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===土井とイチロー===
*[[イチロー]](当時の登録名は、鈴木一朗)は1992年にオリックスに入団し、土井の下でプレーした。1993年、2年目のイチローは6月、[[野茂英雄]]からプロ初[[ホームラン]]を打つ。しかし、土井はイチローがホームラン狙いのバッティングをしていると判断して[[ウエスタン・リーグ]](2軍)に落とし、その後もほとんど起用することはなかった。また、イチローに[[振り子打法]]をやめるように指示したところ拒否されたともいわれている。(ある一説では振り子打法を「そんな打ち方ではいつまでも2軍だ」とぼろ糞に揶揄したらしい。)
*イチローは、監督が[[仰木彬]]にかわった翌[[1994年]]にレギュラーに抜擢されて日本記録となるシーズン210安打の偉業を達成し、以後大活躍を続けている。こうした経緯から、土井は「才能を見抜けなかった監督」といわれている。土井がオリックスの監督を続けていれば、イチローはホームラン1本で終わっていたかもしれない。一方ではイチローの2軍落ちについてはヘッドコーチである[[山内一弘]]の判断が大きかったと言う説もあり、土井一人の責任に帰することには疑問視する声もある。
*むしろ土井が潰しかけた名選手といえば[[田口壮]]のほうであろう。大学No.1のショートとしてオリックスと相思相愛でドラフト1位で入団したが、スローイングに難ありと見た土井は厳しい指導を田口に施し、その結果ますますコントロールがひどくなる「イップス」になって内野手失格の烙印を押されてしまう羽目になった。この年田口に入団を拒否された[[阪神タイガース]]では同じショートにルーキー[[久慈照嘉]]が定着して新人王をとり、「田口をとらないで良かった」とまで言われる始末であった。この後、田口は強肩を生かして外野手に転向し、名選手となっていったのは周知のとおりである。