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'''反町 理'''(そりまち おさむ、[[1964年]][[4月26日]] - )は、日本の[[ジャーナリスト]]、[[ニュースキャスター]]。[[フジテレビジョン]]の元[[取締役]]<ref name=xcontents46760>{{Cite web|和書|date=2025-03-27 |url=https://contents.xj-storage.jp/xcontents/46760/07d2d2eb/9dc1/40a6/8a07/142b0b67c045/140120250327502301.pdf |title=代表取締役の異動並びに当社及びフジテレビの役員体制の変更について |publisher=株式会社[[フジ・メディア・ホールディングス]] |accessdate=2025-06-12}}</ref>。
 
== 来歴・人物 ==
[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref name="Profile"/>。[[栄光学園中学校・高等学校]]を経て、[[早稲田大学政治経済学部]][[政治学部|政治学科]]卒業。在学中は[[早稲田大学雄弁会]]に所属した<ref name="Debate">{{Cite web|和書|url = https://web.archive.org/web/20170213164854/http://www.geocitiesthetv.jp/keio_benron_buperson/contents1000071211/news_contents/h20/keiso-shinjin-h20.html |title = 平成20年度慶早新人弁論大会スタ☆スケ 反町理 |publisher = [[慶應義塾大学ザテレビジョン|ザ・テレビジョン]]辯論部日吉会 |date = 20082017-610-1|accessdate = 2018-1-1531|}}</ref>。[[栄光学園中学校・高等学校]]を経て、[[早稲田大学政治経済学部]][[政治学部|政治学科]]卒業
 
* 小学5年時に、自宅の書棚に父親が所持していた、『青春国会劇場 早稲田大学雄弁会が産んだ7人のサムライ』([[豊田行二]]著作)に興味を持ち熟読した結果、雄弁会がどんな組織が非常に興味を持ち、大学受験は早稲田大学のみ受験をし、大学在学中は、[[早稲田大学雄弁会]]に所属した<ref>{{Harvnb|反町|2018|pp=3-5}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url name="Debate" https://web.archive.org/web/20170213164854/http://www.geocities.jp/keio_benron_bu/contents/news_contents/h20/keiso-shinjin-h20.html |title = 平成20年度慶早新人弁論大会|publisher = [[慶應義塾大学]]辯論部日吉会 |date = 2008-6-1|accessdate = 2018-1-15}}</ref>。雄弁会に所属したため、[[第37回衆議院議員総選挙]]にて雄弁会の活動の一環で当時[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]であった元[[東京都知事]]の[[石原慎太郎]]の選挙活動を手伝っていたので、選挙の裏事情の現場にも居たと回想している<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=5}}</ref>。
[[1987年]]4月、[[フジテレビジョン]]入社。同期は、元同局アナウンサーで、[[BSフジ]]編成局広報担当局長の[[塩原恒夫]]。入社当時から政治部志望であったが、入社後2年間は報道カメラマン、その後、ニュース番組のスポーツコーナーのディレクターを1年担当。[[ワシントンD.C.|ワシントン]]特派員を3年6ヶ月担当し、帰国。帰国後、経済部に異動したが、後述の理由のため、[[青山学院大学]]大学院[[国際政治経済学]]研究科国際政治学専攻の夜間部に進み、修士課程修了<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=44}}</ref>。
 
[[1987年]]4月、[[フジテレビジョン]]入社。同期は、元同局アナウンサーで、[[BSフジ]]編成局広報担当局長の[[塩原恒夫]]。入社当時から政治部志望であったが、入社後2年間は報道カメラマン、その後、ニュース番組のスポーツコーナーのディレクターを1年担当。[[ワシントンD.C.|ワシントン]]特派員を3年6ヶ月担当し、帰国。帰国後ワシントン特派員時代経済部に異動したが英語もネイティブで無く後述質問理由中身が狭くてワシントン政治家から質問を拒否される事もあっので手の届かない遠い目標だったのが[[青山学院大学産経新聞]]大学院ワシントン駐在編集特別委員兼[[国際政治経済学論説委員]]研究科国際政治学専攻夜間部に進み、修士課程修了[[古森義久]]であるとしている<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=4442}}</ref>。
[[首相官邸]]キャップ、[[政治部記者|政治部デスク]]等を経て、[[2009年]]4月1日から『[[BSフジLIVE プライムニュース]]』のキャスターを担当<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=25}}</ref>。
 
帰国後、経済部に異動したが、[[青山学院大学]]大学院[[国際政治経済学]]研究科国際政治学専攻の夜間部に進み、修士課程修了<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=44}}</ref>。
[[2010年]]6月29日付人事異動にて、当時政治部長であった、[[平井文夫]]の後任として政治部長<ref>{{Cite web |date = 2010-06-29 |url = http://www.godotsushin.com/backnumber_nikkan/2010/2010_6.html |title = 日刊合同通信 第55巻 第13379号 |publisher = [[日刊合同通信]] |accessdate = 2018-04-11}}</ref>に異動。その後、[[2011年]]6月29日付人事異動にて、[[編集委員]]兼解説委員に就任。[[2013年]]4月から『BSフジLIVE プライムニュース』編集長を兼務。[[2017年]]7月1日付で報道局解説委員長に就任。[[2018年]]4月2日から夕方の報道番組『[[プライムニュース イブニング]]』のメインキャスターに異動のため、同年3月30日をもって『BSフジLIVE プライムニュース』を降板し<ref>{{Cite web|和書|date = 2018-1-15 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2104099/full/ |title = 元NHK登坂淳一アナ、フジ夕方の顔に抜てき「“1”から“8”に転身」 |publisher = [[オリコン#ポータルサイト|ORICON NEWS]] |accessdate = 2018-1-16}}</ref>、プライムニュース編集長の肩書きは外れた。
 
* 前述の[[首相官邸]]キャップ、[[政治部記者|政治部デスク]]等を経て、[[2009年]]4月1日から[[BSフジLIVE プライムニュース]]』のキャスターを担当<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=25}}</ref>。キャスターを受諾する際にも、最初は断りを入れたが幾つかの条件を受け入れて貰って受諾したとしており、本人としては「テレビに出たい為にフジテレビに入社した訳では無い」と回想しているので<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=20}}</ref>、テレビに映る[[モチベーション]]は持ち合わせていないという<ref>{{Harvnb|反町|2018|pp=28-29}}</ref>。その為、自分は「質問係のおじさん」であるので、飾ろう等と全く考えていないとしている<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=28}}</ref>。
 
[[2010年]]6月29日付人事異動にて、当時政治部長であった、[[平井文夫]]の後任として政治部長<ref>{{Cite web |date = 2010-06-29 |url = http://www.godotsushin.com/backnumber_nikkan/2010/2010_6.html |title = 日刊合同通信 第55巻 第13379号 |publisher = [[日刊合同通信]] |accessdate = 2018-04-11}}</ref>に異動。その後、[[2011年]]6月29日付人事異動にて、[[編集委員]]兼解説委員に就任。[[2013年]]4月から『BSフジLIVE プライムニュース』編集長を兼務。[[2017年]]7月1日付で報道局解説委員長に就任。[[2018年]]4月2日から夕方の報道番組『[[プライムニュース イブニング]]』のメインキャスターに異動のため、同年3月30日をもって『BSフジLIVE プライムニュース』を降板し<ref>{{Cite web|和書|date = 2018-1-15 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2104099/full/ |title = 元NHK登坂淳一アナ、フジ夕方の顔に抜てき「“1”から“8”に転身」 |publisher = [[オリコン#ポータルサイト|ORICON NEWS]] |accessdate = 2018-1-16}}</ref>、プライムニュース編集長の肩書きは外れた。
 
[[2019年]]3月を以って『プライムニュース イブニング』が終了したことに伴い同4月より『BSフジLIVE プライムニュース』キャスターに復帰した。
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6月5日、フジテレビは一連の問題における社内処分を発表した<ref name=asahi20250605/>。反町については懲戒処分が妥当としたものの、過去に厳重注意とされたのち、社内調査で処分しないと判断されているため、[[一事不再理]]の原則に基づき改めて処分を行えないとした<ref name=asahi20250605/><ref name="fujitv20250605"/>。合わせて同月末までの[[嘱託社員|嘱託]]契約を更新しないことも発表した<ref name="fujitv20250605"/>。これにより出演を見合わせていた『BSフジLIVE プライムニュース』には復帰せず、事実上降板することとなった<ref name=asahi20250605/>。
 
== 人物 ==
* 小学5年時に、自宅の書棚に父親が所持していた、『青春国会劇場 早稲田大学雄弁会が産んだ7人のサムライ』([[豊田行二]]著作)に興味を持ち熟読した結果、雄弁会がどんな組織が非常に興味を持ち、大学受験は早稲田大学のみ受験をし、大学在学中は、[[早稲田大学雄弁会]]に所属した<ref>{{Harvnb|反町|2018|pp=3-5}}</ref><ref name="Debate"/>。雄弁会に所属したため、[[第37回衆議院議員総選挙]]にて雄弁会の活動の一環で当時[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]であった元[[東京都知事]]の[[石原慎太郎]]の選挙活動を手伝っていたので、選挙の裏事情の現場にも居たと回想している<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=5}}</ref>。
* ワシントン特派員時代、英語もネイティブで無く、質問の中身が狭くてワシントンの政治家から質問を拒否される事もあったので、手の届かない遠い目標だったのが[[産経新聞]]ワシントン駐在編集特別委員兼[[論説委員]]の[[古森義久]]であるとしている<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=42}}</ref>。
* 前述の『BSフジLIVE プライムニュース』のキャスターを受諾する際にも、最初は断りを入れたが幾つかの条件を受け入れて貰って受諾したとしており、本人としては「テレビに出たい為にフジテレビに入社した訳では無い」と回想しているので<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=20}}</ref>、テレビに映る[[モチベーション]]は持ち合わせていないという<ref>{{Harvnb|反町|2018|pp=28-29}}</ref>。その為、自分は「質問係のおじさん」であるので、飾ろう等と全く考えていないとしている<ref>{{Harvnb|反町|2018|p=28}}</ref>。
 
== 出演番組 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|refs=}}
<ref name="Profile">{{Cite web|和書|url = https://thetv.jp/person/1000071211/ |title = スタ☆スケ 反町理 |publisher = [[ザテレビジョン|ザ・テレビジョン]]|date = 2017-10-1|accessdate = 2018-1-31|}}</ref>
}}
 
== 外部リンク ==
* {{Twitter|o_sori|反町理}}
* {{Wayback|url=http://www.fnn-news.com/column/articles/wr041col011.html |title=解説委員の眼 フジテレビ解説委員長 反町 理 |date=20190228093851}}
 
{{Normdaten}}