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'''新日本建設に関する詔書人間宣言'''(にんげんせんげん)は、[[連合国軍占領下の日本|連合国占領下の日本]]で[[1946年]]([[昭和]]21年)[[1月1日]]に[[昭和天皇]]が発した[[詔書]]のこと俗称。'''新日本建設に関する詔書'''(しんにっぽんけんせつにかんするしょうしょ)
 
正式名称は「[[s:ja:新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ|'''新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ''']]」(しんねんニあたリちかいヲあらたニシテこくうんヲひらカントほっスこくみんハちんトこころヲいつニシテこノたいぎょうヲじょうじゅセンコトヲこいねがフ)である。
詔書中の「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」の部分から、'''人間宣言'''とも呼ばれる。
 
== 勅書の概要 ==
{{Wikisource|新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ|この詔書}}
「人間宣言」により、[[昭和天皇]]は、『天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念である』と述べ、自らの神性を否定した<ref>{{Cite web
|url = https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056shoshi.html
|title = 天皇「人間宣言」 | 日本国憲法の誕生
|publisher = 国立国会図書館
|accessdate = 2020-06-26 }}
</ref>。ただし、「人間宣言」は二の次で、日本の[[民主主義]]は日本に元々あった『[[五箇条の御誓文]]』に基づいていることを示すのが、[[昭和天皇]]による詔書の主な目的だった{{efn2|シロニー(2003)、312-314頁 (第8章『謎多き武人天皇』、21『天照の末裔と神の子イエス』、『「神道指令」と「人間宣言」』および『守られた神道の聖域』)を参照。}}{{efn2|この点は天皇と側近が特に留意した点であり重要である{{Sfn|木下道雄|2017|p=129‐130}}。}}。
 
「人間宣言」とされる記述は以下の通りである。
{{Quotation|朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ|『新日本建設に関する詔書』より抜粋}}
 
;現代語訳
私(昭和天皇)とあなたたち国民との間に深く結ばれた絆は、常に互いの信頼と敬愛によって結ばれ、単なる神話と伝説によって生まれたものではない。「天皇を現人神とし、なおかつ日本国民は他の民族より優れているから世界の支配者となる運命を持つ」といった、架空の概念に基くものでもない。
 
 
;英訳
この部分は[[英語]]ではこのように訳された。
{{Quotation|The ties between Us and Our people have always stood on mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths. They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.|『BBC "Divinity of the Emperor"<ref>[https://www.bbc.co.uk/religion/religions/shinto/history/emperor_1.shtml Divinity of the Emperor]</ref>』より抜粋}}
 
「人間宣言」については最終段落の数行のみで、詔書の6分の1しかない。その数行も事実確認をするのみで、特に何かを放棄しているわけではない<ref>シロニー(2003)、313頁 (第8章『謎多き武人天皇』、21『天照の末裔と神の子イエス』、『「神道指令」と「人間宣言」』及び『守られた神道の聖域』)。</ref>。
 
「人間宣言」では、「天皇の祖先が[[日本神話]]の神であること」を否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止するわけでもなかった<ref>シロニー(2003)、312-314頁 (第8章『謎多き武人天皇』、21『天照の末裔と神の子イエス』、『「神道指令」と「人間宣言」』および『守られた神道の聖域』)を参照。</ref>。
 
=== 語彙の解釈===
現御神(明御神)とは、『[[古事記]]』にも記載のある言葉で、長らくその読みはわかっていなかったが、[[本居宣長]]によって「アキツミカミ」という読みが発見された{{sfn|田村安興|2011|p=13 - 14}}。『[[万葉集]]』には天皇を指して「明津神吾王(アキツミカミワガオホキミ)」と言う表記があり、古代以来天皇に対して用いられている{{sfn|田村安興|2011|p=14}}。『[[続日本紀]]』には現神八洲御宇倭根子(あきつみかみやしましらしめすやまとねこ)の表記が[[詔書]]の冒頭で用いられている例が多く見られる{{sfn|田村安興|2011|p=14}}。[[北畠親房]]は『[[二十一社記]]』の中で、神性というものは、心身を正しく明らかにしていれば、その身に神性が宿るとしており、詔書の中の「明神天皇(あきつみかみすめらみこと)」という表記もその意味で取るべきであるとしている<ref>{{Cite journal|和書|title = 神代の余風 : 北畠親房の祭政一致論をめぐって|url = https://cir.nii.ac.jp/crid/1390009224600703360|publisher = 東京大学文学部宗教学研究室|journal = 東京大学宗教学年報|volume = 29|doi = 10.15083/00030434|naid = 120005245888|issn = 02896400|author = 齋藤公太|authorlink = 齋藤公太|year = 2012|page=harv}}</ref>。
 
== 起草の経緯 ==
1945年(昭和20年)7月の[[ポツダム宣言]]受諾による[[日本の降伏]]から4か月余り、日本は[[連合国軍占領下の日本|GHQの占領下]]にあるとはいえ、[[大日本帝国憲法]]の[[施行]]下にあった。
 
同年12月15日、GHQの[[民間情報教育局]] (CIES) 宗教課は、国家ないし政府が[[神道]]を支援・監督・普及することを禁止する「[[神道指令]]」を発した<ref name="hahanaru311">シロニー(2003)、311頁 (第8章21『「神道指令」と「人間宣言」』)。</ref>。さらに、「天皇は他国の元首より秀でた存在で、[[日本人]]は他の国民より優れている」といった教説を教えることを非合法化した<ref name="hahanaru311" />。しかし、天皇が[[皇居]]で執り行う[[神道]]に基づく宗教儀式([[宮中祭祀]])はあくまで私的な事柄とされて、禁止されなかった<ref name="hahanaru311" /><ref>Woodard, ''The Allied Occupation'', pp.54-74, 295-299.</ref>。占領当局は天皇自身で自分の神格を否定してほしいと期待したため、神道指令では天皇の神格について言及しなかった<ref name="hahanaru311" />。自分を神と主張したことのない昭和天皇は、占領当局の意向に同意した<ref name="hahanaru311" />。
 
[[宮内省]](後に[[宮内府]]、現在の[[宮内庁]]へ改編)は、[[学習院]]に[[英語]]教師として赴任していた[[レジナルド・ブライス]]に、占領当局が納得するような案文を練るよう依頼した<ref name="hahanaru311" />。ブライスはGHQの教育課長で[[日本文化]]の中でも[[俳句]]の造詣が深かった[[ハロルド・ヘンダーソン]]に相談し、二人は人間宣言の案文を作成した<ref name="hahanaru311" /><ref>Adrian Pinnington, `R.H.Blyth, 1898-1964', in Nish, ed., Britain and Japan, pp.258-260; Woodard, ''The Allied Occupation'', pp.245-268, 314-321; Masanori Nakamura, ''The Japanese Monarchy: Ambassador Joseph Grew and the Making of the“Symbol Emperor System", 1931-1991'' (tr. by Hebert P. Bix, Jonathan Baker-Bates and Derek Bowen. Armonk, N.Y.:M.E. Sharpe, 1992), p.109.</ref>。
 
* [[12月23日]]、昭和天皇は、[[木下道雄]]侍従次長に対し、前日進講した[[板沢武雄]]・[[学習院]]教授の講義の内容について語った。板沢の講義は「マッカーサー司令部の神道に関する指令について」と題するもので、昭和天皇が語ったところによれば、最後の結びの言葉は「この司令部の指令は、顕語を以て幽事を取り扱うものでありまして、譬えて申しますならば、鋏を以て煙を切るようなものと私は考えております」というものだった<ref>木下道雄著「宮中見聞録―忘れぬために」、新小説社、1968年(新版は、「宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして」、日本教文社、1998年。)。{{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>。また、昭和天皇は、興味を引いた点について、「[[後水尾天皇|後水尾帝]]御病にて疚(きゅう)の必要ありしも、現神には疚を差上ぐる訳には行かぬと云う所から御譲位の上、治療を受け給いしこと」、「徳川氏が[[徳川家康|家康]]を東照宮と神格化し、家康の定めたることは何事によらず神君の所定となし、改革を行わず、時のよろしきに従う政事を行わず、遂に破局に至りしこと」、「幽顕二界のこと。[[謡曲]]の発達、君臣の濃情を言い現わせる謡曲はかえって皇室衰微の時代に発達せること。顕界破れて幽界現われたること」の3点を挙げた。また、天皇は、23日にマッカーサー司令部の高級幕僚たちと鴨猟を行う予定であった[[石渡荘太郎]]・[[宮内大臣]]に命じて、板沢の話を高級幕僚たちにも聞かせようと考えたが、石渡がすでに鴨場へ出発していたため断念した<ref name="nissi">木下道雄著「側近日誌」、文藝春秋、1990年。{{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>{{Sfn|木下道雄|2017|p=121‐122}}。
* 12月24日、昭和天皇は[[幣原喜重郎]][[内閣総理大臣]]を召して、「ご病気の[[後水尾天皇]]が側近に医者を要請されたところ、医者の如き者が玉体にふれることは、汚らわしいとの理由でおみせしなかったそうだ。同天皇はみすみす病気が悪化して亡くなられた」という歴史的実例を挙げて、神格化の是非について暗示した。また、昭和天皇は、「(自身の祖父にあたる)[[明治天皇]]の[[五箇条の御誓文]]を活用したい」とも話した。これに対し幣原は「これまで陛下を神格化扱いしたことを、この際是正し改めたいと存じます」と答え、昭和天皇は静かに肯定し「昭和21年(1946年)の新春には一つそういう意味の詔書を出したいものだ」と言った<ref>藤樫準二著「天皇とともに五十年―宮内記者の目」、毎日新聞社、1977年。{{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>。
* 12月25日、昭和天皇は、拝謁した木下侍従次長に対し、「木下は昨日留守なりしが、大臣(石渡宮内大臣)より大詔渙発のことは、幣原がこれは国務につき是非内閣に御任せを願うとの希望を聞き、幣原を呼び、これを伝えた。Mac(マッカーサー司令部)の方では内閣の手を経ることを希望せぬ様だ。これは一つには外界に洩れるのを恐れる為ならん」と語った<ref name="nissi"/>{{Sfn|木下道雄|2017|p=124}}。
* 12月25日以降、幣原自身が前田案をもとに英文で原案を作成し<ref>{{Cite book|和書|title=対論・異色昭和史|publisher=PHP研究所|page=102|author=鶴見俊輔・上坂冬子}}</ref>、秘書官に邦訳を命じた。推敲は[[前田多門]][[文部大臣|文相]]、[[次田大三郎]][[内閣書記官長|書記官長]]、[[楢橋渡]][[法制局長官]]等で行った。過労の幣原に代わり、前田文相が天皇に会い、天皇から「五箇条の御誓文」付加の要請を受ける。[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]にも案文を示す<ref name="nissi"/>。
* 12月29日、木下道雄侍従次長は原案に手を入れた。「(総理または文部か?)大臣は現人(あきつかみ)と云う言葉も知らぬ程国体については低能である」「文体が英語の翻訳であるから徹頭徹尾気に入らぬ」と感想を述べたうえ「日本人が神の裔なることを架空と云うは未だ許すべきもEmperorを神の裔とすることを架空とすることは断じて許し難い。そこで予はむしろ進んで天皇を現御神(あきつみかみ)とする事を架空なる事に改めようと思った。陛下も此の点は御賛成である」として別案を作り、石渡宮相・前田文相に示した。別案は天皇が神の末裔であることを否定するものでなく、「現御神」であることを否定するものであった<ref name="nissi"/>{{Sfn|木下道雄|2017|p=129‐130}}。
* 12月30日、木下は石渡が手を入れた木下案を次田に渡し、閣議で検討された。同日午後4時30分、岩倉書記官が閣議案を木下の元に持参した。木下は更に手を入れ、天皇に中間報告を行い、閣議に戻した。5時30分、前田文相が天皇に会い、文案の許可を得た。午後9時、正式書類が整い、完成した<ref name="nissi"/>。
* 12月31日([[大晦日]])、幣原の意を受けて前田文相は木下侍従次長を訪問し、マッカーサーに案文を示した天皇が神の末裔であることを否定する内容の復元を求めた。木下は侍従長とともにこれに同意し、昭和天皇に報告した。天皇も天皇が神の末裔であることを否定する内容への変更の許可を与えた。また、天皇は、首相がマッカーサーとの信義を重んじて詔書の修正を願い出たことについて、嘉賞の言葉を与えた<ref name="nissi"/>。
<!--上記、先行研究あり。茂木貞純「「新日本建設に関する詔書」考」2006年1月「國學院雑誌」。-->
 
しかし、[[日本語]]で発表されたものは「天皇が神の末裔であることを明確に否定」したものではなく、あくまで「現御神(現人神)であることを否定」するものであった。これに対し、原案の英文は「the Emperor is divine」を否定するものであった。ただし、「divine」は[[王権神授説]]などで用いられる「神」の概念である。
 
英文の詔書は2005年(平成17年)に発見され、2006年(平成18年)1月1日付の毎日新聞で発表された。[[渡辺治]]は同紙に以下のコメントを寄せている。
 
{{Quotation|資料は、草案から詔書まで一連の流れが比較検討でき、大変貴重だ。詔書は文節ごとのつながりが悪く主題が分かりにくいが、草案は天皇の神格否定が主眼と分かる。草案に日本側が前後を入れ替えたり、新たに加えたりしたためだろう。|渡辺治([[一橋大学]]大学院教授・政治史)|毎日新聞2006年1月1日付}}
 
== 社会的影響 ==
この詔書は、日本国外では「天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げた」として歓迎された。退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象も好転した。しかし、日本人にとって当たり前のことを述べたにすぎなかったため、日本ではこの詔書がとりわけセンセーションを巻き起こすようなことはなかった。
 
1946年(昭和21年)1月1日、この詔書は新聞各紙の第一面で報道された。[[朝日新聞]]の見出しは、「年頭、国運振興の詔書渙発(かんぱつ) 平和に徹し民生向上、思想の混乱を御軫念(ごしんねん)」だった。[[毎日新聞]]は、「新年に詔書を賜ふ 紐帯は信頼と敬愛、朕、国民と供にあり」だった。新聞の見出しでは神格について触れておらず、日本の平和や天皇は国民と共にあるといったことを報道するのみだった。天皇の神格否定はニュースとしての価値が全くなかったのである<ref name="hahanaru313-314">この章は、シロニー(2003)、313-314頁 (第8章21『「神道指令」と「人間宣言」』)を参照。</ref>。
 
1946年(昭和21年)5月に起きた[[プラカード事件]]<ref>最高裁判所大法廷判決昭和23年5月26日刑集2巻6号529頁</ref>では、「ポツダム宣言」の受諾及び「人間宣言」と関連して[[不敬罪]]はなお有効か問題となった<ref>渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治』、日本評論社、2020年。79-80頁。</ref>。[[大日本帝国憲法第3条]]は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めており、これは君主の政治的無答責を定めたものとされるが、天皇の神格化に利用され、現人神たる天皇の尊厳を害するとみなされた行為は、刑法の不敬罪によって処罰されたからである。結局、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は天皇の憲法上の地位に触れることなく、日本国憲法公布に伴う[[恩赦|大赦令]]により[[免訴]]と判決した(最高裁判所大法廷判決1948年(昭和23年)5月26日)<ref>渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治』、日本評論社、2020年。80-81頁。</ref>。
 
== 詔書の起草に関わった人物の見解 ==
=== 昭和天皇 ===
<ref>この章は、シロニー(2003)、312頁 (第8章21『「神道指令」と「人間宣言」』)より。さらに、本書は以下の2冊を出典としている。色川ほか『天皇制』177頁。Bix, "The Showa Emperor's `Monologue'", pp.320-321.</ref>
 
昭和天皇は、公的に一度も主張しなかった神格を放棄することに反対ではなかった。しかし、天皇の神聖な地位のよりどころは[[日本神話]]の神の子孫であるということを否定するつもりもなかった。実際、昭和天皇は自分が神の子孫であることを否定した文章を削除した。さらに、五箇条の御誓文を追加して、[[戦後民主主義]]は日本に元からある五箇条の御誓文に基づくものであることを明確にした。これにより、人間宣言に肯定的な意義を盛り込んだ。1977年(昭和52年)の記者会見にて、昭和天皇は「神格の放棄はあくまで二の次で、本来の目的は日本の民主主義が外国から持ち込まれた概念ではないことを示すことだった」と述べた。
 
==== 詔書草案と五箇条の御誓文 ====
[[昭和天皇]]は、この詔書を発表して31年後の[[1977年]](昭和52年)[[8月23日]]の会見で記者の質問に対し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の詔書草案があったことについて、「今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います」と答えた。
 
また、詔書の冒頭に[[五箇条の御誓文]]が引用されたことについて、以下のような発言をした。
 
{{Quotation|それ(五箇条の御誓文を引用する事)が実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]その他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、[[民主主義]]を採用されたのは[[明治天皇]]であって、'''日本の民主主義は決して輸入のものではない'''ということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。はじめの案では、五箇條ノ御誓文は日本人ならだれでも知っているので、あんまり詳しく入れる必要はないと思ったが、[[幣原喜重郎|幣原]]総理を通じて[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]元帥に示したところ、マ元帥が非常に称賛され、全文を発表してもらいたいと希望されたので、国民及び外国に示すことにしました。|[[昭和天皇]]|1977年(昭和52年)8月23日の会見<ref>高橋紘 編『昭和天皇発言録―大正9年~昭和64年の真実』(P241)[[小学館]]、1989年</ref>}}
 
この発言により、この詔書がGHQ主導によるものか、昭和天皇主導によるものかという激しい議論が研究者の間で起こった。その後の1990年(平成2年)に前掲の『側近日誌』が刊行され、GHQ主導によるものとしてほぼ決着した。
 
また、昭和天皇が1977年(昭和52年)8月になって詔書の目的について発言した理由に関しては、人間宣言をした昭和天皇を「などて天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまひし」と英霊に語らせ厳しく非難する小説『[[英霊の聲]]』を1966年(昭和41年)に発表し1970年(昭和45年)に自決した[[三島由紀夫]]へ意を及ぼしたためではないかとする推察もある<ref>「記憶の王――『などてすめらぎは人間となりたまひし』を拒絶する」({{Harvnb|健一|2011|pp=28-34}})</ref><ref>[[松本徹 (文芸評論家)|松本徹]]「ミシマ万華鏡」({{Harvnb|研究6|2008|p=179}})</ref><ref>[[原武史]]『昭和天皇』(岩波書店、2008年){{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>。
 
=== 侍従長・藤田尚徳 ===
当時、侍従長であった[[藤田尚徳]]は「[[英語]]で起草された文を和訳した経緯もあり風変わりな詔書となったが、昭和天皇の真意を示すことができた」と述べている。また藤田は、「[[明治維新]]と個性有る明治天皇の登場により、明治以降天皇は人間として尊敬されていたが、[[大正]]末期から国の政策として天皇の神格化が行われるようになり、昭和天皇はこれを嫌悪していた」という見解を示している<ref>藤田尚徳『侍従長の回想』「人間宣言と退位をめぐって」P.213-P.215</ref>。
 
=== 侍従次長・木下道雄 ===
原案を見た[[木下道雄]]によれば、当初「日本人を以て神の裔なりしと他の民族に優越し世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念」との文章をマッカーサーが「日本人」を「Emperor」と書き改めた箇所について、木下道雄は「日本人が神の裔なることを架空と云うは未だ許すべきも、Emperorを神の裔とすることを架空とすることは断じて許し難い」として「そこで予はむしろ進んで天皇を現御神(あきつかみ)とする事を架空なる事に改めようと思った。陛下も此の点は御賛成である。神の裔にあらずという事には御反対である。」とし、修正案を持って石橋大臣、前田文相を訪れ意見を伝えたという{{Sfn|木下道雄|2017|p=129‐132}}。
 
=== 内閣総理大臣・幣原喜重郎 ===
内閣総理大臣の[[幣原喜重郎]]は英文による起草にあたり、イギリスの[[バプテスト教会]]の[[教役者]]である[[ジョン・バニヤン]]の『[[天路歴程]]』(1684年)も引用した。この書籍はプロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書であると言われているが、人間宣言の「我国民ハ動(やや)モスレバ焦躁ニ流レ、'''失意ノ淵ニ沈淪'''セントスルノ傾キアリ」のくだりは、天路歴程の「the Slough of Despond」という句が和訳されたものである。
 
=== 文部大臣・前田多門 ===
文部大臣・前田多門は、学習院院長・[[山梨勝之進]]と総理大臣・幣原喜重郎とともに、人間宣言の案文に目を通し、吟味した日本の要人である。また、[[クェーカー|クェーカー教]]([[プロテスタント]]の[[クェーカー|フレンド派]])の信徒であり、多数の日本人[[クリスチャン]]と同様に天皇を尊崇していた人物である<ref name="hahanaru312">シロニー(2003)、312頁 (第8章21『「神道指令」と「人間宣言」』)。</ref>。1945年(昭和20年)12月、「天皇は神である」と、[[帝国議会]]の質疑応答で答弁した。「西欧的な概念の神ではないが、『日本の伝統的な概念で、この世の最高位にあるという意味で』は神である」と答弁している<ref name="hahanaru312" /><ref>Creemers, ''Shrine Shinto'', pp.124-132; ''Kodansha Encyclopedia'', vol.5, p.80.</ref>。
 
=== 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー ===
1946年(昭和21年)1月1日、連合国軍最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]はこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した<ref name="MacArthur1946">国立国会図書館『日本国憲法の誕生』、「資料と解説」3-1 天皇「人間宣言」、「Press Release: Gen. MacArthur Sees Liberalism in Imperial Rescript」。[https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/057/057tx.html#t001 Press Release: Gen. MacArthur Sees Liberalism in Imperial Rescript]</ref>。また、「[[自由主義]]的な方向で未来を捉える姿勢」(his stand for the future along liberal lines)を明らかにしたと述べ、歓迎した<ref name="MacArthur1946" />。
 
== 後世の論評・注釈 ==
[[三島由紀夫]]は、「僕は、[[日本国憲法|新憲法]]で天皇が象徴だということを否定しているわけではないのですよ。僕は新憲法まで天皇がお待ちになれず、人間宣言が出たということを残念に思っているのです。いかなる強制があろうとも」と述べた<ref name="taiwa">[[林房雄]]との対談『対話・日本人論』(番町書房、1966年10月。夏目書房、2002年3月増補再刊)。「対話・日本人論 第六話 天皇と神【神の死】」({{Harvnb|39巻|2004|pp=660-661}})</ref>。
 
[[大原康男]]は「日本語の「且」には並列的意味のほかに「その上に」という添加的な意味もある」ことを指摘し、「その上に」という意味にとれば、「架空ナル観念」とされたのは、「天皇ヲ以テ現御神トシ」ということ自体ではなく、それに「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」ということが加えられたことと解釈できると述べている<ref>「天皇の人間宣言とは何か」1986年10月「[[諸君!]]」{{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>。同様のことは、[[伊藤陽夫]]も「動ぎなき天皇国日本」(展転社)で主張している。また、[[皇室]]では[[元旦]]の[[宮中祭祀]]のために通例は詔書が出されなかった事を指摘し、さらにこの詔書はGHQによるものであることを検証し、日本人の神観念・天皇観を根底から変革した「人間宣言」の無効を主張している<ref>『[[天皇―その論の変遷と皇室制度]]』1989年、[[展転社]]{{要ページ番号|date=2019年11月}}</ref>。
 
[[東郷茂彦]]は大原や伊藤と同様の解釈に立ちながらも、侍従次長の[[木下道雄]]の『側近日記』の記述を根拠として昭和天皇自身も「過度の神格化」を否定することを希望してはいたが、詔書の文面に限定句がないままに「現御神」と書かれてしまったことで、詔書の本来の趣旨であった「過度の神格化」を飛び越えて天皇の神性を否定する解釈が生まれてしまったとする。また、東郷は昭和天皇がこの神性の否定という解釈を否定する機会(例えば、1977年8月23日の那須御用邸での会見)がありながらそれに触れなかったのは、自分が神の末裔であることを表明し、更にこの国のあり方を表に出して述べることは、昭和天皇が戦前から貫いてきた立憲君主としての信念に相反するとの考えがあったからではないか、と推測する<ref>東郷恵彦『「天皇」永続の研究 近現代における国体論と皇室論」(2020年、弘文堂) ISBN 978-4-335-16098-1 P287-316.</ref>。
 
憲法学者の[[芦部信喜]]は、「明治憲法の天皇制と日本国憲法の天皇制とでは、原理的に大きな違いがある」とし、「明治憲法においては、天皇は神聖不可侵の存在とされ、天皇の尊厳を侵す行為は不敬罪…によって重く処罰された」が、戦後は、天皇の「人間宣言」によって「天皇の神格性が否定されるとともに、不敬罪は廃止され、日本国憲法では天皇を神の子孫として特別視する態度はとられていない」との「性格の相違」があることを理由の一つに挙げた<ref>芦部信喜著、高橋和之補訂『憲法 第七版』岩波書店、2019年。63-64頁。</ref>。また、同じく憲法学者の[[宍戸常寿]]は、この詔書を天皇が「自らの神性を否定した」ものとし、「人間宣言」の一節は「国体観念、ひいては憲法原理の転換に大きな影響を与えた」とする<ref>渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅱ 総論・統治』、日本評論社、2020年。46-47頁。</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* [[藤田尚徳]]『[[侍従長の回想]]』中央公論社〈中公文庫〉、1987年。ISBN 4122014239。
* [[ベン・アミー・シロニー]](著) Ben‐Ami Shillony(原著)『[[母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来]]』[[大谷堅志郎]] (翻訳)、講談社、2003年01月。ISBN 978-4062116756。
* {{Citation|和書|author=木下道雄|date=2017-2-25|title=側近日記|publisher=中央公論新社|series=中公文庫|ref={{SfnRef|木下道雄|2017}} }}
*{{Citation|和書|author=[[松本健一]]|date=2011-01|title=畏るべき昭和天皇 |publisher=[[新潮社]]|series=[[新潮文庫]]|isbn=978-4-10-128732-4 |ref={{Harvid|健一|2011}}}} – 初刊([[毎日新聞社]])は2007年12月 {{ISBN2|978-4-620-31845-5}}
*{{Citation|和書|editor1=[[松本徹 (文芸評論家)|松本徹]]|editor2=[[佐藤秀明 (国文学者)|佐藤秀明]]|editor3=[[井上隆史 (国文学者)|井上隆史]]|date=2008-07|title=三島由紀夫 金閣寺|series=三島由紀夫研究⑥|publisher=鼎書房|isbn=978-4-907846-58-9 |ref={{Harvid|研究6|2008}}}}
*{{Citation|和書|author=[[三島由紀夫]]|date=2004-05|title=決定版 三島由紀夫全集39巻 対談1|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-642579-0|ref={{Harvid|39巻|2004}}}}
 
== 関連項目 ==
* [[日本の降伏]]
* [[玉音放送]]
* [[山梨勝之進]]
 
== 外部リンク ==
{{Wikisource|新年ニ際シ渙發セラレタル詔書ノ聖旨ハ我ガ國敎育ノ則ル大本ナリ事ニ育英敎化ニ從フ者及ビ之ヲ統督スル者ノ任重ク道遠シ自省自奮以テ叡慮ニ應ヘ奉ランコトヲ期スベシ|この詔書についての文部省訓令}}
* [https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056tx.html 公式テキスト (国立国会図書館)]
* [https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043789 原資料 (国立公文書館)]
* {{アジア歴史資料センター|A04017784700|昭和天皇「新日本建設に関する詔書」}}
**(※インターネットの環境によっては、閲覧不可)
* {{国立公文書館デジタルアーカイブ|S46B4900290000|102301889029|天皇の「人間宣言」草案秘話(憲法調査会事務局)}}
* {{Kotobank|天皇人間宣言}}
* {{Kotobank|天皇人間宣言/昭和二十一年年頭の詔書}}
* [[前田多門]]著{{青空文庫|002144|60421|新字新仮名|「人間宣言」のうちそと}}
*{{Cite journal|和書|title = 象徴天皇と神話 -シラスとウシハクをめぐって-|url = https://cir.nii.ac.jp/crid/1050564287889912320|publisher = 高知大学経済学会|journal = 高知論叢. 社会科学|volume = 100|naid = 120005257286|issn = 03888886|author = 田村安興|authorlink = 田村安興|year = 2011|ref=harv}}
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[[Category:宣言]]
[[Category:日本の詔勅]]
[[Category:日本の戦後処理]]
[[Category:天皇史]]
[[Category:1946年の日本]]
[[Category:昭和天皇]]
[[Category:1946年1月]]