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卒論で扱ったハーシュマンの[[インド]]でのプロジェクトに参加したのち、[[GHQ]]で[[農地改革]]を担当した3人のエコノミストのうちの1人である[[ウィリアム・ギルマーティン]]や、同じくGHQで[[農協]]設立などを行った[[シーク・タカハシ]]に師事し、カントリー・エコノミストとしての修練を積んだ<ref name="wat"/>。
 
1966年から1973年まで東アジア局でエコノミストとして[[マレーシア]]、[[シンガポール]]、[[韓国]]などを担当<ref name="wat">[http://www.1818societyjapan.com/ashiato/1818societyjapanchapter.pdf 「わたくしの世銀事始め:半世紀前の 1818H ストリート 」]1818 Society 日本支部</ref><ref name="kei">[httphttps://www.keisoshobo.co.jp/author/a9152.html 「浅沼 信爾」]勁草書房</ref>。入行5年目には、マレーシア経済調査団のミッション・チーフとなった<ref name="wat"/>。
 
その後、[[ウォール・ストリート]]に転身し<ref name="wat"/>、[[クーン・ローブ]]投資銀行極東代表事務所代表を経て、1984年世界銀行計画・予算[[局長]]に就任。1987年から1991年まで世界銀行アジア第1局長として、[[バングラデシュ]]、[[ブータン]]、[[ネパール]]、[[スリランカ]]を担当した。退任後、S.G.ウォーバーグ(現[[UBS]]銀行)[[取締役]]兼ウォーバーグ証券東京[[支店長]]<ref name="kei"/>等を歴任。