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Judointel (会話 | 投稿記録)
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*「稽古法」の論点:素直に技にかかることには、合気の感覚をつかむことに集中するという稽古上の意味がある。また、初心者が合気をかける感じを少しでもつかむ為に、技が効いていなくても受け側が跳ぶ場合がある。力み癖がつくので、常に力いっぱいかかる稽古が最善であるとは限らない。
*「安全・防御」の論点:「技を回避する」「踏ん張ると痛い」「跳び上がるほど痛い」などの理由から、受け側が自ら跳んで、「技がかかる前に回避する」というもの。素早い関節技であれば、素人目には「触れただけで跳んでいる」ように見えることもある。しばしば「合気はやらせ説」の論点に取り上げられるが、そもそも「合気を使う前に跳んでいる」「単純な関節技 (投げ技) である」ということから、合気術と直結している訳ではない。
*「感覚精度」の論点:鈍感な人には効きにくいといわれる。長年修業した高弟は師の微妙な動きに反応して跳ぶが、素人は技をかけられていることに気づかないということも起こりうる。修業が進むほどにかかり易くなる事を疑問視する声もあるが、これはばらばらだった身体の協調性が高まり、一体となったが故、体の一部に技を掛けるだけで全身がそれに調してしまい、かかり易くなっているという点があげられる。合気は運動神経がよく敏感な人ほどよく効くということが言われることがあるが、同じ理由によるものとみられる。
*「パフォーマンス」の論点:演武会などで見せる合気の技は人の目を意識したものである。受けが意識的に綺麗に跳ぶことは、見せるための技には不可欠な要素であると言える。
*「社会心理」の論点:師の面目を潰すことを懸念して本気でかかることができず、りの人間に合わせて跳んでしまう。技が効いているとアピールすることで師の機嫌をとる等。それらは明確に意識されるとは限らず、無意識的にそのような関係が構築される場合もある。合気はヤラセという非難を招く大きな原因でもある。
*「実戦性」の論点:合気の精妙な技が激しい実戦の中で使えるかという問題。限定された条件下でよくかかる技でも、どのような攻防が繰り広げられるか分からない状況でとっさに合気の技を使うことは難しい。合気の条件にリラックス・脱力ということが言われるが、激しい闘いの最中にそのような状態になることは凡人には難しいことである。手首を力いっぱい握られた状態からは相手を魔法のように翻弄することができる人であっても、相手がとっさに攻撃してくると当たってしまうということはありうる。合気の武道をやっていても、実戦的状況の中で合気が使える人は限られているのが実状である。