「地方病 (日本住血吸虫症)」の版間の差分

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甲府盆地では[[1978年]](昭和53年)に、韮崎市内で発生した1名の急性日本住血吸虫症感染の確認を最後に<ref>韮崎市内で急性シスト患者が発生。これ以降の甲府盆地での発症事例はない。また日本国内最後の発症事例でもある。林(2000) p.80</ref>、これ以降の新たな感染者の発生は確認されなくなった。ミヤイリガイも撲滅こそされていないものの、セルカリアに感染・寄生した個体は同時期以降には発見されなくなり、ヒト以外の哺乳動物の感染も、[[1983年]](昭和58年)の[[ノネズミ]]での感染確認を最後に発見されなくなった<ref>小林(1998) p.208</ref>。
 
[[1985年]](昭和60年)には、虫卵[[抗原]]に対する[[抗体]]陽性者(皮内反応検査)の平均年齢が60.6歳に達するなど、保卵者数の低下および、罹患者の年齢構成の高齢化から、甲府盆地における日本住血吸虫(地方病)の流行は[[1980年代]]前半頃に終息したものと今日では考えられている<ref name="minaiB"/>。その後の[[1990年]](平成2年)から3年間に及ぶ、甲府盆地の小中高生児童生徒4,249名を対象にした抗原抗体検査による[[集団検診]]でも感染者はひとりもおらず全員陰性であった<ref>[http://idsc.nih.go.jp/iasr/CD-ROM/records/15/17206.htm 国立感染症研究所感染症情報センター 1994年6月vol.15] 2012年1月22日閲覧</ref>。
 
こうした経緯を経て、山梨県知事の[[諮問機関]]である'''山梨地方病撲滅対策促進委員会'''(刑部源太郎会長)は、「新たな感染による地方病患者が1978年以降発生していない」こと、「感染したミヤイリガイが1977年以降発見確認されていない」ことなどを根拠に、[[1995年]](平成7年)11月15日、「山梨地方病の流行は終息し安全である」旨の中間報告書を同県知事に提出し<ref>山梨日日新聞社編 『山梨の20世紀』「地方病殺貝にピリオド」 平成7年11月16日付 同新聞紙面 2000年8月10日第1刷発行 p.191</ref>、翌年2月13日の[[山梨県議会]]において、「ミヤイリガイは依然生息するものの、再流行の原因となる可能性はほとんどない」と答申・議決され、当時の山梨県県知事[[天野建]]は'''地方病終息宣言'''を行った<ref>[http://idsc.nih.go.jp/iasr/CD-ROM/records/17/19405.htm 国立感染症研究所感染症情報センター 1996年4月vol.17] 2012年1月22日閲覧</ref>。
 
1881年(明治14年)8月27日の、旧春日居村からの嘆願に始まった地方病問題は、'''[[1996年]](平成8年)[[2月19日]]'''、実に115年目にして終息を迎えた<ref group="†">2月13日の答申をもって、翌週2月19日に終息宣言が出された。</ref>。