっていった。
この頃のラリーカーはほとんどが[[二輪駆動|2WD]]であったが、1981年にフルタイム[[四輪駆動|4WD]]とターボエンジンを採用した[[アウディ・クワトロ]]が登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた{{R|msarchive-4-wrc}}。その後グループ1 - 8規定を廃止し、1983年から新規定に移行することが発表された。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。
 
当時は[[ピックアップトラック]]や[[オフロード|クロスカントリー車]]を排除する目的で[[二輪駆動|2WD]]が義務付けられていたが、[[アウディ]]は[[四輪駆動|4WD]]を[[乗用車]]に載せた上でFIAを説得し、4WDを認めさせた<ref>[https://dirtfish.com/rally/how-a-jeep-led-to-fias-infamous-4wd-ban/ HOW A JEEP LED TO THE FIA’S INFAMOUS 4WD BAN]</ref>。そして1981年からフルタイム[[四輪駆動|4WD]]と[[ターボ]]エンジンを採用した[[アウディ・クワトロ]]がラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた{{R|msarchive-4-wrc}}。その後グループ1 - 8規定を廃止し、1983年から新規定に移行することが発表された。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。
 
===グループB時代 (1982年 - 1986年)===
[[ファイル:Audi Quattro A2 20060407.jpg|thumb|left|200px|アウディ・クワトロ A2]]
{{see also|グループB}}
グループ1-8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちラリーの世界選手権は[[グループB]]にかけられることとなった{{R|msarchive-4-wrc}}。グループBの生産義務はメーカーの参入を促すため「12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台{{R|msarchive-4-wrc}}」と非常に緩く設定されており、これによりさらに高性能なラリー専用車両が続々登場した。グループB車両のほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRP若しくはC-FRP・ケブラー製のカウルを被せ、400 PS - 600 PSと言われた高出力の過給エンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化した高性能車両を競って生み出していく。際限の無い競争の結果として開発コストが上昇したため、FIAはグループBよりも金銭的な負担が少なく、競争が激しくなるような新しいカテゴリーとしてグループS構想を発表した。
グループ1-8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちWRCは[[グループB]]・[[グループA]]・[[グループN]]を採用した{{R|msarchive-4-wrc}}。グループBの生産義務はメーカーの参入を促すため「12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台{{R|msarchive-4-wrc}}」と非常に緩く設定されており、これによりさらに高性能で過激なラリー専用車両が続々登場した。グループB車両のほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRP若しくはC-FRP・ケブラー製のカウルを被せ、400 - 600 PSと言われた高出力の過給エンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化した高性能車両を競って生み出していく。際限の無い競争の結果として開発コストが上昇したため、FIAはグループBよりも金銭的な負担が少なく、競争が激しくなるような新しいカテゴリーとしてグループS構想を発表した。
 
グループB規定により走行スピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった{{R|msarchive-4-wrc}}。1985年ツール・ド・コルスでのランチアの[[アッティリオ・ベッテガ]]の事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーの[[アリ・バタネン]]の事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして、1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアの[[ヘンリ・トイヴォネン]] / セルジオ・クレスト組の事故死を受けて、FIAは事故の翌日に以後のグループB車両の[[ホモロゲーション]]申請を却下することを発表し、その後1986年を以てグループBの廃止を決定{{R|msarchive-4-wrc}}<ref group="注">グループB車両の全てが出場不可となった訳ではなく、300 PS以下のB車両は1987年以降も出走は可能だった。実際、小排気量のグループB車両はポイント対象外ながら、ホモロゲーションの切れる1990年代までプライベートチームが走らせる姿を見ることが出来た。[[ポルシェ・959]]などもグループB参加車両として開発されていたが、ベース車の生産・販売の問題や莫大な競技参加費用が掛かるなどの様々な事情があり、更にグループBの廃止の煽りを受けてこれらの車が実際の競技に参加することは無かった。</ref>、翌1987年からは世界選手権はそれまで下位クラスであった[[グループA]]で行われることを発表、同時にグループS構想も消滅した。
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<div class="NavContent" style="text-align: left">
* グループ4時代(1973年 - 1982年)
** [[アウディ・クワトロ#レース用車WRC参戦|アウディ・クワトロ (A1)]] (グループ4→グループB)
** [[アウトビアンキ・A112アバルト]] (グループ1、2)
** [[アルファロメオ・1750/2000#ラリー競技|アルファ・ロメオ2000 (GTV)]] (グループ1)
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** [[アルピーヌ・A110]]
** [[アルピーヌ・A310]]
** [[オペル・カデット#カデットC(1973C(1973年-1979)年)|ヴォクスホール・シェベット (HS/HSR/2300HSR)]] (グループ4→グループB)
** [[オペル・アスコナ#アスコナ400|オペル・アスコナ400]] (グループ4→グループB)
** [[オペル・カデット#カデットC(1973C(1973年-1979)年)|オペル・カデットGT/E]] (グループ4→グループ1、2)
** [[オペル・コモドーレ|オペル・コモドーレGS/E]] (グループ2)
** [[サーブ・96|サーブ・96V4]] (グループ1、2→グループ4)
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** [[シュコダ・100]] (110L/120S、LS/130S、LR、RS) (グループ1、2、4→グループA、B)
** [[ダッジ・ラム|ダッジ・ラムチャージャー]] (グループ2)
** [[DAF (自動車メーカー)#乗用車部門(1958年-1975年)の主な車種|DAF・66]] (グループ2)
** [[ヒルマン・アヴェンジャー#タルボット・アヴェンジャー(1978 - 1981年)|タルボ・サンビーム・ロータス]] (グループ2)
** [[トヨタ・セリカ#初代 A20/30型 (1970(1970年 ‐ 1977年)|トヨタ・セリカ1600GT (TA22)]] (グループ2)
** [[トヨタ・カローラレビン|トヨタ・カローラ (TE27)]]
** [[トヨタ・セリカ#初代 A20/30型 (1970(1970年 ‐ 1977年)|トヨタ・セリカ2000GT (RA20)]]
** [[トヨタ・セリカ#2代目 A40/50型 (1977(1977年 ‐ 1981年)|トヨタ・セリカ (RA40)]]
** [[トヨタ・セリカ#3代目 A60型 (1981(1981年 ‐ 1985年)|トヨタ・セリカ (RA63)]]
** [[トライアンフ・TR#TR7(1974-1981年)|トライアンフ・TR7-16V Rally]]
** [[トライアンフ・TR#TR7(1974-1981年)|トライアンフ・TR7 V8]]
** [[トライアンフ・TR#TR8(1978-1981年)|トライアンフ・TR8]]
** [[日産・フェアレディZ#初代 S30型系 (1969年 - 1978年)|日産・240Z]]
** [[日産・バイオレット#2代目 A10型系|日産・バイオレット]]
** [[日産・バイオレット#初代 710型系|日産・バイオレットGT]] (グループ2→グループ4)
** [[フィアット・124スパイダー|フィアット・124・アバルトスパイダー]]
** [[フィアット・131|フィアット・131・アバルトラリー]]
** [[フィアット・X1/9#競技モデル|フィアット・アバルトX1/9プロトティポ]]
** [[フィアット・リトモ|フィアット・リトモ・アバルト125TC]] (グループ2)
** [[フォード・エスコート|フォード・エスコートRS]]
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** ルノー17ゴルディーニ
* グループB時代 (1982年 - 1986年)
** [[アウディ・クワトロ#レース用車WRC参戦|アウディ・クワトロ (A2)]]
** [[アウディ・クワトロ#スポーツ・クワトロ|アウディ・スポーツクワトロ]] (S1E1/S1E2)
** [[MG・メトロ6R4]]
** [[オペル・カデット#カデットC(1973C(1973年-1979)年)|ヴォクスホール・シェベットHSR]]
** [[オペル・マンタ#マンタ400|オペル・マンタ400]]
** [[シトロエン・ヴィザ|シトロエン・ビザ]]・ミルピステ
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** [[シュコダ・100|シュコダ・130LR]]
** [[ダイハツ・シャレード#926ターボ(G26)|ダイハツ・シャレード]] (1.0/926/926ターボ) (グループA→グループB (1985年のみ)→グループA)
** [[トヨタ・セリカ#3代目 A60型 (1981(1981年 ‐ 1985年)|トヨタ・セリカ ツインカムターボ]]
** [[日産・240RS]]
** [[フォード・RS200]]
** [[プジョー・205ターボ16]] (EV.1/EV.2)
** [[ポルシェ・911|ポルシェ・911SC-RS]]
** [[マツダ・RX-7#初代 SA22CSA22C(FB3S)型(1978- 1985年)|マツダ・サバンナRX-7 (SA22C)]]
** [[三菱・スタリオン]]4WD<ref group="注">参戦はプロトタイプクラスのみ。</ref>
** [[ラーダ|ラーダ2105VFTS]]
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** [[アルファロメオ・アルフェッタ#ラリー競技|アルファロメオ・アルフェッタGTV6]]
** [[アルファロメオ・アルファスッド#ラリー競技|アルファロメオ・アルファスッド・スプリント]]
** [[オペル・カデット#カデットE(1984E(1984年-1991)年)|オペル・カデットGSi]]
** [[トラバント#トラバント P800 RS|トラバント・P800 RS]]
** [[スバル・レオーネ#2代目(1979年-1984年)|スバル・レオーネRX]]
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** [[アウディ・クワトロ#スポーツ・クワトロRS002|アウディ・スポーツ・クワトロRS002]]
** [[マツダ]]・4WDプロトタイプ
** [[オペル・カデット#カデットE(1984E(1984年-1991)年)|オペル・カデット GSi T16 ラリー4X4]]
** [[トヨタ・MR2#WRC参戦計画|トヨタ・222D]]
** [[フォード・RS200E]]
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=== グループA時代 (1987年 - 2001年) ===
[[Image:Lancia Delta Integrale - Flickr - exfordy (1).jpg|thumb|right|200px|ランチア・デルタ インテグラーレ]]
[[1987年の世界ラリー選手権]]は従来は下位カテゴリであった[[グループA]]規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5,000台(1993年より2,500台)以上の生産が義務づけられたほか<ref group="注">1993年より2,500台に変更。</ref>、様々な改造規制が加えられて市販車に近いものとなった。またグループBの教訓を忘れないFIAは1990年に[[エアリストリクター]]の装着を義務化し、最大出力を300馬力以下に抑えた<ref group="注">最初は40mm径だったが、段階的に34mmまで絞られた。</ref>。しかしハンドリングの向上4WD技術とタイヤの性能化したことによりハンドリングは改良され続け、車両性能は落ちるどころか年々向上。エンジンも開発リソースが[[トルク]]の増強に回された結果グループBに匹敵する400Nm級のトルクを発揮。こうした進歩により3年後にはグループBのマシンを凌駕する速さを身に付けた。[[四輪駆動|フルタイム4WD]]と2.0 Lの[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンは必須の装備となっていたが、その様な高性能なスポーツ車両を生産し販売出来るメーカーは少なく、参戦メーカー数は減少した{{R|msarchive-4-wrc}}
 
当初こそ[[BMW・M3]]や[[ルノー・5|ルノー・5ターボ]]、[[日産・シルビア|日産・200SX]]といった[[後輪駆動]]車が総合優勝できたこともあったが、1990年代に入ると[[四輪駆動|フルタイム4WD]]と2.0 Lの[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンが必須装備となっていた。グループA導入時にスポーツ走行用の4WDを備えた市販車を製造していたメーカーはランチア・アウディ・フォード・[[マツダ]]がいたが、アウディは大柄すぎるボディが環境に合わずに撤退。以降もその様な高性能な装備の市販スポーツ車両を生産・販売出来る欧州メーカーはランチア以外無く、トップカテゴリを戦えるメーカー数は大幅に減少した{{R|msarchive-4-wrc}}。
 
[[ファイル:1996 Subaru Impreza WRC - Flickr - exfordy.jpg|thumb|left|200px|スバル・インプレッサ WRX]]
ランチアはコンパクトな[[ランチア・デルタ|デルタ]]をベースとした車両を製作し用いてグループA時代の覇権牽引する握ったが、これに日本のメーカーが勝負を挑む。当時の日本の自動車市場はコンパクトな4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、また海外進出が好調で景気の良かった日本車メーカーたちはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、量産。1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、[[トヨタ自動車|トヨタ]]、[[富士重工業|スバル]]、[[三菱自動車工業|三菱]]、[[日産自動車|日産]]、[[マツダ]]といった日本のメーカーがWRCを席巻した{{R|msarchive-4-wrc}}。またフォードもタイトルには手が届かなかったが、[[コスワース]]がエンジンを手がける4WDスポーツで日本車勢に迫った
 
バブル崩壊によりマツダ・日産は志半ばで撤退するが、トヨタは[[トヨタ・セリカ|セリカ]]でランチアの厚い壁に挑み続けて遂に撃破し、日本車としては初のドライバーズおよびマニュファクチャラーズ選手権{{R|msarchive-4-wrc}}を制覇した。また[[富士重工業|スバル]]は[[スバル・インプレッサ|インプレッサ]]で1995年 - 1997年にマニュファクチャラーズ・タイトルを3連覇{{R|msarchive-4-wrc}}、[[三菱自動車工業|三菱自動車]]の[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]が1996年 - 1999年にドライバーズ・タイトルを4連覇、特に1998年はマニュファクチャラーズ、グループNと合わせハットトリックを達成するなどし{{R|msarchive-4-wrc}}、1990年台後半は日本車勢がタイトルを総舐めにした。この頃から高度な電子制御によるハイテク装備が普及し、各メーカーは前後中央3つのデフ全てのアクティブ化を目指すようになり、[[セミAT]]や[[トラクションコントロール]]、[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]なども装備されるようになった。
 
一方グループAの2,500台(1992年までは5,000台)という最低生産台数と市販車に近い規則が負担となり、高性能4WDを市販車のラインナップに持たない欧州メーカーは撤退一途を辿っていたため、より参戦の門戸を広げる必要があっに迫られFIAは、2WD/NAエンジンのグループA車による[[フォーミュラ2 (ラリー)|F2]]クラスを1993年に新設こうしてさらに1995年にはフランスメーカーたちの提案により、FIA 2リッターワールドカップ向けに、改造範囲を大きくい2WD/NAエンジン車のげた[[F2キットカー]]規定が導入された。この動きは将来のWRCの2WD/NA化を見越してのものであったが、既存のメーカーたちから反発を受けて、結果F2キットカーの4WDターボ版とも呼べる[[ワールドラリーカー]] (WRカー) 規定が1997年よりグループAに代わって導入されることで決着した{{R|msarchive-4-wrc}}<ref>{{Cite journal|和書|journal=モータースポーツアーカイブ |volume=7 |publisher=公益社団法人自動車技術会 |year=2019 |title=90年代WRCにおけるトヨタ黄金時代 そのバックグラウンド [後編] |author=松井誠 |url=https://www.jsae.or.jp/katsudou/docu/1045/motorsports_archives07.pdf |format=PDF |page=8}}</ref>。その後F2キットカー規定はその後規制緩和や開発競争により戦闘力が向上し、1999年には[[フィリップシトロエンブガルスキークサラ]]がターマックでWRカーをも下して2勝を挙げる活躍を見せたが、これをきっかけに重い性能調整を受けて衰退消滅。2WD規定は低コストな[[スーパー1600]]へと発展し、現在WRC3/JWRCに繋がっている。
 
1997年にほとんどのメーカーライバルたちがWRカーに移行する中、三菱だけはグループAに留まり、1998年に初のマニュファクチャラーズタイトルを、1999年もドライバーズタイトルを勝ち取るなどの戦果を挙げ、以降も2001年半ばまでグループA車両で戦い続けた。
 
==== 1987年 - 2001年の車種 ====
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=== WRカー黎明期 (1997年 - 2010年) ===
[[File:2015 Rally Bohemia - Jirovec, Toyota Corolla WRC.JPG|thumb|right|200px|トヨタ・カローラ WRC]]
{{see also|ワールドラリーカー}}
グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なベースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リア[[サスペンション]]形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により高性能4WD車をベースにする必要がなくなったため、ヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して活況を呈し始めた。またアジア勢でも[[ヒュンダイ]]や[[スズキ (企業)|スズキ]]といったメーカーが短期間ながら新規参入した。
グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なベースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リア[[サスペンション]]形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により高性能4WD車をベースにする必要がなくなったため、ヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して活況を呈し始めた。またアジア車勢でも[[ヒュンダイ]]や[[スズキ (企業)|スズキ]]といったメーカーが短期間ながら新規参入した。エンジントルクは600Nmにまで到達するマシンも現れ、ハイテク戦争も高度化してアクティブサスペンションが現れ始めた。
 
WRカー導入の初期こそ、[[トヨタ・カローラ]]や[[三菱・ランサー]]、[[スバル・インプレッサ|インプレッサ]]といった日本車勢が引き続き強さを見せていたものの、21世紀に入ると陰りが見え始めた。1999年に登場した[[プジョー・206|プジョー・206 WRC]]は2000年 - 2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇するなど、今度は一大勢力と化したフランス車勢が台頭した。
 
しかしF1のようなハイテク制御を用いた過激な開発競争と、90年代の倍近くに増えた年間イベント開催数がコスト高騰を招き、2005年にはプジョー、シトロエン、三菱、シュコダが一斉にワークスチームを撤退させてしまうという事態に陥った。
プジョーはWRCの開催スケジュール等を巡ってFIAとの紛糾の末2005年で撤退し、シトロエンも2005年で一時撤退するが、2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングを事実上のワークスチームとしてサポートする形で参戦。その間従来のWRカーであった[[シトロエン・クサラ|クサラ WRC]]の後継となる[[シトロエン・C4|C4 WRC]]の開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。2004年からはシトロエンの[[セバスチャン・ローブ]]/[[ダニエル・エレナ]]組による独走が続き、実に2012年までドライバーズ/コドライバーズタイトルを9連覇、マニュファクチャラーズタイトルも同期間中7度の制覇を果たすこととなる。
 
そこで2006年以降は[[トラクションコントロール]]や[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]、前後デフの電子制御化などの禁止(センターデフのみ許可)でハイテク化に歯止めをかけた。しかしもう一つの高コストの原因であった空力は放置されたため、大きな効果を挙げたとは言いがたかった。同時に参戦台数確保のため、セミワークス向けに全戦参戦義務が無くエントリー料の安い[[マニュファクチャラーチーム|マニュファクチャラー・チーム]]という制度も導入され、プジョーとシュコダはこれで短期間のみ留まった。
 
シトロエンは2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングをワークス支援する形で参戦を続行し、その間従来のWRカーであった[[シトロエン・クサラ|クサラ WRC]]の後継となる[[シトロエン・C4|C4 WRC]]の開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。選手権はシトロエンのエースの[[セバスチャン・ローブ]]/[[ダニエル・エレナ]]組による独走が続き、実に2012年までドライバーズ/コドライバーズタイトルを9連覇、マニュファクチャラーズタイトルも同期間中7度の制覇を果たすこととなる。
[[ファイル:Markko Märtin - 2004 Cyprus Rally.jpg|200px|thumb|left|フォード・フォーカス WRC<br />(2004年 キプロス・ラリー)]]
フォードは[[グループA]]規定末期から引き続き英国の[[Mスポーツ]]にワークス活動を委託していた。最初は[[コリン・マクレー]]を破格の契約金で引き抜くなど羽振りが良かったが、フォードグループの経営不振などにより年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。2002年頃から毎年撤退が噂され、2004年には撤退寸前まで追い込まれるが、Mスポーツ代表の[[マルコム・ウィルソン]]が絶望的な状況の中でも諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そして交渉期間中に開催されたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスで連続優勝を成し遂げて状況が好転し、フォード本社がラリー活動の継続を決断した。2005年に3年間の参戦と資金が確約されると攻勢に転じ、モデルチェンジしたフォーカスSTをベースに新型車両を開発。2006年は1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、2007年にも連覇した。またこの頃から、徐々にWRカーの主役はセダンからBセグメントハッチバックへと変わり始めた。
 
しかし2007年にはスズキが参入するが、[[リーマン・ショック]]に端を発する世界的不況の影響により、各自動車メーカーの経営不振、度重なるWRカーの仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、イベント数の増加などにより徐々にメーカー撤退直撃始め<ref group="注">[[フォルクスワーゲン]]傘下の[[セアト]]は20002008、フォードと並ぶ古参メーカーとして知られた[[シュコダ]]も資金難などにより2005年をもってマニュファクチャラー選手権からキ・スバルが電撃撤退した</ref>、2009年開始時点で正式に参戦したのは[[シトロエン]]、[[フォード・モーター|フォード]]の2社のみとなってしまった<ref group="注">本来マニュファクチャラーが2社のみの場合は世界選手権を名乗ることはできないが、マニュファクチャラー・チームを含めることで半ば無理やり体裁を保った</ref>
 
==== 1997年 - 2010年の車種 ====
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=== S2000 WRC時代 (2011年 - ) ===
[[Image:Loeb 2011 WRC Portugal crop.jpg|thumb|right|200px|シトロエン・DS3 WRC]]
WRカーはコスト高騰で新規ワークスの参入は困難になってしまったため、コスト削減案としてすでにPWRCや[[インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ|IRC]]で活躍していた'''[[スーパー2000]]''' ('''S2000''') 規定を導入しようという案が浮上し有力視された。これは大衆車を共通部品と2.0 LのNAエンジンを使用し、ボディ補強など最限の改造のみコスト競技車両を製作4WD化するわば廉価版のWRカー規定のような存在である。
 
WRカーという名称は引き継いだまま、新規格のWRカーを2010年から導入することが検討され、2008年12月にFIAはS2000をベースにボルトオンキットで簡単にWRカーに出来る様にする“S2000プラス”とする方針を提案した<ref group="注">競技車両のコストダウンを図ると共に、既に多様な車種が出回っているS2000車両をほぼそのままWRカーとしてエントリーを可能とする狙いであった。この時既存のWRカーマニュファクチャラー(シトロエンフォード、スバル、スズキ)はいずれもまだS2000車両を持っておらずその点では同条件だったものの、S2000に適した[[Bセグメント]]車を市販車ラインナップに持たないスバルにとってはFIAに見捨てら不利とさた形となった。グループNS2000車両はいえこの時点では性能が異なり、仮にグループN車両まだ方針のみ参戦出来たとし具体的な規則は決まっもS2000プおらず、マニュファクチャス規定車両減少を恐れるFIAに対する競争し戦闘は目均衡見えつい交渉をす。特余地は十分2008年まで参戦し残っていたスバルはベースモデルとなり得る車両をラインナップに持たないため、2010年以降の参戦は非現実的であった。</ref><ref>『WRC PLUS 2009 Vol.1』P70-72</ref>。しかし2009年の間もFIAの中で意見が二転三転し、S2000プラスを撤回して2011年以降はS2000をそのままメインカテゴリーにするという話が浮上<ref group="注">WRカーに替わるS2000はエンジンの回転数を8,500[[rpm (単位)|rpm]]に、純粋なS2000は8,000rpmに制限する2種類のS2000が存在することになるというものであった。</ref>。際限なく続く議論に、次期車両開発をしたくてもできないシトロエンとフォードからは、結論の出ないFIAに対して不満の声が上がった。
 
最終的には[[世界ツーリングカー選手権]](WTCC)と共通のエンジン規格『GRE』('''G'''lobal '''R'''ace '''E'''ngine、1.6L[[ガソリン直噴エンジン|直噴]]ターボエンジン)を、S2000車両に搭載し改造範囲を広げた'''S2000 WRC'''に変更することを決定。GREにより市販車に由来するエンジンである必要が無くなった一方で、トルクは400Nm程度まで引き下げられた。
最終的には[[世界ツーリングカー選手権]](WTCC)など他のカテゴリーと共通の規定の元に製作される1.6L[[ガソリン直噴エンジン|直噴]]ターボエンジンをS2000車両に搭載した'''S2000 WRC'''に変更することを決定。これにより同年5月、[[フォルクスワーゲン]]が[[フォルクスワーゲン・ポロ R WRC|ポロ R WRC]]で参戦することを発表している<ref>{{Cite news |url=http://response.jp/article/2011/05/06/155881.html |title=VW、2013年からWRCに参戦…マシンは ポロ |newspaper=Response |date=2011-05-06}}</ref>。フォードは2012年を以てワークス参戦を終了し{{#tag:ref|<ref name="mmr20140207b">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-overview.html |title=2014年WRC(FIA世界ラリー選手権)の見どころ |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-02-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141202224528/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-overview.html |archivedate=2014-12-02 |deadlinkdate=2017-08-28}}</ref>。 |group="注"}}、80年代以来長きに渡る挑戦の歴史を一度終えたが、[[Mスポーツ]]への車両供給と技術支援は続けた。また2011年からは新たに[[BMW]]が[[プロドライブ]]に製作を委託し[[ミニ (BMW)|ミニ カントリーマン]]をベースにした、[[ミニ・ジョン クーパー ワークス WRC]]で参戦{{#tag:ref|ワークス活動は2012年に撤退<ref>{{Cite news |url=http://response.jp/article/2012/10/13/183057.html |title=MINI、WRC 撤退へ…年内にワークス活動を終了 |newspaper=Response |date=2012-10-13}}</ref>。 |group="注"}}したが、組織的な紛糾により2013年に姿を消した。
 
これにより2011年5月、[[フォルクスワーゲン]]が[[フォルクスワーゲン・ポロ R WRC|ポロ R WRC]]で参戦することを発表している<ref>{{Cite news |url=https://response.jp/article/2011/05/06/155881.html |title=VW、2013年からWRCに参戦…マシンは ポロ |newspaper=Response |date=2011-05-06}}</ref>。フォードは2012年を以てワークス参戦を終了し{{#tag:ref|<ref name="mmr20140207b">{{Cite news |url=http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-overview.html |title=2014年WRC(FIA世界ラリー選手権)の見どころ |newspaper=MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC |date=2014-02-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141202224528/http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/wrc/2014/02/2014-wrc-overview.html |archivedate=2014-12-02 |deadlinkdate=2017-08-28}}</ref>。 |group="注"}}、80年代以来長きに渡る挑戦の歴史を一度終えたが、[[Mスポーツ]]への車両供給と技術支援は続けた。また2011年からは新たに[[BMW]]が[[プロドライブ]]に製作を委託し[[ミニ (BMW)|ミニ カントリーマン]]をベースにした、[[ミニ・ジョン クーパー ワークス WRC]]で参戦{{#tag:ref|ワークス活動は2012年に撤退<ref>{{Cite news |url=https://response.jp/article/2012/10/13/183057.html |title=MINI、WRC 撤退へ…年内にワークス活動を終了 |newspaper=Response |date=2012-10-13}}</ref>。 |group="注"}}したが、組織的な紛糾により2013年に姿を消した。
フォルクスワーゲンは2013年にWRCクラスに本格参戦を開始、デビュー年でドライバーズ/コ・ドライバーズ/マニュファクチャラーズの三冠を制覇した。2014年も好成績を継続していることを受けて、フォルクスワーゲンは当初の2013年 - 2015年までの3年計画を延長、2019年まで参戦することを決定した<ref>{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/2326 |title=VW、2019年末までのWRC継続が確定 |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2012-06-10 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。また2014年からは[[現代自動車|ヒュンダイ]]が[[ヒュンダイ・i20 WRC|i20 WRC]]で復帰し、初年度で念願の初勝利を挙げるなど活躍を見せた<ref name="mmr20140207b"/> が、シトロエン・フォードらとともにVWの三冠4連覇を阻止するには至らなかった。
 
フォルクスワーゲンは2013年にWRCクラスに本格参戦を開始、デビュー年でドライバーズ/コ・ドライバーズ/マニュファクチャラーズの三冠を制覇した。2014年も好成績を継続していることを受けて、フォルクスワーゲンは当初の2013年 - 2015年までの3年計画を延長、2019年まで参戦することを決定した<ref>{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/2326 |title=VW、2019年末までのWRC継続が確定 |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2012-06-10 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。また2014年からは[[現代自動車|ヒュンダイ]]が[[ヒュンダイ・i20 WRC|i20 WRC]]で復帰し、初年度で念願の初勝利を挙げるなど活躍を見せた<ref name="mmr20140207b"/>が、シトロエン・フォードらとともにVWの三冠4連覇を阻止するには至らなかった。
下位クラスではS2000やS1600、グループNといった車両規定が[[グループR]]の元にピラミッド型にまとめられた。
 
下位クラスではS2000やS1600、グループNといった車両規定が[[グループR]]に取って代わられ、さらにピラミッド型にまとめられた。
 
=== 2017年規定 ===
[[File:Toyota yaris wrc.jpg|thumb|right|200px|[[トヨタ・ヤリスWRC|ヤリスWRC]]の巨大な空力パーツ]]
WRC代表のカルロス・バルボサは近年失われつつある人気を取り戻すことを重視し、これまでの低コスト・規制強化路線とは打って変わった大規模な規制緩和を行うことを決めた<ref>{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/2081 |title=WRC、2017年の技術規定改革へ |date=2014-07-30 |accessdate=2017-08-28 |newspaper=RALLYPLUS.NET}}
</ref>。そして2017年からエアリストリクター径は33 mmから36 mmに緩められ、エンジン出力が315馬力から380馬力へアップ。最低重量は1200 kgから1175 kgに引き下げられ、アクティブセンターデフの解禁、リアディフューザーや車幅の拡大もなされた<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.redbull.com/jp-ja/wrc-2017-rule-changes-and-new-cars |title=WRC:2017年の新レギュレーションは? |date=2016-12-16 |accessdate=2017-08-28 |author=Anthony Peacock |author2=Damn Fine |publisher=RedBull}}
</ref>。
 
新規則発表に前後して2015年1月、トヨタはかねてから噂されていたWRC復帰を発表<ref>{{Cite news |url=http://archive.as-web.jp/news/info.php?c_id=3&no=62842 |title=トヨタ、17年からヤリスでのWRC復帰を正式発表! |date=2015-01-30 |accessdate=2017-08-28 |newspaper=AUTO SPORT web}}</ref>。一方2016年11月にフォルクスワーゲンが電撃撤退を表明したため、マニュファクチャラーの総数は増加には至らなかった<ref>{{Cite news |url=http://www.as-web.jp/rally/62437 |title=フォルクスワーゲン、16年限りのWRC撤退を正式発表! カスタマースポーツに集中 |date=2016-11-30 |accessdate=2017-08-02 |newspaper=AUTO SPORT web}}</ref>。この新WRカー初年度は、フォード車を用いるプライベーターの[[Mスポーツ]]がメーカー勢を破って三冠を獲得する快挙を達成。これにより2018年からフォードはMスポーツへの支援を厚くする形で「Mスポーツ・フォード」の名でワークス復帰した。
 
しかしアジア車勢が徐々に強さを見せ始め、20182019年にはトヨタがマニュファクチャラーズ選手権を奪取。2019年にはトヨタ、ヒュンダイがドライバーズ/コドライバーズ選手権を、ヒュンダも2019年に韓国車初のマニュファクチャラーズ選手権トルを制覇。アジア車メーカーによるタイトル独占は1999年以来20年ぶりとなった。同年シトロエンが撤退を表明したことによであり、欧州車メーカーは再びWRC以降もこ最高クラスから姿2社でタイトル消し分け合う状態が続いた。
 
同年シトロエンが撤退を表明したことにより、欧州車メーカーは再びWRCの最高クラスから姿を消した。
 
=== Rally1規定 ===
[[File:M-Sport Ford Puma, Croatia Rally 2022.jpg|200px|thumb|right|[[フォード・プーマ ラリー1]]]]
2019年に自動車業界を取り巻く流れを受け、2022年から[[ハイブリッド]]システムが導入される事が決定した。導入から3年間(2024年まで)は各チームに共通のハードウェアとソフトウェアが提供され、全車同一のシステムを使うことになる。WRCにおけるハイブリッドは、リエゾンなど都市部では電気でのみ走り、SSでは電気ブーストとして利用することが狙いとされている。
{{main|ラリー1}}
しかしハイブリッド導入でコストが上がる分を補填する必要があり、他の部分ではローテク化がなされる。具体的には前後メカニカルデフでセンターデフが廃止され、空力開発も制限されるため、迫力やドライビングスタイルはグループRally2に近いものになると予想されている。
自動車業界を取り巻く流れを受け、2022年から[[ハイブリッドカー|ハイブリッド]]システムが導入される事が決定した。導入から3年間(2024年まで)は各チームに共通のハードウェアとソフトウェアが提供され、全車同一のシステムを使うことになる。リエゾンの一部では電気でのみ走り、SSでは電気ブーストとして利用することが狙いとされている。エンジンはGREが維持され、ハイブリッドと合わせると最大で500馬力/500Nm以上を発生できるようになった。
 
しかしハイブリッド導入でコストが上がる分を補填する必要があり、他の部分ではローテク化がなされる。具体的には前後メカニカルデフでセンターデフそのものが廃止され、空力開発も制限されるなどしたため、コーナーリング面では前規定に比べると不利な部分が増えた。
新規ワークスチームの参入を促すため、[[チューブラーフレーム]]を使ったプロトタイプのボディワークも認められる事となった。これはベース車両のスケーリングも可能であり、従来のようなBセグメントコンパクトカーのみならず、Cセグメント車や[[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]も規定サイズに縮小すれば参戦が可能となる。エンジンはGREが維持される<ref>[https://www.as-web.jp/rally/526027?all WRC:2022年のハイブリッド導入は「予定どおり」進行中。10月中にはサプライヤーを決定]</ref>。
 
新規ワークスチームの参入を促すため、[[チューブラーフレーム|鋼管パイプフレーム]]を使ったプロトタイプのボディワークも認められる事となった。これはベース車両のスケーリングも可能であり、従来のようなBセグメントコンパクトカーのみならず、Cセグメント車や[[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]も規定サイズに縮小すれば参戦が可能となった<ref>[https://www.as-web.jp/rally/526027?all WRC:2022年のハイブリッド導入は「予定どおり」進行中。10月中にはサプライヤーを決定]</ref>。
 
しかし、当初の目標であった新規マニュファクチャラーの参入の予定はなく、WRC1クラスのエントリーは毎大会で8台から10台程度であり、Rally2を主戦場としたWRC2クラスのマシンが常にトップ10に入る事態が続き、Rally1マシンのリタイアが多い大会ではトップ5にまで食い込む事もあった。
 
2024年3月、FIAは2025年シーズンよりハイブリッドを廃止する意向であると報じられた<ref>{{Cite news |url=https://www.as-web.jp/rally/1050135 |title=WRC最高峰クラスのハイブリッドシステムが廃止へ。FIAが2025年以降の新たなロードマップを承認|date=2024-03-06|accessdate=2024-04-29|newspaper=as-web.jp}}</ref>。主にハイブリッドユニットの撤廃、エアリストリクターの縮小化、ウィングなどのエアロの縮小・削減の代わりに、全体の重量は軽減される見込み。また、Rally2カーはハイブリッド廃止のRally1カーとの性能差を縮小する目的で、強化されたリストリクター、エキゾースト、パドルシフトのギアボックスシステム、大型リヤウイングなどのWRCキットを装着したマシン、通称「Rally2+(プラス)」が2025年シーズンより参戦開始を予定している。
 
== 日本勢の活躍 ==
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=== トヨタ ===
[[File:FoS20162016 0624 154417AA (27274234324).jpg|thumb|right|200px|トヨタ・セリカ GT Four ST185]]
[[トヨタ自動車|トヨタ]]はWRCの前身であるIMCの1972年シーズンから、[[ドイツ]]のプライベーターであった[[トヨタ・モータースポーツ|オベ・アンダーソン・モータースポーツ]](後のTTE、TMG、TGR-E)を支援する形で参戦。当初は欧州イベントのみに参加していた。[[トヨタ・カローラレビン|カローラレビン]]、[[トヨタ・セリカ|セリカ]]を運用して1975年の[[ラリー・フィンランド|1000湖ラリー]]で初優勝を挙げ果たした(ただしトヨタ車としては1973年アメリカが初)。1977年にはマニュファクチャラーズ選手権で日本車勢最上位となる3位につけた。その後欧州イベント以外にも活動を広げ、82年[[ニュージーランド]]の他、1984年から1986年まで[[サファリラリー]]3連覇を果たすなどの活躍を見せた。
 
1990年に[[トヨタ・セリカ|セリカ]]を駆る[[カルロス・サインツ]]が当時、無敵で鳴らしの強さを誇っていたランチア勢を破って日本車で初のドライバーズタイトルを挙げるに輝くと、1993年には[[ユハ・カンクネン]]のドライバーズタイトルに加えて日本車初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。1994年もダブルタイトルを獲得し、黄金時代を築いた。しかし1995年に苦戦から違法なリストリクター製造に手を染めてしまい、発覚後にFIAより1年間の出場停止処分が言い渡された。これを重く受け止めたトヨタは、出場停止を言い渡された1996年に加え、翌1997年まで活動を自粛した。1998年にWRカーの[[トヨタ・カローラWRC|カローラ]]で復帰するとすぐに三菱とタイトルを争い、1999年に3目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得して有終の美を飾ってり、トヨタは[[フォーミュラ1|F1]]へ転身していった。
 
それから18年後の2017年、[[トヨタ・ヤリスWRC|ヤリスWRC]]で復帰。オペレーションはフィンランドを本拠とする[[トミ・マキネン|トミ・マキネン・レーシング]]で、エンジン開発をTMGが行った。デビュー2戦目の[[ラリー・スウェーデン]]で早くも優勝を果たし、翌2018年には5勝を挙げて19年ぶり4目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。2022年からは新たに[[トヨタ・GRヤリス ラリー1|GRヤリス ラリー1]]を投入している
 
以降20212024終了時点で、マニュファクチャラーズ選手権は58回、ドライバーズ選手権は79回まで記録を伸ばしている(いずれも日本メーカー1位)。
 
また下位クラス向けに[[トヨタ・モータースポーツ|TMG]](旧TTE)(現TGR-E)が開発した[[トヨタ・ヤリス|ヤリスR1]]や[[トヨタ・86|GT86 CS-R3]]、GRヤリス ラリー2などのプライベーターへの供給行っている。
 
20212017から現在まで、下位クラス含めて唯一WRCにワークス参戦している日本メーカーである。
 
=== 日産/ダットサン ===
[[File:Nissan Violet (PA10) front-left 2015 Motorsport Japan.jpg|thumb|right|200px|日産・バイオレット]]
[[日産自動車|日産]]は「[[ダットサン]]」ブランドを用いてIMCの初年度から参戦していたが<ref name="msarchive-4-nissan">{{Cite journal|和書|journal=モータースポーツアーカイブ |volume=4 |publisher=公益社団法人自動車技術会 |year=2017 |title=“ラリーの日産”が世界の舞台で得た知見 |author=野口隆彌 |author2=石川裕造 |url=https://www.jsae.or.jp/katsudou/docu/1045/motorsports_archives04.pdf |format=PDF |pages=2-7}}</ref><ref name="nissan-sport-stories">{{Cite book|和書|author=渡辺陽一郎 |title=日産スポーツストーリーズ |chapter=ラリーカーになった日産車 |series=SAKURA MOOK |year=2017 |publisher=笠倉出版社 |isbn=9784773058147 |pages=70-88}}</ref>、[[サファリラリー]]にはそれよりさらに前の1963年から参加しており、クラス優勝や総合優勝を達成するなど実績を積み重ねていた。1973年のWRC開幕初年度でもサファリで[[日産・フェアレディZ|ダットサン・スポーツ240Z]]が早くも1973年のWRC開幕初年度から日本のワークスチームとしてWRC初優勝を果たしたのもサファリであった{{R|nissan-sport-stories|page=76, 79}}(サファリでは3目の総合優勝)。1979年 - 1983年にもA10系バイオレットでサファリラリー史上初の4連覇を果たした{{R|nissan-sport-stories|page=82-83}}。しかしまた1979年・1981年はマニュファクチャラーズランキングで2位に入り、グループB2・4規定が導入されると得意時代サファリでも[[トヨタ・セリカ]]などの後塵WRC拝するようになった。1988年のアイボリーコーストでの200SX(日本名[[日産・シルビア|シルビア]])の優勝が日産にとっても優勝であり、WRC史上最後の[[後輪駆動#フロントエンジン・リアドライブ方式|FR]]車の優勝ともなっている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.nissan-dakar.com/JP/HISTORY/MACHINE/index.html |title=日産モスポーツの歴史 |publisher=日産自動車 |accessdate=2017-08-28}}</ref><ref>{{Cite web |date= |url=http://nissan-heritage-collection.com/NEWS/publicContents/index.php?procType=CATEGORY&catID=12 |title=【ラリー】大陸を一周する1万6,000kmのコース |publisher=日産自動車 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。1991 - 1992年のパルサーGTI-Rを最後に、本社の業績不振からシーズン途中で撤退た。通算ではダットサン時代と合わせ9勝を記録過ごているが、タイトルには手が届かなかった。
 
しかし、[[グループB]]規定が導入されると、得意のサファリでも[[トヨタ・セリカ]]などの後塵を拝するようになった。1988年のアイボリーコーストでの200SX(日本名[[日産・シルビア|シルビア]])の優勝が日産にとっても最後の優勝であり、WRC史上最後の[[後輪駆動#フロントエンジン・リアドライブ方式|FR]]車の優勝ともなっている<ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.nissan-dakar.com/JP/HISTORY/MACHINE/index.html |title=日産モータースポーツの歴史 |publisher=日産自動車 |accessdate=2017-08-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://nissan-heritage-collection.com/NEWS/publicContents/index.php?procType=CATEGORY&catID=12 |title=【ラリー】大陸を一周する1万6,000kmのコース |publisher=日産自動車 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。1991 - 1992年のパルサーGTI-Rを最後に、本社の業績不振からシーズン途中で撤退した。通算では9勝を記録しているが、結局タイトルには手が届かなかった。
なおGTI-Rは1992年にFIAプロダクションカーカップ(後のPWRC)でチャンピオンマシンになっている。
 
なおGTI-Rは1992年にFIAプロダクションカーカップ(後のPWRC)で[[グレゴワール・ド・メビウス]]のドライブによりチャンピオンマシンになっている。またFIA2リッターワールドカップ(後のJWRC)にもヨーロッパ法人が開発したサニーGTI、F2キットカーの[[日産・マイクラ|マイクラ]]や[[日産・アルメーラ|アルメーラ]]などが参戦していたが、本社が[[フランス]]の[[ルノー]]傘下になる直前に活動を終了した。
 
=== 三菱 ===
[[File:Tg3 mitsu.jpg|thumb|right|200px|三菱・ランサーエボリューション 6.5]]
1973年のWRC開幕初年度から参戦を開始。1974年に[[三菱・ランサー|ランサー]]でサファリラリーで初優勝を記録果たした。排ガス規制対策で一時休止後、1981年にランサー2000ターボで復帰。1984年には[[ラリーアート]]を拠点をヨーロッパに拠点を移した。その後長いグループA導入とともに開花、1989 - 1992年にギャランで計5勝を挙げた。1993年には[[三菱・ランサーエボリューション|ランサー エボリューション]]がデビューすると、1996年から1999年まで[[トミ・マキネン]]によって4年連続ドライバーズタイトル、1998年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、日本車黄金時代の一翼を担った。
 
しかしWRカーへ移行する中で最後までグループAにこだわった結果苦戦が続き、[[トミ・マキネン]]の離脱や人材不足もあって混迷を極め、2003年に参戦休止。2004年に新設されたMMSP(三菱モータースポーツ)がラリーアートから運営を引き継ぎ<ref>[http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/04wrc/05release/heritage.html 三菱自動車 FIA世界ラリー選手権(WRC)における栄光の軌跡]</ref>、[[ジル・パニッツィ]]をエース、新たに開発したランサーWRカーで再出発したものの、トラブルの多発により母国戦のラリージャパン開催前に活動を休止。2005年は[[ハリ・ロバンペラ]]をエースに起用し、パニッツィとロバンペラが表彰台、ラリートルコでは[[ジジ・ガリ]]が一時首位を走るなど躍動したものの、本社の相次ぐリコール隠し問題から経営が急速に悪化したため2005年に三たび参戦を休止、これが事実上の撤退となった。2007年末には英国の拠点を閉鎖、2010年に[[ラリーアート]]が業務の一部停止を発表した<ref>{{Cite news |url=http://www.ralliart.co.jp/10news/100310.html |title=弊社業務縮小に伴う、一部業務廃止のご案内 |newspaper=RALLYART NEWS |date=2010-03-10}}</ref>。
 
しかしその後もランサーWRカーはプライベーターに用いられ、2006年に[[ダニエル・カールソン (ラリードライバー)|ダニエル・カールソン]]が[[ラリー・スウェーデン]]で総合3位入賞した。また同車のグループN規定車両も、2012年までのPWRCで4度のドライバーズタイトルに貢献した。現在も地元プライベーターによるランエボのスポット参戦は多く、2017年[[ラリー・オーストラリア]]では上位勢の大量リタイヤもあり、ランサーエボリューションXの地元ドライバーネイサン・クイーンが総合ポイント圏内でフィニッシュした。また[[スウェーデン]]のプライベーターであるMパートABがグループR5相当の[[三菱・ミラージュ|ミラージュ]](欧州名:[[三菱・スペーススター|スペーススター]])を独自開発して2018年から北欧イベントにASN車としてスポット参戦しているが、正式な公認取得の予定はないとしている<ref>[https://www.rallyplus.net/47223]</ref>。
 
=== マツダ ===
[[file:Mazda RX-7 Group B at Goodwood 2014 001.jpg|200px|thumb|right|サバンナ・RX-7]]
1981年にベルギーに設立されたマツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ({{en|Mazda Rally Team-Europe, MRE-T}})のもとにマツダのWRC活動の大半は行われた。1979年の[[ラリーGB|RACラリー]]からグループ2規定の[[マツダ・RX-7|サバンナRX-7]]で参戦。グループB規定もRX-7で1986年まで戦い続け、最高3位の成績を収めた。グループAが導入されると、ワークス活動はそれまで下位クラスで活躍していた[[マツダ・ファミリア|ファミリア]](323)に切り替えられた。ファミリアは1987・89年スウェディッシュ・ラリー、1989年ニュージーランド・ラリーで合計3度の総合優勝を記録。本社の業績不振のため、タイトル獲得は達成できないまま1992年をもって撤退した<ref>{{Cite web |url=http://www.rallyplus.net/14772 |title=RALLY CARS vol.10 MAZDA 323 |accessdate=2017-08-28 |publisher=RALLYPLUS.NET}}</ref>。
1981年にベルギーに設立されたマツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ({{en|Mazda Rally Team-Europe, MRE-T}})のもとにマツダのWRC活動の大半は行われた。1979年の[[ラリーGB|RACラリー]]からグループ2規定の[[マツダ・RX-7|サバンナ・RX-7]]で参戦。グループB規定もRX-7で1986年まで戦い続け、最高3位の成績を収めた。グループAが導入されると、ワークス活動はそれまで下位クラスで活躍していた[[マツダ・ファミリア|ファミリア]](323)に切り替えられた。
 
グループBの消滅より前から生産されていた323 4WDターボ(ファミリア4WDターボ)は、グループA導入の初年度から欧州メーカーのライバルたちと競り合い、1987・89年スウェディッシュ・ラリー、1989年ニュージーランド・ラリーで合計3度の総合優勝を記録。1989年にはマニュファクチャラーズランキングでトヨタに次ぐ3位につけた。しかし本社の業績不振のため、タイトル獲得は達成できないまま1992年をもって撤退した<ref>{{Cite web |url=http://www.rallyplus.net/14772 |title=RALLY CARS vol.10 MAZDA 323 |accessdate=2017-08-28 |publisher=RALLYPLUS.NET}}</ref>。
 
ファミリア323は素性に優れており、FIAプロダクションカーカップ(後のPWRC)で3度チャンピオンマシンになっている。
 
=== スバル ===
[[File:SUBARU IMPREZA WRC (5205650014).jpg|thumb|right|200px|スバル・インプレッサWRC]]
1980年の[[サファリラリー]]の下位クラスにてデビュー。この時アウディより一年早く持ち込んだ4WDは、2WDが常識だった当時は画期的なもので、この[[スバル・レオーネ|レオーネ]]は高い戦闘走破力を発揮しすぐにクラス優勝を挙げ飾った。グループA規定導入後の1990年、イギリス英国のコンストラクターの[[プロドライブ]]とのジョイントで[[スバル・レガシィ|レガシィ]]で最高クラスに挑戦を開始<ref>{{Cite web |和書|url=http://gazoo.com/article/car_history/150508_1.html |title=世界を駆けた六連星――スバルWRCの戦い(1995年) |accessdate=2017-08-28 |publisher=TOYOTA MOTOR CORPORATION}}</ref>。1993年のニュージーランド・ラリーで初優勝し、1995年に初のドライバーズ・マニュファクチャラーズタイトルを獲得。以降1997年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇した。また2001年に[[リチャード・バーンズ]]、2003年に[[ペター・ソルベルグ]]がドライバーズタイトルを獲得してに輝
 
しかしその後は頻発するトラブルや度重なるモデルチェンジによる仕様変更の影響もあって、上位に絡めない展開が続く。き、2008年にようやくトップ争いが見える位置まで復活する。だが、上位のシトロエン、フォードとの差は開いており、2008年に経済状況と「当初の目的を達成した」ことを理由として撤退した<ref>[httphttps://bizmakotowww.itmedia.co.jp/makoto/articles/0812/17/news058.html スバルはなぜWRCから撤退するのか]</ref>。
 
スバルは三菱同様PWRCでも猛威を振るい、2003年から2007年まで5年連続でドライバーズタイトルに貢献。PWRCがWRC2に変わった後も、2014年までワークス支援を続けていた。
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=== スズキ ===
[[File:Suzuki sx4 avant.jpg|thumb|right|200px|スズキ・SX4 WRC]]
スズキは日本メーカーでは最後発にあたる。1986年に[[田嶋伸博]]のモンスタースポーツが中心となって開発した[[スズキ・カルタス|カルタス]]のグループA5仕様でアメリカのオリンパスラリーにスポット参戦したのが初めてであった<ref>北米市場の開拓を目論んでいたスズキの意向によるものである</ref>。その後1988年までA5クラスで同ラリーを3連勝した。特に1988年は多数のワークス不在という条件はあったものの、三菱・マツダを抑えて総合でも日本勢最高位でのフィニッシュとなった。その後一旦スズキは[[APRC]](アジア・パシフィック・ラリー選手権)へと転身し、[[スズキ・バレーノ|バレーノ]]のF2キットカーなどで経験を積んだ
 
2002年に田嶋率いるスズキスポーツが下位クラスのJWRCに参戦し、スーパー1600規定の[[スズキ・イグニス|イグニス]]と[[スズキ・スイフト|スイフト]]で3度のドライバーズタイトルを獲得している。通算勝利数は[[シトロエン]]の32勝に次ぐ24勝で歴代2位である。
 
最高峰のWRCクラスには、当初2007年が夏季開幕となるウインターシーズン案が検討されていたため2007年からの全戦参戦を計画していたが、ウインターシーズン案が撤回されたため、2007年は3戦に[[スズキ・SX4|スズキ・SX4 WRC]]でテスト参戦し、2008年からフル参戦した。シーズン前半は初期トラブルが多発し完走も難しかったが、後半へ向けて改良が行われ、2台完走することが増えていった。しかし最高位は日本とイギグレート・ブテンの5位に終わり、2008年12月15日に[[リーマン・ショック]]による業績不振を理由にスズキは2009年以降のWRC参戦休止を表明した。その後もJWRC活動は続いたが、2010年をもってマルチメイクが終了したのに伴いこちらも撤退となった。
 
=== ダイハツ ===
[[File:Daihatsu Charade Safari Rally 1982 002.jpg|200px|thumb|right|[[ダイハツ・シャレード]]]]
グループ2(1300 cc未満)の[[ダイハツ・シャレード|シャレード]]で1979年 - 1981年に[[ラリー・モンテカルロ]]にスポット参戦<ref name="wrcplus0904-daihatsu">{{Cite magazine|和書|magazine=WRC Plus |publisher=三栄書房 |volume=20 |issue=13 |year=2009 |month=4 |title=ダイハツ・ラリーヒストリー |pages=84-94}}</ref>{{Rp|88-89}}、1981年にクラス優勝を勝ちとった。また最高峰に向けてデ・トマソ社とともに本格的なグループBカーである[[ダイハツ・シャレード|926R]]を開発していたものの、グループB廃止で市販化も含めて幻と消えた。
グループ2/1(1300 cc未満)の[[ダイハツ・シャレード|シャレード]]で1979年 - 1981年に[[ラリー・モンテカルロ]]にスポット参戦<ref name="wrcplus0904-daihatsu">{{Cite magazine|和書|magazine=WRC Plus |publisher=三栄書房 |volume=20 |issue=13 |year=2009 |month=4 |title=ダイハツ・ラリーヒストリー |pages=84-94}}</ref>{{Rp|88-89}}、1981年にクラス優勝を果たした。また最高峰に向けてデ・トマソ社とともに本格的なグループBカーである[[ダイハツ・シャレード|926R]]を開発していたものの、グループB廃止で市販化も含めて幻と消えた。
1982年から[[サファリ・ラリー]]に参戦し始め、82・84・85 - 88・90 - 93年にクラス優勝{{R|wrcplus0904-daihatsu|page=89}}。特に1993年のサファリでは排気量が1 L大きいライバル達を相手に健闘、総合1 - 4位を占めた[[トヨタ・セリカ]]に次ぐ総合5 - 7位に食い込む活躍を見せた{{R|wrcplus0904-daihatsu|page=88}}<ref>{{Cite web |url=http://rallyx.net/blog2/2015/01/post-252.html |title=サファリのシャレードを忘れちゃこまる。 |accessdate=2017-08-28 |publisher=ラリーX}}</ref>。
1982年から[[サファリラリー]]に参戦し始め、82・84・85 - 88・90 - 93年にクラス優勝{{R|wrcplus0904-daihatsu|page=89}}。特に1993年のサファリでは排気量が1 L大きいライバル達を相手に健闘、総合1 - 4位を占めた[[トヨタ・セリカ]]に次ぐ総合5 - 7位に食い込む活躍を見せた{{R|wrcplus0904-daihatsu|page=88}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://rallyx.net/blog2/2015/01/post-252.html |title=サファリのシャレードを忘れちゃこまる。 |accessdate=2017-08-28 |publisher=ラリーX}}</ref>。
 
=== いすゞ ===
現在トラックメーカーとして知られる[[いすゞ]]だが、乗用車製造から撤退する前には[[RACラリー]]限定でWRCにスポット参戦していた。日本人で構成されたチームいすゞは1983年 - 1985年に[[いすゞ・アスカ|アスカ]]、1986・1987年は[[いすゞ・ジェミニ|ジェミニ]]を運用で参戦。1984年にグループAクラスで優勝している<ref>[https://www.ewrc-results.com/final/8564-lombard-rac-rally-1984/?ct=8833. Lombard RAC Rally 1984]</ref>。
 
=== 日本人ドライバー ===
メーカーのみならず、多くの日本人ドライバーがWRCに参戦した。下位クラスでは目覚ましい活躍が残されており、PWRCでは[[新井敏弘]](スバル)が2度のドライバーズタイトル(日本人として初の四輪世界選手権王者)を獲得している。またプロダクションカーカップや2リッターカップなどでは西山寛(日産)、[[藤本吉郎]](トヨタ)らが勝利を挙げている他、[[奴田原文雄]](三菱)が2006年のPWRCで[[ラリー・モンテカルロ]]を含め3勝を挙げて年間2位の成績を収めている。
 
プロダクションカーカップ/グループNクラスや2リッターカップの単一イベントなどでは西山寛(日産)、[[藤本吉郎]](トヨタ)、[[三好秀昌]](スバル)、鎌田豊(いすゞ)らが勝利を挙げているほか、[[奴田原文雄]](三菱)が2006年のPWRCで[[ラリー・モンテカルロ]]を含め3勝を挙げて年間2位の成績を収めている。またサファリの岩瀬晏弘、RACラリーの勝田照夫や[[神岡政夫]]、APRC王者の[[田口勝彦 (ラリードライバー)|田口勝彦]]、ナビで[[テイン]]設立者の市野諮なども古くはよく知られた名前である。
一方で日本人のWRC総合優勝記録は2021年現在、[[篠塚建次郎]](三菱)による1991/1992年コート・ジボワール・ラリーでの2勝である。
 
一方で日本人のWRC総合優勝記録は2021年現在、[[篠塚建次郎]](三菱)による1991年、1992年のコート・ジボワール・ラリーでの2回に留まっている。
2015年からはTOYOTA GAZOO Racingの育成プログラムの下、元WRCドライバーの勝田照夫を祖父にもつ[[勝田貴元]]と、[[新井敏弘]]の息子[[新井大輝]]、コ・ドライバーの[[足立さやか]]がトヨタの支援でWRC2に参戦(マシンは[[フォード・フィエスタ|フォード・フィエスタ R5]]を使用)し、2018年の[[ラリー・スウェーデン]]で勝田が日本人初のWRC2優勝を挙げている。勝田はトヨタに才能を見出され、2019年にWRカーデビューを果たした。
 
2015年からはTOYOTA GAZOO Racingの育成プログラムの下、元WRCドライバーの勝田照夫を祖父にもつ[[勝田貴元]]と、[[新井敏弘]]の息子[[新井大輝]]、コ・ドライバーの[[足立さやか]]がトヨタの支援でWRC2に参戦(マシンは[[フォード・フィエスタ|フォード・フィエスタ R5]]を使用)し、2018年の[[ラリー・スウェーデン]]で勝田が日本人初のWRC2優勝を挙げている。勝田はトヨタに才能を見出されて2019年にWRカーデビューを果たし、2022年現在WRCのトップカテゴリで、地元ラリージャパンを含め3度表彰台を獲得する活躍を見せている。
このほか[[全日本ラリー選手権]]の経験を持つドライバーが、グループN・R車両などでスポット参戦することも珍しくない。
 
今でも[[全日本ラリー選手権]]の経験を持つドライバーが下位クラスや地域規定のマシンで海外イベントにスポット参戦することは珍しくない。
 
== メディア ==
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開催国を中心として、ヨーロッパで絶大な人気を誇るWRCはテレビ放送も盛んに行われている。特にフィンランドは母国イベントの開催時に国民の10%が観戦するほどの人気があるという<ref name="toyokeizai18477" />。FIAとしてもテレビ放送から得られる収入は無視出来ないものとなり、スーパーSSなどテレビ放送向けにイベントを組んでいるが、より多くの視聴者を獲得するためにはテレビ放送より規模の大きいインターネット配信が有効という意見も出ている<ref>{{Cite news |url=http://www.rallyplus.net/2401 |title=リチャーズ、「WRCはネット配信に専念すべき」 |newspaper=RALLY PLUS.NET |date=2014-05-31 |accessdate=2017-08-28}}</ref>。ラジオ放送も行われており、日本でもインターネット経由で聴くことが出来る。
 
また2014年から一部のSSを有料配信する、公式ライブストリームサービスのWRC plusが配信開始。2018年には全SSをライブ配信する[https://plus.wrc.com/jp/ WRC All Live]へと名称が変わった。これも日本で視聴することが可能で、また[[Red Bull]] TVでは同配信の一部を無料で配信している<ref>[http://rallyx.net/news/WRC史上初、全ステージをライブ中継へ-15589/ WRC史上初、全ステージをライブ中継へ] ラリーモバイルX 2018年1月13日</ref>。
 
=== 日本での放送 ===
20192024年現在[[J SPORTS]]が各イベントの最終SSのライブ中継や各DAY・イベントのダイジェスト、ラリージャーナリストが取材したWRCの裏側リポート等を有料放送しているほか、2024年からは[[ABEMA]]でも開催期間中の土曜SSと日曜の最終SSに限り全戦無料生中継している<ref>“[https://www.cyberagent.co.jp/news/detail/id=29509 スプリントラリーの最高峰である 『FIA世界ラリー選手権』を「ABEMA」にて2024年より全戦無料配信]”. 株式会社サイバーエージェント. 2023年11月15日</ref>
 
1990年代はNHKでWRCの報道がされていた<ref group="注">オープニング曲はTonyMacalpineのThe stranger(1990年)、[[増崎孝司]]のCHANCE IT(1993-1995年)、Vinne Mooreのcinema(1996-1997年)。スポーツキャスターは[[小平桂子アネット]]。小平はその後、2001年にCS放送のWRC番組でキャスターとして復帰するが2004年メキシコをもって引退している。</ref> ほか、2003年以前は日本テレビで深夜にダイジェスト番組が放送されていた<ref group="注">ナビゲーターは[[ケイ・グラント]]と[[国沢光宏]]が担当。</ref>。
2004年に[[テレビ東京]]でもダイジェスト放送が開始<ref group="注">テーマソングはfocusのNeurotika。番組[[ナビゲーター]]は2004年から2005年が[[前田真理子]]と[[国沢光宏]]、2006年は[[倉野麻里]]と[[古賀敬介]]、2007年から2008年は[[松丸友紀]]と古賀が担当した。</ref>。祝日や土日の昼頃に放送されており、時にはナビゲーターが現地リポートを行うこともあった。2005年のラリージャパンでは[[報道ステーション]]の[[松岡修造]]が出演するコーナーにて特集され、2006年には前述の放送局に加えて、インターネット放送[[GYAO!#GyaO|GyaO]]、CS放送[[アクションチャンネル|AXN]]、地上波放送日本テレビ系列<ref group="注">テレビ東京系列局の無い地域、且つラリージャパンのみ。</ref> および[[福井放送]]<ref group="注">[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列・[[テレビ朝日]]系列[[クロスネット局]]、ラリージャパンのみ。</ref> で行われたが、以降は地上波でWRCやラリージャパンに関する放送はされなくなった。衛星放送では[[BS日本|BS日テレ]]でもダイジェストで放送していたが、スバルのWRC撤退によるスポンサー撤退で2008年12月25日で放送終了。2008年はテレビ東京系の番組『[[モヤモヤさまぁ〜ず2]]』とタイアップし、同年11月14日に21時から2時間特番を放送した<ref group="注">PR的な内容で、選手やレース関係者へのインタビュー、番組プロデューサーの[[伊藤隆行]]によるラリーカー同乗レポート、各種イベントの紹介などが行われた。</ref>。その他の放送局はWRCの報道に消極的であり、日本で開催される[[ラリージャパン]]も例外でない。同ラリーの開催時期でも、地上波では過去にWRCの放送経験があるテレビ東京系列の他は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列や[[日本放送協会|NHK]]で多少触れられる程度であった。
 
[[2017年の世界ラリー選手権|2017年]]から[[トヨタ]]のWRC復帰がきっかけで[[テレビ朝日]]において『[[地球の走り方 世界ラリー応援宣言]]』というダイジェスト番組や[[報道ステーション]]のスポーツコーナーにおいて各イベントの結果の放送がされるようになっている。2018年1月には[[アメトーーク!]]で「世界ラリー大好き芸人」が特集され、1時間の枠でWRCが紹介された。
 
地球の走り方は芸人による現地リポートがメインの初心者向けバラエティー番組であり、モータースポーツファンからは不評であった。また、番組出演者がサービスパークで悪ふざけ<ref>[https://twitter.com/OfficialWRC/status/873498684432031745 Jari-Matti Latvala is heading out to the next group of stages!] 2017年6月10日</ref> や、MCの[[渡部建]]が[[クリス・ミーク]]のクラッシュシーンで不快な演出を行い、当シーンを視聴していたJスポーツのWRC番組MCの[[栗田佳織]]から批判されるなど不備が存在<ref>[https://twitter.com/KURITA_KAORI/status/996660885262188545 今更ながら某地上波のWRC番組を観ました。今季第4戦ツールドコルス。ミークがコースアウトした瞬間、MCの人が「ありがとうー。」と一言。アクシデントは決して笑えない。選手は生半可な気持ちで戦ってない。なんだか悲しくなりました。] 2018年5月16日</ref>。地球の走り方としては2018年をもって終了。
2019年以降は世界ラリー応援宣言2019<ref group="注">MCは[[レイザーラモンRG]]、放送期間は2019年2月から3月末および7月から9月末</ref>」「』<ref>{{Cite web | url = https://twitter.com/tvasahi_rally/status/1162370144804339715 | title = Twitter 2019年8月16日 | accessdate = 2022-8-22}}</ref>『ラリージャパン応援宣言<ref group="注">MCは[[柴田阿弥]](2021年4月からはナレーションを担当)と[[EXIT (お笑いコンビ)|EXIT]](7月以降)、放送期間は2020年4月から12月および2021年4月から12月</ref>』<ref>{{Cite web|和書| url = https://natalie.mu/owarai/news/422588 | title = 「EXITのラリージャパン応援宣言開始、皆さんにもシェアできたらいいな - お笑いナタリー | accessdate = 2022-8-22}}</ref><ref>{{Cite web | url = https://twitter.com/tvasahi_rally/status/1243471107526541312 | title = Twitter 2020年3月27日 | accessdate = 2022-8-22}}</ref>『モータースポーツ応援宣言<ref group="注">[[FIA 世界耐久選手権|世界耐久選手権]]も取り上げられている。MCはEXIT。ナレーションは柴田阿弥。放送期間は2022年4月から</ref>』<ref>{{Cite web | url = https://twitter.com/tvasahi_rally/status/1508083258848071680 | title = Twitter 2022年3月27日 | accessdate = 2022-8-22}}</ref>と5分番組に縮小し放送を続けている。また地球の走り方終了後の2019年以降も、報道ステーションでは不定期にWRCの結果を報道している他、テレ朝Postもラリー記事を投稿している。この番組の影響もあり六本木ヒルズで毎年行われている「[[テレ朝夏祭り]]」でもWRCに関連したアトラクションが設営されていた。
 
その後、世界ラリー応援宣言と入れ替わるような形で、BS日テレが11年ぶりにラリーダイジェスト番組を4月よりラリーツール・ド・コルスからスタートさせたものの、12月をもって終了<ref group="注">テーマソングは[[ニュー・ファウンド・グローリー]]のIt's not your found。ナレーションは[[狭川尚紀]]。</ref>。2020年にはNHK-BSにて勝田貴元の挑戦を追いかけたドキュメンタリー番組が放送され、6月には同局にて開幕戦から第3戦までのハイライト番組を放送。同年12月には残り4戦のハイライト放送を行った。2021年以降もNHK-BSにてハイライトが不定期で放送されている<ref group="注">ナレーションは[[高瀬登志彦]]。解説は古賀敬介。</ref>。
916 ⟶ 968行目:
また、ユーロピクチャーが1990年代前半からヨーロッパのラリーハイライト番組を翻訳したVHSを発売している<ref group="注">ナレーションは[[みし奈昌俊]]であったが、2002年をもって降板。しかし、近年は再びみし奈が担当している。</ref>。
 
その他、[[カーグラフィックTV]]もラリーのハイライトを放送したことがあった<ref group="注">ただし、翻訳の違いからか他番組やメディアと少し名前が違うドライバーが多数存在した。サインツ→サインス、オリオール→オーリオル、マキネン→メキネンなど。</ref>。
 
=== 日本での雑誌報道 ===
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=== フィクション ===
[[新谷かおる]]の[[ガッデム]]が、[[ビッグコミックスペリオール]]で1988年 - 1990年まで連載され、OVAとしてアニメ化もされた。パリダカのようなモノだけをラリーと認識している人が多かった当時の日本に、WRCのルールを浸透させたエポックメイキングな作品。架空の日本車メーカー三沢自動車と日本人ドライバー轟源の活躍を描く。
 
なお新谷かおるは、同じくWRCを扱った作品として『NAVI』を『ヤングマガジンGT』に2000年1号 - 2002年6号まで連載、単行本全1巻をヤングマガジンコミックスから発売している。こちらはドライバーではなくナビゲーターが主人公というのが珍しい。
 
[[しんむらけーいちろー]]の『FLAT OUT』が、『[[別冊ヤングマガジン]]』に2005年4月 - 2006年12月まで連載された。2004年のラリージャパンと[[ラリー・オーストラリア]]を舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。なお、しんむらは2022年ラリージャパンを盛り上げるための公式マンガとして、勝田貴元の半生を描いた『勝田貴元物語』を描き下ろした<ref>{{Cite web|和書| url = https://motor-fan.jp/mf/article/78243/ | title = 勝田貴元選手が主人公のマンガ『勝田貴元物語』「前編」をASB電子雑誌書店で無料公開【フォーラムエイト・ラリージャパン2022公式マンガ】 - Motor-Fan | accessdate = 2022-11-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = https://motor-fan.jp/mf/article/92305/ | title = 「ラリージャパン2022」公式マンガ『勝田貴元物語』の後編を電子版で無料公開! - Motor-Fan | accessdate = 2022-11-14}}</ref>。
 
2018年6月には[[トヨタ]]の全面協力の下にWRCを目指すドライバーとそれを支えるメカニックの兄弟を描いた、[[東出昌大]]/[[新田真剣佑]]主演の映画『[[OVER DRIVE (映画)|OVER DRIVE]]』が公開された。また、2021年10月には再びラリーを題材にした映画『[[僕と彼女とラリーと]]』が公開された。
なお新谷かおるは、同じくWRCを扱った作品として「NAVI」をヤングマガジンGTに2000年1号 - 2002年6号まで連載、単行本全1巻をヤングマガジンコミックスから発売している。こちらはドライバーではなくナビゲーターが主人公というのが珍しい。
 
=== ゲームソフト ===
[[しんむらけーいちろー]]の「FLAT OUT」が、[[別冊ヤングマガジン]]に2005年4月 - 2006年12月まで連載された。2004年のラリージャパンと[[ラリー・オーストラリア]]を舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。
{{See also|:en:WRC (video game series)}}
2001年(日本では2002年)の{{仮リンク|WRC ワールドラリーチャンピオンシップ|en|World Rally Championship (2001 video game)}}以降、[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)]](2001年~2005年)、Black Bean Games(2010年~2012年)、Nacon(2013年~2022年)、[[エレクトロニック・アーツ]](2023年)がWRC公式ゲームソフトを発売している。SCEから発売されたソフトはすべて[[PlayStation|PlayStationシリーズ]]限定。
 
日本では[[スパイク (ゲーム会社)|スパイク]](2002年~2006年)、[[サイバーフロント]](2011年~2013年)、[[スクウェア・エニックス]](2014年)、[[オーイズミ・アミュージオ]](2017年~2022年)、3goo(2021年~2022年)、エレクトロニック・アーツ(2023年)がWRC公式ゲームソフトを発売している。
2018年6月には[[トヨタ]]の全面協力の下にWRCを目指すドライバーとそれを支えるメカニックの兄弟を描いた、[[東出昌大]]/[[新田真剣佑]]主演の映画「[[OVER DRIVE (映画)|OVER DRIVE]]」が公開された。また、2021年秋には再びラリーを題材にした映画「僕と彼女とラリーと」が公開予定。
 
== 歴代チャンピオン ==
1,012 ⟶ 1,070行目:
! [[1988年の世界ラリー選手権|1988年]]
| {{Flagicon|ITA}} ランチア
| {{Nowrap begin}}{{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} ミキ・ビアシオン{{W}}(ランチア){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} ティツィアーノ・シヴィエロ{{W}}(ランチア){{Nowrap end}}
|-
! [[1989年の世界ラリー選手権|1989年]]
1,038 ⟶ 1,096行目:
| {{Flagicon|JPN}} トヨタ
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ユハ・カンクネン{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} ダニエル・グラタループ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! [[1994年の世界ラリー選手権|1994年]]
| {{Flagicon|JPN}} トヨタ
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} [[ディディエ・オリオール]]{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} ベルナール・オセッリ{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
|-
! [[1995年の世界ラリー選手権|1995年]]
1,083 ⟶ 1,141行目:
| {{Flagicon|FRA}} プジョー
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} [[マーカス・グロンホルム]]{{W}}(プジョー){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}}  ティモ・ラウティアイネン{{W}}(プジョー){{Nowrap end}}
|-
! [[2003年の世界ラリー選手権|2003年]]
1,156 ⟶ 1,214行目:
|-
! [[2017年の世界ラリー選手権|2017年]]
| {{flagicon|GBR}} [[Mスポーツ]]{{W}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} セバスチャン・オジェ{{W}}(Mスポーツ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} ジュリアン・イングラシア{{W}}(Mスポーツ){{Nowrap end}}
1,179 ⟶ 1,237行目:
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} セバスチャン・オジェ{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} ジュリアン・イングラシア{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
|-
! [[2022年の世界ラリー選手権|2022年]]
| {{flagicon|JPN}} トヨタ
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} [[カッレ・ロバンペラ]]{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ヨンネ・ハルッツネン{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
|-
! [[2023年の世界ラリー選手権|2023年]]
| {{flagicon|JPN}} トヨタ
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} カッレ・ロバンペラ{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ヨンネ・ハルッツネン{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
|-
! [[2024年の世界ラリー選手権|2024年]]
| {{flagicon|JPN}} トヨタ
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|BEL}} [[ティエリー・ヌービル]]{{W}}(ヒョンデ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|BEL}} {{仮リンク|マルティン・ウィダグ|en|Martijn Wydaeghe}}{{W}}(ヒョンデ){{Nowrap end}}
|}
<div style="text-align:left">
1,220 ⟶ 1,293行目:
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|POL}} [[ロバート・クビサ]]{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|POL}} マシエク・バラン{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|QAT}}  シーショア・カタール・ラリーチーム{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
|-
! 2014年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|QAT}} [[ナッサー・アル=アティヤ]]{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} ジョバンニ・ベルナッキーニ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|GBR}} ドライブ[[DMACK]]{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2015年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|QAT}} [[ナッサー・アル=アティヤ]]{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} マシュー・バウメル{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|CZE}} シュコダ・モータースポーツ{{W}}([[シュコダ]]){{Nowrap end}}
|-
! 2016年
1,253 ⟶ 1,326行目:
|-
! 2020年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} [[マッズ・オストベルグ]]{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} トルステイン・エリクセン{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|DEU}} TOKスポーツ{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
|-
! 2021年
{{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} [[アンドレアス・ミケルセン]]{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} トルステイン・エリクセン{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|DEU}} TOKスポーツ{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
|-
! 2022年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} エミル・リンドホルム{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} リータ・ハマライネン{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|DEU}} TOKスポーツ{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
|-
! 2023年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} [[アンドレアス・ミケルセン]]{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|NOR}} トルステイン・エリクセン{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|DEU}} TOKスポーツ{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
|-
! 2024年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} サミ・パヤリ{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} エンニ・マルコネン{{W}}(トヨタ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} DGスポーツコンペティション{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
|}
</div>
1,301 ⟶ 1,392行目:
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} エンリコ・ブラゾッリ{{W}}(プジョー){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} ルカ・ベルトラム{{W}}(プジョー){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|ITA}} ACIチームイタリア{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2020年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ヤリ・フッツネン{{W}}(ヒュンダイ){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ミッコ・ルッカ{{W}}(ヒュンダイ){{Nowrap end}}
| rowspan="2" style="text-align:center" {{N/A|''not held''}}
| {{Nowrap begin}}
|-
! 2021年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FRA}} ヨハン・ロッセル{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|POL}} マチェイ・シュシェパニャク{{W}}(シュコダ){{Nowrap end}}
|-
! 2022年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} ラウリ・ヨーナ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} エンニ・マルコネン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|CZE}} ヤン・チェルミー{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2023年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} エミル・リンドホルム{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|FIN}} エンニ・マルコネン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| rowspan="2" style="text-align:center" {{N/A|''not held''}}
|-
! 2024年
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|PAR}} ディエゴ・ドミンゲス{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{Flagicon|ESP}} ロジェリオ・ベニャーテ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
{{Nowrap end}}
|}
</div>
1,346 ⟶ 1,454行目:
|-
! 2008年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|FRA}} [[セバスチャン・オジェ]]{{W}}(シトロエン){{Nowrap end}}
|-
! 2009年
1,391 ⟶ 1,499行目:
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|SWE}} トム・クリステンソン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|SWE}} ヨアキム・スヨベルグ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2021年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|FIN}} サミ・パジャリ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|FIN}} マルコ・サルミネン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2022年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|EST}} ロベルト・ビルベス{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|IRL}} ブライアン・ホイ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2023年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|IRL}} ウィリアム・クレイトン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|IRL}} リアム・リーガン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
! 2024年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|EST}} ロメット・ユルゲンソン{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|EST}} シーム・オヤ{{W}}(フォード){{Nowrap end}}
|-
|}
1,411 ⟶ 1,535行目:
|-
!style="white-space:nowrap"|2002年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|MAS}} カラムジット・シン{{W}}([[プロトン (自動車)|プロトン]]){{Nowrap end}}
|-
! 2003年
1,429 ⟶ 1,553行目:
|-
! 2008年
| {{Nowrap begin}}{{flagicon|AUT}} アンドレアス・アイグナー{{W}}([[三菱自動車工業|三菱]]){{Nowrap end}}
|-
! 2009年
1,492 ⟶ 1,616行目:
 
<gallery>
File:Rally New Zealand 2006.jpg|200px|thumb|2006年 オーストラリア・ラリーの表彰台
File:2012-rally-great-britain-by-2eightdsc 1547.jpg|thumb|200px|2012年ラリーGBの表彰台
</gallery>
 
1,533 ⟶ 1,657行目:
| 1990, 1992
|-
!scope=row| {{flagicon|Finland}} [[マーカス・グロンホルム]]
| align="center"|2
| 2000, 2002
|-
!scope=row| {{flagicon|Finland}} [[カッレ・ロバンペラ]]
| align="center"|2
| 2022 - 2023
|-
!scope=row| {{flagicon|Italy}} [[サンドロ・ムナーリ]]
1,584 ⟶ 1,712行目:
| align="center"|1
| 2019
|-
!scope=row| {{flagicon|BEL}} [[ティエリー・ヌービル]]
| align="center"|1
| 2024
|-
|}
{{col-float-break}}
1,601 ⟶ 1,734行目:
| style="text-align:center;"|8
|2003 - 2005, 2008 - 2012
|-
|{{flagicon|Japan}} [[トヨタ]]
| style="text-align:center;"|8
|1993 - 1994, 1999, 2018, 2021 - 2024
|-
|{{flagicon|France}} [[プジョー]]
| style="text-align:center;" rowspan="2"|5
|1985 - 1986, 2000 - 2002
|-
|{{flagicon|Japan}} [[トヨタ]]
|1993 - 1994, 1999, 2018, 2021
|-
|{{flagicon|Germany}} [[フォルクスワーゲン]]
1,631 ⟶ 1,765行目:
|-
|{{flagicon|France}} [[アルピーヌ]]
| style="text-align:center;" rowspan="54"|1
|1973
|-
|{{flagicon|UK}} [[タルボ (自動車メーカー)|タルボ]]
|1981
|-
|{{flagicon|Japan}} [[三菱自動車工業|三菱]]
|1998
|-
|{{flagicon|UK}} [[Mスポーツ]]
|2017
|-
|}
{{col-float-end}}
1,665 ⟶ 1,798行目:
!2
|{{Flagicon|FRA}} [[セバスチャン・オジェ]]
|5466
|{{Flagicon|FRA}} [[ジュリアン・イングラシア]]
|54回
1,690 ⟶ 1,823行目:
|{{Flagicon|FIN}} [[トミ・マキネン]]
|24回
|{{Flagicon|FIN}} セッポ・ハルヤンネ
|20回
|-
1,696 ⟶ 1,829行目:
|{{Flagicon|FIN}} [[ユハ・カンクネン]]
|23回
|{{Flagicon|FIN}} イルッカ・キヴィマキ
|19回
|-
1,731 ⟶ 1,864行目:
|-
!1
|{{Flagicon|JPN}} [[トヨタ]]
|103回
|-
!2
|{{Flagicon|FRA}} [[シトロエン]]
||102回
|-
!23
|{{Flagicon|USA}}/{{Flagicon|GBR}} [[フォード・モーター|フォード]]
|9294
|-
!34
|{{Flagicon|ITA}} [[ランチア]]
|73回
|-
!4
|{{Flagicon|JPN}} [[トヨタ]]
|69回
|-
!5
1,763 ⟶ 1,896行目:
|-
!9
|{{flagicon|KOR}} [[ヒョンデ]]
|33回
|-
!10
|{{Flagicon|GER}} [[アウディ]]
| 24回
|-
!10
|{{Flagicon|ITA}} [[フィアット]]
|21回
|}
{{col-float-end}}
※2020※2025年[[ラリー・メキシコチリ]]終了時点。
 
== 脚注 ==
1,783 ⟶ 1,917行目:
{{Commonscat|World Rally Championship}}
* [[ラリー]]
* [[国際自動車連盟#競技車両規定|FIA 車両規定]]
 
== 外部リンク ==
1,794 ⟶ 1,928行目:
* [https://www.jsports.co.jp/motor/wrc/ WRC世界ラリー選手権 | J SPORTS]
* [https://www.bs4.jp/motorsports/ モータースポーツ情報|BS日テレ]
* [https://abema.tv/video/genre/sports/motorsport/wrc WRC世界ラリー選手権 | ABEMA TV]
 
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{{世界ラリー選手権のイベント}}
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{{Normdaten}}
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{{デフォルトソート:せかいらりいせんしゆけん}}