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== 選手経歴 ==
=== キャリア初期 ===
[[File:Mahut-Wim-Qualif-08-4.jpg|thumb|left|2008年ウィンブルドン予選]]
 
=== 2000年 プロ転向 ===
5歳から[[テニス]]を始めた。[[2000年]]にプロ入り。ジュニア時代、[[2000年ウィンブルドン選手権]]の男子ジュニアシングルス部門で、[[マリオ・アンチッチ]]を破って優勝したことがある。
 
=== 2001年 グランドスラム初出場 ===
[[2001年全豪オープン男子シングルス|2001年全豪オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]にデビューした時は、1回戦で[[アンドレイ・メドベデフ]]に2-6, 4-6, 6-2, 6-4, 4-6で敗れた。2001年からの2年間は、主にフランス国内の下部サーキットで下積み生活を送った。
 
=== 20152003全米ツアーダブルス優勝 ===
[[2001年]]からの2年間は、主にフランス国内の下部サーキットで下積み生活を送った。[[2003年]][[2004年]]、マユは9月の[[モゼール・オープン]]大会でダブルス2連覇を果たしている。
 
=== 2006年-2012年 全日本選手権初優勝 ===
ニコラ・マユは[[2006年]]3月、[[京都市]]体育館で開かれた[[ATPチャレンジャーツアー]]の[[全日本室内テニス選手権]]に出場し、決勝で[[盧彦勲]]を6-4, 6-1で破って優勝した[http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/alljapan_indoor/2006/msm.pdf]。この年は[[2006年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]で初の3回戦進出があり、マユは第1シードの[[ロジャー・フェデラー]]に3-6, 6-7, 4-6のストレートで完敗した。2006年までシングルスでの好成績が少なかった。
 
=== 2007年 全米ダブルスベスト4 ===
[[File:Nicolas Mahut at the 2009 Wimbledon Championships 01.jpg|thumb|left|2009年ウィンブルドンにて]]
6月中旬に[[ウィンブルドン選手権]]前哨戦の1つである[[エイゴン選手権|アルトワ選手権]]で準優勝した。3回戦で[[イワン・リュビチッチ]]を破り、準々決勝で[[全仏オープン]]3連覇を達成したばかりの[[ラファエル・ナダル]]を破って注目を集める。準決勝では同国の親友[[アルノー・クレマン]]を破り、初めてのATPツアー大会決勝戦に進出したが、決勝では[[アンディ・ロディック]]に第2・第3セットの[[タイブレーク]]を奪われ、6-4, 6-7, 6-7で敗れた。[[2007年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では2回戦で同じ[[フランス]]の[[リシャール・ガスケ]]に敗退している。7月のニューポート大会で2度目の決勝に進出したが、[[ファブリス・サントロ]]に 4–6, 4–6 で敗れている。ダブルスでは[[2007年全米オープン男子ダブルス|2007年全米オープン]]で[[ジュリアン・ベネトー]]と組みベスト4に進出した。
 
マユは2006年までシングルスでの好成績が少なかったが、[[2007年]]6月中旬に[[ウィンブルドン選手権]]前哨戦の1つである[[エイゴン選手権|アルトワ選手権]]で準優勝した。
3回戦で[[イワン・リュビチッチ]]を破り、準々決勝で[[全仏オープン]]3連覇を達成したばかりの[[ラファエル・ナダル]]を破って注目を集める。準決勝では同国の親友[[アルノー・クレマン]]を破り、初めてのATPツアー大会決勝戦に進出したが、決勝では[[アンディ・ロディック]]に第2・第3セットの[[タイブレーク]]を奪われ、6-4, 6-7, 6-7で敗れた。
 
[[2007年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では、2回戦で同じ[[フランス]]の[[リシャール・ガスケ]]に敗退している。7月のニューポート大会で2度目の決勝に進出したが、[[ファブリス・サントロ]]に 4–6, 4–6 で敗れている。
 
ダブルスでは、[[2004年全米オープン男子ダブルス|2004年全米オープン]]と[[2007年全米オープン男子ダブルス|2007年全米オープン]]で[[ジュリアン・ベネトー]]と組みベスト4に進出した。
 
=== 2010年 史上最長試合 ===
[[2010年ウィンブルドン選手権男子シングルス]]では1回戦で[[ジョン・イズナー]]と史上最長試合を演じた。詳細は後述。
 
=== 2013年 全仏ダブルス準優勝 ===
[[2013年全仏オープン男子ダブルス]]では[[ミカエル・ロドラ]]と組んで決勝に進出した。決勝では[[ブライアン兄弟]]組に4–6, 6–4, 6–7(4)で敗れ準優勝となった。表彰式のスピーチにおいてダブルスに専念するためにシングルスの引退を考えていたことを告白した。2013年全仏終了後の得意の芝のシーズンに入り、[[トップシェルフ・オープン]]の決勝まで予選から勝ち進み、決勝戦で[[スタニスラス・ワウリンカ]]をストレートで破り、31歳でキャリア初のシングルス優勝を果たした。ランクを240位から一気に120位台まで上昇させ、そして1ヶ月後、ウィンブルドン翌週の[[テニス殿堂選手権]]の大会でダブルヘッダーながら元世界ランク一位の[[レイトン・ヒューイット]]を相手にフルセットの末に勝利し、キャリア2勝目を挙げ一年ぶりに100位以内にランクを戻し75位まで上昇させる。
 
[[File:Nicolas Mahut (14235759147).jpg|right|180px|thumb|2014年[[ニコラ・エスクデ]]とともに]]
 
[[2013年全仏オープン男子ダブルス]]では[[ミカエル・ロドラ]]と組んで決勝に進出した。決勝では[[ブライアン兄弟]]組に4–6, 6–4, 6–7(4)で敗れ準優勝となった。表彰式のスピーチにおいてダブルスに専念するためにシングルスの引退を考えていたことを告白した。
 
2013年全仏終了後の得意の芝のシーズンに入り、[[トップシェルフ・オープン]]の決勝まで予選から勝ち進み、決勝戦で[[スタニスラス・ワウリンカ]]をストレートで破り、31歳でキャリア初のシングルス優勝を果たした。ランクを240位から一気に120位台まで上昇させ、そして1ヶ月後、ウィンブルドン翌週の[[テニス殿堂選手権]]の大会でダブルヘッダーながら元世界ランク一位の[[レイトン・ヒューイット]]を相手にフルセットの末に勝利し、キャリア2勝目を挙げ一年ぶりに100位以内にランクを戻し75位まで上昇させる。
年度末にはキャリアハイに近づく50位まで順位を上昇させた。
 
=== 2014年 シングルス世界37位 ===
2014年、[[全豪オープン]]の前哨戦となる[[ブリスベン国際]]において[[ロジャー・フェデラー]]とダブルスを組み準決勝まで進出し、順調なシーズンの滑り出しを見せた。[[2014年全豪オープン男子ダブルス]]にて優勝ペアに準決勝で敗れるも[[ミカエル・ロドラ]]とのダブルスは好調を維持し、2月の [[ABNアムロ世界テニス・トーナメント]]でシーズン初優勝を果たした。
 
=== 2015年 全米ダブルス優勝 ===
[[2015年全豪オープン男子ダブルス|全豪オープンダブルス]]では[[ピエール=ユーグ・エルベール]]と組んで自身二度目のGS決勝に進出。[[シモーネ・ボレッリ|ボレリ]]/[[ファビオ・フォニーニ|フォニーニ]]組にストレートで敗れ準優勝となった。3月には[[デビスカップフランス代表]]に初選出され、ダブルス戦において[[ジュリアン・ベネトー]]と組みフランスチーム初戦突破に貢献した。
 
そして、得意の芝シーズンに入り[[トップシェルフ・オープン]]の決勝まで予選から再度勝ち進み、決勝戦で[[ダビド・ゴフィン]]をストレートで破り、シングルス3つ目となる優勝を飾った。
 
[[2015年全米オープン (テニス)|全米オープン]]に単複出場し、[[2015年全米オープン男子ダブルス|ダブルス]]にて[[ピエール=ユーグ・エルベール]]とともに決勝に進んだ。[[ジェイミー・マリー|J・マリー]]/[[ジョン・ピアース|ピアーズ]]組をストレートで破り、悲願のグランドスラム初優勝を遂げた。フランスペアとして史上初の全米ダブルス優勝でもあった。
 
=== 2015年 全米ダブルス初優勝 ===
シーズン最後を飾る[[2015年ATPワールドツアー・ファイナル]]初出場を果たし、ラウンドロビンで敗退だったもののそれまでのキャリア最高の成績を飾った。
[[2015年全豪オープン男子ダブルス|全豪オープンダブルス]]では[[ピエール=ユーグ・エルベール]]と組んで自身二度目のGS決勝に進出。[[シモーネ・ボレッリ|ボレリ]]/[[ファビオ・フォニーニ|フォニーニ]]組にストレートで敗れ準優勝となった。3月には[[デビスカップフランス代表]]に初選出され、ダブルス戦において[[ジュリアン・ベネトー]]と組みフランスチーム初戦突破に貢献した。そして、得意の芝シーズンに入り[[トップシェルフ・オープン]]の決勝まで予選から再度勝ち進み、決勝戦で[[ダビド・ゴフィン]]をストレートで破り、シングルス3つ目となる優勝を飾った。[[2015年全米オープン (テニス)|全米オープン]]に単複出場し、[[2015年全米オープン男子ダブルス|ダブルス]]にて[[ピエール=ユーグ・エルベール]]とともに決勝に進んだ。[[ジェイミー・マリー|J・マリー]]/[[ジョン・ピアース|ピアーズ]]組をストレートで破り、悲願のグランドスラム初優勝を遂げた。フランスペアとして史上初の全米ダブルス優勝でもあった。シーズン最後を飾る[[2015年ATPワールドツアー・ファイナル]]初出場を果たし、ラウンドロビンで敗退だったもののそれまでのキャリア最高の成績を飾った。
 
=== 2016年 WBウィンブルドンダブルス優勝 ダブルス世界1位 ===
2016年はエルベールとのペアで[[BNPパリバ・オープン]]、[[マイアミ・マスターズ]]、[[モンテカルロ・マスターズ]]で優勝し、マスターズ3連勝を記録した。[[2016年全仏オープン|全仏オープン]]終了後のダブルス世界ランキングで'''1位'''となった。芝初戦の[[ロスマーレン・グラスコート選手権]]では決勝で[[ジレ・ミュラー]]を破り連覇を果たす。[[2016年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では、[[2016年ウィンブルドン選手権男子シングルス|シングルス]]の2回戦で第13シードの[[ダビド・フェレール]]を、3回戦でダブルスのペア[[ピエール=ユーグ・エルベール|エルベール]]に勝利し、自身初のグランドスラム4回戦進出を果たす。4回戦で第28シードの[[サム・クエリー]]に敗れた。[[2016年ウィンブルドン選手権男子ダブルス|ダブルス]]では第1シードで出場し、決勝で[[ジュリアン・ベネトー|ベネトー]]/[[エドゥアール・ロジェ=バセラン|ロジェ=バセラン]]に6–4, 7–6(1), 6–3で勝利し、グランドスラム2勝目をあげた。[[File:Nicolas Mahut & Pierre-Hugues Herbert (28051419812).jpg|thumb|293x293px|2016年ウィンブルドンのマユとエルベール]]
 
=== 2018年 全仏ダブルス優勝 ===
2018年はエルベールとのペアで[[2018年全仏オープン|全仏オープン]]に決勝進出、決勝で[[オリバー・マラチ|マラチ]]/[[マテ・パビッチ|パビッチ]]組に6-2,7-6(4)で勝利し、地元の全仏オープンで初優勝を果たす<ref>{{Cite web|和書|url=http://news.tennis365.net/news/smartphone/today/201806/119890.html|title=全仏初Vで四大大会3勝目|publisher=tennis365.net|date=2018-06-10|accessdate=2018-06-10}}</ref>。