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| 画像 = Hotaru Yamaguchi.jpg
| 画像サイズ = 200px
| 画像の説明 = [[サッカー
| 本名 = 山口 螢
| 愛称 = ホタル
| カタカナ表記 = ヤマグチ ホタル
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| 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|||}}テンプレートを使用 -->
| 出身地 = [[三重県]][[名張市]]
| 身長 =
| 体重 =
| 所属チーム名 = {{Flagicon|JPN}} [[
| ポジション = [[ミッドフィールダー|MF]]
| 背番号 = 5
| 利き足 = 右足
| ユース年1 = 2000-2002 | ユースクラブ1 = {{Flagicon|JPN}} 箕曲ウエスト
| ユース年2 = 2003-2005 | ユースクラブ2 = {{Flagicon|JPN}} セレッソ大阪U-
| ユース年3 = 2006-2008 | ユースクラブ3 = {{Flagicon|JPN}} セレッソ大阪U-
| 年1 = 2009-2015 | クラブ1 = {{Flagicon|JPN}} [[セレッソ大阪]] | 出場1 = 140 | 得点1 = 11
| 年2 = 2016 | クラブ2 = {{Flagicon|GER}} [[ハノーファー96]] | 出場2 = 6 | 得点2 = 0
| 年3 = 2016-2018 | クラブ3 = {{Flagicon|JPN}} セレッソ大阪 | 出場3 = 85 | 得点3 = 3
| 年4 = 2019-2024 | クラブ4 = {{Flagicon|JPN}} [[ヴィッセル神戸]] | 出場4 =
| 年5 = 2025- | クラブ5 = {{Flagicon|JPN}} [[V・ファーレン長崎]] | 出場5 = | 得点5 =
| クラブ成績更新日 =
| 代表年1 = 2013-2019<ref name=daihyo>{{Cite news|title=山口 蛍|work=サッカー日本代表データベース|url=http://www.jfootball-db.com/players_ya/hotaru_yamaguchi.html}}</ref>▼
| 代表年1 = 2012 | 代表1 = {{
▲| 代表年
| 代表成績更新日 = 2019年11月19日
| 監督チーム1 = | 監督年1 =
| medaltemplates =
}}
'''山口 蛍'''(やまぐち ほたる、[[1990年]][[10月6日]] - )は、[[三重県]][[名張市]]出身の[[プロサッカー選手]]。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[
2013シーズンまでの登録漢字表記は
▲== 来歴 ==
=== プロ入り前 ===
1990年、[[三重県]][[名張市]]赤目に次男として誕生<ref>
小学校3年生の時に父の影響でサッカーを始め、主に[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]を担当<ref name="hy2">[http://www.soccer-king.jp/sk_column/article/34314.html U-23日本代表の“ダイナモ”山口蛍「ロンドン五輪は自分をアピールするチャンス」] - SOCCER KING 2012年6月14日</ref>。中学校進学に際し[[セレッソ大阪]]、[[ガンバ大阪]]、[[京都サンガF.C.]]の3クラブの入団テストを受け、テスト当日に合格の通知をくれた[[セレッソ大阪|セレッソ大阪U-15]]へ入団した{{R|hy2}}。▼
▲小学校3年生の時に父の影響でサッカーを始め、主に[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]を担当<ref name="hy2">
中学時代は電車で片道2時間かけて練習場まで通う日々を送り、1年生の終わりにはJFAエリートプログラムの1期生に選出された{{R|hy2}}<ref>{{Cite news |title=【サッカー男子】3大会ぶり8強の日本、支えるJFAの取り組み |url=http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120731/soc12073101430000-n1.htm |work=MSN産経ニュース |access-date=2025-07-30 |language=ja-jp}}</ref>。2006年、セレッソ大阪U-18へ昇格。2008年、チームの主将に就任。[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ|JFAプリンスリーグU-18関西]]で優勝を飾り、自身もリーグMVPに選出された。
=== セレッソ大阪 ===
2009年、[[丸橋祐介]]と
2011年、前年は出場機会に恵まれなかったものの、この年はボランチのポジションで徐々に出場機会を増やし、J1第24節[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦で公式戦初得点を記録。
62 ⟶ 57行目:
2013年、自身初のリーグ戦全34試合に出場。また、この年初めて日本代表に選出され、シーズン終了後に[[Jリーグベストイレブン]]に初めて選ばれた。
2014年
2015年シーズン、キャプテンとしてチームをけん引するも、C大阪はJ2リーグ4位で終え、[[2015年のJリーグ#J1昇格プレーオフ|J1昇格プレーオフ決勝]]で[[アビスパ福岡]]に敗れ、1年でのJ1復帰を逃した。
=== ハノーファー96 ===
2015年12月21日、[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]の[[ハノーファー96]]への完全移籍が発表された<ref>[https://www.cerezo.co.jp/news/2015-12-21-3/ 山口蛍選手 ハノーファー69へ移籍合意のお知らせ] セレッソ大阪公式サイト 2015年12月21日</ref>。背番号は16番。チームはダントツの最下位だった<ref name="footballchannel.jp">{{Cite web|和書|url=https://www.footballchannel.jp/2023/01/12/post491163/2/ |title=大失態! 冬の海外移籍で失敗した日本人選手5人。欧州の環境への適応に苦しんだ実力者たち |publisher = |accessdate=2023-01-12}}</ref>。2016年1月30日、ブンデスリーガ第19節[[バイエル・レバークーゼン]]戦でブンデスリーガ初出場。しかし、3月の代表戦で鼻、眼窩底
=== セレッソ大阪復帰 ===
2016年6月19日、半年でセレッソ大阪への復帰が発表された<ref>{{Cite web |title=ハノーファー96 山口蛍選手 移籍加入のお知らせ |url=https://www.cerezo.jp/news/2016-06-19-2/ |website=セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト {{!}} Cerezo OSAKA |date=2016-06-19 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。古巣復帰にあたって「育ったクラブを離れてみて、セレッソに対する思いが想像以上に強くなった」と自身の公式ブログにて心境をつづった<ref>{{Cite news |title=セレッソに復帰します |url=http://blog.lirionet.jp/hotaru6/2016/06/post-7134.html |work=山口蛍 OFFICIAL BLOG |access-date=2025-07-30}}</ref>。また、翌日の6月20日の復帰会見では「残りのサッカー人生を全てこのクラブとともに歩んでいきたい。プレーで返していくしかない」とでファンやクラブへの恩返しを誓った<ref>{{Cite web |title=山口蛍、復帰会見で生涯セレッソ宣言「全てこのクラブとともに歩んで…」 |url=https://www.sanspo.com/article/20160620-UQ3VAEHJJBII5NG5TQ6MRRIAME/ |website=サンスポ |date=2016-06-20 |access-date=2025-07-30 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。9月にはアシスト数がリーグ内1位タイとなる2本、パス数が2位(261本)、インターセプト数が4位タイなど同月に行われた試合で3連勝に貢献し、J2リーグ月間MVPに選出された<ref>{{Cite web |title=山口選手「明治安田生命J2リーグ月間MVP(9月度)」受賞! |url=https://www.cerezo.jp/news/2016-10-11-2/ |website=セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト {{!}} Cerezo OSAKA |date=2016-10-11 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。J2の舞台で奮闘しプレーオフでJ1昇格を決めた<ref>{{Cite web |title=「自然と出た」蛍の涙…号泣する盟友には「曜一朗は背負ってきたものの大きさが違う」 |url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?204664-204664-fl |website=ゲキサカ |date=2016-12-04 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。2017年シーズンから育成出身者としては初の背番号10番を背負い、レギュラーとして32試合に出場。クラブ初タイトルとなった[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]と[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]優勝に貢献。また、リーグ最多のインターセプト数を記録し<ref>{{Cite web |title=C大阪山口蛍、比類なきインターセプト断トツ30回 - J1 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201712200000085.html |website=nikkansports.com |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>、リーグ3位とクラブ史上最高勝ち点を記録するなど背番号10にふさわしい活躍で歴史的なシーズンを支えた。また、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。2018年1月22日 キャプテンの就任が発表された<ref>{{Cite web |title=2018シーズン キャプテン、副キャプテン決定のお知らせ |url=https://www.cerezo.jp/news/2018-01-22-2/ |website=セレッソ大阪オフィシャルウェブサイト {{!}} Cerezo OSAKA |date=2018-01-22 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。また、背番号を[[清武弘嗣]]に10番を譲り、海外移籍前と同じ6番に変更した<ref>{{Cite web |title=7CLUB |url=https://7club.city/ |date=2023-06-10 |access-date=2025-07-30 |language=en |author=Yerry Mina}}</ref><ref>{{Cite web |title=C大阪背番号10は清武弘嗣に「蛍と話して決めた」 - J1 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201801160000061.html |website=nikkansports.com |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。このシーズンもレギュラーとして33試合に出場。また、チームの上位争いをした翌年に残留争いをするというジンクスを消滅させた。ホーム最終戦の後に行われたセレモニーでは、解任が決定した[[尹晶煥]]監督を思い涙を流した<ref>{{Cite web |title=C大阪ホーム最終戦で思わず涙…山口蛍主将「尹さんに申し訳ない」 |url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?259983-259983-fl |website=ゲキサカ |date=2018-11-24 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。
=== ヴィッセル神戸 ===
2019年より、リーグ優勝とACL優勝を本気で目指すという目標に共感し、[[ヴィッセル神戸]]へ完全移籍(その後、目標通りリーグ優勝は達成した)<ref>
2020年シーズン最初の試合となる2月8日に行われた[[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER CUP]]・横浜FM戦では、勝ち越し
2021年シーズンもレギュラーとして試合に出場し続けるも、9月5日に行われた第24節・広島戦で負傷交代<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/202109050001561_m.html?mode=all&utm_source=AMPbutton&utm_medium=referral 神戸ドローよりも痛い「心臓」山口蛍負傷交代「1日も早く戻って」祈る監督] 日刊スポーツ 2021年9月6日</ref>。この怪我の影響でチームから離脱し、昨シーズンから続いた神戸での公式戦連続出場が途絶えた。11月3日に行われた第34節・仙台戦で途中出場から復帰を果たすと、出場から2分後に勝ち越しゴールを挙げた<ref>[https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/202111030000816_m.html?mode=all&utm_source=AMPbutton&utm_medium=referral 【J1】神戸山口蛍“復帰弾”3位死守 仙台退場者響き残留へ痛い敗戦] 日刊スポーツ 2021年11月3日</ref>。怪我での離脱はあったものの、リーグ戦32試合5得点を記録し、ACL圏内で神戸のJ1最高順位となるリーグ3位に貢献。また、自身も3年連続でJリーグ優秀選手賞に選出された<ref>[https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/19422.html 「2021Jリーグ優秀選手賞」受賞のお知らせ] ヴィッセル神戸 2021年12月5日</ref>。
2022年シーズンは4月6日のJ1第7節・FC東京戦でシーズン初得点を挙げた<ref>{{Cite web
2023年シーズン、10月21日の鹿島戦までフル出場で試合に出続けるも、その後2試合を負傷のため欠場<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2023/11/05/kiji/20231105s00002179549000c.html?amp=1 神戸・吉田孝行監督がMF山口蛍の状況を説明「間に合うかどうか分からない」12日・浦和戦] スポニチ 2023年11月5日</ref>。J1リーグ優勝の懸かった11月25日の名古屋戦で後半13分から、5月に退団したアンドレス・イニエスタから引き継いだキャプテンマークを巻いて出場。チームは試合に勝利し、初のリーグ優勝。自身も初めてのリーグタイトルを獲得した<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20231125/1833802.html 神戸がJ1初制覇! “主将”山口蛍が喜びを露わに「経験したことのないようなすごい嬉しい気持ち」] サッカーキング 2023年11月5日</ref>。その後の取材では「セレッソは中学生の頃から育ててもらったクラブで、そこでトップにも上がって試合にも使ってもらって、日本代表にもなって…。そのチームから移籍するのって本当に、自分の中でも想像はしていなかったですし、ずっとそこにいるものだと思っていた。ただ、選手として、壁にぶつかるようなところもあった。その中で決断した移籍だった。神戸に毎年のようにすごい選手が入ってくるっていう中で一個人のプレーヤーとしてみても、僕自身のプレーの幅だったりとかいうものも伸ばすことができたと思う」と移籍後の心境も語った
=== 日本代表 ===▼
<ref>{{Cite web |url=https://www.jslink.jp/news/jslink/n-00338543/ |title=【取材ノート:神戸】ホームでJ1初優勝を迎えた11.25。山口の涙で“みんな”がつながった |publisher = |accessdate=2023-12-01}}</ref>。シーズン終了後に優秀選手賞を受賞し<ref>[https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/22346.html 「2023Jリーグ優秀選手賞」受賞のお知らせ] ヴィッセル神戸 2023年12月4日</ref>、自身3度目となるベストイレブンにも選出された<ref>[https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/22366.html 2023Jリーグ ベストイレブン受賞のお知らせ] ヴィッセル神戸 2023年12月5日</ref>。
2024年シーズンから背番号を5から「96」番に変更。愛犬の「クロ」にちなんで、96(クロ)とした。50番以上の番号が自由に付けられるようになった昨シーズンに番号を変更したかったが、間に合わずこのシーズンからの変更となった<ref>[https://jocr.jp/raditopi/2024/01/10/549880/ J1神戸MF山口蛍 背番号『96』の意図は家族愛「理由は言わなくてもわかるとは思いますが」] ラジオ関西 2024年1月10日</ref>。シーズン途中までは絶対的レギュラーとして君臨しており、アウェーC大阪戦では[[ヨドコウ桜スタジアム]]での2年連続となるゴールをあげる活躍をみせたが、夏場に怪我で離脱し、復帰直後に再離脱するなどシーズン後半は離脱期間が長くなった<ref>{{Cite web |title=MF山口蛍選手の負傷について |url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/23645.html |website=ヴィッセル神戸オフィシャルサイト |access-date=2025-01-06 |language=ja}}</ref>。その間に控えに甘んじていたMF[[井手口陽介]]が復調し、新加入の[[鍬先祐弥]]らが台頭する中で、復帰後も自身の出場機会は限られた。最終節終了後のファイナルセレモニーにて同シーズン限りでの主将辞任を表明した<ref>{{Cite web |title=「2024ファイナルセレモニー」レポート(会長・監督・山口蛍選手コメント) |url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/24130.html |website=ヴィッセル神戸オフィシャルサイト |access-date=2025-01-06 |language=ja}}</ref>。
=== V・ファーレン長崎 ===
2025年シーズンから[[V・ファーレン長崎]]へ完全移籍を発表<ref>{{Cite web |title=【公式】V・ファーレン長崎 |url=https://www.v-varen.com/ |website=【公式】V・ファーレン長崎 |access-date=2025-07-30 |language=ja}}</ref>。
2010年、クラブでは出場機会に恵まれなかったが、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表に選出され、[[2010年アジア競技大会におけるサッカー競技|広州アジア競技大会]]に出場<ref name="hy3">[http://web.gekisaka.jp/246513_67898_fl “雑草”たちがアジア1に!!] - ゲキサカ 2010年11月26日</ref>。[[山村和也]]とダブルボランチを形成し、全試合に出場する活躍で、史上初の金メダル獲得に貢献した{{R|hy3}}。
その後も
ロンドン五輪アジア予選後、[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドン五輪]][[U-23サッカー日本代表]]に選出された。本大会では、主にクラブでチームメイトだった[[扇原貴宏]]とダブルボランチを形成。過密日程の中、全試合フル出場を果たし、[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコ五輪]]以来44年ぶりのベスト4進出に貢献した。
94行目:
2013年7月、[[東アジアカップ2013]]に出場する[[サッカー日本代表|日本代表]]に初招集され、第1戦[[サッカー中華人民共和国代表|中国]]戦で[[国際Aマッチ]]初出場を果たした{{R|daihyo}}。同大会では全3試合に出場し、日本代表の大会初優勝に貢献し、自身も大会MVPに選出された<ref>[http://www.footballchannel.jp/2013/07/30/post7803/ 東アジア杯MVPはなぜ山口螢だったのか? ザックジャパンにもたらした計り知れない貢献度を検証する] - Football Channel 2013年7月30日</ref>。
2014年6月に開催された[[2014 FIFAワールドカップ]]では、初戦の[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]戦、第
2015年1月に開催される[[AFCアジアカップ2015]]へ臨む日本代表の予備登録メンバーに選出されたが、本登録は叶わなかった<ref>[http://www.jfa.jp/news/00002817/ AFC アジアカップ オーストラリア 2015 SAMURAI BLUE(日本代表)予備登録メンバー] - JFA</ref>。しかし、同年3月27日に行われた[[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]の[[サッカーチュニジア代表|チュニジア代表]]戦で代表復帰を果たした。8月5日
2016年10月6日、W杯出場へ向けて重要な一戦であったロシアW杯最終予選のイラク戦では1-1で迎えたアディショナルタイムに決勝ゴールを決めた。また、この日は自身の誕生日でもあった<ref>[https://www.goal.com/jp/news/125/ワールドカップ/2016/10/06/28222272/山口蛍誕生日に値千金の決勝弾で日本代表を導く入ってホッとしたロシアw杯アジア最終予選 山口蛍、誕生日に値千金の決勝弾で日本代表を導く「入ってホッとした」/ロシアW杯アジア最終予選] GOAL.com 2016年10月7日</ref>。
2018年6月、[[2018 FIFAワールドカップ|ロシアワールドカップ]]のメンバーに選出され、3試合に出場した<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/japan/detail/?248920-248920-fl 先発は1試合のみ…山口蛍「自分の力不足。4年後を目指すかどうかは…」] サッカーキング 2018年7月4日</ref>。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、途中出場で入るも後半残り1分のベルギーのカウンター攻撃からの失点場面での山口のディフェンス対応についてスポーツメディアなどで議論が起こった<ref>[https://www.j-cast.com/2018/07/03332926.html?p=all 残り1分の3点目、ベルギーカウンターは誰の責任? 山口蛍、「棒立ち」の原因とは] J-castニュース 2018年7月3日</ref>。これに関して「(山口は)ファウルしてでも止めるべきだった」という声にチームメイトの[[酒井宏樹]]は
2019年11月に代表復帰したが、代表招集については「僕も、もういいです。長谷部さんほどのキャリアがあったらポンッと入っても与えるものがあると思う。僕はそこまでじゃないし、海外でも長くやっていない。若い選手も出てきてるんで大丈夫です。個人的にはクラブでしっかりやりたいという思いが強い」と話した<ref>{{Cite web
== プレースタイル
===プレースタイル===
豊富な運動量と抜群のボール奪取能力を持つ中盤の[[ダイナモ]]{{R|hy2}}。
フィジカルの強さを生かした対人守備を得意とし、タイトなマークと鋭い危険察知能力で相手のチャンスの芽を摘む守備職人であるが
セレッソ大阪時代に同じくボール奪取からの攻撃参加を武器とするタイプの[[ソウザ]]とボランチを組んだ際には「ソウザが自由にやるところがあるから、それをかなり見ながらポジショニングだったり上がるタイミングを考えていた、関係性としては良いバランスを取れたダブルボランチだったんじゃないかなと思う」
ボランチとしてピッチに立っている時は、隣でコンビを組む選手にどれだけプレーしやすい環境を作ってあげられるかということを常に考えている。チームやチームメートのことを第一に考え、その上で勝利を手にするほうが充実感が得られるタイプである<ref name="山口 蛍選手">{{Cite web |url=https://www.udnsports.com/member/hotaruyamaguchi/ |title=山口 蛍選手 |publisher = |accessdate=2023-12-06}}</ref>。
2020年6月に[[那須大亮]]の[[YouTube]]内の企画で、元スペイン代表で神戸でチームメイトだった[[ダビド・ビジャ]]からJリーグで印象に残った日本人選手のMF部門に選ばれている。ビジャは「彼は才能にも恵まれており、フィジカル的なコンディションもいい。チームメートとしてたくさんプレーできて、僕にとっても光栄だった」、「中盤の選手として必要なものを全て兼ね備えている」と山口の事を称賛している<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?303855-303855-fl ビジャが“凄い日本人Jリーガー”4人を選出「すごく良いGK」「かなり印象に残っている」] ゲキサカ 2020年6月28日</ref>。▼
=== 人物 ===
動物が好きで、動物関係の仕事に興味を持っている。三重県名張市でおすすめする場所は[[赤目四十八滝]]<ref name="山口 蛍選手"/>。
サッカー人生において大きなポイントだった事は、2014年に右膝外側半月板損傷のケガを負った時。以前の自分に戻れるだろうかという不安をはじめ、いろいろなことを考えた。リハビリをしながらコンディションを整えていく中で、以前の自分よりもどれだけパワーアップして復帰できるかという部分を自分のテーマに掲げて乗り越えた<ref name="山口 蛍選手"/>。
コミュニケーションが非常に苦手であり、33歳の時にも「究極の人見知り」「初めて会った人と話をするのが本当に苦手ですし、顔を見ることもできません」と話した<ref name="山口 蛍選手"/>。
=== 評価 ===
▲2020年6月に[[那須大亮]]の[[YouTube]]内の企画で、元スペイン代表で神戸でチームメイトだった[[ダビド・ビジャ]]からJリーグで印象に残った日本人選手のMF部門に選ばれている。ビジャは「彼は才能にも恵まれており、フィジカル的なコンディションもいい。チームメートとしてたくさんプレーできて、僕にとっても光栄だった」
== 所属クラブ ==
* 2000年 - 2002年 箕曲ウエストSC(
* 2003年 - 2005年 [[セレッソ大阪]]U-15([[名張市立赤目中学校]])
* 2006年 - 2008年 セレッソ大阪U-18([[清明学院高等学校]])
* 2009年 - 2015年
* 2016年 - 同年6月 {{Flagicon|GER}} [[ハノーファー96]]
* 2016年6月 - 2018年 {{Flagicon|JPN}} セレッソ大阪
* 2019年 - 2024年 {{Flagicon|JPN}} [[ヴィッセル神戸]]
* 2025年 - {{Flagicon|JPN}} [[V・ファーレン長崎]]
== 個人成績 ==
146 ⟶ 158行目:
|[[2016年のJリーグ|2016]]||rowspan="3"|C大阪||41||J2||20||1||colspan="2"|-||1||0||21||1
|-
|[[2017年のJリーグ|2017]]||10||rowspan=
|-
|[[2018年のJリーグ|2018]]||6||33||0||2||0||1||0||36||0
|-
|[[2019年のJリーグ|2019]]||rowspan=
|-
|[[2020年のJリーグ|2020]]||34||6||1||0||colspan="2"|-||35||6
157 ⟶ 169行目:
|-
|[[2022年のJリーグ|2022]]||33||2||2||0||3||0||38||2
|-
{{サッカー選手国内成績表 通算始|3|日本|J1}}300||28||33||3||26||5||359||36▼
|[[2023年のJリーグ|2023]]||32||4||2||0||3||0||37||4
|-
|[[2024年のJリーグ|2024]]||96||27||3||0||0||3||0||30||3
|-
|[[2025年のJリーグ|2025]]||[[V・ファーレン長崎|長崎]]||5||J2|| || || || || || ||
{{サッカー選手国内成績表 通算行|日本|J2}}58||2||colspan="2"|-||1||0||59||2
{{サッカー選手国内成績表 通算行|ドイツ|ブンデス1部}}6||0||colspan=2|-||colspan=2|-||6||0
{{サッカー選手国内成績表 通算終}}
|}
その他の公式戦
180 ⟶ 198行目:
|[[AFCチャンピオンズリーグ2018|2018]]||4||0
|-
|[[AFCチャンピオンズリーグ2020|2020]]||rowspan=
|-
|-
|[[AFCチャンピオンズリーグ2022|2022]]||6||0
|-
|[[AFCチャンピオンズリーグエリート2024/25|2024-25]]||96||2||0
|-
!通算!!colspan="2"|AFC
|
|}
その他の国際公式戦
* 2022年
** [[AFCチャンピオンズリーグ2022]]・プレーオフ 1試合0得点
* 公式戦・Jリーグ初出場 - [[2009年]][[10月18日]] J2第45節 [[愛媛FC]]戦([[長居陸上競技場|大阪長居スタジアム]])
* 公式戦・Jリーグ初得点 - [[2011年]][[8月28日]] J1第24節 [[浦和レッドダイヤモンズ]]戦(大阪長居スタジアム)
206 ⟶ 225行目:
; ヴィッセル神戸
* [[J1リーグ]]:2回([[2023年のJリーグ|2023年]]、[[2024年のJ1リーグ|2024年]])
* [[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
* [[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER
=== 代表 ===
219 ⟶ 239行目:
* JFAプリンスリーグU-18関西 MVP(2008年)
* 東アジアカップ MVP(2013年)
* [[Jリーグベストイレブン]]
* Jリーグ
* J1リーグ
* J1リーグ
* J2リーグ
== 代表歴 ==
* 国際Aマッチ初出場 - [[2013年]][[7月21日]] [[東アジアカップ2013|EAFF東アジアカップ2013]] vs[[サッカー中華人民共和国代表|中国代表]]
*国際Aマッチ初得点 - [[2015年]][[8月5日]] [[EAFF東アジアカップ2015]] vs[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]([[武漢体育中心]])
237 ⟶ 257行目:
** 2011年 - [[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技・アジア予選|ロンドン五輪アジア予選]]
* [[U-23サッカー日本代表|U-23日本代表]]
** 2012年 - [[サッカー日本代表の国際親善試合|キリンチャレンジカップ]]、[[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技|ロンドン五輪]]
* [[サッカー日本代表|日本代表]]
** 2013年 - [[東アジアカップ2013]]
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=== 試合数 ===
* 国際Aマッチ 48試合 3得点(2013年 - 2019年){{R|daihyo}}
{{サッカー代表個人成績|日本|1}}
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{| class="wikitable"
|+
!No.!!開催日!!開催都市!!スタジアム!!対戦国!!結果!!監督!!大会
|-
|1.
|2013年7月21日||{{Flagicon|KOR}} [[ソウル]]||[[ソウルワールドカップ競技場]]||{{CHNf}}||△3-3||
|-
|2.
|2013年7月25日||{{Flagicon|KOR}} [[華城市|華城]]||[[華城総合運動場]]||{{AUSf}}||○3-2
|-
|3.
|2013年7月28日||{{Flagicon|KOR}}
|-
|4.
|2013年8月14日||{{Flagicon|JPN}} [[
|-
|5.
|2013年9月10日||{{Flagicon|JPN}} [[横浜市|横浜]]||[[横浜国際総合競技場|日産スタジアム]]||{{GHAf}}||○3-1
|-
|6.
|2013年10月15日||{{Flagicon|BLR}} [[ジョジナ]]||[[トルペド・スタジアム]]||{{BLRf}}||●0-1||
|-
|7.
|2013年11月16日||{{Flagicon|BEL}} [[ヘンク]]||[[クリスタル・アレナ]]||{{NLDf}}||△2-2
|-
|8.
|2013年11月19日||{{Flagicon|BEL}} [[ブリュッセル]]||[[ボードゥアン国王競技場]]||{{BELf}}||○3-2
|-
|9.
|2014年3月5日||{{Flagicon|JPN}} [[
|-
|10.
|2014年5月27日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|11.
|2014年6月2日||rowspan="2"|{{Flagicon|USA}} [[タンパ]]||rowspan="2"|[[レイモンド・ジェームス・スタジアム]]||{{CRIf}}||○3-1||
|-
|12.
|2014年6月6日
|-
|13.
|2014年6月14日||{{Flagicon|BRA}} [[レシフェ]]||[[アレナ・ペルナンブーコ]]||{{CIVf}}||●1-2||
|-
|14.
|2014年6月19日||{{Flagicon|BRA}} [[ナタール]]||[[アレーナ・ダス・ドゥーナス]]||{{GREf}}||△0-0
|-
|15.
|2014年6月24日||{{Flagicon|BRA}} [[クイアバ]]||[[アレーナ・パンタナール]]||{{COLf}}||●1-4
|-
|16.
|2015年3月27日||{{Flagicon|JPN}} [[大分市|大分]]||[[大分スポーツ公園総合競技場]]||{{TUNf}}||○2-0||
|-
|17.
|2015年6月11日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|18.
|2015年8月2日||
|-
|19.
341 ⟶ 354行目:
|-
|21.
|2015年9月3日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|22.
|2015年9月8日||{{Flagicon|IRN}} [[テヘラン]]||[[アザディ・スタジアム]]||{{AFG2013f}}||○6-0
|-
|23.
|2015年10月8日||{{Flagicon|OMN}} [[マスカット]]||[[シーブ・スタジアム]]||{{SYRf}}||○3-0
|-
|24.
|2015年11月17日||{{Flagicon|KHM}} [[プノンペン]]||[[プノンペン・オリンピックスタジアム]]||{{KHMf}}||○2-0
|-
|25.
|2016年3月29日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|26.
|2016年9月6日||{{Flagicon|THA}} [[バンコク]]||[[ラジャマンガラ
|-
|27.
|2016年10月6日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|28.
|2016年10月11日||{{Flagicon|AUS}} [[メルボルン]]||[[ドックランズ・スタジアム]]||{{AUSf}}||△1-1
|-
|29.
|2016年11月11日||{{Flagicon|JPN}} [[
|-
|30.
|2016年11月15日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|31.
|2017年3月23日||{{Flagicon|UAE}} [[アル・アイン]]||[[ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム]]||{{UAEf}}||○2-0
|-
|32.
|2017年3月28日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|33.
|2017年6月7日||{{Flagicon|JPN}} [[
|-
|34.
|2017年8月31日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|35.
|2017年9月5日||{{Flagicon|SAU}} [[ブライダ]]||[[キング・アブドゥッラー・スポーツシティ・スタジアム (ジッダ)|キング・アブドゥッラー・スポーツシティ]]||{{SAUf}}||●0-1
|-
|36.
|2017年10月6日||{{Flagicon|JPN}} [[豊田市|豊田]]||[[豊田スタジアム]]||{{NZLf}}||○2-1||[[
|-
|37.
|2017年11月10日||{{Flagicon|BEL}} [[リール (フランス)|リール]]||[[スタッド・ピエール=モーロワ]]||{{BRAf}}||●1-3||
|-
|38.
|2017年11月14日||{{Flagicon|BEL}} [[ブルッヘ]]||[[ヤン・ブレイデルスタディオン]]||{{BELf}}||●0-1
|-
|39.
|2018年3月23日||
|-
|40.
401 ⟶ 414行目:
|-
|41.
|2018年5月30日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|42.
|2018年6月12日||{{Flagicon|AUT}} [[インスブルック]]||[[ティヴォリ・シュターディオン]]||{{PRYf}}||○4-2||国際親善試合
|-
|43.
|2018年6月19日||{{Flagicon|RUS}} [[サランスク]]||[[モルドヴィア・アリーナ]]||{{COLf}}||○2-1||
|-
|44.
|2018年6月28日||{{Flagicon|RUS}} [[ヴォルゴグラード]]||[[ヴォルゴグラード・アリーナ]]||{{POLf}}||●0-1
|-
|45.
|2018年7月2日||{{Flagicon|RUS}} [[ロストフ]]||[[ロストフ・アリーナ]]||{{BELf}}||●2-3
|-
|46.
|2019年3月22日||{{Flagicon|JPN}}
|-
|47.
|2019年11月14日||{{Flagicon|KGZ}} [[ビシュケク]]||[[スパルタク・スタジアム (ビシュケク)|スパルタク・スタジアム]]||{{KGZf}}||○2-0||[[2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]兼<br/>[[AFCアジアカップ2023 (予選)|AFCアジアカップ2023予選]]
|-
|48.
|2019年11月19日||{{Flagicon|JPN}} [[
|}
=== ゴール ===
{| class="wikitable"
!
|-
|
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|
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|}
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<!-- バラエティ番組等の単発ゲスト出演は記載しない。-->
=== CM ===
* [[日本ハム]](2017年)<ref>{{cite news|url=
== 脚注 ==
451 ⟶ 463行目:
* [[ハノーファー96の選手一覧]]
* [[ヴィッセル神戸の選手一覧]]
* [[V・ファーレン長崎の選手一覧]]
* [[ドイツ・ブンデスリーガに所属する日本人サッカー選手一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Sports links}}
* [http://blog.lirionet.jp/hotaru6/ オフィシャルブログ]
* {{Instagram|hotaru10_official}}
{{
{{Jリーグ主将}}
{{Navboxes
|title = タイトル・受賞歴
491 ⟶ 505行目:
[[Category:ハノーファー96の選手]]
[[Category:ヴィッセル神戸の選手]]
[[Category:V・ファーレン長崎の選手]]
[[Category:サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)の日本人選手]]
[[Category:在ドイツ日本人]]
[[Category:三重県出身の
[[Category:1990年生]]
[[Category:存命人物]]
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