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'''鈴木忠重'''(すずき ただしげ、[[天正]]2年([[1574年]] - [[明暦]]4年([[1658年]]))は、[[松代藩]][[家老]]。[[真田昌幸]]家臣の名胡桃城主[[鈴木重則]]の子。通称は'''右近'''。幼名は小太郎。
 
[[上野]][[名胡桃城]]が北条家臣で沼田城主[[猪俣邦憲]]に奪われた名胡桃事件の際には、母とともに[[後北条氏|北条氏]]に捕われる。城から開放された後は[[真田昌幸]]に引き取られその家臣となった。
 
19歳の時に出奔、その際に[[柳生宗章]]と出会い、弟子となった。また柳生の庄で[[柳生宗厳]]にも剣を学んだと言う。
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十余年後に[[真田氏]]に帰参し[[京]]の伏見真田屋敷留守居役を務める。昌幸死後は沼田城主・[[真田信之]]の家臣として、真田氏の松代転封後は重臣に名を連ねた。主君・信之が[[参勤交代]]で江戸に向かった後には藩政を司るため[[松代城]]に残っていたとされる。
 
信之病没後に殉死した。[[享年]]84。
 
出奔・帰参の前後に大きな戦い(関ヶ原・[[大坂の陣]])があることから、真田氏の諜報官であったとする説があるが、証拠になるような史料は見当たらない。
 
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