「大御所 (江戸時代)」の版間の差分

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9代将軍・徳川家重は、[[1760年]]に将軍職を息子[[徳川家治]]に譲って隠居しているが、言語を唯一理解できた[[大岡忠光]]の逝去を受けての将軍職引退であり、また、[[1760年|翌年]]に病死したため、大御所として政治的実権を握ってはいない。
 
11代将軍・[[徳川家斉]]は将軍就任直後、実父の[[徳川治済]]に大御所号を贈ろうとして、老中[[松平定信]]に先例が無いとして反対され、断念した(大御所事件)
また自らも[[1837年]]に将軍職を息子[[徳川家慶]]に譲った後も、[[1841年]]に死去するまで大御所として政治の実権を握り続けていた。なお、家斉の治世は50年以上にも及んだため、「'''[[大御所時代]]'''」と呼ばれることが多い。