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Hazuki02 (会話 | 投稿記録)
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== 運用 ==
OV-10Aは[[1968年]][[2月23日]]からアメリカ空軍とアメリカ海兵隊への引き渡しが開始され、アメリカ空軍はハールバートフィールド空軍基地所属の第4410コンバットクルー訓練航空団(4410CCTW)第4409コンバットクルー訓練飛行隊(4409CCTS)、アメリカ海兵隊ではキャンプペンドルトンの第5海兵観測飛行隊(VMO-5)に最初に配備されて乗員訓練が開始された。同年[[7月]]にはアメリカ海兵隊の第2海兵観測飛行隊が[[南ベトナム]]のマーブル・マウンテンに派遣され、続いて第6海兵観測飛行隊も派遣された。同年[[7月31日]]にはアメリカ空軍のOV-10Aも[[C-133 (航空機)|C-133 カーゴマスター]]によって6機が南ベトナムのビエンホワ基地に空輸され、同年[[10月]]には第2陣もビエンホワ基地に送られて[[前線航空管制]] (FAC) 任務に使用された。[[1969年]][[1月]]にはアメリカ海軍がアメリカ海兵隊から借用した18機のOV-10Aで第4軽攻撃飛行隊(VAL-4)を編成し、[[4月]]から[[メコン川]]河口のビンツイに展開させ、第3軽[[ヘリコプター]]飛行隊(HAL-3)の[[UH-1 (航空機)|UH-1B]]とともに[[デルタ地帯]]の監視や船艇護衛などの河川作戦に投入された。ただ、OV-10Aは実戦で運用してみると性能的に中途半端な機体であることが判明し、アメリカ空軍海兵隊共にFAC機や観測機として多用した。また、アメリカ海軍と海兵隊は、OV-10Aの貧弱な固定武装を改善するために胴体下部ハードポイントに20mm[[機関砲]]ポッドを一部の機体に搭載させていた。
 
[[1970年]]になると、アメリカ空軍とアメリカ海兵隊ではOV-10Aへの夜間攻撃能力付与という考え方に基づいて、アメリカ空軍ではペイブネール計画に着手、アメリカ海兵隊でもOV-10Dの開発に着手された。ペイブネール計画では、夜間用[[ペリスコープ]]照準器、[[レーザー]]デジグネーター、ターゲット[[イルミネーター]]、[[LORAN]]受信機などが新たに搭載され、アメリカ空軍が保有するほとんどのOV-10Aに改修が施された。