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{{Infobox フィギュアスケート選手
<!-- 基本情報 -->
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| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1989|2|27}}<ref name="about takahiko" />
| 没年月日 =
| 出生地 = [[愛知県]][[名古屋市]][[瑞穂区]]<ref name="about takahiko" />
| 出身地 =
| 居住地=
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| 元コーチ = [[佐藤有香]]<br />[[ジェイソン・ダンジェン]]<br />[[小川れい子]]<br />[[小塚嗣彦]]<ref name="tokuhonp17"/><br />小塚幸子<ref name="tokuhonp17"/><br />[[フランク・キャロル]]
| 振付師 = [[宮本賢二]]<br />[[ローリー・ニコル]]
| 元振付師 = [[シェイ=リーン・ボーン]]<br />[[マリナ・ズエワ]]<br />[[フェドール・アンドレーエフ]]<br />佐藤有香<br />[[佐藤久美子]]<ref name="CE0787"
| 所属 = [[トヨタ自動車]]<ref name="tokuhonp17"/>
| 元所属 =
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| シーズンランク = 2 ([[:en:2010–11 figure skating season|2010–11]])
| シーズンベスト = 2 ([[:en:2010–11 figure skating season|2010–11]])
| ISUサイト =
| SP 使用曲 = レスペート・イ・オルグージョ〜誇りと敬意〜(ファルーカ)
| FS 使用曲 = イオ・チ・サロ 歌:[[アンドレア・ボチェッリ]]
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{{MedalGold|[[2005/2006 ISUジュニアグランプリシリーズ|2005 オストラヴァ]]|男子シングル}}
}}
'''小塚 崇彦'''(こづか たかひこ、[[ラテン文字]]:Takahiko Kozuka, [[1989年]][[2月27日]]<ref name="about takahiko" /><ref name="meikan">『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.37</ref> - )は、2000年代から2010年代にかけて活躍した[[日本]]の[[フィギュアスケート]]選手(男子[[シングルスケーティング|シングル]])。[[愛知県]][[名古屋市]][[瑞穂区]]出身。最終学歴は中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程修了。現
主な実績に、[[2010年バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート競技|2010年バンクーバーオリンピック]]8位、[[2011年世界フィギュアスケート選手権|2011年世界選手権]]2位、[[2008/2009 ISUグランプリファイナル|2008年GPファイナル]]2位、[[第79回全日本フィギュアスケート選手権|2010年全日本選手権]]優勝、[[2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権|2006年世界ジュニア選手権]]優勝など。
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[[中京大学附属中京高等学校]]卒業<ref name="meikan"/>。2007年4月より[[トヨタ自動車]]に所属しながら[[中京大学]]体育学部に社会人学生として進学<ref name="tokuhonp17"/>。2011年4月より中京大学大学院体育学研究科体育学専攻博士前期課程に進学、2016年3月に修了した。
祖父の[[小塚光彦]]([[1916年]] - [[2011年]])は旧[[満州]]のフィギュアスケートチャンピオン<ref name="yol1015" />。帰国後は愛知県スケート連盟、オリオンFSCを創設し、[[山田満知子]]や[[門奈裕子]]らを育てた。父の[[小塚嗣彦]]は[[1968年グルノーブルオリンピック]]男子シングル日本代表<ref name="yol1015">{{Cite news |title=フィギュア選手に中傷文 4年間で20通超 |url=https://web.archive.org/web/20151015001513/http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20151015-OYTNT50041.html |date=2015-10-15 |newspaper=YOMIURI ONLINE |publisher=読売新聞社 |accessdate=2015-10-18}}</ref>。母の小塚幸子(旧姓・坂野)、叔母の坂野浩子もフィギュアスケート選手だった。そのため、『日本フィギュア界の[[サラブレッド]]』とも呼ばれる<ref>『Cutting Edge』p.43</ref>。現在、愛知県には光彦の名を冠した「小塚杯」が開催されている<ref name="CE47">『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.47</ref>。
佐藤家と小塚家の関係は古く、信夫の母は父・嗣彦の最初のコーチであり<ref>『フィギュアスケートに懸ける人々』p.83</ref>、信夫は嗣彦がオリンピックに出場した当時のコーチでもある<ref name="CE47"/>。また、母・幸子がスケートを始めたのは、近所に住んでいた久美子にリンクへ連れられていったことがきっかけである<ref>『フィギュアスケートに懸ける人々』p.88</ref>。
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2016年[[4月1日]]より1年近くの間、トヨタ自動車の社員としてスポーツ関連の部署で社業に専念していた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/03/19/kiji/K20160319012242370.html 引退の小塚 中京大大学院を修了「晴れ晴れとした気持ち」(2016年3月19日)]</ref>が、翌年2月1日、トヨタ自動車・強化運動部の業務と並行して、10か月ぶりに再びスケート界へ携わる事を表明。
プライベートでは、[[2016年]][[2月20日]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサーの[[大島由香里]]と結婚<ref>{{cite news|title=日曜朝の顔に! 大島アナ、4・3から「新報道2001」キャスター就任|newspaper=[[サンケイスポーツ]]|date=2012-10-07|url=https://www.sanspo.com/article/20160314-FBCL4OJRHBJAPDIELIWKEMOBKA/|accessdate=2016-03-14}}</ref>。同年[[6月18日]]、[[結婚披露宴]]を行った<ref>[https://web.archive.org/web/20160620141908/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160618-OHT1T50144.html フィギュア・小塚さんとフジ・大島アナが結婚披露宴(スポーツ報知・2016年6月18日付記事)]</ref>。翌2017年[[4月25日]]、第1子となる女児が愛知県内の病院で誕生したが、2019年12月に離婚<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20201021-ZHVF2F4JTFPKZF3XBCTJFJ5EZM/|title=昨年末離婚の大島由香里「本当に耐えがたいことがいろいろあった」|publisher=サンスポ|date=2020-10-21|accessdate=2021-06-01}}</ref>。
競泳の[[入江陵介]]とは中京大学近くのゴルフ場で知り合って親しくしており<ref>[[日本経済新聞]]コラム『小塚崇彦「世界選手権ではリンクで熱気を感じたい」』2011年1月3日掲載</ref>、[[立石諒]]とも親友である。
また、同じフィギュアスケート選手の[[浅田真央]]とは名古屋市出身の[[幼馴染]]である。[[2017年]][[4月10日]]に浅田が公式ブログにおいて現役引退を公表した翌11日に、小塚は[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]「[[バイキング (テレビ番組)|バイキング]]」に出演し、[[wikt:プライベート|プライベート]]で浅田から直接に引退を打ち明けられていたと語っている<ref>[https://web.archive.org/web/20170411094908/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170411-OHT1T50087.html 男気!小塚崇彦さん、親友・真央から引退事前連絡も「プライベートのことなので…」と詳細明かさず(スポーツ報知・2017年4月11日付記事)]</ref>。
== 経歴 ==
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2011-2012シーズン、[[2011/2012 ISUグランプリシリーズ|GPシリーズ]]は[[2011年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]で3位、[[2011年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会|NHK杯]]2位となるも、[[2011/2012 ISUグランプリファイナル|GPファイナル]]進出はならなかった。連覇のかかった[[第80回全日本フィギュアスケート選手権|全日本選手権]]では、SPで回避した4回転トウループをFSでクリーンに決めたが、後半の3回転アクセルの転倒がひびき、3.63点差で逆転優勝ならず2位に留まったが、5回目の世界選手権への出場を決めた。しかし期待された[[2012年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]ではSP・FS共に4回転トウループの着氷に失敗し、他のジャンプにもミスが目立ち総合11位に敗れ2大会連続のメダル獲得はならなかった。[[2012年世界フィギュアスケート国別対抗戦|世界国別対抗戦]]も自身の成績は総合6位に留まったが、日本代表としては同大会初の総合優勝を果たしている。
2012-2013シーズン、[[2012/2013 ISUグランプリシリーズ|GPシリーズ]]は初戦の[[2012年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]で自己ベスト更新のSP2位から逆転優勝、2戦目の[[2012年ロステレコム杯|ロステレコム杯]]で2位。通算3度目の[[2012/2013 ISUグランプリファイナル|GPファイナル]]の進出を決めたが、総合5位に留まった。[[第81回全日本フィギュアスケート選手権|全日本選手権]]では本番前に足の怪我を抱えながら強行出場するも、総合5位に終わり6年ぶりに表彰台を逃した。大会後の検査で、右足の腱鞘炎により全治1ヶ月と診断された
==== ソチ五輪落選 ====
2013-2014シーズン、[[2013年スケートアメリカ|スケートアメリカ]]で6位と不調、[[2013年中国杯|中国杯]]では3位に留まり[[2013/2014 ISUグランプリファイナル|GPファイナル]]進出を逃す。[[第82回全日本フィギュアスケート選手権|全日本選手権]]では3位となるも、グランプリシリーズの成績不振が響いて、[[2014年ソチオリンピックのフィギュアスケート競技|ソチオリンピック]]の代表には惜しくも選出されなかった。[[2014年四大陸フィギュアスケート選手権|四大陸選手権]]では、優勝した[[無良崇人]]に次ぐ総合2位で銀メダルを獲得<ref>[https://web.archive.org/web/20140412163415/http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/01/24/kiji/K20140124007454370.html?feature=related 無良が初優勝、2位の小塚は現役続行を明言(スポニチ)]</ref>。[[2014年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]代表は当初[[サブメンバー|補欠]]選出だったものの髙橋(ソチ五輪6位)がケガによる出場辞退で、小塚が急遽繰り上がり同大会2年ぶりに出場<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/03/04/kiji/K20140304007709640.html 高橋大輔 膝の故障で世界選手権欠場「悩みましたが…」(スポニチ)]</ref><ref>[http://www.t-kozuka.com/blog/2014/03/post-999b.html Takahiko Kozuka BLOG 世界選手権(2014年3月5日)]</ref>。準備期間が僅か3週間の調整ながらもSP・FS共に6位の総合6位に入った<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/03/26/kiji/K20140326007852350.html 小塚は6位、準備期間3週間もシーズンベスト(スポニチ)]</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/03/30/kiji/K20140330007879780.html 小塚 予定より長かった今季「最後まで引き延ばされた」(スポニチ)]</ref>。
2014-2015シーズン、[[2014年スケートカナダ|スケートカナダ]]では8位、[[2014年ロステレコム杯|ロステレコム杯]]は6位で2007-2008シーズン以来初めて両方の大会でメダルを獲得できなかった。[[第83回全日本フィギュアスケート選手権|全日本選手権]]ではSP6位だったもののFS2位と逆転し、同大会で2年連続3位の表彰台に登り、2年連続通算7回目の[[2015年世界フィギュアスケート選手権|世界選手権]]代表入りを決める。しかし、世界選手権のSPでは3つのジャンプ全て失敗し19位と大きく出遅れてしまい、FSは1番滑走で順位を上げる(FSのみは9位)も、過去ワースト成績の総合12位に終わった。
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=== 現役引退後 ===
[[File:Takahiko Kozuka in 2025.jpg|thumb|[[GIGAスクール構想|GIGAスクール]]特別講座での講演(2025年3月)]]
[[2016年]][[3月15日]]、自身の公式ブログサイトにて、昨年12月の全日本選手権を最後に、今シーズン限りでの現役引退を発表(連盟には所属のトヨタ自動車経由で2016年3月末日をもっての引退という内容で届出)した<ref>{{Cite web|和書|title=最高の選手、指導者になれたはず……。至極のスケーティング、小塚崇彦の引退。(Number Web・2016年3月18日記事)|url=
同年[[4月17日]]、「スターズ・オン・アイス」の東京公演にて、演目は、坂本龍一の「エピローグ」で現役最後を飾った。引退後は一旦フィギュアスケート界から去り、所属先であるトヨタ自動車の一従業員として、強化運動部での社業に専念していた。
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| style="background:#cc9966" | T3/P8
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| 中止<ref>[[東日本大震災]]の影響により開催中止。</ref>
| style="background:#ffd700" | T1/P6
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| [[サタデー・ナイト・フィーバー]]<br /><small>演奏:[[ビージーズ]]</small><br /><small>振付:宮本賢二</small>
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! 2006-2007<ref name="CE0787">『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.87</ref>
| アート・オン・アイス<br /><small>作曲:[[エドウィン・マートン]]</small><br />[[サラバンド]]<br /><small>作曲:[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]、編曲:[[エドウィン・マートン]]</small><br /><small>振付:マリナ・ズエワ</small>
| [[ピアノ協奏曲第2番 (ショパン)|ピアノ協奏曲第2番]]<br /><small>作曲:[[フレデリック・ショパン]]</small><br /><small>振付:マリナ・ズエワ</small>
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; 2010年
* 名古屋市スポーツ功労賞
* 愛知県スポーツ功労賞<ref name=aichi>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.aichi.jp/soshiki/sports/0000066551.html|title=愛知県スポーツ顕彰(平成20年度から24年度)|accessdate=2022-05-10|publisher=[[愛知県]]|date = 2013
* 文部科学省・文部科学大臣表彰
; 2011年
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== 出演 ==
=== テレビ ===
* [[run for money 逃走中]](2010年6月27日、[[フジテレビ]])- 初出場で逃走成功し賞金108万円を獲得、ハンターを4度も振り切るという驚異の身体能力を見せた。
* 小塚崇彦のフィギュアスケートラボ([[J SPORTS]]、2012、2017 - )
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[[Category:ユニバーシアードフィギュアスケート競技メダリスト]]
[[Category:トヨタ自動車のスポーツ関係者]]
[[Category:フィギュアスケート解説者]]▼
[[Category:中京大学附属中京高等学校出身の人物]]
[[Category:中京大学出身の人物]]
[[Category:愛知県出身のスポーツ選手]]
[[Category:名古屋市出身の人物]]
[[Category:1989年生]]
[[Category:存命人物]]
▲[[Category:フィギュアスケート解説者]]
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