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'''アロウズ・グランプリ'''(Arrows Grand Prix International)は、かつて[[フォーミュラ1|F1]]に出走していたチームおよびコンストラクター。チーム名の由来は、チーム設立にかかわった、{{仮リンク|フランコ・アンブロジオ|en|Franco Ambrosio}}('''A''')、{{仮リンク|アラン・リース|en|Alan Rees (racing driver)}}('''R''')、[[ジャッキー・オリバー]]('''O''')、デイブ・ウォス('''W''')、[[トニー・サウスゲート]]('''S''')の頭文字をとったものである。日本企業が支援した時期は「'''フットワーク'''」の名でも知られた。
 
25シーズン382戦にわたり参戦したものの優勝を一度も経験できず、未勝利コンストラクターでは最多出走の記録を持っている。
 
== 歴史 ==
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===中堅チーム===
1978年の[[スウェーデングランプリ|スウェーデンGP]]や1980年の[[アメリカグランプリ|アメリカ西GP]]で2位入賞、1981年のアメリカ西GPではポールポジションを獲得するなど、パトレーゼが時折印象に残る成績を残すこともあったが、コンストラクターズランキングでは中位から下位といったポジションがほとんどであった。
 
またこのアメリカ西GPでのポールポジションはチームで唯一の記録となった。
 
===最盛期===
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=== フットワーク時代 ===
{{See also|en:Footwork Arrows}}
1990年に日本の運送会社の'''[[アートプラス|フットワーク]]'''がメインスポンサーとなり、後にフットワークがチームを買収した。翌年の1991年からは、チームとして、1992年からはコンストラクターとしても「フットワーク」を名乗った。
 
1991年、かつて[[マクラーレン]]と組んでチャンピオンを獲得した[[ポルシェ]]に製作させたV12エンジンを使用してシーズンをスタートした。ポルシェとの独占契約は、競合かした[[レイトンハウス]]や[[オニクス・グランプリ|オニクス]]との獲得合戦を経ての待望の搭載だったが<ref>フットワーク・ポルシェ新体制発表 グランプリ・エクスプレス 日本GP号 45頁 1990年11月8日発行</ref>、このV12エンジンは実際、マクラーレン時代の[[テクニーク・ダバンギャルド#モータースポーツ|TAG]] V6エンジンを、ターボを外して単純に2つ並べてつなげた程度の代物で、当初チームに知らされていた寸法と実際に届けられたエンジンの寸法が異なるという前代未聞のエンジン駄作であった。さらに他のエンジンに比べて大きく重い上、信頼性に欠け、シーズン途中で前年まで使用していた[[フォード・コスワース・DFVエンジン#DFR|コスワースDFR]]V8エンジンに換装するというドタバタを演じた。なお、チームはポルシェと1993年までの4年契約(1990年は開発のみ)を結んでおり、1年あたり日本円で約45億円の巨額の使用料をポルシェに払っていたが、余りの「欠陥品」ぶりに契約を破棄せざるを得なかった。当然この年の成績は振るわず、F1参戦以来初(結果的には25年間で唯一)となる年間ノーポイントに終わった。9月には早々に翌年への仕切り直しをするべく[[ラルース (F1チーム)|ラルース]]から[[鈴木亜久里]]が移籍加入することが正式発表され<ref>正式発表!鈴木亜久里+フットワーク [[GPX (雑誌)|F1GPX]] 1991スペインGP号 30頁 [[山海堂 (出版社)|山海堂]] 1991年10月19日発行</ref>、日本GP開催期間の10月18日にはポルシェ社との契約破棄と[[M-TEC|無限ホンダ]]エンジンとの契約締結が正式発表された<ref>フットワーク体制発表 エンジンは無限 F1GPX 1991日本GP号 46頁 山海堂 1991年11月07日発行</ref>
当然この年の成績は振るわず、F1参戦以来初(結果的には25年間で唯一)となる年間ノーポイントに終わった。
 
1992年、ニューマシン[[フットワーク・FA13|FA13]][[M-TECホンダ・RA109E|無限MF351H]]V10エンジンを使用。これに伴い搭載し心機一転[[鈴木亜久里]]がチームに加わる。エースドライバーの[[ミケーレ・アルボレート]]で臨んだ。アルボレートは前年より良いマシンで復調を見せ、リタイアわずか2回という堅実な走りでチームを引っ張った。7位が6回とすんでのところでポイント獲得を逃すことが多かったものの、同年のF1で最多完走・最長距離走破ドライバーとなった<ref>総周回数911周 1992年もっとも走った男アルボレート [[F1グランプリ特集]] Vol.43 1993年1月号 106頁 [[CBSソニー出版]]</ref>。対照的に、亜久里は駆動系などにトラブルを多く抱え、シャシーもモノコック形状が長身の亜久里に合わないなどの問題があり、入賞することが出来なかった。但し、当時はまだHパターンのギヤボックスが主流であった中、[[シーケンシャルマニュアルトランスミッション|シーケンシャルタイプ]][[トランスミッション|ギヤボックス]]を開発するなど、FA13は技術的な進歩も見られた。
 
[[1993年のF1世界選手権|1993年]]にはシーズン途中でマクラーレンからアクティブ・サスなどのハイテク装置を購入する<!--{{要出典}}矢印93年当時の「F1速報」「F1グランプリ特集」に記載あり-->と、それまでと比べ予選順位が両ドライバー(3年ぶりF1復帰のワーウィックと残留した亜久里)とも10ポジション程度アップした。弱点であったハンドリング不良が消えて戦闘力は大幅に増したが、レースではギアボックスにトラブルが続出してなかなか結果に結びつかなかった。
 
そしてシーズン終了後、親会社のフットワーク業績悪化からチームを手放さざるをえなくなり、[[ジャッキー・オリバー]]が再びチームオーナーとなった。
 
[[File:Taki Inoue 1995 British GP.jpg|thumb|220px|right|井上隆智穂がドライブするFA16(1995[[フットワーク・FA16|FA16]](1995年)]]
以降チーム名は以前のアロウズを名乗ったが、コンストラクターとしては[[1996年のF1世界選手権|1996年]]までフットワークと名乗り続けることになる。[[1994年のF1世界選手権|1994年]]には[[ジャンニ・モルビデリ]]と[[クリスチャン・フィッティパルディ]]を、[[1995年]]にはモルビデリ(途中数戦は[[マッシミリアーノ・パピス]])と[[井上隆智穂]]を起用したが、この頃には予算不足でマシンの信頼性、戦闘力も上がらないうえ、テストもまともに行えないなど低迷期を迎えることとなる。
 
=== TWR時代 ===
1996年の序盤に3月、[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]や[[リジェ]]を率いていた[[トム・ウォーキンショー]]がチーム買収に成功。チーム運営も[[スポーツカーレース]]で数々の好成績を収めていた「'''[[トム・ウォーキンショー・レーシング]]'''('''TWR''')」が行うこととなり、コンストラクターズ名称もアロウズに戻った。
 
[[ファイル:Damon Hill 1997 Arrows.jpg|thumb|220px|デイモン・ヒルがドライブするA18(1997年)]]
1997年には、著名デザイナーの[[ジョン・バーナード]]と、前年にウィリアムズでチャンピオンになった[[デイモン・ヒル]]を獲得し、[[アロウズ A18|A18]]はカーナンバー"1"を纏った。エンジンは[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]、タイヤは[[ブリヂストン]]と奇しくも日本関連の陣容となった。開幕当初はヒルをもってしても苦戦が続いていたが、[[ハンガリーグランプリ|ハンガリーGP]]で快走を見せ、ファイナルラップ途中でマシントラブルにより[[ジャック・ヴィルヌーヴ]]に抜かれるまではトップを独走していた(最終的には2位でフィニッシュ)。
 
しかし、TWR傘下の[[ブライアン・ハート (企業)|ハート]]との軋轢からヤマハが撤退し、ヒルも1年限りで移籍。バーナードの意欲作[[アロウズ・A19|A19]]も成功しなかった。1999年はナイジェリアのマリク王子と投資銀行[[ドイツ銀行|モルガン・グレンフェル]]が経営参加し、「t-minus(ティーマイナス)」という謎のブランドを提唱。日本人ドライバーの[[高木虎之介]]が加入したが、予選ではバックマーカーが定位置となりチームとしてわずか1ポイントの獲得に終わる。
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[[ファイル:Frentzen Bernoldi France 2002.jpg|thumb|220px|2002年フランスグランプリ予選]]
2002年は[[フォード・コスワース・CRエンジン]]のカスタマー供給を受け、さらにはニューマシン[[アロウズ・A23|A23]]の出来が良く、新加入の[[ハインツ=ハラルド・フレンツェン]]がしばしば好走を見せたが、資金難は悪化する一方でモナコGPでは撤退の話が出た。当時ウォーキンショー代表は明確に撤退を否定したが、[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]で再度撤退するのではないかとの噂が流れた。次戦の[[フランスグランプリ|フランスGP]]では両ドライバー共に予選アタックを全開で行うことなく「予定通り」に予選不通過となる。結局、ドイツGPを最後に一時休止の決断をするが、その後復活を果たすことなく、足掛け25シーズンにわたるアロウズのF1参戦は一度も優勝を味わうことのないまま終止符を打った。参戦数382戦は今もなお続く未勝利コンストラクターでは最多出走記録である
 
=== その後 ===
TWRの倒産後、アロウズの工場はアメリカの[[メナード・エンジニアリング]]が購入し運営を行っており、2006年から2008年にかけてF1に参戦していた[[スーパーアグリF1チーム]]が、同工場を活動拠点として使用していた(メナードからのリース)。他にもスーパーアグリは、初年度のマシンとなる「[[スーパーアグリ・SA05|SA05]]」「[[スーパーアグリ・SA06|SA06]]」に2002年にアロウズが使用した「[[アロウズ A23|A23]]」のモノコックを流用していたほか、スタッフも旧アロウズに所属していた人間が多数を占めるなど(オーナーの[[鈴木亜久里]]も元アロウズのドライバーである)、アロウズと密接な関係を持っていた。スーパーアグリ撤退後は[[ケータハムF1チーム|ケータハム]]が利用したが、同チームもやはり最終的に破産へと追い込まれており、関係者の間では「呪われたファクトリー」と呼ばれるようになり、現在では2020年時点、放棄されて空き家のままとなっている<ref>{{Cite journal|和書|journal=GP CAR STORY |issue = Vol.23 アロウズA18・ヤマハ|publisher=三栄書房|page=47|title=理想的な贈り物の代償}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.gpblog.com/en/news/53214/view-caterham-f1-factory-lies-in-ruin-just-five-years-after-final-formula-1-race.html |title=View: Caterham F1 factory lies in ruin just five years after final Formula 1 race |work=GPblog |publisher=Autosport International B.V. |date=11 January 2020 |access-date=20 December 2021 |first=Matt |last=Gretton}}</ref>。2023年、工場のあった[[:en:Leafield_Technical_Centre|リーフィールド・テクニカルセンター]]は取り壊しと再開発がされる予定<ref>{{Cite web |date=2023-06-20 |title=Plans for deserted headquarters of Formula 1 racing team |url=https://www.oxfordmail.co.uk/news/23600062.oxfordshire-plans-holiday-park-abandoned-f1-headquarters/ |access-date=2024-01-20 |website=Oxford Mail |language=en}}</ref>。
 
==変遷表==
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|- style="vertical-align: top;"
! bgcolor="#EFEFEF"| [[1984年のF1世界選手権|1984年]]
| [[R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニー|バークレイ]]・[[ノルディカ]]・アロウズ・BMW<!--曖昧さ回避の必要な文字列に対する内部リンクはご遠慮願います-->
| A6,[[アロウズ・A7|A7]]
| {{Goodyear}}
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*[[アレックス・カフィ]] (1990 - 1991)
*[[鈴木亜久里]] (1992 - 1993)
*[[ジャンニ・モルビデリ]] (1994 - 1995)
*[[井上隆智穂]] (1995)
*[[ヨス・フェルスタッペン]] (1996 , 2000 - 2001)
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*'''ワークス'''(1998年 - 1999年)
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File:Mika Salo Arrows A19 Sinsheim Baden-Württemberg.jpg|[[アロウズ・A19|A19]]
File:Arrows A20 Historacing Festival Lédenon 2012.jpg|[[アロウズ・A20|A20]]
</gallery>
 
*'''[[グラウンド・エフェクト・カー|グラウンド・エフェクト]]型'''(1979年 - 1982年)
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File:Arrows A2 Nürburgring Motorsport Museum.jpg|[[アロウズ・A2|A2]] [[フォード・コスワース・DFVエンジン|フォード]]
File:Arrows A3 at Silverstone Classic 2012.jpg|[[アロウズ・A3|A3]]前期型 フォード
File:Arrows A4A3 atNEC SilverstoneAug Classic1994 2012(51897515113).jpg|[[アロウズ・A4|A4]]A3後期型 フォード
File:Arrows A5A4 Malloryat ParkSilverstone Classic 2012.JPGjpg|[[アロウズ・A5A4|A5A4]] フォード
Arrows A5 Mallory Park.JPG|[[アロウズ・A5|A5]] フォード
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*'''ウイングノーズ(フラットノーズ型'''(1978年、1983年 - 1991年)
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File:Rolf Stommelen - Arrows FA1 at Druids at the 1978 British Grand Prix (50049696548).jpg|[[アロウズ・FA1|FA1]] フォード
File:Arrows A1 at Silverstone Classic 2012 (2).jpg|[[アロウズ・A1|A1]] フォード
File:Arrows A6 2008 Silverstone Classic.jpg|[[アロウズ・A6|A6]] フォード
File:Arrows A7 at Silverstone Classic 2011.jpg|[[アロウズ・A7|A7]] [[BMW]]
File:1985Arrows EuropeanA8 GP Boutsen(49511601136).jpg|[[アロウズ・A8|A8]] BMW
File:Arrows A9 at Goodwood 2012.jpg|[[アロウズ・A9|A9]] BMW
File:Arrows A10 at the 2016 Goodwood Festival of Speed.jpg|[[アロウズ・A10|A10]] [[メガトロン (エンジンメーカー)|メガトロン]]
File:Motor-Sport-MuseumDerek amWarwick Hockenheimring,1989 1991Belgian Footwork Porsche A11C, pic2GP.jpg|[[アロウズ・A11|フットワーク・A11]]C [[ポルシェ]]フォード
Motor-Sport-Museum am Hockenheimring, 1991 Footwork Porsche A11C, pic2.jpg|[[アロウズ・A11|フットワーク・A11]]C [[ポルシェ]]
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*'''ハイノーズ型'''(1991年 - 2002年)
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File:Flickr - wbaiv - DSC 0167.jpg|[[フットワーク・FA12]] ポルシェ
File:FootworkAguri FA13Suzuki Festival1992 ItaliaFootwork 2018 Brands HatchFA13 (4429995130151862039629).jpg|[[フットワーク・FA13]] [[M-TEC|無限ホンダ]]
File:Derek Warwick - Footwork FA14 during practice for the 1993 British Grand Prix (32873535493).jpg|[[フットワーク・FA14]] 無限ホンダ
File:Gianni Morbidelli - Footwork FA15 leaves the pits at the 1994 British Grand Prix (32388854942).jpg|[[フットワーク・FA15]] フォード
File:Taki Inoue 1995 British GP.jpg|[[フットワーク・FA16]] [[ブライアン・ハート (企業)|ハート]]
File:DamonAutosport HillInternational 19972003 Arrows Yamaha Hungary(283845751).jpg|[[アロウズ・A18|A18]] [[ヤマハ発動機|ヤマハ]]
File:Arrows A21 Spa-Francorchamps Racing Museum.jpg|[[アロウズ・A21|A21]] [[ルノーF1|スーパーテック]]
File:Hockenheim Classics 001 Arrows F1.jpg|[[アロウズ・A22|A22]] [[アジアテック]]
File:Heinz-Harald Frentzen 2002 French Gran Prix.jpg|[[アロウズ・A23|A23]] [[コスワース]]
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