「ノート:汎世界主義」の版間の差分

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この用語が音楽用語としてどれほど定着しているのか、疑わしいものがあります。また、音楽の特定用語と言いうるかどうかも疑問です。独自の用語法(独自の研究に該当する)と思われます。---[[利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] 2006年10月21日 (土) 13:32 (UTC)
 
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ここの人たちはアドラーのリサーチに対して唾を吐くことが出来るのか。アメリカですでに要注目と騒がれた才能を、誹謗することが出来るのか。アドラーに限らず、スイスの尺八奏者、アメリカの笙奏者、イタリアのガムランアンサンブルにも唾を吐くということなのか。--[[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] 2006年11月18日 (土) 18:07 (UTC)
 
:野田先生のやり口がだいたい分かりました。要するに野田先生は、「虎の威を借る狐」だったというわけですな。 ---[[利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] 2006年11月20日 (月) 06:37 (UTC)
 
== とりあえず ==
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:アドラー博士ってそんな暇なお方なんでしょうか。--[[利用者:211.131.213.9|211.131.213.9]] 2006年11月19日 (日) 12:36 (UTC)
 
暇じゃないと思いますし、そのメールヘッダも、、、--[[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] 2006年11月19日 (日) 12:44 (UTC)
 
移動できないのですか?それは知りませんでした。--[[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] 2006年11月19日 (日) 14:33 (UTC)
 
http://www.britishcouncil.org/cz/czechrepublic-about-us-link-article-3.htm どうもpan world musicっていうほうが適切のようですね。--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 15:03 (UTC)
: すみませんが、これがどうこの記事の出典となるのか詳しく説明していただけませんでしょうか。私の語学力とリンク先にある英語版の記事を見た限りでは、リンク先のチェコ語の記事はSimon Broughton氏について「ミスター・ワールド・ミュージック」と紹介したインタビューにしかみえず、内容も出典としてふさわしいとはおもえませんが?それともいたずらのおつもりですか?--[[利用者:Aotake|Aotake]] 2006年11月19日 (日) 15:31 (UTC)
 
ちがうちがう。ワールディズムっていう用語よりも、こちらの表現のほうがぴったりくるという話です。--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 15:37 (UTC)
: なにがどうちがうのですか?リンクされた記事での"pan"はチェコ語の"mister"「氏」に相当する語句であり、ぴったりくるもなにもないでしょう?別にpan-をワールドミュージックにつけて、世界音楽全体にわたっての現象を語ることはいくらでもありえるでしょうが、それはこの記事の出典にはならないですよ。--[[利用者:Aotake|Aotake]] 2006年11月19日 (日) 16:00 (UTC)
 
そうですか。どうもリンクを張り間違えたようです。http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=pan-world+music&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 16:01 (UTC)
: それでこのピーターパンの世界だの、スチールパンの音楽だのが混じっている検索結果がこの記事とどう関係しているのでしょうか?詳しく説明してください。--[[利用者:Aotake|Aotake]] 2006年11月19日 (日) 16:11 (UTC)
 
ここに出てきますね。[http://www.amazon.com/Trance-Michael-Gordon/dp/B0000YG8JS 1] --[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 16:20 (UTC)
: たしかにこのAmazon.comのカスタマーレビューでは、Michael GordonのTranceというアルバムにpan-world musicのトラックも含まれていると評し、さまざまなworld musicが[[トランス (音楽)|トランス]]ミュージックの素材やインスピレーションの源泉だとは言っていますが、それは内容から言っても、ソースの信頼性から言っても「汎世界主義」という言葉が「様々な世界の伝統を参照して作曲する作曲家の総称」であることの出典にはなりませんよね。リンクの貼り方は[[Wikipedia:編集の仕方#.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.82.AF|こちら]]をご覧ください。--[[利用者:Aotake|Aotake]] 2006年11月19日 (日) 16:38 (UTC)
 
ハイあなたの言うとおり、と断定したかったのですが、「私は英語表現として適切なのはこちら」といっただけですよ?--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 16:43 (UTC)
: ああ、出典を示されたわけではなかったのですね。それは失礼いたしました。確かにpan-worldismよりはpan-world musicのほうがやや自然な英語かもしれませんが、この記事の検証可能性とは無関係の話ですね。--[[利用者:Aotake|Aotake]] 2006年11月19日 (日) 17:41 (UTC)
 
出典なんだけど、「世界音楽の時代」ってのが音友から出てるから、それのリゲティとメシアンネタ中心にして移動でええわ。--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 18:51 (UTC)
 
:ブルーノ・ネトル『世界音楽の時代』は手元にありますが、リゲティもメシアンも登場しません。この本に言う「世界音楽」は、ザックス以来比較音楽学、民族音楽学/音楽民族学で用いられるworld musicの訳語でで、著者のネトルも民族音楽学者と認識されている立場の学者です。world musicの語は、80年代後半から別の意味合いを持つようになりますが、2002年のPhilip V. Bohlman"World Music: A Very Short Introduction"(Oxford University Press. 邦訳は『ワールドミュージック/世界音楽入門』音楽之友社,2006年)など、近年でも用いられ、ネトル、ボールマンいずれの書でも、柘植元一氏が民族音楽学上の術語としての"world music"の訳語として「世界音楽」を用い、解説を加えています。--[[利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] 2006年11月19日 (日) 19:14 (UTC)
 
西洋の音楽と社会 11ですが?そちらの勘違いです。--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 19:29 (UTC)
 
あ、こっちか。失礼しました。モーガンほか『西洋の音楽と社会 11:世界音楽の時代 現代 II』--[[利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] 2006年11月19日 (日) 19:35 (UTC)
 
それが、かつて「世界音楽」といわれていた音楽で、この項目名の「汎世界主義」がこれに続く形で執筆されています。そっちの本を読んでいただければ、この項目が独自の研究でないことくらい自明なような気もいたします。要は「東と東の出会い」--[[利用者:125.205.219.20|125.205.219.20]] 2006年11月19日 (日) 19:44 (UTC)
 
:やはり、自分の当初の危惧が的中した(実証された)のか、やれやれ、という感じです。しかも、日本語版ウィキペディアンの教養や語学力についてまで悪態を並べていた張本人が、この程度だったとはね。本当に留学もしているのかしら。そのうち学歴詐称だったなんてことにならないよう、草葉の陰から祈ります。菅野先生もこんな人といつまでもつるんでいると、そのうち世界中の笑いものになりますよ。--[[利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]] 2006年11月20日 (月) 06:37 (UTC)
 
*''それが、かつて「世界音楽」といわれていた音楽で、この項目名の「汎世界主義」がこれに続く形で執筆されています。''の文意がもうひとつつかめないのですが、
#『西洋の音楽と社会 11』が「かつて「世界音楽」といわれていた音楽」を扱っていて、この「汎世界主義」という項目が『西洋の音楽と社会 11』に続く形で野田さんによって執筆されている
#『西洋の音楽と社会 11』のなかで、「かつて「世界音楽」といわれていた音楽」に続けて、「この項目名の「汎世界主義」」が同書のなかで執筆されている
のどちらでしょうか。
 
『西洋の音楽と社会 11』をざっくり確認してきました。関連がありそうなのは8章ですが、ここでは「ワールド・ミュージック」というタームが用いられ、上記の意味合い、あるいはやや民族音楽学の文脈から離れて非西洋音楽的なニュアンスで扱われているように感じました。「汎世界主義」へと続く部分は見つけられませんでしたが、ひょっとして新版がまもなく出版されるものをゲラなどでご覧になっているのでしょうか。新版の予定はまだ告知されていないようですが、そのような事情があるのであれば、出版社や訳者に確認することもできるかと思いますので、その旨お知らせください。--[[利用者:Ks aka 98|Ks aka 98]] 2006年11月20日 (月) 08:30 (UTC)
 
==翻訳==
Arpeggio:
''汎世界主義はあなたのリサーチをもとに構築されたと野田は申しておりますが、他のウィキペディアンは否定してます。''
''ウィキペディアでは独自研究が禁止になっています。''
''汎世界主義は、ほんとにあなたのタームなのですか?''
Chris:
''考えるに、''
''私はそんなタームは使ってないし、その作曲家とは知り合いではない''
''こうですよ。クリス。''
 
このように文章が翻訳されるのですが、本文にはなんとありました?「複数の世界の伝統を参照した音楽」って本文で、アドラーがそのタームを主張したなんてことは'''本文には書いてなかった'''。あと「汎世界主義はあなたのリサーチをもとに構築されたと野田は申しております」'''こんなことも本文には書いていなかった'''。あと、アドラーのメールアドレスはadler@alum.mit.edu([http://www.christopheradler.com/ 本人のサイト]で公開されているものです)だよね。メアドから間違えているが、ks aka 98は確認をとったか?--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 00:30 (UTC)
 
''>>>民族音楽学の文脈から離れて非西洋音楽的なニュアンスで扱われているように感じました。「汎世界主義」へと続く部分は見つけられませんでした>>>''
その文献で出てきた、「サックス四重奏とガムラン合奏のための」作品はお聞きになりましたでしょうか?多分聞いてないでしょう。聞いてたらこんな「''見つけられませんでした''」などという回答はできないはずだ。あの作品は「インドネシア人がインドネシアの楽器に西洋楽器を混在させた」例。今行われているのは「イスラエル人がインドネシアの楽器を使い(ジルツ)、アメリカ人がタイの楽器を使い(アドラー)、ドイツ人が日本の楽器を使う(シュテーブラー)」例だ。「世界音楽」の提唱者のシュトックハウゼンは生前日本の楽器に作曲したものの、その作品の西洋楽器ヴァージョンを作曲し直し、晩年は非西洋楽器を二度と使おうとしなかった。それが「世界音楽」なら今行われている創作には別の単語が与えられなければならない。だからといって「汎世界主義」って単語になるとはすぐには思えないが、「ポストコロニアル」「ポストモダン」が許容されるのなら「汎世界」という単語列も許容されてしかるべきだろう。--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 00:41 (UTC)
 
「汎世界主義」の参考文献は、一番参考になるのは[[中川真]]の「マルガサリ」結成時のコメントで彼はこう言った。「''ダルマブダヤというグループがやったのは現代ガムラン。しかしインドネシアでこれをかけたところ、現地民はなんと言ったか?『一音たりとも理解できない』といったのだ。面白かったという現地民もいたが、完全にリップサーヴィスだった。これではいけない。現地民の奏でる伝統を、完全に日本人が意のままに吸収し、自在に操れるようになければならない。付け焼き刃現代ガムラン曲は不要だったのだ。我々はもう現代ガムランをやめる。新しい音楽劇桃太郎は、完全にインドネシアの様式に則ったものでなくてはならない''」このコメントが、最も世界音楽の限界を指摘した文章になっている。この文章の執筆は[[1998年]]。この時点では他国の伝統に歩み寄る音楽家は実に少なかった。--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 01:12 (UTC)
 
[https://en.wikipedia.org/wiki/Pandiatonicism ここ]みたく、Panってのは「汎」って意味だから、''Postなになに''と、たいして変わらない。琴の[[カーティス・パターソン]]は1997年には日本デビュー(KBS京都ラジオにも登場)しているし、2000年代にはshakuluteという汎世界主義そのものとしか言えない楽器まで出てきた。[https://en.wikipedia.org/wiki/Postcolonialism こんな用語]でも立項されてる。ポストコロニアリズムって、2010年代の今となっては壮大な無駄ですよね。汎世界主義はこんな無駄ではない。「西洋人が、植民地の音楽を参照して西洋音楽で作曲する(ベリオ・Coro)」のが世界音楽、「西洋人が、自らが興味を感じた音楽伝統を一から学んで現地の言語で作曲する(フーバー・闇の嘆き)」のが汎世界音楽とは言えるだろう。だから最初から「汎世界音楽」と立項しておけばよかったのかもしれない。--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 01:14 (UTC)
 
おそらく「汎世界音楽」の元年はと言われたら、[https://www.youtube.com/watch?v=StRcYYSoYpE これ]になるのではないだろうか。これは1987年の作品。[https://scholarship.rice.edu/handle/1911/87698 論文]もあるし、いまなら立項が可能かもね。ちなみにこの論文は2015年なので、削除依頼に「あと10年かかる」といったユーザーの指摘は当たっている。--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 01:20 (UTC)
 
あと、世界音楽会議で汎世界音楽そのものの出現を予言するコメントを、来日した[[ヘンリー・カウエル]]が残している。「皆さん、これから出てくる音楽が『雑種』って言われても、それにめげてはいけません。雑種で結構。これからこういう雑種がたくさん出てくる、それを否定してはいけません」--[[特別:投稿記録/45.40.166.150|45.40.166.150]] 2018年3月10日 (土) 01:28 (UTC)
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