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{{otheruses|修道女|イタリア映画|マザー・テレサ (映画)}}
{{Infobox 聖人
| 名前 = コルカタの聖テレサ<br />(マザー・テレサ)
| 画像 = MotherTeresa 090.jpg
| 画像コメント = ドイツ・[[ボン]]のプロライフ集会にて(1986年)
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| 生誕地 = {{OTT}}<br />{{仮リンク|コソボ州|en|Kosovo vilayet}}<br />ユスキュプ<br />(現在の[[北マケドニア]]<br />[[スコピエ]])
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| 生誕年(日) = [[1910年]][[8月26日]]
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| 死去地 = {{IND}}<br />[[西ベンガル州]]<br />[[コルカタ]]
|生誕年(日)=[[1910年]][[8月26日]]
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|死去地={{IND}}<br>[[西ベンガル州]] [[コルカタ]]
| 崇敬する教派 = カトリック教会
|死去年(日)={{death date and age|1997|9|5|1910|8|26}}
| 記念日 = 9月5日
|崇敬する教派= カトリック教会
|記念 列福 = 9[[2003年]][[10519]]
| 列福場所 = {{VAT}}<br />[[サン・ピエトロ広場]]
|列福日=[[2003年]][[10月19日]]
| 列福決定者 = [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]
|列福場所={{VAT}}<br>[[サン・ピエトロ広場]]
| = [[20032016年]][[109194日]]
|列福決定者=[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]
| 列聖場所 = {{VAT}}<br />[[サン・ピエトロ広場]]
|列聖日=[[2016年]][[9月4日]]
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|列聖場所={{VAT}}<br>[[サン・ピエトロ広場]]
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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1979年|ノーベル平和賞|長期間にわたる献身的な働きにより、苦しみのなかにいる人々に安息をもたらした<ref>{{Cite web |url=https://www.nobelprize.org/prizes/peace/1979/teresa/questions-and-answers/ |publisher=ノーベル財団 |title=Mother Teresa - Questions and answers |publisher=ノーベル財団 |accessdate=2019-06-15}}"Question: マザー・テレサは、どうして1979年のノーベル平和賞を受賞したの?"に対するAnswer(英文)を意訳。 </ref>。}}
{{Thumbnail:end}}
'''マザー・テレサ'''(Mother Teresa, [[1910年]][[8月26日]] - [[1997年]][[9月5日]])、あるいは'''コルカタの聖テレサ'''(Saint Teresa of Calcutta)は、[[カトリック教会]]の[[修道女]]にして[[修道会]]「[[神の愛の宣教者会]]」の創立者。またカトリック教会の[[聖人]]である。本名は[[アルーマニア語]]でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、[[アルバニア語]]でアニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ(Anjezë/Agnès Gonxha Bojaxhiu)。
 
== 概略 ==
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛した[[リジューのテレーズ]]にちなんだ[[修道名]]である。[[コルカタ]](カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
 
生前からその活動は高く評価され、[[1973年]]の[[テンプルトン賞]]、[[1979年]]の[[ノーベル平和賞]]、[[1980年]]の[[バーラト・ラトナ賞]](インドで国民に与えられる最高の賞)、[[1983年]]に[[エリザベス2世]]から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。[[1996年]]にはアメリカ合衆国史上5人目の[[アメリカ合衆国名誉市民|名誉市民]]に選ばれている。
 
近年では生前からの批判も多いという歴史解釈をされる場合もある。一方で、それらの批判の多くはインドの[[ヒンドゥー・ナショナリズム|ヒンドゥー至上主義]]の[[極右]]・[[ファシスト]]団体「[[民族義勇団]](RSS)」により過剰な[[歴史修正主義|歴史修正]]が行われているという見方もある<ref>{{Cite web |url=https://www.indiatoday.in/mail-today/story/withdraw-teresa-s-bharat-ratna-says-rss-1284396-2018-07-12 |title=Withdraw Teresa’s Bharat Ratna, says RSS |website=India Today |access-date=2023-09-24 |language=en}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://jp.reuters.com/article/idIN322661510520150227 |title=India’s parliament disrupted over Hindu leader’s remarks about Mother Teresa |work=Reuters |date=2015-02-27 |access-date=2023-09-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230929123541/https://jp.reuters.com/article/idIN322661510520150227/|archivedate=2023-09-29}}</ref>。
ただし、生前からの批判も多い。その批判については、この項目の「[[#批判|批判]]」あるいは、[[マザー・テレサに対する批判]]を参照のこと。
 
{{main|マザー・テレサに対する批判|民族義勇団}}
 
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[File:Memorial house of Mother Teresa.jpg|thumb|right|200px|マザー・テレサの地元[[スコピエ]]にある、彼女のメモリアル・ハウス]]
 
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、[[コソボ州]]・ユスキュプ(今の[[北マケドニア共和国]]・[[スコピエ]])に生まれた。翌27日は彼女が[[幼児洗礼]]を受けた[[キリスト教徒]]としての誕生日である。母のドラナ(Drana)は[[アルバニア人]]であったが、父のニコ({{lang|sq|Nikollë}})は[[ルーマニア人]]と同系の少数民族・[[アルーマニア人]]であった<ref>{{Cite web |url=http://www.romanialibera.ro/cultura/aldine/a-fost-maica-tereza-aromanca-213080.html |title=A fost Maica Tereza aromâncă? |website=Romania Libera |accessdate=2019-06-15|archiveurl=https://archive.is/rWrg |archivedate=2012-09-14 |accessdate=2019-06-15}}</ref>。
 
父は地元の名士であり手広く事業を営む実業家で、[[アルバニア]][[独立運動家|独立運動の闘士]]でもあったが、1919年に45歳で急死した(政敵による毒殺説もある)。彼女は3人きょうだいの末っ子で、6歳年上の姉と3歳年上の兄がいた。姉や兄からは「ゴンジャ」([[アルバニア語]]で「[[花]]の[[蕾|つぼみ]]」「小さな花」の意)と呼ばれていた。両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人には[[イスラム教]]徒が多く、マケドニア地方には[[正教徒]]が多かったことを考えると珍しい家族であった。一家は裕福であったが父母は[[信仰]]心に篤く、貧しい人への施しを積極的に行っていた。
 
アグネスの幼少時代についての記録はほとんどないが、小さいころから聡明な子で、12歳のときには、将来インドで修道女として働きたいという望みを持っていたといわれる。
 
=== カルカッタの修道女 ===
18歳のとき、[[聖座]]の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入った。ロレト修道女会は[[女子教育]]に力を入れている[[修道会]]であった。アグネスは[[ダブリン]]で基礎教育を受けると修練女として[[1931年]]にインドの[[ダージリン]]に赴いた。初誓願のときに選んだ修道名がテレサであった。この名前は[[リジューのテレーズ]]から取られている。[[1937年]]に[[修道誓願|終生誓願]]を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになった。
 
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=== 神の愛の宣教者会の創立 ===
「[[神の愛の宣教者会]]」は、[[1950年]]10月7日に[[ローマ教皇庁|教皇庁(ローマ教皇庁)]]によって認可を受け創立され、[[1965年]]2月1日には教皇庁立の修道会の認可を受ける<ref name="cbcj">{{Cite web |和書|url=https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/mother/ |title=マザー・テレサ |publisher=宗教法人 カトリック中央協議会 |accessdate=2019-06-15}}</ref>。テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことであった。テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるようになる{{sfn|中井|2011|p=158-160}}。
 
インド政府の協力で[[ヒンドゥー教|ヒンズー教]]の廃[[寺院]]を譲り受けたテレサは「[[死を待つ人々の家]]」という[[ホスピス]]を開設した。以降、ホスピスや[[孤児院|児童養護施設]]を開設していく。
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活動の初期のころは、地元住民たちはホスピスに所属している者をキリスト教に[[改宗]]させようとしているという疑念を抱いていた。しかし、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対してはその者の宗教で看取っていた(ヒンズー教徒には[[ガンジス川]]の水を口に含ませてやり、[[ムスリム|イスラム教徒]]には[[クルアーン]]を読んで聞かせた){{sfn|中井|2011|p=42-53}}。
 
ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。[[1960年代]]までに「神の愛の宣教者会」の活動はインド全土に及ぶようになった。さらに[[1965年]]以降、教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]の許可によってインド国外での活動が可能になった。インド以外で初めて宣教女が派遣されたのは[[南アメリカ|南米]][[ベネズエラ]]のココロテ市であった。以後、修道会は全世界規模で貧しい人々のために活躍するようになった
 
テレサの活動はカトリック教会全体に刺激を与え、男子修道会「神の愛の宣教者修道士会」([[1963年]])、「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。[[1969年]]、アメリカ人の[[マルコム・マッグリッジ]]が撮ったによる[[BBC]]のTVドキュメンタリー映画『{{仮リンク|すばらしいことを神様のために(Something Beautiful for God)|en|Something Beautiful for God}}』および同名の書籍によって、テレサの活動はアメイギのみならず全世界で知られるようになった。この作品の取材をする中でマッグリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、のちにカトリック教徒になっている。
=== 世界のマザー・テレサ ===
テレサの活動はカトリック教会全体に刺激を与え、男子修道会「神の愛の宣教者修道士会」([[1963年]])、「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。[[1969年]]、アメリカ人の[[マルコム・マッグリッジ]]が撮ったドキュメンタリー映画『すばらしいことを神様のために(Something Beautiful for God)』および同名の書籍によって、テレサの活動はアメリカのみならず全世界で知られるようになった。この作品の取材をする中でマッグリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、のちにカトリック教徒になっている。
 
[[1971年]]、教皇パウロ6世は、自らが制定した[[勲章]]「[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]教皇平和賞」の最初の受章者としてテレサを選んだ。これを皮切りに多くの賞がテレサに与えられることになる。[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]賞([[1971年]])、[[アルベルト・シュヴァイツァー|アルベルト・シュバイツアー]]賞([[1975年]])、アメリカ合衆国[[大統領自由勲章]]([[1985年]])、[[アメリカ合衆国名誉市民]]([[1996年]])、[[議会名誉黄金勲章]]([[1997年]])、これらに加えて数多くの[[大学]]の[[名誉学位]]を受けた。アメリカ合衆国名誉市民としては5人目(存命中は[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]に次いで2人目)、またアメリカやその同盟国の政治家・軍人以外としては初めての授与である。
 
こういった賞の中でもっとも有名なものは、もちろん[[1979年]]に受けた[[ノーベル平和賞]]であろう。テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿の[[サリー (民族衣装)|サリー]]と革製の[[サンダル]]という粗末な身なりで出席した。賞金19万2,000ドルはすべてカルカッタの貧しい人々のために使われることになった上、授賞式の場においては「私のための[[晩餐会]]は不要です。その費用はどうか貧しい人々のためにお使い下さい」とも要望した{{sfn|中井|2011|p=104-106}}。賞金を受け取ったとき「このお金でいくつの[[パン]]が買えますか」と言ったという。インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。「家に帰って[[家族]]を愛してあげてください」。
 
[[1982年]]にはテレサは[[イスラエル]]と[[パレスティナ|パレスチナ]]の高官にかけあって[[武力衝突]]を一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていた[[ベイルート]]の病院の患者たちを救出している{{sfn|中井|2011|p=88-90}}。
 
=== 晩年と死 ===
[[1983年]]、高齢のテレサは当時のローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]との会見のために訪れた[[ローマ]]で[[心臓発作]]に見舞われた。[[1989年]]には[[心臓ペースメーカー|ペースメーカー]]をつけた。[[1990年]]、テレサは健康状態を理由に総長の辞任を申し出たが、会員たちの強い希望により再び総長に選出される<ref name="syougai">{{Cite web |和書|url=http://www.worldvalue.co.jp/volunteer/motherteresa.html |title=マザー・テレサの生涯 |publisher=ワールドバリュー株式会社 |accessdate=2019-06-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160817155030/http://www.worldvalue.co.jp:80/volunteer/motherteresa.html |archivedate=2013-08-17 |accessdate=2019-06-15}}</ref>。[[1991年]]、優れない健康状態を押して故郷アルバニアに最初の支部を設立している。これはテレサの念願であった。
 
[[1993年]]5月、テレサは転倒して首の骨にひびが入り、8月には[[マラリア]]に罹患した。9月にはカルカッタで心臓病の手術を受けた<ref name="syougai" />。1997年3月、体力の限界を感じ総長職を辞任。[[1997年]][[9月5日]]、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて逝去<ref>「言葉でたどるマザーテレサの生涯」『カトリック生活』2016年9月号、ドン・ボスコ社、1-7頁。</ref>。満87歳没。
 
テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4,000人を数え、123か国・610か所で活動を行っていた<ref name="biography">{{Cite news|url=https://www.motherteresa.org/biography.html|title=Biography|publisher=Mother Teresa of Calcutta Center|date=|accessdate=2021-02-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181206113147/http://www.motherteresa.org:80/biography.html|archivedate=2018-12-06}}</ref>。活動内容は[[ホスピス]]、[[ヒト免疫不全ウイルス|HIV]]患者のための家、[[ハンセン病]]者のための施設([[平和の村]])、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.pauline.or.jp/specialarticles/200907_special-03.php |website=Laudate |title= 特集 |website=Laudate |publisher=女子パウロ会 |accessdate=2019-06-15}}</ref>。
 
宗派を問わずにすべての貧しい人のために働いたテレサの葬儀は、[[1997年]]9月13日にインド政府によって[[国葬]]として荘厳に行われた<ref>「マザーテレサ  貧しい人に仕えた生涯」『カトリック生活』1997年11月号、ドン・ボスコ社、17-21頁。</ref><ref name="biography" />。その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬されたことを象徴するものとなった。マザーの棺は陸軍兵によって砲車に乗せられ、国葬会場まで行進した。独立の父[[マハトマ・ガンジー]]、初代[[ジャワハルラール・ネルー|ネール]]首相につづき、マザー・テレサは3人目であった<ref name="syougai" />。遺体はテレサの遺言どおり「神の愛の宣教者会」本部に葬られた<ref>「貧しき人々の母 マザーテレサ帰天」『カトリック生活』1997年11月号、ドン・ボスコ社、11頁。</ref>。彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。インドの政治指導者や首相以外で国葬されたのは彼女と[[2011年]]4月に死去した[[サティヤ・サイ・ババ]]<ref>{{Cite news |url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20844320110427 |title=サイババ氏に数十万人が最後の別れ、インド南部で国葬 |newspaper=ロイター |date=2011-04-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231105193810/https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20844320110427|archivedate=2023-11-05}}</ref>のみである。
 
=== 列福までの道のり ===
{{出典の明記|date=2019年6月14日 (金) 21:08 (UTC)|section=1 |title=脚注がないので出典が不明な文が多数あります。}}
1997年、テレサの死後すみやかに[[列福]]・[[列聖]]調査がはじめられた。通常は死後5年を経ないと始めることはできない規定だが、テレサの場合は生前から[[聖女]]の誉れが高かったことと、彼女の業績を極めて高く評価していたヨハネ・パウロ2世が前倒しを強く求めたため、例外的に5年を待たずに始められたのである(この例外は、[[2005年]]4月に逝去した当時の教皇ヨハネ・パウロ2世自身にも適用された)。
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=== 列聖への道のり ===
[[2015年]][[12月17日]]、ローマ教皇庁は[[フランシスコ (ローマ教皇)|フランシスコ]]がテレサの二度目の奇跡を承認したと発表した。[[2008年]]、脳腫瘍を患い危篤状態だった[[ブラジル人]]男性がテレサのとりなしによって回復された事例が奇跡と認定された<ref name = "asahi.com">{{Cite web |和書|url = http://www.asahi.com/sp/articles/ASHDL6JDNHDLUHBI01J.html |title = マザー・テレサが「聖人」認定へ  ローマ法王が承認 | url = http://www.asahi.com/sp/articles/ASHDL6JDNHDLUHBI01J.html | publisher = 朝日新聞 | date = 2015-12-19 | accessdate = 2016-101-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151223053748/http://www.asahi.com/articles/ASHDL6JDNHDLUHBI01J.html|archivedate=2015-12-23}}</ref>。
 
[[2016年]][[9月4日]]、フランシスコはテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した<ref>{{Cite web|和書|author=宮下日出男|url=https://www.sankei.com/article/20160904-GZZLE634SRNY5E3PSJ3SFM7GDM/|title=マザー・テレサ「聖人」に認定  バチカンで列聖式…「コルカタの聖女」偉業讃える|accessdate=2016-9-4|author=宮下日出男|publisher=産経ニュース|accessdate=2016-09-04}}</ref>。この日はテレサの死後、満19年目を迎える前日であった。
 
== 受賞・受章歴 ==
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イギリス人[[ジャーナリスト]]の[[クリストファー・ヒッチェンズ]]は1995年に『[[宣教師の立場]]』を刊行し、その中でマザー・テレサをきわめて否定的に扱った。また[[リチャード・ドーキンス]]は『[[神は妄想である]]』の中で、『宣教師の立場』の題を挙げてマザー・テレサを「彼女は聖人ではない」と批判した<ref> 垂水雄二訳『神は妄想である』早川書房、2007年、427頁</ref>。
 
インド出身のアソシエイトエディター、クリティカ・ヴァラグールは2016年4月に『[[ハフィントン・ポスト]]』アメリカ版でマザー・テレサを批判した。「『特別で優秀な白人が[[有色人種]]を助けるのだ』というイメージをインド人や西洋人に植えつけた」と主張し、「マザー・テレサの崇高なイメージは、脆弱化したカトリック教会によって行われたメディア・キャンペーンの結果である」と述べている<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.huffingtonpost.jp/krithika-varagur/mother-teresa-was-no-saint_b_9658658.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001 |title=マザー・テレサは聖人ではなかった |website=ハフポスト |accessdate=2019-06-15}}</ref>。
 
== 関連作品 ==
=== 書籍 ===
* 『マザー・テレサ -神さまへのおくりもの-』マザー・テレサ著、半田基子訳、[[女子パウロ会]]、1976年
* 『生命あるすべてのものに』マザー・テレサ、[[講談社現代新書]]、1982年
* 『マザー・テレサ 愛を語る』ジョルジュ・ゴルレ、ジャン・バルビエ編著、支倉寿子訳、[[日本教文社]] 、1982年
* 『ほほえみ -マザー・テレサのことば-』女子パウロ会編、江口まひろ絵、女子パウロ会、1989年
* 『マザー・テレサ 愛のことば』女子パウロ会編、いもとようこ絵、女子パウロ会、1998年
* 『マザー・テレサ 日々のことば』マザー・テレサ著、いなますみかこ訳、女子パウロ会、2000年
* 『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』ホセ ルイス・ゴンザレス‐バラド編、渡辺和子訳、PHP文庫、2000年
* 『愛する子どもたちへ マザー・テレサの遺言』マザー・テレサ、片柳弘史(写真)、[[サレジオ会|ドン・ボスコ社]]、2001年
* 『マザー・テレサ書簡集』、片柳弘史編・訳、ドン・ボスコ社、2003年
* 『マザー・テレサ -すばらしいことを神さまのために-』マルコム・マゲッリッジ、沢田和夫訳、女子パウロ会、1976年
* 『マザー・テレサとその世界』千葉茂樹、[[女子パウロ会]]、1980年
* 『マザー・テレサこんにちは』千葉茂樹、女子パウロ会、1980年
* 『マザー・テレサ あふれる愛』沖守弘、[[講談社文庫]]、1984年
* 『ノーベル平和賞に輝く聖女 マザーテレサ』望月正子、[[講談社]]、1988年
* 『愛にことばはいらないのよ』岩岡佳、女子パウロ会、1989年
* 『こんにちわ地球家族 -マザー・テレサと国際養子-』千葉茂樹、女子パウロ会、1991年
* 『マザー・テレサ 愛の軌跡』ナヴィン・チャウラ、三代川律子訳、日本教文社 、1995年、2001年増補改訂版
* 『マザー・テレサへの旅 ボランティアってだれのため?』[[寮美千子]]、[[学研ホールディングス|学研]]、1997年
* 『わたしはマザーに出会った -20人が語るマザー・テレサのすがた-』女子パウロ会編、女子パウロ会、2001年
* 『愛 -マザー・テレサ日本人へのメッセージ-』女子パウロ会編、三保元訳、女子パウロ会、2003年
* 『カルカッタ日記 マザー・テレサと出会って』片柳弘史、ドン・ボスコ社、2003年
* 『マザー・テレサの真実』五十嵐薫著 《NPO法人レインボー国際協会理事長》、[[PHP研究所|PHP出版]]、2007年
* 『大ヴァチカン展パンフレット』大ヴァチカン展実行委員会、1987年
* 『[[AERA]]臨時増刊  人を助けたい 震災ボランティア/善意ネットワーク』 [[朝日新聞社]] 1995年3月
* 『マザーテレサ「死の場面」』坂倉圭著、[[聖母の騎士社]]、2004年 ISBN 978-4882162537
* [http://www.asahi-net.or.jp/~pr4k-skkr/ 『マザーテレサ「死の場面」』] ウエブ版
* 『マザー・テレサ 愛の花束』 [[中井俊已]]、PHP研究所 [[2007年]] ISBN 978-4569669465
* 『マザーテレサの子と呼ばれて』 工藤朋子著、聖母の騎士社、[[2010年]] ISBN 978-4882163183
* 『宣教師マザーテレサの生涯 スコピエからカルカッタへ』工藤裕美著、上智大学出版、[[2007年]] ISBN 978-4-324-08057-3 C3014
 
=== 漫画 ===
* 学習まんが世界の伝記『マザー・テレサ 貧しい人のために生涯をささげた聖女』[[高瀬直子]]、沖守弘(集英社、1992年)ISBN 978-4082400248
* [[学習まんが人物館]]『マザー・テレサ 貧しい人びとに限りなき愛をそそいだ現代の聖女』滝田よしひろ、[[あべさより]](小学館、1997年) ISBN 978-4092700130
* コミック版世界の伝記『マザー・テレサ』[[谷沢直]]、沖守弘(ポプラ社、2011年)ISBN 978-4591126110
* 学習まんが世界の伝記NEXT『マザー・テレサ 貧しい人々に尽くした愛と勇気の聖女』榊ゆうか、堀ノ内雅一(集英社、2016年)ISBN 978-4082400675
 
=== 映像作品 ===
* ドキュメンタリー映画“Something Beautiful for God”、1969年、アメリカ
* ドキュメンタリー映画『[[マザー・テレサとその世界]]』(55分)、1979年、[[女子パウロ会]]
* ドキュメンタリー映画『[[生命、それは愛]]』(マザー・テレサ来日の記録 30分)、1982年、女子パウロ会
* アニメ『[[みんなのおかあさん マザー・テレサ]]』(20分)、1993年、女子パウロ会
* アニメ『[[マザー・テレサ (アニメ)|マザー・テレサ]]』、2000年、学研、[[寮美千子]]脚本、[[金井肇]]監修
* テレビ映画『[[マザー・テレサ (映画)|マザー・テレサ]]』、20052003年、[[ファブリツィオ・コスタ]]監督、[[オリヴィア・ハッセー]]主演
* ドキュメンタリー映画『[[マザーテレサ - 母なることの由来]]』(1986年/アメリカ映画/83分)製作・監督 [[アン・ペトリ]]、[[ジャネット・ペトリ]] 1988年日本公開。2007年デジタル復刻版製作、日本再公開。
* ドキュメンタリー映画『[[マザーテレサ - 母なるひとの言葉]]』(2004年/アメリカ映画/55分)製作・監督 アン・ペトリ、ジャネット・ペトリ 2007年「母なることの由来-デジタル復刻版-」と同時に日本初公開。
* 2008年12月10日(水)の[[日本放送協会|NHK]][[テレビ番組|テレビ]]『[[その時歴史が動いた]]』では、マザー・テレサの特集が組まれた。
* 2010年マザー・テレサ映画祭開催<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.motherteresa.co.jp/ |title=マザー・テレサ映画祭 |publisher= |accessdate=2019-06-15}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=中井俊巳 |title=マザー・テレサ愛の花束 |publisher=PHP研究所 |series=PHP文庫 |date=2011年8月 |edition=第1版 |isbn=978-4-569-66946-5 |ref={{SfnRef|中井|2011}} }}<!-- 第12刷 -->
 
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Mother Teresa|マザー・テレサ}}
* [[マザー・テレサ空港]](ティラナ国際空港)
* [[ACジャパン]] - [[公共広告機構]]時代、[[日本ユニセフ]]の支援キャンペーンCMにマザー・テレサ本人が出演。
 
== 外部リンク ==
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* [https://www.cbcj.catholic.jp/category/information/saintbeato/mother/  マザー・テレサ  カトリック中央協議会]
* [http://www.motherteresa.co.jp/index.html マザー・テレサ・メモリアル] - ドキュメンタリー「母なることの由来」「母なるひとの言葉」劇場公開公式サイト
* [httphttps://www.nobelprize.org/nobel_prizesprizes/peace/laureates/1979/summary/ ノーベル財団 The Nobel Peace Prize 1979] - マザー・テレサのノーベル賞受賞演説など
* [http://www.motherteresa.org/ Mother Teresa of Calcutta Center]
* [http://www.motherteresawomenuniv.ac.in/ Mother Teresa Women's University]
*[https://www.youtube.com/watch?v=86SemtwG6Lc/ {{YouTube|86SemtwG6Lc|Centro Televisivo Vaticano(Vaticano(マザー・テレサ列聖式、2016年)])}}{{リンク切れ |date=2019年6月14日 (金) 21:08 (UTC)}}
* {{NHK人物録|D0009250214_00000}}
 
{{ノーベル平和賞受賞者 (1976年-2000年)}}
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[[Category:キリスト教の修道女]]
[[Category:カトリック教会の聖人]]
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