削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''長善館'''(ちょうぜんかん)は、[[天保4年]]([[1833年]])に漢学者[[鈴木文臺]]によって、新潟県西蒲原郡粟生津村(現[[燕市]])に創設された私塾である。[[明治45年]]([[1911年]])まで約80年間、北越を中心に千人以上を教育した。主な門下生には、[[長谷川鉄之進]]、[[長谷川泰]]、[[桂湖村]]、[[小柳司気太]]、[[鈴木虎雄|鈴木豹軒]]らがいる。
 
==長善館の教師==
*[[鈴木文臺]](ぶんだい・陣蔵、[[1796年]]-[[1870年]])
初代館主。38歳のときに近隣の子弟を集めて漢学を教えたのが長善館の始まりである。[[良寛]]との親交でも知られる。
*[[鈴木惕軒]](てきけん・健蔵、[[1836年]]-[[1896年]])
二代館主。小川家に生まれ文臺に師事し、後に文臺の二女菊子と婚姻、長善館を継ぐ。子に柿園・彦嶽・[[鈴木虎雄|豹軒]]。
*[[鈴木柿園]](しえん・鹿之介、[[1861年]]-[[1887年]])
惕軒二男(戸籍上は長男)。長善館で教授し、また西蒲原中学校の漢学教師ともなった。
*[[鈴木彦嶽]](げんがく・時之介、[[1868年]]-[[1919年]])
三代館主。惕軒三男(戸籍上は次男)。長善館閉館後は粟生津[[郵便局]]初代局長となる。
 
{{DEFAULTSORT:ちょうせんかん}}