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==大東亜共栄圏の実態と評価==
上記の大東亜宣言を善解すれば、大東亜共栄圏の目的は、アジア各国を列強の植民地支配から解放、独立させ、[[欧州連合|EU]]のような対等な国家連合を実現させることであったとも理解できる。もしこれが本当に実現していれば、大東亜共栄圏への今日的評価は大きく異なっていたであろう。一方で、日本軍占領下で形式上の独立を果たした諸国([[フィリピン]]、[[ベトナム]]、[[ラオス]]、[[ビルマ]]、[[カンボジア]]、[[満州国]])の政府と[[汪兆銘政権]]([[中華民国の歴史|中華民国]])は、いずれも日本政府の絶対的指導権の下に置かれており、[[ソビエト連邦|ソ連]]に対する[[東欧]]諸国、[[アメリカ合衆国]]に対する[[中南米]]諸国のような、事実上の[[植民地]]([[衛星国]])化を目指したに過ぎないという考えもある。また、1943年5月31日に決定された*[[wikisource:大東亜政略指導大綱|大東亜政略指導大綱]]では[[英領マレーラヤ]][[蘭領東インド]]は日本領に編入することとなっていた(ただし、蘭領東インドについては、戦争末期にジャワ島のみ独立を認める方針に転じた)。[[シンガポール]]は[[昭南特別市]]と改名され正式に日本に併合された。日本の同盟国であったヴィシー・フランスの植民地[[インドシナ連邦]]では、日本軍占領下における植民地支配をフランス本国で[[ヴィシー政権]]が崩壊したのちの1945年3月9日まで承認していた。
 
大東亜共栄圏の真意がどこにあったにせよ、日本軍は占領者、[[植民地]]的支配者として敗北し撤退した。その結果として「日本の行為は、入植者を追い出したのは一時的に過ぎなかったうえ、しかもその際の戦闘で多くの犠牲をもたらした。そして、日本もまた、その『一時的』の間は侵略者であった」という評価もある。しかしながら、日本軍が宗主国勢力を排除したことが結果として独立に繋がったという評価や、日本軍統治下で様々な近代化が行われたため、旧宗主国に比すれば日本はよりましな統治者であったという評価もあり、今なお議論が続いている。