「たちぎれ」の版間の差分
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『'''たちぎれ'''』もしくは『'''たちきれ'''』は、[[古典落語]]の演目の一つ。『'''立ち切れ'''』(または『'''立切れ'''』{{Sfn|佐竹・三田|1970|p=246}})と漢字で表記されることもあるほか、『'''たちきり'''』、『'''たちぎれ線香'''』(たちぎれせんこう)、『'''線香の立切れ'''』(せんこうのたちぎれ){{Sfn|佐竹・三田|1970|p=246}}とも。
遊び好きの商家の若旦那を改心させるために蔵に幽閉し、その間に心を通わせていた[[芸妓|芸者]]が死んでしまう顛末を描いている。一般的な滑稽噺のような抜けた人物が登場せず、くすぐりが非常に少ない。
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前記の通りくすぐりが少なく、かつ悲劇的になりすぎないように演じる必要があり、演者には高い技量が要求される{{要出典|date=2025-05}}。[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]は「数百を越える上方落語の中で、最も神聖化されている噺」と評している<ref name="sogen">「たちぎれ線香」『米朝落語全集』第五巻[[創元社]]、1981年、{{要ページ番号|date=2025-05}}(増補改訂版:2014年)</ref>。また、若旦那が「跡取り息子が丁稚の果ての番頭に乞食にされたら本望じゃ! 見事、甲斐性あったら乞食にせえ!」と一気にまくしたてるさまを番頭が悠然と聞き、煙草を一服吸ってからいさめるシーンについて、「いきり立つ若旦那を前に対して悠々と煙草を吸う、あの演出は誰がかんがえたのでしょうか」と絶賛している<ref name="sogen" />。
3代目桂米朝によれば、現在では中堅の落語家がこの噺に挑戦することも多くなっているが、以前は「大師匠」の格でないと高座にかけることを許されず、お囃子方も協力してくれなかったという<ref name="toda">[[戸田学]]『随筆 上方落語の四天王 松鶴・米朝・文枝・春團治』[[岩波書店]] 2011年、{{要ページ番号|date=2025-05}}</ref>。米朝の師匠である[[桂米團治 (4代目)|4代目桂米團治]]は若いころ、師匠の[[桂米團治 (3代目)|3代目桂米團治]]の不在を狙って『たちぎれ』を演じたが、3代目米團治が現れると慌てて切り上げてしまった。高座に上がった3代目米團治は、「今のはほんの立ち切れでございました。それではその続きを」とその後を引き継いで演じた<ref name="toda" />。[[佐竹昭広]]・[[三田純市]]の『上方落語』下巻(筑摩書房、1970年)では、「大ネタ中の大ネタ、難物中の難物、とされているが、事実、そういわれるに値い(原文ママ)するだけの名作である」と評されている{{Sfn|佐竹・三田|1970|pp=257-258}}。
== バリエーション ==
{{要出典範囲|ヒロインの芸者が病死するのではなく、手紙の誤送をきっかけに、同じくなじみだった別の商家の番頭に殺される、というストーリーがある。この場合、芸者は清純でない女性に描かれ、仏壇のシーンでは若旦那らの前に幽霊の姿になって現れて「地獄でも売れっ子の芸者だ」と説明するといったシーンが追加され、滑稽噺の要素が強くなる。|date=2025-05}}
[[桂小文治 (2代目)|桂小文治]](落語睦会の)や、[[桂文枝 (5代目)|5代目文枝]]は、三味線の音を中途で切り、線香が消えたことを強調する演出であるが、3代目桂米朝は音をフェイドアウトさせる演出を取ることで、小糸の霊が消えていく様を表現している{{要出典|date=2025-05}}。5代目桂文枝は、唄と三味線を普段の下座の代わりに、[[桃山晴衣]]に依頼し演じたことがある<ref name="totori">[https://tsuchino-oto.hatenablog.com/entry/20110212/1297522859 桃山晴衣の音の足跡(5)語り物と落語] - [[土取利行]]・音楽略記(2011年2月12日)</ref>。若旦那が蔵から出て妓楼に駆けつける際のハメものは、上方落語では「茶屋入り」がもともとの「定石」であったが、のちに廃されて地唄の「雪」のみとなった{{Sfn|佐竹・三田|1970|pp=257-258}}。前記『上方落語』下巻は、「なまじ『茶屋入り』など入れない方がふさわしい」とこの変更を評価している{{Sfn|佐竹・三田|1970|pp=257-258}}。
[[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]]は、小米朝の頃、[[落ち]](サゲ)のセリフが飛んでしまい、「仏壇の三味線が燃え尽きました」と言ってサゲてしまったという{{要出典|date=2025-05}}<!--個人ブログなどは[[Wikipedia:信頼できる情報源]]を満たさないため、基本的に出典として使えません(専門家や著名人当人のものは例外)-->。
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{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|editor1=[[佐竹昭広]]|editor2=[[三田純市|三田純一]]|title=上方落語|volume=下|publisher=[[筑摩書房]]|date=1970|url=https://dl.ndl.go.jp/pid/12467058|ref={{SfnRef|佐竹・三田|1970}}}}
{{古典落語の演目}}
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